2006年度 マレーシア・ペナン州青年ホームステイ 派遣報告書 目 次 1. 派遣団員紹介〔p.3〕 2. 派遣日程表〔p.4〕 3. 公式訪問先紹介〔p.5〕 z 博物館 z 表敬訪問 z ディスカッション z バティック工房見学 z 植物園 z モスク・中国寺院・ ヒンズー教寺院 z フェアウェルパーティ 4. 各団員訪問場所〔p.11〕 z 幼稚園訪問 z 小学校訪問 z 大学訪問 z 図書館 5. マレーシアのあれこれ〔p.14〕 z 子供に対して z 平和と宗教 z マレーシアの地域性 z 食事 z 交通事情 z ご近所パワー 6. 青木区長訪問〔p.17〕 7. 次回へバトンタッチ!!〔p.18〕 8. 最後に〔p.20〕 2 1.派遣団員紹介 せき 関 のりこ 紀子(左) 三年前にペナンからの留学生をステイ先として受け入れて以来、葛飾区の国際交流事業 に参加しています OL です。ホームステイをした友人の国を実際に体感したいと思い、今回 の派遣に応募いたしました。 今後も葛飾区の国際交流の発展のため、楽しく参加させていただきます! なかむら 中村 か おり 夏織(右) 今回はじめて葛飾区の国際交流事業に参加させていただいた大学生です。こういう事業 が行われていることを今まで全く知らず、たまたま開いた区の広報を見て、大学で学べな いリアルなアジアを発見すべく、応募いたしました。) 今後も、微力ながら、交流事業のお手伝いをできればと思っています。 3 2.派遣日程表 月 日 8月2日(水) ス ケ ジ ュ ー ル 08:00 08:30 10:30 16:40 17:55 18:45 成田国際空港集合 チェックイン 成田空港から空路クアラルンプールへ(MH089 便) クアラルンプール着 クアラルンプールから空路ペナンへ(MH1158 便) ペナン到着後、ホームステイ先へ MAYC メンバーと訪問団によるミーティング ホームステイ 8月3日(木) 10:00 11:30 12:00 13:00 14:00 15:30 マレーシア科学大学内博物館見学 ペナン青年スポーツィレクター 表敬訪問 MAYC ペナン青年とのディスカッション 昼食 バティック工房見学 ペナン市内ツアー (モスク、ヒンズー教寺院、中国寺院、教会 など) ホームステイ 8月4日(金) ホームステイ 8月5日(土) ホームステイ 8月6日(日) ホームステイ 8月7日(月) ホームステイ 20:00 フェアウェル パーティ ホームステイ 8月8日(火) 07:00 08:00 08:55 11:00 19:10 ペナン空港チェックイン ペナン空港から空路クアラルンプールへ(MH1137 便) クアラルンプール着 クアラルンプールから空路 成田へ(MH070 便) 成田空港着 入国手続き終了後、解散 4 3.公式訪問先紹介 博物館 大学内にある博物館に MAYC のメンバー8名と私達2名が見学に行った。マレーシア の伝統である影絵、楽器などが並び南国独特な雰囲気がある一方で、宇宙や 3Dなどの 物理系、パーム(やし)でできる製品の展示、鉄鋼業、林業の展示があった。時間がな いため、さささ…と見て回ったのだが、ゆっくりと楽しんで見られるところだ。気候が 良いため、木の成長がとても早く、それを生かした工業も盛んに行なわれている。体験 コーナーも充実しており、竹でできた知恵の輪に奮闘したり、紙を使ったマジックなど にも目を白黒させて楽しんだ。 〈関〉 ↓影絵 表敬訪問 ペナン島の最大のビルであるコムターの、高層階の一室にある会議室で待機する。 博物館を見終えてからすぐに来たので、この部屋でディスカッションが行なわれると はつゆ知らず、部屋に入ってきた人たちに名刺を渡し、しばし歓談をしていた。 一時間ほどすると別室に呼ばれペナンの Youth & Sports Director と対面。自己紹介 から始まりなぜペナンに来たか、何を学んで帰りたいかなどを話す。訪問団が二人とい う少人数のせいか、用意しいていた挨拶をすることや堅苦しい雰囲気はなく、冗談を交 えながらペナンでの生活や国技のセパタクローなどを教えて下さった。 