内外の建築積算の歴史的経緯に関する調査

内外の建築積算の歴史的経緯に関する調査
主席研究員
第1章
概
1.1
岩松
準
要
研究の目的
今日のわが国の建築積算の経緯を知ることは、この分野の今後のあり方を見通すために
必要である。こうした知識へのニーズは、当研究所の機関誌「建築コスト研究」の読者に
も多いと考えられる。とくに現代の問題につながるテーマについての歴史的探求という視
点が求められる。それはそれぞれの問題について考えるための具体的視座を提供するもの
である。また、国内のみではなく、近代的な積算の発祥である英国を中心に、積算技術の
発展についての歴史的経緯を知ることも有意義と考えられる。
上記の目的に照らして、長期的な見通しのもと、内外の建築積算の歴史的経緯に関する
適切なテーマを設定し、関係する歴史的文献・資料の収集を徹底して行い、ビジュアルな
資料を添付することなどにも留意しつつ、読みやすい文書としてまとめる。その成果は当
研究所の季刊誌「建築コスト研究」
(建築コスト遊学)へ寄稿するかたちで公表することと
する。
1.2
これまでの成果のリスト
これまでの研究成果は次の3つのテーマに関するものであり、「建築コスト研究」の第
60 号(2008 年 1 月発行)より、「建築コスト遊学」というタイトルで連載を開始し、すで
に7回分の掲載をしている。本報告では最近の4号分をとりあげる。
•
「日本建築積算略史――その起源と展開」60 号, 2008.1.
•
「法律 171 号と予定価格――官の積算の意味」61 号,2008.4.
•
「建築経済学と建築コスト研究史」62 号, 2008.7.
(以上は平成 19 年度版報告書に掲載)
•
「物価史にみる建築職人賃金の推移」63 号, 2008.10.
•
「建設統計の成立と展開」64 号, 2009.1.
•
「原価計算基準と建築コスト」65 号, 2009.4.
•
「新しい業務報酬基準と積算:数量公開論争 100 年」66 号, 2009.7.(予定稿)
以下では、既発表分に一部加筆しつつ掲載する。
- 100 -
第2章
物価史にみる建築職人賃金の推移(63 号, 2008.10)
物価史という学問のことから説き起こしたい。1930 年にフランスで創刊間もない雑誌
『アナール』が国際物価史研究委員会設立の記事を書いた。このプロジェクトは、米国の
ロックフェラー財団の資金で、
「 できるだけ長い期間を対象とした物価の継続的なリスト作
成を行う」というもので、メンバーには独・米・仏・墺・英・西の経済学者や歴史家が入
っていた。その意図は数理的なアプローチに乏しい伝統的な実証史学を批判し、歴史研究
に科学的基礎を与えることであったという。
物価史は経済史学という学問領域に属し、数量経済史の一部である。日本では豊富な資
料に恵まれた米価史の研究が先行したが、本格的に行われたのは 1960 年代以降である。梅
村(1961)や佐野(1962)による建築労働者の実質賃金の測定は初期の成果であったとさ
れる。今回は物価史や建築史の知識を参考に、職人賃金の推移をみてみたい。
*
*
*
今日、労働者の中でサラリーマンがかなりの数を占めるが、こうした
賃労働
が一般
化するのは明治以降である。明治初年における身分制の廃止、土地制度の変革により農民
が零細小作農化し、これに旧武士層・手工業者・浮浪人・囚人層を加えて後に賃労働者階
級が形成される(隅谷(1955))。だが、建築に関しては、すでに奈良時代から賃労働が行
われていた。建築史の渡邉(1956)は、それなりの社会的分化が行われて、賃労働により
生計する自由専業工人が存在したかどうかはかなり疑わしいとしながらも、古代から近世
までの工匠の賃金について考証している。
*
*
*
渡邉(1956)によると、天平年間の石山寺造営工事(762 年)の記録分析から、奈良時
代の工匠の報酬は、功銭(職種や技能により 10∼20 文)と現物給与としての食料(1 日の
労働で 2 升(=今桝の 8 合)の米と塩 4 勺と副食物調味料等)とであった。これは 1 日の
食料の 2 倍程度に相当するが、これのみでは一家が生活できず、他の家族は班田耕作農民
として生計をたてていた過渡期だったようだ。
平安時代になると民間の工人が発達する。この時代も米での支給が多い。東大寺修理工
事の記録から、今桝での換算で、
「大工 6.25 升、長 5.63 升、連 5.0 升、夫 1.88 升」
(大工、
長、連は工匠の職階の違い)が報酬額だった。奈良朝にはほとんど差がなかったが、この
ころ大工と雇夫で 3 倍近くの開きである。これは賃労働の本格化を物語る。
中世においては、鎌倉時代の末頃から工匠賃金には再び貨幣が使用されはじめる。14 世
紀から 17 世紀に至る 400 年間は建築の「座」の盛衰時期にもあたる。この間は中央地方、
年代上下、職種の如何にかかわらず、工匠の賃金が一定不変であったらしい。一般工匠が
100 文、大工など工事統制にあたる者はそれに 50 文の役手間が加えられたのみである。渡
邉はこれを「慣例を強固に維持しようとする中世的特徴」(同書)とする。
*
*
*
ここで物価史の知見を借りて、数量的に職人賃金の推移を示してみたい。時代は物価史
がたどれる資料の関係から江戸中期以降となる。図 1∼図 3 は梅村(1961)のデータと方
法を参考に、建築関係の労働者の実質賃金の推移を計算した。表 1 の歴史資料を基に、名
目賃金指数を物価指数で割り実質賃金指数を求め、グラフでは 5 年移動平均をも示した。
- 101 -
180
160
実質賃金指数 A/B
140
実質賃金指数 (5ヵ年移動平均)
120
100
80
60
40
20
18
65
18
70
18
60
18
55
18
50
18
45
18
40
18
35
18
30
18
25
18
20
18
05
18
15
18
10
18
00
17
95
17
90
17
85
17
80
17
75
17
70
17
60
17
50
17
65
17
55
17
45
17
35
江戸中期∼明治初年の建築労働者の実質賃金指数の推移(1801-10 年の平均=100)
17
30
17
25
図1
17
20
17
15
17
40
0
