No.37 平成22年5月号

2010/5
No.37
http://www.silk.or.jp
蚕業技術研究所の春蚕期用桑園に設置された防霜ファン
<恩賜賞>
カイコ脳ホルモン(PTTH)探求の歩み
前・大日本蚕糸会理事
小林
勝利 ······························ p-2
<共同プロジェクト研究>
提携システムの構築に向けた繭と絹の生産技術の開発
プロジェクト研究主査
井上
元 ································ p-6
<研究トピックス>
特徴ある蚕品種による提携システム構築の支援
蚕業技術研究所上席研究員
代田
丈志 ·························· p-8
<研究トピックス>
見本桑園の造成
蚕業技術研究所技師補
< 行 事 予 定 >< 行 事 記 録 >
赤井
雅志 ····························· p-10
·
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·
·
·
·
·················································· p-12
<見学・研修受入><関連業界・学会の動き> ············································· p-12
(2)
シルクだよ り
<恩賜賞>
カイコ脳ホルモン(PTTH)探求の歩み
前・大日本蚕糸会理事 小林勝利
カイコの脳ホルモン探求の前史
虫の吐糸末期頃までに脳ホルモンはすでに分泌され、
昆虫の脳が変態に必要なホルモンを分泌してい
その反応閾値に達していて、蛹化直後に脳を摘出さ
ることは、ポーランドのコペッチ(1922)によって
れても除脳蛹の成虫化は妨げられなかったのではな
マイマイガ Lymantria disper の幼虫ブランコケ
いかと思料し、多数の蚕品種や系統の中には、脳ホ
ムシの頭胸間結紮や脳移植実験で最初に明らかにさ
ルモンの分泌機能を明確に示す蚕品種が存在する可
れました。この学説は当時脳は神経系で、ホルモン
能性を想定していました。
を出すなどとんでもないと学会では信用されず、再
確認されたのが 1935 年のことでした。
一方、日本では福田宗一(1940, 1944)と室賀兵
カイコにおける脳ホルモン作用の発見
1951 年に農林省蚕糸試験場へ入省し生理部へ配
左衛門(1940)はカイコの変態は前胸腺(ホルモン)
属されました。当時、生理部では昆虫内分泌領域の
の単独作用で、脳は変態に関与しないと結論され、
知見を養蚕技術開発に用いるという研究は行われて
その後フランスの ブニオール(1952)によっても
いませんでした。しかし、この種の研究は養蚕学に
これが再確認されました。
とって重要な基礎研究(昆虫生理学)であるのみな
他方、アメリカのウイリアムズ(1946~1952)は
らず、その成果を養蚕技術に応用できると思考し、
アメリカ産のセクロピアサン Platysamia cecropia
カイコの発育生理研究の一環として実施することに
の蛹休眠覚醒に脳が重要な役割を果たしていること
しました。
を明らかにし、脳―前胸腺内分泌系の存在を解明さ
新規採用者は日野桑園の蚕室で育蚕実習を課せ
れました。この研究以後、日本でカイコの脳を蛹休
られましたが、自由に研究が出来ました。早速かね
眠する数種の鱗翅目昆虫へ移植すると蛹休眠が覚醒
てからの疑問を解くため、飼育されていた二、三の
するという研究が行われました。
蚕品種を用いてカイコの終齢幼虫の頭胸間結紮実験
しかしながらカイコに関するかぎり、脳が蛹の成
を行いました。試行錯誤の末、幼虫体内の絹糸腺中
虫化誘導(変態)に必要であるという実験的証明は
の液状絹物質がほとんど吐糸された頃に頭胸間を結
全く行われていませんでした。
紮された幼虫から僅かですが蛹化する分離胴部が得
私は 1948 年九大の大学院特別研究生となり、蚕
られました。通常無結紮の正常な幼虫は蛹化後約 12
学講座の林 禎二郎教授から研究テーマ「家蚕の脱
日で羽化して成虫(蛾)となりますが、頭胸間を結
皮変態の生理・形態学的研究」を頂き、林教授の指
紮されて蛹化した分離胴部は成虫化するまでに 20
示で上述の福田宗一博士らの研究を追試しました。
日以上かかる例のあることを知りました。また、こ
しかし、先人のカイコの前胸腺やアラタ体に関する
の蛹化の遅延は分離胴部に頭部すなわち脳がないこ
内分泌的研究は見事で、総て同様な結果を得、脳の
とによるものと理解されました。
機能についても何ら明らかに出来ませんでした。
この実験結果が手掛かりとなり、蚕品種を変えて
でもこの実験で、カイコは卵休眠をする昆虫とは
蛹化直後に脳の摘出(除脳)実験を毎年蚕期ごとに
いえ、脳の機能についてカイコのみが他の蛹休眠を
繰り返し、蛹化しても長期間羽化しない除脳人工休
する鱗翅目昆虫と異なるのは「何故か」という疑問
眠蛹(後述の永続蛹)の出現率の高い蚕品種を探し
