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ジャワ農村の家族と親族組織 - 椙山女学園大学 学術機関リポジトリ

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 椙山女学園大学研究論集 第 47 号(社会科学篇)2016
ジャワ農村の家族と親族組織
──ジョクジャカルタ特別州内の農村を事例に──
黒 栁 晴 夫*
Family and Kinship System in Rural Java
Haruo KUROYANAGI
1.はじめに
本稿の課題は,現代ジャワ農村の村落構造を解明する基礎的な作業として,家族と親族
組織の構造的特質を可能なかぎりで明らかにすることである。かつて人類学者のシュス
キィーが,
「その民族の親族組織を理解して初めて,人々が互いに行動しあう様子を理解
できるようになる」
〔E. L. Schusky, 1965, p. 1〕と述べているように,どんな民族にとって
も家族と親族組織は,その社会の行動様式とそれを背後で意味づけている価値,規範,信
念,感情などの社会化にとって最も基礎的で原初的な集団をなしている。したがって,そ
の民族の行動様式の基礎的な部分の多くは,その社会における家族や親族組織そのものの
あり方ときわめて密接な関係にあると考えられる。そして,このような課題に加えて,
ジャワ農民の家族と親族組織の内部における社会化の過程が,経済的発展にともなう社会
変動の進展とともにどのような問題に直面しているのか,このことについても若干触れて
みたい。
家族や親族組織の内部における世代間の社会化の過程において,ジャワ農村の伝統的な
行動様式や価値がどのように継承され,あるいは変化しつつあるのかを明らかにすること
は,かれらにとってより適合的な経済開発を創出していくために不可避な問題だといえよ
う。さらに,この問題は,たんなる先進国の物質的成果の移植が,発展途上国の近代化に
とっていかに矛盾の横溢したものであったかが明らかにされてきたいま,民族の内なる主
体的エネルギーに依拠したインドネシア独自の発展の道を探求するためにも,益々その解
明が必要とされているのである。
本稿は,上記のような観点に立って,ジャワ農村における家族と親族組織の構造的特質
とその変化を明らかにしようとするものである。なお,本稿の考察の基になっている資料
は,筆者が 1984年以来ジョクジャカルタ特別州(Daerah Istimewa Yogyakarta)バントゥー
ル県(Kabupaten Bantul)内のサンデン郡(Kecamatan Sanden)ムルティガディン村(Desa
* 文化情報学部 文化情報学科
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─ ─
黒 晴 夫
Murtigading)とセヲン郡(Kecamatan Sewon)プンドヲハルジョ村(Desa Pendowoharjo)
で継続的に実施してきた世帯調査で得たものである。
2.家族の構造とその特質
⑴ 家族構成と農業
調査対象となったジョクジャカルタ特別州バントゥール県内の農村の家族は,土地所有
規模や経営規模に多寡の違いはあるものの,もっぱら1ha にも満たない雰細小規模経営
農家がそのほとんどを占め1),農地を持たないいわゆる土地なし農民も少なくない。オラ
ンダ植民地支配以来灌漑事業への着手が早くから試みられてきた当地方では,水田化率が
80%を上回る農村も多く見られ,日本の農村の場合と同様に水田稲作経営が主軸をなして
きた。1960年代に入って政府の一連の2)米増産計画が実施されるようになってからは,高
収量品種の導入,化学肥料と農薬の利用,それを推進するためのクレジットの供与などに
よって技術改良がすすめられ,生産性の向上がはかられてきた。10 アール当たりの平均
収量は,1980年代初めには 250∼300kg であったのが 2000 年代に入ると 400kg にまで増加
し,加えて作業過程も水牛を利用した耕起と代掻きが耕運機の利用に変わってきた。
米の他に導入されている主な作目は,乾季に水田を利用してピーナッツ,大豆,トウモ
ロコシ,トウガラシなどが栽培されてきたが,1990 年代からは赤玉ねぎ,ニンニク,サ
ラダ菜なども栽培されるようになった。しかし,いずれも複合経営というにはあまりにも
弱小な経営規模だといってよい。
このように,ジャワ農村の家族は,水田稲作を主体として生活を営んでいるために,自
家労働力の必要性という観点からみて,同一家族のなかに何人もの成人世代が所属する複
雑な家族形態を予測するむきも多かろう。そこで,家族の構成形態に注目してみると,
ジャワ農村の家族は,そのほとんどが夫婦とその未婚の子女によって構成されるいわゆる
核家族形態か,もしくはそれに夫か妻の年下のきょうだい,甥,姪あるいは孫などが含ま
れる核家族に類似した形態をとっているのである。
事実これまでのジャワ農村家族に関するさまざまな調査結果を見ると,核家族形態の家
族が過半数を上回っている報告がほとんどを占めている3)。しかし,それらの報告は,他
方で核家族以外の家族形態もかなり見られることも明らかにしている。たとえば,調査地
のひとつムルティガディン村ピリン(Piring)部落の調査結果を示した表1で明らかなよ
うに,核家族形態の世帯は 50%台にとどまり,直系家族形態の世帯もかなり見られるこ
とが分る。たしかに,インフォーマントになった兼業農家の一つに,結婚して間もない娘
夫婦と同居している例があったが,このように二組以上の夫婦が同居しているような拡大
家族形態は一般的な家族形態ではなく,結婚して新居がまだ構えられない一時期とか,老
親の世話をするためにやむなく親と同居する必要が生じたとかいった場合に,むしろ過渡
的に生じる形態にすぎないといってよい。したがって,ジャワの農村家族は,日本の直系
家族と比較して,その構成形態も単純で煩瑣な成員関係もあらわれないのである。むし
ろ,家族成員数の規模は,もっぱら子女の多寡によって左右されるにすぎないとさえいえ
る4)。ちなみに,調査地のムルティガディン村の平均世帯員数は1988 年が 5.5 人,1995 年
が 4.6人,またプンドヲハルジョ村の平均世帯員数は1988 年が5.6人,1995 年が4.2人で5),
56
─ ─
ジャワ農村の家族と親族組織
表1 ピリン部落家族形態別世帯数とその構成比の年次別変化
1984 年
世 帯 類 型
1989 年
1995 年
2005 年
(戸)(%)(戸)(%)(戸)(%)(戸)(%)
8
1.
単独世帯
2.
