2005. 1.29 『市民が考える脳死・臓器移植――専門家との対話を通じて――』第 1 回会合資料 報告者:香西豊子 脳死・臓器移植の歴史 脳 死 ・ 臓 器 移 植 をめぐ っては、 今 も さまざまな議 論 がくり 返 されています。 そ れらは どのよう にして問 題 とされるにいたったのでしょう か。 ここでは 、脳 死 ・ 臓 器 移 植 の「歴 史 」 をふりかえ っ てみます。 【臓 器 移 植 の歴 史 】 うまく機 能 しなくなった臓 器 を別 のものと置 き換 え るという 移 植 の発 想 は、 西 洋 の医 学 のな かには、比 較 的 古 くからありました。血 液 をひとつの臓 器 とみなすなら(それは人 体 で最 大 のも のとなりますが)、その移 植 =輸 血 は、既 に 17 世 紀 半 ばから試 みられています。はじめはイヌ からイヌへ、そして次 第 に、動 物 からヒトへの輸 血 が行 われたようです。少 し気 のふれた人 物 に おとなしい羊 や仔 牛 の血 を注 入 するという試 みも行 われたことが、 いくつか の記 録 に残 ってい ます。 しかし、一 般 的 には、臓 器 移 植 は 20 世 紀 に始 まったとされます。血 液 の場 合 と同 じく、まず 動 物 間 での実 験 が繰 り 返 され、そ こで得 られた知 見 と技 術 が、 ヒトへと応 用 されていったので す。そうした知 見 のうち、もっとも重 要 な発 見 は、提 供 者 (ドナー)の臓 器 への受 け手 (レシピエ ント)の「拒 絶 反 応 」だと言 われます。のちにノーベル生 理 学 ・医 学 賞 を受 賞 するフランス人 医 師 ・カレルは、 イヌやネ コを使 った腎 臓 移 植 でこの拒 絶 反 応 を観 察 します。ドナーか らの移 植 片 を排 除 するよう、レシピエントの免 疫 機 構 が反 応 することが、 移 植 の大 きな障 壁 となることが 確 認 されたのです。「免 疫 抑 制 剤 」を開 発 する必 要 性 は、こうして生 まれたのでした。 さて、臓 器 移 植 の臨 床 は、20 世 紀 の初 頭 から、しだいにヒトへの移 植 にも応 用 されはじめま す。1906 年には、フランスのジャブレイが、ヒツジやブタの腎 臓 をヒトに移 植 する「異 種 移 植 」に 着 手 しています。また、1936 年 には、ウクライナのボロノイが、ヒトからヒトへの同 種 腎 臓 移 植 を こころみました。とはいえ、この当 時 の移 植 臓 器 の生 着 率 は低 く、臓 器 移 植 が医 療 行 為 として 確 立 されるためには、やはり免 疫 の問 題 がクリアされなければなりませんでした。1954 年 にアメ リカで、メリル&マレーらが初 めて同 種 間 での腎 臓 移 植 を成 功 させてはいますが、このときのド ナーとレシピエントは、 遺 伝 的 に同 じ形 質 をも つ一 卵 性 双 生 児 で した。 外 科 的 な手 技 ・ 手 法 の洗 練 と並 行 して、 移 植 医 療 が広 くおこなわれるよう になるよう、免 疫 抑 制 剤 の開 発 が急 がれ たのです。 その点 、 移 植 医 療 に大 きな画 期 をもたらしたのは、 イギリスのカーンによる一 連 の研 究 です。 彼 は、1961 年 に免 疫 抑 制 剤 「アザチオプリン」の有 効 性 を確 認 します。そして、その後 の 1978 年 には 、 新 たな免 疫 抑 制 剤 の効 能 に着 目 し、 死 体 腎 臓 移 植 の際 に使 用 して成 功 しました。 臓 器 移 植 の成 績 をその後 飛 躍 的 に向 上 させること となる、「サイクロスポ リン」 の誕 生 です。 こ の薬 剤 自 体 は、1970 年 にスイスのサンド・ ファーマ社 が、ノルウェ ーの土 壌 から採 取 したカビ から分 離 していたのですが、このときから移 植 医 療 の臨 床 へと応 用 されるようになったのです。 移 植 医 療 における生 体 の免 疫 機 構 の重 要 性 が認 められてから、 有 効 な免 疫 抑 制 剤 が開 発 されるまで、この間 およそ 半 世 紀 の歳 月 が費 やされました。とはいえ、臓 器 移 植 はその間 に、 まるで実 施 されなかったわけではありません。腎 臓 だけでなく、その他 の臓 器 も移 植 されました。 1963 年 には、アメリカのスターツルが世 界 初 の肝 臓 移 植 をおこなっています。