8月の主な予定 9月の主な予定

青年会 information
全分会布教推進週間
9 月 6 日(日)〜 13 日(日)
です。泉東につながる青年会員はこの中で一日で
も、リーフレット一枚でも、何かしら布教活動を
させて頂きましょう。
統一活動日は、
◆ 9 月 6 日(日)午前 9 時 50 分 大阪環状線
芦原橋駅前集合 神名流し・路傍講演など 12
時解散 ※担当 泉東分会副委員長 村上康介
◆ 9 月 11 日(金)午後 7 時 泉阪分教会集合〜
神名流し〜あべのハルカス ※担当 泉東分会副
委員長 坂口幸司
◆ 9 月5日(土)〜 6 日(日)
柳島分教会を拠
点に布教合宿 ※担当 東躍動会委員長 坂口明
徳 関東在住の青年会員向け
ご協力、お力添えよろしくお願い申し上げます。
8 月の主な予定
表紙の絵の描写地
21日 泉東分教会月次祭・合霊祭・午後1時
23日 髙安大教会月次祭・午前10時30分
25日 泉東定例にをいがけ(海岡)
・午前9時30分
26日 本部月次祭・午前9時
30日 青年会髙安分会総会・午前10時
表紙の絵 『東尋坊の岩肌』
今から 1200 万年前の火山活動により、マグ
マが堆積岩層中に貫入して冷え固まってでき
た火山岩。この火山岩が日本海の荒波の侵食
9 月の主な予定
21日 泉東分教会月次祭・午前10時
23日 髙安大教会月次祭・午前10時30分
24日 髙安大教会秋季霊祭・午前10時
によって地上に出現。この規模は世界で三箇
25日 泉東定例にをいがけ(大深井)
・午前9時30分
所だけで、地質上極めて貴重とされて、国の
26日 本部月次祭・午前9時
天然記念物及び名勝と指定されている。
28〜30日 全教一斉にをいがけデー
武田勲史(明惶分教会長)
『躍動の泉』通巻 495 号 2015 年 7 月 21 日発行 発行所:天理教泉東分教会 大阪府堺市中区陶器北 909
発行人:村上嗣昭 編集人:古藤一彦
泉 東 分 教 会 報 通 巻 495 号
躍動
ヤクイズ
の
教祖百三十年祭へ!
6・ オール泉東のパワー結集
21
Sちゃんの話
投稿エッセイ
教祖百三十年祭へ向かって
レポート
◆鼓笛隊員からよふぼくへ
◆うちわけ会別席団参6・
平成 27 年
立教 178 年
2015 年
8月
28
第5回 茶木谷吉信先生「勇みばなし」
「泉東ジャンプ総会」
泉
オール泉東のパワー結集!
6・21
教祖 130 年祭へ
GO! GO!
少年会員もおつとめ衣を着けて、よろづよ八首を元気につとめました!
大きい声で唱和しました。
【おつとめ役割】
座りづとめ 教会長
よろづよ八首 少年会
一、二下り目 大草・柳島
三、四下り目 八田山
五、六下り目 泉濱
七、八下り目 泉阪・茅海
九、十下り目 日置荘
十一、十二下り目 直轄
当日の参加者
394 名
お道の歴史を振り返り、結構
な現在に生きる私たちは、次
の代に確実に信仰を伝えなけ
ればならない。年祭活動の仕
上げとして、身近な人のおた
すけに真心を込めて、修養科
くそうと、よふぼく一人ひと
りの奮起を促されました。
青年会委員長あいさつ
婦人会委員部長あいさつ
生・別席者の丹精に真実を尽
泉東分教会長様お話
教会長・三会・よふぼくが一手一つに勤めました
婦人会委員部長として昭和 61 年から 39 年
青年会委員長として 18 年間勤めさせていた
間勤めさせていただきました。初代の奥様か
だきました。今後は委員長を退き、会長とな
ら数えて私で四代目になりますが、親々の信
らせていただきますが、心は若々しく青年・
仰を受け継いで、次の世代につないで、これ
あらきとうりようとしてあり続けたいと思い
から若い委員部長に変わっても皆様方のお力
ます。これからも青年会の上に変わらずご支
添えを賜りますようお願い申し上げます。
援・ご協力をよろしくお願いします。
新 青年会泉東分会委員長 古藤一彦
新 泉東少年会育成委員長 村上徳幸
青年会は、同世代の仲間との活動をとおして信仰
少年会の目的は、子供たちを将来立派なよふぼく
をより強くする場所です。一人でジッとしていて
に育てるところにあります。今日も 18 名の少年
も成人は進みませんので、泉東につながるお互い
会員がよろづよ八首を立派に勤めました。これか
が、求めて活動に参加をお願いします。今後共先
らも育成に携わるすべての方々のお力添えをよろ
輩先生方のご支援ご協力よろしくお願いします。
しくお願いします。
新 婦人会泉東委員部長 村上るみ
感謝を込めて、花束贈呈
年祭活動の旬、より一層勇んで務めさせていただ
きたいと思いますが、何も分からない者ですので、
泉東の奥様を始め、奥様方にご指導を頂きながら、
与えられた御用を心を込めて務めさせていただき
たいと思います。どうぞよろしくお願いします。
全員で教祖 130 年祭の歌を大合唱しました
模擬店会場
受付
少年会員も大合唱
バザー会場
泉東おとなバンド
抽選会
バザー会場
眞隆セーラーマンバンド
た、たかい!(汗)
バルーンパフォーマンス
会長就任奉告祭の横断幕
11 月 29 日に迫る!
