主催:ハルモニー・セレスト

マルク・アントワーヌ・シャルパンティエ
M.A.Charpentier1634-1704
オフィス・ドゥ・テネーブル(暗闇の聖務日課)
Office de Ténèbres
出演:
岩田明子(ソプラノ)
太田真理子(ソプラノ)
古橋潤一(リコーダー)[名古屋・東京]
大坪由香(リコーダー)
神野和美(リコーダー)[福岡]
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ) 岩田耕作(オルガン)
声楽アンサンブルコール・コラーレ[名古屋・東京]
朝日女性コーラス[名古屋・東京]
コーロ・ピエーノ[福岡]
名古屋
2006 年 4 月 14 日(金) 電気文化会館
ザ・コンサートホール
東京
2006 年 4 月 16 日(日) 東京オペラシティ3F 近江楽堂
福岡
2006 年 4 月 23 日(日) 石蔵酒造
博多百年蔵ホール
主催:ハルモニー・セレスト
プログラム
1.Chant grégorien et faux-bourdon : Antienne (Zelus domus tuae) et Psaume 68
グレゴリオ聖歌及びフォーブルドン:交唱及び詩篇 68(69)
声楽アンサンブルコール・コラーレ[名古屋・東京]
コーロ・ピエーノ[福岡]
2.Charpentier: Première Leçon du Mercredi Saint H120
シャルパンティエ :聖水曜日第1ルソン H120
岩田明子(ソプラノ)
大坪由香(リコーダー)
古橋潤一(リコーダー)[名古屋・東京]
神野和美(リコーダー)[福岡]
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
岩田耕作(オルガン)
3.Charpentier: Réponse (In monte oliveti) H111
シャルパンティエ:聖水曜日第 1 のレスポンソリウム(答唱) H111
朝日女性コーラス[名古屋・東京]
コーロ・ピエーノ[福岡]
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
岩田耕作(オルガン)
4. Charpentier: Troisième Leçon du Mercredi Saint H98/92
シャルパンティエ:聖水曜日第 3 ルソン H98/92
岩田明子(ソプラノ)
太田真理子(ソプラノ)
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
岩田耕作(オルガン)
5.Chant grégorien : Réponse (Ecce vidimus eum)
グレゴリオ聖歌:聖水曜日第 3 答唱
朝日女性コーラス[名古屋・東京]
コーロ・ピエーノ[福岡]
☆休憩☆
6.Pierre Danican=Philidor : Troisième Suite Op.1 Nr.3
Lentement / Fugue / Rondeau / Chaconne
P・ダンカン=フィリドール :組曲第3番 作品1の3 (1717年初出)
ラントゥマン/フーガ/ロンドー/シャコンヌ
大坪由香(リコーダー)
古橋潤一(リコーダー)[名古屋・東京]
神野和美(リコーダー)[福岡]
7.Charpentier: Seconde Leçon du Jeudy Saint H107
シャルパンティエ:聖木曜日第 2 ルソン H107
岩田明子(ソプラノ)
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
岩田耕作(オルガン)
8.Charpentier: Réponse (Velum templi scissum est) H128
シャルパンティエ:聖木曜日第2答唱 H128
声楽アンサンブルコール・コラーレ[名古屋・東京]
コーロ・ピエーノ[福岡]
大坪由香(リコーダー)
古橋潤一(リコーダー)[名古屋・東京]
神野和美(リコーダー)[福岡]
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
岩田耕作(オルガン)
9.Charpentier: Troisième Leçon du Vendredy Saint H95
シャルパンティエ:聖金曜日第 3 ルソン H95
岩田明子(ソプラノ)
太田真理子(ソプラノ)
古橋潤一(リコーダー)[名古屋・東京]
大坪由香(リコーダー)
神野和美(リコーダー)[福岡]
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
岩田耕作(オルガン)
10.Chant grégorien : Réponse (Plange quasi virgo)
グレゴリオ聖歌:聖金曜日第 3 答唱
朝日女性コーラス[名古屋・東京]
コーロ・ピエーノ[福岡]
11.Charpentier: Psaume 50 (Miserere mei Deus) H193
シャルパンティエ:主よ、私を哀れんでください「詩編 第 50 篇(第 51 篇)」
岩田明子(ソプラノ)
太田真理子(ソプラノ)
声楽アンサンブルコール・コラーレ[名古屋・東京]
コーロ・ピエーノ[福岡]
大坪由香(リコーダー)
古橋潤一(リコーダー)[名古屋・東京]
神野和美(リコーダー)[福岡]
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
岩田耕作(オルガン)
*解説
クリスマスとイースターはキリスト教にとってもっとも重要な二つの行事です。日本では
クリスマスの方が商業ベースにも乗ったこともあって有名ですが、教義的にはイースター
の方が圧倒的に重要といえます。それはそもそも新約聖書が語る「新しい契約」と、受難
から復活にかけて起こった出来事が直接関係しているからです。旧約時代には、モーセ以
来多くの律法が制定されましたが、それと同時にユダヤ教では律法を犯す「罪」という概
念が生まれました。そしてこの「罪」の購いとして、生贄の動物を捧げるという儀式が行
われました。キリスト教の「新しい契約」では、この罪の購いとして、神の子であるイエ
スが捧げられ、それを信じることによって、私達の罪が許されるというものです。ただ問
