第 8 章 乳酸菌・ビフィズス菌の近未来研究 本章では,現在の技術を用いて既に達成している(あるいは今後実現可能な)乳酸菌とビフ ィズス菌の様々な応用研究例を紹介する. 1 新技術を用いた食品製造への応用 乳酸菌は世界中の数多くの発酵食品製造に関わり,健康効果を有する最も身近な有用細菌で ある.乳酸菌を改良する試みは古くから行われてきたが,その進展は遅々としていた.しかし バイオテクノロジーの進展とゲノム情報解読によって,好ましい性質を有する乳酸菌の育種が 合理的にかつ効率良くできるようになり,遺伝子組換え技術を活用した数多くの研究が蓄積し ている.その結果,産業的に有用で科学的に安全と認められる多くの乳酸菌育種株が作出され ており,この分野の進展は著しい. 本節では,遺伝子組換え技術を駆使して乳酸菌を育種し食品製造への応用を目指す代表的な 研究例をジャンルごとに紹介する.なお,これらは研究段階のものであり,乳酸菌組換え体を 含む発酵食品は現時点ではまだ市場には出回っていない. 1 発酵食品の味の改良に関わるもの (a)発酵乳製品に甘みを付加する 発酵乳製品は,発酵過程で生じる乳酸が含まれるため一般に酸っぱいものが多い.そこで, 砂糖などを添加せずに乳酸菌の働きで発酵乳製品の酸っぱさを低減させようとする研究が行わ れている.乳の主要な糖である乳糖は,乳糖資化性の乳酸菌細胞に取り込まれた後,分解され てガラクトースとグルコースになる.もしグルコースの代謝を完全に阻害できれば,残ったグ ルコースが細胞外に排出されて発酵乳製品中に移行することとなる.グルコースは甘いので(砂 糖の甘さの約 7 割)出来上がった製品の甘さが増すことが期待される.なお,グルコースの代 謝を止めても,発酵自体は甘さの少ないガラクトースの代謝によって進むので発酵乳製品を製 造することができる. オランダのグループは,Lactococcus lactis のグルコース代謝を完全に止めようとして既知 のグルコース代謝に関わるグルコキナーゼ遺伝子(glk),およびグルコース取込みに関わる ptnABCD 遺伝子群をノックアウトしたが,グルコース代謝を止めることはできなかった.そ 502 第 8 章 乳酸菌・ビフィズス菌の近未来研究 GLUCOSE GLUCOSE LACTOSE Out EII C EII CD ? ptn ABCD EIIB EIIB P GLUCOSE EIIA P EIIA ptc EII C BAC EIIB P EIIA In Lactose-6P glk Galactose-6P Tagatose-6P pathway Glucose Glucose-6P GLYCOLYSIS Lac + Glc -; glucose-producing 図8-1-1 図 8-1-1 乳糖を資化しグルコースを培地に残す組換え乳酸菌(8-1 の文献 1 より改変) こで,DNA マイクロアレイによる転写解析で原因を究明した結果(3 章:3-2-2 参照),新規 なグルコース取込み遺伝子群(ptcBAC)を見出した.上記の既知遺伝子群とこの ptcBAC を 全てノックアウトして,初めてグルコース代謝を完全に止めることができた.その結果,培地 中にグルコースが蓄積し甘味の増した発酵液が得られた1)(図 8-1-1). これは,ゲノム情報及び網羅的な遺伝子転写情報を活用しながら,遺伝子組換え技術を駆使 して初めてなし得た成果である.そしてこの方法は,他の乳酸菌での応用も可能であり,甘味 料を添加せずにおいしい発酵乳製品を作る新しいやりかたとして今後の応用展開が期待される. (b)苦味ペプチドの生成抑制 チーズの苦味の主な原因は,いくつかの特定なアミノ酸配列をもつ苦味ペプチドである.チ ーズのペプチドは牛乳中のカゼインなどの蛋白質が乳酸菌プロテアーゼで切られて生成する. そこで,苦味ペプチドを生じるプロテアーゼの基質特異性に関わる部位を遺伝子組換えで改変 し,タンパク質分解パターンを変えてやることにより苦味ペプチド生成を抑え,風味の良好な チーズ製造に応用しようとした研究があり,チーズの苦味ペプチド低減が報告されている2). なお,2001 年にアイルランドのコーク大学で開催された EuroLAB という国際会議でヨー ロッパの共同研究チームによるチーズスターター乳酸菌分子育種プロジェクトの成果が発表さ れた.