No. 1 安全・安心なくらし特別委員会 中近東・欧州調査日程と調査報告 【実調査日程および所感】 日 旅程・ホテル 11/7 第1目 【移動日】群馬県庁出発 AM8:00 議会バスにて成田空港へ *成田発 13:55 ミラノ行き AZ787 便・・・・ミラノ着 18:40 予定→実到着時 17:40(所要時間 11 時間 45 分) (トランジェント5時間) ミラノ発 21:50 AZ748 便・・・(所要時間6時間 10 分)to UAE ドバイ 07:00 発: ・ドバイ空港外に出るなり強い日差しを浴びる。湿度の少ない国の特徴か、雲一つない空の下、 専用マイクロ 北半球の国でありながら熱帯の日差しの強さと熱気と同じものを感じる。 午前 どこに行っても建設ラッシュで、高層マンション建設工事の乱立状況(別途写真あり)に、現地 日産の奥田氏曰く、入居居住者はいないとのこと、それら家賃も年間 80 万からとのこと。 現地添乗員:木村さん 緑は街内の公共用地と個人宅の庭のみ、ゴルフ場あり、立木の種類は不明、ユウカリ、柳ほか (女性)ご主人はイギ フリーゾーンへ行く途中には世界の情報関係の中心的企業のビル群を目にしたが、その周辺は道 リ ス 人 で 帝 国ホ テ ル 路も含め整備中であり、それら企業がどの程度稼働しているかまでは様子が伺えなかった。 勤 務 の 経 験が あ り ド 工事中のため路側帯の砂の中には給水用の大小のパイプがことごとく埋め込まれていく状況を バ イ 在 住 で現 地 の 生 確認できた。砂漠の中の緑化は大変贅沢なことであることが容易に推察できるものであった。 活習慣は、知り抜いて 完成した近代的な高層建築はほとんどがホテルということであるが、建設中の乱立するマンショ いる方であった。 ンは、1DKで30万円ほどからで入居者がいないとのことである。 宿泊のホテルでは、韓国放送が1チャンネルあったが在住邦人数 1200 人のためか日本語放送が なかったのは残念であった。そのまま視察地へ直行する 11/8 第2目 調査場所 ①ジュベリアリフリーゾーン視察:現地企業・日産自動車(現地 9:30∼11:30) (所感)日産自動車対応社 瀬戸氏、奥田氏、ほか フリーゾーンには現地進出企業のアポがなければゲートを入れない 国内大手各社がほとんど流通拠点に進出している様であったが、群馬地元の富士重工も私は見逃 してしまったが、同行者には看板が確認できたとのことである。 中東の西から中央アジアに及ぶ流通の拠点として総てがフリーのインフラを敷くことによるこ の諸国の戦略が目の当たりにできる経済区域である。メキシコのマキラドーラ以上の優遇措置で あり、石油の莫大な資本を背景に砂漠以外何もないアラブ諸国の自由経済圏に対応する取り組み が読みとれる。 ② ドバイ首長国公衆衛生食品管理局(現地 12:30∼14:00) その他 《 機中泊 》 <食事ほか> 朝食:機内食 昼食:町中の東南アジア・レ ストランにて、牛肉ステーキ 比較的柔らかく日本人でも 食べられる。 夕食:アラビア料理 ・・・全くのベジタリアン料理 で大量の野菜。ナンに挟んで 食べる。白菜は丸ごと、キュ ウリ、唐辛子、ハーブ類、磨 りつぶした何らかのソース 類、肉はマトンと魚、エビ、 イカの焼いたもの。 全員当惑の感が否めないほ ど荒っぽい料理であったが、 この地域では鬆入りの生野 菜でも贅沢かもしれないと の感想をもった。 デザートのスイカの丸切り (皮をとってドーム型に皿 の上に盛ったモノ)は圧巻で あった。 午後 <ドバイ泊> ホテル: RAMADA CONTINENNTAL 11/9 第3目 08:45 発: 専用マイクロ 午前 午後 <ドバイ泊> ホテル: RAMADA CONTINENNTAL ※日本での観点 PUBLIC HEALTH DEPARTMENT-FOOD CONTROL SECTION (所感)のっけから日本に対する要望がされる・・・品質表示ラベルの英語やアラビア語対応がな →事業や雇用の国際化 いため現地では苦労している。群馬では食品表示ハンドブックを作っていることを紹介した アラブ諸国 GCC 各国は食品管理センターをそれぞれ持っており、肉の屠殺方法(イスラム教に 合った屠殺)を日本には指示して輸入しているとのことである。 食中毒の状況は年2∼3人と回答があったがこの点は半信半疑。 食品衛生基準は HACCP を導入している。 BSE,鳥インフルエンザ等への対応について質疑する。食品の70%以上が輸入に頼っているの で、東南アジアからの鶏肉の輸入は禁止、欧州からの牛肉の輸入は禁止しているとのことである。 *GCC:「湾岸協力会議」 (Gulf Cooperation Council) ◆終了後は時間があったので、夕食時までの間市内のショッピングセンターの参観による。 