YGU-RIMS WP-2014-2 アイデンティティ志向研究の展望 金 倫廷 黒澤 壮史 山梨学院経営学研究センター ワーキングペーパーシリーズ 2014 Vol. 2 本ワーキングペーパーシリーズは、未定稿を議論を目的として公開しているものです。 著者の了解を得ずに引用・複写を行うことはお控えください。 アイデンティティ志向研究の展望 倫廷1 金 黒澤 壮史2 アイデンティティ志向(identity orientation)研究の概略 組織における個人行動とそのモチベーションの相違はどこから生まれるのか。このような問題は組織内個人 が自分自身をどのような存在として考えているかというアイデンティフィケーションに関係しており、それは 組織成果に重要な影響を与える(Bartel, 2001; Brickson, 2000; Cooper & Thatcher, 2010; Dukerich et al., 2002; Mael & Ashforth, 1992)。こうした組織アイデンティフィケーションは、組織メンバー個人の自己概 念志向(self-concept orientation)もしくはアイデンティティ志向(identity orientation)によって左右され る(Brewer & Gardner, 1996; Brickson, 2000; Cooper & Thatcher, 2010)。近年では自己概念志向がアイデ ンティティ志向と同義で使用されることが多いため、以下ではアイデンティティ志向と称することにする。 アイデンティティ志向は、個人的アイデンティティと社会的アイデンティティを統合していくプロセス、す なわち個人が自己と他者の相互作用を通じてアイデンティティを確立していくプロセスと深く関連している。 アイデンティティ志向はこうした「アイデンティフィケーション過程であらわれる個人の態度や傾向」のこと をいう。またそれは、一般的に個人(personal)志向、関係(relational)志向、集団および共同体(collective) 志向に分けられており、それぞれの志向によって個人の自己定義の所在(locus)、行動のモチベーション、 自己評価の根拠などに差が生じるとみなされている。このことを示したのが表 1 である。 表 1. 3 つのアイデンティティ志向 分析レベル 自己概念 自己評価の根拠 準拠枠 社会的動機の根拠 個人 個人的 特徴 個人間比較 自己の利益 対人関係 関係的 役割 反映 他者の利益 集団 集団的 集団プロトタイプ 集団間比較 集団の繁栄 出所:Brewer & Gardner, 1996, p.84; 訳, 金・大月, 2013, p.49 1 早稲田大学商学学術院助手 2 山梨学院大学経営情報学部准教授・山梨学院経営学研究センター研究員 表 1 で示しているように Brewer & Gadner (1996)は、それまで社会心理学の領域で支配的であった個人 対他者という二項対立的な考え方に対し、自己表象(self-representation)に集団を加えた。ここで重要なの は、人間は個人、関係、集団という 3 つの志向をすべて有しているということである。ただし、その中でもど れかの志向が強くあらわれるため、個人的か関係的か集団的か区別することができるということである。この ような Brewer & Gardner(1996)の研究は、後に以下のような組織論の領域に援用されることとなる。 アイデンティティ志向の組織論への応用 Brickson(2000)は、ダイバーシティマネジメントの観点からプロセスモデルを提案し、それは組織構造、 タスク構造、報酬構造からなるコンテクストにアイデンティティ志向が影響され、その結果、個人の認知、感 情、行動と組織成果の違いに結びつくという。一方 Cooper & Thatcher(2010)は、上述のアイデンティテ ィ志向という概念とアイデンティフィケーションモデルを統合した。彼らのモデルによれば、アイデンティテ ィ志向によって従業員のアイデンティフィケーションのモチベーションが異なり、そしてそうしたモチベーシ ョンの差異によって組織内のアイデンティフィケーションのターゲットも異なる。 前述の Brickson と Cooper たちの研究は、組織コンテクストによって個人のアイデンティティ志向が決定さ れるか、それともその志向は個人が主体的に選択できるかに相違があるといえよう。いずれにせよ、これらの 研究からして、アイデンティティ志向は人間の行動やそのモチベーションを理解する概念であることがわかる。 さらにその特徴としては、人間を 3 つのタイプ――個人志向、関係志向、集団志向――に分けて考察している ことが挙げられる(金・大月, 2013)。 既存研究の問題点 このようにアイデンティティ志向という考え方を組織領域に適用した研究には後述のような 2 つの限界が あると考えられる。第1に、行動のモチベーションの単純化である。Brewer & Gardner(1996)と Brickson (2000)は、個人行動のモチベーションを自己の利益―個人志向、他者の利益―関係志向、集団の繁栄(welfare) ―集団志向に分類している。Cooper & Thatcher(2010)は、自己高揚、自己一貫性、自己拡張、不確実性の 削減、個人化した帰属、非個人化した帰属を行動の動因であるとしている。 すでに述べたように、3 つの志向はそれぞれ独立しているわけではなく、個人はすべての志向をあわせ持つ が、そのうちどちらかが際立つ態度や傾向をもってどの志向か分類することとなる。したがって、このような 観点は普段は自己利益を重視する個人志向の行動をとる人が、ある状況のもとでは自己利益の実現にむけて関 係志向あるいは集団志向の行動パターンをみせることについては十分に説明できないのである。たとえば、昇 進、昇級といった自己利益を手に入れることを最も優先する人が、その目的を達成するために意図的に上司や 同僚と仲良くすること、誰よりも会社思いのようにみせかけることもあると考えられる。すなわち、印象管理 (impression management)の観点が抜け落ちているのである。 第2に、集団志向の集団(collective)のとらえ方である。Cooper & Thatcher(2010)は、組織における 集団に注目して、組織の観点からそれをさらに職務グループ(work group)と組織そのものに限定して議論 を展開している。しかし実際、個人が自己のアイデンティティを確立していくにはより多くの社会的集団や共 同体からの影響があると考えられる。このことは社会心理学でいう社会的カテゴリーとも関連している。たと えば、a という人物は X という会社の一員であるが、職業による集団だけでなく、同時に女性、母親、アジア 人、日本人、東京都民など複数の社会的カテゴリーに属している。人間の行動とその動機を理解するにはこう した組織外の集団も考慮する必要がある。それには集団を国、地域コミュニティ、性別などの社会的カテゴリ ーに基づいて細分化することが役に立つであろう。 