憲法メディアフォーラム匿名記者座談会「安倍政権発足とメディア」 大手紙

憲法メディアフォーラム匿名記者座談会「安倍政権発足とメディア」
大手紙⋯大手新聞社整理部デスク
NHK⋯NHK報道局記者
民放⋯在京キー局政治部デスク
司会⋯丸山 重威(関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議運営委員)
岩崎 貞明(『放送レポート』編集長)
▼「スタートダッシュ」はよかったが⋯
丸山
安倍政権発足から 3 カ月経ちました。今までを振り返って、新年を展望しながら語って
頂きたいと思います。
民放
正直、つまずいちゃっていますね。「小泉改革を引き継ぐ」というところを出して、そ
こに北朝鮮の核実験が追い風になって、そこそこいい
スタートダッシュ
だったのです
が、国会が進んでいくと、ボロが出てきた。安倍さんの仲良し人脈だけで政権を運営して
いることが招いていると思います。
そこで小泉さん以来の懸案であった道路特定財源の問題で支持率の低下を跳ね返そうと
狙ってみたのでしょう。しかし、安倍さんや彼の取り巻きの悪いところは、最初に強く出
るんだけど、現実を見ていないから、最終的には反対派に呑まれて、玉虫色の決定に落ち
着いてしまうことです。小泉さんの喧嘩上手さとはまったく逆で、喧嘩ベタなところが出
てしまった。
大手紙
「そういう安倍政権をメディアはどう取り上げたのか」ということを今、考えています。
やはり突っ込みが甘い。最近、久間(章生)防衛庁長官が、とんでもない発言をしました。
日本のイラク戦争支持について「あれは小泉さんが個人的な意見をマスコミの前で言った
んだ」と言ったことです。イラク戦争支持が閣議決定されているという事実は知らなかっ
たと後で釈明しましたが、本来なら長官更迭ものですよ。
安倍首相は総裁選の頃から改憲問題の明確な見通しを言わなくなった。ところが海外メ
ディアに対しては「5 年以内、自分の任期中には是非やりたい」と、かなり突っ込んだ見
解を表明している。あの発言に対して、日本のメディアは客観報道で、「安倍首相が欧米
メディアの前でこういうことを喋った」と伝えただけです。「客観」ということに縛られ
て、事の本質を描き出したり、追求することが甘くなっていると感じます。
NHK
「メディアの突っ込みが甘い」という点、同感です。客観報道は大切なことだと思います
が、それが「甘さ」につながってしまっている。当然、客観報道と深く突き詰めて取材す
ることは別ものですが、「客観」ということで、その事象だけを報道するにとどまり、そ
の背景や意味することへの考えが足りなくなってしまっているような気がします。突き詰
めた取材の上での、客観報道ならよいのでしょうが、メディア全体がそうはなっていない、
短絡的なものになってしまってはいないか、危惧します。視聴者もそこまで求めていない
風潮も感じていて、それがまた取材者を甘やかしているのかもしれない。では、自分はど
うなんだと考えると、日々の膨大な情報を整理、取材することに追われ、できていないと
いうのが現状かもしれません。
丸山
私は、広報担当の首相補佐官になった世耕弘成さんの戦略がうまく機能しているのかな、
と思いますが、どうなんでしょう。
民放
世耕さんのやり方も最初は良かったと思います。実は、海外のメディアがやったような、
じっくりしたインタビューを日本のメディアはやっていません。私たちの取材は立ったま
まのぶら下がりという形で、「六ヵ国協議はどうなるんですか?」とか「タウンミーティ
ングでのやらせ問題はどうなんですか?」と聞く程度です。2
3 項目しか聞けないし、ひ
と項目についても 2 回か 3 回のやりとりで「はい、次の話題」となってしまう。総理番は
若い記者ばかりだから、深い突っ込みにならない。そういうのが相まって、どうしても安
倍さんに対して核心をつく質問ができていない。節目節目でじっくり会見する機会がない
といけないでしょうけど、今のところそれもない。
岩崎
内閣記者会というのは『総理に聞く』など特別の番組以外は、個別の取材をしない約束
になっていますよね。共同記者会見でないと基本的には日本のメディアには応じない。と
ころが、海外メディアは 1 対 1 でじっくり話ができる。
民放
そういう慣習も、見直しを始めてもいい頃ですよね。新聞を含めて今、個別の首相イン
タビューはやっていません。共同インタビューは、国会が終わった時と、年頭の会見くら
いでしょう。そういう機会には突っ込んだことを聞かなくては、と思っています。
