『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査

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『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
―
「教師と司祭に関するアンケート」を中心に―
髙草木
邦
人
1.はじめに
1859 年にワラキア公国とモルドヴァ公国との合同により建国したルーマニアは 1866 年に
憲法を制定し,1878 年にオスマン帝国から独立を果たし,1881 年には王国となった。この
建国期から 20 世紀にかけて,国内の近代化は様々な領域で推し進められたが,同時に,国
内状況の把握と政策の立案・実行のために,大規模な国内調査が行われた。その主要なもの
2)
として,産業省が主導した『工業アンケート』1)と『職人に関するアンケート』
,公教育省
3)
による『中等教育アンケート』
と『初等教育アンケート』4)などがある。このように,19 世
紀末から 20 世紀初頭にかけて,ルーマニア国内では様々な領域・分野の状況について包括
的な,かつ詳細な情報が収集されていたが,本論では,この潮流の1つとして,『ルーマニ
ア民主主義雑誌』
(Revista democraţia române 以下,
『民主主義』と略記する)が独自に行っ
ていたアンケート調査の 1 つである「司祭と教師に関するアンケート」(Anchete privitoare
la preoţi şi invăţători 以下,「教師アンケート」と略記する)5)を取り上げる。
『民主主義』は近代ルーマニアの二大政党の 1 つである自由党 (Partidul Naţional-Liberal)
の左派に属するディアマンディ 6)によって 1910 年 1 月に刊行されたが,その特徴的な活動
の一つがアンケート調査であった。その回答数は国家機関のそれと比較すると遥かに少な
かったが,ディアマンディが述べるように 7),この活動は国家主導の公的なアンケート調査
を補完するという目的があった。国家機関のアンケート調査はその回収率は非常に高いもの
の,総じて個々の見解を数値化・類型化する傾向がある。もちろん統計学上,それは全体的
な流れを把握するために必要な手段といえる。しかし,その場合,しばしば編者が重要とみ
なした回答だけが公表され,他の多くの回答が切り捨てられた 8)。また,
『初等教育アンケー
ト』は圧倒的に多くの回答数を集めたにもかかわらず,質問事項の内容は就学率,教育カリ
キュラム,教授法など教育面に重点が置かれ,教師の生活など教師自身に関する質問項目は
非常に少なく,その質問内容も学校教育と学校外活動 9)に関する質問しかみられなかった(資
料①参照)。これに対して,『民主主義』の教師アンケートは当該時期の教師の生活に関して
多岐にわたる質問を用意し,その質問の項目は 140 項目であった(資料②参照)。この教師
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『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
アンケートからは,資料②からもわかるように,非常に多くの情報を得ることができる。そ
れは,教師の学校運営だけでなく,農村内の教師の影響力,ナショナル・アイデンティティ,
教師の趣味や家計など非常に多岐にわたる。
これらすべてを対象とすることは紙幅の関係上,
不可能であるため,本稿では,当該時期に教師層の間で問題視されていた「教師の給与」問
題に焦点を絞り,その給与や他の収入から教師がどのように生活していたかを知るための手
がかりとして,この教師アンケートを検討することを目的とする。
教師の給与問題,或いは教師の待遇の問題は,20 世紀初頭において教師の側から度々,
問題提起されていた。教師の全国組織である全国教師協会 (Asociaţia generală a învăţătorilor
din România)10) の創立大会において,隣国ブルガリアの教師よりも低い給与が問題視さ
れ 11),その後も,全国教師協会を中心として,教師の待遇改善運動が展開された 12)。また,
政府当局もその状況を視学官の報告 13)からある程度は把握しており,その改善策を模索し
ていたが,財政難のために,手を拱いていた 14)。しかし,以上のような教師たちの不満や
政治家たちの現状認識のなかでは,「教師の生活が困難である」という言説が前提となり,
具体的な教師の生活像がみえにくくなっている。そこで,本稿では,教師アンケートの「A.
戸籍と履歴」,及び「B. 経済状況」の項目を検討することで,教師の給与問題において何が
問題で,教師はどのように生活していたかを明らかにする。結論を先取りすれば,確かに教
師という職業そのものから得られる給与だけでは生活が困難であったが,それ以外の収入源
を確保することで,教師はその生活を安定させていたのである。
2.教師アンケートからみられる教師の生活
( 1 ) 収入関連 【給与・相続・持参金・土地】
初めに,教師という職業から得られる収入をみていく。表 B で示しているように,回答
者のうち 13 名が月収約 80 〜 90 レイ 15)前後と回答しているが,これは当該時期の教師の初
任時の月給が 90 レイであったためである 16)。この基本給から勤続年数に応じて,給与は上
昇した 17)。多くの回答者が 20 歳代から 30 歳代であるの対して,
51 歳という年長者のコスティ
ンと 46 歳のギネスクは,それぞれ 31 年と 24 年と勤続年数が非常に長いため,144 レイ 18)
と群を抜いた月給を受け取っている。一方,師範学校を卒業していない者は補助教員として
採用された。その給与は月額 65 レイであった 19)。これに該当するのは,イリエスクとセヴァ
ストレであり,彼らは教員候補生に課されている 5 年間の師範学校ではなく 20),中等教育
までしか受けていなかった。イリエスクが,駆け出しのブラエスクよりも勤続年数が長いに
もかかわらず,月給が同額であるのは,基本的に昇給制度がない補助教員であったためであ
る。しかし,教師という職業そのものに設定された 90 レイという初任時の月給額は汽車の
火夫などのそれと同額で,
電信技士(月給 100 レイ)や機関士見習い(月給 125 レイ)といっ
た専門技術を要する労働者よりも低かった 21)。
教師の給与自体は必ずしも多くなく,
むしろその低さに教師は不満を感じていた。しかし,
『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
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教師たちはその給与だけで生活しているとは限らなかった。回答者の年収は表 B に示す通
