第1回海外研修報告書 - 富山県総合教育センター

第1回海外研修報告書
アメリカ合衆国ボストンで学ぶ
平成26年7月6日(日)~7月15日(火)
富山県立富山中部高等学校
タフでグローバルな人材育成をめざして
富山県立富山中部高等学校
校 長
川 腰 善 一
グローバル化が加速する中、高校教育における対応は十分とは言えず、高校生の意識も低いの
が現状です。日本青少年研究所が2012年に発表した調査では、日本、アメリカ、中国、韓国
の高校生を比較すると、日本の高校生は、
「外国の人と話をしてみたい」
「外国の文化や生活に興
味がある」といった思いは4カ国中最も強く、海外渡航経験のある割合も最も高いが、
「外国で
の仕事」に対し消極的で、留学への関心も4カ国中最も低くなっています。
本校の生徒の中にも、観光を主目的とした海外渡航の経験者や今後渡航したいという者も多く
見られますが、一方で、留学に対して自ら意欲を示す生徒は少ないといえます。実際、15年前
から本校が相互交流を行っている中国遼寧省の東北育才学校の生徒達と比べると、留学に対する
意欲は明確な差があります。
この状況をなんとか改善したいとの思いと、SSH(スーパーサイエンスハイスクール)の準備
を進める中で知った新潟高校等が数年前から実施している海外研修プログラムの存在が、今回の
アメリカ研修の実施を決断するきっかけでした。
昨年12月初旬に1年生全員に対する説明会、中旬に希望する保護者70名程度を集めての説
明会を実施し、1月には参加希望者を集めて選考テストを実施しました。結果として、当初予定
していたより10名多い、40名を参加者として選び、数回の事前研修に取り組んでもらいまし
た。個人負担が大きい中で想定を大きく上回る希望者が出たことに驚くとともに、保護者会での
「参加に意欲的な保護者」と「尻込みする生徒」という光景を思い出しながら、本校保護者のご
理解ご協力に心から感謝した次第です。
「タフでグローバルな人材育成をめざす」
これがこの研修を実施する上での私の掲げたねらいです。だからこそ、研修参加が決まった生
徒達には、
「アメリカで悔しい思いをできるだけたくさん経験してきて欲しい」と言って送り出
しました。
参加した生徒達の様子は、毎日、現地から送られてくる報告に詳しく記載されており、私の期
待に応え積極的に研修に取り組む様子が伝わってきました。この報告を毎日送るため、引率した
五十里、清水の両先生は、毎日の睡眠時間が5時間を切っていたとも聞いています。送られてき
た報告は、校内掲示するだけでなく、HP で発信し、県内高校生はもとより、日本全国の高校生
達の刺激となるよう努めました。
「この研修が成功か失敗か。
」
「生徒一人一人が刺激を受け、タフでグローバルな人材に少しで
も近づくことができたのか。
」それは、参加した生徒達の今後の高校生活、いや人生にかかって
います。ただ、事後の保護者アンケートを見る限り、参加した多くの生徒に何らかの成長が見ら
れ、保護者からは参加させてよかったと評価していただいています。その点では実施してよかっ
たと考えています。これから、来年度以降、希望者がさらに増えることが予想されるこの研修の
実施方法について頭を悩ませねばなりません。
終わりに、今回の海外研修を実施するに当たり、ご指導ご支援いただいた富山県教育委員会、
神通会、PTA をはじめ関係の皆様、そして何より、この海外研修プログラムを提供し、現地に添
乗する中で、時には生徒を叱咤激励し、この研修を実り多いものとしていただいた登坂支社長を
初めとした ISA の皆様に、心から感謝申し上げます。
富山県立富山中部高等学校 第1回海外研修 日程表
日次
1
月日(曜日) 現地時間 交通機関
地名・見学地
7 月 6 日 11:00
NH886
富山空港発
(日)
12:05
羽田空港着
12:45
貸切バス 羽田空港発
14:00
成田空港着
17:15
NH1012 成田空港発
宿泊先名称等
電話番号
<日付変更線通過>
14:50
17:00
20:14
22:00
2
7月 7日
(月)
UA488
午前
午後
地下鉄等
夜
3
7月 8日
(火)
午前
午後
地下鉄等
夜
4
7月 9日
(水)
午前
午後
地下鉄等
夜
5
6
7 月 10 日
(木)
午前
午後
夜
7 月 11 日
(金)
午前
午後
地下鉄等
地下鉄等
夜
7
8
9
7 月 12 日
(土)
終日
地下鉄等
7 月 13 日
(日)
午前
10:29
12:13
午後
専用バス
国内線
UA1065
専用バス
夜
7 月 14 日
(月)
7:00
12:30
シカゴ空港着
シカゴ空港発
ボストン到着
学生寮泊
7 月 15 日
(火)
15:25
18:30
19:30
Tel: (954)331 - 3111
ボストン終日班別行動
学生寮出発
ローガン空港発
JFK空港着
ニューヨーク半日研修
ニューヨークで活躍している日
本人との座談会
ホテル泊
専用バス ホテル発
JFKニューヨーク空港着
国際線 JFKニューヨーク空港発
(NH009)
専用バス
国際線
(NH009)
国内線
(NH889)
190 Packard Avenue. Medford,
MA 02155 U.S.A
英 語 クラス (プ レースメ ント
テ ス ト)と オリ エンテー ショ
ン
世界各国の留学生との合同アク
ティビティ
Evening Activity(他国留学生と
の交流会)
英語クラス
ハーバード大学見学
現地で活躍する日本人による講
話、または現地大学生とのディ
スカッション
Evening Activity(他国留学生と
のスポーツ交流)
英語クラス
Dana-Farber 癌 研究センター訪
問(日本人研究者、または医師
からのレクチャー)
Harvard Medical School を訪問
し、林英恵さんとの懇談
Evening Activity(スポーツ交流
・野球観戦)
英語クラス
タフツ大学にて、現地の日本人
起業家松川原さんと東大生でハ
ーバードサマースクール研修生
の陸さんの講義を受講
Evening Activity(富山中部高校
主催 Farewell Party)
英語クラス
マサチューセッツ工科大学に通
う日本人学部生、大学院生との
懇談会
Evening Activity(ミサンガ作り)
<日付変更線通過>
10
Houston Hall
成田空港着
成田空港発
羽田空港着
羽田空港発
富山空港着
HOLIDAY INN NEW
YORK CITY MIDTOWN
57th STREET HOTEL
440 West 57th Street, New
York, NY 1001
Tel: (212)581-8100
出発式(富山空港)
他国留学生との交流アクティビティ
Farewell (さようなら)Party
ハーバードメディカルスクールで林さんと
到着時オリエンテーション(タフツ大学寮)
東大生でハーバードサマースクール研修生の陸さん
現地日本人起業家松川原さん
英語クラスでの様子
他国からの留学生とカフェテリアで食事
ニューヨークで活躍しておられる日本人の方々との懇談
大学敷地内で
ハーバード大学キャンパスにて
最終日、セントラルパークにて散策
研 修 日 誌
This is America な 11 日間
引率者
五十里
勘
Oh! This is America!
今となっては笑い話の範疇におさまるの
司
であるが、実際に見聞した時は America の
いい加減さ、よく言えば懐の広さを感じる
10 数回に渡る事前研修もあっという間に
終わり、これで大丈夫だ、という確信を抱
瞬間が多々あった。ざっと思いつくままに
くこともなく富山空港を飛び立つ日がやっ
列挙してみると
・ 空港出迎えのバスは30分遅れで到着
てきた。そこからは、too hard で、Oh! This
・
乱雑に扱われ壊されたスーツケースが
is America! な毎日であった。
2つ
・ Evening Activity は常に 30 分遅れでス
It's too hard for me.
タートし、その場で何をするかが決まる
生徒の研修は午前、午後、夜間と3部構
・ UFO キャッチャーのような自動販売機は
お金を入れても出てこない(外れの)と
成で、教員と添乗員はそれに早朝、深夜が
きがある。反対に前の人のおつりが出て
加わる。
くる(当たりの)ときがある
・
洗濯機と乾燥機は
25 セント以外受け付
参加生徒たちは非常に意欲的で早朝5時、
けず、しかも 12 枚も必要なのに両替機
6時起きして陸上部員は走り、テニス部員
はなし
はテニスコートで球を打ち、バドミントン
・ 全く便利じゃない Inconvinience なコン
ビニエンスストア
部員は体育館で羽を打ち、吹奏楽部員と合
・ 朝食が注文されていないことが発覚し
唱部員は駐車場で帰国後のコンサートに備
た時に、昨日の綺麗な月の話をする担当
えるなど、各々が朝練習に励んでいた。我々
者
などなど。とにかく、日本では考えられ
もその姿をカメラやビデオに収めるために
ないほど Wide な懐なのである。
早起きをする。添乗した ISA の登坂氏は、
得意とするテニスで生徒たちの挑戦を受け
人と人の繋がりが世界を近くする
人と人の繋がりが世界を近くする
ていた。
今回の研修で感じたのは、人と人の繋が
午後の研修は、大学から最寄りの Davis
りの大切さである。多くの方々から講義・
駅まで歩き、地下鉄で移動する。興味本位
講話をいただいたが、いずれも熱を持った
で万歩計を持って行ったのであるが、平均
方々で話を聴いているだけで自分も世界に
で 1 日 15000 歩、最高記録は 25657 歩、1
歩 70 ㎝としても歩行距離は 18 ㎞に及んだ。 出ていける!と思える内容満載であった。
このような方々を人選してきていただいた
生徒の就寝は 23 時。そこから-12 時間
ISA のお二方にはただただ感謝の念でいっ
の時差を利用して速報を学校へ送信する。
ぱいである。そして、最も感謝すべきこと
報告書ができあがるのが 1 時過ぎ。送信す
はその人と人の繋がりが参加生徒たちの視
ると日本時間で 13 時。学校で待ち構える担
線を世界に向けさせたことである。彼らの
当の砂子先生が、ちょうど午前の特別授業
心に「世界」という灯がともされたことで
を終える時間で、こちらが寝ている間に HP
ある。最終日、New York Central Park の
にアップロードしていただき、朝食時間に
噴水の縁に立ち、道行く New Yorker と摩天
はそれがインターネットで閲覧できるとい
楼に向かった放たれた参加生徒たちの決意
う非常に絶妙なタイミングであった。
の詞はいずれもが熱い熱を持った言葉で形
というような毎日を過ごすため、Tufts
作られていた。
University 滞在中、引率者・添乗員の平均
睡眠時間は3~4時間であった。
-1-
研修を終えて
引率者
清水
地道にやる。その9割がうまくいかなかっ
たとしても、自分がやりたいと思うことを
文代
タフツ大学
事前に大学を検索し、美しい緑の中に余
裕の空間を取りながら点在する学舎をイメ
貫けば、道は不思議と開ける、というもの
だった。これらの言葉には、本当に勇気づ
けられた。「好き」というのは、「続けられる」
ということ、「続ける」 というのは、着実に
ージしていたが、実際に現地に足を踏み入
れると、その風景は、インターネットの画
「前に進む」ことなのだと感じた。「好きこそ
ものの上手なれ」を異国で感じた。
像以上の美観であった。それぞれの建造物
が歴史的な価値を醸しだし、その中で“大
学生”を疑似体験できることのすばらしさ
を感じた。
英語の授業
他国の高校生と混ざっての英語の授業は、
団員にとって一番の楽しみだったと思う。
今まで頑張って勉強してきた英語がどれく
らい通用するのか、他国の若者が考えてい
ることを英語で理解することができるのか。
最初は、外国の生徒の積極性に圧倒されて、
気後れしていた面々も最後の授業には、自
分らしさを発信していたようであった。そ
れぞれの考えを共有できたという実感は、
大きな自信になり、将来、何らかの形で、
海外で学びたいという野望につながってい
くに違いない。若い時期にこのような貴重
な経験をしている団員を本当にうらやまし
く思った。
ボストン・ニューヨークでお目にかかった
人たち
ハーバード大学3期生の小林さん、東京
大学生でハーバード大学サマーセミナー研
修生の陸さん、ハーバードメディカルスク
ールの林さん、マサチューセッツ工科大学
大学院博士課程で研究されている成田さん、
など現地で学ぶ方々。また、ボストンで起
業した松川原さん、ダナファーバー癌研究
センターで大腸癌を研究する須川医師、な
ど現地で働く方々。どの方の話にも出てき
たのは、意外と身近な言葉であった。それ
は、自分が好きでやりたいと思うことを、
-2-
富山空港で離陸を見守る家族
ハーバード大学での懇談
タフツ大学の学舎
交流パーティー後の撮影
我が団員たち
結団式以来、第1回の海外研修生として
の誇りと責任を感じていてくれたと思う。
現地では、思うように話せない英語に最初
は悩みつつも、「学んでいないからではなく、
勇気の問題だ。」と意を決して、授業に臨ん
でいた。また、他国留学生とのアクティビ
ティーで生じたゴミは、誰からともなく率
先して片付け「日本人の良さ」を発信してい
たし、40人がボストンの地下鉄を乗り降
りしても何の支障もなかった。そして何よ
りも団員達が主催し、他国の留学生を招待
したパーティーの企画・準備・運営の手際
の良さは、目を見張るものがあった。彼ら
のチームワークには本当に頭が下がる思い
がした。
(生徒の日誌から)
1日目 7月6日(日)
(現地からの報告)
・富山空港 ⇒ 羽田
July 6th
⇒
成田
⇒
27H
シ
塚原
陽
カゴ ⇒ ボストンの乗継につきましては
順調、生徒達も特に忘れ物や体調不良を訴
1st day’s diary
Today, I felt one day longer than any
えることなく無事ボストンの空港に到着し
ました。スタッフとは空港で落ち合いまし
other ordinary day, because we crossed
the International Date Line by air and
went to the opposite side from Japan.
たが、バスがなかなか到着せず空港で 30 分
ほどアメリカの洗礼を受けました。大学に
In the airports, we learned many
important things about traveling abroad,
は現地時間 23:40 頃到着しました。その後
寮についてのオリエンテーション、部屋の
for
example,
entry
formalities,
embarkation, and so on. In Chicago
鍵受け渡し等を終わらせた後、空腹の生徒
向けにデリバリーしたピザを食べ、1:15 頃
各自寮の部屋へと入りました。
・大変ハードな研修の幕開けとなりました
が、明日 7:00 に朝食のために集合し、プロ
グラムがスタートします。出発前から計画
していた木村君のボストンレッドソックス
の試合観戦に関しまして、自ら寮スタッフ
ジャスパーに交渉し、7/9(水)に実現する
ことが出来そうな状況になっています。陸
上部の椎名さんはウェイトトレーニングを
したいと張り切っており、小原君は水泳を
したいとそれぞれ自ら動き始めています。
夜中の 1 時過ぎにも関わらず、積極的に現
地スタッフに交渉する姿はとても印象的で、
今後の研修がますます楽しみになってきま
した。
・明日 9:00~オリエンテーション及びプレ
ースメントテストが行われますので、ぜひ
生徒達には頑張ってほしいものです。
ボストン、ローガン国際空港にて
-3-
O’Hare International Airport, I was very
surprised because O’Hare International
Airport is much larger than any other
Japanese international airport, even than
Narita International Airport. I heard that
the number of travelers in O’Hare is the
largest in the world.
By the way, I had two chances to touch in
American food culture. In O’Hare Airport,
I ordered a sandwich. The meal was so big,
but I ate it up for about fifteen minutes.
Besides, in the student dorm in Tufts
University, we had some pieces of pizza.
They were very different from those in
Japan in the point that the size is very big
and they are strongly seasoned. However,
I prefer American pizza to Japanese one.
Finally, we arrived at Tufts University
and checked my staying room. Center and
Academic Manager, Jaspher Zandstra,
welcomed us passionately. I thought he
was kindness itself. I’ll do my best for ten
days!
2日目 7月7日(月)
ど積極的にこの研修を楽しみ、他の留学生
を巻き込んでいこうという前向きな姿がみ
(現地からの報告)
・昨晩遅かったにもかかわらず、朝7時の
られます。夕食後は夕立のため室内のアク
ティビティになりさまざまなゲームをイン
集合時間に全員が時間前に集まり、タフツ
大学のカフェテリアを現地スタッフのジャ
ターナショナルチームで実施しましたが、
明日からの英語クラスの友人作りの予行練
スパーが道案内してくれました。これから
の食事は毎回ここを利用します。シリアル、
習になったのではと思います。
パン、野菜、フルーツ、肉、ピザ、パスタ
などバイキング形式で食べることができま
す。食事の時間は世界の留学生たちとの一
番の交流の場で、初日にもかかわらず、椎
名さん、今田さん、木谷さん、小倉さん、
石若さん、下野君、三浦君、高桑君は積極
的に食事を一緒にしていました。植田さん
は台湾の生徒と日本で学んだ台湾人の話題
で盛り上がったそうです。
・食事の後、今回のプログラムについての
オリエンテーションそしてレベル分けテス
トを実施しました。スペイン・トルコ・ロ
シア・台湾・ブラジル・チュニジア・フラ
ンスの生徒とペーパーテストと約3分間の
スピーキングテストを受けました。テスト
の後はタフツ大学のキャンパスツアー(図
書館・ジムなど)をアクティビティガイド
と一緒に散策しました。
・昼食の後はスカベンジャーハント(21
の英語の質問を解読しその場所の写真を撮
る)をそれぞれのグループで競い合いまし
た。日本人だけのグループ、インターナシ
ョナルグループに分かれましたがそれぞれ
時間内にクリアすることができました。特
に吉田君、西野君、木村君はロシア・トル
コ人の学生とタッグを組み、すべて英語で
のコミュニケーシ ョンを頑張っていまし
た。
・朝食後は野村さんと松井さんがテニスコ
ートでテニスを始め、夕食までの空き時間
を利用し小原君はさっそくプールで泳ぐな
カフェテリアは最高のコミュニケーションの場
(生徒の日誌から)
ボストン滞在初日
23H荒井 千晶
レベル別クラス分けテスト
まずはじめに、サマースクールのオリエ
ンテーションが行われた。まだ、初日なの
で英語に聞き慣れておらず、すべて英語の
説明にとても戸惑った。パワーポイントの
図などでなんとか意味を理解できた。
そしてそのあとにテストを受けた。案外
思ったより簡単なテストだった。日本人の
得意な文法を問われるものだった。また、
サマースクールの先生たちとの会話のテス
トもあった。とても優しい方だったので、
話しやすかった。このテストが私がこの研
修でまともに外国人と話した最初だったか
もしれない。何とかテストは無事終わった。
このテストでどんな人たちと同じクラスに
なるのか考えたらわくわくする気持ちもあ
ったが、その反面自分がそのクラスについ
ていけるのか不安であった。その後はタフ
ツ大学の施設見学をほかの外国人留学生た
ちと一緒にした。その時にみんな留学生た
-4-
ちと会話していたが、私は話しかける勇気
が出ず、なかなか話しかけられなかった。
人達にとても圧倒された。彼らはほんとに
負けず嫌いで、一生懸命英語でスタッフの
そんな自分が悔しかったし、情けなかった。
人達に抗議をしていた。日本人とは全然違
う印象を受けた。女子も男子に負けじと主
留学生たちとの合同アクティビティー
紙に記された場所で写真を撮ってくると
張していた。こんな人たちの中で明日から
授業を受けていけるのかとても不安だった。
いうミッションでなかなかその場所を探す
のが大変だった。タフツ大学は敷地がとて
彼らも母国語は英語ではないはずなのに、
みんな英語がぺらぺらだという感じがした。
も広いので、目的地にたどり着くのにとて
も苦労した。英語が分からないながらも、
明日からこの空気に飲まれないように授業
を頑張ろうと思った。
周りの外国人にたくさん場所を聞いた。そ
れでも、誰も嫌な顔もせずに、快く笑顔で
3日目 7月8日(火
7月8日(火)
答えてくれたのでとてもうれしかった。こ
れが、外国人のよさなのかなと思った。同
(現地からの報告)
本日も日中は30度位の陽気でしたが、日
蔭や朝晩はとてもすごしやすい気候です。
本日からインターナショナルの英語研修が
始まりました。5つのレベルに分かれたク
ラスは留学生が2~8名おり、どのクラス
でも初日は他国生にイニシアチブをとられ
てしまったとショックを受けていました。
特に能登君の授業後の悔しそうな顔が印象
的でした。ハーバード大学生の小林君にも
留学当初どのようにそれを乗り越えたのか、
一番先に手を上げて質問していました。明
日以降の巻き返しを期待します。
昼食後、最寄りのデイビス駅まで歩き、
全員が1週間の地下鉄フリーパスを各自自
販機で購入し、地下鉄でハーバード大学へ
行きました。まずはお決まりのハーバード
像の前での記念撮影と、ハーバード像の左
足に触り第一希望の大学に入学できるよう
にと願う儀式をしました。そこからハーバ
ード大学3年生(今年度4年生)の小林君
によるキャンパスツアーを開始しました。
通常学部生は夏休み中は寮に滞在できない
ので帰国するケースが多いのですが、彼は
サッカー部の練習があり大学に残っている
とのことでした。大学のことやなぜ留学し
たかなど説明をとても丁寧に聞き、生徒た
ちはもう一つ大きな志を持つようになった
のではと感じました。
じグループではなかったが途中でアクティ
ビティーに参加している外国人のグループ
とあって、情報交換をしたりした。話して
みるとみんな案外やさしくてもっと話して
みたいと思った。日本語を勉強している人
もいて、すごいなと思った。たくさんの外
国の人の協力のおかげで何とかすべてクリ
アすることができた。ちょっとコミュニケ
ーションができて、うれしかった。
緑豊かなタフツ大学キャンパス
夜の合同アクティビティー
あいにく雨が降ってしまったので、夜の
アクティビティーは室内で行われた。サマ
ースクールのスタッフが企画したゲームを
した。まずはおたがいに自己紹介をしたり
して仲を深めた。ゲームではスペイン人の
-5-
・ワイドナー図書館の前で質疑応答の時間
を持ってもらい、たくさんの生徒が質問
(生徒の日誌から)
July 8th
をしていました。1時間の予定を1時間
半付き合っていただいたお礼として、塚
27H
原君を指揮者に生徒全員が校歌4部合唱
をハーバード大学のヤードの中で小林君
城戸
陽菜
First English Class
Today I had a first English class. I was
の前で歌いました。観光客もとても興味
を示し富山中部高校の校歌に聞き入って
very nervous. But I thought I would do
my best in the class. The classmates were
いました。最後に小原君がお礼の言葉を
小林君に伝えました。
「今度は我々がこの
kind and different. We made a story using
words we learned in the day. It’s difficult
席に座って後輩たちの質疑応答ができる
よう頑張ります」という言葉に小林君も
even to write a story in Japanese. I made
it with a French girl who is 15 years old.
喜んでいました。別れ際にみんなが小林
君と握手をしてもらいましたが、中でも
She was cool and dressed smartly. I
couldn’t think she is 15 years old. I
関口さんの笑顔は素敵でした。
wanted to propose my opinion. But I
couldn’t speak what I want to really say
in English. So I was very tired. And her
English was so fast and fluently. I couldn’t
listen to her and understand what she
said. So she translated her English into
Japanese by her cell phone. I said “Thank
you” many times. She helped me many
times. I was pitiable, but I found the
importance of cooperation, telling my real
feeling and appreciation.
Evening
ハーバードの学生小林さんと
夕食後のアクティビティは、サッカー・ド
ッジボールを体育館でしました。スペイ
ン人が本日野球観戦のため留学生は少な
かったのですが、みんないい汗を流して
いました。不完全燃焼だった新貝君、能
登君、草野君、下野君、上田君、大崎君、
吉田君がロシア、トルコからの留学生と
アクティビティの時間外にゲームをして
いました。11対13の好スコアでした。
体調不良の生徒もなく、全員元気にプロ
グラムが進行しています。
-6-
We went to Harvard. Mr. Kobayashi was
shining to us. He always does his best ,
and he always keeps trying everything.
He studied hard. I must do my best every
day. After that, I played soccer with
foreign people. It was exciting. Their legs
were very long. At the end of the game, I
shot, and reached the goal. After the game
finished, I went to my friends and talked.
Then Tunisian goal keeper came up to me
and said “Your goal was good.”
I thought he has a sportsman ship. I
なるが、患者にとって医師は頼れる唯一
の存在なので、いつまでも患者と共感で
learned the importance of expression with
words.
