第3回 それを人は「のぞき」という!? 驚異のフィールドワーク 傾斜面に着座

第3回
それを人は「のぞき」という!?
驚異のフィールドワーク
傾斜面に着座するカップルをひたすら観察し続けた論文!
【今回取り上げる論文】
小林茂雄、津田智史(2007)
「傾斜面に着座するカップルに求められる他者との距離」
日本建築学会環境系論文集
●「傾斜面に着座」ってなんだよ
今回ご紹介するのは、単純に言ってしまえば、公園の土手に座っているカップルを観察
した論文です。それが論文のタイトルになると、
「傾斜面に着座するカップル」だって。た
しかにそうですけれども、こういう論文に出てくる学術用語って、真面目ぶりが度を超し
ていて、ホント大げさですよね。
話を戻すと、そのカップルが「人目を気にせず」に座れる、その「人目」とカップルと
の距離はどれくらいか、それを計測した論文です。
具体的には、夕方から夜間にかけて、カップルがいつ座りいつ立ち上がったか、そのと
き、他人との距離はどれくらいだったか、そしてカップル同士の距離はどれくらいだった
か! すべて「目視」で計測した、恐るべき論文! いったい最終的になにを知りたくて
こんなことをしたのか?
人はそれを「のぞき」というんじゃないか!? 大丈夫か、おい!?
●学問は研究室で起こっているのではない、現場で起こっているのだ!
論文を読むと、観察は、24 時間一般開放されている広場、「横浜大桟橋国際客船ターミ
ナル」で行われた模様。
なぜそこだったか、という選定理由は、
「山下公園や横浜マリンタワーが見渡せ」て、
「一
日を通して」だれかしらいて、
「夜間は美しい夜景が見えるためか、カップルが多い」から
だそうです。ここまではのぞきのプロでも言いそうなことですが、この著者は、データに
「揺れ」があってはならない、と、なんと予備調査までしているのである!
予備調査とは、実際の調査をする前に、ちゃんとしたデータをとるため、果たしてその
場所が適切なのか、本当に人は来るのか、来たとしてどれくらいの人数なのか、というこ
とを下調べすることです。これをしてないと、そのデータは有意ではない、と学会でツッ
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コんでくるオジサンたちがいるのだ。
予備調査は、昼間から深夜にかけて計 5 日。そして、本調査は、17 時から 22 時 30 分
まで計 4 日。おいおい、予備調査のほうが長いじゃないか! しかし、予備調査期間のほ
うが長いということは、それだけ念入りに下調べをしたということでもあります。そして
4 日にわたる時間帯を限定した調査で、長い年月の風雪に耐えるだけの、確かなデータが
取れる、ということがわかったのでしょう。
こういう、実際にあることを調査する方法を「フィールドワーク」というのですが、フ
ィールドワークの欠点は、果たしてそのデータが、特殊なデータなのか、一般性のあるデ
ータなのか、ということが、なかなかわからないところです。たとえば、言語学の一領域
である方言研究でいうと、これは、実際に地方のおばあちゃんのところに行って、話を聞
いて、録音して、
「ここはこういう方言を使っている!」なんてことを調べる研究なんです
が、取材するのが 1 人だけだったら、「それはその人のしゃべりグセであって、その地域
全体の傾向かどうかわからないよ」なんて言われるわけです。だからどうしたって、ある
程度まとまった量のデータが必要。何百人にも聞き込み調査をしたりして、「地域の特徴」
と「個人の特徴」の選別をしなければならないのです。
その点、この論文は、フィールドワークによってサンプルをたくさん集め、有意(たし
かな偏りがある、と認められるもの)なデータにした点で、1000 年後にも残る大偉業です。
きちんと統計学に基づいた、
「たしかにその通り!」と言われるだけのデータにするまでに
は、大変な労力が必要なのです。
この大調査には、おそらく論文の著者である小林茂雄先生のゼミ生がかりだされたこと
でしょう。
「う、オレは、私は、こんなことをするために大学院に入ったわけでは……」と、
双眼鏡を片手に、蚊にあちこち刺されながら調査した感じが、文面から透けて見えてくる
ではないか! まさに汗と涙の結晶。学問は現場で起こっているのである!
