OYS001803

論文
異文化伝道における「ローカル化」の一例 ─コンゴブラザビル教会コーラス活動をとおして─
森 洋 明
要旨
コンゴブラザビル教会では、1990 年代に首都を荒廃させた内戦からの復興の途上で、
それまでのコンゴ伝道では見られなかった新たな活動が展開している。その一つが
「コーラス隊」である。日本人布教師が不在の中で、また教会内のあらゆるものが戦
闘の混乱により略奪され無くなってしまった中で、そしてそれでも信仰を続け教会の
復興に思いを寄せた人たちが集う中で、自然発生的に誕生したのがコーラス活動であ
り、今日の教会で活発な活動を展開するコーラス隊へとつながっている。昨今、コン
ゴブラザビル教会のコーラス活動は所属の布教所等にも広がりをみせ、社会的にも
「天理教コーラス隊」として認知されつつある。本稿はこのコンゴのコーラス活動を、
布教伝道における「ローカル化」という視点で検証するものである。コンゴという
日本とは異なる文化圏で、コーラス活動はさまざまな面で伝道の一助となっている。
その成り立ちを追い、教内外に対する役割を検証し、その背景にあるコンゴ社会の宗
教観を浮き彫りにしつつ、天理教の海外伝道におけるローカル化の一例として、コー
ラス活動の姿を明らかにしていくものである。
【キーワード】異文化伝道、コーラス、文化活動、宗教文化、ローカル化
1.はじめに
1960 年9月、二代真柱がコンゴに訪れたことによって始まった天理教のコンゴ伝
道の歴史は、すでに半世紀を超えた。当初から教会長や教会スタッフとして日本から
布教師を派遣し、また現地人の会長が誕生した後も、後方支援のためにコンゴブラザ
ビル出張所を設置し、コンゴブラザビル教会には常に日本人布教師がいた。1989 年
にはその出張所が閉鎖され、コンゴ人による布教伝道が展開されていくようになるが、
日本人が中心となって展開してきた教会の布教伝道体制に大きな変化はなかった。
1999 年、内戦からの教会の復興の中で、コンゴブラザビル教会はコンゴ人の信仰
二世代の人たちによって運営されるようになり、その中でコーラス隊が誕生すること
になる。本稿はこのコーラス隊を伝道における「ローカル化」という視点で捉えてい
くものである。ここでいうローカル化とは、地球規模化というグローバル化に対して
「より限定された地域の社会や文化に合わそうとする動き」と捉えて考えていきたい。
それは丸川仁夫がいう「土着化」(1991 年)という表現に置き換えることもできるだ
─ 29 ─
ろう。
本稿ではまず、コンゴブラザビル教会でコーラス隊が誕生するまでの過程を追い、
現在の活動や教会における役割、またコーラス隊の曲について見ていく。そしてそれ
らの活動の背景にあるコンゴ社会の「宗教文化」やコンゴ人の「精神文化」をとおし
て、コーラス活動というものがコンゴ伝道においてローカル化の一つの現象であるこ
とを明らかにし、その重要性について考えていきたい。
2.コーラス隊結成とその背景
多くのアフリカ諸国と同様にコンゴ共和国も、1990 年代に入って欧米諸国からの
圧力を受け、民主化運動を進めた。しかし、複数政党制を導入することによって、結
果的にはそれまでの一党独裁体制の中で押さえられていた民族の対立感情が浮き彫り
になってしまった。特に首都を二分する形で北部対南部という古くからの対立構造が
(1)
再燃し、政権を巡って数回にわたって内戦が勃発した。反政府軍によって引き起こさ
れた 1998 年 12 月からの武力衝突は、天理教コンゴブラザビル教会がある首都南部の
マケレケレ地区やバコンゴ地区で展開し、教会も甚大な被害を受けた。
戦闘を避けるためにほとんどの住民が首都の郊外に避難した周辺地域では、政府軍
だけでなく敗走する反政府軍による略奪行為が横行した。金目のものはすべて盗まれ
た。教会も例外ではなく、略奪者にとって「戦闘の報酬」を得る格好の場となった。
コンゴでいう「金目のもの」とは、貴金属や家電製品に限らず、衣類や食器、蛍光灯
や水道の蛇口、コンセントや照明のスイッチ、ドアのノブにいたるまであらゆるもの
が含まれる。教会では、鼓笛隊活動の充実とともに補充してきた楽器やユニフォーム
がすべて持ち出されてしまった。ちなみに、首都の北部には略奪物資を売買する闇市
があり、天理教の鼓笛隊で使っていたバスドラムも「商品」となって他教団の音楽隊
に渡ってしまった。
戦闘の終息宣言が出されたのは 1999 年4月のこと。当初は散発的な戦闘も続いて
おり、治安もまだまだ回復したとは言えない状態だったが、それまで立ち入り禁止に
なっていた教会周辺地域への往来が許可されると、信者が一人また一人と教会に戻り
始めた。あらゆる物が略奪された教会で信者たちは途方に暮れたようだが、本部から
の支援があり、そして何よりも教会復興を願う人々の熱い思いが原動力となって、コ
ンゴブラザビル教会の復興への歩みが始まった。そして、そのような中で自然発生的
に始められたのがコーラス活動だった。
天理教のコンゴ伝道では、初期の頃からコーラスのようなことは行われていた。最
初の曲は『天理教青年会会歌』で、教会が建築途中であった当時、コンゴ人信者が建
築現場との行き帰りに隊列を組み、日本語の歌詞のまま声高らかに歌っていた。信者
─ 30 ─
森洋明 異文化伝道における「ローカル化」の一例
たちのその姿に、初代会長である高井猶久
氏は大いに励まされ勇み立ったと記録して
いる。教会設立奉告祭の頃(1966 年)には『ひ
のきしんのうた』や『こかんさまの歌』
『お
うた第一番』などが、公用語のフランス語
(2)
や首都南部をで広く話されているラリ語 に
訳され、夕づとめ後や月次祭の祭典後に歌
われるようになっていった。現在の教会や
布教所でも現地語に訳された『おぢば』や『親神様』、またメロディーがコンゴ人の
音楽感覚に合っているのだろうか『教祖 90 年祭の歌』や『教祖百年祭の歌』が歌い
続けられている。
初めての黒人会長となったノソンガ・アルフォンス4代会長の就任(1975 年)を