5 ディスカッション 30 分ほどの表敬訪問ののち、先ほど控え室だと思っていた会議室に戻ってくる。「で はこれから 30 分ほどでディスカッションをしましょう」と司会の方。ええっ?もっと 違うかたちでのディスカッションを想像していた。待っていてくれた 20 名ほどの人が 2 つに分かれ、私達も二つに分かれ、各グループには特に司会もなく、おのおのの聞き たいことを聞くというフランクな形式。目の前にいる普段会わない国の人間に、皆興味 津々の様子で質問をしてきてくれた。お年頃が多いグループだったので、マレーシア男 性と日本男性の結婚生活での家庭の役割について盛り上がった。男性をたてる文化は、 マレーシアも日本も似通っているように思った。 そして、話題は日本人の正装に。着物を着る機会が一年のうちにわずかしかなく、着 物を自分で着られない人、持っていない人もたくさんいるというとみんなびっくり!マ レーシアの民族衣装は、日本の着物と比べると簡単だもんね…とは思いつつ。話が盛り 上がったところで終了時間!短いっ! そしてその場に用意していただいた昼食をいただく。バイキング形式で、見るからに 辛そうなおいしそうなおかずがたくさん並んでいる。お皿にしいたご飯の上におかずを 乗せていく「ナシチャンポー」というぶっ掛けご飯がマレーシア流の食べ方。私も全て のおかずをご飯の上に乗せ挑戦!おいしい!!とてもおいしい!!辛いソースに悶絶 している私に皆は爆笑。…しかしみんな食べるスピードがとても速い。〈関〉 ↑ディスカッションのメンバーと ↑ナシチャンポー 6 バティック工房見学 バティックとはインドネシアの染物で、日本ではジャワ更紗として親しまれているも の。 華僑やアラブ人の影響を受け、宗教、文化などの影響も加わり土地毎に様々な文 様のバティックが生まれたとか…。今回私たちが見学したのも、数あるバティックのう ちのマレーシア様式といったところだろうか。 ディスカッションの会場から車で数十分、木造平屋の、昔ながらの作業場に到着。入 口付近には、すでに完成したバティックが広げて干してあり、その色合いの美しさに息 を呑んだ。日本ではあまりお目にかからないような、鮮やかな色が沢山使われているの に、染付けの終わった布は、不思議と色がうるさくない。 工房の奥では染付けと下絵書きをみることができた。この下絵書きがまたすごい!バ ティックはろうけつ染めといって、蝋で下絵を描いて色がにじむのを防いで染めていく が、二畳ほどの大きさの布に、醤油さしほどの容器に溶かしいれた蝋で、何の図案も見 ずに植物のモチーフをかいていく。絵柄は、全部職人さんのオリジナルだそうだ。染付 けもまた職人技で、最初に濃い染料を布にのせて、あとは水加減でうまい具合に色をの ばしていく。なんと、色の混合まで布の上でやってしまう!大量生産の機械にはできな い業だ。 そんなバティック布は、シャツや巻きスカート、小物や、額縁入りの絵画にまで加工 されて売られていた。私たちが見ていると、店員さんが流暢な日本語で商品の説明をし てくれた。日本人はどこにでも出没するのだと実感・・・。 〈中村〉 ↓魔法のような職人技 7 植物園 バティック工房見学後、車で少し行くと、植物園が。植物園といっても、フェンスで 温室のように囲まれた場所はほんの一部だけ。その中には、南国の花々の鉢が所狭しと 並べられていた。とにかく狭いので、豪快に水遣りをしていた係りの人に、危うく水を かけられてしまうところだった・・・危ない危ない。 しかし、それ以外はとにかく広い!植物園というより、自然をそのまま切り取ったと いった方が近いかもしれない。その証拠に、園内には、食べ物をもとめてすぐ横の山か ら下りてきたサルがうじゃうじゃ・・・その数も半端ではなかった!しかも人になれて いるから、 「食べ物をくれ∼」という目をして近付いてくる。そんなサルにびくびくし ながらも、広い園内をお散歩。当たり前だが、日本では見ることのできない、南国の珍 しい植物をじっくり観察することができた。 一番印象的だったのは、ボム・ツリー。