核家族型世帯
9.9
9 10.6
47 57.3
46 54.1
5
2‒1.
夫,
妻
6.1
10
11.8
36 43.9 36.4 36.4
2‒2.
夫,
妻,
未婚子
6
2‒3.
夫/妻,
未婚子/養子
3.
直系家族型世帯
7.3
22 26.7
5
5.9
14 16.5
6
6.9
44 50.6
8
7
8.3
48 57.2
9.2
13 15.5
30 34.5
33 39.3
6
6.9
22 25.3
2
2.4
21 25.0
3‒1.
夫,
妻,
未婚子‖一人の既婚氏と配偶者,
夫父‖夫母‖夫祖父母
5
6.1
5
5.9
9 10.3
4
3‒2.
夫,
妻,
未婚子‖一人の既婚子と配偶者,
妻父‖妻母‖妻祖父母
2
2.4
─
─
3
3.5
3
4.8
3.6
3‒3.
夫‖妻,
既婚息子,息子妻,息子の子*,未婚子*,既婚娘の子*
7
8.5
5
5.9
4
4.6
6
7.1
3‒4.
夫‖妻,
既婚娘,娘夫*,娘の子*,未婚子*
6
7.3
4
4.7
6
6.9
6
7.1
3‒5.
夫‖妻,
未婚子*,孫
2
2.4
─
─
─
─
2
2.4
4.
複合家族型世帯
1
1.2
3
3.5
3
3.4
2
2.4
5.
その他の家族型世帯
4
4.9
13 15.3
12 13.8
6
7.1
82 100.0
85 100.0
87 100.0
合 計
84 100.0
資料:各年次世帯調査による。
(注)/印はいずれか片方を含むことを,
‖印は両方または片方を含むことを,
そして*印は含まない場合もあることを示す。
それほど多くはないのである。
上述のように,ジャワ農村の家族は,夫婦とその未婚の子女によって構成されることを
基本とした家族であるがゆえに,一組の夫婦だけが自家労働の主要な担手だということに
なる。そのため農繁期になると,農作業はたんに自家労働力にのみ依存するというのでは
6)
なく,さらに部落内で継承されているゴトンロヨン(gotong royong)
と呼ばれる相互扶
助慣行によって,広く家族外から調達された共同労働に大きく依存しているのである。ま
た,ジャワ島は,熱帯地方の一部に所属しているために,雨期と乾期の間に水利状態の違
いこそありはするものの,基本的に年間を通じて稲作が可能である。そこで,農家では,
同一作目についても作期をズラし,特定の一時期に農作業が集中しないようにして,農地
の集約的な利用をはかるとともに,家族内および各家族間で労働力の調達ができるだけ競
合しないようにしている。このようにみてくると,こと農業労働力の調達という点からみ
れば,常に家族のなかに一人前の可動労働力が数多く留まっていなくとも農業経営は切り
ぬけられるのである。いまここで,家族の構成形態と農業経営・労働力編成との間で,両
者のいずれが独立的要因でありいずれが従属的要因であるか確定はできないけれども,こ
れまでジャワの農村家族が核家族的な構造を創出してきたこと(=家族の存在形態)と,
農業労働力を広く家族外の調達に依存できたこと(=家族の経済的協同形式)との間には
密接な関係があることは間違いなかろう。
⑵ 家族の統合と内部構造
しかし,ジャワ農村の家族構造にとってより本質的なことは,社会的に承認された親子
関係を世代的に連鎖して共通の祖先へと系統的に属させていく構造をそのうちにもってい
ないことであろう。もちろんことわるまでもなく,これは,後段で述べる親族組織そのも
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─ ─
黒 晴 夫
のの本質にかかわる問題でもある。これまでの調査の過程で,ジャワ農民の祖先に対する
態度について再三にわたって聴取調査を試みた。しかし,祖先あるいは先祖に対する概念
そのものがインフォーマントになかなか理解してもらえなかった経験からして推し量るな
らば,彼らは,自己の家族を,そしてまた自己自身を,共通の祖先に連鎖する系譜関係の
なかに位置付けて認知するようないわば祖先中心的な観念を欠いているように思われるの
である。
世帯主(kepala keluarga)である父親は,家族の内にあっては生活費の稼ぎ手として農
業経営のリーダーであり,また家族の外に対しては,互いの家族や個人の安寧を期して頻
繁に執り行われるクンドゥリ(kenduri,スラマタン(selamatan)ともいう)の儀礼に客
人として列席する場合必ず父親が行かねばならない7)とか,部落の集会に出席するのも彼
であるとかいった例に端的に表わされているように,家族を代表とする機能を担ってい
る。しかし,父親が,わが国の農村家族に見られたように,家長として家族の世代的な連
続を期してそれに関る特別な役割を担うようなことはみられない。祖先の観念が欠如して
いることからも知れるように,祖先祭祀を司るなどということもなければ,食事のさいに
父親の座が固定しているなどということもない8)。また,家族の成員も嫡系成員と傍系成
員とに区分されるようなこともなく,子どもたちきょうだいは,家族生活上互いに課せら
れている役割も対等で,後述するように親の財産相続に関しても等距離にある。したがっ
て,家族の人間関係のなかで,親子関係がことさら優先されるべき局面として立ち表われ
るようなことはないのである。
このようにみてくるともはや自明のように,父親の権威は,彼が世代的に連続する系譜の
もつ伝統の継承者だという家族成員の意識によって正当化されているものではない。むし
ろ,彼が子どもたちから敬意と尊敬の念を持って迎え入れられている正当性の源泉は,彼
のもっている種々の経験の豊かさや家族の経済的支柱であるという事実とともに,ヒルド
レッド・ギアツ等が指摘しているように,子どもたちが,幼児期から児童期以降の社会化の
過程で,父親は自分達にとって一定の距離をおいた存在として,また彼には常に敬意をもっ
て接することが社会的に是認された行動様式だとして,道徳的に好ましいことだと教え込ま
れることにあるといえるだろう〔H. Geertz, 1961, pp. 106‒110; R. R. Jay, 1969, pp. 103‒111〕
。
ところで,家族が親子関係を基軸とした世代的連鎖のなかにしかも明確な境界をもった
集団として位置付けて観念されていないことは,さらに次のような事実のなかにも垣間み
ることができる。まず,ジャワの家族は苗字(family name)をもっていないことである。
たとえば,名前を書くさいに,未婚者の場合には自分の名前のあとに親の名前を書き,ま