(注)梅村(1961)による。詳細は表 1 を参照のこと(図 2、図 3 等も同じ)。 なお、基準年や資料が異なるため、各図は独立してみるべきで、数字のリンクはない。
表1
図 1∼図 3 の算定根拠
時
基
代
図3
昭和 45 年∼
1801-10 年
1914 年
2005 年
京都の越後屋呉服店が雇入
れ支払った銀匁表示の大工・
左 官 ・畳 屋 の 手 間 を 個 別 に 指
数化し単純平均。
明治以降は商業会議所調査の 5 職種加
重平均賃金。戦後は労働省の「屋外労働
者職種別賃金調査報告」の 3∼5 職種平
均賃金。両者系列をリンク。
経済調査会の「積算資料」
掲載データで主要 11 職種
の単純平均。近年は公共事
業設計労務単価。
小売物価指数
B の 根 拠
米等 11 品目の越後屋呉服店
の小売価格の加重平均指数
明治以降は別論文推計値。戦後は統計局
の東京消費者物価指数
総務省公表の消費者物価
指数
梅村(1961)
梅村(1961)
−
献
年
図2
明治中期∼昭和 30 年代
建築労働者の
賃金指数 A の
根
拠
文
準
図1
江戸中期∼明治初期
等
図 1 は、江戸時代の越後屋呉服店が実際に雇い入れた職人に支払っていた賃金の記録(三
井家文書)を元にしたものである。当時の建築労働者全般を捉えたものではないが、連続
データとしては貴重である。同時にこの資料は買い入れた日用品の価格もきめ細かく記録
してあり、物価変動も捉えられる。
図 1 補図に示したように、名目賃金
指数はほぼ一定の値で 1860 年頃まで
400
300
シ
ョ
500
3文
化
は年
物間
価の
安 1
定8
期0
6
ー
600
物3 文
価4 政
上
・
昇は 天
期年 保
間前
平期
均の
約 1
4 8
0 2
%4
の
幕
末
動
乱
の
イ
ン
フ
レ
→
0明 1
%年 7
の間 7
物 7
価は
上年 8
昇間 7
期平
均安
約永
2 ・
天
700
∼
江戸中期までは比較的安定的に推移し
(注)1801-10年=100とした指数
︶
(1801-10 年)の水準を 100 とすると、
800
賃金指数 A
∼
物価が安定していた享和・文化初期
900
︶
1 の実質賃金指数には変化が見られる。
1 000
︵
り物価指数が大きく上下するため、図
小売物価指数 B
1 100
∼
︶
推移する一方、米価の豊凶変動等によ
1 200
ン
2
200
100
0
1720 1730 1740 1750 1760 1770 1780 1790 1800 1810 1820 1830 1840 1850 1860 1870
図 1 補図
ていたが、物価が騰勢を始めた 1820
賃金指数 A と物価指数 B
(注)図中のコメントは物価指数についてのもの。 - 102 -
180
180
160
160
140
140
120
120
100
100
80
80
60
60
40
実質賃金指数 A/B
40
20
実質賃金指数 (5ヵ年移動平均)
20
0
図2
明治∼昭和戦後の建築労働者の実質賃金指数
(1914 年=100)
20
05
20
00
19
95
19
85
19
90
19
80
19
75
19
70
18
75
18
80
18
85
18
90
18
95
19
00
19
05
19
10
19
15
19
20
19
25
19
30
19
35
19
40
19
45
19
50
19
55
19
60
0
図 3 近年の指数
(2005 年=100)
年以降は徐々にそのレベルが落ちていった。
つづいて、図 2 に示す明治以降は数段の足踏みが見られるが順調に上昇しており、とく
に大正から昭和初期にかけて職人の実質賃金の水準は大きく伸びた。しかし 1930 年頃から
世界恐慌の影響からか、大幅に下落している。図 2 の終戦直後、そして続く図 3 では、バ
ブル崩壊後の 1998 年までは実質でも下方硬直的といってよいほどに上昇したが、現時点は
下落基調の中にある。
*
*
*
ところで、図 1 の範囲外の江戸前期(17 世紀)は人口急増の時代だった。奈良時代の人
口 500 万人が 16 世紀まで徐々に 1200 万人に増えたが、17 世紀には 3000 万人となった。
それが新田開発に拍車をかけ、 請負業 の発生にもつながる。物価史的にも、米価の持続
的な上昇が確認されるなど、17 世紀はインフレの時代だった。学問的には、複雑な貨幣制
度やたびたび行われた改鋳による影響など、資料の比定に関する議論はあるようだ。
以上のように、実質賃金の推移を江戸時代からの長期にわたって観察した。数量的な尺
度でみてもなかなか実感はわかないかもしれないが、断片的な情報から想像力をめぐらす
楽しさがある。現在の建築労働者の賃金水準が低いという議論は多い。状況的には 1930
年代、1820 年代と似ているといえるが、それらの時代の労働者はどう乗り越えたのだろう
か。長い目で見ると、分かってくることもあるような気がしてくる。
<参考文献> 梅村又次「建築業労働者の実質賃金 1726‐1958 年」経済研究 Vol.12, No.2, 1961.4, pp. 172‐176 佐野陽子「建築労働者の実質賃金―1830‐1894 年」三田学会雑誌 Vol.55, No.11, 1962.11, pp.49‐76 隅谷三喜男『日本賃労働史論:明治前期における労働者階級の形成』東大学術叢書 9, 東京大学出版会, 1955.7 原田敏丸・宮本又郎編著『歴史のなかの物価:シンポジウム―前工業化社会の物価と経済政策―』同文
舘, 1985.10 渡邉保忠『日本建築生産組織に関する研究 1959』明現社 - 103 -
第3章
建設統計の成立と展開(64 号, 2009.1)
建設業の動向把握――建設投資、受注、建設企業の増減・経営、建設労働者、コストな
ど――には「建設統計」が欠かせない。また、建築着工統計など一部の建設統計は、今で
は国の重要なマクロ経済指標の計算にも組み入れられている。産業政策とも密接に絡む建
設統計が、現在に至るまでどのような歴史を持つのかをまとめた。
*
*
*
統計的なデータは人類の歴史以来存在するといってもよいが、
「統計」という概念の成立
は、17 世紀のイギリスのウィリアム・ペティの『政治算術』などに始まるいわゆる社会統
