04.第3章 災害 (PDFファイル:約4.61MB)

第3 章 災害
豪雨災害 平成16年9月28日~29日
多雨地域として全国的に知られる当町において
第3 章 災害
豪雨災害を 乗り越えて
川の氾濫
は、地震・津波と同様に、毎年襲来する台風など
による豪雨災害は、いつ発生してもおかしくあり
ません。
平成 16 年 9 月 29 日発生の豪雨災害は、合併
10 年の範囲外ではありますが、この災害の教訓
から、町民の命を守る、自分の命は自分で守る(自
助)、お互いが助け合う(共助)、町が行う災害発
生に対する事前・事後対策(公助)、これらを連
船津川下流 渡利の堤防を越えたところ
携する体制の構築を学び、将来にわたって実現し
ていくために特集としました。
28 日午後 10 時、海山町(当時)に大雨洪水
警報が発表されました。船津川流域の中里雨量観
秋雨前線と台風 21号
測所における連続雨量は 1,046mm、29 日午前
7 時から 3 時間の雨量は 363mm、60 分最大雨
平成 16 年 9 月、紀伊長島と海山の両町は、合併
量は 154mm という未曽有の雨量(別表:雨量
協議会で新町名を「紀北町」に決めるなど、翌年の
表参照)を記録しました。船津川では、29 日午
合併に向けて着々と準備を進めている頃でした。
前 2 時から午後 4 時頃までの長時間にわたり、
9 月 21 日にグアム島の西南西海上で発生した
警戒水位を超える状態が続き、29 日午前 10 時
台風 21 号は、発達しながら北西に進み、その後
頃には過去最高の水位を記録しました。これに伴
北東に進路を変え、29 日午前 8 時半頃には暴風
い堤防を超える洪水が発生し、船津地区及び相賀
域を伴い九州に上陸しました。台風が九州に近づ
地区などで甚大な浸水被害が発生しました。
いた頃本州付近に停滞していた前線が次第に北
船津川の氾濫に、行き場を失った谷水が加わり
上。また、日本の東の海上には高気圧があり、ゆっ
さらに被害を大きくしました。船津・中新田・新
くり東進していました。高気圧から流れ込む冷た
田・中里地区一帯の 395 世帯中 337 世帯(85%)
く湿った東風と、台風の接近により次第に強まる
が浸水、相賀・本地一帯 926 世帯中 848 世帯
南からの暖かく湿った南東風が合流し、積乱雲が
(92%)が浸水被害に遭いました。一方、銚子川
発生・発達。これらの積乱雲は北上して三重県南
は、警戒水位の 4 mを超え 7.98 mを観測。
部や中部に進み、特に南部では地形と下層寒気の
道路上の冠水は、相賀 2.5m、汐見 1.9m、便
影響で、局地的にさらに発達し猛烈な豪雨をもた
ノ山 2.2m、鷲下 1.8m など背丈を超え住民は命
らしました。
の危険にさらされました。学校や体育館など町内
この台風と秋雨前線の影響で、紀北地方は、記
の 21 カ所に 1,063 人が避難することになりま
録的な豪雨となりました。28 日夕方から、まさ
した。
にバケツをひっくり返したような土砂降りの雨と
紀伊長島においても、河川の氾濫などにより浸
雷がとどろき、就寝後も激しい雨音に何度も目が
水面積は 165.2ha、住家 146 戸が床上浸水し、
覚め、雨に慣れているはずのこの地域の人々も、
事業所・工場 77 戸、公共施設 24 戸も浸水被害
尋常ではないと不安を感じながら一夜を過ごした
を受けました。
のでした。
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紀北町合併10 周年記念誌
紀 北の軌跡
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第3 章 災害
救助活動
人的被害 浸水などの被害が発生する大水害となりました。
スも復旧まで数日間を要しました。
初期は地元の消防団や町職員、各地区の役員、
海山町ではこの災害で 2 人が亡くなり、10 数
特に、中桐地区では、三戸川を越水した濁流が、
町の施設の被害も甚大で、建物だけでなく設備・
住民同士が救出活動を行いました。やがて浸水が
名の方が負傷しました。洪水が夜間であれば人的
若者センターを突き抜け、老人ホーム赤羽寮が冠
