企業価値向上の急所

企業価値向上の急所
∼知的資本経営の考え方と
実践的方法論∼
知恵や知識が競争力の源泉として重要性を増した現在の企業社会におい
て、金銭的資本・有形的資産の流れのみにより企業価値を捉えることには
限界がある。その限界を補う上で知的資本・知的資産を加味した企業経営
は企業価値の持続的向上に有効に機能する。また、知的資本経営はそれと
同時に、知識社会における人材と企業との新たな関係性を創り出す可能性
を秘めた経営手法であるともいえる。そこで本稿では、知恵が重要な経営
資源化した環境下において、知的資本・知的資産を企業経営に実践的に活
用する経営の方法論である知的資本経営について解説する。
株式会社アクセル
取締役
大庭 史裕
1.企業価値の源泉としての知的資本・
知的資産の重要性の高まり
企業の競争力を左右する重要な経営資源が、資
争力は、素早く市場の変化を体感できる現場階層
金や物理的資産から知恵に大きくシフトしている
の人材の知恵と働く意欲を、機動的に事業活動に
流れを捉えることができる。金銭的資本が、物理
反映していけるかどうかに大きく依存するように
的生産能力と労働機会をもたらし、市場を拡大す
なり始めていると言える。
るための最も重要な経営資源であった時代から、
このような、知恵と知識の経営資源としての重
人材から供給される知恵が市場を創り出し、その
要性の増大の反面、それらを企業経営に活用する
知恵の活用力が企業の競争力を左右する時代に本
方法論は未だ乏しく、企業の評価や経営手法は金
格的に移行し始めている。この背景には、企業活
銭的資本や有形資産によるものに依然として依存
動において知恵の希少価値性を高めるいくつかの
している現状がある。
アクセル社では、これまで一貫して知的資本を
潮流があると考える。
一つは世界的な金余りと資金流動のグローバル
テーマとした企業評価や経営支援を手がけてきた。
化に伴い、ローカルに生まれる知恵やアイデアに
本稿ではその中で得られた経験や実例を交えなが
素早く資金が還流される流れができ始めたことで
ら、知恵が重要な経営資源化した環境下において、
ある。またその反面、知恵は素早く国境を越えて
知的資本・知的資産を企業経営に実践的に活用す
広がり、いかに他社に先駆け知恵を企業固有の価
る経営方法論である知的資本経営を説明すること
値に変換する仕組みを構築できるかが、企業の競
を試みる。
本稿では、企業活動に係わる人材を“知恵と意
争力を左右する。
二つ目は、知恵の供給者である人材の労働価値
欲の投資者”と捕らえた視点で「知的資本」を定
観の変化が挙げられる。これまでの“生活のため
義し、同時にその“知恵を持続的な企業成長のた
に労働の対価を得る”という労働観から、金銭対
めに再現的に活用できる仕掛け”を「知的資産」
価により測り難い知恵が経営資源として重要度を
と定義している。
増すことで、新しい人材と企業のあり方が求めら
知的資本経営の概念整理は、各方面で複数の取
れ始めた。さらに、国内においては“一生一企業”
り組みが行われており、本稿とは異なる定義がさ
という価値観は既に消失し、文字通りの企業選択
れていることも多いが、ここでは学問的整理や精
の自由が実現されつつある中で、
“生活するための
緻さよりもむしろ、企業経営に実践的に活用でき
仕事”から“自己実現のための仕事”という価値
る方法論の説明に重点を置いている。
観が広がっている。これにより企業は自らの知恵
第2項では、知的資本・知的資産及びそれらを
と意欲を提供するに値する場所かどうか、という
企業経営の中で活用していく方法論である知的資
観点で人材から選ばれる存在となり始めている。
本経営の概念の整理を試みる。そして、第3項で
三つ目は、事業環境変化のスピードアップであ
は、これまでの企業支援の実例を通じ、企業経営
る。これまでの、一部のエリートが戦略や事業計
の中で知的資本・知的資産がどのような役割を占
画を固め、粛々と組織に実行を課す、という経営
めているかを説明する。さらに、第4項では、
スタイルでは、素早い競合の出現や時流の変化に
我々が手がけてきた経営支援を通じ学んだ、知的
対応することは困難となり始めている。企業の競
資本経営の実践の方法論の一部をご紹介する。
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ターンアラウンドマネージャー
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特集 企業価値向上の急所 ∼知的資本経営の考え方と実践的方法論∼
2.知的資本経営とは何か
本稿では、
「知的資本」と「知的資産」の概念を
活用による企業価値の創造とは異なり、知恵と人
明確に分けて使っている。知的資本とは、企業活
の働く意欲を企業価値に結びつける流れの設計を
動に関わる人材が、企業に向けて提供する知恵と
通じて企業価値を創り出す経営の方法論と言うこ
意欲の総体を指している。資本家が金の出し手と
とができる。
して資金投資を行い、企業経営者がそれを、収益
企業財務技術等、資金の流れを中心にした企業
を生み出す資産に変換し活用していくように、人
経営方法論は極めて発達している一方、知恵の流
も企業に対し知恵・意欲という資本を投資してい
れを中心として捉えた経営の方法論は未だ開発の
ると考えることができる。また、知的資産とは、
途上にあると言える。しかし、知恵の活用が企業
人に付いた知恵を人から分離し、組織の価値とし
競争力を左右する世界は既に現実のものとなって
て再現できるようにするための資産の総体を指し
おり、経営者にとって企業内での知恵の流れの設
ている。資本家からの金銭資本が設備や製品とい
計者としての役割の重要性は既に高まっている。
った資産に変換され利益を生み出す流れと同様に、
この状況を解く一つの答えとなり得る「知的資本
人材から投資された知恵が企業固有のノウハウや
経営」をより深く理解するために、以下に金銭的
技術、仕組みといった知的資産を通じて利益を生
資本と知的資本の相違の視点から、知的資本経営
み出していると考えることができる。
の概念を整理することを試みる。
“金融資本→有形資産→財務業績”の流れは図り
やすい・見えやすいという理由のみで、企業価値
資本として捉えた知恵は、以下のような二つの
点で資金と異なる特性を持つと考える。