大手紙
安倍首相になって、
「ぶら下がり」取材を 1 日 1 回にすると言い出して、内閣記者会と
揉めました。先方は「毎日テレビカメラの前に立つ、というのは主要国の首脳の中ではい
い方だ」と言っていました。たとえばフランスの大統領などは、よほど特別なことがない
とメディアの前に顔をさらすことはないそうです。
メディア側は「2 回はやるべきだ」と、相当激しく官邸側と議論した。ある意味で、い
い形のメディアスクラムができたのですが、視聴者や読者からは「1 回しか会わないのな
ら、そこをどう足でカバーしていくのかが本来のジャーナリズムじゃないか?」という耳
の痛い指摘もありました。
岩崎
ぶら下がり取材が形骸化していませんか。記者の方も、勝負どころだという意識もなく
なって、惰性でやっているような印象を受けます。
民放
「ぶら下がり取材」は小泉さんのとき、向こうから売り込んできた話なんです。歩きなが
ら話しかけられるのが嫌だから、その代わり 1 日 2 回応じます、ということでした。カメ
ラの前でやってくれるなら、テレビにはいい話ですから、有り難かったです。
確かに、小泉さんの末期には惰性化して、質問も秘書官に事前に示して、向こうも答え
を決めてから応じるようになってしまった。番記者も緊張感ないですね。「上の者からこ
れ聞けって言われて⋯」という感じです。
NHK
インタビュー取材は、当事者に直に疑問をぶつけることのできる真剣勝負なのですが、
そこがおろそかにされていると感じます。これだけメディアの数があって、それぞれが個
別に取材となると、受ける方はたまったもんじゃないという思いはわかる。だからこその
共同でのぶら下がりや会見なんだと思うのですが、そこでの質問は当たり障りのない質問
に終始していると感じます。やってる方は真剣なのですが、どうも第三者の立場で見てみ
ると、ぬるい感じがします。日々の取材上の関係もあるのでしょうが、時と場合によって
は、もっとベテラン級が配置され、相手に切り込んでいくべきだと思います。
▼「反対運動」が報道されない理由
岩崎
ここへ来て安倍内閣の支持率が下がっています。安倍さんは相当気にしていると思いま
すが、どうですか?
民放
もともと「ルックスもいいし、選挙に勝てるから」というのが唯一の理由で総裁に選ば
れた人ですから、支持率が唯一の頼りのはずです。支持率が落ちてきているというは、頼
みの綱がなくなってきているということでしょう。総裁選の前から図抜けて支持率が高か
ったから自民党は皆ついて行った訳で、その前提が崩れてしまいますね。もし参院選で負
けたら、それで終わりでしょう。
丸山
昔の自民党は、派閥連合だったこともあって、世の中の状況を見て結構うまくバランス
をはかっていた。党内にはいろいろなカラーがあったのが、力になっていたと思います。
しかし、いまはバラエティがなくなって、自民党の「良さ」が薄れています。例えばイラ
クの問題では、アメリカは明らかに撤退する方向ですが、日本の与党はまったくこれまで
どおりで、誰もそれを止めない。もう整理してケジメをつけないと危ないと思うのに、と
いうことです。
民放
自民党は、党内のリベラル派が相対的に弱くなってしまった。自民党は、リベラルから
保守までいて、意見をたたかわせて一つの政策にしてきた。左に振れすぎたと思えば右に
振れ、右に振れすぎたと思えば左に振れるという「振り子の原理」が働いていた政党です。
それが 50 年続いた理由だと思いますが、その余裕がなくなってきた。郵政「造反組」が
復党するとき、「党の方針に反したら離党します」という誓約書を書かせています。これ
はこの前の衆院選でも、今度の参院選の候補者にも書かせている。まるで恐怖政治で、党
の方針と違うことを大声で言えなくなってしまった。
丸山
それはアメリカの共和党・民主党とも違うし、イギリスの保守党とも違う。そういう問
題についてメディアはもっと追及しないといけないね。
大手紙
自民党は「派閥の集合体」だとされてきました。派閥の功罪はあるとは思いますが、各
派閥はそれぞれ「政治家を育てる力」を持っていました。自民党が育てる政治家というの
は実はいなくて、それぞれの派閥が県会議員や官僚を引き込んで、育てていった。自民党
が小泉時代の 5 年間で大きく変わったのは、去年の選挙で出てきた小泉チルドレンです。
多くは「小泉」という名前がなければ、政治家として自立してやっていけるのか?という
人々です。そういう自民党が安倍総裁のもとでどう進むか、非常に危うさを感じます。
