1 - フランスの切手

ブルターニュ
図版博物館 vol.1
I
土地の記憶 1
Musée imaginaire philatélique
Région Bretagne au travers des timbres français
4e éd. 2013
【1-1-1 ブルターニュ地域圏の構成】
YT-1917
フランス西北部に位置するブルターニュ Bretagne は、
その歴史、文化、習俗において独自の性格をもつ地域
である。イ-ルエヴィレーヌ Ile-et-Vilaine,
フィニステール Finistère , コ
ートダルモ-ル Côte-d’Armor, モルビアン Morbihan の 4 つの県
に分かれる。俗に《西部》L'Ouest とよばれる地域は、
このほかその東のバスノルマンディ Basse-Normandie, 南のペ
イ・ド・ラ・ロワール Pays-de-la- Loire を含むが、ブルターニュはその
中核に位置している。
広域行政圏としての《Région Bretagne》の首都はレンヌ Rennes。人口 206,604 人(2009)
の大都市である。大西洋とケルト文化がこの地域圏を特徴づけている。パリからは、1989 年に
運航を開始した新幹線《TGV Atlantique》でレンヌまで 2 時間、終点のブレスト Brest まで直行列
車で 4 時間で行くことができる。1-1-1
TGV
Atlantique
YT-2607
ブルターニュの紋章
YT-573
©bibliotheca philatelica inamoto
ブルターニュの旗
レンヌの紋章
YT-534
1
【1-1-2 ブルターニュの海と灯台】
海岸の景観は多様だが、概して波が高い。そのなかでも、ブル
ターニュを代表する風景といえば、ラ岬 Pointe de Raz(フィニステール県)である。
Pointe de
Raz
YT-764
ハリエニシダ
YT-AA297
YT-3601
YT-4163
2009 年に「地
域圏の植物」
切手に選ばれ
た。【ブルターニュ
3】参照)。
そのような海崖にもハリエニシダの黄色い花が見られる。こ
れもブルターニュを象徴する花である。2009 年の切手では荒
い波と可憐な花が対照的である。さわやかな香りでオードト
ワレに仕立てられるがマメ科で毒があり食べてはいけない。ブルターニュは大きな半島で、その南側
の海は穏やかだ。モルビアン湾をデザインした切手が 2005 年に出て、荒くれたブルターニュのイメージ
を多少とも変えた。
YT-3783
とはいえ、やはり
海に生きる人々が
ブルターニュを象徴する。
全世界へフランスの冒
険家たちを送り出
したブルターニュの港を訪ねてみよう。
水夫や漁夫を描いた左の 2 点の切
手のように重厚なイメージもあるが、最近
水夫(1944)YT-504
漁夫 (1949)YT-824
ブレア島の水車
YT-4490
出た灯台の切手は明るい。フランス人は灯台が好きだ。灯台に劣らず好きなのが風車だが、ブル
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2
ターニュでは風車ではなくブレア島 ile de Bréhat の水車が切手になったのは、妙。フランスの切手で水
車を取り上げた唯一の例。水力・潮力兼用の珍しいものである。
2005 年 YT-3822
【1-1-3 ブルターニュの港町】
2007 年
YT-4112,
4114,
4115
1-1-2
ブルターニュには軍港ブレスト(フィニステール県)、漁港ロリアン(モルビアン県)などの大
きな港湾都市があるが、歴史的にみて最も重要な役割を担った港は、サンマロ Saint-Malo(イ-ル・
エ・ヴィレーヌ県)
である。
←ブレスト
YT-1117
ロリアン→
YT-2765
歴史を遡
る前に、第 2
次大戦中のサンマロについて一言述べるべきだろう。
サンマロは、ナチスドイツによっていち早く占領された。イ
ギリスとの交通の拠点の 1 つだったからである。事
態を重視した連合軍側はサンマロを無力化する作戦を
立てたが、致命的な情報不足の結果サンマロにいるド
イツ軍の兵力を過大視して城塞都市の全域に爆撃を
加え、破壊し尽くした。以前のサンマロと爆撃後のそ
れを切手で見よう。1945 年の切手は額面と同額の
現在のサンマロ
付加金を徴して発売され、サンマロの復興資金の一部として供せられた。1-1-3
←1938 年
YT-394
1945 年
YT-747→
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3
2007 年
YT-4020
海上の砦
干潮時には徒歩で渡れる
サンマロを有名にした航海家や探検家は少なくない。やがて、ブルターニュ人国記の部で取り上げ
よう。
【1-1-4 ブルターニュ的風景】
