エホバの証人の子供たちにおける 価値観とアイデンティティの形成

平成 12 年度
学士論文
エホバの証人の子供たちにおける
価値観とアイデンティティの形成
北海道文芸大学教育学部釧路校・教育心理学科
逢坂栄一
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-1-
はじめに
皆さんは、「エホバの証人」をご存知だろうか。断っても断っても訪問してくる、あの
宗教団体である。
私は、「エホバの証人」の子供として育った。現在は、信者としての立場を自然消滅と
いう形で抹消されるのを待っている状況である。
エホバの証人の子供には多くの問題がある。体罰、宗教教育、非常に狭い範囲の価値観、
アイデンティティの危機…。私は、大学生になるまでこれら、エホバの証人の子供である
問題を保留していた。逃げていたのである。
私の大学生活は、これらの問題に気づくためのものだったのかも知れない。私は本論文
を通し、自分がエホバの証人の子供であることに向かい合い、その中に含まれる問題の所
在を明らかにしたいと思う。それは「自分」を見つめ直すことに他ならないと思う。
本論文をお読みになる方は、何らかの形で「エホバの証人」に関わった方が大部分だと
思う。もし本論文で、少しでもその問題の存在に気づいていただけるなら幸いである。そ
して是非、引用文献の
秋本弘毅
1998
エホバの証人の子どもたち-信仰の子らが語る、本当の姿
わらび書房
をお読み頂きたい。この本には、私がずっと言いたかったことが、そのまま書かれている。
この本に出会わなければ、本論文を書いていなかっただろう。
私がエホバの証人をやめると言うことは、今までの生き方を否定し、新たなアイデンテ
ィティを獲得しなければならないということである。これはかなり険しい道程であろう。
そのことは、既に身をもって感じている。本論文が、その作業の第一歩、足がかりとなれ
ば幸いである。
注)本論文には、幾つか聖書の引用があるが、すべて、ものみの塔聖書冊子協会発行の「新
世界訳聖書」を使用した。
-2-
目次
はじめに
2
目次
3
本編
5
1.問題
§ 1
「エホバの証人」とはどんな宗教か
5
§ 2
エホバの証人の教義
6
§ 3
エホバの証人の組織
9
§ 4
エホバの証人の子供たちに対する宗教教育
11
§5
エホバの証人 2 世が抱える問題~経験を通して~
13
22
2.目的
1.幼い頃からの宗教教育の中で
22
2.マインド・コントロールという捉え方
24
3.離れた後の苦しみ
25
3.方法
27
4.調査
29
①-1
斉藤ユカさん(仮名)の場合
29
①-2
斉藤ユカさんの特徴
30
②-1
大林誠さん(仮名)の場合
32
②-2
大林誠さんの特徴
33
③-1
大林恵さん(仮名)の場合
34
③-2
大林恵さんの特徴
35
④-1
飯羊一さん(仮名)の場合
36
④-2
飯羊一さんの特徴
38
40
5.考察
1.被験者別考察
40
2.全体的考察~自分自身との比較と今後の展望~
42
終わりに
45
引用文献・Home Page
46
-3-
資料編(インタビュー内容)
①斉藤ユカさんの場合
47
②大林誠さんの場合
53
③大林恵さんの場合
58
④飯羊一さんの場合
61
-4-
1.問題
§1
「エホバの証人」とはどんな宗教か
あなたは、「エホバの証人」の訪問を受けたことがあるだろうか。たぶん、大部分がこ
の質問にイエスと答えると思う。きちんとした身なりの二人組の女性や男性がドアチャイ
ムをならし、訪問してくる。自己紹介の後、「家族生活」や「戦争」、「宗教」などに関す
る話題を提供し、「ものみの塔」と「目ざめよ!」という薄い 2 冊の雑誌を置いていく。
それが、エホバの証人である。
このような訪問を受けたことがある人が大多数を占めると思う。このように、エホバの
証人とは、非常に熱心に戸別訪問による伝道(布教活動)をする宗教として知られている。
また、エホバの証人は、輸血を拒否する宗教としても知られている。
自身の親もエホバの証人であった大泉(1988)は、1985 年、川崎市で輸血拒否のため
出血多量で死亡した鈴木大君(当時 10 歳)の親がエホバの証人であったとの報道を知り、
深く取材している。ウッド(1993)によれば、「エホバの証人の輸血拒否による死亡事件
は、アメリカなどでは多発しており、…川崎での事件以来、北海道(1987 年、34 歳の主
婦)にも、浜松市(1987 年、男子高校生)にも、信者本人の意思による輸血拒否死亡事
件が発生している。」と述べている。また、林(1997)によると、1986 年、鹿児島県で妊
