HIKONE RONSO_030_064

十
六四
新
アーサーヤング﹁フランス旅行記﹂の︸研究
達
アーサーヤング﹁フランズ族行記﹂の一研究︵その二︶
安
β
良
財産に極端に細分することにより生じ、農業上の効果と成功を欠いていることと結び付けて考察したい。︶同様に、この細目より、フ
ているのが通常見られるところであるから、それは非常に考慮すべき事態である。 ︵私はフランスに関するこの奇妙な事実を土地を小
従って、奇妙なことには﹁国民の四分の一しか町に居住していないようであるが、繁栄している国々では、国民の半分が町に居住し
A口 計 一工ハ、 三山ハ三、 ○・七四人
農 村 ご○、五一二、五三八入
一三二、ご山ハ六人
コルシカ 都 市 五、七〇九、二七〇人
︵皿二七七頁︶ ︵勿論、革命前に比して多少の相違はあろうが︶
いて﹁都市・農村の入口分布﹂に関して、一七九〇年に於けるフランスの入口を憲法会議の報告より引用しいていう。
既考の如く、彼は当時の農村内部に於ける相対的過剰入口の存在について関回したが、更らに、第一六章﹁入口﹂に於
製造業の状態を、夏らに、それと農業との有機的な関聯一農業に対する重商主義の影響を彼に従って追考しよう。
前稿︵その一︶に於いて、革命直前のフランス農村一.農業の状態を彼に従って考察したが、衣ぎに、他方、都市i
二
われる。﹂ ︵四一〇頁︶
ランス.の都市は農産物に与える旺盛な需要によって最もよく促進される農村の勤勉に左程、充分、活気と勢いを与えていないように思
ところで、彼は﹁政治経済学の凡ゆる題目の内で、人口に関する題目以上に大きな誤謬を生じて来たものわない。幾世紀の間、入口
は国民繁栄の唯一の確実な試金石と考えられて来た﹂と小農経営と結合する重商主義的人口観を批判し、更らに﹁当時の、或は、現在
意見をもつている。﹂ ︵四八一頁︶と、ルイ=ハ世の戦役による人口減少に対する補狽的な意味での人口増殖の主張︵皿三九三頁︶を
の大多数の政治家は国民を増加することが一国の繁栄する程度を確定するために必ず採られなければならない唯一の歩みであるという
るであらう⋮⋮﹂ ︵四八二頁︶という。しかも、彼はフランスの人口過多の原因を既考の如く﹁⋮⋮イングランドでは全く思いも寄ら
否志して、フランスの﹁人口は勤労と労働との割合を越えて過多で、もし、五・六百万だけ住民が少なければ一層力強く大いに繁栄す
ぬ程であるが一その国で行われている土地の小土地所有者えの配分﹂ ︵黒黒三頁﹀に求めている。
しかし、マクセル︵O。屋並鼻霊旨貴名①εは、革命前に於けるフランスの都市人口の割合は全人口の一一%にすぎなかったという。
︵M序三六頁︶だが、それにもかかわらず、そこには産業革命の進行期にあるイングランドと革命前夜に於けるフランスとの経済発展段
足すれば、その刺戟する恐怖によってそれ自身を必然的に増加する貧困等を思う人は、窮乏の徴のあることを異と.しないであらう。﹂
階上の開きがあらう。彼はフランスの相対的遍剰人口に関して﹁賃銀・生活資料の価格、下層階級が落入る貧困−万一、生活資料が不
︵四八二頁︶彼はこれに対して、イングランドに関して﹁もし、その地域の製造業や商業が人口過剰が起るのと同じ速さで農村人口の
なしる凡ての過剰を必要とする程、繁栄するならば、何等、貧困が起らないことは明白である。即ち、それは正しくよく統制された社
会に行き涯っている雇傭の均衡である。その様な国こそ町や製造業の需要や必要物を供給する人口を養殖する国である。人口は各国に
於いてこの目的にとって恐らく余りにも速く増加するであらう。イングランドはこの点に於いてその製造業の調和的な繁栄のためにヨ
Tpッパの他の如何なる国よりもよい状態にある。﹂ ︵四八三頁︶と。
従って、以上の点より解して彼の理想が農村に於ける相対的過剰人口の都市移行−都市入口の増加による農産物需要
増加という点にあったことは明らかである。しかし乍ら、農村に於ける相対的過剰人口が都市に吸牧されるためには都市
造製業が大規模に発展していなければならない。即ち、この点で、都市に於ける資本制製造業の大規模な発展がその必要
六五
条件であることはいうまでもない。斯くして、次いで、彼の理想に対するフランスの現実、当時の賃銀労働者の生活状態
アーサーヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究
ア1サ下ヤング﹁フランス旅行記しの一研究
を彼に従って考察しよう。
六六
彼はフランス・イングランドの一般賃銀労働者の生活水準一生活資料の価格と貨幣賃銀とを比較して実質賃銀の差等
を迫求して行く。 ︵ 第 一 四 章 食 糧 価 格 と 賃 銀 ︶
、 フランス イングランド
一日当り賃銀 一九ス! 二三スー二分の一