が残り、何時か機会を得てこの疑問を解明したいと
ました。この間に蚕品種により脳ホルモン(前胸腺
思うようになりました。
刺激ホルモン、PTTH)の分泌時期に差異のあるこ
というのはカイコには沢山の蚕品種や系統があ
りますが、従来実験に用いられたカイコは、5 齢幼
とも明らかとなりました。
シルクだよ り
脳ホルモン探求における蚕品種の重要性
(3)
した。座長:市川衛教授(のち京大名誉教授)で、
1954 年ついに当時、夏秋蚕用の多収蚕品種として
講演が終わると相次いで質問がありました。質問の
飼育されていた交雑種、
「日 122 号×支 115 号」が
趣旨はカイコにおける従来の研究結果とは著しく異
永続蛹の出現率の高い蚕品種であることが判りまし
なる。何故か?という質問、蚕品種による脳ホルモ
た。従ってその後はこの交雑種またはその逆交雑種
ンの分泌時期の差異を述べても質問者は半信半疑で
を用いて研究を進めました。
不審を払拭するため発言し、堂々巡りの討論が続き
さらに実験を重ねて除脳後 40 日を経過した除脳
蛹を人工休眠状態の安定した蛹とし、永続蛹(Dauer
-pupa)と名付けました(小林、1955)
。
ました。
1951 年、ギフチョウの休眠蛹へカイコの脳を移植
すると休眠蛹が覚醒し、成虫化が誘導されることを
この永続蛹へ幼虫、蛹、または成虫の新鮮脳を移
明らかにされた市川衛教授は私の発言についてそれ
植すると、成虫化が進行して羽化して成虫(蛾)に
なりに理解されたのか、纏める立場で発言され、20
なることが判りました。この実験によってカイコに
分余も続いた討論がようやく終りました。
おける脳ホルモンの存在が生理学的に確認されまし
た。
そこで脳ホルモン作用を明確に示す蚕品種の特
異性の重要性から、素材の明確な蚕品種の系統を手
追想:大袈裟ですが、1616 年ガリレオ・ガリレイ
が地動説に反対されて
「それでも地球は回っている」
と言われたという故事をこの時、壇上で思った若き
日の記憶は懐かしい思い出です。
元に持ち続けるため、
日 122 号と支 115 号の原種を、
日 122 号は当時の蚕糸試験場宮崎原蚕種試験所〔福
永続蛹の生理的特性と脳ホルモンのバイオアッセイ系
島支場(のち東北支場)で育成した原種をここで増
の確立
殖した蚕種〕から、支 115 号はその育成元である同
養蚕農家で通常飼育されている普通のカイコの
場綾部支場(のち関西支場)から、それぞれ入手し
蛹期間は通常 25℃で約 12 日ですが、交雑種日 122
て研究室で継代し、毎年春蚕期に両原種から一代雑
号×支 115 号のカイコの除脳蛹は除脳後約 30 日間
種(日 122 号×支 115 号)を作り供試しました。
の間に、羽化する除脳蛹は羽化し、残りの蛹の大多
その後、蚕品種による内分泌特性の差異が解明さ
数は休眠が安定して持続する永続蛹になると思量さ
れ、研究目的により蚕品種の選択が重視されるよう
れました。そこで、永続蛹の休眠の安定度を知るた
になりました(小林・山下、1958)
。
めにその生理状態を調べました(小林、1957)。
加えるに以前、某研究室でカイコの除脳休眠蛹を
まず、カイコの正常蛹の蛹期(25℃で保護し、約
作製してこの除脳蛹の休眠の安定性について学会で
12 日間)における酸素吸収量の経日変化を調べまし
論議されたことがあります。私の使用した永続蛹と
た。その結果はよく知られているように蛹化後徐々
いえるような長期間休眠性を持続するという形質を
に低下し、蛹化 4 日目頃に最低値となり、その後は
確認された蛹であるか否かは論文に書かれていない
成虫化の進行と共に上昇し、羽化の前日頃に最大値
ので、その結果の論評は控えます。要はカイコには
となる U 字型を示しました。これに対して、蛹化直
沢山の品種や系統があります。これを念頭に置いて
後に脳を摘出された除脳蛹の酸素吸収量は、除脳後
特異な形質の場合には、この点を吟味して供試材料
4 日間くらいは正常蛹のそれに似た酸素消費量を示
蚕を選択することが重要です。
しますが、それ以後は正常蛹の最低値よりもさらに
競走馬(サラブレッド)ではありませんが、蚕品
種でも特異な有用形質を持続して後代に保持させる
には相応の形質維持の技術が不可欠です。
低い値を持続し、除脳 120 日後でもほぼ同様な値を
示しました。
ところが、除脳後 61 日目の永続蛹へ新鮮脳を移
植すると、まもなく成虫分化が始まるので、酸素吸
異端の説を唱えた日
前述の研究概要を日本動物学会大会(1955 年、九
大で開催)で講演しました。当日の講演の最終組で
収量が増大し、正常蛹の U 字型曲線の後半のように
上昇し、脳移植後約 2 週間で成虫化して羽化しまし
た。
(4)
シルクだよ り
次に、正常蛹の蛹期におけるグリコーゲン量の消
細胞で造成・分泌された分泌物(脳ホルモン即ち前
長は、前述の酸素吸収量の消長と全く反対に、蛹化
胸腺刺激ホルモン:PTTH)は神経軸索を通り、側
直後から 4~5 日位までは高い値を持続しますが、
