Title Author(s) Citation Issue Date 武満徹作曲「グリーン」の分析的研究( fulltext ) 山内, 雅弘 東京学芸大学紀要. 芸術・スポーツ科学系, 60: 51-65 2008-10-31 URL http://hdl.handle.net/2309/95716 Publisher 東京学芸大学紀要出版委員会 Rights 東京学芸大学紀要 芸術・スポーツ科学系 60: 51 - 65,2008. 武満徹作曲「グリーン」の分析的研究 山 内 雅 弘 音楽・演劇講座 (2008 年 6 月 18 日受理) YAMAUCHI, M.: Analytical Study on “GREEN” by Toru Takemitsu. Bull. Tokyo Gakugei Univ. Arts and Sports Sciences., 60: 51-65 (2008) ISSN 1880-4349 Abstract In my previous treatise, I researched on the orchestration of Toru Takemitsu. The purpose of this treatise is to look into Takemitsu’s orchestration, further in depth compared to more general consideration in the last paper. “GREEN”, one of the orchestral works by Takemitsu, will be discussed on the treatise. The characteristics and the basic information of this work are explained in Chapter 2. Melodic motives are analyzed in detail in Chapter 3. Pitches and intervals are mainly discussed. Moreover, the characteristics achieved by manipulating those intervals are also explained. As I did not write about the harmonic structure in the previous paper, it is discussed in Chapter 4. I indicated the basic chord, which rules this work, and the basic scale, from which the chord is created. As a result, I proved why the work carries strong sense of tonality. Discussion on the harmonic characteristics states clearly, that two pitches, Fis and H, take the central role in the piece. Moreover, I explained about other chords, besides the main chord, created from non-basic scales; they give poly-chordal structure to the work. In Chapter 5, its orchestration is analyzed in detail from the beginning after the unique instrumentation is introduced. I point out that the distinctive way of combining particular instruments make the special quality of Takemitsu’s sonority. Internal structures of pitches and mutual relationship between instrumental groups are also mentioned in order to achieve clear comprehension on Takemitsu’s orchestration. In conclusion, I state the uniqueness of this work is achieved by the clear melodic structure, the harmonic structure which carries strong sense of tonality, the combination of characteristic timbres, and contrapuntal arrangement of grouped sounds, as all mentioned above. Department of Music and Theater, Tokyo Gakugei University, 4-1-1 Nukuikita-machi, Koganei-shi, Tokyo 184-8501, Japan 要旨 : 筆者は前論文で武満徹のオーケストレーションについて研究を行ったが,本論文では前論文での一般的考察 から更に研究を深めるために,武満の管弦楽曲の中から特に「グリーン」を選んで考察することとした。第 2 章で は,この曲の特色や基本的な情報をまとめた。第 3 章では曲中の旋律分析を行い,その特色について音程的な観点を 中心に論じた。第 4 章では前論文で触れることが出来なかった和声構造の考察を行った。ここではこの作品を支配 する基本和音と,その元となった基本音階を示し,これによってこの曲が調性感を強く感じさせる理由を証明した。 また,Fis と H に中心的な役割が与えられていることを明らかにし,基本音階以外の音階からできている和音やポリ * 東京学芸大学(184-8501 小金井市貫井北町 4-1-1) - 51 - 東 京 学 芸 大 学 紀 要 芸術・スポーツ科学系 第 60 集(2008) コードによる分析も加えることで,この曲の和声法の特色を論じた。