娠五ヶ月の主婦(当時 28 歳)が、海上でカヌーに乗っていたところ漁船に衝突し重傷を
負い、治療の際エホバの証人である夫と共に輸血を拒否し、出血多量で死亡する事件が起
こっている。
この輸血拒否問題に代表されるように、エホバの証人は独特な教義を持つ宗教だが、エ
ホバの証人側は自分たちを「真のキリスト教」であるとしている。
検索サイト Yahoo ! JAPAN(http://www.yahoo.co.jp)で、「エホバの証人」をカテゴリ
検索すると、
生活と文化>宗教>宗教別>キリスト教>教派>エホバの証人
となる。多くの人は、エホバの証人をキリスト教の一派と見ているが、彼らは自分たちだ
けが真のキリスト教であり、他のキリスト教世界やイスラム教、仏教などを「大いなるバ
ビロン」(偽りの宗教体制)であるとみなし、激しく批判している。
エホバの証人の宗教団体としての名称は「ものみの塔聖書冊子協会」(以下、単にもの
みの塔とする。)である。「エホバの証人」とは「ものみの塔の信者」という意味である。
ものみの塔の本部である「ペンシルバニア州ものみの塔聖書冊子協会(WATCH TOWER
BIBLE AND TRACT SICIETY OF PENSYLVANIA)」は、アメリカに所在する。日本支部
は、神奈川県海老名市にある。「ものみの塔」2001 年 1 月 1 日号によると、2000 年の最高
信者数は、全世界で 603 万 5564 人、日本では 22 万 1364 人である。(ただし、この数字に
は、正式な信者ではない「バプテスマを受けていない伝道者」も含まれる。)日本では、
およそ 570 人に 1 人がエホバの証人であるという計算になる。
ものみの塔は、1881 年、チャールズ・テイズ・ラッセルによって、ピッツバーグ市に
誕生している。当時は「シオンのものみの塔冊子協会」という名称だったが、現在は「ペ
-5-
ンシルバニア州ものみの塔聖書冊子協会」という宗教法人になっている。初代会長になっ
たラッセルの積極的な宣教活動によって世界に信者を増加させる。
1917 年、ラッセルの死後、2 代目会長に就任したジョセフ・フランクリン・ラザフォー
ドは、当時「聖書研究者」とか「ラッセル信奉者」と呼ばれていた信者の名称を「エホバ
の証人」(Jehovah's Witnesses 以降 JW と略す。)としたり、現在見られるような組織主義
を布き、現在のものみの塔の基盤を作り上げた。会長はその後、ネイサン・ノア、フレデ
リック・W・フランズ、ミルトン・ヘンシェル、ドン・アダムズと変わっている。
その後も JW は、独自の聖書預言を広め、世界的に見れば増加の一途をたどるが、日本
では 1999 年からマイナス成長になっている。
JW の 歴 史 に つ い て 、 詳 し く は ホ ー ム ペ ー ジ 「 エ ホ バ の 証 人 情 報 セ ン タ ー 」
(http://www.jwic.com/home_j.htm)の「エホバの証人とは」を参照されたい。
§2
エホバの証人の教義
JW は、どのような教義を信じているのだろうか。生駒(1981)が「アメリカ生まれの
キリスト教」の中で述べていることを要約(注を加筆)する形で紹介したいと思う。
なお、ものみの塔は、教義の変更を何度も繰り返しており、以下に紹介する教義の中に
は、首尾一貫して教えてきたものではないものも多いことに注意されたい(ウッド,1993)。
1.聖書
JW は、聖書を「神の言葉」として霊感を受けた絶対的な根本聖典としている。新約・
旧約の両方を用いている。JW は、旧約聖書を「ヘブライ語聖書」、新約聖書を「クリス
チャン・ギリシャ語聖書」と呼んでいる。
注)1982 年から JW 独自の聖書である「新世界訳聖書」が出版され、用いられている。
この新世界訳については、金沢司(1987a)「欠陥翻訳」(広島会衆)を参照されたい。
2.世界観と悪魔サタン
JW は、この世界全体が悪魔サタンに支配されていると考えている。現存する全ての国
々は偽りに満ちた悪の国であると考えている。地上の至る場所で、犯罪、暴力、飢え、病
気、戦争、汚染、その他いろいろな苦難が生じているのは、この悪魔サタンのせいである
としている。
JW は悪魔の実在を信じ、それを「悪魔サタン」または単に「サタン」と呼ぶ。もとも
とサタンはみ使い(天使)の一人として神から創造されたが、神に敵対し、アダムとエバ
(イブ)に「善悪の知識の木の実」を食べるよう誘惑したと考えている。この行為は、神
の支配権に対する挑戦であったとしている。サタンの誘惑に負けたアダムとエバは、本来、
永遠に生きるはずだったが、以上のような罪により死すべき運命となり、不完全な人間と
