平安京左京四条三坊四町・ 烏丸綾小路遺跡

平安京左京四条三坊四町・
烏丸綾小路遺跡
平成 19 年(2007)
株式会社日開調査設計コンサルタント
巻頭図版第一
1.調査地全景 北区(北西から)
巻頭図版第二
1.北区 園池Ⅱ期(北東から)
2.3次元レーザー測量点群データ(北・南区合成 北東から)
−例言−
1.本調査は,社屋建設にともない,株式会社日開調査設計コンサルタントが事業者負担金によっ
て実施したものである。
2.本書は,京都市中京区小結棚町 444 他に所在する平安京左京四条三坊四町・烏丸綾小路遺跡の
発掘調査報告書である。調査は,京都府教育庁指導部文化財保護課ならびに京都市文化市民局
文化財保護課の指導のもと株式会社日開調査設計コンサルタント坂本範基を調査主任,同中井勝
治を調査員として現地調査をおこなった。調査期間は,平成 18 年(2006)8月7日から同年 11 月
29 日まで約4ヶ月を要した。なお,現地調査に際し,土地所有者,工事施工者に多大な御協力
をえた。記して感謝申し上げます。
3.現地調査にあたっては,つぎの方々の協力をえた。
小池智美,宮本信幸,鈴木咲欧里,内田淳也
4.現場の写真撮影は主に坂本範基,中井勝治がおこなった。また,主な遺物の写真撮影について
は中井勝治がおこなった。
5.作業は,有限会社サイト・ビジネス・サービス(大阪市西成区南津守 7−19−3)の作業員の方々
にお世話になった。
6.報告書作成にあたっては,つぎの方々の協力をえた。
中井勝治,小池智美,宮本信幸,河合恭典,内田淳也,西田祥乃
7.基準点・水準測量は,株式会社日開調査設計コンサルタント岡本 人がおこなった。
8.本書で扱う方位は,昭和 43 年建設省によって公示された平面直角座標第Ⅵ系にもとづき,座
標北を北として記述をおこなう。記載する座標数値は,
新座標系
(測地成果2000)
には合致しない。
9.現地調査ならびに報告書作成の過程で,つぎの方々から多くのご教示とご助力を賜った。記し
て感謝申し上げます。
(敬称略)
家原圭太,今江秀史,宇野隆志,馬瀬智光,梶川敏夫,神崎勝,岸岡貴英,北田栄造,久保智康,
小網豊,笹倉正典,鈴木久男,関口力,仲隆裕,西いおり,西口裕泰,西山良平,能芝勉,
長谷川行孝,原田直宏,堀内明博,堀大輔,水ノ江和同,宮崎雅充,吉崎伸
10.本書の執筆分担は,以下の通りである。
Ⅰ・Ⅱ章 坂本 Ⅲ章 河合
(第1∼5節)
,小池
(第2節)
,中井
(第3節)
,坂本
(第4・5節)
Ⅳ章 坂本・河合・小池
付章 神崎勝
(NPO 法人 妙見山麓遺跡調査会)
11.平安京土器編年については以下の論文による。
小森俊寛・上村憲章「京都の都市遺跡から出土する土器の編年的研究」
(財団法人京都市埋蔵文化
財研究所
『研究紀要』
第3号掲載,1996 年)
−i−
−目次−
例 言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・i
第Ⅰ章 調査の経緯
第1節 調査に至る経緯 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
第2節 調査経過 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
第3節 位置と環境 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4
第Ⅱ章 遺構
第1節 調査の概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8
第2節 平安時代中期以前 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8
第3節 平安時代後期から鎌倉時代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11
第4節 室町時代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14
第5節 桃山時代以降 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17
第Ⅲ章 遺物
第1節 遺物概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20
第2節 土器類 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20
第3節 瓦塼類 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30
第4節 鋳造関連遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 32
第5節 その他の遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36
第Ⅳ章 まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 41
付 章 平安京左京四条三坊四町出土遺物の蛍光X線元素分析 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 49
付 表
図 版
− 図版目次 −
巻頭図版第一
調査地全景 北区
(北西から)
巻頭図版第二
1.北区 園池Ⅱ期
(北東から)
2.3次元レーザー測量点群データ
(北・南区合成 北東から)
図版第一
平安時代中期以前,平安時代後期から鎌倉時代 遺構平面図(1/ 200)
図版第二
室町時代,桃山時代以降 遺構平面図
(1/ 200)
図版第三
溝1 遺構平面図
(1/ 100)
,断面図
(1/ 50)
図版第四
園池Ⅰ期 遺構平面図
(1/ 100)
図版第五
園池Ⅱ期 遺構平面図
(1/ 100)
− ii −
図版第六
園池,溝1断面図
(1/ 40)
図版第七
平安時代中期以前出土土器
(1/ 4)
井戸1
(1)
,溝1
(2∼4)
,園池
(5∼ 55)
図版第八
平安時代後期出土土器
(1/ 4)
井戸 2
図版第九
平安時代後期から鎌倉時代出土土器
(1/ 4)
土壙1∼5,地下室1
図版第一〇
室町時代出土土器
(1/ 4)
土壙6∼ 10
図版第一一
室町時代出土土器
(1/ 4)
土壙 11 ∼ 15,土壙群,炉1
図版第一二
室町時代出土土器
(1/ 4)
土壙 16 ∼ 19,地下室2,井戸3
図版第一三
近世出土土器
(1/ 4)
井戸4・5,土壙 21
図版第一四
近世出土土器
(1/ 4,403 のみ 1/ 8)
土壙 22 ∼ 27
図版第一五
瓦
(1/ 4)
図版第一六
塼
(1/ 4)
図版第一七
鏡鋳型①
(1/ 4,1∼8は 1/ 2)
図版第一八
鏡鋳型②
(1/ 4)
図版第一九
その他鋳型
(1/ 2)
,鋳造道具
(1/ 4)
図版第二〇
銭貨
(1/ 1)
図版第二一
石製品,木製品
(1/ 4)
図版第二二
1.南区全景 平安時代
(北から)
2.南区全景 平安時代
(北西から)
図版第二三
1.溝1
(北から)
2.溝1
(北東から)
図版第二四
1.溝1,園池南側土層断面
(北東から)
2.溝1,園池北側土層断面
(南から)
3.溝1西側土層断面
(東から)
4.溝1土層断面
(南から)
5.北区 園池Ⅰ期
(北から)
図版第二五
1.園池Ⅰ期東肩
(南西から)
2.園池Ⅰ期東肩
(北東から)
図版第二六
1.北区 園池Ⅱ期
(北から)
2.園池Ⅱ期東肩
(北西から)
図版第二七
1.園池東肩土層断面
(南から)
2.園池Ⅱ期調査状況
(北東から)
3.北区 園池Ⅱ期全景
(東から)
4.園池南肩検出状況
(東から)
5.園池南肩土層断面
(東から)
6.南区 園池,井戸1 全景
(西から)
図版第二八
1.井戸2遺物出土状況 遠景
(東から)
2.井戸2遺物出土状況 近景
(南西から)
3.井戸2遺物出土状況
(西から)
− iii −
4.井戸2完掘
(北東から)
5.土壙2遺物出土状況
(北西から)
図版第二九
1.北区全景 近世から中世
(北から)
2.南区全景 近世から中世
(南から)
図版第三〇
1.北区全景 近世から中世
(東から)
2.南区全景 近世から中世
(北東から)
図版第三一
1.南区全景 近世から中世
(西から)
2.北区 土壙群
(北から)
図版第三二
1.地下室1
(東から)
2.土壙 15 遺物出土状況
(南東から)
3.土壙 19
(東から)
4.南区 南東部炉1,土壙 13
(南から)
5.炉1
(西から)
6.炉1土層断面
(南から)
7.炉2
(東から)
図版第三三
1.井戸3
(南から)
2.井戸5
(西から)
3.土壙 22 南東拡張部
(北から)
4.地下室2
(東から)
5.土壙 25 銭貨出土状況
(北東から)
6.土壙 27 土層断面
(南から)
7.炉3 検出状況
(北東から)
8.炉3 掘り下げ後
(北東から)
図版第三四
1.北区 北壁東側断面
(南から)
2.北区 北壁西端断面
(南から)
3.北区 東壁断面
(西から)
4.南区 南東隅断面
(北西から)
5.南区 北壁断面
(南から)
6.南区 南拡張部西端断面
(北から)
図版第三五
1.調査前全景
(北西から)
2.調査後全景
(北西から)
図版第三六
園池出土土器
図版第三七
平安時代後期出土土器 井戸2①
図版第三八
平安時代後期出土土器 井戸2②
図版第三九
平安時代後期出土土器 土壙2
図版第四〇
平安時代後期から鎌倉時代出土土器 土壙1・4・5,地下室 1
図版第四一
室町時代出土土器 土壙9
図版第四二
室町時代出土土器 土壙 10
− iv −
図版第四三
室町時代出土土器 土壙 15・19
図版第四四
近世出土土器 井戸5
図版第四五
近世出土土器 土壙 22・23・24
図版第四六
瓦
図版第四七
1.鏡背面鋳型
2.鏡鋳型
(土壙 10)
図版第四八
1.鏡鋳型
(その他の遺構)
2.その他鋳型
図版第四九
鋳造道具
図版第五〇
1.鋳造道具
2.金属製品
図版第五一
銅鏡
図版第五二
1.石製品
2.木製品
図版第五三
1.園池Ⅱ期 3D モデルと断面図
(北東から)
2.園池Ⅱ期 3D エレベーションモデル
(西から)
− 挿 図 −
第1図
条坊位置図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
第2図
調査区配置図
(1/ 500)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
第3図
調査風景 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
第4図
周辺現況地形図
(1/ 3, 000)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
第5図
周辺既往調査区配置図
(1/ 3, 000)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5
第6図
土層断面図
(1/ 50)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
第7図
園池地形図
(1/ 200)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10
第8図
土壙2
(1/ 20)
,土壙4・5,地下室1
(1/ 50)
遺構実測図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12
第9図
井戸2 遺構実測図
(1/ 50)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13
第 10 図 炉1 遺構実測図
(1/ 50)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15
第 11 図 地下室2,土壙群 遺構実測図
(1/ 50)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16
第 12 図 井戸3,炉2,土壙 19 遺構実測図
(1/ 50)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17
第 13 図 土壙 27,炉3 遺構実測図
(1/ 50)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18
第 14 図 鏡鋳型
(23・24・33)
狭面にみられる文様 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 33
第 15 図 鏡鋳型法量分布図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 33
第 16 図 金属製品
(1/ 2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36
第 17 図 石臼
(1/ 8)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 38
−v−
第 18 図 井戸枠
(1/ 16)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 39
第 19 図 左京四条三坊四町既往調査区配置図
(1/ 1, 000)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 42
第 20 図 東播系須恵器および焼き締め陶器出土比率 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 45
第 21 図 土師器皿法量分布図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 46
第 22 図 鉄滓分析部分 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 51
第 23 図 銅鏡鏡面分析部分 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 51
第 24 図 鉄滓分析結果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 51
第 25 図 銅鏡分析結果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 51
− 挿 表 −
第1表
周辺既往調査一覧 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
第2表
塼出土地点表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 32
第3表
鏡鋳型出土地点および計測値 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34
第4表
鋳造道具出土地点表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 35
第5表
銭貨一覧表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37
第6表
主要遺構概要表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 41
第7表
四条宮関係記事略年表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 43
− 付 表 −
遺物観察表
遺物概要表
− vi −
第Ⅰ章 調査の経緯
第Ⅰ章 調査の経緯
第1節 調査に至る経緯
この発掘調査は,京都市中京区小結棚町 444 他に所在する土地所有者の社屋建設にともなうもの
である。当地は京都市内でも中心にあたる四条通と烏丸通の交差点から西へ 280 m,新町通と四条
通の交差点北西角に位置する。京都市文化市民局文化財保護課(以下京都市文化財保護課)
の試掘調
査の結果,平安時代後期から室町時代にかけての遺構が良好に残存することが明らかとなり,発掘
調査を実施することとなった。
平成 18 年( 2006)7月に本事業の設計・施工を担当する工事施工者より,当該区の発掘調査の依
一条大路
土御門大路
近衛大路
平
安
宮
中御門大路
大炊御門大路
二条大路
朱
雀
大
路
神
泉
苑
三条大路
朱
雀
院
淳
和
院
調査地
四条大路
五条大路
六条大路
外町
外町
外
町
西市
外
町
西
鴻
臚
館
東
鴻
臚
館
外
町
東市
外
町
七条大路
外町
外町
八条大路
西
寺
西
京
極
大
路
木
辻
大
路
道
祖
大
路
西
大
宮
大
路
東
寺
羅城門
大
宮
大
路
第1図 条坊位置図
−1−
堀
川
小
路
西
洞
院
大
路
町
尻
小
路
東
洞
院
大
路
九条大路
東
京
極
大
路
第Ⅰ章 調査の経緯
頼があり,株式会社日開調査設計コンサルタントは,京都市文化財保護課と協議をおこない,この
案件を引き受けることとした。調査期間中,定期的に京都府教育庁指導部文化財保護課ならびに京
都市文化財保護課の指導,検査を受け,重要な遺構や遺物の発見時には,行政機関を含めた協議を
その都度おこなうこととした。
調査区は,南北 19 m,東西 25 mの逆台形状を呈す 360 ㎡を対象として発掘調査を実施した。
第2節 調査経過
調査の実施に先立ち,開始前の全景写真撮影をおこなった。調査区は,排土置場の都合により一
度に全域にわたって調査することが容易でないことから,南北に2分割し,まず南区から開始する
ことにした。
平成 18 年( 2006)8月7日から盛土,旧耕作土を機械力によって排土する作業から開始した。掘
削終了後の8月9日から,攪乱の掘り下げ,遺構検出,国土座標に基づく4m方眼の割付を調査範
囲内に組んだ。一定度の遺構検出が完了した8月 17 日に,同日に京都市文化財保護課の検査・指
導を受けた。そののち,順次遺構掘り下げ,遺構実測をおこなった結果,近世初頭から室町時代に
調査地
新
町
通
北区
南区
四条通
0
20m
第2図 調査区配置図(1/ 5 0 0)
−2−
第Ⅰ章 調査の経緯
かけての遺構密度が非常に高いことが明らか
となった。また,土取り穴と思われる土壙状の
遺構が南東付近に重複して確認されたほか,調
査区の南東側を中心に鋳型や坩堝など,鋳造に
関連する遺物が多量に出土した。
1回目の全景写真撮影と写真測量および3
次元レーザー測量を9月8日におこない,同日
に京都市文化財保護課の検査を受け,翌日から
は柱穴群の完掘,ならびに個別遺構断面図の実
第3図 調査風景
測をおこなった。そののち,下層遺構の検出を
おこなった結果,町尻小路1) や四条大路に面する部分で平安時代後期から鎌倉時代にかけての土壙
や柱穴,南区北西では北側にゆるやかに落ち込む遺構や井戸を確認した。
2回目の全景写真撮影,3次元レーザー測量は9月 22 日におこない,25 日に京都市文化財保護
課の検査・指導を受け,下層遺構が認められないことから 28 日に南区の埋め戻しをすると同時に,
四条大路関連遺構の有無を確認するため調査区南端で東端と西端に2ヶ所,幅 1. 5 m , 南へ約 0. 5 m
拡張し,図面の補筆,写真撮影をおこなった。翌 29 日からは,北区の盛土,旧耕作土を機械力に
より掘削し,その終了後 10 月2日から,基準点移設,遺構検出を進めた。その結果,南区での調
査結果と同様に第一遺構面には遺構が非常に密に分布する状況を確認し,11 日に京都市文化財保
護課の検査・指導を受けた。
11 月2日には北区の1回目の全景写真撮影,3次元レーザー測量をし,そののちに柱穴・土壙
の完掘や図面の補筆をおこなった。また,下層遺構の検出のため,遺物包含層の掘り下げをおこ
なった。西端で平安時代末頃の井戸を確認したほかは,遺構は希薄であり全体への広がりがみられ
ないことから,部分写真にとどめ,その遺構実測をおこなった。9日よりさらに遺物包含層を掘り
下げた結果,拳大からそれよりやや小さめの礫が調査区東側で密に分布することを確認した。こう
したことから,園池の可能性も考えられたため,14 日に京都市文化財保護課に指導をあおぐと共に,
京都造形芸術大学仲隆裕教授に助言を頂いた。このことをふまえ,礫群の精査ならびに清掃作業の
のち,18 日に2回目の全景写真撮影,3次元レーザー測量をおこなった。また,下層にも池の肩
部とみられる部分が確認された。26 日に,その下層の写真撮影と,図面の補筆をおこなった。
11 月 27 日に京都市文化財保護課の検査・指導を受け,掘り下げなど,残る作業の確認と最終的
な埋め戻し日時の協議をおこなった。29 日までにすべての調査作業が完了したため,埋め戻しを
おこない,12 月1日には機材をすべて撤収した。
−3−
第Ⅰ章 調査の経緯
第3節 位置と環境
調査地は,京都市街地の中心部である四条通と新町通の交差点北西角に位置し,直前までは立体
駐車場として利用されていた。平安京の条坊復原2)によると,当地は左京四条三坊四町の宅地南東
隅にあたり,調査区南端が四条大路北築地心,東端が町尻小路西築地心にそれぞれ想定される位置
に相当する。
周辺の現況地形は,調査地から西方の西洞院通方向へ低くなり,比高差は約 1. 6 mある。これは,
近世まで流れていた西洞院川3)によるものと考えられる。また,調査地の南側の地形(第4図)につ
いても現在の四条通が調査地に比べ 0. 7 mほど低く,その南でまた高くなる窪地状を呈す。これも
三条坊門通から室町通の道路中央を流れ,四条で西に折れ,四条西洞院で西洞院川に合流する室町
川4)の跡と思われる。このように現在の地形だけをみても非常に起伏に富んでいる。
蛸薬
蛸薬師通
薬師
薬
師通 室
町
通
西
油
調査地
四条通
38.0∼39.0m
37.0∼38.0m
36.0∼37.0m
35.0∼36.0m
34.0∼35.0m
33.0∼34.0m
32.0∼33.0m
0
100m
第4図 周辺現況地形図(1/ 3, 0 0 0)
−4−
第Ⅰ章 調査の経緯
これまでの当地周辺における発掘調査は,まとまった事例はなく,商業ビルやマンションなどの
建設にともない小規模な発掘調査や試掘・立ち会い調査などがおこなわれてきた。四条三坊四町で
はこれまでに2回の試掘調査,当地周辺では,11 回の試掘・発掘調査5)がおこなわれている。なお,
当地は弥生時代から古墳時代まで継続する集落遺跡である烏丸綾小路遺跡の北西端に位置し,当
調査地の南東でおこなわれた五条三坊八町における 1995 年調査6)では,弥生時代の自然流路,平
安時代から室町時代にかけての遺構が確認されているほか,1991 年調査7)では,弥生時代の濠や,
平安時代から近世にかけて井戸,
土壙などが確認されている。この弥生時代中期の濠は,
周辺の地形,
規模などから集落の西を限る遺構と推定されている。また,四条三坊五町でおこなわれた 1982 年
調査8)では,弥生時代のものは遺物のみで明確な遺構はなく,平安時代中期の井戸や土壙,柱穴が
確認されている。
このほか文献に記載される四条三坊四町に関連した記事は,九条家本『延喜式』左京図,
『拾芥抄』
四条坊門小路
油
小
路
通
蛸薬師通
西
洞
院
通
4
新
町
通
室
町
通
10
9
錦小路通
錦小路
8
6
3
7
調査地
5
四条大路
四条通
2
13
12
1
西
洞
院
大
路
油
小
路
町
尻
小
路
綾小路
0
100m
第5図 周辺既往調査区配置図(1/ 3, 0 0 0)
−5−
11
室
町
小
路
綾小路通
第Ⅰ章 調査の経緯
(故実叢書本)東京図にいずれも
「四条宮」の記載が認められる。
「四条宮」は,
『拾芥抄』中には
「廉義
公家,公任大納言家」とあり,平安時代中期の歌人藤原公任の邸第とされる。また,この本文中に
は四町の南にあたる五条三坊一町が
「四条宮」とあり文献に齟齬9)が認められるが,周辺ではこうし
た貴族の邸宅が数多くあったとされる。
また,平安時代後期以降は,七条町と共に経済活動がさかんであった四条町の中心に位置し,切
革座,
直垂座など各種の座の存在が知られる 10)。このほかに安居院
『神道集』
によると四条町には鎧,
腹巻,引矢,太刀,刀,綾,錦,馬鞍の座があったとされ,その中で田舎から出てきた一人の老人
が京都の土産を買おうとして,よからぬ商人にだまされて砂金 260 両をもって1面の鏡を高値で売
りつけられるという記述 11)がある。このほか,室町時代の酒屋の名簿である酒屋交名 12)によると
350 軒近い店が京都にはあり,その内のかなりの数がこの四条町周辺 13)にあったことなどが知られ
ている。当地に関連するものでは,
「五郎三郎 四条町北西頬 秀友」が位置的にも当地に関連する
可能性が考えられる。このように,中世から近世においては下京中組の
「古町」に属する商工業の中
心地であり,近年には織物関係の問屋街として,現在にいたっても京都市街地の最も繁華な地域の
一角であり続けている。
こうしたことから,今回の調査でも関連する遺構・遺物の発見が予想された。
註
1)
『拾芥抄』によると本小路の近衛大路・中御門
4)前掲註3および,大塚活美「洛中洛外図にみ
大路間方四町の地に修理式町が記され,その北
る下京の暮らし」
(京都府文化博物館『平安京左
端に町口,南端に町尻とある。町小路と町尻小
京五条二坊十六町』京都文化博物館調査研究報
路の両様の名称は,町小路の初見が『殿歴』嘉承
告第6集所収,1991 年),63 頁。
元年( 1106)六月二九日条,町尻小路の呼称は
5)周辺における既往調査に関する資料は,京都
『兵範記』久承二年( 1155)一月三日条が最後で
市文化財保護課馬瀬智光氏より資料提供なら
びに,御教示いただいた。
あることから十二世紀中頃にその呼称の転換
がおこなわれたと考えられる。ただし,本書で
6)辻村純代,前川佳代,千喜良淳『平安京左京
は,中世以降も町尻小路の名称で統一する。
五条三坊八町』平安京跡研究調査報告 第 19 輯,
林屋辰三郎・村井康彦・森谷尅久監修『日本歴
財団法人古代学協会,1997 年。既往調査一覧
番号 12
史地名大系 27 京都市の地名』,平凡社,2001 年,
7)百瀬正恒,辻裕司,南孝雄「平安京左京五条
526 頁。
三坊」(財団法人京都市埋蔵文化財研究所『平
2)平 安 京 条 坊 復 原 は 財 団 法 人 京 都 市 埋 蔵 文
化財研究所の成果 (Model 60) に基づく造営尺
成 2 年 度 京 都 市 埋 蔵 文 化 財 調 査 概 要 』所 収,
29. 84708m,造営方位−0 °14 ′03 ″による。
1994 年)。既往調査一覧番号 13
3)京都市編『史料京都の歴史 下京区 12』平凡
8)吉川義彦,平田泰「左京四条三坊」(財団法人
社,1981 年,8∼ 10 頁。
京都市埋蔵文化財研究所『昭和 57 年度 京都市
−6−
第Ⅰ章 調査の経緯
埋蔵文化財調査概要』所収,1984 年)。既往調
12)北野天満宮史料刊行会編『北野天満宮史料 査一覧番号8
古文書』,1978 年,34 ∼ 46 頁。
9)西山良平氏の御教示による。
13)高橋康夫・吉田伸之編『日本都市史入門Ⅰ空
10)京都市編『史料京都の歴史 師街・生業4』平
間』,東京大学出版会,1990 年,202 頁。
凡社,1981 年,138 頁,赤松俊秀「町座の成立
について」(赤松俊秀『古代中世社会経済的研
*第4図周辺現況地形図の作成にあたって,国土
究』所収、1972 年)。
地理院平成 18 年 3 月刊行の『数値地図 5m メッ
11)前掲註 10,赤松論文 394 頁および安居院『神
シュ(標高)京都及び大阪』の標高データを元に
道集』8巻。
した。
第1表 周辺既往調査一覧
No.