今後の展開 本稿では組織メンバーの行動を理解する手助けとなる考え方としてのアイデンティティ志向という概念を 検討し、組織論への応用におけるその課題について検討した。組織メンバー間の行動、態度、モチベーション の違いは、メンバー個人が自身をどう定義づけるか、それによって組織の中での自身のあり方をどのように規 定しているかに影響される。そしてこうしたアイデンティフィケーションに関わる問題は各メンバーの組織に 対する貢献の程度を決定するものであり、組織の成果の面でも重要な役割を果たすであろう。 本稿のむすびにかえて、既述のアイデンティティ志向研究の問題点を踏まえ、今後の研究の方向性を論じる ことにしたい。まず、行動のモチベーションを過剰に単純化しているという点については、組織内パワーとポ リティクスの研究との関連で印象管理の側面を導入することがあげられる。自身の行動を正当化するために、 意図的かつ戦略的に他者や組織の利益を重視しているように振る舞うことがあることが、先行研究でも指摘さ れている(Suchman, 1995)。それは Cooper & Thatcher(2010)からみられるように、各志向に重複するモチ ベーションがあることと関連しており、行動のモチベーションが階層性をもっている可能性を示唆していると いえよう。このような観点からすると、従業員行動の根底にあるものを理解し、組織コントロールや人的資源 管理のようなマネジメントに活かせる具体的な方法が見出せるかもしれない。 また集団志向の集団を組織外へとより広範に捉えることにより、個人人格と組織人格の対立や近年議論され ているイシューセリング のようなプロアクティブ行動の研究(Crant, 2000)にも応用できる可能性がある。 特にイシューセリング研究(Dutton & Ashford, 1993)に対しては、本業と直接関連をもたない社会問題―た とえば女性問題、人種問題、公害問題など―への従業員の積極的参加を催すために、メンバーの社会的カテゴ リーに基づく人員配置をおこなうことが考えられる(Ashford & Barton, 2007)。 最後に、3 つの志向性は相互に排他的なものではなく、誰もが全てを有しており、特定の状況下でどれかが 顕在化するものだと考えられる。このことは、ほとんどのすべての側面で個人志向の行動をとる人であっても、 自分を取り巻く状況から関係的あるいは集団的な行動をする場合があることを意味する。今後は、このような 戦略的なアイデンティティ志向がどういった場面で現れるかも考察する必要があるだろう。 参考文献 Ashford, S. & Barton, M. A. 2007. Identity-based issue selling. In C. A. Bartel, S. Blader and A. Wrzesniewski (eds.), Identity and the Modern Organization: 223-244. Lawrence Erlbaum Associates. Bartel, C. 2001. Social comparisons in boundary-spanning work: Effects of community outreach on members’ organizational identity and identification. Administrative Science Quarterly, 46: 379-413. Brewer, M. B. & Gardner, W. 1996. Who is this “we”? levels of collective identity and self representations. Journal of Personality and Social Psychology, 71: 83-93. Brickson, S. L. 2000. The impact of identity orientation on individual and organizational outcomes in demographically diverse settings. Academy of Management Review, 25: 82-101. Cooper, D. & Thatcher, M. B. 2010. Identification in organizations: The role of self-concept orientations and identification motive. Academy of Management Review, 35(4): 516-538. Crant, J. M. 2000. Proactive behavior in organizations. Journal of Management, 26(3): 435-462. Dukerich, J. E., Golden, B. R., & Shortell, S. M. 2002. Beauty is inn the eye of the beholder: The impact of organizational identification, identity, and image on the cooperative behaviors of physicians. Administrative Science Quarterly, 47: 507-533. Dutton, J. E. & Ashford, S. J. 1993. Selling issues to top management. The Academy of Management Review, 18(3): 397-428. Hogg, M. A. & Abrams, D. 1988. Social identifications: A social psychology of intergroup relations and group process. Londen: Routledge.(吉森護・野村泰代訳『社会的アイデンティティ理論―新しい社会心理学 体系化のための一般理論―』北大路書房, 1995 年) Mael, F. T. & Ashforth, B. 1992. Alumini and their alma mater: A partial test of the reformulated model of organizational identification. Journal of Organizational Behavior, 13: 103-123. Suchman, M. C. 1995. Managing legitimacy: Strategic and institutional approaches. Academy of Management Journal. 20(3): 577-587. 金倫廷・大月博司 2013 「組織コントロールの規定要因としてのアイデンティティ志向」『早稲田商学』: 第 437 号, pp. 35-58.
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