フランス人の心に残る風景の切手がある。1935 年の「ブルターニュの
河」という 2 フラン切手 YT-301 である。しかし、これ
は謎といってよいであろう。これまで多くの切手研究
者が、ブルターニュのどこの風景を描いた切手かを探求し
たが結局のところわからなかった。有力説は、いくつ
も の 河 川 ( Nerdruc, Port Manech, Nevez, Pont
Aven,…)のモンタージュで鐘楼だけが架空のものだ、とい
う(カタログ《Marianne》の解説)。原画を描いたのは、
当時の閉鎖的な切手画家集団とは無関係の Jean-Emile Laboureur という男で友人の国会議
員 Ernest Pezet の口利きで描く機会を得たという。その息子の Sulvian の証言によれば「父
は Pénestin (モルビアン県)の、ヴィレーヌ河の河口を正面に見る断崖の中腹にあった家でこの絵を
描いていた」という。これらを総合すれば、ヴィレーヌの河口に他のさまざまな景色を塩梅し
て仕上げたが、勝手に鐘楼を描いたために誰もわからなくなった、ということらしい。
「ブルターニュの港」というだけの切手もある。これについては探索する人はいなかった。1977
年に発行された 1 フラン 40
サンチームの切手 YT-1929 で、
「(南仏)プロヴァンスの集
落」と題する 1 フラン切手
と対になっているとこ
ろからデザイナーズスタンプ
とでもいうべき「想像の
芸術品」と見られた。そのように見られて悩んだのは原画と
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4
凹版彫刻の双方を担当した René Quivillic で、30 年後の 2007 年に友人への私信で「フィニステ
ール県 Plouhinec 町の Poulgoazec 港を描いた」と打ち明けた。
ところでこの町の名前、港の名前を正しく発音することは一般のフランス人にとっても易し
いことではない。ケルト語系のブルトン語だからである。イギリスのスコットランド、ウエールズ、アイルランドなど
と同一起源をもつ語系でブルターニュに今日でも残っている。これを一つの根拠としてブルターニュ
独立運動の火種がくすぶっているが、中央政府は文化の独自性としてこれを尊重する姿勢
を取っている。この地方を車で旅行すると道路標識や地名がフランス語とブルトン語の双方で記さ
れていることが印象的だ。1-1-4
【1-1-5 ブルトン相撲】 ブルターニュらしいものといえば、こんなものもある YT-1164。
「ブルトン相撲」
といってよいだろうが、現在でもこのような競技が盛んに行われているようだ。 1958 年
に 4 種発行された伝統競技シリーズで、1/南仏で盛んなペタンク、2/ロォヌ、ソォヌ、セーヌなど大きな河
川での筏師の水上槍合戦、3/エーヌ県など北東フランスでのアーチェリーとならぶ伝統的なスポーツとされ
ている。
YT-1161/4
1-1-5
以下、ブルターニュの町の景観を切手に取り上げられるままに見ていくこととしよう。いずれ
も多かれ少なかれ観光地として知られ、またはそのポテンシャルを持っている風景であるが、外
国の観光客ではなく、ここで生活し、またはヴァカンスを過ごすフランス市民の心情に訴えるよう
に作画され彫刻され切手である。フランスのどこにでもあるようでここにしかないもの、違う
地方でありながらかけがえのないわが心の故郷フランス….。切手は気鋭の某郵便学者が指摘す
るようにしばしば国威の発揚のために用いられるが、それとは別の次元で共通の国民感情
を育くむ働きもあるようだ。取り上げるのはおよそ 15 箇所だが、あえてランダムに。その間
に軽重をつけず、全体としてブルターニュが国民にどのように提示されているかを知ることがで
きればよい。それぞれの町から絵葉書が届いた、という趣となれば、なおよいのだが。
【1-1-6 ベリル・アンメール】 Belle-Ile-en-Mer
モルビアン県 YT-2325
ブルターニュ最大の島でキブロン
Quiberon から 14km 離れた大西洋上にある。ポナン諸島の 1 つで、島にある 2 つの港の 1 つ、
ル・パレ港 Port du Palais にはヴォーバンが建造したシタデル(要塞)がある。島は、地図で見るよう
な形で 17km x 9km ほどの大きさだ。最高地点で 40m であって、もともと森林に覆われた
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土地であったが、農業開発によって森林はなくなり、その農業も観光開発に譲りつつある。
フランスでは貴重な海上の保養地で、島の北側には les Grands Sables と呼ばれる海水浴場に適
した砂浜がある。これに対して、南側は外洋に面した断崖でその名も Côte Sauvage である。
