多文化を背景にもつ児童生徒への学校における心理的支援

学校教育学研究, 2
0日,第2
5巻
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2
5
5
多文化を背景にもつ児童生徒への学校における心理的支援
一日系ブラジル人青年の語りから田尻伸子
辻河昌登
(芦屋市立山手中学校)
(兵庫教育大学)
本研究は,ブラジルで'lまれた日系 3
世のライフストーリーを素材として,語り手の日本で'乏けた学校教育が人生にどの
ように影響し,どのような志味をもっているかについて明らかにすることを判的とした。方法としては,半椛造化面接で得
られた語りをナラテイヴ・アブローチの枠細みを用いて分析した。その結果,学校生活は語り手の人生において白己を確立
する過程の一部として意味つけされていること,そしてその中でも特に,ブラジルと日本という双んの文化を併せもつ白己
を確立していく場の会つであることが明らかになった。そのようにして語り手が学校で自己を確立していく過程においては,
思春期の心的 f
$らぎと同時に,家族におけるブラジル文化と学校で獲得する H本文化との狭間において「なに人」であるか
を探索するというて主の心的葛藤を経験していることがうかがわれた
O
段後に,本事例で得られたナラティヴの分析から,
苧校教育現場における多文化を背景にもつ見童生徒の文援については国籍による文援ではなく、
会人の生徒としてその生徒
に必要な支援が必要であることを主張した。
キーワード:多文化を背景にもつ児童生徒, ライフストーリー,
出尻{中子:芦屋市 :
r山手中学校
ナラテイヴ
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7兵庫県芦屋市二条町 3
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辻河昌登:兵庫教育大学大学院・人同発注教育専攻
准教授
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早川束市下久米 942-1
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6
学校教育学研究, 2013,第 2
5巻
1.問題と目的
様相を明らかにすることにより,現在のわが国における
外国人労働者の受け入れを日系人に限って許可すると
9
9
0年の出入国管理及び難民認定法の改正施行以降,
いう 1
学校教育の特徴や問題点をより明確にすることができる
とする,水戸 (
2
0
0
2
) の指摘と一致する O
日本国内にニューカマー(新来外国人)と呼ばれる外国
今まさに起こっていることを子どもたちが言語化し表
籍住民の流入が拡大した。さらに,外国人滞在者の多様
現することは難しし、人は後から振り返って,当時の自
化が進むとともに定住化傾向が強まっている(竹山・今
分の気持ちについて客観的に語ることが可能になり,そ
回
, 2
0
1
0
)
0 そのため,ある日突然,日本語ができない児
の時点ではあらわにできないことが,過去のことになれ
童生徒が教室へやってくるということが,今では珍しい
ば語りやすくなる(堀田, 2
0
0
0
)0 ゃまだ (
2
0
1
0
) は,過
ことではなくなった。特に丈部科学省 (
2
0
1
0
) が発表し
去は現在の時点から振り返ることによって再構成される
た,日本語指導が必要な外国人児童生徒のうち,ポルト
と考え,出来事の意味はあとになって振り返ったときに
I
かた
ガル語を母語とする児童生徒の数は 1
9
9
0年以降飛躍的に
初めてわかるとしている O また坂部(19
9
0
)は
,
増加している O このことはかつて日本からブラジルに
り」は個別を通じて普遍に至るためのひとつの手立てで
移住した人たちの子孫が日本へ働きにやってきて,長期
あると述べている。
にわたり日本に住み,この人たちの子どもが地域の学校
これらのことから,本研究では,ブラジルで生まれ日
本の学校教育を受けたことがある人に,日本で受けた学
に通っているためである O
多丈化を背景にもつ児童生徒の学校適応に関する研究
校教育について振り返ってもらい,そこでの体験が本人
については,学校にいる児童生徒が直面している問題を
の人生にどのように影響し
対象児童生徒,教師,支援者などにインタビューを行なっ
かについて,面接によって深く聞くことを通して理解す
どのような意味もっている
0
0
8
),児童の描画
た研究(清水・家上・角替・児島, 2
るO そして,その分析結果から,多丈化を背景にもつ子
作品の分析から子どもの心の問題を理解しようとしてき
どもたちに対する支援の方法を考察し,提案することを
た研究(竹山・今回, 2
0
1
0
) がある O 超 (
2
0
0
4
) による
目的とする O 一人ひとりを深く理解し,個別に対応した
と,これらを含む先行研究では,日本の学校側の制度的
支援方法を考えることは学校教育における基本であり,
な問題点や,生徒側の抱える問題を個人化されているも
多丈化を背景にもつ児童生徒のみならず,その他の多く
のが多く見受けられるという
の子どもたちにとっても有意義なことであると考える。
O
“丈化的アイデンテイテイの発達は,人間の発達の一
部であり,その人の一生で ある。その人の一生というサ
2
. 方法
イクルの中で異丈化接触能力というものを考える必要が
(1)研究協力者:日本で学校教育をうけたことがあり,日
ある O より良い異文化接触のためには,その人の丈化的
本語で自己感情を語ることができるブラジル生まれの成
L
アイデンティティの発達段階が重要となる(金沢,
