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シラク仏大統領について
㈱ベックスコーポレーション
伊藤
早由(134/644)
フランスのジャック・シラク大統領が、11日夜(日本時間12日早朝)、テレビで演説し、4月22
日に第1回投票が行われる仏大統領選には出馬しない方針を表明しました。
シラク氏は、1995年から大統領を2期12年間務めてきた長期政権に終わりを告げ、5月16日の
任期切れで政界から引退することが確実となりました。
次期大統領選に、シラク氏が属する右派与党・国民運動連合からは、シラク氏と長年対立してきたサル
コジ内相(554/224)が出馬表明をしています。シラク氏が、サルコジ氏支持を表明するかどうかが
選挙戦の焦点となります。そこで、今回、今後の仏政権と次期大統領選に興味を持ちましたので、シラク
氏とサルコジ氏について分析いたしました。
ジャック・シラク氏 1932.11.29生まれ
自分
655
123
周り
周りのニーズ
4
2
自分のニーズ
【プロフィール】
ジャック・ルネ・シラク
フランスの右派政治家。国民運動連合に属し、フランス第五共和政の第5代大統領及びアンドラ公国の共同元首を務める。
1962年、ポンピドー首相の官房秘書官となり、首相を2度、1977年からパリ市長を18年間努める。
1995年、大統領に初当選。
2002年、再選。
■ シラク氏は、土偶とはにわの違いを完全に説明できるほどの大の知日家であり、日本贔屓で知られる。日本古美術の膨大な
コレクションを所蔵し、大相撲の大ファンだと言われている。
シラク氏は、2期12年間という長期政権で、外交面では核実験再開、イラク戦争不参加、欧州憲法批准
否決、また内政面では、格差拡大、移民問題など様々な功罪を残しました。
シラク氏の大統領1期目の活動として高く評価されるのは、第二次大戦中のナチス・ドイツ占領政府に協
力したビジー政府が実施した、『ユダヤ系住民の強制収容所送り』を、『フランス国家の罪』と正式に認め
たことです。代々の政府は、『ビジー政府は、フランス共和国ではない』とその罪を認めてきませんでし
た。これは、表層第1数⑥の「勇気がある」といった潔い決断が功を奏し、表層第2数、3数⑤の要素の
「誰からも受け入れられる」が発揮されたため、国民の支持を得ることができたのだと思います。同時に、
「正義感が強い」「けじめがある」といった周りのニーズ④にも応えていたと考えられます。
しかし、就任早々に、包括的核実験禁止条約(CTBT)の締結を控え、核兵力の確認と誇示のために、南太
平洋のムルロア環礁で数度の核実験を強行したことは、世界的な非難を浴びました。一方で、『核抑止力の
堅持』はフランス国防の基本であるため、フランス国内では支持されました。しかし、自国のことだけを考
えたこの行動は、「自説を曲げない」「自己主張が強い」といった表層第3数⑤の不活性な面が浮き彫りと
なってしまったと思われます。
そして、2期目の外交で最も注目されるのが、『イラク戦争不参加』です。2001年のアメリカ同時多
発テロ報復(アフガン侵攻)には賛同しましたが、2003年のイラク戦争では、ドイツとともに派兵に強
く反対しました。この決断によって、一時、米仏関係が悪化しましたが、フランス国内だけでなく、欧州内
でもフランスの立場が支持され、高く評価されました。このことは、「客観的立場で、調整役ができる」と
いった表層第2数、3数⑤の要素が発揮されていたと思われます。また、当時、『フランスは全くの平和主
義者ではないので、必要があれば戦争を辞さない。ただし、それ以外に解決方法が模索できるのであれば、
それをまず探すべきだ』と述べています。この「説得力のある発言」からも、「多面的に分析し、あらゆる
問題を解決する」といった表層第2数、3数⑤の要素が見受けられます。
この件をきっかけに、独仏は急接近し、欧州連合(EU)としての威厳を示し、頻繁に両国を往来するこ