区分
1
試掘
条坊
五条二坊
十六町
住所/期間
掲載誌
備考
下京区西洞院通四条下る 京都市文化観光局『平成5年度 室町時代の井戸,土壙を検出。土師器,近世陶磁
妙伝寺町 701- 1,3,4
京都市内遺跡試掘調査概報』
, 器などが出土。
1993/ 5/ 24,6/ 7
1994 年,46 頁
2
本調査 五条二坊
十六町
下京区四条通油小路東入 京都府文化博物館『平安京左京
る傘鉾町 59,61
五条二坊十六町』京都文化博物
館調査研究報告 第6集,1991
1989/ 6/ 1 ∼ 7/ 31
年
弥生時代から江戸時代の遺構,遺物を確認する。
平安時代の雨落溝を検出。火を受けた瓦,土壁の
ほか,弥生土器,輸入陶磁器などが出土。文献に
よると藤原資長邸があったとされる。
3
本調査 四条二坊
十三町
中京区西洞院通錦小路下 古代文化調査会『平安京左京四
る蟷螂山町 464- 1
条二坊十三町発掘調査終了報告
書』,2000 年
2000/ 2/ 3 ∼ 5/ 29
平安時代の土壙,柱穴を検出。鎌倉∼室町時代の
遺構の残存状況が良好で,鋳造遺構,園池,掘立
柱跡,土壙,井戸,溝などの室町時代の遺構を多
数検出。
4
試掘
四条二坊
十四町
中京区蛸薬師通油小路東 京都市文化市民局『平成 13 年度 平安時代から室町時代の遺構・遺物が良好に残存。
入元本能寺南町(旧本能寺 京 都 市 内 遺 跡 試 掘 調 査 概 報 』
, 2002 ∼ 2003 年に発掘調査を実施。
小学校)
2002 年
2001/ 4/ 11 ∼ 12
5
試掘
四条三坊
四町
中京区西洞院通錦小路下 京都市文化市民局『平成 12 年度 地表下 0. 86 mで地山。近世以後の井戸,中世の南
る蟷螂山町 479 ほか 11 筆 京 都 市 内 遺 跡 試 掘 調 査 概 報 』
, 北溝,鎌倉期の土壙,平安期の土壙,柱穴を検出。
2000/ 12/ 20,21
2001 年,35 頁
6
試掘
四条三坊
四町
中京区西洞院四条上る蟷 京都市文化観光局『平成2年度 地表下 1. 3m にて鎌倉∼室町の土壙
螂山町 466 ほか
京都市内遺跡試掘立会調査概
1990/ 7/ 23
報』,1991 年,76 頁
7
試掘
四条三坊
五町
中京区室町通錦小路下る 京都市文化財保護課 試掘調査 中世の土壙,溝を検出。弥生土器,土師器,瓦質羽釜,
菊水鉾町 570 ほか
白磁などが出土。
2007/ 4/ 5
8
本調査 四条三坊
五町
9
試掘
四条三坊
六町
10
試掘
四条三坊
六町
11
試掘
五条三坊
八町
下京区錦小路通室町西入 財団法人京都市埋蔵文化財研究 平安時代前期から桃山時代。溝,井戸,土壙,柱
天神山町 287
所『昭和 57 年度 京都市埋蔵文化 穴などを検出。越州窯系の毛彫青磁椀などが出土。
1982/ 10/ 16 ∼ 11/ 3
財調査概要』
,1984 年,20 ∼
22 頁
中京区室町通錦小路上る 京都市文化財保護課 試掘調査 薬師堂が想定される地域。近世埋没の東西溝,井戸,
山伏山町 551- 2
柱穴,土壙を検出。陶磁器,土師器,緑釉陶器な
2006/ 4/ 10
どが出土。
中京区新町通錦小路上る 京都市文化観光局『平成5年度 地表下 0. 9m ∼ 2. 65m で,室町時代を主体とする整
京都市内遺跡試掘調査概報』
, 地層。
1994 年,46 頁
百足屋町 380,382
1993/ 4/ 28
下京区綾小路通室町西入 京都市文化観光局『昭和 61 年度 地表下 0. 4m 以下包含層5,平安∼鎌倉2,室町2,
善長寺町 140,145
京 都 市 内 遺 跡 試 掘 立 会 調 査 概 江戸後1
1986/ 8/ 8
報』,1987 年,60 頁
12
本調査 五条三坊
八町
下京区室町四条下る鶏鉾 財団法人古代学協会『平安京左
町 491
京五条三坊八町』平安京跡研究
調査報告 第 19 輯,1997 年
1995/ 1/ 5 ∼ 3/ 6
13
本調査 五条三坊
八町
下京区室町四条下る鶏鉾 財団法人京都市埋蔵文化財研究 弥生時代中期から近世の遺構・遺物を確認。壕,
町 483,485,486
所『平成2年度 京都市埋蔵文化 祭祀土壙,宅地割りの溝など検出。緑釉陶器鉢,
財調査概要』
,1994 年,22 ∼ 元文小判など出土。室町時代後半期の各遺構から
19911/ 7 ∼ 6/ 7
25 頁
大量の雲母,また刷毛や篦も出土している。
−7−
弥生時代から近世の遺構・遺物を確認。弥生時代
の自然流路,平安時代の宅地内区画溝などを検出。
石器,弥生土器,土師器,東播系須恵器,国産陶
器などが出土。
第Ⅱ章 遺構
第Ⅱ章 遺構
第1節 調査の概要
確認された遺構は,平安時代中期,平安時代後期から鎌倉時代,室町時代,桃山から江戸時代の
4時期に大別され,その総数は 921 基におよぶ。調査地現況の標高は約 36m で,一帯は東が高く,
西方向に低くなる地形を呈す。基本層序は,地表下 0. 5 ∼1m が近現代の盛土で,北側に比べ南側
がやや厚く堆積し,その下で全体的な広がりは認められないが,0. 2 ∼ 0. 5 mの近世の整地土が調
査区東半を中心に数時期認められる。そのほかの地点では,盛土直下で江戸時代から室町時代の遺
構を確認し,この面から調査を開始した。遺構は,町尻小路と四条大路に面した調査区東半で重複
して認められるが,西半ではその密度は希薄である。また,調査区東半には黄褐色からオリーブ色
の平安時代中期頃の厚さ 0. 1 ∼ 0. 25 mの整地土が部分的に残存していた。
検出遺構は多数に及ぶことから,今回の遺跡を理解する上で重要と判断した遺構や各時代におい
て一括遺物が出土した遺構を中心に報告する。
第2節 平安時代中期以前
調査区の北半を中心に,溝,井戸,園池,柱穴を確認した。南半は,後世の遺構に削平され明確
な遺構は確認されなかった。園池は,その南東隅と思われる部分を確認し,肩部には2時期の変遷
が認められた。また,当地は弥生時代から古墳時代にかけての集落遺跡とされる烏丸綾小路遺跡の
範囲に位置するが,明確な遺構は調査区内からは確認されなかった。
溝1 (図版第1・3・6・23・24)
調査区中央付近に位置する。規模は幅 1. 5 m,深さ 0. 5 mの断面U字形を呈す溝で,延長約 15 m
にわたって確認した。想定される町尻小路西築地心から西に約 6. 5 mを南北方向にはしり,北七・
八門の境界のやや南で西へ 90 度方向を変え,そこから西に 10 mまでの規模である。溝底の高さは,
西端は南北に比べ 0. 2 mほど低い。東西方向の西端では埋土は粘土質のものがブロック状に認めら
れ,南北方向でもシルトから粘土質で,明確に水の流れたような痕跡は認められなかった。
この溝の位置は,後述する園池の南東肩下層に位置することから,その施工に関連する施設の可
能性も考えられる。
井戸1 (図版第1・3・27)
南区西端に位置し,園池下層で確認された。掘形は径 1. 5 mの楕円形を呈し,深さ 0. 7 m以上を
はかる。東半の一部を確認したが,西半は調査区外であるため全容は不明である。井戸枠,水溜施
設は確認できなかったが,その形状から井戸の可能性が高いと考えられる。遺物は,土器小片が数
−8−
第Ⅱ章 遺構
東壁
西壁
X=-110,820
盛土
35.0m 9
盛土
1
4
2
5
3
4
3
6
7
X=-110,816
X=-110,820
10
13
8
12
16
8
9
10
11
12
13
14
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
黒褐色泥砂
暗褐色砂泥
暗褐色泥砂
褐色泥砂,炭化粒,焼土粒,
径 2 ∼ 3 ㎝までの礫を少量含む
10YR3/4 暗褐色泥砂
10YR3/4 暗褐色泥砂,焼土粒,炭化粒,
径 5 ∼ 10 ㎝までの礫を少量含む
10YR3/4 暗褐色泥砂に 10YR2/3 黒褐色泥砂
を斑状に含む
10YR3/4 暗褐色泥砂,焼土,炭化粒,
径 4 ∼ 15 ㎝の礫を少量含む(土壙 20)
10YR4/4 褐色泥砂
10YR3/3 暗褐色泥砂
7.5YR3/4 暗褐色泥砂,径 2 ∼ 15 ㎝の
礫を少量含む
10YR3/2 黒褐色泥砂に 2.5Y4/3 オリーブ褐色砂
を部分的に少量含む(土壙 7)
10YR3/3 暗褐色砂泥,径 2 ∼ 7 ㎝の礫を少量含む
10YR4/3 にぶい黄褐色砂泥
14
13
13
15
35.0m
Y=-21,976
盛土
1
2
4
3
5
7
6
8
4
4
試掘坑
6
5
6
1
9
8
15
16
2
3
5
7
14
8
9
11
12
10
11
10
12
池底
13
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
池底
北壁
Y=-21,972
盛土
12
12
2.5Y3/2 黒褐色砂泥
2.5Y3/3 暗オリーブ褐色砂泥
2.5Y3/2 黒褐色泥砂
5Y4/2
灰オリーブ色砂泥
2.5Y4/2 暗灰黄色砂泥
2.5Y4/2 暗灰黄色砂泥
2.5Y3/2 黒褐色泥砂
北壁5層
2.5Y3/2 黒褐色砂泥
2.5Y3/2 黒褐色砂泥と2.5Y5/2暗灰黄色砂泥を斑状に含む
北壁8層
北壁9層
北壁11層(園池整地土)
2.5Y3/2 黒褐色砂泥(園池整地土)
北壁12層
2.5Y3/3 暗オリーブ褐色砂泥,
炭化粒,
径3㎝までの礫を少量含む
南壁
Y=-21,960
11
8
10
15
10YR2/3
10YR3/4
10YR3/3
10YR4/4
7
11
5
9
14
5
6
4
7
11
1
2
3
4
1
2
6
10YR4/3
10YR3/2
10YR3/3
10YR4/2
10YR4/2
にぶい黄褐色泥砂
黒褐色砂泥
暗褐色泥砂
灰黄褐色砂泥
灰黄褐色砂泥,炭化粒,
土器片を少量含む
10YR3/2 黒褐色砂泥,径 3 ㎝までの礫を少量含む
10YR4/2 灰黄褐色砂泥,径 8 ㎝までの礫を少量含む
2.5Y3/3 暗オリーブ褐色砂泥
7.5YR3/3 暗褐色泥砂
10YR3/2 黒褐色砂泥
10YR3/2 黒褐色砂泥,粗砂から細砂と径 6 ㎝までの
礫を多量含む
10YR3/2 黒褐色泥砂に 10YR4/3 にぶい黄褐色砂泥
を斑状に含む
10YR3/2 黒褐色泥砂,炭化粒,土器片を少量,
径 20 ㎝までの礫を多量含む(土壙 19)
10YR5/4 にぶい黄褐色砂泥,径 10 ㎝大の
礫を少量含む
2.5Y3/2 黒褐色砂泥
2.5Y4/3 オリーブ褐色砂泥
1
2
3
4
5
10YR4/2
7.5Y4/6
10YR4/1
2.5Y3/2
2.5Y4/2
6
7
8
2.5Y4/2
10YR4/2
2.5Y3/2
9
10YR4/2
10 10YR4/2
11 10YR4/2
12 10YR4/3
灰黄褐色砂泥
褐色泥砂,下層に礫を多量含む
褐灰色砂泥
黒褐色砂泥
暗灰黄色砂泥に 5Y5/4 オリーブ色泥砂を
斑状に含む(室町時代遺物包含層)
暗灰黄色砂泥,径 3 ㎝までの礫を少量含む
灰黄褐色砂泥,炭化粒少量含む
黒褐色砂泥,炭化物を多量,径 2 ㎝までの
礫を少量含む
灰黄褐色砂泥,炭化粒,土師器,
径 8 ㎝までの礫を少量含む
灰黄褐色砂泥,酸化物を多量,炭化粒を
少量含む(室町時代遺物包含層)
灰黄褐色シルト質砂泥,炭化粒,径 3 ㎝
までの礫を少量含む(園池整地土)
にぶい黄褐色シルト質砂泥
近世遺物包含層(整地土・遺構)
0
第6図 土層断面図(1/ 5 0)
−9−
2m
第Ⅱ章 遺構
点出土したのみで,正確な時期は不明である。
園池 (第7図,図版第1・4∼6・24 ∼ 27・53)
調査区北半を中心に東西 19 m,南北 8. 5 mにわたって,園池の南東隅を確認した。園池は2時期
の変遷が認められる。ここでは,当初のものをⅠ期,その後のものをⅡ期とする。Ⅰ期のものは想
定される町尻小路西築地心から西へ6m,四条大路北築地心から北へ約9mに位置し,宅地南東隅
に想定される。Ⅱ期のものは,
東と南肩部でⅠ期の肩部を盛土により1∼ 1.3mほど内側につくられ,
その傾斜もやや急になる。池底は,いずれの時期も約 34. 4 mと平坦に掘り下げられているものと
考えられる。
Ⅰ期は,肩部で約 0. 2 m盛土をし,拳大からそれより小さめの河原石を敷き,ゆるやかな汀を形
成している。粘土などによる河原石を固定するような痕跡は認められなかった。池底はほぼ平坦に
掘り下げられており,西側がわずかに数㎝低くなる程度である。前述した,溝1は,南東隅の汀と
960
968
園池Ⅰ期
Y=-21
976
ほぼ同位置にある。池の深さは 0. 35 ∼ 0. 4 mである。
X=-110
816
築
地
心
北
七
門
町
尻
小
路
北
八
門
960
968
園池Ⅱ期
Y=-21
976
824
X=-110
816
築
地
心
北
七
門
町
尻
小
路
北
八
門
0
10m
34.75m∼
34.55m∼34.60m
34.35m∼34.40m
34.70m∼34.75m
34.50m∼34.55m
34.30m∼34.35m
34.65m∼34.70m
34.45m∼34.50m
∼34.30m
34.60m∼34.65m
34.40m∼34.45m
第7図 園池地形図(1/ 2 0 0)
− 10 −
第Ⅱ章 遺構
Ⅱ期のものは,盛土によってⅠ期肩部の内側に汀をつくりだし,拳大からそれより小さめの河原
石を敷き詰めている。池の深さは約 0. 5 mとⅠ期のものに比べやや深くなる。東側の汀付近の池底
には,土師器皿が大量に廃棄されていた。そのほとんどが完形に近く土圧によって割れたような状
態で破片の分散は少なく,各個体がまとまっている。このような出土状況から完形のまま投棄され
た可能性が高いと考えられる。池の埋土は残存しているものはごく一部で3∼ 15 ㎝のシルト質の
堆積が認められるのみで,整地により段階的に埋め戻されたものと考えられる。
柱穴状遺構 (図版第1・4)
池底で,東西に並ぶ3基の柱穴状の遺構を確認した。明確な柱当たりは不明である。柱穴1・2
の掘形は直径 0. 4 m,深さは 0. 2 m,中央の柱穴3の掘形は直径 0. 15 m,深さ 0. 1 mのいずれも円形
を呈す。埋土からは,明確に時期を示す遺物は出土していない。また,これら以外に関連する柱穴
は確認できていないが,園池に関連する施設の可能性も考えられる。
第3節 平安時代後期から鎌倉時代
土壙,地下室,井戸,柱穴を確認した。遺構は,主に調査区西半に分布し,南半および東側は,
後世の攪乱により削平されている。柱穴は遺物出土量が少ないため,埋土や遺構の切り合いなどか
ら当該期のものと判断した。建物として確定しうるものは認められないが,南区南東部で,南北方
向の柱穴列を確認した。
土壙1 (図版第1)
北端中央に位置する園池の整地に関連した遺構の可能性も考えられる。規模は,東西約 3. 5m,
南北2mの方形を呈し,深さ 0. 3 ∼ 0. 4 mを測る。埋土は,炭化物や焼土が多く認められる。
土壙2 (第8図,図版第1・28)
北七・八門の北側,町尻小路西築地心から西へ5mに位置する。掘形は,周囲のほとんどを削平
され,残存する部分で掘形は東西 0. 9 m,南北 0. 55 mの長方形を呈し,深さは 0. 25 mを測る。土師
器皿が多量に一括廃棄される。
土壙3 (図版第1)
町尻小路西築地心からは 17. 5 m,調査区の南・北区にまたがる位置にある。掘形は東西 1. 8 m,
南北 1. 5m の楕円形を呈し,深さ 0. 2 ∼ 0. 5 mを測る。北半は上面が削平されている。
土壙4 (第8図,図版第1)
南区の地下室1の北側に位置する。掘形は東西 0. 75 m,南北 0. 65 mの楕円形を呈し,深さ 0. 2 m
を測る。
土壙5 (第8図,図版第1)
井戸2から東へ1m,北七・八門の境界のやや南に位置する。掘形は東西 0. 8 m,南北 0. 85 mの
楕円形を呈し,深さ 0. 15 mを測る。
− 11 −
第Ⅱ章 遺構
地下室1 (第8図,図版第1・32)
南区中央付近に位置する。掘形は東西 3. 5 m,南北2mの方形を呈し,深さは 0. 7 m以上である。
上層と東半は後世の削平を受けている。掘形壁はほぼ垂直に立ち上がり,底部は西端が溝状にわず
かに窪むほかは平坦で,浅い柱穴状のものを7基確認した。柱穴掘形は,径約 0. 15 ∼ 0. 25 mの円
形を呈し,深さ5㎝を測る。明確な柱当たりは確認していない。
Y-21
962
土壙2
1
Y-2 .5
964
X-110
817.5
a'
a
土壙4
a
a'
10
X-1 24
8
aL
aL
a'
1
a'
1
1 10YR3/2 黒褐色砂泥,炭粒,径5㎝までの礫を少量,
暗オリーブ色泥土をブロック状にを少量含む
1 2.5Y3/2 黒褐色砂泥,炭化粒,径8㎝までの礫を少量含む
0
1m
L=35.0m
X-110
820
地下室1
Y-21
966
土壙5
Y-21
975
a'
a
a
a'
X-110
826
aL
aL
a'
1
2
3
1 10YR4/2 灰黄褐色砂泥,炭を少量,
径4㎝までの礫を含む
2 2.5Y4/2 暗灰黄色砂泥,炭を少量,
土師器片を含む
0
L=35.2m
a'
5
4
5
2
6
1
7
2m
1
2
3
4
5
6
7
2.5Y3/3 暗オリーブ褐色砂泥,炭粒を微量含む
10YR3/1 黒褐色砂泥,径10㎝までの礫を少量,土器片を少量含む
5Y4/2 灰オリーブ色砂泥,炭粒,上部に黒褐色土が斑状に混じる
10YR3/1 黒褐色泥砂,土器片,径10㎝までの礫を少量含む
10YR3/3 暗褐色砂泥,焼土粒を微量に含む
10YR2/1 黒色砂泥,炭粒を少量含む
5Y3/2 オリーブ黒色砂泥,炭化粒,焼土粒を微量含む
第8図 土壙2(1/ 2 0),土壙4・5,地下室1(1/ 5 0) 遺構実測図
− 12 −
第Ⅱ章 遺構
井戸2 (第9図,図版第1・28)
調査区西端,町尻小路西築地心から西へ 22 m,北七・八門の境界上に位置する。掘形は,径約
3mの円形を呈し,深さは 3. 5 mを測る。井戸枠は掘形の東よりに設置され,一辺約1mの方形縦
板横桟組で,最下部で径 0. 5 m,高さ 0. 3 mの曲物による水溜を確認した。
縦板は,
高さ1.3 ∼ 1.8m,
横幅0.2 ∼ 0.4m,
厚さ4㎝前後である。横桟は全部で4段確認されたが,
一番上のものは遺存状態が非常に悪い。下から三段目の横桟は,上下二段になっており,一部の縦
板はその位置で継ぎ足されている。その横桟から下層で大量の木製品が出土した。透水層と思われ
る層は,曲物付近で砂礫層を確認したが,それまでの層はシルトや泥砂質が主体である。底部の標
Y-21
979
高は 31. 22 mである。
X-110
819
a'
a
aL
a'
3
4
5
7
10
11
9
6
1
8
12
13
2
15
15
14
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
10YR3/2 黒褐色砂泥,細砂を少量含む
2.5Y4/1 黄灰色砂泥,径5㎝までの礫を少量含む
2.5Y3/1 黒褐色砂泥,径8㎝までの礫を少量含む
2.5Y3/2 黒褐色砂泥,炭化物を少量含む
2.5Y3/1 黒褐色泥砂,下部に炭が多く堆積する
2.5Y4/2 暗灰色砂泥
10YR3/2 黒褐色砂泥
2.5Y3/2 黒褐色砂泥,シルトを含む
2.5Y4/2 暗灰黄色砂泥
2.5Y3/2 黒褐色砂泥,炭化粒少量含む
2.5Y3/1 黒褐色砂泥
2.5Y3/1 黒褐色泥砂∼シルト
2.5Y3/2 黒褐色砂泥
2.5Y5/2 暗灰黄色砂泥と
2.5Y4/1 黄灰色泥砂をブロック状に含む
15 2.5Y3/2 黒褐色泥砂と
2.5Y5/4 黄褐色砂泥をブロック状に含む
0
L=34.9m
第9図 井戸2 遺構実測図(1/ 5 0)
− 13 −
2m
第Ⅱ章 遺構
第4節 室町時代
土壙,地下室,炉,溝,井戸,柱穴を確認した。遺構の分布は,宅地内部は路側に比べ密度が低
く,路に面した部分に大規模な土取り穴が重複して認められる。路側の遺構は,柱穴や土壙などが
土取り穴の間で部分的に確認されるが,建物と確定しうるものはない。
土壙6 (図版第2)
南区南東隅の四条大路北築地心,町尻小路西築地心からそれぞれ,1. 8 m宅地内に位置する。掘
形は東西 0. 8 mの楕円形を呈し,深さ 0. 4 mを測る。
土壙7 (図版第2)
北区東端の北七・八門のほぼ境界線上に位置する。周囲を大規模な土取り穴に削平されており,
この遺構もその一部の可能性もある。掘形は残存する部分で,南北 1. 5 m,東西 0. 7 mの円形を呈し,
深さ 0. 6 mを測る。
土壙9 (図版第2)
町尻小路西築地心から西へ5m,調査区北端に位置する。掘形北半は調査区外へ続く。掘形は円
形を呈すことから当初は井戸と考えていたが,湧水層と考えられる層に到達していないこと,井戸
枠や水溜が確認できないことから土壙と判断した。
土壙 10 (図版第2)
町尻小路西築地心から西へ9m,
四条大路北築地心から北へ6.5mに位置する。掘形は,
南北2.6m,
東西 2. 2 mの楕円形を呈し,深さ約 0. 5 mを測る。東側は攪乱を受ける。地下室1の上層に位置す
ることから,地下室廃絶時の廃棄土壙と考えていたが,遺物の年代が大きく異なることから別遺構
として取り扱う。鏡の鋳型など,鋳造関連遺物が多量に出土した。
土壙 14 (図版第2)
北区南半の町尻小路西築地心から西へ 10 mに位置する。掘形は,直径 0. 4 mの円形を呈し,深さ
0. 15 mを測る。瓦質の鉢と擂り鉢が2点出土したほかは,土器細片のみである。
土壙 15 (図版第2・32)
土壙 14 の北西 0. 7 mに位置する。掘形は,直径約 0. 8 mの円形を呈し,深さ 0. 4 mを測る。出土
遺物は土壙 14 と同様に,瓦質の鉢と焙烙が2点出土するなど出土遺物の内容も類似する。
土壙 16 (図版第2)
北区東端,北七・八門境界線の南に位置する。掘形は不正形で全容は不明であるが,東西3m以上,
南北約2m,深さ約1mを測る。掘形の壁がやや抉られていること,均質な粘質シルト層の部分を
掘り抜いていることから,
土取り穴と考えられる。土壙20 と一連の土取り穴の可能性も考えられる。
土壙 19 (第 12 図,図版第2・32)
南区南端の四条大路北築地心から北へ 0. 3 mに位置する。掘形は,東西 2. 3 m,南北約1mの長
方形を呈し,深さ1mを測る。壁はほぼ垂直で,底部もほぼ平坦である。掘形からは地下室,土取
− 14 −
第Ⅱ章 遺構
り穴などの可能性も考えられるが,位置的にも大路に面した部分であることなどから,その性格に
ついては判断しがたい。
土壙群 (第 11 図,図版第2・31)
調査区北端,町尻小路西築地心から西へ8mに位置する。当初は,個別の土壙と考えていたが東
西に5基,南北2列にほぼ等間隔で並ぶことから一連の土壙群として扱う。東と南は,削平されて
おり全容は不明である。個々の土壙の掘形は径 0. 5 ∼ 0. 8 mの円形を呈し,深さは深いもので 0. 3 m
を測る。甕据え付け穴の可能性1)がある。
地下室2 (第 11 図,図版第2・33)
北七・八門境界線上,町尻小路西築地心から西へ5mに位置する。掘形は,東西 4. 1 m,南北