なってしまった。それゆえ、アダムとエバの血を受け継いだ全人類は、不完全であり、必
ず死ななければならない運命を背負っていると理解している。
3.神およびイエス・キリスト
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エホバの証人は、その名称の通り、「エホバ」を唯一絶対の神であると信じている。全
てのものは神エホバの創造物であり、エホバは全知全能の主権者であり、人間の思考や想
像を遙かに超越した存在、永遠に存在し続けるものと考えている。
イエス・キリストは神ではなく、
「神の子」と理解されている。遙か昔に「神の独り子」
として一番初めに創造された霊者であり、彼を通して創造の業がなされたと考えている。
アダムの犯した罪を許すためには、完全な人間の命を犠牲として捧げる必要があった。
その犠牲となるため、イエスはこの地上に生み出された。天から神の力により処女マリア
の子宮に移されたため、罪を受け継がない完全な人間として生まれた。西暦 33 年に人類
の罪を背負って杭(十字架ではない)の上で死んだが、3 日後に復活、霊者として天で生
きていると考えられている。また、1914 年に天の王国の政府ができ、その王として神か
ら任命されていると考えている。
4.神が罪を許してきた理由
神が、6 千年間(注:人類の歴史は 6 千年であったと JW は理解している)、悪を許し
ていたことは、悪魔サタンに対しても反省の機会を与え、神の寛容さを人間に知らせるた
めである。また、人間はアダムとエバの血を受けた不完全な存在だが、神の言葉を守り生
活するなら、この世でも満ち足りた生活ができることや、神に反対することがいかに無意
味だったかを知らせるために、罪を許してきたとしている。
5.終わりの日
JW の教えによると、1914 年以来、この世にある全ての体制が滅びる時が近いことを意
味する「終わりの日」の徴候が現れていると主張している。その徴候としては、戦争、犯
罪、地震、飢饉などである。
この「終わりの日」は、まもなくハルマゲドンが到来し、この地上に神の王国が到来す
ることを宣べ伝える最大の機会であると考えている。
6.ハルマゲドン
JW は、ハルマゲドンを神による戦争で、人間の想像を絶する壮絶な戦いであると考え
ている。このハルマゲドンの戦闘における神の王国の軍隊は、エホバ神が最高司令官であ
り、イエス・キリストが軍の総司令官として戦闘のリーダーとなる。そして全てのみ使い
(天使)がそれに従う。JW は参加しない。一方、悪魔サタンの軍は、サタンが軍の総司
令官で、悪のみ使い(天使)や地上の邪悪な人々がこれに従う。このとき、悪魔の側につ
いた人々、つまり JW 以外の人々は、サタンや悪のみ使いと共に滅びることになる、とい
うのが JW の教えである。
7.小さな群れと他の羊
JW では、人々を 3 つのグループに分け、それぞれ次のように解釈している。
「邪悪な人々」:主に JW 以外全体を指す。ハルマゲドンで滅びる運命にある。
注)現在では「世の人」という言い方が一般的である。
「小さな群れ」:これに属する人の数は、14 万 4000 人と限られている。将来、天でイ
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エス・キリストと共に王国を受け継ぎ、この地上に残っている者は神の心を正しく人類に
伝える任務を持っている。
注)
「統治体」と呼ばれるものみの塔冊子教会の最高意志決定機関は、この「小さな群れ」
に属する老人で構成されている。「14 万 4000 人」「忠実で思慮深い奴隷級」「油注がれた
者」とも呼ばれる。
「他の羊」:「小さな群れ」以外の大多数の JW たちである。教義に従った生活を送り、
神を信じ、伝道に従事している人々である。ハルマゲドンを生き残り、この地上で永遠に
生きる希望がある。
注)「大群衆」とも言う。
8.千年王国
ハルマゲドンの後では、キリストの「千年統治」が始まり、文字通り 1000 年間続く。
地上は、アダムとエバが追放された最初のエデンの園のような状態(楽園)になる。そこ
では、生き残った世界中の JW と死者の中から復活した人々(生前、キリストと神に強い
信仰を持っていた人と神を知る機会のなかった人が復活する)が、一つの家族のように一
致して生活する。この世から国家主義や戦争、殺人兵器が完全になくなり、全てはイエス
・キリストによって支配される。この千年の間に不完全な人間は徐々に清められ、完全に
なっていく。それゆえ、病気や死からも解放される。