肉 類 七スー 入ス著二分の一
パ ン ニスー 三スー二分の一
いま、もし肉類とパンとを合計すれば、イングランドの賃銀がフランスの賃銀に比例するのは三三スー二分の一でなく一日当り二五
︵註 しかし、マクセルはヤングのフランスの肉類に関する評定は余りにも低くすぎるという!皿三九七頁︶
スー二分の︼でなければならない。もし、パンのみをとれば、殆んど同じ割含であるが、この一致は恐らく偶然である。
従って︵実質︶賃銀の割合が生活資料に依拠すると想定すれば、イングランドでは前者はパンのみならず、チ了ズや肉の総計に依拗
といわれるものより巨大な控除である。 ︵期くして、彼はこの点より製造品を安価にし、その結果、製造業を繁栄せしめんがために生
しているであらう。パンの消費と賃銀がイングランドよりもフランスで七十六%方廉いということは適切にフランスの国民的繁栄の量
活盗料や賃銀を引下げんとする重商主義政治家を非難する。︶従って、フランスの地方賃銀はイングランドに比して七十六%方廉く労
働に依拠し輪島の最大人員を占めるそれらの全階級はフヲソスの巨量の貴金属や富の壮大な外観にかかわらず、イングランドの全階級
より生活の安易さは七十六%方少い。斯くして彼等はイングランドに比してその生活状態は低いと。更らに彼はいう。
﹁もし、労働貧民がイングランドの貧民より七十六%方少く消費するとすれば、彼等は同じ割合で農民に対してより少く購入するこ
ととなる。そこで、農業は同じ割合で害を蒙り、それとの関係に於いて、イングランドの農業より少くとも七十六%悪いということがわ
かる。﹂ ︵農業生産の不利︶また、 ﹁両国労働者の消費に七十六%の相違があるならば、二国民間の体力にも七十六%の相違があるべ
きである。そして、もし椙達が認められないならば、イングランドの労働者はフランスの労働者の半分で働くことが出来る筈であり1
私はこのことが正しく事実であると信んじる。﹂ ︵労働生産性の相違︶とすれば﹁それらは凡て何に帰せられるであらうか。それは最
も明かに、凡ての下層の生産陛級を無力にし、その価値が唯、港費にある人々を有利にせんとする⋮⋮政府の致命的な作用に帰せられ
る。L ︵特権階級の死税と大衆の租税負担︶ ︵四四七i八頁︶
然らば、フランスに於ける低賃銀は具体的に農業と製造業に如何なる作用を与えているか。
先ず、フランスに於ける低賃銀の農業への影響を生活資料の質という観点より考察すれば、生活資料の内、肉類に関してフランス・
イングランドの大都市に於いて消費される牛肉は質の上では相違はないが、フランスの農村ではイングランドとは逆に老牛しか屠殺せ
ず、良質の牛肉・羊肉の消費も稀である。檀︵コウシ︶の肉は一層劣っている。しかし、イングランドに比して非常に劣っているのは
羊肉であり、それは非常に忽せている。即ち、それは人工施餌の欠如によるもので、養方、そのために農地の肥料も少いことはいうま
でもない。パンに関してはイングランドでは一ポンド一片四分目三で、フランスの価絡の二倍以上となる。しかし、その材料は同質で
グランドよりも肉に比して非常に廉く、パンの消費は.肉に比して相対酌に多い。馬方、イングランドでは肉の消費はフランスのパンの
はなく、イングランドのパンは小麦製であるが、フランスのパンはライ麦その他の穀物で作られる。従って、パンはフランスではイン
消費以上に農業に有利である。多数の牛や羊によって±地は改良され生産的となる。即ち、牛や羊を養う穀物は土地を改良する質のも
のであるが、パンを齎らす穀物は反対に地力を消耗せしめるものである。従って、農業は国民によって消費される肉やバター・チーズ
の量に比例して発展することは明らかである。 ︵四四一f三頁︶
即ち、この面より考察すれば、肉類の需要増加一家畜飼育・飼料作物の導入i・肥料の増加一土地改良一農業生
産力の増進という点でフランス農業は低賃銀⋮−肉類需要の過小によって一つの制約を受けることはいうまでもない。
亥いで、彼は賃銀の製造業えの影響に関して、両国の全製造業の平均貨幣賃銀を比較していう。 ︵第十九章﹁製造業﹂中
﹁賃銀﹂の項︶
一日当り賃銀 フランス イングランド
男 子 二六スー 二〇ペンス︵四〇スー︶
女 子 一五スー 九ペンス︵一八スー︶
紡 績 工 九スー 六ペンス︵一ニスー︶
六七
概観してフランスに比してより高い賃銀と結合するイングランド製造業の広汎な優越性は、非常に政策的に驚くべき重要な事柄であ
アーサーヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究
ア3サーヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究
六八