を評価するメジャーな概念として取り扱われるこ
第一の特性は、資本家が投資に対する金銭的リ
とが多い。しかし、知恵が企業競争力の源泉とし
ターンを主要なモチベーションとするのに対し、
て重要視される環境下において、将来にわたる企
知恵の投資家である従業員は必ずしもその見返り
業の持続成長を大きく左右するのは、むしろ“人
を金銭のみに見出さないという点である。
→知恵・意欲→知的資産→持続的業績→企業価値”
伝統的な企業の捉え方においては、人材は企業
という目に見えない知的資本の流れであると考え
からもらう対価に見合う知恵や労働を提供する存
る。考え抜かれた戦略・投資計画・実行計画に基
在、つまり企業から見ると人材とは使用人・また
づき、資金を梃子に、人・物を自在にコントロー
はコストの一部と捉えられてきた。一方、知的資
ルし業績を創り出すという従来の経営スタイルは、
本の概念において、人材が企業に対し提供する知
より素早く変化し予測不能性の高まった市場にお
恵と意欲は、その対価としての報酬を超えるもの
いては限界を露呈する。一方、市場の変化に最も
として捉えている。知的労働が中心となる企業に
敏感に気付く立場にある、従業員や顧客自身の知
おいては、人材の知恵と意欲の価値を金銭的対価
恵が絶えず集積され、自律的に変化に適応する仕
として測定することは困難であるケースが多く、
組みが構築された企業は、戦略・事業計画の可否
対価を超えて人材から提供された知恵と意欲は実
や一時的業績の低下に容易に左右されない、しな
質的には人材から企業に提供された知恵の投資と
やかで強い企業となる。このように、知的資本経
みなすことができる。知識社会が高度化するにつ
営は、これまでの資金の流れと経営資源の計画的
れ、人材にとって企業は、単なる報酬を得るため
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の場所以上に、
“企業活動を通じた社会とつながる
換の流れやメカニズムを明確に掴むことが第一歩
場”、“自らの自己実現を目指す場”、“大きな理
となる。その上でこの流れを継続的に創り出す仕
念・価値観を共有する場”
、といったより高位の存
掛けを考え、企業活動の中に定着させることが必
在欲求を満たす場所としての位置づけが高まって
要となる。
いく。その目に見えない報酬に対し人は知恵と意
知恵を価値に変換させる知的資産は見えない資
欲を投資すると考えることができる。つまり、報
産であることが多い。ノウハウ、特有の手順、組
酬対価を大きく上回る価値の知恵と意欲(知恵の
織の価値基準、顧客との関係構築手段やブランド
投資)を人材から引き出せる企業と、逆に報酬対
に至るまで、形を伴わないが、人材の知恵と意欲
価以下の知恵と意欲の引き出ししかできない企業
を効果的に価値に変換していく仕掛けとして重要
の間で大きな競争力の開きが生じる時代になりつ
な役割を担う資産である。この知的資産が、人の
つあると考えることができる。知識社会において、
知恵と意欲を、属人性を超えて再現可能・再利用
企業の理念(価値観)
、ミッション、ビジョンの重
可能な価値に換える企業価値向上のエンジンとな
要性が高まっていくのはこの背景に基づくもので
る。知的資本経営とは、人と一体不可分である知
あると考えることができる。
恵と意欲を、組織階層の隅々から湧き出させ、そ
第二の特性は、資金はその使途の柔軟性と客観
れらを知的資産を通じて企業価値向上のベクトル
性があるのに対し、知恵はその活用する分野や目
に束ねていく流れを創り出す経営の手法と考える
的への使途の限定性が高い上、投入量と効果の客
ことができる。
観性が薄い。また知恵は、出される場や状況に連
動し、極めてマネジメントが高度である。
従来、企業のナレッジ・マネジメントでは、社
この視点で見ると、既にエクセレントカンパニ
ーとして名高い企業の多くは知的資本経営の実践
者であると言うことがわかる。例えば、トヨタは、
内のあらゆるノウハウや文書をイントラネット等
“絶え間ない改善の知恵”を組織の隅々から湧き出
に蓄積し、知的な資産として再現性を高めようと
させ、企業の自律強化が行われる知の流れの仕組
いう試みがなされてきた。しかし、近年はこの静
みを完成させた企業、と捉えることができる。リ
的な知恵の取り扱いの限界から、
“場”による人材
クルート社は、“事業イノベーション・企業家精
の対話等によりリアルタイムな知恵の交流の中か
神”を軸とした知恵と働く意欲を引き出す知の流
らイノベーションを創り出すという試みにシフト
れの仕組みを完成させた企業、である。またコン
している。人や場との分離が難しく、有形なもの
サルティングファームは、人の知恵をダイレクト
として扱いにくい知恵を、いかに組織内で再現可
に顧客価値に変換する知的資本経営を代表する業
能な形に定着させるかは、知的資本経営の実践に
態である。個々人の知恵をクライアント企業の経
おいて重要なテーマとなる。
営支援に収斂させていくための組織的仕組みの結
また、知恵は企業の価値形成の目的を伴って初
集といっても良い。強力なプロフェッショナル行
めてその資産としての価値を持つ。顧客サービス
動規範、共通言語、共通問題解決アプローチ、常
に強みの源泉を持つ企業は、全ての従業員の知恵
に最高レベルの人材を保持する仕組み、といった
が顧客サービスの高度化に費やされる仕組みを伴
クライアント価値を再現するための知的資産を確
って初めて実質的な知的資産を保有したこととな
立したファームのみが、属人性を超えて組織を拡
る。また、品質に強みの源泉を持つ企業は、同様
大させていくことができる。
に全ての知恵が品質の維持に向かう仕組みを持つ
ことで、知的資産を保有することとなる。
一方、これは必ずしも、誰もが知るエクセレン
トカンパニーだけに当てはまるものではなく、業
真に価値を伴う知的資産の形成には、まず経営
界や市場、競争環境の変化に左右されず持続的な
者自らが自社の“知恵→知的資産→価値”への変
業績を生み出し続けることのできる企業に共通す
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特集 企業価値向上の急所 ∼知的資本経営の考え方と実践的方法論∼
る要素であると考えられる。企業価値を創り出す
テーマであり、経営者としては如何にこの仕組み