この学会の休憩時間に研究の集大成であるチーズが出され,通常のチーズと遺伝子組換 えで改良されたチーズをブラインドで試食し,どちらが美味しいかが参加者の投票で判定され た.結果は「遺伝子組換えチーズ」の圧勝であった.もちろん「遺伝子組換えチーズ」はまだ 市場には出ていないが,これは遺伝子組換え技術で合理的に改良されたおいしいチーズの優位 性を示すとともに,将来このような方法で改良された発酵乳製品のポテンシャルを示唆するエ ピソードでもある. 1 新技術を用いた食品製造への応用 503 2 発酵食品の効率的な製造に関わるもの (a)チーズの熟成促進 バクテリオファージ(ファージ)は細菌に感染するウイルスである.乳酸菌のファージはス ターターの乳酸菌を殺して発酵不良や停滞を引き起こすため,特に,開放発酵で作られるチー ズ産業にとっては昔からの脅威であった.これまでにファージ汚染を防止する数多くの優れた 遺伝学的研究が行われてきたが,それらの詳細は第 5 章を参照されたい. ここでは,有害なファージの作用を逆手に取ってチーズ熟成期間を短縮する研究を紹介する. チーズの熟成は主に乳酸菌のペプチダーゼによるが,発酵後に徐々に乳酸菌が溶菌し細胞内に あるペプチダーゼが放出される結果,ペプチドが生成して熟成チーズが作られる.この熟成期 間(通常 3 ~ 6 ヶ月)が短縮できれば大きな経済効果が期待できる. そこで,ファージが持つ溶菌酵素活性を使って人為的に乳酸菌を溶菌させて熟成促進をはか るアイデアが生まれた.ここで重要なのは溶菌のタイミングである.すなわち,発酵完了以前 にスターター乳酸菌が溶菌するとチーズは製造できないので,溶菌酵素遺伝子の発現を厳密に コントロールする仕組みが必要である. そのために,特定濃度の塩化ナトリウム存在下でのみスイッチがオンになる Lc. lactis のプ 3) が用いられた.多くのチーズでは,発酵後に食塩を添加してから熟成 ロモーター(PNaCl) させて製品を作るが,この食塩添加をシグナルとして溶菌酵素遺伝子の発現を誘導するという アイデアで,二つのプラスミドを使いながら巧妙な遺伝学的トリックを用いた方法である. (図 8-1-2)以下,簡単にそのトリックを説明する. 一方のプラスミド(A)にファージの溶菌酵素遺伝子を挿入するが,プロモーター(Plys) と溶菌酵素遺伝子の間にターミネーターを挿入して,不必要な時に発現しないようにしておく. 乳酸菌の溶菌を誘導するにはターミネーターを除去する必要があるが,このターミネーターの 前後に lox 配列と呼ばれる短い DNA 配列を挿入しておくのがポイントである.そして,もう 一つのプラスミド(B)に,この二つの lox 配列を認識してその間を切取る酵素(Cre リコン ビナーゼ)遺伝子を,上記の NaCl 誘導型プロモーター(PNaCl)下流に挿入しておく.これ ら A と B 二つのプラスミドを乳酸菌に導入すると,その細胞内で何が起こるかというと,まず, 食塩添加によってプラスミド B の PNaCl プロモーターがオンになって Cre リコンビナーゼが 作られる.その結果,プラスミド A の lox 配列が特異的に切除されてターミネーターが除か れる.そうすると,Plys プロモーターからの転写が可能になり,溶菌酵素遺伝子が発現する. そして,乳酸菌が溶菌し細胞内のペプチダーゼが放出され,その酵素活性によってチーズの熟 成が促進された. これは,いわばチーズスターター乳酸菌に時限装置を組み込み,都合のよい時に自己溶菌を 促すという巧妙な仕掛けであり,加塩チーズ製造の効率を高め産業的効果を持つ優れた方法で ある. 504 第 8 章 乳酸菌・ビフィズス菌の近未来研究 ���l PNaCl ��スミ�� ��チ�ー� ��������ー� ターミネーター 溶菌�� Plys lox配列 ��スミ�� 図 8-1-2 乳酸菌の自己溶菌を利用したチーズ熟成システム 図8-1-2 乳酸菌の自己溶菌を利用したチーズ熟成システム (b)呼吸能の利用 乳酸菌は酸素呼吸しないと思われてきた.しかし,ゲノム解析によって,Lc. lactis IL1403 株ではヘム合成関連遺伝子は不完全だが,それ以外の呼吸系遺伝子はそろっていることが判明 した.