た,既婚者の場合には自分の未婚時代の名前(child name)のあとに結婚後の成人名(after
married name)を書く。役所の住民票(kartu keluarga)にもこのように記載されるのであ
る。これはとりもなおさず,家族の境界を明確にし,集団の内なるものと外なるものとを
区別する呼称をもっていないことに他ならない〔H. Geertz, 1961, p. 18〕。また,家系,家
紋,屋号といったものもなければ,先祖代々の墓もなく,前述のように祖先祭祀も行われ
ていない9)。このように自己と他者の家族を峻別し,同一家族集団への帰属意識の形成を
促す表像を欠如していることは,ジャワ農村の家族が,日本の農村家族にみられたよう
に,いわば世代的な継承を希求された制度体として内への強い統合性を示してきた家族と
は対照的に,常に集団の存続に自己を没我的に帰属させるような内的態度を強く育むこと
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─ ─
ジャワ農村の家族と親族組織
のないきわめて脆弱な家族結合を示していると見ることができる。
⑶ 相続と扶養
さらにこの点に関して,いわば家族結合の物的基盤をなしている農地等の財産の相続に
ついても一瞥しておこう。これまでの考察からもはや自明のように,ジャワ農村では,家
族が世代を連鎖して継承されるべき制度体として観念されていなかったことと関連して,
財産もそれと不可分に継承されるべきものとは考えられていないのである。
財産相続(warisan)は,生前相続と死後相続のいずれも行われているが,一般的には,
親が子どもと同居せずにいつまでも独立の世帯を構えているために,死後相続の方が支配
的である。この他に財産相続の問題が生起するのは,親が離村して他に移住していくよう
な場合である。相続にさいしては,被相続者の間で財産分配の割合が定まっているが,そ
れには二つの方法がある。そのひとつは,親の財産を息子にも娘にも均等に分与する慣習
(adat)に基づく方法であり,いまひとつは,息子が2に対して娘が1の割合で分与する
イスラム法に基づく方法である。調査した農村地域では,ジョクジャカルタ市周辺の都市
近郊農村であれ,後背の伝統的性格を強く残した農村であれ,これらの相続方法のいずれ
か一方を厳守しなければならないとしているような農村はみられなかった。いずれの方法
を選択するかは当事者間の自由な談合にゆだねられているようだが,一般的には慣習によ
る場合の方が支配的である。商人や富農層に多くみられ,イスラム教への信仰が厚くて教
義に忠実だとされるサントリ(santri)の人びと〔C. Geertz, 1960, pp. 5‒6; H. Geertz, 1961,
p. 12〕でさえも,必ずしもイスラム法による相続を行っているわけではなく,たとえば,
水田だけをイスラム法によって相続し,その他の財産については慣習法によって相続する
ことが多いという〔H. Geertz, 1961, p. 49〕
。こうして男女の如何にかかわりなく子どもの
間に均分的に土地が分与されていくために,親の所有地が世代を経るにしたがって細分化
されていくのは自明で,先述したように農家の土地所有規模が著しく狭小なのもけだしこ
のような均分相続に起因するところが大きいであろう。もちろん,均分的な相続方法は,
土地についてばかりでなくその他の財産の相続についても行われていることはいうまでも
ない。極端な例になると,相続をめぐってきょうだいや親子の間に種々の葛藤が生じるこ
とを極力回避しようとするために,金銭的に調整することもしないで文字通りの均分に徹
し,家の建物すらも切って分けるというようなことも行われているのである。
事実,親の財産相続をめぐるいざこざから,以後きょうだいの家族の間で互いに訪問し
あわなくなったり,口をきかなくなったりするといったトラブルもみられるが〔H. Geertz,
1961, p. 53〕,むしろ,このように私的な不満や感情を露骨に行為に表わすことは,
「恥ず
かしい(ngisinisini, malu)
」やってはならないことなのである。それは,ジャワ農村の人々
が,集団や組織のなかで人間関係の協調を重視し,極力私的な欲求を抑制して互いに波風
を立てないように調和に務めるべきだとするルクン(rukun)といわれる社会的価値を10),
日常生活の価値規範上の行為の指針のひとつとしているからである。そこで,このような
いざこざが生じるのを回避するために,相続問題の処理にさいして,部落の宗教係や長老
に第三者としての調停を仰いだり,場合によっては村の宗教係や村長(lurah)にも相談
にのってもらったりする。そして,財産相続は,関係者の間で分配内容が決まるとその移
譲が村長に報告され,彼の承認を得てはじめて完了するのである。
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─ ─
黒 晴 夫
さて,みてきたように子どもを嫡系・傍系に区別しないことや均分的な相続方法をとる
ことの結果,親が特定の子どもに財産の全てもしくはかなりの部分を一括的に相続させ,
その見返りとして老後の世話を期待するというような規制はない。たとえば,男女の如何
にかかわりなく長子の家族が早くから独立して既に経済的に安定しているような場合に
は,親はそこに同居して世話になることも多くみられるが,また,最後まで親と一緒に生
活していた末子に老後の世話をみてもらうケースもそれに劣らず多いのである。そして,
親がいずれの子どもの家族に同居するようになろうとも,他のきょうだいはこれを助ける
のである。このように,親の老後の世話を誰がするかは,その時々のケース・バイ・ケー
スでより条件に適った子どもが選定されるにすぎないのであって,とりわけこれに関して
固定的な規制などみられないのである。
⑷ 婚姻と居住制
ところで,このように親が特定の子ども夫婦と常に同居することがみられないのは,結
婚後の居住規制と密接に関る問題である。そしてさらに,婚姻住居規制は,結婚後配偶者
あるいは生まれてきた子どもが,それぞれいずれの親族組織に帰属していくのかを決定づ
けるという点で,婚姻と親族との接点に位置づけられる問題でもある。ジャワ農村におけ
る婚姻居住規制は,明確なルールはないけれども,しいていうなら新居制だといえるだろ
う。新婚夫婦は,結婚当初のまだ社会的・経済的自立が確立していない数年間を双方のい
ずれかの親と同居し,その後,夫婦いずれかの親の屋敷地内もしくは新しく購入した土地
に新居を構えるのが一般的である。すなわち,どこに新居を求めるかは,主に,夫婦の双