源泉がこの知恵を価値に換える循環の仕組みにあ
を自ら設計し、構築し、運営できるかが大きなテ
ると考えると、企業価値の評価者としてはこの仕
ーマとなる。
組みの存在と質を如何に見抜くかが極めて大きな
3.ケース事例から見る
知的資本経営確立の取り組み
知的資本視点での企業発展度は、企業サイズや
資産の継続的充実を図れておらず、新しい成長の
社歴によらない。社歴が長く大規模の企業であっ
ステージに脱皮するのに多大な労力と時間を要す
ても、経営者がほとんどの企業活動における知恵
ることを目の当たりにしてきた。
の出し手であり、成長を自律的に再現できる知的
これらの例を象徴的に示す二つの事例を取り上
資産が構築されていない企業は数多く存在する。
げて、企業改革の実践の場での知的資本経営確立
逆に、社歴が短く規模から見ると中小企業に分類
の取り組みについて説明を試みる。
される企業の中には、従業員の末端に至るまでが
知恵と意欲の出し手の中心になり、自律再現的に
事例1 大手消費財メーカーの事例
成長を創り出している企業も存在する。特に前者
∼知的資本の充実が企業価値向上にもた
のような知的資本・知的資産の未発達な大企業
らす力∼
は、業界自体の急激な成長や、ヒット商品・強い
ビジネスモデルの存在といった要因によって、知
我々が支援を手がけた、大手消費財メーカーA
的資本・知的資産の強化ステージを経ず規模の成
社は、老舗企業として長期間国内の業界を牽引し
長を遂げた企業によく見られる。
てきた。強力な経営リーダーシップのもと、積極
共通する要素としては、
的な多角化を進め企業成長を実現してきた。一
① 強いカリスマ性とリーダーシップを持った
方、国内市場の鈍化に伴い経営難に陥ると同時
創業経営者の存在
に、表面化した不祥事をきっかけに、新たな資本
② 業界拡大の波にのり成長してきた企業
のもとで再生を図ることとなった。新たに送り込
③ 長期間競争にさらされず寡占的な市場の中
まれた新社長のもとで我々が再生支援を行うこと
で成長してきた企業
といった特性を持つケースが多い。これらの企業
は、業界の競争激化、市場の鈍化、事業の複雑化
となった。
企業の実態把握を進める中で、明らかになった
のは、
による経営者の管理の限界といった状況に直面す
① 過去十数年に亘り全ての経営の意思決定が
ると、急激にその脆弱性が顕在化するケースが多
極めて強い権力を持つ経営者に集中してお
い。国内市場の成長鈍化により、急に経営の手詰
り、各事業ラインはトップダウンの指示に基
まり感を表出する企業の支援を手がける中で、こ
づく事業運営推進者としての位置づけの中で
ういった企業が規模面や財務面では極めて優秀な
経営されてきたこと
実績を収めた企業でありながら、知的資本・知的
② 各事業ラインは極めてストレッチ度の高い
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売上目標により管理され、その目標達成に強
いプレッシャーをかけ続けられていたこと
道を開くものであった。
次に手がけたのは、取引先、顧客、外部関係企
③ 多角化を進める中で経営者の管理の限界に
業といったA社を取り巻く外部のステークホルダ
直面し、益々財務中心の単純な経営管理の傾
ーに対し広くインタビューを行い、A社の存在価
注度を高めていったこと
値、強み、期待、要望といった生の声の収集を行
④ その結果、現場では返品を前提とした卸業
ったことである。そして、この結果を全経営陣・
者への押し込み販売が横行し、各事業や商品
従業員で共有し討議を行った。これは、内向き発
ライン毎の真の収支状況を誰も把握できない
想に偏っていた経営陣・従業員に鮮烈なメッセー
状況の中で事業運営を続けていた
ジとして映り、顧客・市場に存在価値を認められ
る企業となるための課題意識を、経営陣を含めた
といったことであった。
これらのミスマネジメントがA社を徐々に経営
難へと導いていったのであるが、さらに我々が強
全従業員に芽生えさせることに繋がった。
この活動の後、全社のビジョンとその実現のた
く着目したのは、現場レベルでの人材の劣化と、
めに必要となる改革項目からなるブランクシート
事業運営ノウハウの蓄積の不備や、事業部門間・
を持ち、全事業部門長、支店長、中間管理層一人
支店間での知恵の交流の少なさであった。極めて
ひとりとのワークショップキャラバンを実施した。
強い短期業績追求型の事業運営の中で、知恵の出
その中で、事業部門、支店、個人として改革項目
し手としての現場人材の位置づけは低く、さらに
に貢献できることを語らせ、共に考え、ブランク
は業績至上主義と支店間での強い縦割り意識の中
シートに記述していく活動を展開していった。こ
で、高い業績をあげた個人の経験やノウハウはほ
れは「ナビゲータセッション」と呼ばれ、会社と
とんど個人・組織を超えて共有・蓄積されること
して達成すべき大きな改革の方向性を示し、個人
がなかった。各販売現場では同じメーカーと思わ
の知恵や貢献意欲の投資を募っていく活動であ
れないような販売陳列や販促活動のばらつきが生
る。この活動を通じ、これまでのトップから与え
じていた。
られた事業活動から、従業員自らが会社を再生さ
新しい経営者と我々が、売上至上型の経営管理
せる当事者としての活動の意識を生み出し、全社
を是正することと平行して、始めに手がけたのは
での再生のモーメンタムを創り出していくことに
成功した。
“人の再生”であった。
まずは末端の販売員に至るまでの全従業員に、
この後、我々のA社支援は資本移動に伴う経営
「何故この企業で働き続けるのか?」、「3年後ど
者の交代により、志半ばにして終了することを余
んな企業に生まれ変わりたいか?」、「あなたが家
儀なくされたが、これらの活動はその後のA社の
族に誇れる企業とはどんなものか?」といったシ
再生において大きな成果を生み出す原動力となっ
ンプルな質問からなるアンケートを実施した。こ
た。
の結果を従業員・経営陣を広く交えたワークセッ
この事例が表すのは、企業の知的資本の充実度
ションの中で結晶化し、従業員主導での経営理念
が企業規模や社歴とは異なる次元で存在すること
の再構築を行った。
である。また、企業の成長は市場環境や強い経営
この狙いは、これまで独裁的な経営者にのみ許
者によって創られることができる。しかし、事業
されていた企業運営の知恵の出し手としての地位