きる医師でありたい。」と答えられ、石田
君はその言葉に感動した様子でした。最
後に、生徒を代表して大崎君がお礼の言
葉を述べました。
その後は、ハーバード大学メディカルスク
ールの 3 期生で公衆衛生学の博士課程で
研究している林さんに、メディカルスク
ールの前で話をして頂いた。様々な挫折
を繰り返し、今までの人生の 9 割が黒星
だったという林さんは、たとえ自分が希
小林さんのお話を聞いた後
4日目 7月9日(水)
望している進路がかなわなくても、自分
がやりたいという気持ちを持ち続けて行
(現地からの報告)
昨日の 1 日目の授業は、自分の言いたいこ
とを言えず他国の生徒にどんどん発言さ
れてしまう状況にため息をつくばかりで
したが、2 日目には少し余裕が出てきて、
笑顔も見られるようになってきました。2
人でスキットを作って皆の前で紹介する
授業では、最初のうちは相手の話すこと
が理解できずもどかしい思いもしたよう
ですが、いざ発表が終わると何とかやり
きったという達成感で充実した様子でし
た。緊張もしますが、分かり合えた時の
感動はひとしおです。
午後は、地下鉄に乗って DANA-FABER 癌研
究センターを訪問し、大腸がんの研究を
されている須川先生に研究内容や日本の
医療・アメリカの医療について講演をし
て頂きました。講演後は続々と質問が出
ました。藤谷さんは、癌の罹患率がアメ
リカと日本で違うのは何故かという事前
に調べてきたことについての疑問を投げ
かけました。また石田君は、医師として
の心構えを臨床経験もある先生に尋ねま
した。
「医師として働いていると、一人の
患者は多くの患者の一人にうもれがちに
動をしていれば、必ず道は開けてくるも
のだということを強く語ってくださいま
した。女子数人から質問が出た後、安元
さんが自分の経験と照らし合わせながら、
お礼の言葉で締めくくりました。
-7-
ハーバードメディカルスクールの前で
夜のアクティビティは、フェンウエイパー
クで行われるレッドソックス戦を観戦す
るグループとジムでバスケットボールを
行うグループに分かれました。バスケッ
トボールは男女交えてのゲームで女子に
はきついものでしたが、女子を交代させ
て出場させるなどコミュニケーションを
とりながらルールを決めるなどの風景が
見られました。確実にそれぞれ成長して
おり、とても頼もしく思えます。
をかなえるため、何度も挑戦したが実現で
きず、その時に、自分の本当の夢がわかっ
(生徒の日誌から)
7月9日(水)
25H
藤谷
たと言いました。
「自分には大きな夢がある
のだ。」と。
真麻
この話を聞いて、私は「自分の本当の夢
とは何だろう」という疑問を持ちました。
英語クラス
午前中の英語クラスでは、昨日よりも先
生の言っていることが聞き取れ、それに対
入学したい大学、就きたい職業は、本当の
夢ではなく、目標達成の通過点にすぎない
するリアクションができるようになってき
ました。しかし、自分の考えを表現しよう
のだと実感し、自分の視野をもっと広く持
つことができれば、自分が目指したい将来
と思っても英単語が出てこず、周りの人に
が見えるのではないかと思いました。
助けてもらい表現をしていて、自分自身の
英語力のなさを実感しました。
ダナ・ファーバー癌研究センター
ダナ・ファーバー癌研究センター
この研究所は、癌に対する研究を行って
いるセンターで、そこで活躍している日本
人の方にお話を聞きました。その後、研究
所内を見学したのですが、建物のデザイン
に驚嘆しました。
清潔さ重視で病気を治すことに重点をお
く日本の病院に対して、この病院はアット
ホームな感じで、リラックスのできる場所
が多くあり、患者を癒すことに始点を置い
ているのではないかと思いました。最初に
入ったとき、自分が入った場所が病院内だ
とは到底思いませんでした。
日本の医療現場も、患者を癒し支えると
いう発想を導入すべきなのではないかと思
いました。今回、現地で働く人(アメリカ
人)に質問できる機会があり、質問をした
のですが、聞きとってもらえず、先生を通
してその質問をしなければならなくなり、
とても悔しかったです。
Evening Activity
バスケとサッカーをしました。バスケを
最初していたのですが、全くと言っていい
ほど活躍できなかったです。その後、スペ
イン人と話をしました。相手がゆっくりと
聞きやすいように英語を話してくれたから
か、聞きとることができました。
5日目 7月10日(木)
(現地の報告から)
本日も良い天気で過ごしやすい一日でし
た。 今日は早朝 6 時から生徒達の活動が
ありました。イブニングアクティビティ
で他国留学生とのさよならパーティを行
うことを生徒達が決めたため、その内容
を話し合うミーティングです。各自意見
ハーバード学生 林英恵さん
研究所見学の後、ハーバードで博士課程
に在籍中の林英恵さんにお話から話を聞く
ことができました。
「自分の人生は黒星ばか
り」と話す林さん。彼女は、描いていた夢
-8-
を出し合い、なかなかまとまらない点を
椎名さんと塚原君が進んで指揮をとって
国後海外研修1期生の先輩たちと受験対
策・大学訪問対応等で母校の後輩達のた
いました。
午前中は5班に分かれての英語の授業の
めに還元する組織“東大青山会”を立ち
上げたことなど話してくれました。今年
3 日目となりました。残り少ない授業をそ
れぞれ全力で頑張っていました。
「聞き取
はその成果も実り20名の後輩達が合格
したそうです。酒井さんの夢がまだ見つ
れていないことを正直に伝えられた。」と
いう発言が多く聞かれました。大きな山
からないという質問に対しても、自分が
高校生の時と同じ境遇であり、だからこ
を一つ越えたようです。
午後のアクティビティは、ボストンで起業
そ東大を選択肢の一つにして努力したと
いう話も印象的でした。最後に松川原さ
している日本人である松川原さんに1時
間半講演していただきました。今企業は
ん、陸君から富山中部生全員にエールを
送っていただき、2人の熱弁に感謝の気
どんな人材を求めているか、これからの
世界・日本の向かっていく先をふまえ、
持ちを込めて富樫君がお礼のスピーチを
してくれました。
高校生である生徒達は何をすべきかなど
をパワーポイントで詳しく説明していた
だきました。文系であっても理系であっ
ても、この機能が飽和した社会を勝ち抜
くには「感性」が必要との言葉を、多数
を占める理系の生徒達は興味深く聞いて
おりました。
ボストンの起業家松川原さんの講義
Farewell party を終えて
その後、新潟高校出身・現在東京大学3年
生でハーバード大学のサマースクールに
通っている陸君にも参加していただき、
いろいろな話をしてもらいました。彼も
5年前に海外研修に参加し大きく飛躍し
ようと努力した一人で、同じ境遇の生徒
達へボランティアで参加してくれました。
高校時代の生活、受験についてそして帰
-9-
イブニングアクティビティは生徒達が企
画した他国生徒とのさよならパーティで、
皆19時開始に向けて内容を必死に話し
合い、準備を進めていました。パーティ
は小倉さん、塚原君、椎名さんの司会で
始まり、植田さん、石若さん、藤谷さん
がトップバッターでフルートと簡易打楽
器のセッションを行い、次に荒井さん、
黒田さん、今田さん、酒井さん、高桑さ
んが見事なコーラスを披露してくれまし
た。その後、能登君がローカルダンスを
踊り大いに注目を浴びました。それから
屋外に移動し、西野君が得意のインジャ
グリングを披露、そこから他国生徒も参
加するメインゲームへと移行しましたが、 なって聞いてくれ、叱ってアドバイスを下
中部高校生達は見事に他国留学生をまと
さったり、先生方自身も胸の内を少し明か
めあげ、十分に皆を楽しませていました。
最後に屋内に戻りダンスパーティとなり
して下さったりしたのを見て、先生方も本
気でこの研修に参加していることが分かっ
ましたが、ダンスに馴染みのない日本人
た。最後の方は生徒同士で語り合うなど、
たちは戸惑いつつも徐々に体が動き始め、 今までこの研修に本気で参加して、あるい
他国生徒との残りわずかな交流に積極的
に取り組んでいました。
ないかと思う。夜話し合ったから満足では
なくて、その時間をどう明日明後日に生か
7月10日(木)
7月10日(木)
26H
は失敗することを恥ずかしがっていた私た
ちがやっとスタートラインに立ったのでは
植田
千穂
今日のレッスンでは後半自由に自分に関
するポスターを書き、より交流を図れた。
すか、覚悟を持って、腹を括って挑んでい
きたい。
(生徒の日誌から)
向こうの人たちのジョークにも笑えた。こ
こ数日で、同じレッスンの人たちとは仲良
くなれた気がする。でも他の外国人のとこ
(現地からの報告)
本日も良い天気で過ごしやすい一日でし
ろにはなかなかいけないし、仲良くなった
た。午前中は最後の英語クラス、悔いが残
人たちとも自分の将来などについて熱く語
らないようにベストを尽くすことを合言
るほどでない。もっと踏み込んだ話がした
葉に全員頑張って発言したと報告してく
いと思う。
れました。初日はどうなることかと思われ
今までの自分は海外の子たちを、国籍が
たスペイン人とも、この一週間で本当に仲
違うだけの同年代の子たちというよりは、
良くなり会話も弾んでいます。もう少し授
業を受けていきたいという生徒の声も沢
何か別の世界から来た手の届かないような
山聞こえてきました。最後に受講修了書を
人たちに思っていた気がする。もちろん彼
それぞれの先生からいただきました。
らが私たちより優れているところはたくさ
昼食後のアクティビティはMITのキャ
んあるし、だからこそ悔しいと思うけれど、
ンパスツアーです。大学院・博士課程の成
自分たちが怖気づくのは日本人の国民性か、
田さんにMITのキャンパスを案内して
あるいは自分が自分であるから、という風
いただきました。建築をはじめ数学・医学
にとらえ方を変え、視野を広くもちたい。
などの理系学部のほかに人文社会・政治科
学・文学といった文系学部もあると知って
自分には自分の背景があって、相手には相
驚いていました。アメリカの他大学とは違
手の背景があって、その中で同年代の異文
って、MITはボストン市内にあるために
化の人たちは何を考え、何をするのか(自
コンパクトにまとまっていると成田さん
分もまだ定まっていないが)食いついて聞
からお聞きしたものの、キャンパスは広く
いていきたい。
それぞれの学部の特徴が建物にも出てい
夜は日本人同士で自分らの思っているこ
ました。生徒達からは、入学方法や大学で
の生活、MITの著名な研究などについて
とを出し合った。それぞれが悔しかったり
質問が出ていました。最後に三浦君が今回
悩んだりしているのを知った。滅多にない
お世話になった成田さんへ感謝の気持ち
経験だと思う。先生方や ISA の方も親身に
を込めたスピーチをしてくれました。
6日目 7月11日(木)
- 10 -
MIT 訪問
まず MIT に行って驚いたことは、理系学
部しかないと思いきや文系の学部も豊富だ
ということだ。また日本の大学に比べ、非
常に広く、開放感のあるキャンパスとなっ
ている。海外留学に憧れをもたされた。
成田さんのお話も非常にためになった。日
本の入試制度では学力が最重要視されるが、
アメリカでは人間性や考え方がかなり重視
されるそうだ。社会に出て役に立つ人間は、
MITのキャンパスにて
夕方のアクティビティは留学生と一緒に
ブレスレットづくり、サッカーミニゲーム
等を楽しみました。女子だけでなく男子も
色とりどりの刺繍糸を使ってブレスレッ
トを作り、作品をさっそく鞄に取り付ける
などしていました。
終了後、今回の研修のメインイベントでも
ある明日の班別ボストン自由行動につい
て、一班ずつミーティングを行って最終調
整をしました。全員無事帰って来ることが
できるよう細かく指導しました。
(生徒の日誌から)
7月11日(金)
26H
酒井
梨々香
英語クラス最終日
最初はあまり発言することもできず、他
国の生徒の積極的な発言に驚くばかりの私
だったが、徐々に発言できるようになった。
この日は日本人と他国の人の考え方の違い
について簡単に話し合った。こうやって話
し合ってみると、日本では当たり前である
ことが、他国では当たり前でないことが多
い。だから日本人から見るとおかしいと思
うこともほかの国では当たり前、というこ
ともあるのだろう。どの考えが正しい、正
しくない、とするのではなく、さまざまな
考えが存在することを認めることが、世界
人としての第一歩になるのではないだろう
か。今日は最終日にして学ぶことも多く、
今までで一番楽しい授業となった。
自分の意見を発信しつつも周りと調和をと
れる人だからこそ入試でも重視されている
のではないだろうか。学校の授業を受動的
に受けるだけでなく、自分で物事を考えた
り、周りとの人間関係を大切にしたりする
ことも高みを目指す私たちにとって必要な
ことなのだと考えさせられた。
イヴニングアクティビティ
イヴニングアクティビティ
最後のイヴニングアクティビティ。これ
でもう他国の学生の方々と交流できる時間
も残りわずかだ。というわけで、最初は、
日本人の友達と黙々ブレスレットづくりに
励んでいた私だったが、時間がたつにつれ、
名残惜しくなり、今まで一番話したスペイ
ンの子に話しかけた。研修当初は、
「外国人
だから」と、特別な目線を向け、話してい
た私だったが、日々その見方は変わってい
った。そして今日、
「外国人」の生徒と共通
の趣味の話題で話している。共通のことに
ついて話し、楽しみを共有できるのは、同
じ国の、同じ言葉を話す人だけではなかっ
たのだ、と今日改めて思った。話している
ときの興奮、笑って私の質問に答えてくれ
る優しさ。国によって文化や考え方は異な
っても、根底にある人間的な部分は同じな
のである。だから私たちはもっと、国が違
うからと怖気づかず、色々な国の人と接し
て良いのだと思う。互いの考え方を尊重す
- 11 -
れば、同じ「人間」である私たちが分かり
合えないわけがない。自分の感情などを共
また、私が気づいたことは、自分のこと
を伝えよう、話そうとするのは自分の問題
有できるのは日本人だけ、というリミット
を解放できたのは今回の研修での最も大き
だということだ。自分のことを分かってい
るのは自分だけで、どう表現するのかも自
な収穫だった。
分次第だと思う。英語クラスでは話す能力
が重要だと分かった。
(生徒の日誌から)
クラスの終わった後に、私のクラスの先
生に「英語がうまく理解できない、どうす
7月11日活動報告
24H
能登
健仁
台湾の留学生との朝食
台湾の留学生との朝食
私は昨日までの活動の中で、日本人以外
の留学生と話をしながら食事をしていなか
った。明日こそは、と思いながら、なかな
かできずにいた。しかし、昨晩のみんなの
正直な気持ちが聞け、同じことを思ってい
たのは自分だけではない、と知り、積極的
に話しかけることができた。話しかけるの
は自分一人でするのが一番だとは思うが、
私はこの時二人で話しかけにいった。孤独
感が薄れ、自然と勇気を出すことができた
のだと思う。
一緒に朝食をとったのは、台湾から来た
高校生だった。後から、他の人も加わって、
結果的に多くの人と話せた。初対面にして
は、結構話せたと思うし、なにより英語で
会話できたことが、一番良かったことだと
思う。
ればいいのか。」と尋ねた。すると、音楽や
映画などで英語を聞くことで耳をつかえば
よい、と教えてくれた。そして、君からは
やる気が一番感じられた、きっとその姿勢
で取り組めば上達するよ、とも言われた。
これを聞いて自分のしていたことが英語上
達のために大切だったことに気づき、また、
嬉しかった。いっそうやる気が出た。
マサチューセッツ工科大学の見学
午後は、マサチューセッツ工科大学に行
き、博士課程の成田さんに案内していただ
いた。私は工学分野にとても興味があるの
で、いい体験になったと思う。工科大とあ
るので理系だけしかないと思っていたが、
文系の学部もあると聞き驚いた。また、ス
ポーツ、芸術など幅広くしたいことができ
るようなところだった。一点から物事を観
察していても、見える部分は同じだから、
様々な視点から物事を見て、考えをより豊
かにすることで、発明や発見をするのを手
助けするためではないかと思った。
研修最後の英語クラス
私は初め、英語クラスは正直つらいし、
やりたくないと思っていた。なぜなら、ほ
とんど他の人の話すことが理解できないし、 (現地からの報告)
質問にうまく答えることができなかったか
らだ。しかし、回を重ねるたび、聞き取れ
はしなくても、聞こうと努力する姿勢は良
ここに来てずっと利用していた
Dewick-MacPhie Dining Hall での朝食も
くなっていったと思う。だからといって、
今日が最後となりました。外国人留学生を
最後のクラスでいきなり理解できるように
見つけ同じテーブルに座って英語を少し
なる訳でもなく、これまで通り相手の英語
でも使おうと頑張ってきましたが、それも
を理解するのは難しかった。
今日で最後ということで、各テーブルでは
7日目 7 月 12 日(土)
- 12 -
お別れの言葉を交わす光景が見られまし
た。特に台湾の友達からは手書きのポスト
カードを手渡され、その気持ちの細やかさ
に感激している生徒もいました。
さて、今日はいよいよ班別行動の日で、昨
夜確認した計画表にしたがって、ボストン
の街を散策しました。各班は、それぞれま
とまって学生寮を出発。地下鉄で移動して、
ボストン美術館、フェンウエイパーク、フ
リーダムトレイル、クインシーマーケット、
ボストン虐殺事件の史跡、ニューイングラ
ンド水族館、科学博物館などを訪れました。
街は、アメリカ開国時からの古い歴史を思
わせる煉瓦造りの建物と近代的な高層ビ
ルが入りまじり、青空を背景にアメリカら
しい姿を見せてくれました。
夜のアクティビティーは、アイスクリーム
を食べながら他国留学生と交流したり、外
で思い思いにキャッチボール、ミニサッカ
ーを楽しみました。交流もこれが最後とな
りました。名残惜しさが尽きないひと時で
した。明日はボストンを離れ、ニューヨー
クへと移動します。研修もいよいよ佳境で
すが、気を抜かず全員が笑顔で帰国出来る
よう最後までベストを尽くします。
(生徒の日誌から)
7月13日(日)
7月13日(日)
26H 小倉 綾華
今日はボストンでの班別自主学習があり
ました。正直、前日までしっかりと班員だ
けで回れるか不安だったのですが、みんな
で協力して無事、時間通り帰り着くことが
できました。それぞれ訪れた場所はすべて
興味深いものばかりでとても充実した時間
を過ごすことができました。これまでの6
日間の行動の反省などを活かして班での行
動ひとつ一つを慎重にし、班員全員の意見
を尊重して回りました。地下鉄は日本のも
のよりもずっと乗り方がシンプルでブルー
ラインは青色の電車に乗ればいいなど、と
ても分かりやすかったのですが、やはり一
つ気になったのは時間でした。4つの路線
のうち時刻表が出ていたのは1つもなく、
電車の到着時間がしっかりと電光掲示板に
表示されていたのも2つの路線だけでした。
その面から考えると、やはり日本は素晴ら
しいなと思えました。時間に対する意識の
差なのだと思います。しかし、これはアメ
リカに来ないと知ることができなかったこ
とです。これが Dana-Farber で須川先生が
おっしゃっていた「日本を客観的に見るこ
と」なんだと分かりました。これからも積
極的にこのような点を見つけていきたいで
す。
最終日
いよいよ研修も本日で最後となりました。
最後の締め括りとして、前日の夜に藤塚君、
西野君、上田君が中心となって皆に提案し
ていた通り、早朝 6 時にニューヨークセン
トラルパークへと向かいました。ニューヨ
ークの高層ビル群と朝の散歩をしているニ
ューヨーカーに向かって、全力でこれから
の決意表明をしました。最初は戸惑ってい
た生徒達も、大崎君が先陣を切って宣言し、
どんどん次へ次へと続いて行きました。進
路への誓い、将来の夢、仲間への感謝の気
持ち等、ニューヨークの街中に向かって熱
い気持ちをぶつける生徒達の様子を見たニ
ューヨーカーが、恐らく言葉は分からない
までも笑顔で拍手を送っていました。感動
的なひと時でした。
朝食をとり、あとは一路日本へ向かいま
す。生徒達の疲れはピークに達していると
思いますが、各班長を始めミスなく行程を
進める様子はさすが中部高校生と言えます。
長い空路を経て富山空港に到着すると、保
護者の皆様、校長先生を始め学校の先生方
に盛大にお迎え頂きました。
・解散式は半田さんの司会で校長先生、五
十里先生、生徒代表塚原君、ISA の登坂さ
- 13 -
んより挨拶を頂き、また生徒全員からのサ
世界史の教科書に載っていた本物の絵を見
プライズな演出に大変感動させられました。 ることができて本当に感動しました。まだ
この研修が、歩幅の違いはそれぞれあれど、
生徒全員の人生のプラスに作用することを
まだたくさんのアートが飾られてあったの
で、いつか自分の力でまたここにきて、今
願ってやみません。
度は自分の興味が惹かれるところを思う存
分見てみたいなと思います。
7月13日(日)
7月13日(日)
石若夏季
ニューヨークのホテルでは、夜に座談会
が行われました。こちらで活躍していらっ
朝、少し早起きしてボストンで仲良くな
れたナディーンや同じクラスの友達に手紙
しゃる四人の方に食事をとりながら、とい
うラフなスタイルではありますが、貴重な
を書きました。6日間くらいしか一緒には
いられなかったけど将来の夢や自分たちの
お話を聞かせていただきました。私はアメ
リカの進学校で教師をしていらっしゃった
国のことなど、同じ17歳としていろいろ
なことを語り合ったことを思い出すと、思
方と、メディアのお仕事をしていらっしゃ
った方からお話を伺いました。お二方とも
わず涙がこぼれだしました。初日はあんな
に他の国の人に話しかけるのを怖く思って
いたのに、こんな気持ちになるなんて、と
自分で自分が信じられませんでした。みん
な手紙もプレゼントもすごく喜んでくれて
時間がなかったからあまり話せなかったけ
れど最後に会えてよかったです。ボストン
は一番長く滞在した場所で、一番充実して
いて一番あっという間でした。
NY についてからは空気、建物、通りを歩
く人に至るまで、すべてのスケールが大き
くて、どんなに有名な建物を見ても NY にい
るという実感がわきませんでした。自分の
こととして受け止めることができない、と
いうような気持でした。
途中で立ち寄ったメトロポリタン美術館
はとてもきれいで、気を抜いたら迷ってし
まいそうになるくらい広かったです。ガイ
ドさんもとても優しくて、ゆっくりの英語
で確認しながら説明をしてくださるのがと
てもうれしかったです。本当はエジプトや
アフリカの民族的な小物や昔の楽器を見た
かったのですが、時間がなかったためにす
こししか見られなかったのが残念でした。
でも、有名な学校で習ったものや、美術や
神戸出身ということで関西の話しやすい雰
囲気の中いろいろなことを教えていただき
ました。教師だった方からはアメリカの高
校生がどのようなことを考えてどれくらい
熱心に学習しているのか等のお話を聞き、
とても刺激を受けました。アメリカの学生
たちは日本の学生よりもある意味で成績に
貪欲で、そのためならどこまでも自己アピ
ールをする子が多いなという印象を私は持
ちました。また日本よりもボランティア活
動を重視する傾向があるそうです。メディ
アで働いていらっしゃる方はアメリカにい
るからこそ可能な視点で日本の良さや世界
においての日本などわくわくするようなこ
とを教えていただきました。日本の技術や
サービス業は世界の中でも群を抜くものが
あることなど、実際にアメリカで活躍され
ている方から聞くと説得感があり様々な興
味の持てることを見つけられました。本当
はソニーに勤めていらっしゃる方と医療機
器の開発に携わっていらっしゃる方のお話
を伺いたいと思って臨んだ座談会で、席の
関係でそのお二方のお話を伺えなかったこ
とを少し心残りに思ったのですが、終わっ
てみると自分は興味がないと思っていたこ
27H
- 14 -
とも面白味があって、もしかして今までの
私は自分のチャンスを自分で制限していた
のかなとも思いました。
アメリカにいられるのもあとわずか!一
瞬一瞬を後悔なく過ごしたいと思います!
26H
柴山莉絵子
今日は 1 週間、同い年の外国の人たちと
過ごした寮を出発した。この 1 週間は中身
が濃かった。外国人に圧倒されて上手く話
せなくて悔しかった初日から授業で積極的
に発言したり、勇気をふりしぼって話しか
けることができたりと自分の成長が感じら
れる 1 週間だった。この寮を離れるのは寂
しい気がする。
午前中はボストンから飛行機でニューヨ
ークへ移動した。ニューヨークへの移動途
中にアメリカの象徴ともいえる自由の女神
を眺めた。自由の女神はアメリカが独立し
たときのフランスからのプレゼントだとい
うことだ。自由の女神を見ているとアメリ
カを建国して自由の権利を求め、獲得した
祖先たちの偉大さが伝わってきた。そして、
ついにあのニューヨークへやってきた。今
までテレビで何度ニューヨークを見てきた
ことだろう。国連のある世界の中心都市、
多くの映画の舞台、大観光地としてわたし
の憧れの都市である。人が多く明るい街で
ある一方、忘れてはならない事件が起こっ
た場所でもある。幼かった私にも記憶が残
っている同時多発テロが起こった世界貿易
センタービルの跡地をバスから眺めた。1
3年が経った今でも世界各地から本当に多
くの人が死傷者の追悼に訪れていた。
グランドセントラルステーションでお昼
を食べてから、世界一規模の大きなメトロ
ポリタン美術館へ行った。この美術館には
世界各地からの作品が 300 万点も納められ
ている。一生をかけて全ての作品を見たい
なと思ったけれど、休館日を考えて、開館
から閉館まで作品を一点につき1分使って
鑑賞したとしたら 13 年もかかるそうだ。今
日見たものは、エジプトの遺跡やアフリカ
の像などだった。次にこの美術館を訪れた
ときには、日本の浮世絵を見たい。日本で
作られた価値のある作品が現在、外国の美
術館に飾られているなんておかしいような
気がする。これは、江戸時代に外国人が目
をつけて、持っていったものだということ
を聞いたことがある。その時にもっと日本
人が浮世絵を大切にして、外国へ流れてし
まうのを食い止めればよかったのではない
かと思う。しかし、日本の文化がこれほど
までに海外で認められていることは日本人
として誇らしいことである。
夕食の時にはニューヨークで活躍されて
いる日本人の方々と話をした。広告業界で
働いておられる方は友人に広告業の手伝い
を依頼されたことをきっかけにアメリカで
働くことを決めたそうだ。最初は外国人が
何を話しているのかを理解できなかったの
だが、夜に学校で行われる大人のための英
語教室に通って英語をマスターされたそう
だ。今でも聞き取れないこともあるそうだ
が、アメリカでの生活を楽しんでおられる
雰囲気が伝わってきた。キャリアのことも
たくさん聞くことができたが日本とアメリ
カの政治の仕組みの違いなども聞くことが
できて話が弾んでとても楽しかった。
アメリカで日本語教師をされていた方に
もお話を聞いた。アメリカの学生はボラン
ティア活動に積極的に参加しているそうだ。
また、日本と比べてのびのびと勉強しなが
らも、勉強に対して熱心だそうだ。私たち
も負けてはいられない。アメリカの学生に
ついての話を聞いて自分も頑張らなければ
ならないと思った。そこで自分なりに目標
を定めた。その目標を達成するために勉強
と休息のメリハリを大切にし、計画を立て
て、毎日コツコツやっていこうと思う。
- 15 -
7月14日(月)、15日(火)
27H
冨樫
明寛
研修の最終日。名残惜しい雰囲気の中、
セントラルパークの前で摩天楼に向かって
叫んできた。外国人と将来大人の世界で勝
負することと、陸上 800m を 1 分台で走るこ
とを誓い、なんだか吹っ切れた気がした。
今までなんとなく漠然としていて人前で言
さんできるのだと思う。
こういう何気ないガイドさんの話もメモ
するようになったのは、将来の自分のため
である。研修の中で聞いた話はみな自分の
知識として、もちろんそこでしか体験でき
ないことでもあるので自分の経験として、
思い出として記憶の中に残しておきたいと
自然に思うようになった。本当は昨日のメ
トロポリタンでのガイドの方の話も、芸術
がわからない自分だったので、メモをとっ
うのが恥ずかしかった夢も、この研修を通
してより明確になり、自信がつき、声に出
して言うのも恥ずかしくなくなった。恥ず
かしくなくなったのは、明確になったから、
そして自分が成長したからだと思う。1人
1人の叫びを聞いたが、多くの人が自分と
同じ気持ちなのではないか。大きな夢を吐
き捨てて笑顔になった人もいた。研修がこ
のように誰もが本音を言える雰囲気となれ
たのは成長の証で、本当に中部高校にもプ
ラスに働くと思う。その後 imagine 碑の前
に移動して記念撮影。ジョン・レノンの好
きだった場所らしく、街中と違って静かな
雰囲気を感じた。ジョン・レノンが撃たれ
たのは近くのアパートらしいが、そんな都
会のど真ん中でもむごい犯罪が横行するの
がアメリカの本当に恐ろしいことだと思う。
そういえばホテルでニュースを見ていても
殺人のニュースがいくつも流れていた。高
校生のうちにそのようなアメリカを体験で
きたのはとても大きいと思う。
JFK 空港に向かう途中で橋を渡ったが、そ
の橋はスパイダーマンの舞台となったらし
い。ニューヨークが映画の撮影に協力的な
のは雇用を増やすためと町の宣伝のためと
いうことも聞いた。賢い作戦だと思う。映
画の撮影のために街が一時的に不便となっ
ても、映画が有名になりそこが名所となれ
ば経済的な効果も高い。世界一の街で有
名・人気だからこそ、そういうこともたく
ておきたかった。以前だったらどうでもい
いと聞き流したり、興味があってもわざわ
ざメモを取ったりはしなかったと思う。だ
からメモしたいと思うようになったのも成
長の証ではないか。
JFK 空港で最後に土産を買おうと思って
いたが、免税店が少なく、たいしたものが
買えなかった。いつもこうやって失敗する。
ほしいものはすぐに買うべきだと思った。
(今回は日曜にやっと 100 ドルが戻ってき
て、それまであまりお金に余裕がなかった
こともあるが。)
富山についてからの塚原君のスピーチ。
「人生は挑戦である。そして私たちの挑戦
はまだまだ続く。」という内容だった。こ
の研修も挑戦だった。この研修をどのよう
に受け止め、どのように人生に生かし、何
に挑戦するかがこれから重要になると思う。
それを塚原君は再認識させてくれた。自分
はこの研修で味わった悔しさを、勉強して
将来晴らそうと思っているし、夢のために
様々なことに挑戦できると思っているし、
時には趣味やいつもと違う活動で教養や感
性を深めることも大切だと学んだ。これか
らも意識を高く持っていきたい。
研修に関わったすべての方々に感謝した
い。このようにわざわざ自分の将来のため
に長々と文を書きたいと思えるようになっ
たのも成長の証、自分の変化である。
- 16 -
個 人 研 修
個 人 研 修 課 題 一 覧
2115 柴
山
莉絵子
アメリカにおけるボランティア活動の状況
2125 野
村
奈々花
世界の学校制度について
2126 乃
村
友
梨
海外と日本における人間関係の見解の相違
2208 大
崎
達
也
“ Global” な 視 点 か ら 「 大 人 」 を 考 え る
2301 荒
井
千
晶
最先端の癌治療について
2304 上
田
智
郎
アメリカのゴミ事情
2310 草
野
雅
貴
米国で学ぶ、働く理系とは何か?