第 5 章では最初に楽器編成の特色を述べた後, 全曲のオーケストレーション分析を冒頭から順に詳細に行った。特色ある楽器の組み合わせを指摘して解説したほ か,音群の内部構造,群同士の相互関係に着目し,武満のオーケストレーションの特性を明らかにした。以上の考察 から,明確な旋律構造,調性感の強い和声構造,そして特色的な音色の組み合わせ,音群の対位法的な配置,構成が この曲の個性を形成していると結論付けた。 1.はじめに 筆者は1998 年に「武満徹の管弦楽法について」と題した論文を書き,武満の管弦楽曲についてオーケストレーショ ンの技法を中心に研究した。その後も武満の管弦楽曲は,筆者の研究テーマの 1 つとして重要な位置を占め,2004 年 4 月に東京学芸大学芸術館で開催されたシンポジウムに於いても口頭発表をするなど研究を続けていた。本論文では, その研究継続の成果の一つとして,特定の管弦楽曲に焦点を当てて研究することにしたい。今回もオーケストレーショ ンを中心に研究しようと思うが,前回の論文では触れなかった,和声構造や旋律についての考察を加えることで,より 一層の深い分析を試みたいと考えている。本論文は,今後も続くであろう武満作品研究の途中報告ともいえるもので ある。 2.研究対象について 2.1 楽曲の選定理由について 本論文で研究の対象として選んだ曲は「グリーン」という管弦楽曲である。武満は生涯に54曲もの管弦楽曲を作曲し たが,その多くの管弦楽曲の中からこの曲を選んだ理由は,武満の名を最も世に知らしめた「ノヴェンバー・ステップス」 と同じ年に初演され,前後にも「テクスチュアズ」 (1964)や「アステリズム」 (1968)といった充実した作品が並ぶため に,それらの作品に比べると忘れられがちではあるが,私見によれば,その完成度は他の曲に劣るどころか,逆に他の作 品には見られない凝縮した個性的な世界が構築されていると感じられるからである。また,叙情的な曲想が,その当時の 前衛的な風潮と逆行することから高い評価を受けず,重要な作品とは見なされなかったようだが,その後の「鳥は星形の 庭に降りる」 (1977)や「遠い呼び声の彼方へ」 (1980)から始まる80年代以降の作品に顕著となる,叙情性が表に出た 作風を先取りしているような点が興味深いし,逆に80年代以降には見られなくなった前衛的な語法も上手いバランスで ミックスされていることから,武満の様々なスタイルを凝縮したように感じられるところが他の作品以上に興味を引くか らである。オーケストレーション的にも,音色の多彩さは群を抜いていると感じる。また,武満の管弦楽曲は独奏楽器を 伴ったものや変則的な編成の曲も多いが,この曲はほぼ標準的な 3 管編成によってできているので,かえって武満のオー ケストラ語法の特徴を浮き彫りにしやすいと考える。演奏時間 6 分程度の小品ということも,一つの小論で研究するのに は丁度良い長さである。以上のようなことが,この曲を研究対象として選定した理由であるが,つまるところ,筆者の嗜 好にも一致しているということが大きいといえよう。 2.2 曲の概要 この曲は日本放送協会(NHK)の委嘱により,武満が 37歳の1967年に作曲された。そしてその年の11月に,森正指揮 のNHK 交響楽団によって放送初演された。最初は曲名が「ノヴェンバー・ステップス第 2 番」となっていたが,後に「グ リーン」と改題された。また, 「ノヴェンバー・ステップス第 2 番」としていながら,完成,初演は「ノヴェンバー・ス テップス」よりも早かった。同じ「ノヴェンバー・ステップス」という名前で作られたものの,2 つの曲の間に連作的意 図や共通のプログラムが有ることは言明されていないようである。同時期に作られたため,オーケストレーションの書法 に一部似た点も見られるが,これも特に意図的とは思えず,同時期の同一作曲家の手になる作品と考えれば当然起き得る 近似性といえる。逆に「ノヴェンバー・ステップス」が琵琶と尺八を独奏楽器にしているという特殊性から,両者の曲の 性格,方向性は自ずから異なったものとなっている。ただ,この差異もまた,意図的に対比を狙ったものと考えるよりは, 自然に起きた相互補完のようなものであろう。 武満自身の言葉によれば,この曲は「子どものための音楽」として作曲されたものであり,作曲者自身の娘と 5 人の友 - 52 - 山内 : 武満徹作曲「グリーン」の分析的研究 人の子どもたちに捧げられている。作曲時,仕事場にドビュッシーの「遊戯」と「牧神の午後への前奏曲」のスコアを 携えていったとされ,実際,それらの曲の影響を感じさせられる部分も見られる。演奏時間は 6 分弱の小品で,他の武 満作品の多くが15分前後の演奏時間であることを見ても,形式的に特殊な曲であるといえる。なお,スコアは EDITION PETERS より出版されている。 3.分析 3.1 旋律構造について ここでは曲を構成する旋律素材について分析をしてみたい。曲中に登場する旋律,音型の中で重要なものにアルファ ベットを付して説明を加えることにする。まず,冒頭に現れる旋律 A(譜例 1 )がこの曲で最も重要な主要主題とも言え るものである。 (譜例 1 ) 武満作品においては,単音や和音の弱奏による雰囲気的な導入の後に旋律が出てくるものや,曲の終わりの方ではっき りとした主題が出てくる例が多く,この曲のように曲頭から旋律を単刀直入に提示する例は珍しいといえる。そのことに よって,この曲が持つシンプルかつ率直な性格を冒頭から感じさせられる。この旋律 A からは,ある種の調性感を感じる ことが出来るが,これは最初の小節の動機を構成する音が,譜例 2 のような 5 音音階で出来ているからである。これは長 音階でいえば,H-dur か E-dur ととれるような音階である。そのため,この旋律からは強い調性感と,特に背景に長音階 を感じることが出来るために明朗な印象を受けるのである。この旋律 A の最初の 6 音から成る動機は後でも活用されるの で,特に動機 a と名付けることとする。 (譜例 2 ) この旋律 A は,その後,練習番号 2 の 2 小節目から完全 4 度上に移高した形で現れる。