環境が複雑化しこれまでの成功体験が通用しなく
を、現場従業員に開放することにあった。経営理
なる環境下において、新たな企業存続と成長の道
念という企業運営の最も上位にある概念を従業員
をもたらすのは、事業現場に最も近く、事業運営
自らが創り出すという体験を通じ、現場の隅々で
の当事者として自らの意思で企業を良くすること
事業運営を支える従業員に知恵の投資家としての
に貢献する、知恵と意欲の投資家としての従業員
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特集 企業価値向上の急所 ∼知的資本経営の考え方と実践的方法論∼
の存在であるということである。
た。また、強い創業経営者の周りには、創業期か
さらに言えば、“財務的資本を集め業績を創り
ら経営者と事業運営を共にし、価値観を同じくす
出す力”という考え方と同様、“人材の知恵と意
る経営チームが築かれ、拡大する事業において各
欲の投資を集めそれらを業績に変換していく力”
、
機能の運営に中心的役割を担っていた。
という視点での企業価値の捉え方が存在すること
創業期から時を経て、我々が支援をスタートし
を示唆する事例と言うことができる。当然のこと
た時、B社はいくつかの要因により成長の限界と
ながら、企業活動の結果は業績で図られるべきも
収益性の低下に直面していた。
のであり、どれほど従業員の知恵と意欲に満ちた
① 小規模チェーンや個人店の類似業態競合が
企業であっても業績を創り出せない企業の価値は
多数出現し始め、各店舗商圏市場を脅かし始
高く評価されるべき対象ではない。しかしなが
めたこと
ら、業績は過去の結果であり、将来にわたる業績
継続の可否を見通す情報を、過去の業績の中に見
出すことは困難である。まして、事業環境変化の
② 急速な拡大により出店限界に直面し成長に
陰りが出始めたこと
③
急速な店舗数増大と従業員数増大に対し、
スピードが加速していく中で、過去の成功パター
現場での事業活動のモニタリング、事業推進
ンや業界特性の中に企業の成長性を見出すことは
ルールや意思決定基準等の経営の仕組み化に
困難さを増している。環境変化に合わせ企業自ら
遅れを取り、現場状況の正しい把握と意思決
が自己変革を創り出す力、つまり事業活動の当事
定の伝達、実行チェックのサイクルが困難に
者である広い人材からの知恵と意欲を活用し、事
なり始めたこと
業環境への適応力を創り出していく力こそが、外
④
業態の多角化により経営チームが分散し、
部環境や特定の経営者の存在によらず企業の堅牢
個々の業態レベルでの求心力の減衰が起こり
性や成長性を大きく左右することとなり、企業価
始めたこと
値を表す重要な要素として評価されるべきことが
わかる。
これらの結果、全国に広がった店舗のサービス
の質の均一性の低下と既存店業績の低下に直面
し、それを補うためにさらに無理をして出店を加
事例2 大手小売チェーン企業の事例
∼知的資産の充実が企業価値向上にもた
らす力∼
速するという悪循環に陥りつつあった。
B社の成長を支えていたのは、強い業態力と経
営者のリーダーシップに加え、アルバイトに至る
までの店舗に携わる従業員の働く意欲や創意工夫
大手小売チェーンB社は、過去3∼4年の短期間
を奨励する企業文化であった。
で、数店舗の個人経営型店舗から全国1,000店を超
店舗では、従業員やアルバイトが業績を高める
える大型チェーンへ急速な成長を遂げた。極めて
ためのアイデアを討議し、それを実践すること
強い事業構想力とカリスマ性を備えた創業経営者
で、自らが店舗経営参加者として店舗の継続的底
の下、時流適合による集客力と収益力を兼ね備え
上げを図る活動が定着していた。また、本部レベ
た店舗業態は、フランチャイズビジネスの仕組み
ルでも、従業員の意欲は高く新たな取り組みを実
を梃子に短期間に全国チェーンに広がっていった。
現するスピードや実行力に満ちた企業文化を創り
創業経営者のカリスマ性と強い求心力を持つ企
出していた。
業理念は、店舗アルバイトに至るまでの広い従業
一方、支援の中で我々が着目したのは、これら
員に強く浸透し、店舗急拡大下においても個々の
の現場レベルのアイデアや意欲を、業績に変換し
店舗の活力を高め、全国に広がった店舗のサービ
ていく仕組みの未確立であった。あらゆる改善の
スの質を高いレベルに維持することに貢献してい
アイデアが多方向から生まれる一方で、そもそも
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その中で何が業績に重要な効果をもたらすのかを
れ、現場の活動と業績改善のベクトルの一致
判断するために必要となる、データ採取方法、事
性が高まったこと
業分析手法が確立されておらず、結果、粒の細か
といった点の改善がもたらされた。
い打ち手や効果の見えない打ち手の乱打状態をも
これらの改善活動の過程では、企業改革の戦略
たらしていた。さらには、雑多なデータ、情報が
方針を明確にし、それに基づき注意深く現場に存
散在する中で、経営レベルに最も重要な情報をよ
在する雑多な情報やアイデアを取捨選択し、戦略
り分け提示する仕組みが確立されておらず、経営
方針と現場の活動を一致させていく根気強い活動
者の正しい判断を促すことが難しい状態がもたら
が求められた。これは言い換えると、組織の各階
されていた。出店、店舗改善、業態開発といった
層に複数のベクトルで存在する知恵や情報を、業
重要な経営判断を必要とされる領域において、何
績改善という太い幹のベクトルに束ねていく活動
を見て、何を意思決定するのかといったルールが
であった。
明確でなく、重要な意思決定は都度経営者の慧眼
B社は現在も改革途上にあるが、本来B社が持
力や直感に依存せざるを得ない状態となってい
つ強い理念とそれに共感する現場従業員の知恵と
た。
意欲の出し手としての力は、これらの知恵の流れ
この経営スタイルは、単一業態で右肩上がりの
を整理し業績に変換する各種の仕掛けの構築によ
成長下においては極めて有効に作用していたが、
り、新たな成長を創り出す武器として最大限活か
業態の拡散、事業環境の複雑化に直面する中で限
せるものになると確信している。
本事例が示すのは、A社のケースと同様に、企
界に達しようとしていた。
我々が着手したのは、B社の中に散在する情報