2311 黒
田
彩
華
情報化社会
2313 新
貝
2333 松
井
綾
里
世界の伝統料理について
2337 安
元
圭
花
アメリカと日本における原子力発電への意識の相違
2404 浦
崎
凌
一
アメリカにおける医療研究
2426 能
登
健
仁
最先端の工業技術
2438 横
尾
陽奈子
食生活と癌との関連
2519 関
口
真
生
アメリカの病院
2527 長 谷 川
瑞
歩
ア メ リ カ に 魅 せ ら れ て ~ What I learned this time~
2531 藤
谷
真
麻
アメリカと日本の医療
2538 吉
田
啓
人
アメリカの大学では何が起きているのか~留学生に聞く!
2607 植
田
千
穂
海外研修中の日本人のコミュニケーションについての所感
2612 小
倉
綾
華
Dana-Farber 癌 研 究 セ ン タ ー の 魅 力
2616 酒
井
梨々香
癌「治療」とは
2619 下
野
直
弥
最先端の科学技術
2621 髙
桑
絢
菜
マサチューセッツ工科大学
2628 半
田
茉
莉
「病院」という存在
2631 藤
塚
偉利哉
アメリカと日本の医療制度の違いとその影響について
2637 皆
口
美夏子
MITで活躍する日本人義足エンジニア
2702 石
田
羽
海
日本とアメリカの医師不足について
2703 石
若
夏
季
考え方の違いから動物たちを救う新技術に発展はあるか?
2705 今
田
華乃子
アメリカと日本における癌の種類と原因の傾向の違い
2710 小
原
大
拓
世界から見た日本
2714 木
谷
百
花
世界に見る生命倫理
2715 城
戸
陽
菜
笑いは癌治療に効果があるか?
2717 木
村
一
樹
世界と日本における教育の違い
2720 椎
名
青
葉
国ごとの日本への評価の違い
2721 嶋
川
沙野子
アメリカと日本における癌治療の違い
2723 髙
桑
智
アメリカと日本における癌の発生部位の違い
2724 塚
原
2726 冨
樫
明
寛
コ ン ピ ュ ー タ ー の 進 化 と MIT
2727 西
野
輝
希
120% で 取 り 組 む と い う こ と
2731 三
浦
佑
介
アメリカと日本における社会環境の違い
皐
コミュニケーションの難しさ
就
陽
アメリカの法・行政と連邦制
-1-
遠藤謙さん
か な か 話 し か け ら れ な か っ た 。し か し 、
外国人と普段話すことはないから勇
気 を 振 り し ぼ っ て 一 歩 踏 み 出 し た 。話
が通じていないと感じることや聞き
取れないことはあったがこの経験に
よって今までより積極的に行動でき
る よ う に な っ た 。ま た 、ア メ リ カ の 大
学は日々の課題が多く日本の大学と
は 雰 囲 気 が 違 う 。緊 張 感 と 表 現 す る と
よ い の か は わ か ら な い が 、ア メ リ カ の
大学生の方が日本の大学生と比べて
勉学により励んでいると思われる。
2 つ目の好きなことをやり続けると
い う こ と は 大 切 な こ と だ と 思 う 。ス ポ
ー ツ で も い い し 、楽 器 で も い い 、そ れ
は人生の思わぬところで生きてくる
か も し れ な い 。大 学 受 験 は 忙 し い か ら
習 い 事 を や め る 。確 か に 忙 し い か も し
れ な い 。で も 大 学 は 通 過 点 に す ぎ な い
の で あ る 。そ の あ と の 人 生 の こ と を 考
え れ ば 、自 分 を 表 現 で き る 好 き な こ と
は大切にしたい。
アメリカにおけるボランティ
ア 活 動の 状 況
21H
柴山
莉絵子
現地での聞き取り調査から
私は貧困や飢餓で苦しむ人を援助
する活動に興味があるのでボランテ
ィ ア 活 動 に つ い て 調 査 し た 。以 前 か ら
アメリカはボランティア活動が盛ん
だ と 聞 い て い る 。そ れ に 対 し て 日 本 の
学生はボランティア活動にあまり参
加 し て な い と 言 わ れ る 。そ こ で 実 際 に
現 地 の 人 に イ ン タ ビ ュ ー を し た 。英 語
クラスで私の担当をしてくださった
ネイビル先生はよくボランティア活
動 に 参 加 し て お ら れ る ら し い 。日 本 で
ボランティアと言うとごみ拾いなど
のイメージが強いがネイビル先生は
週 4 時間大学へ行ってボランティアで
授 業 を さ れ て い る 。ボ ラ ン テ ィ ア に も
様 々 な 種 類 の も の が あ る の だ 。ア メ リ
カで日本語教師をされている方の話
に よ れ ば 、ア メ リ カ に は 入 学 の 合 否 を
決める際ボランティアなどの活動を
重 視 す る 大 学 も あ る そ う だ 。ア メ リ カ
の生徒は本当にボランティアに対し
て熱心で毎週末ボランティア活動に
参 加 し て い る 生 徒 も い る そ う だ 。ま た
台湾出身の同学年の女の子に尋ねて
み る と 、友 達 は 積 極 的 に ご み 拾 い な ど
に 参 加 し て い る と の こ と だ っ た 。国 の
教育方針として学生たちにボランテ
ィア活動に参加することを推進して
い る の で は な い か と 思 う 。ぜ ひ 日 本 も
促 進 す る べ き だ 。そ の よ う に 参 加 す る
こ と に よ っ て 、他 人 に 対 す る 思 い や り
が養われて必ず社会に出たときに役
立つだろう。
これからを考える
ま ず 、身 近 な 大 学 受 験 に つ い て 。現
地の日本人の方がおっしゃられたこ
とだが、大切なのは、目標を立てて、
それに向かって一つひとつこなして
い く こ と 。そ の 一 つ ひ と つ が 目 標 に 繋
がっているのである。
これから生きていく中で何が正し
い 道 か は 分 か ら な い 。目 標 が 達 成 で き
なかったからといって失敗なのでは
な い 。そ の 目 標 へ 向 か う 他 の 道 が あ る
か も し れ な い 。た っ た 1 度 の 人 生 な の
だ か ら 、私 は 自 分 の 夢 や 目 標 の 達 成 の
た め に あ き ら め ず 、ず っ と 追 い か け て
いこうと思う。
世界で活躍する日本人から学ぶ
心 に 残 っ た の は 、ハ ー バ ー ド 大 学 に
通 わ れ て い る 、小 林 さ ん の 言 葉 で 、緊
張の中でしか人は成長しないという
言葉と好きなことをやり続けるとい
う こ と で あ る 。勉 強 に お い て も 部 活 に
おいても何においても言えることだ
と 思 う 。一 歩 踏 み 出 す 時 は 緊 張 す る も
の な の だ と い う こ と で あ ろ う 。実 際 ア
メリカでの外国人との交流では英語
力 に 自 信 が な か っ た し 、話 が 続 か な か
ったらどうしようと思ったりしてな
世
界 University
の学 校 制度
にくつい
Tufts
内の数多
の Hall て
のひとつ
-2-
段階でどのような内容を学んでいる
の か は 分 か ら な い が 、中 等 教 育 、教 科
担任による教育を早い段階から開始
す る こ と は 大 切 な こ と だ と 思 う 。富 山
中部高校に進学して実感したが高校、
特に進学校で学ぶ内容は膨大であり、
大 学 受 験 を 考 慮 す る と 、中 学 の 内 容 を
も う 少 し 早 く か ら 始 め 、も う 少 し 長 い
時間をかけて高校の内容を学ぶほう
が 内 容 の 理 解 が 深 ま る と 思 う 。と す れ
ば 、や は り ア メ リ カ の 制 度 は 私 の 意 見
にぴったりだと思う。
教 育 に 対 す る 、世 界 の 様 々 な 考 え を
知 っ た が 、こ の よ う な 様 々 な 考 え を 知
る と 世 界 の 広 さ 、日 本 の 狭 さ を 実 感 し
た 。私 は こ の 研 修 で 、色 々 な 国 の 考 え
と自分の意見を積極的に主張する外
国 人 の 姿 勢 に 衝 撃 が 走 っ た 。日 本 も 世
界 の 色 々 な 考 え を 受 け 入 れ 、外 国 人 の
姿 勢 を 見 習 う べ き だ と 思 っ た 。私 も ニ
世 界 の学 校 制度 に つい て
21H
野村
奈々花
日本の学校制度は世界と同じか
テ ー マ 設 定 の 理 由 は 、海 外 研 修 の 事
前 研 修 で ケ イ ト 先 生 が「 ア メ リ カ の 学
校 は 日 本 と 授 業 数 が 違 う 」と い う こ と
を 言 っ て い て 興 味 が 出 た か ら だ 。私 は
様々な国の人たちと話せる機会を利
用してアメリカ、チュニジア、台湾、
ス ペ イ ン 、ロ シ ア 、ブ ラ ジ ル 、 ト ル コ
の 生 徒 に 質 問 す る こ と が で き た 。質 問
は 2 つ 、「 あ な た の 国 で は ど の よ う に
進 学 す る か 」、「 1 日 の 授 業 数 は い く
つか、また、それぞれ何分か」だ。
日 本 の 小 学 、中 学 、高 校 に 相 当 す る
学 校 名 が 無 か っ た 国 も あ っ た が 、次 の
表のようになった。
国名
小 学 (年 )
中 学 (年 )
高 校 (年 )
アメリカ
5
3
チュニジア
6
3
台湾
6
3
スペイン
6
4
ロシア
4
5
ブラジル
9
トルコ
8
5
このように各国で学校制度に違い
が 出 て く る の は 、各 国 で 教 育 に 対 す る
考え方が違うからだろう。
例 え ば ア メ リ カ で は 、各 州 に よ っ て
学 校 制 度 は 違 っ て い る が 、早 く か ら 教
科担任による教育を子供に受けさせ
る た め に 5- 3- 4 制 を 採 っ て い る 。ロ
シ ア で も 小 学 校 の 年 数 を 短 く し て 、早
くから中等教育を受けさせる政策を
とっている。
4
4
3
2
2
3
4
大 学 (年 )
4
4
4
4~7
授業数
(限 )
5~7
7
7~8
7
6
4
授業時間
(分 )
50
55
45~50
60
45
75
ューヨークで決意表明をしたように、
日本の美学にとらわれない積極的な
行 動 を し 、自 分 の 意 見 を 発 信 し て い こ
うと思う。
このことを調べて
私 は 世 界 の 学 校 制 度 を 調 べ て 、や は
り 、日 本 の 6- 3- 3 制 よ り 、ア メ リ カ
の 5- 3- 4 制 の 方 が よ い と 思 う 。ど の
-3-
海 外 と日 本 にお け る人 間 関係
の 見 解の 相 違
21H
乃村
友梨
自分の意見・希望を言葉にする
今 回 の 研 修 で 、タ フ ツ 大 学 寮 で の 授
業 や 留 学 生 同 士 の 交 流 を 通 し 、生 ま れ
育った国が違えば物事に対する姿勢
や感覚も違っていることを実感した。
最初にそれを実感したのは留学生
同 士 の 交 流 の 時 で あ っ た 。現 地 の ス タ
ッフさんが交流のためのゲームを進
行 し て い の だ が 、他 国 の 留 学 生 た ち は
事あるごとにそれに対して意見をす
る。また、スペインの留学生たちは、
交流の際にスタッフさんがジョーク
で 言 っ た こ と を 実 現 さ せ よ う と 、活 動
終了後に交渉をしていた。
こ れ は 、自 分 た ち の 望 む こ と を 交 渉
によって得ようという考えがあるか
ら な の で は な い か と 私 は 考 え る 。相 手
が 年 上 だ か ら 、と い う 遠 慮 を す る 必 要
は な く 、自 分 の 意 見 を 言 葉 に す る こ と
は当然であるという考えがあるので
あ ろ う 。一 方 日 本 で は 、目 上 の 方 に 遠
慮 し た り 、考 え て い る こ と を 言 葉 に し
なくてもお互いの気持ちを察するこ
とが美徳と考えられているように思
われる。
日本人の感覚では他国の人には通
用しないと強く感じた機会があった。
英語授業の中で留学生とペアを組ん
で 短 い 劇 を 作 っ た と き だ 。黙 っ て い る
だけではお互いの意見を知ることは
で き な い 。し か し 共 通 に 使 え る 言 葉 は
英 語 だ け で あ る 。相 手 に 質 問 を す る こ
とも難しく感じた。
タ フ ツ で の 活 動 を 通 し て 、言 葉 に し
ないと伝わらないことや自分の希望
を 通 す た め に 交 渉 す る こ と は 、他 国 の
留学生にとって自然な感覚であると
わ か っ た 。他 国 の 留 学 生 た ち は 授 業 中
に挙手を求められていないときでも
先 生 に 意 見 す る こ と が で き て い た 。私
は言葉にせずとも察するという日本
-4-
人 的 な 美 徳 が 悪 い と は 思 わ な い 。し か
し 、そ ん な 彼 ら を 見 て 、意 見 を 言 わ な
い日本人のままでいて本当によいの
だろうかと思った。
グ ロ ー バ ル 、イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル と
言 う こ と は 簡 単 だ 。だ が 、今 の 自 分 に
は進んで意見を表明する勇気も言葉
にして表現するための語学力もない。
相手の反応を気にしすぎることで自
分が委縮しているようでは外国では
通用しないだろう。
ア メ リ カ で の 最 後 の 活 動 に 、ニ ュ ー
ヨークで自分のこれからの抱負を叫
ぶ 、と い う も の が あ っ た 。本 音 を 言 え
ば 、私 は 人 前 で 意 見 を 言 う こ と が 苦 手
で あ る の で 、で き れ ば 参 加 し た く な い
も の で あ っ た 。し か し 、研 修 中 の 留 学
生 の 積 極 的 な 姿 勢 や 、共 に 研 修 に 参 加
した仲間たちが次々と大きな目標を
表 明 し て い る の を 見 て 、自 分 の 考 え を
言うことは恥ではないのではないか
と 考 え 、挙 手 す る の は 最 後 の 方 に な っ
て し ま っ た が 、あ の 場 で 目 標 を 言 う こ
とができた。
言 葉 に し な け れ ば 伝 わ ら な い 、こ れ
が こ の 研 修 で 強 く 理 解 し た こ と だ 。グ
ロ ー バ ル 社 会 で 生 き て い く に は 、周 囲
に遠慮して黙っているだけではいけ
な い と 私 は 考 え る 。今 回 の 研 修 を 機 に 、
積極的に物事に取り組む意識を持つ
ようにしたい。
図 書 館 の 屋 上 に TUFTS の 文 字
“ Global”な視
Global ”な視 点 から「 大人 」
を 考 える
22H
大崎
達也
「大人」とは?
「 大 人 」。 十 分 に 成 長 し た 人 。 一 人
前 の 人 。と 広 辞 苑 に は あ る が 、果 た し
て「成長」や「一人前」とは何を意味
す る の か 。基 準 は 文 化 に よ っ て 違 う の
か。私はアンケート調査を実施した。
アンケートに協力してくださった
のは、10代の日本人、スペイン人、
台 湾 人 、 ロ シ ア 人 、チ ュ ニ ジ ア 人 、 2
0代のアメリカ人の約30人で有効
な回答を結果に反映した。
下記のことができるようになる年齢
選挙権 飲酒 喫煙
車の運転 結婚(男) 結婚(女)
日本
20
20
20
18
18
16
スペイン
18
18
18
18
18
16
アメリカ
18
21
18
16
18
16
台湾
20
18
18
18
17
16
ロシア
18
18
18
18
18
18
チュニジア
18 18* 制限なし
18
18
18
ま ず 、法 律 面 で の 成 人 に つ い て で あ
る 。日 本 の 成 人 年 齢 が 2 0 歳 な の は 他
国 よ り や や 高 か っ た 。チ ュ ニ ジ ア で は
飲酒は18歳から可能だが飲酒を禁
忌とするイスラム教を国教とするた
め飲酒自体が好ましくないそうであ
る。
次 に 大 人 の 基 準 、大 人 と 聞 い た 時 の
印 象 を 聞 い た 。大 人 と 聞 く と 、ど の 国
で も「 仕 事 」「 責 任 」「 成 人 年 齢 に 達 す
る 」 と い う 回 答 が 、大 人 の 基 準 は 、 日
本 人 で は 「 自 立 す る こ と 」、 日 本 人 以
外 で は 「 責 任 能 力 が あ る こ と 」「 成 熟
す る こ と 」の 回 答 が 多 か っ た 。そ れ ぞ
れが思う大人の印象と基準の間に大
き な 差 異 は な く 、人 に 頼 ら ず と も 生 き
てゆける点で子どもとは違うという
認識がほぼ共通していた。
あなたは「大人」ですか?
Are you an adult?
YES
NO
2
22 ( 1 0 代 の み 回 答 )
-5-
Do(Did) you want to be an adult?
YES
NO
19
9
最 後 に 、自 分 は 大 人 か 、大 人 に な り
た い か を 聞 い た 。自 分 は ま だ 大 人 で な
い と い う 回 答 が 多 く 、そ の 理 由 は 日 本
人 で は 「 ま だ 親 の 助 け が 必 要 」、 日 本
人 以 外 で は「 ま だ 1 8 歳 で な い 」が 多
か っ た 。ま た 、「 自 己 管 理 で き る 」「 お
金 を 稼 げ る 」と い う 理 由 で 自 身 を 大 人
だという人もいた。
し か し 、自 分 は 大 人 で な い と 答 え た
人 が 多 い 中 、大 人 に な り た い と 思 う 人
は 多 か っ た 。「 自 分 の 好 き な こ と を し
た い 」「 自 立 し た い 」「 夢 を 叶 え た い 」
と い う 意 見 と 、「 子 ど も の ま ま で い
い 」「 責 任 を 負 い た く な い 」 と い う 意
見が目立った。
こ の 2 つ の 質 問 か ら 、大 人 は 子 ど も
に比べ自由なことが多いが責任が常
に付きまとう存在ではないかと思わ
れ る 。そ の 責 任 を 肯 定 的 に と ら え る か
否定的にとらえるかが意見の違いと
なったのだろう。
さ ら に 、 日 本 人 は 「 自 立 」「 親 の 助
け 」な ど 人 と の 関 係 を 、日 本 人 以 外 は
「 責 任 能 力 」「 1 8 歳 」 な ど 自 身 に 関
す る こ と を 重 視 す る 傾 向 が あ っ た 。大
人に対する考え方には法律や成人年
齢のようなハードな面と宗教などの
文化や国民性のようなソフトな面の
両方が関わっているようだ。
こ の 国 際 社 会 を「 大 人 」と し て 生 き
る私たちに必要なのは自身の行動に
責 任 を 持 ち 、自 身 の 望 む こ と を す る こ
と で あ る 。海 外 の 方 々 と 接 し て い く 中
で私は日本人のこまやかな心遣いが
できる心と自身を強く主張する海外
の方に負けないアピール力と行動力
を持つ「大人」として生きたい。
最 先 端の 癌 治療 に つい て
23H
荒井
千晶
日本とは違った病院施設
海外研修4日目に癌研究センター、
Dana- Farber を 訪 れ ま し た 。日 本 の 病
院にはないような様々な施設が多く
ありました。
最 も 驚 い た の は 病 院 内 に 、チ ャ ペ ル
が あ っ た こ と で す 。そ れ に も ち ゃ ん と
し た 理 由 が あ り ま す 。Dana- Farber と
Brigham Women 's Hospital の 研 究 で
は癌と診断されたとき結婚していた
人 の 方 が 、結 婚 し て な い 人 よ り も よ り
長生きしているという結果がありま
す 。結 婚 し て い た 患 者 は 、よ り 早 い 段
階で癌と診断されるという傾向もあ
り ま す 。そ う す る と 、治 療 が 成 功 す る
確 率 も 高 く な り 、よ り ふ さ わ し い 治 療
を 受 け る こ と が で き ま す 。結 婚 は 癌 が
良くなることと関係しているようで
す。
日本の病院と大きく違ったところ
は、病院の感じがしないところです。
医 薬 品 の に お い と か 、蛍 光 灯 の 白 い 明
りとかいかにも病院という感じは全
然 し ま せ ん で し た 。売 店 や 食 堂 も と て
も き れ い で 、ま る で ホ テ ル の よ う で し
た。患者さんの気持ちも明るくなり、
そうすると病気も回復したりするこ
と が 多 い の で 、日 本 も 患 者 さ ん の 気 持
ちを明るくさせるような設備を病院
に作った方がいいなと思いました。
周りの環境で患者さんのモチベー
ションが上がったり下がったりする
の だ と 思 い ま し た 。患 者 さ ん に と っ て
のベストな環境を生み出すことが病
気の回復への最善の方法なのだと思
いました。
今研究されている癌
Dana-Farber で は そ こ で 働 い て い る
日本人医師の方からのレクチャーを
受けました。とくに大腸癌について
-6-
の 詳 し い 説 明 を 受 け ま し た 。大 腸 癌 に
も様々な種類があってそれぞれで治
療 法 が 違 う よ う で す 。 ま た 、
Fusobacterium nucleatum と い う も
のが大腸がんの増殖に関係している
ことが分かっているそうです。
Dana - Farber 癌 研 究 セ ン タ ー
ま た 、 MIT で も 癌 の 研 究 が さ れ て い
ま し た 。発 展 途 上 国 で も 人 た ち が 安 く
検 査 を 受 け ら れ る よ う に 、癌 の 人 の 血
液に反応する紙が開発されています。
そのような視点からの癌治療もある
の だ と 感 心 し ま し た 。ま た 、多 く の 癌
治療法がたくさんの研究者たちによ
って研究されています。
MIT は 、 工 業 系 の 大 学 だ と 思 っ て い
ま し た が 、医 学 や 文 系 分 野 ま で 広 い 分
野の研究がおこなわれていることが
分かりました。
今世界の最大の死亡要因は癌であ
る こ と が 分 か っ て い ま す 。し か し 、た
くさんの研究のおかげで癌は治る病
気になってきました。
まだまだ未解決のことはたくさん
あ り ま す 。こ れ か ら 、も っ と 研 究 を 続
け て い き 、新 た な 治 療 法 を よ り 生 み 出
していくべきだと思います。
から現在に至るまでサッカーをして
い る と い う 。サ ッ カ ー を ツ ー ル と し て
米 国 で 友 人 が で き 、ま た サ ッ カ ー が 夢
へ の 原 動 力 と な っ て い る と い う 。彼 が
言 う に は 、現 在 、日 本 で は 学 業 の 面 の
みが重視されがちな教育の現状があ
る と い う 。彼 の 日 本 の 友 人 で 、サ ッ カ
ー を 続 け て い る 人 は 極 々 一 部 で 、日 本
では学業のみが求められる受験の風
潮 が あ り 、本 当 に し た い こ と 、そ れ が
スポーツであったり芸術であったり
し て も 、そ う い っ た こ と が で き な い 流
れ が で き て い る の は な い だ ろ う か 。彼
か ら の メ ッ セ ー ジ は 、そ の 流 れ に 自 ら
乗 る の で は な く 、今 本 当 に 自 分 が し た
いことを続けてほしいというもので
あ っ た 。日 本 の 教 育 は こ の よ う な 観 点
か ら 審 議 、改 良 し て い く 必 要 が あ る の
かもしれない。
米 国 で学 ぶ 、働 く 理系 と は ?