そして驚いたことに,培地にヘムを添加して好気培養すると本株は実際に酸素呼吸し, 発酵培養と比べると生成される乳酸が減少し,最終的に得られる菌体量が約 2 倍になり,しか も酸素耐性が増強されて生残性(生菌数の割合)が格段に良くなった4). そして,この知見をもとにして常識にとらわれずに実用化に向けた研究を進めた結果,ヘム を添加して好気培養することによって,チーズ製造スターター Lc. lactis 細胞の収量が増え保 存安定性が格段に向上した(これらはスターターにとって極めて有用である) .しかも,この 方法で調製された乳酸菌は従来の方法で作られたスターターと同様に実際のチーズ製造に適し ており5),効率良いチーズスターターの製造に既に使われている. これはゲノム情報を活用した研究で,遺伝子組換えを応用した例ではないが,今後,遺伝子 組換えによってヘム合成能を Lc. lactis に付与できれば,ヘムの添加なしに呼吸し酸素耐性の 強い菌体が得られるため,新しい食品の製造や効率良い有用物質生産への道を拓く可能性があ る. 3 有用物質の製造に関わるもの 乳酸菌による有用物質の製造に関する研究も広く行われている.乳酸菌が作る有用物質とし て既に,乳酸,デキストラン,ナイシンなどが市販されているが,代謝工学と遺伝子組換えを 活用して,乳酸菌が作らない物質や微量にしか作らない物質を多量に作らせて実用化しようと いう研究も盛んである6). 505 1 新技術を用いた食品製造への応用 糖 �O� O2 H 2O ���H + ��� �ル��� �� ��アセ��� アセチル��� ��アセ��� - ���� +O2 �� ��� ����ル ���� アセ��� アセ��� �� ジアセチル ��� 図 8-1-3 代謝工学によるジアセチルの高濃度生成システム 図8-1-3 代謝工学によるジアセチルの高濃度生成システム 以下に述べる例は主に欧州の研究であるが,Lc. lactis をモデル宿主とし,糖の代謝経路を 改変することによって有用物質の製造を目指すものである.乳酸菌では,糖の代謝で生じるピ ルビン酸から乳酸が生成されるのが主要な経路であるが,この流れを変えて以下のように様々 な物資を効率よく生産する試みが行われている. (a)発酵乳フレーバー ジアセチルは,チーズの重要なフレーバー成分でありクエン酸資化性の Lc. lactis によって 作られるが,通常その生成量は微量である.ジアセチルの生成促進を乳酸菌の代謝を改変する ことによって試みた例7)があるので以下に紹介する.(図 8-1-3) Lc. lactis は糖を代謝してピルビン酸から乳酸を生成するだけでなく,培養条件によっては 酢酸,エタノール,アセトインなど様々な代謝産物を生じる.これらの反応の中には補因子と して NADH を必要とするものがあるので,Lc. lactis に NADH オキシダーゼ(NOX)を強制 的に発現させて NADH が酸素から水を生成する反応に消費されるように仕向けると,上記の 反応は進まなくなり(図 8-1-3 の薄い灰色矢印),補因子として NADH を必要としない反応 による代謝産物が蓄積するようになる(図 8-1-3 の濃い灰色矢印).この中にはジアセチル生 成反応も含まれるが,その前段階の代謝中間体である a-アセト乳酸は a-アセト乳酸脱炭酸酵 素によりアセトインに変換されてしまう.そこでさらに,a-アセト乳酸脱炭酸酵素遺伝子を破 壊してこの経路を断つことにより a-アセト乳酸の蓄積をはかった.そして a-アセト乳酸は空 気酸化されて,ジアセチルになるので,この育種株ではジアセチル生成量を増加させることが できた.これは乳酸菌の代謝をよく考えた研究例でもある. 506 第 8 章 乳酸菌・ビフィズス菌の近未来研究 糖 ピルビン酸 NAD+ NADH LDH 失活 ナイシン 乳酸 L-alanine Dehydrogenase (NICE system) + NH 4 L-アラニン D-アラニン Racemase 失活 L-アラニン大量生産 図 8-1-4 組換え乳酸菌による L-アラニン発酵(8-1 の文献 8 より改変) 図8-1-4 (b)L-アラニン L-アラニンは甘みを持つアミノ酸であるが,ピルビン酸から 1 段階の反応で作ることができ る.