や現場レベルでローカルに行われている意思決定
業の知的資本の充実度が企業規模や社歴とは異な
る次元で存在することを示すものである。
を分析・整理し、全社レベルでの経営・現場間で
一方で、A社のケースと異なるのは、B社は既
の情報流と経営意思決定のルールを構築すること
に強い理念とその共感により人材の知恵と意欲を
であった。出店におけるステイタス管理と各ステ
引き出す経営を確立しながらも成長限界に直面し
イタスにおける重要な意思決定項目を可視化しル
たという点である。B社に欠いていたのは、むし
ール化すること、店舗において把握すべき情報の
ろ知恵と意欲を持続的な業績向上に向けて束ねて
整理と改善のPDCAプロセスを設計すること、業
いく仕組みやノウハウであり、それらの多くは情
態開発での分析・論理の整理による着目点を明確
報整理のノウハウ、意思決定のルール、プロセス
化すること、これらの活動は全て、事業活動の中
といった知的資産に係わるものであったことであ
で発生する情報や知恵の流れを最も効率的に業績
る。
に変換するための仕組みを構築する試みであっ
企業が絶え間ない発展を達成するためには、属
人性を超えて組織に知恵と意欲のフローをもたら
た。
この活動を経て、
す、強い理念やビジョンが必要となる。一方、そ
① 経営の意思決定が各部門に分散され、領域
れらの知恵と意欲を継続的な業績に変換するため
毎に自立的な事業活動管理が可能となり経営
には、同じく属人性を超えて業績に結びつかせる
管理の効率が改善したこと
ためのルールやノウハウ、仕組みが必要となる。
②
これらは必ずしもITシステムや手順書のように目
それに必要な情報が効率的にフィルタリング
に見える資産として定義できるものではない。多
され、経営レベルに伝達できるようになった
くが事業活動の中で自然発生的に生まれた知恵や
こと
経験として、企業固有の目に見えない知的資産の
③
42
経営意思決定が必要な領域が明確となり、
現場レベルに改善注力すべき領域が示さ
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形で存在する。最先端の経営管理手法やITシステ
特集 企業価値向上の急所 ∼知的資本経営の考え方と実践的方法論∼
ムの存在が、必ずしも企業の知的資産の充実度を
ルティングファームでは、“クライアント・イン
表すとは限らない。むしろそれらが、企業が固有
タレスト・ファースト”(クライアントの利は全
に持つ現場の知恵や創意工夫を妨げているケース
ての活動に優先する)という徹底した理念に基づ
は多い。
き、コンサルタントの知恵と意欲の最大限をクラ
着目すべきは、これらの知的資産は事業環境の
イアントへのコンサルティングサービスの質の向
変化や時流の変化に脆弱であるということであ
上へと向かわせる仕組みが構築されていた。コン
る。
サルティングスキルを徹底的に磨く徒弟制度型の
一度組織に定着したルールやプロセスは容易に
人材育成の仕組み、クライアントへの付加価値提
変更することは困難となる。一方で、外部環境は
供力に基づく人材評価基準、コンサルタントのク
その更新スピードを上回るペースで変化し、一度
ライアントサービス支援機能の充実、効率的な企
確立した知的資産への固執は企業に衰退をもたら
業課題解決ノウハウ、ディスカッションルール、
すこととなる。有形資産の代表である設備が陳腐
レポートのまとめ方に至るまで、全てがこの理念
化するように、知的資産も陳腐化する。この陳腐
に向かわせるための仕組みとして確立されてい
化に晒されない普遍的な知的資産こそ、堅牢な企
た。これが属人性の高いコンサルティングビジネ
業価値を創り出す鍵となる。その条件は、企業が
スにおいて、常に高い質のサービスの提供を可能
固有に持つ知的資産が、人材の企業発展に向けた
とし、ブランドを形成し、質の良い案件をもたら
知恵と意欲の投資を促進し、企業理念やミッショ
し、それがさらに人材を育てる、という良循環を
ンの実現に向けた最も効果的な事業活動を絶えず
生み出す原動力となっていた。つまり、良質な知
誘発する仕組みとなっていることである。
的資産とは、人材の知恵と意欲を理念の実現に向
トヨタの改善哲学とそれに基づき長い経験の中
かわせ、持続的な企業発展の循環をもたらす企業
から生まれた、人材育成、仕事の目標管理、評価
固有の無形の仕組み、と捉えることができる。こ
の仕組み等はその代表例であるとも言える。
の確立に成功した企業が真の企業価値を持つ存在
筆者がかつて在籍していた、グローバルコンサ
として評価し得るものであると考える。
4.知的資本経営による
企業の持続成長軌道づくり
上記の二つの事例から、企業価値を創り出す原
を確立した企業の多くは、天才的な企業経営者の
動力としての知的資本、知的資産の重要性につい
存在や、長期間に亘る経験の蓄積による自然発生
て説明してきた。次に考えなければならない問い
的な形成など必ずしも単一の方法論を経過してい
は、“いかにして知的資本、知的資産の強化を実
るとは限らない。
現するか”ということである。
しかし、これらを意図的に創り出せる方法論が
知的資本・知的資産の概念の整理は、多様な論
確立されれば、理念を実現し永続的に発展し続け
文や書籍の中で論じられてきているが、未だその
ることができる理想的な企業への変革の道筋が見
実践としての確たる方法論は確立していない状況
える。同時に、これまで財務中心型の企業評価パ
である。実際に、既に強固な知的資本・知的資産
ラダイムの中で、“業績を創り出すための手段”
ターンアラウンドマネージャー
2007.9
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と位置づけられてきた企業内の人の存在を、“企
来の企業の発展像について長期的かつ多面的な視
業理念の実現と自己実現のために自らの知恵と意
野でポジティブに語る準備ができている状態にあ
欲を投資する”存在として意義付けることとな
ることである。痛みを伴う改革やリストラが一巡
り、新しい企業と人との関係を創り出す大きなき
し、組織全体が新たな成長軌道創りに向けた方向
っかけを与えることとなると考える。
性に期待をしている状況や上場前後など企業発展
本項で紹介するアプローチも、未だ発展途上の
段階ではあるが、これまで企業改革支援を行って