●驚異の動体視力! すべて「目視」という、最高に泥臭い調査方法
実際の調査は、遠巻きに見て、カップルが「どれくらい滞在したか(滞在時間)
」「どん
な姿勢だったか(姿勢)
」
「どれくらい密着していたか(密着度)
」を計測するというかたち
で行われました。
なかでも気になるのは「密着度」
。なんと 5 段階に分かれてます! 「離れている」
「寄
り添う」
「手を繋ぐ」
「肩や腰に手を回す」「抱き合う」。え!? 「抱き合う」にもさ、いろ
いろ段階あるじゃん! そこもう少し教えてよ!という、スケベ心をくすぐられるポイン
トもありますが、そこはこの研究の目的ではないようです。ホッ、あやうく通報するとこ
ろでしたよ。
そして、実際どれくらいのカップルを調査したかというと、滞在者数 704 名というので
2
ある! ななな、700 人!? 単純計算、カップル数でいうと半分の 350 組。それを 4 日間
だから 1 日 88 組くらい。1 日 5 時間半の調査だから、なんと 1 時間に 16 組! すげえス
ピードた! と、いうことは、2,3 人でやった調査ではもちろんありません。
では、調査方法というところを詳しく見てみましょう。
すると、
もちろん、
「横浜大桟橋国際客船ターミナル」
の許可を得ているはずなのですが、
不審な行動の数々……。
・観察は、カップルたちのプライバシーを侵害しないことに細心の注意を払った。
そりゃまあ、そうですよね。「調査されてる!」と気づかれたら終わりです。
・
「20 代の男性 3、女性 3 の調査員が男女 1 名ずつ組んで観察」
なにい!? こっちもカップルだったのか! カップルをカップルで調査する! なんか
カップル喫茶的な感じもしないではありませんが、20 代という、人生のなかでもキラキラ
した時期の男女が、調査という名目のもと、カップルに!? こ、これはアニメとかだった
ら、完全にくっつくパターンじゃないか! うわあ、ときめく! ここまで読んで、すで
に 30 代になってしまった私も、なぜか小林ゼミに入りたくなったのは内緒です。
つまり、3 組のカップルが、1 時間平均 16 組のカップルを肉眼で確認したということで
すね! 1 カップルあたり、1 時間に 5 組前後。それならたしかに可能でしょう。
・
「基本的に芝生を上がったところの通路に、立ったり座ったりし、位置を移動しながら
観察することとした」
完全に不審者だろう! 明らかにそわそわしてませんか? サングラスとかかけてませ
んでしたか?
・
「観察はすべて目視で行い、手書きによって記録した」
どうだろう、この『家政婦は見た!』の市原悦子ばりの泥臭い調査方法は。でも、市原
悦子は対象にむかってズケズケ聞きたいことを聞けるけど、この人たちは、
「いまなんで立
ったんですか?」とか「どれくらいの距離だと一目が気にならないですか?」などとは聞
けないわけです。
・
「人物が特定できたり細かな動作が分かるような撮影は一切行っていない。
」
これ、受け取りようによっては、おおまかな動作が確認できる撮影はしたようにも思え
る記述なんですが、いいですね、こういう味わいのある表現は。私たち論文マニアは、こ
ういう、
「言外の意味」にも注目して論文を読む楽しみを忘れてはいけません。
・
「利用者への聞き取りは行わず、属性(年齢)などは調査者による主観的判断に基づく
ものである」
これを世間では「のぞき」というのでは? とかいうツッコミはさておき、この論文の
目指すものには必要な調査方法なので、この方たちを信じることにしよう。よく、論文に
も「主観的判断」ということが出てきますが、これ一見「それ、お前だけなんじゃね?」
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とツッコミたくなるポイントだったりします。ですけど、よーく考えたら、だれよりもそ
の道に詳しい人の「主観的判断」って、あながち間違っていなかったりするんですよね。
あと、それ以上調べようのないものを、ひとまず著者の主観的判断で分類する、みたい
な方法もありますが、それもありなんです。研究者たちは、主観性の頼りなさをだれより
も知っているので、きっとその判断に基づいて、いろいろなことがわかっていくなかで、
「あ、この判断やっぱり間違いだったわ」と、すぐに自説を下ろす準備はいつでもできて
いるのです。真の学者は、自分のプライドよりも、とにかく「真実」であり、
「いままでわ
からなかったこと」が知りたいだけなので、自分の正しさを主張したい、ということはあ
りません。
●ポイントは「5m」
大調査の結果、わかった結論は、以下のようなものだった!
・カップルがどこに座るか、ということを決めるとき、夜のほうが、
「人目」を「後ろに離
れているか」という点で気にする。
また、他者との距離が 2~3mだと座らず、5mくらいあると安心して座る!
・5mより近いところにだれかいると、滞在時間が短くなる。
・他者との距離は、カップルの密着度に影響を与える(まわりにだれかいると、くっつけ
なくなる)
・他者との距離は、夜間よりも夕方のほうが長い。男性より女性のほうが距離を気にする。
・5m以内だと、
「肩や腰に手を回す」「抱き合う」ことに抵抗を感じる。
・夜のほうが、夕方よりは距離を気にしなくなる。
その理由は「明るいときに密着することに恥ずかしさがあることと、他者から見られる
ことを強く意識すること」
・だいたいのカップルは「手を繋ぐ」
・抱き合っているカップルは、4 日で計 18 組いた!