りであるが,学校外活動による副収入が得られるほか,土地経営から得られる収入と妻の持
参金・収入もその生活を支えていた。具体的にみれば,民衆銀行や農村協同組合など学校外
活動から報酬(月額 10 〜 20 レイ程度)を得る者,イリエスクやハルナジャのように,その
所有地を賃貸に出すことで副収入を得ている者,スタネスクのように,妻の副業により収
入を増加させる者,またギネスクやコチャのように,土地の直接経営により年間で約 400 〜
500 レイの収益を上げる者も存在した。以上の教師の給与以外での収益の中で最も多いもの
は土地経営であったが,回答者たちの土地所有・保有状況を検討するためには,相続と持参
金との獲得状況を考慮に入れなければならない。それゆえ,以下では回答者の出自と配偶者
を検討しながら,その土地所有・保有状況を確認する。
回答者のうち半数以上がその親の職業を農業と答えている。ハルナジャ,
ドゥミトレスク,
ヨネスク,スタネスクの父たちはそれぞれの息子に土地を残している(順に,2 ㌶,2.5 ㌶
と家屋,2 ㌶,0.5 ㌶)
。一方,セヴァストレ,スタン,ギネスクの父は識字能力があったと
いう点では共通しているが,前者の二人は息子に何も残せなかったのに対して,後者は 4.5
㌶の土地を与えた。農業従事者以外の回答をみると,ヴァシリウの父は豚商人であったが,
外国との競争により破産したため,遺産どころでなく,むしろ娘たちの面倒を息子に託さな
ければならなかった。同じ商人でもイリエスクの父は教師,徴税官を歴任した後,その財で
商人となり,息子に家屋と 2 ㌶の土地を残した。アルギルの父も徴税官と農業を生業とした
が,息子には財産を残さなかった。テオドレスクの父親は教師を 32 年間勤め上げた後,年
金生活となり,これまでの資金などで 100 ㌶の土地持ちとなったが,土地をまだ息子に与え
ていない。ポペスクの父は教会の歌い手であったが,それだけでは生計が立てられず,馬具
職も身につけなければならなかった。しかし,それでも父親は子供たちに財産を残すことは
できなかった。コチャの父も教会の歌い手という職とともに,農業にも従事していたが,息
子や娘たちに残すほどの財産を持っていなかった。ブラエスクの父は村長を務め,息子に
10 ㌶の土地を与えた。レムナルの父の職業は大工であり,土地も所有していたが,その規
模は 1.25 ㌶に過ぎず,5 人兄弟のレムナルはほとんど相続を得られなかった。最後に,パス
クレスクの父親は商人であったためか,土地ではなく,2,000 レイという大金を娘に残した。
次に,持参金の状況を確認するために,既婚者 13 名 22)の配偶者に関して概観する。ヴァ
シレウの妻は持参金に関しては記載されていないが,彼女は貧しい司祭の娘であり,財産も
持っていなかった。一方,アルギルとコチャの妻も司祭の娘であったが,前者の持参金は 6
㌶の土地,後者の持参金は 4,000 レイもの大金であった。イリエスクの妻についてはヴァシ
リウの妻と同じく持参金に関して回答がないが,彼女の名義で 2,500 レイの貯金があった。
ハルナジャの妻は,夫の現在の職場の村の出身であることは興味深い。彼女は初等教育を修
め,その出自は明言されていないが,16 ㌶もの土地を持参金とした。ヨネスクの妻は富農
の娘であったため 7 ㌶の土地を持参金とした。ポペスクは同郷の女性と結婚しているが,彼
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『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
女はその持参金は 2.5 ㌶と家屋であった。ただし,この土地と家はポペスクの職場から 7 キ
ロ離れた夫妻の出身地にあった。ギネスクの妻は持参金として 1.5 ㌶の土地と 200 レイの貯
金があった。コスティンは妻の持参金に関して明言していないが,彼女はギリシア人であっ
た。レムナルの妻は 16 歳という年齢だが,4 ㌶の土地を持参金としただけでなく,1,000 レ
イもの預金があった。スタネスクの妻は 1 ㌶の土地,家屋,そして 2,500 レイの預金だけで
なく,仕立て職人として月々に 40 〜 50 レイを稼いでいた。また,スタンの妻も持参金の
1,000 レイと家屋だけでなく,幼稚園の保育士として,56 レイの月給を受け取っていた。最
後に,パスクレスクは自身が女性ということから持参金に関しては触れていないが,その夫
は 1907 年まで教師を務めた後にドルジュ県の副視学官に着任したが,現在では,農業に従
事しており,その農産物を売却することで月々に約 100 レイを稼いでいた。
表 A から明らかなように,土地を所有していない回答者はヴァシリウ,テオドレスク,
セヴァストレ,スタン,パスクレスクの 5 名であり,
前者 3 名は相続や持参金も獲得できなかっ
た者たちである。スタンに関しては,土地を所有していないが,自身の給与だけでなく,妻
の持参金と給与という資金的な背景があったために,
10 ㌶という土地を賃借していた。また,
パスクレスクも自身は土地を所有していなかったが,規模は不明だが,夫が土地経営を行っ
ている。つまり,土地を所有している者は相続と持参金の,少なくともどちらか一方を受け
取っていた。一方,土地を購入したと明言している者はドゥミトレスク,ヨネスク,ギネス
ク,コスティンの 4 名である 23)。ドゥミトレスクは持参金を受け取ったかは不明であるが,2.5
㌶の土地と家屋を相続している。しかし,これらの遺産は彼の出身の村にあり,その職場の
村にはない。そして,彼は住居の項目の個所で持家であると明言しているが,同時に「相続
の土地を持っていないが,0.75 ㌶を購入した」24)とも述べている。明確な記載はないが,恐
らくドゥミトレスクは故郷の土地と家を売却し,
職場の村で家と土地を購入したと思われる。
ヨネスクは 5 ㌶もの土地を購入したと述べているが,
同時にその支払を未だ完済しておらず,
土地の購入のために貯金をかなり切り崩したという。ギネスクも 5.5 ㌶を自己の収入で購入
しているが,24 年という長い勤続年数を誇り,また妻の財産も少なくない。コスティンは
相続や持参金に関して明確な回答を行っていないが,彼も 31 年という長い勤続年数の中で,
貯蓄した資金で 5 ㌶の土地を購入した。つまり,土地所有は教師の月給に対して高い買い物
であり,給与とは別のルート(相続や持参金)で得なければ,それを購入・所有することは
極めて困難であったといえる。
( 2 )支出関連 【支出費目・貯蓄・家財・調度品・住居】
支出に関しては,回答者たちが概算で示しているので,比較対象になりやすい事例を取
り上げながら,検討する。事例として挙げるのは,当該時期の教師の初任時の給与とされ
た 90 レイを受け取っていたヴァシリウ,ドゥミトレスク,アルギル,コチャとする。ドゥ