また、1967 年 に は、南 アフリカのバーナードが、「脳 死 」 状 態 に陥 ったと判 断 されたドナーから心 臓 を摘 出 し、 患 者 の体 へと移 植 しました。世 界 初 の心 臓 移 植 です。この時 のレシピエントは、18 日 後 に死 亡 しましたが、翌 年 おこなわれた第 2 例 のレシピエントは約 9 ヶ月 生 存 します。これを受 けて、 各 国 でも 一 時 的 に 心 臓 移 植 が盛 ん にお こなわ れま した( 日 本 に おける 初 の 心 臓 移 植 も 、 同 1968 年 )。ただし、この時 点 では拒 絶 反 応 の問 題 も 解 決 のめどがたっておらず、ブームもまも なく下 火 になっています。 現 在 では、免 疫 機 構 の解 明 もすすみ、臓 器 移 植 は より一 般 的 におこなわれるようになりまし た。詳 述 は避 けますが、心 臓 移 植 をとっただけでも、年 間 にアメリカでは 2000 件 以 上 が、また ドイツ・フランス・イタリア・フランス各 国 でも 300∼400 件 がおこなわれています。 1954 1961 1963 1967 1968 1978 年 年 年 年 年 年 <米 >メリル&マレー、一 卵 性 双 生 児 観 の腎 臓 移 植 に成 功 <英 >カーン、「アザチオプリン」が実 用 的 な免 疫 抑 制 剤 であることを証 明 <米 >スターツル、世 界 初 の肝 臓 移 植 <南 ア>バーナード、世 界 初 の心 臓 移 植 <米 >「ハーバード基 準 」発 表 <英 >カーン、免 疫 抑 制 剤 「サイクロスポリン」をはじめて死 体 腎 臓 移 植 に使 用 【日 本 における臓 器 移 植 】 ひるがえって、今 度 は、日 本 での臓 器 移 植 の歴 史 を見 ておきましょう。 日 本 においても、20 世 紀 初 頭 より、動 物 をもちいた臓 器 移 植 の実 験 がおこなわれていまし た が、 戦 後 に な る と 、 ヒ ト を 対 象 と し た 移 植 が 行 わ れ る よ う に なり ま す 。 そ の 最 初 の 事 例 が 、 1956 年 に新 潟 大 学 でおこなわれた腎 臓 移 植 です。このとき、移 植 を規 定 する法 律 はありませ んでしたが(「角 膜 及 び腎 臓 の移 植 に関 する法 律 」の施 行 は 1980 年)、かといって執 刀 者 が 法 的 責 任 を追 及 されることはありませんでした。 こうして、日 本 でもまた、移 植 医 療 は腎 臓 以 外 の臓 器 に対 しても徐 々に適 用 されていきまし た。1964 年には、千 葉 大 学 で日 本 初 の肝 臓 移 植 がおこなわれています。しかし、後 の臓 器 移 植 の諸 事 例 の中 でもとりわけ有 名 なのが、1968 年 に北 海 道 大 学 で行 われた心 臓 移 植 です。 これは、執 刀 した教 授 の名 前 をとって「和 田 心 臓 移 植 」とも呼 ばれています。日 本 での心 臓 移 植 第 一 例 ですが、そ れが妥 当 なも のであったかをめぐっては裁 判 まで起 こり、のちのちまで議 論 されることとなりました。「脳 死」を前 提 とした臓 器 移 植 は、日 本 ではその後 30 年 ほど保 留 さ れることとなりますが、それに大 きな影 響 をあたえたのもこの移 植 だと言 われます。 日 本 における臓 器 移 植 の特 徴 と して、 心 臓 および肺 の移 植 実 績 がごくわずか であること、 生 体 か らの肝 臓 移 植 例 が多 いことなどが指 摘 さ れ ていますが、 そ れには こう した歴 史 的 な背 景 があるようです。 1956 1958 1964 1968 1980 1989 1997 年 年 年 年 年 年 年 日 本 初 の腎 臓 移 植 「角 膜 の移 植 に関 する法 律 」施 行 日 本 初 の肝 臓 移 植 日 本 初 の心 臓 移 植 (「和 田 心 臓 移 植 」) 「角 膜 及 び腎 臓 の移 植 に関 する法 律 」施 行 日 本 初 の生 体 肝 移 植 「臓 器 移 植 法 」施 行 【脳 死 と臓 器 移 植 】 さて、ここまでのところ、日 本 および世 界 で臓 器 移 植 が展 開 してゆく大 まかな流 れを、おもに 移 植 医 療 の技 術 (外 科 的 手 法 ・手 技 の洗 練 、免 疫 抑 制 剤 の開 発 )と法 的 制 度 の側 面 から見 てきました。 