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第2章
海外における地域通貨・連帯通貨
~事例編①~
第1章においては「地域通貨」や「連帯通貨」自身が生まれてきた社会的背景、そしてそ
れぞれが果たすことのできる役割などについて述べてきた。そこで、この章及び次章の第
3章では、世界中にいくつもある「地域通貨」や「連帯通貨」を実際の個別事例で紹介し
ていく。なお、表題の通り、この章では海外での事例の紹介、そして続く第3章では日本
におけるその事例の紹介をしている。海外におけるそれらの比較にとどまらず、後述する
日本国内でのそれらの比較も行うことではじめて、これら2つの通貨の持つ、様々な地域
事情に合わせた、その多様な姿を窺い知ることができると考える。
本章の構成およびその内容は次の通り。
まず、この章では全部で3つの項目からなっており、1節では“過去”の「地域通貨」の
紹介、具体的には、地域通貨の始まりといわれる労働証券、その後1929年の世界恐慌を
受けて生まれた地域通貨について紹介する。続いて、2節では、その数、約2,500とも言
われている“現代”の「地域通貨」や「連帯通貨」を紹介する。具体的には、1980年代
を境にそれらが世界各地で生まれ、その中でも多くの人々の支持を得て、一定の規模に達
したものの事例を、誕生した個別的事情をもとにして、システム・現在の広がり・特筆す
べき点に分けて述べていく。そして最後の【参考】で、1・2節で紹介した「地域通貨」
や「連帯通貨」の特性を項目別に見ていく。
− 29 −
第1節
2-1-1
過去の地域通貨・連帯通貨
地域通貨の起こり
現代における地域通貨の原点の一つとして、1830年代前半に設立されたロバート・オーウェン氏によ
る「労働交換券」がある。これは労働時間を基準にした対価の形をとることで、公平な価値の分配を
目指すものであったが、正確な労働時間の計算の困難さ、あるいは商人たちの介入といった不可避の
事態によって、残念ながら失敗に終わってしまった。
2-1-2
大恐慌による地域通貨
地域通貨の考え方は再び人々によって求められることになる。きっかけは、誰もがよく知る、あの1929
年の大恐慌だった。世界中が通貨不足のパニックに陥るなか、欧米の多くのコミュニティが地域経済
の活性化を願って独自の地域通貨を導入したのである。当時の人々、いや、現在の私たちにとっても、
地域通貨は目新しい動きに映るのかもしれない。しかしそれは誤解である。考えてみて欲しい――私
たちが当たり前と思っている、統一された貨幣の歴史は19世紀に入ってようやく始まったのである。
つまり、少し遡れば世界にはたくさんの地域通貨が並存していたのである。
話が反れてしまったが、こうした大恐慌を背景にした1930年代の各地域通貨は、一部の金持ちの貯蓄
(金利生活)を豊かにするためではなく、いわば“循環する交換の手段”として流通させるためのも
のであったため、何らかの工夫が必要であったことは想像するに難しくないだろう。使う、流通させ
る、手元に留まらせない……。つまり人々が退蔵せず、すぐに使いたくなるような“お金”にしなけ
ればならなかったのである。この問題に対して一つの答えをもたらしたのが、シルビオ・ゲゼル氏(独)
であった。彼は「スタンプ貨幣」を考案し、地域通貨を「定期的に一定額を支払って日付付きスタン
プを押さない限り利用ができなくなる貨幣」にすることで、地域通貨の流通速度を上げることを提唱
したのである。言い換えるなら、これは時間が経つにつれてマイナスの利子が発生する減価貨幣であ
るから、人々の退蔵を防ぎ、流通を促進するという本来の目的を達成することができると彼は考えた
のである。
ヴェーラ
さて、そのスタンプ貨幣が実際に使われた例として、まずドイツの「ヴェーラ」が挙げられる。当時
のドイツは、世界大恐慌下で深刻なデフレと貨幣保蔵が引き起こす不況に見舞われ、非常に切迫した
状態にあった。デフレ不況は通貨の不足を特徴として、黙っていてもモノの価値は下落していくのな
ら、貨幣を持つ者は支出を遅らせるほど有利であるため、それがまたデフレを進行させてしまう――
こうした悪循環に対抗するための手段として考え出されたのが、地域通貨「ヴェーラ」だったのであ
る。経済危機のなか、自主的な通貨を使用するヴェーラ交換組合が組織され、地域的な景気回復が図
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られた。推進者はゲゼル理論の支持者であったハンス・ティム氏とヘルムート・レーディガー氏であ
った。2人は1926年、循環が保証された貨幣を試験的に導入する準備に取り掛かり、ちょうどニュー
ヨーク証券取引所のブラック・マンデーによって世界大恐慌が始まったほぼ同じ時期の1929年10月に
は、ドイツのエアフルトでヴェーラ交換組合を設立するに至った。ヴェーラはゲゼル理論に基づいて
紙幣の裏面には12の空欄が印刷されており、各欄に毎月額面の1%に相当する額のスタンプを貼付し
なければ価値が維持できないようになっていた。組合員は、翌月もそれに額面通りの価値を持たせた
いとすると、月末には紙幣の1%に相当するスタンプを交換所で購入して貼付しなければならなかっ
たのである。このスタンプ貨幣のアイデアは狙い通りの成果をもたらした。一般に、消費を喚起する
目的でマイナス金利政策を実施する場合には、家計が貨幣として退蔵(タンス預金)することによっ
てマイナス金利の適用を容易に逃れてしまうことができるため、その実効性はほとんど期待できない
という問題があるが、ヴェーラの場合、発行も流通も限定された通貨であったことから、この仕組み
がうまく作用したのかもしれない。ただし、法定通貨に相対して、さらにマイナスの利子を持つとい
う明らかに不利な条件の地域通貨が機能するためには、地域通貨を流通させることで、地域経済を活
性化していこうという地域住民の間での強いコミットメントとコンセンサスが大前提であったこと
は言うまでもないだろう。取引所では、要請があったり必要がある場合に、ライヒスマルクやその他
の外貨、あるいは受領書や担保提供と引き替えに各地の交換所に対してヴェーラの発行が行われた。
つまり、額面の違う3種類のヴェーラ紙幣が、担保と引き替えに企業や個人に対して必要とされる分
だけ交付されたのである。こうした交換所は、ベルリンをはじめとする各地に設けられ、ライヒスマ
ルクに代わる交換の手段として、賃金の一部として支給されたり、消費財の購入に使用されたりする
など、流通の場を広めていった。このように、恐慌が引き起こした停滞によって循環しなくなったラ
イヒスマルクと併存しながら、ヴェーラは小規模な代替支払手段として浸透していき、経済を活性化
していったのである。
実際の交換組合の規約には、自らを「販売力の低下及び失業を防止するための民間団体であり、その
目的は交換クーポンを発行し、組合員相互の商品及びサービスの交換を促進することにある」と規定
されており、組合員数はわずか2年足らずで1,000社以上を数え、その分布は当時のドイツ帝国のすべ
ての地域に及ぶものへと成長を遂げていた。食料品店・パン屋・酪農場・飲食店・自然食品店・肉屋・
花屋・床屋・手工業品店・家具店・電機店・自転車屋・各種の工房・印刷所・書店及び石炭販売店な
ど、組合員は多様であり、彼らは店の前に「ヴェーラ、使えます」という看板を掛けたのだ。
このヴェーラに触発されて、1930年代の欧州では数多くの取り組みが生まれ、なかにはデンマークの
「JAK」のように、当初農業者の連帯によって独自通貨を発行しながら、国家当局による禁止を招
いて、ゼロ利子の貯蓄貸付組合として生き延び、今日、オルタナティブな銀行の事例として注目され
ているものもある。
ちなみに「ヴェーラ」という名前の由来は、これがインフレやデフレの荒波を乗り越えて持続(ヴァ
ーレン)していけるようにとの願いが込められていたことによるもので、人々のヴェーラにかける思
いがここからも伺えるだろう。
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スタンプ貨幣
その他のスタンプ貨幣が実際に使われた一例としては、1932年からオーストリアのチロル地方のヴェ
ルグルという町で30年あまり流通していた「労働証明書」がある。この労働証明書も、持っていると
毎月1日に額面の100分の1にあたる値段のスタンプをその月の欄に貼らなければならなかったため、
皆が早く使ってしまおうと行動した結果、その流通速度は実に一般貨幣の14倍にも上昇したと言われ
ている。流通速度の上昇は、そのまま経済を刺激する要因となり、さらには、町役場に納められる滞
納税により、自然とヴェルグルの町の財政は潤い、たった1年の間に失業者が4分の1に減ったとい
う功績も残しているのである。こうした点で、当時の地域通貨はその有効性を証明したことから、資
料としても大変意義深いものであるが、その多くは(WIR銀行を除いて)今に続くことはなく、そ
れぞれに消滅の運命を迎えることになった。アメリカで展開された多数の地域通貨も同じく、政府が
あちらこちらで行う大規模な公共工事、つまりニューディール政策を前に姿を消したのである。
オーストリアの労働証明書も例外ではなかった。それは、当時のヴェルグルのウンターグッゲンベル
ガー町長が銀行からの借入金を担保に労働証明書を発行し、それを失業者対策のための公共事業の賃
金として支払うことで、またすでに日用品などの購入を認める商店の存在も手伝って(商店も労働証
明書で税金を納めたりするなど)、しっかりとした循環ができ始めていた折のことだった。他地域か