人 A さんを対象とした。 A さんと面接者は,面接実施
1
9
9
2
)
" 0 このことから,学校という人生の一時期を過
までの面識はなかった。
ごす場所と時間における適応にのみ視点をおいて,児童
(
2
)調査期間:2
0
1
1年 6月であった。
生徒への支援を考えるのではなく,人の一生という長い
(
3
)手続き:面接の初めに本研究の目的・意義,個人情報
期間における発達を視野に入れた支援を考える必要があ
保護について説明を行ったうえで,同意書に署名しても
ると思われる O
らった。面接は l回約 6
0
分とし, 1週間に l回,一対ー
ところで,学校という場にあっては,子どもたちはあ
のライフストーリー・インタビューを 3週間連続,半構
らゆる活動の場面で一定のスピードと一定のレヴェルを
造化面接にて実施した。面接の実施日時,場所は, A さ
維持するようにもとめられ,それができない子どもは疎
んの希望を優先し,適切な面接関係を保つことができる
外される運命にある(赤坂, 1
9
91
)0 そのため,学校教育
喫茶屈を使用した。
の現場における“子ども一人ひとりが,自分とは異質な
(
4
)質問内容:質問項目は,児島 (
2
0
1
0
) が実施した在日
人間,つまりは,自分以外の他の人間すべてを尊重し,
ブラジル人青年の「自立 j をめぐる物語を手がかりに,
互いの価値を認められる(金沢, 1
9
9
2
)
" ような取り組
ニューカマー青年自身が「自立」や「自己実現」をどの
みが必要である。その実現において高橋 (
2
0
0
2
) は,学
ようなものとして生きているかについて分析した研究を
齢期における多様な世界との「出会い j や「関わり合い j
参考にして,以下の 5聞を設定した O
の必要性を述べている。そこにはまず,教師をはじめ外
①多丈化の背景について,②これまでの学校生活におけ
国人の子どもたちにかかわる人々の「外国人だからこそ
る体験について,③日本で学校教育をうけたことについ
必要な特別扱いもある」とし寸認識への転換が望まれる
て,④ブラジルと日本について,⑤日本の学校教育にお
(佐川, 2
0
0
2
) それは日本の学校教育において不利な立
ける支援について
場におかれがちである子どもたちについて,教育経験の
(
5
)面接者の属性:1
3歳から 1
8歳までの 5年間,ブラジル
0
多文化を背景にもつ児童生徒への学校における心開的支援
のアメリカンスクールで学校生活を経験し,日本国内に
て約 2
0
年の教職経験をもっ者であった。面接者が日本の
57
型的な成長過程が表れていたと考えられる。
このような A さんの語りは
A さんが面接者に伝え
中学高校生活を体験せずに学校生活を過ごしたことが,
たい言葉を,面接者との対話による相互交流を経ながら,
面接内で話題に上り,面接協力者と面接者との関係構築
模索する作業を繰り返したため,直線的あるいは時系列
に少なからず関係した。
的なものではなかった。さらに,提示したスクリプト内
(
6
)
分析方法:面接の逐語記録をもとに, Aさんの「語り」
の「語り」は丈法的に適切な表現で整理しておらず,秩
を細分化せず,語られた順を図式化した。続いて,面接
序化もしていない。
者と A さんの語りを相互的に分析し語りを再構成した O
A さんの語りから得られた年譜を表 lに示す。なお,
次にやまだ (
2
0
07)に倣い Aさんの「語り」を中心に
以下の記述において ,面接者(インタピュアー)のこと
生のことばやニュアンスを出来るだけ残し,冗長部分を
を「イ j と略記する O
整理した。 A さんは,日本語が第一言語ではなく,日本
表, :A さんの語りに基づいた年譜
語による日常会話に支障がなくても,面接を重ね,自己
の内面を深く語ろうとしたときに,適切な日本語が思い
Aの年齢
浮かばないこともあった O そのため面接者は, Aさんと
の共通の経験や想いを語りながら, A さんが伝えたいと
思う語りを A さんと共に生成した。この相互行為によっ
0歳
3歳ワ
5歳
て作り出された語りは紛れもなく当事者 A さんの語り
である O それゆえ,本研究では竹家 (
2
0
0
8
) に倣い, A
さんの語りと面接者の語りの両方を分析対象に含め,そ
こで生成された語り全体としての形に注意を払いながら
6歳
I
I歳
1
3歳
分析を行った。そのため,本研究は「語り j をデータと
して切片化することなく,その語りの具体性,個別性を
重視し,語り手である A さんの経験の重さや意味の深さ
l
こ迫った。
具体的には枝川・辻河 (
2
0
1
1
) の分析方法に倣い,以
1
5歳
1
6歳
現在
A 学校に入ってからは,ポルトガル語しゃべる先生
語りを
③ 再構成された語りから語り手の年譜を作成した O
語りから,語り手の人生の経験の意味づけを考察し
た
。
⑤
妹誕生
末妹誕生
地冗の中学校進学
地冗の両校進学
母と妹 2人がブフジルに帰国
大学生
日本語サボーターについて回目の語り
再構成した。
④
A来日(母と兄と共に)
小学 l年生の 2学期転入
(
1
) 学校での思い出について
下のように進めた O
① 逐語化した資料を精読した。
② 語り手と聴き手の語りを相互的に分析し,
出来事
父方祖父母,母方祖父がブ、フジルに移民
A誕生(第 2子) 兄と l歳違い
父来日(出稼ぎ)
ブフジルにて幼稚園に通園
その考察から,多文化を背景にもつ児童生徒への学
校における心理的支援のあり方を明らかにした。
が特別に来て O で,僕と兄ちゃんだけが,ちょっと
別の教室行って,日本語の勉強して。結構,半年以
上はついてたんかなあ。
イ:毎日ですか?