代表して若先生を胴上げ
勇みばなし
〜泉東分教会春季大祭祭典講話〜
茶木谷吉信(大江大教会・正代分教会長)
が。実は心配をかけない子のほ
なハズじゃなかった、という子
心配をかけない良い子と、こん
程 度 の 差 こ そ あ れ、 居 ま す ね。
た い が い ど こ の ご 家 庭 に も、
ていました。
入れられた、という経歴を持っ
親から精神科の病院に強制的に
に薬物、シンナーに手を出して、
純異性交遊、暴走行為、おまけ
ばこ、深夜徘徊は当たり前。不
くらい悪いかというと、酒、た
年生の女の子がいました。どれ
家の近所に、札付きの中学3
ます。
もう一つ、親子の絆の話をし
言ったんです。
たんじゃないですよ。その子が
ました。「お前、
誰や?」
私が言っ
うんこ座りでたばこを吸ってい
に 髪 を 振 り 乱 し、 化 粧 を し て、
その子は出勤前でした。きれい
い ま す。 部 屋 を ノ ッ ク す る と、
した。夜9時を回っていたと思
その足でその子の家に行きま
ませんでしたけど。
たんです。コネなんて全くあり
れたのでしょう。頼みに来られ
方面にコネを持っていると思わ
許を持っているので、何かその
しゃるのです。で、私が教員免
て く れ る 高 校 が な い、 と お っ
験も迫ってくるのに、受け入れ
ださい」と言うんです。もう受
ま し て、
「 先 生、 何 と か し て く
いい子であるとよく教科書に書
こと。いろいろ話をしました。
せられたことが一番つらかった
ために独居措置室に強制入院さ
楽しいこと。シンナーをやめる
帰ってこないこと。深夜徘徊が
した。父親がよそに女を作って
です。毎日、いろんな話をしま
母親の目をごまかすための口実
も ち ろ ん 勉 強 な ど し ま せ ん。
した。
持って遊びに来るようになりま
ことで、次の日から勉強道具を
勉強道具ば持ってけえ」という
ま し て、
「 よ し よ し、 明 日 か ら
のか、なぜかそこで意気投合し
私のどこを気に入ってくれた
ん睨むな」
とや? まあよかたい。そぎゃ
第5回 Sちゃんの話
うがややこしい例はいくらでも
「 お れ や? お れ は 近 所 の 天
いてあります。あれは本当です
いわゆる不良というのは根は
あるんですがね。
理教のおっちゃんたい。知らん
この子の母親が家にやってき
profile 茶木谷吉信【ちゃきたに・よしのぶ】正代分教会長
昭和35年生まれ。58年熊本大学文学部卒業。翌59年正代分教会長に就任。
現在、本部布教部布教二課研究員、熊本県玉名市教育委員(委員長職務代理者)、
市男女共同参画審議会会長、熊本刑務所教誨師などを務める。55 歳。
んです。
あるとき私もキレまして怒った
んですが、あんまりくどいので、
最初は笑って聞き流していた
するのです。
になると「クソばばあ」を連発
い子でした。ただ、母親のこと
はまりました。本当に明るくい
ね。少なくともこの子には当て
だからくそガキと呼ばせてもら
す る う ち は、 お 前 は ガ キ じ ゃ、
悲しい女をクソばばあ呼ばわり
あ、クソばばあてや? そんな
あ る か? そ れ を、 ク ソ ば ば
女として、こんな悲しい人生が
た子どもはどまぐれて、一人の
裏切られ、かすかな望みをかけ
見てみい。この人と信じた人に
ときなんぞ。お前の母ちゃんば
間として見られるようになった
母さんとしてではなく一人の人
看護学校が引き受けてくれまし
最後の望みをかけて受験した准
は く れ ま せ ん で し た。 し か し、
いますので、どこも受け入れて
たが、ブラックリストに載って
ろんな私立の高校も当たりまし
かけ算九九からやりました。い
日 か ら 猛 勉 強 が 始 ま り ま し た。
よう、ということになってその
よーし、そうや。なら勉強し
「おっちゃん、勉強ば教えて」