ヴォーバンがこの島に目をつけたのは言うまでもなく、イギリ
スや北海からやってくる侵略者に対する防衛を目的として
であるが、これには前史があった。この島は、時には王権
によって迫害された諸侯の逃避先となり、時にはスペインか
らインド、アメリカにかけての交易基地となったが、1658 年にニ
コラ・フゥケが 140 万リィヴルで買い取って対米事業の拠点としよ
うとしたときからおかしくなった。フゥケは 1660 年にアメリカ
諸邦副王 vice-Roi des Amériques の株を買ってこの島に 200 人もの要員を配した矢先、61
年にコルベールの策略にかかって失脚、地位も権益もすべて失った。ルイ 14 世は事実上の軍事収
用とも言うべき直接介入でこの島の要塞化をヴォーバンに検討させた(1683 年)。ヴォーバンは
既存の要塞施設は役に立たず、その改修にも限界があることを報告したが、結局は要塞強
化事業の指揮を取ることになり、ほぼ今日の形状に造営して切手にもその名をとどめるに
至った。この要塞から港を出て行く連絡船を撮った写真を上に掲げた。
【1-1-7 ルドン】 Redon
イ-ル・エ・ヴィレーヌ県 YT-2462
1-1-6
ルドンは、イ-ル・エ・ヴィレーヌ県の南端に位置
する内陸の都市である。歴史上も由緒ある町であるが、ここでは栗と修道院の話だけをし
よう。
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↑ サン・ソヴゥル大修道院 ↓
ルドン↑県の最南端に位置する
↓ ルドンの栗騎士団
自分たちの町を有名にしようという運動はどこ
にでもあるが、名産品の栗で集まろうとしたのが
「ルドン栗騎士団」Confrérie des marrons de Redon である。本名「栗山さ
ん」こと Jean Yves Chatanié 氏ら 3 人が 1983 年に呼びかけたところ、た
ちどころに善良にして暇なる人士(ブルターニュに最も多い人種)が集まった。
誓詞はただ 1 つ、「ルドンの尊き栗のためには何事もいとわぬ」。しかし、
はじめのうちは植林だ、青空市だとやっていたが、それだけではもてあ
ます限りなき時間。現在では、
「ブルターニュ大公領美食騎士団アカデミー」なる
ものを創ってその会長団体に収まり、さらにフランス騎士団評議会にも加盟して海外にも出か
けるまでに至っている(2011 年 2 月現在)。
切手にあるサン・ソォヴゥル大修道院 abbaye de Saint Sauveur は、832 年創建のまことに由緒ある
修道院である。歴史的記念物に指定されていることはもちろんだが、その指定の仕方は少
し訳ありのようだ。まず、修道院付設の教会(一般のミサなどを行う)が 1862 年に、ついで独
立に建てられている鐘楼が 75 年に指定されたのち、修道院施設(一般の立ち入りが出来な
い)が 115 年後の 1990 年に指定された。訳ありといいながらその訳をいまだ知らぬこと申
し訳なし。1-1-7
【1-1-8 ジョスラン城】 Château de Josselin
YT-4281
2008 年にブルターニュのジョスランの城館が
切手を飾った。所在地はモルビアン県であるが、これまでに見てきた海岸の港町とは違って、
ウスト河 Oust に沿った内陸部の静かな町である。その河岸に臨む高台に 3 つの丸い塔を連ね
それを堅固な城壁で繋いだジョスラン城がある。背後にも同一の様式で調えられた塔屋が姿を
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見せて誠に美し
い。この城の起
源は古く、11 世
紀に遡る。
はじめは軍事
上の施設(城塞)
として英仏諸候
間の抗争に巻き
込まれたが、15
世紀以降は城館
部分と内庭部分
が整備されてブ
ルターニュ公一族の居城として用いられた時期もあった。もっともフランス全体がプロテスタントのアンリ 4
世との緊張関係におかれた時代には、フルターニュ公はそれと対峙する立場にあったため、この
城を含めてロアン地方一帯の地域は安定を欠いた。18 世紀以降革命期から帝政期にかけては住
居としても放棄され、牢獄として用いられた時期もあった。修復・復旧がなされたのは、
ベリ大公夫人がロアン公に強くそれを求めたからだとい
われる。以後、ロアン公爵の居城として使用され、その
末裔にあたる当主はブルターニュ地域圏会議長も務めたド
ゴール派の元老院議員ジョスラン・ド・ロアンであるらしい。中
庭に面する城館の入り口は旅行案内では「可愛い!」
という評価であるそうな。写真を添える。近世にはこ
の城で錬金術が盛んに行われた、という説明のほうが
納得しやすい。 1-1-8
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