乳酸菌にはこの反応を司る酵素(アラニン脱水素酵素)が知られていないため,他の細菌 由来の本酵素遺伝子を Lc. lactis に導入して,本酵素の反応によってピルビン酸から乳酸では なくアラニンを作る乳酸菌組換え体が育種された. 実際には,乳糖を原料として目的の L-アラニンがほぼ 100%生産されるようにするためにさ らなる改変が必要であった.すなわち,ピルビン酸から乳酸を作る乳酸脱水素酵素遺伝子と, L-アラニンと D-アラニンの交換を行うアラニンラセマーゼ遺伝子の両方をノックアウトした. 得られたノックアウト株(遺伝子組換え体)は,乳酸発酵ではなく「アラニン発酵」を行うよ うになった8).(図 8-1-4)この組換え体はアラニンを多量に作り発酵乳製品に甘みを付与する ことが期待できる.また,科学的に安全だと考えられるので,発酵液をごく簡単に精製するだ けで食品用あるいは飼料用のアラニン補強材として使うこともできるため,幅広い応用が考え られる. (c) 低カロリー甘味料,ビタミンなど さらに,有用物質を乳酸菌に製造させようとする大規模な共同研究(Nutra Cells プロジェ クト)9)が,欧州連合の主催により 2001 年から 2004 年まで国際的な共同によって行われた. オランダ・フランスなど欧州 5 カ国にアルゼンチン,カナダを加えた合計 10 研究グループに よるもので,マニトール・ソルビトール・トレハロースなど低カロリー甘味料や,食品の安定 材・増粘材として使える菌体外多糖,さらに,葉酸・リボフラビンなどのビタミンが検討され た. 乳酸菌は食品への応用に適するため,上記のような応用研究の進展によって,各種の有用物 質が乳酸菌組換え体によって効率よく作られ食品分野や医療分野で応用される可能性がある. 1 新技術を用いた食品製造への応用 507 4 その他の応用 なお乳酸菌ではないが,米国政府に認可された微生物組換え体がある.すなわち,ワイン酵 母に乳酸菌(Oenococcus 属乳酸菌)由来のマロラクティック発酵関連遺伝子を組み込んだも のである.マロラクティック発酵は,ワインの酸味の原因の一つであるリンゴ酸を Oenococcus 属などの乳酸菌が代謝して乳酸に変換し,酸っぱさを減らす効果を持つ.この代謝能を酵母に 賦与してワイン酵母のみで減酸効果を出そうとしたものであり,微生物組換え体として初めて 2003 年に米国で GRAS と認定された10). 今後は逆に,酵母や麹菌,納豆菌,酢酸菌など安全な食品製造微生物由来の遺伝子を乳酸菌 に組み込んで有用な菌株を作出する試みも広く行われるであろう. 5 おわりに 以上の研究例は主に欧州で進められたものであるが,現時点では商品に応用されているもの はない.しかし,上述のように新しい技術を駆使すると,従来不可能であった様々な有用性を 乳酸菌に賦与することができる.さらに,ゲノム情報・代謝情報などを活用すればより多彩な 応用が可能となるであろう.本節では食品への応用研究について述べたが,乳酸菌やビフィズ ス菌はプロバイオティクスや整腸剤などとしてヒトの健康維持・増進に寄与してきたので,今 後は遺伝子組換えによって健康効果を示す乳酸菌株の作出も盛んになるであろう. 2003 年に食品の国際的な規格を決める Codex で「生きた組換え微生物の食品への利用に関 するガイドライン」が制定され11),各国でガイドライン制定が検討されてきた.そして 2008 年に日本では第 244 回食品安全委員会で「遺伝子組換え食品(微生物)の安全性評価基準」が 制定された12).これは国レベルでは世界に先駆けて制定されたものである.したがって,日本 では「遺伝子組換え微生物」の食品への応用に関する審査体制が確立し, 「組換え微生物」を 利用した食品などが市場に登場する条件は整いつつある. 現時点では食品への組換え体利用が消費者の理解と支持を得るのは困難であるが,将来は遺 伝子組換え技術に対する科学的な理解が進み,消費者に魅力のある商品が開発され乳酸菌組換 え体が市場に定着する可能性は高い.また,特に欧州各国は連携して応用研究を進めており, これまで以上に多様な特許が出されて乳酸菌組換え体の応用が独占される可能性もある.した がって,日本でも遺伝子組換えを活用した乳酸菌の育種研究を様々な応用との関連で追及し続 けることが極めて重要である. 