の編曲点を迎えている状況なども望ましいと考え
られる。
きた中で試行錯誤の末見出した一つの方法論の断
また、知的資本経営軌道創りの実践者となるべ
片である。これらのアプローチが上記の理想的姿
きは、次の企業の10年を創る人材であることが望
を実現するものとなるには、まだ多方面からの知
ましい。つまり、その活動の中心は、数年で退職
恵と経験を追加し昇華させていくことが求められ
間近な経営陣や数年での転籍を目されている経営
るが、その思考発展への一石となればと考える。
陣でなく、現場での事業運営の中心となり将来の
経営幹部となり得る中間管理層が担うことが望ま
(1)知的資本経営実践の条件
しいと考えられる。
知的資本経営を構成する重要な要素として、
“人材を如何に知恵と意欲の投資者とならしめる
(2)理念・使命・ビジョンの全組織階
層での同一化
か”と、“それらの知恵と意欲を如何に企業理念
やビジョンの実現に結びつく仕掛けを築くか”と
いう二つが存在することを述べた。
P・F.ドラッカーは著書『ネクストソサエティ
ー』の中で、“ネクストソサエティーにおける企
企業を知的資本経営に導く上では、まず経営者
業の最大の課題は社会的正統性の確立、すなわち
自らがこの状態の実現を強く望むことが第一条件
価値、使命、ビジョンの確立である。他の機能は
となる。知的資本経営を理想的に実現している企
全てアウトソーシングできる。
”と述べている。
業における経営者は、一般的に強い経営者として
これは、企業の究極的存在は人の知恵や機能を
イメージされている、カリスマ性や独断性に満ち
統合する求心力となる価値・使命・ビジョンであ
たリーダーシップを前面に出す経営者像とは異な
り、企業が持つ有形・無形の資産までもが企業の
ると考えられる。しかし、既にこのような資質を
本質でなくなることを示す言葉である。知的資本
兼ね備えた経営者にとって、言葉では現場の自律
経営においても、従業員、顧客、取引先といった
や意思決定の分散化を口にするものの、実際にそ
企業活動に携わる人材の知恵と意欲を引き出す重
の手綱を組織に委ねるには大きな抵抗を示すこと
要な役割として、理念(価値観)、使命、ビジョ
が多い。
ンを位置づけている
また、マネジメント変革が叫ばれるタイミング
外部環境が変化する中で、永続的に企業が発展
の多くは、業績低下や事業環境変化などの有事が
するためには変化が必要となる。その変化の兆し
多い。しかし、知的資本経営への着手は、有事で
と必要性を最も敏感に感じ取るのは、日々顧客や
なくむしろ平常時、さらに言えば好調な発展軌道
取引先と接し、事業活動の主体者となっている従
の段階であることが望ましい。有事はむしろ逆に
業員である。しかし、同時に彼らは既に確立され
強力な中央集権的なリーダーシップが求められる
たルールやプロセスに自ら組み込まれている存在
局面であり、現場の意思や知恵よりもむしろ経営
でもあり、変化を創り出すことは強い負荷を強い
者としての大きな改革の方向性の提示と実行の舵
られることが多い。この状況において、自ら変化
取りが求められる。望ましいのは、組織全体が将
を奨励し、改善に向けて知恵と意欲を捻出する動
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特集 企業価値向上の急所 ∼知的資本経営の考え方と実践的方法論∼
機には、給与や昇進といった即物的な対価を超え
る。
るものが必要となる。それは“自ら働く企業を良
その結果、集められた全従業員の声は、経営陣
くしたい”という思い、つまり、その企業が究極
や主要中間管理者とコンサルタントから組成され
的に達成しようとしている使命やビジョンへの共
たプロジェクトチームによる整理と分類を進めて
感であり、自らの理念との同一化であると考えら
いく中で、全組織を貫く共通の価値観や使命観と
れる。
して昇華・結晶させていく。これは単なる言葉の
企業理念や使命、ビジョンは多くの企業で既に
紡ぎだしの作業ではなく、参加するメンバーが組
言語化し掲げられていることが多いが、知的資本
織を構成する人材を動かす目に見えない動機の源
経営実現の第一歩は、上で述べたような効用にま
に触れ、企業や組織そのものを動的な存在として
でそれらが昇華されているかどうかを認識するこ
深く理解していく過程でもある。
とから始まる。
これらの活動の結果、結晶化された概念は、プ
最も簡易な診断は、“自社の従業員は誰にも注
ロフェッショナルのクリエイティブスタッフを交
目されない局面で、企業に不利益を与える状況に
え、組織を構成する人材の琴線に触れる言葉や映
直面したとき、自ら行動を取ることができるか”
像に変換されていく。
という問いへの答えである。これは従業員「ロイ
さらに、組織浸透においては、上記の作業に携
ヤルティ」という別の言葉で表現されることが多
わったプロジェクトメンバー自らが、キャラバン
いが、これは盲目的な企業への献身という形で捉
隊を組み、各組織への対話形式のセッションを通
えるべきでなく、その行動が企業の価値観・使
じ浸透活動を展開していく。その中では、プロジ
命・ビジョンへの共感という形を伴っているかど
ェクトメンバーが各従業員から寄せられた生のコ
うかが重要である。つまり、勤務年数や経歴・階
メントを引用しながら、その理念・使命・ビジョ
層といった属人的要素に左右されず、これらの活
ンを創り出していった経緯や体験を語り、小グル
動を起こせる人材を拡大再生産していける理念と
ープでの対話を実施しながら、深い理解と共感を
なっているかどうかが問われる。
創り出していく。
こういった理念浸透度と有効度の診断を行った
これらの活動は、真の意味での理念・使命・ビ
結果、自社の理念・使命・ビジョンが有効的に作
ジョン浸透を図る上での単なるスタートでしかな
用していないケースにおいては、理念・使命・ビ
い。その後は、根気強く現場でのその復唱を繰り
ジョンの再構築とその実質的な浸透活動に着手す
返す。その理念や使命を実現した具体例を吸い上
ることが必要となる。
げ取り上げるといった、事業活動における基本思
我々が理念・使命・ビジョン体系を再構築する
想として定着するまで、反復的な活動を繰り返し
ケースにおいては、
“自らが企業に参加した理由”、
ていくことが求められる。良い理念・使命・ビジ
“過去の成功体験”、“自分が仕事において重要視