大きな幹に蔦のようにからまって、手のひら ほどの大きな花をつける食虫植物・・・。名前のとおり、実は爆弾(ボム Bomb)のよ うに大きい!花だけ見るとキレイなのに・・・。 〈中村〉 ↓キレイな花にはなんとやら モスク ・ 中国系寺院 ・ ヒンズー教寺院 昼食の後は、街中に出てマレーシア三大宗教の寺院を巡る。その一角は、チャイナタ ウンとリトルインディアとイスラム教のモスクが隣接していた。まず向かったのはモス ク。私たちはイスラム教徒の方々がお祈りをする場所の手前の通路までしか入ることは できなかったけれど、警備員のおじいさんが、パンフレットをくれたり説明してくれた りと、親切にしてくださった。 8 ちょうどお祈りの時間だったので、MAYC の方々がお祈りをしている間に、私たちは、 バティック工房から一緒に行動してくれていた、中国系マレーシア人の2人と、中国系 寺院へ。お寺といっても、とてもカラフルな外装で、日本人の想像するお寺とは全く違 う。しかし、中にはいると、私たちにもなじみのある雰囲気だ。2人は、祭壇の飾りや、 入口の扉の彫り模様にいたるまで、細かく説明をしてくださった。チャイナタウンを少 し散策するも、マレー服を着た日本人2人は当然不思議な目で見られていた・・・。 近くの花屋さんでは、1日目に空港でかけてもらったレイの製作中!小さな花のつぼ みを、細い糸を使ってもの凄いはやさでつなげていくのもまた職人芸だなぁとしばし見 惚れ、一路、リトルインディアへ。その名のとおり、サリーからCDから食べ物からア クセサリーから、すべてインド!けれど、ここは、チャイナタウンとは少し違って、イ ンド系の人々が住むためというより、観光客用にという意味合いが強いのだとか。 リトルインディアでは、ヒンズー教寺院を見学。ヒンズー教寺院の外装には、必ず象 か牛がいる。内装も鮮やかで、ぐるりと回廊のようになっていて、四方に何箇所も祭壇 が設けられていた。 ↑中国的照明 ↑リトルインディア ヒンズー教寺院も中国系マレーシア人の方が案内してくださったが、ここでふと疑問 が・・・。イスラム教徒は中国系寺院にせよヒンズー寺院にせよ、他宗教の寺院には足 を踏み入れなかったし、僕らは入れないよといっていらした。中国系の2人も、僕らは 宗教が違うからねといって、モスクには足を踏み入れなかった・・・では、ヒンズー教 寺院に中国系の方が入ることには問題はなかったのだろうか・・・?謎が残った〈中村〉 9 フェアウェルパーティー 最終日の夜 8:50 ころから始まったパーティー。実は、少し遅れて始まったのだが、 2 日目以来久々に会った二人で浴衣を着たり、最終打ち合わせをしたりと時間があった のは逆に助かった。50 名ほど集まった会場の壁に沿うようにいすが並べられ、パーテ ィーが始まった。MAYCの会長アウザイさんからの挨拶に続いて私たちの挨拶。緊張 のあまり、内容を覚えていない…! 続いてペナンの民族舞踊。明るい音楽と踊りを観つつ、しばし美味しいごちそうを前 に歓談。次に私が茶道を披露。道具がそろっていないため、一部しかできなかったが、 みな静まり返って見てくれた。飲みたい人を募ってみたが、怖いものを目の当たりにす るように、誰も名乗り出ない。ホストファーザーを指名して飲んでもらったのだが、パ パはとても苦しそうな顔をしながらでも飲み干してくれた!ありがとう!しかし、よっ ぽどだったのか、パーティーが終わって家でもお茶を点てたが、パパは二度と口にしよ うとしなかった!(笑) 用意していったゲーム「フルーツバスケット」を男女分けてやった。最初は恥ずかし がっていた女性陣も、中盤からとても盛り上がり、最後は汗をかきながらやってくれた。 時間にして2時間ととても短い時間で話ができた人は限りがあったが、集まってくだ さった方々に心から感謝いたします。 〈関〉 ↑民族舞踊。最後は私たちも参加いたしました 10 4.各団員訪問場所 幼稚園訪問 本当にありがたいことに、今回は個人的なツアーでは訪問できないところも訪問させ ていただけた。マレーシアでは 6 歳児のみが国立の幼稚園に通い、4、5 歳は私立の保 育園に通うという。