-1- 文書提出命令に対する許可抗告事件 最高裁判所第二小法廷平成一

文書提出命令に対する許可抗告事件
最高裁判所第二小法廷平成一一年(許)第二号
平成一一年一一月一二日決定
主
文
原決定を破棄する。
相手方の本件申立てを却下する。
理
由
抗告代理人海老原元彦、同広田寿徳、同竹内洋、同馬瀬隆之、同谷健太郎、同田路至弘
の抗告理由について
一
1
記録によれば、本件の経緯は次のとおりである。
本件の本案訴訟(東京高等裁判所平成九年(ネ)第五九九八号損害賠償請求事件)は、
亡前田志良(以下「志良」という。)が抗告人から六億五〇〇〇万円の融資を受け、右資
金で大和証券株式会社を通じて株式等の有価証券取引を行ったところ、多額の損害を被っ
たとして、志良の承継人である相手方が、抗告人の九段坂上支店長は、志良の経済状態か
らすれば貸付金の利息は有価証券取引から生ずる利益から支払う以外にないことを知りな
がら、過剰な融資を実行したもので、これは金融機関が顧客に対して負っている安全配慮
義務に違反する行為であると主張して、抗告人に対し、損害賠償を求めるものである。
2
本件は、相手方が、有価証券取引によって貸付金の利息を上回る利益を上げることが
できるとの前提で抗告人の貸出しの稟議が行われたこと等を証明するためであるとして、
抗告人が所持する原決定別紙文書目録記載の貸出稟議書及び本部認可書(以下、これらを
一括して「本件文書」という。)につき文書提出命令を申し立てた事件であり、相手方は、
本件文書は民訴法二二〇条三号後段の文書に該当し、また、同条四号ハ所定の「専ら文書
の所持者の利用に供するための文書」に当たらない同号の文書に該当すると主張した。
二
本件申立てにつき、原審は、銀行の貸出業務に関して作成される稟議書や認可書は、
民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらず、
その他、同号に基づく文書提出義務を否定すべき事由は認められないから、その余の点に
ついて判断するまでもなく、本件申立てには理由があるとして、抗告人に対し、本件文書
の提出を命じた。
三
しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりで
ある。
1
ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの
経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の
者に開示することが予定されていない文書であって、開示されると個人のプライバシーが
-1-
侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所
持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、特段の事情が
ない限り、当該文書は民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するた
めの文書」に当たると解するのが相当である。
2
これを本件についてみるに、記録によれば、銀行の貸出稟議書とは、支店長等の決裁
限度を超える規模、内容の融資案件について、本部の決裁を求めるために作成されるもの
であって、通常は、融資の相手方、融資金額、資金使途、担保・保証、返済方法といった
融資の内容に加え、銀行にとっての収益の見込み、融資の相手方の信用状況、融資の相手
方に対する評価、融資についての担当者の意見などが記載され、それを受けて審査を行っ
た本部の担当者、次長、部長など所定の決裁権者が当該貸出しを認めるか否かについて表
明した意見が記載される文書であること、本件文書は、貸出稟議書及びこれと一体を成す
本部認可書であって、いずれも抗告人が志良に対する融資を決定する意思を形成する過程
で、右のような点を確認、検討、審査するために作成されたものであることが明らかであ
る。
3
右に述べた文書作成の目的や記載内容等からすると、銀行の貸出稟議書は、銀行内部
において、融資案件についての意思形成を円滑、適切に行うために作成される文書であっ
て、法令によってその作成が義務付けられたものでもなく、融資の是非の審査に当たって
作成されるという文書の性質上、忌たんのない評価や意見も記載されることが予定されて
いるものである。したがって、貸出稟議書は、専ら銀行内部の利用に供する目的で作成さ
れ、外部に開示することが予定されていない文書であって、開示されると銀行内部におけ
る自由な意見の表明に支障を来し銀行の自由な意思形成が阻害されるおそれがあるものと
して、特段の事情がない限り、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たる
と解すべきである。そして、本件文書は、前記のとおり、右のような貸出稟議書及びこれ
と一体を成す本部認可書であり、本件において特段の事情の存在はうかがわれないから、
いずれも「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるというべきであり、本
件文書につき、抗告人に対し民訴法二二〇条四号に基づく提出義務を認めることはできな
い。
四
また、本件文書が、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解さ
れる以上、民訴法二二〇条三号後段の文書に該当しないことはいうまでもないところであ
る。
五
以上によれば、原審の前記判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法が
裁判の結論に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、原決定は破棄を免れ
ない。そして、前記説示によれば、相手方の本件申立ては理由がないので、これを却下す
ることとする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官
判官
福田博
裁判官
河合伸一
梶谷玄)
抗告状記載の抗告理由
-2-
裁判官
北川弘治
裁判官
亀山継夫
裁
一
法令の解釈に関する重要な事項の存在
1
原決定は、別紙文書目録記載の文書(以下「本件各文書」という)の民事訴訟法(以
下「法」という)二二〇条四号該当性について判断したものであり、特に法第二二〇条四
号ハの「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」(以下「自己使用文書」という)
の解釈を示し、本件各文書が「自己使用文書」に該当しない旨判断したものである。
原決定には以下に述べるように法令の解釈に関する重要な事項が含まれている。
2