備品にまで及びました。
一帯に及び、孤立した地区や取り残された人たち
被害は、もっと増えていたものと想像にかたくあ
水により、孤立する事態となりました。このため、
学校関係では、潮南中・相賀小・船津小・ふな
を救出に向かう人々にも命の危険が伴いました。
りません。29 日午後 3 時頃、相賀の町民センター
町災害対策本部では、老人ホーム赤羽寮の入寮者
つ幼稚園、学校給食センターや教員住宅などが浸
町は、
29 日午前 10 時 30 分自衛隊の派遣を要請、
前の堤防が 83m にわたり決壊し、滞留した水が
91 名と職員 37 名を、冠水していない赤羽中学
水。役場、総合体育館、相賀公民館、中央公民館、
また、紀北消防組合本部から要請を受けた尾鷲海
船津川本流に流れ出し、徐々に水位が減少し、そ
校に一時避難させるとともに、午前 11 時に自衛
多目的広場、木工陶芸工房、学習センター、老人
上保安部の巡視船「すずか」と巡視艇「ささゆり」
の日の午後 11 時 30 分ようやく水防警報が解除
隊に対し、県を通じ災害派遣要請を行い、午後3
福祉センター、老人憩いの家など。また、地区集
が、消防本部・尾鷲消防署員、県職員やゴムボー
されました。
時頃に自衛隊員により入寮者を安全な場所に移送
会所 11 カ所、自主防災倉庫 12 カ所、防災無線
ト、
機材、
毛布などを載せ、いち早く引本港に到着。
し避難させました。下流の出垣内地区でも濁流が
戸別受信機 602 台、役場車両 46 台、消防団車
濁流で白石湖に進めないことから軽トラックで署
堤防を越えました。
両 3 台、排水機場、町営住宅、町道、橋りょう、
員やボートなどを搬送し救助活動を開始。渡利や
河川堤防、公園、種まき権兵衛の里、町営火葬場
汐見・相賀の冠水による孤立者 11 名を救助しま
までもが浸水被害を受けました。
した。また、海山町、自衛隊、県の緊急消防援助
「キャンプ inn 海山」は、オートサイトが護岸
隊、警察などが災害対策本部を設け連携し、救助
とともに 250m にわたって流失、コテージ 7 棟
にあたりました。何より、早い段階で近隣住民が
などが床上浸水して再開までに 3 カ月間を要し、
互いに声掛けをし、助け合い、励ましながら避難
郷土資料館では、貴重な文献や資料が水に浸かり
したことが被害の拡大を防ぎました。
相賀地区 救出活動
ました。
町民センター近く堤防決壊
また、引本から矢口にかけて養殖魚 5 万匹以
赤羽川鉄橋橋脚流出
紀伊長島の被害状況
また、紅ヶ平の上水道施設、赤羽簡水、十須簡
紀伊長島町(当時)では、28 日午後から降り
水が濁流により被災し、水道水の飲用が出来なく
出した雨は、夜半にかけ激しさを増し、午後 10
なり、10 月 3 日まで県内 10 市町から 11 台(延
時には大雨洪水警報が発表され、同時に町災害対
42 台)の給水車の派遣を受け、すべての地域の
策本部が設置されました。この豪雨では、三戸川
水道が復旧したのは 10 月 5 日でした。
上流の連続雨量が 1,180mm、29 日午前 7 時か
バス、鉄道の交通機関はともに 29 日全面運休
ら 時 間 雨 量 100mm を 超 え 3 時 間 に 401mm、
し、特に鉄道は、JR東海の紀勢本線赤羽川鉄
1 時間最大 151mm を観測する猛烈なものでし
橋で午後 1 時 30 分に橋脚 1 基が流失し、10 月
た。このため、三戸地区、江竜地区、大野内地区、
27 日の復旧まで、紀伊長島駅と船津駅間ではバ
下河内地区の山間部では、山腹崩壊や土砂の流出
スによる代行運転が行われました。
上が死滅、養殖関係者に打撃を与えました。
国道 422 号志子地区
による大規模な災害が発生しています。
赤羽川・三戸川の中下流域では 29 日未明には、
赤羽川氾濫・出垣内
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紀北町合併10 周年記念誌
紀 北の軌跡
赤羽川が警戒水位を超え、早朝に十須地区、光雲
海山の被害状況 寺前の赤羽川の堤防が 150m にわたって決壊し、
海山町の浸水面積は、184ha、住宅(専用)
8 時 30 分の出垣内・山居地区への避難勧告に続