23H
草野
雅貴
選択肢が多い
私 た ち は 、「 マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 工 科
大 学( 以 下 MIT)」に は 、思 い つ く 限
り の 工 学 分 野 の 学 部 、施 設 が 存 在 し て
い る で あ ろ う と 大 学 院・博 士 課 程 の 成
田 さ ん か ら お 聞 き し た 。日 本 で は 今 や
700 校 を 超 え る 数 の 大 学 が 存 在 し て い
る 。そ の 中 の い く つ が MIT と 同 等 、も
しくはそれ以上の種類の工学分野に
おける学部をもつ大学があるだろう
か 。キ ャ ン パ ス は 日 本 の 規 模 で は な か
なか存在しえない大きさであったが、
成 田 さ ん に よ る と MIT は 米 国 内 に あ
る大学のなかでも敷地面積でみると
小 規 模 と い え る 大 学 だ と い う 。こ の 壮
大 さ や 自 由 性 、そ れ が 日 本 に 不 足 し て
い る 点 で あ る と 考 え た 。何 も 大 学 の 敷
地面積や建造物で競争するのではな
い、1 つの大学で網羅しきる、その発
想や自由への選択肢が今の日本には
存在していないのではないだろうか。
米国で働く人から学ぶ世界で求めら
れること
私 た ち は 、現 在 、米 国 SONY で 働 く 徳
本 さ ん か ら お 話 を い た だ い た 。彼 が 言
うには世界で求められているものは
特 異 性 で あ る と い う 。ペ ー パ ー テ ス ト
が 重 視 さ れ る 日 本 で は 、特 異 性 は 育 ち
にくいではないのだろうかと感じた。
ま た 、彼 が 言 う に は「 す べ て の 物 事 は
偶 然 に よ っ て 成 り 立 っ て い る 。」と の
ことだった。日本人もそんな「偶然」
を重視すべきであろう。
日から米へ
私 た ち は 、東 京 大 学 か ら ハ ー バ ー ド
大学に留学している陸さんからお話
を い た だ い た 。彼 か ら は 率 直 に 知 へ の
探 求 心 が 見 て 取 れ た 。推 測 の 域 で は あ
る が 、日 本 で は 決 し て 学 び き れ な い 何
かを彼は学ぼうとして米国への留学
を 決 意 し た の だ と 感 じ 取 れ た 。日 本 は
先 進 国 で は あ る が 、島 国 で あ り 孤 立 し
が ち な 国 で も あ る 。米 国 に 渡 る こ と で
得られるものは決して学の面だけで
はないだろう。
柔軟な米教育
私 た ち は 、中 学 生 の こ ろ 父 親 の 転 勤
が き っ か け で 米 国 に 渡 り 、現 在 ハ ー バ
ード大学在学中の小林さんのお話を
い た だ き 、彼 か ら 見 た 日 本 の 現 状 を 学
ん だ 。彼 は 、日 本 で 生 活 し て い る と き
-7-
情 報 化社 会
どの国際的なチャットソフトのイン
23H 黒田 彩華
タ フ ェ ー ス で は な く 、中 国 で 若 者 ウ ケ
する日本の漫画風デザインのインタ
世界で利用されているSNS
フ ェ ー ス を 使 っ て お り 、今 中 国 の 人 が
今現代人の一番身近にあるスマホ
多 く 利 用 し て い ま す 。L I N E と 違 う
に つ い て 書 き た い と 思 い ま す 。私 は 研
ところは、QQはPCでも使用でき、
修 中 、海 外 の 留 学 生 と 知 り 合 い 、そ こ
またポータルサイトでは、ニュース、
で仲良くなった人と今日本でよく使
Web メ ー ル 、 オ ン ラ イ ン ゲ ー ム 、 携 帯
われているⅬINEを交換しようと
電 話 の 着 信 音 、ア バ タ ー な ど を 提 供 し
し ま し た 。し か し 多 く の 外 国 の 人 が L
て い て 、い ず れ も 中 国 で も 有 名 な 部 類
IN E を 知 り ま せ ん で し た 。 そ こ で 世
に入ります。
界でよく利用されているSNSにつ
次 に 皆 さ ん よ く ご 存 じ の Facebook。
いて調べました。
日 本 で も 急 増 し て い る Facebook ユ ー
まず日本でよく利用されているL
ザ ー で す が 、実 は 対 人 口 比 で は 10.81%
I N E で す 。世 界 的 に は 大 雑 把 に い う
と 意 外 と 少 な め で す 。し か し 世 界 で 最
と 主 に ア ジ ア で 利 用 さ れ て い ま す 。特
も 支 持 さ れ て い る S N S で あ り 、実 際
に イ ン ド ネ シ ア 、台 湾 で す 。し か し ア
外 国 の 人 に LINE の か わ り に 教 え て 欲
メ リ カ 、イ ギ リ ス で は 、人 口 の 1 % 未
しいと言われました。
満 も 満 た さ れ て い ま せ ん 。本 社 の あ る
次にユーザー同士で無料ビデオ電
韓 国 で も 、約 12% に と ど ま っ て い ま す 。 話 の で き る Skype。
。ピアツーピアによ
日本以外ではあまり利用されてない
る音声/ビデオ/チャットサービス
の が 分 か り ま す 。で は 世 界 で は 何 が 多
は今年も順調に成長を続けているそ
く利用されているのでしょうか。
う で す 。 2012 年 に 入 っ て 利 用 者 数 は
現地で中国の先生と仲良くなりま
70% の 成 長 を 示 し て お り 、 昨 年 同 期 の
し た 。 そ こ で 聞 い た の が 、「 Q Q 」 と
30%と 比 べ て も Skype の 健 在 ぶ り が わ
い う も の で す 。「 Q Q 」 中 国 人 に よ る
か り ま す 。遠 距 離 通 話 ・ 国 際 電 話 が 料
中国語圏の人々のためのチャットソ
金を全く気にしないでかけたい放題
フ ト で す 。都 市 部 の 学 生 層 を 中 心 に 大
です。
ブ レ イ ク し て い る そ う で す 。子 供 は コ
世界には各々自分の国の特色をも
ン ピ ュ ー タ を 勉 強 し た い か ら 、と い っ
っ た S N S が あ り ま す 。し か し 、「 SNS
て PC を 親 に 購 入 し て も ら っ た り 、 親
疲 れ 」と い う 言 葉 が 出 て く る ほ ど 、SNS
も ま た し か り で 、一 人 っ 子 政 策 真 っ 只
での人間関係やトラブルなどに疲弊
中 の 中 国 に お い て 、唯 一 の 子 供 は 期 待
し て い る 人 が 増 え て い ま す が 、ま だ ま
の 星 、子 供 に せ が ま れ な く と も 子 供 の
だ 利 用 者 が 後 を 絶 ち ま せ ん 。そ の 中 で
将 来 の た め 、家 庭 の 財 源 が 少 し 潤 っ た
自 分 の 用 途 に あ っ た S N S で 、海 外 の
ら PC を 買 い 与 え ま す 。 都 市 部 で は 経
人とコミュニケーションをとってみ
済 的 に 余 力 の あ る 、学 生 の い る 家 庭 に
てください。
PC が ど ん ど ん 普 及 し て き て い ま す 。世
参照
界中にいる中国語を使う人々に向け
http://appwoman.jp/archives/62982
て 、中 国 語 簡 体 字 版 (中 国 本 土 )、中 国
http://japan.cnet.com/marketers/n
語 繁 体 字 版 (台 湾 、香 港 、マ レ ー シ ア 、
ews/35032795/
シ ン ガ ポ ー ル な ど )、 英 語 版 の 3 つ が
提 供 さ れ て い ま す 。デ ザ イ ン も 、無 難
に 万 人 受 け す る MSN メ ッ セ ン ジ ャ ー な
-8-
コ ミ ュニ ケ ーシ ョ ンの 難 しさ
た と こ ろ 、 ok と 分 か っ て く れ ま し た 。
23H 新貝 皐
英語を使ったコミュニケーションで
は よ く あ る ケ ー ス だ と 思 い ま す 。自 分
今 回 の 研 修 で は 、コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ
の発音に問題があって繰り返すこと
ンの取り方について学びました。
で 相 手 に 伝 え る 、こ う い っ た 方 法 で コ
始 め て の ア メ リ カ で し た が 、心 か ら 楽
ミュニケーションを上手くやる方法
し め ま し た 。シ カ ゴ 空 港 到 着 後 、当 然
も 良 か っ た な と 思 い ま す 。相 手 の 自 分
周 り は 英 語 で し た 。英 語 を 使 っ て の 始
に対する意識によってしっかり聞い
め て の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン は 、お 店 の
て く れ る か ど う か 変 わ り ま す が 、と に
従 業 員 で し た 。空 港 の 職 員 な の で 聞 き
かく切り返すことが大切です。
取 り や す い 英 語 で 、簡 単 に 言 い た い こ
次にある失敗例について書きます。
とを伝えられました。
大学の食堂でハンバーガーの列に並
ボ ス ト ン で の 研 修 で は 、思 う よ う に
ん で い る 時 の 話 で す 。ハ ン バ ー グ と ソ
な り ま せ ん で し た 。英 会 話 の 授 業 で は 、 ー セ ー ジ の 列 が あ っ て 、私 は ハ ン バ ー
どんなことを言ってるのかは分かる
グ の 列 に 並 ん で い ま し た 。す る と 後 ろ
の で す が 、い ざ 発 信 す る 時 相 手 か ら よ
か ら 声 を か け ら れ て 、「 君 は ど っ ち の
く what?と 聞 き 返 さ れ ま し た 。 な ぜ 上
列 に 並 ん で い る の ? 」と 聞 か れ ま し た 。
手く伝わらないのか?考える前にと
「 ハ ン バ ー グ で す 」と 答 え た つ も り で
りあえず大きな声で発音するとなん
し た が 、相 手 に 全 く 伝 わ ら ず 、英 語 の
とか相手に伝えることができました。 表現を変えて言えるほどの英語力も
コミュニケーションの難しさを改め
な い の で 、コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン が 破 綻
て感じました。
し て し ま い ま し た 。苦 笑 い す る し か な
海外の方と交流していると自分の
く て 、相 手 も ummmm み た い な 感 じ で 去
語 彙 力 の 乏 し さ を 感 じ ま し た 。し か し 、 っ て 行 き ま し た 。
伝えたい事を相手に訴えかけること
前 者 と 後 者 で は 、後 者 の 方 が 相 手 の
はそれほど難しいものではありませ
自分に対する印象が悪かったと思い
ん で し た 。え ? と 思 う 方 も 多 い か も し
ま す 。よ く 日 本 人 が 英 語 が 理 解 で き ず 、
れ ま せ ん 。で す が 、相 手 も 人 間 な の で
ま た 、話 せ な い 。そ う す る と 多 く の 人
単 語 で も 聞 き 取 っ て も ら え ま す 。文 法
が 笑 顔 に な る 。ま さ に こ の こ と だ っ た
や 発 音 も 大 切 で す 。し か し 、何 よ り 大
と 思 い ま す 。「 こ い つ は 何 を 考 え て い
切 な の は 、相 手 の 目 を 見 て 伝 わ る ま で
る ん だ ? 」と 相 手 は 思 っ て い た に 違 い
何度も切り返すことだと思います。
あ り ま せ ん 。「 ヘ ラ ヘ ラ す る な 。」英 語
私が経験した一例を紹介したいと
圏での日本人に最も必要なことでし
思 い ま す 。ボ ス ト ン で の 英 会 話 レ ッ ス
た 。相 手 に 自 分 の 弱 い と こ ろ を 晒 し て
ン の 最 終 日 、先 生 に あ る 質 問 を し ま し
い る み た い で 、コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の
た 。 I want you to improve my English
主導権が一方的に相手にある感じで、
capacity. Please advise me the
本当に居心地が悪かったです。
primary target to improve it. ( 私
は 英 語 の 能 力 を 向 上 さ せ た い で す 。そ
のための最優先目標を私に示して下
さい。) この質問をした時、先生に
primary が う ま く 伝 わ ら な か っ た よ う
だ っ た の で 、? み た い な 反 応 で 、も う
一 度 primary を 強 く 意 識 し て 言 い 直 し
-9-
ー ダ )>
フェイジャオン・プレトと呼ばれる
黒 い フ ェ イ ジ ャ オ ン と 、豚 の 刺 身 、豚
や 牛 の 干 し 肉 、ま た は 燻 製 肉 、リ ン グ
イ ッ サ と い う 生 ソ ー セ ー ジ 、豚 の 耳 や 、
足 、 尾 、 皮 な ど を 、に ん に く と 岩 塩 の
塩味でじっくり煮込んだ調理。
世 界 の伝 統 料理 に つい て
~アメリカ・台湾・ロシア・ブラジ
ル・チュニジア~
23H 松井綾里
アメリカ・台湾・ロシア・ブラジル
・チ ュ ニ ジ ア の 5 カ 国 の 伝 統 料 理 に つ
い て 、ア メ リ カ に 集 ま っ た 各 国 の 人 に
聞いた。
①アメリカ
ー )>
⑤チュニジア
<Couscous( ク ス ク
ス )>
硬質小麦の一種であるデュラム小
麦 の 粗 挽 粉 に 水 を 含 ま せ 、調 理 後 の 大
きさが約 1 ㎜大の小さな粒になるよう
に丸めてそぼろ状にしたもの。
<Hamburger( ハ ン バ ー ガ
オーソドックスな調理法としては、
牛 挽 肉 、塩 コ シ ョ ウ 、ナ ツ メ グ を 混 ぜ
込 ん だ ミ ー ト パ テ ィ を 作 り 、テ ニ ス ボ
ール大の大きさに丸めてから平らに
の ば し 加 熱 し て 、ト ー ス ト し た バ ン ズ
に乗せてからミートパティにケチャ
ップをかけ、サンドにして食べる。
② 台 湾 <Stinky Tofu( ス テ ィ ン キ ー 豆
腐 )>
植物 の汁 と石 灰な どを 混合 し、納 豆
菌と酪酸菌によって発酵させた漬け
汁 に 一 晩 漬 け 込 ん だ も の 。も と は 野 菜
と 一 緒 に 、一 週 間 ほ ど 漬 け 込 ま れ て い
た。
③ ロ シ ア <Kwas(ク ワ ス )>
ロシ ア特 産の 清涼 飲料 で 、ふつ うは
ラ イ 麦 、あ る い は 大 麦 の 麦 芽 を 原 料 と
し 、こ れ に 酵 母 あ る い は 発 酵 さ せ た ラ
イ麦パンを加えて作る。
④ ブ ラ ジ ル <Feijoada( フ ェ イ ジ ョ ア
-10-
◎調べてみての感想
各国 の人 イン タビ ュー して みて 、み
ん な 、自 分 の 国 の 伝 統 料 理 に 詳 し か っ
たで す。材料 や、作り 方、味な どた く
さんの情報を教えてくれました。
私た ち日 本人 は 、日本 や自 分の 都道
府県の伝統料理について詳しいでし
ょ う か 。世 界 に 通 用 す る 、グ ロ ー バ ル
な 人 間 に な る に は 、自 分 の 地 域 や 自 分
に つ い て 、も っ と 詳 し く な る べ き だ と
改めて思いました。
また 、今 回イ ンタ ビュ ーし た人 たち
は 、同 級 生 と は 思 え な い ほ ど 、は き は
き と し て い て 、し っ か り 自 分 を 持 っ て
い る と い う 感 じ が し ま し た 。自 己 主 張
の 少 な い 日 本 人 は 、他 国 か ら 弱 く 見 ら
れ が ち で す 。そ れ が 「協 調 性 」と い う 良
い 面 に な る こ と も あ り ま す が 、 「意 見
が な い 」と 思 わ れ 、 悪 い 面 に な る こ と
もあります。
日本 の良 いと ころ も生 かし つつ 、積
極 性 が あ り 、し っ か り と し た 意 志 を 持
った外国の人々を見習いたいです。
ア メ リカ と 日本 に おけ る 原子
力 発 電へ の 意識 の 相違 に つい
て
23H
安元
と い う 人 が い る ら し く 、そ の 人 か ら 聞
い た 話 な ど か ら 、原 子 力 発 電 は 大 き な
エネルギーを生み出すことが出来る
が 、安 全 性 へ の 配 慮 を し っ か り と し て
いく必要があるという言葉で締めく
くっていただいた。このレポートで
は 、専 門 的 な 内 容 を 全 て 述 べ る こ と は
で き な い が 、様 々 な 利 点 と も に 欠 点 を
持つ原子力発電に対しての考え方に
ついて、相違はないように感じられ
た 。し か し な が ら 、原 子 力 発 電 は 二 酸
化炭素の排出が火力発電に比べて少
な く 、環 境 に 良 い の で は と い う 意 見 も
聞 き 、人 に よ っ て も ち ろ ん と ら え 方 は
異なる。
圭花
最初に
福 島 第 一 は 、 平 成 23 年 3 月 11 日 の
東北地方太平洋沖地震(東日本大震
災 )に よ り 炉 心 溶 融 と 建 屋 爆 発 事 故 が
発 生 し 、当 時 か ら 大 き く 新 聞 や ニ ュ ー
ス で も 取 り 上 げ ら れ ま し た 。海 外 の メ
デ ィ ア も 注 目 し て い た こ と か ら 、今 回
のレポートではアメリカに住んでい
る 人 々 が「 原 子 力 発 電 」に つ い て ど の
ような考え方を持っているのかを現
地 で 尋 ね た 内 容 を ま と め 、そ こ か ら 日
本人とアメリカ人の考えやとらえ方
に 相 違 は あ る の か と い う こ と を 、考 察
した。
原子力発電のイメージ
研 修 中 、現 地 の 人 々 に 原 子 力 発 電 へ
の 印 象 や 考 え を 聞 き 、一 般 的 に 日 本 で
考 え ら れ て い る 世 論 と 比 較 し た 。2 0
14年3月18日朝日デジタルより
引 用『 原 発 を 段 階 的 に 減 ら し 、将 来 は 、
や め る「 脱 原 発 」に つ い て は 、「 賛 成 」
77% で 、「 反 対 」の 14% を 引 き 離 し た 。
( 有 効 回 答 は 1721 人 。 ) 』 様 々 な 新
聞や本を見ると、この記事のように、
原子力発電について否定的な意見が
多 く 見 ら れ る 。日 本 人 に 原 子 力 発 電 に
ついて肯定的な意見を持つ人が少な
い 理 由 と し て は 、東 日 本 大 震 災 の 福 島
第 一 原 発 の 事 例 か ら 、原 子 力 発 電 へ の
注 目 が 集 ま り 、心 配 す る 声 が 多 く 聞 か
れ た か ら な ど が 挙 げ ら れ る 。ニ ュ ー ス
などでも大きく取り上げられている。
アメリカ人の女性にこの話題につい
て ど う 考 え て い る か を 尋 ね た 。福 島 第
一はアメリカでも大きな関心が寄せ
ら れ て い た ら し く 、や は り 彼 女 も 近 く
に発電所があると考えると心配に思
う だ ろ う と 語 っ て く だ さ っ た 。彼 女 の
友人に原子力について研究している
-11-
まとめ
ち な み に 、資 源 エ ネ ル ギ ー 庁 に よ る
と 、日 本 の 総 発 電 量 に 占 め る 原 子 力 の
比 率 は 、 震 災 前 の 2010 年 12 月 に 32
% だ っ た の が 、 2012 年 12 月 は 2% ま
で 減 少 し て お り 、対 し て ア メ リ カ の 原
子 力 発 電 比 率 は 2012 年 時 点 で 18.7%
で あ る 。ま た 、ア メ リ カ は 原 子 力 発 電
を推奨している。
この研修期間中にアメリカ以外の
国籍の人々にも同じ質問を行ってみ
た が 、皆 、原 子 力 発 電 に 対 し て 大 き な
関心を持っているということが分か
っ た 。ま た 、結 論 と し て 国 に よ っ て の
考え方の相違は今回の調査ではほと
んどなかった。
アメリカは全体より個人を大切に
す る 国 で あ る と 、今 回 の 研 修 中 に 聞 い
た 。自 分 の 意 見 を 持 ち 、そ れ を 相 手 に
発信するということの大切さを改め
て感じた10日間であった。
参考出典
・ IEA ENERGY
COUNTRIES
・朝日デジタル
BALANCES
OF
OECD
アメリカで働く日本人
癌 研 究 セ ン タ ー 訪 問 後 、私 達 は ハ ー
バードメデイカルセンターで公衆衛
生を専門としている林さんにお話を
伺 っ た 。公 衆 衛 生 と い っ て も 私 達 が 想
像するような下水道の整備などでは
な く 、人 々 の 医 療 に 関 す る 知 識 の 調 査
も 含 ま れ る 。彼 女 は 主 に 人 生 の 生 き 方
ア メ リカ に おけ る 医療 研 究
24H
浦崎
凌一
癌研究センターでの最先端の研究
私 達 は 、ハ ー バ ー ド 大 学 や マ サ チ ュ
ーセッツ工科大学のあるアメリカの
ボ ス ト ン で 、 D A N A -F A R B E R
癌研究センターを訪ねた。そこでは、
日 々 癌 患 者 の 治 療 や 、癌 の 研 究 が 行 わ
れ て い た 。私 達 は 、そ こ で 働 く 日 本 人
お 二 人 に 話 を 伺 っ た 。そ の う ち の お 一
人 、札 幌 医 科 大 医 学 部 卒 業 後 、大 学 院
へ進学された須河恭敬さんは大腸が
ん に つ い て の 研 究 を さ れ て い た 。須 河
さ ん に よ れ ば 、癌 は 、同 じ 種 類 の 癌 で
も人によって違ったものとなるので、
人それぞれに合った個別化治療が必
要 だ そ う だ 。 そ こ で 、 職 員 達 は 、臨 床
試 験 や 観 察 研 究 を 繰 り 返 し 、癌 の 解 明
を行っている。
青空にそびえ立つ病院
治療だけではない、患者への配慮
そ の 後 、私 達 は 癌 研 究 セ ン タ ー で 、患
者が実際に使用している病院の見学
を 、そ の 設 計 を し た ア メ リ カ 人 の 建 築
家の方の説明と共に行った。そこは、
普段私達が行く病院のイメージとは
か け 離 れ た 、ど こ か 楽 し げ な 雰 囲 気 の
あ る 場 所 だ っ た 。建 築 家 の 方 が こ の 病
院を設計する上で最も気を付けたこ
と は 、患 者 が そ の 場 所 で リ ラ ッ ク ス で
き る か ど う か だ と い う 。し か し 、人 そ
れぞれリラックスできる要素は違う。
そこで彼は患者達に病院のデザイン
案 を 提 案 し て も ら っ た 。そ う す る こ と
で 、余 命 を 宣 告 さ れ 、不 安 を 抱 え た 患
者 が く つ ろ げ る 空 間 を 作 っ た 。他 に も 、
こ の 病 院 に は 癌 の 治 療 を 行 い 、回 復 し
た 人 に 患 者 が 相 談 で き る な ど 、様 々 な
サ ー ビ ス が 適 用 さ れ て い た 。そ れ ら の
よ う な 、治 療 以 外 の こ と も 病 院 が 行 う
の は 日 本 に は な い 。も っ と 広 め て い け
たらいいと思う。
-12-
に つ い て 話 し て く だ さ っ た 。先 程 の 須
川 さ ん も お っ し ゃ っ て い た が 、こ れ か
らの社会で留学して学ぶことで日本
に 対 す る 見 方 や 考 え 方 が 変 わ り 、こ れ
からの社会で必要とされる人材とな
る こ と に 繋 が る 。理 系 の 様 々 な 分 野 で 、
アメリカで活躍される方々の話を聞
い て 、感 銘 を 受 け た 。理 系 で あ っ て も
世 界 で 活 躍 し て い け る し 、そ の た め に
は や は り 語 学 力 も 必 要 だ 。癌 研 究 セ ン
ターのように様々な面から物事を捉
える事の出来る力も持たなければな
らない。これらの事を念頭において、
これからの生活を送っていきたい。
最 先 端の 工 業技 術
24H
能登
健仁
「 学 び の テ ー マ パ ー ク 」マ サ チ ュ ー セ
ッ ツ 工 科 大 ( MIT)
MIT )
マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 工 科 大 学 は 、ア メ
リカボストン市内にある世界屈指の
名 門 校 で あ る 。基 本 的 に 工 学 の 分 野 と
思われる学部や研究施設が全てある
と 、大 学 院 ・ 博 士 課 程 の 成 田 さ ん か ら
お聞きした。物理学、生物、建築、数
学などといった多くの工学分野の研
究が進められていた。
私 が そ の 中 で も 、特 に 優 れ て い る と
感 じ た の は Artificial Intelligence、
人 工 知 能 の 研 究 で あ る 。研 究 施 設 の 建
物 の 形 か ら 独 創 的 で あ り 、興 味 が わ い
た 。研 究 し て い る 様 子 を み る こ と は で
き な か っ た が 、ど の よ う な 研 究 を し て
いるか調査した。
人 工 知 能 の 研 究 に は 、デ ー タ 、ロ ボ
ット、ワイヤレス技術などがあった。
・ビッグデータと呼ばれる情報をい
かに調査し、まとめるのか
・立体的な動きを高精度で感知
・本物のように動く魚のロボット
・ロボット間でのワイヤレスによる
連携の性能向上化
こ の よ う な 研 究 の 結 果 は 、難 し い が
た め に 、何 に 使 わ れ る の か 、私 た ち に
とってすぐには思いつきにくい。だ
が 、 MIT で 研 究 し て い る 人 々 は 、 明 確
な 目 的 を 持 っ て い る と 思 う 。 MIT が 研
究 を 行 う 理 由 に は 、単 に 知 識 を つ け る
だ け で は な く 、世 界 に 影 響 を あ た え る
ことである。
ア ー ト 作 品 が 飾 ら れ て い た 。私 は 、工
学の研究に芸術などは必要のないも
の と 思 っ て い た 。し か し 、工 学 か ら 外
れた芸術のような分野こそ重要だと
思 い 直 し た 。何 事 に も 感 性 と い う も の
が 必 要 だ と 知 っ た か ら で あ る 。た だ 一
つ の 学 問 に と ら わ れ ず ,視 点 を 変 え 柔
軟な考えをもつことが大切だと感じ
た。