計学であった。その後、ドイツなどでは国状比較研究が盛んになった。日本では幕末のペ
ばんしょしらべしょ
リー来航をきっかけとして安政3年(1856)江戸に設立された蕃書調所 は幕府の洋学研
究・教育機関で、後の東京大学の前身ともなった組織であるが、統計はそこで西洋諸国か
ら移入された翻訳学問のひとつであった。福沢諭吉はドイツ語の Statistik を「政表」と
命名した。これがのちの論争を経て「統計」となったものである。
明治国家の官僚として、近代的統計調査を開拓、推進し、欧米諸国の統計学を日本に紹
介した杉亨二(写真 1)は、幕末 37 才の時、蕃書調所の後身の開成所での執務中にオラン
ダの統計資料に接し「社会現象を数量で把握し、表現する」という数奇な考えを知見した。
これが「杉の統計意識の芽生え」(藪内 1995, p.17)だったという。彼は近代日本初の総
合統計表「日本政表」
(明治 4)や国勢調査の先駆けとなる「甲斐国現在人別調」
(明治 12)
に関わった。さらには統計学研究のための組織である表記学社や政表社(後の東京統計協
会)や共立統計学校(第 1 期生のみを排出)を設立して後進教育をはかった。
東京統計協会発行の「統計集誌」(明治 13∼昭和 19)は「統計学雑誌」(明治 19∼昭和
19)とともに戦前期の統計関係の研究・調査データの発表の場となった。前者だけでも建
築コストという観点から見ても面白いデータが散見される。(表 2)
*
*
*
だが、今日みるような建設統計の原型となったのは、やはり建築学会を中心とした動き
からであった。第一次世界大戦後の世界恐慌のころ、大蔵大臣・高橋是清子爵が経済界の
表1
建設統計の成立過程における主なイベント
1880 (明 13)
1882 (明 15)
1886 (明 19)
1887 (明 20)
1888 (明 21)
11 月東京統計協会「統計集誌」創刊(∼昭和 19.6)
3 月統計院「日本帝国統計年鑑」創刊(現「日本統
計年鑑」の前身)
11 月内務省「日本帝国国勢一班」創刊(年間)
4 月「スタチスチック雑誌」創刊(明 25.1 以降「統
計学雑誌」と改称)
1 月造家学会「建築雑誌」創刊
6 月内務省「大日本帝国内務省統計報告」創刊(年
間)
(この間、各省統計、専門雑誌、建設団体の雑誌等が多数創刊)
1923 (大 12)
1936 (昭 11)
1944 (昭 19)
5 月四会が編集した「建築統計」No.1 が刊行
5 月建築学会建築統計聯合委員会「建築統計」創刊
(月刊は昭和 14.2 号(22 号)まで。終刊は昭和
16.4(29 号))
大日本統計協会「大日本統計雑誌」創刊(昭和 22.
12「統計」と改称)
- 104 -
写真 1 杉亨二
(1828-1917)
写真 2 横河民輔
(1864-1945)
「日本近代統計学の祖」
で初代統計局長。官職を
辞して後はスタチスチ
ック社で後進の指導と
国勢調査実現運動など
に 尽 力 。 長 崎 出 身 。( 写
真は統計調査支援活動
協議会の HP より) 明治・大正・昭和期の建
築家・実業家。横河グル
ープ創業者。鉄骨建築の
先駆者。建築学会の会長
も務めた。葛西萬司は帝
大の同期卒業。兵庫出
身 。( 写 真 は 横 河 電 気
(株)の HP より) 会合の席上、米国のフーバー大統領が不況対策として住宅の大量建設を教書に打ち出した
話をしたなかで、日本の建築に関する統計が欠けていることを指摘した。その記録自体は
ないようだが、高橋是清の『随想録』によると、当時の市街地建築物法に基づく警察調べ
の統計には坪数などはあっても、「一番肝腎の建築費がない」と嘆く記述があるようだ。
さて、この話をその場で聞いていた建築界の長老・横河民輔(写真 2)が佐野利器・建
築学会会長に申し入れたことをきっかけに、学会内に建築統計委員会(1935.1∼)が設け
られた。このために、横河は学会に私費 3000 円の寄付をしたというが、資金面などから学
れんごう
会単独では無理だと判断した氏の呼びかけで、建築関係5団体(表 3)による建築統計聯合
委員会(1935.12∼)が成立し、本格的な建築統計が整備されることになった。
このように、建築統計の成立が高橋是清や横河民輔の先導によったことと、とくに建築
費に関心が向けられていたことは、意義深く思われる。
*
*
*
この建築統計聯合委員会の活動は、建築雑誌の各号に「建築統計資料」として発表され
た。昭和 11 年 5 月からは別に「建築統計」が刊行される(戦争のため昭和 16 年 4 月第 29
号で終刊)。それらの内容は建築学会
表2
発行の『建築年鑑』(昭和 13 年版∼
「統計集誌」の主な建設関係記事(明治初期)
1881 (明 14) 6 月船運賃並瓦相場及大工傭銀表(天保元年∼明治 12、
50 年間)
1882 (明 15) 11 月府県土木費(以後、複数の報告)
1883 (明 16) 2 月東京火災(明暦 3∼明治 14)
7 月東京付加下戸口並家屋種類表:寺田勇吉
10 月土地の統計を詳にするの説:島邨泰
1884 (明 17) 1 月 3 府 37 県(沖縄を欠く)民有地反別地価(明治
14.12):相原重政
9 月土地建物売買(明治 14 年中)
11 月東京府下乞食原籍別調査
1886 (明 19) 1 月東京府下諸職人手間料(明元∼明 17):佐藤桂馬
1 月東京府下職工人員明治 18 年 1 月 1 日
2 月土地所有者統計:相原重政
1887 (明 20) 1 月諸官庁所属建物(明治 17.12.31)
1888 (明 21) 6 月大都会統計の編纂を望む:横山雅男
1889 (明 22) 5 月東京府地価所有者分配表:今井藤四郎
1892 (明 25) 10 月東京府下宅地田地及畑地反別地価:伊藤祐穀
1893 (明 26) 4-11 月全国家屋坪数群市町村別−明治 24 年徴発物一
覧表:中村金蔵
1894 (明 27) 1 月全国家屋坪数群市町村別:中村金蔵
1896 (明 29) 1 月職人の契機労銀の高騰(建築雑誌)
(注)日本統計協会『統計集誌総目録』雄松堂書店 1982.6 より 17 年版)にも収録された。これらは
日本建築学会のホームページでもみ
ることができる。昭和 13 年版から大
項目の内容タイトルとコスト関係は
中項目もあわせて抜き出した。
Ⅲ.
