子どもの名づけに見られる日本文化の特徴 Characteristics of

予稿集原稿
研究発表:日本研究/文化人類学
子どもの名づけに見られる日本文化の特徴
Characteristics of Japanese culture as seen in naming of a child
半田淳子(国際基督教大学)
要旨:
日本人の子どもの名前の選択には、ジェンダーによる違いが明らかに認められる。
毎年、数多くの名づけ事典が出版されているが、男の子 の場合は、強さや積極性、社
会的な栄達を望む名前が人気で、女の子には対しては、見た目の印象の良さや、消極
的な表現の名前も認められる。
キーワード:日本人;名前;歴史;名づけ;ジェンダー
1. はじめに
座談会「日本語教育の現状と展望」( 2006)の席上、「日本人の名前というのは本当
に読み辛い、何とかしろというのですけど何ともならない 」と、日本人の氏名の読み
方の難しさが問題として取り上げられている。ここでいう「名前」とは、「名字」のこ
とである。実際、「日本人の名字ベスト 200」(森岡 2010)に関して、上級日本語学習
者の正答率を調査した半田(2012)の研究でも、正答率が 100%であった名字は「佐藤」
「鈴木」「高橋」を含む 37 種類のみで、逆に、正答率がゼロか 10%未満であった名字
には「望月」
「樋口」
「須藤」
「萩原」があり、これらを含む 38 種類の名字が正答率 50%
未満であったことが報告されている。
一方、名字だけでなく、近年、子どもの名前 が複雑になり、日本人ですら読めなく
なってきていることを牧野(2012)は指摘している。例えば、昨今の女の子であれば、
「陽菜(ひな,はるな,ひなた)」「結愛(ゆな,ゆあ)」など、男の子であれば「大翔
(ひろと,はると)」
「悠真(ゆうま)」などが人気で、括弧内に示したように同じ漢字
でも読み方が複数あるのが一般的である。名前の場合は、漢字の制限はあるが音訓の
制限が無いので、名字よりも更に難解になってしまう傾向がある。
本発表では、
「名字」ではなく、日本人にとってさえ判読が難しい「名前」に焦点を
当て、日本人の名前の歴史と変遷、子どもの名づけに認められるジェンダーの問題に
ついて分析し、日本人の名づけに関する文化的特徴について考察する。
2. 日本人の名前の歴史とジェンダー
佐々木(2010)は、
「清楚だ」など、日本語の中に潜むジェンダー表現について言及
している。確かに、形容詞の中には、
「清楚だ」のほかにも「 淑やかだ、気立てが良い」
など、女性に対してのみ用いられるものが認められる。更に、名詞や動詞にも「じゃ
じゃ馬、お転婆、尻に敷く、良縁に恵まれる 」など、女性に限って使われるものが存
在している。また、
「男は度胸、女は愛嬌」のような成句もあり、女性を植物に譬えた
「職場の花、両手に花」などの言い回しもある。なかでも、 子どもの名前は、ジェン
ダーによる違いを最も顕著に示していると言って良い。例えば、2011 年生まれの子ど
もの名前について見てみると、男の子は「大翔」と「蓮」、女の子は「陽菜」と「結愛」
がトップで、男の子は「樹(4 位)」「翼(10 位)」などの漢字一文字の名前も人気が上
昇している。女の子の名前では、以前は「美」が最も人気のある漢字であったが、近
年は「愛」「結」「希」のつく名前に変わってきている。 因みに、日本では、常用漢字
とは別に、法務省により戸籍に記載できる漢字として、人名用漢字が定められている。
2010 年 11 月 30 日の「改定常用漢字表」の告示により、使用できる漢字は常用漢字が
2,136 字、人名用漢字が 861 字となっている。
桜井(2010)は、約 1 世紀に渡って日本人女性の名前の変遷を分析している。それ
によると、1921 年から 1956 年までの名前の「ベスト 10」には、すべて「子」がつい
ていたが、1986 年には、
「子」はゼロになったとのことである。「美」は、1916 年に女
の子の名前に登場し、今日に至るまで「ベスト 10」に入っている。一方、
「貞」は 1920
年、「静」は 1924 年、「節」は 1953 年に「ベスト 10」から姿を消している。また、名
前として好まれる漢字があり、戦前は「正」「清」「和」が、21 世紀以降は「海」「陽」
「優」が、男女の区別なく頻繁に用いられている。ただ、同じ「優」という漢字でも、
男女で付与される意味は異なっているようで、男の子は「優れた」、女の子は「優しい」
という意味で使用されている。 牧野(2012)によると、子どもの名前は、実際の世相
を反映しているわけではなく、むしろ、親の願いが込められているとのこと である。
そのため、戦前から戦後にかけての食糧難の時代には「茂」「実」「豊」といった漢字
の名前が男の子に多く、女の子に対しては無病息災を願う「千代子」
「久子」などの名