岩崎
小泉さんのやり方=自民党の構造改革は、「抵抗勢力」として伝統的な支持基盤を切り崩
してしまう。代わって出てきたのが
根無し草
みたいな連中ですよね。日本の社会の構
造自体が変わって、保守を支えてきた地方も都市化してくる中で「都市型の浮動票も集め
られるように衣替えしよう」と変化している過程なのもかもしれない。
大手紙
「票が取れる方向に進むしかない」ということは小泉時代にもさんざん言われていたこと
で、ポピュリズムはどんどん極端になっていくのかな、という不安はありますね。
NHK
ポピュリズムが極端になっていることに危惧を感じます。メディアの罪も大きいでしょ
う。自民党というか保守が牛耳ってきた社会構造の変化があるのでしょうが、どうもいい
方向に進んでいないような気がしてなりません。いい面もあるのかもしれませんが、以前
の政治と比べて、ずいぶん「薄っぺらく」なってしまった感じがします。
直近の問題を、誰にも批判を受けずにどうしのぐかばかりに目がいき、大局的見地がな
い。そういうことを表立って政治家が言えない雰囲気があるのではないでしょうか。メデ
ィアもそうした点をつきたくても、直接的に不利益をこうむる人たちから攻撃を受けるの
で、表現できないでいるように感じます。政治もメディアも、誰にでも耳障りのいいこと
しか言えないので、「このままではよくない」と誰もが思っていても誰も言えない。そし
て、誰か標的を見つけては、一斉にみんなで集中攻撃をして憂さを晴らす、そんな感じで
はないでしょうか。
丸山
そういう中でタカ派路線が出てくる。理念的なものが先に立って、現実を見ないで話を
進めようとするから混乱が起こっている。社会的変化としては、格差がどんどん広がって、
貧困、ワーキングプアの話が出ている。労働問題では「ホワイトカラーエグゼンプション」
を入れようとしています。しかし、一方でこうした問題についての反論が、少しずつ出て
きていると思います。例えば教育基本法改悪反対で国会を取り囲んだり、公聴会で出た意
見を支持する署名を集めたり、大きな動きになってきていると思いますが、今までと少し
違うと言えませんか?
大手紙
教育基本法では、草の根の盛り上がりは相当なものがあると思いますが、それがメディ
アの報道に反映されていない。教基法の問題点は、「愛国心」の問題が取りざたされまし
たが、いちばん危ないのは 10 条の「教育の独立」の改定です。
「教育は、不当な支配に服
することなく」を、「教育行政は、不当な支配に服することなく」に変更して、教育への国
家・行政権力の介入を禁じた第 10 条1項を全面的に否定して、逆に教職員組合の活動が
「不当な支配」ということにされてしまう。そういう危険性の紹介がメディアでは非常に
弱い気がします。
ホワイトカラーエグゼンプションにしても働く者の観点から見れば、過労死累々に繋が
りかねない。その反対運動は労組をはじめとして相当広がってきていると感じますが、そ
れがメディアの報道にどこまで反映しているか。厚労省の審議会で議論が続いていますが、
「議論がどう決着するか」という落としどころを探るという域を出ていない。民意と今の
メディアは遊離していると思います。
丸山
僕が一般の人向けにその話をすると「それはどうしてですか?」と質問される。
「毎日、
国会にいろいろな人が行って活動している。しかし、全然新聞に載らないじゃないか?」
と質問されると答えに困るのです。
大手紙
客観報道の自縄自縛だろうと思いますね。客観報道は両論併記である、というところで
終わってしまって、反対している人たちの声だけ取り上げるわけにはいけないのです。
丸山
両論ならば、少数の反対している人たちの意見をきちんと取り上げる責任があるはずで
す。どうして書けないのか、考える必要があると思います。
もう一つ気になっているのは、
「こんな採決じゃ駄目だ」と社説で書いた一週間後に「成
立の見通し」と 1 面トップで出る見通し記事をどう考えるか、です。反対運動がまだまだ
続いているときに「成立の見通し」と打つことは、運動している人から見れば裏切り行為
のようなものです。打つんだったら反対運動の盛り上がりも一方で報じてからにしないと
いけないと思いますが⋯。
岩崎
反対運動も取材した上で、たいした動きになってないと判断して書かないというのなら
わかります。しかし、メディアは取材にも来ていない。国会前で座り込みをやっていると
ころや日比谷野音の集会などを積極的に取材していましたか?