方がどのように土地を分与されたか,あるいはどのように宅地を取得できたかという経済
的条件や,いずれの親が同居もしくは側に住むことを望んでいるかという家族関係的条件
などによって,すぐれて選択的に決められるのである11)。このように,いわゆる単系的な
住居規制ではないために,生まれてくる子どもは,父方,母方双方の親族にいわば双方的
に帰属していくことになる。
それでは,夫婦関係の社会的承認である結婚は,どのようなプロセスで行われているの
であろうか。ジャワ農村では,結婚は,自立的な世帯(somahan)の確立,すなわち新し
い核家族の形成を意味する。と同時に,それは,また,親族関係の拡大・変更の重要な契
機ともなっているのである。これまでの考察からも推して知られるように,ジャワ農村の
家族は,諸々の側面で制度的な規制が希薄で,当事者の任意な行為選択の幅が広いこと
〔H. Geertz, 1961, p. 4; 吉田禎悟,1969,p. 59〕が注目すべき特徴となっていたが,それは,
また,配偶者選択についても指摘できる。かつてのジャワの農村では,一方で,子どもの
結婚を契機として,親が自らの社会的地位の向上や社会的結合範囲の拡大・強化の欲求を
満たそうとしたこと,また他方で,子どもが主体的に配偶者を選択するのに充分な社会的
経験を積めないほど早婚の傾向にあったことなどから,配偶者の選択を親に任せることが
一般的であったようである〔H. Geertz, 1961, pp. 54‒57〕。しかし,調査地での聴取調査の
結果によれば,1980年代頃からいわゆる恋愛婚が支配的になってきた。すなわち,配偶
者の選択は,長男,次男といった続柄の区分による選択上の規範的な基準もなく,人柄を
本意とした当事者の任意な選択にもとづいてなされるようになってきている。そして,こ
の傾向は,再婚の場合には一層強くみられるようである。また,通婚圏をみると,村内外
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─ ─
ジャワ農村の家族と親族組織
婚の如何が規範的ルールとして問題にされるというようなことはない。むしろ,最近の著
しい兼業化の進捗に示されている生活圏域の拡大とともに,村外婚が多くみられるように
なってきた。
ただ,配偶者選択にあたっての要因について見てみると,むしろ常識的なことではある
が,互いに双方が,社会的地位,階層,あるいは宗教的態度などの要因において一致する
人を配偶者として選択する場合が一般的である。また,配偶者選択に際しての親族関係に
おける禁止事項は,後述するように閉じられた親族集団が組織されていないことから概し
て少ないが,次のよう親族間の結婚は禁止されている。すなわち,①共通の母を持つ兄弟
姉妹,②父方の平行イトコどうしの間の結婚での禁止である。その他に,調査地では見ら
れなかったが,クンチャラニングラットによれば③母方の平行イトコどうしで,女の側の
母親が男の側の母親の姉に当たる場合,および④第二イトコどうしの間の結婚も禁止され
ているという〔Koentjraningrat, 1967, p. 256; クンチャラニングラット編,1980, pp. 404‒
405〕
。
結婚に関する儀礼は,ジャワ農村でも重要な通過儀礼の一つとされ,従来は配偶者の決
定から結婚式後 35日目の儀式の完了に至るまでの間に,結婚式そのものを中心として数々
の儀式がとりもたれてきた。すなわち,配偶者の選択について種々の考慮をめぐらし,花
嫁に多額の贈り物をし,宗教役場への登録によって公的認証を得,披露宴に多くの参列者
を招いて広く社会的な承認を請い,さらに,そのために過分に思われるほど多大な費用を
惜しみなく注ぎ込むのが普通であった。しかしながら,このように種々のプロセスを経て
はじめて夫婦関係が成立するのにもかかわらず,離婚率が非常に高いのである12)。
⑸ 離婚とその背景
イスラム法によると,離婚には三つの方法がとられている〔H. Nakamura, 1983, pp. 30‒
41; Koentjraningrat, 1985, pp. 144‒145〕
。すなわち,①夫の側からの請求によるタラック
(talak)と呼ばれる方法,②妻の側からの請求によるクルク(kuluk)と呼ばれる方法,そ
して③病気や傷害などで正常な家庭生活が期待できない場合や,夫の生活能力の欠如,あ
るいは配偶者の失踪などによって,宗教裁判所の判断で離婚が認められる場合の三つであ
る。前二者の場合には,それぞれがさらに,当事者の話し合いで解決して宗教裁判所に届
けられる場合と,宗教裁判官の調停を仰いで行われる場合とに分けれる。
タラックによる離婚は,最も多くみられる方法で,アラブ社会の伝統的な慣習に由来す
るものである。これは妻の同意のいかんにかかわりなく夫の一方的な請求によって離婚登
録が行われ,これによって離婚が成立する方法である。夫の側からタラックが告げられる
と,妻は待婚期間(iddah)とされる 100日間は再婚が禁じられる。この間は,夫が彼女の
扶養の義務を負うことになるが,しかし,この期間のうちに夫の気が変われば,離婚を取
り消す(rujuk)ことができる。ただし,同一女性との間では,離婚の取り消しは二度ま
でしか認められない。他方,妻の側からの請求にもとづくクルクによる離婚の方法もやは
りアラブ社会の伝統的慣習に由来するものである。これは,たとえば,夫が妻を全く扶養
しない時,夫が出稼ぎなどで他出して6ヶ月以上にわたって所在不明の時,あるいは海外
に行って2年以上所在不明の時などの場合にのみ請求が認められ,郡や県段階の宗教裁判
所で判定が下されるものである。その際,花嫁代償金が両者了解のうえで夫に返金される
61
─ ─
黒 晴 夫
ことによって離婚が成立する。妻の側からの離婚請求に対しては,このように認定条件が
厳しく制約されているために,前者の方法の場合と比べて,妻からの請求によって離婚す
るケースは非常に少ない。
以上のように,離婚の方法が夫の側にきわめて優位で,しかも手続きも簡便な形式と
なっているため,些細な感情の不一致によってさえ,夫の一方的な宣告によって容易に離
婚に発展しうるのである。このように,夫婦関係解体化への危惧と常に表裏していること
が,夫婦の間の感情的融合の深化を抑制する一因ともなっていると見ることができる。
ところで,このように離婚が容易だということは,裏をかえしていえば,一方で家族結
合の解体を社会的に規制するための構造的原理が脆弱なこと,また,他方でそれにとも