らの見学者も少なからず訪れるようになっていたこの地域を、オーストリアの国立銀行が貨幣発行の
独占権への侵害だとして訴訟を起こしたのである。簡単なことであるが、いずれのケースにおいても、
地域通貨が姿を消すことになったきっかけは、国による貨幣管理や経済統制、基礎的な法的要件の欠
如、あるいは危機から脱出するにつれてその重要性が失われてきたりすることであったが、労働証明
書も同じく、こうして終わりを迎えたのである。
しかし近年、また息を吹き返しつつある地域通貨の存在意味がこの頃のものと少し様子を異にするの
は、それが経済の国家による計画化、あるいは統制化へと向かう時代なのではなく、むしろ市場の普
遍化や自由化が向かっているグローバル化の時代であるという背景を持つことに関連していると言
っても良いだろう。これについては第2節に詳細を述べるとして、次にWIR銀行について見ていき
たい。
WIR銀行
繰り返すが、1929年のニューヨーク株式市場のクラッシュは、小手先の諸対策を跳ね除けて、世界的
な景気後退の連鎖を引き起こしていった。スイスにおいても同様、信用は壊滅的状態で、経済を回復
させる信頼は全般的に欠け、経済の動力である流通する貨幣量は急激に減少していった。失業者は10
人に1人の割合にまで上昇し、中規模の商工業は厳しい事態に遭遇した。当時のスイスには現在ある
ような国の社会諸制度などはほとんどなく、勤労者は経済の破産状態と貧困に苦しめられた。小企業
の破産と減少はかつてない数字に達し、1934年の終わりには、その危機は頂点に達していたのである。
そのようななかで、1934年10月16日に生活協同組合の輪であるWIRがチューリッヒで設立された。
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その頃、各国で不況対策として導入されていた地域通貨システムを参考に(ヴァーナー・ツィマーマ
ン氏とポール・エンツ氏が「ゲゼル理論」や北欧やバルト諸国で行われていた「交換リング」、そし
てデンマークの「J・A・K銀行」を研究)、独自の地域通貨システムを創設したのである。そして
このWIRは、1930年代に始まったものとしては、現在まで存続する唯一のシステムとなる。当初は
WIRも、その(補完通貨の)発行をマスコミや銀行、伝統的なビジネスサークルによって激しく攻
撃されたのであるが、1935年の終わり頃までには、参加者数3,000人を数える驚異的な成長を見せた。
これは、創設者による熱心な取り組みはもちろんのこと、多大な金融上の犠牲にもかかわらずその理
念を守ったことや、何より、中規模事業者がこれを歓迎し、そして好意的な見識を持ってくれたこと
が大きな要因であったと思われる。現在ではWIRは、小規模ビジネス従業者が参加する成熟したス
イスの補完通貨システムとなっており、「資本主義国で、かつ世界最高の生活水準の一つ」でもある
この国の中でさえ、地域通貨は十分意味があるということを証明しているのである。ここでも名前の
由来について述べておくが、WIRとは、ドイツ語で「私たち」を意味するWirと、「ビジネス・サイ
クル」を意味するWirtschaftsringの頭文字から取ったもので、実にシステムそのものを示すような名
前である。
さて、先にも述べたが、WIRにも設立時から現在に至るまでには様々な困難があった。それについ
て、どう対処したかも含め、もう少し詳細を見ておきたい。WIRの設立時の中心は、42,000スイス
フランの資本金を持ち寄った16人の会員であった。本来、協同組合とは法律的には企業であるから、
その組合員の人数は制限されるべきではないだろう。しかし、経済リングWIRの創設者たちは、こ
れに対して「私設協同組合」という名称にすることで新たな組合員の加入を拒否したのだ。理事会は
この制限的手法を正当なものとして運営を続け、WIRの新たな名義人になろうとする者を受け入れ
ようとはしなかった。だが1939年、スイス銀行法に基づいてWIR銀行となったWIRは新聞や経済
団体といった外部からの攻撃と、一部の人間の理解不足、そして最も深刻だと思われる「信用」とい
う領域における一部の人間の力不足によって、かなり厳しい局面を迎えてしまう。そのようななかで、
同年の4月22日にチューリッヒにおいて開催された総会で、画期的な動きが起こされた。新たな会員
の加入が認められたのである。すぐに「参加者のWIR」というスローガンのもと、口座の名義人に
対して協同組合を開放することが表明され、WIRの運動は新たな力によって瞬く間に活気づいてい
った。同じ年の夏が過ぎるまでには、120,000スイスフランの参加資本が集まり、戦争期の混乱のた
めに1945年には600人ほどまで減らしていた参加者数も、1950年から新たな成長を見せ、1960年には
12,567人、1980年には24,227人、そして現在では80,000人以上のビジネス関係者が参加するまでに至
ったのである。これは、多くの人に対して閉鎖的であるのではなく、開放的であることがいかに重要
であるかを物語る重要な前例となった。また中産階級に関連した諸問題にも開かれた姿勢をとり、他
の社会団体との関係に配慮するよう努めるといった開放性もWIRの大きなアピールの一つであっ
た。1960年代には、値引きによるWIR資産の不正取引の横行といった問題が顕著になり、多くの理
事会メンバーを更迭して新たな理事会を置くことで、新たな意識を獲得することも行った。1973年の
春からは積極的な新取引指導が始まり、WIR資産の流動資産との不正取引は違反すれば制裁を受け
るという形で禁止され、実際に不正取引は除去されていったが、WIR資産の不正取引禁止による協
同組合の成功は、組合の存在が危険に導かれることを回避させ、健全な成長に必要な基礎を鍛え上げ
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たためだと言えるだろう。その他にも「新しい協同のイメージ」のもと、印刷物や案内書が近代的な
形で次々と刊行されていったことも、WIRが現在まで続いてきた重要な要素だと思われる。
さて、60年以上過ぎた現在でもなお成長し続けているWIRの制度について、その仕組みに触れてお
こうと思う。まずWIRの発行形態は小切手方式で、システムに参加するとスイス全土の加盟企業に
おいてWIRでの取引を行うことができるようになる。システムは、時代によって若干変化はしてお
り、当初は世界恐慌のなかで、中小企業が「スイスフランを使わないでお互いに仕事を助け合って取
引を復活化させよう」という目的で各企業の製品を直接交換する「バーター取引」を行っていたが、
その後1950年代初頭までは事業家だけでなく、労働者や農家なども参加する「交換リング」としても
機能していた。またWIR口座の保有者は、口座にスイスフランで預金すると、その額の5%をWI
Rで受け取って財・サービスを購入するという機能があったが、これも後に相対取引でのみ使用され
ることが確約され、さらに中小企業だけが参加できるシステムへと再編されていったのである(ちな
みにWIRに参加するためには、企業は入会金と年会費、そして各取引に対する手数料を払う必要が
ある。これらの費用はすべてスイスフランで支払われ、現在その年会費は48スイスフラン、手数料は
取引額の0.6%である。それ以外にも他の普通銀行と同額の口座手数料が掛かることになっている)。
WIRシステム参加者がWIRを得るための方法は2つある。一つはWIR参加者の誰かに財・サー
ビスを売ることだ。そしてもう一つはコーディネートセンターからWIRクレジットの融資を受ける
ことである。WIRはメンバーの口座の残高を測定するユニットであり、紙幣は発行されていない。
ただ貸付については、以前はWIRによる貸付のみであったものから、現在はスイスフランによる貸
付も行い、両者を組み合わせた融資も行われている。もちろん、融資利率はスイスフランの場合より
も低く押さえられているが、重要な点として、預金の場合は取引を活発にさせるため、利息が付かな
いことに注意しなければならない。WIRの価値は、スイスフランにペッグ(1WIR=1スイスフラン)
されているが、WIRで購入したりローンを受けたりした場合、すべての支払いはWIRでなされな
ければならない。通常、メンバー企業間の取引は一部を国民通貨で行って、残りをWIRで行うこと
が多く、1回の取引でのWIRの平均使用比率は40~50%である。ここで一つ事例を紹介すると、A
レストランがBスーパーに、1本2フランのビールを100本注文し、請求書が来ると、全額WIRで
支払う時は、3枚綴りのWIR小切手に200(WIR=フラン)と額を記入し、1枚を相手企業に、
1枚をWIR銀行に渡し、残りの1枚を控えに持っておく。そしてWIR銀行は、AレストランのW
IR口座から200WIRを差し引き、Bスーパーの口座に200WIRを加えるということを行うのである。
このWIRシステムの大きな特徴は、WIR会員以外との差別化によって会員の利益を確保するため
に、中産階級に関連した諸問題に開かれた姿勢をとり、さらに大企業はこのシステムに参加すること
ができないなど、中小企業の協同組合的な色彩が強く出ていることではないだろうか。その意味でW
IRシステムは、スイスにおける中小企業経営者のビジネスのうえでの相互扶助組織と言える。また
WIR建てで会員企業が取引している部分は資金の導入コストが掛からないことに加えて、会員の大
きな輪は相互に安定した販路を提供することになっているため、資本家経済が強要する資本導入にお
ける高コストや景気循環などによる犠牲に対して、WIR建て経済が支えとして機能するので、会員
企業は強靱なる耐性を獲得しているのである。