1000 年の後、それまで封印されていた悪魔サタンや悪のみ使い、邪悪な人々が解放さ
れ、地上の人々を誘惑する。誘惑に負けた人は、サタンや悪のみ使い、邪悪な人々と共に
永遠に滅ぼされる。しかし、この神の最後の審判に合格した人々は、永遠の命が与えられ、
病気も死も苦痛もなく幸福に過ごせると、JW は信じ、千年王国の到来を待ち望んでいる。
9.神の律法
JW が解釈する神の律法の中で、特に独特と思われるものを紹介する。
①血の律法(輸血拒否):JW は旧約聖書レビ記 17 章 14 節で、「あなた方はいかなる肉な
るものの血も食べてはならない。」と述べられている言葉を、「人間が血を食べること、
また体内に取り込むことを禁止する。」と理解し、輸血拒否をしている。これにより、尊
い命を落とした信者は数多くいる。しかしものみの塔は、かえって輸血による感染症の危
険性を強調し、一時的に生命を延ばすことよりも、輸血を拒否して信仰を示し、復活や永
遠の命の希望を持つ方がより大切であると教えている。
②偶像崇拝:宗教的な偶像(像や絵)を崇拝することは、古代バビロン以来の偽りの宗教
の風習であるとして、禁止している。JW は、コリント人への第 1 の手紙 10 章 14 節の「偶
像礼拝から逃げ去りなさい。」などの聖句を持ち出し、偶像崇拝は、神がもっとも忌み嫌
うことであると教えている。特に十字架の使用は厳しく禁じている。先祖崇拝や国家崇拝
も、偶像崇拝と同じように「忌むべきもの」とみなされている。
③祝祭日:JW はほとんどの祝祭日を祝わない。特にクリスマスについては、異教徒より
取り入れられた風習であるから、自称「真のクリスチャン」である JW は厳しく禁止して
いる。誕生日も、同じ理由で祝わない。
注)JW が唯一祝う年中行事は、イエス・キリストの死を祝う「主の記念式」のみである
-8-
が、ここでもお祭り騒ぎといった雰囲気はなく、儀式的な集会のみが行われる。
§3
エホバの証人の組織
JW は、組織の方針に従順に従うよう強いる組織主義を布いている。組織に従うことイ
コール神に従うことであるのだ。金沢(1987b)は、その様子を「組織バアル」(バアルと
は旧約聖書に登場する悪の偶像のこと)と呼んでいる。ウッド(1993)はもっと明確に、
「エホバの証人は明らかに組織崇拝者である。これは『ものみの塔』誌も間接的に認めて
いることだ。」と述べている。
では、JW はどのような組織に従っているのかを紹介したいと思う。
1.統治体
統治体とは、JW の組織の最高意志決定機関である。構成員は全員、先に述べた「小さ
な群」に属する人であり、90 歳近くの男性である。
数多く出版される JW の出版物の執筆、組織の方針の決定、必要な場合は教義の変更な
どを担っている。その決定は絶対的権威を持っている。
ホームページ「エホバの証人情報センター」(http://www.jwic.com/home_j.htm)は、2000
年 10 月 29 日付で、統治体に関して次のように述べている。
統治体はものみの塔協会の組織の役職から退陣-エホバの証人の管理機構に大きな組織改造
10 月 7 日にニュージャージー州ジャージーシティーの大会ホールで開かれた毎年恒例のものみの塔協
会の年次総会(株主総会)で、ものみの塔協会の管理機構に大きな改変が行われたことが発表されまし
た。同じ内容は、ものみの塔協会の広報用ウェブサイトでも発表されました。
本ウェブサイトの「エホバの証人の組織と活動」の記事に解説されているように、ものみの塔とエホ
バの証人の宗教は、「ペンシルバニア州ものみの塔聖書冊子協会」(Watch Tower Bible and Tract Society of
Pensylvania)とその子会社、「ニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会」(Watchtower Bible and Tract
Society of New York, Inc.)の二つの法人(会社)によって経営されてきました。これらの会社の経営陣、
すなわち会長(社長)、理事などの役職は全て宗教上の最高権威者である統治体員が占めてきました。従
って 13 人から成る統治体員とものみの塔協会の会長(ミルトン・ヘンシェル)は宗教権威の上でも、会
社の実務の上でも最高の権威と責任を独占してきました。
今回の変革では、ミルトン・ヘンシェルは会長職を退き、13 人の統治体員も全員協会の理事を辞職し、
新たにドン・アダムスを協会の会長に据え、理事や法人の役職も全て「他の羊」と呼ばれる油塗られた
者(注 1)以外の証人が占めることになりました。年次総会の席上で、統治体員の何人かが演壇に立ち、