の 半 壊 19 戸、 床 上 浸 水 1,531 戸、 床 下 浸 水
き、8 時 40 分には町内全域に避難勧告が出され
105 戸、事業所も 187 戸の床上浸水、6 戸が床
ました。避難勧告発令後も、赤羽川と三戸川の増
下浸水被害を受けました。29 日午前 9 時前に
水は収まらず、堤防の決壊や越水が至る所で発生
4,600 戸が停電、すべて回復したのは 10 月 4
し、中桐、下地、志子、志子奥地区を中心に床上
日でした。電話は、1,140 件が不通、水道やガ
中里 JR 踏切より国道 42 号
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第3 章 災害
現在の海山インター付近
復旧に向けて
急運行を開始。また、漁船などがボランティアで
があり、国道 42 号の代替路として「命の道」で
この災害の教訓を生かして
市民をピストン輸送したり、多くの市民や学生が
ある高速道路の早期完成に対する強い要望が出さ
この災害によって、大切な家族を奪われた家庭
馬越峠を徒歩で越えて救援にかけつけてくれまし
れ、その後、平成 26 年 3 月の尾鷲までの全線
もありますし、住居・家具・衣服・寝具・車両な
た。紀伊長島からも、まだ自分たちの町の水道が
開通に向けた事業進捗に影響を与えたことが推察
どの財産だけでなく、思い出の品や本、家族の写
復旧しない頃から、食料や日用品を届けてくれた
されます。
真、中には家族同様に可愛がっていたペットを
り復旧の手伝いに大勢が海山入りしました。
船津川は、堤防の壊れた箇所の復旧とともに嵩
失った方もいました。それでも、町民は復旧に向
尾鷲海上保安部の巡視船・艇は、警察や消防署
上げ・河床の掘り下げなどを実施し、川が流すこ
け、励まし合いながら明るくたくましく乗り越え
員、電力会社職員、透析患者、ボランティアなど
とのできる水の量を多くしました。往古川合流
てきました。もちろん、たくさんの人に支えられ、
の人員輸送だけでなく救援物資の輸送に尽力さ
点より上流は河川災害関連事業が平成 18 年度を
助けられてのことですが、この地域で何度も繰り
れ、県や県内の市町村からは多くの職員と車が派
もって完了し、下流は平成 26 年度まで河川激甚
返される水害や地震・津波…その度に不屈の精神
遣されました。
災害対策特別緊急事業で整備が進められました。
で乗り越えて来た先祖の DNA が受け継がれて来
10 月 1 日にボランティアセンターを立ち上げ
赤羽川・三戸川においても、災害復旧助成事業な
ているように思われます。
後、登録したボランティアの数は、13 日間で延
どによる河川整備が進められました。
この豪雨災害の経験と、東日本大震災をきっか
べ 5,003 人、要望件数 1,066 件に対応、復興の
けに紀北町では、自治会や自主防災会の防災への
手助けをしてくださいました。また、全国から多
意識が高まり、地区の避難経路の確保や、避難場
くの災害見舞金が寄せられました。
所が見直されました。
家庭から出た災害ゴミ
炊き出し
地区住民が自ら整備した避難路
激甚災害の指定 県は、特に被害が甚大な紀伊長島町・海山町を
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(植村岐穂子、玉津武幸、上野和彦)
ボランティアセンター
被災者の証言
相賀の民家
含む 5 市町村に 9 月 29 日から災害救助法を適
やむをえず廃棄された家財道具、畳、衣類など
用し、10 月 1 日に野呂知事が視察に訪れ、10
の災害ゴミは、海山では宇山と小松原の集積場に
月 4 日には住宅被害が甚大であった両町を含む
合わせて 12,000 トンが集められました。紀伊
4 市町村に、被災者生活再建支援法が適用されま
長島でも赤羽公園と田山に集積場が設置され、災
した。
9時を過ぎるとコミュニティセンター相賀にも浸水が始
害廃棄物の処理が行われました。住民は、水が引
次に、国の対応では、この災害について、平成
まりました。床上膝あたりに達したとき、外に避難して
いた後、家屋に流れ込んだ泥などの除去や片づけ
16 年 11 月 25 日付けで激甚災害として指定す
に追われました。