なって生ずる家族病理を解消するための構造的原理が家族や親族組織に存在していること
と関連しているものと思われる。まず,それを再婚の可能性についてみてみよう。ジャワ
の人々は,離婚そのものを道徳的に必ずしも好ましからざることとは考えず,むしろ,家
族内のいざこざを解消する選択肢のひとつとすら考えているようである。それゆえに,離
婚した女性を白眼視することがないばかりか,彼女がすすんで再婚するのが望ましいと考
えている。つまり,親子関係の世代的連鎖に基づく閉鎖的な単系制の家族および親族組織
の構造を欠如しているため,一旦ある家族および親族組織に所属したものが,再び他の家
族および親族組織に所属するのを排他的に拒絶する構造原理をもたないのである。した
がって,離婚によって,家族を越えた親族関係に抜き差しならない亀裂をつくることにも
ならないし,また,そのことを懸念する必要も生じないのである。また,離婚女性との結
婚は,初婚の際のような煩瑣な婚姻儀礼の手続きを省くことができるために,男性にとっ
ては,むしろ,より結婚しやすい条件を備えているといえる〔倉田勇,1976,pp. 82‒83〕。
次に,親の離婚にともなって派生する子どもの扶養についてみてみると,子どもは両親
のいずれの親族に帰属するか規範的なルールはない。しかし,一般的には,男の子どもの
場合は母親が引き取ることが多いが,女の子どもの場合は両親のどちらかがケース・バ
イ・ケースで引き取る場合が多い。もちろん乳幼児期の子どもの場合には,母親が引き取
るのが一般的である〔Koentjaraningrat, 1985, p. 146〕。そして,親が再婚すれば,これらの
子どもは,親の連れ子(anak tiri)として新しい家族の一員に迎え入れられるが,そこで
連れ子だとか親が異なるとかいった差別や蔑視をされるようなことは少ない。
それでは,離婚にともなう財産の処理や経済的不安の解消についてはどうであろうか。
結婚の時に夫婦がそれぞれ持参してきた財産は,個人の所有財産としてそのまま双方に戻
される13)。他方,結婚後に獲得した財産は,夫婦の共有財産とみなされ,夫2,妻1の割
合で分割される。したがって,離婚によって女性の側が無一物で路頭に迷うというような
事態は起こりえないが,もちろん,これだけでは経済的に不安定であることにかわりはな
い。むしろ,離婚女性の経済的不安を解消しているのは,親族が彼女に救済の手を差し伸
べるからである。つまり,離婚した女性は,自分の生家に帰り,その家族の成員として迎
え入れられるのである。また,両親のいない場合には,他の親族がこれにとって代るのが
当然だと考えられている。そして,すでに述べたように,再婚が容易なことによって,結
果的に,これらの家族が長期にわたって負担を強いられることも回避されるのである。
以上のように,ジャワ農村では,離婚がきわめて容易に行われているとともに,また,
再婚もきわめて容易に行われるのである。これは,ジャワ農村の家族が,社会的に承認さ
62
─ ─
ジャワ農村の家族と親族組織
れた親子関係を世代的に連鎖して共通の祖先へと系統的に帰属させていくような構造をそ
の内にもたない家族,換言すれば,成員関係が単系的に家族の外の親族組織へ拡大してい
かない,しかも,世代的連鎖にそって集団的に組織化されない家族であることに起因して
いるように思われる。上述してきたように,離婚が頻繁にみられること,離婚した女性や
その子どもが別な家族にその成員として迎え入れられること,再婚によって出生を異にし
た子どもたちが当然のごとくにきょうだい関係をもちうること,このようなことがいずれ
も容易になされうるのは,家族の集団としての規制が脆弱なことを示しているといえよ
う。
3.親族組織の構造とその特質
これまで前節において,ジャワ農村の家族生活の諸局面を捉えて,親子関係,夫婦関
係,きょうだい関係のあり方をみてきたが,それでは,これらの諸関係あるいはその諸関
係の連鎖によって結ばれた関係が,家族の外に拡大して形成される親族組織のあり方はど
のようになっているのであろうか。すでにたびたび示唆してきたように,ジャワ農村の親
族組織は,共通の祖先を起点として親子関係の世代的連鎖が単系的に拡大していく親族組
織ではなく,むしろそれとは対照的に,個人を起点として親子関係が父系と母系の双方へ
同等に拡大していく親族組織である。このように,ジャワの農村社会が双方的に拡大する
親族組織をもっていることは,親族関係の拡大・変更に直接かかわるところの結婚および
その後の居住規制,あるいは父方と母方に均等な財産相続のあり方をとおして,すでに前
節で明らかにしてきたところである。すなわち,結婚後の居住は夫方と妻方との双方どち
らでもよいこと,生まれてきた子どもは双方の親族に帰属すること,また,親の財産が父
親と母親との双方から男女の別なく全ての子どもに均分的に分与されること,などの特徴
がそれである。
ところで,ジャワ農村では「親族」を指す言葉として「家族」を指すクロワルゴ
(kulawarga)や「きょうだい」を指すスドゥルル(sedulur)が,父方・母方の区別なく双
方的に漠然とした範囲で用いられており,家族を超えた親族の範囲がはっきりしていな
い。すなわち,ジャワ農村においては,親族の最小の単位である家族の他には特定の親族
で構成された閉じられた自律的な親族集団がほとんど見られず,家族外部の親族関係はむ
しろ柔構造(loose structure)を示している。そこで,次にジャワ農村の親族構造の特徴に
ついて見てみよう。
親族関係の位置や広がりは親族呼称の体系に現れるから,まずそれから見ていくことに
しよう。前述のようにスドゥルルは親族一般をさす言葉であるが,その内部をさらに分類
しているのが親族呼称である。そこで,調査地の地方で用いられている親族呼称を,ヒル
ドレッド・ギアツの表示形式〔H. Geertz, 1961, p. 17〕にならって図示したのが図1であ
る。
これで明らかなように,まず,自分より上の第二上位世代については,祖父母は区別な
くともに simbah(または mbah/eyang)
,第一上位世代については,父親は bapak またはそ
の短縮形である pak,母親は ibu または mbok(または simbok)
,自分の父親より年上のオ
ジはイトコオジとの区別なく全て pakde(bapak gude の短縮形で年上の父の意,gude は上
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黒 晴 夫
(年下)
(年上)
َᴮ 親族呼称体系図
.