今 後 求 め ら れ る こ と 、学 ん で い き た い
こと
私は将来工業技術を学びたいと思
っ て い る 。今 ま で は そ の 分 野 の こ と だ
け 極 め れ ば よ い と 考 え て い た が 、今 私
が 求 め ら れ て い る と 感 じ る こ と は 、感
性 を 豊 か に し 、視 野 を 広 く す る こ と で
あ る 。世 界 に 影 響 を あ た え 、よ り よ く
するには世界がよく見えている必要
が あ る 。「 自 分 の し た い こ と を 自 由 に
す る の が よ い 。」と 成 田 さ ん は お っ し
ゃ た 。私 た ち に は そ ん な 独 創 性 や 自 由
さも求められていることの一つだと
感じた。
マサチューセッツ工科大学の奇想天外な学部棟
工学分野にとらわれない考え
私が成田さんからお聞きしたこと
で 、最 も 驚 い た こ と は 、マ サ チ ュ ー セ
ッツ工科大には文系の学部もあると
い う こ と だ 。工 科 大 学 と 称 し て い る の
で理工系の学部だけだと思っていた。
そ し て 、 MIT の 正 門 前 の 庭 で は 屋 外 ラ
イ ブ な ど も 行 れ 、施 設 内 に は い く つ も
-13-
食 生 活と 癌 との 関 連
24H
横尾
陽奈子
食生活と癌との関係への研究方法
食生活と癌との関連は次のような
研究によって行われている。
1 ) 培 養 研 究 (実 験 室 研 究 ) 食 事
や栄養素を動物やヒト細胞に投
与 し て 、癌 発 生 と の 関 連 を 研 究 す
る。
2) 疫学研 究 人間 で 実際に 起 こ
っておる事象を統計的に研究す
る 。各 個 人 の 食 生 活 を 調 査 す る こ
とも含む。
エコロジカル研究 集団を単
位として要因保有率と罹患率と
の相関を研究する手法
ケ ー ス・コ ン ト ロ ー ル 研 究 患
者 (ケ ー ス )と 対 照 (コ ン ト ロ ー
ル )と の 間 で 過 去 の 要 因 保 有 率 を
比較する手法
コホート研究 健康な人を対
象に要因保有状況を調査した後、
要 因 別 の 集 団 (コ ホ ー ト )を 長 期
に 渡 っ て 追 跡 し 、罹 患 率 を 比 較 す
る手法
3) 介入研 究 ある 栄 養素が 直 接
ある癌の発症に関係があること
を証明するために栄養素の摂取
に実験的な介入操作を行う。
データの解釈は、対象、調査方法、
再現性を考えることが必要である。
現在比較的食生活との関係が明らか
になっている癌
日 本 人 は 米 を 主 食 と し 、一 汁 三 菜 の
食 生 活 を 基 本 と し て き た 。し か し 、最
近 食 事 が 欧 米 化 し て い る (脂 質 の 消 費
が 増 加 し )栄 養 バ ラ ン ス が 乱 れ て い る
と 言 わ れ て い る 。食 道 癌 と 大 腸 癌 を 例
に挙げる。
食道癌 飲酒と喫煙との関連が強
い 。ま た 、飲 食 物 を 暑 い 温 度 で 飲 む と
リスクが高まる。野菜や果物の摂取
は抑制要因である。
-14-
腸がん 欧米諸国に比べると日本
人 に は 少 な か っ た 癌 で あ っ た が 、近 年
日 本 人 に も 増 え て き て い る 。肥 満 、ア
ル コ ー ル 、動 物 性 脂 肪 の 摂 取 で リ ス ク
が高まる。
今回研修で講演して頂いた須川先
生 は 、細 菌 と 癌 に つ い て の 研 究 を な さ
っ て い た 。あ る 細 菌 が 癌 に 及 ぼ す 影 響
な ど 、癌 に な る 要 因 は 複 合 的 な も の が
あ る の は 分 か っ て い た が 、細 菌 も 関 係
あるかもしれないというのは興味深
か っ た 。ま た 、や は り 国 ご と に 多 い 症
状や病気は違うので早期発見しやす
い 病 気 (最 初 に 医 師 が 疑 う 病 気 )は 異
な っ て く る よ う で あ る 。介 護 保 険 制 度
な ど が 整 っ て い る 日 本 と 、医 師 間 の 競
争 が 激 し く 、医 療 費 が 自 己 負 担 の ア メ
リカでは治療システムや方針も違っ
ているようである。
講演を聞いて思ったこと
今 回 の 研 修 で は 、分 野 問 わ ず 様 々 な
方 に お 話 を し て い た だ い た 。お 話 か ら
受 け た 印 象 は そ れ ぞ れ 違 う し 、自 分 な
りに消化してから糧としていかなけ
れ ば な ら な い と 思 う が 、共 通 し て い る
と 思 っ た こ と が あ る 。そ れ は 、ず っ と
ひとつの目標に向かわれている方も、
とりあえず動いてみて見つかった方
も い ら っ し ゃ っ た が 、自 分 が や り た い
ことをしっかり持って社会参加され、
勉強などの努力をなさっているとい
う こ と で あ る 。ま た 、今 回 自 分 の 英 語
が 通 じ な い な ど の 力 不 足 さ や 、色 々 な
文 化 、言 葉 、 も の に 触 れ て 、世 界 は 広
い と い う こ と 、見 る べ き も の は た く さ
ん あ る の だ と い う こ と を 痛 感 し た 。自
分で考える力や客観的に物事を見る
力 、続 け る 力 を 養 う た め に 、目 の 前 の
ことに取り組もうと思った。
ア メ リカ の 病院
25H
関口
真生
デザイン
Dana-Faber 癌 セ ン タ ー で 、 そ の デ ザ
インから病院は「患者のための病院」
であるということを強く感じました。
例 え ば 、病 院 内 部 に 美 容 室 や 売 店 が
あり患者の不自由がないようになっ
て い ま し た 。一 階 に は ピ ア ノ が 設 置 さ
れ て お り 、精 神 面 で の ケ ア も 考 え ら れ
て い ま し た 。あ る 階 に は ガ ー デ ン が あ
り 、二 種 類 の 部 屋 に 分 か れ て い ま し た 。
一 つ は 免 疫 に 異 常 が な い 人 用 で 、植 物
に 直 接 触 れ る こ と が で き る 部 屋 。も う
一 つ は 免 疫 に 異 常 が あ る 人 用 で 、空 気
に余計なものが入らないように感知
し 、ガ ラ ス 越 し に 植 物 を 見 る こ と が で
き る 部 屋 で す 。ど ん な 人 で も ガ ー デ ン
を利用できるようになっていました。
そ れ に 、こ の 部 屋 は 患 者 の 意 見 を 取 り
入 れ て 作 ら れ た ら し く 、他 に も そ の よ
うなところがたくさんあるそうです。
ま た 、パ ー キ ン グ か ら す ぐ の と こ ろ に
ス キ ャ ン ル ー ム が あ っ た り (来 た 患 者
がスキャンだけしてすぐ帰ることが
で き る )、 ど の ビ ル に も 渡 り 廊 下 が あ
っ た り と 、患 者 は も ち ろ ん 医 師 の 動 線
もよくなるよう考えて作られていま
し た 。大 変 画 期 的 な デ ザ イ ン だ と 私 は
思 い ま し た 。こ れ が あ る べ き 理 想 の 形
のひとつではないでしょうか。
ここではボランティアが働いてい
ま し た 。そ の 人 た ち は ブ ル ー ア ン バ サ
ダ ー と い う 青 い ベ ス ト を 着 て 、患 者 を
サ ポ ー ト し て い ま し た 。ボ ラ ン テ ィ ア
の中にはかつて病院に入院していた
人 も い る そ う で す 。病 院 を 運 営 す る た
め に は 多 く の 人 が 必 要 で 、こ の よ う に
自ら仕事を引き受けてくれる人がい
るとどんなにか助かることでしょう。
ま た 、階 段 の 壁 に 何 や ら 名 前 が 書 い て
あ り ま し た 。そ れ は 向 か い の 子 供 病 院
の 子 供 の 名 前 ら し い で す 。な ぜ そ れ が
-15-
あ る か と い う と 、こ の 建 物 を 作 っ て い
る 際 作 業 の 様 子 を 子 供 が 見 て い て 、作
業員と文字をかわすうちに仲良くな
り 名 前 を 入 れ て も ら っ た そ う で す 。こ
れらは日本では到底考えられないこ
とです。
交流
今回タフツ大学滞在中にスペイン、
台 湾 、イ タ リ ア 、 ロ シ ア 、 チ ュ ニ ジ ア
など様々な国の人と交流をしました。
どの国の人もわたしたち日本人と比
べ て 圧 倒 的 に 英 語 が 上 手 で し た 。上 手
と い う よ り 話 せ た 、と い う 方 が 正 し い
か も し れ ま せ ん 。彼 ら は 英 語 を 使 い 慣
れ て い る の に 加 え 、自 ら の 意 見 を は っ
き り 主 張 し て い ま し た 。た だ そ ん な 状
況 で も 、積 極 的 に 話 し に い け ば 普 通 に
友達として接することができました。
スペイン人とはカードゲームの大富
豪 を し て 遊 ぶ こ と も で き 、ス ペ イ ン で
の ル ー ル も 教 え て も ら い ま し た 。「 交
流しようという意思があればいくら
でもできる」と実感しました。
スペイン人の友人たちとトランプ
ア メ リカ に 魅せ ら れて
~ What I learned this time~
time ~
25H
長谷川
瑞歩
▽今回の研修を通して学んだこと
○積極性
私は今回の研修で、この“積極性”
の 重 要 性 を 痛 い ほ ど 学 ん だ 。一 番 最 初
に こ れ を 学 ん だ の は 、ボ ス ト ン に つ い
て 2 日 目 の Evening activity で 初 め
て外国人の子達と一緒にゲームをし
て い た 時 だ 。日 本 人 の 生 徒 の ほ と ん ど
(私 も 含 め )は お ど お ど し て 日 本 人 で
固 ま っ て い た 。が 、積 極 的 に 活 動 し て
いたスペイン人の子達と台湾人の子
達 は 叫 び 声 を 上 げ な が ら 、ゲ ー ム を 楽
し み 会 話 し て い た 。私 は そ ん な 彼 ら が
う ら や ま し く 、積 極 性 の な か っ た 自 分
に怒りを覚えていた。
積極的に動かないと何も変わらな
い 。逆 に 言 え ば 積 極 的 に 動 く こ と で 世
界は広がる。そう強く感じた。
○失敗を恐れない心
人 は 、特 に 日 本 人 は 保 守 的 に な り が
ち で あ る 。失 敗 し た く な い 、恥 を か き
た く な い … 。私 も 研 修 に 行 く 前 は こ う
思 っ て い た 。が 、こ の 保 守 的 な 考 え が
どれだけ自分の足かせになっている
か 思 い 知 ら さ れ た 。積 極 性 に 関 連 す る
と思うのだが、失敗を恐れていては、
何 も で き な い の で あ る 。怖 が っ て い て
は 絶 対 に 前 に 進 め な い 。失 敗 は 成 功 の
元 と い う 言 葉 が あ る よ う に 、失 敗 が あ
るから成功への糸口が見えるのであ
る。
▽アメリカの医療に触れてみて
今 回 私 た ち は 、ア メ リ カ で 5 位 に ラ
ン ク イ ン し て い る Dana-Faber 癌 研 究
セ ン タ ー に 訪 れ た 。は じ め に 、須 河 恭
敬 先 生 の 話 を 聞 い た 。医 学 研 究 に お け
る 医 師 の 役 割 の 話 か ら 、臨 床 だ け が 医
者の仕事ではないという事がわかっ
た し 、皿 の 上 で の 実 験 が あ ん ま り あ て
にならないといった衝撃的な話を聞
-16-
く こ と が で き た 。中 で も 私 が 一 番 驚 い
た の は“ 癌 の 個 別 化 医 療 ” で あ る 。 癌
の進行速度や体質は患者一人ひとり
に よ っ て 違 う 。し た が っ て 、そ の 人 に
合わせた治療をすることになるとい
う も の だ っ た 。癌 と い う も の は 私 的 に
一度なったら治らない怖い病気なイ
メ ー ジ が あ っ た の で 、須 河 先 生 の 話 の
おかげで癌治療に希望を持てた。
次 に 施 設 内 を 案 内 さ れ た の だ が 、施
設 は 、患 者 ・ そ の 家 族 の 意 見 を も と に
し て 作 ら れ て お り 、研 究 セ ン タ ー と い
う堅苦しいコンクリートのイメージ
と は 逆 で 、木 目 調 を 主 と す る 温 か い 建
物 に な っ て い た 。ま た 、ヒ ー リ ン グ の
た め の 庭 や お 祈 り の た め の 礼 拝 堂 、家
族 用 の シ ョ ッ プ 、患 者 用 の カ ツ ラ 販 売
などさまざまなところに気が配られ
て い て と て も 素 敵 だ と 思 っ た 。日 本 で
は 、患 者 の 意 見 を 重 視 し て 病 院 を 作 る
と い う 動 き は あ ま り 見 ら れ な い 。な の
で、ぜひ模倣するべきだと思った。
▽これから
私 は 、今 回 の 研 修 で 、本 当 に た く さ
ん の こ と を 学 ん だ 。学 ん だ こ と を 全 部
吸 収 す る た め に も 、こ れ か ら は 目 の 前
の こ と を 120% の 力 で や り た い し 、 ま
わ り に も 発 信 し て い き た い と 思 う 。私
が こ の 研 修 で 一 番 感 じ た の は 、世 界 は
意外と狭いということと英語のすば
ら し さ だ 。ま っ た く 違 う 国 の 、文 化 の 、
人 種 の 、言 語 の 人 と 、意 思 の 疎 通 が で
き て い る 、コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン が 取 れ
ている…この感覚の楽しさといった
らこの上ない。非常にワクワクした。
私 は 、今 ま で 薬 剤 師 に な り た い と 思
っ て い た が そ れ と は 別 に 、世 界 の 人 と
繋がりたいという新たな夢もできた。
夢 を か な え る た め に も 、セ ン ト ラ ル パ
ークで叫んできたことを実現するた
め に も 、勉 強 を が ん ば っ て 、常 に 向 上
心 を 持 っ て 、失 敗 を 恐 れ ず に 努 力 し て
生きたいと思う。
多 く あ っ た 。聞 い て み る と 、今 は ほ と
んどのアメリカの病院がこの研究所
のような内装になっているそうであ
る。
なぜこのような内装になっている
のかを現地職員の方に尋ねると彼女
は こ う 答 え た 。「 患 者 は 1 人 で 孤 独 な
の 。多 く の リ ラ ッ ク ス で き る 場 所 を 用
意 す る こ と で 、彼 ら 自 身 の 気 持 ち ・ モ
チ ベ ー シ ョ ン を 向 上 さ せ 、そ の こ と が
病気の治る確率を上げることにつな
が る の 。そ れ に 、治 っ た 人 は こ の 病 院
に 感 謝 す る か ら 、寄 付 が 増 え た り 、人
々に広まって患者が増えたりするし、
亡くなってしまった患者の家族も自
分たちの家族のような人がもう出な
い よ う に 、寄 付 を し て く れ る の 。日 本
もこのサイクルを取り入れればよい
と思うわ。」
日本とアメリカの病気に対する考
え 方 に つ い て 私 は 、日 本 は 病 気 を「 治
す 」こ と に 重 点 を 置 き 、ア メ リ カ は「 癒
す」ことに重点を置いていると考え
た 。今 の 日 本 の 病 院 の あ り 方 が 間 違 っ
て い る と は 言 え な い が 、私 は 将 来 、ア
メリカのような考えも取り入れた病
院ができればより多くの患者が救え
る と 思 っ た 。ま た 、そ の よ う な 病 院 を
作りたい。
ア メ リカ と 日本 の 医療
25H
藤谷
真麻
7 月 9 日の午後、私たちはダナ・フ
ァーバー癌研究所を訪れた。そこで、
研究をしている須川さんや現地の職
員の方から話を聞くことができた。
両国の保険制度
アメリカではその人物の入ってい
る 保 険 に よ り 、診 断 の で き る 病 院 ・ 受
け ら れ る 治 療 が 異 な る 。そ れ に 対 し 日
本は、入っている保険に関係なく原
則 、誰 で も 好 き な 治 療 を 受 け る こ と が
で き る よ う に な っ て い る 。「 こ の こ と
に つ い て 、ア メ リ カ の 人 は ど う 思 っ て
い る の か 。」 と い う 質 問 が あ っ た 。 須
河 さ ん は 、「 確 か に 、ア メ リ カ で の 保
険 料 の 負 担 は 大 き い 。ま た 、保 険 に よ
って受けることのできる治療などは
異 な っ て い る が 、ア メ リ カ の 人 は 、そ
もそも皆が平等になるということを
あ ま り 考 え て い な い 。そ れ に 、日 本 で
の制度が日本で上手くいっているよ
う に 、ア メ リ カ で も こ の 制 度 で 世 界 は
回っているのだから、問題はない。」
と答えた。
私 た ち 日 本 人 に と っ て 医 療 は 、必 要
な人に適切なものを与えるべきもの
で あ る 。私 は テ レ ビ な ど の メ デ ィ ア で
アメリカのこのような制度を聞き、
「 な ん て 、非 情 な の だ ろ う か 。 」 と 思
っ て い た が 、話 を 聞 き 、こ の 制 度 だ か
らこそアメリカ社会は回っているの
だという考えを持てた。
両国の病院
最 初 研 究 所 に 入 っ た 時 、会 社 の よ う
な 内 装 に 驚 い た 。日 本 の 病 院 は 白 を 基
調としていて悪く言えばどこか殺風
景で、さみしい感じがするのに対し、
この研究所は木が多く使われ温かさ
が 感 じ ら れ た 。院 内 に も 庭 園 や カ フ ェ
のようなリラックスのできる場所が
ダナファーバー癌研究所をガイドして下
さった野口さん
-17-
ア メ リカ の 大学 で は何 が 起き
て い るの か ~留 学 生に 聞 く!
~
25H 吉田啓人
ハーバード大生小林さんに聞く
小林さんは中学二年生のころアメ
リ カ に 移 住 し た そ う で す が 、英 語 に つ
い て 何 も 分 か ら な か っ た そ う で す 。す
る と 、何 と も 素 晴 ら し い の が そ の 状 況
からハーバード大に入学したという
こ と で す 。そ の こ と を 聞 い て 、小 林 さ
ん の タ フ な 心 に 感 動 し ま し た 。そ し て
今 回 、小 林 さ ん に 現 在 の ハ ー バ ー ド 大
についてうかがいました。
ハーバード大にはどうすれば入学
で き る の か ? 試 験 、学 業 成 績 、エ ッ セ
イ 、課 外 活 動 が 選 考 基 準 に な る そ う で
す 。特 に 、課 外 活 動 の 比 重 が 高 い と い
う こ と で す 。小 林 さ ん に よ れ ば 、サ ッ
カーがなければ入学はできなかった
と 言 い ま す 。こ こ か ら 、総 合 性 の 高 い
人材を受け入れる大学の姿勢をうか
が う こ と が で き 、天 才 の 定 義 の 違 い を
知 っ た こ と で 、ハ ー バ ー ド の イ メ ー ジ
が覆されたようでした。
大学生活はどのようなものか?勉
強とサッカーの繰り返しでとても忙
し い そ う で す 。小 林 さ ん は 数 学 科 の 学
生 で す が ,宿 題 が 多 い う え に 難 し い そ
う で す 。そ の た め 、人 に 助 け を 求 め る
こ と が 大 切 で 、そ れ は 恥 ず か し い こ と
で は な い そ う で す 。そ し て 、自 分 を 持
ち 、自 分 を 出 す と い う こ と が 意 味 を 持
っ て く る と 言 い ま す 。僕 は 、忙 し く も 、
充実している小林さんの生活に少し
憧れを持ちました。
ハーバード大の教育とは?豊富な
学 科 が 特 徴 的 で 、学 問 を 究 め た ユ ニ ー
クな人たちがたくさんいるといいま
す 。意 外 に も 専 門 教 育 よ り 一 般 教 養 に
力を入れるようでそこからも大学の
姿 勢 が う か が え ま す 。ま た 、海 外 の 生
徒を取り入れるためのサポートシス
テ ム も 充 実 し て い て 、小 林 さ ん は と て
-18-
も 助 か っ た と い い ま す 。ま た 、科 目 を
1 個 落 と す こ と が 致 命 傷 で 、落 第 す る
と一年間社会奉仕しなければいけな
い そ う で す 。入 学 後 の 緊 張 も 半 端 な い
も の だ と い う こ と が 想 像 で き ま す 。日
本に喝を入れるようなハーバードの
教育事情に驚くばかりでした。
そ し て 、小 林 さ ん の 将 来 の 夢 は 、J
リーグ初のハーバード出身Jリーガ
ー と い う こ と で し た 。僕 ら の 思 考 の 域
をこえた小林さんの考え方にただた
だ感動です。
ハーバード大についてぼんやりと
したイメージしかありませんでした
が 、小 林 さ ん の 話 を も と に こ の 大 学 に
ついて知らなかったことを発見でき
た こ と が い い 経 験 で し た 。話 を 聞 い て
日本が取り入れなければならない意
識というのも見えてきたような気が
します。
小林さんは自分にとってとても魅
力 的 な 存 在 で し た 。こ ん な ス ー パ ー マ
ン み た い な 人 が い る の か と 。カ ル チ ャ
ー シ ョ ッ ク の 連 続 で し た 。自 分 は 小 林
さんのようにはなれないかもしれま
せ ん が 、「 あ き ら め な い 」 こ の 言 葉 を
大 事 に し て い き た い で す 。そ し て 、魅
力的な人と話せる人になりたいです。
小林さんのお話に聞き入る
海外研修中の日本人のコミュ
ニ ケ ーシ ョ ンに つ いて の 所感
二 つ 目 に つ い て は 、日 本 人 の 会 話 が
続かなくなる気まずさに対する恐怖
26H 植 田 千 穂
が 見 え る が 、外 国 人 に と っ て そ ん な こ
と は 気 ま ず く な い し 、会 話 が 続 か な く
外国の人とコミュニケーションをと
てもそれは相手に対する敵意ではな
ることの難しさ
んらないということを私はこの海外
今 回 の 研 修 で は 、私 た ち の 多 く が 外
研 修 で 学 ん だ 。だ か ら 会 話 が 続 か な く
国からの学生たちとコミュニケーシ
なることへの恐怖は日本人的な恐怖
ョ ン を 図 る こ と を 目 標 と し て い た 。だ
だ と い え る し 、そ れ を も っ て い る と い
が 、見 知 ら ぬ 外 国 人 と 会 話 を 始 め る の
う こ と は 、知 ら ず 知 ら ず に 相 手 の 外 国
は私たち日本人にとって難しいこと
人にも日本人的な性質があることを
であった。
前提にしてしまっていることの表れ
① 話しかける勇気
ではないかと思う。つまり①②から、
② 話題
相手が外国人であることを知ってコ
③ 言葉の壁
ミュニケーションをとろうとすると
などの問題があったからだ。しかし、
き に も 、日 本 人 は 自 分 た ち の 性 質 を 無
こ れ ら の 問 題 を 乗 り 越 え て 、私 た ち の
意 識 に 相 手 に 投 影 し た ま ま 、む こ う は
ほとんどは研修が終わるころにはた
外 国 人 で 、こ ち ら は 日 本 人 と い う 表 面
く さ ん の 外 国 の 友 達 が で き て い た 。私
的な状況にばかり気をとられて緊張
自 身 友 人 を つ く っ た が 、そ の 経 験 を 通
す る の で は な い か と い う の が 、私 が 研
し 、こ れ ら の 問 題 に つ い て 考 え て み た 。
修を通して考えたことだ。
問題の原因は何か
解決には
最も早くに片付いたのは言語の問
ま ず 、日 本 人 の 性 質 を 自 分 が 相 手 に
題 だ っ た 。な ぜ な ら 今 回 交 流 を は か っ
投 影 し て い る こ と に 気 づ い て 、そ れ を
た多くの外国人は英語を母語とする
改 め な け れ ば い け な い と 思 う 。本 質 的
人 た ち で は な く 、も ち ろ ん 彼 ら は 英 語
な 文 化 の 違 い に 気 づ き 、そ れ を 受 け 入
を 流 暢 に 話 す が 、こ ち ら の 英 語 力 の 不
れ る こ と で 、心 地 よ い コ ミ ュ ニ ケ ー シ
足 を 理 解 し 、時 に 言 い 換 え な ど 助 け 舟
ョンがとれるはずだ。
を 出 し て く れ た か ら だ 。ネ イ テ ィ ブ に
も 理 解 の あ る 人 が 多 く 、聞 き 返 し を 繰
り返せばきれいな英語でなくても十
分 通 じ る こ と が 分 か っ た 。私 は こ こ で 、
上にあげた精神的な問題の原因につ
いて考えてみた。
① →日本人として突然話しかけら
れると少し引いてしまうという、
内と外をわけがちな性質を外国
人にも投影しているから
② →外国人は日本人ほど気を使っ
て誠実に人の話を聞くことはし
ないということを聞いていたた
め 、何 か テ ー マ の あ る「 会 話 」を
し な け れ ば と 、相 手 が 外 国 人 で あ
ることを意識しすぎたから
-19-
DanaDana - Farber
癌 研 究セ ン ター の 魅力
で 、外 か ら 中 へ 入 っ た と き に 解 放 感 や
安心感を得られるようになっていま
す 。少 し で も 壁 の 圧 迫 を 感 じ な い よ う
に 工 夫 さ れ て お り 、広 く リ ラ ッ ク ス し
た 雰 囲 気 を 醸 し 出 し て い ま す 。そ れ 以
外 に も 、 Dana-Farber 癌 研 究 セ ン タ ー
で は 、多 く の 患 者 さ ん を 気 持 ち よ く 生
活させるための工夫がさまざまな点
で施されていました。
最後に
日本の患者さんへの環境はどうな
っ て い る の で し ょ う か 。お そ ら く 、欧
米から学ぶとともに日本独自の文化
・価 値 観 へ の 配 慮 が な さ れ て い る こ と
と 思 い ま す 。し か し 、私 た ち の 島 国 日
本 は 今 後 も 海 外 か ら 学 び 続 け 、日 本 の
文化に根差した医療体制を整えてい
くことが必要だと思います。
26H 小倉 綾華
Dana-Farber 癌 研 究 セ ン タ ー
今 回 の 研 修 中 、 Dana-Farber 癌 研 究
セ ン タ ー を 見 学 し ま し た 。ア メ リ カ の
ある雑誌ではアメリカのがん研究病
院の中で 5 本の指に入るといわれるセ