A そうーだったと思うんです。あんまり覚えてない
です O
イ:あーいいんです別に,そういうのは。
A そして,ある程度日本語出来てからは,来ないよ
うになって。
3
. 事例と考察
A さんはブラジル生まれの日系三世の男子大学生であっ
学校では, Aさん兄弟の日本語がある程度できるよう
た
。 6歳で来日した A さんは,ブラジルでの学校生活
になるまで,ほぼ毎日,日本語サボータによる日本語指
の経験は無かった。家族とはブラジルの公用語であるポ
2
0
1
0
) は,ど
導が別室にて行われていた。文部科学省 (
ルトガル語で会話し,日本の小学校転入当初は日本語を
の程度日本語がわかるようになれば日本語指導の必要が
ほとんど理解できなかった。一方で,日本での滞在が長
ないと判断するのかについて,明確な基準を示していな
くなるにつれ, A さんは日常生活を送る上で日本語能力
い。そのため, A さん兄弟についても,おそらく学校生
に,ほとんど支障を感じなくなった O その後 A さんは,
活における日常会話に問題がないとみなした担任や学校
親と学校の橋渡し的役割も担うことになった。そのよう
側の判断により,日本語支援が打ち切られたと考えられ
な状況で A さんは,学校での日本文化と A さんの家庭
るO
における母文化とのはざまで揺れ動きながらも, A さん
自身のアイデンティティ確立に向け成長していった。 A
さんの語りには,多丈化を背景にもつ児童生徒たちの典
58
学校教育学研究, 2013,第 2
5巻
ブラジル料理紹介について回目の語り
ブラジルについて知ってもらうために,お母さん
呼んで,何かしてもらおうかつて。お母さんに頼め
るかあって言われたみたいで。(略)それも結構,
評判良かったみたいで,で,僕ん時もして。
イ:何年生の時?
A 6年ですよ。で, 6年の時にしてくれて,僕は,
学校でパステロとブリガデイロ(ブラジルの惣菜名)
を作って。(略)結構友達とかもおいしい,おいし
いって。
イ:おいしい,あれ,うん o
A やっぱり,それで感じたんは,興味持ってもらえ
たかなってことですね。日本人の生徒たちに,こう
ブラジル人について。ブラジルについて,もっと知
るきっかけを作ってくれたかなあって。
A
A さんの母親は,
1学年上の A さんの兄が 6年生の
時,小学校でブラジルの料理を子どもたちに紹介し,そ
れが好評であった。そこで A さんが 6年生の時,再び
母親が A さんの学年の児童に対して,ブラジル料理を
通してブラジルに興味をもってもらう時間を学校が設定
した。 A さんはその時のことを大変楽しそうに語った O
それは A さんにとって,周囲の仲間が A さん家族のブ
ラジル文化に興味を示すことが, A さん自身にも興味を
J
寺
ち
,
A さん自身を生日ろうとしてくれていることにつな
がったと感じられたためであると考えられる O 子どもは
常に,母親,家族,社会の人々との対人関係の中で生き
ている(鐘, 2
0
0
2
)。そのため,母親が A さんを取り巻
く周囲の子どもたちと A さんを関係づけるきっかけを
イ乍ったことは, Aさんにとって「良かった」こととなり,
1
9
9
0
) ため, A さんは周囲の子どもと違うお弁当を聞く
のにためらいがあったものと思われる O
鞄が隠されたことについて: 2回目の語り
で,一回,鞄隠されたことあるんですけど。
イ:それいつごろ?
A 小学校 1,2年生。
イ:入ったころ?
A はい。友達に隠されて,どこやって言って,しゃ
べれないんで。わからなく O で,先生のとこ行って,
鞄がないって。
イ:ないって。
A アピールしたのを,探してくれて,で,見つかっ
たんです。
イ:どこにあったんですか,その鞄?