小学生になると宗教ごとに分かれている学校へ通う家庭も多くあり、 町にはイスラム教徒の小学校、中華系の小学校、ヒンドゥー教徒の小学校、そして多宗 教の小学校とたくさんある。色の使い方や、建て方などの見た目にも、その違いは遠く からでもわかりやすい。私はステイ先の近所の幼稚園を訪問させていただいた。ちょう ど私が着いた時にはおやつの時間が終わり、隣の部屋で歯磨きを始めようという時だっ た。知らない大人に対しては、警戒心よりも好奇心のほうが強く、壁に隠れながらも順 番で私の姿を見にきていた。子どもたちはとても純情無垢で礼儀も正しい。手の甲へキ スまでしてくれた!慣れない経験だっただけに、ちょっぴりドキドキ。 日本から持っていった折り紙で飛行機を作り、みんなで飛ばす。はじめは緊張してい た子どもたちも次第になれ、次に作ったパクパクも元気に動かして遊ぶ。(鶴は難しす ぎた!)日本の唄を聞きたいと言ってくれたので、「さくらさくら」を歌う。みんな最 初は一緒に口ずさんでくれたが、中盤からの複雑になってゆくくだりでは困惑の表情を 浮かべていた。折り紙が足りなくなりそうでハラハラしたのと、歌の準備を万全にして おくべきだったと反省。〈関〉 11 小学校訪問 ホストファミリーの娘さんと近所のお嬢さんが通う、イスラム教徒の子女の小学校を 訪問させていただいた。 訪問時は、ちょうど、マレー語とアラビア文字の授業の最中だった。先生が黒板に、 マレー語とアラビア語の両方で同じ言葉を書き、対比させながら学んでいた。 実はこの教室、日本の学校の教室と同じくらいの大きさの教室が二つ分の大きさで、 真ん中は、移動式の掲示板で仕切ってあるだけ。こちら側で授業をしていたと思えば、 しばらくすると同じ先生が反対側の教室にまわって授業をする。一方が授業の時には、 もう一方の教室は少々退屈気味・・・。教室を仕切る掲示板には、イスラム教のお祈り のやり方と、お祈り前の体の清め方を絵で説明したポスターが貼ってあった。体は本来 水で清めるが、水が無い場合の砂を使った清め方も解説されていた。家だけではなく学 校でも教えるのだと少し驚いた。 次の場所に行くために車に乗り込もうとすると、授業中のはずの子ども達がしきりに 私をよんでいる。もう一度写真を撮ってくれとせがまれてしまった。子どもの無邪気さ は万国共通だ。〈中村〉 ↑お祈りの手順 ↑ピース 大学訪問 ペナンの大学の英語の授業と、日本語の授業に参加させていただけた。 まず、英語の授業に参加する。その日はプレゼンテーションの授業で、数名ずつ分かれ たグループごとに発表。女性のグループはセクハラ問題とそれに対する行政の支援、 12 男性のグループは津波の情報伝達方法。まずは英語力レベルの高さに本当に驚いた。 マレーシアには英語を話す人が本当にたくさんいる。それは小学校のころから数学と科 学を英語で勉強するからだという。しかし、母国語であるマレー語の勉強がおろそかに なるので、それも大問題だという。国が変わっても同じ問題があるものだ。 続いて日本語のクラスにお邪魔する。今回参加したクラスは少人数だったが、マレー シアには日系企業や日本人観光客が多いため、日本語学習者数は多いという。私もボラ ンティアの端くれで日本語学習者の手助けをしているので、嬉しく感じた。 写真の学生達はホテル勤務を希望しているはにかみ屋さんたちであった。〈関〉 図書館 いくらホストファザーのザイヌルさんと一緒とはいえ、図書館に行く外国客はなかな かいない・・・ということで、利用者の方も受付の方も、私がいったい何をしに来たの かと興味津々。利用者は、課題のリサーチに来ている学生が多かった。 見たところ、一番多いのはやはり英語の本。基本言語の異なる多民族国家ならではだ ろうか。マレー語の本も目立つが、アラビア語はまばらにしかない。小さな地域図書館 だったが、思いのほか宗教関係の本が多かった。 しかし、ザイヌルさんは隣近所で本の貸し借りをしあっているため、図書館はめった に使用しないそうだ。 〈中村〉 13 5.