る。即ち、それは製造業は名目賃銀が廉いが故に有利なのではなく、その高い処で最も繁栄しているということを開白に示している。
恐らく名目的に労働の最も高い処で、それが実質的に最も廉いが故に製造業は繁栄する、即ち、仕事の質・作業の技術・熟練も大きな
原因であるが、それらは一般に労働者の安易な生活状態如何によるものである。即ち、労働者がよく栄養をとり、よい着物を藩、身体
ンドでは製造業の労働貧民の聞には大きな塁壁の風があるが、フランスでは見られない。 ︵五六五−六頁︶
が活気と活動の状態を持続するならば、貧乏で塵かしか栄養をとらない人とは比較にならない程よく仕事をするであらう⋮⋮イングラ
即ち、高︵貨幣︶賃銀の消費による労働者の肉体的活力の増進は作業の技術・熟練を一定としても、それだけ労働生産
力の増進となり資本家は高︵貨幣︶賃銀の支出にかかおらず可これを償い得ると解し得るが、弛面、彼の高︵貨幣︶賃銀
の論理は農産物需要増加という重農薬理念に基くものであることはいうまでもない。
然らば、如何なる理由によって実質賃銀はフランスに於いて斯く低いのであろうか。彼は第︸四章﹁食糧価格と賃銀﹂
に於いていう。
﹁フランス壬国を通じて男子の平均賃銀は一九スーであるが、約二十年乃至二十五年前の︼般賃銀は、一日当り平均一六スーであっ
た。’もし、それが正しいとすれば、賃銀は二〇%方上昇している⋮⋮︵二十年前のイングランドの平均賃銀は一週遺志六片、即ち、一
目当り一志照照であった。現在の賃銀は一週八卦五戸、即ち、一日当り一志四片四分の三である。︶﹂︵四四六頁︶ところで﹁フランス
経濱で二十年以前より生じた一般的物価騰貴程、入目を惹く解答は殆んどない。これは通貨の量が可成り増加した確かな兆候であり、
フランス王国の場合では、製造業の増大から必然的に生起したに違いない。かかる外見的な繁栄に付随する最も著しい事態こそ労働貧
民の一層貧困な状態である。賃銀が他の物価に比例して上昇しないということは寧ろ驚くべきことである。これは恐らく王国の過剃入
Pに帰属するに違いない。﹂ ︵四五四頁︶と。
謡 マクセルは穀物・食糧品の価格上昇率を三十七%と詳節している。 ︵M三九七頁註︶
即ち、彼は一般物価騰貴の原因を通貨の増加fしかもそれをフランス製造業の拡大一重商主義政策による貿易差額
の増加iーインフレーシヨンに求める如くである。ところで、彼は以上の一般物価の騰貴に比例しない貨幣賃銀の上昇、
従って、実質賃銀の低下一労働貧民の窮乏を︵均分相続制度に基く︶土地餅産の細分i相対的過剰人口の形成一彼等
の雇傭獲得競争に求めている。しかし、実質賃銀の低下傾向は唯、過剰入口の競争にのみ基くものとは限らない。他に、
当時のギルド的規制・賃銀固定化の勅令・労働者団結禁止等の重商主義的諸政策︵M三九七頁︶特に、既考の如き小農経営
と結合する重商主義の人口増加政策のあったことはいうまでもない。しかし、彼がフランス製造業の発展一輸出増加が
労働貧民の低賃銀を基盤として可能となった点を把握しているのは正しいといわなければならない。
彼は第二十章﹁租税﹂に於いて、フランスの金銀貨を革命前、二十重リーヴル︵年間平均貿易差額を四二りーヴル︶と評価し、イン
グランドでは通貨の殆んどが︵馬脳︶紙幣であるが、フランスの通貨は総てが金銀貨で紙幣は革命前は発行されなかった︵流通用具と
資を導かない誤まった行為に基くものであるが、同時に、フランス産業に必要以上の貴金属を与える傾向が強いという。 ︵五入二一四
しての金銀貨の不経済︶ルか港、フランスでは国民が金銀貨の相当量を死藏している、しかし馬それは政府信頼の欠如と国民産業に投
なほ、 ﹁貧民の救難﹂ ︵ω愚b。醇亀爵。℃。母︶に関して、彼は︵俗謡的慈善︶財政的支出による円鏡的救濱、或は、棄子牧容施設を
頁︶
以てするも貧民階級の人口と悪徳の増加を来たし、更らに財政的麦出の必要を倍加するのみと解し︵四五〇一三頁︶他の箇所では相対
的過剰人口の源泉としての小土地財産に対する分割の制限を主張している。 ︵第一四章﹁食糧価格と賃銀﹂中︶
的過剰人口の問題に関して、結婚の奨励や︵一般原則として︶外国人の移住に反対する︵四八四頁︶とともに、他方、論考の如く相対
斯くして、次ぎに、革命前夜以上の如き経済的状況の下にあるフランス各地帯の製造業を彼に従って考察しよう。
︵第九章製造業︶
今、彼が旅行中に見聞したフランス各地方の製造業を の製品種目 口生産組織 国生産遍程一機具・機械 画原料︵その質・国内
中心に検討すれば
・国外産の別︶ ㈹従事者︵或は、雇傭者数・賃銀︶ 因生産高・販路︵国内・外国向けの別︶ ㈹景気状態の観点、特に組織形態を
e 政府より保護・独占一特権を与えられている王立・特権的︵大︶製造業に類するものとして、製鉄・兵器.軍服.織物.陶器.