機に、コンゴブラザビル出張所が設置され、教会の新たな活動として鼓笛隊が発足し
た。筆者もその指導者としておぢばの曲やコンゴの曲の指導に当たった。出張所が閉
鎖(1989 年)され常駐の日本人がいなくなった後も、内戦で大きな被害を受けるま
では、それまでの歌が歌われ、鼓笛活動も細々とではあったが続けられていた。2000
年 9 月、筆者が内戦の傷跡が首都の街中でも散見できるコンゴに出向いた時、歌声に
よる鼓笛隊の「演奏」で迎えられた。楽器が略奪されていたので、歌うことしかでき
なかったのである。このようなこともコーラスを始めるきっかけとなったのではない
だろうか。
以上のように、今日の教会でのコーラス活動が始められるのには、それまでも教会
でおぢばのさまざまな歌が歌われてきたという歴史、また鼓笛隊の音楽活動、そして
物質的に何もなくなったという状況が重なったという背景が考えられる。さらにそこ
へ常駐の日本人布教師がいないということが加わって、コンゴ人の作詞作曲による新
たな歌の活動が始まったのではないだろうか。最初に歌われたのは、教祖百十年祭に
向けて発布されていた『諭達第一号』という曲で、内容は「諭達をしっかり読もう」
と呼びかけるものだった。作ったのは当時のポトポトジュエ布教所長であり、内戦か
らの教会復興の中心的人物となった現在のコンゴブラザビル教会長であるバゼビバ
カ・ピエールだった。
この歌が教会内外で歌われるようになると、コンゴ人の作詞作曲によるコーラス活
動が活発になり、コーラス隊の結成(2001 年)へとつながっていく。コーラス隊と
しての最初の曲は『Oyasama』で、教祖のひながたがフランス語で簡潔にまとめられ
ている。作ったのはマサンバ・アンドレで、鼓笛隊を通じて教会に出入りしていた教
会専従者であった。ところで、このマサンバ・アンドレや前出のバゼビバカ・ピエー
─ 31 ─
ルは、幼い頃から天理教の教会に出入りしていた人たちで、言い換えるなら、それま
でコンゴには存在しなかった天理教の教会の雰囲気に子どもの頃から慣れ親しんだ人
たちである。つまり彼らは、コンゴ人としてコンゴの文化を持ちつつも、自文化とし
て体得した「TENRIKYO」もあったので、それら二つを融合させ、コーラスという
形で具現化できたのではないだろうか。
3.コーラス隊の主な活動
コーラス隊の主な活動の場は、月次祭等の祭典時や布教所や講社における祭典であ
る。祭典前と祭典後にコーラス隊が歌を歌う。教会月次祭では開始 15 分前にコーラ
スが始まり、それが合図となって信者たちが教会内に集まり出す。合唱の中、会長や
役員が一列になって教会内に入る場面は、雅楽の演奏の中を祭主が入場する日本の教
会の様子に似ているかもしれない。もっとも、月次祭の祭儀式にコーラスは使われて
いない。一方、祭典が終わった後は、コーラス隊の歌声によって、それまでの厳粛な
ムードから一転して教会の雰囲気が「現地化」する感がある。
月次祭以外のさまざまな行事にもコーラス隊は欠かせない。教会で行う葬儀や結婚式、
その他の記念行事などでも、常にコーラス隊の歌が必要とされている。またコーラス
隊は、国や他の宗教が企画する「平和の祈り」などの行事などにも参加する。例えば、
政府が企画する独立記念日(8月 15 日)の公的行事では、公認の宗教によるコーラ
スを含む音楽祭が催され、他宗教のコーラス隊に混ざって天理教コーラス隊もレパー
トリーを披露する。国会議事堂で行われるこのような行事では、大統領をはじめ政府
関係者や各界の国の代表を前に、歌を通じて天理教のメッセージを送る。かつて鼓笛
隊も、国会議事堂という大舞台で演奏する機会を得たが、演奏したおぢばの曲(『親
の守護』や『教祖百年祭の歌』など)にはことばとしてのメッセージはなかった。し
かし、コーラスは現地のことばで歌われており、天理教としてのメッセージを送るこ
とができるのである。
(3)
昨今では、布教所や講社でも独自のコーラス隊が結成されるようになってきた。コー
ラス隊間で歌の交換も行っている。また、
2004 年には教会に子どもたちによるコーラ
(4)
ス隊「EVC」 が結成された。現地語に訳さ
れたおぢばの少年会の曲や、リーダーが作
詞作曲したオリジナル曲を歌い、さらにコ
ンゴ風の振り付けをつけて、日本人布教師
の到着時の歓迎や、少年会のさまざまな行
事に参加している。
─ 32 ─
森洋明 異文化伝道における「ローカル化」の一例
上記以外にも、コーラス隊の歌は信者の日常生活のさまざまな場面で歌われている。
例えば、ひのきしんを行う時やにおいがけに出かける時、あるいは布教所や講社へ教
会から揃って移動する車中で、声を合わせてコーラスの曲を歌う。それは修養科の登
校時や本部の神殿回廊ひのきしんで「みかぐらうた」を唱和する姿に呼応する。また
信者の私的生活空間でも、掃除や洗濯、炊事や子守などの時にもコーラスの歌が歌わ
れることが多い。コーラス隊のリーダーであるシャシャ・ジャンは、「コンゴでは歌
うことがひのきしんでありにおいがけである」ともいう。こうして彼が作った曲はす
でに 50 曲を超えている。
4.コーラス隊の曲
コンゴブラザビル教会コーラス隊のレパートリーのほとんどは、教会役員でもある
シャシャ・ジャンの作詞作曲である。ただ、宗教コーラスはコンゴ社会の文化として
根付いており、また他宗教から改宗した信者が多く、そういう人たちは宗教コーラス
を一つの文化としてすでに体得しているので、自らオリジナル曲を作ろうとする人も
少なくない。曲の中には、他宗教ですでに歌われているメロディーに、歌詞だけを変
えて天理教の曲になったものもある。本来なら「盗作」になるだろうが、社会的には
どちらかといえば寛容に受け入れられているようである。
コーラス隊は、他の宗教のコーラス隊でもそうするように、CD アルバムの制作をお
こない、2005 年に 1 枚目を、2008 年には 2 枚目を出した。2011 年には EVC も独自の
アルバムを完成させた。以下に、教会が出しているコーラス隊の歌集に載っている曲