形式は太田市のショッピングセンターの「イオン」と同様の形式で、テナント方式で一流ブラン ド店の集まるフロアーから一般観光客店舗や住民向けスーパーが軒を連ねる。 *ショッピングセンターで現地通貨 Dh(デルハム)を手に入れ、カフェでカプチーノを相伴す ることができた。味はまあまあ、といってもこの地では総てインスタントとのことであり、食品 産業の味に慣らされた者にとっては、やはりはずれではないと試飲した。 支払いはドルで行い22Dh の釣り銭が来た。これで9Dhのカプチーノをカフェで注文、同行議 員と2人で試飲、支払いはサービス量とチャージ料を入れ2人で22Dhの請求でぎりぎりの事 態にラッキーであった。換金の手間は煩わしいものである。 ③ドバイ日本人学校 朝食:ホテル バイキング形式 ( 所 感 ) ド バ イ 中 心 街 か ら フ リ ー ゾ ー ン へ向か う 高 層 ビ ジ ネ ス 街 の 近 郊 に JAPANESE SCHOOL があった。海外出張家族の子弟が主な生徒で、義務教育の小1∼中3までの生徒が7 0名おり、最初に教頭の井田勝美氏から学校の概要、周辺環境などの説明を伺ったあと、瀬戸氏 (文部科学省)から特徴ある指定校としての本校での取り組みについてプレゼン・説明を受けた、 その後、各学年ごとの教科に教室を廻り、各教科を元気に学習している姿を参観した。 特に安全面では海外での日本人学校での特徴であるスクールバスでの非常時での対応、非常事 態での対応、不審者への対応とかなり気を遣っている様子であった。 維持運営費は生徒からの学費が主、文科省からは義務教育費のみとのことであったが、企業や諸 団体からの寄付の比重も大変大きいとのことである。 父兄の頻繁な学校への出入りがあることが最も安全対策には良いとの教頭の意見があった。 夕食:タイ料理 当然トムヤンクンがでたが、 これは好き嫌いがはっきり するようだ。 ④ドバイ首長国警察本部:DUBAI POLICE GENERAL HEAD QUATERES →日系ブラジル学校 (所感)広大な敷地が塀に囲まれその中に警察本部があった。 刑事課長、警備部長が質疑応答に立ち会う。 昼食:途中のレストラン ※日本での観点 地 元 で は 比 較 的 古く 良く知られているら し い 空 港 近く の 中 流 ホテルである 朝食は質素 コーヒーは旨かった。 11/10 第4目 11/11 第5目 相応の治安対策が説明されたが、連邦警察との防犯治安、取り締まりの面と事件後の捜査、検挙 →治安対策 活動の大きく2部門に大きく分かれており、175カ国の人間が移り住むUAE諸国の国情の違 いが基本的に認識されたが、多国籍の人間に対応すべく外国語の習得や現地以外の人員の採用を 行っているとのことであった。 インターネットを使って犯罪状況をすぐに知らせることを行っていたり、GPS の利用もしている ようであったが、これらの本格的な活用には至っていないようであった。 いずれにしてもアラブ首長国の中で特権階級のアラブ人に対する扱いは別格であり、国家財政が 豊かでありかつ宗教上の違いからこの国では他民族国民がとやかく言う素地にない前提が大き い。富める国と貧しい国の中で、極端にその生活レベルの差があるようである。今回ジュメイラ・ ビーチ・ホテルに立ち寄ったが、これら高級ホテルを見ると白人優先の1泊数十万も取るなど、 その格差を改めて見せつけられた。 かつてタイで白人以外の他人種を受け入れない「タイ・オリエンタルホテル」で夕食を取る機 会があったが、こちらでも人種による待遇の差は歴然としていた。国内にいたのではこの差は全 く分からない。 日本、群馬の国際化(他民族の定住化)が徐々に進んでいるが・・・ フランスのような長年にわたる永住化による今回の暴動が、将来的には我が国内でも発生する可 能性があるのではと懸念される。歴史的には日本では、朝鮮人問題、部落解放問題、等 があるが、国外では国の統治方法として(黙認の内に?)の階級差別や人種差別の方法が必要で あり、現在も利用されていることがよく分かる。貧しさは際限もなく貧しく、豊かさは際限もな く豊かである。あらゆる格差を相互に認め合う平等化は世界はまだほど遠い。 【移動日】モーニングコール 5:00 ホテル出発 6:30 荷物回収:self *ドバイ発 08:45 ミラノ行き AZ749 便・・・1時間遅れ・・・ミラノ着 12:50 予定 → 実到着時 (所要時間 (トランジェント2時間) ミラノ発 16:45 AZ1039 便・・・(所要時間1時間 20 分)to ホテル:SAVOY ROME 朝食:ホテル 8時間 分) 昼食:機内 夕食:出発 7:30 レストラン ORAZIO イタリア料理・ボンゴレ (所感)UAE からの出国手続きはスムーズに行われたが、出発は1時間遅れで所要時間は約8時間。