さらに後半,練習番号11の 4 小節目からは金管によるコラールによって,それが静まった後には冒頭と同じヴィオラによって回想されるがごとく再現 されるなど,曲中で 4 回,明確な形で登場する。2 度目の出現は主題の確保を,3 度目の出現は,全休止による大きな区 切りの後ということもあって形式上の再現部と感じさせられるし,テンポを落としての 4 度目の出現はコーダに入った印 象を与えるに違いない。このような明確に確認できる再現の他,リズムの変形が施されている上に,主要素では無く背 景として登場していることから必ずしも認識が容易ではないが,練習番号 5 の 1 小節目のヴィオラ(譜例 3 )と,練習番 号 6 の 2 小節目のヴィオラ(譜例 4 )にも,完全 5 度下に移高された動機 a が使用されていることが分かる。また,練習 番号 9 の最初の 2 小節間のヴィオラには,完全 5 度下,長 2 度下,長 2 度上に移高された動機 a が連続使用されている。 (譜例 5 ) - 53 - 東 京 学 芸 大 学 紀 要 芸術・スポーツ科学系 第 60 集(2008) (譜例 3 ) (譜例 4 ) (譜例 5 ) また,旋律 A の最初の 3 つの音に含まれる長 2 度,短 6 度といった音程に着目すれば,練習番号 1 の 4 小節目から練 習番号 2 の 1 小節目の旋律線(譜例 6 )や練習番号 3 の 4 小節目の動き(譜例 7 )も,リズムは大きく変形されているが 旋律 A から導かれたものと考えられるし,練習番号 7 の 1 小節目,練習番号 9 の 3 小節目に現れるエネルギッシュな上昇 音型(譜例 8 )も,旋律 A とは全く雰囲気が異なっているにもかかわらず,音程の上から旋律 A と関連づけて考えること ができるのである。 (譜例 6 ) (譜例 7 ) - 54 - 山内 : 武満徹作曲「グリーン」の分析的研究 (譜例 8 ) 以上のように,旋律 A は主題として重要な役割を持っているだけでは無く,曲中に多用される音程素材である長 2 度, 短 6 度,完全 4 度の全てを含むことにより,曲全体を支配する根源的な音程原理を提示する役割を担っているといえるの である。 旋律 A 以外の主要な要素としては,練習番号 5 から弦の豊かな和声付けによって現れる旋律 B がある。 (譜例 9 ) (譜例 9 ) 旋律 B はシンコペーションのリズムに特色がある。冒頭の動きは,その 2 小節前の金管の動き(譜例10)から派生し たものと見ることが出来るが,完全 4 度下行で短 2 度上に移高して反復される旋律動向が,旋律 B では減 5 度下行で長 2 度下に移高して反復される形に変容している。 (譜例10) また,この完全 4 度下行音形は練習番号 6 の 4 小節目で,今度は長 2 度上行反復となって出現している。 (譜例11)こ のような完全 4 度下行音程は旋律 A にも含まれており,そのことから完全 4 度下行音程による音形は,全曲の中でも特別 な旋律動向ということが出来る。 (譜例11) - 55 - 東 京 学 芸 大 学 紀 要 芸術・スポーツ科学系 第 60 集(2008) 旋律 B は練習番号 9 からオクターブ上に移高されて再現する。また練習番号11の 2 小節目の金管の音型は,リズムが 変化した上に別の音が挿入されているが,旋律 B の変形であることは直ちに理解されるだろう。 (譜例12) (譜例12) 次に広い音域での上昇,下降に特色のある音形 C(譜例13)が練習番号 7 に登場する。この音形 C は練習番号 9 の 3 小節目で再現するが,その時には全体を短 3 度下行させて直ちに反復される。短い音形では有るが,2 回の登場とも強奏 であることと,直後に全休止を伴うことなどから,曲の節目を際立たせるユニークなエピソードといえるものである。 (譜例13) また,練習番号 7 の 3 小節目と練習番号 8 の 4 小節目の 2 度にわたって,トランペットとトロンボーンによって出現す る旋律 D(譜例14)は,生き生きとしたアーティキュレーションとクレッシェンド,アッチェレランドを伴い,エネルギッ シュな前進感が印象的である。 (譜例14) 以上のように性格がはっきりとした,聴き分けやすい旋律が多く,またそれぞれが反復されることで印象に残りやすい。 それは古典的な形式に於ける反復とは異なるものであるが,結果としては形式的な聴取を容易にし,それがこの曲の分か り易さの大きな要因になっていると考えられる。 4.和声の分析 4.1 基本音階に基づく和声分析 ここでは,和声の構造を中心に分析,考察していきたい。旋律 A を含む曲頭 4 小節の和音付けを示したのが譜例15で ある。曲頭の和音 a は特に重要で,多少の変化を見せながら他の箇所でも何度か現れ,曲全体の和声の基本的な音調を 形作る。変化形の和音を示したのが譜例16である。ここで,それぞれの和音を a 1 - a 6 と名付けることとする。 - 56 - 山内 : 武満徹作曲「グリーン」の分析的研究 (譜例15) (譜例16) これらの和音は柔和な印象を与えるが,特に a 2,a 4 ,a 5 ,a 6 でその感じが強いのは,低音の 3 つの音が,コードネー ムで A ,和音記号では A-dur の 1 度の和音と分析できる長三和音の第 2 転回形を形成していることによるものである。 a1-a 6 の中では,このような第 2 転回形を含む配置の方が多いことを見ると,この形の方が基本的な形態となる和音で, 曲頭の a1 の方がむしろその変化形と見ることも出来る。いずれにせよ,これらの和音は微妙な構成音の違いは有るもの の,同じ和音が変形したものといえるのである。また,この和音は最初から移高されても使用されている。譜例15の⑧, ⑩,⑪の和音は,下 3 声が長三和音の第 2 転回形であることからも明らかなように,a 2 がそれぞれ短 2 度上,短 2 度上, - 57 - 東 京 学 芸 大 学 紀 要 芸術・スポーツ科学系 第 60 集(2008) 短 2 度下に移高したものであることがわかる。また,低音に第 2 転回形が出現していないことで分かりにくくなっている が,②の和音も,並び替えてみると a 2 の和音を短 2 度上に移高した和音であることが分かる。 