ョンは、企業固有の香りを伴う空気のように組織
する価値観”、“自らが考える将来の理想的な企業
の隅々までに存在し、組織に所属する人材の知恵
像”などといった個人と企業の関わりに関する質
と意欲を引き出す作用を持つものである。これに
問を、アンケートやインタビューを通じて組織の
至るまでは、長い時間をかけた対話と思考の繰り
全従業員に投げかけることからスタートする。こ
返しが必要となるケースが多い。
れは、個人が知恵と意欲を企業に投資する価値を
感じる理念や使命は、個々人が過去の企業との関
係の中で築いてきたことと、将来の企業像の中で
(3)企業価値を創り出す見えざる資産
(知的資産)の発見と再構築
の自分の位置づけにつなぎ合わせることができる
ものである、という視点から設計された質問であ
知的資本を経営陣・従業員・顧客・取引先に至
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るまでの企業活動を構成するステークホルダーか
り以上の組織にはなり得ない。製造メーカーもこ
ら提供される知恵と意欲の総体と定義したが、企
の仕組みがない限り、一部の天才が創り上げた製
業が継続的な発展を遂げるためには、これらの知
造プロセスが生み出す価値以上の存在にはなり得
恵の総体を価値として再現可能な形に活用できる
ないのである。つまり、企業が永続的に発展する
仕組みを持つ必要がある。それらは、他社が持ち
ためには、このような知恵を人から切り離し、価
得ない特有のノウハウ・情報・容易に構築し得な
値に変換する仕組みの存在が不可欠となる。
い外部との関係性・人を動機付ける組織的仕組
これらのコアとなる知的資産の発見と強化策の
み、といった企業固有の価値を提供し続けること
特定において、我々は、企業活動に深く係わって
ができる根源的理由となるものである。
いる顧客を始めとする外部ステークホルダー及び
それらは、長い企業活動の歴史の中で自然発生
事業活動の当事者である内部人員への深いインタ
的に形作られたものであることが多く、経営陣や
ビューを行う。その中では、“顧客と企業との長
それを普段活用している現場従業員ですら明確に
期的関係を創り出す、商物を越えた価値”、
“企業
認識していない場合もある。わかりやすい例で言
が価値を創り出す根源的プロセスとそれを支える
えば、企業特有の仕事の手順やノウハウは、全て
ノウハウ”、
“人材を、価値を創り出す活動に向け
が文書化、システム化されているものばかりでは
動機付ける組織的仕組み”といった点について、
なく、むしろ有形化されていないが、組織の中で
外部・内部から企業活動に関わる人材に広範な質
暗黙的に形作られてきた共通言語や役割分担など
問を投げかけ、彼らが暗黙的に持つ企業観につい
により支えられているものが極めて多い。
てのストーリーを引き出していく。
これらの無形の資産の中で、企業の価値を創り
その結果、得られたスコアリングとコメントを
出す上で最もコアとなるものを見つけ、意図して
注意深く分析、整理していくことで、企業が顧客
強化できるようにすることができれば、企業の価
や市場に対し提供している固有の価値や、それを
値形成力を飛躍的に向上させることができる。こ
再現するために存在する固有のプロセス、ノウハ
れを正しく突き止め、それらが企業価値に変換さ
ウ、組織的仕組みが浮き彫りとなる。同時に、そ
れていく流れを体系的に整理することが知的資本
れらを阻害している要因や、より高いレベルに高
経営の次のステップとなる。この知的資産の特定
度化する上での課題についても多くの示唆が得ら
と、価値形成におけるそれらの役割を明確化する
れることとなる。
ことは、従業員の知恵と意欲を、企業の競争力の
このプロセスの中で、最も重要となる情報は顧
源泉を生み出す活動に集中させていく仕組みを設
客が認識する価値の特定である。顧客は何故自社
計することを目指している。製造業が現場の改善
と継続的な取引を望むのか、顧客が他社を選ばず
の知恵を引き出し、製造プロセスの競争力を絶え
なぜ自社をあえて選ぶのか、顧客はなぜ他社より
間なく強化していく仕組みを創る。小売業があら
も高い価格を自社の製品・サービスに払うのか、
ゆるアイデアを効率的に店舗サービスとして実現
この本質的な理由を見つけ出すことが最も重要で
する仕組みを作る。これらは全て人材から供給さ
ある。
れる知恵と意欲を、企業の競争力の源泉として固
通常の取引の中でこれらの理由を顧客が自社に
定化するための仕組みの重要性を表すものであ
明示的に述べることは稀であり、その意味から通
る。
常の取引と離れた場面で第三者が客観的にこれら
この仕組み構築の第一義的な狙いは、知恵を人
の理由を深いインタビューを通じて探り出すこと
と切り離し、再現的に活用できる形を創り上げる
が有効となる。機能を重視して購買していると考
ことにある。例えば、コンサルティング会社はこ
えられていた顧客が、むしろ購買後の迅速な保守
の仕組みがない限り、個人コンサルタントの集ま
サービスに価値を見出しているケースや、頻度の
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特集 企業価値向上の急所 ∼知的資本経営の考え方と実践的方法論∼
高い営業よりむしろ製品自体の信頼性に価値を見
化項目からなるブランクシートを現場に持ち込
出しているケースなど、顧客が述べる単なる不平
み、各階層の人材との対話型のセッションを通じ
や不満から顧客が真に見出している価値を深いイ
て、個人のアクションプランとその成果目標を引
ンタビューを通じてより分けていく。この場合留
き出す形で展開されていく。
意すべき点は、顧客を継続的な購買に導く鍵は必
この活動は、現在広く使われているBSC(バラ
ずしも単一ではないことである。最も重要な価値
ンスドスコアカード)の手法と対比されるケース
は数少ないが、実際にはそれらは複数の必要条件
が多いが、BSCが、どちらかと言うと全社方針の
がそろって初めて購買に結びつくケースが多い。
トップダウン的現場展開の色合いが強いケースが
コストパフォーマンスが高くても納期や導入支援
多い反面、ナビゲータセッションはむしろ、全社
が十分でなければ顧客は購買に至らない。また極
ビジョンとその達成に向け強化すべき知的資産
めて信頼性の高い商品でも営業員がその信頼性と