法二二〇条四号は文書提出義務を旧法時代の限定義務から一般義務へと転換させた規
定であると言われているが、同じく一般義務とされている証人義務には存在しない、法二
二〇条四号ハの「自己使用文書」による提出除外規定が設けられている。文書提出義務が
一般義務化されたにもかかわらず、自己使用文書が適用除外事由とされた趣旨は、思想及
び良心の自由(憲法一九条)などの憲法的価値に配慮したものである。すなわち、憲法一
九条は内心の自由を保障しているところ、このような基本的人権は自然人のみならず法人
も享受の主体と解されている。そして自然人の場合であれ法人の場合であれ、最終的意思
決定に至るまでの過程における情報には、それが外部に示されることを予定されたもので
ない限り、最大限の保護が与えられるべきであると解されている。そこで、意思決定過程
で作成される文書を提出義務から外し、その内心領域にある意思形成過程の自由を保護す
ることとされたのである(研究会・新民事訴訟法をめぐって(17)・ジュリスト一一二
五号一二二頁の竹下発言、伊藤眞「文書提出義務と自己使用文書の意義」法学協会雑誌一
一四巻一二号一一四頁など)。
したがって、このような憲法的価値の保護を体現化した法二二〇条四号ハの解釈を示し
た原決定は、法令の解釈に関する重要な事項を含むことが明らかである。
3
法二二〇条四号は、平成八年の民事訴訟法の大改正によって、文書提出義務を定めた
旧民事訴訟法(以下「旧法」という)三一二条一号ないし三号(法二二〇条一号ないし三
号)に追加して新設された規定であり、立法段階から民事訴訟法学界・実務界・経済界な
ど各界において多くの注目を浴びた条項である。立法過程においては、文書提出義務の一
般義務化を指向する立場と、一般義務化に慎重な立場とが対立し、法二二〇条四号ハを一
般義務化の例化規定とすることによってある程度のコンセンサスを得てきた経緯がある
(前掲ジュリスト一一二五号一一〇頁~一一一頁の柳田発言)。現在でも、最も解釈に争
いがあるのが法二二〇条四号ハの「自己使用文書」概念であり、法律学者及び法律実務家
から広狭様々な解釈論が提示されていることは周知のところである。
したがって、このように各界の関心が深く議論の多い自己使用文書概念についての解釈
を示した原決定は、法令の解釈について重要な事項を含むものである。
4
原決定が法二二〇条四号ハの「自己使用文書」に該当しないと判断した本件各文書は
銀行の稟議書・認可書である。このような企業内の稟議書等については、立法担当官を含
む多くの論者が「自己使用文書」に該当すると解している(法務省民事局参事官室編「一
問一答新民事訴訟法」二五一頁、前掲伊藤眞一四五五頁、中野貞一郎「新民事訴訟法の成
立に寄せて(上)」NBL六〇八号一〇頁、中野貞一郎・松浦馨・鈴木正裕編「新民事訴
訟法講義」(春日偉知郎執筆担当部分)二七八頁、三宅省三・塩崎勤・小林秀之編集代表
「新民事訴訟法体系―理論と実務―第三巻」(原強執筆担当部分)一三〇頁など)。
したがって、このような多くの論者の見解に反して禀議書等を自己使用文書に該当しな
-3-
いと判断した原決定には法令の解釈に関する重要な事項が含まれることが明らかである。
5
禀議書が自己使用文書に該当するか否かは銀行をはじめとする金融機関にとって重大
な関心事である(塩崎勤・園尾隆司・長谷川俊明・両部美勝・中原利明「(座談会)4・
新しい訴訟手続と金融実務の対応」金融法務事情一五〇三号二五頁の長谷川発言)。もち
ろん一般の企業にとっても関心の深い分野である(松井秀樹「新民事訴訟法における文書
提出命令と企業秘密(1)」NBL六〇四号六頁)。稟議書が自己使用文書から除外され、
文書提出命令の対象となるのであれば、銀行をはじめとする企業内部における自由な意見
の交換・討議が妨げられ、常に訴訟において提出されることを念頭におきながら稟議書等
を作成するなどの萎縮効果が発生する蓋然性がきわめて高い。
したがって、禀議書を自己使用文書でないと判断した原決定は銀行実務及び経済界に与
える影響が大きく、法令の解釈に関する重要な事項が含まれることがますます明白である。
6
法二二〇条四号ハの自己使用文書と、同条三号(旧法三一二条三号後段)の法律関係
文書に該当しないものとして旧法時代から判例上認められてきた自己使用文書との関係に
ついて、立法担当官は基本的に両者を同じであると考えている(前掲ジュリスト一一二五
号一二二頁の柳田発言)。
また逆に法二二〇条四号の新設によって法二二〇条三号の解釈は旧法三一二条三号とは
解釈を異にするとの見解も存する。
右のような各見解に立てば、法二二〇条四号ハの解釈は法二二〇条三号の解釈にも影響
を与えるという意味で重要な事項である。
したがって、原決定には法令の解釈に関する重要な事項が含まれることが明らかである。
二
高等裁判所の判例と相反する判断の存在
1
法二二〇条四号あるいは法二二〇条四号ハの解釈、禀議書の自己使用文書該当性につ
いては、新民事訴訟法施行後一年を経過しておらず、抗告許可申立人の知る限りでは、最
高裁判例は存在しない。また、傍論で禀議書を安易に法二二〇条四号ハに該当すると解す
べきでないとした高裁決定が存在するが(東京高裁平成一〇年(ラ)第一六六一号・平成
一〇年一〇月五日決定・金融商事判例一〇五三号三頁)、抗告許可申立人の知る限りでは、
正面からこの問題を判断した高等裁判所の判例は見あたらない。
ところで、前述のとおり、立法担当官は、法二二〇条四号ハの自己使用文書と、旧法三
一二条三号後段の法律関係文書について判例上認められてきた自己使用文書との関係につ
き、基本的に両者は同じであるとの見解を示している(前掲ジュリスト一一二五号一二二
頁の柳田発言)。このような立場からは、旧法三一二条三号後段文書との関係において、
禀議書を自己使用文書であると判断した抗告裁判所である高等裁判所の判例と原決定との
相反性が問題となる。なお、旧法時代は、高等裁判所の決定に対する許可抗告制度が設け
られておらず、憲法違反を理由とした特別抗告を除いては、最高裁判所に対して抗告する
手続が認められていなかったため、旧法三一二条三号後段についての最高裁判例は存在し
ない。
2
企業内部の禀議書が自己使用文書にあたると判断した抗告裁判所である高等裁判所の
決定例のうち公刊されているものは以下のとおりである。
(1)仙台高裁昭和三一年一一月二九日決定・下民集七巻一一号三四六〇頁
-4-
(2)東京高裁昭和六一年五月八日決定・判例タイムズ六一六号一八六頁・判例時報一一
九九号七五頁・金融法務事情一一五九号三二頁(信用組合の貸出稟議書)
(3)東京高裁平成九年八月二二日金融商事判例一〇四四号二〇頁・金融法務事情一五〇
六号六八頁(都市銀行の貸出禀議書)
公刊物未登載のものとして、銀行の貸出稟議書を自己使用文書であると判断した裁判例
に、原決定の基本事件の原審が認容した文書提出命令に対する抗告事件である。