なぜ今回このような変革をすることになったかの説明が行われました。それらの話を総合すると、宗教
上の権威である統治体は人が選んで任命するものではなく、油塗られた残りの者(注 2)でなければな
らないが、会社の経営は必ずしも油塗られた者が行う必要はなく、「他の羊」に任せても構わないこと、
これによって統治体は教義や宣教の仕事に専心できること、が理由として語られました。
更に今回の年次総会では新たに三つの子会社が設立され、これまでのものみの塔協会の業務を分散す
ることが発表されました。これらの子会社の正式の日本語訳は、いずれ協会の出版物で発表されるでし
ょうが、第一の会社は Christian Congregation of Jehovah's Witnesses(エホバの証人のクリスチャン会衆)
と呼ばれ、会衆の実務、集会、宣教などの業務を担当し、第二の会社は Religious Order of Jehovah's Witnesses
-9-
(エホバの証人宗教機構)と呼ばれ、ベテル奉仕、特別開拓者、旅行する監督などに関する業務を扱い、
第三の子会社は Kingdom Support Services, Inc(王国支援局)と呼ばれ、各地の建造物の設計施工の業務
を担当します。
なぜこの時点でものみの塔とエホバの証人の中枢はこのような改造を決意したのでしょうか。年次総
会で演壇に立った統治体員ダン・シドリックは、聖書にはこれらの会社の経営を油塗られた者が行わな
ければならないとは書かれていない、と述べていますが、今までの全ての「新しい理解」と同じように、
そんなことはずっと以前から分かっていたことで、何も統治体に「光が増し加わる」ことがなくても誰
でも常識でわかることです。それにもかかわらず、ものみの塔協会とエホバの証人の統治体は歴史的に
見て渾然一体として宗教上の教義や活動と一緒に、莫大な資産の運用、管理、と出版業務を支配して来
ました。しかし組織が拡大し複雑になるにつれ、老朽化した 13 人の統治体員だけでは到底手におえなく
なっていることは、最近の多くの統治体援助者の登用によっても明らかになっていました。今回の組織
改造は老朽化した統治体を会社実務から離し、彼らは教義上の決定に専心し、会社実務はより若い層に
引き渡す狙いがあるようです。
その一方で、アメリカの大会社の歴史を見ると理解できるように、会社がある程度大きくなるとその
業務と責任を幾つかの子会社に分散させることは、法的、財政的に見て多くの利点があることも間違い
ありません。その中で大きな問題となるのは、組織の責任の分散化でしょう。世界各地で元エホバの証
人やその家族が、被害の賠償を求める集団訴訟を起こす動きがある中で、これまでの体制では統治体は
宗教的な側面では訴追を免れても、会社の最高責任者としての訴追を免れることは難しいと考えられて
いました。今度の組織改造では、統治体はもはや会社の最高責任者ではなくなり、今後予想される訴訟
に対して先手を打って統治体をそのような危険から隔離する狙いもある、と考えられています。
(注 1)ここでは「油注がれた者」を「油塗られた者」としている。
(注 2)「油注がれた者」のうち、現在地上に生き残っている人の意。
2.本部・支部
JW の組織の本部や、国単位で設けられている支部は、ベテルと呼ばれる。普通は、出
版物を印刷するための巨大な印刷工場になっており、何千人もの JW が「ベテル奉仕者」
として、わずかな賃金で献身的に働いている。
日本支部は、神奈川県海老名市に所在するため、「海老名ベテル」と呼称される。
3.会衆
JW は週に 5 時間の集会に出席するが、その集会を行う地域の単位のことを会衆という。
例えば、札幌市ではおよそ 70 の会衆がある。一つの会衆あたり、50 ~ 90 人ほどの出席
者がいる。JW の集会場は、「王国会館」と言う。原則的に一つの会衆で一つの王国会館
を持っているが、都市部では、一つの王国会館を複数の会衆で使っている場合もある。
会衆には、その成員を監督する責任者である「長老」と、それを補佐する「奉仕の僕」
がそれぞれ数名、任命されている。どちらも男性信者しかなることが出来ない。会衆の方
針は、彼ら会衆の「長老団」によって決められ、絶対的権威を持っている。
会衆をいくつかまとめた地域区分を「巡回区」と言い、その巡回区をまとめた地域区分
を「地域」と言う。その「地域」をまとめたものを「地帯」と言う。それぞれに「巡回監
- 10 -
督」、「地域監督」、「地帯監督」という責任者の男性信者が任命されており、彼らは「旅
行する監督」とも呼ばれるように、各会衆を巡回し監督する。このように、本部・支部の