題は、イエスが死んだものであるのなら、神として崇める存在にはならないということで
す。そこで次第に人々は「イエスは死んだ三日後に復活し、やがて天へと上っていった」
と信じるようになっていきました。イエスがエルサレムに入城してから、十字架上で死を
迎えるにいたる、復活前の 1 週間に起こった出来事を記念して、この 1 週間を聖週間と呼
んでいます。特に聖木曜日から聖土曜日(フランスでは聖水曜日から聖金曜日)にかけては
「暗闇の聖務日課」と呼ばれる重要な儀式が行われました。
*暗闇の聖務日課
聖務日課とは、もともと聖職者らが行う日々の儀式で、正式には夜明け前に行う朝課から、
就寝前の祈りまで、それぞれ決められた時間に毎日 8 回行われていました。暗闇の聖務日
課は聖木曜日から聖土曜日にかけての三日間に行われる朝課のことを指します。15 本の蝋
燭を、哀歌及び詩篇唱のたびに一つずつ消して行き、最後には暗闇となることからそう呼
ばれるようになりました。暗闇の聖務日課は午前 2 時ごろから夜明け前まで、4 時間以上
に渡って行われていました。もちろんこのような時間帯は、一般的な生活では就寝時間に
当たります。このため 17 世紀フランスでは、数時間前、つまり前日の就寝前にずらして行
われました。すなわち、聖木曜日は聖水曜日、聖金曜日は聖木曜日、聖土曜日は聖金曜日
と、曜日も 1 日づつずれてしまいます。シャルパンティエを初め、クープランなどのフラ
ンス・バロックの作曲家のルソンを聴くときには、このことを注意しなくてはなりません。
*聖木曜日(フランスの聖水曜日)
イエスの死の前日に当たります。重要な出来事としては、最後の晩餐、ゲッセマネ(オリー
ブ山)での祈り、イエスの逮捕などがあります。新約聖書の四つの福音書では、聖金曜日と
共に多くのページが、この日の出来事について費やされています。
*聖金曜日(フランスの聖木曜日)
イエスが十字架につけられ、死を迎え、墓に葬られる日です。
*聖土曜日(フランスの聖金曜日)
イエス復活の前日に当たります。
*哀歌による九つのルソン
カトリックの暦によるさまざまな聖務日課では、それぞれの日に歌われるグレゴリオ聖歌
や、使われる聖句が定められています。
「暗闇の聖務日課」では旧約聖書の哀歌をもとにし
た九つのルソンが朗誦されたり、歌われたりしました。また、これらのルソンにあらゆる
作曲家が曲をつけました。
哀歌はエレミヤ書の後に置かれていることから、長い間エレミヤの作と信じられてきまし
た。木曜日(フランスでは水曜日)第1のルソンの冒頭に「エレミヤの嘆き、ここに始まる」
[Incipit Lamentatio Jeremiae Prophetae]という節が加えられていることからもそのこと
が窺えます。しかし近年の研究では、これはエレミヤの作ではなく、複数の名の知られて
いない別人によって書かれたとされています。いずれにしてもエルサレムの陥落を目撃し
た作者たちは、それ以前のエレミヤの訴えを耳にしたことだろうし、これらの哀歌を歌う
主人公としてエレミヤを思い描いていたことは間違いないでしょう。
*預言者エレミヤ
エレミヤは南ユダ王国滅亡前夜の BC626-586 年に活躍した預言者です。
このころのユダ王国は宗教的にも、政治的にも堕落し、貧富の差はますます激しくなって
いました。イスラエルは代々、唯一の「主なる神」を信仰してきたように思われますが、
実際にはさまざまな異教が混在していたようです。聖書が語るところによると、これらの
異教は道徳的に低いもので、またイスラエル人は、主なる神を忘れたが故に堕落してしま
ったと嘆いています。中でもパレスチナ地方にイスラエル人より前から住んでいたカナン
人の宗教であるバアル信仰は、イスラエル人の間にも根強い人気がありました。しかし、
この宗教は、幼児を生贄として捧げたり、娼婦と寝ることを儀式とする道徳的に低いもの
でした。また、金銭目的で預言をしたり、占いをする者、死者の魂を呼び出す者などが多
く現れました。エレミヤはこの状況を痛切に批判し、
「堕落したイスラエル人への報いとし
て、主なる神はバビロニアを遣わし、イスラエルを滅ぼすだろう」と警告します。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------わたしは思っていた。
「子らの中でも、お前には何をしようか。お前に望ましい土地、あら
ゆる国の中で、最も麗しい地を継がせよう」と。そして、思った。
「わが父よと、お前はわ
たしを呼んでいる。わたしから離れることはあるまい」と。だが、妻が夫を欺くように、
イスラエルの家よ、お前はわたしを欺いたと主は言われる。裸の山々に声が聞こえる。イ
スラエルの子らの嘆き訴える声が。彼らはその道を曲げ、主なる神を忘れたからだ。
(中略)
「我々の若いときから、恥ずべきバアルが食い尽くしてきました。先祖たちが労して得た
ものをその羊、牛、息子、娘らを。我々は恥の中に横たわり、辱めに覆われています。我々
は主なる神に罪を犯しました。我々も、先祖も、若いときから今日に至るまで主なる神の
おん御声に聞き従いませんでした。
」
「立ち帰れ、イスラエルよ」と主は言われる。
「わたしのもとに立ち帰れ。呪うべきものを
わたしの前から捨て去れ。そうすれば、再び迷い出ることはない。
」もし、あなたが真実と
公平と正義をもって、
「主は生きておられる」と誓うなら、諸国の民はあなたを通して祝福
を受け、あなたを誇りとする。まことに、主はユダの人、エルサレムの人に向かって、こ
う言われる。
「あなたたちの耕作地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。ユダの人、エルサレ
ムに住む人々よ、割礼を受けて主のものとなり、あなたたちの心の包皮を取り去れ。さも
なければ、あなたたちの悪行のゆえに、わたしの怒りは火のように発して燃え広がり、消
す者はないであろう。
」
エレミヤ書第 3 章 19 節-第 4 章 4 節
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------三日間の「暗闇の聖務日課」で歌われる九つのルソンの歌詞には、哀歌の各部分に加えて、
九つのルソン共通の 1 節が、最後の節として歌われます。それは次のような歌詞です。
Jerusalem convertere ad Domino deum tuum.