丸山
よく聞く話ですが、60 年安保の時は毎日デモを取材していると、前の日の動きが反映さ
れてプラカードの文字が変わったりしてくる。それを見て報道する。そんな日々の動きを
つかまえていくような作業がないといけないのではないでしょうか。
大手紙
「つくる会」教科書の採択キャンペーンが行われた時の産経新聞の報道は、「つくる会」
側のいろいろな取り組みを逐一拾って報道していた。そして採択に反対する運動は過激派
まがいのレッテル張りでバンバン叩く。教育基本法で言えば、「反対運動がこんなに盛り
上がっている」ということを書くと、あの産経新聞の裏返しと言われてしまう。そういう
ところで足がすくむと思います。結局は「審議の見通しはどうなる」という所に取材のエ
ネルギーが集約されていく。
民放
教育基本法改悪反対の運動は、日教組の運動の域を出ていないという感じを受けます。
「利害団体がやっている」というレベルだったらニュースになりませんが、そこからもっ
と広がりが欲しいと思います。
丸山
今、先生たちはほとんど動員できないでしょう。運動の中心はその周辺にいる人々です
よ。
民放
確かに、そのあたりはもっとよく見ないといけないですね。それでも全体として反対で
盛り上がっているという所までは感じ切れません。
NHK
取材が不足しているのではないか、という指摘には真摯に反省しなければならないと思
います。しかし、反対運動などが社会的に盛り上がっているとは感じられないのは同じで
す。教育基本法などの問題では、その是非はともかく、社会的な関心や盛り上がりが全体
的に弱くなっているのが現実だと思います。その時に、メディアが取り上げて議論を喚起
するのが役割という意見もあるでしょうが、それにしてももう少し社会的な盛り上がりが
必要だと感じます。それを掘り起こすのも大切ですが、それが過ぎると行き過ぎた世論誘
導になるような危惧も正直感じます。個人的には、取材をしていると明らかに偏った意見
を取り上げろと詰め寄られることもあり、そうしたことに臆病になっているところもある
かもしれません。
▼自信を失ったメディア
丸山
安倍政権になって、全体としてメディアが萎縮していますか?
NHK
萎縮という表現がよいのかはありますが、メディアの活気が失われているのは、もっと時
代的なものであり、社会構造の変化が原因のような気がします。今、メディアが多様化す
る中で、テレビや新聞、雑誌、それぞれの社会対する影響力、重みは少なくなっています。
ブログをはじめ、個人での発信も簡単になりました。既存のメディアは、たとえば視聴率
を上げたい、販売部数をあげたいと、どうしても大衆迎合化し、画一的な(それが萎縮と
捉えられるのかもしれませんが)報道になっているのではないでしょうか。
大手紙
メディアの萎縮は、まさにその通りですが、政権とは直接の関係はないと思います。民
主党政権になっても共産党政権になっても、メディアの今の状況は、たぶん変わらない。
10 年
20 年というスパンで、徐々に手が縮こまってきた。ひとつは新聞は産業として先
行き真っ暗です。読まれなくなった。広告も取れない。かつては「新聞に書いてあること
が事実だ」と世の中が認めてくれた時代があって、その頃の新聞は元気が良かったと思い
ます。しかし、今はメディア自体が非常に多様化しています。特に若い人たちが新聞を見
向きもしなくなった。
去年の 9 月 11 日の衆院選の時に深刻な危機感を覚えました。小泉首相がワンフレーズ・
ポリテックスで「改革だ」「郵政民営化だ」「これが出来れば自分は死んでもいい」とまで
言う。新聞は争点の掘り起こしを一生懸命やったと思いますが、実際は何も変わらなかっ
た。自分たちが世の中を動かすという自信みたいなものも、この 10 年・20 年ですっかり
失ってしまった。政治状況の変化の影響がまったく無いとは言えませんが、それだけでは
なくて、構造的な問題だと思います。
丸山
議題設定能力が無くなったということ?