(4)東京高裁平成六年七月二〇日決定(第一六民事部平成五年(ラ)第五七四号)
が存在する。
抗告許可申立人の知る限り、銀行の貸出禀議書をはじめとする企業内部の稟議書を自己
使用文書でないとした抗告裁判所である高等裁判所の判例は見あたらない。
3
したがって、銀行の稟議書を自己使用文書でないと判断した原決定には、抗告裁判所
である高等裁判所の判例に相反する判断が含まれていることが明らかである。
三
結語
以上のとおり、原決定には、法令(法二二〇条四号ハ及び同条三号)の解釈について重
要な事項が含まれ、抗告裁判所である高等裁判所の判例と相反する判断が含まれている。
前述したとおり、法二二〇条四号ハの自己使用文書概念を巡っては様々な見解が提示され、
解釈が統一されていない。また、自己使用文書の範囲、特に稟議書が自己使用文書に含ま
れるか否かについては、法律学者・法律実務家だけでなく、銀行・経済界からも重大な関
心が寄せられている。新しい法律が施行されて、そのきわめて重要な事項について解釈が
統一されていない場合に、多数意見、少数意見が分かれている状況で、原決定のように一
つの高裁がある一つの見解(禀議書を自己使用文書から除外するのは少数意見と考えられ
る)を採用したようなときは、最高裁判所が統一的な法令の解釈を示す必要性は非常に高
く、許可抗告制度を新設した趣旨を没却しないためにもこのような場合に最高裁判所に対
する抗告が許可されるべきである(研究会・新民事訴訟法をめぐって(25)・ジュリス
ト一一四三号一一五頁の青山発言参照)。
よって、最高裁判所に対する抗告を許可されたく、法三三七条に基づき、本抗告許可の
申立に及ぶ次第である。
抗告理由補充書記載の抗告理由
第一
はじめに
原決定の判断に、民事訴訟法(以下「法」という)三三七条二項に規定された法令の解
釈に関する重要な事項が含まれ、抗告裁判所である高等裁判所の判例と相反する判断が存
在することについては、抗告許可の申立書において述べたとおりである。
本抗告許可申立て理由書は、右の点をさらに敷衍するとともに、原決定の判断には裁判
に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があることを明らかにするものである。
第二
法第二二〇条四号ハの解釈の重要性と原決定の誤り
一
法二二〇条四号ハの立法趣旨
1
原決定の判断構造
原決定は、法二二〇条四号の文書提出義務を一般義務であると解し、その立法趣旨を「裁
-5-
判所が民事事件の審理判断をするに当たり争いのある事実について証人、当事者本人、鑑
定人、文書について広く証拠調べを行い、もって証拠に基づく適正な認定を実現しようと
する趣旨に出たものと解」している。(原決定の二五頁~二六頁)。そして、原決定は、
法二二〇条四号の右立法趣旨に照らして、同号ハの「専ら文書の所持者の使用に供するた
めの文書」(以下「自己使用文書」という)の解釈を示しているが、同号ハの除外規定が
設けられた立法趣旨には何ら触れていない。すなわち、原判決が摘示するように、文書提
出義務は、旧法時代の限定義務から法二二〇条四号による一般義務へと転換されたと言わ
れているが、同号ハの自己使用文書を提出除外規定とする考えは、同じく一般義務とされ
ている証人義務には存在せず、文書提出義務と証人義務との間には、なお重大な違いが残
っているのである(伊藤眞「文書提出義務と自己使用文書の意義」法学協会雑誌一一四巻
一二号一四四六頁)。
原決定は、文書提出義務を一般義務とした観点のみから自己使用文書の範囲を判断して
いるが、これは自己使用文書が提出除外とされることによって保護される法益の重大性、
自己使用文書が例外規定とされた立法経緯などを全く看過したものとなっているのであ
る。
2
法二二〇条四号ハの保護法益
一般義務とされた文書提出義務に対して自己使用文書という提出除外規定を置くことの
趣旨は、憲法一九条が保障する内心の自由に由来するものである(前掲伊藤眞一四四五頁、
一四五五頁)。憲法一九条は、思想及び良心の自由を基本的人権として保護する規定であ
るが、「思想及び良心」は不可分のものとして一体的にとらえるべきであり、憲法一九条
は人の内心におけるものの見方ないし考え方の自由を保障するものと解される(樋口陽一
・佐藤幸治・中村睦男・浦部法穂共著「注釈日本国憲法上巻」三八四頁)。もちろん、法
人も憲法が保障する基本的人権の享受主体であり、このような憲法的価値は最大限保障さ
れなければならない。「法人なり会社なりも一定の目的を持って社会的に活動しており、
その活動は社会的に有意義なものと認められているのですから、社会的に有意義な目的を
実現するための活動をするに際して、意思決定の過程なり討議の内容なりを理由なくある
いは恣意的に公開されない自由というものは、やはり法的に保護されてしかるべきでない
でしょうか。この自由を保護する意味で自己使用文書が提出義務の範囲から除外されてい
る、と考えるべきではないかと思います」(「研究会・新民事訴訟法をめぐって(17)」
ジュリスト一一二五号一二二頁の竹下発言)。立法担当官も「文書には、個人的な日記、
備忘録のようなものや、専ら団体の内部における事務処理上の便宜のために作成されるい
わゆる禀議書のようなもののように、およそ外部のものに開示することを予定していない
ものも含まれます。このような文書についてまで民事訴訟に対する国民の協力義務として
一般的に提出義務を負うものとすると、裁判所から提出を命じられるという事態を常に想
定して文書を作成しなければならなくなってしまい、文書の作成者の自由な活動を妨げる
おそれがあると考えられます」と述べており(法務省民事局参事官室編「一問一答新民事
訴訟法」二五一頁)、個人、団体を問わず、文書の作成者の活動の自由の保障が保護法益
であると考えている。
この点をさらに敷衍すると以下のとおりである。すなわち、法人等の団体において適正
な組織運営を行うためには、組織体としての統一的な意思形成をまとめる必要があり、そ
-6-
のためには個々の構成員が自由に意見交換や討議を行い、その自由な意見交換・討議の結
果をその都度文書に作成して記録しておくことが不可欠である。このような意思形成過程
で外部に開示することを予定せずに作成される文書が、民事訴訟において提出を命じられ
るとすると、これらの文書の作成・保管について萎縮効果が生じることになり、結果的に
団体の内心の自由が侵害されることになる。この種の文書の作成・保管が抑止されるとす
ると、かえって社会的に有意義な活動をしている団体の適正な組織運営を妨げることにな
るので、その影響は甚大である。
したがって、法二二〇条四号ハの解釈に関してはその保護法益の重大性を十分に斟酌し
なければならないところであるが、文書提出義務を一般義務とした一面からのみ自己使用