2. 7 mの方形を呈し,深さ 0. 6 mである。壁はほぼ垂直で,底部には,壁際に 0. 2 ∼ 0. 4 m大の礎石
が南北に5つ,東西に7つ以上並べられる。東端は削平されているものの,礎石が一部残存し掘形
の一部が残存していたことから規模を確定した。その規模や形状などから地下室と考えられる。
炉1 (第 10 図,図版第2・32)
南区南東隅,町尻小路西築地心から西へ 0. 8 m,前述した土壙6の北側に位置する。掘形は南北
1. 3 m,東西 1. 2 mの楕円形を呈し,深さ 0. 4 mを測る。埋土上層には,焼土塊が多く認められ,そ
の下方にはブロック状の埋土と炭などが多く堆積していた。また,
掘形西端に0.4m大の石が置かれ,
それには被熱した痕跡が認められたほか,南端掘形底部には浅く小さい窪みが確認された。焼土塊
の状況,掘形壁が高温被熱のため硬化している点などから,炉と考えられる。
炉2 (第 12 図,図版第2・32)
四条大路北築地心から北へ 4. 5 m,町尻小路西築地心からは西へ約7mに位置する。掘形は,南
北 0. 8 m,東西 0. 6 mの楕円形を呈し,深さ約 0. 2 mである。
Y-21
957
掘形の全体ではないが,南西壁が高温被熱のため硬化し,
埋土に炭などを含むことから炉跡と考えられる。
溝2
(図版第2)
a'
a
北区の北西隅,北七・八門の境界から北へ約2mに位置
X-110
831
する。規模は,
幅約0.3m,
深さ0.1mの浅い東西方向の溝で,
石臼(1)
延長約6mにわたって確認した。宅地を画する溝の可能性
もあるが,東半は不明確である。遺構の切り合いから当該
aL
a'
期のものと判断した。
1
2
井戸3 (第 12 図,図版第2・33)
5
3
4
6
1 5YR4/1 赤褐色泥砂,焼土塊を多く含む
2 N1.5/0 黒色砂泥,炭を多く含む
3 2.5Y3/2 黒褐色砂泥からシルト,炭化粒,
焼土粒を少量含む
4 7.5Y4/6 褐色泥砂(焼土)
5 2.5Y3/2 黒褐色砂泥と2.5Y4/4 オリーブ
褐色泥砂を互層状に含む
6 10YR3/3 暗褐色砂泥
南区の南東隅,町尻小路西築地心から西へ1mに位置す
る。掘形は直径 2. 2 mの円形を呈し,
深さ 1. 3 m以上を測る。
規模や形状から井戸と考えれられる。井戸枠,水溜などは
0
確認していない。
2m
L=34.8m
第 1 0 図 炉1 遺構実測図(1/ 5 0)
− 15 −
第Ⅱ章 遺構
c'
Y-21
963
961
cL
地下室2
b
bL
L=34.5m
c
c'
X-110
820
a
a'
b'
b'
aL
0
a'
2m
Y-21
965
土壙群
L=35.0m
a'
a
b
b'
aL
a'
bL
b'
第 1 1 図 地下室2,土壙群 遺構実測図(1/ 5 0)
− 16 −
X-110
817
第Ⅱ章 遺構
井戸3
Y-21
962
Y-21
958
炉2
a'
a
X-110
829
焼土
a
a'
X-110
829
aL
a'
2
1
1 2.5Y3/3 暗オリーブ褐色泥砂
2 5Y4/2 灰オリーブ色泥砂,焼土塊と炭を多量に含む
aL
Y-21
961
土壙 19
a'
a' X-110
832.5
a
2
1
3
4
5
6
aL
a'
1
2
3
4
2.5Y4/4 オリーブ褐色泥砂,焼土粒,径3㎝までの礫を少量含む
10YR3/2 黒褐色泥砂,径2㎝までの礫を少量含む
2.5Y3/1 黒褐色泥砂,炭化粒,焼土粒,径10㎝までの礫を少量含む
10YR3/2 黒褐色砂泥,焼土粒を少量,炭化粒,
径15㎝までの礫を微量含む
5 10YR3/2 黒褐色砂泥,焼土粒を少量含む
6 2.5Y3/2 黒褐色泥砂,土器片を少量,焼土粒を微量含む
0
1
2m
1 10YR3/2 黒褐色泥砂,炭化粒,土器片を少量,
径 20 ㎝までの礫を多量含む
L=35.1m
第 1 2 図 井戸3,炉2,土壙 1 9 遺構実測図(1/ 5 0)
第5節 桃山時代以降
土壙,炉,井戸,柱穴を確認した。遺構の分布は,路に面した部分に井戸などが配置される傾向
が認められる。また,明治時代の火災などの処理をしたとみられる焼瓦などの大量廃棄土壙も,複
数ヶ所で認められた。井戸は,近世(井戸4∼9)のものが6基,幕末から明治時代(井戸 10 ∼ 13)
のもの4基,それ以降(井戸 14 ∼ 16)のものが3基確認され,とくに同一地点で複数時期の井戸が
切り合う傾向が認められる。柱穴は,こうした土壙の間に散見されるものの建物や柵列など復原す
るにはいたっていない。
土壙 21 (図版第2)
前述した土壙10 の南に位置する。掘形は,
東西1.9m,
南北0.6mの長方形を呈し,
深さ0.5mを測る。
壁はやや抉られるように掘り込まれる形状を呈すことから,土取り穴の可能性も考えられる。
− 17 −
第Ⅱ章 遺構
土壙 22 (図版第2・33)
南区南東隅,四条大路北築地心と,町尻小路西築地心にほぼ接する位置にある。南側は調査区外
へ続くと考えられる。掘形は,径 1. 1 mの円形を呈し,深さ 1. 1 mを測る。掘形の形状から,井戸
と考えていたが底は礫層などの透水層まで到達せず底面が平坦であること,廃棄土壙にしては遺物
の量が比較的少ないことから,土取り穴の可能性も考えられるが,その性格については確定しがた
い。
土壙 23 (図版第2)
調査区南端,土壙 22 の上層に位置する。周囲を攪乱により削平されるため全容は不明である。
掘形は,東西 2. 25 m,南北 1. 1 m,深さ 0. 2 mである。底部はほぼ平坦であることから近世整地土
の一部である可能性も考えられる。
土壙 25 (図版第2・33)
南区中央付近,四条大路北築地心から北へ5mに位置する。掘形の西半は削平され,底部が残存
するのみで全容は確定できない。残存する掘形は,東西 2. 7 m,南北 1. 4 mの長方形を呈し,深さ
約 0. 4 mを測る。底部中央のやや窪んだところから,銭貨が 19 点一括で出土した。
土壙 26 (図版第2)
南区と北区にまたがる遺構で,町尻小路西築地心からは西へ約 20 mに位置する。掘形は,一辺
1. 3 mの方形を呈し,深さ 0. 2 mを測る。
土壙 27 (第 13 図,図版第2・33)
町尻小路西築地心から西へ 15. 6 m,四条大路北築地心から北へ 12. 5 mに位置する。掘形は,東
西 2. 2 m,南北 0. 9 mの長方形を呈し,深さ 0. 2 mを測る。南壁際に縦板がかろうじて残存していた
炉3
Y9621
5
Y-21
973
土壙27
X-110
820
a'
a
a'
a
X1
8210
5
aL
aL
a'
a'
1
2
3
6
9
1
2
3
4
5
6
7
8
9
1
8
4
5
7
10Y3/2 黒褐色砂泥,土器片を多量,炭化粒,径8㎝までの礫を少量含む
2.5Y3/2 黒褐色砂泥,炭化粒,土師器片を少量含む
10YR4/1 褐灰色シルト質砂泥
10YR4/2 灰黄褐色砂泥と2.5Y5/2 暗灰色砂泥との互層,径5㎝までの礫,炭粒,
土器片を少量を含む
2.5Y4/3 オリーブ褐色砂泥,炭化粒,径5㎝までの礫少量含む
2.5Y3/2 黒褐色砂泥,炭粒を少量含む
2.5Y3/2 黒褐色砂泥,炭粒を少量含む
2.5Y4/2 暗灰黄色砂泥,炭粒,土器片を少量含む
2.5Y3/2 黒褐色砂泥,2.5Y5/3 黄褐色砂泥を斑状に含み,径5㎝までの礫を
少量含む
1 10YR4/3 にぶい黄褐色砂泥,径6㎝までの礫,
炭化粒,焼土塊を少量含む
焼土
0
L=35.3m
第 1 3 図 土壙 2 7,炉3 遺構実測図(1/ 5 0)
− 18 −
2m
第Ⅱ章 遺構
ほか,径5㎝ほどの杭の痕跡が6ヶ所ほど壁際で確認された。
炉3 (第 13 図,図版第2・33)
炉2からは2m西に位置し,調査区壁面の盛土直下で確認した。井戸4の上層に位置し,炉2の
検出面よりも約 0. 2 m高い。掘形は直径 0. 7 mの円形を呈し,深さ 0. 3 mである。壁際は,高温被熱
のため硬化し,掘形底に炭や焼土塊が多く認められることから炉と考えられる。
井戸4 (図版第2)
南区の四条大路北築地心から北へ2mに位置する。西半は調査区外へ続き,東半は,井戸 12 に
切られる。全容は不明であるが掘形は,径約2mの円形を呈し,深さ 1. 5 m以上を測る。完形の銅
鏡が上層の埋土から一点出土した。
井戸5 (図版第2・33)
南区の町尻小路西築地心から西へ約3mに位置する。掘形は,径 1. 5 mの円形を呈し,深さ 1. 7 m
以上を測る。井戸枠は,内径 0. 7 mの石組みである。検出面から深さ 1. 4 mまで段階的に埋められ,
その下部で石組みを確認した。井戸底は確認していない。
1)下記の文献によると四条町北西頬には,15
世紀初めに酒屋の存在が知られる。この遺構と
直接的に関連するかどうかは確定し難いが,こ
のような甕倉の可能性も考えられる。 北野天満宮史料刊行会編『北野天満宮史料 古
文書』,1978 年,34 ∼ 46 頁,及び高橋康夫・
吉田伸之編『日本都市史入門Ⅰ空間』,東京大学
出版会,1990 年,202 頁。
− 19 −
第Ⅲ章 遺物
第Ⅲ章 遺物
第1節 遺物概要
遺物は整理コンテナにして 201 箱分出土 1)した。うちわけは,土器 153 箱,瓦塼類 21 箱,金属製
品3箱,銭貨1箱,石製品5箱,木製品3箱,鋳造関連遺物 11 箱,そのほか4箱である。土器類は,
土師器の供膳具が大きな割合を占め,次いで,時代ごとに,中世須恵器,焼き締め陶器の貯蔵具が
目立つ。煮沸具は供膳具,貯蔵具に比べ,器種を問わず非常に少ない。輸入陶磁器は,平安時代後
期以降の多くの遺構に一定量混じる。近世の遺構からは,施釉陶器,肥前系磁器,土師質土器など
も多くみられるようになる。瓦は,園池に関連した整地土からある程度まとまって出土した以外は,
非常に少ない。鋳造関連遺物は,主に調査区の南半から,整理コンテナ 11 箱分出土し,その大部
分は室町時代中期の遺構からのもので,近世の遺構からのものも少量みられる。そのうちわけは,
鏡の鋳型と鋳造道具が中心で,わずかに小型製品の鋳型が含まれる。また,多くの砥石が鋳造関連
遺物に供伴して出土し,これらの鋳造とのかかわりも考えられる。このほか,弥生時代の土器小片
数十点と,石包丁なども出土した。
次に,調査区東半の大部分を占める多くの土取り穴と井戸の遺物に関して,これらは多少の差異
はあるものの,概して共通した出土様相を示す。土師器皿を中心に,多種多様な土器が混じり合い,
それらの時期も鎌倉時代から近世までと幅広くまとまりがない。よって,その中でも最も新しいと
みられる土器をとり挙げ,それらが示す年代がその遺構の埋め戻された時期を示すものと判断した。
本報告では,当調査区の遺構の変遷を考える上で重要な遺構や,一括性の高い遺物を中心に報告
をおこなう。
第2節 土器類
1)
平安時代中期以前
出土した遺物は,園池からのものが大半を占める。烏丸綾小路遺跡に関連するとみられる遺物と
しては,土器小片と石包丁がある。土器は,細片のみで器種・器形を特定しうるものはない。
井戸1
(図版第7)
出土量は非常に少なく,土師器と須恵器甕の小片のみである。土師器皿(1)は口径 14. 5 ㎝,口
縁部上半が外反し,端部を上方へつまみ上げる。
溝1
(図版第7)
土師器,須恵器,緑釉陶器などが出土した。土師器皿は口径 10. 3 ∼ 11. 1 ㎝の小型(2∼4)と口
径 15 ∼ 16 ㎝の大型がある。大型はほとんどが破片である。いずれも器壁が薄く , 口縁部上半が屈
曲し,端部が肥厚する,いわゆる
「て」
の字口縁形態を呈す。園池Ⅰ期の石敷き上面出土の土師器皿
− 20 −
第Ⅲ章 遺物
に近い形態である。これらの土器類は土師器皿の法量,
形状から,
11世紀前後の年代があたえられる。
また,やや古い時期のものも一定量出土している。
園池
(図版第7・36)
2時期の石敷の上面からそれぞれまとまって土器が出土しており,その様相には明確な差が認め
られる。
Ⅰ期石敷きの上面からは土師器,須恵器,黒色土器,緑釉陶器,灰釉陶器などが出土した。土師
器皿は口径 10. 4 ∼ 11. 2 ㎝の小型
(5∼ 10)
,口径 13 ㎝台の中型,口径 15 ㎝以上の大型
(11)
がある。
中型,大型のものはほとんどが破片で,小型のものに比べ数も少ない。いずれも器壁が薄く,
「て」
の字口縁形態を呈す。黒色土器甕( 12)は内面のみ黒色化し,ミガキを体部下方に施す。緑釉陶器
皿( 13)は硬陶の段皿である。これらの土器類は土師器皿の法量,形状から,11 世紀前後の年代が
あたえられる。
Ⅱ期造成時の盛土からは,
土師器,
須恵器,
灰釉陶器などの小片や輸入青白磁合子
(14)
が出土した。
Ⅱ期石敷きの上面からは,完形の土師器皿が押しつぶされたように割れた状態で多量に出土して
おり,
ほかに須恵器,
灰釉陶器,
瓦器,
輸入磁器などが出土した。土師器皿は口径10.3 ∼ 10.7㎝の
「て」
の字口縁(15 ∼ 17)
,口径 10. 3 ∼ 11. 9 ㎝の小型(18 ∼ 26)
,口径 12. 5 ∼ 13. 2 ㎝の中型(27 ∼ 30)
,
口径 15 ∼ 16 ㎝の大型
(31 ∼ 38)
がある。小型,
中型,
大型はいずれも口縁部外面に二段ナデを施し,
口縁端部が外反する形態を呈す。また,口径 17 ㎝以上で器高が高く杯に近い形態の大型の皿(39)
,
平坦な底部から口縁部が内側へ折れ曲がるコースター型の皿もわずかに出土した。土師器以外の遺
物の出土量は少なく,大半は須恵器貯蔵具であるが,いずれも破片である。灰釉陶器椀( 40)の見
込みには摩滅の跡と墨痕らしきものがみられ,硯に転用した可能性がある。高台部には煤が吸着す
る。これらの土器類は土師器皿の法量,形状から,11 世紀中期の年代があたえられる。
整地土からは土師器(41 ∼ 45)
,須恵器,瓦器,輸入磁器などが大量に出土した。土師器皿(45)
には底部中央付近に穿孔がみられる。瓦器椀( 46)は口縁部両面に密にミガキを,見込みには平行
状の暗文を施す。輸入青磁皿( 47 ∼ 49)は内面に沈線をもつ。
( 47)は底部外面に墨書がみられる。
輸入白磁皿
(50)
は内面に陰刻文を施す。
(51)
は輸入青磁壷の頸部である。
(52・53)
は須恵器小杯,
( 54)は皿で,
( 52)は内面に漆が付着し,底部外面に時計回り方向の糸切り痕がみられる。
( 55)は
東播系須恵器甕である。土器の様相は時期に幅があり,下層から上層へ段階的に新しいものが含ま
れるようになる。園池が段階的に埋め戻されていく過程を示すと考えられる。
2)
平安時代後期∼鎌倉時代
遺構数は少ないが,良好な一括遺物が多数みられる。器種構成では,大部分が土師器皿で,次い
で東播系須恵器,輸入陶磁器,須恵器供膳具,常滑産焼き締め陶器,瓦器などがある。
井戸2
(図版第8・37・38)
掘形および埋土から,
大量の土器が出土した。下から3段目の横桟付近に,
ほぼ完形の須恵器壷と,
完形に近い状態の土師器皿が重なって廃棄され,その層を含む上半層と掘形および下半層で,土器
− 21 −
第Ⅲ章 遺物
の様相に差が認められる。
掘形および下層からは,大量の木製品と共に,土師器皿,須恵器,輸入陶磁器,瓦器椀などが出
土した。土師器皿は,
口径9㎝前後で,
平坦な底部から口縁部が内側へ折れ曲がるコースター型
(56・
57)
,口径 9. 2 ∼ 10. 2 ㎝の小型( 58 ∼ 61・69 ∼ 71)
,口径 14 ∼ 17. 8 ㎝の大型( 62・63・72 ∼ 77)
に分類できる。小型,
大型は,
口縁部外面に二段ナデの様相を残し,先端を直立気味につまみ上げる。
(72)
の底部内面には,
竹管文に似た刻印が2ヶ所認められる。
(64 ∼ 66・82・83)
は輸入白磁椀で,
(65)
と輸入青磁皿
(79・80)
には,底部外面に墨書がみられる。墨書を含む輸入青磁皿
(79 ∼ 81)
は,法量,
形状,釉薬がいずれも酷似している。瓦器椀( 78)は,両面にミガキを密に施す。曲物内より出土。
なお,下層から出土した瓦器は,これ1点のみである。須恵器杯( 67・84)は,底部外面に時計回
り方向の糸切り痕がみられる。須恵器椀(68)は,内面に自然釉がかかる。東播系須恵器甕(85)は,
曲物内より出土。これらの土器類は,
土師器皿の法量,
形状から,
12世紀前期の年代があたえられる。
上層からは,土師器皿,須恵器,常滑産焼き締め陶器,輸入磁器,瓦器椀が出土した。土師器皿は,
口径 10. 5 ㎝前後のコースター型( 86)
,口径 9. 2 ∼ 10. 2 ㎝の小型( 87 ∼ 93)
,口径 14. 6 ∼ 16. 2 ㎝の
大型( 94 ∼ 100)に分類できる。そのうち大部分は下層のものと法量,形状に差はないが,小型の
中には,ごく少量ではあるが,やや法量が縮小し,口縁部が斜め上方にまっすぐ立ち上がり,二段
ナデの名残もみられないもの
(87・88)が混じる。瓦器皿(101)と椀(102)は,内面にのみミガキを
密に施す。瓦器椀(103)は,外面のみ炭素が吸着する。
(104)は輸入青磁皿,
(105・106)は輸入白
磁椀である。東播系須恵器壷( 107)は,頸部に突帯が一段めぐり,口縁部から肩部にかけ自然釉が
かかる。須恵器
(108)
は,
丁寧に成形した高台をもつ。一部の土師器皿や瓦器にみられる型式の差は,
ほかのものに比べやや新しい様相を示し,12 世紀中期にかかるものとみられ,上層の埋められた
時期を示す資料と考えられる。
また,東播系須恵器と常滑産焼き締め陶器は,埋土全体で計 23, 045 g出土したが,掘形および
下層で,東播系須恵器のみ 8, 470 g確認できたのに対し,上層では東播系須恵器 12, 150 g(83%)に
加え,常滑産焼き締め陶器が 2, 425 g( 17%)混じることに注目できる。これは,当調査区において
常滑産焼き締め陶器の初見である。
土壙1
(図版第9・40)
土師器,輸入陶磁器,東播系須恵器,常滑産焼き締め陶器,瓦器,瓦質火鉢など,まとまった量
の土器が出土した。土師器皿は,口縁部上半が屈曲し,端部が肥厚する,いわゆる「て」の字口縁の
様相を残す
( 109・110)
,口径 9. 4 ∼ 10. 2 ㎝の小型( 111 ∼ 115)
,口径 14. 5 ∼ 15. 5 ㎝の大型( 116)
に分類できる。小型,大型は,口縁部外面に二段ナデの様相を残し,先端は直立気味につまみ上げ
る。
(117)は,土師質壷である。瓦器皿(118)は歪みがあるものの,口径 10 ㎝前後とみられ,見込
みに格子状暗文を密に施す。瓦器椀( 119)は,オサエにより外面の凹凸が目立ち,両面に非常に粗
いミガキを施す。
( 120・121)は輸入白磁椀である。
( 121)は,底部外面と破断面に煤が吸着する。
これらの土器類は,土師器皿の法量,形状から,12 世紀前期の年代があたえられる。
− 22 −
第Ⅲ章 遺物
土壙2
(図版第9・39)
まとまった量の土師器皿と,完形の瓦器椀が1点,そのほか東播系須恵器,輸入磁器を少量含む
良好な一括遺物である。土師器皿は,口径 9. 3 ∼ 10. 3 ㎝の小型( 122 ∼ 141)
,口径 13. 8 ∼ 15 ㎝の
大型
(142 ∼ 151)
に分類でき,法量,形状から 12 世紀後半の年代があたえられる。瓦器椀
(152)
は,
口径 14. 9 ㎝,器高 5. 7 ㎝と大型で,内面全体にミガキを密に施す。
土壙3
(図版第9)
土師器皿,東播系須恵器,輸入陶磁器,瓦器椀,常滑産焼き締め陶器などが少量出土した。い
ずれも破片で図化可能なものは数点にとどまる。土師器皿は,口径9㎝前後の小型(153・154)と,
口径 14 ㎝前後の大型(155・156)に分類できる。これらは法量,形状から,13 世紀前後の年代があ
たえられる。
土壙4
(図版第9・40)
土師器皿,東播系須恵器,輸入陶磁器,瓦器が少量出土した。完形の瓦器椀( 158)は,口径8㎝
で,貼付高台である。口縁部内面に簡素なミガキを,見込みには連続する長楕円状の暗文を施す。
輸入青磁椀( 159)は,両面に櫛描き文がみられる。土師器皿の大部分は小片で,図化可能なものは
(157)のみであるが,これらは口径9㎝程度の小型のものと推測でき,形状からも,13 世紀前後の
ものとみられる。
土壙5
(図版第9・40)
ある程度まとまった量の土師器皿のほか,東播系須恵器,輸入陶磁器,瓦質火鉢,常滑産焼き締
め陶器が少量出土した。土師器皿は,口径9㎝前後の小型
(160 ∼ 167)
,口径 13 ㎝前後の大型
(168・
169)に分類できる。小型,大型共に底部は平坦で,口縁部は短く,先端は断面三角形状を呈す。
これらは,法量,形状から,13 世紀前半の年代があたえられる。
地下室1
(図版第9・40)
土師器皿,
常滑産焼き締め陶器,
東播系須恵器のほか,輸入磁器がわずかに出土した。土師器皿は,
口径 8. 2 ∼ 9. 5 ㎝の小型(170 ∼ 176)と,口径 12 ∼ 13 ㎝の大型(177・178)に分類できる。東播系
須恵器捏ね鉢
(179)
は,口縁部内面下半と底部に,使用による摩滅がみられる。これらの土器類は,
土師器皿の法量,形状から,13 世紀中期の年代があたえられる。 3)
室町時代
遺構数も多く,土器の量も増加し,器種構成も多種多様になるものの,前期ではまとまった出土
例があまりない。中期から後期では,鋳造関連遺物に加え,一括遺物も比較的多くみられるように
なる。
土壙6
(図版第 10)
出土量は少なく,土師器皿と信楽産擂り鉢片のみである。土師器皿( 180・181)は,それぞれ口
径 10. 9 ㎝,12 ㎝で,椀状を呈す。
( 182)は,口縁の歪みのため不明確であるが,口径約 12. 8 ㎝前
後とみられる。口縁部下半は器壁が薄く,内側へ屈曲する。遺物が少量のため特定はし難いが,こ
− 23 −
第Ⅲ章 遺物
れらの土器類は,様相から当該期に相当するものと考えられる。
土壙7
(図版第 10)
土師器皿,東播系須恵器,常滑産焼き締め陶器,輸入磁器が少量出土した。口径 11. 2 ∼ 11. 8 ㎝
で椀状を呈す土師器皿( 183 ∼ 185)が図化可能で,これらは法量,形状から,15 世紀前半のもの
とみられる。
土壙8
(図版第 10)
土師器皿,瓦質火鉢・深鉢,輸入陶磁器が出土した。瓦質火鉢・深鉢はある程度まとまった量が
みられるが,破片ばかりである。土師器皿は,底部が上方へ窪むへそ皿( 186)
,橙色で口径 7. 8 ㎝
の小型
(187)
,
灰白色で口径8㎝,
底部中程までヨコナデを施す小型
(188)
,
口径10.9㎝の大型
(189)
,
灰白色で椀,または杯状を呈す
( 190・191)などがある。これらは,法量,形状から,15 世紀前半
の年代があたえられる。
土壙9
(図版第 10・41)
多くの土師器皿をはじめ,まとまった量の瓦器煮沸具と,瓦質火鉢・深鉢,そのほか,東播系須
恵器,常滑産焼き締め陶器,丹波産擂り鉢,輸入陶磁器などを少量含む,良好な一括資料である。
土師器皿は,口径7㎝前後のへそ皿(194・195)
,橙色で,口径 7. 2 ∼8㎝の小型(196 ∼ 202)
,浅
黄橙で,口径 8. 8 ∼ 9. 1 ㎝の中型( 203 ∼ 205)