前もブームになっている。
3. 名づけに見られる文化的な特徴
3.1
名づけ事典
このように、日本では名づけに対する関心が高く、毎年、膨大な書籍が出版されて
いる。そして、それらの書物には、親たちの興味を引きそうな特徴的なタイトルが付
いている。代表的なものが「幸福」を含むもので、
『幸せになる赤ちゃんの名づけ事典』
(日本文芸社、2000 年)、
『幸せを招く赤ちゃんの名づけ事典』
(新星出版社、2005 年)、
『幸運をよぶ男の子・女の子の名づけ』
(PHP 研究所、2009 年)などである。また、
「世
界」や「未来」といった言葉も人気で、『世界に通じる子どもの名前』(青春出版社、
1999 年)、『未来をひらく赤ちゃんの名づけ事典』(ナツメ社、2002 年)、『世界にはば
たく男の子(女の子)の名前』
(高橋書店、2005 年)、
『未来にはばたく赤ちゃんの名づ
け事典』
(長岡書店、2011 年)などがある。更に、男女差のある名づけ事典も少なくな
く、『幸せをつかむ!女の子の名前』(主婦の友社、2010 年)や『まっすぐ育つ!男の
子の名前』(主婦の友社、2010 年)がある。その他、表題は「女の子」「男の子」とな
っているだけだが、本の帯に「愛される女の子に」
「健やかな男の子に」と説明があっ
たり、副題に「すなおな子に!やさしい子に!愛される子に!」(女の子用)「強い子
に!やさしい子に!たくましい子に!」
(男の子用)と書かれてあったりするものも存
在している。
日本人の名前は、漢字で表記されるのが一般的である。 子どもの名前に用いる漢字
選びで、親が重視するポイントは「音」「イメージ」「画数(開運)」「漢字」の 4 点で
ある。本発表では、ジェンダーの違いが最も顕著に表れている「イメージ」に関して 、
どのような男女差が認められるかを考察する。対象とした名づけ事典は、男女別に刊
行されているもので、大泉書店の『男の子の名づけ事典』( 2009)『女の子の名づけ事
典』
(2009)と、ナツメ社の『男の子の【幸せ】名づけ事典』
(2011)
『女の子の【幸せ】
名づけ事典』(2011)である。大泉書店の名づけ事典には、男女とも、「イメージから
アプローチする」というページがあり、「こんな性格になってほしい」「こんな人生を
歩んでほしい」
「秀でた才能に恵まれてほしい」というコーナーに分かれている。一方、
ナツメ社には「イメージから選ぶ」というページがあり、男の子には「理想的な人物
像」「理想の性格」、女の子には「理想の人物像」「性格・印象」のコーナーがある。そ
れぞれのコーナーで使用されている日本語表現には、子どもの将来に対する親の期待
が如実に反映されている。
3.2
男の子の名づけ
以下、それぞれの事典に関して、『大泉(男)』『大泉(女)』『ナツメ(男)』『ナツメ
(女)』の略称を用いる。なお、下線は、同じ出版社の女の子版と比べて、男の子に対
してのみ用いられている日本語表現である。
大泉(男):
日本語表現
大らかに、明るく、雄大に、勇ましく、強くたくましく、まっすぐ
性格
素直に、真面目に、優しく温かく、誠実な人に、向上心のある人に、
強い心に、礼儀正しく、思慮深く、努力家に、協調性のある人に、
思いやりのある人に
健康にすくすくと、元気はつらつ、幸せに満ちた人生に、裕福に、
人生
活躍してほしい、夢がかなうように、大きく飛び立て、成功し豊か
に、自分らしく輝け、栄光を手に、安定した人生に、長生きしてほ
しい
多彩な才能を、教養を身につけて、聡明な子に、才知あふれる人に、
才能
人を率いる人間に、仕事で大成を、芸術家に、独創的な人に、スポ
ーツ万能に、カッコよく、平和を愛する人に、国際的に活躍を
ナツメ(男):
日本語表現
人物像
リーダーシップがある、頼りがいがある、幸せな人生を送る、スケ
ールが大きい、自分の道を突き進む、人のために活躍する
性格
優しくまじめ、明るい、元気いっぱい、 努力家、聡明で賢い、謙虚
さ、行動的、友情に厚い
男の子の場合、
「明るい」
「真面目」
「優しい」
「努力家」
「元気」
「幸福」
「自分らしさ」
「聡明」
「リーダーシップ」などは、両社の名づけ事典に共通したイメージである。一
方、「謙虚」「友情に厚い」などは、『ナツメ(男)』に見られたが、『大泉(男)』には
無かったものである。また、同じ「活躍」でも、『大泉(男)』が単に「活躍してほし
い」となっているのに対して、『ナツメ(男)』は「人のために活躍する」となってい
る点が微妙に異なっている。
3.3
女の子の名づけ
表中の下線は、同じ出版社の男の子版と比べて、女の子に対してのみ用いられてい
る日本語表現である。
大泉(女):
日本語表現
大らかに、明るく、優しく、穏やかに、エレガントに、友だちと仲
性格
よく、純粋で素直に、真面目に、誠実に、向上心のある人に、 前向
きに、礼儀正しく、思慮深く、努力家に、協調性のある人に、思い