ですが、もう 一 点 、考 察 を欠 か せない側 面 があり ます。そ れは、 臓 器 の収 集 という 側 面 です。いくら状 況 が技 術 的 にも法 制 度 的 にも整 備 されたとしても、移 植 希 望 者 のもとにそ の人 に適 合 した臓 器 が届 かないことには、移 植 は成 立 しません。一 見 、別 だての議 論 のように みえる「 脳 死 」と「 臓 器 移 植 」 とが突 き合 わされるのも 、ここです。 心 臓 や肺 のような、 臓 器 の有 無 がそのまま生 死 を意 味 するような臓 器 の移 植 が議 題 にあがったとき、「脳 死 」という考 え方 が 浮 上 してきたのです。 「脳 死 」という概 念 が議 論 として最 初 にあらわれるのは、1960 年 代 の後 半 です。南 アフリカ で世 界 最 初 の心 臓 移 植 がおこなわれた次 の年 (1968 年 )、アメリカのハーバード大 学 医 学 部 で、「脳 死 」判 定 の手 順 ・基 準 が定 められました。これはその後 、「ハーバード基 準 」と呼 ばれ、 「脳 死 」を定 義 する際 の世 界 的 なスタンダードとされていきます。それまでの臓 器 移 植 をめぐる 議 論 から、「ドナーは死 者 から(dead donor rule)」という原 則 が引 き出 されており、それに合 わ せて「死」の概 念 のほうに修 正 が加 えられることとなったのです。 しかしながら、ややこしいことに、この原 則 自 体 もその後 変 更 をみることになります。1988 年 にブラジルで生 体 か らの肝 臓 摘 出 ・移 植 が行 われたのを最 初 の例 として、 各 国 でしだいに生 体 移 植 も実 施 されるようになったのです。日 本 について言 え ば、ブラジルの事 例 の翌 年 (1989 年 )、初 の生 体 肝 移 植 がおこなわれています。 これ以 降 現 在 まで、日 本 はほかの国 々よりも高 い割 合 で、 ド ナーを 生 体 と し た肝 臓 移 植 をお こなっ てきてい る ことは 、 前 にも 述 べ たと おり で す。 ドナーをどう定 義 するかは、国 や地 域 によって解 決 の仕 方 が異 なり ます。ですが、その内 実 はともかくとして、臓 器 の収 集 ・分 配 の調 整 にあたるネットワークがしだいに形 成 されてきたこと は、世 界 の大 勢 ということができるでしょう。たとえば、ヨーロッパには「ユーロトランスプラント(E uro Transplant)」や「スカンジアトランスプラント Scandia Transplant)」が、また、アメリカに は「ユーノス(UNOS・United Network for Organ Sharing)」という組 織 が設 立 されて います。日 本 でも、1997 年 に「日 本 臓 器 移 植 ネットワーク」が発 足 しています。 ※参 考 :日 本 での法 制 的 議 論 の経 緯 1983 年 厚 生 省 「脳 死 に関 する研 究 班 」(「竹 内 班 」)発 足 1985 年 厚 生 省 脳 死 判 定 基 準 「竹 内 基 準 」発 表 1988 年 日 本 医 師 会 ・生 命 倫 理 懇 談 会 「脳 死 及 び臓 器 移 植 についての最 終 報 告 」 1990 年 「脳 死 臨 調 」設 置 (→1992 年 最 終 答 申 ) 1994 年 「臓 器 移 植 法 案 」の国 会 上 程 (→次 回 、次 々回 へと継 続 審 議 に) 1996 年 「臓 器 移 植 法 案 」修 正 案(中 山 案 )の国 会 上 程 衆 議 院 :「金 田 案 」 参 議 院 :「猪 熊 案 」 ⇒ 「中 山 案 」の修 正 (「関 根 案 」) 1997 年 「臓 器 移 植 法 」成 立 (6 月 )→施 行 (10 月 ) 社 団 法 人 「日 本 臓 器 移 植 ネットワーク」発 足 (10 月 ) 厚 生 省 「臓 器 移 植 法 の運 用 に関 するガイドライン」(10 月 ) 1999 年 臓 器 移 植 法 施 行 後 、初 の脳 死 ドナーからの臓 器 移 植 実 施 (心 臓 ・肝 臓・腎 臓 ・角 膜) (2005 年 1 月 現 在 同 31 例 が実 施 されている)
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