リモージュ ボントオードメール
皮革等の製造業が存在し、他に、外国人にしてフランスに定住する製造業者も見受けられる。今、それらを内面的に考察すればi特に
衰運にあるものとして一=琶。㈹塁の一製陶業は製晶の値段が高く︵五四〇頁︶また勺。暮Ib鼠①ヨ霞の一皮革業はブエノス・アイルラ
アーサτヤング﹁フランス旅行記﹂の一概究 六九
嘔
ρ
アーサーヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究
七〇
ンド産の獣皮を原料とし、且、イングランドの職人を使用している。 ︵五五〇!一頁︶ ﹄
アヘビーユ フアン ローへ一 ルビエール
特に、国内用・輸出機智修品としての毛織物が一般的に原料として使用する羊毛は大低がスペイン・イングランドの艮質の羊毛であっ
ナルボーンヌ シ鼎11・⋮ロー
てフランス産の羊毛は余り使用されていないが、その内で臣ぴ冨ゑ︸冨のく璽謁。舜♂氏の工場はピ。嚢ざ話に工場設立以来不振に陥つ
ている。︵五三八頁︶絹織物業では匿鷺びび。琶Φの 工場は経堂主が破産し︵五四五頁︶O冨言題。×の一工場は︵工場内の職工には人頭
ソ ル
税が免除されているにもかかわらず︶経営主の失敗以来不振状態にあり︵五四七頁︶弓・弓ωの一工場は現在下野制を採り、原料として
の絹を従来の職工に供給し出来高払いで自宅で賃織せしめている。 ︵五四七頁︶
勿論、絹織物業の以上の如き洗滞は洗行界に於ける嗜好の変遷一壷に対する捺染キャラコ・イングランド製毛織物の代位、スペイン
・ポルトガル・ナポリ等のフランス絹製晶に対する重税、一七八六i八年の繭生産の不足、英仏適商条約締結︵一七入六年︶以来の対
イングランド輸出の不振等の反映である。 ︵M三九六i七頁︶
口 農村家内工業は麻織・毛織・緕織等の形態で各地方に広汎に拡がっている。しかし、それらの内には問屋商入・親製造業者によ
カルカスオンヌ レェム
る原料供給一賃加工形態での問屋制・下請支配の下に立つものがある。 ︵毛織物では、O髪。霧ω呂Φ・謁・ぎ。。等︶之に対して、他方に、
ローモランタン シヤトールォ モントーバン コーサー1,
モントーバン コーサード
半農重工の独立生産者としての家内工業形態が存在する。 ︵毛織物では、劉。竃。轟暮菖9幹ω禦閤。×・冒。9塁審浮O”易銭の絹織物では、
ーフーべ一
冒霞富暮雲・麻織物ではO舞器銭。︶しかし、彼等は大豊、自家産の羊毛・麻・生糸等を原料として家族員11妻娘の援けで普適の布地に
・ コーサード
エする真に有益、且、重要な織物業﹂ ︵五四八i九頁︶ともいっている。その他、小土地所有の毒舌的な地帯としてOp器。。豊。附近で
織上げる。その内、特に彼はbご。鷲鉱磁の農村向けの粗織布地の織布を讃美して﹁フランスの羊毛、一般に、その地方の羊毛のみに加
は約ニキンタールの羊毛を購入して紡績代金を支払い、その糸で布地︵輸出用表着品︶を自家で織上げ市場で急心商工に販売するのが
シヤアトール!オル ブリーブ レエム アシアン
覗はれる。︵五四二頁︶
しかし、家内工業は農村のみならず、都市局面にも存在し、O影酔亀零碧界の累物類︵!独立生産者︶醇写p開㊦巨。・・bσq露の絹織物
ニ ム
︵しかし、前二者は親製造業者よりの下愚、最後者は独立生産者︶ 冥ぎ紹の麻織物等の諸道に於ける如く、独立生産者の外に︵商人
問屋︶親製造業者の下請としてその下に従属するものもある。
斯くして、今、フランス農業と製造業との地帯別構造を対比すれば、農業の発展したt資本制農業の支配的な東北部
地帯では、製造業も資本制的に発達し、特に、小土地所有の支配的な地帯では独立生産者による家内工業の発展が対応す
,
るのを把握し得る。
難癖の如き彼の理想−一農村に於ける相対的過剰人口が都市に移行し得るためには都市に於ける資本制製造業の拡大・
発展がその必要条件でもある。従って、次ぎに、この面からフランスに於ける現実↑一農業と製造業との関係1;・国内市
場の状態を考察しよう。 ︵第一九章﹁製造業﹂中の﹁賃銀﹂︶
彼はフランスの各地に行はれている自家用大麻・亜麻の耕作、従って、その自給自足の家内生産︵曾目。隆・88唇巨3が
国民的繁栄と一般的利益にどれだけ有利であるかに関して、一方に家内生産説、他方に、農工分離説を相互に検翻する。
前説は国民的繁栄が個々の家族の結合的繁栄以外の何物でもないが故に、もし、そのような生産物が個人にとって有利であるならば
即ち
そのことは国民に対して非常に有益であり、貧民が入手し得ないような賃幣を支出してその商品を購入するように強制せられるよりも
自給のために婦女子の鋤労を用いさせるのが有利であると。
反之、後説は国民的繁栄が個人に依存するとすれば、国民をして国民的に繁栄、かつ、富裕ならしめるものは何事によらず、最下級
階級にそのような冨と魚巣の大きな分前やそれらと親密な関係を齎らすものであり、従って、かかる種類の家内工業︵き臼副管き程﹃
緋簿日Φ︶が︵農工︶結合状態に於いて大多数の国民的利益に有害なものであるならば、或る程度個々に︵農工︶分離状態をとるに違い