エルサレムよ、汝の主なる神の元へ立ち帰れ。
この一言は、エレミヤが生涯を通して訴え続けてきたメッセージとも言えます。
しかし、王をはじめ、イスラエルの人々は耳を貸さず、エレミヤを迫害します。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------主はこう言われる。
「行って、陶器師の壷を買い、民の長老と、長老格の祭司を幾人か連れ
て、陶片の門を出たところにある、ベン・ヒノムの谷へ出て行き、そこでわたしがあなた
に語る言葉を呼ばわって、言うがいい。ユダの王たち、エルサレムの住民よ、主の言葉を
聴け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ。わたしは災いをこのところにも
たらす。それを聞くものは耳鳴りがする。それは彼らがわたしを捨て、このところを異教
の地とし、そこで彼らも、彼らの先祖も、ユダの王たちも知らなかった他の神々に香をた
き、このところを無実の人の血で満たしたからである。彼らはバアルのために聖なる高台
を築き、息子たちを火で焼き、焼き尽くす捧げ物としてバアルにささげたからである。わ
たしはこのようなことを命じもせず、語りもせず、心に思い浮かべもしなかった。
」
(中略)
あなたは共に行く人々の見ているところでその壷を砕き、彼らに言うがよい。万軍の主は
こう言われる。陶工の作った物は、一度砕いたなら元に戻すことはできない。それほどに、
わたしはこの民とこの都を砕く。人々は葬る場所がないので、トフェトに葬る。わたしは
このように、このところとその住民に対して行うと主は言われる。
エレミヤ書第 19 章 1 節-12 節
主よ。あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされてあなたに捕えられました。あなたの
勝ちです。わたしは1日中笑い者にされ、人が皆、わたしを嘲ります。わたしが語ろうと
すれば、それは嘆きとなり「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆ
えに、わたしは1日中、恥とそしりを受けねばなりません。主の名を口にすまい。もうそ
の名によって語るまいと思っても、主の言葉はわたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、
火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして、私は疲れ果てました。わたしの
負けです。わたしには聞こえています。多くの人の非難が。
「恐怖が四方から迫る」と彼ら
は言う。
「共に彼を弾劾しよう」と、私の見方だった者も皆、私がつまずくのを待ち構えて
いる。
「彼は惑わされて、我々は勝つことができる。彼に復讐してやろう」と。
エレミヤ書第 20 章 7 節-10 節
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ついに BC587 年、エルサレムはエレミヤの警告どおり、バビロニアによって陥落し、町は
破壊され、多くの人々が連れ去られます。
*アルファベットによる詩
新共同訳聖書には哀歌の第 1 篇から第 4 篇までの冒頭に「アルファベットによる詩」とい
う説明書きが付されています。この内第 1.2.4 編は 22 節、第 3 篇は 22×3 の 66 節からで
きています。これはもともとこれらの詩がヘブライ語で書かれたとき、それぞれの節の最
初のアルファベットが、1節は A、2 節は B で始まるように書かれたいろは歌だったから
です。そしてヘブライ語のアルファベットは 22 文字からなっています。第 3 篇は 1 節か
ら 3 節までが A、4 節から 6 節までが B のように、それぞれ 3 節ずつあることから 3 倍の
66 節になっています。これらの詩がラテン語に訳されたとき、当然のこととしてラテン語
では「アルファベットによる詩」にはなりません。そこでルソンの歌詞では、各節の冒頭
にヘブライ語のアルファベットのみが置かれます。次に、参考までにアルファベットの A
から D までの読み方を英語、ヘブライ語、ギリシャ語で表にしています。
英語
ヘブライ語
エー[A]
アレプ[aleph]
ビー[B]
ベートゥ[beth]
シー[C]
ギメル[ghimel]
ディー[D]
ダレトゥ[daleth]
ギリシャ語
アルファ[alpha]
ベータ[beta]
ガンマ[gamma]
デルタ[delta]
第3篇にあたる聖金曜日(フランスでは聖木曜日)の第 3 ルソンでは、
アレプ[aleph]が 3 回繰り返されます。
*フランス語式ラテン語発音について
カトリック系の宗教曲といえば、大半がラテン語ということになります。20 世紀以降クラ
シック音楽の世界では、ラテン語の発音はイタリア語式に統一されてきました。しかし近
年、特に古楽界において、この点について疑問が投げかけられています。そもそもラテン
語は、古代ローマ時代、共通語として使われていましたが、ローマ帝国崩壊以後は、論文
や書簡などに使用される書き言葉として、そして教会の典礼式の際に使用される言葉とし
てのみ生き残ることになりました。このため、教会内でのラテン語の発音は、各地域のそ
れぞれの言語によっていました。19 世紀後半、教会内でのラテン語の発音を、イタリア語
式に統一する動きが起こり、20 世紀初頭にはこのことが強く推奨されるようになります。
しかし、1962-65 年の第 2 回バチカン公会議により、ラテン語の使用じたいが強制ではな
くなり、現在では典礼式は各地域の言語で行われています。結局ラテン語の発音をイタリ
ア語式に統一するというしきたりは音楽の世界のみで生き残ったわけです。
以上の点からもわかるように、少なくとも 19 世紀以前には、イタリア以外の国で、ラテン
語をイタリア語式で発音するという価値観は存在していませんでした。つまり、フランス
ではフランス語式、ドイツではドイツ語式という具合です。フランスバロック時代の音楽
を演奏するとき、ラテン語の歌詞をフランス語式で発音することは、歴史的演奏解釈にお
いても、よりフランス的な音楽を作る上でも不可欠なことです。
今回のコンサートでは、フランス国内では近年一般的になりましたが、日本ではあまり知
られていないフランス語式発音を使用します。以下に従来のイタリア語式とフランス語式
の発音の違いを、いくつかの単語を例に挙げてみます。ここではあまり好ましいとはいえ
ませんが、多くの方に理解していただくため、発音記号ではなく、カタカナで示します。
イタリア語発音
フランス語発音
incipit
インチピットゥ
アンシピットゥ
oratio
オラチオ
オラシオ
Jeremiae
イェレミエ
ジェレミエ
lamentatio
ラメンタチオ
ラマンタシオ
nostrum
ノストゥルム
ノストゥロン
Jerusalem
イェルーザレム
ジェリューザレム
Deum
デーウム
デーオン
1.交唱及び詩篇 68(69):グレゴリオ聖歌及びフォーブルドン
声楽アンサンブルコール・コラーレ[名古屋・東京]
コーロ・ピエーノ[福岡]
実際にはダビデの作ではなく、紀元前 5 世紀ごろの名の知られていない詩人の手によるも
のと思われます。なお、現在の聖書ではこの詩は第 69 篇ですが、ウルガタ訳聖書では第
68 篇となっています。交唱も同詩の 10 節によるテキスト。(Flex)は節ごとに繰り返され
る部分。詩篇は 16-17 世紀には、各節の後半部分に和声を即興的に加える方式(フォーブル
ドン)が採用されていました。今回はシャルパンティエの時代の方式に則ったフォーブルド
ン(作:岩田耕作)を加えて演奏します。
交唱
Zelus domus tuae *comedit me,
あなたの神殿に対する熱情が私を食い尽くしているので、
et opprobria exprobrantium tibi ceciderunt super me.