方針が各地域や各会衆に行き渡るよう組織化されている。
4.信者
JW は、以下のような信者の立場がある。
①バプテスマを受けたエホバの証人:正式な信者のことである。神に献身し正式な JW と
なったことを表明するため、バプテスマ(洗礼。水中に完全に浸される儀式。)を受けな
ければならない。バプテスマは、年に 3 回ほど行われる大会(巡回区単位や地域単位で行
われる拡大された集会)で執り行われる。通常、JW としてバプテスマを受けるには、1
年以上 JW の行う「家庭聖書研究」(JW の出版物を用いた勉強会)を行わなくてはいけな
い。JW の子供(「2 世」という。以下 JW2 世とする。)の場合は、だいたい 10 代のうち
にバプテスマを受けるのが普通であるが、早い子供の場合小学 3 年生くらいでバプテスマ
を受ける。
②バプテスマを受けていない伝道者:新約聖書コリント人への第一の手紙 9 章 16 節で「わ
たしが良いたより宣明しているとしても、…私にはその必要が課せられている…。実際、
もし良いたよりを宣明しなかったとすれば、わたしにとっては災いとなるのです。」と述
べられている。この聖句などを根拠に、JW は熱心に個別訪問による伝道(布教活動)を
行っている。バプテスマを受けるためには伝道者でなければならない。したがって、建前
上、伝道者ではない JW は存在しない。「バプテスマを受けていない伝道者」は、バプテ
スマを受ける前の準備段階であり、いわゆる信者予備軍である。
③研究生:伝道者になる前の段階である。JW の行う「家庭聖書研究」を受けている人や、JW
の宗教教育を受けている幼い JW2 世がこれに当たる。
正式には①のみが JW とされるが、本論文では①②③に属する人をまとめて、JW とす
る。
JW の信者は、多くが主婦である。昼間の戸別訪問による伝道の成果だと考えられるが、
その夫の多くは「未信者」と呼ばれる非 JW である。妻の信仰に影響され、自身も JW に
なる夫も少なくない。「将来信者になるかも知れない」という期待を込めて、「未信者」
と呼ぶのだと思う。
また、JW になると「開拓者」と呼ばれる、一定の時間以上の奉仕(伝道活動)の報告
が義務づけられてる立場もある(正規開拓者の場合、月に 80 時間の奉仕報告が義務づけ
られている)。多くの JW2 世が開拓者となって「開拓奉仕」をすることを期待される。
§4
エホバの証人の子供たちに対する宗教教育
新約聖書テモテへの第二の手紙 3 章 15 節は、次のように述べている。「また、幼いとき
から聖なる書物に親しんで来たことを知っているのです。その聖なる書物はあなたを賢く
し、キリスト・イエスに関する信仰によって救いに至らせることができます。」
JW はこれらの教えを忠実に守り、子供たちが非常に幼い時から、宗教教育を施す。JW
の子供たちは、実際にどのような宗教教育を受けているのだろうか。その様子を紹介した
- 11 -
いと思う。
1.集会を通して
JW は週に 5 つの集会に出席する。出席者は大人だけに限らず、非常に小さな子ども(生
後数ヶ月から)も出席しなければならない。子ども用のプログラムなどは存在せず、子ど
もも大人と同じ講話を聴くことになる。以下に 5 つの集会について述べる。
①書籍研究:会衆によって異なるが、火曜日の午後 7 時から開いている会衆が多い。およ
そ 1 時間である。この他の集会は、集会場である王国会館で開かれるが、この書籍研究は、
会衆をいくつかに分けた「群れ」単位で行われ、会場は信者宅になる場合が多い。出席者
は 20 人程度で、寄り合いといった雰囲気である。テキストになる出版物が決められてお
り、そのテキストの朗読、テキストに用意されている質問、注解(挙手をし答えること。
ほとんどの場合、テキストの中に答えとなる文章があり、それをそのまま答えればよい。)
という、JW の特徴的な形式で行われる。全ての集会は、エホバへの祈りで始まり、祈り
で終わる。
②神権宣教学校:木曜日午後 7 時から行っている会衆が多い。およそ 1 時間で、祈りと賛
美歌(JW は「賛美の歌」と呼ぶ)から始まる。伝道者としての技術を磨くためのプログ
ラムである。生徒はもちろん JW だが、伝道者を目指す人なら誰でも入校することが出来
る。先生役は会衆の長老である。ベテランの男性信者が模範を示す「第 1 の話」、聖書朗
読からポイントになる部分を解説する「聖書朗読からの目立った点」、主に若い男性信者
が生徒役として講話を担当する「第 2 の話」、女性信者がもう一人の女性信者を相手に実
演形式で講話を担当する「第 3 の話」、第 2 の話と第 3 の話のどちらかの形式をとる(担