文書概念を定義し、後述のとおり、団体の文書作成の自由に意を払わない原決定は、重要
な法令の解釈を誤るものである。
3
法二二〇条四号ハをめぐる立法経緯
法の解釈においては、その立法経緯を探ることが重要であり、文言上解釈が一義的でな
い条項の解釈に当たってはなおさらである。
法二二〇条四号の新設と同号ハの提出除外規定の設置をめぐっては,文書提出義務の一
般義務化賛成論と、一般義務化反対論の対立があり、経済界の意見を探り入れる形で自己
使用文書を文書提出義務の例外として規定し、両者のコンセンサスをはかってきた(前掲
ジュリスト一一〇頁~一一一頁の立法担当官の柳田発言)。すなわち、旧法の解釈として
自己使用文書として提出しなくてもよいとされたものについては、そのまま一般義務化さ
れた場合においても、同じように取り扱ってほしいとの要望が強く、それが法二二〇条四
号ハとして条文化されたのである(前掲ジュリスト一二二頁~一二三頁の柳田発言)。
ここで、経済界が旧法三一二条三号後段の法律関係文書に該当しない自己使用文書とし
て、そのまま提出除外してもらいたいと要望していた文書の代表例が禀議書である。法人
の内部においては、さまざまな文書が公式あるいは非公式に作成・保管され、いずれも外
部に公開されることが忌避されるところであるが、法人内部における自由な意見の交換・
討議の過程・結果を記録し、他者に対する忌憚のない評価なども記載される可能性のある
稟議書は、特に外部の者(その禀議書の記載に登場する外部者に対してはなおさらである)
に見せることが憚れる文書である。旧法時代の裁判例においても禀議書が自己使用文書で
あることはほぼ確定した考え方であり(塩崎勤・園尾隆司・長谷川俊明・両部美勝・中原
利明「(座談会)4・新しい訴訟手続と金融実施の対応」金融法務事情一五〇三号二六頁
の園尾判事の発言)、これを踏まえて経済界は自己使用文書の適用除外を要求し、法二二
〇条四号ハが設置されたのである。
立法政策としては法二二〇条四号ハによる提出除外規定の設置には反対論もあるところ
であるが、法解釈としては右の立法経緯を十分に参酌して自己使用文書概念の確立と具体
的適用を行わなければならない。
したがって、右のような立法経緯を看過して自己使用文書概念を定義し、その具体的適
用(後述のとおり稟議書を自己使用文書でないとした)を行った原決定は、重要な法令の
解釈を誤ったものである。
二
自己使用文書概念と稟議書
1
原決定の判断過程
-7-
原決定は、自己使用文書概念につき、「専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、
およそ外部の者に開示することを予定していない文書を指すものと解するのが相当であ
る」と定義した(原決定の二六頁)。この定義は、法二二〇条四号ハの「専ら文書の所持
者の利用に供するため」との表現を若干言い換えたに過ぎず、「専ら内部の者」「およそ
外部の者」などの必ずしも一義的でない表現を使用しており、結局は「専ら内部の者」
「お
よそ外部の者」などの具体的適用が問題である。
原決定は、本件の貸出稟議書の自己使用文書該当性を判断するに当たって、次の諸点を
重視した。
(1)組織内の基本的公式文書である(同二七頁~二八頁)。
(2)組織内の意思形成の合理性を担保するために作成される最重要の基礎資料である(同
二七頁~二九頁)。
(3)一定の貸出の適否に関しその貸出の相手方との間で紛争が生じたり、何らかの理由
で一定の貸出の正当性や合理性が問題となったような場合には、銀行においてその貸出の
正当性や合理性を主張する最重要の基礎資料は禀議書や認可書であり、通常、これをより
どころとして貸出の正当性、合理性を主張することになるものと考えられる(同二八頁~
二九頁)。
(4)訴訟においても、その立証の都合や状況次第では、銀行自身が、稟議書等の内容を
立証し、あるいはそれ自体を証拠提出する場合がある(同二九頁)。
(5)銀行業務の公共性にかんがみ、内閣総理大臣が銀行法二五条による検査権を有する
ところ、与信の検査は稟議書等を検査することにより行われ、稟議書は貸出業務が適正に
行われているかどうかを判断する上で最も重要な基礎資料であるから、個人的に作成され
た日記や備忘録とは性質が異なる。
(6)本件では融資申込書が作成されていないので、本件の禀議書は融資申込書に代替す
る性格も一部有している。
2
原決定の誤り
原決定は法二二〇条四号ハという重要な法令の解釈を誤っている。以下、原決定が取り
上げた右諸点が自己使用文書性を否定する根拠とならないこと、前述の自己使用文書を提
出除外とした保護法益や立法経緯を無視したものであることを論述する。
(1)原決定は稟議書が組織内の基本的公式文書であることを自己使用文書性を否定する
要素として考慮している。
しかしながら、組織内の基本的公式文書であることが、自己使用文書性を否定する要素
となるとの見解は容易に理解することができない。自己使用文書性の判断は、「組織内」
の文書であるか「組織外」にも提出する文書であるかであり、「公式文書」であるか「非
公式文書」であるかではないからである。
むしろ、組織内の基本的公式文書は、その組織の適正な運営を図るための基本的文書で
あり、前述の法二二〇条四号ハの保護法益に直結するものである。禀議書のような組織内
の基本的公式文書が民事訴訟において提出されることになれば、このような基本的公式文
書を作成するに当たって常に法廷に提出することを強いられることを念頭におかなければ
ならず、その組織内の基本的な意思決定における自由な意見の交換及び討議が妨げられ、
まさに団体の内心の自由が侵害される結果となる。すなわち、組織内の基本的公式文書こ
-8-
そ、まさに提出除外とされるべき文書でなければならない。
ところで、銀行のようにいわば金銭を商品とする企業体においては、常に企業内におけ
る慎重な審査システムを構築することが要請され、貸出業務に当たって必ず禀議書が作成
される。しかし、銀行以外の一般の事業会社においても、種々の意思決定を行うに当たっ
て、上司の決裁や、他の部門の関与が要請され、その結果禀議書が作成されることは多く
みられる。そして銀行であっても、一般の事業会社であっても、禀議書がその組織におけ
るいわば公式の文書であることは同じである。
原決定の論法を貫けば、あらゆる企業体において禀議書の自己使用文書性が否定される
ことになりかねないが、その結果、法人の活動が著しく阻害されると言わざるを得ない。
しかも、そもそも組織内において公式でない文書などあるのであろうか。たとえば、担
当者の手帳、備忘録などのメモがあげられようが、これらはそもそも当該団体の所持する
文書であるかどうかが疑問である。
そうすると原決定の思考過程に従うと、もはや法人等の団体においては自己使用文書が
存在しないことになり、前述の法二二〇条四号ハの立法趣旨から大きく外れる結果となる。