んとこう言ったのです。
はやってきました。そしてぽつ
「 だ っ て、 ク ソ ば ば あ は、 ク ソ
ろ!」
「 お い こ ら、 ク ソ ば ば あ は や め
う!」
ばばあだもん!」
けました。
て、めでたく看護師への道が開
か。無言でさっさと勉強道具を
今では二人の子どもの母とし
その子は、怒ったんでしょう
からお前のことばクソガキて言
片 付 け て 帰 っ て し ま い ま し た。
て、看護師の道を進んでくれて
うけん」
「ああ、これであの子は来んな。
「 あ あ、 そ う や? な ら ね、 今
「はあ? 私はガキじゃなか!」
(次号につづく)
います。
の祭りです。
しまった」と思いましたが、後
みろ。あんね、子どもが大人に
しかし、次の日、またその子
「 ぬ し ゃ、 ガ キ た い! 考 え て
なるっちゅうのはね、母親をお
梅誠分教会長夫人
引地マサ子
「これからお願いづとめをさせて頂きま
す。
」
と伝えるとAさんは、
ここでお祈りする事は出来ません。
」
「実は私……。キリスト教の信者なので、
会で同時刻にお願いづとめをしましょう
と言われたのです。内心エッ
と驚き
……」
「 A さ ん の 為 に 会 長 は 甘 露 台、 私 は 自 教
「教祖百三十年祭に向かって」
平成 年暮れ、地域にお住いのご婦人
(Aさん)が所用で届け物に来られまし
た。
ました。
天理教の教会と承知の上で来られたの
です……。でも今は藁にでも縋りたい位
とお願いすると、会長は
緒につとめさせて頂こう」
「それではAさんを教会へお呼びして一
「何かあったんですか……?」
てなので……。」
を掛けても来られるはずはありません。
」
と言い、お願いづとめをさせて頂きまし
見ていて下さい。
」
お 母 さ ん が 探 し 廻 っ て も 疲 れ る だ け。
「 息 子 さ ん は 必 ず 親 元 に 帰 っ て き ま す。
と言われ電話を切りました。トンデモナ
……」
た。
と声を掛け、Aさんはお帰りになりまし
帰り際、
「居場所だけでも分かると良いですね。
」
た。
会長は、
帰ってくる日を待ってあげて……」
イ! と思っていたのです。しかし断ら
れて元々と思い直し、恐る恐る電話をし
「 そ れ で も、 声 を 掛 け て み る だ け で も
と言うと、涙がドッと溢れ出て、
ました。すると、
行きます。」
するとその3時間後、Aさんから、
「 息 子 の 居 場 所 が 分 か り、 今 か ら 迎 え に
と言って来て下さったのです。
これを機にAさんと話しをする事が増
と 連 絡 が あ り、 ホ ッ と 胸 を な で お ろ し、
神様に御礼申し上げました。
をして、
2階にある神殿を初めて見て、どう思
われたか分かりませんが、一通りお話し
「分かりました。
」
「そうですね。ありがとうございます。」
と言ってお帰りになりました。
早速、おぢばに居る会長に電話で其の
旨を伝え、
その後、私はジッとしていられなくな
り、これは神様にお願いするしかない
‼︎
「 そ れ で は、 そ こ に 座 っ て 私 の す る 事 を
い助けを求めていると思い、
「 才の息子が家出して、 日も帰らず、
10
と、とても疲れている様子でした。私は、
「 イ エ イ エ、 こ れ は 私 の 気 持 ち で す。 声
と言われたのです。素直でない私は、
⁉︎
と声を掛けると、
その時、目がウルウルとされていたの
で、
21
探しているのです……。こんな事は初め
15
投稿エッセイ
見えられなくなり、連絡しても、
「 以 前、 キ リ ス ト 教 会 へ お 祈 り し に 行 っ
家庭の事情など話して下さるようになり
と言われ、
それからAさんは心を開いて、
した。
」
ていたので、これでやっと胸に納まりま
「 そ れ で 分 か り ま し た。 ず っ と 気 に な っ