マレーシアのあれこれ 子どもに対して マレーシアのイスラム教徒は概して子どもに甘い。赤ちゃんが泣いていると必ず誰か が抱きかかえ、抱き癖がつくのでは?と心配になるほど。しかし、しつけはとてもしっ かりしていて家族の愛情をたっぷりと受け、とても感情豊かな子が多い。5 歳、3 歳、6 ヶ月のサイフルさんの子どもたちはとても人懐っこい。私のステイ先には 2 人の未婚の 姉妹がいて、彼女たちも子どもたちの世話をよくする。彼女たちは甥や姪のおかげで子 どもの世話ができるようになったという。そうした環境のすばらしさが胸に熱く響いた。 サイフルさんの子どもたちは、私を「アンティジュプン」と呼ぶ。訳すと「日本のおば さん(!) 」…おばさん?と少しむっとするも、よく考えたらマレーシアはほとんどが 大家族。結婚前の姉妹も一緒にいるのだ。ホストシスターたちもおばさんなわけだ。せ めて…と思い「ノリコだよ」というと「アンティジュプン・ノリコ!」…ありゃりゃ。 〈関〉 平和と宗教 ペナンは多宗教の国である。私が見た限り、イスラム教、ヒンドゥー教、中華系仏教、 キリスト教の礼拝堂があった。ひとつの国でさまざまな宗教の人たちが平和に暮らして いる。人々は、どの宗教のお祭りがいつあるか、ということをよく知っている。「今日 は中華系のお祭りがあるから車が込んでいる」とか「先日、日本人が大勢集まり盆踊り をしていた」などの情報がたくさん。 ペナンのイスラム教徒たちは一部の過激派の行動で、イスラム教のイメージが悪くな っていることにとても嘆いていた。パパやママは私にお祈りやコーランを見せてくれた。 本来のイスラム教徒は神様や家族、仲間を心から大切にする平和主義者なのだと感じた。 14 しかし、ペナンはとても暑い!日に 5 回するお祈りの前に水を浴び、体を清めるのだ が、ペナンの気候を考えてみても理にかなっている!〈関〉 ↑ヒンズー教寺院 ↑イスラム教モスク ↑中国寺院 マレーシアの地域性 実は、私のホストファミリーのザイヌルさん一家は、ペナン州の隣のケダ州に住んで いらっしゃる。そのため私は、ペナン州のみならず、ケダ州内の要所にも連れて行って いただいた。ペナンは様々な外国企業の工場がひしめく工業地域だが、ケダは、自然豊 かな農業地域。行けども行けども、ひたすらにヤシとゴムの木、そして水田が広がる。 マレーシアに限らず、東南アジア地域は資源の宝庫だが、いまや、ヤシの木から抽出さ れるパーム油は、新たなエネルギーとして世界中の注目を集めており、外国企業からの アプローチがものすごいそうだ。ヤシもさることながら、ケダ州といえばお米。私はお 米の博物館に連れて行っていただいたが、ケダ州は、〈マレーシアのライスボウル〉と 呼ばれる、マレーシアのお米の供給源なのだ。ザイヌルさんは、「ペナンは近代化され てしまっているけれど、ケダには自然も沢山あって、昔のままのマレーシアが残ってい るから、私たちはケダに住んでいるんだよ」とおっしゃっていた。 私が一番驚いたのは、州によって休日が違うこと。ペナンでは土日、ケダでは金土が 週末の休みだ。マレーシアは、13の州と3つの連邦特別自治区によって成立している が、ペナン、マラッカ、サバ、サラワク州以外の州にスルタンがいて、5年ごとに行わ れる会議で国王が選出されるそうだ。スルタンがいる州は必然的にイスラム教徒の割合 が高く、ケダも人口の80%はイスラム教徒だ。金曜日はイスラム教徒にとって一番大 切なお祈りの日であるため、金曜日を休日にしているそうだ。 ザイヌルさん一家は、ザイヌルさんはケダにある工場で働いていて、子供達もケダに ある学校に通っているが、ザイヌルさんの奥さんと妹さんはペナンで働いているため、 家族内で休日がずれるというちょっぴり不思議なことがおこる。 〈中村〉 15 食事 朝市が朝早くから 10 時ころまで各地で開かれている。朝ごはんになる小麦を焼いた パンのようなものから、カレー、野菜、果物の店が軒を連ねている。そこには洋服やア クセサリーなどを売っている店もあり、スーパーマーケットにいく必要がないくらい全 てのものが手に入る。出店している店の件数も、買い物をしている人もとても多い。