,灰白色で,口径 11. 7 ∼ 14. 9 ㎝の大型( 206・207)
,
口径 16 ㎝を超す特大型( 208・209)に分類できる。また,特殊な器形の土師器( 192・193)は,底
部から口縁部にかけ丸みをもって立ち上がり,
先端は直立,
または内側へ折れ曲がる。輸入青磁
(210)
は,見込みに陰刻文がみられる。小型脚付き瓦器羽釜
(211)
は,一脚のみ現存する。瓦器鍋
(212)
は,
丸みをもった底部と体部の境にやや張りをもち,斜め上方に立ち上がり,頸部が外折し口縁部を形
成する。内面と底部にハケ調整を施す。そのほかの遺物はいずれも小片である。これらの土器類は,
土師器皿の法量,形状から,15 世紀中期の年代があたえられる。
土壙 10
(図版第 10・42)
土師器皿,常滑産焼き締め陶器,東播系須恵器,瓦質火鉢・深鉢,輸入陶磁器,土師質丸底小鉢が,
比較的まとまった量出土したほか,瓦器煮沸具,瀬戸産施釉陶器なども少量みられる。土師器皿の
多くは,口径 6. 8 ∼ 7. 4 ㎝のへそ皿
(214 ∼ 218)
,杯状を呈す小型
(219)
,口径 7. 2 ∼8㎝の小型
(220
∼ 225)
,口径9∼ 9. 4 ㎝の中型
(226 ∼ 230)
,主に 14 ∼ 16. 5 ㎝の大型
(231 ∼ 236)
に分類できる。
このほか,底部が平坦で,口縁部が非常に短い特殊な器形の皿( 213)が1点確認できた。土師質丸
底小鉢(237 ∼ 240)は,外面にハケ調整を施し,平滑な内面には線状痕が目立つ。また,煤が吸着
する。瓦器椀( 241)は,内面のみミガキを施す。瓦器羽釜( 242)は,外面のみ炭素が吸着し,内面
はハケ調整を施す。瓦質火鉢( 243)は,外面に縦方向のミガキを密に施す。炭素は吸着せず,浅黄
橙色を呈す。これらの土器類は,土師器皿の法量,形状から 15 世紀中期の年代があたえられる。
土壙 11
(図版第 11)
土師器皿のほか,常滑産焼き締め陶器,輸入陶磁器,瓦質深鉢がわずかに出土した。土師器皿は
大部分が小片である。底部が上方へ窪むへそ皿(244 ∼ 249)は,口径7㎝前後で,窪みは比較的狭
− 24 −
第Ⅲ章 遺物
く,深い。浅黄橙色で小型
(250)
は,口縁の歪みが非常に大きく,粗雑なつくりである。灰白色で,
口径 8. 7 ㎝の小型( 251)は,表面の所々に煤が吸着する。
( 252)は,輸入青磁蓮弁椀である。これ
らの土器類は,土師器皿の法量,形状から,15 世紀後半の年代があたえられる。
土壙 12
(図版第 11)
土師器,瓦質火鉢・深鉢,輸入陶磁器,瀬戸産施釉陶器のほか,破片ばかりであるが,まとまっ
た量の常滑産焼き締め陶器が出土した。土師器皿は,へそ皿,橙色系,灰白色系がある。へそ皿
( 253・254)は,口径7㎝前後,口縁部先端は肥厚し,底部の窪みは狭く,深い。橙色系は,口径
7∼ 7. 5 ㎝の小型( 255・256)
,口径9㎝前後の中型( 257・258)
,口径 11. 5 ㎝の大型( 259)に分類
でき,いずれも底部内面端がヨコナデにより窪む。大型の皿は
(259)
1点のみである。灰白色系は,
口径 8. 5 ㎝前後の小型と,口径 12 ∼ 15 ㎝で,底部内面中程までヨコナデを施す大型( 260)に分類
できる。大型( 260)は精良な胎土で,やや硬質,丁寧なつくりである。瀬戸産灰釉水滴( 263)は,
不明瞭な糸切り痕のみられる底部外面に煤が吸着する。瀬戸産おろし皿( 264)は,所々に灰釉がか
かり,内面には煤が吸着する。底部外面には,反時計回り方向の糸切り痕がみられる。土師質羽釜
(265)は,内面に煤が吸着する。これらの土器類は,土師器皿の法量,形状から,15 世紀後期の年
代があたえられる。なお,輸入青磁大型椀( 261)
・鉢( 262)は,ほかの土器類よりも古い時期のも
のとみられる。
土壙群
(図版第 11)
土師器皿,瓦質火鉢・深鉢,施釉陶器,常滑産焼き締め陶器,輸入陶磁器などが出土した。破片
が多く,器種構成に時期的まとまりがみられない。土師器皿( 266 ∼ 269)は 15 世紀代のものと推
測できる。
(270 ∼ 273)は輸入磁器である。瀬戸産施釉陶器椀(274)は,高台中心部に同産地のお
ろし皿にみられる,おろし目をもつ。瓦質深鉢
(275)
は,底部の器壁が薄く,口縁部先端は肥厚し,
内側にかえりをもつ。また,底部外面には成形台に敷かれた藁の跡が残る。青白磁合子蓋(270)
は,
頂部に蓮弁文を捺す。青磁皿( 271)は,見込みに不明瞭ながら陰刻文が確認できる。
( 273)は,白
磁口禿げ椀である。
炉1
(図版第 11)
土師器皿,
信楽産擂り鉢,
備前産焼き締め陶器,
輸入陶磁器が出土した。土師器皿は,
口径 7. 2 ㎝で,
口縁部下半が薄く内側へ屈曲する
(276)
,
口径8.7㎝で,
器壁が厚く口縁部先端にかえりをもつ
(277)
,
口径 10. 1 ㎝で,底部内面中程までヨコナデを施す
(278)
,口径 11. 3 ㎝で,口縁部先端にかえりをも
つ
(279)が図化できた。
(276・278・279)には,表面全体に煤が吸着する。これらの土器類は,土
師器皿の法量,形状から,16 世紀前期の年代があたえられる。
土壙 13
(図版第 11)
土師器皿,施釉陶器,信楽産擂り鉢,輸入陶磁器,土師質土器などが少量出土した。土師器皿は,
口径 6. 2 ㎝,底部が内側へ窪む小型(280)
,口縁端部に面をもつ,口径 9. 8 ㎝(281)
,14 ㎝(282)な
どである。これらは,法量,形状から,16 世紀前期のものとみられる。輸入白磁皿(283)は,高台
先端未施釉である。不明施釉陶器( 284)は,内面全体と外面の所々に褐色の釉薬が薄くかかる。破
− 25 −
第Ⅲ章 遺物
片で全容が判明しないが,底部内面は窪むとみられる。
土壙 14
(図版第 11)
瓦質鉢( 285)
,信楽産擂り鉢( 286)のほかは,土師器細片のみである。瓦質鉢( 285)は,炭素未
吸着の底部から,口縁部が斜め上方に立ち上がり,先端は内湾する。口縁部先端と,外面上半の炭
素が帯状に剥離する。また,内面全体にミガキを密に施す。内面下半から底部にかけ,擦痕と摩滅
痕がみられることなどから,捏ね鉢として使用した可能性が高い。河内・和泉産か。信楽産擂り鉢
(286)
は,5条1単位の擂り目をもち,口縁端部が内傾する。内面の器壁は,使用により摩滅する。
15 世紀代のものとみられる2)。
土壙 15
(図版第 11・43)
ほぼ完形の土師質焙烙( 287)と,瓦質鉢( 288)である。供伴する遺物は少量である。土師質焙烙
( 287)は,口縁部全体と,丸みをもった底部外面にわずかに煤が吸着するものの,底部内面は円状
にまったく吸着していない。使用の際,中にほかの土器を据えて使用した可能性が考えられる。瓦
質鉢( 288)は,未調整の底部から,口縁部が斜め上方に立ち上がり,先端は内湾する。内面はやや
摩滅し,擦痕がみられることなどから,捏ね鉢として使用した可能性が高い。土壙 14 出土の(285)
と同形態である。河内・和泉産か。土師器皿は少量で,時期は特定し難いが,これらは,土壙 14
出土土器の様相などもふまえ,15 世紀代のものとみられる3)。
土壙 16
(図版第 12)
土師器皿,瀬戸・美濃産施釉陶器,備前産焼き締め陶器,常滑産焼き締め陶器,東播系須恵器,
瓦器,瓦質火鉢,輸入陶磁器など,多くの土器が出土した。これらは同一時期のものでまとまらず,
室町時代後半の土師器皿を中心に,鎌倉時代から近世の土器が混じり合う。その中でも,口径 8. 2
∼ 9. 1 ㎝の小型(289 ∼ 293)と,口径 13. 4 ∼ 16. 5 ㎝の大型(294 ∼ 296)の土師器皿は,法量,形状
から 16 世紀前後の年代があたえられ,最も新しい時期のものとみられる。また,輸入染付( 297)
,
瀬戸・美濃産施釉陶器椀(298・299)
,備前産焼き締め陶器小壷(300)
・擂り鉢(301)も,土師器皿
と近い時期のものとみられ,これらの土器類が,埋め戻された時期を示す資料であると考えられる。
( 298)は,外面に煤が吸着する。
( 299)は,底部内面が所々摩滅する。備前産擂り鉢( 301)は,7
条1単位の擂り目と8条1単位の擂り目をもつ。
土壙 17
(図版第 12)
土師器皿のみが少量出土した。橙色系で,口径 7. 1 ㎝の小型( 302)は,外面下半にオサエの跡が
明瞭に残る。灰白色で,口径 8. 8 ㎝( 303)
,9. 5 ㎝( 304)の中型は,底部内面中心付近までヨコナデ
を施す。
( 303)は,口縁端部を主に,全体に煤が吸着する。口径 13. 5 ㎝の大型( 305)は,底部内面
に凸線がみられ,口縁端部に面をもつ。これらは,法量,形状から,16 世紀中期の年代があたえ
られる。
土壙 18
(図版第 12)
土師器皿,信楽産擂り鉢,備前産擂り鉢,土師質土器などが少量出土した。土師器皿4点のみ図
化できた。橙色で,口径 7. 5 ㎝,手捻り成形の小型( 306)は,表面にキラ粉が多く確認できる。口
− 26 −
第Ⅲ章 遺物
径 12 ㎝前後の大型( 307 ∼ 309)は,灰白色を呈す。これらの土師器皿は,法量,形状から,16 世
紀中期の年代があたえられる。
地下室2
(図版第 12)
土師器皿,備前産焼き締め陶器,丹波産焼き締め陶器,常滑産焼き締め陶器,東播系須恵器,瓦器,
瓦質土器,輸入陶磁器,土師質土器などが出土した。これらは同一時期のものでまとまらず,鎌倉
時代から近世までの土器が混じり合う。その中でも,口径 6. 5 ㎝前後,手捻り成形で小型( 310 ∼
314)と,口径 11 ∼ 13 ㎝で,底部内面にわずかに圏線の浅い窪みが確認できる大型(315 ∼ 317)の
土師器皿は,法量,形状から,16 世紀中期の年代があたえられる。また,内面に漆が付着した瀬戸・
美濃産天目茶椀( 318)も含め,これらの土器類が最も新しい時期のものとみられ,地下室2の埋め
戻された時期を示す資料であると考えられる。
井戸3
(図版第 12)
まとまった量の土師器皿のほか,輸入陶磁器,信楽産擂り鉢,瓦器,瓦質火鉢・深鉢など,多く
の土器が出土した。これらは同一時期でまとまらず,鎌倉時代から近世までの土器が混じり合う。
その中でも,口径 6. 6 ㎝,手捻り成形で小型
(319)
と,口径 8. 8 ∼ 10. 6 ㎝
(320 ∼ 324)
の土師器皿は,
法量,形状から,16 世紀中期の年代があたえられる。また,輸入白磁皿(329)と,輸入白磁口禿げ
椀( 330)を含め,これらの土器が最も新しい時期のものとみられ,井戸3の埋め戻された時期を示
す資料であると考えられる。また,
(325 ∼ 328)
は 15 世紀前半の土師器皿とみられる4)。
土壙 19
(図版第 12・43)
土師器皿のほか,常滑産焼き締め陶器,丹波産焼き締め陶器,瀬戸・美濃産施釉陶器,輸入陶磁
器が少量みられる。土師器皿は,
口径6.1 ∼ 8.4㎝の小型
(331 ∼ 340)
と,
口径9.3 ∼ 9.8㎝の中型
(341・
342)
,口径 11. 8 ∼ 13. 6 ㎝の大型
(343 ∼ 348)
に分類でき,更に,小型
(332・333・336)
と中型には,
口縁部外面端部にまでオサエの指跡や爪跡が残る。
(349 ∼ 351)
は輸入青磁である。蓮弁皿
(349)
は,
見込みにヘラ記号のようなものがみられる。瀬戸・美濃産灰釉陶器椀
(352)
は,
表面全体に施釉する。
丹波産擂り鉢
(353)
は,1条1単位の擂り目をもつ。これらの土器類は,土師器皿の法量,形状から,
16 世紀中期の年代があたえられる。
4)
近世以降
土取り穴からの出土遺物が多く,様々な時期の遺物が含まれる。器種構成は,備前,信楽,丹波
産の焼き締め陶器や,国内産陶磁器,土師質土器などが増加,または新たに出現し,土器全体での
土師器皿の占める割合が減少していく。
土壙 21
(図版第 13)
出土量は少ないが,土師器皿,信楽産焼き締め陶器,丹波産焼き締め陶器,常滑産焼き締め陶器,
輸入陶磁器,瓦器,瓦質火鉢・深鉢などが確認できた。図化可能なものは,土師器皿数点にとどまる。
土師器皿は,小型,大型に分類できるが,小型のなかでも,口径6∼ 6. 6 ㎝,橙色で,手捻り成形
(360
∼ 363)と,口径 7. 3 ㎝,灰白色で,底部内面中心付近までヨコナデを施す
( 365)の,異なる様相を
− 27 −
第Ⅲ章 遺物
呈す2種類がみられる。また,大型のなかでも同様に,口径 10. 4 ㎝,底部内面に圏線をもつ
(364)
と,
口径 11. 2 ㎝,口縁部外面下半にオサエの跡が残る
(366)の2種類がみられる。これら小型,大型そ
れぞれにみられる2種類の形状の差は,
時期差をあらわすものである。また,
土師器皿以外の土器は,
破片ばかりで時期を特定するに至るものはないが,器種構成としては,幅広い時期を示すとみられ
る。このことから,これらの土器類は単一遺構のものとして取り上げたが,実際は 15 世紀前半と,
16 世紀後期,2時期の重複した遺構のものである可能性も考えなければならない。
井戸4
(図版第 13)
土師器皿,常滑産焼き締め陶器,信楽産擂り鉢,東播系須恵器,瓦器,瓦質土器,輸入磁器など,
多くの土器類のほか,完形の銅鏡が出土した。これらは同一時期のものでまとまらず,埋土全体で,
鎌倉時代から近世までの土器が混じり合う。その中でも,口径6㎝前後,手捻り成形で小型(354・
355)
,口径 8. 8 ㎝(356)
,9. 5 ㎝(357)の中型,口径 10. 6 ㎝(358)
,12. 4 ㎝(359)で,底部内面に圏
線をもつ大型の土師器皿は,法量,形状から,16 世紀後半の年代があたえられる。これらが最も
新しい時期のものとみられ,井戸4の埋め戻された時期を示す資料であると考えられる。
井戸5
(図版第 13・44)
多量の土師器皿,焼き締め陶器のほか,まとまった量の輸入陶磁器,施釉陶器,土師質土器など
が出土した。施釉陶器は完形に近い状態のものが多く,また輸入磁器の中には,今回の調査では類
例のない,丁寧なつくりのものがみられるなど,同時期のほかの遺構の遺物構成とはやや様相を異
にする。土師器皿は,口径 5. 6 ∼7㎝,手捻り成形で小型( 367 ∼ 369)
,口径 10. 2 ∼ 11 ㎝の中型
(370 ∼ 372)
,口径 11. 5 ㎝前後で,底部内面に圏線をもつ大型
(373 ∼ 378)
に分類できる。概して,
口縁部先端に煤が吸着するものが目立つ。
( 379・380)は土師質塩壷蓋である。
( 379)は,内面に
布目痕がみられる。また,外面には煤が吸着する。土師質椀( 381)は,器壁が薄く,所々に煤が吸
着する。輸入染付椀(382)は,やや高さのある高台をもつ。輸入呉須手赤絵大皿(383)
は,朱,緑,
黒褐色の三色で絵付けする。漳州窯産か。輸入染付鉢( 384)は,器壁が厚く,破断面に被熱跡がみ
られる。
( 382 ∼ 383)は,高台に砂が多く溶着する。瀬戸・美濃産施釉陶器皿( 385・386)は,口
縁部上半が外折し,内面に蓮弁文を施す。底部内面は,円状に未施釉である。
( 388)は,瀬戸・美
濃産施釉陶器輪花皿である。美濃産志野皿( 387)は,口縁部が大きく屈曲する器形で,全体に施釉
する。
(390・391・393)は,唐津産施釉陶器である。皿(390)は,見込みと高台裏に同様の砂目跡
がみられる。鉢
(393)
は,口縁部先端に蓋受けをもち,内面は未施釉である。外面には草文を描く。
施釉陶器椀( 392)は,内面数ヶ所に目跡をもち,底部内面には細かい擦痕が無数にみられる。天目
茶椀
(389)
は,
内面に鉄分のようなものが薄く付着する。
(389・392)
は唐津産か。丹波産擂り鉢
(394)
は,内面が使用により摩滅する。丹波産壷底部( 395)は,体部外面に櫛描き文を施す。これらの土
器類は,土師器皿の法量,形状から,17 世紀前後の年代があたえられる。
土壙 22
(図版第 14・45)
土師器皿,瓦器,輸入磁器,土師質丸底小鉢が少量と,備前大甕の底部が,裏返しの状態で出土
した。土師器皿は,口径 6. 6 ㎝の小型( 396・397)
,口径9㎝前後の中型( 398・399)
,口径 14. 2 ∼
− 28 −
第Ⅲ章 遺物
15.2㎝の大型
(400 ∼ 402)
がある。小型
(397)
は,
器高が高く,
杯や椀に近い形状を呈す。また,
(402)
は,表面全体に銅滓が付着するものの,転用坩堝のように変色,硬質化はしていない。大甕
(403)
は,
内面全体に鉱滓が飛沫し,底部内面には鉱滓,鉄釘,銅銭,炭,土師器片などが厚く付着する。
土壙 23
(図版第 14・45)
出土量はあまり多くなく,土師器皿,瀬戸・美濃産施釉陶器,信楽産擂り鉢,丹波産焼き締め
陶器,土師質土器などがみられる。土師器皿は,口径 6. 1 ㎝,手捻り成形で小型(404)
,口径 9. 3 ∼
10. 8 ㎝の中型(405 ∼ 407)
,口径 11. 8 ㎝,底部内面に圏線をもつ大型(408)がある。これらの土師
器皿は,法量,形状から,16 世紀後期から 17 世紀初頭のものとみられる。
( 409)は,土師質小壷
である。
( 410・411)は,瀬戸・美濃産灰釉皿で,
( 411)は,口縁部内面に蓮弁文がみられる。信
楽産擂り鉢( 412)は,4条1単位の擂り目をもつ。土師器皿に比べやや古い時期のものか。なお,
信楽産擂り鉢は,やや古い様相を示すものも含め,ある程度まとまった量がみられる。
土壙 24
(図版第 14・45)
多くの土師器皿を中心に,信楽産擂り鉢,土師質焙烙のほか,唐津産施釉陶器,瀬戸・美濃産施
釉陶器,輸入磁器などを少量含む,良好な一括遺物である。土師器皿は,口径5∼ 7. 2 ㎝,手捻り
成形で小型( 413 ∼ 419)
,口径 10 ㎝前後の中型( 420・421)
,口径 11 ∼ 12. 5 ㎝で,底部内面に圏
線をもつ大型
(422 ∼ 427)
に分類できる。大型の皿は,
口縁部先端,
または底部内面に煤が吸着する。
また,小型の皿が圧倒的多数を占め,中型,大型はあまり多くみられない。瓦質焼成土器盤
(428)
は,
未調整の底部以外,ヨコナデを施す。唐津産施釉陶器皿( 429)は,底部内面に胎土目跡が3カ所み
られる。信楽産擂り鉢
(430)
は,口縁部と見込みに6条1単位の擂り目をもつ。これらの土器類は,
土師器皿の法量,形状から,17 世紀前期の年代があたえられる。
土壙 25
(図版第 14)
土師器皿,備前産焼き締め陶器,信楽産擂り鉢,瀬戸・美濃産施釉陶器,輸入染付などが少量
出土した。土師器皿は,口径 6. 1 ㎝,手捻り成形で小型(431)
,口径 8. 8 ㎝前後の中型(432・433)
,
口径 10. 3 ㎝前後で,底部内面に圏線をもつ大型
(434 ∼ 436)
などがある。中型と大型はいずれにも
煤が吸着する。これらの土器類は,土師器皿の法量,形状から,17 世紀前期の年代があたえられる。
土壙 26
(図版第 14)
土師器皿,信楽産焼き締め陶器,備前産擂り鉢,土師質土器などが少量出土した。口径 11 ㎝前
後で大型の土師器皿( 437・438)は,口縁部に煤が吸着する。土師質土器盤( 439)は,未調整の底
部以外はヨコナデを施し,わずかに煤が吸着する。唐津産施釉陶器皿( 440)は,口縁部内面に鉄絵
を施す。これらは,土師器皿の法量,形状と,そのほかの器種構成から,17 世紀前期のものとみ
られる。なお,室町時代後半の土器類も混じるが,上記の土器類が最も新しいもので,土壙 26 が
埋め戻された時期を示す資料であると考えられる。
土壙 27
(図版第 14)
土師器皿,肥前産陶磁器,京・信楽産施釉陶器,信楽産焼き締め陶器,備前焼き締め陶器,土師
質土器など,多種多様な土器が出土した。機種別の出土量では,陶磁器類の量からみて,土師器皿
− 29 −
第Ⅲ章 遺物
が少ないことが特徴として挙げられる。土師器皿は,手捻り成形で,口径5㎝( 441・442)
,5. 8 ㎝
(443)
の小型と,口径 10. 1 ㎝底部内面圏線をもつ大型
(444)
の4点のみ図化できた。
(445・446)
は
肥前系染付椀である。
( 446)は,薄手の非常に丁寧なつくりで,型紙印判で絵付する。肥前産青磁
瓶( 447)は,内面未施釉である。肥前京風刷毛目椀( 448)は,薄手の非常に丁寧なつくりで,高台
裏を除き,全面に施釉する。肥前産施釉陶器椀( 449)は,高台裏を除き,全面に施釉する。軟質施
釉陶器( 450)は,外面のみ施釉する。これらは,土師器皿の法量,形状,およびそのほかの器種構
成から,17 世紀後期のものとみられる。
第3節 瓦塼類
出土した瓦類はほとんどが破片であり,コンテナにして 20 箱が出土した。接合可能な資料も少
なく全容が判明したものはない。園池からは半数近くの 10 箱が出土しており,比較的残りのよい
瓦や瓦当文様がみられたため,それらを中心に以下,軒丸瓦,軒平瓦,平瓦の順に記述する5)。
軒丸瓦
(図版第 15・46)
(1∼4)
は園池の整地土からの出土である。
複弁八葉蓮華文軒丸瓦(1)
中房内に大粒の蓮子が1+6配される。蓮弁・弁間は突線で表現さ
れ,弁端中央は窪む。珠文は小さく,蓮弁中央と弁間に対応する形で巡る。瓦当部裏面の丸瓦接合
部にオサエが残る。周縁と瓦当部側面,瓦当部裏面下半をヨコナデする。胎土は精良で砂粒を少し
含む。灰白色を呈し焼成は軟質である。栗栖野瓦窯産である。平安時代後期。この形式は少なくと
も 15 形式確認 6)されている。
複弁八葉蓮華文軒丸瓦(2)
中房は平坦で蓮子数は不明であるが,1+4と思われる。中央の子
葉が突出する四葉の幅広の蓮弁の間から,同形の四葉の蓮弁が重なるように配され,花弁に凹凸は
なく細い突線で表現される。界線は二重に巡り珠文はない。瓦当部裏面には布目と絞り痕がある。
周縁と瓦当部側面をヨコナデする。胎土はやや粗く砂粒を多く含む。灰白色を呈し焼成は硬質であ
る。丹波系7)と思われる。
複弁八葉蓮華文軒丸瓦(3)
中房は段をなして盛り上がり,圏線が一段低いところに巡る。蓮子
は1+6配される。蓮弁も中房同様盛り上がり,立体感をだす。幅広の界線が二重に巡り,その外
側に珠文が一つ確認でき,蓮弁の先端に対応する形で配される。瓦当部裏面上方に丸瓦を合わせ,
粘土を付け加えて接合する。瓦当部裏面をナデ,瓦当部側面の一部をヨコケズリ,丸瓦接合部凸面
をヨコナデし,凹面にはオサエがのこる。胎土はやや粗く,砂粒を多く含む。灰色を呈し焼成は硬
質である。
複弁八葉蓮華文軒丸瓦(4)
(1)と同系統の瓦当文様であるが,二重の界線の中に珠文が配され
ている点が異なる。瓦当部裏面上端に丸瓦を合わせ,粘土を付けたし接合する。瓦当部側面上半は
タテナデ,下半はヨコナデする。胎土はやや粗く,砂粒を少し含む。灰白色を呈し焼成は硬質であ
る。
(1)
同様栗栖野瓦窯産である。
− 30 −
第Ⅲ章 遺物
軒平瓦
(図版第 15・46)
(5・6・8)
は園池整地土,
(7)
は園池Ⅱ期石敷き上面,
(9)
は井戸2掘形出土である。
唐草文軒平瓦(5)
中心飾りに十字形に配された1+4の蓮子があり,唐草文は中心から左右に