(5)
に加えて、2枚の CD に収録された教会コーラス隊と EVC の曲のリストを記載する。尚、
(6)
タイトルの日本語訳は、筆者によるフランス語からの「直訳」である。
コーラス曲のリスト
ブラザビル教会コーラス隊
1. YIKU LOMBELE WIZA MFUMU(神様来て下さい)
( DIEU JE VOUS DEMANDE DE VENIR )
2. OYASAMA MAMA YABISO NIONSO(おやさまはみんなの母)
( OYASAMA LA MÈRE DE TOUT LE MONDE )
3. OYASAMA LA FONDATRICE DE TENRIKYO(天理教の教祖、おやさま)
4. MIO MIA TSONEKENE OYASAMA MU OFUDESAKI(おふでさきに書かれたおや
さまの思い)
( CE QUE OYASAMA A ÉCRIT DANS L'OFUDESAKI )
─ 33 ─
5. OYAGAMI TENRI-O-NO-MIKOTO(親神天理王命)
6. ALLONS DANS LA MAISON DE OYAGAMI(親神の家に行こう)
7. LA VOIE TRACÉE PAR OYAGAMI(親神によってつけられた道)
8. YOROZUYO(よろづよ)
9. TU TONDELE OYASAMA(おやさまありがとう)
( MERCI OYASAMA )
10. NIOIGAKE(においがけ)
11. OYAGAMI-SAMA NGE ZEBI SAMU MIA BANTU BA BAKULU(親神様はすべて
の問題を知っている)
( OYGAMAI-SAMA TOI TU CONNAIS LES PROBLÈMES DE TOUS )
12. YA SOLO YO NI OYAGAMI-SAMA(あなたは本当に親神様)
( C'EST VRAI VOUS ÊTES OYAGAMI-SAMA )
13. TA SAMBILENO NGUNG NZAMBI YI WAKANE( 時間だ、おつとめをしよう)
( PRIONS DIEU IL EST DÉJÀ TEMPS )
14. OYAGAMI-SAMA NA YE EPAYI NAYO(親神様、私はあなたのところに来た)
( OYAGAMI-SAMA JE SUIS VENU CHEZ TOI )
15. BOLINGO EZALA OKATI YA BANA TENRIKYO(隣人愛は天理教の子ども、私た
ちとともに)
( L'AMOUR DU PROCHAIN SOIT AVEC NOUS LES ENANTS DE TENRIKYO )
16. OYAGAMI YA KOSUNGA BISO(親神、私たちをたすけに来て下さい)
( OYAGAMI VIENS NOUS AIDER )
17. OYAGAMI-SAMA NGE WA SALA NTSI YA NKAKA(親神様、あなたはこの世の
創造者)
( OYAGAMI-SAMA TU ES LE CRÉATEUR DE CE MONDE )
18. LUMBU KIA KIESE(喜びの日)
( LE JOUR DE LA JOIE )
19. BUNGUIENA MWANA-AKU(私はあなたの子ども)
( JE SUIS VOTRE ENFANT )
20. MU ZINGU KIAMI OYASAMA ( 私の人生の中のおやさま)
( DANS MA VIE OYASAMA )
21. NZILA YA HINAGATA(ひながたのよろこび)
( LA VOIE DE HINAGATA )
22. IZENO BA NKUDZI ZANI(友よこちらへ)
( VENEZ MES AMIS )
─ 34 ─
森洋明 異文化伝道における「ローカル化」の一例
23. NGUMGA ME BULA(時旬がきた)
( IL EST TEMPS )
24. NA KO KUMISA YE(あなたを讃えます)
( JE TE GLORIFIE )
25. MOKELI NA NGA OZALI MALAMU(私の創造者、あなたは素晴らしい)
( MON CRÉATEUR TU ES BIEN )
26. SAMBILA TU SAMBILA(参拝に行こう)
( NOUS ALLONS PRIER )
27. OYAGAMI TU ES LE DIEU D'AMOUR(親神は愛の神)
28. KUDIAMI(友よ)
( MON AMI )
29. BATATA NA BAMAMA, TU SAMBLILA(親に祈ろう)
( LES PARENTS PRIONS )
30. LE 26 JANVIER(1月 26 日)
31. LE TEMPLE DE TSUKIHI(月日のやしろ)
32. MOKELI NA NGAI(私を創造した人)
(CELUI QUI M'A CRÉÉ)
33. OYAGAMI NA KO KUMISA YO(親神、私はあなたを讃えます)
34. LUISENO LUA KOTA MU DIBUNDU DIA TENRIKYO(天理教の私たちのところへ
来ませんか)
35. OYASAMA MODELE(ひながたのおやさま)
EVC(コンゴブラザビル子どもコーラス隊)
1. OUI, IL EST LÀ(そう、彼はいる)
2. QUI EST SEMBLABLE À TOI(誰があなたに似ているか)
3. OUI, NOUS FAISONS(はい、私たちは行います)
4. KIÉSÉ(よろこび)
( LA JOIE )
5. MAMAN OYASAMA(母なるおやさま)
6. SUIVEZ LA DISCIPLINE(教えに添って)
7. LUMBU TIA NSAYI(よろこびの一日)
( UN JOUR DE JOIE )
8. NZEMBO KITOKO(素晴らしい歌)
( BELLE CHANSON )
─ 35 ─