A
B
建築統計(p.93∼p.145)
建築経済
竣功建築物(市街地建築物法関係)
6. 六大都別竣功建築物
7. 28 府縣竣功建築構造別延面積
C 物価、勞銀及建築費
8. 主要建築材料価格並建築県警労
務者賃銀
9. 建築種別建築費指数
D 建築材料
10. 木材生産高(昭和 11 年)
11. 建築材料輸出入額(昭和 11 年)
E 建築従事者
F 災害
G 府縣及都市別面積、人口及世帯数
H 気象
表3
建築統計聯合委員会委員(1935.12 発足時)
建築業協會(同會長)
委員長・横河 民輔
日本土木建築業請負聯合會(同副會長)
島田
藤
日本建築士會(日本銀行臨時建築部)
鈴木憲太郎
建築資料協會(同副會長)
副委員長・松井 清足
建築學會(警視廳技師)
伊藤憲太郎
同
(東京市技師)
近藤伊三郎
調査項目数や集計範囲など今日か
らみるとやや物足りないものの、多
岐にわたる内容である。ただ、この
昭和 13 年版は 50 ページを超えるが、17 年版は戦中のためかわずかに 3 ページになる。
*
*
*
戦後は 1949 年に発足した建築経済委員会にその活動が引き継がれる。委員会設立の経緯
は本連載の 3 回目で触れた。建築統計について戦後の建築雑誌をたどると 1950.8∼1952.6
の「統計欄」に建築動態統計、建築費指数の掲載がある。1953 年 4 月には建設省住宅局か
- 105 -
らの委託研究報告書「建築統計に関する研究
報告」が出ている。建築投資の地域性、建築
投資予測の考え方などに触れているのは新鮮
である。さらに年刊の別冊資料として建築経
済委員会編「建築経済統計資料」
( 1951∼1966)
が発行されている。このころが最盛期で、そ
れぞれ 150 ページほどの立派な冊子である。
この中は統計数字だけでなく、解説や分析も
ある。
この資料は、1967 年からは学会の建築年報
の一部に収まり、別刷りになるとともに薄く
なった。
「建築経済統計資料」の内容は、長期
の間では若干項目に変更はあるが、概ね、建
築活動、住宅、宅地、建築材料、建築費、建
設労務、建設業、建築災害、固定資産(家屋)、
表4
「指定統計」で建築研究と関係深いもの
指定
指定統計の名称
指定年月日
番号
総
務
省 1 国勢調査
昭 22. 5 .2
昭 22. 5. 2
2 事業所・企業統計
昭 23. 5.17
14 住宅・土地統計
昭 25. 1. 7
30 労働力調査
昭 28. 3.18
61 科学技術研究調査
財
務
省 110 法人企業統計
昭 45. 6. 8
国
税
庁 77 民間給与実態統計
昭 30. 1.27
厚 生 労 働 省 5 人口動態調査
昭 22. 6.19
昭 22. 8. 2
7 毎月勤労統計調査
昭 28. 7. 7
65 医療施設統計
昭 28. 7. 7
66 患者調査
昭 33. 3.25
94 賃金構造基本統計
農 林 水 産 省 69 木材統計
昭 28. 9.30
経 済 産 業 省 10 工業統計調査
昭 22.11.21
11 経済産業省生産動態統計 昭 22.11.26
国 土 交 通 省 32 建築着工統計
昭 25. 3. 2
昭 30.10.19
84 建設工事統計
平 10. 5.20
121 法人土地基本統計
(注) 現在、指定統計は全部で 55 ある。総務省資料
(http://www.stat.go.jp/index/seido/1‐3.htm)より作成。
作成機関
金融等の領域に亘っている。そしてそれぞれの項目は建築経済委員会の担当者が責任編集
するスタイルを貫いている。ただ、その内容はほとんどが建設省をはじめとする国の統計
からの引用である。ほどなく、学会がまとめる統計資料はなくなってしまった。学者を中
心とするボランティアベースでは手に余るほど、建築統計に求められる内容は複雑化、高
度化したということではないか。筆者は当時の担当者の一人からこのような事情があった
ことを聞いている。1948 年の建設省の設立以降は、建設統計の多くは、計画局調査統計課
が所管し、土木分野の統計も包含した上で、国が制作して公表するものとして定着してい
たのである。
*
*
*
現在、われわれは国土交通省(建設省)の統計を利用することが多いが、そればかりで
はない。表 4 は国が作る主な統計の一覧である。多くの建設統計を時系列で分析する際に
は気がつくことだが、現在の統計に近くなったのは昭和 30 年代以降である。ただ、統計は
統廃合、分類変更、定義替え等があり、利用に際して留意すべきことも多い。統計はその
調査規模、速報性、カバレッジ、調査頻度等の違いや性質をよく理解する必要がある。次
は統計についての有名な格言である。
There are three kinds of lies: lies, damned lies, and statistics (世の中には
3 つの嘘がある。一つは口に出す嘘、次に知らぬ顔の嘘、そして統計だ)
これは統計データの信憑性を皮肉った英国宰相ディズレーリ(1804-1881)の言葉である。
また、統計家とは、
「根拠のない仮定から決まりきった結論に向けて数学的に正確な直線を
引く人である」というのもある。統計利用の際には、こういわれぬようにしたいものであ
る。
<参考文献> 藪内武司『日本統計発達史研究』岐阜経済大学研究叢書, 法律文化社, 1995.7 日本建築学会編『近代日本建築学発達史』1972 高杉造酒太郎『学会に生きて:建築学会八十年の半生雑記』日刊建設通信新社, 1969.7 - 106 -
第4章
原価計算基準と建築コスト(65 号, 2009.4)
「建築コスト」という言葉の使用は、日本建築学会では昭和 39(1964)年が最初という
話を No.3 で書いた。これは昭和 37(1962)年 11 月の大蔵省企業会計審議会第4部会(主
査:中西寅雄・慶應義塾大学教授(当時)
;会計経済学者)の「原価計算基準」の公表後の