ンターの中がどのようになっている
のかについて学んできました。
患者さんに対する全人的ケア
Dana-Farber 癌 研 究 セ ン タ ー は 研 究
と 臨 床 が 連 携 し て い る 機 関 で す 。同 じ
階にすべての必要な検査機器や設備、
薬 品 な ど を 揃 え 、患 者 さ ん が 一 度 に す
べての検査を受けられるようになっ
て い ま す 。例 え ば C T 検 査 や 薬 局 な ど
が あ り ま す 。こ れ ら が 一 ヶ 所 に あ る こ
とで、患者さんの移動距離が短くな
り 、患 者 さ ん の 負 担 は 軽 減 し 、よ り 快
適な入院生活を送ることができます。
ま た 、病 院 内 に ピ ア ノ を 置 い た り 、教
会をつくったりすることで患者さん
にとって安らぎの場を与えています。
ま た 、世 界 で は ま だ 標 準 的 に 行 わ れ て
いない遺伝子治療というものも行っ
て い ま す 。こ の 治 療 は 一 般 的 な 放 射 線
治 療 や 化 学 療 法 、免 疫 療 法 と と も に 行
われています。この部門においても、
donor の 名 前 が 刻 ま れ た 石 の よ う な も
の が 壁 一 帯 に 散 り ば め ら れ 、そ の 色 が
ゆっくりと変化することで患者さん
を 安 心 し た 気 分 に さ せ て い ま す 。こ れ
は場合によっては一般の癌治療以上
に 効 果 が あ る そ う で す 。癌 研 究 セ ン タ
ーの方々はこの全人的なアプローチ
の効果にこれからさらなる期待を寄
せています。
また、病室にもこだわりがあります。
病室の扉は真ん中に設置されていま
す 。も し 扉 が 端 に あ る と し た ら 、窮 屈
さや孤独を感じる人がいるかもしれ
ません。しかし、このセンターでは、
扉を部屋の真ん中に取り付けること
ダナ・ファーバーのエントランス
-20-
癌 「 治療 」 とは
須川さんの講演から学ぶ
26H 酒井 梨々香
須 河 さ ん は 現 在 Dana Farber で 大 腸
が ん 研 究 に 携 わ っ て い る 。一 概 に 医 師
治療はメスを入れることだけじゃな
といっても患者さんを見る人だけの
い
こ と を 指 す の で は な い 。技 術 を 使 う 人
私 が Dana-Farber の 病 院 施 設 に 訪 問
も 必 要 だ が 、そ れ 以 前 に 、技 術 が 確 立
し て み て 最 初 に 驚 い た こ と は 、病 院 と
さ れ な く て は な ら な い 。確 か に 臨 床 医
は 思 え な い 、そ の 暖 か い 雰 囲 気 だ 。ど
も患者さんの命を預かっているのだ
こを見渡しても薬品の匂いがする窮
か ら 責 任 重 大 だ が 、須 河 さ ん に よ る と 、
屈 な 場 所 に は 感 じ ら れ な い 。価 値 あ る
研究においてもデータの調査方法や
「無駄な」スペースが多くあるのだ。
再 現 性 を 明 確 に 示 す 必 要 が あ り 、な か
病院で私が初めて目にした施設は
な か に 厳 し い 世 界 で あ る そ う だ 。癌 治
い く つ か あ る 。ガ ー デ ン や 教 会 、プ ラ
療を支えているのは臨床医の方々だ
イバシーの守られたショッピングス
け で な く 、日 々 地 道 に 研 究 を し て い る
ペ ー ス 。ど れ も 治 療 と 直 接 的 に 関 係 し
研究医の方々も同様であるというこ
て い る わ け で は な い が 、 Dana-Farber
と を 忘 れ て は い け な い 。ま た 、須 河 さ
は 、こ の 部 分 に 非 常 に 力 を 入 れ て い る 。
ん に よ る と 、一 般 的 に ア メ リ カ の ほ う
ただ癌を取り除くことだけを治療と
が癌治療の技術は優れているかもし
は 考 え て い な い の だ ろ う 。治 療 中 の 患
れ な い が 、胃 癌 の 治 療 に つ い て は 日 本
者の安らぎのある生活もまた治療の
の ほ う が 進 ん で い る と い う 。こ れ は 日
一環とみなすのは重要な考え方だと
本のほうが胃癌患者数は多いためだ。
思 う 。ア メ リ カ は 特 に 多 種 多 様 な 人 々
このように国によって得手不得手は
が集まっているという認識が高いた
あ る 。こ れ か ら の 日 本 が ど れ ほ ど 得 意
め 、個 人 個 人 が 自 ら の 意 思 に あ っ た 生
分野を伸ばせるかはとても重要だろ
活を送ることができる環境を病院に
う 。優 れ た 技 術 と 、患 者 へ の ケ ア シ ス
作ることは日本以上に重要視された
テ ム が 整 う こ と で 、日 本 は 更 に よ い 医
の だ ろ う か 。ま た 、院 内 に は 自 分 の 病
療を確立できるのではないだろうか。
気について本人や家族が情報を得る
そう考えさせられる良い体験となっ
こ と の で き る 施 設 も あ る 。こ れ も 患 者
た。
自身がこれからの生活の質をどのよ
うに高めていくか考えていくうえで
極めて重要だ。
これまでの点を日本の病院と比較
し て み る と ど う だ ろ う か 。調 べ て み た
と こ ろ 、こ の よ う な 癒 し の 施 設 は あ る
に は あ る よ う だ が 、欧 米 に 比 べ る と 認
知が低いようだ。患者、医師ともに、
「 治 す こ と 」 に 集 中 し が ち で 、「 癒 す
こ と 」を 忘 れ が ち だ そ う だ 。心 身 共 に
大 き な 苦 痛 を 伴 う 癌 治 療 。治 す た め の
技 術 は も ち ろ ん だ が 、患 者 が そ の 治 療
を受け続けられるような生活を提供
須川医師からの講演を受けた後で
す る こ と も 、癌 治 療 の 一 環 と み な す べ
きではないだろうか。
-21-
最 先 端の 科 学技 術
26H
下野
直弥
リモコンで動かせるマウス
MIT で 聞 い た 話 の 中 に リ モ コ ン で 動
か せ る マ ウ ス( ネ ズ ミ )と い う も の が
出 て き た 。脳 に 電 極 を 埋 め 込 む と そ の
動きを制御できるようになるらしい。
自 分 で も 調 べ て み た と こ ろ 、機 械 の よ
う に 動 い て く れ る の で は な く 、脳 を 刺
激するだけであるため少し訓練が必
要 で あ る よ う だ 。普 段 な ら 避 け る よ う
なところや危険なところにも行かせ
る こ と が で き る よ う だ 。こ の よ う な マ
ウスにカメラを取り付ければ災害現
場などの多くの場面で活躍できるか
も し れ な い 。し か し 、も し こ の 技 術 が
人間にも応用されてしまったらなど
と考えると、恐ろしい部分もあるし、
絶対にそのようなことが起こっては
な ら な い 。ま た 、そ も そ も 人 間 が 動 物
の意志に反して動物を機械のように
操 作 し よ う と し た り す る の は 、本 当 に
正しいことなのかどうか疑問に思う
部分も少しある。
脳を透明にする技術
こ ち ら も MIT で 聞 い た こ と だ が 、脳
を 透 明 化 し て 見 る 技 術 が あ る 。こ の 技
術 に よ っ て 、神 経 細 胞 を 観 察 す る こ と
ができるようになり様々な研究が発
展 す る と 考 え ら れ る 。脳 を 透 明 に す る
研 究 は 以 前 か ら 行 わ れ て お り 、い く つ
か の 方 法 が あ る が 、研 究 が 進 む に つ れ
て 簡 単 に な り 、欠 点 な ど も な く な っ て
き た 。今 は 動 物 の 脳 の 透 明 化 だ け の よ
う で あ る が 、人 の 脳 で も 応 用 さ れ る こ
とを期待したい。しかしその際には、
人に危害が及ばないように細心の注
意 を 払 わ な け れ ば な ら な い と 思 う 。こ
の 技 術 が 活 用 さ れ 、脳 の 病 気 の メ カ ニ
ズ ム な ど が 解 明 さ れ て 、治 療 で き る 病
気も増えることを期待したい。
ZeroN
事前に調べていた物の中で興味を
持 っ た 技 術 で 、 MIT の メ デ ィ ア ラ ボ が
開 発 し た も の で あ る 。空 中 に 浮 か べ た
鉄球を操作することでコンピュータ
を操作するインターフェースである。
磁 力 に よ っ て 鉄 球 を 浮 か べ て い て 、鉄
球の動きは光学追跡システムやプロ
ジ ェ ク タ ー で 把 握 し て い る 。鉄 球 か ら
見えるであろう景色を画面に表示す
ることや画面上の動きを鉄球に反映
す る こ と も で き る 。こ の 技 術 が 僕 た ち
の生活にどのように活用されるのか、
そもそも身近なところで活用できる
の か は わ か ら な い が 、と て も 興 味 が そ
そられる技術なので使ってみたいし、
何か斬新なことに活用されて欲しい。
まとめ
今 現 在 、僕 た ち で は 想 像 も つ か な い
ような様々な研究がなされているこ
と が 分 か っ た 。そ れ ら は こ れ か ら の 生
活を便利にしたり医療などの発達に
つ な が っ た り す る け れ ど も 、危 険 な 一
面 を は ら ん で い る こ と も あ る の で 、注
意深く研究される必要があると思っ
た 。ま た い ざ 僕 た ち が 使 う と な っ た と
き に 、間 違 っ た 使 い 方 な ど を し た り 悪
意 を 持 っ て 使 っ た り す る と 、大 惨 事 を
引 き 起 こ し か ね な い か も し れ な い 。そ
の 意 味 で 、僕 た ち の 新 し い 技 術 に 対 す
る考え方や態度というものはとても
重 要 だ と 思 う 。時 に は 、批 判 的 に な る
こ と も 必 要 か も し れ な い 。僕 た ち の 態
度 に よ っ て 、何 か を 変 え る こ と も 可 能
かもしれない。
MITで経済学を学んでいる成田さん
-22-
マ サ チュ ー セッ ツ 工科 大 学
MITの政治的実験研究所はアダ
26H 高桑 絢菜
ム・ベ リ ン ス キ 教 授 に よ っ て 導 か れ た
が 、研 究 員 に キ ャ ン パ ス 内 で 実 験 を 行
実は総合大学!
な っ た り 、慰 安 旅 行 を し た り 、イ ン タ
大 学 名 に「 工 科 大 学 」と 入 っ て い る
ーネットで現在到達しうる最先端の
ため工業系の学部を連想しがちであ
実験ソフトウェアを使うことを許可
る が 、マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 工 科 大 学 に は 、
している。
私たちが思い付く学科はたいていあ
る 総 合 大 学 な の で あ る 。例 え ば 、ロ ボ
ットの研究はもちろん、文学や音楽、
映 画 、建 築 の 研 究 も し て い る の だ そ う
だ。
こ こ で は 、そ の 中 の ご く 一 部 の 研 究
内容を紹介する。
さまざまな分野の研究
① 防衛研究プログラム(SSP)
こ れ は 、国 家 間 や 国 内 の 戦 争 の 原 因
や 防 止 、 対 策 、行 為 、 影 響 を 研 究 し て
いる学者たちの共同体である。また、
防衛研究を専門に扱っている分野で、
最も立派なプログラムの1つである。
水曜日に行われるSSPのセミナー
で は 、学 問 の 世 界 や 政 府 、頭 脳 集 団 の
中 か ら 講 師 が や っ て 来 て 、大 学 院 生 や
教 授 陣 、ゲ ス ト と 一 緒 に 研 究 を 共 有 す
る。
② 比 較 に よ る 情 報 伝 達 手 段 の 研 究・文
書
こ れ は 、卒 業 生 や 大 学 生 に 共 同 作 業
や研究実習を中心とした学位取得プ
ロ グ ラ ム を 提 供 し て お り 、優 れ た 仕 事
場 や デ ジ タ ル メ デ ィ ア や ビ デ オ 、ゲ ー
ム、現代 の小 説、詩、創造 的な ノン フ
ィ ク シ ョ ン 作 品 、ジ ャ ー ナ リ ズ ム の 技
術や伝統を特集している研修会カリ
キ ュ ラ ム を 支 え て い る 。そ の 教 育 的 作
業を社会的に気付いている提供や批
評家の観点から知らされた専門的知
識 や 出 来 事 に よ っ て 産 業 や 芸 術 、公 の
範囲へ拡大もしている。
③ 政治学
Boston review と 共 同 の プ ロ ジ ェ ク
ト の 意 見 は 、私 た ち の 一 生 の 重 要 な 課
題についての公の議論を助長する。
-23-
MIT校舎『グレートドーム』
留学の勧め
マサチューセッツ工科大学の学費
は 1 年 間 で 500 万 円 必 要 と な る 。し か
し、奨学金制度が充実しているため、
1 円も支払わず来ることができる場合
もあるそうだ。
まとめ
マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 工 科 大 学 で は 、特
に 決 ま っ た 分 野 が な く 、学 生 た ち は 自
由にやりたい研究をしていることが
わかった。施設も充実しているため、
研究内容も高度だった。
私 た ち は こ れ か ら 、世 界 に 羽 ば た い
ていかなければならない存在である。
今回の研修でお話を聞いた方々のよ
う に 、世 界 で 活 躍 で き る 人 に な れ る よ
うにもっと世界に目を向けて行きた
い。
「 病 院」 と いう 存 在
26H
半田
茉莉
ダ ナ・フ ァ ー バ ー 癌 研 究 所 と 比 較 し て
ダ ナ・フ ァ ー バ ー 癌 研 究 所 に 入 っ て
最初に思ったことは日本の病院のイ
メ ー ジ と は 全 く 違 う と い う こ と だ 。日
本 の 病 院 の イ メ ー ジ は 「 白 」。 清 潔 、
と い う 印 象 が あ る 。ま た 、 医 者 、看 護
師を象徴する白衣も連想されるので
は な い か と 思 う 。し か し 、ア メ リ カ の
素 晴 ら し い 病 院 の 一 つ で あ る ダ ナ・フ
ァーバー癌研究所はまるで高級ホテ
ル の よ う で あ っ た 。日 本 人 の 感 覚 か ら
すると病院らしくないとすら思える
ようなリラックスできる場であると
感 じ た 。患 者 が リ ラ ッ ク ス で き る こ と 、
こ れ こ そ が ダ ナ・フ ァ ー バ ー 癌 研 究 所
の目指すものの一つではないかと私
は 考 え る 。季 節 ご と に 花 々 が 植 え 変 え
ら れ る 庭 園 や 、患 者 の 要 望 か ら 置 か れ
る こ と に な っ た ピ ア ノ 。日 本 の 病 院 に
は な く 、ダ ナ ・ フ ァ ー バ ー 癌 研 究 所 に
あるものは癌という重い病気を患っ
た患者をリラックスさせるものであ
った。
ま た 、ダ ナ ・ フ ァ ー バ ー 癌 研 究 所 で
は 同 じ 建 物 の 中 で 受 け 付 け や 検 査 、薬
の処方など様々なことを一度にでき
る 。日 本 の 病 院 で は 薬 は 新 た に 薬 局 に
行 っ て 処 方 し て も ら う な ど 、す べ て の
ことを同じ所でできることは少ない
と 思 う 。同 じ 所 で 全 て を 済 ま せ る こ と
で患者の負担を減らしているのであ
る。
こ の よ う な ダ ナ・フ ァ ー バ ー 癌 研 究
所と日本の病院の違いは病院という
ものの考え方の違いからきていると
考 え る 。ア メ リ カ で は 、病 院 は 患 者 を
リ ラ ッ ク ス さ せ る 所 な の だ と 思 う 。も
ちろん日本の病院の白さは清潔感を
連 想 さ せ る な ど 良 さ は あ る が 、患 者 を
リラックスさせることはできないと
-24-
思 う 。日 本 の 病 院 の 白 さ が「 病 院 = 白 」
が 単 な る 固 定 観 念 で は な く 、ダ ナ ・ フ
ァーバー癌研究所のように患者が重
病を患っていても心地よく過ごせる
場にするため考え抜いた結果であれ
ばいいなと思う。
ま た 、臨 床 医 が 患 者 を 診 る こ と だ け
で な く 、病 院 と い う 施 設 が 提 供 す る サ
ービスも含むものだと思った。
Dana - Farber 癌 研 究 所 の 外 観
ダ ナ・フ ァ ー バ ー 癌 研 究 所 を 訪 問 し て
今 回 訪 問 し て 、初 め に も 書 い た よ う
に 良 い 意 味 で 病 院 ら し く な く 、本 当 に
驚 い た 。私 の 将 来 の 夢 は 医 師 に な る こ
と で 、こ の よ う な 病 院 を 作 れ た ら い い
なと思った。
そ し て 、案 内 し て く だ さ っ た 方 は ダ
ナ・フ ァ ー バ ー 癌 研 究 所 に つ い て と て
も 詳 し く 説 明 し て く だ さ っ た 。患 者 の
意見を取り入れるなど良いと思った
ことはなんでも取り入れているよう
で 、彼 か ら 学 ぶ こ と は 多 く あ っ た 。し
か し 、私 の 英 語 力 不 足 で 理 解 で き な か
ったことも多く、悔しい思いをした。
英 語 を 勉 強 し よ う 、と 強 く 思 っ た 瞬 間
の一つだった。
ま た 、須 河 さ ん が 医 療 に 携 わ る 者 と
し て 、「 患 者 に 寄 り 添 い 、 一 人 の 患 者
が多くの患者のうちの一人にならな
い よ う に し た い 」と お っ し ゃ っ て い る
の を 聞 き 、私 も 将 来 そ ん な 医 師 に な り
たいと思った。
ア メ リカ と 日本 の 医療 制 度の
違 い とそ の 影響 に つい て
26H
藤塚
アメリカと日本の医療制度の違い
日本では国民全員が保険に加入し
て い て 、保 険 料 が 安 く 、全 国 ど こ で も
好きな病院で診察を受けることがで
き る 。日 本 人 は つ い つ い ど こ の 国 で も
そ う で あ る と 思 い が ち だ が 、ア メ リ カ
では国民に保険に加入する義務がな
い 。そ の た め 民 間 の 会 社 の 保 険 に 加 入
す る の だ が 、自 分 の 払 っ て い る 保 険 料
の額によって受けられる医療機関の
グレードが変わってくるのだ。また、
診察は救急病院を除くと基本的には
予 約 制 で 、診 て も ら え る ま で 一 週 間 以
上待たされることもよくあるそうだ。
し か し 、診 察 を 受 け ら れ る 患 者 の 数 が
減 る と い う こ と は 、す な わ ち 医 師 が 患
者一人にかけられる時間が増えると
い う こ と だ 。だ か ら 患 者 は よ り よ い サ
ー ビ ス を 受 け る こ と が で き る 。こ こ に
アメリカが格差社会であるというこ
とがよく表れていると思う。
偉利哉
DANADANA - FARBER 癌 研 究 所 に つ い て
日 本 で は 、治 療 と い え ば 病 院 の 白 く
無機質な壁と天井に囲まれて毎日を
過ごすイメージがある。しかし、
Dana-Farber 癌 研 究 所 は 違 う 。 数 年 前
に新しくできた病棟は患者を第一に
考 え て 設 計 さ れ て い る 。ま ず 建 物 に 入
っ て 感 じ た の は「 開 放 感 」 だ 。 い ろ ん
な設備が患者にストレスを与えない
ように考えられてデザインされてい
た。
ま た 、ア メ リ カ の 最 近 の 病 院 は 患 者
や医師の動線を大切に考えて作られ
て い る そ う だ 。 Dana-Farber に は い く
つ か の 建 物 が あ る の だ が 、そ れ ら は ほ
と ん ど 渡 り 廊 下 で つ な が っ て い て 、医
師の方たちがわざわざ一階まで下り
ることなく建物間の行き来できるよ
うになっていた。
最も驚いたのは病院内にある休憩
所 だ 。ガ ラ ス 張 り の 空 間 の な か に「 庭
園 」が で き て い る の だ 。植 物 が 生 い 茂
り 、水 が 流 れ て い て 、小 鳥 の さ え ず り
ま で 聞 こ え て く る 。こ こ は 本 当 に 病 院
の中なのかと疑うほどに別世界だっ
た 。こ の よ う な 施 設 を 日 本 の 大 き な 病
院では見たことがない。
日米の終末期患者に対する考え方の
違い
終 末 期 医 療 に 関 し て は 、ア メ リ カ の
ほ う が 日 本 よ り も 進 ん で い る 。ア メ リ
カでは終末期の人はいつまでも病院
に お い て も ら え な い の で 、在 宅 医 療 が
発 達 し 、終 末 期 に 対 す る 考 え 方 も 進 ん
できたのだろう。
日 米 の 癌 診 療 の 大 き な 違 い は 、ア メ
リカではがんしか見ない癌専門医が
患 者 を 診 療 す る が 、日 本 で は 外 科 医 や
内科医などがんを専門としているわ
けではない医師が癌患者を日常診療
の延長で診ることが多いということ
だ 。そ の た め 、終 末 期 医 療 に 関 し て も
なかなか普及しにくいのだそうだ。
どちらの医療制度が優れているか
ということは一概には決められない。
アメリカに渡航する際には医療制度
の違いに十分注意することが大切だ。
Dana - Farber 内 に あ る 休 憩 所
-25-
夢を実現する為の行動力
今回の研修を通して私が感じたこ
と は 、夢 を 実 現 さ せ よ う と 一 心 不 乱 に
26H 皆 口 美 夏 子
努 力 し て い る 人 は 、自 分 が 今 や る べ き
調査の動機
こ と を 考 え 、そ れ を す ぐ さ ま 実 行 す る
MITに義足が展示されているの
行動力があるということだ。
を 見 て 、縁 者 に 義 足 使 用 者 が い る た め 、
私にはまだ明確な将来の目標がな
MITにおける義足開発に興味をも
い が 、い つ か 自 分 の や り た い こ と が 定
っ た 。さ ら に 、日 本 人 エ ン ジ ニ ア が 活
ま っ た 時 に 、そ の 夢 に 向 か っ て す ぐ さ
躍 し て い る と 知 り 、ど の よ う な 義 足 を
ま行動できるような力を今のうちか
開発しているのか知りたいと思った。
ら 養 っ て お き た い 。そ の 為 に 、目 の 前
のこと1つ1つに積極的に取り組ん
親友の足を取り戻すために
でいこうと思う。
人型ロボットの研究をしていた遠
藤 さ ん は 、足 を 失 っ た 親 友 の「 自 分 の
足 で 歩 き た い 」と い う 言 葉 を 受 け 、義
足 研 究 を 志 し た 。そ の 後 、M I T で 義
足 の 研 究 を し て い る Hugh Herr 教 授 の
存 在 を 知 り 、 渡 米 を 決 意 。「 自 分 が 持
っているロボット技術を使って親友
の 足 を 取 り 戻 す 」こ と が 、彼 の 夢 で あ
る。
MITで活躍する日本人義足
エ ン ジニ ア 遠 藤 謙さ ん
身体障害という言葉を技術でなくし
たい
現在遠藤さんが取り組んでいる研
究 は 、モ ー タ ー を 活 用 す る ロ ボ ッ ト 義
足 、軽 量 で 安 価 な 途 上 国 向 け 義 足 、そ
して競技用義足の3つだ。
彼 は 、Herr 教 授 の「 身 体 に 障 害 を 持
つ 人 な ん て い な い 。テ ク ノ ロ ジ ー に 問
題 が あ る だ け だ 」と い う 言 葉 に 感 銘 を
受け、障害を技術で代替することで、
「身体障害」という言葉をなくす為、
日々研究を続けている。
「足がないことを余白として考える
と 、そ こ に は 何 で も 装 着 で き る 訳 だ か
ら 、か え っ て 障 害 に は 身 体 性 を 拡 張 す
る 可 能 性 が あ る 」と 彼 は 言 う 。例 え ば 、
バネのような役割をする膝下を失っ
た 代 わ り に 、そ れ よ り 軽 い バ ネ を 装 着
し た ら 、健 常 者 よ り 速 く 走 れ る は ず だ 。
遠 藤 さ ん の 義 足 開 発 は 、底 知 れ な い 可
能性を秘めているのだ。
-26-
遠藤さんが取り組んでいる義足
日 本 とア メ リカ の 医師 不 足に
ついて
27H
石田
役 割 を 担 っ て い る と 思 う 。な に せ 人 の
命 と 直 に や り 取 り す る の で あ る 。そ れ
そうとうの覚悟と志がなければいけ
な い と 思 う 。今 回 の 研 修 で 、ボ ス ト ン
の Dana-Farber 癌 研 究 セ ン タ ー を 訪 問
し た 。そ こ に 勤 務 し て お ら れ る 須 川 先
生 の お 話 の 中 で 、先 生 は 、「 患 者 に と
って病と言うのは一大イベントであ
る こ と は 間 違 い な い 。し か し 、医 師 に
と っ て は 、こ れ ま で 診 て き た い く つ も
の症例の中の一つにすぎない。ただ、
こ う 考 え て し ま う と い け な い 。大 事 な
のは医師がどこまで患者の気持ちに
な れ る か で あ る 。そ れ が 医 療 に 携 わ る
者 と し て 必 要 な こ と だ と 思 う 。」と お
っ し ゃ ら れ た 。僕 は 、こ の お 話 に 強 く
感 動 し た 。医 師 に 必 要 な も の は 何 な の
かが、少しわかったような気がした。
僕 の 将 来 の 夢 は 、医 師 と し て 地 域 医 療
に 貢 献 す る こ と だ 。そ の た め の 大 事 な
心構えというのを学ぶことができた。
こ の 経 験 を い か し 、夢 を か な え る た め
により一層の努力をしていきたい。
羽海
日 本 で も ア メ リ カ で も 、深 刻 な の は 地
方
日本で医師不足が深刻化している
のは広く知られていることであるが、
実はアメリカでも同様の問題が起こ
っ て い る 。医 師 の 絶 対 数 は 両 国 で 不 足
しているということが指摘されてお
り 、 対 策 が 組 ま れ て い る 。 た だ 、医 師
は 都 市 部 で 働 き た が る の は 、ど こ の 国
で も 同 じ で 、日 本 、ア メ リ カ と も に 都
市部の医師数は充実しているという。
深 刻 な の は 地 方 で あ る 。最 近 問 題 に
な っ た 患 者 の た ら い 回 し も 、医 師 不 足
が 原 因 で 起 こ っ た も の だ 。ま た 、僻 地
に な る と 、無 医 地 区 と な っ て い る 地 域
も 少 な く な い 。そ う し た 地 域 で は 医 療
が 受 け ら れ な い た め 、人 々 は 都 市 部 に
流 れ て し ま い 、過 疎 化 が 進 ん で し ま う