A どっかで,隠されとって。それを思ったら,ちょっ
と,いじめに近いんかなっとか思うんですけど。で
も,僕はそれで嫌な思いはしなくて。そん時は。今
思うと,ちょっと,嫌ゃなあって思うんですけど,
そん時は,なんか,普通に,あついじめられた,とか
なくて。
イ:鞄がないって。
A ないと O それだけで。
イ:で,あって良かったと O
A あって良かったと O で次の日もその友達と話し
したりして,普通に。
イ:それはでも,日本語は,話せない?
A 話したりっていうか,遊んだりとか。一緒に。例
えば学校で,虫探しとかしたりとか,駆けっこした
りとか。
イ:そういうのは楽しい思い出で残ってる?
A は
し
、
。
A
記憶に残る出来事となった。
A さんは,日本の小学校に入って間もなく級友に鞄を
お弁当について: 2回目の語り
隠された経験について,今思うと「嫌ゃなあ j と思うが,
A ちょっと恥ずかしかった部分はありますね。
イ:ほー,みんなの前で(お弁当箱を)聞けるのが?
A そうです。はい。なんか,なんか,なんか, t
f
兼だっ
たんです。
イ:みんなのお弁当は,どういう風に見えたんですか?
A さんに?小学校 l年生とか 2年生の A さんには?
A どーなんやろ?ちょっと,あんまり,そんな感じ
で見たことはないんですけど,嫌ってわけじゃなく
て,ただ単にちょっと恥ずかし
イ:ふーん,違うから?
A:そうそうそう O
当時は鞄が見つかったことが「よかった j と思ったこと
ブラジルでは弁当を持ち歩く習慣がほとんどない。そ
を語った。そして,級友とは日本語が話せないなりにも,
学校で楽しく過ごしたことが多く語られた。つまり,ゃ
まだ (
2
0
1
0
) が指摘するように,現在から過去への時間
を逆行しでもどるリフレクテイブな働き,振り返る視線
や語りによって,はじめて人生軌跡が明確になるのであ
るO したがって,日本の学校生活に溶け込もうと必死だっ
た A さんにとって,鞄がなくなったことよりも,なくなっ
た鞄が出てきたこと,その後,友達と仲良く遊べたこと
のほうが,意味が大きかったのである。一方,時聞が経
過した「現在 j では,当時のことを振り返ると,鞄がな
れでも A さんの母親は,朝早く起きてブラジルの惣菜
くなったことは級友による「いじめ j に近い嫌がらせた、っ
をつめた弁当を作ってくれた。しかし,小学生の A さ
たのかもしれないと A さんは気づいたものと推察でき
んには日本の「赤いウインナー」が入った弁当と, A さ
るO
んの母が作ってくれた弁当はどこか違い,みんなの前で
弁当箱を聞くのが恥ずかしかったことを語った。このこ
とは,
日本では集団への同調性が重んじられる(鐘,
5
9
多文化を背景にもつ児童生徒への学校における心開的支援
橋渡し的役割を担うことについて: 2回目の語り
イ学校から連絡の)プリントが来てもわかんない
じゃないですか,お母さん?
A あーはい。だから,プリントは僕が読んだり,読
まなかったり,普通にもらって。
イ:伝えるだけ?
A はい。必要なやつだけ,あっ,これ,要らんかな
と思ったらぽいし(捨て)たり,あえて,お母さん
に見せないとかね。どうせ自分で読んで関係ないなっ
と思ったら O で,関係があるやつは,こうやって書
いてるけど,どうするって感じで。
イ:うん。話し合いの場が持てたんだ。
A はい。で,学校に行くようになって。
外国人の子どもたちは,学校内でなんらかの問題が引
き起こされた場合,親が簡単な日本語しかできないため
に,子どもの問題を学校との話し合いで解決することが
ほとんど不可能である(安部・石塚, 2
01
1
) しかし, A
0
さんの母親は通訳を伴って中学校の先生に息子のことで
相談に行った。このとき,息子に通訳の役割を負わせず
に,別の大人である第三者が学校と母親の橋渡しをした
ことで,話し合いがスムーズに行われたと思われる O 子
志水・酒井・小津・堂寺・清水・池田・管(19
9
8
)は
,
どもをとりまく大人同士が互いに連帯し合い,調和のと
ニューカマーの親は学校に関する多くの事柄の判断を子
れた一枚岩となって,子どもを見守り,受け止めること
どもたち自身にまかせることになると指摘している。 A
ができている場合は,思春期の子どもが不必要に荒れる
さんも日本語が読めない母親に代わり,学校から i
度され
0
0
8
)
0 つまり, A さんの母親を
ことは少ない(渡辺, 2
るプリントを A さんが読んで、 A さん自身が自分に関係
はじめ,担任,部活動の顧問,母親の通訳をしてくれた
があるかないかを判断し関係があるものについては親
人はそれぞれ A さんを思い, A さんのために集まり, A
に知らせるという判断をしていた。掛札 (
2
0
0
4
) は,家
さんの言い分を聞く場を設定し,しっかりと A さんの思
族と学校とのコミュニケーションは,子どもが通訳をす
いを受け止めたため, A さんの「仮病 j のための欠席は
ることで親の役割を代行していることでなんとか成立す
長引かずに解決へと至ったと考えられる。
ると述べている O このことが A さんにも起こっていた
と考えられる O
(
2
) 固について
生活言語について回目の語り
問題解決について: 3回目の語り
A 一回だって僕あれでしたもん,学校行つてなかっ
たですもん。部活が嫌ゃったんで。
イ:何してたの?