あなたを嘲る者の嘲りが、私の上にふりかかっています。
詩篇 68(69):グレゴリオ聖歌及びフォーブルドン
指揮者によって。
「ゆり」に合わせて。ダビデの詩。
Salvum me fac,Deus: quoniam intraverunt aquae usque ad animam meam.
神よ、私を救ってください。大水が喉元に達しました。
(Flex)tempestas aquae,
水の嵐
Infixus sum in limo profundi: et non est substantia.
わたしは深い沼にはまり込み、足がかりもありません。
(Flex)tempestas aquae,
水の嵐
2.聖水曜日第 1 ルソン:シャルパンティエ H120
岩田明子(ソプラノ)
大坪由香(リコーダー)
古橋潤一(リコーダー)[名古屋・東京]
神野和美(リコーダー)[福岡]
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
岩田耕作(オルガン)
もともとバスのソロと、部分的に 4 声と 2 声の器楽を伴う作品ですが、ソプラノ・ソロと、
2 本のリコーダーのために編曲しました(岩田耕作・編曲)。ここではエルサレムという都を
一人の女性にたとえています。
「独りで座っている」
「やもめとなった」などの表現はエル
サレムが破壊された様子を表しています。
Incipit Lamentatio Jeremieae Prophetae
預言者エレミアの嘆き、ここに始まる。
1節
Aleph
Quomodo sedet sola civitas plena populo
なにゆえ、独りで座っているのか、人に溢れていたこの都が。
facta est quasi vidua domina gentium:
やもめとなってしまったのか、多くの民の女王であったこの都が。
princeps provinciarum facta est sub tributo
国々の姫君であったこの都が、奴隷となってしまったのか。
2節
Beth
Plorans ploravit in nocte et lacrimae ejus in maxillis ejus :
夜もすがら泣き、頬に涙が流れる。
non est qui consoletur eam ex omnibus caris ejus :
今は慰めを与えない、彼女を愛した人のだれもが。
omnes amici ejus spreverunt eam. et facti sunt ei inimici.
友は皆、彼女を欺き、ことごとく敵となった。
3節
Ghimel
Migravit Judas propter afflictionem et multitudinem servitutis:
貧苦と重い苦役の末にユダは捕囚となって行き
habitavit inter gentes. nec invenit requiem :
異国の民の中に座り、憩いは得られず、
omnes persecutores ejus apprehenderunt eam inter angustias.
苦難のはざまに追い詰められてしまった。
4節
Daleth
Viae Sion lugent eo quod non sint qui veniant ad solemnitatem:
シオンに上る道は嘆く、祭りに集う人がもはやいないのを。
omnes portae ejus destructae sacerdotes gementes :
シオンの城門はすべて荒廃し、祭司らは呻く。
virgines ejus squalidae et ipsa oppressa amaritudine
シオンの苦しみを、おとめらは悲しむ。
5節
He
Facti sunt hostes ejus in capite inimici ejus locupletati sunt :
quia Dominus locutus est super eam propter multitudinem iniquitatum ejus:
主は懲らしめようと、敵がはびこるのを許し、苦しめる者らを頭とされた。
シオンの背きは甚だしかった。
parvuli ejus ducti sunt in captivitatem ante faciem tribulantis
彼女の子らはとりことなり苦しめる者らの前を引かれて行った。
*Jerusalem, Jerusalem, convertere ad Domino Deum tuum.
*エルサレムよ、エルサレムよ、汝の主なる神の元へ立ち帰れ。
哀歌第 1 章 1-5 節
3.聖水曜日第 1 のレスポンソリウム(答唱):シャルパンティエ H111
朝日女性コーラス[名古屋・東京]
コーロ・ピエーノ[福岡]
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
岩田耕作(オルガン)
女性 3 声とバスコンティニューのための作品。フランスの聖水曜日は本来の聖木曜日にあ
たります。テキストは聖木曜日、最後の晩餐の後にイエスがオリーブ山で祈っている場面。
(
)内の文章は前後関係を分かりやすくするために、聖書から引用したものです。
In monte Oliveti oravit ad Patrem:
オリーブ山にて彼は父に祈った。
Pater, si fieri potest, transeat a me calix iste.