機内食は相変わら 今回初めてのイタリア料理 ず病人食のような味付けで、食感も悪くそれらには手をつけず小さなパンにバターと飲み物で済ます。アリタリア航空の で旨くはない。 この線はサービスが良くないようである。それとも、それが一般的なのか?トランジェントのミラノ空港での国内線の乗 り換えは約2時間、ようやくアルコール類(ワイン)の飲酒が解禁となる。ホテルには6時半着、何人かはホテルから1 0分位と聞いて、スペイン広場近くの一流店の集まるコンドッティ通りまで明日の土産物買いの下見に出かけた様だが、 帰りはスペイン広場の登りの石段が多く、集合時間の7:30までのリターンには結構疲れたようである。 出発:9:30 朝食:ホテル 専用マイクロ ⑤スローフード協会ローマ支部:SLOW FOOD ARCIGOLA ROMA 午前 ○イタリアでの有機農業の取り組みとその規定・管理について 昼食:イタリア料理のレスト ○自然と共生した農業とスローフードについて ラン・・・パスタの味は機内食 (アイアブ)AIAB : Associazion Italiana per I’Agricolture Biologica レベル、肉は結氷した鬆入り 現地添乗員:河内(コ イタリア有機農業協会(AIAB)は 1982 に設立され、消費者協会、地域の調査委員会および生産 のもの?を料理、サラダは ウチ)氏・イタリアで 者組織を結集させた。1992 年には農業省より有機生産物および加工の証明機関として正式に認 OK 3 人 目 の 日 本 人 帰 化 定された。以降 AIAB は職業訓練および助言機関としても積極的に活動するようになり、政府機 が認められた方で、礼 儀正しき雄弁者であ った。 午後 関、学校、研究機関との協力も増えてきた。1999 年には国際有機農業財団による正式認定を受 けた。イタリア政府は AIAB を原産地指定保護及び地理的表示保護の管理団体であると認めてい る。 <AIAB の活動> ・有機生産物の検証・認定→イタリア有機農法でのオーガニック製品のロゴ認証 ・環境問題、環境保護計画および世界的持続可能なプロジェクトの情報発信、推進 ・公園やファームホリディといった環境への影響の数ない観光 ・出版 ・技術スタッフ、農業従事者及び農業経営者のためのトレーニングプログラムの実施 (所感)基本的には地域零細農家保護、伝統的な地域物産・料理方法等の保護が狙いのようであ る。対応してくれたのは1人の支所の幹部、様々な角度から熱弁をふるって HACCP の食品基準 を遵守し、大手食品産業の横暴(量産化のための生産手段で、商標も法的に誘導してしまうこと など)に対する抵抗でもあり、住宅街の落書きの多い古い建物の中で底辺の生産者に対する支援 運動を展開しているようであった。食品特許の侵害に対する生産者の防波堤となるべき運動とそ の意義を認めるものである。 もともとスローフードは食育的な広い意味があり、流通産業の商業化主義の中に埋没している 我々の食生活に対する警鐘でもあり、実直な取り組みが展開されるべきものと感じた。 夕食:レストラン 旅行社契約の日本人観光客 専用のカンツォーネを聞か せるというイタリアレスト ラン。ここで食事をした人は 総てにおいて気の毒である。 カルボナーラは大変まずく 料理の仕方をしらないシェ フらしい一口で終わり。肉は ハムだけだったが、大変塩っ ぽい何とか1切れ口にした、 ワインも一番安いモノとす ぐに分かる、水代わりか 旅芸人風の流しのカンツォ ーネ芸?である。何人かCD を買わされる。 日本人のグループが入れ替 わり立ち代わり・・・ ・これではやはり国内旅行の ⑥AUSER(イタリア退職者協会) :ASSOCIAZIONE PER L’AUTOGESTIONE DEL 域しか出られない旅行社で SERVIZI E LA SOLIDARIETA あることがわかり、いずれ海 ○イタリアでの高齢者福祉とその具体的取り組みについて ○高齢者の自立とボランティア活動について AUSER は 1989 年「SPI(年金者組合 Retired People Trade Union)」と「CGIL(イタリア 労働総連 National Worker Trade Union) 」の主導でつくられた全国規模の退職高齢者のボラン ティア団体である。この組織は、諸サービスの自主運営と連帯のため設立され、老人が培ってき た経験やスキルを生かして、社会生活や経済生活において、社会的に積極的に参画できる権利を 増進していくため、全国6万人のボランタリーが、全国 1200 の地元の協会支部をとおして様々 な活動を展開している。 <AUSER の主な活動> ・高齢者向け教育(第三世代大学)の設立 ・健康指導 ・高齢者電話相談室(シルバーライン)・・・5000 人のボランタリー、48 時間以内に対応する緊急 訪問サービス、恒常的な所用(定期健康診断、年金受給、散歩など)の計画的付き添いサービス の実施。 ・伝統文化芸術遺産や環境遺産の保存見直し ・欧州レベルでの国際的な活動(国際的な協力に関与している非政府独立同盟組織の社会福祉事 業供給) ローマ市では自治体から図書館や美術館の運営にボランティアを派遣するほか「社会的協同組 合」作りも進めている。 外旅行も国内旅行同様に衰 退化させるであろう夕食の 企画であった。 ※日本での観点 →地場産野菜の消費振興と 地域農業の保護・対食品産業 →高齢者用の作業・仕事の明 確な区分化と制度化 ・その他の日常的活動 ・登校時の学校前での交通整理、公園の環境保護管理、市立の美術館・古代遺跡・展覧会・図書 館などの正規職員への補助協力(見学者監視と利活動、災害ら災者救援、移民支援と共生のため の活動、旅行や遠足などの集団的レクリエーション活動など) (所感) 日本の社会福祉事業団と敬老会と社協とボランティアが一緒になったような組織である。 支援する若い女性は市からの1年契約の嘱託の女性達。第三世代とは 55 歳以上の方から 80 歳ま でそれ以上は第四世代と呼んでいるらしい。 会員はそれら若い女性も含め海外まで災害復旧の支援に政府の枠に組み込まれて行くとのこと。 5700万人の人口の中で規模は小さいが、シルバーラインや高齢者向け教育(第三世代大学と <ローマ泊> ホ テ ル : SAVOY 呼んでいる)、介護支援を中心に活動をしている様であった。共産党系では歴史があるイタリア であり、活動資金は会員から 1500 円/年程度だが、様々な団体や行政関係の基金からの支援を ROME 観 光 客 向 け の中 程 度 受けて行っているようである。公園整備など市行政の部分の仕事では実費は市に請求するかたち のホテル、TVの日本 である。 語放送はない、朝食は ・夕刻、視察も終了し夕食前の時間が少しあるので、帰りのバスを途中下車、スペイン広場、ト 質素 レビの泉周辺を散策、全く偶然なことに群馬県選出の議運の委員長・佐田玄一郎代議士率いる議 運視察団の一行に遭遇、トレビの泉でツーショットでの写真を失礼させてもらった。一行はその 後パリに入るとのことだったので、戒厳令の中予定変更であろうと・・・ ・ローマに行くならと、日本で人気の高級ブランド店にて注文の土産物の買い物。なぜか日本人 の数が多くブランド商品に対するこだわりは特に若い人に高いようであった。中高年の婦人も見 受けられたが、当然買い方は慎重であった。 しかし、中国系のアジア人の多さには驚いた。 11/12 第6目 出発:9:30 専用バス 午前/午後 【移動日】陸路でナポリへ移動 地元在住ガイドによる災害被害対策のレクチャ:防災における地方自治体・市民ボランティアの 関わり・・・×中止 → 休日を利用した世界遺産関連施設の視察へ <ナポリ泊> 午前:ローマ市内観光 →1.バチカン市国周辺 2.コロッセウム周辺 ホテル:HOLIDAY IN 午後:ナポリへ移動(約250Km) NAPLES ◆ フランスの戒厳令を受け、バチカンでもセントピエトロ寺院への入館チェックが厳しく長蛇 の列であったため周辺のみの散策に止めた。コロッセウムも同様でフランスへの観光客がイ タリアに流れたとのことで土曜日ということも手伝って大変な混雑状況。 (私の場合は以前両地を訪れたことがあるので、その時とはまた別の見方で参観できた) ◆ レストランのウエイトレスの対応は、中国料理での女性は人生の苦行を背負っているような 表情であり、タイ料理店でのウエイトレスはきめ細やかさの対応で好感がもてた。イタリア のウエイトレスは時々笑顔での対応には余裕が感じられた。それぞれの国柄が出ていておも しろい。ウエイターはどこの国もしかつめらしい表情である。スイスではどうであろうか? 朝食:ホテル 昼食:中華料理・ホテル近く の中華飯店、餃子1個、春巻 き1個、やきそば、その他酢 豚などの盛り合わせは日本 の定番通り 夕食:イタリア料理・今回の 食事の中では最もまともな 料理であった。 11/13 第7目 出発: 専用マイクロ 朝食:ホテル レストランの全テーブルが 【休日利用の世界遺産視察】専門ガイドによるレクチャ:イタリア女性・名前不詳 午前 日曜を利用してのボスビオス火山周辺の遺跡2カ所を視察・観光に行く。天候も良く休日の地元 午後 観光客も多く、壮大な発掘により2000年前の街が出現した遺跡に赴く。 →ナポリ市内<世界文化遺産調査>:ナポリ歴史地区 <ナポリ泊> ホテル:HOLIDAY IN ⑦−A エルコラーノの遺跡地域:ベスビオス火山の溶岩流によって消滅した街 NAPLES ポンペイより規模は小さいが、溶岩によって24m地下に埋もれた街の当時の面影が出現した遺 跡である。ポンペイより浴場やタイルのモザイク状態が良く現れていた。 炭化した木材の様子がそのまま残っており、庭や菜園、農場の跡も再現され、2000年前当時 の生活の状況が偲ばれた。 ⑦−B ポンペイの遺跡地域:地震及び火山灰・火山粒によって消滅した街 壮大な遺跡である。呆れるばかりである。 (ただただ画像参照のこと) 歩くと腰に激痛が走っていたが、なんとか一回りすることができた。 世界文化遺産の迫力に2000年の月日の差を感じさせない説得力のようなものを感じた。 大きな事業である、この発掘には日本も協力してきたとのことである。 世界遺産の工業遺産として、「富岡製糸工場」のスケールはこのポンペイや中国の故宮、ローマ のバチカンなどの文化遺産に比べるとあまりにも小さいが、世界遺産の登録=世界に発信する観 光事業と、するには相当の意気込みと資本が必要との感想をもった。 11/14 第8目 出発: 専用マイクロ 午前 ナポリ発 06:55 AZ1280 便 → ミラノ到着予定 08:30 ミラノ発 09:15 AZ566 便 → チューリヒ到着予定 10:20 <チューリッヒ泊> ホテル: INTER-CONTINEN NTAL ZURICH 昼食:ポンペイの1レストラ ン「リ・カテリナ」海産物が 新鮮でイカ、エビを使ったナ ポリ料理、地元でも有名な店 らしく、日本人は一人もいな い。現地の方々の行列ができ る店で食事、海産物が大変新 鮮であった。 夕食:レストラン「ソフィ」ナポ リ湾近くの旅行社契約店、パ スタのボンゴレは前回のも のよりまだましであったが、 少し癖があった。ここもまも なく日本人でいっぱいにな った。 朝食:ホテル 昼食:街中のレストラン ホテルチェックイン及びチューリッヒ市内公共施設の視察→チューリッヒ湖周辺、モンブラン通 り、教会ほか。夕方5時以降の REGA の視察受け入れ時間に併せる。 午後 日本人で現地契約ツーリス トのツアー客で、我々のテー ブルが一角にリザーブされ ていたが、圧倒されるモノが あった。 ⑧REGA(スイス航空救助隊) :SwissAir-Rescue Rega REGA と は 、 ス イ ス 最 大 の 航 空 救 助 隊 組 織 で あ り 、 航 空 救 助 隊 を 意 味 す る ド イ ツ 語 「Rettungsflugwacht」と救助を意味するフランス語「Garde aerienne de sauvetage」のそれぞ れ頭の2文字を組み合わせた造語である。24時間体制のプロの航空救助サービスを提供する非 営利の組織で、天候さえ良ければ、バレー州を除く、国内のいかなる場所にも15分以内でヘリ を送ることができる。 REGA は政府から助成金を受けることなく、160万人の会員(パトロン)によって資金が調達 されている。これら寄付は活動の2/3をまかない、残りの1/3が救急業務に対する健康保険 や旅行傷害保険からの交付金である。また、REAG はスイス赤十字(SCR)の法人会員で、その 基本原則に従って活動することを委ねられている。REGA の救助業務における原則は、事故の現 場に直接、医師を送り込むことで、従って REGA の航空機には、ヘリコプターにもアンビュラ ンス・ジェットでも必ず医師が乗り込む。その背景には次のような基本理念が謳われている。 夕食:住宅街のレストラン 豆電球のイルミネーション が派手なレストランで、また 旅行社契約の団体向けの店 かと思ったが、スイス名物の チーズフォンジュのオプシ ョンも用意できた本格的な 店であったが、全体の料理で 塩味がきつく全部は食べら れなかった。チューリッヒワ インを試飲。今回の行程の中 では、大変良い食事だった。 「REGA の目的は、赤十字の基本原理に従い、困難な状況に陥って救助を必要としている人々を ※日本での観点 助けることにある。この救助に当たっては、遭遇者の人格、経済状況、人種、宗教、階級または →国民性や国情の違いを越 政治的信条の如何にかかわらず、差別なしに実行するものとする。REGA は人の生命及び健康に えた救援体制の基本 関わるような困難を排除し、保護するものである。 」としている。 そのため、REGA は医学的に正当な非常事態の救助であれば、総ての経費を放棄して、無償で対 応する。 活動資金については、国民の任意加入の会員システムで、一人あたり年間数千円の負担により、 その会員は遭難時等に、無料で航空機を使用した救助サービスを受けられるというシステムであ り、広くスイス国民に受け入れられ、組織は年々大きくなり、1979 年に REGA として運営を始 めた。