展開し,その外側を界線が巡る。直線顎である。平瓦部凹面と顎部をヨコナデ,平瓦部凸面をタテ
ナデする。胎土は精良で砂粒を少し含む。暗灰色を呈し焼成は硬質である。
唐草文軒平瓦(6)
主葉が外側から中心へ大きく反転し,子葉は強く巻き込む。その外側を界線
が巡る。曲線顎で半折曲げ技法である。平瓦部凹面は布目痕をとどめ瓦当付近をヨコケズリ,顎部
をヨコケズリし顎部裏面ヨコナデする。胎土は精良で砂粒を少し含む。表面は黒色から暗灰色,内
部は中心部が灰色,その周囲は灰白色を呈し焼成は硬質である。栗栖野瓦窯産である8)。
唐草文軒平瓦(7)
主葉が外側から中心へ大きく反転し,子葉はゆるく巻き込む。その外側に界
線がある。外区には珠文が不規則に配される。瓦当部が薄く,平瓦部凹面には布目痕,顎部凸面に
は縄叩きがあり,顎部裏面をヨコナデする。胎土は精良で砂粒をほとんど含まない。表面は灰色か
ら灰白色,内部は中心部がにぶい橙色,その周囲は灰白色を呈し焼成は硬質である。丹波系と思わ
れる9)。
重郭文軒平瓦(8)
重郭内にさらに一条の突線があり,郭線の断面はわずかに丸みをおびる台形
で,幅はほぼ均等である。周縁がわずかに残る。直線顎である。平瓦部凹面は布目痕を消すように
タテナデし,瓦当付近はヨコナデする。平瓦部凸面はヨコナデし一部縄目叩きがある。胎土は精良
で砂粒を少し含む。表面は灰色,内部は中心部がにぶい橙色,その周囲は灰白色を呈し焼成は硬質
である。難波宮 6574−B 型式 10)。
唐草文軒平瓦(9)
唐草文の外側に界線が巡り外区に珠文が配される。曲線顎で半折曲げ式であ
る。平瓦部凹面は布目痕をとどめ,瓦当付近斜めにヨコケズリする。顎部ヨコケズリし,顎部裏面
はオサエののちナデする。胎土はやや粗く砂粒を少量含む。被熱により表面は黄灰色から橙色,断
面は浅黄橙色を呈す。焼成は硬質である。
平瓦
(図版第 15)
(10)
は園池Ⅰ期石敷き上面から,
(11・12)
は園池Ⅱ期石敷き上面からの出土である。
( 10)は凹面を布目痕,凸面は縄叩き,側端面は垂直でタテケズリする。胎土は精良で砂粒を少
し含む。表面は灰色,内部は灰白色を呈し焼成は硬質である。
( 11)は凹面を布目痕,凸面は斜め格子叩き,側端面は斜めでタテケズリする。広端面には製作
過程でついたと思われる斜めの線が多数みられる。胎土は粗く砂粒を少し含む。灰白色を呈し焼成
はやや軟質である。
(12)
は凹面を布目痕,凸面は平行叩きであるが単位までは判別できない。側端面は凹面に向かっ
て斜めでタテケズリする。胎土はやや粗く砂粒を少し含む。灰白色を呈し焼成は硬質である。
塼
(第2表,図版第 16)
破片総数 26 点で,全容の判明する資料はない。調査区の東半でのみ確認し,井戸5,土壙 19 か
ら比較的多く出土した。いずれも室町時代後期から江戸時代前期の遺構と,幕末の井戸からの出土
− 31 −
第Ⅲ章 遺物
第2表 塼出土地点表
である。
遺物番号
器種・器形
出土遺構
備考
これらは大きく3種に分類できる。1類は,
13
瓦質 塼
土壙 28
1類
厚さ5∼ 5. 5 ㎝で,表裏両面が型により深く窪
14
瓦質 塼
井戸7
1類
み,側面と共に縄跡が残る。いずれも,左右
15
瓦質 塼
井戸5
2類
側面の縄跡は水平方向であるのに対し,上方
16
瓦質 塼
井戸5
2類
17
瓦質 塼
井戸5
2類
18
瓦質 塼
井戸 14
2類
19
瓦質 塼
土壙 19
2類
20
石製 塼
土壙 19
3類
側面の縄跡は,水平方向のものと垂直方向の
もの
( 14)にわかれる。また,穿孔が確認でき
るもの
( 13)もある。2類は,表と側面を丁寧
にナデ,裏面は未調整,もしくは簡易なナデ
を施す。またその中でも,厚さ2∼ 2. 5 ㎝のも
の
( 15・16・19)と,3. 5 ∼4㎝のもの
( 17・18)に分類できる。いずれも縄目跡や穿孔は確認でき
ない。3類は,石製品( 20)である。1点のみ確認できた。表面には,縦方向に浅い角度で複数の
穴を穿ち,裏面には,斜め方向の条線がみられる。
第4節 鋳造関連遺物
鏡鋳型を中心に,鞴の羽口や坩堝などの鋳造関連遺物が出土した。出土地点の詳細は,第3表
(鏡
鋳型出土地点および計測値)による。出土した鋳造関連遺物は,供伴する土器類から 15 世紀前期
から 17 世紀前期頃までの遺構からのものである。とくに,土壙 10 からは,多量の鏡鋳型と鋳造道
具のほかに,鉱滓なども比較的多く出土した。なかでも,鉄滓( 75)は表面を錆などに覆われ全容
は不明であるため,その成分および特性を明らかにするため分析 11)をおこなった。
なお,包含層中からではあるが柄鏡の鋳型が数点出土しており,近世においても関連する工房
の存在が想定される。
鏡鋳型
(第 14・15 図,第3表,図版第 17・18・47・48)
これは,籾殻,スサや砂礫を多く含む粘土を断面台形で円盤状に成型し,その中心に穿孔を施
したものを一度焼成し,粗型とする。これに,真土と呼ばれる微細な砂を多く含む土を塗り込み,
広面に箆や型押しなどによって施文し鏡背面とする。一方,鏡面は同様の粗型広面に真土を薄く
平滑に塗る。粗型は,狭面と側面は平滑であるのに対し広面には凹凸があり籾殻などの痕跡を明
瞭にとどめる。これは,広面に真土を塗る際に接着性をよくするためであるとされる 12)。また,
この真土には,やや粗いものを下地とし,その上に細かい胎土のものを重ね塗りするものも認め
られる。
鏡背文(1∼8)は,すべて粗型から外れた状態で確認された。文様は,亀甲文(1・2)や植物,
山や水文などがみられる。紐座は,判明する物はすべて亀形紐(1・3∼6)である。鏡背文真土
の厚みは,いずれも 1. 2 ㎝前後が中心であるが,
(3・6)
は 1. 8 ㎝と最も厚い。
(5)は文様から日月山水双鳥鏡とみられ,京都国立博物館蔵の鏡背文様と同系統 13)のものと考え
− 32 −
第Ⅲ章 遺物
23
24
33
第 1 4 図 鏡鋳型(2 3・2 4・3 3)狭面にみられる文様
られる。
(1∼3)
は土壙 6,
(4)
は土壙 17,
(5)
は土壙 13,
(6∼8)
は包含層出土である。
鏡粗型は,
土壙10
(9∼ 21)
,
井戸3
(27 ∼ 30)
が顕著で,
調査区内で確認される鏡鋳型のなかでもっ
とも古い段階のものと考えられる。粗形の径は最も小さいもの
(9)で 8. 5 ㎝,大きいもの
( 21)は約
28 ㎝と粗形の大きさにばらつきがある。
鏡粗型は,径が大きくなるほどその厚みは増すが,各出土地点ごとに法量の分布をみるとばらつ
きが認められ,同じ工房で様々な大きさの鏡を製作していた可能性が考えられる。
( 11・15)は広
面に不規則な斜格子が認められる。その上に真土が塗られており,一部でそれが剥落し,条線が確
認できる。
( 19)は,狭面の一部に条線が認められる。いずれも,側面および広面などに真土が残
存するのみで鏡背文が残るものは認められない。
( 22)は,狭面に花文が認められ篦押しの練習 14)などのためにつけられたものか,施文が未完成
で終わったものの可能性が考えられる。
( 23・24)は,狭面に径 2. 1 ㎝のコンパス(第 14 図)による
4
3.5
3
厚
み
︵
㎝
︶
2.5
2
土壙 10
井戸3
土壙6
その他の遺構出土鋳型
1.5
5
10
15
20
径(㎝)
第 1 5 図 鏡鋳型法量分布図
− 33 −
25
30
第Ⅲ章 遺物
とみられる文様がそれぞれ認められる。
( 25)は,全容は不明であるが狭面中央付近に線刻が認め
られる。土壙 16 出土。
( 33)は,全容を示す資料ではないが,鋳型狭面に紋所でいう
「三つ星」の印
(第 14 図)が認められる。土壙 22 出土。
( 36・38・39)は,いずれも柄鏡の鋳型 16)で狭い面と
刻 15)
広い面の差は認められない。
(36・38)は,片面にのみ,
(39)は両面に条線が認められる。
(36)は
井戸 13,
(38・39)
は包含層出土。
第 15 図鏡鋳型法量分布図は,主要遺構出土の鋳型に対して,その径が復原可能なものを資料と
して採用した。
その他鋳型
(図版第 19・48)
鏡鋳型に比べ,胎土はやや細かくいずれも赤褐色を呈し,一体型のつくりである。出土したもの
は,
( 42・45・46)を除いていずれも江戸時代中期以降の遺構や包含層からの出土であるため正確
な年代の特定にはいたっていない。
( 40・41)は,いずれも小仏像の鋳型とみられる。つくりはい
ずれも同じもので,胎土は赤褐色を呈し,スサをやや多く含む。また,側面,および背面の一部に,
褐色の真土が残存することから,雄型と雌型を合わせた際に隙間を埋めたり接合するために塗り込
めたものと考えられる。いずれも包含層出土。
( 42)は砲弾状の鋳型で,小型の仏具などの可能性
も考えられる。井戸 10 出土。
( 43)は,2ヶ所突状の鋳型の合わせ目が認められ,刀装具の足金物
の可能性もある。土壙 31 出土。
( 44)は,鋲であろうか,上下を互い違いに並列し,両面で,一度
に複数個を同一の鋳型で作成したとみられる。井戸8出土。
(45)
は,
小椀状の鋳型の可能性がある。
(46)
は,釘の鋳型である。
(45・46)
は,土壙 19 出土。
第3表 鏡鋳型出土地点および計測値
遺物番号
遺構番号
直径
(㎝)
厚み
(㎝)
遺物番号
遺構番号
直径
(㎝)
厚み
(㎝)
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
-
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙6
土壙6
8.5
10
10.5
10.5
11
11
13.5
14.5
14.5
15
17.5
17
28
10
10.5
11.4
12
12.5
13
13
13.5
14
14
13
1.95
1.9
2.5
2.15
2.1
2.1
2.7
2.4
2.2
2.5
3.2
3.3
3.6
1.9
2.15
2.35
2.15
2.6
2.0
2.1
2.3
2.25
2.4
2.6
23
24
31
32
34
35
26
27
28
29
30
37
-
土壙6
土壙6
土壙 12
土壙 12
土壙 13
土壙 17
土壙 19
土壙 19
土壙 18
土壙 22
土壙 22
土壙 24
土壙 25
土壙 25
炉1
井戸3
井戸3
井戸3
井戸3
井戸3
井戸3
井戸5
井戸 13
井戸 13
15.5
16
11.3
12
11.5
12
15.5
18.5
13.5
14
14
13.5
13
14
12.6
11.4
12.5
14
14.3
11.5
18.8
11.5
11.9
11.5
2.9
3.1
2.0
1.9
1.8
2.2
2.2
3.3
2.2
2.8
2.8
2.0
2.2
2.75
1.8
2.0
2.0
2.15
2.25
2.6
3.9
2.25
2.0
1.85
− 34 −
第Ⅲ章 遺物
鋳造道具
(第4表,図版第 19・49・50)
大部分が調査区南半からの出土で,坩堝(トリベ)に転用した土師器皿,坩堝(トリベ)
,鞴羽口,
屏風 17)などがみられる。いずれもスサや籾殻を混ぜ込んだ土でつくられる。すべて破片で全容の
判明するものはない。土師器皿転用坩堝(トリベ)は,土壙 10 以外でまとまった出土例はなく,そ
のほかの鋳造関連遺物に少量ずつともなう。これらは熱により融解状態となり灰色に変色,須恵器
のように硬質化し,内面および口縁部先端に鉱滓が溶着する。また,2枚重ねで使用したものや,
図化可能なものはないが,口縁部先端が割りとられているものなどもみられる。これは,溶着した
鉱滓を再利用する際,口縁部先端ごと割りとったためと考えられる。土師器皿転用坩堝は,熱によ
る器形の歪み,
また,
鉱滓の溶着などによりやや不明確ではあるが,
大部分は口径 11 ∼ 13 ㎝の皿
(48
∼ 60)で,わずかに口径8㎝前後の小型( 47)が混じる。法量,形状から,15 世紀から 16 世紀にか
けてのものとみられ,各出土遺構からは,これらの坩堝転用土師器皿と同型式の土師器皿,および
対応する時期の遺物が確認できる。
坩堝(トリベ)は,底部がやや平坦で器高の低い小型(61 ∼ 64)と,半球体の大型(65 ∼ 69)に分
類できる。なお小型は,坩堝としてだけでなくトリベとして利用された可能性も考えられることを
断っておく。
( 61・64)には,少なくとも1ヶ所の注ぎ口が確認できる。
( 61,63 ∼ 69)は,内面
全体と口縁部先端に鉱滓が厚く溶着し,外面にはきめ細かい土を塗りつけ,その上からナデを施す。
この土は,坩堝を再利用する際の補修のため,または,口縁部先端に溶着した鉱滓をはがしやすく
するために塗られた可能性が考えられる。
( 62)には,底部内面と口縁部先端にわずかに煤が吸着
するのみで,鉱滓の溶着および,外面に土が塗られた形跡はみられない。
鞴の羽口は,図化可能なものはほとんどないが,小型,中型,大型の3種類が確認できた。小型
(70)
は,内径が2㎝前後,器壁が1㎝弱と薄く,火口から体部にかけまっすぐ伸びる。中型
(71)
は,
火口から体部にかけ徐々に広がり,器壁も厚くなる。内径もわずかに大きくなるとみられる。大型
は,内径3㎝以上で,火口から体部にかけまっすぐ伸びるとみられる。いずれも棒に巻き付けて成
形し,火口付近は硝子化し,鉱滓が溶着する。
第4表 鋳造道具出土地点表
遺物番号
器形
出土遺構
遺物番号
器形
出土遺構
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土師器皿転用坩堝
土壙8
土壙 21
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 10
土壙 12
井戸3
井戸3
井戸3
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
坩堝(トリベ)小型
坩堝(トリベ)小型
坩堝(トリベ)小型
坩堝(トリベ)小型
坩堝 大型
坩堝 大型
坩堝 大型
坩堝 大型
坩堝 大型
鞴羽口
鞴羽口
屏風
屏風
屏風
土壙 12
土壙7
土壙 12
井戸3
土壙 10
土壙 10
土壙 21
土壙 26
土壙 23
土壙 12
土壙 11
土壙 10
土壙 10
土壙 24
− 35 −
第Ⅲ章 遺物
溶解炉を形成する部材である屏風( 72 ∼ 74)は,厚さ 1. 5 ∼2㎝ほどの平瓦状を呈し,内面には
鉱滓が溶着する。
(72)
の側面には真土状のきめ細かい砂が付着する。
第5節 その他の遺物
金属製品
(第 16 図,第5表,図版第 20・50・51)
(1)は,全長約5㎝の針金状で断面菱形を呈す金製品である。端部の一方はヘアピン状に折れ曲
がる。装飾に関連するものであろうか。園池Ⅱ期石敷き上面出土。
(2)は,上端と思われる部分に
は鉄製の金具が残存し,下端には,径 1 ㎜の穿孔が認められることから何かを挟み込むような構造
をもつものと考えられる。包含層出土。
(3)は,切羽。包含層出土。
(4)は釘。地下室2出土。こ
のほかにも数点出土しているが,
いずれも腐食により全容は確定できない。
(5)
は,
鋲と考えられる。
(6)は目貫である。
(8)は,表面を錆に覆われているものの,鉄鍋と考えられる。口径は約 20 ㎝,
受け口の口縁に吊すための取っ手が付く,脚の有無は不明である。
(5・6・8)は井戸5出土。銅
鏡(7)は,表面は腐食のため肉眼での文様の判別は困難であるがX線撮影の結果,文様が残存し
ており流水双鳥鏡と確認 18)された。紐は花蕊座紐,界圏は単圏尖線で,縁は直角式中縁 19)である。
この銅鏡の成分分析の結果は付章による。井戸4出土。
銭貨 20)は,個体として識別できるものが 133 点出土し,主に調査区の南東側から多数出土した。
なかでも,土壙 25 の底部中央から 19 点,全体で 28 点と,完形のものがまとまって出土した。判
1
3
6
5
4
2
8
0
7
第 1 6 図 金属製品(1/ 2)
− 36 −
10㎝
第Ⅲ章 遺物
読可能のものすべてが渡来銭であり,そのほとんどが北宋銭であるが,唐や金の年代のものもみら
れた。また,開元通寶( 26)の背面上には月が描かれている。ほかに土壙 19・23 や井戸4・5から
もまとまって出土した。
石製品
(第 17 図,図版第 21・52)
調査区全体から砥石をはじめ,滑石製鍋,温石,硯,石臼,碁石など,多くの石製品が出土した。
とくに砥石は,鋳造関連遺物の多く出土している遺構において確認でき,合計 134 点にのぼる。な
かには被熱したものや,鉱滓が溶着するものもみられ,砥石が鋳造の作業工程のいずれかの段階で
使用された可能性を示す資料と考えられる。このほか,包含層からの出土であるが弥生時代の石包
丁も1点出土した。
石包丁( 13)は残存長 11. 4 ㎝,最大幅 4. 2 ㎝,厚さ 5. 5 ㎜の半月形直刃で,半分ほどが欠損してお
り径5㎜の穿孔が1ヶ所のみ残る。
第5表 銭貨一覧表
No
種類
年代
初鋳年
(西暦)
字体
外縁径
(㎜)
内郭径
(㎜)
出土地
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
景祐元寶
熈寧元寶
景祐元寶
皇宗通寶
永楽通寶
天聖元寶
元豊通寶
紹聖元寶
聖宋元寶
永樂通寶
元重寶
天聖元寶
景祐元寶
熈寧元寶
聖宋元寶
太平通寶
政和通寶
開元通寶
開元通寶
至道元寶
咸平元寶
祥符元寶
祥符通寶
明道元寶
皇宗通寶
皇宗通寶
嘉祐通寶
熈寧元寶
元豊通寶
元豊通寶
元豊通寶
元祐通寶
聖宋元寶
正隆元寶
北宋
北宋
北宋
北宋
明
北宋
北宋
北宋
北宋
明
唐
北宋
北宋
北宋
北宋
北宋
北宋
唐
唐
北宋
北宋
北宋
北宋
北宋
北宋
北宋
北宋
北宋
北宋
北宋
北宋
北宋
北宋
金
1034
1068
1034
1038
1408
1023
1078
1094
1101
1408
758
1023
1034
1068
1101
976
1111
621
621
995
998
1008
1008
1032
1038
1038
1050
1068
1078
1078
1078
1086
1101
1157
真書
真書
真書
真書
真書
真書
篆書
篆書
篆書
真書
真書
真書
篆書
篆書
篆書
真書
篆書
隷書
隷書
真書
篆書
真書
真書
篆書
篆書
真書
真書
真書
行書
真書
行書
行書
篆書
真書
24. 7
23. 7
25. 2
24. 7
25. 2
23. 8
24. 3
23. 9
25. 0
25. 3
25. 4
25. 5
25. 1
24. 6
23. 4
24. 5
24. 8
24. 3
24. 8
24. 7
24. 7
23. 7
25. 1
24. 6
24. 0
24. 2
23. 4
23. 8
24. 0
24. 6
24. 7
24. 3
24. 5
24. 6
7. 3
6. 4
6. 0
6. 8
5. 1
6. 0
6. 8
6. 4
5. 6
5. 5
6. 5
7. 0
6. 9
6. 9
6. 5
5. 7
6. 4
6. 7
6. 5
6. 1
6. 3
6. 0
6. 7
6. 0
6. 8
6. 6
6. 3
6. 4
6. 5
6. 4
6. 1
6. 9
6. 3
5. 8
井戸3
井戸3
土壙 19
土壙 19
土壙 19
井戸4
井戸4
井戸4
井戸4
井戸4
井戸5
井戸5
井戸5
井戸5
井戸5
土壙 23
土壙 23
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
土壙 25
− 37 −
備考
錯笵
背面上に月
第Ⅲ章 遺物
砥石(2∼8)はいずれのものにも比較的大
きな溝状の研ぎ痕が確認できる。砥石(2・
3)は,幅2∼3㎜,断面 U 字状溝がみられ
る。また
(2)は,溝付近にわずかに銅滓が付
着する。両者共に土壙 16 出土。砥石(4)は,
1
摩滅のため幅広く,深く窪み,さらに溝の中
0
20㎝
に擦痕が無数にみられる。土壙 22 出土。砥
石(5)は,断面三角形状の溝がみられる。土
第 1 7 図 石臼(1/ 8)
壙 23 出土。砥石(6)は,片面に断面 U 字状
の深い溝が,もう片面には断面三角形状の浅
い溝がみられる。一部被熱し,煤が吸着する。土壙 21 出土。砥石(7)は,石の形に沿うように断
面 U字状の溝が走る。炉1出土。砥石
(8)
は,
幅広く深い断面 U字状の溝がみられる。土壙10出土。
不明石製品(9)は,幅1㎜ほどの浅い条線が並行する。土壙 19 出土。滑石製鍋( 10)は,外面全体
に煤が吸着し,煮沸具として使用されていた状態を示す。土壙 19 出土。温石( 11)は欠損により厚
さ不明,温石( 12)は厚さ 1. 1 ∼ 1. 3 ㎝で,両者共上方に穿孔がみられる。いずれも井戸3出土。石
臼の上臼
(1)
は,砂岩製で,二次的に火を受け,全面暗灰色を呈す。側面および上面は欠損,もし
くは打ち欠いたとみられ,全容は判明しない。そのため,側面には一辺 2. 2 ㎝の正方形の挽き木打
ち込み穴が確認できるものの,台座文様は残存しない。中心より外側には径約3㎝の貫通する供給
口 21),
臼面中心には径3∼ 3.5㎝,
深さ約2.5㎝の軸穴をもち,
軸穴を中心に八分画の目を施す。また,
供給口から軸穴を巡るように,断面三角形状で勾配のある溝,ものくばりをもつ。臼面中心より半
径約6㎝は,わずかに凹状となるふくみがあり,目の摩滅がみられるのみであるが,ふくみより外
側のすり合わせ部は平滑になり光沢がある。炉1出土。
木製品
(第 18 図,図版第 21・52)
出土した木製品は,挽物椀
(1・2)
,箸
(3∼6)
,下駄
(7)
,横櫛
(8)
,斎串
(9)
,杓子形
(10)
,
ミニチュア下駄(11)
,不明品(12 ∼ 14)
,井戸枠(15 ∼ 20)である。これらは,すべて井戸2から
出土したものである。なかでも,
箸と考えられる棒状の木製品が60点以上まとまって出土したほか,
形代などが認められる。
挽物椀(1)は口径 10 ㎝,器高3㎝で内面には轆轤目が認められる。挽物椀(2)は,口径 10. 5 ㎝,
器高 2. 5 ㎝でつくりは
(1)と同様のものである。また,いずれも高台底に削り取られたような痕跡
が認められ,轆轤の爪痕は確認できない。
箸
(3∼6)
は,
全長18㎝前後と24㎝前後の大きく2種類に分けられる。断面は,
円形から楕円形で,
径は約5㎜である。
下駄
(7)
は,連歯下駄で台と歯を一木からつくるものである。横櫛
(8)
は,約 1/ 2 ほどが残存し,
3㎝あたり約 28 本の歯を挽きだす。肩部に丸みを持つⅡ−a−1 形式 22)に該当する。
(9)
は,残存長
23. 5 ㎝以上,幅約 2. 2 ㎝,厚さ5㎜,上下端部を欠損するため確定できないが斎串と考えられる。
− 38 −
第Ⅲ章 遺物
(10)は,全長 15 ㎝,幅 3. 5 ㎝,厚さ4㎜の柄と身からなる杓子形である。
(11)は,全長 9. 5 ㎝の
ミニチュアの下駄である。
(7)と同様連歯下駄とみられる。
( 12)は,棒状の不明品である。先端
の一部を細く削り出している。
( 15 ∼ 20)は,方形縦板横桟組の井戸枠の部材である。縦板は各面