9. HINOKISHIN(ひのきしん)
10. NZAMBÉ O LIKOLO(神はあの上に)
( LE DIEU LÀ HAUT )
11. KUVINGILA VÉ(待たないで)
( N'ATTENDS PLUS )
12. LOUONS LE (彼を讃えよう)
13. SOYONS TOUS ENSEMBLE (みんな一緒に)
14. BUNKUTA PÉLÉ(恐れずに)
( N'AIE PLUS PEUR )
15. NULLE PART AILLEURS(他のどこにも)
16. LE TOUT PUISSANT(自由自在)
17. LA VIE DE JOIE(陽気ぐらし)
18. NGÉ WÉTI LANDA(この道を辿るあなた)
( TOI QUI SUIS CE CHEMIN )
19. NA KOLANDA YÉ(私は辿ります)
( JE VAIS LA SUIVRE )
20. GARDE L'ESPOIR(希望を持て)
21. MA REQUÊTE(私の願い)
22. LES TROIS PROMESSES(3つの約束)
23. BOLINGO(愛)
( L'AMOUR )
5.コーラス隊の役割
天理教のコンゴ伝道の中でコーラス隊が果たす役割について、教内と教外の2つの
側面から考えていきたい。
1)教内的役割
まず、こうしたコーラス隊の曲が、前述のように日常生活のさまざまな場面で歌わ
れているという事実から、コンゴの人たちにとって日常的に教えに触れる役割を担っ
ているということが言えるだろう。教祖のひながたや、心のほこりの教え、あるいは
(7)
おつとめの重要性などを、ラリ語やリンガラ語といった彼らの母語で歌い、さらにそ
のメロディーはコンゴ人による作曲なので、彼らにとって馴染みがあり親しみやすい
ものとなっている。歌うことにより、フランス語の教義書などを介することなく、よ
り直接的にかつ日常的に教えに接することができる。
コンゴの人たちにとって、日本語で歌う「みかぐらうた」では、たとえそこに深い
─ 36 ─
森洋明 異文化伝道における「ローカル化」の一例
親心が込められていても、それを直接的に味わうことはできない。その一方で、コー
ラスではコンゴ人の音楽感性にあった歌を歌い、それを聞くことで教えの一端に触れ
ることができる。見方によってそれは、教祖が当時の人たちが慣れ親しんでいた数え
歌という形式を使ったというひながたに相通じることではないだろうか。
また、コーラス隊はにおいがけにおいても大きな役割を演じている。コンゴでは長い
間、「TENRIKYO」は柔道クラブや空手道場だと思われていたことは否めない事実で
ある。柔道や空手着と同じ形をしたハッピの形に加えて、日本人なら武術ができると
いうコンゴ人が日本人に対して抱くステレオタイプがあったからだろう。そのような
中で、コーラス隊の歌を聞いて「天理教は神様の教えを説く宗教であった」と初めて
分かった人もいる。実際、コーラスの歌に誘われて入信した信者も少なくない。それは、
「みかぐらうた」を耳にして信仰を始めた先人が多かったと言われることと類似して
いる。信者の中には「今は教会にもコーラス隊があるから」と言って、友人を教会へ
誘う人もいる。そこには、彼らのコーラスというものに対する価値観が窺える。もち
ろん、コーラス隊の曲だけでは教えの全体をカバーできないのは明らかであるが、
「教
会に行くことの大切さ」や「人間を創造した元なる親である神との出合い」を題材に
した歌詞も多く、教会に足を運ぶきっかけとなったり、また信仰への誘いとなったり
する。
「里の仙人」と教えられるように、天理教の教えは「だれもが日常生活に具現化す
ることのできる」(『天理教事典』)ものであり、「日常の社会生活の中にあって、しか
もその生活や社会に流されることなく、親神の教えのままに生活する」(『天理教事
典』)ことが求められている。「みかぐらうた」は、そこに意味世界があり、そこに「節」
があるからこそ、おつとめ以外の信仰生活のさまざまな場面でも接することができる。
苦しい時、辛い時に「みかぐらうた」を唱和して救われたという例は数多い。確かに
コンゴでも出産間近の婦人が、十二下りを歌い踊って安産したという例もある。しか
し、その彼女も歌いながらも一つひとつの意味は理解していない。異国の言語で歌う
歌では、その中にちりばめられた親の思いが日常空間に生きてこない恐れがある。そ
のような中で、日常的に歌われるコーラスの曲はその溝を埋め、生活の中で教えに触
れる機会を与える役割を演じていると言えるだろう。
2)対外的役割
コンゴブラザビル教会にコーラス隊が存在するという事実は、おぢばから遠く離れ
た地域での伝道において、また植民地時代からキリスト(特にカトリック)教化され
た宗教文化を持つ社会において、より大きな意義を持つ。なぜなら、教会におけるコー
ラス隊の存在は、コンゴ社会では、宗教として当然「あるべき姿」だと見られている
─ 37 ─
からである。極端な言い方をすれば、コンゴではコーラス隊を持たないような教会は
「宗教」ではないとさえ見なされるのである。
こうした社会的な「常識」があるからこそ、政府などの公的機関が国家行事に宗教
団体を招待したり、さまざまな教団のコーラスグループを一同に集めて平和の祈り
を企画するのである。国の公的行事に天理教のコーラス隊が参加することは、前述
のように宗教としての「TENRIKYO」の存在を社会全体に広めることに貢献してい
る。このような行事はメディアが取り上げることも多く、コンゴ社会全体に大きなに
おいがけができるのである。他の教団が企画するコーラス隊の発表会も数多くあり、
「TENRIKYO」という名前だけでなく、教祖の教えや、さまざまな教えのキーワードを
広く社会に向けて発信することができる。「Hinokishin」や「Poussière mentale(心の
ほこり)」といったキーワードは、多くの人に受け入れられているという。異なる教
団のコーラス隊による「ジョイントコンサート」などもある。教祖百二十年祭がおぢ