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現在、WIRはスイス全土で流通し、小規模ビジネス従業者80,000人以上(スイス中小企業の20%に
あたる約60,000社)が参加する、成熟したスイスの補完通貨システムとなっている。バーゼルにある
本店のほかにも、ベルン、ローザンヌ、ルセルヌ、サン・ガル、チューリッヒと5つの支店が置かれ
ており、WIRの担う役割の重要さを物語っている。このシステムがスイスフランにも+αのビジネ
スをもたらしており、スイスフランとヴィアが並存することで、お互いにより良い方向へと作用して
いるようである。年間取引高は1973年では1億9,600万スイスフランであったが、1980年代には10億
スイスフランに近づき、60周年にあたる1994年には25億スイスフラン以上になっている。
最後に、WIRの規約の第2条第1項にはこう記されている。「協同組合WIRは商業や家内工業、
サービス提供に従事する諸企業の相互扶助組織である。その目的は参加者を支援することであり、W
IRシステムによって購買力を相互に行使し合うことである。また、この輪の中で購買力を維持し、
そのことで参加者に追加的な事業量を確保することである」と。
第2節
現代の地域通貨・連帯通貨
グローバリゼーション
市場の拡大のみならず、今まで売買されなかった財やサービスの商品化が発展し、市場における自由
の意味が高度化していくということ。そして、金融市場や投資市場のグローバルな拡大に伴い、消費
の自由のみならず、投資の自由が前面に出てきたのである。グローバリゼーションの推進者たちは「資
本の移動が、株式市場を通じて第三世界に投資をもたらす」と言う。しかし今日、世界の投資の90%
が先進国で行われているのが現状である。そしてこの投機投資は、1997年のアジア通貨金融危機に見
られるように、新興市場を一挙に破壊し、大量の貧困層を生み出したのである。つまり、グローバリ
ゼーションは貧困格差を生み出したことになるのだ。
そして、第三世界の現状は、劣悪な労働条件の下で労働者が働かされ、環境破壊が進んでいる。
この結果、グローバリゼーションの時代における貨幣や、信用の問題が浮き彫りになった。 短期国
際資本の流入や銀行による信用膨張はバブルの膨張を生み、実体経済を一時的に拡大するが、資本の
逃避や信用の崩壊は深刻なダメージを与えるのである。
そこで地域通貨は、グローバリゼーションによって破壊されるコミュニティやその内部におけるコミ
ュニティを新たな形で再構築することを目指している。
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2-2-1
現代の地域通貨
1980年代に入ると、地域経済の活性化を目的とし、貨幣の流出を防ぎ、地域内での循環を確立するた
めに、LETSをはじめとした地域通貨が生まれ世界に広がっていった。しかし、1990年代に入ると
地域経済の活性化という目的は共通しているものの、より貨幣経済の枠組みに近づいた地域通貨が生
まれてきた。LETSのように住民同士の取引によって貨幣を発行するのではなく、地域のNPOや
私的な銀行によって発行されている。通帳による財・サービスの交換から紙幣による交換に移り変わ
ることによって企業の参加者が増え、規模が拡大する傾向が見られる。そこでは「もう一つの貨幣経
済」が生まれている。
LETS(Local Exchange Trading System)
現在までのところ、すべてのコミュニティは自国の通貨の流れに依存した存在であると言える。しか
し、当然ながらそのような一般の貨幣は地域の内外へと循環を繰り返すものであるため、もしその地
域の輸出市場が減退したり、あるいは観光客が減少したり、または政府の支出がカットされるような
事態に直面するなら、貨幣の流れはあっという間に一方的な流出を始める。そして、その貨幣循環の
悪化は、限られた貨幣供給の中での競争の難しさを如実に物語り、やがては各人の意に反して職を失
うことも出てくるだろう。その結果、人々は自らの健康を害するような仕事に就くことを余儀なくさ
れたり、環境や地域の福祉レベルさえ低下させてしまう恐れも否定できない状況に陥る。実際、こう
した状況に喘ぐコミュニティは数えきれないほど存在するのだ。
ここに何かしら疑問を持ちはしないだろうか――そもそもコミュニティとは何であるか。そこに住む
住民が主体であるはずだ。それがなぜ、単なる取引の道具、つまり貨幣にその未来を左右されなけれ
ばならないのか。この疑問に対して1983年、カナダのバンクーバー島東岸のコモックス地方である動
きが登場する。それがマイケル・リントン氏の始めた地域通貨「LETS」だ。残念ながらこのコモ
ックスのLETSは調査・発展のためのコストや壊れやすい利用者の信頼問題などのために、1988年
までには事実上の行き詰まりを見せるのであるが、そのシステム事態は世界中に広がっていった。
「人と人との繋がり」をコンセプトに始まったこの地域通貨のシステムは至って簡単なものだ。地域
性・独自性・実用性で定義され、運営はStewardと運営責任者から委任されたRecording
Coordinatorsによって構成されるNPOの中央事務局が中心となって行われる。もちろん、メンバー
同士の自立した取引が尊重されるのであるから、事務局はそれを管理・促進する役割以外には大きな
権限を持ち得ない。会員から受け取る会費で定期的に会報を発行することによって、誰がどのような
財・サービスを提供できるか、また誰がどのような財・サービスを欲しているかを、メンバー全員に
公開する情報提供サービスを担っているだけ、と言っても過言ではないほどだ。つまり、メンバーが
より頻繁にこのシステムを利用するための手助けと、それに伴って発生するリスクへの保険、のよう
な意味合いのものとして考えてもらえば良いだろう。会報の形式はニュースレターであったり、ウェ
ブ上の掲示板で公開されたりと定まった形ではなく、各地域で工夫されている。細かなルールについ
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ては、選出された幹部からなる中核グループによって決定され、そこではこの他にもイベントを調整
したり、あるいはこのシステムのスムーズな運営・発展のために必要な計画を推進したりするなど、
様々な仕事を担っている。参加者は、原則としてそれを利用することを自らで決めた人に限られ、国
民通貨による年会費と地域通貨による月会費を事務局に支払うことで、誰でもアカウントを開設する
ことができる。その時、同時に自分が「提供したい」ことと「提供してほしい」ことの内容のリスト
を事務局に提出すれば完了となる。一般的には、会員は中央事務局から手帳を渡されて、そこに記録
をしていくことが多い。
次に貨幣形態を見てみよう。多くはバーチャル貨幣であり、小切手方式がオーソドックスなもののよ
うだ。電話で事務局に連絡してアカウントに記入してもらったり、最近ではICカードを用いた電子
マネー方式も登場しているようである。いずれにせよ、事務局が管理する口座内での取引バランス(数
字の変化)がすべてであるから、実体を持たず、したがってその価値はメンバー間の相互的な信頼性
によって裏付けられているのである。言い換えるなら、貨幣発行の責任がすべてのメンバー間に分散
されているのである。繰り返しになるが、LETSは参加者の意志によって発生・創造される個別的
なものである、つまり個人の概念が常に要求されているのであるから、第三者がLETSに恣意を働
かせることは不可能であり、LETS自身もそのシステムから外に出ていくことはできないのである。
また国民通貨との換金はなく、利子もつかないが、実用的スタンスを用いたことで、価値尺度は国内
の通貨と同じように判断されるのであるから、コミュニティ内での利益循環を考える際には、従来か
らのメイン経済と一緒にして評価しても良いのである。もう少し細かい部分を言えば、すべての通帳
は当然ゼロから始まって、取引によってプラス・マイナスが記入されていくのであるから、当然マイ
ナスの通帳があるということは、プラスの通帳があるということを意味している。プラスが大きい人
ほどコミュニティに積極的に参加・貢献人とみなされ、逆にマイナスを持つ人は、今後コミュニティ
に対してそれらを約束した人だと考えられるのである。物理的に貨幣が存在するわけではないから、
どれだけマイナスを作っても何のペナルティーも課されるわけではないため「フリーライダー」が現
れることもあるが、LETSは信用で成り立つものであるから、メンバー全員のアカウントを公開す
ることにより、個々人が互いに評価し合って、マイナスの大きい人は今後取引から自然と排除される
可能性も高い。一部ではLETSのマイナスに下限を設定して対処しているところもある。他にも、
プラスが極端に大きい人は財・サービスを享受する機会に恵まれないことが多く、それは反対から言
えばマイナスの人がプラスを作っていく機会を奪われていることにもなる、などの問題もあるが、L
ETSのシステムにおいて大事なことは「自分たちが誰かのためにできる何かによって繋がっていく
こと」である。そしてこの繋がりがコミュニティに対して大いに意味を持つのである。なぜなら地域
通貨は、本当にそのコミュニティに住む人々の間で交わされる「約束」であり、またそのコミュニテ
ィへ人々が参加していく意味を媒介してくれるものであるからだ。付け加えておくが、ロンドンの調
査によれば、LETSのシステムにおいては、最高値と最低値との間の隔たりが一般的な経済におけ