ミトレスクの支出をみてみると,食費は 1 日に約 1 レウ,図書と雑誌の購入に月に 23 レイ,
『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
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趣味に 6 レイ,衣類を年間に 120 レイ,その洗濯に 50 レイ,雑費として 80 レイを支出した。
また,ドゥミトレスクは 0.75 ㌶の所有地で,野菜や果実を栽培しているが,その費用とし
て年間に 20 レイを支出した。この農産物は普段は自己で消費しているが,豊作の時には,
売却もした。現在のところ,貯蓄は 132 レイあり,借金はないという。しかし,ドゥミトレ
スクの生活はいささか贅沢な感がある。というのも,一軒家を所有しながらも,寡夫であっ
た彼は扶養する家族を持たなかったためである。これに対して,ヴァシリウは同じ月給に
よって妻と 2 人の子供を養わなければならなかった。それゆえ,ドゥミトレスクと異なって
支出を詳細に回答していないが,
ヴァシリウは「ここに悲劇がある」25)と端的に述べている。
このように,彼らの生活状況は,給与の額面だけでは判断できず,扶養家族の存在,不動産,
そして貯蓄などを考慮に入れる必要がある。たとえば,ヴァシリウと未婚のセヴァストレと
を比較すると,後者の方が年収は低いが,前者よりも生活に余裕があるようで,その支出の
項目として,光熱費,食費,衣類費といった生活に不可欠なものだけでなく,娯楽費,研修
旅費,そして図書や絵画の購入も挙げている 26)。
同じように,アルギルとコチャとを比較してみよう。前者は妻と 2 人で暮らし,税金とし
て 23 レイ,光熱費に 72 レイ,食費に 720 レイ,衣類で 200 レイ,喜捨に 50 レイ,多くの
娯楽に 10 レイ,旅行に 50 レイ,雑誌や新聞の購入に 150 レイ,絵画などに 60 レイ,音楽
に 15 レイを支出した 27)。一方,コチャはアルギルよりも生活が苦しいようである。彼は妻
と 3 人の子供を養うだけではなく,学校の清掃員に対する賃金やその食費,そして土地経営
から生じる赤字などにより,娯楽,旅行,浴場などには支出せず,無駄な出費を避けてい
た 28)。そして,
年間の図書費が 50 レイとアルギルのそれより低かったにもかかわらず,
コチャ
は安価な書籍を購入することや,書店に行くこと自体を控えることで,図書費をおさえるこ
とに努力していた 29)。
表 B の預金の項目から明らかなように,預金額に大きな差はあるが,多くの回答者が銀
行に預金している。というのも,多くの回答者が学校外活動の1つである民衆銀行運動 30)
に参加し,この団体か,或いは自身が所属する教育団体の信用機関に積極的に預金していた
からである。ただし,イリエスクの 2,500 レイ,アルギルの 100 レイ分,レムナルの 1,000
レイ,ギネスクの 200 レイ分,スタネスクの 2,500 レイ分,パスクレスクの 1,700 レイは配
偶者の預金であり,ここにおいても配偶者からの収入源は無視することができない。以上の
2 点を踏まえると,貯蓄がない者には一定の事情があったといえる。たとえば,ヴァシリウ
は 500 レイの借金のために貯蓄どころではなく 31),ブラエスクは赴任したばかりでまだ貯
金をしていないという 32)。ポペスクは 5 人家族にもかかわらず,他の回答者のように,副
収入がなく,その収入は教師の月給からだけであるために,預金する余裕がないという 33)。
家財・調度品についてみてみよう。テオドレスクは,自身の所有する家財を一人暮らしに
必要最低限のものと述べている。その内訳はベッド 1 台,テーブル 2 台,椅子 5 脚,書きも
の用の机,壁掛けランプ,数枚の絵画,振子時計,そして書籍や雑誌・新聞(おそらくこれ
?
農業
?
徴税人
/ 農民
?
農業
?
村長
?
歌手 /
職人
補助教員
農業
正規教員
農業
臨時教員
農業
正規教員
教師
/ 農業
正規教員
農業
教師 /
徴税官吏
/ 商人
商人
親の職業
?
商業
正規教員
農業 /
歌手
臨時教員
農業 /
徴税官
正規教員
農業
?
大工
9年
3回
0回
0回
0回
?
3㌶
?
2㌶
なし
4㌶
同県内
だが異なる
プラホヴァ県
なし
なし
2.5 ㌶
?
ボトシャニ県
購入した土地
借地
同県内
同県内
だが異なる だが異なる
?
テクチウ県
?
なし
プトナ県
同県だが
異なる
他県
同県
だが異なる
?
同県だが
異なる
他県
テクチ県
同県
だが異なる
同じ
同県内
同県内
だが異なる だが異なる
なし
10 ㌶
なし
11 ㌶
なし
ブザウ県
なし
3.5 ㌶
なし
なし
なし
なし
なし
なし
なし
なし
1㌶
なし
なし
なし
1.5 ㌶
0.5 ㌶
4㌶
なし
なし
5㌶
5㌶
6㌶
なし
10 ㌶
5.5 ㌶
10 ㌶
なし
5㌶
なし
2.5 ㌶
なし
なし
12 ㌶
0.75 ㌶
0.75 ㌶
なし
3人
持ち家
持ち家
妻の実家
借家
(学校内)
借家
持ち家
借家
(学校内)
持ち家
借家
持ち家
借家
(学校内)
借家
持ち家
借家
(学校内)
1人
なし
?
3人
あり
?
なし
あり
なし
5人
3人
なし
あり
なし
なし
なし
ロマン県
勤務地
出身地と職場
20 ㌶
トゥトヴァ県
所有地
借家
住居
借家
(学校内)
2人
借家
あり
あり
あり
あり
なし
あり
配偶者の識字能力
子供
1人
あり
あり
なし
持参金など
2人
?
1,000lei
と家屋
1㌶
と家屋
4,000lei
4㌶
?
6㌶
1.5 ㌶
16 ㌶
?
(ただし
2,500 レイ
の預金あり)
2.5 ㌶
と家屋
既婚
寡夫
未婚
既婚
既婚
既婚
結婚
7㌶
既婚
既婚
既婚
既婚
既婚
既婚
既婚
既婚
未婚
既婚
未婚
2㌶
?
?
2,000.0 lei
父
なし
父
0.5 ㌶
なし
なし
なし
なし
?
?
父
なし
父
4.5 ㌶
と家屋
両親
10 ㌶
?
なし
父
なし
なし
なし
2.5 ㌶
と家屋
父
なし
?
2.5 ㌶
父
2㌶
と家屋
なし
なし
親の識字能力
2回
相続
0回
補助教員
3回
?
現在の雇用形態
3回
0回
1 回以上
0回
0回
2年
6 年 6 ヶ月
③ ハルナジャ
0回
④ テオドレスク
0回
⑤ ドゥミトレスク
3回
⑥ ヨネスク
2回
⑦ セヴァストレ
9年
0回
転勤回数
⑪アルギル
2年
5年
31 年
5年
5 年 4 ヶ月
7年
10 年
勤続年数
⑫コスティン
4年
師範学校
師範学校
師範学校
師範学校
師範学校
師範学校
師範学校
師範学校
師範学校
リセ
師範学校
師範学校
師範学校
師範学校
リセ
師範学校
最終学歴
⑬レムナル
5年
女
師範学校
男
男
男
男
男
男
男
男
男
男
男
男
男
男
⑭コチャ
1 年未満 24 年 2 ヶ月
28 歳
30 歳
26 歳
?