心体からアラタ体に入りここから体液中に放出され、
その後は成虫分化の進行と共に日を追って低くなり、 放出されたホルモンが血流を経て前胸腺に達し、そ
羽化に近づく頃に最低値となりました。
の刺激を受けた前胸腺が脱皮を誘導する脱皮ホルモ
これに対して、除脳休眠蛹(永続蛹)のグリコー
ン(エクダイソン)を分泌し、成虫化が進行して羽
ゲン量は除脳後約 2 ヶ月を経過するころまでは、蛹
化して蛾になるものと推定されました。なお、この
化 3~4 日目頃の正常蛹とほぼ同じレベルのグリコ
カイコ脳における PTTH の分泌とその成虫化誘導
ーゲン量を示しました。除脳後 120 日を経ても永続
の作用様式は前述の蛹休眠をするセクロピアサン
蛹のグリコーゲン量は除脳後約 61 日目の永続蛹の
(Williams, 1952)と同様でした。
それに似たレベルの値を維持していました。
その後可成りの年月を経て、カイコの PTTH を産
さらに、体液蛋白の泳動像でも永続蛹は長期わた
生する神経分泌細胞が解明されました。すなわち、
って人工休眠状態にある泳動像を示すことが解明さ
脳の神経分泌細胞から分泌されるこのホルモンに相
れました(鮎沢ら、1960)
。
当する合成ペプチドを免疫源として PTTH の免疫
これらの研究結果から、除脳後 40 日を経過した
抗体が作られて免疫組織化学的にホルモン産生細胞
除脳蛹を人工休眠状態の安定した“永続蛹”とし、
が検索されました。PTTH は脳の両半球に所在する
脳ホルモンの生物検定に使用できると判断し、永続
二対の側方神経分泌細胞で合成されたホルモンで、
蛹によるカイコの脳ホルモンバイオアッセイ系が確
神経軸索を通りアラタ体に達し、ここから体液中に
立されました。
放出されることが示唆されました(Mizoguchi ら、
加えるに、永続蛹の休眠期間について農林省蚕糸
1987, 1990)
。また同年、後述のカイコの PTTH の
試験場と同農業技術研究所で同時調査を行い、蚕期
N 末端領域のアミノ酸配列が明らかにされました
と雌雄によって異なるが、除脳後 3 ヶ月を経過した
(Kataoka ら、1987)。
永続蛹はほぼ 2 ヶ月以上安定した人工休眠状態にあ
ることが確認されました(小林・深谷・三橋、1960)。
後年、名大の石崎宏矩教授の要請で、カイコの脳
ホルモン(前胸腺刺激ホルモン)の生物検定のため
に蚕品種日 122 号×支 115 号を分与しました。
この交雑種の蛹で作出された除脳休眠蛹を用い
脳ホルモン(前胸腺刺激ホルモン、PTTH)の化学的研
究
脳ホルモンの化学的探求:カイコの蛹の脳を摘出
して脳ホルモンの粗抽出物を世界で初めて取り出し
ました(Kobayashi と Kirimura, 1958)。
て生物検定が行われ、カイコの前胸腺刺激ホルモン
当初、抽出物を交流分配法で分別し、脂溶性成分
が抽出され、後述のカイコの前胸腺刺激ホルモンの
と水溶性成分の 2 つのホルモン活性画分があること
化学構造解明へと繋がりました。
が解りました。そこで、まず、化学的研究が進めや
すいステロールの存在が想定される脂溶性画分を精
脳ホルモンの分泌経路
製し、コレステロールと同定しました(Kirimura ら,
カイコの脳の中央神経分泌細胞と側方神経分泌細
1962)。しかし、その翌年、コレステロールがエク
胞の細胞学的並びに組織化学的研究で、神経分泌細
ダイソンの前駆物質となることがクロバエで明らか
胞の分泌物が神経軸索を通って側心体神経に入り、
にされ(Karlson と Hoffmeister, 1963)、また、類
側心体を経てアラタ体神経を通りアラタ体に到達す
似の研究などからコレステロールの脳ホルモン作用
ることを明らかにしました(小林、1957)。また、
は疑似作用であると認めました(Kobayashi と
カイコの永続蛹へアラタ体を移植すると、脳を移植
Yamazaki, 1974)。
したと同様にアラタ体から放出された分泌物により
他方、水溶性画分(タンパク性画分)について、
前胸腺を介して成虫化が誘導され羽化します(小
脳ホルモンの本体を明らかにする研究を 1962 年に
林・山下、1959)。これらの研究から脳の神経分泌
はじめました (Kobayashi, 1963)
。
シルクだよ り
(5)
カイコのタンパク性脳ホルモンの分離・精製方法
その後、東大の鈴木昭憲教授と名大の石崎宏矩教
の開発:カイコ蛹の脳の抽出物からリン酸緩衝液で
授の共同研究が開始されました。そして前述の相違
抽出された脳ホルモンをイオン交換セルローズ(ゲ
が 18 年後に鈴木と石崎両グループの研究によって
ル濾過)によって分離・精製し、これがタンパクで
解明されました。すなわち、カイコ蛾の脳にはカイ
あること並びにこの精製方法で高純度のタンパク性
コ( Bombyx mori )の永続蛹(除脳人工休眠蛹)
脳ホルモンが得られることを明らかにしました
に 対 し て の み 活 性 を 示 す PTTH-B と エ リ サ ン
