五二 十 アーサー・ヤング﹁フランス旅行記﹂の一箭究 新 アーサー・ヤング﹃フランス族行記﹂の一研究︵その三・完︶ 達 β 良 今、その内容を大略すれば、の有効期聞は一ニケ年忌、ωブランスの葡萄酒はポルトガル産と同条件で、国フランスの自麻布・リン ︵仏︶的理想に基き、相互の平和の保証と自由貿易︵通商と航海の互悪的自由︶の目的で締結されたものである。 ランス政府iヴエルジェンヌ ︵<霞σq①彗$︶は国内の財政鐘機を考慮して戦争回避を計り、その結果、自由主義︵英︶1重農・王義 元束、本条約はアメリカ合衆国の独立ーーヴエルサイユの平和︵一七八三年︶を経て、ピット︵四算︶が政冶同盟の強化を望み、フ 義を彼をして語らしめよう。 貿易面に如何に現われるであろうか。斯くして、一七八六年に締結された﹁英仏通商条約﹂に関するフランス国内での論 然らば、フランス製造業の脆弱性は石炭と鉄−1−機械と発明 商船群と航海条令に依拠するイングランド製造業との 業の発展に比して劣り、国民的に繁栄している農業の広汎な優越性と結び付いている﹂ ︵五二一頁︶と。 ﹁フランスでは貿易が著しく発展して来たが、之に反して、イングランドでは農業が大量の増産を経験して来た、しかし、貿易は農 環関係に於いてフランスの貿易を考察して来たが、今や、彼はその国別貿易、就中、英仏両国の貿易を比較していう。 る農業の犠牲が製造業一外国貿易の上に如何に反映して現われるかに関して、彼に従って農業と製造業との再生産的循 本稿その目に於いて、都市製造業−重商主義政策による農業の窮乏状態を老察し、更らに、かかる重商主義政策によ 安 ネンはフランダース・オランダ製と同条件で各々イングランドえ縄入が許され、画綿製品・羊毛製品・陶磁器・ガラスに関しては、従 とされた。相互の関税引下。 価=一%の関税、国鉄・鍋・銅の各製品に関しては一〇%の関税、因特記されていない商品に関しては最惑国条約で逼商さるべきこと しかし、本条約の締結に関してイングランドでもパーク︵切昌国犀。︶フオクス ︵勾寅︶等の反対者があったが、ピットの決断の結果、 機械・石炭・鉄・良質の羊毛に依拠するイングランド製造業の生産力の優位一その低廉な諸製造品、特に、冷製晶・羊毛製品は関税51 ース・ノルマンデー・ピカルデー・シヤンプァーニュ箋.の旧い工業地方は著しい打撃を蒙らなければならなかった。︵M序五五一七頁︶ 下を通じてフランス国内に大量に輸入され、そのため、フランスの綿製品・陶器・鉄製品・皮革等の諸製造業一地方別にはフランダ 2亀崔窪象㊦︶は﹁英仏通商条約論﹂︵○謝自門ぎ臼蓋周δ葺、巴審9。O塞き箋Φ豪邸①︸自身.碧。Φ①け見臣護醇①旨.。︶というパンフレット 斯くして、フランス国内に於ける本条約に関する小々たる非難に応じて、ノルマンデーの商業会議所︵O冨葺竃Φ脅○。目B①唇8側Φ ドの製造業地方に派し、帰路、ノルマンデーの製造業地方を視察せしめたその結果の報告であるが、ヤングはそれを引用していう。 を発行した。即ち、それは英仏両国製造業の長・短に関する公平な比較を得んがために二人のルーアン︵弱。=①⇔︶の商人をイングラン ﹁.領行的消費品に関してイングランドがブランス、特に︵本玉︵ノルマンデー洲︶の倉庫を満たしていない商品は何一つない。大多 冒に遭っているのを、また、他方、重要織物業がフランス製品の販売にとって代らんとするイングランド製革によって同じ悩みに崩れ 数のかかる諸商品の内でイングランド品は勝.利を表示するような優越性をもつている。この競争によって、既婚職工の数を減少する憂 んとするのを見るのは必苦しい次第である。フランス製品と銘打って印を押され販売される消費に適合する加工品を受取ることは国民 な販売量を齎らしているが一の直接の結果を気遺っている。