大手紙
そういうことです。
民放
僕が知っている範囲でも、テレビ局は萎縮させられる場面は多かった。電波の権利を握
られてしまっている面もある。放送法に「公平・公正な報道」と定められている。そんな
中でも、「権力と対峙していこう」というつもりで現場はやっています。でも、最近はレ
コーダーも発達しているから、自民党は朝のワイドショーから全部録画して「お宅の報道
でこんなことやっていましたね」と呼び出されたりします。
それに屈してはいけないですけど、気にせざるを得ない。「これは偏っていないよね?」
といちいちチェックしながら報道する場面が増えています。結局、つまらないニュートラ
ルな報道になってしまう場合がときどきあります。
丸山
それは、メディアで働く人たちががんばるしかない。一種の弁解にしかならないという
気がします。安倍首相の地元のスキャンダルに関する共同通信の配信停止問題がありまし
たが、本当に政権がひっくり返るような特ダネなら別ですが、日常的なニュースでも自己
規制の対象になってしまっている。自分では書けないから外の雑誌にネタを売ることは昔
からあったけど、これも堪え性がない気がする。職場の中で労働組合が問題にするとかい
ろんなやり方がありそうだけど、政権に気兼ねするようになったら、本当に情けない。
NHK
政権との関係は難しい問題です。NHK でも放送を出す際は何らかの体制で二重三重にチ
ェックしていますが、それは萎縮や気兼ねというものとは違うと思います。こういうと政
権よりに捉えられてしまうかもしれませんが、仮にも時の政権が何かをするときには、何
らかの理由や理屈があるわけで、それに対峙する際は、こちらもしっかりとした理屈が必
要になる。相手を論破するまでいかなくても、対峙するには相当の取材と多くの視点から
の議論が必要になってきます。まぁ当たり前の話ですが。そうでなければ昔の野党のよう
に、とにかく「何でも反対」の存在になってしまう。そういう意味でのチェックはありま
す。しかし、そうでない、まさに萎縮、忖度に類するものもあるかもしれませんので、あ
まり偉そうにはいえませんが。
大手紙
メディアが自信を失ったのは、かつては声を上げなかった人たちが声を上げ始めたとい
うのがすごく大きいと思います。メディアスクラムの問題も、特に犯罪報道をめぐる被害
者の権利が、ここ 10 年ぐらいで急激に確立されてきた。これはメディアを根底からガタ
ガタに揺さぶったと思います。それ以前はメディアが好き放題やっていたというか、自分
たちこそが社会のスタンダードであるという自信があったと思います。今は、その自信の
なさがあらゆるところに出てきているんじゃないでしょうか。産業面で言うと新聞は特に
「今後、どうなっていくのか?」という中でもがいている。その二つの要素が合わさった
時に、何を伝えていくべきかが見えなくなってしまっている。
岩崎
被害者たちが声を上げたこと自体は、悪いことではないと思います。問題はメディアの
側が被害者の存在を無謬のものにしてしまうことです。被害者の人たちを批判すると、感
情的なバッシングに遭うのが怖いからですよね。
拉致問題の関連から言えば、NHKの命令放送についてはどう感じていますか? テレ
ビについてはほとんどコントロールできると権力側の人たちは思っているんだろうけど、
それでもなお、あえて法律の拡大解釈のようなことをした理由は何なのでしょうか?
民放
今回の命令放送だけ見ると菅さんのこだわりを通してしまった、と思いたいですけど、
その先に広がるところが怖いですよね。今は短波ラジオだけですが、それがNHK全体に
広がらないかということと、逆にテレビの国際放送でも命令を受けることになることの布
石になるということです。
岩崎
総務大臣個人の意欲というよりも、総務省としての意志が強固に働いていたんじゃない
かと思われるのですが。
民放
今、総務省の役人は「命令放送って言葉がよくない。文言を変えなきゃ」と言っていま
す。本気で法改正を考えているようです。
NHK
命令放送に関する動きには、危機感があります。しかし、私の知っている放送に直接か
かわる部分でいけば、今までと具体的に何が変わったということもありません。これから
どうなるか注意しなくてはいけないとは思っていますが。
ただ、楽観的かもしれませんが、NHK が政府にコントロールされるようになれば、視聴
者もそういうふうにしか NHK を見なくなるだけであって、それは政府にとっては都合が
悪いというか、コントロールする意味がなくなってしまう。そういうあからさまなことは
しないと思います。
丸山
国家統制を進めていく上で、教育とメディアは車の両輪だと思います。国として発信し
ていきたいから、ツールが欲しい。露骨ですね。しかし、放送法の 1 条・3 条を読んでみ
てください。結構、格調高いですよ。「放送は国民に最大限で普及されるその効用をもた
らすことを保障する」「放送の不偏不党、真実および自立を保障することによって放送に
よる表現の自由を確保すること」「放送に携わるものの職責を明らかにすることによって
放送が健全な民主主義の発達に資する」というのは、権力の側には嫌な言葉だと思うけど、
こんなのを変えたいと思っているのかもしれない。どうかな?