ことであり、その影響が伺える。いうまでもなく
原価
は
コスト(cost) の直訳であ
る。
この基準は同審議会が中間報告として公表した会計基準の一つ(ほかに、企業会計原則
(S24)、監査基準(S25)などがあるが何れも法令ではない)だが、その検討は昭和 27(1952)
年から始めたとされており 10 年間にも及んだ。基準の冒頭にあるように「わが国現在の企
業における原価計算の慣行のうちから、一般に公正妥当と認められるところを要約して設
定されたもの」であり、一般企業の原価計算に関する実践規範として、現在でもとくに大
きな変更は加えられていない。
*
*
*
原価計算基準では 原価
表1
を「経営における一定の給
付にかかわらせて、は握さ
(一)
れた財貨又は用役の消費を、
貨幣価値的に表わしたも
の」と定義し、
「 原価の本質」
として、①原価は消費され
(二)
る価値である、②原価は一
定の給付について計算され
た価値である、③原価は経
営目的に関連したものであ
る、④原価は正常的なもの
(三)
である、と4つの性質をあ
げている(表 1 参照)。
*
*
*
一般に原価計算は、主に
は課税目的で作られる財務
諸表の作成において不可欠
(四)
「原価の本質」(会計的な意味)
原価は、経済価値の消費である。
経営の活動は、一定の財貨を生産し販売することを目的とし、
一定の財貨を作り出すために、必要な財貨すなわち経済価値
を消費する過程である。原価とは、かかる経営過程における
価値の消費を意味する。
原価は、経営において作り出された一定の給付に転嫁される
価値であり、その給付にかかわらせて、は握されたものであ
る。
ここに給付とは、経営が作り出す財貨をいい、それは経営の
最終給付のみでなく、中間的給付をも意味する。
原価は、経営目的に関連したものである。
経営の目的は、一定の財貨を生産し販売することにあり、経
営過程は、このための価値の消費と生成の過程である。原価
は、かかる財貨の生産、販売に関して消費された経済価値で
あり、経営目的に関連しない価値の消費を含まない。財務活
動は、財貨の生成および消費の過程たる経営過程以外の、資
本の調達、返還、利益処分等の活動であり、したがってこれ
に関する費用たるいわゆる財務費用は、原則として原価を構
成しない。
原価は、正常的なものである。
原価は、正常な状態のもとにおける経営活動を前提として、
は握された価値の消費であり、異常な状態を原因とする価値
の減少を含まない。
(注)企業会計審議会「原価計算基準」(昭和 37.11.8)より なものであり、公平・公正
の観点からは産業を問わず統一的なルールとして制定されるのが望ましいといえる。実は
戦前でも銀行業、鉄道業、製造業など主要産業では会計基準が定められていた。しかしそ
れらは省庁の縦割りのため統一的なものではなかった。建設業は戦前においては所管省庁
がなく雑業扱いで、特段の会計規程はなかったのである(戦前は「土木建築請負業」が一
般的で、建設業という言葉の普及も戦後である)。
- 107 -
図1
検討中の案(日本建設工業會經理研究會 S22.7 頃)
工事価額
図2
総原価
工事原価
付加利潤
一般管理費配賦額
材料費
労務費
外注費
経 費
要綱案(S23.12)の工事価額の構成(§6)
(注) 図 1 の検討案では§6 に四原価要素に加えて「特別費」という文字がみ
える。その内容は①特別災害補償費、②特別補償料、③特別経費とあり、
「工事にあたって発生する損害」、すなわち工事リスクである。この項
目は S23.12.25 公表の物価庁案から除かれ、経費にその内容が移った。 建設業については、昭和 23 年にようやく当時の物価庁が主導して「建設工業原価計算要
綱案」
(以下、要綱案)が作られた。その目的は「本要綱は建設工業における原価計算の基
準を示し、あわせて適正な工事価額の算定及び経営能率の増進に資すること」(§1)とな
っている。つまり、この要綱案は工事価格統制のねらいをもっており、同時に経営能率の
増進に資するものとされていた。建設業原価計算の統一的な基準としてはこれがはじめて
の試みで、以後の経理処理あるいは制度に影響を与えた。
- 108 -
表2
表 2 は、日本の原価計算基準の成立
原価計算基準制定関係年表
明治維新政府
欧米の生産技術と共に原価計算制度を導入
(特殊原価調査として最低価格の決定や価
格計算のためで、財務会計との有機的結び
つきなし)
1934(昭和 9) 財務諸表準則(商工省臨時産業合理局)
1937(昭和 12) 製造原価計算準則(商工省臨時産業合理局)
(日本で設定された最初の原価計算基準:
自由主義経済原則に基づくもの)
1939(昭和 14) 陸軍軍需品工場事業場原価計算要綱(海軍
要綱)
1940(昭和 15) 海軍軍需品工場事業場原価計算準則(海軍
準則)
1942(昭和 17) 製造工業原価計算要綱(企画院要綱)
陸・海統一の必要性→各業種別、企業規模
別の原価計算要綱を制定。戦時統制経済時
代の基準。
1946(昭和 21) 「物価統制令」
1948(昭和 23) 製造工業原価計算要綱(物価庁要綱)
平時経済への転換時の戦後インフレを抑え
る手段として統制価格決定のための原価計
算基準。
建設工業原価計算要綱案(物価庁)
1949(昭和 24) 「建設業法」の制定
「企業会計原則」中間報告、「財務諸表準
則」の公表(経済安定本部企業会計制度対
策調査会)
1950(昭和 25) 建設業財務諸表準則
1951(昭和 26) 建設省令第 2 号:財務諸表書式規定
1962(昭和 37) 原価計算基準(大蔵省企業会計審議会)
「企業会計原則」の一環、原価計算のマネ
ジメントのためのツール、標準原価計算
(注)新川正子(2006), p.68 等を参考に作成。 経緯をまとめたものである。建設分野
は、昭和 17 年の企画院要綱をベースに
検討され、昭和 23 年に他の工業ととも
に上記の要綱案として示された。前年