A 家でずっと,ごろごろです。仮病使って。 はい。
へへへ(笑)。
イ:部活の先生に会うのが嫌だった?
A そうそうそうそう。だから,お母さんと学校へお
話しに行って。
イ:お母さんと, A さんが一緒に行ったの?
A はい。で,違うあの,もう一人サポートの先生が
来て。サポートの先生っていうか,お父さんの知り
合いの上司が来て。
イ:通訳してくれるってこと?
A そうです。ずっとお世話になってる人で,その人
が来てくれて。
イ:で,どうして行こうと思えたの?
A いや,もう,気がかりだったんが,部活が面倒く
さい,行くの嫌やって言ってたんで。あの先生嫌ゃ
からって。それで,もう,じゃあ,辞めて,辞めてい
いよみたいな。
イ:誰とお話ししたんですか?それは?
A その先生もやし。
イ:あっ,その先生もそこに来てくれたんだ。
A 担任の先生も。
イ:担任の先生も来てくれたんだ。
A 何が嫌ゃったってみたいなこと訊かれて。やっぱ
りこういうことして,とか。
Aさんの中では, (ポルトガル語と日本語の)どっ
イ:
ちの方が,考えやすいですか?
A 日本語ですね(即答)。
イ:いつ頃からそうなりました?
A そうなんですよ O
イ:だって,最初にはポルトガル語だけだったんです
よね?
A
中学校入るまでは,たぶん,ポルトカル語の方が
強かったですね。
イ:学校でそういう経験がありますか,何か?
A えーっとねえ,いや,たまに,ポルトガル語で考
え事してるなっていう実感あったんで。
イ:それ小学校の頃ってこと?
A 小学校時は。でも中学校になってから,日本語使
うのが増えたんかなあ。
イ:あんまりしゃぺらなかったんだ,小学校ん時は?
A いや,そういうわけでは無いんですけど。経験で
すよ,多分長いことおるからこそ,こういう考えに
なってしまったのかなとは思うんですけど。例えば,
ゲームとかも増えるじゃないですか,そういうのを
ポルトガル語に変換していくと,やっぱり時聞かかっ
て。それは例えば日本語でとか,やってたんで。そ
うですね,僕もあんまり,どっちがどっちか分から
ないっす。
イ:うん。
A 今は,完壁に,完壁にって言ったらおかしいんで
すけど,不思議なもんで,ポルトガル語でしゃべっ
てる時はポルトガル語で考えてて,で日本語でしゃ
6
0
学校教育学研究, 2013,第 2
5巻
性をもった現実のものとなる"とする,鐘 (
2
0
0
2
) の見
べってる時は日本語なんですよ O 日本語で考えてて。
で,日本語しゃべってるときにポルトガル語で考え
てることは, (今は)もう,ほとんど少ないです。
解と一致する。つまり, A さんの現在は,ブラジルで生
A さんはほとんど日本語だけを使って日常生活を送っ
ブラジルについて回目の語り
まれ日本で住んでいる者として築かれていると思われる O
ているが,母親とはポルトガル語で話していた。さらに,
Aさんにとって,ブラジルってイ可?
