「Water Biology:アクアポリンから水分子の生命科学へ向けて」 慶應義塾大学医学部薬理学教室 安井 正人 体内水分バランスは、生体の恒常性維持機能の最も重要な調節機構である。水分バランス の不均衡は、様々な病態に伴って認められ、その補正が治療上有効となることが多い。水 チャネル、アクアポリンの発見は、体内水分バランスや分泌・吸収に対する我々の理解を 分子レベルまで深めることとなった。腎臓における尿の濃縮・希釈はもちろんのこと、涙液・ 唾液の分泌にも重要な働きをしている。 現在まで、哺乳類では13種類のアクアポリン(AQP0—AQP12)が確認されている。また、 植物ではその数は 30 以上にもなる。アクアポリンファミリーは、そのアミノ酸配列の相同 性と機能から大きく2つのグループに分けられる。 水分子のみを通過させるグループ(ア クアポリン)とグリセリンなどの小物質を通過させるグループ(グリセロポリン)である。 最近、それぞれのグループを代表する AQP1(ヒト由来)および GlpF(細菌由来)の3次元的立 体構造が解明された。それぞれのポア(通過孔)の構造から、水分子あるいはグリセリン に対する選択的透過性の機序が説明可能となった。 実際、これらの構造を基盤に水分子あ るいはグリセリンがいかにしてアクアポリンを通過するか、コンピューター上で再現でき るようになった。水分子がこの穴を通るスピードは予想以上に速く、計算上、一秒間に3 x109 個の水分子がアクアポリン一つの穴を通過すると考えられている。また、アクアポ リンがなぜイオンに対して不透過か、その分子機構が明らかになりつつある。 アクアポリンはほぼ全身にわたって分布している。それぞれのアクアポリンはユニーク な組織分布を示しており、それぞれに特有の生理的意義が示唆されている。 例えば、AQP0 とレンズ透過性、AQP2 と尿の濃縮、AQP5 と唾液の分泌などである。また、グリセリン系の 代表として、AQP3 と皮膚の保湿、AQP7 や AQP9 と脂質代謝などがあげられる。最近では、 アクアポリンと疾患との関連も徐々に明らかになりつつある。例えば、白内障、尿崩症(尿 が濃縮できない病気)、口腔内乾燥症、乾燥肌などがある。中でもその調節や、病気との関 連が最もよく理解されているのは、 腎臓にある AQP2 である。AQP2 の遺伝子に異常があると、 先天性の尿崩症になる。また、躁うつ病の治療でリチウムが長期にわたって投与されると AQP2 が減少し、二次性の尿崩症になる。逆に妊娠に伴う浮腫や高血圧、うっ血性心不全な どでは、AQP2 が増えすぎることで体内に余分な水分が貯留してしまう。このような場合、 AQP2 に対する拮抗薬が開発されれば、大きな治療効果をもたらすことが期待されている。 グリセリン系のアクアポリンで最近注目されているのが、脂肪細胞に発現している AQP7 だ。AQP7 が欠損しているモデルマウスでは、加齢とともに肥満が顕著になり、糖尿病に発 展していくことが、つい最近確認された。AQP7 は、脂肪細胞からグリセリンを放出する経 路となっているが、この経路がふさがれると、グリセリンが脂肪細胞内に異常に蓄積され てしまう。すると二次的に糖代謝にも異常をきたし、肥満のみならず糖尿病を併発してし まう。現在、欧米のみならず日本においても肥満にともなう糖尿病の患者が増えているが、 この AQP7 欠損マウスは、これらの病態の理解を深めるのみならず、新薬の開発のモデルに なるのではないかと期待されている。 アクアポリンが細胞膜を介する水の移動を調節している重要なチャネルであることは、 疑いの余地がない。しかしながら、アクアポリンを介する水分子の移動が、周囲の膜直下 における水のナノ環境に及ぼす影響に関しては、まだほとんど知られていない。高分子周 辺の水は、いわゆる自由水でなく結合水(構造水)として存在すると考えられている。高 分子の立体構造や機能を考える上で、水のナノ環境の重要性が認識されるようになってき ている。また、無極性物質は分子周辺において水を構造化し、結晶化可能な非常に安定な 構築物を形成することが知られている。1959 年以来、Pauling は疎水性物質である麻酔剤 は、隣接する高分子の構造水を奪って、麻酔剤が自らのまわりにクラスレート(包接化合 物)を形成することにより作用すると提唱した。しかしながら、50年近く過ぎた今日で も、彼の説を実証するまで至っていない。これらの問題解決には、水分子の可視化や分子 力学シミュレーションを駆使した、ナノレベルの水分子動態に関する多角的な解析が必須 と思われる。我々は、現在アクアポリンの活性調節に焦点をあてて、全身麻酔薬によるク ラスレートハイドレートの形成、細胞膜近傍における構造水の変化への影響等を分子力学 シミュレーションの立場から検討している。シミュレーションの成果が、アクアポリンの 制御機構や水分子の可視化へ向けた技術開発につながれば、ポーリングの仮説を詳細に検 証できると考えている。 以上、クアポリンの発見から話を始め、構造・機能解析、および疾患との関連を中心とし た高次機能解析などの成果を紹介しながら、創薬の可能性を検討していきたい。
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