男
26 歳
51 歳
28 歳
46 歳
22 歳
32 歳
20 歳
?
男
24 歳
27 歳
28 歳
30 歳
31 歳
年齢
性別
⑮スタネスク
13 年
pp.
798-807
pp.
718-723
pp.
682-687
pp.
605-612
pp.
510-515
pp.
445-449
pp.
324-330
pp.
1458-1466
pp.
1359-1362
pp.
1289-1293
pp.
1226-1229
pp.
1158-1165
pp.
1087-1090
pp.
1056-1062
pp.
993-997
pp.
929-934
pp.
858-862
回答掲載頁
⑯スタン
2年
anul II
no.29-30
anul II
no.25-26
anul II
no.23-24
anul II
no.19-20
anul II
no.14
anul II
no.12
anul II
no.9
anul I
no.37
anul I
no.35
anul I
no.33
anul I
no.31
anul I
no.29
anul I
no.27
① ヴァシリウ
名
② イリエスク
氏
anul I
no.26
⑧ ポペスク
anul I
no.24
⑨ ブラエスク
anul I
no.22
⑩ ギネスク
anul I
no.20
回答者の出自と世帯
⑰パスクレスク
回答掲載号
表A
136
ドルジュ県
トゥルチャ県
ドルジュ県
ムスチェル県
テクチウ県
ゴルジュ県
ロマナツィ県
アルジェシュ県
ネァムツ県
81.0 lei
40.0 lei
月給
副収入
(月額)
③ ハルナジャ
1,020.0 lei
7.2 lei
75.0 lei
540.0 lei
200.0 lei
62.0 lei
?
?
?
?
50.0 lei
25.0 lei
?
?
?
132.0 lei
0.0 lei
0.0 lei
0.0 lei
0.0 lei
0.0 lei
税金
光熱費
食費
衣類
読書
絵画
音楽
娯楽
喜捨
旅行
?
800 lei
2,500 lei
250 lei
-500 lei
家財・調度品
預金
500 lei
1,260 lei
60.0 lei
220.0 lei
110.0 lei
66.0 lei
20.0 lei
37.0 lei
?
40.0 lei
100.0 lei
?
100.0 lei
290.0 lei
?
?
80.0 lei
1,800.0 lei
約 100 lei
400 lei
?
?
?
?
?
30.0 lei
100.0 lei
10.0 lei
100.0 lei
?
?
70.0 lei
250.0 lei
360.0 lei
?
32.0 lei
972.0 lei
?
?
132 lei
200 lei
80 レイ
?
?
54.0 lei
?
?
?
?
?
1.0 lei
5.0 lei
23.0 lei
170.0 lei
365.0 lei
?
?
1,092.0 lei
?
?
200 lei
1,300 lei
?
?
?
68.4 lei
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
1,372.2 lei
?
?
20.0 lei
245 lei
?
?
?
?
78.0 lei
400.0 lei
7.4 レイ
960.0 lei
?
?
?
972.0 lei
0.0 lei
?
0.0 lei
50.0 lei
0 lei
150 lei
?
30.0 lei
?
?
?
?
?
30.0 lei
30.0 lei
?
?
50.0 lei
150.0 lei
?
120.0 lei
?
0 lei
?
?
0.0 lei
240.0 lei
?
?
?
?
?
?
?
?
60.0 lei
480.0 lei
?
400.0 lei
?
17.0 lei
129.6 lei
1,039 lei
300 lei
50.0 lei
?
?
?
?
?
?
?
100.0 lei
?
10.0 lei
20.0 lei
200.0 lei
736.0 lei
150.0 lei
53.8 lei
2,159.20 lei
支出(各項目は年間の数値)
780.0 lei
0.0 lei
?
?
227 lei
2,000 lei
?
?
?
?
?
?
50.0 lei
50.0 lei
10.0 lei
15.0 lei
60.0 lei
150.0 lei
200.0 lei
720.0 lei
72.0 lei
23.0 lei
972.0 lei
?
?
0.0 lei
81.0 lei
3,000 lei
?
300.0 lei
?
?
?
?
24.0 lei
?
?
?
?
?
48.0 lei
240.0 lei
720.0 lei
?
?
1,728.0 lei
?
?
?
144.0 lei
1,000 lei
?
?
?
80.0 lei
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
972.0 lei
?
?
0.0 lei
81.0 lei
150 lei
1,000 lei
336.0 lei
611.6 lei
?
?
?
0.0 lei
0.0 lei
?
5.0 lei
?
?
50.0 lei
?
?
120.0 lei
24.4 lei
1,580.0 lei
500.0 lei
?
0.0 lei
90.0 lei
2,650 lei
1,000 lei
194.4 lei
?
0.0 lei
?
850.0 lei
6.0 lei
1,560.0 lei
?
40.0 lei
?
90.0 lei
?
1,200 lei
600.0 lei
180.0 lei
0.0 lei
400.0 lei
400.0 lei
200.0 lei
400.0 lei
700.0 lei
?
32.4 lei
2,005.8 lei
?
56.0 lei
?
111.2 lei
17,000 lei
6,000 lei
?
6.0 lei
0.0 lei
?
0.0 lei
60.0 lei
140.0 lei
12.0 lei
20.0 lei
0.0 lei
3.0 lei
300.0 lei
200.0 lei
1,200.0 lei
184.8 lei
0.0 lei
2,317.8 lei
?
100.0 lei
0.0 lei
93.2 lei
※表 A と表 B は,Revista democra㶥ia române に掲載された Anchete privitoare la preo㶥i 㶆i inv㶙㶥㶙tori に対する回答をまとめたものである。質問事項に対して回答者が該当しない個所は斜線を引き,回答者自身が回答していない個
所に関しては疑問符を記した。各回答者の掲載については表 A の掲載号と掲載頁を参照せよ。
?
農業
?
?
?
家賃
0.0 lei
48.0 lei
0.0 lei
貯蓄
その他
?
?
0.0 lei
0.0 lei
健康
訴訟
年収
1,452.0 lei
?
?
?
?
④ テオドレスク
土地収入
(年額)
⑤ ドゥミトレスク
配偶者の収入
(月額)
⑥ ヨネスク
10.0 lei
⑦ セヴァストレ
?
入
⑨ ブラエスク
81.0 lei
⑩ ギネスク
?