イ:
日本語で話しているときの A さんの頭の中は,日本語で
A ブラジルって i
可かつて?僕にとってブラジルは,
考えていると言った。来日当初はポルトガル語で考え,
誇りですね。いつも言ってるんですけど。
イ:誇り?へえ。
A 何んて言うんですかねえ,これ小学校からずっと
思ってることで,俺はブラジル人であることをずっ
と誇りにもつぞっていう意識があって。愛国心って
いうんですかねえ。それはありましたね。
イ:うん O
A ブラジル人っていうのは,やっぱり誇りにもたな,
あかんなって思って,だから,隠そうとか,一切思っ
たことなくて,やっぱり知られたいっていうか,知っ
ても全然それが普通ゃんていう感じで,思ってて O
だから,ブラジル人で,恥ずかしいとか,思ったこ
とはなくて O 最初はやっぱり,ポルトガル語しゃべ
るのは,人前でしゃべるのは ,恥ずかしかったです
けど。
日本語に置き換えて生活していたが,研究協力者として
語った「現在」では,言葉の変換はしていなかった。箕
浦(19
91)は,一つの丈化固から他の丈化圏への移行が
8歳以前になされた場合は,行った国にすぐ順応し,言
葉を覚えるのも速いと述べている o 6歳で来日した A
さんは比較的早く日本の生活に順応し,日本語習得をし
たと考えられる O それでも A さん自身は,
I
中学校入る
までは,ポルトガル語の方が強かった j と述べた。この
ことは,前述のとおり,小学校における日本語支援はあ
る程度の期間に留まっていたと思われるため,十分であっ
たかは疑問が残る O
ブラジルの学校を知りたいという気持ちについて:
ブラジル人であることについて, Aさんは小学校のこ
1回目の語り
僕知らないんですよ。ブラジルの学校,あんまり
行ったことないんで。
イ:そうかあ。
A だから,僕にとっては,日本の学校が学校なんで
す
。
イ:学校かあ。
A はい。だから,ブラジルにちょっと留学して,見
に行きたいんですよ。
イ:えーなるほどー。
A はし、。どんなんがブラジルなんだろうっていう,
興味はあるんで O
(略)
A 派遣留学つてのがあって O 試験があったんですよ,
最近。で,もうすぐ,結果がわかって O
イ:どきどき。それはブラジルに行けるかもしれないっ
てこと?
A : (ブラジル国内の)大学で,留学っていう形で。
勉強できるので,学校知ることもできますし。
A
A さんはブラジル在住時,幼稚園には通ったが小学校
には通ったことがなかった。このことから, Aさんにとっ
ての「学校」は日本の学校であったということができる O
そのため, A さんはブラジルの学校生活に興味があり,
留学して見に行きたいと語った。このことは, A さんが
ろから誇りに思っていた。それはブラジルに対する愛国
心だと A さんは述べた。しかし,ブラジル人だと周囲に
知られると,ポルトガル語を話してくれと言われ, A さ
んひとりで,人前でポルトガル語を話すことは恥ずかし
かったとも語った。
日本について回目の語り
イ:じゃあ,日本って何んですか?
A あっ日本ですか?日本?何んでしょう?それを聞
かれたこと無いですねえ O うーん,そうですねえ,
日本は第 2の国ですね。
イ:第 2の国?
A 母国っていうか。
イ:母国?
A うん。同じく誇りにしたい国ですね。日本で育っ
たことに誇りをもって生きたいっていう国ですね。
だから,結構言われるんですよね。僕,顔も,こう
日本人顔で,で,ちゃんと,日本語もペラベラで。
例えば,日本人のようなブラジル人ゃなあって。結
構言われるんで。別に,それは嫌じゃなくて。何て
言うんですかねえ。やっぱり一番知ってる固なんで,
日本って。何て言えば,難しい,難しいですねー
その質問は。僕は大好きです,日本が。
ブラジルにルーツを持つ自分の過去に確信を得たいと考
え,ブラジルへの留学を決意したと思われる O これは,
幼いときから日本で育った子どもたちは,
育った土
“現在が過去に根ざし過去の上に現在の自分が築きあげ
地への愛着が芽生えてくる(岩木・井上, 2
0
1
0
)
0A さ
I
自分」を支える重要
んにとっても日本は幼児期から育った国であり, Aさん
な心理的要件であり,このような確信の上に将来が具体
が日本に対して愛着をもっていることが語りに表れてい
られているという意識と確信は,
6
1
多文化を背景にもつ児童生徒への学校における心開的支援
A さんが日本を第二の母国として
けて育ったため,ブラジルの学校生活を知らなかった。
「誇り」にしたいと語ったことから理解できる O さらに
そのため,ブラジルの学校生活を体験したいと語った。
た O それは例えば
A さんは,育った国である日本のことをブラジルよりも
知っている国だとし,
I
大好き」と表現した。
この気持ちは,面接者が日本の中学高校生活を知らずに
学生生活を過ごしたにもかかわらず,現在,生徒と共に
中学校の学校生活を体験できている喜びに通じると,面
「第三者」でみることについて: 2回目の語り
接者は A さんに説明した。その後, A さんは面接者のブ
A 国籍はやっぱりブラジルなんですけど,日本で育っ
ラジルでの学校生活について興味を持って質問してきた。
たから日本の部分も勿論あるし。でも,純粋な日本
でも無いと思うし,そこら辺は複雑なんですけど。