現在では国民4人に1人が REGA の会員であり、国からは一説の援助も受けていない。 年間平均約1万回の出動実績を誇る REGA は、ヘリ14機、ジェット3機を有し、約 270 人の 専門家を擁する世界でも最も優れている航空救助隊として発展した。 (所感) 民間運営で徹底した救助体制がひかれスイス国内ばかりか災害時には世界的に出動する機関で、 日本にも2・3回救助活動に来ているとのことで、阪神淡路地震でがれきに埋もれた人を発見す る救助犬を派遣して成果を出したのがこの救助隊である。 山岳救助隊が発達しているスイスならではの国民的コンセンサスを得ており、5カ国語が話せる ことが隊員の基本条件であり、医者も常時待機しているなど高度なスタッフにより構成されてい る。100億以上の年間収益を得ているとのことであり航空機等のメンテナンス費用等を考える と自立した事業体であることが伺える。会員以外に各団体からの寄付も大きいとのことで、ここ でも寄付金に対する矮小な日本の考え方との大きなギャップを感じた。 熱しやすく冷めやすい日本の国民意識のレベルでは、このような組織そのものの育成は到底無理 の様であるとの感想をもったが、本来の救援救助の体制や組織維持、思想等多くを見習うものが あった。 11/15 第9目 出発:8:00 専用マイクロ 午前 朝食:ホテル ⑨ FiBL ( ス イ ス 有 機 農 業 研 究 所 ): FORSCHUNGS INSTITUT FUER BIOLOGISCHEN LANDBAUI (THE SWISS RESARCH INSTITUTE OF 昼食:有機農業試験場の社員 食堂にて ORGANIC AGRICULTURE) チューリッヒから西約50kmのフィリックスという街に「FiBL(スイス有機農業研究所) 」が ある。有機農業の総本山的存在で、スイス最大の民間の有機農産物の検査機関であるとともに、 調査・研究・教育・アドバイス・情報提供など多面的な活動を行っている。 ここで教育や研修を受けた大勢の農家や技術者がヨーロッパ各国で有機農業の担い手として第 16:34 発 IC728 列車 一線で活躍している。 18:15 着 専用バス スイスでの有機農業の動きは2000年の時点で善の内の約 8.4%、9万ヘクタールが有機農業 に転換している。地域的には、山間地で10∼30%に及んでいるのに対して、平地部では約5% となっており、山岳地域での取り組み(畜産、酪農)が活発である。 <ジュネーブ泊> こうした有機農業の拡大の背景には、消費者の有機農産物への需要の拡大がある一方で、政府の ホテル: 支援策も大きく貢献している。 NOVOTEL GENEVE スイス国土は、アルプス山岳地帯を抱えて急峻な地形が多い国柄もあり、農家の平均経営面積は CENTRE 午後 6:30 より 夕食:ジュネーブ市内の日本 食レストランにて現地駐在 員との会食 ※日本での観点 →昨年の畜産廃棄物適性処 理の法令化以降の有機農 業・有機物有効利用について 14ヘクタールとヨーロッパでは小さい方である。フランスの平均は41ha、ドイツは31ha。 農業人口は現在就業人口の4%にすぎないが(1900 年時点では 31%) 、全国土の4割を管理して おり、観光資源と国土景観保全で重要な役割を果たす存在となっている。 そうした自然・社会経済的な背景とともに、環境問題への関心の高まりと安全・健康食品志向の 増大を受けて、スイスでは有機農業の推進と、土地証券の不利な地域農業の支援策(条件不利地 域の所得保障政策)などの補助金政策を早くから導入してきた。 そうした取り組みの一環として、スイスでは有機農業に関する教育にも力を入れいる。2004 年 にはスイスの有機農家団体である「ビオスイス」が、学校へ通う若い世代の有機農業への関心を 高めるのを目的として、14∼18 歳の生徒を対象に有機農業への体験型イベントを開催した。 (所感) 早朝予定より1時間ほど早く FiBL(スイス有機農業研究所)に到着したので、所長も出勤して おらず、フリックス町の近郊の状況や丘陵地帯をバスで周回しながら田園・牧草地帯の環境を視 察して時間を待った。 「FiBL(スイス有機農業研究所)」は県の園芸試験場と畜産試験場を一緒にした様な施設状況で あったが、若い研究者がラボの中で実験・研究に励む様子を見させてもらった。担い手問題が国 内で深刻であるが、スイスでも状況は同じであった。所得の比較的高い銀行員に比べると1/3 以下とのことで、製造業従事者と比べても半分以下のようである。 従来から有機農業に対するスイスの取り組みは直接支払制度など擁護策を打っているが、そのよ うな行政の施策や啓蒙活動が功を奏し、そのような若い研究者の参加・育成や有機農産物への関 心の高まりが大手スーパーの参加も促し、従来の流通野菜農産物に対する優位性を形成しつつあ るかのように感じられた。