⑧ ポペスク
収
⑪アルギル
80.0 lei
⑫コスティン
65.0 lei
⑬レムナル
94.4 lei
⑭コチャ
81.0 lei
⑮スタネスク
81.0 lei
⑯スタン
93.0 lei
⑰ パスクレスク
20.0 lei
65.0 lei
① ヴァシリウ
名
② イリエスク
氏
表 B 回答者の収入と支出
『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
137
138
『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
らを収納する棚も)であり,総額で 300 〜 400 レイに相当するという。しかし,1 人暮らし
のドゥミトレスク,さらには家族を持つヴァシリウやポペスクの家財はこれよりもさらに下
回っている。特に,ポペスクがテーブル,
ベッド,
椅子 3 脚,鞄,
ガラス付きの小さい戸棚,
コッ
プなど合わせて 150 レイしか所有せず,
「月に辛うじて 80 レイの者が食事を満足にするため
に,さらに多くのものをどうして持つことができるのか」34)と嘆く姿をみれば,テオドレス
クの生活はやや贅沢なものであったといえる。イリエスク,ハルナジャ,ヨネスク,アルギ
ル,コチャ,スタネスク,スタン,パスクレスクはかなりの額の家財を所有しているが,こ
れには上記のような家具のほかに,ミシンなどの裁縫道具,様々な調理器具,そして所有地
や借地を耕作するための農具や家畜も含まれているからである 35)。つまり,土地を何らか
の形でも保持しない者や土地の規模が小さいものは相対的に家財も少なかったようである。
最後に,住居に関してだが,10 名の回答者が借家と回答しているが,その中で 5 名が学
校施設内の数部屋をその住居としていた。表 A からも明らかなように,相続や持参金の項
目で家屋を上げているにもかかわらず,半数以上の者が借家なのはそれらの家屋が職場から
離れているからであった。出身の村と職場の村が同一であると回答した者はギネスクだけで
ある。職場の村に,住居を持つ回答者たちの中でも,スタネスクとスタンはその妻の実家に
住んでいた。また,ドゥミトレスクは恐らく生家を売却して,職場の村内で家屋を購入し,
ポペスクも職場の村でなく,妻の持参金の家屋で暮らしているため,通勤に長時間を費やし
た。このように,住居と職場との関係は配偶者の財産状況などにも影響されたが,さらに教
師の雇用形態によってさらに複雑さを孕むことになった。というのも,当該時期の教師に
は,任期なしの正規教員と任期制の臨時教員が存在したからである。正規教員になるために
は,空きポストが存在し,かつ当該地域の視学官が課す試験に合格する必要があった。また,
臨時教員は視学官の推薦のもと県知事が任命したが,その任期は 1 年であった 36)。つまり,
臨時教員には転勤のリスクもあったのである。表 A が示す通り,教師アンケート回答者の
うち,正規教員と明言する者は 5 名,臨時教員と明言する者は 2 名,補助教員が 2 名,そし
て明記しない者が 8 名であったが,多くの者が転勤を経験していた 37)。それゆえ,その資
金的状況にもよるが,職場の近隣に安易に家屋などを購入するよりも,学校内施設の空き部
屋に居住することや地域住民から家屋を賃借することの方が妥当と考えられたと思われる。
3.むすびにかえて
当該時期において,教師という職はそれ自体決して安定した職業ではなかった。教師は
教師という職から十分な給与を受け取ることができず,倹約しながら生活しなければならな
かった。しかし,回答者の中には,その不足分を相続や妻の持参金などから得られた土地経
営からの収益,或いは副業や配偶者の収入から補填することにより,その生活を安定させる
者もいた。つまり,教師の給与問題において,重要な論点は,実際に教師の生活が苦しいか
どうかというよりも,教師という職それ自体から得られる収入だけでは,世帯を形成するこ
『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
139
とが困難であったことにある。これは,教師にとって無視できない問題であった。というの
も,当該時期の教師は「農村の知識人」(inteletualii satelor)38)として,学校外活動を展開し
ながら,農村社会において重要な社会的役割を担い,それゆえに,教師自身も「教師は農村
39)
住民の目からみて物質的に優越性を持たなければならない」
という自尊心をもっていたか
らである。このような社会的に課された使命と待遇の悪さとの矛盾が教師の不満を増幅した
のである。たとえば,アルギルは「司祭たちには非常に良い給与が支払われ,その功績以上
の名誉がある一方で,教師たちは,特にモルドヴァでは,劣悪に支払われ,権威をもつ行政
機関によって見下されている」と同じような社会的役割を担っていた司祭を妬み 40),
さらに,
生活苦を嘆いたヴァシリウの回答からは,その労働に対して報われず,国家に見捨てられた
41)
教師が「子供や住民たちにどんな感情を吹き込むかを考えてみよ」
という非常に鬱屈した
精神がみてとれるのである。
以上,本稿では,教師の生活面の項目に特化して,教師アンケートを検討したが,資料②
で示されているその他の質問事項からも,当該時期における教師の様々な面が明らかとなる
であろう。たとえば,歴史教育に関する質問,外国人に対する質問,そして愛読書に関する
質問などからは,教師のナショナル・アイデンティティを読み解くことができる。さらに,
『民
主主義』の他のアンケートから得られる教師や農村に関する情報も,数値化されていない当
該者や農村住民の声を集めたものであり,その情報は当該時期の歴史像構築において非常に
有益なものといえるであろう。
最後に,今後の研究課題を 2 つほど提示しておく。1 つは,本論で用いた教師アンケート
は回答数が少ないことから,より多くのデータを収集し,20 世紀初頭ルーマニアの教師像
をより正確に把握することである。研究課題の 2 つ目は,本論はあくまで教師とその生活環
境を検討してきたが,ここで明らかになったことを再度,政治の場で読み直すことである。
というのも,近代ルーマニアにおいて,教師たちが重要となるのは,彼らが単に学校の教師
であっただけではなく,
「農村の知識人」として政治に参入する可能性を秘めていたからで
ある。『民主主義』の教師アンケートが初等教育の内容に留まらなかったのも,この教師の
役割を意識していたからである。つまり,ディアマンディら自由党左派の関心は,初等教育
の教育者としての「教師」ではなく,自由党政府が展開していた学校外活動政策の実行者で
ある「農村の知識人」としての「教師」にあったのである。それゆえに,教師アンケートの
質問事項も教師の本来の職務である学校に関するものだけでなく,生活環境や思想にまで及
ぶのであった。
※なお,本論は「日本大学学術研究助成金」(一般研究,2008 年度)に基づく研究成果である。
140
『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
資料① 『初等教育アンケート』掲載の「教師」に関する質問項目一覧 42)
1. 教師が共同体内で学校と学校外での活動展開において直面する障害は何か?
2. この障害の打倒のために,どんな手段が有効か?
3. 1 つの学校に何人の教師が必要か?
4. 小規模な学校には何人の教師が必要か?
5. 女性教師は混合クラス,或いは男子クラスでの授業が可能か?
6. 1 つのクラスにどれ位の数の子供が適当で,より効率の良い授業が可能か?