ばで執行されていたその当日、コンゴブラザビル教会では、他宗教のコーラス隊や音
楽隊を招いて、コンサートを企画した。
宗教コーラスは、コンゴでは文化活動の側面も持っている。前述のように、コーラ
ス隊による CD の作成は、他の教団でも積極的に行われており、市場や CD ショップ
などでこうした宗教音楽の CD が販売されたり、ラジオやテレビを通じて宗教コーラ
スの音楽が流されたりしている。人気のある曲になると、宗教の違いに関係なく流行
歌のように日常的に歌われることすらある。天理教コーラス隊もより多くの人たちに
歌を知ってもらうように、さまざまな方法を模索しているところである。本部で行わ
れている「お歌」の大合唱も、その歌詞は教祖のことばを別のメロディーで再現して
いるものであり、一つの文化的活動として、コンゴにおけるコーラス隊と比較できる
のではないだろうか。
また、教会のコーラス隊のレパートリーにはフランス語だけでなく、ラリ語やリン
(8)
ガラ語、ムヌクトゥバ語の曲もある。このようにさまざまな言語で歌うということは、
─ 38 ─
森洋明 異文化伝道における「ローカル化」の一例
90 年代の内戦の引き金になったように民族の対立感情が残る社会では特別な意味を
持つ。リンガラ語やラリ語、そして第二の都市ポワントノワールを中心としたムヌク
トゥバ語という言語区分は民族分布と呼応しており、一つの宗教がこれらの言語を使
うということで、民族を越えた宗教であるという証にもつながっている。実際、コン
(9)
ゴではこのような民族を背景とした宗教も存在し、そこには使用言語が重要な役割を
担っている。
天理教のコンゴ伝道の初期は、積極的にラリ語を使っていた。ノソンガ氏がラリ族
出身であったことも影響しているだろう。派遣された日本人布教師もフランス語では
なくラリ語を話すことで、地域社会に溶け込んでいる証になっていた。初期の頃にこ
のラリ語でおぢばの曲が訳されていった。確かにラリ語は、コンゴ社会にあって歴史
(10)
的にも重要な言語の一つではあるが、それはプール県という限られた地域の言語でし
かなく、ラリ族の言語とされている。したがって、それだけを使用しているなら、天
理教がラリ族の宗教と見なされてしまう危険性がある。事実、そのように認識されて
いたところもあった。それを打開したのが、ラリ語ではなくリンガラ語が主流である
地域に開設したポトポト布教所(1968 年~ 1986 年)の存在だった。しかし、その布
教所が閉じられている現在、教会のコーラス隊がリンガラ語で歌い、それを他の宗教
団体の前で、また政府の関係者の前で、さらにはメディアを通じて全国に流すことは、
天理教が一つの民族だけの宗教ではないことを証明するのに一役かっている。
6.コーラス隊の社会背景
コンゴにおける伝道活動でのコーラスの重要性、あるいはコンゴブラザビル教会に
おいてコーラス隊が不可欠であることには、植民地時代からキリスト教化されたコン
ゴ社会の宗教文化が関わっていると思われる。さらに加えて、そのはるか以前から脈々
と続いてきた土着の信仰に依拠したコンゴ人の精神文化も無関係でないだろう。そこ
で、コンゴで布教伝道を展開する他宗教のコーラス隊の様子や、コンゴ社会の宗教性、
またコンゴ人の精神に今も深く根付いている「聖霊信仰」や「呪術信仰」に触れなが
ら、歌うことの重要性について考えていきたい。
まず、キリスト教系の独立教会の一つであるキンバンギスム教会を見ていこう。こ
の宗教は隣国コンゴ民主共和国で生まれたが、コンゴ共和国でも活発な布教伝道活動
を展開し公認宗教の一つでもある。他のアフリカ諸国やヨーロッパ、アメリカなどを
含め世界中で、信者数は 1,700 万人と言われている。最も重要な日曜日のミサでは、
まずコーラスの歌から始まるが、説教や聖書の朗読の合間にも数回にわたってコーラ
スの歌があり、ミサの最後もコーラスで締めくくられる。水曜日と金曜日にもミサが
あるが、同様にコーラスが登場する場面が複数回ある。
─ 39 ─
(11)
同教団の神学者による教義の体系的まとめでは、コーラス隊は音楽隊や劇団と並ん
で文化活動の一つとして位置付けられている。各教会にコーラス隊があるのだが、子
どものコーラス隊や男性コーラス隊、混声コーラス隊など複数が存在する。コーラス
隊は教団が企画する「Nsinsani」と呼ばれるコンテストを兼ねた音楽祭に参加し、コー
ラスの曲でイエス・キリストを讃えつつ、それぞれの歌声を競う。このコンテストは
寄付を集めることも重要な目的としていて、カトリックや天理教のように本部や他国
からの金銭的援助がない教団にとっては、重要な収入源にもなっているようだ。1回
(12)
の開催で数百万 CFA が集まることもあるという。この教団はメディアを通じての伝
道も活発に行っており、キンシャサでは専門チャンネルがあり、近隣諸国に対しても
テレビやラジオを通じて、ミサの様子やコーラスの歌、鼓笛隊や吹奏楽隊の音楽を絶
えず流し続けている。
一方、昨今教会として布教活動を展開し始めたマツワニスムは、アンドレ・マツワ
の没後、彼の黒人自立への思いが宗教へと進化したものだが、ここでもコーラス隊は
教会設立と同時に活動を始めている。他の教団と比較して、コンゴ国内における広が
りはそれほど大きくないが、それでもコーラス隊はカセットや CD を制作し、ミサで
は欠かせない存在となっている。ちなみに、同教団のアンドレ・マツワを讃える曲は、
天理教コーラス隊の最初の曲であった『OYASAMA』とメロディーが同じである。天
理教の曲が他宗教へ流れた一例である。
上記以外に、ラシー・ゼフィラン教会や昨今急速に伸びつつあるペンテコステ系諸
(13)
教会でも、コーラス活動は盛んであるが、コーラス隊の重要性を示す一例として、ミ
サの際のコーラス隊の位置にも関係する。例えば、前出のマツワニスムと同じように、
(14)
ジェンダーによる規定が明確なセレ・チャーチでは、礼拝堂内での男女の席がはっき