る政令が公布され、農地等の災害復旧事業等に係
海山町鷲下の国道 42 号が道路崩落により寸断
る補助の特例措置等を適用する国の支援が決定し
され、尾鷲市は、須賀利巡航船の引本経由での緊
ました。また 10 月 6 日国土交通副大臣の視察
紀北町合併10 周年記念誌
紀 北の軌跡
それぞれが必死の行動
トン搬送しました。また、同時に相賀地内での救出も行
相賀地区では、午前8時前から次第に河川水位が上昇
いました。ボートで救出に向かうと、畳3枚重ねにして
し、道路の冠水もみるみるうちに高さを増し始めました。
いた人も含め約 180 人で相賀小学校への避難を開始しま
した。区の役員と共に途中の安全確保のため、相賀小学
校プールまでロープを渡し、つかまりながら移動。プー
ルから校舎までは、住民や釣り客のボートを借りてピス
座り、浮いた畳の上で家の中に取り残された人、天井を
工具で壊して避難しようとした人、自力で屋根の上まで
逃げた人、ウェットスーツを着て老人宅を見回っていた
自主防災会の役員もいました。みんながそれぞれ、必死
になって行動し、人的被害を最小限に留めることができ
たのだと思います。その夜、相賀小学校に避難した人に
は毛布や緊急物資が配られましたが、全員水に濡れてあ
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第3 章 災害
くる日まで濡れた服で過ごしました。
(元消防団員 中野 勝仁 広報みやま)
助け合いの心を実感
避難された方は家から離れ、衣服も濡れたまま夜を
過ごさないといけないという不自由さも感じましたが、
山づたいに避難所へ
人命を守ることを最優先にしました。船津地区で人的被
害がでなかったのは、発生時刻が朝から昼にかけて起っ
H16.9.29 災害 雨量表
観測所名
月:日 時:分
雨量単位mm
旧海山町
旧紀伊長島町
※銚子川 (中里)
※往古川 (出垣内)
※水源地(十須)※青年の家 (三戸)
※発電所
(前柱)※船津川 (便ノ山)※銚子川 (相賀)
時間
累計
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累計
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29 日朝、時間が経つにつれて、水かさが増して来る
たことと、日頃から地域の状況を隣近所で確認し合っ
なか、船津の国道 42 号沿いのガソリンスタンドの敷地
ていたため、あそこは危ないとか、あの家は一人暮ら
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は、次々と入ってくる車で埋まりました。その中に足場
しだとか、体が不自由だとかいう情報をみんなで共有
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を積んだトラックがあり、その作業員4人が素早く足場
できていて、その情報を元に次々にボートやタンカで
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を組み、屋上に上れるようにしてくれました。屋上には
救助に行くことができたからです。消防団、区や自主
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店のテント2基を張りました。50 mほど離れたカーブ
防災会の役員以外に若い人々が自主的に集まってくれ
にバスが立ち往生していたので、身体にロープを巻き、
て、活躍してくれたことが大きかった。災害から日が
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腰まであった水の中をバスに向かいました。乗客6人
経つにつれ少しずつ落ち着きをみせてきましたが、こ
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に「とにかく逃げましょう」と言いましたが、自力では
うなるまでには、本当にたくさんのボランティアの人
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歩けそうになく、背中におぶって、ロープを引っ張って