今後世界の乳酸菌研究のさらなる進展によって,我々の生活・健康に役立つ有用な性質を持 つ乳酸菌が作成されることを期待したい. 参考文献 1)Pool, W. A. et al.: Metabolic Engineering, 8, p456 (2006). 2)Kok, J.: FEMS Microbiol. Rev., 87, 15 (1990). 508 第 8 章 乳酸菌・ビフィズス菌の近未来研究 3)Sanders, J. W. et al.: Mol. Gen. Genet. , 257, 681 (1998). 4)Duwat, P. et al.: J. Bacteriol., 183, 4509 (2001). 5)Pedersen, M. B. et al.: FEMS Microbiol. Rev., 29, 611 (2005). 6)de Vos W.M. and Hugenholtz J.: Trends in Biotechnology, 22 (2), 72 (2004). 7)Hugenholtz, J. et al.: Appl. Environ. Microbiol., 66, 4112 (2000). 8)Hols, P. et al.: Nat. Biotech., 17, 588 (1999). 9)Hugenholtz, J. et al.: Antonie van Leeuwenhoek, 82, 217 (2002). 10) http://www.fda.gov/Food/FoodIngredientsPackaging/GenerallyRecognizedasSafeGRAS/GRASListings/ ucm153936.htm 11)佐々木隆「バイオサイエンスとインダストリー」61 巻 10 号 699-701,(2003). 12)http://www.fsc.go.jp/iinkai/i-dai244/dai244kai-gijiroku.pdf (佐藤 英一,佐々木 隆) 2 乳酸菌組換えによる腸内の機能製剤の開発 発酵食品などを通じて我々は日常的に多くの乳酸菌を摂取している.また,一部の乳酸菌は 腸内細菌叢を構成する共生微生物である.従って,経口的に摂取する限りにおいて,これらの 乳酸菌が安全であることは言うまでもない.また,遺伝子組換え技術の発達により,一部の乳 酸菌株では,異種遺伝子を導入・発現させることが比較的容易になった.このような背景から, 乳酸菌に活性を持った蛋白質を産生させ,経口投与によって腸内へ届ける機能製剤として応用 する試みが始まっている(図 8-2-1) .例えば,病原体由来の感染防御抗原を産生する組換え 乳酸菌をワクチンとして利用することや,アレルゲンを産生する組換え乳酸菌をアレルギー治 療に用いることを目指した研究がある.さらに,生物活性を持った抗炎症性サイトカインを分 泌する乳酸菌を炎症性腸疾患の治療に応用した研究も報告されている.このような機能製剤を 経口的に投与する場合,特別な医療器具は必要ない.例えば,腸溶性カプセルに封入したもの や発酵乳の状態で投与することも可能であろう.また,一度有効な組換え体を構築できれば, 培養によっていくらでも増やすことができるため,実用段階においては生産コストも低く抑え ることができると思われる.まだ実用化には至っていないが,現在も盛んに研究が行われてお り,今後の発展が期待される分野である.本稿では,組換え乳酸菌を用いた腸内の機能製剤に ついて,これまでの研究を紹介しながら解説する. 1 技術的背景 乳酸菌を運搬体とする腸内の機能製剤には,単一あるいは複数の異種遺伝子を導入した組換 え乳酸菌が用いられる.組換え遺伝子の発現システムや導入方法は,この分野に特化したもの がある訳ではなく,他の乳酸菌研究において使われる方法と基本的に同じである.機能製剤開 発の初期段階において最も多く利用されるのは,薬剤耐性マーカーを持ち,菌体内で安定的に 保持されるプラスミドを発現ベクターとする方法である.これは,組換え体の取得が比較的容 易であることと,遺伝子のコピー数が複数になることで,組換え蛋白質をより多く産生させる
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