僕の人生は,日本とブラジルが 2つあって Iつなん
かなと思いましたね。
イ:それもうちょっと説明してください。
(略)
A そう,そうなんすよ。僕もちょっと分かっている
ょうで,分かつてないんかもしれないんですけど。
でも,やっぱり日本だけで生きとったら,多分ブラ
ジルって国をどう見てたか分からないんですけと:
やっぱり向こうで生まれて,親もブラジルの人,そ
れでも日本に来て,日本語しゃべってっていうのが,
やっぱり違うと思うんですよね。普通の日本だけで
育った人たちと。
イ:ほうほうほう。
A そういう部分で日本を第三者から見れると思うし。
イ:なるほど。
A かといって,ブラジルを味方をするんでなく,ブ
ラジルの方も第三者で見れると思うんで。
A さんはブラジルと日本の両方で育ったからこそ,そ
の二つの固についてどちらに味方をするのでもなく「第
桜井 (
2
0
0
5
)は
,
“ライフストーリーはインタビュー
の場で語り手と聴き手の両方の関心から構築された対話
的な構築物"だと述べている。 A さんと面接者は二人の
共通する経験から,双方の関心をもとに本面接の語りを
生成したため, Aさんのより深い語りが得られた。一方
で,面接者のかかわりが A さんの語りにより大きく影響
を与えたとも考えられる o A さんに,面接者以外の聴き
手が面接を実施したなら
あろう
また違った語りが得られたで
O
4
. まとめと提案
本稿では,個人の語りから日本の学校生活における影
響について,語り手のアイデンテイティ発達と絡めて考
察した。本事例 1つで多文化を背景にもつ児童生徒の日
本における学校生活の意味が一般化できるとは言い難い。
しかしながら,多文化を背景にもつ人たちの人生におけ
る自己の獲得過程に日本における学校生活が寄与するこ
と
カf明らかになった O
このことは「なに人jであるかというアイデンテイテイ
三者で見れる」と語った。ブラジルで生まれ日本で育っ
E
r
i
k
s
o
n,1
9
5
9
) における思春期の
の模索を,発達段階 (
た A さんだからこそ,日本だけで生きてきた人とは違う
揺らぎと共に経験し,成人になった現在も模索し続けて
視点でブラジルや日本を見ることができると述べた。こ
いる, Aさん自身の語りから伺える O
れは鑑 (
2
0
0
2
) が,自分と他人との関係の中で,自分は
他人と交わりながら,
“自分は自分であり,他人は他人
である"という意識のもとに
自分も他人も受け入れる
さらに A さんは,日本での滞在が長期化するにつれ,
しだいに「日本人j でもあり「ブラジル人 j でもある
ことを認識し,どちらか一方の国籍を選択するのではな
ことが可能になると述べていることとつながる O 具体的
く,どちらの固(籍)をも大切に思う気持ちへと変化し
には, Aさんは家族の文化であるブラジル文化の中で生
ていったと語った。このことから,学校教育において多
活すると同時に,自身をとりまく日本文化の中で育った
丈化を背景にもつ児童生徒の支援に関わる者は,
からこそ,両国について「第 3者j 的視点で物事を見る
人j であるからという一律の支援方法を模索するのでは
ことができた。このことは, A さんにとってどちらの国
なく,日の前に対峠する児童生徒に適した個別の対応を
の存在も「大切な存在」であり,どちらの丈化も受け入
試みることが求められるであろう。さらにこのことは,
I
なに
れることができていると表現したことから伺える O 大塚・
多丈化を背景にもつ児童生徒のみならず,その他多くの
宮坂・本田・加藤・中村 (
2
0
0
3
) は,在日ブラジル人の
子どもたちにとっても有意義なことであると考えられる O
メンタルヘルスにとって望ましい異文化受容のあり方は,
学校教育の現場にて,多文化を背景にもつ児童生徒の
ブラジル人としての丈化同一性を保持しながらも,日本
心理的支援を実践可能にするために,以下のことを提案
文化への親近感が高いというブラジル丈化と日本文化の
する O 長期休業中や免許更新制度などの研修等において,
統合とし寸態度であると述べている。つまり, Aさんは
すべての教師が広く地域社会に貢献する活動に参加し,
ブラジルも日本もどちらも「大切な存在」とみなし,
他校種や日本以外の国の学校との間で研修や人事交流を
2つの丈化を統合し受容していると思われる O
活発化させる。それは,教師自身の異文化体験が可能に
(
3
) 面接者との関係性について
なり,各教師の視野をさらに広げるための一助となる O
A さんはブラジルで生まれたが,日本の学校教育を受
そのために,教師自らが学校文化から離れ,異文化にお
62
学校教育学研究, 2013,第 2
5巻
ける生活経験を積むことは有意義であると考えられるた
の臨床的アプローチー
めである O
嵯峨野書院
本研究は学校教育における多文化を背景にもつ児童生
徒の心理的支援について考察したが,学校は地域,社会
坂 部 恵 ( 19
9
0
).かたり
弘文堂.
2
0
0
5
).ライフストーリー・
桜井厚・小林多寿子編著 (
インタビ、ユー
から切り離せるものではなし、。また,今,現在の学校に
おける困難に対する支援を考えるには,そこに至るまで
近藤邦夫・志水宏吉(編)
p
p
1
1
1
1
2
8
.
せりか書房.