る隔たりよりも小さなものになる傾向が自然に認められるということであるから、先に述べたような
問題はさほど重視すべきものでもない。また地域によっては、ビジネスを目的に取引されたものにつ
いては、課税措置が取られることもあるが、失業者などが得た利益に対しては課税を行わず、社会復
帰のための足場として利用されることもあるようだ。
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さて、先述したリントンであるが、彼は精力的に英語圏でLETSの紹介に努め、各国での普及を促
した。それは1990年頃から功を結び始め、1987年以来、オセアニア地区では200に及ぶコミュニティ
でLETSが採用され、特にイギリスにおいては、1990年代初期に事例が20倍に膨れ上がるなどの飛
躍的な成長も見せた。最近ではLETSはさらに世界各地へと広がって、わが国日本でもようやく実
用化に向けての動きが出てきているところである。
ここではまず、イギリスの例を取り上げてみよう。イギリスにLETSが上陸したのは1985年である。
その頃のイギリスでは、現代の日本を見れば分かるように、核家族化や少子化に伴ってコミュニティ
の解体が進んでいる状況であった。そのようななかで登場したLETSの多くは、その基盤を郊外や
田舎の町に置き、コミュニティ活動家や環境保護主義者による支持を受けて、フレンドリーで便利で
効率的で、かつ簡単で揺るぎないものとして新コミュニティの構築に大きな役割を果たしたのである。
規模は30名~700名とばらつき、小さすぎると需給が上手くいかなくなることが報告されているが、
やはりこうしたシステムでは、参加者数の多さがそのまま財やサービスのバラエティに関わることで
あるから、その意味でも多数の参加が望まれるだろう。ただし、あくまでも皆が積極的に参加しなけ
れば無意味であることは言うまでもない。その点で、イギリスでは自治体が積極的にLETSの可能
性に着目してその育成を図っていることから、全土に500のグループが存在し、およそ50,000人が参
加しているということであるが、なかでもオックスフォードの財的・人的支援が注目を浴びている。
規模の大きいものとしてはマンチェスターの700名という事例もあり、そこではLETS go Manchester
というプロジェクトも行われていて、LETSの普及に努められている。さらにはLETSの全国大
会も開催されて相互支援組織Link UKが設立されるなど、自治体と市民とが一丸となってLETSに参
加していくことで、その力は存分に発揮されてくるだろう。
オーストラリアでは現在150~200ほどのLETSシステムが存在し、1週間に1つのペースでシステ
ムが増えるという話まであるくらいに盛んである。ここでも政府機関が積極的に地域通貨を支援して
いる。例えばブルーマウンテン地域のLETSに対しては、州政府の支援を受けてシステム構築のた
めにオーストラリアドルでの助成が行われているのである。そして、オーストラリアのLETSが少
し特徴的であるのは、サービスの提供だけに限定されているためである。言い換えると、LETSと
オーストラリアドルがきちんと並存し、かつしっかりと使い分けされている点に、その面白みがある
のだ。ここに犬小屋を建てるというサービスがあったとする。その場合、建てることへの対価はLE
TSで支払われるのであるが、そのために掛かる原材料費(木材やペンキなどのコスト)はオースト
ラリアドルで支払われなければならないのである。その貨幣形態はtransaction sheetというものが利
用され、定期的にそのtransaction sheetをコーディネーターに送付してパソコンに入力してもらうこ
とで取引管理がなされているのである。今ではそのためのソフトがあることから、簡単に管理ができ
るという。また年に何度か催しも行われ、そこで参加者同士の交流が深められ、コーディネーターも
参加者の様々な意見に耳を傾ける機会となっている。もう一つ特徴的である点は、地域通貨であるに
もかかわらず、他の地域の地域通貨との交換が可能であるというところだ。こうしたオーストラリア
のLETSも、都会より田舎での流通が主なもののようである。
− 38 −
同じくオセアニア地区のニュージーランドでは、内務省などの公的機関が積極的に支援を行っており、
その額はおよそ14万5,000ニュージーランドドルに及ぶと言われている。規模が大きなオークランド
のLETSでは2,000人が参加して、年間100万グリーンドルにも及ぶ取引があるようだ。南米のアル
ゼンチンでは「交換クラブ」というシステムが非常に盛んに利用されており、経済危機の状況下で、
失業者や困難な生活を強いられる人々にとって、そこで開かれる交換市が大きく生活環境に貢献する
ものとなっている。
このようにLETSのアイデアは世界中で、フランス124地域(セル)、オランダ65地域、イタリア100
地域、その他ドイツ(交換リング)、ベルギー、オーストリア、スイス、スウェーデン、ノルウェー、
デンマーク、アメリカ、ニュージーランドなどで運用されている。ただ、アメリカの「タイムダラー」
やイタリアの「時間銀行」など、時間を単位にした新しい地域通貨システムの流れを汲むものもある。
さらに、ニューヨーク州における紙幣タイプの「イサカアワー」などのように、地域の銀行が受け入
れをしてくれるケースに至るものもあるので、一概にこれらをLETSとは呼べなくなっているのが
現状である。
イサカアワー
a)沿革
イサカアワーはアメリカニューヨーク州イサカの地域通貨である。イサカは人口27,000人ほどの田舎
町で、1990年代初めに起こった不況に対して導入された。イサカアワーはポール・グローバー氏によ
って提案され、イサカアワーを発行することによって地域経済の循環を促し、地域経済を確立するこ
とによって経済循環によって起こる不況や失業の影響を緩和することが目的であった。運営はNPO
団体であるイサカアワー委員会が行い、委員会が紙幣を発行する。委員会は住民によって選出された
評議員から成り立っている。
b)現状
イサカアワーは市の中心部から約20マイル四方でのみ流通している。開始当初(1991年)は40人ほど
の参加者であったが徐々に増えていき、1994年には800人、1998年には1,300人、400以上の地域企業
が参加しており、年間150万ドルの経済効果を生み出している。
c)サービスの仕組み&内容
紙幣発行は以下の時に行われる。
①誰かが新たにメンバーに加わる。
②メンバーがコミュニティに貢献する事業を起こす際のローンを組む。
③教会・学校・病院などのコミュニティ機関に対して寄付する。
④継続的に機関紙に広告宣伝を依頼したメンバーに対するボーナス。
− 39 −
1アワーはイサカ市の平均賃金である10USドルに相当し、紙幣の種類は「Two HOURS’」「One
HOUR’」「Half HOUR’」「Quarter HOUR’」「Eight HOUR’」の5種類からなる。紙幣は偽造防止のた
めに透かしを入れるなど普通の紙幣と極めて似たつくりになっていて、デザインにはイサカの豊かな
自然を象徴する滝や昆虫などが描かれている。
サービス内容はベビーシッターや老人のケア、マッサージ、カウンセリング、診療、弁護士活動、会
計処理、自動車や家の修理などサービス業などのほか、農産物や雑貨の直販、小売店、スーパーマー
ケット、レストラン、映画館、アパートの家賃支払いなど1,000種類を越える。また、Alternative
Federal Credit Unionという銀行ではローンや各種の支払いに使用することもできる。銀行では利用
者から受け取ったイサカアワーを掃除やリサイクルの収集、パソコンのメンテナンスなど、サービス
の対価として地域の事業所に支払っている。支払いに関しては、すべてイサカアワーで支払いのでき
るものやイサカアワーで一定割合まで支払うことのできるものがある。
d)特徴
イサカアワーは地域経済の活性化という目的から、これまで貨幣経済で取引されてきたものをイサカ
アワーの発行により取り扱っているので利子はないものの、貨幣経済に属していると言える。そして、
紙幣という形式上、LETSのように取引当事者が発行するものでなく、イサカアワー委員会が紙幣
を発行するので、通貨価値の下落を防ぐために流通量を管理しなければならない。そのため、上記の
ように紙幣発行には条件が付けられている。しかし、サービス内容にはベビーシッターや老人のケア
などのボランティア経済で扱われているものもいくつか含まれている。
デーマーク ~交換リング~
a)沿革
デーマークは東西統合の影響下にあった東ドイツのハレという街で始まった。ハレは、ドイツのザク
セン・アンハルト州に属する。1991年のベルリンの壁崩壊後、旧東ドイツの地域には新しい経済シス
テムの波が押し寄せ、社会主義の時代から資本主義の時代へと変化した。以前はコミュニティの絆が
強く、物が少なく不自由ではあるが、生活に困ることはなかった。しかし、資本主義の時代への変化
後、人間関係がお金によって左右され、何でも手に入り自由であるが、失業の不安を抱えるようにな
った。社会体制の急激な変化はコミュニティや価値観を崩壊させ、市民は混沌とした状況の中で生活
を送ることとなった。そこで、ドイツ統一の2年後、1992年にこのハレの街でコミュニティを作り直
そうという試みが始まったのである。
東西統一以降、旧西ドイツ地域から旧東ドイツ地域へ莫大な資金投入が行われている。しかし、その
巨大な資金は東側で循環することなく地域経済を根こそぎ奪う形で西側へ流れ出し、同時に人口まで
もどんどん流出し、社会の基盤を揺るがすまでに至っている。こうした経済構造を変えて、地域経済