当者が男性か女性かによる)「第 4 の話」で構成されている。入校していれば、どんなに
幼い子どもでも講話が割り当てられる。最初は親が講話を作るよう指導するが、徐々に自
分で聖書やものみの塔の出版物を調べ、講話を作れるように訓練される。
③奉仕会:神権宣教学校の直後に行われる。およそ 1 時間である。伝道を効果的に行える
よう、より実際的に技術を学ぶための集会である。テキストとなるのは、毎月、伝道者だ
けに配布される「わたしたちの王国宣教」という薄いパンフレットのような出版物である。
結びに賛美歌と祈りで集会が終わる。
④公開講演:日曜の午前中に開かれる約 1 時間の講演会である。講演を行うのは、会衆の
長老や奉仕の僕、また近隣の会衆から招待された長老である。聴衆はメモをとったり、講
演者の朗読する聖句(聖書の一部分)を目で追うように聖書を開いたりする。子どもたち
も同じように訓練される。
⑤ものみの塔の討議:公開講演の後、約 1 時間、JW の中心的な雑誌である「ものみの塔」
の「研究記事」を討議する。書籍研究と同じように、朗読、質問、注解の形式で行われる。
子どもたちは、これらの集会でじっと座っていることや注解などに参加すること、メモ
をとることなどが出来るよう厳しく訓練される。
じっと座っていることは幼い子どもにとって苦痛であるが、それが出来ないと他の聴衆
の注意を妨げるとして、親によってトイレに連れて行かれる。そこでは体罰が行われる。
旧約聖書箴言 13 章 24 節には「むち棒を控えるものはその子を憎んでいるのであり、子を
愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める。」とあり、JW はこの聖句を根拠に体罰を
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容認している。最近では緩やかになりつつあるようだが、少し前なら、ゴムホースやベル
トなどで叩くことが奨められていた(服部,1998)。
また、年に 3 回、「大会」という拡大された集会が巡回区単位(千人単位)や、地域単
位(数万人単位)で催される。この中では、JW の教えの影響力が増す。
2.家庭の中で
家庭の中では、「家庭聖書研究」「家族研究」「日々の聖句」など、多くの宗教教育がな
されてる。また、各集会の準備も家族で行う場合が多い。子どもにとっては難しい内容も
あり、なんとかテキストの文章の中から目星をつけて答えるうちに、読解力が身に付く子
どももいる。あまり、集会に熱心に参加していない子供に対し、お説教の場にしてしまう
親もいる。
秋本(1998)は次のように述べている。
このような家庭内での宗教教育は、すべての親が行うわけではありません。また子どもによっては応
じない者も多数います。大概において言えるのは、親の信仰の行動が活発でない者ほど、この教育の頻
度が低く、それに比例するように、エホバの証人にとどまる率は減ります。
逆に信仰活動に熱心な者ほど一般的には、教育の頻度が高く、とどまる率も上がります。もちろん、
ものみの塔や会衆の指導者たちは親の責任を強調し、教育の頻度の低い者にハッパをかけるのです。
3.伝道活動によって
秋本(1998)によれば、伝道は「たんなる信者拡大ではありません。…エホバの証人は
…信仰を実践し証明する機会と考えているのです」と述べている。幼い子供も親と一緒に
伝道に参加し、将来伝道者となるように教育される。
普通、JW2 世であれば、小学生のうちに伝道者になる。早い子どもで、幼稚園児の頃
から証言(自分の信仰を表明すること。ここでは伝道活動の意味。)をしている場合もあ
る。やっと言葉を覚えた子どもが立派に雑誌を紹介する姿を見て、思わず断り切れなかっ
た経験をされた方も多いだろう。
このように、集会、家族研究、各集会の準備、伝道などの宗教的教育のために、模範的
な JW2 世で 1 週間のうち、およそ 20 時間が費やされている。時間的にも質的にも、大き
な影響力を持っていると考える。
§5
エホバの証人 2 世が抱える問題~経験を通して~
以下に、JW2 世として育った私自身の体験談を述べる。なお、この文章は、私のホー
ムページ(JW ののぞき穴:http://sapporo.cool.ne.jp/co1iba/)に掲載したものを一部修正し
たものである。
1.JW2 世として育てられた幼少時代
私は、物心ついたときから「エホバの証人の子供」として育てられた。
週に 3 日は、集会に出席し、しかも夜遅い時間帯の集会で居眠りをしてしまわないよう