民放
放送法をそこまで変えようという話はないですね。そこまでやったら厳しい批判がある
でしょう。
「命令」という言葉を柔らかいものに変えようとするくらいでしょう。
大手紙
NHKの命令放送にはやはり拉致問題が絡んでいて、世論の中には「NHKに命令して
も当然じゃないの?」という意見が相当あると思います。そういう世論を前に僕らの側が
萎縮しているところはないだろうか。教育基本法でも一緒です。この間、東京都の「日の
丸・君が代」裁判で、東京地裁で画期的な判決が出ました。強制の事前予防を認める判決
です。あの判決に対しても世論の中には、非常に疑問に思う声がある。ネット上でも「国
旗・国歌を敬うのは当たり前じゃないか」という意見は、やはり強い。「当たり前のこと
をせずに卒業式や入学式の秩序を乱すような先生たちを野放しにする。それを取り締まろ
うとするのは当たり前じゃないか」「教育委員会だから法律を守るのは当たり前だ。自分
の信条でもって従わないなんて公務員じゃない」
。そんな意見も多いです。
丸山
そういうのが風潮だとすると、その風潮自体が問題だと思う。
大手紙
問題なんだけど、その風潮は間違いなくあるんです。
NHK
それは、私も感じます。
丸山
そういう時にメディアとして「どういう立つ位置にいるか」ということが、問われてい
ると思います。世論というのは、いろいろ揺れるし、流れるわけですよね。そういう風に
政府はしようしているんだから、そのムードはどんどん助長されてくるでしょう。
大手紙
「命令放送は当然だと思う」「日の丸・君が代をめぐる教育委員会の姿勢は当然だと思う」
という民意と相当程度だぶっている民意に、メディア批判があるんじゃないかと思います。
つまりメディアが高みに立って「聞いたふうなことばかり流している」と彼らは言う。
「そ
ういうメディアは何なんだ?」というメディア批判と、そういう民意というのは相当だぶ
ってきている。
メディアの問題としては、メディア自身あるいはメディアで働く人間自身が社会と向き
合ってきているのか、という反省もあります。民意と遊離したところで情報発信をやって
いるのではないか。かつてはそれでも何も問題が起きなかった時代があったのかもしれな
い。しかし、今それでは立ちゆかなくなっています。
丸山
民意というものは実は曲者で、どっちの方向を向いた民意か、という問題が間違いなく
あると思います。それは憲法でものを考えてきたような民意じゃないと困るのですが、そ
れが今までのメディアだったと思います。
岩崎
テレビは民意と遊離しているつもりはありませんよ。視聴率第一主義だから(笑い)。
それが問題なのは、感情的な反応にすごく左右されることです。「拉致被害者がかわいそ
う」という所に焦点が集中してしまう。「それを民意と呼んでいいのか?」という問題を
別にすれば、とにかく民意のあるところに自分の所在を置くということを熱心に追求して
きた結果が、今日のテレビだと思います。
丸山
ジャーナリズムというのはどこに原点を置くべきなのか。平和の問題であり、言論の自
由の問題でもあり、人権の問題でもある。そこに戻った時にどうなのか、ということをや
らないといけないんだろうと思う。そのときの民意とは少し違っているかもしれない。し
かし、言わなきゃならないことを言う。それが、ジャーナリズムの責任だと思うんですよ。
NHK
確かに、その点は非常に重要な問題だと思います。ちょっと話が飛躍するかもしれませ
んが、テレビメディアが(新聞・雑誌もそうだと思いますが)ジャーナリズムなのか、ま
た、ジャーナリズムになれるのか、問われているのだと思います。個人的には、社会で組
織化されたものが、本当の意味でのジャーナリズムになれるのかについては懐疑的です。
少しでも近いものになるための努力はしていますし、続けなければなりませんが。組織に
属するということは、社会的に身の保全がされるわけであって、それを求めて組織に属す
る人もいると思います。そうした組織にとっての利益と、ジャーナリズムは時に両立でき
ない面があります。そうしたときにどう行動できるのか。民主国家にはジャーナリズムが
必要ですが、どう担保されていくべきか、どうしたら担保されるのか、考えなくてはなり
ません。
▼「客観報道」の一人歩き
大手紙
「言うべき時には言わないといけない」という思考自体が今、すごく弱くなっています。
それが客観報道の自縄自縛だと思います。右か左か色分けされるようなものを出してはい
けない、と自らを縛ってしまう。右か左かというのは、相対的なものですよね。今、世の
中全体が右傾化しているとすると、加藤紘一さんが言っていたように「真ん中を行ってい
たつもりが、いつのまにか左になってしまっている」ということになる。物事は相対的で
あるはずなのに、客観報道という言葉だけが、まさに一人歩きしているのです。
丸山