に5∼6枚を二重に重ねる。横桟は4段確認したが,上段のものは遺存状態が悪い。
( 15・16)は
東側縦板で外面には手斧による加工痕が明瞭に残る。とくに
( 15)には下端に8×8㎝の方形の穴
が認められる。井戸枠にともなう加工痕でないことから建築部材などの転用材と考えられる。
(17)
は,北側下から2段目の横桟である。
( 18)は,東側下から2段目の横桟である。
( 17・18)は三枚
によって L 字形に接ぐ。隅の支柱( 19・20)は,横桟と直接組み合わされず下から支える構造を
とる。
( 19)は横桟下から2∼3段目間の北東支柱,
( 20)はその下段1∼2段目の支柱である。い
ずれの部材にも,縦板と同様に手斧による加工痕が残る。
17
18
19
15
16
0
第 1 8 図 井戸枠(1/ 1 6)
− 39 −
20
1m
第Ⅲ章 遺物
註
1)出土遺物の主要なうちわけは付表遺物概要表
14)前掲註 12,久保智康『中世・近世の鏡』日本
に記載する。なお土器類は,口径 5 分の1以上
残るものを図化の対象とした。
の美術 394,至文堂,1999 年,55 頁。
15)同様の印刻として,平安京左京八条三坊三町
2)木戸雅寿「中世陶器 信楽」(中世土器研究会
SE 566 出土の資料がある。前掲註 12,網論
編『概説中世の土器・陶磁器』所収,1999 年),
文および,鈴木廣司・山本雅和『平安京左京八
401 ∼ 409 頁。
条三坊1』(財団法人京都市埋蔵文化財研究所
鋤柄敏夫「瓦質土器 各地の瓦質土器」(中世
『平成6年度京都市埋蔵文化財調査概要』所収,
土器研究会編『概説中世の土器・陶磁器』所収,
1999 年),448 ∼ 453 頁。
1996 年)。
16)出土した柄鏡鋳型は,いずれも破片で全容の
3)前掲註2
判明するものはない。また,出土遺構について
4)同遺構の鋳造関連遺物でとりあげる土師器皿
も盛土掘り下げ時のものであるため年代の特
転用坩堝が示す年代に対応する土師器皿を同
定が困難な資料であることを記しておく。柄鏡
時に掲載した。
の分類は下記文献に分類案が示されている。
5)瓦各部名称は下記文献による。
植山茂『平安京左京四条四坊四町』京都文化博
財団法人京都市埋蔵文化財研究所『木村捷三郎
物 館 調 査 研 究 報 告 第 9 集, 京 都 文 化 博 物 館,
収集瓦図録』,1996 年。
1993 年,53 ∼ 56 頁。
6)平安博物館『平安京古瓦図録』雄山閣出版, 17)坩堝の上に立てて,小型の溶解炉の壁を形成
1977 年,379 頁,掲載番号 219。
するためのものと考えられる。
7)前 掲 註 6)文 献,2 2 5・3 6 9 頁 掲 載 番 号
147・148 と文様の系統や製作技法が似る。
用語については下記文献による。
五十川伸矢「Ⅳ銅と鉄の鋳造」(佐々木稔編『鉄
8)植山茂「 11 世紀後半の平安京所用瓦」(京都
と銅の生産の歴史』所収,雄山閣,2002 年),
文化博物館研究紀要『朱雀』第3集掲載 , 1990
年)。
194 頁。
18)京都国立博物館学芸室長久保智康氏の御教示
9)植山茂他『平安宮朝堂院跡』平安京跡研究調
による。
査報告第9輯,財団法人古代学協会,1983 年, 19)和鏡における界圏,縁についての分類,名称
18 頁。第 14 図−1と文様・製作技法が似る。
は,下記文献による。広瀬都巽『和鏡の研究』,
10)重郭文の形式分類は下記文献による。
角川書店,1978 年,125 ∼ 127 頁。
向日市教育委員会『長岡京古瓦聚成』向日市埋
20)銭貨の年代や用語は下記文献による。
蔵文化財調査報告書第 20 集,本文編 , 1987 年, 永井久美男『日本出土銭総覧』,兵庫埋蔵銭調査
72 頁。
会,1996 年。
11)付章神崎勝氏の分析結果による。
21)石臼部位の名称および目の分類は,下記文献
12)鏡鋳型の名称は,下記文献による。
による。
久保智康『中世・近世の鏡』日本の美術 394 至
三輪茂雄『臼』ものと人間の文化史 25,法政大
文堂,1999 年および網伸也「和鏡鋳型の復原的
学出版局,1978 年。
考察 左京八条三坊三町・六町出土例を中心
22)横櫛の形式分類は,下記文献による。
に」
(財団法人京都市埋蔵文化財研究所『研究紀
辻裕司「横櫛−横櫛の分類と生産遺跡−」(財団
要』第3号掲載,1996 年)。
法人京都市埋蔵文化財研究所『研究紀要』第7
13)京都国立博物館学芸室長久保智康氏の御教示
による。文様などの特徴は,同一工房での生産
を示すものの可能性が高いと判断される。
− 40 −
号掲載,2001 年),87 ∼ 96 頁。
第Ⅳ章 まとめ
第Ⅳ章 まとめ
今回の調査では,平安時代から近世に至る遺構や遺物を多数確認し,当地の変遷を知る上で重要
な知見をえることができた。これまで周辺では,小規模な発掘調査,試掘調査がおこなわれてきた
が,宅地の様相を具体的に示す遺構は確認されていない。
今回の調査で存在が明らかとなった園池の規模など不明な点もまだ残されている。
ここでは,遺構,遺物についての調査所見を述べると共に,問題点を記しまとめとしたい。
1.遺構の変遷
当地は,弥生時代から古墳時代にかけての集落遺跡である烏丸綾小路遺跡の範囲の北端に位置し,
当地の南東約 100 mでおこなわれた調査1)では,濠が確認されるなど周囲では弥生時代の遺構や遺
物が確認されていた。しかし,今回の調査ではそれに関連した明確な遺構は確認されず,石包丁と
弥生土器細片がわずかに確認されたにすぎない。こうしたことは,遺構の粗密の問題も含めて,当
地が遺跡の縁辺に位置するということを示す可能性も考えられる。
その後,平安時代中期に園池が造営され,2時期の変遷を経て約半世紀にわたって存続していた
と考えられる。この園池に関連する建物などの施設は,調査区内では確認できていない。宅地南東
隅という立地にあり,北西部に広がりをもつものと考えられる。
園池廃絶後,平安時代後期から鎌倉時代の遺構として,土壙や井戸などが北区西半を中心に確認
されるが,東半は後世の削平をうけていることもあり遺構は確認できていない。室町時代には,鋳
造関連の廃棄土壙や炉,路に面した部分で楕円形のものや不定形の土取り穴とみられる大規模な土
壙状遺構が複数確認される。こうした土取り穴とみられるものは,桃山時代においても複数確認さ
れる。四条町の中心地でもあるこの場所で,路に面してこのように土取り穴が掘削される状況は,
その性格も含めさらに検討を要するものである。
近世にいたっては,井戸などの遺構を除いて,多くは後世の攪乱を受け,全容をうかがえる遺構
は確認できない。また,時期は確定できないが炉3などの存在も当地の性格の一端を示す資料の一
つであると考えられる。
第6表 主要遺構概要表
年代
平安時代中期
平安時代後期∼鎌倉時代
室町時代
桃山時代以降(近世)
遺構
井戸 1,溝 1,園池,柱穴状遺構
井戸 2,土壙 1 ∼ 5,地下室1
井戸 3,土壙 6 ∼ 19,土壙群,炉 1・2,地下室 2,溝 2
土壙 20 ∼ 31,井戸 4 ∼ 16,炉 3
− 41 −
第Ⅳ章 まとめ
2.園池
確認された園池は,Ⅰ期のものが想定される町尻小路西築地心から西へ6m,四条大路北築地心
から北へ約9mに位置し,宅地南東隅に想定される。Ⅰ期のものは,深さ 0. 35 ∼ 0. 4 mとゆるやか
であるのに対し,Ⅱ期は,Ⅰ期肩部に盛土をし,池の内側にせり出すように肩部を改修する
(図版
。
第 53−1)
調査区内で確認される状況から,旧来の窪地などの地形を利用して園池を造営するというよりは,
盛土や池底を平坦に削っていること
(図版第 53−2)などが特徴としてあげられる。また,Ⅰ期肩部
下層で確認された溝1は,出土遺物から大きな時期差は認められない。また,溝としての機能につ
Y=-21
975
000
025
050
Y=-22
075
いても問題が残る。こうした,園地下層で確認される溝状遺構の類例として,昭和 63 年度2)およ
錦小路
西三行
西二行
西一行
西四行
北
一
門
X=-110
725
北
二
門
平成12年度試掘
周辺既往調査一覧
(NO.5)
北
三
門
北
四
門
西
洞
院
大
路
北
五
門
北
六
門
調査地
平成2年度試掘
周辺既往調査一覧
(NO.6)
0
50m
第 1 9 図 左京四条三坊四町既往調査区配置図(1/ 1, 0 0 0)
− 42 −
町
尻
小
路
775
800
北
七
門
北
八
門
四条大路
750
825
第Ⅳ章 まとめ
び平成 9 年度3)の高陽院での調査で確認された汀下層の溝があげられる。規模が異なり,その性格
についても検討4)を要するが,時期的にも近いことや,汀下層で確認されている点などから,関連
する遺構の可能性がある。
3.文献資料にみられる四条三坊四町
四条三坊四町は,九条家本『延喜式』左京図では,その四町に
「四条宮」
,その両側に
「公任大納言
家」
,
「紫雲(カ)立所」
とある。
『拾芥抄』
(故実叢書本)東京図では四町に
「四条宮」とあり,古写本で
は尊経閣文庫本・大東急記念文庫本・国会図書館本(東京図・又東京図)
,また寛永刊本でも四町に
「四条宮」とある。このほかの文字史料では,
「名所」
(名家)の一覧の初出は
『簾中抄』下「京中 < 付 >
名所」
,
「四条宮」は
「公任大納言公家 < 紫雲立所 >」とあり,場所が特定されていない。ついで,
『二
中歴』第十「名家歴」では四条宮の記載は認められない。
『拾芥抄』中末「諸名所部第二十」
,
「四条宮」
は
「< 四条南西洞院東,廉義公家,公任大納言家,紫雲立所也 >」
とあり,ここに記載されている
「四
条南・・」
が,左京五条三坊一町に
「四条宮」
が存在した根拠とされる。これまでのところ,
「四条宮」
第7表 四条宮関係記事略年表
西暦
年号
月日
982 以前
記事
藤原頼忠の邸宅となる。
『拾芥抄』
982
天元 5
5. 8
頼忠の娘遵子,本邸から円融天皇に入内。『日本紀略』
990 頃
正暦 1
1012
長和 1
1017
寛仁 1
6. 1
藤原遵子,没。この後,本邸が公任に譲られる。
1018
寛仁 2
11. 8
本邸の北町の小人宅が焼亡,北の対が類焼する。『小右記』
1025
万寿 2
1. 25
焼亡。『栄花物語』
1026
万寿 3
1. 4
公任,北山の長谷にある解脱寺で出家。『公卿補任』
1041
長久 2
1. 1
公任没。『公卿補任』
1054
天喜 2
1054
天喜 2
2. 16
高陽院内裏焼亡にともなって、後冷泉天皇が本邸を里内裏とした折,頼通
の子の俊綱邸の寝殿を移築し南殿とする。『百錬抄』
1057
天喜 5
3. 29
焼亡。『百錬抄』
1064
康平 7
3. 2
後冷泉天皇の皇后藤原寛子が初めて本邸に行啓。『水左記』
1068
治暦 4
4. 19
後冷泉天皇崩御。この後寛子の御所となる。
1079
承暦 3
12. 24
焼亡、累代の御物多数を焼失。『百錬抄』
藤原公任,昭平親王女を妻とする。『小右記』
12. 25 (しばらくのちに,本邸の西の対を立派に飾り付けを整えて,妻を迎える。
『栄
花物語』)
公任の娘に,藤原道長の息子教通を婿に取る際に,本邸の西の対をそれに
4. 28
当てる。『栄花物語』・
『小右記』
この頃までに藤原頼通の所有となる。『百錬抄』
※出典の記載の無い記事は,(財)古代学協会・古代学研究所編『平安時代史事典』の記述を参照した。
− 43 −
第Ⅳ章 まとめ
の比定地についてはこの
『拾芥抄』本文記事によるものが多く見受けられる。今回の調査で確認され
た園池は,時期的にもこれら文献の示す年代に近いものであるが,建物跡などの具体的な遺構が未
確認であることや,左京五条三坊一町での調査事例がないことから,今後の周辺における調査・研
究をふまえて総合的に判断し,文献にみられる齟齬を埋める作業を行う必要がある。
4.土器類
今回の調査では,平安時代中期から江戸時代中期にかけての遺物が確認できた。平安時代中期と
後期ではおもに園池,井戸2,土壙2で,多くの土師器皿,東播系須恵器,輸入陶磁器などがみら
れたが,そのほかは,目立った遺構もなくまとまった例はない。鎌倉時代から室町時代前期の遺物
は,調査区南半の土取り穴や井戸から幅広い時期の遺物と共に混じり合って出土したものの,土壙
などからのまとまった一括出土例はみられない。このような傾向は,周辺の既往調査5)からもうか
がえるように,近世におこなわれた土取りによって下層遺構の多くが削平されたためと考えられる。
室町時代中期から江戸時代にかけては,調査区南半の土壙や井戸,土取り穴の多くに鋳造関連遺物
が廃棄される。
上記のように時期の特定しがたい井戸や土取り穴から多くの土器類や鋳造関連遺物が出土するた
め,遺構の選定が困難ではあったものの,ここでは,土器類や鋳造関連遺物について概要を述べる
と共に土器類の法量,形状,産地,時代別出土比率などの統計をふまえ,若干の見地を加えたい。
土師器皿:調査区の各時代において出土土器の大部分を占め,最も普遍的な器種である。平安時代
中期から後期にかけての遺構では全体の7割を超え,そのほかは,須恵器,輸入磁器が混じる。平
安時代末から鎌倉時代にかけての遺構では,須恵器や輸入陶磁器に加え,焼き締め陶器や瓦器など
が混じりはじめるが,土師器皿は以前よりさらに増加傾向にある。遺構によっては,土壙2のよう
に土器全体の9割を超える例もある。室町時代の後半に入ると,
各地から焼き締め陶器や,
瓦質土器,
施釉陶器など多種多様な土器が多く搬入されるものの,土師器皿は依然土器全体の6∼7割を占め
る。しかし近世に入り16世紀後半になると焼き締め陶器,
施釉陶器,
磁器,
土師質土器などが増加し,
土師器皿の占める割合は徐々に減少し,江戸時代に入ると,その数はそのほかの土器類と同じ割合
か,それ以下にまでなる。
煮沸具:土師器甕は調査区の各時代においてほとんど確認できなかった。近世に入ると,焙烙など
が一定量みられるようになる。瓦器鍋,釜も,鎌倉時代から室町時代前半にかけ一定量確認できた
ものの,まとまった出土例はほとんどない。これら土師器,瓦器の煮沸具は,土器全体での出土割
合は,各時代を通じて非常に低いといえる。
輸入陶磁器:輸入陶磁器と総称するものの,各時代においてほとんどの器種が磁器であり,陶器は
非常に少ないといえる。輸入陶磁器は,井戸2のように大量の土師器皿にともなって一括廃棄され
る例を含め,平安時代中期から江戸時代初頭にかけての大部分の遺構に一定量混じり,土師器皿に
次いで普遍性の高い器種であるといえる。しかし,江戸時代初頭を過ぎると,国産の陶磁器に取っ
て代わり激減する。
− 44 −
第Ⅳ章 まとめ
東播系須恵器とその他産地別焼き締め陶器:当調査区は,土取り穴や井戸のように時代の判明し難
い遺構が多いため,ここで述べる東播系須恵器および各産地の焼き締め陶器6)の比率は,調査区よ
り出土のすべての破片の合計から導き出した数値ではなく,出土遺構年代が明確な一括遺物および,
主要遺構から出土したものについてのみとり挙げる
(第 20 図 東播系須恵器および焼き締め陶器出
土比率参照)
。
平安時代中期から鎌倉時代にかけて,東播系須恵器の捏ね鉢や壷甕類がかなりの割合を占める。
以降,これらは室町時代中期にかけて減少していく。平安時代の後期には常滑産焼き締め陶器甕が
出現し,急激に増加しつつ,室町時代中期には東播系須恵器に取って代わる。平安時代中期から室
町時代中期にかけてのあいだ,東播系須恵器と常滑産甕が土器全体で占める割合は,土師器皿に次
いで大きい。その後,常滑産甕は近世にかけて徐々に減少傾向にあるものの,大部分の遺構に一定
量混じる。室町時代後半にはいると,備前産焼き締め陶器擂り鉢や壷甕類が出現する。後期には,
信楽産焼き締め陶器擂り鉢が出現,急激に増加し,備前産焼き締め陶器と共に江戸時代前期にかけ,
かなり大きな割合を占める。その後,備前産焼き締め陶器は減少傾向にあるのに対し,信楽産焼き
締め陶器は増加を続け,江戸時代中期以降,焼き締め陶器の大部分を占めるようになる。また,丹
波産焼き締め陶器は,室町時代後期以降,江戸時代にかけて擂り鉢や壷甕類が少量ずつみられるが,
まとまった出土例はない。
東播系須恵
100%
常滑
備前
信楽
※各グラフ上の数値は出土総重量
(g)
丹波
8,470
14,575
2,010
1,925
1,085
6,390
4,520
605
247
5,325
11,590
905
1,105
900
井
戸
2
下
層
井
戸
2
上
層
土
壙
1
地
下
室
1
土
壙
9
土
壙
10
土
壙
12
炉
1
土
壙
18
井
戸
5
土
壙
22
土
壙
23
土
壙
24
土
壙
27
90%
80%
70%
60%
50%
40%
30%
20%
10%
0%
第 2 0 図 東播系須恵器および焼き締め陶器出土比率
− 45 −
第Ⅳ章 まとめ
土師器皿法量分布
ここでは,平安時代中期から江戸時代中期までの土師器皿の法量・形状の変化を述べる
(第 21 図
土師器皿法量分布図参照)
。
平安時代中期では,口径 10 ∼ 11 ㎝で小型の
「て」の字口縁皿のほか,口径 11 ∼ 18 ㎝の幅広い範
囲で口縁部外面に二段ナデを施す皿がみられるが,後者は徐々に縮小化し,口縁部調整手法を変
化させ,平安時代後期には口径9∼ 10 ㎝の小型と,口径 14 ∼ 16 ㎝の大型に大別可能となる。鎌
倉時代に入ると,新たに杯,椀状を呈す白色系土師器が出現し,さらに室町時代に入ると,
「へそ
皿」など新たな器形もみられるようになる。
「へそ皿」は,ほぼ口径7㎝前後を保ったまま徐々に形
態を変化させ近世初頭まで残る。椀・杯状の白色系土師器は,ほぼ一定の口径のまま形態を皿状に
変化させながら増加し,土師器皿の中心を占めるようになる。またこれらは,新たに出現する口径
16 ㎝を超す特大皿と共に,近世にかけて形態を変化させながら縮小化していく。白色系土師器以
外の,いわゆる赤色系土師器皿は,室町時代以降さらに縮小化がすすみ,数も減少していく。
土器の特殊な出土様相に関して 今回の調査では,土師器皿が,完形もしくはそれに近い状態でまとまって出土した例がいくつ
かみられた。園池,井戸2では,とくにほかとは違った出土状況であるといえる。園池では,Ⅱ期
の池の肩部に沿うような形で,11 世紀中期の完形かそれに近い状態の土師器皿が重なり合って多
園
池
Ⅰ
(㎝) 期
園
池
Ⅱ
期
園
池
整
地
土
井
戸
2
下
層
井
戸
地
2 土 土 土 土 下
上 壙 壙 壙 壙 室
層 1 2 3 5 1
地
土 土 土 土 下井 土 井土井 土 土 土 土土土
土 土 土 土 土土土 土
壙 壙 壙 壙 壙壙壙 壙 炉壙 壙 壙 壙 室戸 壙 戸壙戸 壙 壙 壙 壙壙壙
6 7 8 9 10 11 12 群 1 13 16 17 18 2 3 19 4 21 5 22 23 24 25 26 27
5.0
6.0
7.0
8.0
9.0
10.0
11.0
12.0
13.0
14.0
15.0
16.0
赤色系
白色系
17.0
第 2 1 図 土師器皿法量分布図
− 46 −
第Ⅳ章 まとめ
く出土した。井戸2の下層でも同様に,多くの 12 世紀前半の完形かそれに近い状態の土師器皿と,
木製品のほか,曲げ物内には瓦器椀や輸入磁器がみられた。また,輸入磁器の中には,形状の似た
青磁皿や墨書を施すものも数枚含まれ,これらが一括廃棄された様相を強く示す。このように,完
形かそれに近い状態の土師器皿がまとまって出土する状況は,当時この場所で饗宴がおこなわれ,
その際に儀式で使用された可能性が高いと考えられる。
5.鋳造関連遺物
鋳造関連遺物は,当調査区の性格をよくあらわす資料であり,室町時代中期から江戸時代前期に
かけての遺構から出土した。主に鏡鋳型と,土師器皿転用坩堝(トリベ)
,坩堝(トリベ)
,鞴羽口,
屏風などの鋳造道具であり,ほかは小型製品鋳型が少量含まれる。出土した鏡鋳型と土師器皿転用
坩堝の大部分は土壙 10 からの出土である。
この土壙 10 出土の鏡鋳型の特徴として,直径が,8. 5 ㎝のものから 28 ㎝と様々な径の鏡粗型が
出土していることがあげられる。同時期にこうした様々なものを製作していたことがうかがえ,生
産体制を考えるうえで重要な資料といえる。
また,近世鏡師の名前や居住地をまとめた広瀬都巽の成果7)によると,四条新町西入に稲村備後
守重長の工人名があり,包含層などからの出土で正確な時期は特定できないが,近世の鏡鋳型(38・
39)
との関連も注目される。
土壙 10 出土の土師器皿転用坩堝は,供伴する土器類や,それ自体の法量,形状から,15 世紀中
期の年代があたえられるが,この時期における鏡鋳造と土師器皿転用坩堝の関係性をうかがわせる
資料といえる。これは,包含層などから出土したものも含め,その法量,形状から,すべて 15 世
紀前期から 16 世紀前期のあいだにおさまるものである。それ以降は,そのほかの鋳造道具と鋳型
類が江戸時代前期まで継続してみられるものの,土師器皿転用坩堝は出土していない。
謝辞
調査のため御協力いただいた作業員,補助員,また近隣住民の方々には誠に感謝申し上げます。
発掘調査から報告書作成までにとくに以下の方々と関係機関から数多くの有益な御教示,御指摘
を賜りました。末筆ながら記して感謝申し上げます。
家原圭太,宇野隆志,馬瀬智光,久保智康,西山良平,能芝勉,堀内明博,堀大輔,京都市文化
市民局文化財保護課,京都府教育庁指導部文化財保護課,財団法人京都市埋蔵文化財研究所
(五十音順・敬称略)
− 47 −
第Ⅳ章 まとめ
註
頼通伝領前の高陽院」(財団法人京都市埋蔵文
1)百瀬正恒,辻裕司,南孝雄「平安京左京五条
化財研究所『研究紀要』第 5 号掲載,1999 年)。
三坊」(財団法人京都市埋蔵文化財研究所『平
成 2 年 度 京 都 市 埋 蔵 文 化 財 調 査 概 要 』所 収, 5)京都府文化博物館『平安京左京五条二坊十六
町』京都文化博物館調査研究報告第6集所収,
1994 年)。既往調査一覧番号 13
1991 年。辻村純代,前川佳代,千喜良淳『平安
2)網伸也・内田好昭・高正龍「平安京左京二条
二坊・高陽院跡1」(財団法人京都市埋蔵文化
京左京五条三坊八町』平安京跡研究調査報告 第
財研究所『昭和 63 年度 京都市埋蔵文化財調査
19 輯,財団法人古代学協会,1997 年。財団法
概要』所収,1993 年)。
人古代学協会『平安京左京四条三坊十三町−長
刀鉾町遺跡−』平安京跡研究調査報告 第 11 輯,
3)網伸也「平安京左京二条二坊・高陽院跡」(財
1984 年。
団法人京都市埋蔵文化財研究所『平成9年度 京都市埋蔵文化財調査概要』所収,1999 年)。
6)焼き締め陶器の産地,器形に関して能芝勉氏
4)この下層の溝に関する解釈には様々な見解が
(財団法人京都市埋蔵文化財研究所)から御教
示頂いた。
ある。報告では厳密にその性格に言及していな
いが,以下の論考の中で園池造営に関連すると
7)広瀬都巽『和鏡の研究』,角川書店,1974 年。
の見解もみられる。網伸也「発掘調査からみた
− 48 −
付章 平安京左京四条三坊四町出土遺物の蛍光X線元素分析
付章 平安京左京四条三坊四町出土遺物の
蛍光X線元素分析
NPO 法人 妙見山麓遺跡調査会 神崎 勝
1.分析装置