とで、独仏の政治統合を内外に誇示し、東欧各国のEU加盟実現と欧州憲法の設置を急ぎました。
しかし、この急速な『欧州統合政策』は、東欧からの労働力流入と、外国人の増加による社会文化の変質
から国民の不安を招く結果となってしまいました。そして、2005年の国民投票で、欧州憲法が拒否され
る形となりました。これは、表層第3数⑤の「傲慢になる」「組織の調和を乱す」といった不活性要素が出
て、強引に『欧州統合』を進めたためだと思います。さらに、パリでの2012年夏季オリンピック招致を
目指し、精力的に活動したにもかかわらず、イギリスのロンドンに敗れてしまったため、国民からの求心力
が急落してしまいました。シラク氏が不活性化状態であったため、周り(国民)③の人々が味方にならず、
「人をしらけさせる」「何をやっても不器用」という③の不活性要素によって、支持率低下という『気づ
き』を与えられたのではないでしょうか。
また、1995年の初当選で公約した「社会格差の解消」は、完遂したとは言い難く、2005年秋に、
各主要都市でアラブ系・アフリカ系の若者を中心に起こった暴動は、社会の亀裂修復と、移民の同化政策が
効果を上げていないことを示しました。この暴動事件は、高失業率や人種・宗教問題とともに、経済・社
会・文化格差が拡大していることを印象付けました。また、2006年3月には、若者向け雇用促進対策
『初期雇用契約(CPE)』を制定しましたが、反対する市民により暴動が多発し、各企業や公共機関による
ストライキも多発しました。これは、周り(国民)のニーズ④の「安定感がほしい」「約束事は必ず守る」
を満たせていなかった結果だと思います。シラク氏自身は、「原因究明をして、国民に誠実な対応をし、あ
らゆる問題を解決したい」という⑤の要素を周りのために発揮したつもりが、自分の思い⑤が空回りして、
周り(国民)のニーズ④を満たせない状態になってしまったのではないかと考えます。
【初期雇用契約(CPE)】
フランスにおいて、2006年に立法化された若者を対象とした雇用形態。従来フランスでは、無期限雇
用契約と呼ばれる形態だったが、若者の失業率の悪化への対応として、雇用側に配慮し、立案された。
26歳未満の若者の雇用にあたり、2年間の試用期間を設け、この期間中は雇用者側は理由を問わず、解
雇することを認めるという法案。
シラク氏は、次期大統領選出馬断念のテレビ演説で、『皆さんとともに成し遂げた仕事を誇りに思う』
と、経済改革が結実しつつあることを強調しました。しかし、シラク氏が行ってきたこれらの活動の多く
は、志半ばで終わってしまい、多くの課題が残っているように見受けられます。そして、多くのフランス
国民にとって生活の改善や豊かさは、まだまだ満足のいく結果が得られていないのが実情です。今後、政
界を離れるシラク氏ですが、『私は、新たな任期のための国民の支持を求めない。他の方法で国民のため
に尽くす』と語っているように、「義理堅く、優れた経済感覚で、国民のために全力を尽して」いけば、
フランス国民のニーズ④を満たしていけると思います。
一方、シラク氏の親日家は有名で、日仏関係は『空前の好調』に支えられてきたのも事実です。200
5年4月に発生した福知山線脱線事故の際には、翌日には弔意を表明したり、2006年9月に悠仁親王
ご誕生の際には、いち早く天皇に祝賀のメッセージを送っています。このように、シラク氏は、日本に対
して「礼儀礼節を重んじた行動」(周りのニーズ④)をとっていたと思われます。その結果、シラク氏の
ニーズ②である「社交性がある」「自然なスキンシップで、仲間作りがうまい」も満たされ、日本との良
好な外交関係が保たれてきたのではないでしょうか。
ニコラ・サルコジ氏 1955.1.28生まれ
自分
554
224
周り
周りのニーズ
3
3
自分のニーズ
【プロフィール】
二 コ ラ・ポ ー ル・ス テ フ ァ ヌ・サ ル コ ジ・
ド・ナジ=ボクサ
2002年5月、ラテファン内閣において内