この間、原寿雄さんが今のテレビについて、「事件報道が多すぎる」ということと、「も
っと多様な意見があるはずなのに視野が狭い」と言っていました。つまり、自民党と民主
党の間でしか考えていないという意味でしょう。そこは非常に当たっていると思う。
大手紙
メディアの「自信のなさ」というと、朝日新聞で、酒気帯び運転で捕まった若い記者が
いましたが、あっという間に解雇されました。去年の長野総局のメモ改ざん問題もそうで
したが、「過酷にすぎる処分をしないと世論に許してもらえないんじゃないか」という発
想に、自信のなさがありありとわかるのです。酒気帯びの件は検問で検挙されているので
すが、プライベートタイムで、取材で車を運転していたわけではなかった。彼自身が飲酒
運転撲滅キャンペーンの記事を書いていたということも処分の理由の一つにされているよ
うですが、それにしても直ちに職を失うということが本当に妥当な処分かどうか。僕は過
酷に過ぎると思うんですが、そう言えない雰囲気になっているのです。朝日としては、き
びしく処分しないと、次の日から全国の朝日新聞の記者が飲酒運転の記事を書けなくなっ
てしまうというような事態に立ち至ると考えたのかな、と思います。でも、それはちょっ
と恐ろしい話ではないかと感じるんですよ。
岩崎
教育基本法の話に戻ると、今の状態だったら採決しようと思ったらいつでもできる状態
ですよね。
民放
与党側は、やるつもりです。後は、民主党とだいたいの段取りはできていますから。
丸山
衆院で強行採決したのは、あれ以上引っ張っていると、学習指導要領の法的拘束性なん
かに火がついてきたら、必修単位不足の話やいじめなどの話といっしょになって、教育基
本法に波及しては困るという状況があるので、早くやってしまったという印象を僕は持ち
ました。
大手紙
教育基本法の先には憲法に触れますよね。今の政権が変えたがっているものは、すべか
らく戦争の経験を踏まえてできたもの、61年前に終わった悲惨な戦争の反省から始まっ
たものです。それを変えるべきだということを支持する一定の世論があるとすれば、日本
社会が戦争体験の継承に失敗したということだと思います。それはメディアにも相当な責
任があるんじゃないか。何故この憲法があって、教育基本法があって、放送法の中に表現
の自由・言論の自由が盛り込まれているのか、ということを考えた時に、何が教訓になっ
ていたのか、そのことを今からでも、書くべきだと思います。
NHK
同感です。今こそ、昭和の戦中から戦後にかけての出来事を、今の社会に照らし合わせな
がら考える必要があると思います。もちろん視聴率は取れないでしょうが。でもやらない
といけない。このままでいけば、後の世代に、「あの時なぜ変えたんだ」と叱責されかね
ないと思います。
岩崎
そういう意味では読売新聞が、戦争責任問題でキャンペーンを広げたというのは、意図
がよくわからないところもありますが、一定の評価をしてもいいのかなと思います。
丸山
ただ、気に入らないのは、例えば中国残留孤児というのは典型的な戦争責任の問題で、
日本国民に対する責任だと思うんですが、読売新聞のアジアに対する責任は、そんなに自
覚されているとは思えない。アジアの人民に対する責任をどう考えるかということが日本
の戦争責任の根底にならないといけないと思います。
大手紙
拉致問題もそうですね。北朝鮮というひどい国家が出来上がったことを遡れば、日本の
植民地支配があって、それから戦後、分断国家になってしまったということを見据えて考
えないと、拉致問題は論ずることができないんではないかと思います。
人は殴られたことはいつまでも覚えていますが、人を殴ったことは忘れてしまう。沖縄
の基地問題にはそういう視点が必要だと思うのです。沖縄に基地ができたのは戦後で、戦
争中には海軍が飛行場を二つ作っただけでした。大東亜共栄圏のど真ん中でしたが、沖縄
が沖縄県として日本に編入されたのはそんなに古いことではないんですね。琉球処分、あ
るいはそれ以前の薩摩侵攻までの 300 年くらいのスパンで見なければならない。新聞は「本
土」という言葉を気安く使うけれど、そういう言葉の使い方ひとつとっても、もっと突き
詰めて議論しなければいけないと感じます。
この間の沖縄の知事選で、仲井間氏が当選したことをもって、政府は米軍再編が進むと
期待している、という観測記事が、特に大手メディアに流れましたが、そうじゃないだろ
うと僕は思います。仲井間候補に一票を入れた沖縄の人たちも、基地がなくなって欲しい
という思いは絶対あるはずです。でも知事選となると、経済問題まで包含して一票の選択
が行われるわけですから、あの結果になったのではないでしょうか。
▼歴史観を持った報道を
丸山
2007 年は憲法制定から 60 年、都知事選など統一地方選と参院選があります。メディア
は何をすべきでしょうか?