を自立的な方向へ立て直そうというのが、交換リングを立ち上げた大きな目標の一つでもあった。
− 40 −
デーマークの本部は、ヘルムート・ベッカー牧師が創設したユリング邸という青少年のための職業訓
練や様々な講座を行う福祉施設である。この施設で1991年~1992年、青年向けの経済講座が行われた。
この講座でシルビオ・ゲゼルの自由貨幣やヴェルグルでの実践について学んだことがきっかけで、交
換リング・デーマークは発足した。デーマークの代表であり、創設者でもある牧師のベッカー氏は当
時、ユリング邸を本格的に改装することを考えていた。改装の際にはこの施設を利用している青少年
に改装の協力をしてもらうことになった。そこでベッカー氏は、改装作業と施設の利用料を稼ぐこと
を交換リングという形で結び付けて両立させることを考えたのである。
b)サービス内容
デーマークとは、現金を使わずに通帳上で財やサービスをやり取りする交換リングという種類の地域
通貨である。参加するには、主催者に年会費と通貨発行のための10マルクを払い、主催者から通帳を
発行してもらう。そして、参加者同士で財やサービスを交換し、通帳に会員間の取引を記録していく
というシステムだ。しかし、通帳を発行してもらった時点で、通帳には何も記入されていない。取引
をすることによって通帳にプラスやマイナスの単位が発生する。デーマークにおいては、交換を促進
させることを目的として、口座がプラスの場合、月に1%ずつ年に12%を差し引くシステムを採用し
ている。取引される財やサービスは、修理・建築や改築の手伝い、ベビーシッター、子どもの世話、
カウンセリング、コンピューターの操作指導、車の運転、ガーデニング、家事手伝い、旅行の添乗な
ど多岐に及んでいる。また、ユリング邸のカフェや宿泊施設、街の中心部にある劇場でも入場料の一
部をデーマークで支払えるようになっている。週に1回、会員が集まり交換を行っている「カフェバ
ー・タリア」でもデーマークでドリンクを注文することができる。ここで、ライブを行う音楽バンド
のなかにはギャラをデーマークで受け取り、ユリング邸に宿泊するバンドもあった。
c)現状
デーマークの活動は2000年に停止されている。デーマークの中心人物、ヘルムート・ベッカー氏は1999
年から2年間の間に牧師としての職を失い、いくつかの職を転々とした。それに伴って、デーマーク
の運営からも退くことになったのだ。このデーマークの活動停止の原因としては、ベッカー氏を失っ
たことに加えて、デーマークのメンバーたちの定期的な会合の場となっていたカフェバーのオーナー
が変わったことも挙げられる。ハレの市街地にあるこの店では、そのオーナーが交換リンクの理念に
共感し、デーマークで飲食代を受け取ったり、生演奏バンドのギャラを支払っていた。しかし、オー
ナーが交代したことで、ようやく形作られ始めたデーマークの循環が途絶えることになってしまった
のだ。ベッカー氏によると、ユリング邸の改装において、建築費総額の約10%をデーマークで調達で
きたという。青年施設の改装という大きなプロジェクトを達成したものの、交換リング・デーマーク
はハレにおいて、もう一つの経済圏を確立するまでには至らなかったというのが実情のようだ。また、
当時ハレをはじめとするドイツの交換リングが連携して試みた「リ・ヴィア2000」というプロジェク
トがあった。これは、協賛する企業や商店からクーポン券の形で寄付を募り、各地の交換リングの単
位とクーポン券を交換できるようにして、地域経済の輪を広めようという計画だった。しかし、これ
も思うような成果が得られなかったようだ。以上のことから、ハレのデーマークが収束した原因は、
管理者を失ったこと、事業者の参加も得られなかったこと、自治体の支援もなかったことなど、至る
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ところに見出せる。しかし、何よりも大きかったのは、統一によって一気に流れ込んできたグローバ
ル経済が人々の生活と精神に及ぼした大きな変化だったのかもしれない。
しかし、終わったかに思われたデーマークであったが、自分が今も抱えるプラスなりマイナスなりの
残高を動機にして、元会員たちは、かつて週に1度、デーマークの会合が開かれていたカフェバーに
定期的に集まって交流している。デーマークの交換は、ささやかではあるが現在でも続けられている
のである。
d)特徴
メリットは、自らが提供できるサービスを考えることで、自分でも思ってもいなかった能力を発見で
きることである。また、失業していて現金収入がほとんどなくても、デーマークなら月35時間程度の
サービスを提供することで部屋代と食事が賄えるため、失業者の救済にもつながるのである。
RGT(グローバル交換リング)
a)沿革
かつては南米でも比較的豊かな生活を営んでいたアルゼンチンであるが、この20年の間にその国力を
急速に衰えさせ、極端に活力を奪われるまでに至った原因は、グローバリゼーションの影響によるも
のであった。他の中央南米諸国と同じく、1980年代に経済成長の停滞期を迎えた結果、高い失業率と
大規模な福祉政策の削減を余儀なくされるなど、市民の生活は非常に困難を強いられ、独自の解決策
が模索されるようになった。こうした状況のもとで、生活条件の急激な変化・環境に不安を持ったあ
るグループが、首都ブエノスアイレス郊外の街ベルナルにおいて、PAR(地域自給プログラム)と
いう活動を始めたのである。そしてこれを契機に、1995年5月1日、創立者の一人であるカルロス・
デ・サンソ氏の自宅ガレージに約20人のメンバーが集まり、市民が生き延びるための手段として、ア
ルゼンチン初の交換リングが創設された。これが後にRGTと呼ばれるものとなる。当時は新しくで
きつつあった「ニュープア-」と呼ばれる社会階層がイニシアティブをとり、確実に広がりつつある
社会的疎外を打ち破って、再び市場経済に参加するためのもの(リハビリ的存在)と位置づけられて
いたようであるが、現在ではRGTそのものとして重要な役割を担っているものと考えられる。
b)サービスの仕組み&内容
アカウントの方法は、当初主催者が共通の手帳とカードに取引を記録・管理するというものであった。
だが、参加者の急増から対処が追いつかなくなり、パソコンによる管理も試みられたが、最後には財・
サービスの提供者と被提供者がお互いに氏名を記す「小切手形式」を採用することで落ち着いたよう
である。その後、時間の経過とともに、様々なメンバーとの商取引を促進する「クレジット」と呼ば
れる紙幣が生まれ、現在では特定の地域に限定するものと、そうではなく全国的で通用するものとの
両方が並立的に使われている。
− 42 −
最初の約1年の間、メンバーは毎週土曜日の午後に、様々な生産物の交換手段として交換リングを利
用していた。取引物は主に穀物や果物、インスタント食品などで、服や織物、手工芸品も含まれてい
たが、そのようななかで歯科医が招かれて治療を行ったことから、「サービス」の取引という概念が
生まれ、次々と交換の幅が広がっていった。実際に今では交換の対象は、家庭内サービス・医療サー
ビス・観光・ガーデニング・占星術・タロット占い・医療診断・電気に至るまで、様々な分野に及ん
でいるのである。
c)現状
設立の2年後には、その経済効果は年間1億ドルにも及び、RGTに参加した家庭に月々100ドル~
600ドルもの補完的な収入をもたらしたことになるのである。さらに3年後には、この数字は10倍以
上に膨らみ、取引額だけでも年間4億ドルを上回った。現在では400システム、25万人もの参加者を
持つ世界最大の地域通貨となっている。その結果のもとに、ブエノスアイレス市役所社会促進局・産
業局・通商局・観光局と雇用局との間に政策的同盟が結ばれ、アルゼンチン国内でも様々な州の10以
上の市役所がシステムに対する関心を公式に宣言している。現在、このRGTのシステムはスペイ
ン・ウルグアイ・ブラジル・ボリビア・エクアドル・コロンビアの各国に及んでいる。
d)特徴
クレジットという単位はメンバー間の信用と結びついており、「私たちは生産者であり消費者である」
という『生費者』の考えに基づいている。クレジットは他の交換リングに所属している人たちの間で
も取引が可能であり、これによって交換リングのネットワークを生んでいくことで、それが後にグロ
ーバリゼーション下にあるスタンダード経済と対峙できることを意識するために「グローバル」の名
が付けられたのだ。
トラロック
a)沿革
メキシコでは1994年に起きた通貨危機の教訓から、バブルを引き起こし、その後不況をもたらした現
在の金融システムから分離されたシステムが必要であると考えられた。そのようななかで1996年3月、
グラスルーツの団体やメキシコ、海外のNGOからなるネットワーク組織が「トラロック」という地
域通貨システムをメキシコ各地で導入し、お金のためではなく社会のために経済の再編成に貢献する
生産者やサービス提供者、また消費者のネットワークシステムを創設しようとした。1トラロックは
「1時間の基本的な社会的労働」(25ペソ相当、1999年に30ペソ相当に変更)を基準として取引が始
まった。トラロックの額面は「2分の1」「1」「2」「3」「4」「5」で1999年に1ペソに等しい補
助通貨1テキオが、小額の取引を促進するために導入された。
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b)サービス仕組み&内容
システムであるが、発行形式は小切手型で、トラロックへの参加者には、50トラロック(1996年当初:
15.5トラロック)とさらに50テキオが最初に渡され、この地域通貨を元手に取引が開始される。取引
においては、取引価格の最低30%をトラロックで受け取ることが約束になっている。トラロックの紙
幣は、財・サービスの購入者が「発行」の欄に、販売者が「受け取り」の欄にサインすることによっ
て、そのトラロックが初めて有効となる。その後、トラロック紙幣は裏書されながら流通し続ける。
10回裏書される、つまり10回使用されると発券・管理機関であるEco-Bang(エコバン)で新しい紙
幣に取り替えられ、その際、参加者たちの口座間の決済が行われ、各人の残高が分かることになって
いる。なお、補助貨幣テキオは裏書なしで循環する。細かく言うと、すべてのメンバーは加入した時
点で50トラロックを受け取るが、各自の取引口座はゼロからスタートする。すなわち、加入したばか
りのメンバーが、財・サービスを受け取ると口座がマイナスになり、提供すると口座がプラスになる
というシステムである。取引情報として、すべてのメンバーは、1年に4回発行される小冊子に、欲
している財・サービスと提供できる財・サービスの広告を載せることができる。また、1時間の労働
に対して、基本的には1トラロック=30ペソだが、専門的な労働(弁護士・歯科医師など)に対して
は、最大4倍まで支払いを要求することができる。
c)現状
現在、トラロックで品物を購入できるバザーがメキシコ各地で頻繁に開催されている。そして、その
バザーにおいてトラロックを使って取引する際に推奨される最低のトラロック率(現金ペソに対する
トラロックの割合)が年を追うごとに上がっている。参加規模は、1首都圏(メキシコ市)では約500
名が参加しており、メキシコ国内に20の支局がある(1996年現在)。1996年3月には10%、1997年に
は20%、1999年には30%になり、現在では50%、あるいは100%トラロックで受け取る事例も出てき
ている。トラロックを使用することによって、独白の生活空間の構築を目指したり、また一方では家
事労働に価値を与えたりするなど、様々な形で自立した地域を目指している。
d)特徴
システムに参加しているのがメキシコシティやその周辺部の住民であることからも、都会の住人と田
舎の住人の架け橋になっている。また月に1度開かれる定期市によって、生産者と消費者が顔を合わ
せ、財・サービスだけでなく、音楽や芸術などのような文化や環境の価値を交換することで、連帯感
が生まれている。また、マイナスの利子が存在しないので、今まで以上の流通を期待できるが、マイ
ナスの利子のシステムを導入することが課題として考えられる。
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ビア・クッチュム
a)沿革
社会的背景:精米所経営から地域通貨へ
1986年頃より、自然派グループ有志たちはグループを作り、有機栽培米の栽培と直接販売を手掛けた。
これは農村自立のための事業展開の一部であり、この自然派グループが展開した事業は、一言で言え
ば「コミュニティ・ビジネス」である。最初に始めたのは15家族に過ぎなかったが、彼らはモノカル
チャー型農業でない複合農業を目指し、直接バンコクの消費者と関係を持っていくことを目指した。
一般市場価格の変動や、化学肥料・殺虫剤の購入による借金累積問題、さらには環境破壊への問題を
考え、自立型農業を目指したのである。この有志たちの活動が精米所建設に繋がっていった。こうし
た精米所共同経営の運営者たちが今回の地域通貨プロジェクトを試みた。彼らは、コミュニティ・ビ
ジネスを今まで行ってきたポテンシャルがあることが、他の地域でなく、グッチュムで地域通貨を導
入する一つの条件となったと思われる。
創設者
CUSO(カナダのNGO)ボランティアで、タイ東北部の手織物の共同事業化で指導に来ていたジ
ェフ・パウエル氏とオランダ人Menno Salverda氏が発案した。ジェフ氏はカナダでの地域通貨の知
識があり、アメリカ・オランダ・スイスの地域通貨実践について調査した。同時にマイクロクレジッ
ト・代替農業・有機農業・貯蓄グループ・自立グループ組織化についても同時に調査した。約3ヶ月
の調査であった。
場所:タイのヤソトン県グッチュム郡
時期:2000年3月開始後、1ヶ月間
目的:社会的側面
▼過度な消費支出を抑え、地域社会内で倹約的な支出を行うこと
▼地域内部の財・サービスの流動性を高めること
▼地域内部の財・サービスの相互交換を奨励すること
▼地域通貨によって無利子ローンを可能にすること
経済的側面
▼地域住民のお金(バーツ)を蓄えること
▼地域内からお金(バーツ)と資源が出ていかないようにすること
b)サービスの仕組み・内容
▼ビア・グッチュム銀行が通貨(ビア)を発行する。タイの国家通貨1バーツが1ビアである。
▼タイバーツとの互換性はない。
▼ビアはメンバーが商品とサービスを売買する時に使用する。
▼メンバーは、毎年最高500ビアの無利子のローンを受け取ることができる。
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▼銀行は最初に3万ビアを発行する。
▼銀行は、メンバーがビアを使って農産物や自家製品を売買する定期市場を毎週開催する。
ビアの使用
▼メンバーは500ビアまでなら借り出すことができ、「ビア銀行」から引き出せる。
▼ビアとバーツは交換できない。
▼ビアの出し入れに利子は付かない。
▼財やサービスの交換にはいくつかの方法がある。買い手と売り手の合意に基づく、ビアだけを
使うことも、ビアとバーツの両方を使うことも、バーツだけを使うこともできる。
地域交換の支援活動
▼各村で毎週土曜日に地域市場を開く。
▼地元の需要に応えるため、生産物の多様化のための技術研修がメンバーを対象に行われている。
c)現状
グッチュム郡地域内で行われていて、ビア発行と同時に120人が登録をした。33人のメンバービア・
グッチュム銀行から計7,000ビアのローンを受けた。
d)特徴
この農村自立支援のための計画は、結局使用禁止に追いやられてしまった。理由は、タイの国家通貨
を脅かすものになれば、国家の安全保障に問題をきたすということ、さらに、通貨に似たものを発行
するのは法律違反であるということであった。この地域通貨の問題点は「国家通貨との違いを明確に
示していないこと」及び「地域通貨発行の銀行が、タイの中央銀行の役割とあまりにも似通っていた
こと」であろう。
トロントダラー
a)沿革
トロントダラーはLETSと同様に、地域経済の振興を目的とするものであるが、LETSにおける
いくつかの問題点――規模に限界があること、食料品や衣類など生活に必要なものを手に入れるのは
困難であること、また商店やビジネス関係者にとって取引の度に記帳し運営団体に報告しなければな
らないのは非常に面倒であり、利益を目的として参加した人にはメリットを感じられないために、カ
ナダでは広がらなかったこと――このような理由からビジネス関係者が参加しやすいようにするた
め、「イサカアワー」やフランスの「SEL(セル)」、メキシコの「トラロック」を参考にして1998
年の12月にトロントダラープログラムが創設され、市長がトロントダラーの導入に賛成を表明したこ
とによって認知度が高まり、いっそう広がっていった。
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創設の目的としては、以下のようなことが挙げられている。
①地域経済を活性化して新規のビジネスをサポートする。
②地域内で資金を循環させる。
③コミュニティへ意思決定権を取り戻す。
④新規の雇用機会を生み出す。
⑤10%の寄付を持って基金を形成し、コミュニティの非営利事業を支援する。
b)現状
トロントダラーは市中心部にあるセント・ローレンスマーケットの40以上の商店や、市内20以上のレ
ストランを含む100以上のビジネスで使用できる。流通量は1999年4月時点で45,000トロントダラー、
7月時点で60,000トロントダラー、12月時点で80,000トロントダラーとなっている。
c)サービスの仕組み&内容
トロントダラーは紙幣形式を採用しており、偽造防止のため、カナダドルと同じ工場で印刷され、市
内に設けられている交換所でカナダドルと交換できる。システムとしては、以下のようになっている。
①新規の個人参加者は1カナダドルを1トロントダラーに交換することにより参加できる。
②新規ビジネス参加者に対しては25カナダドルの参加料を徴収する。
③カナダドルをトロントダラーに交換する際、10%はコミュニティ事業支援基金に寄付され、残りの
90%がトロントダラーの償還基金となる。
④ビジネス参加者は1トロントダラーを90セントに償還できる。コミュニティ機関・慈善団体は100
カナダドルを110トロントダラーに交換できる。
さらに、トロントダラーに参加しているビジネス関係者は50~100%の割合でトロントダラーの支払
いを受けなければならない。サービス内容としては食料品・雑貨、サービス業(車の修理・弁護士業
など)、レストラン、医療などがある。トロントダラーの使用期限は2000年12月31日に設定されてお
り、その日までにカナダドルや新規のトロントダラーに交換されていないものは無効になる。
d)特徴
トロントダラーはLETSのコンセプトを基盤としているが、貨幣経済の中から生まれてきた地域通
貨であり、LETSをより地域経済の活性化の意味合いを強めたものとなっている。トロントダラー
が他の地域通貨と大きく異なる点はカナダドルと兌換を持つことである。カナダドルとの交換が保証
されることによってビジネス関係者にとって参加しやすいものになっている。また、トロントダラー