4月下旬、私なりに心構えて待って居
りました。そこへAさんが来られて椅子
頂く事にしました。
いかと思い、改めて連絡をし教会へ来て
とキリスト教の間で悩んでいるのではな
2月、3月と過ぎ、私はAさんが天理教
われたのでしょう。
」
ていた時、留守番を頼まれ、そこへ電話
ました。
「 実 は 私、 毎 週 新 宿 の キ リ ス ト 教 会 へ お
え、今はキリスト教会へ足が遠くなって
が 鳴 っ た の で 出 て み る と、「 助 け て 下 さ
聞かせて頂く中で、私にこのお助けが
出来るかしら……。と不安になりました
祈りに行ってます。そこへ行くと心が潤
「忙しい……。すみません。
」とばかりで、
い!」と言われ、牧師さんが戻って来ら
が、これは私が助けるのではなく、神様
い、満たされ落ち着くのです。そして子
と答えると、
れ た の で お 伝 え す る と、「 そ の 方 が 来 ら
が助けて下さる事、私にAさんを引き合
達も一緒に連れて行き『お母さん僕も洗
い る と 聞 き ま し た。 そ ん な 会 話 の 中 で、
れ た ら お 断 り 下 さ い。」 と 言 わ れ た の で
わせたのは神様。ならば私なりに精一杯
とても嬉しくて……」
次の質問をされたのです。
す。天理教でもそうなんですか?」
つとめさせて頂こう! とこの5年余り
様 々 な 事 情、 身 上 の 中 を A さ ん に 寄 り
と、そこまで聞いて、何故か私の足元か
えました。
「 貴 女 は、 教 会 は 人 を 助 け る 場 所 な の
たものの、開口一番に言われ、何も言う
礼 を 受 け た い 』 と 言 っ て く れ た の で す。
に掛けるなり、
私はキリスト教会の事は良く分からな
いし、天理教ではそのような事はありま
添って参りました。
ら身体が震え始めました。覚悟はしてい
せん! とも言い切れず、一瞬悩みまし
たがフッと思い当たる事が有り、こう答
そして教祖百三十年祭には是非おぢば
に、なぜ? と思われたのでしょう。そ
の 牧 師 さ ん は 苦 労 さ れ て い る 方 で す ネ。
れられて来るでしょう。電話をして来る
ならば直接教会に尋ねて来るか、人に連
リスト教会へ行って来ました。
」
人が訪ねて来て、その方と新宿にあるキ
「以前お世話になったキリスト教会の友
来ているのも引地さんのお陰です。そし
思います。今こうして日常を送る事が出
かったら、今頃我が家は崩壊していると
「 あ の 時、 引 地 さ ん に 声 を 掛 け て 頂 か な
事が出来ませんでした。続けて、
という事は様子を窺っている様な気がし
と言われたのです……。
てこの5年間神様を忘れさせない様にし
にお連れしよう と心していた矢先の
昨年暮れ、参拝に来られた時、Aさんは、
ます。そういう方は恐らくお金が目当て
それから間もなく年が明け、参拝にも
電話をして来た方が本当に助かりたいの
なので、牧師さんはお断りするように言
‼︎
と涙 な が ら に お 礼 を 言 わ れ た の で す 。
た。」
て下 さ り 、 本 当 に 有 り が と う ご ざ い ま し
さて今髙安大教会では、大教会長様よ
り「 う ち わ け 会 別 席 団 参 」
、年祭活動仕
ず」の心境で見送りました。
と言って、その後ろ姿に「去る者は追わ
来てくださいネ。
」
新たに思わせて頂きました。6月
いる。先の事は何も分かりませんが、何
なような事でも全て受け取って下さって
ん、いろいろありましたが旬の理は無駄
日お
事もよろこんでつとめさせて頂こうと心
私は喜んで良いのか悲しんで良いの
か、 今 の 自 分 が 分 か り ま せ ん で し た 。
もっ て 祈 っ て い き ま し ょ う 」 と 言 わ れ ま
「 ハ イ。 話 し ま し た。 そ う し た ら「 愛 を