したがって、「組織内の基本的公式文書」であることは、何ら自己使用文書性を否定す
る要素とならず、むしろ前述の法二二〇条四号ハの立法趣旨に照らせば、自己使用文書該
当性を肯定する要素とされるべきである。
(2)原決定は稟議書が組織内の意思形成の合理性を担保するために作成された最重要の
基礎資料であることを自己使用文書性を否定する要素として重視している。
しかしながら、これこそ、前述の法二二〇条四号ハの立法趣旨と真正面から対立する考
え方と言わざるを得ない。禀議書は、すべからく組織内の意思形成の合理性を担保するた
めに作成された文書と言えるが、このような組織内の意思形成の過程を記録した文書を提
出除外とするところに、法二二〇条四号ハの意義があるのであり、団体内部の文書のなか
でも団体の活動の自由に最も密接な関連を有するのが禀議書である。原決定は、前述のと
おり、法二二〇条四号ハが憲法的価値を保護するところにあること、団体の自由な活動や
組織の適正な運営を阻害しないことの社会的価値が重視されるべきであることを全く看過
している。また、前述したとおり、法二二〇条四号に同条同号ハの提出除外規定が設置さ
れるに至った立法経緯をおよそ無視するものと言わざるを得ない。自己使用文書概念を比
較的限定的に解する立場にあっても、稟議書のような意思決定過程の記録文書は、事実の
報告書などよりも保護されるべきであるとされている(前掲伊藤眞一四五五頁~一四五六
頁)。
したがって、組織内の意思形成の合理性を担保するために作成された文書であることは、
何ら自己使用文書性を否定する根拠とならず、むしろ前述の法二二〇条四号ハの立法趣旨
に照らせば、自己使用文書該当性を肯定する要素とされるべきである。
(3)原決定は、銀行が貸出先などとの間で貸出の適否について紛争が生じた場合などに、
貸出の正当性や合理性を主張する最重要の基礎資料となるのが貸出禀議書であり、通常こ
れをよりどころとして貸出の正当性や合理性を主張すると考え、このことを自己使用文書
性を否定する要素として相当重視している。
しかしながら、原決定の右考えは、前提となる事実認識に大きな誤りがある。
-9-
まず、銀行内部において貸出禀議書を作成することには、融資の意思決定にあたって、
その適正さを担保する役割があるが、貸出の相手方に対して貸出の正当性や合理性を主張
することなど想定していない。貸出の審査は、回収の確実性、安全性などが満たされてい
るか否かを判断するために行われる。銀行の貸出が適正に行われないと貸出債権の回収不
能などによって銀行そのものに損害が生じることになるので(ひいては預金者に損害が及
ぶがために銀行の公共性が要請されている)、慎重な審査が要請され、そのために貸出稟
議書という形で文書化されるのである。貸出禀議書を作成する際に、将来、貸出の相手方
に内容を開示することなど予定していないからこそ、貸出禀議書には、貸出の相手方に対
する評価を含めて、担当者、上司、審査部門などの所見・考察などが記載される。もし、
貸出の相手方に開示することが予定されるのであれば、評価に関する部分を記載すること
を躊躇うであろうことは容易に予想される。
そもそも、原決定が言うところの、貸出の適否に関して貸出の相手方との間で紛争が生
じ、銀行が貸出の正当性や合理性を主張するとはどういうことであろうか。これは、本件
の基本事件における控訴人の主張、すなわち、銀行が借り手側に対してその資金運用計画
について安全配慮義務を負うとの考えに、大きく引きずられたものであろうか。銀行は、
本件のように、融資先から「金が返せないのは貸した方が悪い」とか「融資金の運用で損
をしたのは銀行の責任である」などと非難されて、「いいえきっちりと貸出審査をしまし
た」とか「融資金の運用についてはきっちりとアドバイスしました」などと弁解しなれけ
ばならないとは、想定だにしていない。「借りた金は返してください」「融資金の運用結
果は運用する側の責任です」と回答すれば足りるのである。もちろん借り手側の資金運用
について、銀行が虚偽の説明をするなど社会的相当性を逸脱した行為があれば銀行に責任
が生ずる場合もあるであろう。しかしながら、これは貸出の正当性や合理性、貸出の意思
形成の合理性とは関係のない事柄であるし、このような事柄について貸出稟議書に何らか
の記載があるとは思われない。
したがって、原決定は貸出稟議書の役割を全く誤解して判断しているものである。
(4)原決定は、訴訟においても、立証の都合や状況次第では、銀行自身が稟議書等の内
容を立証し、あるいはそれ自体を提出する場合があるとして、これが自己使用文書性を否
定する大きな要素としている。
しかしながら、右判断は、前提となる事実認識に誤りがある上、そもそも自己使用文書
性を否定する根拠とならないことを取り上げたものである。
銀行が禀議書等の内容を立証したり、禀議書を証拠として提出することは滅多にない。
なぜなら、融資先との紛争を例に取ると、銀行が立証する必要が考えられる事項としては、
融資先などとどのようなやりとりがあったか、その日時、場所、臨席者などである(例え
ば連帯保証人の意思確認などが争点になる場合を想定されたい)。そしてこの立証におい
ては、大半の場合、銀行の担当者を証人申請することで足りるのである。仮に、右のよう
な事実関係が訴訟の勝敗に大きく影響し、かつ当事者間で大きな食い違いが生じた場合に
は、あるいは何らかの書証が必要となるかも知れない。この場合でも最重要証拠は、担当
者の手帳、日誌などであって、禀議書ではない。もっとも、日誌は保管義務が定められて
いなかったり、保管期限が短いために、貸出後数年も経ってから訴訟になった場合には、
存在しないことが多い。そこで、禀議書の添付資料のなかに日誌に代替するような資料が
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存在する場合にこれを書証とすることがあり得るのである。この場合でも貸出の意思決定
の過程の合理性そのものを立証するのではなく、何時どこで誰と会ったかなどの客観的事
実を立証命題とするのである。
また、個人の日記などもよく訴訟において証拠提出される。本件のような融資先と銀行
との訴訟(例えば融資先が銀行と保険会社を相手にした変額保険訴訟など)においては、
個人の日記が証拠として提出されることがよくある(許可抗告申立人代理人も何度も経験
している)。そして、日記はしばしば最重要証拠として事実認定の基礎とされる。しかし、
だからといって、日記の自己使用文書性が否定されることはないであろう。
したがって、原決定の判断は、前提となる事実の認識(稟議書が訴訟に証拠として提出
される意味)に誤りがあり、また訴訟において証拠提出されることが自己使用文書性を否
定するとの判断にも誤りがある。
