論 文 の 要 旨

論
文
の
要
旨
氏
名
栗
林
喬
論 文 題 目 Studies on fatty acid-derived flavors produced by fungi
(菌類により生成される脂肪酸由来の香気成分に関する研究)
序論
古来より菌類は、食品や飲料の製造に世界各地で用いられている。これら飲食
品の嗜好を左右する要因として、菌類が生成する香気が挙げられる。香気を形成
する様々な物質の中でも、脂肪酸エステルやラクトン、揮発性 C8 化合物等の脂
肪酸由来の香気成分は、菌類を利用した飲食品の香気を特徴づける香気成分とし
て同定されており、官能的品質に大きな影響を与える。また、近年、菌類の脂肪
酸代謝産物は、胞子や子実体の形成に関わる生理活性物質としても注目されてい
る。そこで、菌類における脂肪酸由来の香気生成の制御技術を確立する観点から、
主要な食用キノコである担子菌類の Pleurotus ostreatus(ヒラタケ)と、酒類製造
に利用される子嚢菌類の Saccharomyces cerevisiae(酵母)に焦点をあて、以下の
研究を行った。
第1章 ヒラタケからのリポキシゲナーゼの精製と酵素化学的諸性質の解明
キノコの香気成分は、揮発性 C8 化合物を主体とする。その中でも、1-オクテン
-3-オールはあらゆるキノコに普遍的かつ多量に存在するため、キノコの品質を決
定する重要な香気成分として知られている。キノコにおける 1-オクテン-3-オール
生合成経路は、律速酵素とされるリポキシゲナーゼ(LOX)によって、リノール
酸から 10-8E,12Z-ヒドロキシペルオキシドリノール酸を経て 1-オクテン-3-オール
が 生 成 さ れ る 経 路 、 ま た は 13-9Z,11E- ヒ ド ロ キ シ ペ ル オ キ シ ド リ ノ ー ル 酸
(13-Z,E-HPOD)を経由する経路が、それぞれ提唱されている。しかし、どちら
の生合成経路も関与する酵素の研究は不十分であり、未解明の部分が多い。そこ
で、1-オクテン-3-オールの生合成経路を解明するため、ヒラタケから LOX の精製
を行い、その酵素化学的性質を検討した。ヒラタケ子実体傘よりゲルろ過クロマ
トグラフィー、アフィニティークロマトグラフィー、イオン交換クロマトグラフ
ィーの各種カラムクロマトグラフィーを用いて、LOX の均一精製に成功した。精
製 LOX は、遊離のリノール酸に対し高い基質特異性を示し、リノール酸の主要な
反応生成物は 13-Z,E-HPOD であった。以上より、ヒラタケにおける 1-オクテン-3オール生合成経路の中間体は 13-Z,E-HPOD であることが示唆された。また、この
結果は、担子菌類から LOX の均一精製に成功した唯一の例であり、菌類 LOX の
貴重な知見となる。
第2章 酵素法による清酒の遊離脂肪酸の定量とカプロン酸エチル濃度の簡易推
定法への利用
酵母は、ワインやビール、清酒等の酒類製造に広く用いられている。これらの
酒類において、酵母によって生産される脂肪酸エステルは、酒類の品質を決定す
る重要な香気成分である。特に、カプロン酸エチルは、清酒の主要な香気成分と
して同定され、その前駆体は、中鎖脂肪酸のカプロン酸である。実際、清酒中の
両者の含有量には高い相関関係がある。通常、これらの成分は、ガスクロマトグ
ラフ(GC)法によって測定されているが、装置が高価で、しかも分析操作が煩雑
であることから、多くの清酒製造場では日常的な分析法とすることが難しい。一
方、酵素(アシル-CoA シンテターゼ及びアシル-CoA オキシダーゼ)を用いた遊
離脂肪酸の定量法(酵素法)は、血液や食品等の脂肪酸分析に広く使用されてい
るが、アルコール飲料への使用実績はなかった。そこで、GC 法と酵素法、両者
により清酒中の遊離脂肪酸を分析し、その結果をもとに、酵素法による清酒中の
カプロン酸エチル濃度の簡易推定法の確立を目指した。試料清酒(28 点)中の遊
離脂肪酸組成を GC 法により分析した結果、カプロン酸(C6:0)とカプリル酸(C8:0)
が主要な遊離脂肪酸であり、全遊離脂肪酸濃度がこれら二つの脂肪酸濃度の和に
近似することが示唆された。実際、酵素法により測定した全遊離脂肪酸濃度は、
GC 法で測定したカプロン酸およびカプリル酸の和にほぼ一致した。さらに、酵
素法による全遊離脂肪酸濃度は、ヘッドスペースガスクロマトグラフ法によるカ
プロン酸エチル濃度と、高い相関性を示した。なお、酵素法による脂肪酸濃度の
測定は、通常の清酒成分(アルコール、pH、有機酸等)では、影響を受けないこ
とを確認した。以上より、酵素法による試料清酒中の全遊離脂肪酸濃度の測定は、
カプロン酸エチル濃度の簡易推定法として有効であり、さらに、カプロン酸エチ
ル高生産性酵母の育種等、多方面に利用可能であることが示唆された。
総括
本研究では、菌類の脂肪酸由来の香気成分に注目し、ヒラタケおよび酵母につ
いて検討した。これらの成果は、菌類における香気生成の制御技術を開発するた
めの有用な知見と新たな可能性を示すとともに、酒類製造における簡便な香気分
析の新規手法の確立を可能とした。