社会学基礎論 2012 年度期末小論文 現代日本人は何を信じるか 1. はじめに 日本人の宗教心については、これまで社会学において様々に論じられてきた。しかし、現代社 会は、それらが論じられる間にも刻々と変化している。 そこでこの論文は、現代社会において日本人が何を信仰しているのかを検討し直すことを目的 とする。そのためにまず、日本人が宗教に対してどのような意識を持ってどのような行動をとってい るかを、客観的な調査データをもとに明らかにする。次に、現代における日本人の信仰対象を、宗 教の持つ役割と関連させつつ、伝統的なもの・新しく出現してきたものの二つに分けて論じる。ここ では特に、現代特有と思われる新たに生じてきた信仰について、考察していきたい。 2. 日本人の宗教意識と宗教行動の実態 2008 年に行なわれた調査によると、「宗教を信仰している」人が 39%に対して、「宗教を信仰し ていない」人は 49%で、宗教を信仰していない人のほうが多いという結果が出た。 i一方、図 1 に よると、日本人の大半は何らかの宗教的な行動を取っている。二つの結果を合わせて考えると、 日本人は宗教を信仰していない人が多数派であるにもかかわらず、宗教的な行動はそれらの人も 含めた大半の人が取っているという一見矛盾した結論が出てしまう。 図 1ii しかしこれは、日本人は宗教と聞くと、主に特定の教義・教団を持った普遍宗教をイメージすると 1 考えれば納得ができる。それらに関わる人は日本では少数派なので、「宗教を信仰していない」人 が多いという結果が出たのだろう。それを裏付けるように、特定の宗教と結びつく「聖書や経典を 読む」「宗教の集まりに参加する」「教会の礼拝に行く」については行なう人の割合が他のものと比 べると著しく低い。一方、「墓参り」や「初もうで」は、もともとは信仰にもとづいた行動ではあるが、す でにただの習慣となっており、特定の宗教を信仰しているかいないかに関わらず大半の人が行 なっている。「お守りやおふだ」「神社で参拝iii」「おみくじをひく」といった個人がある種呪術的に自 らの幸運を願う行動も、八割以上の人が行なったことがあると答えている。 つまり、日本人が主に信じているものは、「民俗宗教(民間信仰)」 であるといえる。民俗宗教は、 地域の民間伝承を土台とする宗教のことであり、主に「祭と忌」・「年中行事」、・「通過儀礼」・「俗 信」の四つから成り立っていると定義される。 iv日本人の一般的な感覚では、これらは宗教とは捉 えられない。これは、世俗化が進み、民俗宗教が個人の習慣・道徳意識の一部となったためであ ると考えられる。だからこそ宗教を信仰してると考える人が少ないのにも関わらず、宗教的行動をと る人が多いのだ。 ドベラーレは、世俗化を全体社会・組織・個人の三つのレベルに分けているが、私はその中でも 個人の変化に注目したい。v社会全体への影響力は減少したといえども、宗教は私事化され、「見 えない宗教」として、個人の心の内面に今も息づいているのだ。 3. 現代の信仰 Ⅰ.伝統的信仰 そもそも、人はなぜ宗教を信じるのだろうか。図 2 によると、宗教のもたらす役割や効果は、主に 心の問題に関連しているといえる。何かを信じ、拠り所とすることによって、心を安定させ、心の傷 を癒すこともできるのだ。 図 2vi 前章で論じたように、現代では神道・仏教・キリスト教・イスラム教といった特定の宗教よりも、民俗 宗教が信仰されていることは確かである。しかしその民俗宗教の中でも、衰退の傾向が見られる。 2 年中行事や通過儀礼など、生活に溶け込んだ宗教行動は全般的に実施率が高かったが、「小正 月」・「氷の朔日」といった伝統行事はほとんど実施されず、見たことも聞いたこともない人も多く なっている。また、現在に残っている伝統行事でも、その内容は変化している。viiこれは、慣習を受 け継ぐ共同体の崩壊に伴い、それらの行事の意味が希薄化していることを示している。神を迎え て再び送り出すといった意味は現代の正月からは消えつつあるのだ。このように、民俗宗教の行 事が残っているといっても、神・仏に感謝・祈願することによって心の安らぎを得るという宗教として の役割はほぼ消えてしまったものが大半で、多くは伝統を続ける安心感と漠然とした道徳意識の みが残っていると考えられる。 Ⅱ.新たな信仰 それでは、現代に特有な信仰は存在するだろうか。情報化・国際化が進む現代社会だからこそ、 新たなリスクやそれに伴う不安が生まれ、それらを軽減するための新たな心の拠り所が必要となる だろう。1970 年代には、宗教回帰や宗教ブームが生じたと指摘されることがある。