(5)原決定は、銀行法二五条の検査において、稟議書が貸出業務が適正に行われている
かどうかを判断する上で最も重要な基礎資料であるとし、自己使用文書性を否定する要素
として重視している。
しかしながら、右判示は自己使用文書該当性を判断する際の「外部」への開示を予定し
ているか否かの判断を誤るものである。
自己使用文書に該当するか否かの判断において、「外部」への開示とは、最終的には訴
訟において開示することを予定しているか否かという観点から判断されるべきである。な
ぜなら、前述のとおり、自己使用文書が提出除外とされる趣旨は、文書の作成・保管に萎
縮効果をもたらすことがないようにして、文書作成者である法人の自由な意見交換及び討
議を保障し、法人の活動の自由や組織の適正な運営を促進することにあるからである。銀
行の稟議書が内閣総理大臣から委任を受けた金融監督庁長官の検査において閲覧の対象と
なる可能性があるとしても(実際に検査担当官がわざわざ稟議書を直接閲覧することはま
ずない)、銀行の稟議書は許認可のための届出・報告書類ではないし、法令上作成義務が
あるものではなく、もともと金融監督庁などに開示するために作成しているものでもない。
また、検査担当官には、検査の過程において知り得た情報について法律上守秘義務が課せ
られているから、仮に稟議書が閲覧されたとしても、その記載内容が公には開示されない
状態が保持されるが、訴訟に提出を命じられた場合は、何人も閲覧しうる状態となるので
あるから、開示による文書所持者の不利益という観点からは両者には大きな差異がある。
銀行法二五条の検査に際して閲覧される可能性があるからといって、稟議書の作成・保管
に萎縮効果が生じることはないが、訴訟に提出される可能性があるとなると全く異なるの
である。特に、融資先が訴訟の相手であるときは、当該稟議書において評価の対象となっ
た当人に直接稟議書の内容が開示されるのであって、いわば一番見られたくない相手に一
番見られたくないものの開示を強制されることになり、これに伴う影響は甚だ甚大である。
そもそも銀行法二五条の検査は、銀行法一条所定の預金者保護ひいては信用秩序の維持
の観点から銀行に対して指導監督的立場に立って行われるものであり、その目的達成に必
要な文書であれば当然閲覧の対象とされている(稟議書だけを対象にする検査ではない)。
そこにおいては、銀行が本来自己使用のみを目的として作成・保管している内部文書であ
るか否かは問われておらず、むしろ検査の実効性をあげるためには内部文書にまで踏み込
んで閲覧対象とすることこそ必要となる場合もあろう。
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したがって、銀行法二五条の検査において閲覧される可能性があるとの一事をもって、
外部に開示することを予定した文書であり自己使用文書には該当しないと解するのは相当
でなく、原決定は重要な法令の解釈を誤っている。
(6)原決定は本件稟議書は融資申込書に代替する性格を一部有していると評価すること
ができるとし、この点も自己使用文書性を否定する根拠とするようである。
しかしながら、本件稟議書が融資申込書に代替する性格を一部有しているとはいかなる
意味であろうか。本件禀議書の作成に故甲田太郎(融資先)が関与した事実は一切なく、
また銀行の担当者が故甲田太郎の代理人として融資申込書記載事項を稟議書に記載したと
か、故甲田太郎の面前で代筆したとかの事実も一切ない。融資申込書が存在しなくとも本
件稟議書が銀行の内部資料である性格はいささかも減ずるところはないのである。しかも、
通常稟議書には融資申込書に記載されるような事項(借入希望額、借入希望日、資金使途、
保証人、担保、返済予定日、返済原資など)が当然に記載されており、本件稟議書に特別
の記載があるわけではない(だからこそ融資申込書を通常徴求しない取扱いになっている
のである)。
したがって、本件稟議書が融資申込書に代替する性格を一部有しているとの原決定の判
断はそれ自体誤りである。
(7)なお、ある文書が自己使用文書に該当するか否か、いいかえると文書提出義務に服
するか否かの判断において、証拠の必要性を加味考慮する見解があるので(相手方の主張
がこれに当たる)、一言しておく。
まず、法二二〇条四号ハは「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」を提出除外
としており、証拠の必要性があれば自己使用文書に該当しないとの立法形式にはなってい
ない。
また、百歩譲って、真実発見を過度に犠牲にするおそれがある場合には、稟議書が例外
的に自己使用文書であることが否定されるというような見解を取った場合であっても、自
己使用文書を提出除外とした趣旨からして、そのような例外的判断には慎重であるべきで
ある。少なくとも、当該文書が訴訟の帰趨を決するような重要な事実の認定において証拠
として不可欠であり、他に代替される証拠が存在しないなどの事情があり、一方、内部文
書性を有する文書を訴訟に提出されることによって文書の所持者の組織運営が阻害される
不利益がそれほど高くない場合に限定されるべきである。
稟議書に関して検討すれば、例えば、当該稟議事項に関する判断の違法性を問う株主代
表訴訟のように、意思決定の過程の合理性そのものがまさに最大の争点となっている場合
に、稟議書以外に代替証拠が見あたらないときには、稟議書の文書提出義務を肯定すると
いう考え方にも、挙証者である原告株主は会社にとって全くの部外者ではない(実質所有
者である)ということも考慮すると、あるいは傾聴すべき点もあると思われる。
しかしながら、本件のように銀行の貸付先に対する安全配慮義務違反の有無が争点とな
っている場合に、仮にそのような安全配慮義務を観念することができるとしても、その義
務の範囲・程度や義務違反の有無は、貸付先の属性や銀行の外部に現れた客観的な事実関
係等によって判断可能なものであり、銀行の内部の意思形成手続の内容によって争点に関
する判断が大きく左右される性質のものではない。基本事件の第一審判決(東京地方裁判
所民事第二六部平成四年(ワ)第一九八八二号・平成九年一二月一六日判決言渡)の四三
- 12 -
頁~四四頁も故甲田太郎の経歴、財産、証券取引経験及び判断能力並びに太郎の養子であ
り、太郎と同居してH開発株式会社の取締役営業部長を務めていた原告(本件抗告許可申
立事件の相手方)が連帯保証していたことなどの事実関係から安全配慮義務違反がない旨
認定しているところである。原決定は「本件各文書の記載内容によっては、申立人の主張
する事実が立証される可能性がある」(原決定の二四頁~二五頁)と判示するが、この程
度の証拠の必要性をもってしては、貸出稟議書等が自己使用文書に該当するとの原則を放
棄してまで文書提出を命じなければならないほどの要請があるとは考えられない。