りと区分されているが、男女混声の聖歌隊の領域だけは例外となっている。
ところで、コンゴでは植民地時代に広がったキリスト教(カトリック)以前に土着
の信仰があり、人が集まる中で「コーラス」が存在していたという。カトリックが伝
道を開始する以前のことなので記録されているものはないが、タムタムに合わせて歌
と踊りがあったという。それがどのような形態であったかは、今日でもさまざまなイ
ベントに招待されるいわゆる「伝統的ダンスチーム」(火を取り囲んでタムタムに合
わせて激しく踊る)などから想像することができるだろう。また、ガボンやカメルー
(15)
ンとの国境地帯の森に居住する「ピグミー」と呼ばれるコンゴのムブティ族やカメルー
ンのバカ族の音楽も、当時の人たちの歌と踊りと共通するところがあったのではない
だろうか。森に住む彼らは森の精霊との交信に音楽を使うと言われている。即興的な
音楽で、一人が歌えば周りが自然とそれに合わせハーモニーを作っていく。万物創造
の神として崇め、また今日の社会でもその精神文化の支柱として生き続ける「ザンビ・
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森洋明 異文化伝道における「ローカル化」の一例
ンプング」に対して、キリスト教以前はこのような形態で歌っていたのではないだろ
うか。ところが、植民地統治と共にキリスト教が広がっていくと、それまでの土着の
信仰は排除されていき、教会には西洋式の賛美歌(聖歌)がもたらされた。
後藤によれば、賛美歌は「マルチン・ルッターの宗教改革事業は、キリスト教のあ
らゆる面に、新しい生命を与えたが、そのうち、礼拝に会衆一同の賛美歌を加えたこ
とは、なんといっても大きな貢献であった。」と言われるように、礼拝に欠かせない
ものとして捉えられている。また「賛美歌を会衆の手に奪い返し、これによって礼拝
にいっそうの活力と色彩を加え」たと言われるように、信者にとって礼拝には欠かせ
ない重要な役割を担っていた。さらには「民衆はまるで飢えかわいている者に水と食
物を与えられたように、教会で、学校で、工場で、街頭で、家庭で盛んに歌ったのであっ
た」という様子は、今日のコンゴブラザビル教会で、信者がコーラスの曲を日常生活
の中で歌う姿を想起させる。「この賛美歌の凱旋には、カトリック側も悲鳴をあげた」
(16)
とさえ言われている 。
ただ、ヨーロッパからアフリカにもたらされた賛美歌のスタイルは、それ以前のア
フリカの音楽と融合していくことになる。ヘスティングスによれば、「伝統的なアフ
リカの歌唱法のパターンと様々な楽器を使用した、現代アフリカのキリスト教賛美歌
の創作を先導したのは、確かに独立諸教会であった」と言われ、前出のキンバンギス
ムなどの教会がその推進役であった。そしてさらに「ここ十二年ほど、カトリック教
会がたいへん精力的に、これに続いている。」と、カトリックも賛美歌に現地の音楽
(17)
性を積極的に取り入れようとしているようだ 。
実際、筆者が訪れたバコンゴ地区にあるカトリック教会でも、リズムやメロディー
の点ではフランスのカトリック教会で聞いたものより、コンゴブラザビル教会のコー
ラス隊に近いものであった。ヘスティングスはまた、「カトリック教会がたいへんな
情熱をこめてその教会音楽を変容させているのは、おそらく、この十年間にアフリカ
のキリスト教の中で起こった、唯一の最も心励まされることである。」と述べている。
カトリックの「ローカル化」である。それは「土着語による新しい礼拝形式を作り出
す必要性」から生まれてきたものであり、現地の音楽性に合わせることで、神を讃え
る歌がより日常化され、それとともに日常生活という「俗」の空間と、教えの世界と
(18)
いう「聖」の空間がよりリアリティをもって融合するのである 。
ヨーロッパ、特にフランスでは、フランス革命から共和制を確立していく過程で、
政教分離の原則を強烈に推し進め、宗教の徹底的な「個人化」を計ってきた。昨今
フランス社会で問題となっている「スカーフ事件」にもこのような社会背景がある。
1789 年のフランス革命までは、カトリック教会が人の誕生から教育、結婚、死に至
るまで生活のあらゆるところで関わってきたが、革命以降に生まれた共和国精神は宗
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教のそうした権限をことごとく排除していき、宗教の個人化を進めてきたのである。
ところがその一方で、19 世紀以降のアフリカの植民地統治では、公の場で行き場を
失った教会が政府の後押しを受け積極的にアフリカに渡り、「未開民族の文明化」を
旗印に、学校や医療などの活動を通じて布教活動を展開したのである。政教分離の原
則によってフランス本土では切り離された「聖」と「俗」は、植民地統治下のコンゴ
社会では同じ空間にあったのである。実際、植民地時代の学校の多くはカトリック教
会が担っていて、成績優秀者は説教師として選抜され布教伝道に貢献した。
先に挙げたアンドレ・マツワもカトリックの説教師の資格を持っていた。また現在
のコンゴブラザビル教会につながる信者の中にも、カトリックの説教師の資格を持っ
ているものもいる。このように、政教分離がフランスのような形とは異なる社会背景
があるからこそ、現在でも国の公的な行事とそこへの宗教の参画が当然のように受け
入れられるのである。コンゴの初代大統領フロベール・ユールー(Flobert Youlou)が、
元カトリックの司祭でもあったのも決して偶然ではないだろう。
「聖」と「俗」の融合がコンゴ社会で重要になるのには、コンゴ人の土着信仰から
くる精神文化も反映している。「日常生活における霊の妨害の事例は枚挙に暇がない。
(19)
アフリカ人は常に霊的危険性に晒されていると感じているといっても過言ではない 」
と指摘されるように、コンゴ人の日常生活に生じる問題のすべてが、悪霊や呪術の仕
業と判断されるのである。人の死や病気、事故などに限らず、仕事や学業での失敗、