.
ᜆ஋֣ለ
.
.
.
.
simbah
第一上位世代
㧞.年上の父
㧟.年上の母
㧠.父
㧡.母
㧢.年下の父
㧣.年下の母
pakde (=bapak gede)
mbokde (=mbok gede)
bapak または pak
mbok または ibu
paklik (=bapak cilik)
mboklik (=mbok cilik)
自己世代
㧤.兄
㧥.姉
自己
10.弟・妹
kang または kakang
yu または mbokyu
.
.
第二上位世代 {㧝.祖父母
dik (=adik)
第一下位世代 {11.子
図中の□は両性の親族の者を,垂直線は親子関係を,
そして水平線ないし斜線はきょうだいの関係をそれぞ
れ示す。
nak (=anak)
位,年上,大きいの意),自分の母親より年上のオバはイトコオバとの区別なく全て
mbokde(mbok gude の短縮形)
,自分の父親より年下のオジはイトコオジとの区別なく全
て paklik(bapak cilik の短縮形で年下の父の意,cilik は下位,年下,小さいの意),自分の
母親より年下のオバはイトコオバとの区別なく全て mboklik(mbok cilik の短縮形)と呼
ばれている。また自分と同一世代については,年上の兄・従兄は全て kakang または
kang,姉・従姉は全て mbokyu または yu,自分より年下の弟・妹・従弟妹は全て同一呼称
の dik(adik の短縮形),そして,自分より下の第一下位世代については,自分の子ども・
甥・姪は全て同一呼称の nak(anak の短縮形,または男子の場合は tole/le,女子の場合は
genduk/nduk)と呼ばれている(表2参照)
。
表2 血縁の親族の呼称
世 代
性別
年 下
1(祖父母の兄姉)simbah/eyang
1(祖父母)simbah/
eyang
1(祖父母の弟妹)simbah/eyang
男
2(伯父)pakde (bapak gede)/
bapak/pak
4(父)bapak/pak
6(叔父)paklik (bapak cilik)/pak
lik
女
3(伯母)mbokde (mbok gede)/
ibu/mbok/simbok
5(母)ibu/mbok/
simbok
7(叔母)mboklik (mbok cilik)/
mbok lik/bu lik
男
8(兄)kakang/kang
女
9(姉)yu/mbokyu
第二上位世代 男女
第一上位世代
同一世代
年 上
(自己)
10(弟)dik/adik
(自己)
10(妹)dik/adik
男
11(子)nak (anak)/tole (le)
11(子)nak (anak)/
tole (le)
女
11(子)nak (anak)/genduk (nduk)
11(子)nak (anak)/
genduk (nduk)
第一下位世代
資料 : 調査地での聞き取り調査による。
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11(子)nak (anak)/tole (le)
11(子)nak (anak)/genduk (nduk)
ジャワ農村の家族と親族組織
以上の親族呼称例から知れることは,まず第一に,親族呼称体系が父方・母方を区別し
ない双方型を示していることである。それは,父方の親族であろうと母方の親族であろう
と呼称に何ら区別がないこと,したがって,父方・母方の双方に呼称の範囲が等しく拡大
していることに示されていよう。
第二に,呼称が世代によって類別される世代型の親族呼称体系を示していることであ
る。祖父母および子どもと同世代の親族のものはそれぞれ同一の呼称で呼ばれているこ
と,両親の同世代のものは,両親の年上・年下によって区別されてはいるものの,いずれ
も父親もしくは母親と呼ばれていること,また,自分と同世代のものは,年上の場合に
は,兄・従兄と姉・従姉とがそれぞれ同一の呼称で呼ばれ,年下の場合には,性の区別も
なく弟・従弟・妹・従妹が全て同一の呼称で呼ばれていること,これらの事実から明らか
であろう。ただし,両親の世代と自己の世代については性別によって親族呼称が区別され
ている。
さらに,この世代型であることと関連して,第三に注目されることは,日常生活におい
て家族の内なるものと外なるものとを区別する親族呼称をもっていないことである。上述
したように,父とオジ,母とオバ,兄・弟と従兄弟,姉・妹と従姉妹,息子と甥・姪の間
には,何ら呼称上の区別はない。すなわち,親族呼称のうちに,親族の中から家族のメン
バーを明確に区分付ける呼称がないのである。親族呼称が親族組織のあり方を何らか反映
するものだとすれば,前節でみたように,ジャワ農村の家族が集団としての統合性が脆弱
であることと,離婚した女性とその子どもを容易に家族の成員として迎え入れることがで
きることは,このような,家族の成員と外の親族との違いの如何にかかわりなく,常に同
世代の親族を同一の呼称で捉える親族呼称体系と表裏の関係にあると見ることができる。
ところで,父系と母系の双方的に拡大する親族組織は,特定の個人を中心としてその個
人との親族関係を一定の程度で共有している親族によって形成されるものであるから,祖
先を共有している親族によって形成される単系的親族組織のように,常に固定したメン
バーで組織されることはない。実の兄弟姉妹の間でも,一旦結婚すれば,新たに姻族や直
系卑族の親族関係が付加され,それぞれの所属する親族組織は部分的にしか重なりえない
ものになることからもわかるように,双方的に拡大する親族組織は,親族個人によってそ
れぞれ親族範囲の視野構造を異にするものである。したがって,このような親族組織は,
特定の個人との親族関係が続くかぎりでの親族組織であるから,その子どもに継承される
ことももちろん起こりえない。それは,永続的に存在するという意味からすれば固定的な
集団ではなく,むしろ,すぐれて流動的である。
さて,このような組織原理にしたがっていわば自己中心的に組織されている親族組織
が,どのような範囲で組織されているのかをみておこう。ジョクジャカルタ特別州内のバ
ントゥール県地方では,日頃,近い親類として比較的機能関係をもっている範囲は,自分
の父方・母方の4人の祖父母,両親,オジ,オバ,兄弟姉妹,子ども,孫,甥や姪,およ
び従兄弟姉妹などである。しかし,これらの範囲の親類の人々が,常に参加しなければな
らない行事もなければ,互いの親族関係を強化する行事もないようで,自律的な集団とし
ての性格はきわめて脆弱だといえる。これは,彼らの親族組織が,前述したように,集団
としてではなく共通の個人との関係の累積によるものであるがゆえに,個人的な好き嫌い
や地理的な遠近などの条件によって,付き合い関係にも自ら親疎が生ずることになるので