ない。近代社会は土地の生産物と都市の製造品との相互交換によって繁栄する。それは農村と都市との自然的な結合関係である。そし
て農村と都市との有利な交渉は切断され如何なる流趨も起らない。この題目に関聯して土地の小,粟興所有者の配分は常に都市の生存、
て、かかる交換が大きな消費によって急速であれば、それだげ、その割合に応じて国民は一般的に繁栄する。従って、自給生産によつ
いはば、ジエムス・スチュワート︵噛塑5PΦ胆 m詳O国印重げ︶の﹁社会の自由な紐帯﹂ ︵嘗①守$蜜ヨの9・・。。冨ひ団︶を侵すことになると。
斯くして、.彼は以上の両説に対して推理よりも事態を参考とすることが一層価値があると解して、ブランスの貧民はかかる生産を非
常に多く営んでい、また、非常に貧困でもある。イングランドの貧民は殆んど之を行はず非常に安易な状態にある。しかし、ウェール
ズ.ス。ツトランド.アイル。ンドや嚢の点で最も遅れている或る地方に於いては然りで・の・。⋮⋮︵五杢→完頁︶
七一
斯くして、ここに、フランスに於ける貧しい自給的な家内工業の支配と、イングランドに於けるその、破壊i産業革命
アーサーヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究
アτサーヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究
七二
の進展一農工両側面に於ける資本制生産の形成1・国内市揚の存在とが対照的に把握されている。更らに彼はいう。
分散的家内工業︵ω09けけ①閤OΩ 幽O目Φω↑一〇 属P㊤昌コ頃塑Oけ5閤①㎝︶を決定的に有利と断ずるミラボー伯︵夢Φ○呂轟留筆爵9碧︶の如き異才の人
業者︵嗜謬生日巨嘗画引宕塞の︶が貧民を使用する占めに都市に創設した工場は何等役に立たない、即ち、大都市の親製造業は無くても
と政治経済の問題に於いてしばしば意見を異にしなければならないことを私は遺憾に思うが、もし、彼の意見が正しいならば、親製造
よいものであり、国気的繁栄を与えないことになるであらう。 ︵五六七一八頁︶
即ち、 ﹁自主的な分散的マニユフアクチユアー﹂と﹁特権的な集中的マニユフアクチユアi﹂に関するミラボーの見解
より更らに一歩を進めて都市に於ける親製造工場の必要な所説を説く。或はいう。
アベビール フアン ローベー
bぴ響く白Φのく一国。ぴ巴ωの王立製造業に関して、同一建物内に各種作業部門を集中することは分茉の利益を或る程度失い、監督や
指示の困難は滅少するがそれを必ずしも除去しない。従って、斯種製造業を見るとき﹁都市の各地区に拡がり、小さい心地よい家で全
市街を盛り上げ、貧しい村落を小さい町にし、よごれた小屋を心地よい住居に変じさせる一層、分散的な、より勤勉と雇傭の有用な光
影提には王立を物語るそのような規模の大きさに驚かない﹂しかし、現在そのような大製造工場が設立されれば﹁それが斗はなければ
く国内に一般化する。﹂ ︵五三八頁︶と。
ならない小企業の競争が多ければ多い程−田舎にまで拡大し、農業者を製造業者に転化せしめる極端を常に避けんとして一それだけよ
即ち、彼は、︸面、既望の如き両マニユプアクチユアーに関するミラボーの見解を擦る如くであるが、その特権的マ昌
ユフアクチユアーとは異った都市に於ける下請を伴はない︼貫作業を営む大製造工場がここに彼の理想として現われる。
しかも、それはイングランド産業革命の皮的反映でもある。彼はそれを以て、 ︵都市周辺農村に拡大せんとする︶独立の、或
は、従属的な家内工⋮業を回避せしめる手段と解している。
更らに、彼は﹁製造業の農業に対する影響﹂として次の如く語る。
﹁フランス最大の製造業は冒○遷窪窪の綿織物・羊毛製晶・厨。鷲軌ざO窮皐醤σq話の羊毛製品・辱①鍵αq募のリンネル・ξ自轟冨の
ノ
ル
マ
ン
デ
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ヒ
デ ー シ
ヤ
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ブ
ル
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ニ
ュ
リオネi
カ
ル
ー
ニ
絹織物・手芸品等の製造業である。さて製造業が農業の発展を真に促進するものであれば、それらの大製造業の附近は王国で最もよく
耕作されている地帯でなければならない。私はかかる製造業を訪問してその附近の耕作を考察したが、例外なくひどく、製造業を農業
局限されずに農村にまで拡大している事情によるものである。﹂ ︵五七〇1一頁︶と。
発展の促進手民と尊ぶよりは、むしろ、その附近では農業にとって有害なものと考える程である⋮⋮即ち、それは全く製造業が都市に
勿論、彼の見解は製造業一独立の、或は、従属的な家内工業が都市に局限されず、都市周辺の農村にまで拡大し、耕
作を不良たらしめた点を批判せんとするもので⋮農業労働力を奪い農耕を破壊するという当時の地主的見解に ︵M序四