近 くに住むママのお姉さんにも偶然会った。 また、ペナンには工場がたくさんあり、日夜関係なく働いている人が多いため、レス トランや屋台がたくさんある。そのため、「24 時間食べている地域」といわれている。 「金を稼ぐならクワラルンプールやシンガポールへ、安くておいしいものが食べたけれ ば、ペナンへ来い」といわれるほど安くておいしいレストランが多い。 でも一番おいしいのはママの料理だった!〈関〉 ↑果物の王様ドリアン ↑市場は何でも売っている・・・ 交通事情 ペナンやケダにいて驚いたのは、公共の交通機関が見当たらないこと。聞けば、電車 は通っておらず、バスは通っているけれど、非常に便が悪いとのこと。首都クアラルン プールに行けば電車はあるよとおっしゃっていたが・・・。ザイヌルさんの妹のハフィ ーサは、以前日本に来た時に、電車でどこへでも行けることにいたく感動したそうだ。 そのかわり、車とバイクの普及率がすごい。働きに行く場所が違うので、一家に車は 2∼3台あり、若者からおじいちゃんおばあちゃんまでスクーターを乗りこなす。ヘル メットはつけているけれど、足元はサンダルというスタイルの、2人乗りのバイクをた くさん見かけた。〈中村〉 16 ご近所パワー マレーシアで注目すべきは、隣近所や親戚とのつながりだ。ステイ初日、家に到着し たのは夜遅くだったにもかかわらず、ご近所さんが一緒に出迎えてくれた。ステイの間、 何かとザイヌルさん宅に通ってくれては、私にいろいろと教えてくれた。その方のお宅 にもお邪魔したが、家に行き着くまでの間に、他のお宅にも御呼ばれして、おやつを頂 いたりもした。気付いたらそのご近所さんもザイヌルさんのうちでお昼ご飯を食べてい たりして、大家族のようだった。 なんと、どちらの家も、子供達は学校を休んで、一家総出で私をいろいろなところに 連れて行ってくださった。しかも、行く先々で、友達だの、親戚だのと、どんどん人が 増えていく!みんなが、私一人のために、様々な形でもてなしてくださった。しかし、 あまりに人が入れ替わりたちかわりしたので、全員の顔と名前が一致する前にさよなら をしなくてはならないのが残念だった・・・。 マレーシアには、日本人が忘れつつある人と人とのつながりが生きていた。〈中村〉 6.青木区長訪問 帰国して10日後、青木葛飾区長への報告会を設けていただいきました。 青木区長には大変ご多忙の中、私たちの体験談に耳をお貸しいただきましたこと、心 から感謝いたします。 30 分という短い時間で伝えられることは極めて少なかったのですが、このすばらし いペナンとの交流は、末永く、そしてこれからも太く強く続いてゆくよう心から願って おります。 ↑青木区長と ↑最初は緊張気味でした 17 7.次回にバトンタッチ ★服装 *ステイ先の宗教にもよるが、洋服は五分丈∼七分丈が無難 *短くて肌の露出が多い服は、相手へ失礼であるということもさることながら、自分 自身も気恥ずかしくなる *スニーカーを用意していったが、特にスポーツをしなかったのでほとんどサンダル (ヒール無し)をはいていた。 *表敬訪問ではある程度きちんとした洋服を用意したが、ホストファミリーが用意を してくれた(最後にプレゼントしてくれた) *とにかく歩いたので、スニーカーで行ってよかったが、公式訪問のときに、サンダ ルがなかったのでホストシスターに借りた ★風呂・トイレ *湯船はなくシャワーのみ。お湯を使えるようにしてくれたが、気候がとてもよいの で冷たい水で充分だった *トイレットペーパーを用意してくれていたが、手で洗う方式のトイレはとても快適。 しかし外出先にはトイレットペーパーを用意したほうがよいかも *前回の派遣者のアドバイスから、お風呂用に壁掛けフックを持っていった。洋服が ぬれずに良かった *トイレットペーパーを持参したが、トイレの水圧が、紙を流すほど強くないので、 時々困った。 ★土産 *お土産は洋服などはやめ、和紙でできた小物を中心に持っていった *小さな子ども達に、プラスチックでできた日本刀をあげたらとても喜んでくれた *お母さんといっしょ等の写真がたくさん載っている絵本を持っていったが、イスラ ム教徒のタブーである豚がたくさん載っていたのでそれらをちぎって残りをあげ た。