民放
知事の談合問題が出てきていますから、キー局としては今まで統一地方選はあまり意識
してこなかったのですが、これを機に地方の汚職の問題などをもう一度洗ったほうがいい
かなという気がしています。それと、今度の参院選は、政治的には負けた方が空中分解し
ますからたいへんな選挙になると思いますが、選挙そのものより選挙が終わった後のほう
がたいへんになるんじゃないかと思います。
丸山
いわゆる二大政党論で考えざるを得ない部分があることは認めますが、それでは片付か
ない問題があると思います。そこで、メディアが議題設定機能をどう発揮するかというこ
とが重要です。やはり憲法、あるいは格差の問題がどうなっていくかということだろうと
思いますが、自民党と民主党の間では結局違いはあまりない。解決ははかれないのではな
いかと思いますよ。
民放
選挙の争点としては、やはり民主党と自民党の間に違いが出たところが争点となってく
るんじゃないでしょうか。多分消費税などになるでしょう。
岩崎
消費税の争点化は、自民党としては絶対避けたいんじゃないでしょうか。
民放
避けたいでしょうね。
岩崎
その場合、自民党としては何を争点として打ち出すつもりでしょうか。
民放
公務員制度改革など、聞こえのいい話でしょうね。財政再建、経済成長などは争点にな
りにくい。憲法も、投票行動に結びつくようなテーマではないでしょう。現段階ではまだ
ちょっと見えていませんね。
NHK
少なくとも、聞こえのいい論点に流されないよう、やっていかなくてはならないのでしょ
う。難しいとは思いますが、大きな論点に真正面から切り込むだけではなく、身近なとっ
つきやすい問題から紐解いていけるような情報を発信していければと思います。格差の問
題などは、そういう視点からも取り上げやすいと思います。
岩崎
知事が次々と捕まっているのは、地方分権で知事の発言力が強くなっていくことに対し
て、中央政府として強烈な牽制球を投げているのではないかと疑っているのですが。
大手紙
もっと単純な話で、検察庁特捜部の花形の仕事というのは、国会議員の摘発だったわけ
ですが、いまや国会議員が小粒になって、気がついたら、全国にこんなに悪いことをやっ
ている知事がいたのかと。ちょっと本腰をいれれば、摘発できるということになったので
はないでしょうか。
物事には必ず拠ってきたる歴史があるわけで、憲法や教育基本法が戦争を踏まえて制定
されたということも含めて、特にメディアで働いている人間は今一度、歴史観を持つ自己
努力が必要だろうと感じます。「抜いた、抜かれた」がないとニュースを発掘するモチベ
ーションにつながらないので、それはそれで大事だと思いますけど、今の時代こそ、それ
だけで終わってしまってはいけないのではないか。常に歴史の視点を持って報道していか
なければいけないだろうと感じています。
丸山
それと、世界をちゃんと見てほしい。中南米で今すごい大きな転換が起きています。新
自由主義に対する問題は、日本とまったく同じ問題が起きている。中南米の問題の悲惨さ
というのは、日本のワーキングプアの話などにつながっていると思います。
大手紙
アメリカのラムズフェルド国防長官が更迭されましたが、今の在日米軍の再編はラムズ
フェルドが進めた政策ですよね。世界的なトランスフォーメンションの一部として在日米
軍再編がある。しかし、それが日本の政治報道にも外信報道にもなかなか出てこない。ま
さに時空的な広がりを持った視野が本当に必要です。
小泉さんが退任前にアメリカに行き、プレスリーの物まねをやりましたが、日本の首相
があのように恥ずかしいことをやっているということが、日本の有権者にちゃんと伝えら
れただろうか。日本のメディアがきちんと伝えないから日本の有権者は自国の首相が世界
の中でどう見られているのかという視点を持てない、と桂敬一さんが指摘していて、なる
ほどと思いました。
岩崎
よくも悪くも、小泉さんはキャラクターがはっきりしていた。安部さんはどうもはっき
りしないじゃないですか?
大手紙
とにかく「しっかりと」「しっかりとやる」と、「しっかり」を連呼していて、あれはよ
ほど子どもの頃に「しっかりしなさい」と言われたんだろうって、どこかの新聞のコラム
で書いていましたね(笑い)
。
NHK
安倍さんの答弁は、なぜか耳に残らないと感じます。小泉さんは子どもっぽい感じの答弁
だったけど、キャラクターとあっていてインパクトがあった。参院選でどうなるか、真価
が問われることになるのでしょう。
世界的な視点については、うちはやっているほうだと思うんですが、もっと日々のニュー
スなどでも取り上げていく必要があると感じています。「世界の中で日本がどう見られて
いるのか」
、広く報道していくことは大切な使命のひとつですから。
民放
U2 のボノが来て、安倍さんも同じようにサングラスまでかけて、話を始めるのかなと
思ったら、何にもしないで立ち去った(笑い)。世耕さんが知恵を使って小泉さんの真似
をさせようと思っているんでしょうけど、やっぱり役者が違う。全然違うことをすればい
いのに、安部さんは、メディア戦略としてはさ迷っている状態だと思いますね。
(了)