そういった時代 の宗教性を示すために、新しい言葉が発明されてきたし、今もそれは続いている。viii例えば、精神 世界・ニューエイジ・癒し・スピリチュアリティ・オカルトといった言葉が挙げられる。 私は、中でも特に最近現れてきたと考えられるものをここで取り上げる。そのひとつが、メディアに よる「健康主義」である。テレビなどのマスメディアで健康法が語られる光景が多く目にされるように なった。納豆・りんごなどによるダイエットが有効だと放送されると、翌日には店頭からそれらの食 品が消える。「ポリフェノールが体に良い」・「コラーゲンには美肌効果がある」などと言われると、そ れらがどのような成分かも知らないままにその言説に従う。マイナスイオンなどの「疑似科学」も健 康に良いものとして宣伝され、人々に信じ込まれる。しかし一見科学的と思われても、その実体は 無条件にそれらの情報を信じさせる、「見えない健康神への信仰のすすめ」であり、宗教くささを完 全になくした新しい民俗宗教であるixと言える。 また、これらには「科学信仰」が含まれているとも言える。1970 年代の公害問題により、科学は人 間の生活を向上させるものであるという幻想が薄れ、「科学は万能ではない」・「科学の進歩が人 間を幸福にするとは限らない」といった見方をする人が日本人の四分の三を占めるようになったと いう調査がある。xしかし上記の例を見ると、それでもまだ、人々は科学的な理屈付けがあると思わ れるものを信じ込んでしまう傾向があると言える。 わたしはこれらは、情報化が進んだことに関係していると考える。現代、いつでも・どこでも・誰で もネットワークに繋がり情報を得られる「ユビキタス社会」が構想されている。それに伴い、大量の 情報が私たちの身の回りに存在することになり、それらをどう扱うかというリテラシーの重要性も増し ている。この情報リテラシーが十分に身についていないと、自ら情報を適切に取捨選択することが 困難になる。そして、情報の海の中でどうすればよいかわからず溺れてしまうのではないかという 不安を和らげるために、少しでも科学的な装いが見えると、それに飛びついて妄信してしまうこと になるのだろう。もともと「ユビキタス」という言葉は、「神の遍在」を意味する宗教的な言葉である。 その意味が薄れた現代においても、普遍宗教の神に代わり「情報」という神がどこにでも存在する ようになり、人々の心を救うものとして信仰されているのだ。 4. まとめ 本論文で私は、現代でも多くの日本人は民俗宗教を心の底で信仰していること、そして現代社 会に特有の信仰として科学・健康・情報を対象とするものがあるということを示した。 しかし、本論文では現代特有の信仰を十分に考察することができなかった。現代の信仰にはここ 3 では捉え切れていないより多くの事例が存在すると考えられる。現時点では私の中で考えがまと まっていないそれらの信仰についても、社会学的な視点に立って考察していくことを、今後の課題 としたい。 i.NHK 文化放送研究所 『“宗教的なもの”にひかれる日本人~ISSP 国際比較調査(宗教)から~』 http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2009_05/090505.pdf ii.同上 iii.後述の民俗宗教の一つとして、神道という特定の宗教に結びついているとは認識されないと考えられる。 iv.野村一夫『社会学感覚』 17 宗教文化論 http://www.socius.jp/lec/17.html 2012/07/24 v.井上順孝編『現代日本の宗教社会学』 世界思想社 1994 年 p.78 vi.NHK 文化放送研究所 『“宗教的なもの”にひかれる日本人~ISSP 国際比較調査(宗教)から~』 http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2009_05/090505.pdf vii.石井研士 .『データブック 現代日本人の宗教――戦後 50 年の宗教意識と宗教行動』 新曜社 1997 年 p.8083 viii.同 p.123 ix.野村一夫 ソキウス 宗教報道の社会学 [5]民俗宗教としての健康主義――マスコミが主宰する身体管理“信仰” http://www.socius.jp/eco/religion05.html 2012/07/24 x.石井研士 .『データブック 現代日本人の宗教――戦後 50 年の宗教意識と宗教行動』 新曜社 1997 年 p.132 4
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