7. 生徒が卒業後にもその知識を忘れないために,教師には何が必要か?
8. この点において,繰り返しの授業は有効か?
9. 教師に要求する犠牲に対して,
文化サークルは何をもたらし,
どの点において有益か?
10. 教師の大会はどこで開催されるのが適切か?
11. どんな組織が教師の必要に最も適したものを教師の大会に与えるか?
12. 図書館や読書はどんな効果を持つか?
13. 将来において,それはより良く組織できるか?
14. どのように事務作業を簡素化するべきか?
15. 初等教育大会をどのように組織するべきか?
資料② 「司祭と教師に関するアンケート」の一覧 43)
A.
戸籍・履歴
1. 親は誰で,どんな職業を持ち,どんな財産を残したか?
2. 両親は読み書きができたか?
3. あなたの年齢は?
4. どこで,どんな手段で教育を受けたか?
5. 既婚か,また誰と結婚したか?
6. 妻は読み書き可能か,またどこで教育を受けたか?
7. 何人子供を作り,何人が存命か?
8. 子供は何歳で,何をしているか?
9. どこの学校に子供たちを通わせているか?
10. 現在,どこで働き,何年たつのか?
B.
経済状況
住居
11. 持ち家か,借家か,或いは国家や地方自治体のものか?
12. 賃貸の場合,その支払いは?
13. 家はどんな作りか,部屋数や家の簡単な描写を。
14. 土地を所有しているか,またそれは相続か購入したのか?
『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
141
15. 菜園,果樹園,或いは花畑を所有している?
16. 野菜,果物そして花の収穫量は?
17. それらを売ることで,どれほどの収入があるか?
18. その栽培にどれほどの支出があり,どれほど利益があがるか?
19. 耕作面積はどれくらいか?
20. 必要なものをどこで購入するか?
家計
21. どのような服を着ているか?
22. それをどこで購入したか?
23. 年間,何度服を仕立てるか?
24. どのような家財を所有しているか?
25. 家財全体の価値はどれくらいと考えるか?
労働
26. 何時間労働しているか?
27. 教会や学校以外での行動は,1 日の間,1 週間の間,1 ヶ月の間で,どれほどか?
28. どんな本を読むか?
29. 読書に何時間費やすか?
収入
30. 給与はいくらか,また副業の収入は?
31. どんな控除があり,罰金はあるか?
32. 個人的にどんな財産があるか?
33. 妻はどんな手段で生活を援助しているか?
34. 妻の持参金はどれくらいか,また妻の収入はあるか,妻は副業(織物や蚕の飼育)を
しているか?
支出
35. 国家や地方自体にどれくらいの税金を支払っているか?
36. 水,明かり,暖房,衣類,喜捨,娯楽,旅行,健康(湯治場)
,訴訟,読書(書籍,雑誌・
新聞),絵画,音楽にどれくらい支出しているか?
貯蓄
37. あなた,或いは妻や子供にどれくらい貯金があるか?
38. また,どこに貯金し,利子はいくらか?
C.
文化状況
教会
39. 教会はいつ建立されたか?
40. 建立者は誰か?
142
『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
41. 何をもって維持されているか?
42. どんな本,法衣,装身具があり,いつから,そして誰によって与えられ,作られたか?
43. 教会にはどんな伝説があるか?
44. 村の構成は?男性,女性,子供が何人いるか,また村には正教徒,カトリック教徒,
ユダヤ教徒,その他の宗派,どんな宗教・宗派があるか?
45. 1 日に,1 週間に,1 ヶ月に何人の住民が教会を訪れるか?
46. どんな日に多くの住民が訪れるか?
47. 教会は酒場からどれくらい離れているか?
48. あなたは人々が以前と同じように教会を愛していると思うか,或いは他の確信があ
るか?
49. 人々が教会から離れる原因は何であると考えるか?
50. 教師は子供を連れて教会に訪れるか?
51. それは月にどれくらいか?
52. 合唱団を持っているか?
53. それはどのような構成で,誰が指導しているか?
54. 良き模範,説教,助言,援助など,なにをもってあなたは信者たちの正義に関して
影響を与えているか?
55. あなたがより圧倒的な影響力をもつために,どんな手段が有効であると考えるか?
56. あなたの勧めから,庶子,飲酒する子供,そして喧嘩好きの子供などの数を減らせ
るか?
57. あなたの教会外活動の事例,そしてその効果は?
58. あなたが意識的に義務を行う上で,誰が,そして何が妨げになるか,またどんな手
段によって?
59. あなたの共同体には,司祭は何人いるか?
60. 住民を他の宗教に勧誘する外国人布教者はあなたの共同体に存在するか?
61. また,彼らはどんな影響力を行使し,あなたはそれに対してどんな措置を取ってい
るのか?
学校
62. 学校はどこにあるか,農村からどれくらい離れているか?
63. 何人の子供がその施設に収容できるか?
64. 就学年齢の子供は何人か,またその就学率は?
65. 何人が卒業するか?
66. 卒業後,学んだことが忘れられてしまうか,そしてその原因は?
67. 親は喜んで子供を学校へ通わすか,否か,そしてその原因は?
68. あなたの共同体や村で,就学義務を怠った罰金の総額はどれほどか?
『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
143
69. あなたの職務において,どんな困難さが生じるか?
70. 成人学校はあるか,誰が授業を持ち,どんな人(男女比など)が通っているか?
71. 何クラスあり,学校には何人の教師がいるか?
72. 学校に博物館はあるか?
73. 自然科学の教材はあるか?
74. 住民の図書館はあるか?
75. 更衣室はあるか?
76. 教室は床板が張られているか?
77. 教科書を利用でき,それは実践に十分であると思うか?
78. 農村に合唱団はあるか?
79. 農村に体操協会はあるか?
80. 学校に体操器具はあるか?
81. 子供の肉体的な教育のために何を行っているか,または何を行うべきか?
82. 子供に民族的感情の認識のために,何を行っているか?
83. 特に,歴史授業はどのようにすべきと考えているか?
84. 共同体の住民たちは,国外に住んでいるルーマニア人がいることを知っているか?
85. 彼らは誰がルーマニアの国家元首かを知っているか?
86. 彼らは隣国に関してどのような考えを持っているか?
87. 彼らは他国の歴史から何を知っているか?
88. 彼らの精神の中で,どんなことが影響力を持つか?
衛生
89. 学校は一週間に何度,掃除され,換気されているか?
90. 誰が清掃しているか?
91. 学校は南向きか?
92. 教室は適当で,備品は十分か?
93. 湿った壁はないか,学校は農村から離れていないか?
94. 子供が帽子や外套を置く部屋はあるか?
95. 子供は清潔にして学校へ来るか?