だ ろ う 。こ う し た 側 面 か ら も 、医 師 不
足の解消は国家にとって早急に解決
すべき課題であると思う。
僻地医療の課題は共通
医師になるとは
医師が不足しているからといって、
誰もかれも医師になれるようにして
絶対数を増やせばいいということで
は な い だ ろ う 。医 師 と い う の は 他 の 職
種と比較してもとりわけ責任の重い
-27-
動 物 実験
現在の生活は過去の動物実験の上に
なり立っているといえるからである。
~考え方の違いから動物たちを救う
新技術に発展はあるのか~
27H 石若 夏季
6日目に向かったマサチューセッ
ツ工科大学で博士課程の成田さんか
ら様々な発見のあるお話を伺うこと
が で き た 。そ の う ち の 一 つ に 新 し い 科
学技術の発展と動物実験に関するお
話 が あ り 、私 的 に も と て も 興 味 が 持 て
たので調べた。
動物の代替となる技術はあるのか
そ れ で は 、動 物 実 験 に お い て 動 物 の
代わりとなり得る媒体というものは
あ る の か 。 MIT の 成 田 さ ん と 、 東 京 大
学の久和先生に簡単にお伺いしたと
こ ろ 、日 本 、ア メ リ カ 関 係 な く そ の よ
うな技術の発明は行われているそう
だ 。コ ン ピ ュ ー タ ー の シ ミ レ ー シ ョ ン
や 、模 型 の 動 物 の よ う な 装 置 な ど の 技
術 は あ る そ う だ が 、や は り ま だ そ の 確
実 性 は 低 く 、そ こ ま で 革 新 的 に 犠 牲 が
減 っ た り な ど は し て い な い 。成 田 さ ん
曰 く 、そ う し た 確 実 性 を 持 っ た も の の
発明はここ近い将来では起こり得な
いのではないか、ということであっ
た。
アメリカと日本の動物実験に対する
考え方の違い
ヘ ル シ ン キ 宣 言 な ど 、動 物 実 験 の 必
要性を訴えるものは存在するものの、
動物実験に倫理問題が関わってくる
の は 日 本 も ア メ リ カ も 変 わ ら な い 。ア
メリカでは機関内動物実験委員会を
中心とした各研究機関の自主規制を
基 盤 と し 、自 主 規 制 を 監 督 す る 制 度 が
法律とガイドラインで規定されてい
る 。ま た 日 本 で も「 動 物 の 愛 護 及 び 管
理 に 関 す る 法 律 」( 環 境 省 )な ど の 規
制 が 存 在 し て お り 、制 限 さ れ た 状 況 下
での実験しか行えない環境というの
は 両 国 と も 変 わ ら な い 。よ っ て 両 国 の
考え方に違いというものはほとんど
ないように感じた。
緑 豊 か な MIT の キ ャ ン パ ス
最後に
MIT で 伺 っ た 技 術 の 中 に は 、 い つ か
人類はコンピューターに支配されて
しまうのではないのかという恐怖さ
え 感 じ ら れ る も の が 多 く あ り 、科 学 の
進歩に感嘆する反面私は複雑な思い
を感じるところがあった。成田さん
は 、医 療 技 術 と い う も の は 生 命 を 作 り
替 え る と い う こ と で 、生 命 を 生 命 で 代
用しようということ自体が人類が生
命というものを完全に理解するまで
はできないのではないかとおっしゃ
ら れ た 。し か し 今 、知 的 好 奇 心 に 駆 ら
れ た く さ ん の 動 物 実 験 を 行 い 、進 歩 さ
せてきたできる範囲の科学技術でも、
人類は一度恩返しをすべきではない
か、と私は思う。
MIT 新 技 術 と 動 物 実 験 の 関 係
MIT で は 世 間 一 般 に 広 く 知 ら れ て は
い な い が 、実 は と て も 面 白 く 不 思 議 な
発 明 が た く さ ん 行 わ れ て い る 。例 え ば
脳 を 透 明 に す る 、ネ ズ ミ の 脳 に 電 子 機
器を埋め込みネズミを自由に操作す
る 、等 と い う も の で あ る 。こ う し た 新
技術の発明の裏には数えきれないほ
ど の 動 物 た ち の 犠 牲 が あ る 。成 田 さ ん
の お 話 で は MIT 内 で 毎 日 の よ う に 大 量
の 動 物 実 験 が 行 わ れ 、動 物 た ち が 命 を
失っているということである。しか
し 、一 概 に 動 物 実 験 が 悪 い こ と で あ る
と も い え な い 。な ぜ な ら 、医 療 技 術 や
医 療 品 、化 粧 品 に い た る ま で 私 た ち の
-28-
ア メ リカ と 日本 に おけ る 癌の
種 類 と原 因 の傾 向 の違 い
27H
今田
華乃子
日本で多い癌、アメリカで多い癌
先 進 国 で は 、3 人 に 1 人 が 癌 に か か
る と 言 わ れ て い る 。平 成 2 2 年 、厚 生
労 働 省 は 、日 本 人 の 死 亡 原 因 の 約 3 割
を 悪 性 新 生 物( 癌 )が 占 め て い る こ と
を 発 表 し た 。一 方 ア メ リ カ で は 2 0 1
0 年 に 、癌 は 死 亡 原 因 の 約 2 割 を 占 め
て い る と い う 結 果 が 出 て い る 。癌 は 死
亡 原 因 と な る こ と が 多 く 、日 本 の 死 亡
原 因 と し て は 1 位 、ア メ リ カ で は 男 女
ともに心臓病に次いで2位となって
い る 。ど ち ら の 国 に お い て も 脅 威 で あ
る 癌 。し か し 、国 の 間 に は 癌 に も 異 な
る点があるようだ。
まず、アジア諸国と欧米諸国では、
なりやすい癌の種類が異なっており、
これは食文化の違いから生じたもの
で あ る 。一 般 に 、ア ジ ア 系 の 食 事 を し
て 生 活 す る と 、そ れ ら に 含 ま れ る ピ ロ
リ 菌 な ど の 作 用 に よ り 、胃 が ん に な り
や す い 。こ れ を 防 ぐ た め に は 、塩 分 や
糖分の摂り過ぎに注意しなければな
ら な い 。そ の 一 方 で 西 洋 風 の 食 事 を し
て い る と 大 腸 が ん に な り や す い 。こ ち
ら に は 、肉 を 食 べ 過 ぎ な い こ と 、マ ー
ガリン等に含まれるトランス脂肪酸
の摂取を控えめにすることが大切だ。
日本では食の西洋化が進んでいるた
め に 、大 腸 が ん が 増 加 し て い る 一 方 で 、
生活習慣の変化によって減少してい
る 癌 も あ る 。そ の た め な り や す い 癌 の
種 類 は 変 わ っ て き て い る と 言 え る 。癌
対 策 に 良 い 食 事 を す る ポ イ ン ト は 、加
工 食 品 を 控 え め に し 、栄 養 バ ラ ン ス の
整 っ た 献 立 を 考 え る こ と と 、ト ラ ン ス
脂肪酸の摂取に気をつけることだ。
( ト ラ ン ス 脂 肪 酸 と は 、悪 玉 コ レ ス テ
ロ ー ル を 増 加 さ せ 、善 玉 コ レ ス テ ロ ー
ル を 減 少 さ せ る た め 、癌 の 他 に も 、ア
-29-
レ ル ギ ー 、肥 満 、糖 尿 病 等 の 影 響 が 懸
念 さ れ て い る 脂 肪 酸 で 、マ ー ガ リ ン に
非 常 に 多 く 含 ま れ て い る 。)
し か し ま た 、喫 煙 に よ る 肺 が ん や 気
管支がんは癌の中で両国に共通して
多 い 。研 修 中 、ニ ュ ー ヨ ー カ ー 達 は ア
メリカ内で比較的健康を意識してお
り 、タ バ コ を 吸 う 人 は ほ と ん ど い な い 、
と い う 話 を 伺 っ た が 、肺 が ん 、気 管 支
がんがアメリカ国内で2番目に多い
癌 で あ る こ と か ら 、こ れ は ニ ュ ー ヨ ー
ク の み で の 話 の よ う だ 。た だ し 、最 近
ではタバコを国内からなくそうとい
った活動が国家を挙げて行われてい
る た め 、数 十 年 後 に は そ れ が 癌 の 種 類
のデータに影響を及ぼしているだろ
う 。日 本 で も た ば こ 税 等 の 措 置 が 施 さ
れているため、同等のことが言える。
日本とアメリカの医療機関の格差
今 回 の 視 察 で は 、 Dana-Farber 癌 研
究 セ ン タ ー の 施 設 を 訪 問 し た 。講 演 を
聞 い た 研 究 所 か ら 病 院 に 移 る と 、そ こ
には多くのアートが取り入れられて
い た 。階 段 の 壁 に は 子 供 達 の 名 前 、廊
下には必ずアート作品が見えるよう
に 配 置 さ れ て い て 、日 本 で は 考 え ら れ
ないくらい病院の雰囲気が明るかっ
た 。治 療 を 受 け に 来 る 患 者 さ ん の 心 を
少しでも安らげようとデザインされ
ているのだと職員の方から説明があ
った。
私は小さな頃から暗くて薬品の臭
い が す る 病 院 を「 病 院 の イ メ ー ジ 」と
し て 持 っ て い た の で 、大 き な シ ョ ッ ク
を受けた。日本人は思いやりがある、
と言われるが病院側からの患者に対
する思いやりはアメリカの病院の方
が 上 だ と 思 え て な ら な か っ た 。日 本 の
医療機関はもっと進歩できるはずだ、
と考えさせられた。
Japan is famous for…
世 界 から 見 た日 本
2 7H
ANIME/MANGA
小原
大拓
TECHNOLOGY/ELECTOLONICS
TRADITIONAL CULTURE
研究内容
今回の研修では異国の地へ行くと
い う こ と 、ま た 各 国 か ら の 留 学 生 と の
交流の機会があることを生かしてア
ンケートを用いて日本の印象につい
て研究した。
内 容 は 性 別 な ど の 基 本 情 報 、日 本 か
ら 連 想 す る も の 、日 本 の 何 に 興 味 が あ
るか、に絞って調査した。
空 港 で は 搭 乗 手 続 き 待 ち の 方 に 、大
学内では留学生や各先生方などに調
査を行った。
時 に 調 査 の 依 頼 を 断 ら れ た り 、無 視
さ れ た り す る こ と も あ っ た が 、多 く の
方 が 真 剣 に 回 答 し て 下 さ り 、あ り が た
く 感 じ た 。ご 協 力 い た だ い た 回 答 は 約
100 と 、目 標 数 を 満 た す こ と が で き た 。
研究結果
今回調査に協力して下さった方々
の出身国、年齢、性別は以下の通り。
Country
USA
Taiwan
Indonesia
China
Spain
Australia
Sweden
Korea
Italy
Scotland
Russia
41
11
10
14
6
5
4
2
2
1
1
Age
~15
16~18
19~29
30~49
50~
Gender
3 M 45
51
26 F
39
16
13
反省点としては
対 象 が 11 国 と 少
な く 、さ ら に USA の 占 め る 割 合 が 高 い
事 、 15 歳 ま で と 50 歳 以 上 の 割 合 が 低
い事が挙げられる。
次に日本から連想するものについ
て 。こ れ は 多 く の 種 類 の 回 答 が あ っ た
の で 分 類 分 け し 、枠 が 広 く な っ た 分 類
に関してはいくつか例を示してある。
-30-
FOODS
SUSHI
POPCULTURE
MENTALITY
PLACE
SAKURA
MT.FUJI
COSMETICS
ONSEN
OTHERS
62
TV,Cars,Cell Phone
47
Kimono,Origami,Haiku 46
Tempura,Sashimi
41
26
AKB48,ARASHI
18
Respect for others
18
Tokyo,Kyoto,Hokkaido 14
13
8
8
7
Tsunami
5
最後に日本の何に興味があるかに
つ い て 。こ れ は 予 め 項 目 を 作 っ て お き 、
複 数 回 答 可 の チ ェ ッ ク 形 式 と し た 。そ
の他に関してはいくつか例を示して
ある。
Interesting things
Living, Interior design
Fashion, Fashion design
Foods
Anime,Manga
Music,Pop Idols
Martial arts
Language
Traditional arts
Technology
Famous or Historical People
Sightseeing
Religion
Others: Baseball(highschool), Pod hotels
57
54
88
64
37
45
66
62
63
45
83
38
この二つの調査から日本のアニメ・
漫画や高品質の商品に対する海外か
ら の 高 い 評 価 が 見 受 け ら れ る 。観 光 に
関 し て は 最 近 で は お 決 ま り の 東 京 ・京
都 だ け で な く 、地 方 都 市 に も 興 味 が あ
る 人 が 多 か っ た 。ま た 、寿 司 を は じ め
とする日本の食は海外で大変人気が
あ り 、日 本 食 に 限 ら ず「 日 本 で 食 べ る
料 理 は 何 で も お い し い 」と い う 声 を 聞
く こ と も で き た 。さ ら に 日 本 語 に 興 味
を 持 っ て い る 人 が 多 い 反 面 、他 国 の 言
語 と 比 べ て 学 ぶ 機 会 が 少 な い 、と い う
声もあった。
こ の 研 究 の 結 果 を 参 考 に 、よ り 日 本
を海外に発信できる機会を作ってい
きたい。
世 界 に見 る 生命 倫 理
27H
木谷
百花
世 界 の 人 々 の 、生 命 倫 理 的 な 考 え 方
について生の声を聴くことで日本人
が世界の医療に携わる第一歩を踏み
出 せ る の で は と 思 い 、い く つ か の 質 問
を準備した。
“臓器移植は残虐だと思いますか?”
「 そ う は 思 わ な い 。」 タ フ ツ で の 英
語 授 業 の な か で 、ア メ リ カ 人 女 性 講 師
は こ う 答 え た 。「 ア メ リ カ で は 一 般 的
な こ と だ か ら 。」
将来は哲学者になりたいと語った、
キャンパス内の食堂で出会ったアメ
リ カ の 17 歳 の 女 の 子 は「 脳 死 と い う 、
生き返る可能性がほぼ0の境遇にお
け る 臓 器 移 植 は 認 め ら れ る と 思 う 。」
と答えた。
ア メ リ カ で は 18 歳 よ り 幼 い 子 ど も
の 場 合 、本 人 の 意 思 が 不 明 な ら 家 族 の
承諾のみで本人からの移植が認めら
れる。
ま た 、ス ペ イ ン 人 の 少 年 は「 本 人 が
拒絶しなければ家族の承認のみで可
能 、個 人 で の 費 用 負 担 は な い 」と 言 い 、
チ ュ ニ ジ ア 人 の 少 年 は「 認 め ら れ て い
な い 」と 言 っ た 。国 に よ っ て 細 か い 規
定 は さ ま ざ ま だ が 、法 的 に 臓 器 移 植 を
認 め な い 国 、法 的 に は 認 め る が 世 論 が
伴 っ て い な い 国・法 的 に も 社 会 的 に も
認める国の3つがあるとわかった。
日本では近年の臓器移植法の改定
に よ り 、本 人 の 意 思 が 不 明 な 際 は 家 族
が承諾すれば何歳からでも移植が可
能 と な っ た 。し か し 日 本 国 内 で も 、脳
死 を 人 の 死 と 認 め て よ い の か 、と い う
ことに関する意見はわかれる。
こ こ で 私 は 、ア メ リ カ や ヨ ー ロ ッ パ
諸国における臓器移植に対する肯定
的な見方がキリスト教の考えに基づ
く も の で あ る と 気 づ い た 。物 心 二 元 論
が 定 着 し て い る の だ 。人 の 死 に よ り そ
の 人 の 精 神 が 失 わ れ る た め 、こ の 世 に
-31-
残されるものは中身のない身体のみ
なのだ、と考える。
一 方 日 本 で は 、脳 死 と 判 定 さ れ た 身
体にも何らかの力が宿ると考えられ
る こ と が 多 い た め 、移 植 に 対 す る 抵 抗
感 が 根 強 く 、移 植 手 術 の 件 数 は 先 進 国
の 中 で は か な り 少 な い 。し か し 、移 植
を待ち望む日本人患者が多くいるの
も 事 実 、そ し て 、彼 ら が や む を 得 ず だ
としても海外のドナーから移植を受
けることを快く思わない欧米人がい
るのも事実だ。
“アメリカの保険制度は不平等で
は?”
DANA-FARVER 癌 セ ン タ ー で の 講 義 で 尋
ね る と「 ア メ リ カ 人 は 平 等 に な る こ と
を 望 ん で い な い 」と 言 わ れ 、正 直 驚 い
た 。そ こ で 、現 地 の 人 に こ う 聞 い て み
た 。「 幸 せ と は 、何 だ と 思 い ま す か ? 」
日本人は平等を好んで集団で感情を
分 か ち 合 う の だ 、と 説 明 す る と 、ど う
し て ? と 不 思 議 が ら れ た 。「 自 分 の 幸
せ は 、自 分 が 好 き な こ と を や っ て い る
と き 」と ア メ リ カ 人 講 師 は 言 っ た 。欧
米では自分の幸せは他人の感情に左
右 さ れ ず 、あ く ま で 自 分 は 自 分 、他 人
は 他 人 な の だ 。同 様 に 、医 療 も 自 己 責
任 だ 。実 際 、臓 器 移 植 を 受 け ら れ る の
は 高 い 保 険 料 を 払 っ た 人 々 の み で 、そ
のドナーの多くは経済的理由で治療
を断念した人々だそうだ。
感想
欧米諸国と日本の考え方の違いに
直接触れることで新たな発見があり、
たくさんのことを学ぶことができた。
国境を越えた医療が発達するにつ
れ て 、生 命 に 関 す る 倫 理 的 な 考 察 は ま
す ま す 必 要 に な っ て く る だ ろ う 。一 つ
の 考 え に 固 執 す る の で は な く 、様 々 な
視点を持って幅広く世界を見ていく
ことが大切だと感じた。
笑いは癌治療に効果がある
か?
27H
城戸
陽菜
芸 術 あ ふ れ る DANADANA - FARBER
テ レ ビ や 映 画 な ど で「 笑 う と 病 気 が
良 く な っ た 」と い う こ と を 聞 い た こ と
がありませんか?癌は薬で治すもの
だと思い込んでいた私は衝撃を受け
ました。今回のアメリカ研修で
DANA-FARBER の 癌 研 究 セ ン タ ー を 訪 問
しました。
ま ず 院 内 に 入 っ た 時 、そ こ が 病 院 で
あ る こ と に 気 が つ き ま せ ん で し た 。ま
るで図書館や学校のような雰囲気で、
日本の病院のような薬品の臭いもあ
り ま せ ん 。ま た 廊 下 の い た る と こ ろ に
ア ー ト 作 品 が 展 示 さ れ 、玄 関 の 天 井 に
掛かっている巨大曼荼羅は美術館を
思 わ せ ま す 。こ れ ら は 実 際 、患 者 を 落
ち 着 か せ る 効 果 が あ る そ う で す 。患 者
であるフェルナンドさんはパンフレ
ッ ト で 、こ れ ら の お か げ で 落 ち 着 け た
と語っておられました。
また一階にはショップが多く立ち
並 ん で い ま し た 。ボ ラ ン テ ィ ア の 方 々
も 多 い そ う で 、様 々 な 人 の 善 意 で 成 り
立っていることが伺えます。まだ
DANA-FERBER で 笑 い に 関 す る 研 究 を 行
っておられるか分かってないのです
が 、治 療 と 精 神 状 態 の 関 係 に 深 く 注 意
されていることがわかりました。
帰 国 後 調 べ て み た と こ ろ 、笑 う と 癌
細胞を攻撃するナチュラルキラー細
胞 が 活 性 化 す る そ う で す 。〈 癌 を 克 服
するための新常識より〉
ま た 、精 神 的 安 堵 か ら 笑 い が 生 ま れ
る の で 、こ の 芸 術 作 品 か ら 安 堵 に つ な
が り 笑 顔 が う ま れ 、癌 治 療 を 手 助 け し
ているのだと思いました。
伝えないといけない
私がアメリカに行って最も驚いた
の は 、“ Thank you.” と 言 う と 必 ず “
-32-
You’ re welcome” ” My pleasure.
”と 返 事 を し て も ら え る こ と で す 。日
本 で は 「 あ り が と う 。」 と 言 っ て お わ
り で す 。ど ん な に 忙 し そ う で も 返 事 し
て く れ ま し た 。そ れ が 驚 き で も あ り 喜
び で も あ り ま し た 。毎 日 が 挨 拶 運 動 の
ように道端での挨拶が当たり前にな
っ て い ま し た 。そ の よ う な 小 さ な コ ミ
ュ ニ ケ ー シ ョ ン が 多 く 、毎 日 私 に 活 力
を 与 え て く れ ま し た 。今 日 は 疲 れ が 溜
ま っ て い る な と い う 朝 に 廊 下 で “ Hi
”と 言 葉 を 交 わ す こ と で 今 日 も 頑 張 ろ
うと思えました。
私の夢はその人の本当の笑顔を引
き 出 す こ と で す 。こ の よ う な 小 さ な コ
ミュニケーションで心が救われる事
を 学 び ま し た 。ま た 、外 国 の 方 は 素 直
に 思 っ た 事 を 伝 え て い ま し た 。そ れ は
協調性がないのではと思っていまし
た が 、そ れ で 物 事 が 様 々 に 動 い て い き
ま し た 。 思 い 切 っ て ” I want to talk
with you!”と 伝 え る と 気 に か け て く れ
る よ う に な り ま し た 。多 く の 人 が い る
中で伝えることでどんなに短いメッ
セージでも物事を大きく変える事が
出 来 る 事 を 知 り ま し た 。ま ず は 自 分 を
発 信 す る た め 、自 己 を 持 っ て 生 き て い
きたいと思います。
研修で知り合った外国の留学生達
世 界 と日 本 にお け る教 育 の違
い
27H
木村
アメリカの教育制度
ニューヨークで活躍されている日
本人の方との座談会でニューヨーク
の高校で日本語を教えていらっしゃ
った大川さんとお話しすることがで
き た 。私 は 大 川 さ ん の お 話 か ら ア メ リ
カ に は「 真 の 平 等 」が あ る よ う に 思 え
た。
一樹
英語教育における違い
今回の研修で最も強く感じたこと
は 、我 々 日 本 人 学 生 と 欧 州 や 東 ア ジ ア
の非英語圏の学生間に圧倒的な英語
力 の 差 が あ っ た と い う こ と だ 。彼 ら は
英 語 を 母 国 語 の よ う に 扱 い 、特 に 台 湾
か ら き た 学 生 な ど は 中 国 語・英 語 に 加
え て 日 本 語 に も 堪 能 で あ っ た 。彼 ら は
どのようにして英語を習得してきた
のだろうか。
ま ず 1 つ 考 え ら れ る の は 、彼 ら の 母
国 語 で あ る ス ペ イ ン 語 、フ ラ ン ス 語 が
語順や発音が英語と類似していると
い う 点 だ 。日 本 語 と 比 べ れ ば そ れ ら は
明 ら か に 英 語 寄 り の 言 語 で あ り 、習 得
も 容 易 だ ろ う 。し か し こ れ は ア ジ ア や
中東の学生にはあてはまらないので
はないだろうか。
次 に 考 え ら れ る の は 、幼 少 期 か ら 英
語教育を始めているというというこ
と だ ろ う 。日 本 で は 、小 学 校 高 学 年 か
ら 英 語 の 授 業 が あ り 、中 学 校 で 本 格 的
に 英 語 を 学 び 始 め る が 、世 界 的 に は 遅
い 方 で あ り 、ま た 授 業 の 内 容 も 文 法 や
読解に重点を置くことが多いのでは
ないだろうか。
今 回 の 研 修 で 、私 は 自 分 の 英 語 で の
自 己 発 信 能 力 の な さ を 思 い 知 っ た 。文
法や読解は日本の入試英語には必須
で あ り 、も ち ろ ん 英 語 を 学 ぶ 上 で 重 要
な 要 素 の 1 つ で あ る が 、将 来 英 語 を 駆
使して仕事をしたいと思っている学
生 は 、そ れ ら と は 別 に 英 語 で の コ ミ ュ
ニケーション能力を高校時代に養っ
ておくべきなのではないかと思う。
グローバル化が進んだ今日におい
て 、英 語 は 必 須 要 素 で あ り 、日 本 が 国
際社会で生き残るためにも英語教育
の改革は急務である。
夕食会で大川さんの話に聞き入る
アメリカでは奨学金制度が日本と
比 べ て か な り 充 実 し て い る 。こ れ は 学
びたいという熱意を持った学生や能
力がある学生が経済的な理由で学ぶ
ことを諦めることがないようにする
た め だ 。そ の 他 に も ほ と ん ど の ク ラ ス
で 能 力 別 ク ラ ス が 置 か れ て い た り 、高
校の教育課程において大学の単位が
取 れ た り す る な ど 、優 秀 な 学 生 に は 相
応の教育を受けさせようという意識
がみられた。
ま た 、ア メ リ カ は 過 去 の 反 省 も あ り 、
差 別 は タ ブ ー と な っ て い る 。国 籍 ・ 性
別・年齢・その他の問題は関係ない。
現に大川さんも日本で別の仕事をさ
れ 、ア メ リ カ に こ ら れ て か ら 大 学 に 入
り 直 し 、日 本 語 を 教 え る 資 格 を 取 っ て
仕 事 を さ れ た そ う だ 。日 本 で は ま ず あ
りえないことなのではないかと思う。
やはりアメリカンドリームの国だと
感じた。
日本の教育制度よりアメリカのほ
うがいいというわけではないが「平
等 」と い う 言 葉 の 意 味 を は き 違 え る こ
とがあってはならないと感じた。
-33-
国 ご との 日 本へ の 評価 の 違い
27H
椎名
青葉
研究動機
ま ず こ の テ ー マ を 設 定 し た の は 、昨
年の探究活動を発展させたかったか
ら と い う 理 由 が あ り ま す 。昨 年 の 探 究
活 動 で は 、国 に よ る 日 本 へ の 評 価 の 違
い を 見 出 し 、そ の 理 由 を 考 察 し ま し た 。
そ こ で 今 回 の 研 修 を 通 し て 、留 学 生 の
出 身 国 の 違 い に よ っ て 、日 本 へ の 評 価
に 違 い は 出 て く る の か 、ま た ど の よ う
各国からのクラスメイト
な点で日本を評価しているのかにつ
素 晴 ら し か っ た で す 。日 本 で は そ こ ま
いて聞いてみました。
で有名ではないようなものも知って
ヨーロッパの国々では興味が高
い る し 、漫 画 家 の 名 前 ま で 知 っ て い る
い!!