「父よ。御心なら、この杯を私から取りのけてください。
* Spiritus quidem promptus est, caro autem infirma.
心は燃えていても、肉体は弱い。
fiat voluntas tua.
(しかし、私の願いではなく)御心のままに行ってください。
」
(イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちの所に戻ってご覧になると、彼らは悲しみの
果てに眠り込んでいた。イエスは言われた。)
Vigilate, et orate, ut non intretis in tentationem.
誘惑に囚われないように、目を覚まして、祈っていなさい。
4.聖水曜日第 3 ルソン:シャルパンティエ H98/92
岩田明子(ソプラノ)
太田真理子(ソプラノ)
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
10 節
岩田耕作(オルガン)
Jod
Manum suam misit hostit ad omnia desiderabilia ejus
宝物のすべてに敵は手を伸ばした。
quia vidit gentes ingressas sanctuarium suum
彼女は見た。異国の民が聖所を侵すのを。
de quibus praeceperas ne intrarent in ecclesiam tuam.
聖なる集会に連なることを、主に禁じられた者らが。
11 節
Caph
Omnis populus ejus gemens et quaerens panem
彼女の民は皆、パンを求めて呻く。
dederunt pretiosa quaeque pro cibo ad refocillandam animam.
宝物を食べ物に換えて、命をつなごうとする。
Vide Domine, et considera, quoniam facta sum vilis.
「御覧ください。主よ、私のむさぼるさまを見てください。
」
12 節
Lamed
O vos omnes qui transitis per viam attendite, et videte
道行く人よ。心して目を留めよ。よく見よ。
si est dolor sicut dolor meus
これほどの痛みがあったろうか。私を責めるこの痛み。
quoniam vinde miavit me ut locutus est Dominus in die furoris sui.
主がついに怒って私を懲らすこの痛みほどの。
13 節
Mem
De excelso misit ignem in ossibus meis et erudivit me
主は高い天から火を送り、私の骨に火を下し
expandit rete pedibus meis, convertit me retrorsum
足元に網を投げてわたしを引き倒し
posuit me desolatam, tota die maerore confectam.
荒廃にまかせ、ひねもす病み衰えさせる。
14 節
Nun
Vigilavit jugum iniquitatem mearum in manu ejus convolutae sunt
背いたわたしの罪は御手に束ねられ、くびきとされ、わたしを圧する。
et impositae colo meo infirmata est virtus mea
主のくびきを首に負わされ力尽きてわたしは倒れ
dedit me Dominus in manu de qua non potero surgere.
刃向かうこともできない敵の手に引き渡されてしまった。
*Jerusalem, Jerusalem, convertere ad Domino deum tuum.
*エルサレムよ、エルサレムよ、汝の主なる神の元へ立ち帰れ。
哀歌第 1 章 10-14 節
5.聖水曜日第 3 答唱:グレゴリオ聖歌
朝日女性コーラス[名古屋・東京]
コーロ・ピエーノ[福岡]
テキストはイザヤ書の「主の僕の苦難と死」に関する預言(52 章 13 節-53 章 12 節)、特に
53 章 3-4 節からの引用。新約聖書では、この預言はイエスに関するものと信じられていま
す。
Ecce vidimus eum non habentem speciem,
ああ、我々は彼を見た。見るべき面影はなく、
neque decorem: aspectus eius in eo non est;
輝かしい風格も、好ましい容姿もない
hic peccata nostra portavit, et pro nobis dolet:
彼は私たちの罪を担い、私たちのために苦しむ。
ipse autem vulneratus est propter iniquitates nostras;
彼が傷つけられたのは私たちの背きのためであった。
Cujus livore sanati sumus.
彼の受けた傷によって私たちは癒された。
Vere languores nostros ipse tulit, et dolores nostros ipse portavit.
真に彼が生まれたのは私たちの罪のため、彼が受けたのは私たちの痛み。
☆
休憩 ☆
6.ダンカン=フィリドール : 組曲第3番 作品1の3 (1717年初出)
ラントゥマン/フーガ/ロンドー/シャコンヌ
ダニカン=フィリドール家は、シャルパンティエとは対照的に、一族から王室付きの音楽
家を輩出している。ピエールは作曲家そしてオーボエ・横吹きフルートの奏者として活躍
した。この組曲は元来2本の横吹きフルートの為に作られた曲である。
大坪由香(リコーダー)
古橋潤一(リコーダー)[名古屋・東京]
神野和美(リコーダー)[福岡]
7.聖木曜日第 2 ルソン:シャルパンティエ H107
岩田明子(ソプラノ)
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
12 節
岩田耕作(オルガン)
Lamed
matribus suis dixerunt: ubi est triticum et vinum
幼子は母に言う、パンはどこ、ぶどう酒はどこ、と。
cum deficerent quasi vulnerati in plateis civitatis,
都の広場で傷つき、衰えて
cum exhalarent animas suas in sinu matrum suarum.
母のふところに抱かれ、息絶えてゆく。
13 節
Mem
cui conparabo te, vel cui adsimilabo te, filia Jerusalem *
おとめエルサレムよ。あなたを何にたとえ、何の証しとしよう。
Cui exaequabo te,et consolabor te,virgo,filia Sion
おとめシオンよあなたを何になぞらえて慰めよう。
magna est enim velut mare contritio tua ; quis medebitur tui
海のように深い痛手を負ったあなたを誰が癒せよう。
14 節
Nun
prophetae tui viderunt tibi falsa et stulta;
預言者はあなたに託宣を与えたがむなしい、偽りの言葉ばかりであった。
nec aperiebant iniquitatem tuam, ut te ad paenitentiam provocarent;
あなたを立ち直らせるには一度、罪をあばくべきなのに
viderunt autem tibi adsumptiones, falsas et eiectiones.