恋人や夫婦間の問題、あるいは親戚や友人、隣人との人間関係で生じるさまざまな問
題に至るまで、日常生活の中で必ず遭遇するようなあらゆる問題を、霊的な仕業や呪
術の結果と見なすのである。そうした社会背景があるからこそ、「俗」という日常空
間の中に「聖なることば」が重要になってくるのである。天理教のコーラス隊が歌う
「心のほこり」の教えや「親神は常に私たちを見ている」といったことばは、「常に霊
的危険性に晒されている」コンゴ人の普段の生活で、まさに「生かされる」と言える
だろう。
6.むすびにかえて:これからの課題
「ローカル化」という視点でコンゴブラザビル教会のコーラス隊を見てきたが、コー
ラス隊の曲の内容が、教えと合致しているかどうかを確認していくことも重要なこと
だと思われる。
たとえば、ポワントノワール布教所の信者によって作詞され、同布教所でよく歌われ
ている『PardonOyagami』(お許し下さい親神様)には以下のようなフレーズがある。
Pardon Oyagami notre père et mère(お許し下さい親神様、私たちの父母よ。)
Nous te supplions, guide nous sur le droit Chemin(お願いします。私たちを正しい道
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森洋明 異文化伝道における「ローカル化」の一例
にお導き下さい。)
Moi, je suis souillé. Vraiment je suis souillé
(私は汚れています。本当に汚れています)
De la poussière mentale, guide moi sur le droit chemin(心のほこりで。私を正しい道
にお導き下さい。)
このような歌詞には、罪を負う人間が神の慈悲にすがる信仰のあり方を見ることが
でき、そこにはキリスト教の影響を受けた信仰姿勢が感じられる。他にも、
Pardonne mes maux faits(私の間違った行いをお許し下さい)
のように、親神の思召に沿いきれない、また心の成人が進まない人間が謝罪し、神の
許しを請う歌もある。
また、中には
Jusqu'au dernier jour(最後の日まで)
という表現もあり、キリスト教の終末思想を想起させる。フランス語だけでなく、リ
ンガラ語やラリ語、またムヌクトゥバ語といった現地語で歌われている曲も多く、歌
詞が本来の教えを反映しているか、確認することがこれからの重要な課題であろう。
また、彼らの歌う時のジェスチャーにも、コンゴの宗教文化の影響が感じられる。コー
ラス隊の人たちが歌いながら目線とともに両手を上に広げている姿は、「祈りは聖霊
とコミュニケーションをとるための重要な手
段とされている。集会で人々は、両手を天に
向けて広げ、畏敬と嘆願の意を示しながら超
(20)
越的存在である聖霊の降臨を求める」 姿と
通じるところがある。一度、ある講社の月次
祭の祭典後、一人の信者がコーラスの歌を歌
いながら失神してしまうのを見た。身体が大
きく揺れ出し、大きく両手を上に広げつつト
ランス状態となったようだ。こうしたことは
他の教団では多く見られる光景だが、トランス状態は聖霊が体内に入ることによって
引き起こされると言われており、天理教の教えとの接点は見つけ難い。
さらに、『yorozuyo』の曲のように、「みかぐらうた」のフランス語訳にコンゴ風の
メロディーをつけて歌う曲もある。確かに、おうたシリーズの『やまさかや』や『お
やさま』などは、同じ原典である「おふでさき」のことばにメロディーをつけて歌っ
ている。しかし、「おふでさき」にはそもそも節がなかったが、「よろづよ」にはすで
に教祖がつけた節がある。このようなことをどうしていくべきか検討しなければなら
ないだろう。
しかし、このようなこれらの課題に関しても、実はこうしたこともコンゴ社会の「宗
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教文化」、あるいはコンゴ人の「精神文化」を反映しているとすれば、それもローカ
ル化の一つの形であると言えないこともないだろう。「何を変えて何を変えてはいけ
ないのか?」「どこまで受け入れられるのか?」コンゴブラザビル教会のコーラス隊
をとおして見る「ローカル化」の裏には、そうした伝道上の新たな基準が求められて
いる。換言すればそれは、天理教の海外伝道の方向性や姿勢が問われているのではな
いだろうか。
註
(1)1回目は 1993 年 12 月で、犠牲者は2千人を越えると言われている。2回目は 1997 年6
月で、外国人が国外退避を開始し、自国民の避難のためフランス軍が投入される。首都のマ
ヤマヤ国際空港の攻防を巡って戦闘が激化、10 月半ばには反政府側が政権を奪回する。
(2)憲法には国語として記載されていないが、 首都の南部を中心に、プール県で広く話され
ている言語。ラリ族の言語であるとされるが、歴史的にはさまざまな方言が混じり合ってで
できたもの。コンゴ伝道のきっかけとなったノソンガ氏もラリ族の出身。
(3)ポトポトジュエ布教所では、独自のレパートリー曲がある。またポワント・ノワール布
教所では、2009 年までは「GAKUNIN」という子どもを中心としたコーラス隊があったが、
所長が交代してからは活動を行っていない。ただ、夕づとめや月次祭の祭典後には参拝者全
員でコーラスを行う。独自の曲も数多い。その他、キンダンバ講社でもコーラス隊が組織され、
2006 年の教会設立 40 周年の際に歌を披露した。
(4)EVC:Echo de la Voie Céleste:天の声の響き。
(5)教会では掲載された曲以外にも歌われているものがあるが、正式なレパートリーでない
ものもある。また、ポトポトジュエ布教所やポワントノワール布教所でも独自の曲がある。
(6)フランス語で、辞書の定義にならい「DIEU」は「神」とし「FONDATRICE」は「教祖」