し、とても驚かされました。
英語の授業のためにクラス分けを
ヨーロッパのほかに台湾の留学生
し て 、私 の ク ラ ス に は 、ブ ラ ジ ル 、 ス
も全体的に日本に関する知識が多く、
ペ イ ン 、イ タ リ ア 、チ ュ ニ ジ ア か ら の
今日などの問題も関係してくるので
留 学 生 が い た の で す が 、次 第 に 仲 良 く
は な い か と 思 い ま し た 。日 本 か ら 遠 い
な っ て 、ち ょ っ と し た 会 話 の 一 つ と し
国々、あまり裕福ではない国々にも、
て 、「 日 本 に 興 味 は あ る か 。」や「 日 本
日本の文化や製品が広まっていって
の文化や製品などは普及している
くれたらいいと思いました。
か 。」 な ど と い う こ と を 尋 ね て み ま し
日本人に対する評価、イメージ
た。
日本というより日本人に対して持
ブ ラ ジ ル で は 、日 本 、ま あ 知 っ て は
っているイメージは国によらずどこ
い る か な あ ... と い っ た 感 じ で し た 。
も 一 緒 で し た 。プ ラ ス の 面 で は 、礼 儀
特 に 日 本 の 文 化 、製 品 な ど が 普 及 し て
正 し い 、器 用 で ま じ め な ど 。マ イ ナ ス
いる気配はありませんでした。
の面では、シャイ、自分を出さない、
チ ュ ニ ジ ア で も 同 じ よ う で あ り 、加
な ど が あ っ た 。自 分 を 積 極 的 に 出 さ な
え て 裕 福 な 国 で は な い た め に 、日 本 へ
い と い う 面 は 、今 後 改 善 し て い く べ き
の 知 識 が 薄 か っ た り 、以 前 植 民 地 と な
だと思いました。
っていた国の影響が強いようでした。
一 方 、ヨ ー ロ ッ パ の 国 々 か ら の 留 学
生 に 聞 い た と こ ろ 、ま ず 留 学 生 の 日 本
へ の 評 価 、関 心 が と て も 高 い よ う で し
た。スペインからの留学生の中には、
学 校 で 日 本 語 を 学 ん で い る 生 徒 や 、将
来日本語の先生になりたいといって
い た 生 徒 も い ま し た 。4 7 都 道 府 県 の
ほ と ん ど を 知 っ て い る な ど 、驚 か さ れ
る 面 も 沢 山 あ り ま し た 。ま た 、日 本 の
製品などもそれなりに普及している
よ う で し た 。と く に 漫 画 ! こ の 人 気 は
-34-
ア メ リカ と 日本 に おけ る 癌治
療 の 違い
アメリカの医療
アメリカでは主に西洋風の食事が
27H 嶋川 沙野子
リ ス ク フ ァ ク タ ー と な る の で 、日 本 人
に多い胃癌などは少ない。
病院らしくない病院
ま た 、保 険 制 度 が 大 き く 違 う 。日 本
Dana-Farber の 癌 研 究 セ ン タ ー で は 、
で は 、国 民 皆 保 険 制 度 と い う 国 民 全 員
附 属 の 病 院 を 見 学 し 、建 設 当 時 の 建 築
に 平 等 の 保 障 が な さ れ て い て 、医 療 機
士のリーダーの方に中を案内してい
関 を 自 由 に 選 ぶ こ と が で き る が 、ア メ
ただいた。
リ カ の 場 合 は 、そ の 人 に よ っ て 保 険 料
病院内は患者さんの意見を反映し
が 違 い 、そ れ に よ っ て か か る こ と の で
た も の で 、日 本 の 病 院 で は な か な か な
き る 医 療 機 関 も 違 う 。よ っ て 高 額 な 保
い も の が 多 く あ っ た 。ほ と ん ど が ガ ラ
険料を支払っている人だけが高度な
ス 張 り で 公 園 の よ う な も の も あ り 、空
治療を受けられる。
間 が う ま く 使 わ れ て い て 、ゆ っ た り と
このアメリカのシステムに関して
リ ラ ッ ク ス で き る 造 り だ っ た 。名 前 と
個人的にはあまり良いとは言えない
願いが書いてあるタイルが一面に貼
と 思 う 。 し か し 、 Dana-Farber の 須 河
ってある部屋や植物園のようなとこ
さ ん も 言 っ て お ら れ た よ う に 、平 等 を
ろ が あ っ た り 、ピ ア ノ が お い て あ っ た
求 め て い る わ け で は な い の で 、そ れ を
りと触れ合いの場も充実していた。
考えると合理的なのかもしれない。
また、出入口や
ま た 、こ の シ ス テ ム だ と 患 者 と 医 師
エレベーターホー
が 対 等 に 向 き 合 い 、患 者 の 意 思 で 治 療
ルなどには自動で
を 進 め て い き や す く な る 。日 本 よ り も
消毒液の出る機械
イ ン フ ォ ー ム ド・コ ン セ ン ト が よ く 機
や、無料のマスク
能する。
が設置されていた。
院内感染を防ぐ対
今回の比較から
策がしっかりとな
アメリカから日本が学ぶべきと思
されていて、日本
っ た 点 は 、よ り 患 者 中 心 の 医 療 だ と い
でも見習うべきだ
う こ と だ 。癌 を は じ め と す る 大 き な 病
と思った。患者は
気の治療においては特に患者の精神
治療に関していろ
状 態 と い う も の が 重 要 視 さ れ る 。少 子
Dana - Faber 癌 研 究 センタ
いろな悩み、心配
高 齢 化 が 進 む 日 本 で は 、そ れ に ど こ ま
事を日本のような診察以外でも自由
で丁寧に寄り添えるかが今後さらに
に 相 談 す る こ と が で き る 。ま た 電 話 で
重要となってくると思う。
の 相 談 も 可 能 で 、患 者 の 心 身 と も に サ
この10日間で得た広い視野を持
ポ ー ト す る 機 能 が 多 く 備 わ っ て い た 。 っ て 、こ れ か ら の 日 本 の 医 療 に つ い て
日 本 に お い て 病 院 と い う と 、少 し 堅
考えていきたい。
苦 し い イ メ ー ジ が あ り 、行 き に く い と
感 じ る 人 も 多 い 。し か し こ の 病 院 で は
入った瞬間から病院ということを忘
れるような温かい空気が広がってい
た 。日 本 で も 、個 人 の 医 院 な ど で は そ
の よ う な 空 気 の と こ ろ も 多 い が 、大 型
総合病院ではやはりなかなか難しい
だろう。
-35-
ア メ リカ と 日本 に おけ る 癌の
発 生 部位 の 違い
と 国 連 食 糧 農 業 機 関( FAO)に よ る「 食
事 、栄 養 と 生 活 習 慣 病 の 予 防 」(Diet,
27H 髙桑 智就
Nutrition and the Prevention of
Chronic Diseases) で は 、 食 塩 の 摂 取
アメリカの主な癌の発生部位
は 1 日 5 g 以 下( ナ ト リ ウ ム 2 g 以 下 )
Dana-Farber Cancer Institute の
と さ れ て い る が 、 た く あ ん 漬 け 100g
須 川 さ ん に よ る と 、ア メ リ カ で は 大 腸
あ た り に は 970mg も の 塩 分 が 含 ま れ て
癌 の 罹 患 率 が 多 い そ う だ 。そ の 理 由 は 、
い る 。ま た 、酒 の つ ま み で 有 名 な イ カ
ア メ リ カ 人 の 食 生 活 に あ る 。大 腸 癌 と
の 塩 辛 に お い て は 、100g あ た り 2700mg
い う 癌 は 、「 バ ラ ン ス の 取 れ て な い 食
も の 塩 分 が 含 ま れ て い る 。僕 は こ れ が
事 」や 、米 国 国 立 癌 研 究 所 の 公 開 資 料
原因の一つだと思う。
に よ る と 、脂 肪 に 富 ん だ 大 量 の 肉 と 大
量 の カ ロ リ ー を 摂 取 す る 人 が 、大 腸 癌
結論
になりやすいそうだ。また、過体重・
アメリカ人と日本人の癌の発生す
肥 満 の 人 や 、飲 酒 ・ 喫 煙 を し て い る 人
る原因はともに食生活にあると考え
は 大 腸 癌 に な り や す い 。僕 は 、ア メ リ
ら れ る 。ア メ リ カ で は 大 量 の 肉 と 大 量
カ人はかなり高カロリーのものを食
のカロリーの摂取が原因と考えられ
べ て い て 、さ ら に 肥 満 の 人 が 多 い こ と
る 大 腸 癌 が 多 い し 、日 本 人 は 塩 分 の 取
が原因の一つだと思う。
りすぎが原因と考えられる胃癌が多
い 。し か し 現 在 異 文 化 交 流 の 動 き( つ
ま り グ ロ ー バ ル 化 )が 大 き く な っ て き
て 、 日 本 人 は 「 西 洋 の 食 事 」を 食 生 活
に 取 り 込 ん で き て い る の で 、今 後「 主
な 癌 の 発 生 部 位 」は 変 化 し て い く だ ろ
う と 僕 は 思 う 。し か し 、須 川 さ ん の い
る Dana-Farber Cancer Institute で
は癌の研究が進んでいると聞いたの
で 、 変 化 し た と し て も 、将 来 、 治 療 で
治 す 事 が で き る だ ろ う 。け れ ど も 、や
はり治療は様々な面での負担が大き
アメリカの出前のピザ
い 。だ か ら 、僕 は 予 防 が 大 切 だ と 思 う 。
僕 は 将 来 、癌 に な ら な い よ う な 食 生 活
日本人の主な癌の発生部位
をしたいと思う。
同 じ く 須 川 さ ん に よ る と 、日 本 人 は
胃 癌 の 罹 患 率 が 多 い そ う だ 。そ の 理 由
は 日 本 人 の 食 生 活 に あ る 。胃 癌 と い う
癌 は 、塩 分 が 多 い 食 生 活 を し て い る 人
が 胃 癌 に な り や す い 。ま た 、胃 癌 に お
い て も 飲 酒・喫 煙 を し て い る 人 は な り
や す い 。塩 分 の 多 い 日 本 の 食 品 と し て
は 、塩 辛 や 漬 物 が あ げ ら れ る 。特 に 漬
物は日本料理のお店に行くと必ずと
い っ て い い ほ ど 登 場 す る 。ま た 、お そ
ら く 一 般 家 庭 で も 、漬 物 は 登 場 す る で
あ ろ う 。2003 年 、世 界 保 健 機 関( WHO)
-36-
・違憲立法審査権が認められている
・憲 法 前 文 に も あ る よ う に 連 邦 制 の 採
用 が 明 記 さ れ て い る ⇒「 例 挙 権 限 の 原
理」
・ 両 院 制 (上 院 と 下 院 )を と っ て い る
ア メ リカ の 法・ 行 政と 連 邦制
27H
1
塚原
陽
アメリカ合衆国憲法の制定の歴史
ア メ リ カ 独 立 後 、1 3 州 は 連 合 規 約
を 結 び 、地 方 分 権 的 で 比 較 的 緩 や か な
諸 邦 連 合 を 形 成 し た 。し か し 中 央 政 府
の連合会議には課税権や常備軍保持
が 認 め ら れ ず 、財 政 が 行 き 詰 ま り 、治
安 の 混 乱 に も 対 処 で き な か っ た 。そ こ
で 憲 法 制 定 会 議 が 行 わ れ 、連 合 規 約 を
改 定 せ ず 、新 し い 憲 法 の 制 定 と い う 提
案 を 決 め 、制 定 活 動 が 始 ま っ た 。会 議
では、中央集権国家を目指す連邦派
(Federalist) と 、 反 連 邦 派
(Anti-federalist) の 対 立 な ど 、 様 々
な 対 立 を 抱 え る 中 で 、様 々 な 草 案 が 示
さ れ た 。中 で も ヴ ァ ー ジ ニ ア ・ プ ラ ン
は会議のための非公式な叩き台とな
り 、起 草 し た ジ ェ ー ム ズ ・ マ デ ィ ソ ン
は「 ア メ リ カ 合 衆 国 憲 法 の 父 」と 見 な
さ れ て い る 。そ し て 1 7 8 7 年 に フ ィ
ラデルフィアで草案が完成され13
州 全 て が 批 准 し 、こ こ に 世 界 最 古 の 成
文 憲 法 が 成 立 し た 。フ ィ ラ デ ル フ ィ ア
の 連 邦 会 議 で は ベ ン ジ ャ ミ ン・フ ラ ン
ク リ ン が 演 説 を 行 っ て 、全 会 一 致 の 批
准を呼びかけた。
2
3
マサチューセッツ州の法・行政の
特徴
今 回 の 海 外 研 修 中 、長 く 滞 在 し た ボ
ストンを州都とするマサチューセッ
ツ州について調べた。
・首長は州知事で年間予算の立案、
法案の承認及び拒否、マサチュー
セッツ州軍の指揮などである
・死刑制度が廃止されており、また
大麻の少量保有や医療行為への利
用が合法化されている
・ジョン・F・ケネディが合衆国上
院議員選挙で現職を破った影響も
あり、民主党が強い州である
(ケ ネ デ ィ 家 は 同 州 出 身 で 、彼 は 第
35代大統領、弟のロバートは司
法長官や上院議員になった)
アメリカ合衆国憲法の特徴
本 憲 法 は 前 文 、 本 文 、 修 正 事 項 (本
憲 法 は 改 正 や 削 除 を せ ず 、追 加 的 に 修
正 さ れ て い る )か ら 成 り 、 本 文 に は 日
本国憲法の「章」にあたる「条」が7
あり、その多くがいくつかの「節
(section)」 に 分 か れ て い る 。
・厳格な三権分立をとっている
・ 最 高 法 規 で あ り 、こ れ に よ っ て ア メ
リカは立憲主義をとることを表明し
ている
-37-
コ ン ピュ ー ター の 進化 と MIT
27H
冨樫
明寛
大きさの進化
もっとも顕著なコンピューターの
進 化 と い え ば 、や は り そ の 大 き さ と 計
算 能 力 の 関 係 だ ろ う 。約 6 0 年 前 の コ
ンピューターは部屋の壁一面にある、
配 線 や ラ ン プ・ボ タ ン だ ら け の 鉄 の 塊
で あ っ た 。そ の 大 き さ で も 、現 在 の ス
マートフォンよりも低い計算能力し
か も た な か っ た そ う だ 。現 在 の 技 術 な
ら 、同 じ 大 き さ で ス ー パ ー コ ン ピ ュ ー
ターを作れるだろう。
1 つ が MIT の 中 に あ っ た 「 MAC プ ロ ジ
ェ ク ト 」 で あ る 。 MIT に あ る 資 料 に よ
る と 、 MAC プ ロ ジ ェ ク ト は タ イ ム シ ェ
ア リ ン グ シ ス テ ム の 問 題 の 解 決 、プ ロ
グ ラ ミ ン グ 言 語 の 単 純 化 、コ ン ピ ュ ー
タ ー 機 器 の 学 習 能 力 の 向 上 、人 と コ ン
ピューターの相互作用の改善などを
行 っ た 、 と あ る 。 ま た 、こ の プ ロ ジ ェ
ク ト の 後 継 機 関 は CG の 進 歩 に 貢 献 し 、
MIT で 生 じ た 研 究 や 技 術 革 新 の 包 括 的
な リ ス ト を 作 る こ と は( 多 す ぎ て )ほ
ぼ不可能だろう、との記載もある。
結論・考察
結 論 と し て は 、 MIT の コ ン ピ ュ ー タ
プログラミング言語の進化
ー 科 学 へ の 多 大 な 貢 献 が 、以 前 に は 想
Java,ENIAC,Python,COBOL,Rudy,MATL
像 も で き な か っ た 方 法 、つ ま り コ ン ピ
AB,Fortran,SQR,Perl,LISP – こ れ ら
ューターの進化という方法で社会に
は 1940 年 代 前 半 か ら 開 発 さ れ て き た
影響を与えた、といえるだろう。
プ ロ グ ラ ミ ン グ 言 語 の 一 部 で あ る 。も
これからもますますコンピュータ
ち ろ ん 、現 在 で も 使 わ れ て い る 言 語 も
ー は 進 化 し て い く だ ろ う 。し か し 人 間
あ れ ば 、あ ま り の 複 雑 さ の た め で ほ と
が制御できなくなり平和を侵す存在
んど使われなくなった言語も多い。
とはならない程度にとどまることを
願うばかりだ。
世 界 の 最 先 端 を 行 く MIT で の 研 究 に
ついて高校生の時に触れられたこと
は 、こ れ か ら の 人 生 に 影 響 す る 大 事 な
経 験 と な っ た か も し れ な い 。し か し 残
念 な こ と は 、調 べ た り ま と め た り す る
中 で 、自 分 の コ ン ピ ュ ー タ ー に 関 す る
知 識 の 乏 し さ か ら 、資 料 を す べ て は 理
上の図はヘロンの公式のプログラ
解 し き れ な か っ た 点 で あ る 。そ れ ら の
ミ ン グ で 、3 種 類 の プ ロ グ ラ ミ ン グ 言
用 語 や 知 識 を 身 に 着 け る こ と で 、さ ら
語 で 書 か れ て い る 。左 の も の に 比 べ て 、 に こ の 課 題 研 究 に 対 す る 理 解 が 深 ま
真ん中や右のものはかなり文字数が
っ て い く と 思 う 。こ の こ と を 頭 の 片 隅
少 な く 簡 潔 に ま と ま っ て い る 。左 の も
に 入 れ て 、こ れ か ら も 勉 学 に 励 ん で い
のは英語の文構造が成り立っている
きたい。
の に 対 し 、真 ん 中 や 右 の も の は 単 語 や
数値を決まりに従って並べているだ
け だ か ら で あ る 。こ れ が コ ン ピ ュ ー タ
ー言語の進化といえる。
MAC
MA C プ ロ ジ ェ ク ト
このような進化を促進した機関の
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林さんのお話の中で一番心に残っ
た こ と は 、「 目 の 前 の こ と に 120%で 取
27H 西野 輝希
り 組 む 」。日 々 の ひ と つ ひ と つ の こ と
「 目 の 前 の こ と に 120% で 取 り 組 め ば 、 を 大 切 に す る 。こ の 言 葉 に 私 は 勇 気 付
道 は 開 け る 」 と 林 英 恵 さ ん は 語 っ た 。 け ら れ た 。同 時 に 、こ の こ と を 常 に 意
「 120 % で 取 り 組 む 」 と は ど う い う こ
識していかなければならないと感じ
と か 、こ の 研 修 で 学 ん だ こ と を 振 り 返
た。
ってみる。
時間の大切さ
積極性
私 は 最 大 の ミ ス を お か し た 。班 別 自
ま ず 、 可 能 性 の 扉 を 常 に 開 く こ と 。 由 行 動 の 集 合 時 刻 18:00 に 2 分 遅 れ た
の だ 。 私 は 班 長 で 、 私 の 班 は Tufts
何事にもチャレンジすることが大事
で あ る 。 今 回 の 研 修 に 参 加 し た の も 、 University に 最 寄 り の Davis 駅 に
17:00 に は 着 い て い た 。 ISA の 方 と 同
自分を成長させる機会をつかもうと
じ 電 車 で 来 て い た の も あ り 、班 員 全 員
思ったからだ。
の気が緩んでいたのだろう。結果、
例 え ば 、寮 で の 食 事 だ 。カ フ ェ テ リ
ア に は 大 勢 の 外 国 人 が 集 ま っ て く る 。 Tufts University に 行 く ま で か か る 時
間 を 逆 算 し て い な く て 遅 れ た 。遅 れ て
私は外国人が座っているテーブルに
集 合 場 所 に つ く と ISA の 方 に 「 2 分 で
行 き 、「 こ こ 座 っ て も い い ? 」と 聞 い
も 遅 刻 は 遅 刻 。将 来 リ ー ダ ー に 成 る 者
て 話 を す る よ う に 心 が け た 。日 本 人 だ
が遅れてどうする。」と叱られた。
け で 座 り 、外 国 人 が 来 る の を 待 っ て い
た っ た 1 つ の ミ ス に よ っ て 、そ れ ま
て も チ ャ ン ス は 来 な い 。自 分 か ら 話 し
で積み上げてきたものが台無しにな
か け な い と 何 も 始 ま ら な い の だ 。自 分
る と い う こ と だ 。常 に 時 間 を 逆 算 し て
か ら 行 動 す る 、そ れ は 小 さ な 経 験 で あ
行動するようにしたい。
っ た が 、自 分 か ら 行 動 す る こ と で チ ャ
これからどうするか
ンスを掴みにいくということを学ん
この研修全体を振り返ってみると、
だ。
「もっとできることがあったのでは」
ハーバード大学メディカルスクール
と感じてしまう。やっているときは
にて
100%と 思 っ て も 、 後 か ら 考 え る と 80%
林さんはハーバード大学メディカ
に す ぎ な か っ た と い う こ と が あ る 。そ
ル ス ク ー ル 大 学 院 生 で あ る 。経 歴 を 聞
れは気付かないうちに自分で限界を
い た 時 、き っ と 何 で も 成 功 し て 今 が あ
決 め て し ま っ て い る か ら だ と 思 う 。そ
る の だ ろ う と 思 っ た 。し か し 、林 さ ん
こ で 、120%で 取 り 組 む た め の 1 つ の 方
は 、人 生 の 9 割 が 黒 星 だ っ た 、と 話 さ
法 と し て「 失 敗 を 恐 れ ず 挑 戦 す る 」こ
れ た 。試 験 や 会 社 の 面 接 な ど に 何 回 も
と を 心 が け て い き た い 。自 分 の 可 能 性
失 敗 し た が 、決 し て 諦 め ず 目 の 前 の 事
を自分で広げていく。
に 取 り 組 ん で き た そ う だ 。ま た 、新 聞
自 分 の「 使 命 」を 見 出 だ す た め に 目
社 の 面 接 に 落 ち た こ と で 、自 分 に は 別
の 前 の こ と に 120% で 取 り 組 ん で い き
の道があることにも気付いたそうだ。 たい。
120%で
120 %で 取 り組 む とい う こと
Harvard
Medical
School
にて
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ア メ リカ と 日本 に おけ る 社会
環 境 の違 い
交 響 図 書 館 、ボ ス ト ン 科 学 博 物 館 な ど
を 訪 れ た 。ど れ を と っ て も 、建 物 が 大
き く 、芸 術 的 で あ り 、ア メ リ カ の 偉 大
さを痛感した。
日 本 と 比 べ て 、土 地 の 余 裕 の 違 い に
よってこのように建築物に影響が出
てきたのだと思われる。
国民性の違いについて
例 外 は あ る が 、一 般 的 に 日 本 人 は 外
国 人 に 比 べ て 感 情 表 現 が 不 得 手 で 、コ
ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 力 が 弱 い 一 方 、規 則
などには従順な傾向があるといわれ
ている。実際アメリカの地に行くと、
外 国 人 は 時 間 に ル ー ズ で あ り 、信 号 無
視も多いような気がした。外国人は、
自分が絶対的な基準としてあるのだ、
と考えているのだと感じた。
研 修 先 で 、英 語 を 聞 き 取 れ ず 、“ Sorry?
” や “ Pardon?” と 聞 き 返 し た と こ
ろ 、ふ つ う 日 本 人 は 相 手 に 合 わ せ 、ゆ
っ く り 再 び 話 す と こ ろ だ が 、私 が 会 っ
た 何 人 も の 外 国 人 は 、話 す 速 度 は 変 え
ずに再度言い直した。
日 本 は 古 来 よ り 為 政 者 の 下 、生 活 が
行 わ れ き た が 、ア メ リ カ は 自 由 を 求 め
て 戦 い な が ら 現 在 に 至 っ た 。こ れ ら の
背景がこのような国民性の違いを生
んでいるのだと考えた。
こ こ に は 書 き き れ な い が 、ア メ リ カ の
地を踏むことでしか得られない体験
を た く さ ん 得 た 。今 後 の 生 き 方 を ど う
するかについて海外研修での経験を
生かしていきたい。
27H 三浦 佑介
実際にアメリカに滞在したことで
学んだ日米間の社会環境の違いにつ
いて、いくつか述べる。
交通機関の違いについて
日 本 の 交 通 機 関 、特 に 鉄 道 は 世 界 の
中でトップクラスの技術力と運行の
正 確 性・安 全 性 を 兼 ね 備 え て い る と 言
わ れ て い る 。滞 在 中 に 地 下 鉄 を 多 く 利
用 し た が 、信 号 ト ラ ブ ル や 、扉 が 開 か
な い な ど の 不 具 合 で 、遅 延 が 何 回 か あ
っ た 。ア メ リ カ の 地 下 鉄 の 駅 に は 時 刻
表 が な い 理 由 も 、こ れ ら の 不 具 合 か ら
考えられる。
医療の違いについて
私 た ち が 訪 れ た 癌 研 究 セ ン タ ー 、病
院で学んだ、日米間の医療の違いは
・ 日 本 は 皆 保 険 制 度 に よ り 、あ る 水 準
以 上 の 医 療 行 為 は 期 待 で き る が 、ア メ
リカでは医療においては格差社会が
存在している。
・デ ザ イ ン と い う 観 点 を 病 院 に 取 り 入
れ 、患 者 に と っ て 居 心 地 の よ い 空 間 を
おいた病院があるということである。
Dana - Farber ガ ン 研 究 セ ン タ ー に
付設している病院の一角
建築物について
アメリカの建物は日本と比べて圧
倒 的 に 大 き い 。敷 地 面 積 、特 に 緑 を 含
むスペースが非常に大きいと感じた。
先日訪れた大学と比べても圧倒的に
広 さ が 違 う 。私 は 班 行 動 で 、ボ ス ト ン
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