に、現場人材の知恵と意欲による貢献を募ってい
大きくイメージを乖離させるようなスタイルでは
く活動に近い。
購買に至らない。
全社として達成すべきビジョンを部門・個人ビ
次に必要となるのは、これらの価値の再現性を
ジョンとして再定義した上で、事業活動の実務者
高めていくことができる内的な仕組みの特定であ
となる現場の個々の人材に、その実現を通じて顧
る。これらは、インタビューの結果を経営陣や事
客に提供すべき価値、その価値を再現するために
業活動の主軸となる実務リーダーを集めたワーク
強化すべき知的資産をストーリーとしてわかりや
ショップに持ち込み、全員での共有と討議を繰り
すく示す。その上で、部門、個人としてその知的
返す中で特定していく。顧客価値を基点として、
資産の構築・強化のために貢献できる具体的な知
自社がその価値を再現するために暗黙的に保有し
恵やアクションを自ら定義させ、具体的な成果目
ている仕組み、または新たに創り出すべき仕組み
標を設定していく。
を抽出していく。その討議の中では、自社が顧客
このナビゲータセッションの鍵は、現場人材と
価値を再現するために最も重要となるノウハウ、
の十分な対話を通じ理解と納得を醸成することに
技術、プロセス、人材をあるべき価値形成に向か
最大の時間を費やすことである。これまで説明し
わせるために必要となる行動規範、人材育成の仕
てきたように、知的資本経営の本質は人材の知恵
組み、評価の仕組み、組織構造、顧客や取引先と
と意欲の投資を募ることである。背景説明の少な
築くべき関係のあり方、といった自社が強化すべ
いアクションリストアップの指示や、理解と納得
き知的資産の特定とその相互のつながりについて
のない上での機械的な展開は、結果的にはトップ
理解を深めていく。これらは通常マップ化され、
ダウンの色彩を帯び、“やらされ感”の強いアク
全員で共有可能な価値形成ストーリーとして組み
ション展開、つまりは報酬や昇進といった即物的
上げられていく。
な対価のみでの人材を駆り立てる従来型のマネジ
メントに近づいていく。
(4)知的資本経営定着に向けた組織展開
また、このプロセスでは、経営者自ら強いコミ
ットメントを持ち展開することが重要となる。経
上記のプロセスを通じて、特定された価値形成
営者から取り組みの重要性を継続的に組織に発信
ストーリーとそれらを構成する重要な知的資産の
すると共に、現場展開においては、自社の理念・
つながりは、「ナビゲータセッション」と呼ばれ
ミッション・ビジョン、自社の価値とその根幹と
る現場展開手法を使い、全組織階層での強化アク
なる知的資産の特定に深く関与した人材が参加を
ションへと展開していく。この活動は、全社ビジ
し対話を繰り返すことで、伝承者としての役割を
ョンを頭に、その実現に必要となる知的資産の強
担う。
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これらの全社展開活動を通じ、各現場・個人が
活動が内向的になることを避け、常に顧客を始め
定義をした貢献プランやアクションは、イントラ
とする外部ステークホルダーへの価値形成に向け
ネット等を通じて全社で共有できる形とし、定期
ベクトルを修正していく上で極めて重要な活動と
的な全社での振り返りと修正を繰り返していく。
なる。
また、定期的にステークホルダー・インタビュー
以上、簡略的にではあるが、現在アクセル社に
を繰り返すことで、自社人材の知恵と意欲を投資
おいて取り組んでいる知的資本経営実践の方法論
する姿勢の醸成度や、顧客や自社内で価値を再現
を説明した。誌面の関係上その手法の詳細や実践
する知的資産の確立度について定量・定性的にア
における工夫等は十分に伝えることはできない
セスメントを行う。これは、知的資本経営の組織
が、実践支援の中で進化させ、より確度の高い方
としての持続性を担保すると同時に、全ての全社
法論として確立すべく活動を続けている。
5.おわりに
本稿を通じ、知識社会においては、金銭的資
株式会社アクセル(Actcell Corporation)
本・有形的資産の流れのみにより企業価値を捉え
企業の見えざる経営資源である知的資本にフォー
ることに限界があること、明確な理論としての確
カスし、企業の価値向上を支援する経営コンサル
立は途上にあるものの、その限界を補う上での知
ティング会社。2001年にスウェーデンのICAB
的資本・知的資産の概念の有効性、また、それを
社より知的資本の評価ツールIC Rating®の独
企業経営の中で効果的に取り扱うための経営の方
占ライセンスを取得。知的資本の診断・分析を通
法論である知的資本経営の実践方法論の一部につ
じて、企業が独自の競争力を十分認識した上での
いて説明をしてきた。
経営を実践し、持続的な成長を実現するためのサ
知的資本経営は、知恵や知識が競争力の源泉と
ポートを行う。クライアントは日立製作所などの
して重要性を増した企業社会において、企業価値
大手企業から、バイアウトファンド、ベンチャー
を持続的に向上させていくことを目指した一つの
企業など多岐にわたる。2005年に経済産業省か
経営の方法論であるが、同時に、知識社会におけ
ら発表された「知的資産経営の開示ガイドライ
る人材と企業との新たな関係性を創り出す可能性
ン」の策定支援、ジャスダック証券取引所が上場
を秘めた経営手法であると考える。
企業向けに実施している企業診断「JQバリュー
本稿が、知的資本経営についての広い認知と理
アップサービス」の共同開発・運営受託なども手
解を促し、人々の知恵と意欲が、企業を通じてよ
がけている。
り効果的に社会貢献へとつながる企業社会の実現
設立:2000年4月/資本金:3億800万円/代表
に貢献できればと考える。財務的に豊かな企業だ
者:代表取締役社長 船橋仁/本社所在地:〒
けでなく、知的資本が豊かな企業がより一層評価
104-0061 東京都中央区銀座8-9-11 銀座天國ビル
される企業社会が実現されることを願い、本稿の
8F/連絡先:03−3574−0864(代)
締めとしたい。
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http://www.actcell.com
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