(Kobayashi と Yamazaki, 1966)
。
( Samia cynthia ricini )の除脳蛹に対してのみ活
そしてさらに精製された脳ホルモンは糖タンパ
性を示す PTTH-S とが存在し、PTTH-B が小林らの
クの可能性が高く、分子量は 20,000、クロマト的に
活性本体で、PTTH-S が鈴木・石崎らの活性本体で
は単一ピークを示し、
アクリルアミド電気泳動では、
あることが解明されました(Ishizaki ら、1983)。
2 つ の バ ン ド が 見 ら れ ま し た ( Yamazaki と
そして前者の分子量は 22,000 (22kDa-PTTH)、
Kobayashi, 1969)。しかし当時の分析機器の性能に
後者のそれは 4,400(4kDa- PTTH)で, カイコ蛾
は一定の限界がありました。
から単離されてカイコには無効でエリサンにのみ
その後、1972~1976 年に九大の船津 勝教授や
PTTH 効果を示す 4kDa-PTTH の化学構造が解明さ
相薗泰生博士らとの共同研究を進め、新知見を得ま
れ、このホルモンはインスリンおよびインスリン族
したが、研究年次の終了年と筆者の職務の都合で研
化合物と同定され(Nagasawa ら、1984)、その後
究班の続行が不可能となり研究半ばでしたが結果を
ボンビキシン(bombyxin)と名付けられました。
纏め、共同研究を終了しました。
ところで、前述のカイコ脳から脳ホルモンを抽
出・分離・精製する研究は私達の研究(Kobayashi と
カイコ PTTH の化学構造の決定
1990 年にこれまで 22kDa-PTTH とされていた、
Kirimura, 1958)以後、日本では下記の三カ所で行
エリサンには無効でカイコのみにホルモン活性を示
われていました。後述の①で示した小林グループは
す PTTH は、これをコードしている cDNA がクロ
生物検定にカイコの永続蛹を、②で示した石崎グル
ーニングされ、クローン化した PTTH(30kDa)の
ープと③で示した宇尾グループは共に生物検定にエ
化学構造が決定されました(Kawakami ら, 1990)。
リサン休眠蛹を用いて脳ホルモンの分離・精製が行
続いてカイコの真性の前胸腺刺激ホルモンのアミ
われていました。
ノ酸配列とその構造解析が行われ、ホモもしくは極
小林らは脳ホルモンの精製に初めてゲル濾過を
めて近似した 2 つのサブユニットからなる二量体構
用いるタンパク性脳ホルモン精製法を開発しました
造で、ジスルフィド結合によって架橋されているこ
(Kobayashi と Yamazaki, 1966)
。②は小林と山崎
とが明らかにされると共に糖蛋白であることが示唆
(1966)の精製法に類似した方法、③は②に類似した
されました(Kataoka ら、1991)。
方法でその精製が行われましたが、得られたホルモン
これらの生物有機化学的研究で、Yamazaki と
の分子量は三者三様で、① は 20,000 (Yamazaki
Kobayashi (1969)の 22 年前の研究結果が、高度
と Kobayashi, 1969 ) , ② は 9,000 ~ 31,000
な技法で裏付けられました。
(Ishizaki と Ichikawa, 1967), ③ は 5,000 以下
なお、カイコで完成した前述の一連の PTTH 研究
(Nishitsutsuji-Uwo, 1972)で、① と ②並びに③
で、鈴木昭憲名誉教授と石崎宏矩名誉教授は日本学
グループの単離しようとする PTTH の化学的性質
士院賞の栄誉に輝かれ、ご同慶の至りでした。
は顕著に異なり、小林グループのそれは塩基性蛋白
昆虫ホルモンの養蚕技術等への応用と本文に記載
質(ペプチド)としての性質を示すのに対して石崎
した引用文献は 小林勝利:日本農業研究所報告『農
グループのそれは、むしろ酸性の性質を示していま
業研究』5、1~23 (1992) を参照下さい。
した。このことは異種昆虫が PTTH の生物検定に用
いられていたとはいえ、この相違の理由が判らない
Masatoshi KOBAYASHI
まま経過しました。
元・農林水産省中国農業試験場長 農学博士
(6)
シルクだよ り
<共同プロジェクト研究>
提携システムの構築に向けた繭と絹の生産技術の開発
プロジェクト研究主査
蚕糸・絹業提携システムへの移行という新施策
を技術的に支援する目的で、蚕業技術研究所と蚕
井上
元
昔の着物は良いとの声に応えて
文化女子大学と(財)大日本蚕糸会が共同開催
糸科学研究所は和装・洋装を問わず「空気を含む」
するシルク文化シンポジウムの場では、昔の着物
をキーワードに、標記のプロジェクト研究を平成
は軽くて温かくてシワにならず、4 回染め直して
20 年度から 3 年計画で進めています。群馬県蚕糸
も生地が傷むことなく良かったとの声が出てきま
技術センター、農業生物資源研究所、平尾絹精練
す。なぜでしょうか?