したがって、仮に証拠の必要性などを比較考慮した上で自己使用文書の例外を認める見
解に立ったとしても、本件稟議書は自己使用文書の例外ではない。
3
総括
以上のとおり、原決定が本件禀議書を自己使用文書でないとした判断には、重要な法令
の解釈に誤りがある(前提事実の認識にも誤りがある)。
ところで、再度強調しておかなければならないのが、貸出禀議書が文書提出義務に服す
ることになった場合の銀行実務に与える影響である。一般に貸出審査は、融資先の属性(個
人の場合は職歴、年齢、収入、取引歴、紹介者など)、融資金額、資金使途、保証人・担
保、返済原資、金利・返済期限、外部的経済・金融情勢などの諸事情を総合的に判断する
ものであり、機械的に一定の基準に当てはめて決まるものではない。そして、融資先であ
る個人または融資先企業の経営者の人柄、家族、事業手腕などの評価も重要な要素となる。
稟議書にはしばしば「積極的なやり手」「誠実で手堅い」「頑固で職人肌」「無口で取っつ
きにくい」「アイデアマンだが気分屋」「気むずかしいので言動に注意」など当人に知ら
れたくない人物評が記載されることがある。このような融資先に対する忌憚のない評価は、
稟議書が外部に開示することを予定していない内部資料であるからこそ記載されるのであ
り、このような赤裸々な所見や考察を記載することによって率直な意見の交換及び討論が
なされ、本音による貸出審査が可能となる。当然このような内容であるがために、融資先
には開示したくないし、開示することなど考えてもいない。もし、訴訟において、特に融
資先との訴訟において、貸出禀議書の提出を命じられることになると、もはや右のような
生々しい評価を記載することは躊躇われ、稟議書は当たり障りのない形式的な文書と堕す
るであろう。
原決定の判断に基づけば、ある組織体が外部の者との関係においてある判断をする際に、
その意思決定の過程を記録した文書の多くが提出義務を免れない結果となりかねない。た
とえば、従業員の採用に当たっての採否の判断過程を記録した文書は不採用の違法性を争
う訴訟においては第一級の資料であるが、このような文書の提出が強制されることとなっ
た場合の悪影響は明白であろう。また、情報公開の流れのなかにおいても、学校の内申書
の「所見」などの提出に抵抗が強いのも同じである。
したがって、原決定には、法二二〇条四号ハが保護しようとする法人の活動の自由の中
核部分に重大な悪影響を及ぼす判断が含まれている。
第三
一
抗告裁判所である高等裁判所の判例に相反する判断の存在
法二二〇条四号ハの自己使用文書と旧法時代の自己使用文書との関係
法二二〇条四号ハの自己使用文書は一般義務化された文書提出義務の提出例外文書であ
り、旧法時代の自己使用文書は共通文書の流れを引く法律関係文書に該当しない類型とし
- 13 -
て判断上認められてきたものであるから、両者の機能は必ずしも同じではない。しかしな
がら、旧法時代の自己使用文書も、文書提出義務の拡充を唱える学説を背景に、判例上法
律関係文書概念が拡大されていく中で、その歯止めとして発展してきた概念と把握するこ
とも可能であり、その意味では法二二〇条四号ハの自己使用文書と同様の機能を有するも
のである。さらに、前述したとおり、立法にあたって、文書提出義務の一般義務化賛成論
と一般義務化反対論が対立する中で、法二二〇条四号の新設による一般義務化の歯止めと
して、経済界の主張を取り入れて、旧法時代に判例上認められてきた自己使用文書を提出
除外とすることとなったものである。したがって、抗告許可の申立書において述べたとお
り、法二二〇条四号ハの自己使用文書は、旧法三一二条三号後段の法律関係文書について
判例上認められてきた自己使用文書と,基本的に同じである(前掲ジュリスト一二二頁の
立法担当官の柳田発言。塚原朋一・柳田幸三・園尾隆司・加藤新太郎「新民事訴訟法の理
論と実務〈上〉四〇一頁、四〇六頁・西口元執筆部分)。法二二〇条四号ハの「専ら文書
の所持者の利用に供するための文書」という表現は、旧法時代の判例が使用していた「文
書の所持者が専ら自己使用のために作成した文書」などの表現と同一と見てよく、法二二
〇条四号ハが旧法時代の自己使用文書概念を意識的に引き継いだものであることは明らか
である。(新民事訴訟法の自己使用文書に関する解説の中には「専ら」という表現を重視
するものがあるが、旧法時代の判例も「専ら」という表現を使用している)
したがって、原決定の判断と後記の高等裁判所の判例との相反性が問題となる。
二
法二二〇条三号後段に関する原決定の判断
原決定は、本件禀議書が法二二〇条三号後段の法律関係文書に該当するか否かについて、
明示には判断していない。しかし、原決定は、「本件において融資申込書が存在すれば、
これは法二二〇条三号後段に該当するものとして、相手方に提出義務があるものと考えら
れる。」と判示した上で、「本件稟議書は本件各融資申込書に代替する性格を一部有して
いると評価することができる。」とも判示しており、貸出稟議書等が法律関係文書に該当
する可能性を否定していない。原決定が貸出稟議書等を法律関係文書であると判断してい
るものであるとすると、この点においても、後記の高等裁判所の判例との相反性が問題と
なる。
三
自己使用文書に関する高等裁判所の判例
新法、旧法を通して自己使用文書を判断した最高裁判所の判例が見あたらないことは、
抗告許可の申立書において述べたとおりである。
旧法時代の抗告裁判所である高等裁判所の判例は以下のとおりである。
(1)仙台高決昭和三一年一一月二九日下民集七巻一一号三四六〇頁
本決定は、工場から本社への代金支払についての禀議書に対して文書提出命令が申し立
てられ、これを却下した原審決定に対する抗告審であるが、相手方の禀議書は相手方内部
関係だけに止まる書類であるとして、申立を却下した原審決定を維持した。
したがって、右判例は企業の稟議書を内部関係だけに止まる文書であると判断している。
(2)東京高決昭和六一年五月八日(昭和六〇年(ラ)第七三八号文書提出命令申立却下
に対する抗告事件)判例タイムズ六一六号一八六頁・判例時報一一九九号七五頁・金融法
務事情一一五九号三二頁
本決定は、信用組合の作成した貸出稟議書に対して文書提出命令が申し立てられ、これ
- 14 -
を却下した決定の抗告審である。
本決定は、法律関係文書の意義について、「挙証者と文書の所持者との間の法律関係そ
れ自体を記載した文書だけでなく、その法律関係に関係のある事項を記載した文書も含ま
れる」とかなり広く解する一方で、「文書の所持者がもっぱら自己使用の目的で作成した
内部的文書はこれに含まれない」と、自己使用文書を例外であるとした。そして貸出稟議
書については「貸出稟議書及びその付属書類は、相手方が主債務者S興業の借入申込に対
し貸付けをする際に相手方内部においてその適格性の存否を審査するために作成ないし徴