務・治安・地方自治相に就任。
2 0 0 4 年 1 1 月、国 民 連 合 党 首 選 挙 で 8
5%の得票率で党首に選出。
2005年5月、内務大臣(ド・ビルパン内
閣)
■ サルコジ氏は『香港は魅力的だが、日本は
息が詰まる。有名な庭園も陰気だった』『相
撲はインテリのスポーツではない』と辛口な
コメントをしている。このコメントは、対立
するシラク氏が親日家であることから、牽制
する意味合いが強いと見られている。
サルコジ氏は、1976年、同じドゴール主義のシラク氏を政治の師と仰いで、国民運動連合(UMP)の
前進、共和国連合(RPR)に入党しました。シラク氏の引きもあり、1983年には28歳という若さ
で、パリ郊外のヌーイ市の市長に当選し、1993年にバラデュール首相の下で、予算相として初入閣し
ています。当時サルコジ氏は、シラク氏の右腕的な存在で、『大統領への野心をたぎらせた順風満帆な若
手政治家』というイメージを確立していました。これは、サルコジ氏の表層第1数、2数⑤の「誠実で、
勉強家である」といった面が発揮されていたことがわかります。
しかし、1995年の大統領選で、シラク氏を裏切る形で出馬したバラデュール氏の支持に回ったこと
で、シラク氏の逆鱗に触れ、シラク政権誕生では閣外を去ることとなりました。これは、サルコジ氏の表
層第3数④の「義理を欠く」といった不活性要素が出てしまったためだと思います。これをきっかけに、
シラク氏との関係が悪化し、政治理念にすれ違いが見られるようになりました。
その後、サルコジ氏は、内務・治安・地方分権相を務め、フランス国政における地方自治を担当してい
ます。その結果、サルコジ氏は、辣腕を振るって犯罪率を下げ、交通事故も劇的に減少させました。この
ことから、「堅実に進め、安定感がある」「忍耐強い」といった表層第3数④の要素が発揮されていたこ
とがわかります。また、周りから『スピーディー・サルコ』と言われ、行動力を認められたのも、「動作
が機敏」「勘が鋭く、自由自在である」といった周りのニーズ③を満たした行動をしていたからだと思わ
れます。
また、サルコジ氏の歯に衣をきせぬ物言や強気な姿勢は、フランス国民や国民運動連合(UMP)内でも人
気が高いようです。しかし、2005年、治安が安定しない移民の人々が数多く暮らしている地域を視察
し、彼らを『社会のくず』呼ばわりしたことは、大きな波紋を呼びました。これは、「正義感が強い」と
いったサルコジ氏のポリシー④を強く出しすぎたため、かえって「公徳心が低い」や「他人に厳しく当た
る」といった④の不活性要素となってしまい、このような発言をしてしまったと考えられます。
サルコジ氏は、自らも移民2世であり、『私は移民反対はしない。この国には優秀な移民が必要だ』と
主張しているように、「意固地」にならず、「分け隔てなく、臨機応変な対応」をして、周りのニーズ③
を満たしていかなければならないと思います。
上記の分析から、シラク氏、サルコジ氏ともに、自分の思いやポリシーを強く出したときに、かえって不
活性化な面が出てしまい、『気づき』が起きているように感じました。今後両氏に必要なことは、『割り
切って』、周りのニーズに応えていくことだと思います。
シラク氏は、フランスの党派を越えて実施してきた社会福祉などを重視する『社会モデル』を、サルコジ
氏は、米英型の自由競争社会を原則とする『自由モデル』を方針としています。シラク氏の周りのニーズは
④であり、『社会福祉』を目指す姿勢は、まさに④の「奉仕の精神が旺盛」です。そして、サルコジ氏の周
りのニーズは③で、『自由競争主義』は、③の「自由自在」です。両氏とも、方針が周りのニーズと合致し
ているので、今後も貫いていけば、自然と周りのニーズを満たしていけるのではないでしょうか。
シラク氏が掲げた、社会の亀裂修復、雇用創出などの経済改革、欧州建設など、まだまだ課題が多いのが
現実です。サルコジ氏がシラク氏の後継者となるのか、今後のフランス大統領選の行方が楽しみです。