工学研究所ならびに株式会社マルシバに参画いた
私たちはこの声に応えるべく、昭和 4 年の蚕品
だいており、蚕と糸と織りの連携が特徴的と言え
種である分離白 1 号×支 106 号を復元してみまし
ます。この 2 年間に得られた知見の概要はつぎの
た。原種は遺伝資源として長期間保存されていま
とおりです。
したので、糸長などの量的形質は大幅に低下して
おりましたが、この品種の特徴である糸のほぐれ
蚕を健康に育てる
丈夫な蚕からは良い糸が取れるとの基本に忠実
(解じょ)の良さは維持されており、遺伝的形質
は保持されることが分かりました。興味深いのは、
に、まず、蚕を健康に育てるために蚕飼育環境清
その糸が現代の普通蚕にくらべてかなり強いこと
浄剤の開発に取り組み、次亜塩素酸ナトリウムを
でした(図 1)。そして、このように糸が強いとい
主剤とする環境清浄剤を開発いたしました。長ら
うことが、4 回染め直しても生地が傷まないこと
く親しまれてきたホルムアルデヒドの使用が厳し
の要因と推察され、一つ答えを出せた思いです。
くなる状況下において、養蚕現場における新技術
として提供いたします。
14 デニール糸の製造と織り
14 デニールの細い糸で風合いの良い織物を製
作したいと、夢を語る方がおられます。その夢を
実現するために、このプロジェクト研究では極細
1 号と白繭細 2 号の蚕品種を開発しました。前者
は 1.6 デニールの繭糸を、後者は 2.2 デニールの
繭糸を生産します。これらの繭糸は丈夫であり腰
図 1 今の普通蚕品種と昭和 4 年の品種
が強いとのデータが得られております。
春蚕期にこの 2 品種の繭を農家で生産していた
分離白 1 号×支 106 号は糸量の少ない品種です
だきました。
「 飼育にとくだん難しさは感じなかっ
が、この糸は高級生糸になると評価されましたの
たが、極細 1 号が回転蔟から落ちやすい傾向があ
で、今後の「空気を含む」織物試作が楽しみです。
った、極細1号の繭表面の毛羽が細くて強くて粘
りがあり驚いた」とのコメントがありました。
繭層セリシン分析法による評価
それらの繭からゆっくり 14 デニール糸を製糸
平尾鋹蔵氏に繭層セリシンの分析から繭糸特
し、羽二重が試験織りされました。実際に織り上
性を評価していただきました。平尾氏によると、
がった極細 1 号と白繭細 2 号の羽二重を手にする
4 層からなるセリシンのうち、セリシンⅡ層にリ
と、素晴らしい風合いであると感じられます。
ン脂質が多く含まれる品種と少ない品種が存在し、
(7)
シルクだよ り
多く含まれることによって精練抵抗性が高まり、
な繭素材の原点を求める視点が浮上して来ました。
糸が丈夫になるとのことです。また、精練が過度
その説明のために、明治元年から今日までの蚕
に進むとセリシンⅡ層が削除され、その下にある
品種育成の流れを解析してみますと、図 3 のよう
セリシンⅢ層が露出しそこに在るラウジネス要因
におおよそ 40 年ごとに 4 つに区分されます。
が表面にでてくると言っております。
確かに、セリシンⅡ層が多くて精練抵抗性が高
いと評価された繭糸は、ユーザーから染色しても
絹やせしないし糸が強く撚糸と製織が楽と言われ
ています。逆に、精練抵抗性がほとんどみられな
いとされた繭糸は、ラウジネスがでると言われ、
両者の評価はよく合致しています。
今回、分離白 1 号×支 106 号は明治時代の在来
品種の小石丸に糸質が類似しており素晴らしい、
極細 1 号は糸の腰が強く素晴らしいと、高く評価
図 3 蚕品種育成の変遷
されました。後者の評価は図 2 の生糸の物理特性
からも支持されると思われます。
すなわち、古来から飼育されていた在来蚕品種
の時代、明治 39 年の外山博士の一代交雑種理論
に基づいて品種改良が進められた時代、昭和 24
年の画期的な品種日 122 号×支 122 号の登場から
四元交雑の普通蚕品種が主流となった時代、それ
と昭和 62 年の細繊度蚕品種あけぼの育成から特
徴ある蚕品種の利用が増加している現代です。
田島博士によると、昭和 35 年から普通蚕品種
の改良はそれまでの糸質重視から作柄重視へと移
行し、繭も一層大きくなったとされています。こ
れは、吉武博士が指摘しておられるように大食い
の蚕を育成してきた結果です。また、この頃は自
動繰糸機が急速に普及し、高速での繰糸が行われ
るようになった時期でもあります。昔の蚕と今の
普通蚕の糸質に変化があったとすれば、この辺か