これらの和音の音組織を調べるために,改めて和音 a 1 - a 6 に含まれる音を全て並べてみると,譜例17のような音階が 浮かび上がる。この音階を,この曲の基本音階と位置づけたい。 (譜例17) この基本音階は,どの音を主音とするかで解釈が異なるが,例えば仮に Fis を主音と見なせば,fis-moll 旋律的短音階 の第 6 音と第 7 音の間の半音経過音も含めた音階と見ることができる。その他の解釈も可能であろうが,いずれの解釈を とるにせよ,a 和音が調性感を強く感じさせる和音であることは,和音の構成音が明確な短音階を形成することから証明 できる訳である。そして,この音階は,旋律 A が練習番号 2 の 2 小節目から再現する時,ヴァイオリンの対旋律を伴うが, その旋律 A と対旋律を構成する全ての音を並べた音階に他ならない。 (譜例18) (譜例18) このことから,冒頭を初め随所に現れる和音 a と旋律 A は同じ基本音階から生まれたものであることが分かる。どちら が先に発想されたかは分からないが,1 つの根源的な音響イメージが縦軸に集積して和音となり,横軸に伸びて旋律が生 まれた様が見て取れるのである。先に旋律 A を 5 音音階から出来ていると述べたが,旋律 A の実際の根源はこの基本音 階にあり,5 音音階はその音階から抽出されて出現したものということができるのである。 以上のような音階,和音について分析する際,前述のようにどの音を主音,中心軸と見るかについては,解釈次第で結 論が分かれるものと思われる。しかし,この音階の中では,明らかに Fis ,H の 2 つの音が重要な音として扱われているよ うに見える。最初から見てみると,旋律 A の冒頭 2 小節のフレーズの開始音は Fis であり,終結音は H である。練習番号 2 の 2 小節目からの 2 回目の出現では,開始音が冒頭から完全 4 度上に上げられ,H が開始音,E が終結音となっている。更 に練習番号11の 4 小節目での旋律 A の再現は開始音が Fis ,終結音 H で,続く最後の出現では,H が開始音,E が終結音 となっている。特に旋律 A の 4 回の登場において,それぞれ前後 2 回がペアで開始音 Fis ,H となっているところが興味深 い。あたかもソナタ形式における主調の第 1 主題に対し属調で出てくる第 2 主題,フーガにおける主唱に対する完全 5 度 上での応答のような関係を連想させる。更に見ると,主旋律以外でも,Fis , H の多用は前半に於いて特に顕著で,練習番 号 1 の 1 小節目では 1 st ヴァイオリンがオクターブで H を,次の小節では Fis を鳴らす。2 小節後には今度は Dis が響くが, これら 3 つの音は当然基本音階に含まれる音であるとともに,H-dur 主和音の構成音である。このような点にも,この曲が 持つ調性感の強い音設計を感じることが出来る。その直後のコントラバスは H と Fis の完全 5 度重音によるバスを形成す る。その 2 小節後では,主旋律の対位声部である 1 st ヴァイオリンが高い Fis でフレーズを閉じると,すぐにコントラバス が H のバスを響かせる。このように H ,Fis が要所要所で出現している。それ以降はこのような明確な出現は減るが,練 習番号11でヴィオラを中心に H の伸ばしがクレッシェンドで現れ,旋律 A 再現の Fis を導く。練習番号12の 2 小節目では, 金管のコラールの和声の余韻の中から弦の和音が立ち上るが,その和音の上 2 声は H と Fis である。そして最後は,コン トラバスの H ,1 st ヴァイオリンの Fis の伸ばしとアンティークシンバルの Fis の一打によってしめくくられる。このように, 全曲にわたって H と Fis には特に重要な役割が与えられているのである。これらの音を主音や中心音という解釈で捉えてよ - 58 - 山内 : 武満徹作曲「グリーン」の分析的研究 いかは意見の分かれるところであろうし,筆者も確信を持って答えを示すことができない。しかしながら,以上の分析から 明確なように,H や Fis に中心的磁場のようなものを感じることは容易である。また,武満がこのことを意図的に行ってい ることも確かであろう。また,中間で H と Fis の出現が減ると述べたが,このことはソナタ形式や三部形式などの中間部で 遠い調に転調し,再現時に主調に戻るといった古典的な形式における調性感を連想させられ,大変興味深い。 4.2 基本音階以外の音階に基づく和声分析 a 以外の和音でも,6 音から 8 音で形成されるものは,その構成音を並べて音階的に分析することが可能である。その ような方法で分析してみると,特に多用されている音階は,いわゆるメシアンの「移旋の限られた旋法第 2 番」 (譜例19) と「全音音階」 (譜例20)であることが分かる。尚, 「全音音階」はメシアンの「移旋の限られた旋法第 1 番」でもある。 (譜例19) (譜例20) 武満の作品にはドビュッシーとメシアンの影響が強く感じられると指摘する人も多いが,このような和声語法の近似性 にもその理由が有ると考えられる。 「移旋の限られた旋法第 2 番」は全音と半音が交互に現れる独特な形態を持っており, ジャズではディミニッシュ・スケールと呼ばれる音階である。この音階は武満のみならず,他の現代作曲家にも多く見ら れる音階で,筆者も意識的に使用することが多い。筆者が好んで使用する理由は,この音階に調性と無調の中間的な性質 を感じるからで,無調の中でもある種の秩序を感じさせたい時に使用すると効果的と考えるからである。実際,この音階 は減 7 の和音の構成音程である短 3 度の堆積で出来ているが,減 7 の和音は古典派の機能和声の中でも 8 つの調性に所 属可能なために最も不安定な和音とされ,その後フランクに代表される短 3 度の調関係でずれていく転調にも見られるな ど,調性和声の中でも大変特色のある和音であり,それと関係の深いこの音階もまた,減 7 の和音と同様の特別な性質を 持っていることが理解できる。 この音階は移調によって 3 種類の異なった形態が出来上がるが,ここでは 3 種類の転調形を,それぞれ b 1 , b 2 , b 3 と 名付けることにする。 (譜例21) (譜例21) それに基づいて旋律 A の和声を分析してみると,譜例15の③の和音は b 2 によるものであり,④の和音は b 3 に基づく もので有ることが分かる。それ以降の部分においても,23 小節の金管による音形の最初の 2 つの和音は b 1 ,4 個目の和 音は b 2 ,5 個目の和音は b 3 から出来ているなど,全曲にわたって多用されていることが確認できる。 また,全音音階によって形成された和音は,①の和音などに見ることが出来るが, 「移旋の限られた旋法第 2 番」に比 べると,使われる割合は少ない。 以上の他に, 「移旋の限られた旋法第 2 番」 , 「全音音階」の原型の音階に,1 音か 2 音が付加されて出来たと解釈でき - 59 - 東 京 学 芸 大 学 紀 要 芸術・スポーツ科学系 第 60 集(2008) る和音も多い。例えば,⑤,⑥,⑦,⑨の和音は,全音音階による和音に,1 つ半音でぶつかる音が付加された形態と考 えることができる。 このように音階的に解釈出来る和音も多いが,音階から形成されたと言うよりは,2 つの異なった和音が重なったポリ・ コードのような配置の和音も見つけることができる。例えば練習番号 3 の 3 小節目の和音がそれである。 (譜例22) (譜例22) もっともこの和音は,実は「移旋の限られた旋法第 2 番」による和音である。配置の結果,ポリ・コードの様に分離 されて見える訳である。練習番号 7 の 1 小節目や練習番号 9 の 3 小節目に弦で現れる急激な下降音形も同様な例である。 この下降音形は 8 声で形成されているが,最初の和音を見れば明らかなように,和音の上 5 声は 5 音音階 C-D-F-G-A か らなっており,それに対して下 3 声は E-Fis-Gis となっている。これは上 5 声の音階を半音下げた音階に出てくる音であ るから,上 5 声と下 3 声は異なる音階組織によるもので,結果として和音も上下の 2 つのグループに分けられたポリコー ドのように捉えることが可能である。続く 5 つの和音は,最初の和音の垂直音程関係を保持しながら平行移動で下降す る。 (譜例 23) (譜例23) 4.3 その他の和声様式について 以上のように,7 音や 8 音の音階の堆積として分析可能な和音が多いが,更に構成音が増えてクラスターに近くなった 和音も見られる。譜例15の⑫の和音は,12 音全ての音で構成されている。ただ,2 オクターブに広がって配置されている ことと異なる楽器の音色による構成のため,クラスター的な不協和感は緩和されている。 練習番号10の弦には As から A の 1 オクターブの完全な半音クラスターが出現している。その 2 小節目では,各音がグ リッサンドで上下に移動するため,更に複雑な様相を呈することになる。また練習番号 8 に於いては,微分音の指定が見 られ,より濃密なクラスターを形成している。これらの用法は60年代の前衛的書法の反映で,後期の作品になるに従って 次第に減ってくるものであるが,この曲に於ける調性感の強い様式と,このような前衛的技法の混用は,他の曲にはあま り見られないことで大変興味深い。異なる技法の混用は,場合によっては様式の不統一感をもたらすが,この曲での混用 は音楽の流れの中で自然に起きているので,決して違和感をもたらすものでは無い。 横の和音連結に於いては,いわゆる反復進行とでもいうべき和声の移高反復が随所に見られることも特色的である。例 えば練習番号 2 に現れる 4 音の音型は,最初の 2 音の和音形が忠実に長 2 度下げて反復されることによって形成されてい る。 (譜例24) - 60 - 山内 : 武満徹作曲「グリーン」の分析的研究 (譜例24) 同様に練習番号 4 の 5 小節目も,全ての要素が 6 小節目で長 2 度下に移高反復されている。練習番号 9 の 3 小節目か らのエピソードは,楽器配分は異なっているが和声的には練習番号 7 の 1 小節目の音型の長 3 度下に移高したもので,次 の小節では直ちに短 3 度下に移高されているのである。このような移高反復は,無調的な書法においては排除されること が多かったが,この曲では意図的に使用されている訳である。 以上の分析から,この曲の和声は12 音のクラスターも登場するなど一見複雑な和音構造を呈しているように見えながら, その多くは比較的調性感の強い音階組織をもとに説明出来ることがわかり,そのことから全体的な音調が調性的に聴こえ ることが証明されるのである。 5.オーケストレーションの分析 5.1 楽器編成について ここでは,オーケストレーションの技法を中心に考察していきたい。この曲の楽器編成は以下の通りである。 3 Flutes(also 3 Piccolos , 3rd also Alto Flute) 3 Oboes( 3rd also English Horn ) 3 Clarinets in B♭(3rd also E♭ Clarinet and Bass Clarinet) 3 Bassoons( 3rd also Double Bassoon ) 3 Horns in F 3 Trumpets in C 3 Trombones 1 Tuba Percussion(5 players) 2 Xylomarimbas, Glockenspiel, Antique-cymbals ,Tubular-bells, Finger Cymbals, 3 Gongs(high,medium,low)2 Tam-tams(medium,low), Chinese Cymbal(suspended) Harp Celesta(also Piano) 12 Violins Ⅰ 12 Violins Ⅱ 10 Violas 8 Violoncellos 6 Double Basses 編成表から,この曲の楽器編成は一般的な 3 管編成をベースとしていることが分かる。ホルンが 3 本なのは例外的であ るが,これはこの曲の和音構成上の他楽器とのバランスに対する配慮から起きたことであろう。打楽器については前論文 でも述べた通り,武満は基本的に膜質打楽器を音色的な好みからほとんど使用しないが,この曲でも膜質打楽器は一切 使用していない。代わりに金属系打楽器は多く使用している。