第 23 章 現代社会におけるアフリカ(後半) ○エチオピアと古代キリスト教史 長いキリスト教の歴史をもち長い間支配から独立してきたエチオピアは多くのアフリカ 人にとって魅力的であった。しかしエチオピアは帝国組織の崩壊とマルクス主義の影響で 複雑な状態であった。 エチオピアのキリスト教は 4 世紀あるいはそれ以前にまでさかのぼる。17 世紀にイエズ ス会によってカトリック化しようとする動きがあったが失敗し、エチオピアの教会は古代 の組織のまま独立を保っていた。この教会は本質的にエチオピアだけのものである。 エチオピアのこうした黒人キリスト教としての長い歴史が、新しい黒人運動のモデルと して利用されている。 ○現代アフリカの新宗教運動 西洋の宣教師のもたらした外国の宗教をアフリカの状況に適応させようとする試みとし て、多くの地域に独立教会や新宗教運動の成長があった。それはアフリカの宗教と西洋思 想、先住民の価値観と現代世界をそれぞれ架橋するものである。 白人の宗教はアフリカでは重要な先祖祭祀を偶像崇拝とみなしたりというふうに社会と 軋轢があった。それに対して新宗教運動はアフリカ社会と宗教的行動との再統合を試みた。 *預言者シモン・キンバングによるイエス・キリストの地上の教会 シモン・キンバングは治癒者になるよう命じられる幻を見て病気直しを行うようになる。 改宗者が増大したため植民地の行政に敵視され圧力がかけられるが、逆にキンバングの 魅力を引き立て改宗者は後を絶たなかった。 彼の死後教会が再組織刺され、現在は公式に認められた教会となっている。 キンバングの生涯はイエスの生涯と通じる部分があった。 *預言者シェンベと南アフリカのシオニズム 南アフリカの多くの新宗教運動は癒しとかかわりを持っていて、その有名なものとして ズールー族の預言者イザイア・シェンベが挙げられる。幻と瞑想の体験によって癒しの力 を得たとされ、多くの信奉者にメシアとされている。 これは戦争と植民地支配の犠牲者の間で生まれた刷新され復興した宗教だった。 *いくつかのカトリック独立運動 復興したアフリカニズムとキリスト教はどちらもプロテスタントから発生した。 プラシード・タンペルはジャマアとよばれるアフリカのカトリックを表明しようとした 運動を起こしたが権威には評価されず、現在は独立した一部のグループが部分的に活動を 続けている。 *ほかの運動 ナイジェリアや西海岸に顕著な 1920 年に設立されたアラドゥラ運動から分離成立した 教会は、アフリカの宗教性の重要な傾向を持つ。それは、祈祷と癒しが強調され、カリス マ的ヴィジョンや聖書的な意味での自力本願の重要性をもつ。 アリス・レンシーナの運動は、もっとも終末論的な傾向を持っていて、自らを特別に神 に愛された存在と信じ植民地当局や、独立した新政府と対立した。ルンパ教会は世の終わ りが近いと考え税金の支払いを拒否した。 他の運動は、キリスト教の伝道組織や宣教手段を利用したアフリカ宗教の復古運動であ った。 新宗教の数の多さは、アフリカ社会の複合性と聖書的キリスト教の多様性に由来する分 裂を示す。 ○ブラック・アフリカ再考 アフリカの宗教が基盤としている社会は、小規模で近代的な社会変動に耐えられるもの とは言い難く、キリスト教とイスラームが伝統的なアフリカ宗教を犠牲にしながら拡大す ることが予想される。 植民地支配の遺物として、アフリカは彼らの文化的営みや生活様式を西洋によって低い 価値であるとされてしまっている。アフリカの理念や制度に関して、哲学的な枠組みを構 成することはこうした制約を開放し、世界文明に対するアフリカの貢献をうながすだろう。 *アフリカの霊性の諸次元 儀礼〜キリスト教はアフリカの崇拝形態を強調していて、新宗教における儀礼がキリスト 教的であることからも読み取られる。また主流派教会での牧師や司祭の不足から、洗礼の イメージが大切だとされ、伝統的アフリカの水を浄化のシンボリズムであるとかに関係し ている。 経験〜新しい運動において夢や幻視が重要となっている。またアフリカの伝統宗教と類似 しているペンタコスタリズムが広範囲に浸透した。回心の体験が重みを帯びる。 倫理〜アフリカ社会に独特な婚姻などの習慣に関心が寄せられている。 教義〜宇宙の諸勢力を関係付ける伝統的なアフリカの見解と現代の科学的世界観との結び つきを問題とする傾向がある。 神話〜世界史の観点から述べられることが多い。旧約聖書にあるイスラエルの民と黒人の 受難を重ね合わせるような物語。 芸術〜アフリカの彫刻と絵画は静養の想像力に対して大きな影響をおよぼした。新しい霊 性をより深く表明している。 質問・感想など アフリカの宗教を論じる中で多く「キリスト教」が登場したが、アフリカはキリスト教 で括るにはあまりにも独自の宗教観を持っているように思えた。あくまでもキリスト教を 自らのもっと深い宗教的なイメージを基にして取り込んでいったのかもしれないと感じた。
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