図 2 極細1号の生糸の物理特性
らと類推できます。それ故、昭和 4 年~昭和 34
年に改良・育成された品種に、丈夫な繭糸素材を
良いものづくりに向けた繭素材の提供戦略
作出するためのヒントがあると着目いたしました。
昭和 4 年の分離白 1 号×支 106 号を復元してみ
基本に忠実、夢の実現、温故知新、創意工夫が、
て、その糸の強度、伸度、ヤング率が現代の錦秋
純国産の良いものづくりに向けた大切なキーワー
×鐘和に比べていずれも優れているとのデータか
ドと考えております。このプロジェクト研究では、
ら、良いものづくりには繭糸が丈夫であることが
蚕と糸と織りが一緒になって、空気を含み腰が強
基本と認識されました。
い優れた織物を現代技術で生み出す努力をいたし
このことに触発されて、良いものづくりに向け
ており、3 年目には極細 1 号の繭糸を洋装分野で
た繭素材の提供戦略として、これまで私たちは特
活用する方向へも展開していく所存です。
徴ある蚕品種の開発に努めてきましたが、それに
Hajime
加えて昭和 4 年~昭和 34 年の期間に、糸が丈夫
蚕業技術研究所 所長
INOUE
(8)
シルクだよ り
<研究トピックス>
特徴ある蚕品種による提携システム構築の支援
蚕業技術研究所
蚕業技術研究所は、特徴ある蚕品種の育成によ
代田
丈志
種の来歴をたどると、又昔が 1740 年頃に、小石
って蚕糸絹業提携システムの構築を支援している。 丸が 1790 年頃に作出されており、伊達錦と小金
ここでは山形県白鷹町での事業に向けた蚕品種
丸は明治に入ってから小石丸と又昔を交配して作
KM の育成経過から、現地における物づくりへの
出された品種であった。繭の量的形質はいずれも
取り組みの概要を紹介する。
貧弱であるところから、糸長 900m を目途に、当
研究所が保持している優れた中国種系の原種を小
石丸と又昔に交配し、実用に耐えうる交雑種とし
1.取り組みの端緒
4 年前、私たちは山形県西置賜郡白鷹町の町史
た。これを KM と呼んでいる。
にある次の蚕歌を知りました。
3.KM の飼育成績と飼育技術の改良
今度逢う日は又昔
逢わぬというのは伊達錦
所内における飼育成績は、5 齢経過日数が 4 日
かわいいあなたは小石丸
であり、全体の経過日数は 22 日 6 時間と、普通
互いの心は小金丸
蚕品種の錦秋×鐘和に比べ短い日数で上蔟する。
白鷹町在住の小松紀夫伝統工芸士によると、この
だ
き
に そんてん
したがって、1 万頭収繭量が 12.4kg、繭重も 1.45g、
蚕歌は白鷹町の高玉瑞龍院の 吒 枳 尼 尊天 (稲荷大
明神)
(図 1)に伝わる詩で、明治時代に養蚕に従
繭糸長は 722m、繭層重が 21.3cg、繭糸繊度が
事した人々が、当地で飼育されていた蚕品種を折
その後、この品種を用いた現地での諸試験は、
り込んで作られたとの由。そして、この蚕歌にも
米沢市の kk 布四季庵ヨネオリ田中裕司氏がコー
1.98d と、量的形質が少ない品種に出来上がった。
とづく町興し的な事業を行いたいと夢を語られた。 ディネーターとなって精力的に進められている。
平成 19 年晩秋蚕期に、山形県 JA おきたま白鷹
支店の稚蚕共同飼育所で初めて飼育がおこなわれ
た(図 2)。農家の鈴木庄一氏と布川義昭氏に配蚕
され、繭が生産された。飼育を担当した農家では、
飼育経過が短く、不揃いになりやすかったため、
これまでに飼育した普通蚕に比べ、飼育方法に戸
惑いが多かった。
だ
き
に そん てん
図 1. 瑞龍院の 吒 枳 尼 尊 天 本殿
2.蚕品種 KM の育成経過
その夢を実現するべく、私たちは品種育成を行
うこととした。この蚕歌に記載されている在来 4
図 2. 稚蚕の飼育
(9)
シルクだよ り
そこで、飼育方法を農家と検討し、つぎの 3 点
を見直した。①稚蚕期の飼育は普通蚕の給桑方法
繭糸繊度は 2.11d と 2.13d と細かったが、解じょ
率は 87.4%と 86.6%と高い値が得られた。
から原蚕種の給桑方法に変更し、桑葉の切断する
これらの生糸は県内の小松織物工房と kk 新田
幅を狭めることとし、違失蚕の発生を防いだ。②
にて試作織りがなされた。白たか織の反物を試作
桑付けは普通蚕より遅くし、③上蔟は早目に行い、
された小松紀夫氏によると、糸は弾性に富み、腰
座中繭をへらすことにした。これによって、減蚕
が強いので織りに難しさを感じるが、風合いがあ
を最小限に抑えることができ、掃立て頭数当たり