音程が不定の金属打楽器だけでも Finger Cymbals, 3 Gongs - 61 - 東 京 学 芸 大 学 紀 要 芸術・スポーツ科学系 第 60 集(2008) (high, medium, low)2 Tam-tams(medium, low), Chinese Cymbal(suspended)と多用しており,特に Gong,Tam-tam は大きさ の異なるものを揃えさせている。木管楽器では持ち替えによる派生楽器の使用も多く,音色を多彩なものとしている。弦 は厚い和声構造のために常に分割されており,12人のヴァイオリン奏者が 1 人ずつ別の音を担当するような箇所も見られ る。 5.2 練習番号 2 までの分析 次に,オーケストレーションを最初から詳しく見ていくことにしよう。最初の旋律 A は 6 声で和音付けされているが, 旋律線をヴィオラとソロ・チェロのユニゾンで担当することで,本来チェロよりも高い音域に配置されるべきヴァイオリ ンとの配置逆転現象が起きている。低音の弦楽器の高いポジションを使用することで,張りのある音色感を狙ったこと が理解できる。フルートは 2 本で対位法的に,あたかも鳥のさえずりのような即興的音型を吹く。この音形には即興的性 質を強調するように,個別のテンポ変化指示が付けられている。他に持続音としてホルンが 1 本参加するが,アタックは ハープの異名同音によるハーモニックスで補助されているほか,オーボエ,ピッコロクラリネットの持続音は,それぞれ チェロとヴィオラのハーモニックスとのユニゾンとなっているなど,一見,弦主体のオーソドックスな響きが支配的なス コアの中にも,武満らしい音色の工夫が見られるのである。3 小節目の後半で12 音クラスターを形成するために,それま で休んでいた弦も参加するが,この和音にもハープが加わることでアタックの音色に変化が与えられている。 4 小節目の全ての木管による12 声の和音は,1 オクターブの12の音が全て鳴っており,ユニゾンで重なる音は 1 つもな い。楽器の重ね方は複雑な抱き合わせ配置が選ばれているが,伝統的な音高配置とは著しく異なっている。具体的に見 ると,最上声は 1 st クラリネットで,フルートは全てその音よりも低い。また,1 st ファゴットは 3 rd フルート,2 nd オー ボエ,3 rd オーボエ,3 rd クラリネットよりも高い配置になっているなど,常識的な楽器の高低差を逆転したような配置と なっている。そこから,このような和音一つ取っても,注意深く音を聴き取って独自の音色構成を実現しようとする武満 の工夫を感じ取ることができる。 練習番号 1 からは主旋律は弦と金管のユニゾンとなり,メタルスティックによるゴング,グロッケンシュピール,といっ た金属音を伴ったチェレスタ,フルート,クラリネットが対位要素として加わる。高音域ではアンティークシンバルのア タックを伴った,2 本のフルートとハーモニックスによるオクターブのユニゾンも聴かれ,清明な音色感を醸し出す。また 2 小節目の半ばでは,中音域でオーボエ,イングリッシュホルン,2 本のファゴット,チューブラーベル,ストップによる 2 本のホルンのユニゾンという珍しい音色で,旋律線よりも下の As 音を鳴らすが,フォルテの指示もあってはっきりとし た存在を主張する。 5.3 練習番号 4 までの分析 練習番号 2 の 2 小節目からの旋律 A 再現時のオーケストレーションは,フルートとアルトフルートから 2 本のクラリネッ トに受け継がれる 6 連符の音形や弦のトリラによるハーモニー書法などを持つなど,全曲中で最もフランス近代管弦楽曲 のスコアを想起させる部分になっている。また,旋律 A のチェロとホルンのユニゾンは,ロマン派の管弦楽曲でも見つけ ることが出来る伝統的な相性の良い組み合わせで,暖かく豊かな音色感をもたらす。この曲ではその上に更にチェレスタ と,通常音とハーモニックスのユニゾンによるハープも重ねられていることに注目したい。 練習番号 2 の 4 小節目では,中音域の Cis をアルトフルートとコントラバスのハーモニックスのミックスで聴かせる。 そして,後半ではアルトフルートからオーボエに受け渡される。練習番号 3 の冒頭は一瞬だが,大変興味深い音色が出現 する。すなわち,クラリネット 3 本がユニゾンのフラッターで D を奏し,弱音器を使用したホルンとハーマンミュートを 使用したトランペットが,クラリネットよりも弱いディナーミクで,近接した音による和音を形成する。1 st トロンボーン は,クラリネットと同じ D を持続している最中に,ハンドミュートによる手の操作で音色を変えるように指示されている。 またアタックの瞬間にはゴングのスネアドラムのバチによる強打,ワイアーブラシの強打によるタムタムが加わる。音高 の変化がない短い持続ではあるが,以上のような大変興味深い音色合成が行われているのである。前論文でも指摘した 通り,アタックの瞬間に於ける音色構成,そしてその後の強弱変化や奏法による音色成分の変化のあり方に,武満の音色 の多様性の秘密が有るといえるのだが,この例はその優れたサンプルといえる。倍音構成の複雑なゴング,タムタムなど をアタックに加えることは,武満のオーケストレーションを特徴づける点であり,他の多くの曲にも見ることが出来るが, ここではゴング,タムタムが同時に使用され,バチの選択にも工夫が見られる点が特に興味深い。バチの使用に関しては, このような金属的で刺激的な用法は60年代に多く見られるが,80年代以降の作品では,柔らかいバチによる刺激の少な - 62 - 山内 : 武満徹作曲「グリーン」の分析的研究 い用法が大半を占めるようになっており,そのことが 80年代以降の作風の変化を音色の面からも特徴づけている。 練習番号 3 の 2 小節目は,広い音域の和音が,入りのタイミングをずらした発音によって形成される部分だが,楽器の 組み合わせやディナーミクの変化が精緻で興味深い。これによって複雑な音色変化が実現している。一例を上げると,和 音中の 2 点変ロ音は,2 nd フルート,1 st クラリネット,ハーマンミュート付きの 3 rd トランペットのユニゾンによってい るが,3 rd トランペットは頭のアタックで急激なクレッシェンドを伴って参加した後,2 nd フルート,1 st クラリネットより も早く終了してしまう。