の 3 月に物価庁から日本建設工業會
(のちの建設工業経営研究会)に相談
が持ちかけられてから、実務者委員に
よる「技術経営渾然一体となった」70
数回に及ぶ協議と 10 数回の物価庁等
との合同協議を経て 7 月には成案を得
たという記事がある。当初は物価統制
に利用する目的(物価統制令 18 条によ
り原価計算を一般に強制する予定)で
検討を着手したようだが、情勢の変化
に伴い、建設業経営の近代化に主眼が
おかれたようだ。本連載 No.2 の法律
171 号(S22.12.13 公布∼S25.5.20 廃
止)の顛末を想起いただきたい。
建設業会計の基準となった「建設業
財務諸表準則」(昭和 25 年 1 月)もこ
の要綱案の線に沿って建設業の特質が
おりこまれている。この要綱案では原価要素を材料費・労務費・外注費・経費に四区分し
ているところにその特徴があり、製造業の原価要素にはない「外注費」がとくに設けられ
ている(図 1、2)。このことは再び述べる。
*
*
*
図 1 の§3 にも一部みえるが、原価計算にもいろいろあって、用語の整理をかねて対立
的な概念の関係にある主なものだけを掲げておきたい。
事前原価計算
←→
事後原価計算
個別原価計算
←→
総合原価計算
実際原価計算
←→
標準原価計算
全部原価計算
←→
部分原価計算
いずれも会計学の学術用語であり、前述の原価計算基準(昭和 37 年)にも出てくる。そ
れぞれの意味については紙幅の都合もあるので説明を割愛するが、今日私たちが使ってい
る 建築コスト という言葉の意味をこれに照らして考えると、厳密な議論が可能になる。
たとえば、古川修(1963)p.99 は「工事原価」と呼ぶものには次の 4 つがあるといってい
る。これは、それを使う人の立場と建設プロジェクトの進捗状況に応じた言葉の意味の違
いである。
- 109 -
①発注者の予測する原価
②受注者の元積もり
→予定価格
→入札価格
③実行予算
→工事予算の統制
④事後原価
→実行予算と対比、利益確定
前の3つは事前原価であり、いわば仮の原価といえる。また、後の3つは経営の内部的
なものであり、通常は表に出ない。そしてこれらは何れも「価格」
(請負額)とは全く別物
である。
また、上で述べた要綱案(昭和 23 年)が目的とする「工事価格統制」というのは若干古
めかしいいい方であるが、原価管理(あるいはコスト管理 cost management)といいかえ
ても良い。その統制のやり方として通常は標準値が設定され、実績値を標準値に合致させ
るべくコストコントロールが行われる。これを会計学用語を使ってやや回りくどくいいか
えてみると、ある建築物の個別原価を対象として、標準原価計算によって求めた事前原価
に対して、事後原価との差異分析を行い、以後の原価企画に役立てることが建築物の原価
管理である(それをコンピュータ利用でシステマティックに実行するしくみが「建築コス
ト管理システム」である)とでも言えようか。なお、この意味でのコスト管理システムは、
既に欧米の公共発注者では確立したものを持っているようである(別稿としたい)。
*
*
*
原価 の内訳に関して1点だけ指摘しておこう。前述したように、要綱案や建設業法
施行規則や会社法・証券取引法等関係法規によって建設会社が作成するように定められて
いる「完成工事原価報告書」では、製造業などでは見あたらない「外注費」という項目が
あり、建設業特有の区分となっている(図 2、表 3)。ほかの産業の原価計算では「経費」
に含まれている「外注加工費」が、建設業では「外注費」として別立ての原価要素となっ
ているのである。そして、建設業の場
合、実体的にこの部分がかなり大きい。
大手では通常 6∼8 割である。最近は元
請はもとより、1 次下請の専門工事業
者でも 2 次以下の下請を使うことが多
くなっており、材料持ちでない工種の
場合、外注費が 8∼9 割に及ぶことも珍
しくない。この部分が多ければ多いほ
ど、原価の四要素の区分は意味を失う
ことになる。この外注費の存在が建設
会社や工事の
原価
を分かりにくく
している元凶である。
そして完成工事原価報告では、この
外注費に絡み実務的にはかなりの混乱
がみられる。たとえば、
「労務供給を主
体とする専門業者への支払額について、
表3
科
「完成工事原価報告書」の内容
目
摘 要
工事のために直接購入した素材、半製品、製品、
材 料 費 材料貯蔵品勘定等から振り替えられた材料費
(仮設材料の損耗額等を含む。)
工事に従事した直接雇用の作業員に対する賃
金、給料及び手当等。工種・工程別等の工事の完
労 務 費
成を約する契約でその大部分が労務費であるも
のは、労務費に含めて記載することができる。
( う ち 労 労務費のうち、工種・工程別等の工事の完成を約
務 外 注 する契約でその大部分が労務費であるものに基
費
) づく支払額
工種・工程別等の工事について素材、半製品、製
品等を作業とともに提供し、これを完成するこ
外 注 費
とを約する契約に基づく支払額。ただし、労務
費に含めたものを除く。
完成工事について発生し、又は負担すべき材料
費、労務費及び外注費以外の費用で、動力用水
光熱費、機械等経費、設計費、労務管理費、租税
経
費 公課、地代家賃、保険料、従業員給料手当、退
職金、法定福利費、福利厚生費、事務用品費、
通信交通費、交際費、補償費、雑費、出張所等
経費配賦額等のもの
( う ち 人 経費のうち従業員給料手当、退職金、法定福利
件 費 ) 費及び福利厚生費
(注)「建設業会計提要」(平成 19 年全訂版)条文より。 - 110 -
材料持ちである場合を外注費、材料無しの場合を労務費とする会社があったり、登録業者
である場合を外注費、そうでない場合を労務費とする会社があったりする」(新川(2006)
..
p.79)。こうなったのは、昭和 23 年の要綱案の外注費の項(§13)で、
「外注費の中をでき
...