志水宏吉・酒井朗・小津浩明・堂寺泉・清水睦美・池
の過程,つまり過去を吟味し,児童生徒が今後,すなわ
9
8
).見えない外国人
田 京 ・ 管 俊 介 ( 19
ち未来に向けてどう生きて行くかを想定することが必要
マーと学校文化
であると考えられる O
録
, 3
0
2
3
0
7
.
ニューカ
日本教育社会学会大会発表要旨集
清水睦・家上幸子・角替弘規・児島明 (
2
0
0
8
) ニュー
カマ一生徒の就学を支える諸要因
引用文献
安部
裕・石塚昌保 (
2
0
1
1
).日系外国人労働者への対
資源の合見直しに注目して一
8
(
2
5
), 1
9
0
1
9
6
.
応、の注意点精神科, 1
高橋勝 (
2
0
0
2
).丈化変容のなかの子ども
2
0
1
1
)
. LGBT当事者の理解にみる
枝川京子土河昌登(
2
9
心理臨床学研究
者・関係性
l
n
t
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m
a
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o
n
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lU
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.
エリクソン, E
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.
4,1
5
2
1
6
5
.
学大学院教育学研究科紀要, 5
竹山典子・今回雄三 (
2
0
1
0
)
. コミュニティ心理学的ア
誠信書房)•
用いた実践
2
0
0
0
).相談的面接 j
去の実習:回顧法によるい
堀田香織 (
じめ体験の半構造化面接
2
0
0
2
).アイデンティティとライフサイク
幹八郎 (
ル論
p
p
5
4
6
0
岩木エリーザ・井上孝代 (
2
0
1
0
) 在日ブラジル人コミユ
こころ
超
ナカニシヤ出版.
2
0
0
4
).青年期におけるニューカマーの子ど
衛国 (
もたちの学校適応に閲する研究動向
文化受容と援助
の視点から一東京大学大学院教育学研究科紀要 4
4
.
1
9(
1
)
, 2
9
3
5
.
綾 (
2
0
0
4
).日系ブラジル人生徒のメンタルヘル
スに関する研究
講談
杜現代新書.
鐘
北大路書房
ニティにおける子どもの発達課題と心理支援
教育実践学論集, 1
1,1
5
2
6
.
鐘 幹 八 郎 ( 19
9
0
) アイデンテイテイの心理学
心理学マニュアル面接法
事潤・大野木裕明(編)
保坂享・中 i
S-HTPを
ブローチによるニューカマー児童の支援
西平直・中島由恵(訳) (
2
0
1
1
)
. アイデンテイティと
と丈化,
東信堂
その解釈一「不妊j という十字架を背負ってー京都大
.H
. (
19
5
9
) I
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e Cyc
1e
.
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掛札
経験・他
2
0
0
8
).ある不妊女性のライフストーリーと
竹家一美 (
(
1
)
, 1
1
7
1
2
7
ライフサイクル
日本教育社会学会大会
6
0
),7
9
8
4
.
発表用紙集録, (
赤坂憲雄(19
91)排除の現象学筑摩書房.
ナラテイヴ生成が果たす役割
国際教室をめぐる
異文化要因の影響からみた学校生活
適応におけるリスクファクターについてー
こころと
渡辺久子 (
2
0
0
8
).子育て支援と世代間伝達
金剛出版.
2
0
0
7
).質的研究における対話的モデル
ゃまだようこ (
構成法
(
6
),1
7
4
1
9
7
.
質的心理学研究, 6
ゃまだようこ (
2
0
1
0
)
. 時間の流れは不可逆的か? 質
1
)
, 6
7
71
.
文化, 3(
9
2
).異文化とつき合うための心理学
金沢吉展(19
誠
(
9
),4
3
6
5
.
的心理学研究, 9
信書房.
児島
2
0
1
0
)
. ニューカマー青年の移行に関する研
明 (
究
在日ブラジル人青年の「自立」をめぐる物語を手
がかりに一
地域学論集,
6(
3
),2
8
3
2
9
7
.
箕浦康子(19
9
1
)
.子 供 の 異 文 化 体 験 思 索 社 .
2
0
0
2
) 子どもの「不適応」問題から
水戸親子 (
学校
臨床学への招待教育現場への臨床的アブローチ
近藤邦夫・志水宏吉(編)
嵯峨野書院
p
p
1
3
0
.
丈部科学省 (
2
0
1
0
)
. 日本語指導が必要な外国人児童生
徒の受入れ状況文部科学省
2
0
1
1年 4月1
8日
くh
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www.mex
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大塚公一郎・宮坂リンコン・本田
暁・加藤
敏・中村
好一 (
2
0
0
3
).精神経誌, 1
0
5(
1
)
, 2
8
3
5
.
佐川
歩 (
2
0
0
2
)
. 学校を生きるニューカマ一一「特別
扱い」のなかで
学校臨床学への招待教育現場へ
0
1
2
.
11
.1
9受理)
(2012.7.30受稿, 2