求する文書である」と判断し、法律関係文書にあたらないとした原審決定を維持した。
したがって、右判例は貸出稟議書が「文書の所持者がもっぱら自己使用の目的で作成し
た内部的文書」であると判断した。
(3)東京高決平成九年八月二二日(平成九年(ラ)第一三四一号文書提出命令申立却下
決定に対する抗告事件)金融商事判例一〇四四号二〇頁・金融法務事情一五〇六号六八頁
本決定は、銀行に対して、違法な商法であることを知りながら融資した旨の主張の下に
融資先から債務不存在確認等の訴訟が提起された本案訴訟において、銀行の所持する融資
稟議書及び認可決裁書に対して文書提出命令が申し立てられ、これを却下した決定に対す
る抗告審である。
本決定は「本件各文書(融資稟議書及び認可決裁書)は、いずれも銀行が融資を行う際
の意思決定過程における文書で私企業内部の文書であることが明らかであり、法令によっ
て作成を義務づけられているものではなく、これらを作成するかどうか及び作成後の処分
(外部に発表するか否かの決定を含む。)も当該企業の自由意思に委ねられているもので
あって、本訴において抗告人らが主張している請求原因、銀行法一条等から窺知される銀
行の公共的使命など、抗告人所論の諸点を考慮に入れても、民事訴訟法第三一二条三号後
段のいわゆる法律関係文書には当たらない」とし、また原審決定の判断を引用している。
原審決定は「文書の所持者が専ら自己使用のために作成した文書(以下「内部文書」とい
う)はこれ(筆者注・法律関係文書)に当たらないと解するのが相当である」「本件文書
は、いずれも法令によって作成を義務づけられているものではなく、単に融資に際して被
告銀行内部の意思決定の過程で作成された内部文書に過ぎないものと認められる」と判示
している。
したがって、右判例は、貸出稟議書及び認可書が「法令によって作成を義務づけられて
いない」「意思決定の過程で作成された私企業内部の文書」「文書の所持者が専ら自己使
用のために作成した文書」であると判断した。
(4)東京高決平成六年七月二〇日(第一六民事部平成五年(ラ)第五七四号文書提出命
令に対する抗告事件)公刊物未登載
本決定は、原決定の基本事件の原審が貸出稟議書及び認可書が内部文書であっても旧法
三一二条三号後段に該当するとして文書提出命令申立を認容した事件(原審・東京地裁平
成五年(モ)第二六五八号)の抗告審である。本決定は「もっぱら自己使用のために作成
されたに過ぎない内部文書」は法律関係文書に当たらないとし、貸出稟議書及び認可書は
「法令によって作成を義務づけられているものではなく、単に融資に際して抗告人内部の
意思決定の過程で作成された内部文書に過ぎないものと認められる」と判示し、原審決定
- 15 -
を取消した。
したがって、右判例は貸出禀議書及び認可書が銀行の自己使用文書であると判断した。
以上のとおり、旧法時代の高等裁判所の判例は、いずれも禀議書が内部文書・自己使用
文書であると判断しており、貸出禀議書についても「文書の所持者が専ら自己使用のため
に作成した文書」と判断しているのである。
したがって、銀行の貸出稟議書を「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」でな
いとした原決定は、抗告裁判所である高等裁判所の一連の判例に相反するものである。
ところで、民事訴訟法改正後の法二二〇条三号後段の法律関係文書について、次の決定
例が公刊されている。
(5)東京高決平成一〇年一〇月五日(平成一〇年(ラ)第一六六一号文書提出命令却下
決定に対する抗告事件)金融商事判例一〇五三号三頁
本決定は、文書の作成者又は所持者が専ら自己使用の目的で作成した文書は法律関係文
書に該当せず、銀行の貸出禀議書は融資を行う際の意思決定過程において専らその意思決
定を円滑に行うために作成された銀行内部の文書であるから、法律関係文書に該当しない
と判断した原審決定(東京地決平成一〇年六月三〇日金融商事判例一〇五三号八頁)の抗
告審である。本決定は、法律関係文書の意義について「法律関係の成立又は効力について
裁判所が適正な事実認定をするために必要な文書を含む」とし、銀行の稟議書は「貸付に
先立ってその貸出しの意思を確定する過程で作成する文書で、その意思の決定の合理性を
担保するために各担当者が決済(ママ)印を押してその責任の所在を明らかにするもので
あることは、公知の事実である」から、「法律関係文書に当たることは明らかである。」
と判断した。また禀議書が「組織内の公式文書」であり、
「意思形成の合理性を担保する」
ための文書である趣旨から「専ら文書所持者の利用に供するための文書というべきでない
し、そもそも内部文書であることは、直ちに法律関係文書たることを否定する理由となる
ものでもない」と判示した。
右決定の原審決定は、銀行内部の意思決定の過程で作成される稟議書を自己使用文書で
あると判断しており、旧法時代の判例と連続性を保つ正当な見解である。一方、右高裁決
定は法律関係文書の意義を著しく拡張して一般義務と同視するかのような判断を行い、ま
た組織内の公式文書であるとか意思形成の合理性を担保する文書であることを理由に稟議
書が自己使用文書でないと判断している。ところで、法二二〇条三号の解釈は、旧法時代
の解釈と全く変わらないというのが立法担当官の見解であり(前掲ジュリスト一一五頁の
柳田発言、衆議院法務委員会における濱崎恭生政府委員の説明)、そうすると右高裁決定
は旧法時代の前記一連の判例と全く相反する判断を行っているものである。また禀議書が
専ら文書所持者の利用に供するための文書でないとする判断の根拠として上げられている
点が、根拠となるものではないことは、前記第二、二において述べたとおりである。
第四
結語
以上のとおり,原決定には、法令(法二二〇条四号ハ)の解釈に関する重要な事項が含
まれ、かつ法令の解釈を誤っている(原決定が法二二〇条三号の解釈についても影響を及
ぼすことは抗告許可の申立書に記載したとおりである)。さらに、原決定は、抗告裁判所
である高等裁判所の一連の判例と相反する判断を示している。また、前記第三、二、
(5)
- 16 -
の高裁決定は同(1)ないし(4)の高裁決定と解釈の統一がとれておらず、原決定もあ
わせて統一的解釈が必要である(小室直人・賀集唱・松本博之・加藤新太郎編「基本法コ
ンメンタール新民事訴訟法2」一九六頁・春日偉知郎執筆部分も新法による許可抗告制度
によって文書提出義務に関する高裁判断の統一を期待している)。
なによりも貸出稟議書を自己使用文書でないとした原決定の判断は銀行実務に及ぼす影
響が甚大であり、最高裁判所による法令の解釈の統一、判例の統一が強く望まれる次第で
ある。
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