むなしく、迷わすことをあなたに向かって告げるばかりであった。
15 節
Samech
plauserunt super te manibus omnes transeuntes per viam ;
道行く人はだれもかれも手をたたいてあなたを嘲る。
sibilaverunt et moverunt caput suum super filiam Jerusalem:
おとめエルサレムよ、あなたに向かって口笛を吹き、頭を振ってはやしたてる
haecine est urbs, dicentes, perfecti decoris, gaudium universae terrae
「麗しさの極み、全地の喜びとたたえられた都がこれか」と。
*Jerusalem, Jerusalem, convertere ad Domino, Deum tuum.
*エルサレムよ、エルサレムよ、汝の主なる神の元へ立ち帰れ。
哀歌第 2 章 12-15 節
8.聖木曜日第 2 答唱:シャルパンティエ H128
声楽アンサンブルコール・コラーレ[名古屋・東京]
コーロ・ピエーノ[福岡]
大坪由香(リコーダー)
古橋潤一(リコーダー)[名古屋・東京]
神野和美(リコーダー)[福岡]
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
岩田耕作(オルガン)
混声 4 部と、バスコンティニューのための作品。テキストはイエスの死と共に起こった奇
跡の物語の間に、盗賊の話が挿入されています。時間の経過の順番に読むためには、*
*
の部分を最初に持って来るべきでしょう。
Velum templi scissum est, et omnis terra tremuit:
(しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。すると)神殿の垂れ幕が裂け、
地震が起こった。
*
latro de cruce clamabat, dicens:
(イエスと共に十字架に付けられた)盗賊が、十字架の上から叫んだ。
Memento mei, Domine, dum veneris in regnum tuum.
「主よ。あなたの御国にお出でになる時には、私を思い出してください。
」
*
Petrae scissae sunt, et monumenta aperta sunt,
岩が裂け、墓が開き
et multa corpora sanctorum, qui dormierant, surrexerunt.
眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
9.聖金曜日第 3 ルソン:シャルパンティエ H95
岩田明子(ソプラノ)
太田真理子(ソプラノ)
古橋潤一(リコーダー)[名古屋・東京]
大坪由香(リコーダー)
神野和美(リコーダー)[福岡]
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
岩田耕作(オルガン)
Incipit oratio Jeremiae Prophetae.
預言者エレミヤの祈り、ここに始まる。
Recordare Domine quid acciderit nobis; intuere et respice opprbrium nostrum.
主よ、わたしたちにふりかかったことに心を留め、わたしたちの受けた嘲りに目を留めて
ください。
Haereditas nostra versa est ad alienos, domus nostrae ad extraneos.
私たちの嗣業は他国の民のものとなり、家は異邦の民のものとなった。
Pupilli facti sumusabsque patre; matres nostrae quasi viduae.
父はなく、わたしたちは孤児となり、母はやもめとなった。
Aquam nostram pecunia bibimus, ligna nostra pretio comparavimus.
自分の水をすら、金を払って飲み、自分の木からすら、価を払って取り入れる。
Cervicibus nostris minabamur; lassis non dabatur requies.
首にはくびきを負わされて追い立てられ、疲れても、憩いはない。
Aegypto dedimus manum et Assyriis ut saturaremur pane.
わたしたちはエジプトに手を出し、パンに飽こうとアッシリアに向かった。
Patres nostri peccaverunt et non sunt, et nos iniquitates eorum portavimus.
父祖は罪を犯したが、今は亡く、その咎をわたしたちが負わされている。
Servi dominati sunt nostri; non fuit qui redimeret de manu eorum.
奴隷であった者らがわたしたちを支配し、その手からわたしたちを奪い返す者はない。
In animabus nostris afferebamus panem nobis a facie gladii in deserto.
パンを取って来るには、命をかけねばならない。荒れ野には剣が待っている。
Pellis nostra quasi clibanus exusta est a facie tempastatum famis.
飢えは熱病をもたらし、皮膚は炉のように焼けただれている。
Mulieres in Sion humiliaverunt et virgines in civitatibus Juda.
人妻はシオンで犯され、おとめはユダの町々で犯されている。
*Jerusalem, Jerusalem, convertere ad Domino Deum tuum.
*エルサレムよ、エルサレムよ、汝の主なる神の元へ立ち帰れ。
哀歌第 5 章 1 節-11 節
10.聖金曜日第 3 答唱:グレゴリオ聖歌
朝日女性コーラス[名古屋・東京]
コーロ・ピエーノ[福岡]
テキストはイスラエルの神に対する背きの故に、バビロニアがついにエルサレムを滅ぼす
だろうというエレミヤの預言。エレミヤ書第 25 章と、ヨエル書第 1 章からの引用。(
)
内は、意味をより深く理解できるよう、聖書の同箇所の、歌詞になっていない部分を加え
たものです。(万軍の主はこう言われる。見よ、災いが一つの民から出て他の民に及ぶ。激
しい嵐が地の果てから起こる。その日には、主に刺し貫かれた者が地の果てから地の果て
まで、嘆くこともなく横たわる。集められることも葬られることもなく、地の面にまき散
らされて肥やしとなる。
エレミヤ書第 25 章 32 節)
Plange quasi virgo, plebs mea:
我が民よ、泣き悲しめ、(いいなずけに死なれた)おとめのように。*
ululate, pastores, in cinere et cilicio:
牧者たちよ、嘆き叫べ、粗布をまとい、灰をその身にかぶり。
* Quia venit dies Domini magna, et amare valde.
(お前たちが屠られる)主の大いなる、怒りの時が満ちた。
Accingite vos, sacerdotes, et plangite, ministri altaris, aspergite vos cinere.