り、1 反が 521g と軽く、ボリュ-ム感があると
の繭の歩留まり率が 77%まで改善され、普通蚕並
の評価であった(図 6)。袴用の反物を試作した
みに繭の粒数を収繭することができた(図 3)。
kk 新田の新田源太郎氏は、生糸には白くつやがあ
り、横糸にボリュ-ムがあるので織りにくいが、
腰が強く柔らかさを持ったこれまでにない製品に
なったと評価している。実際、袴用に試作された
反物を手にしてみると、通常の袴用に比べてボリ
ューム感があり、軽さを感じた(図 7)。
図 3. KM の営繭状況
4.蚕品種 KM の繭の特徴
生産された繭は白繭の浅縊れがある俵型をして
おり、錦秋×鐘和に比べ不揃いである。自然光で
図 6.白たかお召の反物試作
図 7.袴用の反物試作
は白色であるが(図 4)ブラックライトをあてる
と淡い黄色や青色に発色する(図 5)。私たちは品
蚕品種 KM を用いる蚕糸・絹業提携事業の発足
種改良の常識にとらわれることなく、この多様性
に向けて、目下、関係者が努力されている。蚕歌
を逆に KM の特徴とすることとした。
に基づいて、山形県内で蚕飼育から製糸さらには
織り染めが一貫して実施される事業は、提携シス
テムの中でも珍しいことと思われる。更なる進展
を期待したい。
私たちはこれからも「繭糸が丈夫」を合い言葉
に、特徴ある蚕品種の開発を進め、純国産の良い
図 4. 自然光
図 5. ブラックライトよる発色
物作りに向けた活動を積極的に支援していく所存
でいる。
5.KM の繰糸から織物試作
2 戸の農家で生産された繭は県内の松岡製糸 kk
で繰糸された。この繰糸成績は繭糸長が 849m と
Takeshi SHIROTA
919m で、繭糸量も 19.9cg と 21.7cg であった。
蚕業技術研究所
上席研究員
(10)
シルクだよ り
<研究トピックス>
見本桑園の造成
蚕業技術研究所
赤井
雅志
はじめに
日本で保存されている桑品種は現在 1300 種余と
言われていますが、これら桑品種の保存は、農業生
物資源研究所(以下生物研と略す)や各県の試験場
及び一部の関係する大学等で実施されていました。
しかし、近年各県の関係組織は大半が廃止され、ま
た、多くの桑品種を保存している生物研でも、遺伝
資源の桑品種はほ場での保存を削減し、冬芽による
写真 1.抜根作業
超低温保存と言う方法に切り替えて来ているようで
す。
このようなことから、実際の桑品種を研究用に使
3.土壌消毒
桑は一度植え付けると最低でも十数年は同じ場所
用したり、見学者など外部の方々への展示もままな
で栽培を継続するため、健全な土壌が要求されます。
らない状況になってきています。
そこで、木本作物の大敵とされている紋羽病の発生
そこで、当研究所では、有用な桑品種を保存しな
がら研究用に使用すると共に、見学者への展示も考
えて見本桑園を造成することとなりました。
を予防するためにバスアミド微粒剤(以下バスアミ
ドと略す)を用いて土壌消毒をしました。
整地した予定地にバスアミドをなるべく均一に散
布し(写真 2)、直後にロータリー耕で深く攪拌し
1.桑品種の選定と桑苗の準備
ました。
見本桑園の設定に伴う桑品種の選定は①日本で
広く栽培されている或いは栽培されていた品種。②
各試験場等で育成された桑新品種。③②で育成され
た時の両親、祖父母等になっている品種。④桑の形
態上特徴ある桑品種。⑤海外の桑品種で特徴的な品
種です。ただし、ほ場で維持管理できる桑品種を選
定基準としました。以上のような考えで、1300 品種
の中から 118 品種を選定しました。
桑苗は、その大半を有償配布で生物研に、植え付
け 1 年前に注文し調達しました。
写真 2.バスアミド剤散布
続けて土壌消毒の効果を確実にするために、ポリ
エチレンシートで被覆しました。
2.見本桑園の造成
バスアミドは水に溶けると強力なガス(MITC)
見本桑園は立地条件から 9 号ほ場に造成すること
を発生させ、また、地温が高い程殺菌・殺虫効果が
になり、抜根作業から始めました。パワーシャベル
高くなるため、この作業は夏季に実施し、効果のア
で桑株の周りを深く掘ってから桑株を抜き取る作業
ップ及び周辺への薬害回避を目的に被覆作業を行い
を進めましたが、 樹齢 20 年以上の株のため根っこ
ました(写真 3)。
が太くて長く、抜根作業は困難でした(写真 1)。 ま
た、抜根した後のほ場はデコボコなので、何度もロ
ータリー耕(トラクター)で整地をしました。
写真 3.被覆作業
(11)