・一方で、他者がいたほうがいい、というカップルもいる。
「周りにカップルがいたほうが安心できる」「他者がいたほうが安心」などが理由。
・海岸沿いに座っているカップルに比べて、傾斜面に座っているカップルは、
「左右」より
も「前後」の距離感、「後ろ」を気にする!
そうですね、
「他者がいたほうがいい」というカップルは、一瞬、変態的なカップルなの
かなと思ったのですが、女性の側からすれば、だれもいないと男性に好き放題やられちゃ
いそうで怖いですよね。だれもいないよりは、ポツポツとだれかいて、でもお互いが 5m
4
くらい離れていると安心ってことですね!
夜、彼女と屋外で肩を寄せ合いたいのなら、
こういうデータに基づいて行動すると、「えー」と言われずにすむってことですよね!
●研究の本懐とは
さて、ここからは真面目な話になりますが、そもそもなぜこんな研究をしたのか、って
ことです。
この小林茂雄先生という方は、対人距離の研究をしている先生なんですね。一人の人間
が、なにかをするときに、
「人目が気になる」距離、というのを「パーソナルスペース」と
言いますが、先生がそれを調べていた延長線上で、
「二人」のときはどうなんだろうと思っ
た、ということがそもそもの動機らしいです。つまり、
「自分の領域」を「恋人同士の領域」
に広げて調べてみたということですね。
ちなみに、小林先生には、前科、もとい先行研究があります。それは、
「線上に滞在する
カップルに求められる他者との距離」という論文で、海岸線に座っているカップル同士の
距離を測るという内容のものでした。
どっちゃでもええわ! と思われるかもしれませんが、この海岸線の研究で計測したの
は、
「横の距離」でした。それに対して、今回の「傾斜面」は「前後の距離」です。結論の
なかに、
「人目」を「後ろに離れているか」という点で気にする、というところがありまし
たよね。
それは、
海岸線と傾斜面の両方を調査しないと見えてこなかった結論なんですよ。
おわかりでしょうか、この論文が、実はそこまで緻密な意図のあるものだったということ
が!
その研究が役に立つか立たないか、ということは、あくまで現時点で、ということなの
で一概には言えないのですが、この論文の場合、たとえば、飲食店や施設といった「建物」
にかかわる空間をデザインするとき、
「居心地のいいスペース」とはなにか、ということを
考える上で非常に役に立つんですね。デザイナーがダイニングを設計するとき、感覚的に
はわかっていても、テーブルごとの距離といった数値まではなかなか計算できない。それ
を数値化したのがこの研究なんです。
たとえば「カップルで来て欲しい」なんて思っている飲食店があったら、テーブルどう
しの距離を 5mくらいとると、カップルにとって居心地がいい、ということが、この論文
から分かりますよね? また「夕方」より「夜」のほうがいい、ということですから、照
明もやや暗めの間接照明にするとか、研究成果を発揮する場所はどこにでもあるわけです。
居心地のよさについては、これまで感覚的に論じられてきただけですが、それを、実際
にフィールドワークで調査して、その結果を数値化すること、つまり感覚を可視化するこ
と――それが研究の本懐です。そういう意味では、小林先生の論文は珍論文どころか、本
当は偉大な研究だったのです。
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●後日、小林茂雄先生から直々に連絡が……
この論文を、TBS ラジオ「メキキの聞き耳」で紹介したところ、後日、この論文の執筆
者である小林茂雄先生からご連絡がありました。のぞき呼ばわりして怒られるかな、と思
いきや、感謝の言葉の数々……。驚くとともに、本当にそのお心の広さにほっと胸をなで
おろしました。
さらに、びっくりしたことには、
「ちなみにカップルの調査は、男女 3 名ずつ 6 名の学生が、カップルのふりをして観察し
ていたのですが、そのうち一組は本当にカップルになってしまいました」って! えーっ!
心がほっこりした次第です。
小林先生は、東京都市大学(旧:武蔵野工業大学)にて、都市デザインの研究をなさっ
ています。ホームページもすごくおもしろいですよ!
先生に、いまはどんな研究を考えていらっしゃいますか?とうかがったところ、
「すでにカップルとなっている人たちよりも、カップルになる前の人たちが、はじめの一
歩を踏み出す状況についてのほうに関心があります。建築の力で、踏み出すことを後押し
できるのではないか、ということです」とのお答え。
調子に乗った私は、ラブホテルの研究なんかどうですか?とうかがいました。すると、
「それにも興味があります。実際、どういうエントランスのデザインにすると、どういう
タイプのカップルが入りやすいか調べたら面白いだろうな、とまでは思ったのですが、学
生が引いてしまったのと、現実にそういうことを調査するのはかなり難しいのでやめまし
た」
もし、実現していたら、学生カップルがさらに増えただろうに……。
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