相談 さ れ た の で す か ? 」
そこで1つだけ質問をしました。
「 キ リ ス ト の 教 会 へ 行 っ て、 今 の 悩 み を
はり5年程前からお付き合いをするよう
かり焦っていました。そのような折、や
ても、なか々参加して頂けず、気持ちば
めと、お打ち出しがあり、声を掛け回っ
上げの旬、各教会5名以上の別席者心定
ありがとうございました。
頂きました。
ができ、いつに無いおぢば帰りをさせて
陰様で皆揃って、別席を運ばせて頂く事
「引地さんは私の恩人だからお返ししな
になったBさんが来られた時、別席団参
「 何 か 雲 を 掴 む よ う で、 ハ ッ キ リ し た も
した。」
ので は あ り ま せ ん が 、 そ れ で 良 い ん だ な
くちゃネ! 5人ね。心当たりの人に声
を掛けてみるわ。
」
のお誘いをしたところ、
と思いました。」
と言って下さったのです。私がAさんの
事で落ち込んでいた4月末、
Bさんから、
「私を含めて5人申し込みます。
」
るキ リ ス ト 教 へ 戻 る 事 が で き た の だ と す
初席者7名となっておりました。
5月大教会へ願書を提出する時にはB
さんたち5人と他に2人。な、な、何と
と連絡ありビックリ
れば 、 こ の 身 体 の 震 え は 、 私 の 未 練 だ っ
来た こ の 5 年 間 。 A さ ん の 生 み の 親 で あ
たの か と 思 い ま し た 。 帰 り 際 、
「 ま た、 何 か 有 っ た ら、 い つ で も 訪 ね て
一度に7名とは当教会初めての事! 同じような時期に出合ったAさんBさ
んに 分 か っ て 頂 け な く と も 、 共 に 歩 ん で
たか く て … … 、 ス ゴ い な ぁ と … … 。 A さ
私はそれを聞いて少し落ち着きまし
た。 天 理 教 は 奥 が 深 く て 、 広 く て 、 あ た
「あ な た は そ れ で 納 得 し た の で す か ? 」
28
うちわけ会別席団参の一コマ
原稿大募集!
‼︎
『躍動の泉』では原稿の投稿を募集しています。
読む人の勇みの種になるお話をお待ちしております。詳しくは『躍動の泉』編集部までお尋ねください。
鼓笛隊員から
よふぼくへ
松田香菜美( 大 草 )
3月 22 日、おさづけの理を戴きました。
私の家は天理教家庭ではなく、友達から誘ってもらった鼓笛隊をきっかけ天理教と繋が
りました! 隊員を経てスタッフになり、大草の会長さん、ともくんから「別席に行かない
か?」と声をかけていただいて、迷うことなく「はい」と返事をさせてもらいました。最初
はようぼくやおさづけは言葉だけは知っていたものの、具体的には知りませんでした。
私はおさづけを取り次いでもらって、不思議な事がありました! 鼓笛研修の時にドラム
メジャーのメイスの研修中に何度も振っているうちに手を痛めてしまいました! おぢばの
夕づとめの後に教祖殿でスタッフのさおりちゃんがおさづけを取り次いでくれました。そし
て、気が付けば痛みもやわらぎおさづけの素晴らしさを実感しました!
おさづけを取り次いでもらうばかりではなく、今度は取り次ぐ側に!という思いで別席に行
かせてもらい、無事今年おさづけをいただきようぼくになることができました。
私はこれから鼓笛隊員が熱やケガをした時私におさづけをしてくれたように、私もおさづけ
をしてあげたいと思います。
ようぼくになるきっかけをくれた 大草の会長さん、ともくんに感謝します。立派なよう
ぼくになれるようにこれからも、頑張っていきたいと思います
6月
日「うちわけ会別席団参」
日に「うちわけ
当日は大勢の初席者、中席者、おさづけ
月
25
の理拝戴者、参拝者でおぢばは大変賑わ
いました。次回は
会別席団参」が予定されています。
泉東直轄の団参のようすです。
10
28