〇頁︶ に基くものとは限らない。 、 ’
﹁国鱒自。の織物業はその地方の多くの人口が生計を得ているものであって、その農耕は副次的なものとなっている。多数の小土地所
アーブル
即ち、彼は次の如くいう。
有者、従って、多数の入口はこの地方を通じて、地価や地代が生産物に比例しない理由である。、地主は地代の上昇・需要に応じて農地
プエー ド コ:
を分割する、しかし、地主は土地の繁栄の上に彼の地代が依醒しているのを知っている。全地方は奇妙な光影を形成し、広大な工場や
巨大な雇傭・人口は絶対的に農耕に有害である。団9。ヤ留O姿図の土襲はフランスで最善のものであるが、もし、地昧が非常に貧しく
う。﹂ ︵五六八頁︶
岩が多く不毛の領域であれば、その効果は非常に有利であったであらう。蓋し、織物業は、農耕を伴うそのような地帯を覆ったであら
なお、当時の農村家内工業に関しては.一七六二年九月七日の勅令によって農民も都市の産業統制法規より独立に織布に従事すること
つたためである。斯くして、政府は、一方、農民の負担を軽減するとともに、諸方、生活資料の価格を引下げ都市の賃銀水準を低下せ
が許され、一七七九年号は、農村での作業は凡ゆる統制より解放せられた。蓋し、地方産業が広く蔓延し、一般的な監督が不可能とな
んと企てた。 ︵M序三九一四〇頁︶
斯くして彼はいう。
製造業地域は最も悪く耕作されている。 同イングランドやフランスに於ける最善の耕作は製造業がない処に求められるに違いない。
﹁e一世紀闘、製造業を排他的・成功的に注意した結果、フランスの農業は悲惨な状に置かれた。⇔フランスやイングランドの
㈱フランスやアイルランドにおける如く織物業が田舎の凡ゆる小屋に拡がるときにはそのような事情は絶甥的に農業の破壊となる。
七三
唯、各地方に殆んど一般化している紡績を除いて。 ㈲唯、農業が完全に改良されるときには大きな国民的富・勢力・幸福の創設・麦
アーサーヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究 と。
アーサーヤング﹁アランス旅行記﹂の一研究
持者に均しい。﹂ ︵五七二i三頁︶
斯くして、彼は根本的見解として
しかし、農業は不幸な状態に幽まるかも知れない。
七四
﹁e農業を改良する最善の方法は製造業や商業を創設することにあるのではない。それらは大規槙と完全性に於いて創設され得る。
何よりも大きな力のある社会を創ることが必要である。﹂と。 ︵五七三頁︶
口繁栄せる農業を創設することは不可避的に多くの繁栄せる都市を支持するのに十分な製造業や商業を所有せしめるに至る。そして
即ち、彼はこの点に於いてフランスに於ける農業を犠牲としての特権的製造業一下請的家内工業の発展i外国貿易
の拡大という重商主義的コ弓スに対してそれとは吹元を異にしたイングランド的な産業革命のコース目指込の進展−資
本制大農経営の形成一農村入口の都市流入−一都市資本長大製造業の発展 農産物需要増加一国内市単・外国貿易
の形成と拡大を理想としていると解し得よう。 −
註 [ 註 二 証 三
斯くして、彼は最後に当面の問題に関して﹁政府への教訓﹂としていう。
﹁第一に平等な課税・耕作・販売の絶対的自由によって農民を確実に繁栄せしめ、第二に製造業や商業を促進せしめる
よりは自由に放任し、独占の凡ゆる観念を排除した政策をとること之である。﹂ ︵五七三頁︶と。
謡一 ﹁消費税以外に平等な課税なく、十分の一望も之に矛盾する。﹂という。 ︵五七三頁脚註︶
いう五点を挙げ、以上の条件に最も適合するものを以て消費穐と解している。しかし、彼の消費視の主張は階級的特権の否定・因家経
彼は第二〇章﹁租稔﹂に於いて租粉の要件に関して の公平 ⇔日並の国宣 ⇔産業の奨働.⑳徴収の容易 凶広範囲に近る困難と
費の劇減・資本蓄積の推進という自由主義的意図をもつことはいうまでもない。
﹁公債制度、或は、むしろそれを惹起せしめる戦争は避けらるべきであるが、もし、それが避け得られないならば、国内に於ける防衛
なほ、彼は公債制度︵勾降ご魁一⇔39 0慶や訟叶①鑓︶に関して、之を﹁規則正しくオ入を抵当に入れるという破壊的な制度﹂ ︵五八○頁︶と呼び
戦を意味する年度租稔によって支弁すべきであり、決して借入によるべきでわない。︵公債によれば︶総ての外地の領土の放棄一征服・
植民地・負債等を全く宿命的に産み出して来た政治の商業体制の薫製的破滅となる。﹂ ︵五八一頁︶と、重商主義政策の一環としての
公債制度の機能を把握し、之に対して租稔主義の立場を採っている。
謡二 ﹁耕作の自由は無制限の囲入・農業者が制限なく作物を栽培する特権を意業する。﹂ ︵五七三頁脚註︶
註三 ﹁輸出の無制限の自由﹂を特に強調している。 ︵同上脚註︶
即ち、彼はこの点で食糧価格−賃銀引下を通じて農産物えの需要を減退し、農業を不利、かつ、不生産的にし、或は、
農民を家内工業に従事せしめ、以て農耕を粗悪たらしめたものこそ既考の如き]連の重商主義政策,⋮穀物貿易︵輸出︶の