事前に確認しておくべきだった *フェアウェルパーティーでは、飴やおせんべいなどの日本のお菓子を用意していっ た。喜んで食べてくれた。しかし、ひとつずつ包装している物のほうがみんなに渡 しやすかった *宗教上食べられない物をもっと把握してゆくべきだった。インスタントのお味噌汁 を持っていったが、お酒が入っていたため食べられなかった。その他、豚や牛のエ キスなどにも気をつけていくべき *日本茶を持って行ったが、苦味が気になるらしかった 18 ★食べ物・飲み物 *氷などを食べたが、おなかは平気だった。たくさん食べられる胃袋を要・持参 *私たちは問題なかったが、胃薬や整腸剤を持っていくほうが安心だと思う *是非一度、カレーを手で食べてみてほしい ★持ち物 *折り紙は足りなかった。幼稚園訪問も視野に入れて、もっとたくさん持ってゆけば よかった *虫除けスプレーは使わなかったが、持っていったほうがよい *電池式の虫除けは、一晩中かけていた *小さな目覚し時計を持ってゆくべきだった *帰りの荷物が大きくなることを予想して、ボストンバックを持っていった。正解だ った *小さくてもたくさんの人に配れるお土産を…と思い、絵葉書をセットで用意した。 数枚あまった *写真つきの名刺は 60 枚用意したが、少し足りなかった。 *拭くだけでメイクが取れるシートは便利だった *ビニール袋は何かと便利。たくさん持っていってもよい *ゴミ袋とウェットティッシュは多めに持参。重宝する ★その他 *私の関わった人はほとんど英語を話せたが、マレー語をもっと勉強してゆけばよか ったと思う *デジカメはやはり便利。バッテリーをひとつ知人から借りたので、バッテリーは 2 つ、プラス、充電器(変形アダプターも)を持っていったので充電の有無への心配 はなかった *行きたい所、食べたい物を聞いてくれるので下調べや希望を固めておくほうがよい とおもう *名刺は多めに持っていったほうが良い *人によって、発音が異なるので、英語と一口に言っても様々。「旅の指さし会話帳」は 便利だった。 *常に持ち歩ける小さなメモ帳があると気になったことを書き留めておけるのでとても 便利だった *お金は、7日間どこに行くかによって全く違う。私たちは対照的で、一人は最終日ま で全く使う機会が無かったが、一人は初日に両替した一万円では足りなかった。 19 8.最後に ◆マレーシアに出発する直前まで、不安だらけだっ た。初めてのマレーシア、初めてのホームステイ、 そして、単なる観光旅行ではないこと・・・。しか し、いざ行ってみれば、そんな不安は何のその、空 港で MAYC の方々が歓迎してくださったときから、 すっかりマレーシアにはまってしまった。 ◆一週間はあまりにも短かったけれど、文化に触 れ、美味しいものを食べ、マレーシアの日常を垣間 見、何よりも、沢山の心あたたかい人々に出会えた ことは、他では得がたい経験だった。 ◆そこにもあそこにも行った、と、旅行した国や都 市の数を自慢しても、買い物で終わる旅行では記憶 に残らない。期間の長短にかかわらず、ひとつの場 所でじっくりと、その土地を形成している文化や 人々と向き合うことで、一歩成長できるのではない か。今回のステイで、私たちが以前より少しでも成 長できていれば、と思う。 ◆最後に、私たちが無事に、そして楽しく、今回の 派遣事業を終えることができたのは、ひとえに、 様々な人の支えがあったからである。青木区長をは じめとする、葛飾区の派遣事業担当の皆様、MAYC メンバーの皆様、私たちを受け入れてくださったホ ストファミリー、アドバイスをくださった 2004 年 度派遣団員の皆様、そして、この事業を長きにわた って陰ながら支えてくださっている全ての方々に、 心から感謝いたします。 ◆葛飾区とマレーシア・ペナンの交流が末永く続く ことを願って。 2006.11.23 20
© Copyright 2024 Paperzz