有機の畜産酪農製品の普及は現在定着している様であるが、穀類や園 芸作物までは市場規模までには発展していないようであり、今後もそちらへの取り組みは積極的 に行われて行くようである。しかし、農家の所得水準は日本と同様に低い中にもかかわらず人口 密度も高く、食糧自給率が日本より高い点は、戦後のスイス農業事情の歴史的違いはあるものの、 日本も農業政策の点では大いに参考にすべき箇所が以下見受けられた。 1、安定的な食料自給率の確保へ・・・→第1次産業の農業を第3次産業化へ、担い手問題へ 2、農家の安定所得の確保・・・→有機農法採用農家、エコ調整地への補助・支援 3、環境・景観保全への貢献・・・→観光的資源を有する国内山間地で適応か 4,食の安全・安心への啓蒙・・・→生物農薬、バイオダイナミック農法 など ⑩Bio-Hof Heimenhaus(有機栽培農園/BIO ORGANIC FARM) (所感) 「gentechfrei」という言葉が書かれた旗のあるベルン近くラウッセンブルグの町の有機農法で成 果を上げている農家を訪問。この意味は、バイオの遺伝子組み換え食品に対する反対を表す意味 という。 畜産農家であり園芸農家でもあるスイスの典型的とも思える農家を訪ねた。 ただし、奥さんは州議会議員で有機農法の推進農家であり、スイスの伝統的な住居ではなくエコ ハウスの住居に住む3家族(10 人)の共同体の農家である。 ※日本での観点 →実態調査を通じての有機 農業営農者の経営把握。 契約栽培農家の工夫と実態 契約顧客に2週間に1度葉物野菜を含む農産品一式(約 3,000 円程度)を配送する。 「Q グルー プ」、「Q」は牛の COW の発音によるもので、畜産品のユーザーを形成するという。 チーズ等の畜産品は1週間に1度配達する 牛乳は大手食品スーパーが乗り込んで来たので量的にペイしなくなって取りやめたとのことで ある。 日本のごくごく昔の農家の形態そのままの状況と同じイメージであるが、糞尿処理等の施設や有 機肥料のリサイクル状況の考え方は昔の農家と異なる取り組みである。 ○夕食時 ジュネーブ日本人倶楽部(現地日本人会)との交流 JETRO の今井氏、高橋氏、ジャーナリストの永井さん、ILO の町田氏、島田氏らと会食。 四方山話に花を咲かせたが、海外の国際機関の第一線働く現地の方と結婚された方々の話は、興 味深く聞かせてもらった。皆さん住めば都でジュネーブの社会に溶け込んでいるようであった。 時間も短く政治論議や国際状況の話をするわけでもなかったが、各国の状況をよく知っており、 ジュネーブ中心に活躍されている方々のアンテナは比較的高いようであった。 11/16 第 10 目 出発:9:30 専用バス 午前 朝食:ホテル ⑪ SECURITE CIVILE DE GENEVE(ジュネーブ市民防衛隊) 永世中立国のスイスは「自らは戦争を開始せず、他国の間の戦争にも参加しないことを宣言する」 国であり、自国の資産は自国の力で守るということである。国民全体の1割の軍隊を持っている 午後 が、それとは別に「シビルプロテクション連邦本部」をベレンに置き国全体、州全体、市町村の 単位で市民防衛軍が組織されている。 「シビルプロテクション」は、国民がその構成要員となっており、災害時及び戦時の非常体制を <ジュネーブ泊> 支える重要な組織である。スイス国民の10%が関与し、参加義務は20歳から50歳までの男 ホ テ ル : NOVOTEL 性に課せられ兵役に行かない人を中心にした構成になっており、現在約30万人の要員を擁して GENEVE CENTRE いる。そして、 「シビルプロテクション」のメンバーは、年間数度の訓練で緊急時に備えており、 武力闘争だけでなく、特に自然災害時の緊急即応体制についても万全の体制を取っている。なお、 訓練の活動予算は国が50%を負担し有給休暇扱いで参加できる。 また、女性は任意に「シビルプロテクション」に参加することができ、重要な役割を担っている。 シビルプロテクションの活動は自治体または地域単位で行われているので、女性も容易に民間防 護活動に参加できるようになっている。現在は約3000人の女性が参加しているが女性に参加 は様々な面で貴重な貢献度となっている。また、定住外国人にも門戸が開かれており、ボランテ ィアとしても参加できる。 <シビルプロテクションの重要優先任務の推移> 1960 年代・・ 「保護」を主目的とした・・ 「予防は復興活動に勝る」 1995 年 「災害救助」を主目的とし「単純、迅速、共同行動」 2004 年 「市民保護システム」を主目的とする「総合システム」 1) 「災害及び他の緊急事態における市民への援助の提供、危険箇所の情報提示及び対策と保護」 2)武力紛争発生時における一般大衆の防護、及び社会的弱者の介護、看護 3)国の文化遺産を防護するための活動 昼食:ジュネーブ内のレスト ラン、あまりいい店じゃな い、従業員ロッカー室の中に 客用のトイレがあった。