シルクだよ り
その後約 3 ヶ月間寝かせた後、ポリマルチを除去
し、土壌中のガス抜きをするため数回にわたりロー
タリー耕を行いました。
そして、桑を植え付ける 1 ヶ月前に小松菜を蒔い
て発芽による残留ガスを調査しました。
4.桑の植え付け準備と植え付け
写真 10,11.植え付け作業
植え付け準備としてまず、堆肥と苦土石灰を散布
しました(写真 4,5)。次に区画作りと線引きをし
ました(写真 6,7)。
人力による植え付け作業が終わると、植え付けた
桑苗が倒れないように小型管理機で土寄せを行い、
その後また人力で平になるようにしました(写真
12,13)。
写真 4.苦土石灰散布
写真 5.堆肥入れ
写真 12,13.土寄せ作業
5.見本桑園の完成
植え付け後桑苗が根付いたら品種名のプレート
を設置し、見本桑園が完成しました(写真 14)。
写真 6.区画作り
写真 7.線引き
桑品種の栽植は 1 品種 5 本で、植え付け距離はう
ね間 2.5m、株間 0.6mとしました。線引きした印に
沿って溝堀り機で植え溝を掘りました(写真 8)。
その後植え溝に化成肥料を施用しました(写真 9)。
写真 14.2010 年 2 月の状況
おわりに
現在、見本桑園は予定通り 118 品種を植え付けて
ありますが、準備したほ場はまだ四分の一弱の余裕
写真 8.植溝掘り
写真 9.化成肥料散布
があります。今後はもっといろいろな桑品種や桑の
仕立て法別桑樹の展示も取り入れたいと考えていま
植え付けは 3 人一組で丁寧に一本一本植え付けし
す。そして、一人でも多くの皆さんに見学していた
ていき、118 品種を植え付けするので、一品種ずつ
だけるような見本桑園にしていきたいと思っていま
間違えが無いかを確認しながらの作業のため、普通
す。
の新植桑園より大部時間がかかりました(写真 10,
11)。
Masashi AKAI
蚕業技術研究所 技師補
(12)
シルク だよ り
<行事予定>
◎第 2 回蚕糸褒賞等選考委員会
平成 22 年 6 月 11 日(金)
於:蚕糸会館
於:蚕糸会館
◎蚕技研・蚕研共同プロジェクト研究推進会議
平成 22 年 3 月 29 日(月)
於:蚕糸会館
◎理事会・評議員会
平成 22 年 6 月 17 日(火)
於:蚕糸会館
◎平成 21 年度研究業務実績報告会
平成 22 年 4 月 8 日(木)
於:蚕糸会館
<行事記録>
◎新年賀詞交歓会
平成 22 年 1 月 6 日(水)
於:蚕糸会館
◎第 1 回蚕糸褒賞等選考委員会
平成 22 年 4 月 13 日(火)
於:蚕糸会館
◎養蚕経営成績検討会
平成 22 年 1 月 27 日(水)
於:蚕糸会館
<日本蚕糸学会関連>
第 80 回記念大会において、永年の学術振興助成
に謝意を表する感謝状が大日本蚕糸会に贈呈され
た。また、大沼昭夫氏が蚕の雌雄分別孵化の研究で
日本蚕糸学会賞を受賞された。
◎蚕糸・絹業提携システム全国推進協議会
平成 22 年 2 月 25 日(木)
於:蚕糸会館
◎平成 21 年度先導養蚕農家現地検討会
平成 22 年 2 月 15 日(月)~16 日(火)
於:福島県下
◎理事会・評議員会
平成 22 年 3 月 18 日(木)
<見学・研修受入>
開 催 年 月 日
1.13(水)~19(火) 東京家政学院大学
見学・研修者と研修内容等
≪人数≫
開 催 場 所
テキスタイルアドバイザー資格取得のための研修≪2名≫ 蚕糸科学研究所
2.1(月) 織道楽塩野屋
わら蔟作りの研修≪1名≫ 蚕業技術研究所
3.17(水) 財団法人シルクセンター国際貿易観光会館 シルク博物館
≪2名≫ 蚕業技術研究所
<関連業界・学会の動き>
開 催 年 月 日
行 事 名 ≪主催等≫
開 催 場 所
2.2(火)~4(木) 純国産シルク企画製品展
≪(社)日本絹業協会≫ ジャパンシルクセンター
3.10(水) 内外シルク講演会
≪中央蚕糸協会≫ 蚕糸会館
4.3(土)~4(日) 第80回学術講演会
5.28(金) 日本シルク学会第58回学術講演会
シルクだより No.37 平成 22 年 5 月号
≪日本蚕糸学会≫ 信州大学
≪日本シルク学会≫ 信州大学
編集・発行:(財)大日本蚕糸会 シルクだより編集委員会
〒100-0006 東京都千代田区有楽町 1-9-4
℡03-3214-3411 FAX 03-3214-3415
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