る限り 材料費(半製品又は製品をも含む)及び労務費に区分する」と曖昧な表現で取り扱
ったのが原因で、
「 財務諸表の透明性、比較可能性において大きな問題を惹起している」
( 同)
という指摘がある。また、多くの中小建設会社が公認会計士による監査を受けていないこ
とも、その混乱や不徹底の原因といえるだろう。
*
*
*
以上の議論では、建設会社全体の完成工事原価報告の場合と単体の工事の場合(工事価
格の統制=プロジェクトのコスト管理)とをとくに区別していないが、建設業は個々の請
負工事が基本であって、個別原価計算を行うのが一般的である。そして会社全体の原価報
告は単体工事のそれを集計するのが基本だと考えられる。ところで、積算は入札のための
見積原価の算出に使われる。それを実績工事原価計算と統合して標準原価計算の仕組みを
確立するのは必要なことである。それは厳しい経済環境にある建設業のコスト構造の明確
化にも資し、とかくこの業界に向けられる不透明だという批判を免れることにつながるだ
ろう。
なお、建築に限れば、そのコスト管理は、会計規定が定める四原価要素のみでなく、工
種別や部分別の内訳書標準書式を用いたコスト情報の蓄積やその分析や管理が長らく行わ
れている。この点は欧米でも同様である。そのことは特筆すべきことであるが、別稿で述
べたい。
*
*
*
会計学の歴史は明治 6(1873)年に福沢諭吉が翻訳した「帳合之法」以来とされ、百年
を超える。同時期に出版された福沢のベストセラー「学問のすすめ」にいう実学のひとつ
として始まった。現在の企業会計制度は戦後米国の影響を強く受けている。また、国際会
計基準との整合問題などは現代の建設会社の経営のあり方にも関わる。建築コストの研究
もこのような会計学の発展と無縁ではないことを最後に付け加えたい。
<主要参考文献> 黒澤清「会計学百年の歩み」産業経理 34 巻(1), 1973.12, pp.16‐24 建設業振興基金建設業経理研究会原価計算研究部会「「建設工事原価計算基準」試案とその解説」1999.3 新川正子『建設外注費の理論』森山書店, 2006.1.30 谷重雄「建設工業原価計算要綱案について」産業経理 9 巻(4), 1949.4, pp.22‐26 古川修『日本の建設業』岩波新書, 1963.8.20 益田重華『建築費の分析と原価計算』建築文庫 24、彰国社、1957.8.1 溝口一雄『最新例解原価計算(増補改訂版)』中央経済社, 1985.4 ※ ほかに、コスト研に所在する「益田重華氏座談会資料」によった。座談会の内容は「インタビュ
ー・益田重華氏に聞く」建築コスト研究 No.28,2000winter, pp.20‐25 を参照。 - 111 -
第5章
新しい業務報酬基準と積算:数量公開論争より 100 年
今年――2009 年は、積算に絡む数量公開論争からちょうど 100 年目にあたる。数量公開
論争のきっかけとなったのは建築学会が建築技師の業務報酬に関する規定を制定したこと
を巡るものであった。
*
*
*
昨年 11 月 28 日の建築士法の抜本改正と呼応する形で、今年 1 月 7 日、国土交通省告示
第 15 号「建築士事務所の開設者がその業務に関して請求することができる報酬の基準」が
定められた。これは従来、昭和 54 年建設省告示第 1206 号(イチニイマルロク)としてよく知られ
る同名の告示がほぼ 30 年ぶりに見直されたものである。
もともとは日本建築家協会が使っていた設計の報酬規程(いわゆる料率表)をめぐる談
合疑惑について、1975(昭和 50)年 3 月参議院で社会党議員の追及があり、同年 12 月に
公正取引委員会がその排除を勧告、それに対して翌年 1 月、日本建築家協会は応諾せず審
判に持ち込んだが、1979(昭和 54)年 9 月の審決(事実上の敗訴)に至る途上の同年 5 月
の通常総会で、自ら報酬規程の廃止を決めた。このとき代わりに建築士法第 25 条に基づき
できたのが告示第 1206 号だった。
*
*
*
この基準は建築家の報酬の目安を提供するものだが、それほど厳密に守られるような性
質のものではないし、またそれは実際にはそれほど普及していないという日本建築学会の
調査もある。逆にこうした報酬基準によらず、公共工事では設計入札がいまだに多いこと、
そのため過当競争によるダンピングで、設計料が赤字となるプロジェクトが多い実態など
も指摘されている。考えてみれば、これらは建築士法改正の原因となった姉歯事件の背景
のひとつでもあった。
今回の見直しの主な内容は、設計報酬計算の基となる別表の建築物用途区分を 4 から 15
に細分化したことや、その標準業務量を工事費ベースから床面積ベースとし、単位は「人・
日」から「人・時」に改めたこと、「設計」と「工事監理等」の中を総合、建築、設備に 3
区分したこと、そして、従来の住宅局長通達で別途定めていたため認知が不十分だった「追
加的な業務内容」を新告示の中に「標準業務に附随する標準外の業務」
(別添四)と明示し
たことである。
最後の点は積算という立場からみると重要で、旧告示では「概算」というだけで曖昧だ
った積算業務に関して、
「工事費概算書の検討」は標準業務に、工事費内訳明細書や数量調
書の作成などの「成果図書に基づく詳細工事費の算定」は標準外業務に区別された。だが、
それ以上のものではなく、成果図書のひとつとして積算職能が担うべき数量書(BQ)を明
確に位置づけることはできなかった。そのことを 100 年前の数量公開論争をふり返りつつ
再考してみたい。
*
*
*
そもそも建築家の報酬規定は独立した建築事務所が個別に決めていた例はあったが、公
的なものは皆無だった。そこで「建築技師報酬規定」(図 1)が 1909(明治 42)年 1 月 29
日の建築学会総会で決められ、それが日本建築家協会の前身である全国建築士会の設立
(1914(大正 3)年)後の 1918(大正 7)年頃まで使われていたという経緯がある。1909
- 112 -
年から数えて今回の新しい告示は奇しくも 100 年目にあたる。この当時の建築学会は建築
家の職能を代表する組織という面もあったのである。
付言すれば、東京帝国大学教授で構造学者の佐野利器は建築学会がこうした報酬規定を
定めることには反対の立場だったようだ。規定の第 1 条は「建築学会は建築技師報酬の標
準を左の如く規定す」となっているが、これの削除を望むという文章を建築雑誌に書いて
いる。事実、以後は学術機関としての建築学会がこの種の報酬規定に関わることはなく、
その後設立された建築家の職能団体がそれを担った。
この規定では「建築技師」の報酬内訳を「略設計」
「本設計」
「予算」
「監督」に分け、建
物の 4 類型別の料率を定めている。たとえば第 1 類(住宅、商店ほか)の工費 10 万円規模