96. 何人が裸足か?
97. 何人が適切でない衣服を着てくるか?
食事
98. 昼食の際に,学校に食堂はあるか?
99. 学校は乳牛を所有しているか?
100.
子供たちは昼食の際に弁当を持っているか?
101.
何を食べているか?
144
『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
102. 日曜に,学校に子供たちは食べにくるか?
103. 共同体にパン焼きかまどはあるか?
104. どのようにしてパンは売られているか?
105. パンを主食としているか?
医療援助
106. 学校では通常,どんな伝染病があるか?
107. 年間に,何人の子供が病に罹り,何人死亡したか?
108. 伝染病による学校閉鎖は何度あったか?
109. 1 年間に何度,郡所属の医者は学校に訪れるか?
学校外活動
110. 学校外活動として何があるか?
111. またその成果は?
112. 住民のモラル改善のために十分な影響力をあなたは持っていると確信しているか?
(非合法の結婚,喧嘩,訴訟,法への服従,権威への敬意,税の支払いなど)
知的育成
113. あなたは外国語を使えるか?
114. それはどこで教育を受けたか?
115. どんな散文家,詩人,画家,彫刻家,作曲家,音楽家,作家を好むのか,またその理
由は?
116. 学校に映写機,又は蓄音機はあるか?
117. これらの機械は子供たちにどんな効果があるか?
118. どんな芸術に嗜むか,またその内容は?
119. よく学び,定期的に通学する生徒は誰であり,その理由は?
120. 勤勉な子供の民族は?
121. 写真機はあるか?
娯楽
122. どんな娯楽があるか?
123. 劇場,サーカス,コンサートへ行くか?
124. どこで集会を行い,何を議論するか?
125. 合唱団を持ち,或いは劇場の脚本で演じているか,またその内容は?
126. どんな遊びをするか,ダンス,チェス,カード遊びなどか?
127. 賭け事,競争,トランプなどでどれくらい散財したか?
128. 体操,フェンシングなどをするか?
信念と希望
129. 村内部にどんな外国人が住み,或いは外部からどんな外国人がやってくるか?
『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
145
130. 彼らは良く受け入れられているか,否か?
131. 国家をどのように考えているか?(憲法,社会組織,ルーマニアの政治など)
132. 過去に良いことはあったか?
133. 初等教育にどんな成果を与えたか?
134. なぜすべての期待やなされるべき犠牲に応えられないのか?
135. どんな改善が教育になされるべきか?
136. 子供たちに衛生的な住居,食事,良き信念を与える農村学校寮の設置に関して,あな
たはどうのように考えるか?
137. 国家の手段に応じて,司祭と教師はどんな経済的な必要があるか?
138. どんな手段をもって,またどのようにして,土地購入のために農業局に対する使用権
の獲得を望むか?
139. 土地購入する場合,どれくらいの量を,どんな条件で?
140. あなたの民族的理想は何か?
注
1) Ancheta industrială din 1901 - 1902, vol.1 - 2, Institutul de Arte Grafice Carol Göbl, Bucureşti,
1904.
2 ) Ancheta cu privire la meseriaşi şi la aplicarea legii pentru organizarea meseriilor, pa.I II,Institutul de Arte Grafice Carol Göbl, Bucureşti, 1906 şi 1909.
3 ) Ancheta învăţământului secundar, Institutul de Arte Grafice şi Editură Miner va, Bucureşti,
1906.
4 ) Ancheta învăţământului primar, vol.1 - 2, Institutul de Ar te Grafice şi Editură Miner va,
Bucureşti, 1906 - 1907
5 ) Revista democraţia române, an. I, no.6, 28 februarie 1910, pp.274 - 277. 他にも,
「農村に関する
アンケート (Ancheta rurală)」,「工業労働者に関するアンケート (Ancheta asupra muncitorilor
industriali)」,
「政治アンケート (Ancheta politică)」といったものがあった。ただし,このうち
「工業労働者に関するアンケート」は『民主主義』が廃刊となる 1911 年 12 月号までにその回答
が回収されなかったため,実質的には行われなかった。というのも,『民主主義』のアンケー
ト調査の手法が,同誌が設定した質問事項を誌上に掲載し,その質問事項に関する回答を読
者の寄稿に委ねるという応募形態をとるものであったためである。そのため,読者の関心が
低かった「工業労働者に関するアンケート」調査に関しては,回答を回収することができな
かったのである。
なお,当該時期,農村に赴任した初等教育教師を învătător,都市に赴任した初等教育教師を
institutor と呼び,その赴任先によって教師の名称と待遇は異なっていた。C. Hamangiu, Codul
general României, vol.IV, Imprimeria centrală. Bucureşti, 1941, pp.48 - 49. 教師アンケートが前
者の農村に赴任した教師を対象としたことから,本論文が「初等教育教師」
,或いは「教師」
という用語を使用した場合,învătător を指し示す。
146
『ルーマニア民主主義雑誌』のアンケート調査
6 ) G.Diamandi (1867 - 1917) は 1893 年に結党された社会民主労働者党の幹部であったが,他国の
社会主義者との交流の中でルーマニアの社会主義運動に限界を感じ,1899 年の第六回党大会
において,社会民主労働者党の解党を発議した。その後,自由党に入党し,同党の左派党員
として活動したが,1917 年にロシア革命の影響を受け,一部の自由党員たちとともに労働党
を結党した。なお,上述の社会民主労働者党の解党とこれに対するディアマンディの見解に
関しては,拙稿「十九世紀末ルーマニアにおける左派知識人―ルーマニア社会民主労働者党
解党の再解釈―」
『史叢』80 号,2009 年,pp.21 - 44 を参照せよ。
7 ) Revista democraţia române, an. I, no.1, 25 ianuarie 1910, pp.27 - 28.
8 ) たとえば,公教育省主導の『初等教育アンケート』の教師の項目の第 1 質問には 3,500 人以上
が 回 答 し た に も か か わ ら ず, 掲 載 さ れ た の は 38 人 の 回 答 に 過 ぎ な か っ た。Ancheta
învăţământului primar, vol.2, pp.351 - 359.
9 ) 当該時期の教師たちは学校外活動(activitatea extra-şcolară)と呼ばれる学校教育の枠組を超
えた社会活動を通じて,農村社会の文化的・経済的向上を目指した。学校外活動に関しては,
以下の文献を参照せよ。N. Adăniloaie, Istoria învăţământului primar (1859 - 1918), Editura
Cris Book Universal, Bucureşti,1998, pp.345 - 371.