達が地区に入ってくれて、独居老人の家など、人手が
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もらい、つかまりながら、みんなで6往復して助けまし
足りないところに来て泥だらけになりながら助けてく
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た。車から必死で逃げてくる人もいました。道路は、す
れたおかげだと思います。本当にありがたかったです。
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でに川のようで、すぐ前の施設の職員が逃げ遅れ、助け
助け合いの心を実感させられた災害でした。今後も復
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を求めています。今度も身体にロープを結んで助けに向
旧までに色々な問題もでてくるかと思いますが、地区
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かいましたが、国道のあたりで製材所から流れてきた角
の人と協力し合いながら、やっていきたいと思います。
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きて、船津、中里、上里の各地区が分断され孤立状態になっ
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てしまいました。各地区ごとに状況を判断や避難場所を検
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討し、水かさの増加に伴い、より安全な場所へ避難場所を
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移しました。住民の避難誘導は、ボートを使いながら行い、
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域の人達が協力して救助活動を助けてくれました。こうい
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う地域の人達の協力があり、被害を最小限にとどめること
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ができたのだと思います。人的被害が最小限に留まったの
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は、発生時刻が朝だということです。夜に発生していたら
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※ 741
1046
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1180
材がロープにからみ、身体が水の中へ沈んでしまいまし
9:29
(元船津区長 山口 毅 広報みやま)
た。その様子を見ていた人たちがロープを引っ張ってく
れ、ロープが角材からはずれたので命拾いしました。風
雨が強まりテントが飛ばされ、50 人ほどを山づたいに
消防団活動を通して
避難させることに。船津の畦地さんが山を歩く自信のな
朝7時過ぎ、海山消防署から消防団員召集の連絡が入っ
い人を、近所の民家の 2 階に誘導してくれました。船津
小学校体育館には大勢避難していました。服が濡れた人
も多く、区長さんたちと話し合い、ストーブと食料の確
保が必要。ストーブは寺近くの被害のなかった方が快く
貸してくれました。また食料は、ガソリンスタンドに避
難してきたサークルKの運転手の方が会社に了承を取り
付け、若者に手伝ってもらいボートで避難所に運びまし
た。全員に配っても翌日分まであったので助かりました。
また、照明用の発電機も必要でした。区長さんたちと区
民の方の点呼をしたら、安否不明の家族がいたので、家
に見に行くとベッドごと水に浮いていました。息子さん