我がフランスの製陶業は著しい不利益を免がれ得ない、イングランドは石 的産業の無限の不利益である。会議所はイングランド綿製晶の輸入iその低廉とともに完全な仕上・紡績の長所のために、既に、大き 炭の低価絡によってフランスよりも、これらの商品について二五%方下値で売ることが出来る。相当の積荷が、既に、ルアンに到着し ている。三万六千ダースの靴下や綿製帽子は概算して千二百台の機械の生産物である。三ケ月聞で、ルアンだけでも、計算上百台以上 の織機が停止している。商事達はイングランド商晶を準備している。蓋し、三万ダース以上の靴下や帽子が、既に、輸入きれているか らである。マンチェスターはイングランドのルアンであり、綿織物の巨大な生産量・製造業者の勤勲や彼等の活動・機械の雪叩の才能 等は彼等をして、フランスよりも十%乃至一五%方下値で売ることを可能ならしめている。 五三 イングランド禦造業の凡ゆる事情は親製専業者と彼等の産業を支持し、有利にせんとする政府の態度を示している。一般に、彼等の アーサー・ヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究 アーサー・ヤング﹁アランス旅行記﹂の一研究 五四 刷し紡績する彼等の機械の重裏性を示している。このような結合的な手段の助けによって彼等はマンチェスターでインドのモスリンに 材料と彼等のリンネンはフランス製よりも一層均斉な紡績によって一層立派で一層美しい、それのみならず、それ等は完全な方法で硫 匹敵すると自慢している。しかし、これまで販売された最高価格は一ヤード八型を越えないが、その製品は非常に多量で一週聞で五十 点りーヴルとなっても恐れない。如何に、人がこれに疑異を喀れようと・も、イングランド人がこの商客のために為し得る大量販売に驚 くに違いない。我々はその会社の倉庫が数ケ月の間にインドモスリンで入千万りーヴルの価値にまで製品を保蔵すると確信する。 我々はイングランドがフランスの全羊毛製晶に優る長所を持っているということをいくら復活しても言い過ぎではない。このように フランズの羊毛が高価格で、イングランドの羊毛に比して品種上劣っているから、この不平だけからでも通商条約が議会を適過する期 聞中にその否決を勧誘すべきであった。⋮⋮ フランス国内よりフランスや外国に供給される一連の毛織物に関してはイングランドの同種の製造業の競争を受けて沈滞するに違い ない。最近の戦争中、スペインはフランスの製造業にかかる商品の生産に可成りの仕事を与えた。しかし、平和の第一報が来るや、彼 註文に反対提供をした。 . 、 等はその註文を決めないのみならず、フランスが供給するより二〇%方廉くイングランドが同様の織物を供給したために既に契約した イングランドが貿易上、フランスに対して利益を与えるような全品目に過度の関税を残置し、最も有利な、例えば、絹の如き商晶を 禁止せんと努力したことをこの条約の条項に園して我々は明白に看取し得よう。 即ち、それらについて互悪主義を是認することは全くイングランドの利益となり、しかも、多分、殆んどイングランドの船舶で行わ 一であることは明白である。 れるような輸入に有利となるであろう。有名な航海条令と結合する事情より条約締結以来、二国民の商議数の不均衡は少くとも二〇対 ランドに提供するに対してイングランドは八百万りーヴルを反対に提供するにすぎないというとこどがわかる。 