やりのある人に
健康にすくすくと、元気はつらつ、幸せに満ちた人生に、裕福に、
人生
活躍してほしい、夢がかなうように、大きく飛び立て、成功し豊か
に、希望に満ちた人生に、愛されてほしい、安定した人生に、長生
きしてほしい
聡明な子に、独創性のある子に、教養あふれる人に、芸術家に、ス
才能
ポーツを得意に、美しい女性に、平和を愛する人に、国際的な活躍
を
ナツメ(女)
日本語表現
人物像
友人に恵まれる、幸せな人生をおくる、スケールが大きい、自分の
道を突き進む、リーダーシップがある、誠実に生きる
性格・印象
優しい、かわいい、明るい・元気、素直、気品のある、神秘的・個
性的、美しい、聡明・賢い
女の子の場合、
「明るい」
「優しい」
「素直」
「誠実」
「元気」
「幸福」
「聡明」
「美しい」
などは、両社の名づけ事典に共通したイメージである。表現は異なるが、友人関係も
重要で、「友だちと仲よく」(『大泉(女)』)と「友人に恵まれる」(『ナツメ(女)』)が
それぞれ挙がっている。
3.4
ジェンダーの特徴
出版社に関わらず、また、男女差に関わらず、親が子どもに期待するものは、「明る
い」「優しい」「元気」「幸福」「聡明」の 5 項目である。ここには、性格的なもの(「明
るい」と「優しい」)、肉体的なもの(「元気」)、知的なもの(「聡明」)、そして「幸福」
のような全体的なものがバランス良く含まれている。一方で、男の子に対しては、
「真
面目」「努力家」「自分らしさ」「リーダーシップ」 の 4 項目が、これに加わっている。
女の子の場合は、「素直」「誠実」「美しい」の 3 項目が追加されている。
下線を施した日本語表現は異性には無い項目だが、男の子の場合は、「雄大」「勇ま
しい」「強い」
「たくましい」
「頼りがいがある」など、肉体的にも精神的にも強靭さを
アピールするものが多く、また「自分らしく輝く」
「人を率いる」
「活躍する」
「行動的」
など、積極性をアピールする ものや、「栄光を手に」「仕事で大成」など社会的な成功
を期待する表現も認められる。
「カッコよく」も、女の子には無かった日本語表現であ
る。一方、女の子の場合は、性格だけでなく印象も重要で、「エレガント」「かわいい」
「気品のある」
「神秘的・個性的」などが含まれている。また、自分の力で人生を切り
開こうとする男の子の力強さに対して、
「愛されてほしい」のような受け身表現も認め
られるのが特徴である。
因みに、2011 年生まれの男の名前でトップだった「大翔(ひろと)」は、「音」から
の印象だが、『ナツメ(男)』では、「頼もしく、たくましく、素朴な安心感で、包みこ
む。落ち着きがあり、豊かで、充実した人生をおくる」と説明されている。女の子の
トップだった「陽菜」は、自然のイメージで、『ナツメ(女)』には、「あらゆるいのち
が芽吹く春。ぽかぽかとした気候や新緑のような、明るく温かみのある名前」と記載
されており、ジェンダーによる違いが同じように認められる。
4. おわりに
2011 年 に国 連開 発計 画( UNDP)が 発表 した ジ ェン ダー 不平 等指数 ( Gender
Inequality Index)によると、日本は 146 ヵ国中 14 位であり、日本における男女
間の格差は、ここ数年で大幅に解消されたと見ることもできる。しかしながら、子
どもの名前の選択には、依然として、親や社会の期待がジェンダーの問題として色
濃く残っている。 本発表では、2009 年と 2011 年に刊行された 2 種類の名づけ事典を
資料として用いたが、2000 年度版、1990 年度版、1980 年度版のように、10 年ごとに
名づけ事典の記述を分析し、ジェンダーの視点から日本人の名前の変遷を 再考するこ
とが必要である。
【参考文献】
阿辻哲次・黒川伊保子(2011)『男の子の【幸せ】名づけ事典』ナツメ社
阿辻哲次・黒川伊保子(2011)『女の子の【幸せ】名づけ事典』ナツメ社
大橋一心(2009)『男の子の名づけ事典』大泉書店
大橋一心(2009)『女の子の名づけ事典』大泉書店
桜井隆(2010)「女性名の漢字から見るジェンダー問題」『世界をつなぐことば』 三元
社,125-138
佐々木瑞枝(2010)「日本語の中のジェンダー表現」『2010 世界日本語教育大会
基調
講演等予稿集』 65-72
座談会「日本語教育の現状と展望」(2006)『國學院雑誌』第 107 巻第 1 号,32-70
半田淳子(2012)
「日本人の名前の特徴と指導上の留意点」2012 年日本語教育国際研究
大会、予稿集第 2 分冊、C152
牧野恭仁雄(2012)『子供の名前が危ない』ベスト新書
森岡浩(2010)「日本人の名字ベスト 200」
http://home.r01.itscom.net/morioka/myoji/best200.html (2012 年 5 月 16 日検索)