特に、この点で、フランス政府の穀物貿易︵輸出︶の統制に対する彼の反論を考察しよう。 ︵第一七章穀物政策︶
統制1に外ならとして明確に之を把握している。
彼は一七八九年に於ける穀物不足の不安に基く暴動に関して、穀物不足の璽が国内に流布され一般的な不安と化したため穀価は上昇
し、入民の暴力によって国内取引の不安・危険化した事情︵買占商・投機商・パン商えの襲撃・穀物倉庫えの放火等︶を述べ、穀作は
大して悪くなかったにかかわらず、このような事態が発生したのはネッヶル︵Zo卑宥︶の穀物輸入の公表による人心の動揺に基くもの
であると断定し、しかもそれはネッヶルの﹁穀物取引論﹂中の多くの誤謬と偏見とに反抗してサンス︵oQ。塗︶大僧正が前年に穀物輸出
を許可したことに対する彼の反抗に基くものと解している。ネッヶルの政策は莫大な穀物の輸入1その外に、穀物・パン・肉類に関す
る販売価格の指示等であった。
ところで、彼は、かかる穀物の輸出許可一輸出禁止・輸入許可という一貫性をもたない穀物︵貿易︶政策の影響に関して第二巻・第
十章﹁葡萄﹂に於いて次の如く語る。 ︵既考の如く、葡萄作は元来、地昧の劣った羊の飼育地以外に用途のない不可耕士壌で行われる
のが通常であるが︶斯く、国民の餓餓の反面に、現在、肥沃な穀田地が葡萄作に転換されつつあるのは小麦の輸出には不規則な禁止や
許可があり、穀価が不確定であるに反して、葡萄作には租税は重いとわいえ、葡萄酒が自由輸出品であり、また葡萄作が穀作以上にフ
︵第二部二こ貢︶
ランスに於いてよく理解されていることによるものである。斯くして、如何なる農耕の奨励のためにも不変の政策が必要でめると。
七五
﹁領土の広大な部分が森林や葡萄の下にあるフランスのような非常に人口多く、非常に悪く耕作された王国で供給を確保し得る唯一
斯くして、彼は積極的主張として
アーサーヤング﹁フランス旅行記﹂の︸研究
、
アーサーヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究 給を確保するためには農民が着実な良い価格を均しく確保することを必要とする﹂ ︵四九六頁︶と。
七六
の政策は常に同じ不断の確実さで以て存続する凡ての価絡での輸出入の完全にして絶対的な自由である⋮⋮しかし、規則的に、或る供
或はいう。 ﹁農民より=疋量の供給を確保するように農民に奨励を与えるに十分な価格が必要であり、如何なる国民も余剰がなくて
は充分に一定量の供給を確保し得ない、また、自由穀物貿易のないところでは如何なる余剰も生じない。それ故に、絶対的な自由輸出
の目的は国内供給を確保することである。穀物を販売する唯単なる利益が目的ではない、正しい用法は、自国の国民を養うことにあ
る。しかし乍ら、農民がその農業を改良する努力を持たないならば、彼等は養われない、そして、その奨励は良い価格の確からしさに
ある。国内流通の絶対的自由は明白に必要である。﹂ ︵四九七頁︶と。
斯くして、以上の如き重商主義的諸政策が本稿eに於いて考察した農業側面の諸要因と結合して、フランス農業の発
達を停頓せしめ、農民を貧困にして来た乙とが明白となる。
従って、都市製造業を中心とする重商主義縁懸政策とともに、農村に於ける半封建的土地制度一封建的諸負担は農業
資本の蓄積を不可能ならしめたのみならず、都市資本を下詰制以外に土地購入・農業改良用として農村に流入せしめず、
しかも、他方、絶対王政によって地方的役割を喪失し、既考の如く所有地を富裕な寄生的中聞小作人に一括して貸付け、
その地代牧入を都市・官廷に於いて不生産的に浪費し、農業に再投下しないフランスの不在領主・官廷貴族に農業改良機
能の欠けていたこと、否、そのため、地代攻入が都市に流入し、再び農村に復帰しなかったことはいうまでもない。
︵ケネー経濱表の問題︶
農業の犠牲が製造業i外国貿易の上に如何に反映して現われるか、以下、彼に従って農業と製造業との再生産的循環関
以上に於いて、都市製造業!重商主義政策による農業の窮乏状態を考察して来たが今や、かかる重商主義政策による
三
係に於いてフランスの貿易構造を考察しよう。
ー レ エ ンアルサス
ロ ︵た
その金額を挙げ、ている。
今、彼が掲げる一七八四年及び一七八七年のフランスの対外貿易表より貿易品に関して千万りーヴル以上のものを抽出すれば、
各種羊毛・オリーブ油
毛布・リンネン︵大麻亜麻混紡︶
毛織物・綿布・リンネンの合計・ボールド酒・ブランデτ
オリーブ油・原羊毛・原生絹・大麻リンネン・棉花・綿製品・タバコ・その他
ご︸五、 七入山ハ、 ○︵∪○り−讃yル
ニ七一、一こ六五、000りτヴル
三〇七、 一五一、七〇〇りーヴル
・縞⋮制改品・白ブランデー・白ボールドー酒
だし、冒。霞巴話巴雷8両洲・三司教地区・西印度貿易・密貿易は含まれていない︶
。一七入四年
輸 入品
輸出 晶
全輸出合計
全輸入合計
差 額
・一七八七年
輸入 品
輸出 品
三四九、七二五、四〇〇リーヴル
三一〇、一八四、000りーヴル
全輸出合計
全輸入合計