測定機器は
〈蛍光X線元素分析装置 MESA- 500W(堀場製作所製)
〉を用い,笹倉正典が操作にあ
たった。本装置は,水素 H からネオン Ne までの軽元素は測定しない。また本文では,質量濃度
(重
量比 weight percent)
を用いた。ただしこれはX線強度の測定値
(cps/μA)
をもとに算出された計算
値であって実測値ではない。
2.鉄滓の分析
土壙 10 出土の鉄滓(75)について3段階に分けて測定をおこなった。第一段階は非破壊のままで,
所与の資料(重量 311. 57 g,比重 2. 26)について,灰黒色の金属質部分,橙褐色の金属質部分,固
着した土を測定した。また第二段階では,資料の一部を粉砕して,ペレット(錠剤)
をつくり測定し
た。しかしこれらの測定値には偏差が大きく,信頼できる値が得られなかった。
つぎに第三段階として,付着した土をすべて取り除いたところ,鉄塊状の遺物であることが判明
した
(重量 252. 5 g)
。そこで,その本体とみられる黒色の光沢部分
(第 22 図,鉄滓1)
と,その部分
をグラインダーで研磨した面
(第 22 図,鉄滓2)
との,2点を測定することにした。
拡大鏡を用いた目視観察によれば,溶融状態が不十分(半溶解状態)
であること,球状の気泡がみ
られないことなどから,鉄製錬
(タタラ)
による流出滓である可能性はうすいと思われる。内部に細
かい割れ目があるが,気泡というよりも,小塊が積み重なった際の間隙とみたほうが自然である。
火花試験も行ったが綺麗な火花は見られず,硫黄臭がある。しかし強い金属反応と磁力がある。
消去法により,分析結果をもとに次のように推定した。まずチタン Ti が少なく
( 0. 45 %以下)
,
バナジウム V も見られないこと,微量の銅を含むこと
( 0. 03 %)などから,いちおう鉱石由来の遺
物
(砂鉄由来でない)
と考えられる。しかし明瞭な劈開面がみられない点,小礫が溶け込んでいる点,
塊状をなす点などからみて,鉱石そのものではないであろう。
つぎにスラグの可能性を考える。たしかに鉄の含有率は高いが
( 79. 70 ∼ 84. 57 %)
,同時に,相
当量の硫黄 S(0. 54 ∼ 0. 86 %)や燐 P(3. 88 %)を含んでおり,鉄鉱石の製・精錬(タタラ・サゲ・小
鍛冶など)の滓,または鉄製品の鋳造滓とみることは困難に思われる。さらに,非鉄の鋳造物の鋳
造滓である可能性については,銅の含有量が微量( 0. 03 %)であり,錫・鉛・亜鉛などが皆無であ
る点が不審である。
検討会では,今ひとつの可能性として,この遺物自体が製品であると考えた場合はどうか,とい
う指摘があったので,参考までに記載しておく。検討会で想定された遺物の例としては,度量衡用
− 49 −
付章 平安京左京四条三坊四町出土遺物の蛍光X線元素分析
の錘
(遺物の重量 252. 5 g=約 3. 3 貫)
,投弾
(砲弾を含む)
などが挙げられたが,断案は得られなかっ
た。なお燐の含有率が高く,そのために材質が堅くて脆い点を考慮する必要がある。したがってこ
こでは,いわゆる
「鉄塊系遺物」
の可能性を残しながらも,性格不明の遺物として報告しておきたい。
3.銅鏡の分析
井戸4出土の銅鏡
(7)
について分析をおこなった。
鏡面・鏡背ともに,細かい砂を含む暗灰緑色の土錆び
(厚 0. 2 ∼ 0. 3 ㎜程度)に覆われている。た
だ1カ所,鏡面側に土錆びが剥がれている部分(約 15 ㎜× 18 ㎜範囲)があり,中国の緑漆古鏡にみ
られるような,鈍い光沢をもつ灰緑色の滑らかな面がのぞいている。さらにこの灰緑色の面の一部
に傷があり,地肌とおぼしい茶灰色の滑らかな面(約3㎜×7㎜)
が露出しており,その中にわずか
に金属光沢
(白銀色)
が認められる。
測定にあたっては,鏡面がわの金属光沢
(白銀色)
のある小部分を2回測定した
(第 23 図,銅鏡1・
銅鏡2)
。また参考のために土錆び面2カ所,灰緑色光沢面2カ所についても測定した。
検出された元素のうち,鏡の表面が錆びる過程で土から取り込まれたとみられる要素として,ア
ルミニウム Al,珪素 Si,カリウム K,チタン Ti,マンガン Mn,鉄 Fe,ストロンチウム Sr,燐 P,
カルシウム Ca の9元素がある。これらの元素は,個々の元素についてみても,その総量について
みても,土錆び部分において最大値を示し,金属光沢のある小部分(銅鏡1・銅鏡2)
において最小
値を示しており,上の推定の妥当性を裏書きする。
砒素 As は,これら9元素とは逆に,銅鏡1において最大値を示すから,土錆びに由来するもの
ではない。しかし溶媒剤として人為的に装入したにしては量が少ない
( 0. 10 ∼ 0. 22 %)
。もともと
原料金属
(銅・鉛)
に含まれていた雑質とみるのが自然であろう。
したがって鏡は,銅・鉛の二元合金(鉛青銅)
とみられ,錫を含まない点が時代的特徴として留意
される。銅鏡1では銅 42. 79 %・鉛 47. 29 %,また銅鏡2では銅 41. 18 %・鉛 44. 96 %であるから,
これを2元素のみの百分比に直せば,それぞれ銅 47. 5 %・鉛 52. 5 %,銅 47. 81 %・鉛 52. 19 %となる。
両者間のこの差は,測定部位の剥がれ方の不規則性によるものとみられ,大差はないと考えてよい
であろう。したがって本銅鏡については,銅約 48 %・鉛約 52 %の青銅鏡と考えたい。
錫をほとんど含まず,鉛を多含する青銅の例はほかにもある。明洪武通宝(洪武元年 1368 初鋳)
のなかには,鉛を 50 %以上含むものが少なからずあり,わが国で造られた模鋳銭とみられている1)。
また中国宋代の鏡にも,測定の部位と状況によって,41 ∼ 76 %の鉛が検出されるものがあるとい
う2)。
註
1)佐々木稔「出土銭貨の自然科学的解析法につ
2)何堂坤『中国古代銅鏡的技術研究』紫禁城出版
いて」(『出土銭貨』7号掲載,1997),咲山ま
どか・赤沼英男・桜木晋一・佐々木稔「中世出
土銭の形態的特徴と材質の比較研究」
(『わが国
における銭貨生産』所収,1997)
− 50 −
社,1999
付章 平安京左京四条三坊四町出土遺物の蛍光X線元素分析
鉄滓 1
鉄滓 2
銅鏡 2
第 2 2 図 鉄滓分析部分
(錆および付着土除去後)
銅鏡 1
第 2 3 図 銅鏡鏡面分析部分
【鉄滓2】
【鉄滓1】
測定時間 :600sec
X線管電圧 :15/50kV
電流
:180/18μA
試料室
:大気
試料セル:なし
定量補正法 :スタンダードレス
元素
ライン 質量濃度
[%] 2σ
[%]強度
[cps/μA]
14 Siけい素
K
11.72
0.67
0.033
15 P りん
K
3.88
0.23
0.040
16 S硫黄
K
0.86
0.06
0.030
19 Kカリウム
K
1.44
0.07
0.174
20 Caカルシウム
K
1.14
0.05
0.206
22 Tiチタン
K
0.45
0.05
0.643
25 Mnマンガン
K
0.63
0.05
1.463
26 Fe鉄
K
79.70
0.65
190.051
37 Rbルビジウム
K
0.10
0.02
0.501
38 Srストロンチウム K
0.04
0.03
0.192
0.04
0.01
0.236
40 Zrジルコニウム K
測定時間 :600sec
X線管電圧 :15/50kV
電流
:160/18μA
試料室
:大気
試料セル:なし
定量補正法 :スタンダードレス
元素
ライン 質量濃度
[%] 2σ
[%]強度
[cps/μA]
13 Alアルミニウム
K
14.38
4.36
0.006
16 S硫黄
K
0.54
0.27
0.020
19 Kカリウム
K
0.07
0.02
0.009
20 Caカルシウム
K
0.29
0.04
0.058
26 Fe鉄
K
84.57
4.31
208.577
29 Cu銅
K
0.03
0.02
0.060
33 Asひ素
K
0.03
0.01
0.090
37 Rbルビジウム
K
0.08
0.02
0.390
第 2 4 図 鉄滓分析結果
【銅鏡1】
【銅鏡2】
測定時間 :600sec
X線管電圧 :15/50kV
試料室
:真空
測定時間 :600sec
X線管電圧 :15/50kV
試料室
:真空
電流
:260/16μA
試料セル:なし
電流
:200/13μA
試料セル:なし
定量補正法 :スタンダードレス
定量補正法 :スタンダードレス
元素
14 Si
15 P
19 K
20 Ca
26 Fe
29 Cu
33 As
82 Pb
元素
14 Siけい素
15 P りん
19 Kカリウム
20 Caカルシウム
26 Fe鉄
29 Cu銅
33 Asひ素
82 Pb鉛
けい素
りん
カリウム
カルシウム
鉄
銅
ひ素
鉛
ライン
K
K
K
K
K
K
K
L
質量濃度
[%] 2σ
[%]強度
[cps/μA]
3.52
0.07
0.233
3.71
0.06
0.446
0.40
0.04
0.052
1.70
0.06
0.256
0.36
0.04
0.824
42.79
0.21
133.596
0.22
0.09
0.662
47.29
0.23
44.735
第 2 5 図 銅鏡分析結果
− 51 −
ライン
K
K
K
K
K
K
K
L
質量濃度
[%] 2σ
[%]強度
[cps/μA]
6.22
0.10
0.518
4.19
0.07
0.620
0.53
0.61
0.086
2.37
0.07
0.448
0.45
0.04
1.285
41.18
0.32
162.082
0.10
0.09
0.386
44.96
0.35
54.148
付 表
(付表)
遺物観察表
遺物
番号
遺構番号
1
井戸 1
土師器
皿
14. 5
-
2
溝1
土師器
皿
10. 3
1. 3
3
溝1
土師器
皿
10. 6
1. 5
4
溝1
土師器
皿
11. 1
-
5
園池
土師器
皿
10. 4
1. 5
6
園池
土師器
皿
10. 4
1. 4
7
園池
土師器
皿
10. 6
1. 4
口縁端部の一部に煤吸着。
8
園池
土師器
皿
10. 8
0. 9
口縁部にひずみあり。
9
園池
土師器
皿
11. 0
1. 3
10
園池
土師器
皿
11. 2
1. 15
11
園池
土師器
皿
17. 6
-
12
園池
黒色土器
甕
13. 2
-
13
園池
緑釉陶器
皿
10. 4
1. 75
14
園池
輸入青白磁
合子
5. 2
1. 9
15
園池
土師器
皿
10. 4
1. 3
16
園池
土師器
皿
10. 5
1. 3
17
園池
土師器
皿
10. 7
1. 7
18
園池
土師器
皿
10. 3
1. 85
19
園池
土師器
皿
10. 4
2. 0
20
園池
土師器
皿
10. 5
2. 1
21
園池
土師器
皿
10. 6
2. 0
22
園池
土師器
皿
11. 0
2. 0
23
園池
土師器
皿
11. 1
2. 05
24
園池
土師器
皿
11. 1
1. 85
25
園池
土師器
皿
11. 8
2. 1
口縁端部数ヶ所に煤吸着。口縁部にひずみあり。
26
園池
土師器
皿
11. 9
2. 8
口縁端部の 1/ 2 程に煤吸着。
27
園池
土師器
皿
12. 5
2. 3
口縁部内面の一部にわずかに煤吸着。
28
園池
土師器
皿
12. 8
2. 4
口縁端部の一部に煤吸着。
29
園池
土師器
皿
12. 9
2. 6
口縁端部数ヶ所に煤吸着。
30
園池
土師器
皿
13. 2
2. 7
底部外面に板状圧痕あり。
31
園池
土師器
皿
15. 0
2. 7
底部外面に線状の圧痕あり。
32
園池
土師器
皿
15. 2
-
33
園池
土師器
皿
15. 4
2. 7
34
園池
土師器
皿
15. 4
3. 1
35
園池
土師器
皿
15. 5
2. 8
36
園池
土師器
皿
15. 8
3. 1
37
園池
土師器
皿
15. 9
-
38
園池
土師器
皿
16. 0
3. 4
39
園池
土師器
皿
17. 2
-
40
園池
灰釉陶器
椀
底径 6. 4
-
41
園池
土師器
皿
10. 0
1. 8
42
園池
土師器
皿
11. 0
2. 0
43
園池
土師器
皿
11. 2
2. 0
44
園池
土師器
皿
14. 9
2. 3
45
園池
土師器
皿
14. 9
2. 8
46
園池
瓦器
椀
15. 2
6. 0
47
園池
輸入青磁
皿
底径 4. 1
-
48
園池
輸入青磁
皿
10. 6
2. 6
49
園池
輸入青磁
皿
10. 4
3. 35
50
園池
輸入白磁
皿
底径 4. 0
-
51
園池
輸入青磁
壷
7. 3
-
52
園池
須恵器
杯
8. 4
2. 3
内面に漆付着。底部外面に糸切り痕がみられる。
53
園池
須恵器
杯
8. 5
2. 7
口縁部の内外面に自然釉がかかる。口縁部外面に煤吸着か。
54
園池
須恵器
皿
10. 8
3. 4
口縁部内面の一部に自然釉がかかる。
55
園池
須恵器
甕
27. 1
-
56
井戸 2
土師器
皿
8. 8
1. 0
57
井戸 2
土師器
皿
9. 0
1. 4
58
井戸 2
土師器
皿
9. 2
1. 9
59
井戸 2
土師器
皿
9. 6
1. 5
底部外面が被熱により赤色化。
60
井戸 2
土師器
皿
9. 8
1. 9
内面ほぼ全体と口縁部外面に煤吸着。
61
井戸 2
土師器
皿
10. 2
1. 6
62
井戸 2
土師器
皿
14. 2
-
63
井戸 2
土師器
皿
17. 8
2. 4
器
種
器
形
口 径
( ㎝ )
器 高
( ㎝ )
備
底部から口縁部の一部に煤吸着。
胎土に長石等がやや多く含まれる。
内面黒色化。外面は煤吸着。
硬陶。見込みに目跡あり。
口縁部にひずみあり。
底部外面に板状圧痕あり。
内外両面 1/ 2 程に煤吸着。
胎土に長石等が多く含まれる。底部中央内面にオサエ跡が明瞭に残る。
口縁部のひずみが大きい。
体部内面に釉がかかる。高台と高台内に煤吸着。見込みが摩滅,墨痕らしき
ものあり。硯に転用か。
底部中央付近に直径約 5 ㎜の穿孔あり。口縁部にひずみあり。
見込みに平行状暗文。部分的に炭素吸着していない。
底部外面に墨書あり。
口縁部の破断面に煤吸着。
内面に陰刻文。
東播系。胎土に長石,黒色粒が多い。肩部外面に灰がかかる。
64
井戸 2
輸入白磁
椀
17. 8
-
65
井戸 2
輸入白磁
椀
5. 5
-
66
井戸 2
輸入白磁
椀
底径 7. 1
-
67
井戸 2
須恵器
杯
底径 4. 3
-
底部外面に糸切り痕がみられる。
68
井戸 2
須恵器
椀
底径 8. 1
-
内面全体に自然釉がかかる。
69
井戸 2
土師器
皿
9. 6
2. 0
70
井戸 2
土師器
皿
9. 9
2. 1
口縁部の一部に煤吸着。
71
井戸 2
土師器
皿
10. 2
2. 1
外面の広範囲と口縁部内面の一部に煤吸着。
72
井戸 2
土師器
皿
14. 0
-
73
井戸 2
土師器
皿
14. 6
2. 7
74
井戸 2
土師器
皿
15. 0
2. 8
75
井戸 2
土師器
皿
15. 2
2. 3
76
井戸 2
土師器
皿
15. 4
2. 9
77
井戸 2
土師器
皿
15. 6
2. 5
78
井戸 2
瓦器
椀
14. 5
-
(1)
考
高台内に墨書あり。
口縁部のひずみが大きい。底部内面2ヶ所に竹管文あり。
口縁端部の一部に煤吸着。
(付表)
口 径
( ㎝ )
器 高
( ㎝ )
皿
9. 9
2. 5
底部外面に墨書あり。
皿
底径 3. 4
-
底部外面に墨書あり。
皿
10. 2
2. 5
椀
底径 5. 7
-
遺物
番号
遺構番号
79
井戸 2
輸入青磁
80
井戸 2
輸入青磁
81
井戸 2
輸入青磁
82
井戸 2
輸入白磁
83
井戸 2
輸入白磁
椀
底径 6. 9
-
84
井戸 2
須恵器
杯
9. 1
2. 6
85
井戸 2
須恵器
甕
21. 9
-
86
井戸 2
土師器
皿
10. 9
1. 2
87
井戸 2
土師器
皿
9. 2
1. 5
口縁端部に煤吸着。
88
井戸 2
土師器
皿
9. 5
1. 8
底部内外両面に煤吸着。
89
井戸 2
土師器
皿
9. 5
1. 8
口縁部の一部に煤吸着。
90
井戸 2
土師器
皿
9. 7
1. 8
底部中央内面,口縁部外面の一部に煤吸着。
91
井戸 2
土師器
皿
9. 8
2. 3
92
井戸 2
土師器
皿
9. 8
2. 1
93
井戸 2
土師器
皿
10. 2
2. 2
94
井戸 2
土師器
皿
14. 6
3. 0
95
井戸 2
土師器
皿
14. 9
2. 8
96
井戸 2
土師器
皿
14. 9
2. 8
97
井戸 2
土師器
皿
15. 0
2. 8
98
井戸 2
土師器
皿
15. 2
2. 9
器
種
器
形
備
考
外面底部および底部付近未施釉。
底部外面に糸切り痕がみられる。
東播系。口縁部のひずみが大きい。
底部中央付近に外側から穿孔(直径約 8 ㎜)。口縁部の一部に煤吸着。
口縁部の一部に煤吸着。
99
井戸 2
土師器
皿
16. 2
3. 3
100
井戸 2
土師器
皿
16. 3
3. 6
101
井戸 2
瓦器
皿
9. 8
2. 1
102
井戸 2
瓦器
椀
14. 6
-
内面の一部以外は炭素吸着していない。
103
井戸 2
瓦器
椀
底径 6. 0
-
内面は炭素吸着していない。
104
井戸 2
輸入青磁
皿
10. 15
2. 5
105
井戸 2
輸入白磁
椀
14. 2
5. 5
106
井戸 2
輸入白磁
椀
17. 2
6. 8
107
井戸 2
須恵器
壷
底径 13. 1
-
口縁部から肩部に自然釉がかかる。
108
井戸 2
須恵器
-
底径 12. 6
-
内面にわずかに自然釉がかかる。
109
土壙 1
土師器
皿
9. 8
1. 3
110
土壙 1
土師器
皿
10. 0
1. 6
111
土壙 1
土師器
皿
9. 4
1. 7
112
土壙 1
土師器
皿
10. 0
1. 7
113
土壙 1
土師器
皿
10. 1
1. 75
114
土壙 1
土師器
皿
10. 2
2. 1
115
土壙 1
土師器
皿
10. 2
1. 8
116
土壙 1
土師器
皿
15. 5
-
117
土壙 1
土師質土器
壷
13. 2
-
118
土壙 1
瓦器
皿
9. 8
2. 3
119
土壙 1
瓦器
椀
16. 0
-
120
土壙 1
輸入白磁
椀
17. 6
-
121
土壙 1
輸入白磁
椀
底径 7. 5
-
122
土壙 2
土師器
皿
9. 3
2. 0
123
土壙 2
土師器
皿
9. 4
1. 65
124
土壙 2
土師器
皿
9. 5
1. 7
125
土壙 2
土師器
皿
9. 5
1. 65
126
土壙 2
土師器
皿
9. 5
1. 9
127
土壙 2
土師器
皿
9. 5
1. 8
128
土壙 2
土師器
皿
9. 5
1. 9
129
土壙 2
土師器
皿
9. 6
1. 8
130
土壙 2
土師器
皿
9. 6
1. 9
131
土壙 2
土師器
皿
9. 6
1. 5
132
土壙 2
土師器
皿
9. 7
1. 8
133
土壙 2
土師器
皿
9. 7
1. 8
134
土壙 2
土師器
皿
9. 8
1. 6
135
土壙 2
土師器
皿
9. 8
1. 9
136
土壙 2
土師器
皿
9. 8
1. 7
137
土壙 2
土師器
皿
10. 0
2. 0
138
土壙 2
土師器
皿
10. 1
1. 8
139
土壙 2
土師器
皿
10. 1
1. 8
140
土壙 2
土師器
皿
10. 2
1. 6
141
土壙 2
土師器
皿
10. 3
1. 8
142
土壙 2
土師器
皿
13. 8
2. 9
143
土壙 2
土師器
皿
14. 1
2. 9
144
土壙 2
土師器
皿
14. 3
2. 7
145
土壙 2
土師器
皿
14. 5
2. 6
底部内面の一部に煤吸着。
146
土壙 2
土師器
皿
14. 5
3. 2
口縁部内外両面の一部に煤吸着。底部中央内面が強いナデにより窪む。
147
土壙 2
土師器
皿
14. 8
3. 4
148
土壙 2
土師器
皿
14. 8
2. 6
149
土壙 2
土師器
皿
14. 9
3. 2
150
土壙 2
土師器
皿
14. 7
2. 9
151
土壙 2
土師器
皿
15. 0
2. 7
152
土壙 2
瓦器
椀
14. 9
5. 75
153
土壙 3
土師器
皿
9. 5
1. 3
154
土壙 3
土師器
皿
10. 5
1. 5
155
土壙 3
土師器
皿
14. 0
-
156
土壙 3
土師器
皿
14. 0
2. 8
157
土壙 4
土師器
皿
9. 2
1. 7
内外両面部分的に煤吸着。
158
土壙 4
瓦器
椀
8. 0
2. 7
見込みに連続長楕円状の暗文。
(2)
内外両面全体に煤吸着。
内面の一部は炭素吸着していない。
外面の一部に煤吸着。
見込に格子状暗文。
内外面一部炭素吸着していない。
底部の一部に煤吸着。
口縁部の一部にわずかに煤吸着。
底部中央内面にオサエ跡が明瞭に残る。底部外面中央に成形台の跡か。
底部外面の一部が被熱により赤色化。
口縁部にひずみあり。
口縁部外面の一部に煤吸着。
口縁部内外両面の 1/ 2 程に煤吸着。
口縁部外面の一部が炭素吸着していない。
口縁部外面の一部に煤吸着。
(付表)
遺物
番号
遺構番号
器
種
器
形
口 径
( ㎝ )
器 高
( ㎝ )
備
159
土壙 4
輸入青磁
椀
17. 0
-
160
土壙 5
土師器
皿
8. 9
1. 5
161
土壙 5
土師器
皿
9. 0
1. 8
162
土壙 5
土師器
皿
9. 1
1. 7
163
土壙 5
土師器
皿
9. 2
1. 6
164
土壙 5
土師器
皿
9. 2
1. 7
165
土壙 5
土師器
皿
9. 2
1. 7
内外両面底部から口縁部に部分的に煤吸着。
166
土壙 5
土師器
皿
9. 2
1. 5
内面底部から口縁部,口縁部外面部分的に煤吸着。
167
土壙 5
土師器
皿
9. 4
1. 8
168
土壙 5
土師器
皿
13. 4
2. 7
169
土壙 5
土師器
皿
13. 8
2. 5
170
地下室 1
土師器
皿
8. 2
1. 3
171
地下室 1
土師器
皿
8. 6
1. 4
172
地下室 1
土師器
皿
8. 8
-
173
地下室 1
土師器
皿
9. 0
1. 6
174
地下室 1
土師器
皿
9. 2
1. 3
175
地下室 1
土師器
皿
9. 3
1. 7
176
地下室 1
土師器
皿
9. 4
1. 5
177
地下室 1
土師器
皿
12. 0
2. 4
178
地下室 1
土師器
皿
12. 4
2. 1
179
地下室 1
須恵器
鉢
30. 0
11. 6
180
土壙 6
土師器
皿
10. 9
-
181
土壙 6
土師器
皿
12. 0
-
182
土壙 6
土師器
皿
12. 8
-
183
土壙 7
土師器
皿
11. 2
-
184
土壙 7
土師器
皿
11. 4
-
185
土壙 7
土師器
皿
11. 8
-