と訳した。また、二人称単数の「TU」(フランス語では親しい間柄に使う2人称、また聖書
で神に呼びかける時に使われる人称)は「あなた」と訳した。
(7)憲法で国民語として保障されている言語。主にコンゴの北側全体で話されている。
(8)リンガラ語と同様、憲法で国民語として保障されている言語。キトゥバ語ともいう。主
に第二の都市ポワント・ノワールを中心にして、コンゴ南西全体に共通する言語。
(9)マツワニスム(Matsouanisme)。ラリ族が中心となって広がっていた宗教。『おやさと研
究所年報』第 14 号「アンドレ・マツワの生涯と黒人メシア宗教の誕生」参照。
(10)コンゴは行政区分として 10 県に分かれている。プール県は首都ブラザビルを含んでいる。
(11)Joseph MANGOYO : «LES PRINCIPLAES SOURCES DE LA THEOLOGIE KIMBANGUISTE
ET QUELQUES PRATIQUES BIBLIQUES»
(12)1ユーロは 655.957CFA の固定レート。
(13)1900 年頃にアメリカで始まった聖霊運動からうまれた教団、教派の総称ないし俗称。コ
ンゴでは通称「Réveil」(覚醒)と呼ばれる教会が、昨今コンゴを含む中西部アフリカ地域で
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森洋明 異文化伝道における「ローカル化」の一例
急速に広がっている。
(14)日本語訳は「天上のキリスト教会」。1970 年代のナイジェリアで急成長したペンテコステ
系教会。
(15)「ピグミー」とは特に身長の低い(平均 1.5 メートル未満)特徴を持つ、赤道付近の熱帯
雨林に住む狩猟採集民族のことを意味する。
(16)『伝道の理論と実際』後藤光三、いのちのことば社、1967 年、203 頁。
(17)『アフリカのキリスト教 ひとつの解釈の試み』エイドリアン・ヘイスティングズ、斎藤
忠利訳、教文館 1988 年、86 頁。
(18)『アフリカのキリスト教』87 頁。
(19)『スピリチュアル・アフリカ 多様なる宗教的実践の世界』落合雄彦編著、晃洋書房、
2009 年、204 頁。
(20)『スピリチュアル・アフリカ』89 頁。
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An Example of "Localization" in Cross-Cultural Missionary
Work: Through Chorus Activity at Congo-Brazzaville Church
MORI Yomei
On the road to recovery from the infighting that devastated Congo's capital during the
1990s, Congo-Brazzaville Church is carrying out activities that have not been seen before
in the Congo mission. One of them is the "chorus group." There no longer was any Japanese
missionary and everything at the church was looted amid the confusion of fighting. Under
these circumstances, while some followers continued the faith and congregated in the hope
of restoring the church, the chorus activity arose spontaneously and would later become
the chorus group, an active element of the church's activities today. The chorus activity at
Congo-Brazzaville Church has now been extended to its fellowship and more recognized
socially as "Tenrikyo Chorus Group." This paper looks at the chorus activity in Congo from
the perspective of "localization" in missionary work. In Congo, which is culturally different
from Japan, the chorus activity serves as an aid to missionary work in many respects. This
paper will trace its history, examine its role within and outside of Tenrikyo, and shed light on
Congo's social view of religion operating in the background in order to clarify the nature of the
chorus activity as an example of localization in Tenrikyo's overseas mission.
Keywords: cross-cultural missionary work, chorus, cultural activity,
religious culture, localization
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