もどうすることもできず柱につかまり救助を待っていた
のです。すぐに消防団と一緒にボートで助けに向かい、
無事救助しました。その晩、山津波の心配から全員がリ
サイクルセンターに移動しました。その日を振り返って
みると、自分一人では無理でしたが、従業員や仲間がい
たから助けられたと思います。とにかく助けたい一心で
した。困った時は、お互い様だと思いました。
(紀伊長島区 東 剛久 聞き取り)
た。各地区を行き来するうちに中里往古橋の水量が増して
午後6時半頃までには誘導を終えました。夜は恐れていた
ような雨が降ることもなく午後 11 時半に水防警報が解除
になりました。停電状態のため、大半は対策本部から運ば
れた毛布に包まりながら避難所で一夜を明かしました。消
防団員として住民の救助に努めましたが、その活動中、地
どうなっていたでしょうか。きっと、平屋の一人暮らしの
老人などが多数、被災していたことでしょう。この豪雨を
通して今後は、夜間に発生した被害に対する対応が必要だ
と強く感じました。
(消防団員 柴田 剛志 広報みやま)
9:30
総雨量
最大時間雨量
最大発生時刻
777
129
8:10
※ 851
138
8:00
127
8:10
154
8:20
※ 480
65
95
12:40
10:00
※表の *** は、計測不能を表します。数ヶ所の計測地の累計と総雨量は、参考数字となります。
46
時間
紀北町合併10 周年記念誌
紀 北の軌跡
151
9:50
(紀北県民局建設部雨量日報より)
47
第3 章 災害
平成 16 年豪雨災害 経過状況(行政の対応 出動状況等)
月日
時間
海山町(当時)
時間
海山町(当時)
紀伊長島町(当時)
18:47
大雨洪水注意報発表、雷注意報発表。
13:30
赤羽川にかかる JR 鉄橋の橋脚一基が倒壊 銚子川河川警戒水位を越える。
13:45
紀伊長島幹部交番前~国道 42 号 冠水のため通行禁止
大雨洪水警報発令、雷注意報
14:00
下地地区 10 名・志子地区 10 名 孤立者救助
災害対策本部設置。
大雨洪水警報発表、災害対策本部設置。
14:35
自衛隊(久居第 33 普通科連隊)44 名到着。
銚子川 水防警報発令。
14:40
尾鷲警察署、海上保安庁に借用し、ゴムボートを海山に搬送。
0:00
大杉谷~海山線通行止め。
14:45
自衛隊 50 名到着
0:15
消防団相賀隊、銚子川の警戒にあたる。
15:15
自衛隊により老人ホーム入居者を移送 90 名
15:23
三戸地区で会社員1名行方不明、自衛隊により捜索開始
23:20
1:10
1:40
赤羽川警戒水域(出垣内) 4.16m
15:25
緊急消防援助隊(四日市・津・伊勢・久居・松阪)20 名到着。
2:10
加田地区の水位が上がってきたためポンプ作動。
15:30
自衛隊活動開始、孤立者の救出作業。
3:00
長島下地線 冠水のため通行禁止
15:40
緊急消防援助隊活動開始。
赤羽川警戒水域(出垣内) 4.55m
16:10
汐見地区、行方不明者 1名 死亡確認。
JR 鉄橋下赤岩道路 冠水のため通行禁止。
17:03
小山浦地区、行方不明者 1名 死亡確認。
3:35
相賀コミュニティセンターに避難所開設。
荷坂峠通行止め。
4:00
6:25
大雨洪水警報、雷、強風、波浪注意報。
6:45
国道 42 号荷坂峠 雨量規制のため通行禁止
6:45
十須地区光雲寺前の堤防決壊。
7:05
東長島公民館 避難所開設
7:42
津住宅床下浸水、便ノ山一部道路冠水、中里海洋ゴ
船
ム付近 20cm ~ 70cm 冠水
8:00
避難勧告(銚子川、船津川流域の全域)この頃から両
河川流域の各地から冠水の情報が入る。
銚子川河川水位、6m16cm、警戒水域を越える。
8:10
便ノ山地区冠水、往古川水位5m。
8:16
相賀横町、道路冠水、車両通行不能。
8:28
上里本郷にて土砂崩れ、国道の車両通行不能。
8:29
中里、旧道往古橋通行止め。
8:35
8:50
8:58
9:00
若者センター・多目的会館 避難所開設。
中里、往古橋付近氾濫、郷土資料館・周辺家屋冠水。
国道 260 号紀伊長島~錦間 雨量規制のため通行禁止。
片上集会所 避難所開設