自らを縛れ、司祭よ。そして喪に服せ。
祭壇の聖職者よ、灰を身にかぶり、自らを縄で縛り、泣き悲しめ。
11.主よ、私を哀れんでください「詩編 第 50 篇(第 51 篇)」:シャルパンティエ
岩田明子(ソプラノ)
太田真理子(ソプラノ)
声楽アンサンブルコール・コラーレ[名古屋・東京]
大坪由香(リコーダー)
コーロ・ピエーノ[福岡]
古橋潤一(リコーダー)[名古屋・東京]
神野和美(リコーダー)[福岡]
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
岩田耕作(オルガン)
混声 6 世と 2 声の器楽パート、バスコンティニューのための作品。詩篇第 50 番は聖週間
に繰り返し歌われる重要な 1 曲。シャルパンティエのこの作品は 30 分を超える大作なの
で、今回はプログラムの構成上、冒頭と、後半部分のみを演奏します。王ダビデは、家臣
ウリヤの妻バト・シェバと通じ、そのことを隠すためにウリヤを死に至らしめますが、預
言者ナタンによってこの罪があばかれます。詩はダビデがこの罪を神に悔いるという設定
で書かれていますが、実際にはダビデの作ではなく、紀元前 5 世紀ごろの名の知られてい
ない詩人の手によるものと思われます。なお、現在の聖書ではこの詩は第 51 篇ですが、ウ
ルガタ訳聖書では第 50 篇となっています。
指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。
Miserere mei Deus secundum magnam misericordiam tuam,
神よ、わたしを憐れんでください御慈しみをもって。
Et secundum multitudinem miserationum tuarum, dele iniquitatem meam.
深い御憐れみをもって背きの罪をぬぐってください。
(中略)
Sacrificium Deo spiritus contribulatus:
神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
cor contritum, et humiliatum, Deus, non despicies ;
打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません。
Benigne fac, Domine, in bona voluntate tua Sion: ut aedificentur muri Jerusalem.
御旨のままにシオンを恵みエルサレムの城壁を築いてください。
Tunc acceptabis sacrificium jstitiae, oblationes, et holocausta
そのときには、正しいいけにえも焼き尽くす完全な捧げものも、あなたに喜ばれ
tunc imponent super altare tuum vitulos.
そのときには、あなたの祭壇に雄牛が捧げられるでしょう。
出演者経歴
岩田
明子(ソプラノ)
名古屋芸術大学音楽学部声楽科卒業。フランスに留学。 ミュールーズ音楽院にて声楽の金
賞、メッツ音楽院にてバロック声楽の金賞を受賞。 声楽をフランシス・ジェゼール、バロ
ック声楽をミシェル・ルドワ、モニク・ザネッティ、ルネサンス声楽をブルノー・ボテー
ルの各氏に師事。
太田
真理子(ソプラノ)
京都女子大学文学部教育学科音楽教育学専攻卒業。声楽を西内玲氏に師事。音楽理論・演
奏解釈を岩田耕作、明子氏に師事
大坪
由香(リコーダー)
福岡県立修猷館高等学校卒業。桐朋学園大学古楽器科(リコーダー専攻)卒業、同大学研
究科修了。オランダのデン・ハーグ王立音楽院古楽科をサーティフィケートを得て修了後、
アムステルダム古楽アカデミーにて学ぶ。リコーダーを花岡和生、R.カンジ、J.v.ヴィンガ
ーデン、H.テル・スケヘットの各氏に師事。2000 年及び 2004 年度福岡教育大学講師。古
楽ユニット「ひとときの音楽」
「ザ・リハーサル・バンド」メンバー。
古橋
潤一(リコーダー)
桐朋学園大学古楽器科卒業、同研究科修了。リコ−ダ−を花岡和生、山岡重治、吉澤実、
濱田芳通の各氏に師事。第 30 回ブル−ジュ国際古楽コンク−ル入選。現在、メディオレジ
ストロ主宰。桐朋学園大学古楽器科非常勤講師。また、97 年にはアントネッロ・エディト
ーレを設立、17 世紀の楽譜の出版も手掛けている。
神野
和美(リコーダー)
桐朋学園大学古楽器科、リコーダー専攻。その後リスト音楽院、ELTE 大学音楽科にて音
楽教授法・合唱指揮を学ぶ。帰国後、地域でのコンサートのほか、ソルフェージュ・リコ
ーダー等の指導にあたっている。福岡在住。
マリーポール・ルフェーブル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
フランス在住(ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、リコーダー奏者)
リコーダーの勉学をストラスブール音楽院にて始める。その後、ポール・ヴァン・ネーヴ
ェル氏に師事し、オランダへの留学を決意する。また、ヴィオラ・ダ・ガンバの魅力に引
き付けられ、この楽器の演奏法をミシェール・ホロウェーク、ジョナタン・ダンフォード
の各氏の下で学ぶ。現在、フランス東部の複数の音楽学校にて、リコーダーと、ヴィオラ・
ダ・ガンバの指導を行っている。また、あらゆる古楽アンサンブルに参加し、ストラスブ
ールを中心に演奏活動を行っている。
マリーポール・ルフェーブルさんは、私がストラスブール音楽院の学生だったころに、同
校のヴィオラ・ダ・ガンバのクラスに在籍していらっしゃいました。学生時代には、通奏