は大都市部における地域通貨という珍しい事例である。
一方で、トロントダラーは貨幣経済の枠組みの中に発展しているが、その仕組みの中に自動的にボラ
ンティアに協力できるようになっている。それは、カナダドルからトロントダラーに交換する際にカ
ナダドルの10%を寄付されることによってである。これは貨幣経済の枠組みの中から出現してきたト
ロントダラーならではの方法と言える。
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2-2-2
現代の連帯通貨
1980年代に入り、地域経済の活性化を目的とした「地域通貨」が生まれてくる一方で、ボランティア
経済の活性化を目的として生まれた「連帯通貨」がある。エコマネーもまた連帯通貨であるが、その
中でもいくつか相違点がある。一つは「活動の対価が互酬による信頼関係で処理されるか信用(債務
債権)関係で処理されるか」である。もう一つは「価格決定のメカニズムが一物一価であるか多価で
あるか」である。エコマネーにおいては、債務債権関係は活動の対価として将来の請求権を発生する
という貨幣経済の考え方であるためふさわしくなく、メンバー相互間の互酬による「困った時に助け
てあげる」という考え方のほうが望ましいとしている。また、価格決定については一物一価という交
換による値付けは当事者の意思がこもる互酬による値付けが望ましいとしている。
タイムダラー(Time Dollar)
a)沿革
タイムダラーは、1985年にアメリカの社会活動家で、弁護士のエドガー・カーン氏によって考案され
た。1980年代の初め、カーン氏は体調を崩し、病院での療養生活を余儀なくされた。その療養生活の
なかでカーン氏は、人の手を借りるということに対して申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。
その時初めて、人に頼り切らざるを得ないという状況がとても苦しいということを学んだという。カ
ーン氏は社会活動に復帰してから、援助に頼らざるを得ない人々の間でも同様の苦しさが感じられて
いることを感じた。この苦しさは、人々が現代社会の中で居場所を失ってきたことが大きな原因であ
り、現代社会の複雑化が進展するなかで、家族や地域のコミュニティで担われていた様々な助けあい
の枠組みが崩壊した結果、社会の片隅に追いやられてしまった人々が登場したのである。
そして「どうしたら、居場所を失った人が苦しさを感じないで済むだろうか」という思いと、「人に
は誰にでも何かしら社会に貢献できることがあるはず」という認識が結びついた時、コミュニティの
中で失われてしまった「助けあい」をお互いにやり取りし合う仕組み「サービス・クレジット(Service
Credit)」が生まれた。サービス・クレジットは日本語にすると「何かをした分を点数にする」という
意味である。自分ができる善意を、人を手助けするために提供して「何かをした分」をお金ではなく
「点数」に換える。そうすることで、何でもお金で解決しようという現代の「金銭中心社会」のあり
方から、善意による助けあいを呼び戻す「人と人との関係」をコミュニティに再構築しようとする。
こうして生まれたサービス・クレジットは、その後改良を加えて現在の形となり、消費者運動で著名
なラルフ・ネーダー氏によって「タイムダラー」という名前に改められた。タイムダラーは、原文で
はTime Dollarと書き、直訳すると「時間ドル」となるが、アメリカの感覚で言う「ドル=お金」と解
釈すると良いかもしれない。このタイムダラーの根底には、カーン氏が感じたこと、つまり「人には
誰にも何かしら社会に貢献できることがあり、それを貧富の差なく善意でやり取りすること。それが、
人にコミュニティでの居場所を回復し、コミュニティの再生につながる」という考え方が脈々と流れ
続けている。
− 48 −
1987年にロバート・ウッド・ジョンソン財団から120万ドルの助成金を得て、全米6都市、ワシント
ンDC・マイアミ・シカゴなどで本格的なシステムの導入が始まった。最初は高齢者の在宅支援とし
て、将来困った時のためにタイムダラーを貯めることが奨励されていた。しかし、プログラムを進め
るなかで、自分のために貯めるだけではタイムダラーは流通しないため、コミュニティの再構築は達
成できず、プログラムの成長を妨げるのではないかという意見が上がった。そこで、利用者・協力者
と分けずに双方向性の取引を行うことや、貯めたタイムダラーは2・3年で使い切ることなど、新し
いアイデアが各地で取り入れられていった。
b)サービスの仕組み&内容
タイムダラーの仕組みは、概ね以下の通りである。まず、プログラムを立ち上げる際に、それぞれの
参加者の細かなデータが登録される。このデータは「連絡先」「運転免許証の有無」などのほか、「喫
煙者か」「ペットの好き嫌いはあるか」などの個人の情報と、「自分が提供できるサービス・利用した
いサービス」「都合の良い時間帯」などからなる。
世話役(コーディネーター)は、プログラム参加者の個別のデータを記録し(「タイムキーパー」と
いうコンピュータソフトを利用することができる)、各人の口座を開く。プログラムの参加者が何ら
かのサービスを利用したいという場合、その希望者がコーディネーターに仲介を依頼する(通常は電
話での連絡が利用される)。依頼を受けたコーディネーターは、「タームキーパー」を使って希望に添
ったサービスの提供者を見つけ、都合の確認(通常は電話連絡)をし、合意が得られれば利用希望者
に紹介をする。
タイムダラーは、社会的地位や市場価値などに左右されない「時間」という、すべての人が等しく持
っているものに基づいて平等に価値付けが行われる。地域によってはチケット形式を採用したり、口
座形式で行ったりしている地域もある。ここでは、口座形式のものを紹介する。「1時間1点(もし
くは30分1点)」という交換基準を設け、プログラムの参加者たちが自分たちにできることを提供し
合い、お互いに助けあいの精神に基づいて点数を交換するというものである。家事手伝い・介護・手
紙の代筆・ペットの世話など、すべての分野において単位時間あたりの労働の評価は等しく、1タイ
ムダラーと価値付けられる。1タイムダラーはドルとの交換性はなく、1時間のサービス時間との関
係性しかない。取引の結果は、サービスが行われればコーディネーターに連絡され、コーディネータ
ーは利用者の口座から掛かった時間分の点数を提供者の口座に転記して、一連の手続きが終了する。
口座には利子がなく、口座がマイナスになっても取引を続けられる。活動した時間を預託したものは、
将来もしくは現在自分がサービスを受ける時に使用することができ、現在サービスを必要としている
他の人や団体に寄付することもできる。また、寄付することも奨励されている。参加者の多くは比較
的高齢者であり、近い将来、自分が介護などのサービスを利用する時のためにタイムダラーを稼いで
いるケースが多いようである。しかし現状では、平均すれば貯められたタイムダラーの約15%しか使
用されていない。さらに、口座が極端にマイナスになっている人に対してもサービスの提供が続けら
れている。
− 49 −
運営費は、会費、企業や個人の賛助会費、寄付、助成金、自主事業などがあるが、行政や企業の下請
け団体になることを避けるために、自立した組織を目指している。
c)現状
現在では、全米約30の州において200以上のコミュニティで、50,000人以上が参加する様々なプログ
ラムが実施されている。そのなかには、数千もの人々が参加しているシステムもある。イギリスでは
「Fair Shares」、日本でもおよそ320の福祉団体が「ふれあい切符」「だんだん」などという名称で、
現地の事情に合わせて取り入れている。
d)特徴
タイムダラーの特徴としては、「人には誰にでも何かしら社会に貢献できることがあったのだ」とい
う認識を芽生えさせ、高齢者などの社会的弱者に優しい社会を構築するとともに、地域により、また
時代によっても自在に姿を変えられる融通性を持っていることが挙げられる。
LETSとの違いとしては、LETSは市場経済の価値付けを利用しながらコミュニティの再構築と
地域経済の活性化を目指しているが、タイムダラーは時間というすべての人が等しく持っているもの
を基準に価値付けを行い、相互扶助の精神に基づいたコミュニティの再生を目指している。また、L
ETSは会報などを媒体に提供者と被提供者が直接取引を行い、タイムダラーのシステムでは事務局
のコーディネーターがサービスを求める人に適切な人を検索・派遣し、サービスの提供者と被提供者
の取引を成立させる。
時間銀行(Banca del Tempo)
a)沿革
1991年に、イタリアのパルマで「時間」を媒介とした助けあいを行う組織「時間銀行(Banca del
Tempo)」が設立された。しかし、後に続く「時間銀行」の先例となったのは、サンタルカンジェロ
の女性村長が推進したものである。時間銀行が起こってきた背景には、市場原理と生産の脅迫的な論
理の中で、賃金の支払われる労働時間のみが「時間」と呼ばれ、それに当てはまらないものはまるで
「時間ではない」ように考えられてきたことが挙げられる。賃金が支払われる労働時間以外は無価値
であるといった考え方から脱却し、日常生活と地域社会における、特に女性の役割を見直していこう
としている。
b)サービスの仕組み&内容
時間銀行の運営組織は大きく分けて4つある。それは「市民団体」「労働組合や協会などの既存の組
織」「地方自治体」「社会組合」である。これらの事務所費や通信費などは自治体が負担している。た
だし、多くの時間銀行では、市から受けたこれらの支援を時間に換算し、公共の花壇の手入れや老人