本条約に関して我々が開陳する意見は一般的なものであり、簡単に一寸考えてもフランスが消費者より二千四百万りーヴルをイング 第一に、住民の消費と同時に国民産業の潔が一その織物を最高度の完全性にまで持ち来たらせたイングランドに対する貢物となり、 失業に沈滞し、パンを持にないフランスの製造業者や労働者が−一繁栄と光栄を増進する真の方法に立脚し、現状より一層啓蒙され、 を自国の市場より出来る限り締め出さんとするースペインに、容易に征服されるかも知れないような現状に於いてフランスの地位が 力強く八口を増加し、農業を抗大し、完成し、その需要を充足せしめる産業を獲得せんとする希墓を発展せしめ、外国の織物業の製品 果増加せぜるを得ない﹂︵五二三一六頁︶ 考えられなければならない。南部諸洲に於ける労働者は設立された製造業に続々、 移動してい、その移住はイングランドとの条約の結 ところで、彼は以上の条約撤廃論を反駁するため、フランスの大臣サンス ︵ω㊦諺︶ 大教司より委任せられた重農学派の 巨匠ド・ボン・ド・ヌムール︵uq剛。暮留裳睾3邑の条約擁護論を引用している。 ﹁葡萄酒の貿易に関して同商業合議所の報告は正確でなかった。ロンドンの税関の確実な計算表がフランスの外務省に送られている が、ロンドン一都市え輸入された葡萄酒の量は昨年一七八七年五月より十二月までの問に翌翌が一噸として六千噸に増加しているとの ンドン市えの輸出の増加は少くとも五百噸、即ち、二万鱒となり、一噸千二百りーヴルとして六千万リーヴルに達する。最近の戦争に べている。前年には同期聞に合法上の輸入は唯、四百噸にしか達しなかったが、密輸入は大体それに均しいと椎算された。従って、ロ 先立つ九年間の貿易の受取り額を計算すれば、フランス萄葡酒のイングランド・スコットランド・アイルランドえの平均輸出量は一五 〇〇噸となる。一七八四年にはその輸出量は二四〇〇噸を越えなかった。従って、pンドン市は一七八七年の最近八ケ月聞に三大王国 が、従来一ケ年間に輸入したより、四倍方輸入している。酢・ブランデー・油脂・婦人用装身具の販売もまた増加した。特に、白麻布 とリンネンは二倍に増加した。しかし、それが内閣をしてイングランドの関税や消費の規制が乱されて来た本条項にイングランド国民 マンデー・シヤンプアニユーの産業を有利にせんと全活動力を以て努力しない理由ではない。現在、我々よりイングランドが優ってい を縛着けんと強制したり、本条約以来、確かにイングランド産業の競争で非常に害を蒙って来た国民産業、特に、ピカルデイー.ノル ︵五二七一八頁︶ る五つの産業部門があるi或る点に於いては大なり小なりの確笑な長所があるがi綿業.毛織物。製陶.製銅.製革等である﹂ ド・ドイツ・りーグによって生じたものであり、阻止することは不可能で、そのような輸入を合法的なものに替えることが国家の利益 更らに、ド・ボンはイングランド製造晶の大輸入をのべ、しかも、それが直話にイングランドのみならず、フランダース・ポτラン としては重要なものであると論じて﹁スエーデンの製造業者がフランス製品を模倣して以来、数年間、フランスの製造業都市は布の価 格を二五%方引上げ、何の理由もなく、独占精神の影響の下に、かかる織物の企業を有利にせんと想像した。 五五 スに大量に販売され、それが国民的製造業者の偏見となっている。本通商条約はその害悪が感ぜられたときに結ぼれたもので、その全 しかし、それに何如なる理由が認められるにせよ、以前、フランスに決して入って来なかったドイツ製の布が価格の上昇以来フラン ア1サー・ヤング﹁フラン.ス旅行記﹂の一研究 アーサー・ヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究 効果は何の理由もなく本条約の作用とせられて来た﹂と。 ︵五二九頁︶ 五六 インの絹の増産上の成功的な活動・繭牧穫の不足によるものであり絹織物業の哀微が本鋸商条約と何等闘聯もないにかかわらず、それ なほ、ド・ボンは同様に、リヨンに於ける貧困・窮乏の状態を陳べ、絹織物業の状態を検討し、それはヨーpツパ北方の戦争・スペ が同時に起つたために、凡ゆる他めものと同様に、本条約の作用に帰られて.来たという。 ︵五二九頁︶ ﹁とに角、本条約は現在のところ、恐らく両帝国間の平和の唯一の保証である。⋮⋮もし、それがなければ、過去六ケ月問、戦争し しかもその期間を予期することが出来なかったという乙とは一層確かなことである。⋮⋮我々は外国貿易をするまえに生活しなければ ならない。⋮⋮常時の経験は諸国民が製造上、絶えず、相互に競争者となるということを示している。スペインは我国の縄職人を誘い の生産物の上に最も確実な方法で一大帝国と外国貿易の繁栄が築かれなければならない。﹁織物業に聾して諸君は過去の.例より排他的な 之を蕉い去ったが、我々より耕作者・自然の土壌や我々の排他的に所有している特有の産物を取り去ることは出来ない、従って、農耕 る最善の方法は模範と競争の相手を絶えず尋者の目に示させるような通信機圏を創立することである。一国の製造業者に供給上の排他 競争が諸君が不平をいうような劣位に我々を置き去りにして来たことを理解されるであろう。一国の産業を隣国と同等の水準まで高め 者や価格を固定することによって自分達を安全にせんと信んじて排他的な特権を所有し、最も早馬的に製造し、彼等の労働を最も完全 的特権を持たせることによって我々は製造業者の間で産業を完全にすべき活動原理の大部分を破壊するということは明白である。購入 たらしめる手投を追求することを怠っている﹂ ︵五二九一三=貝︶ 勿論、以上に於けるド・ボンの条約擁護論は︼面に於いて重農主義的色彩を帯びるとはいえ、他方では、両国聞の平和 の保讃として、或は、フランス製造業者をして生産方法を改善せしめ、自由競争能力を推進せんとする意図をもつもので ある。斯くして、以上のノルマンデーの商業会議所の意図とド・ポンとの見解の対立は一面に於いて﹁重商主義﹂対﹁重 農主義﹂の意見の対立として現われる。 斯くして、ヤングは以上の両見解に対して後論に傾きつつ。 ﹁イングランドに有利な製造業の貿易勘定の受取差額は千四百万冊子ザルを越えず、フランス人の想豫しているのに及ばないし、事 物の性質として減少するに違いない。穀物や肉類のような農業の直接の生産物での一千肥りーヴルの輸入と八百万りーヴルの受取差額 9 に関しては、もし、国民が自分自身を養い得ないような途方もない方法で農業を営なむとすれば、自分達のために、それを輸出してい る隣国に非常に世話になっていると思はなければならない。牛や穀物や馬とともに売行きの悪いものを含めた原生材料は殆んどイング ランドに全体として支払はれる全︵差︶額に達する。しかも、そのようなものを輸入するのがイングランドの利益でもあり、全貿易は 範囲と均衡をともに均しく互悪的に、勿論、両国の繁栄を均しく前進させると信じられるに違いない。 ︵なお、条約締結以前の密貿易 かに疑うところではないし ︵五三七頁︶ は条約以後、減少し、それはイングランドにとって不利ではあるが︶両国の友好と親密とを確立する政治手段として本条存の利益は確 註 当時の密貿易はイングランドよりクランスえは丸心、フランスよりイングランドえは自麻布・ブランデー・葡萄酒という形態で 行われた。 ︵M序四五頁︶ しかしながら、この条約締結の結果、フランスの国内関税・ギルド的規則は撒廃され、農産物の輸出は増加し、両国内 の密貿易は減少し、製造業の自由競争は増進せられたとはいえ、他面、既考の如く、一連の産業はイングランド製造業の 打撃を受けて沈滞し︵六コ入頁︶フランス全体で、直接・連接に、 二十万人に及ぶ労働者の膨大な解雇目失業は 政府 は財政危機にもかかわらず、その救済のために一七八八年⋮一八九年の初期にかけて多額の金額を支出したとはいえ一 叢に、フランス革命えの媒介的な一要因を形成するに至った。 ︵M序四七一八頁︶ び アーサー・ヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究 五七 スミスの一−重商主義が農業←製造業←外国貿易という自然的順序を転倒せしめ、外国貿易←製造業←農業といづ入為的 その極限としての革命に至る政治経済の推移過程を彼に従って追考した。従って、彼の﹁]般的観察﹂の内にはアダム・ 業の疲弊←製造業の低生産性←外国貿易財の打撃による製造業の危機−−それらの構造蹴上矛盾の循環的拡大、従って、 農業の疲弊、更らに、重商主義体制による農業を犠牲としての製造業・外国貿易の繁栄、それにもかかわらず、逆に、農 以上に於いて、フランスの︵政治︶経済機構に関して絶対王政と特権制度の下、なお封建制度の残存する農村、従って 結 アーサー・ヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究 五八 過程を警ましめた結果、経済的進歩は理想的な自然的過程に比して緩慢、且、不安定であると重商主義の人為的政策を自 然的過程︵轟音臣鷲轟贈塞島。楽匠9㊦︶に於いて批判せんとする ﹁経済発展の論理﹂に類するものが、否、それを越え た、それとは異った時代的断面1ーイングランド産業資本の形成期を出発点とする批判の基準il一大農経営を以て諸産業の 基礎と解し︵彼の﹁有畜11大農経営の論理﹂︶その繁栄の上に資本制大製造業・外国貿易の循環的発展が可能となるという彼 の﹁経済の循環的発展の論理﹂を把握することが出来よう。しかも、それは同時に、既考の如く、イングランドに於ける 垂込の進展︵一資本制大農経営の形成︶と併行する産業革命︵11農村人口の都市移行一都市資本制工場生産の発展一国内市場・ 外国貿易の拡大︶従って、イングランドに於ける資本制生産発展の史的反映でもある。 もとより、彼の農業重視の思想はその限りに於いて、重農主義的な一面をもつ、しかし、彼をして、藪に、重農主義者 と区別せしめるものは重農学派の基礎理論と地租単一税︵ぎ葛叶自巳ρd。︶の否定である。 彼は第二十章﹁租税﹂に於いて重農学派の地租単一税論を批判していう。 処、聞接的・迂回的な方法によるよりも直接的に、且、より安価に謀税されるという結論は正しい。しかし、その根本的観念は絶対に ﹁消費、或は、その他の項目に課せられる凡ゆる租税は実際に,掃地より生ずるものであるという誤まった論拠を認めれば、一見した 誤謬であって結論も勿論誤まりである。⋮⋮租税は生産物より生じ、生産物は土地より生ずるものではない﹂ ︵四九〇頁︶ 次いで、彼は課税の五条件という観点より土地税と消費税との機能を比較論考し、もし、革命政府によって採用された更.農主義的地 よりそのような莫大な地租を支払い得ないであろう。また、集税の点で強制が伴い易いと。 ︵五九一一二頁︶ 租.賦課基準に従って、地租が賦課されれば、農業は致命的な傷害を負い、国家は破壊されるであろうし、また、土地所有者はその地代 斯くして、彼は過剰人口と貧困の源泉としての小土地所有者に担税能力なしとして担税力以下への土地細分の禁止、或は、地租免除 ない。斯くして、彼等は租税より離脱する傾商があるが、消費税を以てすれば、之を防止し得るという。 ︵五九三頁︶ を主張する。