の工事では、料率(歩合)を工費の 4.96%とし、上記の内訳はそれぞれ 0.50%、2.08%、0.30%、
2.08%である(図 1)。「数量明細書及び予算書の作成」(規定第 3 条)を意味する「豫算」
は工費の 0.30%という位置づけだった。これを現在の積算・見積にかけているコストと比
べてみる価値はあろう。
おもしろいのは追加的な条文であり、設計変更が 3 回以上になる場合(第 6 条)や、特
別な調査を要する場合(第 10 条)、業務上必要な出張での旅費と日当(第 11 条)などは別
途とある。学会が一方的に決めた報酬基準とはいえ、当時の建築家の地位の高さがうかが
える。また、設計依頼者に提出する「図面及書類」について、
「設計図 3 部以内、仕様書 3
図1
建築学会が決めた「建築技師報酬規定」(明治 42(1909)年 1 月 29 日総会決定) の第 4 条部分
(注)日本建築学会図書館デジタルアーカイブス(http://news‐sv.aij.or.jp/da1/sonota/sonota.html)より - 113 -
部以内、数量明細書 3 部以内、予算書
写真
1 部以内」
(第 12 条)とも定めていた。
*
*
葛西萬司(1863-1942)
明治から昭和初期に活躍した建築
家。盛岡市出身。明治 23(1890)
年、東京帝国大学工科大学造家学科
を卒業(同期に横河民輔)、日本銀
行技師となる。明治 36(1903)年
以降、辰野金吾と建築設計事務所を
共同経営したことなどで知られる。
明治 37(1904)年度に建築学会副
会長。 (写真等は Wikipedia より引用) *
この報酬規定に絡み、いわゆる「数
量公開論争」が学会誌(建築雑誌)上
で展開された。工部大学校(東京帝国
大学)卒の建築家・葛西萬司(写真)
が 1909 年 4 月号で「予算数量書は之を
請負者に示さざるべからず」と問題提
起――つまり第 12 条で定める数量明細書や予算書を、請負者(建設会社)には示すべきだ
という主張を掲載した。
ことの経緯は葛西によれば、副会長の曾禰達蔵博士が総会時に述べたところでは、当初
の役員会の議論で、請負者に示すべきものとして数量書をあげていたが、数量書をいつも
請負者に示すべきとするのは適当ではないという意見があってその条項を修正し、その点
が曖昧なまま、第 12 条のような表現で議決されたようである。葛西の主張は予算数量書(い
わば、金抜き数量書)こそが、図面や仕様書だけでは伝えきれない情報を請負者に提供す
るものであり、設計内容を補う予算数量書は請負者にこそ示すべきというものだった。し
かし総会では居並ぶ「建築界の大家」が予算数量書の価値を認めず、請負者に示しても示
さなくてもよいとしたことが、どうしても葛西には気にくわなかったのであろう。
これに対して、同期卒の葛西に名指しされた横河民輔は 6 月号で、もし数量書を請負者
に示せば、それに不足や過剰があれば「紛議の種」になると書いた。請負者には図面と仕
様書だけを示せばよく、もともと数量は見積者毎に異なる性質のもので不正確であり、ま
た数量書を請負者に示すと必ず不足を訴えられて煩わしい、と否定的な姿勢であった。
陣笠生(7 月号)や徳政生(9 月号)という葛西に与する匿名投稿も含め、10 月号の葛
西の「横河君の反問に答ふ」まで、数回の論争が誌上で展開された。一方的で華々しい葛
西側の主張に対して、学会役員や横河からの反論はなく、この論争は言いっぱなしで終わ
った。報酬規定の条文も見直されることなく、数量書を請負者に積極的に示すということ
は近年までの公共発注では一切行われなかった。
*
*
*
規制緩和の政治潮流の中で 90 年代はじめから始まった公共建築工事での参考数量とし
ての数量公開(数量を公開する発注側は一切の責任を負わない形での公開)は、ある意味
で 100 年前の葛西の主張(予算数量
書を請負者に示すべき)に沿ったも
のといえるのかもしれない。
なお、建築業協会(BCS)の継続的
な調査(図 2)では、平成 19 年度の
1 億円以上の公共建築工事での数量
公開の件数率は、首都圏が 76%、関
西圏が 50%となっており、また経年
図2
平成 19 年度
首都圏/関西圏
数量公開状況
(注)BCS 調べ。建築コスト研究 No.64, p.55 より引用。 的には徐々に向上しているようであ
- 114 -
る。ゼネコン側からの主張は「責任数量による設計変更対象化」であるが、100 年前から
ずっとそのレベルでの数量公開は難しい状況が続いていた。ところが、3 月 31 日の計画課
長通達で鉄筋、コンクリート、鉄骨の総量についての契約数量化(すなわち責任数量化)
を 1 億円以上の一部工事で試行することを打ち出した。
*
*
*
繰り返しになるが、今回改訂された建築設計の報酬に関する新告示では積算に関する項
目として、
「工事費概算書の検討」は設計に関する標準業務とされたが、内訳書の作成を意
味する「詳細工事費の算定に係る業務」は標準外業務とされた。つまり、数量内訳書が不
可欠の成果図書の位置づけ――図面や仕様書と同格のもの――にならかったのであるが、
まことにそれは残念なことだといってよいと思う。葛西が 100 年前の論争で主張したよう
に、数量内訳書には図面や仕様書を補う意味での情報が含まれているにもかかわらず、そ
れが標準的な設計図書でない――つまり、内訳書はあってもなくてもよいという位置づけ
のままなのである。それは、積算に関する技術が 100 年前からほとんど進歩せず、一般に
内訳書が未だに不確定なものという評価しか与えられていないことの照明ではなかろうか。
先述した国土交通省における一部工種での契約数量化の動きが、積算を取り巻く状況の改
善に結びつくことを期待したい。
<主要参考文献> 日 本 建 築 学 会 住 ま い づ く り 支 援 建 築 会 議 調 査 研 究 部 会 「 設 計 事 務 所 実 態 調 査 報 告 書 」 2007.10
(http://news‐sv.aij.or.jp/shien/s2) 佐野利器「建築學会の性質を論じて建築技師報酬規定第1條の削除を望む」建築雑誌第 271 号, 1909.7, pp.330‐331 国土交通省大臣官房官庁営繕部計画課「営繕工事における契約数量の試行について」平成 21 年 3 月 31
日(国営計第 122 号) 国土交通省住宅局建築指導課「建築士制度と業務報酬基準の見直しについて」建築コスト研究 No.65, 2009.4, pp.38‐45 (社)建築業協会積算部会「平成 19 年度公共建築工事数量公開状況調査概況報告」建築コスト研究 No.64, 2009.1, pp.54‐55 岩松準「設計とコスト(6)100 年前の数量公開論争」建築コスト研究 No.49, 2005.1, pp.4‐7 - 115 -