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黒 晴 夫
ある。このように,親族関係においても,規範的な規制は希薄で,個人の選択的行為の許
容される幅が大きいといえるだろう。
最後に,親族組織の機能的側面に触れておこう。すでに先述したように,配偶者と離婚
したり死別した女性が,自分の実家あるいは親族に迎え入れられることや,彼女の子ども
が親族によって実の子と同様に養育されることからも明らかなように,親族組織は,個々
の家族に対して補完的な機能を果たしているといえる。また,親族は,結婚式,葬式,そ
の他さまざまな通過儀礼に参加し,クンドゥリの儀礼の準備を手伝ったり,贈り物をす
る。その他にも,親族は,ゴトンロヨンという相互扶助慣行による農作業や家普請の共働
労働にも参加する。しかし,これらは,いずれも,一定の範囲にある親族の人々が必ず出
席しなければならないものではなく,当事者である個人とそれぞれ日頃懇意な関係にある
親族,地縁関係による近隣住民,そして友人などの参加を得て行われている。このように
見てくると,儀礼的慣行にしろ,相互扶助慣行にしろ,親族関係にあるものが集団として
関与することはないのであり,したがって,これらが親族組織に固有な機能とはみなしえ
ないのである。とまれ,この点においても,ジャワ農村の親族組織が集団としての構造を
欠如していることが指摘できよう。
4.おわりに
筆者は,前掲表1でも示したように,1984 年以来冒頭に掲げた調査村を中心に継続的
にジャワ農村の調査を重ねてきた。とくに1年間インドネシアに滞在した 1989 年には,
調査村の2つの部落にそれぞれ4か月ずつ滞在して村落調査を行った。本稿は,筆者が,
当時の先行研究から得た知見を踏まえつつ,2調査村での農業,家族と世帯,親族関係,
各種組織,相互扶助,社会関係などの調査の中で家族や親族に関して得た資料を中心にま
とめたものである。
この中で明らかになったジャワ農村の人びとの家族観や親族観に見みられる特徴の一つ
は,自己の家族成員あるいは自己自身を,共通の祖先に連鎖する系譜関係の中に位置づけ
て認知するようないわば祖先中心的な観念が希薄なことである。むしろそれとは逆に,親
族関係が自己を中心に父方と母方に双方的に,しかも連続的に広がるものと意識され,家
族のウチとソトを区分する絶対的な境界が明確でないことである。したがって,夫婦とそ
の未婚の子女で構成される核家族の形態の他にも,さまざまな親族を成員とする家族形態
が現れることになる。
また,このように系譜観念が希薄であるから,家族の世代的連鎖を期した役割を担う成
員も生じないから,家族成員が嫡系と傍系に区分されるようなことはない。したがって,
タテの親子関係が家族の中でことさら優先されねばならない関係として現れるようなこと
はなく,日本の社会と比較するとむしろヨコのキョウダイやイトコの関係も強く意識され
ている。
このような特徴から,ジャワ農村の親族組織は,核家族と,自己中心に父方・母方の双
方に拡がる親族関係から成り立つキンドレッド(kindred)によって組み立てられ,祖先
中心的な出自集団を持っていない。すなわち,ジャワ農村の親族組織は,単系の組織原理
を欠き,父方・母方双方の親族をたどって組織されるキンドレッドが中心をなしているの
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ジャワ農村の家族と親族組織
である。
ところが,1990年前後から調査村の両集落で,特定の祖先を共有する人びとからなる
トラ(trah)と呼ばれる親族集団〔Sjafri Sairin, 1982; 宮崎恒二・宮崎寿子,1986〕の組織
に参加している例がそれぞれ数組ずつ見みられるようになっている。これは,共通の祖先
のすべての子孫とその配偶者で構成され,参加するか否かは個人の自由に委ねられた選択
的な親族集団である。その目的は,成員間の親族意識を維持し,社会的・経済的な相互関
係を促進して,成員相互の地位の向上を図ろうとするものである。
トラは,もともと20世紀初めにジョクジャカルタの王侯の子孫によって組織されるよ
うになったもので,身分的継承を権威の正当性の根拠に置く貴族階層の間に組織されてき
た親族慣行だったものである。それが1960 年代に入って都市の富裕層の間で,さらに80
年代に入って農村の富農層の間で徐々に模倣されるようになってきたのである。
本稿では,紙幅の関係で,調査村におけるトラの事例の提示とその分析,このような祖
先志向的な親族組織の組織化がなぜ農村で見られるようになってきたのかなどについての
考察ができなかった。それらの課題は次回に譲ることにする。
注
1)ちなみに,表3は,1983 年と 1993 年の農業センサスによってジョクジャカルタ特別州の農
家数と所有規模別農家数等を示したものである。これで明らかなように,小規模農家が非常に
多く,しかもそれが益々加速してきたことが分る。このように,ジャワ農村の土地所有規模が
著しく狭小であるのは,たんに商品経済の浸透による農民層分解の結果だというよりも,後述
の土地相続のところで触れたように,均分相続によって世代交替とともに農地が子どもたちの
間に細分されてしまうことも一因している。
表3 ジョクジャカルタ特別州の農家数と農地所有規模別農家数(1983,1993)
年
総世帯数
(千)
農家世帯数
(千)
農家率
(%)
0.5ha 未満
(千)
0.5ha 以上
(千)
0.5ha 未満
(%)
0.5ha 以上
(%)
1983
608
429
70.56
267
162
62.2
37.8
1993
768
433
56.38
305
128
70.4
29.6
資料:Sensus Pertanian 1993: Data Hasil Pendaftaran Rumah Tanga Prop. D. I. Yogyakarta p. 31
2)インドネシアでは,1963/64 年雨期作に発足した一般ビマス計画からはじまり,ビマス・
ゴトンロヨン計画,改良ビマス計画へといわゆるビマス計画を中心とした一連の米増産計画が
実施されてきた。その結果,1964 年以降の 10 年間に年間生産高が2倍に増加されるようになっ
た。これらの一連の諸計画とその実績については〔本岡武,1975〕に詳しい。
3)たとえば,ジェイ等による 1954 年の東部ジャワ州中部の農村調査では,核家族形態の世帯
が 74.4%〔R. Jay, 1969, p. 52; H. Geertz, 1961, p. 32〕
,マントラによる 1975年のジョクジャカル
タ特別州バントゥール県の2つの部落の調査では,核家族形態の世帯が74.7%と54.6%〔I. B.