残った 2 nd フルート,1 st クラリネットは同じ長さで伸びるが,2 nd フルートがディミヌエンドで 消えて行く強弱指示に対し,1 st クラリネットはクレッシェンドと逆の指示がされているのである。これによって,単なる ユニゾン音色となるのでは無く,アタックの瞬間から刻々と音色のブレンドが変化して行く結果となる訳である。 5.4 練習番号 7 までの分析 練習番号 4 からは金管の和音による音型であるが,それぞれの楽器は 1 つの音高を持続している。しかし,アタック時 のディナーミクやその後の変化は非常に複雑に指示されており,単なる和音の持続では起き得ない実に豊か音色変化を 見せている。このアイデアは「ノヴェンバー・ステップス」や「アステリズム」にも見られ,この時期の武満のオーケス トレーションを特色付ける技法の一つと言うことができる。この部分では,途中から弦楽器が金管楽器と同じ音高で,ス トップによる力強い和音で参加する。 練習番号 4 の 3 小節目から 5 の 2 小節目にかけては,最初の 2 小節が金管群と木管群を中心とした対話の音型,練習 番号 5 からは弦のみの旋律となっており,完全に楽器を群で対比させることで,音型の違いを浮き彫りにさせることを 狙っているようである。 練習番号 5 からは弦楽器のみとはいえ,主旋律のヴァイオリンとからむヴィオラ,チエロのリズムとディナーミクの細 かいニュアンス,複雑なハーモニーによって,他の作曲家には見られない豊かな表現が実現されている。このような表現 豊かな弦の書法は, 「弦楽のためのレクイエム」などの初期の作品から見られ,創作時期によってほとんど変わることの ない,いわゆる「タケミツトーン」のベースとなる質感を形成するものと考えられる。この弦の 2 つのグループによる対 位は練習番号 6 の 2 小節目まで続く。練習番号 5 の 3 小節目からは,ピッコロが主旋律である第 1 ヴァイオリンのトップ とユニゾンで参加するほか,曲の冒頭で 2 本のフルートによって提示された「鳥のさえずり」音型は,ここではオーボエ, クラリネットも加え,より色彩的で複雑なテクスチュアとなって再現される。 練習番号 6 からはこの曲中で一番濃密な響きが現出するが,弦の主旋律の上に更に 2 つの異なる要素が加わるためで, それぞれの要素のリズムが異なることにより,リズムとハーモニーの対位は実に複雑になる。この対位要素は音色的にも 差を付けることでグループの違いを際立たせている。すなわち,一つの要素はフルート,クラリネット,チェレスタ,グ ロッケンシュピールによる高音の輝かしい音色で構成され,もう一つの要素は前半をオーボエ,ファゴット,後半はトラ ンペット,トロンボーンによって受け継がれるように配色されている。 練習番号 6 の 4 ,5 小節目は穏やかな表情の和音連結による部分で,ハープ,チェレスタが一貫して流れを作る中,前 半はクラリネット,グロッケンシュピールが旋律的断片を重ねる。弦も前半はヴァイオリンのみ,後半は他の弦も加わる が,ハーモニックス主体で,繊細な音色を聴かせる。2 nd フルートのみが,装飾音を含む即興的なニュアンスのトリラ音 形を奏するのが興味深い。 5.5 練習番号 9 までの分析 練習番号 7 からは木管の鋭い上昇音型に反応し,力強い低弦のハーモニーの上にヴィオラ以上の弦が上昇,下降の音 形を交差するという,垂直の位置エネルギー交替が大変ダイナミックで印象的な部分である。グロッケンシュピール,ア ンティークシンバルのグリッサンドが弦の落下,上昇のエネルギーを強調している。またコング,タムタムもスネアドラム のバチの強打で参加するなど,全体的に激しい表現のオーケストレーションとなっている。 練習番号 7 の 3 小節目からは,トランペットとトロンボーンにより,旋律 D が登場するが,ファゴットを除く木管楽器 はそれに反応して群で対位する。その木管の群が,トランペットとトロンボーンが切れた瞬間には,ピアニッシモであた かも金管の余韻のように和音を残すのが面白い。また,その和音はすぐに短くクレッシェンドし,ハープの急速なグリッ サンドを伴った頂点を迎えた後,クラリネット,オーボエ,フルートとスコアの下からの順番通りに音が 1 つずつ抜けて いくという興味深い処理がなされている。このアイデアは,すぐ次の小節で今度はオーボエを抜かした形で反復される。 練習番号 7 の 4 小節目からはヴァイオリン12人の分奏で,F の音を中心軸として上下に微分音的に広がってクラスターを - 63 - 東 京 学 芸 大 学 紀 要 芸術・スポーツ科学系 第 60 集(2008) 形成する。その中心軸である F は,ホルンのストップによるアクセントで導かれたチェロのハーモニックスを伴っている。 このヴァイオリンの音隗は,次の小節の終わりで,グリッサンドにより今度は G のユニゾンに収束して行く。音色的には 最初スル・タストで,その後スル・ポンティチェロのトレモロ,終わりに向かって通常の奏法ヘ移行するなど,音色変化 の指示も精緻である。この部分に於ける,金管,木管,弦の群での空間的な音色の移り変わりは実に巧みで効果的である といえる。 練習番号 8 の 2 小節からは,2 nd ヴァイオリン12人の分奏により微分音の音形でクラスターを形成するうえに,一人一 人アクセントをきっかけとして順次トレモロ化していくという興味深い背景を作っている。このような細かく分けた弦の 用法,クラスター技法は,60年代の音群作法に多く見られるものである。この背景上で,ホルンとトランペットによる全 音音階によって形成された和音のクレッシェンドに導かれ,2 台のマリンバ,ピアノ,ハープが鋭く即興的なリズムで音 型を奏する。後半では旋律 D の変形が金管で再現され,それは頂点で弦のコルレーニョによる和音と旋律 D に基づく木 管の音群,クラリネット,ファゴット,ホルンのユニゾンによる D 音に受け継がれる。クラリネット,ファゴットの D 音 は,後半ではフラッターとなっている。 5.6 終結部までの分析 練習番号 9 で,練習番号 5 からの旋律 B を,ヴァイオリンが 1 オクターブ上げて変形再現する。練習番号 5 では弦のみ であったが,ここではハープ,チエレスタ,グロッケンシュピールをユニゾンで従えることで,音色に輝きを加えている。 3 小節目からは練習番号 5 の音形 C の再現だが,楽器法には変化が見られ,前回より更に厚い音色となり後半での頂点を 形成する。