センターのお祭りを手伝ったりする時間として、時間銀行から市へ返還するという交換関係を確立し
ている。
− 50 −
時間銀行の活動参加者の年齢は、18歳から70歳代と幅広く、最近では高校生をはじめ、子どもたちの
参加も増えている。時間銀行で交換される時間は多くの場合、日常生活の周辺をめぐる小さな相互援
助活動であり、参加者の8割を女性が占めている。賃金の支払われる労働時間以外の価値を見直すこ
とを目指しているため、女性の参加者が非常に多い。そして、地域と女性という視点からの地域支え
あいの仕組みづくりを目的としている。しかし、男性加入者の増加や、男性による新しい時間銀行の
開設なども最近の動きとして注目されている。
時間銀行は、平等な関係で参加者が連帯可能な場を提供することを重視し、個人の能力を導き出そう
としている。時間銀行を通しての交換そのものを強調しているが、その理由は、多くの人は常に何か
を必要としているのと同時に、何かを解決する手段や能力を持っているという考え方が根底にあるか
らである。
時間銀行の活動に参加するには、どのようなサービスを何時間提供できるかということと、どのよう
なサービスを受けたいかということを、住所・電話番号・名前とともに書類で登録する。登録には身
分証明書が必要で、面接も行う。2人の保証人も必要であり、月に1度開かれる全体会において、 組
織の一員として受け入れられることで承認される。このような手続きを踏むのは、盗難などを予防す
るためである。
時間銀行を利用してサービスを受けたい場合には、まず窓口に電話をして、リストからそのサービス
を行ってくれる人を探してもらう。何度か活動を通して知り合いになった場合には、窓口を通さずに
直接電話をしてリストにない活動を交換することもある。逆に、自分が提供できるサービスとして登
録した活動の希望者があった場合には、スタッフから電話で申し込みを受けることになるが、その場
合に応じなければならないという義務はない。時間の交換が行われると、お互いに自分の小切手帳に
時間数を書いて交換し、その小切手を時間銀行の窓口に提出する。時間の交換は1時間単位だが、場
所によっては30分単位にしているところもある。窓口に持ち込まれた小切手によって、時間銀行に各
参加者の収支が記録される。以前は記録の方法として通帳を使っていたが、煩雑になることから、現
在は小切手帳で行っている。
時間の貯蓄分は4・5ヶ月ほどで権利が消滅してしまう。今活動を行っておいて、数年先にその時間
分のサービスを受けるといったことは想定されていない。その理由は、現在の対等な助けあい関係の
構築を重視することによるものである。時間銀行の活動中の事故に関する保険も軌道に乗りつつある。
保険料は年間25,000リラで、保険会社と組織の間の契約になるが、保険料は参加者個人が負担する。
ローマの時間銀行の例では、5人のボランティアのスタッフによって、約500人の時間銀行登録者の
管理をしている。この窓口は、市の高齢者デイセンターの一角に置かれている。スタッフが窓口で対
応する時間帯は、月曜から土曜の9時~12時、月曜・水曜・金曜の15時30分~18時30分となってい
る。窓口のスタッフの活動についても時間銀行のシステムで支払われるので、スタッフとして活動し
た時間分のサービスを受けることができる。ローマに限ってはスタッフに給与が支払われるところも
ある。なお、時間銀行ではパンフレットなどの広報活動も行っており、費用は自治体が負担している。
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c)現状
1991年にイタリアで設立されてから、1995年3月の時点では3ヶ所だったが、翌1996年10月にはロ
ーマやペルージャなどでも設立され55ヶ所になり、2000年11月の時点ではイタリア全土で282ヶ所、
9,186人の参加者がいる。ただ、100人を超える参加者がいる時間銀行は少なく、多くは100人以下で
ある。
d)特徴
時間銀行は、賃金の支払われる労働時間以外の時間の価値を見直すことができ、特に女性に優しい連
帯通貨と言える。時間銀行は、地域経済の活性化を狙ったものではなく、またコミュニティの再生を
狙ったものという表現も適切ではないだろう。むしろ、人々が交流し知識が交換される生涯学習社会
の一つのモデルを生み出しているのではないだろうか。また、賃金の支払われる時間に価値を置く社
会ではなく、自身や他者をケアする精神的に報われる時間に価値を置く社会への移行を、時間銀行は
提案しているようにも見える。
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参考
世界各地の地域通貨・連帯通貨の事例(その1)
名称
WIR銀行
LETS
タイムダラー
時間銀行
活動開始時期
1934年10月16日
1983年
1985年
1991年
連帯通貨・地域通貨
地域通貨
地域通貨
連帯通貨
連帯通貨
信頼関係・信用関係
信用関係
信頼関係
信用関係
信用関係
交渉による値決め
すべてのサービス1時間を1点と換算
一物一価・一物多価
交渉による値決め
市場による決定
地域内での相互扶助の促進・コミュニテ 地域内での相互扶助の促進・コミュニテ
目的
大不況からの脱出
地域経済の発展・コミュニティの再生
誰のために
中小企業
市民
社会の中で居場所を失った人々のため
発行・運営主体
WIR銀行
NPO団体
個人
ィの再生
ィの再生
女性
市民団体、労働組合や協会などの既存の
組織、地方自治体、社会組織
運営費
国民通貨での入会金・年会費・手数料
運用期間
発行形式
小切手型・口座
流通地域
スイス全土
国民通貨での年会費&地域通貨での月会費
自治体が負担
制限なし
4・5ヶ月ぐらいで権利が消滅
小切手型(最近では電子マネーも使用)
カナダ
小切手型・口座
小切手帳&小切手型
アメリカ30州・イギリス・日本
イタリア
バンクーバー島東岸・コモックス地方
流通範囲
スイス全土の参加メンバー
(参加対象)
(中小企業のみ)
参加規模
8万人以上の中小企業ビジネス関係者
参加メンバー
参加メンバー
100~200人が多い(地域による)
200以上のコミュニティ、5万人
282カ所、9,186人の参加者(2000年11月)
コーディネーター
コーディネーター
オセアニア地区では積極的な協力
自治体との関係
課税措置が行なわれる地域もある
宣伝方法
会員名簿、カタログ
(情報交換の手段)
会報の発行、イベントなど
参考
世界各地の地域通貨・連帯通貨の事例(その2)
名称
イサカアワー
デーマーク
RGT
トラロック
活動開始時期
1991年11月1日
1992年
1995年
1996年3月
連帯通貨・地域通貨
地域通貨
連帯通貨から地域通貨へ移行
地域通貨
地域通貨
信頼関係・信用関係
信用関係
信用関係
信用関係
交渉による値決め
交渉による値決め
市場による決定
市場による決定
信用関係(マイナスの限度額が決められ
ている)
一物一価・一物多価
交渉による値決め
市場による決定
交渉による値決め(ただし1時間の労働
=10デーマークを交換の一つの目安に)
※1デーマーク=1ドイツマルク
目的
コミュニティ再生・地域経済の発展
コミュニティの再生
コミュニティ再生・地域経済の発展
通貨危機からの経済再生
誰のために
市民・ビジネス関係者
市民
市民・ビジネス関係者
市民
発行・運営主体
NPO団体(住民から選ばれた委員)
NPO団体
Eco-Bang
本部のユリング邸(青少年のための福祉
施設)代表創設者のヘムート・ベッカー
(牧師)
運営費
寄付
年会費5マルク、通帳発行代金5マルク、
計10マルク(800円)
運用期間
制限なし
制限なし
制限なし
1年
発行形式
紙幣
通帳方式
通帳から紙幣に変化
小切手型
流通地域
アメリカ、ニューヨーク州イサカ
ドイツ、ザクセン・アンハルト州・ハレ
アルゼンチンを中心にブラジル・ウルグ
市(旧東ドイツ)
アイ・チリ
流通範囲
地域内の誰でも
参加メンバー
地域内の誰でも
(参加対象)
システムによる制限なし
(運営側による制限可)
参加規模
数千人・416の商店(2000年3月)
自治体との関係
アメリカ連銀も理解を示している
200人あまり
400ほどのノード(ネットワーク組織)、
25万人(2000年)
一部では税金の支払いもできる
宣伝方法
雑誌を発行
(情報交換の手段)
メキシコ
交換リスト・会誌・ミーティング
ミーティング・週1回のバザー
メキシコシティ内では約500人
参考
世界各地の地域通貨・連帯通貨の事例(その3)
名称
トロントダラー
ビア・クッチュム
活動開始時期
1998年12月5日
1998年
連帯通貨・地域通貨
地域通貨
地域通貨
信頼関係・信用関係
信用関係
信用関係
一物一価・一物多価
交渉による値決め/市場による決定
交渉による値決め/市場による決定
目的
コミュニティ再生・地域経済の発展
地域内部の財・サービスの流動性を高める
誰のために
市民・ビジネス関係者
村民
発行・運営主体
無償ボランティア
ビア・グッチュム銀行
運営費
寄付・イベント収入
運用期間
1998年12月5日~2000年12月末、2001年~
2000年8月まで、以降廃止
発行形式
中央銀行が紙幣を刷る
ビア・グッチュム銀行が発行
流通地域
カナダ、オンタリオ州・トロント市中心部
ナソの村内の4村落と隣接郡の1村住民
地域内の誰でも
参加メンバー
参加規模
60以上の商店
14人から120人へ
自治体との関係
市長が導入を支持
流通範囲
(参加対象)
宣伝方法
コミュニティ雑誌に広告を載せる
(情報交換の手段)
定期市場を毎週開催