10 ) 教師の組織化は各県で 19 世紀後半からみられ,1905 年 12 月に全国教師協会が教師の職業利益
の保護と追求を掲げて結成された。
11 ) 大会の席上でイルフォヴ県の教師ティムシュ(Mihai Timuş)がヨーロッパ諸国の教師の給与
とルーマニアのそれを比較しながら,その改善を訴えた。彼によると,ルーマニアの教師の
給与がヨーロッパ諸国の中でも低い部類に属し,さらにルーマニアの教師の初任給月額がと
ブルガリの見習い教師の月給と同額であると嘆いた。それゆえ,教師ティムシュはルーマニ
アの教師の初任時の月給として,当面のところ,「ブルガリアとトルコの補助教員の給与」と
同額を要求した。Mihai Timuş, Luminarea săteanului şi starea învăţătorilor lui cuvântare rositita
în Congresul dela Galaţi, Bucureţti, 1906, pp.35 - 36, 41.
12 ) たとえば,全国教師協会はその機関誌上において教師の給与に関する特集を組み,自身の見
解だけでなく,他の雑誌・新聞で掲載された教師の給与増額に関して肯定的な記事を再掲載
し,その主張の妥当性を訴えた。Revista asociaşiei generale a învăţătorilor din România, an.
11, no.6 - 7, noiembrie-decembrie, 1910, pp.164 - 169. さらに,全国教師会長ヨネスク=ルング
(C. Ionescu-Lungu) は全国の約 2,000 以上の教師の署名を集め,初任給の増額を求める請願を
議会に提出した。Desbaterile adunării deputaţilor, no.5, şedinţa dela 19 noiembrie 1910, p.9. な
お,これ以後,この下院議事速記録を D. A. D. と略称する。
13 ) Starea materială a învăţătorilor din judeţul Ilfov, Revista democraţia române, nr. 37, 21 noiembrie
1910, pp.1455 - 1456.
14 ) D. A. D., no.68, şedinţ a dela 20 martie 1909, p.1015.
15 ) なお,当該時期のルーマニアの通貨単位はレウ(leu)であったが,複数形はレイ(lei)と表記
した。
16 ) 教 師 の 初 任 時 の 月 給 は 1910 年 の 時 点 で 90 レ イ で あ っ た。C. Hamangiu, Codul general al
României, vol.VI, Editura Librăriei Leon Alcalay, Bucureşti, fa., p.166.
17 ) 回答者間の多くが 81 レイと回答しているが,これは月給の約 10%を年金や積立などにより控
除しているためであり,月の総支給額は 90 レイである。回答者間で給与が異なるのは,勤続
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年数による昇給,或いは年金などの控除を差し引いた数値を出したからと思われる。
18 ) 表 B では,ギネスクは 124.6 レイと答えでいるが,10%の年金などの控除の分を差し引いて回
答しているためであり,総支給額は 144 レイである。
19 ) 補助教員の月給は 1910 年の時点で 65 レイであった。D.A.D., no.39, şedinţa dela 28 februarie,
1908, p.721.
20 ) Nicolae Isar şi Cristina Gudin, Din istoria politicii şcolare româneşti. Problemele învăţământului
în dezbaterile parlamentului (1864 - 1899), Editura Universităţii din Bucureşti,2004,189. 一 方,
補助教員には,少なくとも師範学校の卒業か,或いはリセの第 4 学年までの修了が課されて
い た。Desbaterile senatului, sesiunea ordinară prelungită 1903 - 904,no.30 dela februarie 1904,
p.371.
21 ) Hamangiu, op. cit., vol.VI, pp.165 - 166. これに対して,都市の初等教育教師の初任給の月給額
は 175 レイであった。Ibid., p.162.
22 ) この他にも教師ドゥミトレスクも既婚者だが,その妻はすでに死去しており,またその亡妻
の持参金に関しては明記していない。
23 ) 相続と持参金を踏まえて現在の所有地を計算すると,ハルナジャも恐らく 1.5 ㌶程度購入して
いる。しかし,彼自身が明記していないこと,そして回答者たちが挙げる数値を合計した場合,
計算が合わないことを考慮して,ここでは検討にあげなかった。
24 ) Dumitrescu, an. I, no.27, p.1087.
25 ) Vasiliu, an. I, no.20, 1910, p.859.
26 ) Sevastre, an. I, no.31, p.1226.
27 ) Arghir, an. II, no.9, p.326.
28 ) Cocea, an. II, no.19 - 20, p.608.
29 ) Ibid.
30 ) 民衆銀行(banca popurală)とは,低金利の農村信用組合であり,その組織化に教師は積極的
に関与した。詳細は以下の文献を参照せよ。Philip Gabriel Eidelberg, The Great Rumanian
Peasant Revolt of 1907.Origins of a Modern Jacquerie, Leiden, 1974.
31 ) Vasiliu, an. I, no.20, p.859.
32 ) Brăescu, an. I, no.35, p.1359.
33 ) Popescu, an. I, no.33, pp.1289 - 1290.
34 ) Popescu, an. I, no.33, p.1289.
35 ) なお,ギネスクは家財の合計を 300 レイとしているが,彼は家具のほかに,農具,雄牛,荷
車なども所有しているので,実際はこれより上回ると思われる。
36 ) Hamangiu, op. cit., vol.III, pp.75 - 76.
37 ) 1910 年前後の教師の雇用形態の内訳は不明だが,1901 - 1902 年の公教育省の調査では正規教
員が 2,903 人,臨時教員が 840 人,補助教員が 910 人と報告されている。Ministerul Cultelor şi
Instrucţiunei Publice. Biroul Statistic, Statistica învetamëntului primar rural şi urban pe anul
şcolar 1901 - 1902, Imprimeria statului, Bucureşti, 1904, p.3.
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38 ) その他にも,
「民衆の啓蒙者」(luminător al poporului),「農村の伝道師」(apostolii satelor) と
いう呼び名もあった。
39 ) Iliescu, an. I, no.22, p.934.
40 ) Arghir, an.II, no.9, p.330.
41 ) Vasiliu, an. I, no.20, p.862.
42 ) Ancheta învăţământului primar, vol.2, pp.351 - 422.『初等教育アンケート』に掲載された教師に
関する質問項目のみを訳出した。この一覧の作成の際には,可能な限り原文を崩さないこと
に努めたが,わかりにくい個所や日本語に馴染みのない表現などに関して,若干の修正や補
足などを行った。
43 ) Revista democraţia române, an. I, no.6, 28 februarie 1910, pp.274 - 277.『ルーマニア民主主義雑
誌』に掲載された「司祭と教師に関するアンケート」の質問項目のすべてを訳出した。この一
覧の作成の際に,可能な限り原文を崩さないことに努めたが,わかりにくい個所や日本語に
馴染みのない表現などに関して,若干の修正や補足などを行い,さらに,質問事項に算数字
を通し番号として便宜的に振った。なお,一覧中の括弧は原文に記載されたものである。