Mantra, 1981, p. 58〕と報告されている。
4)ジャワでは,従来子どもが多いほど幸福になると考えられ,一般的に多産であった。しか
し,近年,多産の家族が減少してきているのは,①商品経済の浸透とともに,子どもの養育に
対する経済合理的な態度が農民にも広く形成されてきたこと,②政府が農村の中央医療セン
ターで避妊具の無料配給をしたり,公務員に対して,従来の方式を改めて第3子にまでしか扶
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─ ─
黒 晴 夫
養手当の支給や産児休暇を認めない措置を講じて,産児制限の普及につとめていること,③高
校や大学への進学者が増加してきたこととも関連して,一般に初婚年齢が上昇してきたこと,
これらの諸要因が影響しているものと思われる。
5)1974 年12 月から翌年2月にかけて同じ州内のスレマン県(Kabupaten Seleman)ボコハルジョ
(Bokohardjo)村とトリハルジョ(Trihardjo)村を調査した戸谷修の報告資料によると,平均世
帯員数は前者が 4.3人,後者が4.5人で,筆者の調査地の数値と大きな差異はない〔戸谷修,
1978,p. 531〕。
6)これは,メンバーの共同労働に基づく共同体的相互扶助慣行で,たんに農作業に留まらず家
普請,道普請,あるいは災禍時にもなされるものである。地縁と血縁に基づいて部落とその周
辺の家族が構成単位とされ,メンバーは互いに自らをこの互助体系の一部と意識しかつ全体を
常に一個の統一体と意識しているといってよい。労働力の提供に対しては,食べ物や飲み物だ
けが供されえる。また,稲刈り作業などでは,作業量の10分の1を当事者が持ち帰ることが認
められているために,ゴトンロヨンは,土地無し農や水田を持たない農家にとっては米を手に
する恰好の機会にすらなっている。このように,ゴトンロヨンでは金銭的な授受をしないのが
原則である。しかし,1990年代以降,調査地の地域では農業労働には報酬の支払をするのが一
般的になっており,打算的な関係への変質が村落構造の変容とともに注目されるのである。
7)妻がクンドゥリに行くのは,儀式や饗応の準備を手伝いに行く場合に限られ,けっして客人
として列席することはない。
8)ジャワの農家では,朝はコーヒーぐらいですませて仕事に出かけ,食事は昼と夜の二回しか
とらない場合も多い。しかもその食事も各自が銘々勝手にとることが多い。インドネシアで
は,ワルン(warung)と呼ばれる屋台あるいは小さな店の軒先の露店で食事をする習慣がある
が,このように一家団欒の食生活習慣が弱いのは,このワルン文化とも関係しているものと思
われる。
9)もちろん,ジャワでも墓をつくり,墓参も行なう。故人は,できるだけ死んだその日のうち
に土葬される。それ以後3日目,7日目,40 日目,100日目,1年目,2年目,1000日目に葬送
儀礼を行ない,故人の魂(arwah)の昇天を祈る。これらの一連の儀礼のうちで 1000日目の儀
礼が最も盛大に行われ,この時に墓が作られる。墓は故人毎に作られ,妻も夫の側の墓地に埋
葬される。しかし,これらの儀礼や墓の建立は,あくまで故人その人に対して行われるもので
ある。1000 日目の儀礼以後は,毎年断食月(puasa)に入る前日に身をきれいに清めて墓に行
き,断食月の間故人の魂を他に送り出す(punggahan)
。
10)間苧谷栄は,ルクンに「社会的融和」という訳語を与えている〔間苧谷,1974,p. 126〕
。
11) ジャワ農村では,新居をいずれかの親の屋敷地内に構える例も多くみられ,場合によって
は,同一屋敷地内に複数の子どもの家族が生活しているような例もある。しかしそのさい,親
の家族と子どもたちの家族とが不可分に結びついて,拡大家族と同様な生活が営まれることは
ない。たとえ同一屋敷地内に住んでいようとも,一旦世帯を分かてば社会的に独立した家族と
みなされ,クンドゥリの儀礼などもそれぞれ個別にやらなければならない。
12)古い資料になるがインドネシア全国のかつての離婚率をみてみると,1950年─ 49.3%.1955
年─57.9%.1960 年─52.2%.1965 年─49.1%.1970年─34.5%.1974年─27.3%と高かった
〔戸谷修,1978,p. 537〕。
13)結婚の登録届をする時に,夫婦がそれぞれもってきた財産を共有財産にするか,そのまま個
人財産に留めておくかを宗教役場に届ける。
14)ジョクジャカルタ特別州内の親族呼称については,スレマン(sleman)県内の村を中心に調
査した〔染谷巨道,1993,第1章〕が詳しい。また,中部ジャワとの境界に近い東部ジャワの
親族呼称に関しては,
〔H. Geertz, 1961, pp. 15‒18; R. R. Jay, 1969, pp. 156‒159〕を参照されたい。
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ジャワ農村の家族と親族組織
参考文献
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黒
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(北原淳編著『東南アジアの社会学』世界思想社
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(高橋保編『東南アジアの価値意識 上』アジア経済研究所)
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(付記)
本研究は,平成27 年度科学研究費補助金(基盤研究⒞「農村社会の持続的発展と村落自治─
ジャワ農村の地方分権化と村落行政組織再編の研究─」の助成を受けて行った研究成果の一部で
ある。現地調査の実施にあたっては,カウンターパートのインドネシア国立ガジャマダ大学
(Gadjah Mada University)人口政策研究所のハドナ(Agus Heruanto Hadna)所長とスカンディ
(Sukamdi)准教授をはじめ多くの方々のお世話になった。記して謝意を表する次第である。
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