低音のクラスで共に伴奏法を学び、音楽院内外でのコンサートでも、パートナーとして頻
繁に演奏する機会を持っていました。古楽の声楽曲の伴奏法を学ぶことができるクラスは、
ヨーロッパ内でも、ストラスブール音楽院のマルタン・ジェステール氏のクラスを除いて
は、ほとんど皆無といえます。今回は、学生時代に共に音楽を学んだ仲間を日本に招くこ
とができ、久しぶりにアンサンブルができることを大変楽しみにしています。
(岩田耕作)
岩田
耕作(オルガン)
ブリュッセル王立音楽院にてチェンバロと室内楽のプルミエ・プリ、ストラスブール音楽
院にてチェンバロと作曲法の金賞を受賞。チェンバロを小林道夫、橋本ひろ、アリーン・
ジルヴェライヒ、チェンバロとオルガンをロベール・コーネン、バス・コンティニュオと
オルガンをマルタン・ジェステール、作曲法をオディール・シャルベ、マルク・アンドレ
の各氏に師事。楽器の演奏と共に、専門分野である音楽理論の知識を生かした演奏解釈に
よる、器楽、声楽、各種アンサンブル、合唱などの指導を行っている。ハルモニー・セレ
スト代表。
声楽アンサンブルコール・コラーレ[名古屋・東京]
ソプラノ:村瀬啓子
アルト:谷
鈴代
テノール:神田豊寿
バス:内田
淳
「コール・コラーレ」
(ラテン語で「合唱の心」の意味)モンテヴェルディルネサンス期の
フランスのシャンソンを始め、レパートリー は洋の東西を問わず、時代の新旧をも超える。
朝日女性コーラス[名古屋・東京]
主婦のコーラスがまだほとんど無かった創立 1952 年、朝日女性サークル音楽グループと
して発足。1975 年から谷鈴代が指導している。
ソプラノ
斎藤昌子
瀬尾久美子
鳥居朱実
長尾章江
野口英子
メゾ
井上陽子
加藤昌代
小谷洋子
中村香代
山本玲子
梅村鈴栄
片山恵美
関
出口とも子
山本アキ子
吉田
淑
アルト
岩川千里
可児伸子
效子
南しず
内田美保子
コーロ・ピエーノ[福岡]
1981 年の結成以来、西洋音楽の原点といわれる中世・ルネサンス音楽に取り組み、ア・カ
ペラ(無伴奏)合唱の純粋な響きや、小編成の声楽アンサンブルの軽妙さ、古楽器との協演
などを通して、比較的演奏機会の少ない当時の音楽の魅力、楽しさを伝えようと、活動を
行ってきた混声合唱団です。年 1 回の定期演奏会、合唱祭への参加、そして今年で 8 回目
となる福岡古楽音楽祭への出演を活動の柱としています。今年は結成 25 周年という節目の
年でもあり、新たな気持ちで地域に根ざした音楽づくりに励んでいきたいと考えています。
ソプラノ
石丸
藍
白水響子
城下妙子
高嶋みゆき
村山文子
横田恵子
吉田ユリア
荒浪裕子
伊藤恵子
岩熊真由美
永原美佐
原 香芳里
三久保佐和子
アルト
大賀敦子
小濱幹子
テノール
見城智義
澄川政博
田中雅美
甲斐雄一
原田研
船野雅規
バス
大杉正樹
村山 暁
*使用オルガン[名古屋・福岡公演]
このたびポジティフオルガン(小型パイプオルガン)を梅岡俊彦氏より購入しました。この
オルガンは同氏が 1994 年にロベール・コーネン氏より購入し、2005 年 10 月までコンサー
ト用レンタル楽器として使用していたものです。
--------------------------------★ ポジティフオルガン
「Robert I(ロベール 1 号)」
--------------------------------1段鍵盤ポジティフオルガン
ン)
8f(プリンシパル)
4f(フルート)
2音)51鍵木管パイプ
サイズ
4 ストップ(8×8×4×2f)特定のモデルは無し 8f(ブルド
調律可能
Etienne
製作地
ベルギー
C−d3 (4オクターブと
ピッチ3段階可変(392/415/440)
147×78×84cm
製作者
2f(フルート)音域
重量
約100kg
Debaisieux(エティエンヌ・ドゥベジユ)
1991年作
ドゥベジユ氏のポジティフオルガンは通常 3 ストップですが、このオルガンはロベール・
コーネン氏の特注により 8f(プリンシパル)が付け加えられたため、Robert I(ロベール 1
号)と呼ばれています。2 種類の 8f を持つことにより、大編成の合唱やオーケストラの伴
奏にも使用可能な、重厚な音量を得ることができます。
梅岡楽器サービスでレンタル中には、この CD に使われました。
★
鈴木雅明(Or)D・ラウリン(R)「ヘンデル
BIS
CD−955
1998年
★
リコーダーソナタ」
神戸・松蔭女子大で録音
藤枝守(作曲)「今日は死ぬのにもってこいの日」
岩淵恵美子(Or)他
Fontec FOCD2559
1999年12月神奈川県立音楽堂でのライブ録音
また、小澤征爾、ジェラール・レーヌ、エンリコ・ガッティなどの、日本での演奏会でも
使用されました。今後オルガンのレッスンや、コンサートへのレンタルも検討しています。
ご興味のある方はお問い合わせください。
*東京公演使用オルガン:★
1段鍵盤ポジティフオルガン
(8fブルドン
ポジティフオルガン 「ROBERT 2」梅岡楽器サービス
4ストップ
8fプリンシパル
(8×8×4×2f) 特定のモデルは無し
4fフルート
2f
フルート)音域
(4オクターブと2音)51鍵木管パイプ(2fに一部金属パイプ)
4段階可変(392/415/440/465)
重量
約100kg
製作者:ETIENNE
ドゥベジュ・ベルギー)1994年作
サイズ
C−d3
調律可能
ピッチ
130×65×78cm
DEBAISIEUX(エテンヌ・
日本でも多くの楽器が活躍中のベルギーのオルガ
ン製作家。ポジティフオルガンや中規模のオルガンを中心に製作。この楽器も1台目と同
じくロベール・コーネン氏がヨーロッパのコンサートや録音で長年愛用していた物を20
05年に入手。