若い お姉さんの対応は良かった が、味はいまいち。 夕食:中国料理レストラン 一般的な中国料理で無難な ところであった。 最後の夕食なので余裕の雰 囲気があり、相変わらず日本 食の食材のごく一部がメン バーから提供されたが、これ まで各料理の味付けに半信 半疑で口にしていたところ に ※日本での観点 消防団、常備消防、県レスキ ュー、山岳警備隊、市民防犯、 <もう一つの災害対策「シェルター」> スイスでは決まった基準(一般家庭では家族構成や敷地面積の広さ)によって埋没されたシェル ・シェルターの必要性につい ターがあり、普及率は95%である。また、公共施設の地下には1000人規模のシェルターが て・・・検討は必要か 埋没されており、全国38万人の市民を守ることができる。自宅にシェルターを保有していない 家庭はそのシェルター使用権を国から買う形で費用を納めることになる。シビルプロテクション のメンバーは災害時や戦争時にそれらの人々や病院や大型施設に併設された核シェルターに市 民を誘導し、生活を支援する。ジュネーブには数十個の大型核シェルターがある。 シェルターの施設は家庭に義務づけているモノは必要最小限のものだが、公共用のものは地下に かなりの広いスペースを保有し、食堂、台所、寝室、自家発電システム、会議室、電話交換機、 食料・水の貯蔵庫など生活に必要なあらゆるものを設備し、自家発電により数週間の待避が可能 となっている。核戦争や化学兵器戦争時以外に現在では、災害時の待避に利用し緊急時には実際 に利用されている。 (所感) 日本では阪神淡路大地震の反省から徐々に災害時の体制についての見直しが始まったが、スイス では国 1989 年の「ベルリンの壁崩壊」以降民皆兵制度の見直しから、災害救助を目的とした消 防等の組織を中心に防災面での市民擁護の活動に変わってきている。 民間運営でこの組織がスイス全土で展開している事自体が大変驚異であり、そのメンバー構成や 機動力は目を見張る者があった。少なくとも、日本国内の救援体制は相互のコミュニケーション や協力体制を十分に確認して欲しく思った。国情が異なると言えども多くの学ぶべきものがある と感じた。 ◆午後は食事の後、自由解散で休養と帰国の準備 中心のモンブラン橋近くにあるリューデ通りの専門店が建ち並ぶ通り周辺を散策、チューリッヒ 湖畔のロレックスの店の中に大挙して中国人の中年男性の一団が入る。後を追ってこちらも訪 問。ガイド曰く、豊かになった彼らはこぞって世界の一流ブランドを買いあさって帰るとのこと。 様子を見ていると最初から買い物をするのが2・3名、店や展示品の写真を撮ったり、添乗員に 交渉してもらったり様々だったが、日本人の店員は我々(私ともう1名)が日本人とすぐ見抜い たようだった。彼らはかつての日本人のように一団でどっと押し寄せて高額の買い物をしてどっ と帰るらしい。店にとっては日本人よりも中国系観光客が今は最大のお得意になっているという ことである。我々は高級時計に目の保養をさせてもらい、さっさと引き上げた。 11/17 ・18 第 11 目 11:50 ジュネーブ発 AZ583 ミラノ行き 12:45 着 (所要時間約1時間) 15:15 ミラノ発 AZ786 東京行き (所要時間 12H10M) ・・・・11:25 成田着 入国通関手続き ◆成田空港の建物を出るべく、自動ドアが開くなり突然カメラがアップ、テレビ朝日の取材を受ける。 何事かと思ったが、取材なら素直に応じようと思った途端に、後ろにいた委員長の方にマイクが飛ぶ。 私など平の委員はどうでもいいようなので、内心ほっとした。その後は、副委員長へインタビュー。 しかし、なぜ地方議員の初対面の両人の顔がわかるのか不思議な思いもしたが、旅行社の添乗員の話だと、インタビューした方は最初から単独で 同行していたらしく、他のツアー客でもないのに行く所・所に見かけるので不思議に思っていたとのことである。 どうやら、どこかの議長会の県議団が、ブラジルでとんでもないことをやらかしたようで、以前、埼玉県議会のゴシップネタの類の取材かと、 呆れる思いであった。我々の視察は言葉の障壁を越えての討議もあり全く不備のないものと全員が自負しており、テレ朝ならワイドショー的に あることないこと意図的に編集・脚色されるので、やれやれと旅の疲れも、途端に、どっと出た思いだった。 帰りの高速道パーキングでの「天・たま・うどん」が格別であった。
© Copyright 2024 Paperzz