練習番号 9 の 4 小節目の頭では全ての楽器が鳴るが,この曲中に於いて,トゥッティはこの瞬間のみである。 次の小節では 3 本のフルートが,最低音域の C, Des, D の 3 音のみで自由なリズムによる音形を奏する。練習番号10で は 1 st ヴァイオリン,2 nd ヴァイオリンが半音のクラスターを形成する。そこでのフルートは,吹きながらハミングをする 特殊奏法が指定されているほか,金管の和音はチューバとホルン以外はハンドミュートでのオープン,クローズで音色変 化を聴かせる。ヴァイオリンのクラスターは,アクセント,トレモロでのグリッサンドを伴い,クラスター内部での音響の 変化を見せる。更にチェロ,コントラバスは他の楽器とは異なるディナーミクで,7 声の厚い和音を奏する。その中でヴァ イオリンのトップの As は,最初イングリッシュホルンとそれを受け継いだヴィオラ全員によって補強され,全体の和音の 中から浮かび上がる。この部分は基本的には同一和音の保続であり,リズム的な動きや音高の変化も少ない,直前のクラ イマックスを静めるような部分であるが,その様な場所に於いてさえも大変繊細な音色配置が施され,和音内部の音響が 移って行く点にも実に巧みな工夫がなされていることは,とても驚くべきことである。 練習番号11からはヴィオラの H の保続が,最初はコントラバスのハーモニックス,次の小節からは 2 nd ヴァイオリンも 参加して強調されるなか,チューブラーベルとメタルミュートを付けた金管による旋律 B が,木管,チェレスタ,グロッ ケンシュピールによる要素と対位しながら現れる。 練習番号11の 4 小節目からはトランペット,トロンボーンによる旋律 A の再現となる。ホルンが和声に部分的に参加す るが,ホルンがどの音に参加するかといった点についても配置上の配慮が感じられる。冒頭でのフルートによる「鳥のさ えずり」音形は,ここではその雰囲気を残しつつも,全木管楽器を動員した,より自由で複雑なものに変化している。 金管のコラールは練習番号12の 2 小節目で頂点を迎えて静まっていくが,その余韻の中から,弦によって再度旋律 A が再現される。練習番号12の 5 小節目からはオーボエの表情豊かな下降旋律に,ホルンとハープの通常音とハーモニッ クス音をミックスした印象的な音色によるユニゾン旋律が対比する。このホルンとハープのミックスは実に美しく柔和に 響く。最後はアンティークシンバルの高音の一打と,コントラバスの低音という両極の音域の音が弱奏で鳴り,弦の和音 が長く引き延ばされて終わる。 このエンディングは,シンプルかつ効果的なオーケストレーションと,調性感の強い美しい和声も相まって,実に感動 的であると言える。このような調性感の強いエンディングは後期の作品に多く見られるので,その先駆とも言えるが,筆 者は80年代以降の同様なアイデアのエンディングと比較しても,際立って美しいエンディングであると感じる。また,他 の作曲家の作品と比較しても,これほど美しい終結は他には無いのではと思うほどである。 「子供のための音楽」という 作曲者の言葉とこのエンディングのイメージを重ね合わせて,ここに作曲者の子どもたちへの温かいまなざしのようなも のを感じるのは筆者だけであろうか。 - 64 - 山内 : 武満徹作曲「グリーン」の分析的研究 6.まとめ 以上,細部を細かく見てきたが,全体的に見ると,垂直の音色の重ね方に興味深い例を多く発見できることが確認でき た。また,特に関心を引くのは,いくつかの楽器が群として扱われた時,その群の内部のニュアンス,身振りが実に多彩 で精緻な工夫がされていることである。音響を群として扱う方法は,いわゆる音群作法と呼ばれ,多くの作曲家の作品に その例を見ることが出来るが,この曲に見られる群の内部構造は,他の作曲家のそれと比較しても実に複雑な様相を見せ ているといえる。また,複数の群が立体的に配置された時,その群同士の相互作用,変移のあり方に様々な工夫が見られ る。この作品を対位法的な作品であるというのは語弊があろうが,群の空間配置とその移動において,群の対位法ともい える様な工夫が随所に見られるのである。 以上のような点に,この曲の音響的個性の秘密が有ると考えられる。このことは,他の武満作品と比較しても,より巧 みに,より端的に現れていると感じられる。更に前述の通り,明確な音程構造を持ち把握しやすい旋律群,ある種の音階 によって説明が可能な和声構造などが,この曲の強力な個性を形成しているといえるのである。 7.おわりに 前述の通り,この曲はオーケストラ作品のみならず,全ての武満作品の中で,筆者が最も魅力的に感じている曲である。 筆者の同世代の作曲家の中にも,この曲のことを高く評価する人が多く,また明らかに影響を受けたと思われる作品とも 出会った経験が多くあり,かねてよりもっと広く演奏されて然るべき作品であるとの思いが強い。また,この曲は武満作 品の中で,筆者がスコアを手にすることが出来た初めての曲でもある。それは高校 2 年生くらいのことであったから,も う30年以上も前のことになる。それ以来,ことあるごとにこの曲のスコアを開き,オーケストレーションの技法を学んだ。 自身のオーケストラ曲の作曲に当たっても直接的に影響を受けた部分も多い。今回,この曲を研究するために,久しぶり にスコアを開いたのだが,いたる所に分析や注釈の書き込みがあり,時間の経過を証明するような日焼け,汚れとあい まって当時のことも懐かしく思い起こされる。それ程に親しんできたスコアであったが,論文作成のためにあらためて精 読し,またオーケストレーションのみならず和声を研究することで,今までに気づかなかった多くのことを発見すること ができ,その創造の奥の深さに驚嘆の声を上げることもしばしばであった。この曲は,今後も筆者にとって重要で愛すべ き作品であり続けることに違いない。 参考文献 武満徹 GREEN (NewYork: EDITION PETERS, 1969) ピーター・バート 「武満徹の音楽」 [Peter Burt. The Music of Toru Takemitsu] 小野光子訳 東京:音楽之友社 平成18年(2006) - 65 -
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