186
土壙 8
土師器
皿
6. 8
2. 0
187
土壙 8
土師器
皿
7. 8
1. 5
188
土壙 8
土師器
皿
8. 0
2. 3
189
土壙 8
土師器
皿
10. 9
2. 2
190
土壙 8
土師器
皿
11. 0
-
191
土壙 8
土師器
皿
14. 3
-
192
土壙 9
土師器
皿
5. 9
1. 7
193
土壙 9
土師器
皿
6. 4
1. 7
194
土壙 9
土師器
皿
7. 0
1. 7
195
土壙 9
土師器
皿
7. 1
2. 0
196
土壙 9
土師器
皿
7. 2
1. 2
197
土壙 9
土師器
皿
7. 2
1. 9
198
土壙 9
土師器
皿
7. 4
1. 5
199
土壙 9
土師器
皿
7. 5
1. 6
内外両面の 1/ 2 程に煤吸着。
200
土壙 9
土師器
皿
7. 6
1. 5
口縁部の一部に煤吸着。
201
土壙 9
土師器
皿
7. 6
1. 6
内面の広範囲,口縁部外面に煤吸着。
202
土壙 9
土師器
皿
7. 7
1. 8
203
土壙 9
土師器
皿
8. 8
2. 1
204
土壙 9
土師器
皿
8. 9
1. 8
205
土壙 9
土師器
皿
9. 1
1. 8
206
土壙 9
土師器
皿
11. 7
2. 6
207
土壙 9
土師器
皿
14. 9
3. 2
208
土壙 9
土師器
皿
16. 0
3. 6
209
土壙 9
土師器
皿
16. 4
-
210
土壙 9
輸入青磁
皿
11. 0
2. 3
211
土壙 9
瓦器
脚付羽釜
6. 7
10. 2
両面に櫛描き文。
底部外面,内面底部から口縁部に煤吸着。
口縁端部の一部に煤吸着。
底部内面の一部に煤吸着。
東播系。胎土に含有物が多い。内面の口縁部下半から底部が使用により摩滅。
口縁部にひずみあり。
口縁端部に煤吸着。
内外両面の広範囲に煤吸着。
全体に煤吸着。
口縁部内外両面に煤吸着。
口縁部外面に煤吸着。
見込みに陰刻文。
212
土壙 9
瓦器
鍋
29. 2
-
213
土壙 10
土師器
皿
8. 8
0. 85
214
土壙 10
土師器
皿
6. 8
1. 95
底部外面の窪み内に爪痕が残る。
215
土壙 10
土師器
皿
7. 0
1. 8
底部外面の窪み内に爪痕が残る。
216
土壙 10
土師器
皿
7. 0
1. 9
底部外面の窪み内に爪痕が残る。
217
土壙 10
土師器
皿
7. 2
1. 8
218
土壙 10
土師器
皿
7. 4
2. 0
219
土壙 10
土師器
皿
8. 6
2. 2
220
土壙 10
土師器
皿
7. 2
1. 5
221
土壙 10
土師器
皿
7. 4
1. 8
222
土壙 10
土師器
皿
7. 6
1. 6
223
土壙 10
土師器
皿
7. 6
1. 6
224
土壙 10
土師器
皿
7. 7
1. 7
225
土壙 10
土師器
皿
8. 1
1. 7
226
土壙 10
土師器
皿
9. 0
2. 1
227
土壙 10
土師器
皿
9. 1
2. 2
228
土壙 10
土師器
皿
9. 3
2. 05
229
土壙 10
土師器
皿
9. 3
1. 8
230
土壙 10
土師器
皿
9. 4
1. 9
231
土壙 10
土師器
皿
12. 0
3. 2
232
土壙 10
土師器
皿
14. 0
3. 4
233
土壙 10
土師器
皿
14. 4
3. 3
234
土壙 10
土師器
皿
14. 5
2. 6
235
土壙 10
土師器
皿
14. 6
2. 9
236
土壙 10
土師器
皿
15. 8
3. 0
237
土壙 10
土師質土器
丸底小鉢
10. 6
-
238
土壙 10
土師質土器
丸底小鉢
11. 0
7. 3
(3)
考
外面全体に煤吸着。
底部外面の窪み内に爪痕が残る。
底部外面に平行線状の圧痕あり。
外面に部分的に煤吸着。
内外両面部分的に煤吸着。
内外両面に薄く煤吸着。平滑な内面に細かい線条痕がみられる。
外面の一部と内面全体に煤吸着。平滑な内面に線条痕がみられる。
(付表)
口 径
( ㎝ )
器 高
( ㎝ )
丸底小鉢
11. 1
8. 1
丸底小鉢
11. 2
-
瓦器
椀
9. 0
2. 6
土壙 10
瓦器
羽釜
24. 4
-
土壙 10
瓦質土器
火鉢
底径 28. 4
-
244
土壙 11
土師器
皿
6. 6
1. 9
245
土壙 11
土師器
皿
6. 6
1. 95
246
土壙 11
土師器
皿
6. 7
1. 9
247
土壙 11
土師器
皿
7. 1
1. 95
248
土壙 11
土師器
皿
7. 1
1. 9
249
土壙 11
土師器
皿
7. 2
1. 95
250
土壙 11
土師器
皿
7. 7
1. 6
251
土壙 11
土師器
皿
8. 7
2. 0
252
土壙 11
輸入青磁
椀
15. 7
-
253
土壙 12
土師器
皿
7. 5
1. 8
底部外面の窪み内に爪痕が残る。
254
土壙 12
土師器
皿
7. 8
1. 8
底部外面の窪み内に爪痕が残る。
255
土壙 12
土師器
皿
7. 0
1. 6
256
土壙 12
土師器
皿
7. 5
1. 4
257
土壙 12
土師器
皿
8. 4
1. 7
258
土壙 12
土師器
皿
8. 7
1. 8
259
土壙 12
土師器
皿
11. 5
2. 55
260
土壙 12
土師器
皿
12. 4
2. 8
261
土壙 12
輸入青磁
椀
底径 6. 1
-
262
土壙 12
輸入青磁
鉢
底径 9. 2
-
高台内中央付近未施釉。
263
土壙 12
施釉陶器
水滴
底径 3. 0
-
瀬戸産。外面未施釉部に煤吸着。底部外面に不明瞭な糸切り痕がみられる。
264
土壙 12
施釉陶器
おろし皿
底径 7. 7
-
瀬戸産。内面に煤吸着。底部外面に糸切り痕がみられる。
265
土壙 12
土師質土器
羽釜
30. 0
-
内面に煤吸着。
266
土壙群
土師器
皿
8. 0
1. 5
267
土壙群
土師器
皿
8. 5
2. 0
268
土壙群
土師器
皿
10. 6
-
269
土壙群
土師器
皿
16. 1
-
270
土壙群
輸入青白磁
合子蓋
底径 6. 5
1. 55
頂部外面に蓮弁文。
271
土壙群
輸入青磁
皿
10. 5
2. 45
見込みに不明瞭な陰刻文。
272
土壙群
輸入白磁
椀
10. 6
-
273
土壙群
輸入白磁
椀
11. 2
-
274
土壙群
施釉陶器
椀
底径 7. 5
-
275
土壙群
瓦質土器
深鉢
33. 8
7. 75
276
炉1
土師器
皿
7. 2
1. 8
277
炉1
土師器
皿
8. 7
1. 7
278
炉1
土師器
皿
10. 1
1. 8
外面部分的に煤吸着。
279
炉1
土師器
皿
11. 3
1. 9
内外両面部分的に煤吸着。
280
土壙 13
土師器
皿
6. 2
1. 2
281
土壙 13
土師器
皿
9. 8
-
282
土壙 13
土師器
皿
14. 0
-
283
土壙 13
輸入白磁
皿
11. 5
-
284
土壙 13
施釉陶器
-
8. 0
-
285
土壙 14
瓦質土器
鉢
30. 8
13. 1
286
土壙 14
焼き締め陶器
擂り鉢
29. 5
13. 05
287
土壙 15
土師質土器
焙烙
27. 9
6. 8
口縁部内外面と底部外面に煤吸着。
288
土壙 15
瓦質土器
鉢
25. 4
8. 5
河内・和泉産か。内面がやや摩滅し,擦痕がみられる。
289
土壙 16
土師器
皿
8. 2
1. 6
290
土壙 16
土師器
皿
8. 4
2. 0
291
土壙 16
土師器
皿
9. 0
-
292
土壙 16
土師器
皿
9. 0
-
内外両面に籾土付着。
293
土壙 16
土師器
皿
9. 1
-
内外両面に煤吸着。
294
土壙 16
土師器
皿
13. 4
-
内外両面に煤吸着。
295
土壙 16
土師器
皿
15. 0
-
遺物
番号
遺構番号
器
種
239
土壙 10
土師質土器
240
土壙 10
土師質土器
241
土壙 10
242
243
器
形
備
考
内外両面に煤吸着。平滑な内面に線条痕がみられる。
内外両面の広範囲に煤吸着。平滑な内面に細かい線条痕がみられる。
内面の一部が炭素吸着していない。
内面は炭素吸着していない。
全面炭素吸着していない。
底部外面の窪み内に爪痕が残る。
底部外面の窪み内に爪痕が残る。口縁端部の広範囲に煤吸着。
口縁部のひずみが大きい。
口縁端部と底部外面に煤吸着。
蓮弁椀。
外面底部周縁部から口縁部にかけて煤吸着。
口禿げ。
瀬戸産。高台内に格子状の刻み目。
底部外面に藁の跡が残る。
全体的に煤吸着。
褐色の釉薬が薄くかかる。
体部外面下方に道具痕が残る。口縁端部内面から体部外面上半は炭素が剥離。
内面下半から底部に擦痕と摩滅痕がみられる。底部外面は炭素吸着しない。
信楽産。胎土に長石・石英・赤色粒を多く含む。
底部外面の一部に煤吸着。
296
土壙 16
土師器
皿
16. 3
-
297
土壙 16
輸入染付
-
底径 7. 7
-
298
土壙 16
施釉陶器
椀
底径 5. 3
-
瀬戸・美濃産。外面に煤吸着。
299
土壙 16
施釉陶器
椀
底径 5. 3
-
瀬戸・美濃産。底部内面が部分的に摩滅。
300
土壙 16
焼き締め陶器
壷
底径 3. 6
-
備前産。
301
土壙 16
焼き締め陶器
擂り鉢
30. 3
-
備前産。口縁端部の一部に煤吸着。体部内面が使用により摩滅。
302
土壙 17
土師器
皿
7. 1
1. 7
303
土壙 17
土師器
皿
8. 8
1. 9
304
土壙 17
土師器
皿
9. 5
-
305
土壙 17
土師器
皿
13. 5
2. 0
306
土壙 18
土師器
皿
7. 5
1. 6
307
土壙 18
土師器
皿
11. 4
-
308
土壙 18
土師器
皿
11. 9
-
309
土壙 18
土師器
皿
12. 6
-
310
地下室 2
土師器
皿
6. 2
1. 4
311
地下室 2
土師器
皿
6. 4
1. 4
312
地下室 2
土師器
皿
6. 6
1. 2
313
地下室 2
土師器
皿
7. 1
1. 55
314
地下室 2
土師器
皿
7. 6
1. 5
315
地下室 2
土師器
皿
11. 1
2. 0
316
地下室 2
土師器
皿
11. 4
1. 85
317
地下室 2
土師器
皿
12. 6
2. 1
318
地下室 2
施釉陶器
椀
12. 0
-
(4)
全体に煤吸着。
口縁部外面の一部に煤吸着。
口縁部のひずみが大きい。
口縁部にひずみあり。
外面底部から口縁部に煤吸着。
瀬戸・美濃産。内面に漆が付着。
(付表)
口 径
( ㎝ )
器 高
( ㎝ )
皿
6. 6
-
皿
8. 8
-
土師器
皿
9. 0
1. 7
土師器
皿
9. 8
1. 5
皿
10. 2
1. 5
皿
10. 6
-
皿
7. 8
2. 6
皿
8. 3
-
土師器
皿
9. 2
2. 0
井戸 3
土師器
皿
13. 8
-
井戸 3
輸入白磁
皿
11. 6
3. 0
330
井戸 3
輸入白磁
椀
11. 0
-
331
土壙 19
土師器
皿
6. 1
1. 3
332
土壙 19
土師器
皿
6. 4
1. 2
333
土壙 19
土師器
皿
6. 7
2. 0
334
土壙 19
土師器
皿
6. 8
1. 5
335
土壙 19
土師器
皿
6. 8
1. 7
336
土壙 19
土師器
皿
7. 0
1. 5
337
土壙 19
土師器
皿
7. 1
1. 7
338
土壙 19
土師器
皿
7. 2
1. 3
339
土壙 19
土師器
皿
7. 7
1. 9
340
土壙 19
土師器
皿
8. 4
1. 5
341
土壙 19
土師器
皿
9. 3
2. 0
342
土壙 19
土師器
皿
9. 8
2. 1
343
土壙 19
土師器
皿
11. 8
1. 9
344
土壙 19
土師器
皿
13. 2
2. 4
345
土壙 19
土師器
皿
13. 4
2. 3
346
土壙 19
土師器
皿
13. 4
2. 2
347
土壙 19
土師器
皿
13. 4
2. 0
348
土壙 19
土師器
皿
13. 6
2. 0
349
土壙 19
輸入青磁
皿
10. 2
3. 0
350
土壙 19
輸入青磁
皿
9. 0
2. 0
351
土壙 19
輸入青磁
椀
5. 3
-
352
土壙 19
施釉陶器
椀
8. 4
2. 7
353
土壙 19
焼き締め陶器
擂り鉢
33. 6
14. 4
354
井戸 4
土師器
皿
6. 0
1. 2
355
井戸 4
土師器
皿
6. 2
1. 25
356
井戸 4
土師器
皿
8. 8
1. 9
口縁端部全体に煤吸着。
357
井戸 4
土師器
皿
9. 5
1. 5
口縁端部の一部に煤吸着。
358
井戸 4
土師器
皿
10. 6
1. 8
359
井戸 4
土師器
皿
12. 4
2. 15
360
土壙 21
土師器
皿
6. 0
0. 9
361
土壙 21
土師器
皿
6. 2
1. 0
362
土壙 21
土師器
皿
6. 3
1. 0
363
土壙 21
土師器
皿
6. 6
1. 2
364
土壙 21
土師器
皿
10. 4
2. 4
365
土壙 21
土師器
皿
7. 3
1. 55
366
土壙 21
土師器
皿
11. 2
-
367
井戸 5
土師器
皿
5. 6
1. 2
368
井戸 5
土師器
皿
5. 8
1. 25
369
井戸 5
土師器
皿
7. 0
1. 55
370
井戸 5
土師器
皿
10. 2
2. 1
口縁部内面の一部に煤吸着。
371
井戸 5
土師器
皿
10. 2
2. 1
口縁端部に部分的に煤吸着。
372
井戸 5
土師器
皿
10. 2
2. 4
口縁端部の一部に煤吸着。
373
井戸 5
土師器
皿
11. 2
2. 3
口縁端部全体に煤吸着。
374
井戸 5
土師器
皿
11. 2
2. 1
口縁端部の一部に煤吸着。
375
井戸 5
土師器
皿
11. 4
2. 5
口縁端部全体に煤吸着。口縁端部やや赤色化。
376
井戸 5
土師器
皿
11. 4
2. 3
口縁端部全体に煤吸着。底部外面に線状の圧痕あり。
377
井戸 5
土師器
皿
11. 5
2. 5
内外両面部分的に煤吸着。
378
井戸 5
土師器
皿
11. 5
2. 2
口縁端部に部分的に煤吸着。口縁端部やや赤色化。
379
井戸 5
土師質土器
塩壷蓋
7. 4
2. 1
内面部分的に布目痕がみられる。外面部分的に煤吸着。
380
井戸 5
土師質土器
塩壷蓋
7. 5
2. 1
381
井戸 5
土師質土器
椀
7. 0
-
内外面部分的に煤吸着。口縁部のひずみが大きい。
382
井戸 5
輸入染付
椀
底径 4. 6
-
高台に砂溶着。
383
井戸 5
赤絵付
大皿
26. 0
4. 0
高台先端から内側に砂溶着。
384
井戸 5
輸入染付
鉢
31. 6
8. 7
高台先端から内側に砂溶着。
385
井戸 5
施釉陶器
皿
11. 2
2. 2
瀬戸・美濃産。内面に蓮弁文。見込み釉剥ぎ。高台内に土付着。
386
井戸 5
施釉陶器
皿
12. 4
2. 7
瀬戸・美濃産。内面に蓮弁文。見込み釉剥ぎ。
387
井戸 5
施釉陶器
皿
13. 2
2. 8
美濃産志野。全面施釉。
388
井戸 5
施釉陶器
皿
19. 0
-
389
井戸 5
施釉陶器
椀
10. 6
5. 9
390
井戸 5
施釉陶器
皿
11. 7
3. 25
391
井戸 5
施釉陶器
椀
10. 3
5. 2
392
井戸 5
施釉陶器
椀
10. 9
5. 15
唐津産か。内面数ヶ所に目跡あり。口縁部内面部分的に未施釉。底部内面に
細かい擦痕がみられる。
393
井戸 5
施釉陶器
鉢
9. 2
8. 85
唐津産。外面に鉄絵。内面と底部付近外面未施釉。
394
井戸 5
焼き締め陶器
擂り鉢
底径 13. 6
-
丹波産。内面が使用により摩滅。
395
井戸 5
焼き締め陶器
壷
13. 2
-
丹波産。体部外面に櫛描き文。外面に自然釉がかかる。
396
土壙 22
土師器
皿
6. 6
-
397
土壙 22
土師器
皿
6. 6
2. 15
398
土壙 22
土師器
皿
8. 8
-
遺物
番号
遺構番号
319
井戸 3
土師器
320
井戸 3
土師器
321
井戸 3
322
井戸 3
323
井戸 3
土師器
324
井戸 3
土師器
325
井戸 3
土師器
326
井戸 3
土師器
327
井戸 3
328
329
器
種
器
形
(5)
備
考
口縁端部の一部に煤吸着。
底部内面に煤吸着。
口禿げ。
口縁部のひずみが大きい。
口縁部外面に爪痕が残る。
内外両面部分的に煤吸着。
口縁端部に煤吸着。
蓮弁皿。見込み釉剥ぎ。見込みにヘラ記号のようなものあり。
見込み釉剥ぎ。高台先端 1/ 2 程釉剥ぎ。
瀬戸・美濃産。全面施釉。
丹波産。
口縁端部全体に煤吸着。
瀬戸・美濃産。輪花皿。内面に数ヶ所灰付着。
唐津産か。内面全体に鉄分のようなものが付着。
唐津産。口縁部内外両面 1/ 2 程に施釉。高台,見込みに同様の砂目跡あり。
唐津産。
(付表)
口 径
( ㎝ )
器 高
( ㎝ )
皿
9. 2
1. 85
皿
14. 2
-
土師器
皿
14. 2
-
土師器
皿
15. 2
2. 2
土壙 22
焼き締め陶器
甕
底径 46. 3
-
404
土壙 23
土師器
皿
6. 1
1. 0
405
土壙 23
土師器
皿
9. 4
1. 6
406
土壙 23
土師器
皿
9. 8
-
407
土壙 23
土師器
皿
10. 8
-
408
土壙 23
土師器
皿
11. 8
1. 85
409
土壙 23
土師質土器
小壷
2. 3
11. 8
410
土壙 23
施釉陶器
皿
10. 2
1. 95
411
土壙 23
施釉陶器
皿
12. 3
2. 7
412
土壙 23
焼き締め陶器
擂り鉢
底径 13. 8
-
413
土壙 24
土師器
皿
5. 2
1. 25
414
土壙 24
土師器
皿
5. 4
1. 2
415
土壙 24
土師器
皿
5. 5
1. 3
416
土壙 24
土師器
皿
5. 6
1. 3
417
土壙 24
土師器
皿
6. 5
1. 6
418
土壙 24
土師器
皿
7. 2
1. 4
419
土壙 24
土師器
皿
7. 2
1. 7
420
土壙 24
土師器
皿
10. 0
2. 1
421
土壙 24
土師器
皿
10. 2
-
422
土壙 24
土師器
皿
11. 0
2. 1
口縁端部の一部に煤吸着。
423
土壙 24
土師器
皿
11. 2
2. 3
内外両面部分的に煤吸着。
424
土壙 24
土師器
皿
11. 2
2. 05
425
土壙 24
土師器
皿
11. 3
2. 4
口縁端部に煤吸着。
426
土壙 24
土師器
皿
11. 3
2. 1
口縁端部全体と底部の一部に煤吸着。
427
土壙 24
土師器
皿
12. 4
2. 5
口縁端部の一部,底部内外両面に煤吸着。
428
土壙 24
瓦質焼成土器
盤
18. 6
2. 5
429
土壙 24
施釉陶器
皿
11. 2
2. 95
430
土壙 24
焼き締め陶器
擂り鉢
底径 12. 6
-
431
土壙 25
土師器
皿
6. 1
0. 9
432
土壙 25
土師器
皿
8. 8
1. 7
433
土壙 25
土師器
皿
8. 9
1. 9
434
土壙 25
土師器
皿
10. 1
1. 8
口縁端部全体と底部から口縁部に部分的に煤吸着。
435
土壙 25
土師器
皿
10. 2
2. 0
口縁端部に煤吸着。
436
土壙 25
土師器
皿
10. 4
2. 0
口縁端部に部分的に煤吸着。
437
土壙 26
土師器
皿
11. 6
-
438
土壙 26
土師器
皿
12. 0
2. 0
439
土壙 26
土師質土器
盤
20. 4
2. 6
440
土壙 26
施釉陶器
皿
12. 6
4. 2
441
土壙 27
土師器
皿
5. 0
1. 2
442
土壙 27
土師器
皿
5. 0
1. 1
443
土壙 27
土師器
皿
5. 8
1. 2
444
土壙 27
土師器
皿
10. 1
1. 6
445
土壙 27
磁器
椀
10. 0
6. 1
肥前系染付。
446
土壙 27
磁器
椀
10. 2
5. 55
肥前系染付。
447
土壙 27
磁器
瓶
底径 6. 1
-
448
土壙 27
施釉陶器
椀
11. 9
5. 3
449
土壙 27
施釉陶器
椀
底径 4. 7
-
450
土壙 27
軟質施釉陶器
-
底径 2. 6
-
遺物
番号
遺構番号
399
土壙 22
土師器
400
土壙 22
土師器
401
土壙 22
402
土壙 22
403
器
種
器
形
備
考
口縁端部に煤吸着。
口縁部内外両面に銅滓付着。
内面に鉱滓,鉄釘,銅銭,炭,土師器片などが厚く付着。
外面に赤色の土が付着。
瀬戸・美濃産。見込みと高台内の一部が未施釉。
瀬戸・美濃産。口縁部内面に蓮弁文。見込み未施釉。高台内同心円状に釉剥ぎ。
信楽産。底部外面赤色化。内面の一部に煤吸着。
内面に部分的に煤吸着。
唐津産。見込みに胎土目が 3 ヶ所あり。
信楽産。底部外面に砂付着。
口縁端部に煤吸着。
内外両面に部分的に煤吸着。
口縁端部に煤吸着。
唐津産。口縁部内面に鉄絵。見込みに目跡あり。
肥前産青磁。
肥前産京風刷毛目椀。
肥前産。
遺物概要表
A ランク
箱数
B ランク
箱数
C ランク
箱数
コンテナ
総箱数
土 師 器・ 瓦 器・ 黒 色 土 器・ 須 恵 器・ 土師器 4 1 点・瓦器 1 点・黒色土器1点・須
平安時代中期以前(園 輸入陶磁器・緑釉陶器・灰釉陶器・ 恵器 4 点・輸入陶磁器 6 点・緑釉陶器1点・
灰釉陶器1点・石包丁1点・金属製品1点・
石製品・金属製品・瓦
池整地土含む)
瓦 11 点
3箱
10 箱
3箱
27 箱
平安時代後期∼
鎌倉時代
土師器・瓦器・瓦質土器・輸入陶磁器・ 土師器 9 4 点・瓦器8点・輸入陶磁器 1 4 点・
須恵器・土師質土器・石製品・木製品・ 須恵器7点・土師質土器1点・木製品 2 0 点・
瓦1点
銭・瓦
5箱
10 箱
37 箱
71 箱
室町時代
土師器・焼き締め陶器・須恵器・施 土師器 1 3 3 点・焼き締め陶器4点・施釉陶
釉陶器・輸入陶磁器・土師質土器・ 器8点・輸入陶磁器 1 5 点・土師質土器6点・
瓦器・瓦質土器・鋳造遺物・石製品・ 瓦器4点・瓦質土器4点・鋳造遺物 6 1 点・
石製品9点・金属製品6点・銭5点
金属製品・土製品・銭・瓦
10 箱
9箱
57 箱
60 箱
近世
土師器・焼き締め陶器・肥前系磁器・ 土師器 6 4 点・焼き締め陶器5点・肥前系磁
輸入陶磁器・施釉陶器・土師質土器・ 器3点・輸入陶磁器3点・施釉陶器 1 5 点・
軟質施釉陶器・瓦質土器・鋳造遺物・ 土師質土器5点・軟質施釉陶器1点・瓦質
石製品・金属製品・土製品・銭・塼・ 焼成土器1点・鋳造遺物 1 4 点・石製品3点・
金属製品1点・銭 2 9 点・塼8点
瓦
6箱
6箱
45 箱
43 箱
24 箱
35 箱
142 箱
201 箱
時代
内容
A ランク点数
合計 620 点
(6)