国道 42 号鷲下峠、路面陥没のため通行止め。
9:30
国道 42 号、鷲下付近で約 40m 土砂崩れ及び道路陥没。
出垣内・山居地区 避難勧告
9:40
銚子川河川水位、7.98m。
町内全域 避難勧告 4,534 世帯 11,096 人
町内避難所 41 か所開設
10:05
便ノ山橋から五味建設 法面崩落事故による通行止め。
上里福祉会館床上浸水、避難者 15 名を上里保育園に移動。
10:30
自衛隊要請
10:35
海上保安部要請
山居 冠水のため通行禁止
三重県緊急消防援助隊要請。
11:00
上里、引本など自主防災会の炊き出し準備。
11:55
12:45
自衛隊救助要請 紀北県民局→自衛隊
若者センターが浸水しているため赤羽中学校に移動
消防本部他9名、海上保安部「ささゆり」で海山町に応援。
12:55
老人ホーム赤羽寮の入寮者を赤羽中学校に避難。
13:00
食料 1,000 食を県に要請
紀北町合併10 周年記念誌
紀 北の軌跡
赤羽川警戒水域(出垣内)
3.16m
18:40
国道 42 号線荷坂峠、通行止め解除。
19:47
避難場所 21 か所、避難者 1,067 人。
20:30
自衛隊第 10 施設大隊(春日井市)到着 活動開始。
国道 42 号線荷坂峠、通行止め解除。
21:00
この頃台風 21 号通過。
22:25
発令中の警報、注意報はすべて解除。
23:30
銚子川水位2m90cm。発令中の水防警報すべて解除。
災害救助法適用
町内全域 避難勧告解除 大雨洪水警報解除
国道 260 号紀伊長島~錦間通行禁止解除
須賀利港相賀停車場線の通行止め解除。
下河内~江竜間 通行禁止解除
17:21
長島下地線 通行禁止解除
7:30
8:00
10/1
(金)
行方不明者 宮川村支所にて無事を確認
海山町災害ボランティアセンター設立。
9:30
自衛隊 帰隊
13:35 三重県野呂知事到着、町内視察。
14:45
臨時救護所、老人福祉センターに開設。
三船中学校授業再開。
10/2
国道 42 号線片側交互通行開通。
15:00
(土)
災害ゴミ回収開始。
10/4
(月)
10/5
(火)
この頃から船津川流域の各地から救助要請が相次ぐ。
10:35
各地で孤立者の救出や、避難者の移動など。
10:40
水道水の濁り確認 飲料禁止の町内放送
18:30
16:00 海山町避難勧告解除。
出垣内・赤羽地区停電
10:30
18:05
9/30 12:00 自衛隊撤収。帰隊する。
(木) 12:30
コミュニティセンターの避難者を相賀小学校に移動させる。
10:01
緊急消防援助隊、救出要請は全て救出完了。
15:00 須賀利巡航船が引本港経由でボランティアの海上輸送始まる。
国道 42 号、海山~尾鷲間通行止め。
10:00
緊急消防援助隊、相賀地区・上里地区で 73 名救出。
6:30
前山地区 土のう要請
9:25
9:50
17:24
17:40
5:45
町内、ほぼ全域停電(最大停電戸数 約 4,600 戸)
集会所浸水のため、船津小学校体育館に再避難させる。
船津豊漁石油の屋根に避難の 50 人裏山に避難させる。
大野内地区 電柱倒壊 中部電力に連絡
下河内~江竜 土砂散乱のため通行禁止
2:20
三重交通バス全面運休。
8:55
出垣内地区孤立者6名 水が引いたため、紀北中に避難
17:20
汐見区道路 30cm 冠水。相賀栄町住宅床下浸水の通報。
7:35
48
月日
21:50
9/28
22:00
(火)
22:20
9/29
(水)
紀伊長島町(当時)
10/6
上里小学校、船津小学校授業再開。
電気、一般電話回線がほぼ回復。
潮南中学校授業再開。
9:00
11:50
10/15
江竜地区を最後に全地区の水道水が飲料可能となる。
7:10
10/7
10/9
江竜(一部)・大野内・三戸地区避難勧告
江竜(一部)・大野内・三戸地区避難勧告解除
相賀小学校授業再開。
災害対策本部 廃止。
16:00
災害対策本部 廃止。
0 〜 10mm 以下 11 〜 30mm 31 〜 50mm 51 〜 100mm 101 〜 150mm 151mm 〜
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