また、地租の重い国では土地えの投資の利潤以下に所有地の利潤を引下げるが故に、資本家は土地所有者になろうとはし 更らに、地租が公平に課税され、或は改良に比例して、可変的に課税されるときには農業の改良を阻害する。しかし、消費税にはそ e のような欠点がないとして消費税を椎讃している。 ︵五九五頁︶ なお、彼は第二十一章﹁フランス革命﹂ ︵一七九二年︶に於いて、憲法会議で採用された重農主義的地租賦課基準に関して重農主義 生産︵℃目Oq自一叶 罫Oけ︶三罵りーヴルに一ポンド当り二画面片以上11純生産の五分の一を越えて課税することを得ずという地租賦課基準は 者の地租賦課は理論上その原則が不合理であると同様に、フランスではその可能性は砂い、即ち、フランスの過去十五ケ年間の平均純 農業改良に従って純生産が変化するが故に農業に対して不利、且、不安定であると批判し、フランス北部の貨幣地代での大農場以外に 純生産に価いするものなく、フランスに多く散在する数エーカーの小土地所有者は純生産のないことを理由に地租を納めないであろう といい、しかも、実際に実施の結果は同年の徴税目標︵四千送りーヴル︶に達せず、唯千四百万リーヴルを牧めたにすぎなかったと。 ︵六ご四頁︶ 即ち、以上の点では、彼は重農学派以上に農業の利益に対して敏感であったともいえよう。 更らに、彼は重農学派の牛耕作に対する馬耕作の優位という主張に対して次の如く反論する。 からである⋮⋮各国に牛の使用を導入することは非常に重要な農業上・政策上の目的ではあるが、馬は単に奢修と戦争に関するものと ﹁私は馬に関して熱心でもなく、また余り注意を払はない。即ち、牛の方が大低の農作業に優れていると早くから実際に知っている それは空想的な党派心に基く多くの大きな誤謬の一つであった﹂ ︵第二巻、第十二章﹁家畜﹂五三一五頁︶ 考えられるべきである⋮⋮璽農学派は牛の使用に対する大敵であった。そして、馬の使用を一般化せんとする激しい主張者であったが 今以下に、フランス革命の社会各層に対する影響について彼の関説するところを補足すれば︵一七九一年︶ e 貴族・領主・上級牧師等は一その内には亡命者︵①臨σQ誌の︶もあるが一その階級的特権、従って、その諸賦課・十分の一税等 の諸階級はその牧入を減少した。 を喪失し、特に、地主に対しては地代不払のための小作入組合が多数、広範囲に近って結成され、或は新政府の地租重課のため、以上 既存eの貴族︵の亡命︶上級牧師等の旧特権階級・公職者・地主等の牧入減少、或は、将.来の不安に対応するそれ以外の人々の消費節 岡 製造業は革命前、一七八七一八年にかけて﹁英仏通商条約﹂以来、ゴイングランド製造業の圧迫を受けて洗重し、革命期に入って 態に陥入らざるを得なかった。 五九 約によって国産製造品の一般消費量は四分の三に減少し、その結果、多数の労働者の失業を生じ、後論の物価騰費の下に彼等は困窮状 アーサー・ヤング﹁フランス旅行記﹂の一砺究 ● アーサー・ヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究 六〇 ㈲ 他方、国家財政は地租牧入の不足とともにアツシナ書紙幣︵塁。・侭轟富ω︶の増発によって国庫負担を増加するに至った。 註 アツシナー紙櫓は革命政府が亡命貴族・教会牧師より没収した土地三国百財産を担保として発行した紙幣で、国有財産の売却を 通じて回収が行はれたために政府信用は維持され、一般的な物価縢貴は小康を得た一一七九二年 ㈲ 之に反して、農業は封建的諸賦課と十分の一壷の廃止・小作の地代不納・不作と紙幣増発・一穀物の購貴・重農・二義的地租賦課 基準による農民の地租不納・国有財産の購入聾、を逓じて小農民の資本の蓄櫨と投下を可能にし、且、生活を安易たらしめた。 ︵六〇六 註 国有財産の売却の結果に関して、ヤングは小土地所有者はフランスの土地の二分の一、或は、三分の二を占むるに至ったという 1=頁︶ よって財産を附加したにすきなかった。 ︵M四〇三頁︶ ︵六〇九頁︶しかし、国有財産の主たる買手は有産者・富農で、土地不足農民はその小部分を入手し、共有地や荒蕪地の取得に しかし、彼は農業一般に対して、まだ、次の如き諸制的が存在するとして之を非難する。 即ち、彼はフランス革命の過程︵一七九二年f一群の友人の通信による︶に於いて不作とアツシナー紙幣の増発に基く穀物の騰貴← を侵すものとして非難する。 ︵六二五i七頁︶ 否、 一般的に、自由競争の原理に反しない限り、製造業・外 穀物移動禁止、或は、フランス製造業の洗滞←親製造業者の製造用原生材料︵縞花・生糸・羊毛・皮革等︶の輸出制限等を農業の利益 従って、斯様に考察すれば、彼の見解には、農業の利益、 国貿易に対する反感は存しないとも解し得よう。 斯くして、彼は最後に、イングランド・フランス・アメリカ力三国の農業資本に対する牧益を比較して のアツシナー紙幣の増発に よる物価騰貴−為替相場の下落 口不作によ惹人民の穀倉襲撃の危険 国共用地の囲込に対する国会の消極的態度 ⑫の農業改良とと もに変化する地租賦誤 ㈹穀物の輸出・再構の禁止・制限 因原生材料の輸出禁止鎖の存在するフランスに向って、イングランドより 若し、国会が以上の制約を解消させたならば、農業投資の利潤はアメリカ、否、世界の他のいかなる国よりも高く、莫大な資本がフ 農業用資本は移動しない。否、イングランドよりも北米合衆国こそ移動の最適地−農業えの資本投下に最も有利な処であろう。 ランスに洗入し、穀物不足・飢謹の声は聞かれず、国民の富は時代の急迫に応じたであろう。 ︵六二七一九頁︶ 篤 以上で、彼の﹁フランス旅行記﹂. その﹁一般的観察﹂の老察を終へ、今、若干の批判を加えれば、彼の著作は長年 に慮り、且、数多いとはいえ、本書の段階に関する限り、勿論、下歯の如ぎ相異があるにせよ、彼の理論は重農一−自由主 義的な色彩が強い。しかし、彼自身序文に於いて﹁観察者自身の内に秘む体系や空虚な理論の愛好心より離れた心で省察 することが必要である⋮⋮﹂︵序文二頁︶という如く、ヶネi・スミスの如き哲学的一−理論的思索はない。 ︵鱒 貯①①一P Oげoo①胃ぐ①哩︶であると。 アーネル︵9茜β臣。︶はヤングを評して﹁偏見の強い入﹂︵ρ琶讐9のぎ謬鷲①熱雲ゐ邑とい園、或はいう﹁鋭い観察者﹂ ②則巴鵯碧。ω鎧。江。冨蔓。隔勺g馨緯国8琶日ヤ<06目P①。。N ①ぎa申巨ρ国躍募げ悶霧目甘讐℃霧け麗自呼塁。暮重げ臣.6鵯剛.おN ところで、当面の問題に関する限り、彼の﹁観察の鋭さ﹂は政治算術の方式に則り、且、有畜農業を基礎として製造業・ 貿易との再生産循環を解明するところに現われる。 反之、彼の﹁見解の偏頗性﹂は彼の自由貿易論的見解とともに英国 的な大農経営のフランスえの要請の面に著しい。いうまでもなく、既考の如く、彼はフランス経済の実体構造、或はイン グランドに対するフランス経済の後進性は充分之を洞察していた。従って、当面の問題に関する限り、彼の見解の偏頗性 六一 iそれは彼がイングランドに対するフランス経済の後進性を無視して彼の自由貿易論的見解とともにイングランド的な 大農経営をフランスに要請せんとした点にあったと解することが出来よう。 ︵完︶ アτサー・ヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究
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