三九、五四一、四〇〇りーヴル
註
差 額
︵ 註 ただし韓出入に
関
す
る
密
貿
易 を 計 算 す れ ば 、出超は二千五百漁りーブルとなる。︶
即ち
七七
なお、彼は両年度に於
け
る
土
地
生
産
物
の
輸
入
晶
︵羊毛・絹・大麻・亜麻・油・家畜・穀物・雑品︶並びに、
一七八七年 一五五、七九四、○○○り[ヴル ︵四四九i五〇二頁︶
一七八四年 ごご三、五五八、八○○リtヴル
全輸出額 五四二、⊥ハ〇四、○○○りーグル ,
しかし、植民地生産物を含めて、一七八七年に於ける貿易額に関しては次の如くなる。
内土地生産物 三一一、四七ご、000リtヴル
アーサーヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究
ア竃サ下ヤング﹁フランス旅行記﹂の一研究
内製造工業品 二三,一、一三一、○○○リーヴル ︵M三九七i八頁︶
七八
特に、彼は第一五章生産物に於いて次の如くいっている。﹁王国は小麦粉を多量に輸入していると同時に、
出がある。しかし、フランスではそれに注意されていない。﹂ ︵四六九頁︶
斯くして彼はいう。
西印度えその可成りの輸
全ヨtロッパで羊毛の生産に自然的に最もよく適応している国が羊毛を非常に巨額に輸入しているということは如何にひどく羊毛が、
﹁葡萄畑の耕作を除いて殆んど凡ゆる品目に海リブランスの農村経済をきびしく責めても真実に近い程、驚くべき豊山である、即ち、
不足しているか、まだ、彼等自身.の需要にすら不足している五・六頂万頭の羊がいないために︵動物性肥料の点で︶その農業が如何に
苦しんでいるかということを示している。斯く大量の他の家畜を輸入していることも同じことを物語っている。農耕は王国の凡ゆる部
分で大量の牛馬を欠くために衰弱し、国民の需要は満たされ得ない。一七八四年の羊毛製品の輸出は二四、七九.五、入00リ4ヴルに
達し、羊毛の輸入︵二〇、入八四、○○○リーヴル︶に均しくない、従って、概観するとフランスでは自給自足し得ない⋮⋮王国の気
してわいるが、決して良質といえないものがあるfを輸入せざるを得ない。斯様に、フランスの製造業は低い農業状態のために大きな
候・土壌・人口を考えるとフランスの羊毛貿易は最大の怠慢を示している。羊の晶種を改良しないために一その内には高い費用で輸入
不利益を蒙っている。﹂ ︵五〇二一三頁︶と。 、
即ち、農業の発展を犠牲として製造業∴外国貿易の発展を計った重商主義政策のために農業は飼料一家畜−肥力の
循環を切断され、しかも、羊の改良・羊毛の国内自給を行わず、他方、外国羊毛に依存し、ここに、フランス羊毛工業の
脆弱性を形成して来たことはいうまでもない。
特に、彼はフランスに於ける羊の改良に示していう。 ︵第一、二章﹁羊﹂︶
ルイ一四世の統治下、フランスに於ける羊毛工業の創設、従って、コルベールのフランス国内に於ける羊の繁殖の奨励にもかかわら
群調査・スペイン・イングランド種の移殖・羊毛貿易の自由等の方策をとるに至った。
ず、実質的な動きは自由貿易が許された一八世紀の半頃まで行われなかった。期くして羊の改良の必要を感じた旧政府はフランスの羊
彼はこの間の事情に関して次の如くいう。
家畜貿易の点で、フランス旧政府の良識と政策に最高の名誉となる事柄がある。即ち、羊毛がフランスの毛織物業に非常に不足し、
を確定するに過ぎなかった。彼等は年に十万以上の羊を輸出したように思われるが、それは、その品極に失望を感じたからその貿易を
羊を増加し、晶質を改良するだめに多くの方策が採られ把が、ブランスは羊や羊毛の輸罎を禁止せず、また、課税せず、唯、その総量
自由にしたのであって、同じ計画がそれ以来採られて来た。この制度によって彼等は価格がフランスで近隣諸国と同じ程度の高さにな
した方法は唯、・アカデミーに年金を与へ、研究・実験を命じたにすぎず、何等、実質的な改良の方法はとられなかった。ヤングは之に
り、その結果、それだけの価格が支払はれる品種を奨励することとなると確信していた。しかし、フランスが羊を改良するために採用
対して、三・四千エーカーの飼羊地をもつイングランドの農耕者ならば、彼等が十世紀を要して仕遂げる羊の改良を数年閤で一層よく
やるであらうという。 ︵五〇三頁︶
れる。それは安ければ購入するというような密輸商人によって羊の輸入が行われているためである。フランスの羊・羊毛の改良はその
なお、彼はフランスで見たスペイン︵イングランド︶の羊は羊毛は立派であるが、体質悪く、繁殖する性能を欠いているように思わ
職業が農業より非常にかけ離れている人達によって一その人の手では威功の不可能な人々によって行われた点に失敗の原因がある。も
し、政.府がスペインの羊飼に羊群を伴いーイングランド入に一定の給料その他の経費を与え、よ.く選ばれた毛の長い羊をつれてーフラ
︵四三三f四︶と。
七九
ンスに定住させたならば、玉転法を知り、或は、長く立派に結び付く羊毛がイングランドと同様にフランスで生産されたであらう。
アーサーヤング、フランス旅行記﹂の一研究