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に昼寝をさせられた。だから火曜日・木曜日は友達と遊べなかった。朝、遅寝が出来るは
ずの日曜日は、午前中の集会にいくために普段通り早起きをしなければならなかった。
集会では、子ども用のプログラムというものは存在せず、大人と一緒に講話を聴かなけ
ればならなかった。JW が「注解」と呼ぶ、手を挙げての発言も、子どもも積極的に参加
するのだった。私の場合は、親が前もって「ものみの塔」などの出版物に簡単な注解の台
詞を書いておき、それをただ言えば良いだけになっていた。子どもにとっては大変緊張す
るときだった。注解を必要としないプログラムでも、私が飽きてしまわないようにノート
と鉛筆を渡され、講演者の「兄弟」(男性信者)が言ったことをメモさせられた。
とは言ってもやはり子どもである。夜の 2 時間をずっと集中しているのは難しかった。
そこで寝てしまったり、手遊びなどをして落ち着きが無くなってくると、「トイレ行き」
だった。JW が「懲らしめ」と呼ぶ体罰が待っているのである。普通は泣きやむまでお尻
をたたかれた。必死になって泣きやもうとすると、のどの奥に塊のようなものを感じて苦
しかったのを覚えている。「懲らしめ」は集会が終わって帰宅しても続き、今度はスリッ
パか革のベルトでお尻をたたかれた。集会中の落ち着きのなさが、「罪」だったのだ。
こんな「懲らしめ」を受けていたのでは、集会は嫌いになる。私はなんとかして集会を
サボろうとした。「頭が痛い」と仮病を使ったり、日曜日の朝は未信者の父親の布団の中
に避難して母と姉が出かけるのをそっと待っていた。とにかく集会に行くのは嫌だった。
生活面でも、いろいろな制約があった。幼稚園の園歌や校歌を歌ってはならなかったの
で、口パクで過ごした。「あわてん坊のサンタクロース」や「七夕」など少しでも宗教じ
みた歌も同様だった。大会に出席するため、幼稚園のお泊まり会に参加できなかった。盆
踊りももちろん禁じられた。テレビ番組も規制され、この年頃の男の子が好きそうな「戦
隊もの」特撮や暴力表現の入ったアニメも観ることが出来なかった。クリスマスも誕生日
も無し、とにかく出来ないことが多かった。
子どもながらに「他の子はこんなこと、ないのに…」と妬ましく思った。
しかし、本当に早い時期から字を書くことを教えられ、大人の話を良く聴く、行儀の良
い子どもに育てられたことには感謝している。
2.学校-裏表のある自分
学校に上がると、問題はもっと膨らんできた。
小学校低学年の頃は、集会に行かないと決め込んでいたが、それ以降は母親の半ば強制
で集会に出席させられた。幼少時代のつらさが身に染みているため、聴く態度は良かった。
「注解」もただ台詞を読めば良いだけのものから、前もって予習し注解箇所を用意してお
くようになった。多くの場合、出版物に書いてあることの一部をそのまま読めば良かった
から、テキストになっている出版物にアンダーラインを引くだけで予習は事足りた。関連
する聖書の箇所(聖句)をひいたり、自分に当てはめて深く黙想することなどが予習にお
いて薦められていたが、私はそんなことはしなかった。
姉が伝道者になり、献身しバプテスマを受ける(正式な信者になる)と、「今度は弟の
番」というプレッシャーが襲ってきた。しかし、正式な信者になる前段階、伝道者になる
ことすら踏み込めずにいた。
学校では、自分が JW2 世であることをひた隠しにしていた。価値観の違う者としてい
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じめられるのが怖かったからだ。実際、いじめられることが多かった。校歌を歌えないこ
とも隠し、火曜日・木曜日に友達からの遊びの誘いがあると、「今日はちょっと…」と言
ってごまかし続けた。担任の家庭訪問があると、母親が JW であることがばれてしまうた
め、ビクビクした。家庭訪問が終わり担任が JW に対して理解ある教師だと分かると、決
まって母親は「良い先生ねぇ。」と言っていた。大会に出席するために、土曜日学校を休
まなければならない旨を連絡するときには、直接担任に言うことが出来ず、母親に連絡帳
を書いてもらった。学業面では、ものみの塔の提案通り「行状によって良い評判を得る」
よう心がけ、常に良い成績が取れるように勉強した。
中学校では、この状態がエスカレートしていった。集会に出席する JW2 世としての自
分と、学校に通う普通の中学生としての自分が、はっきりと別れていた。体育で柔道の授
業があり、「格闘技を行ってはならない」という JW の教えのため、出来ないことを体育
の教科担任に言い出せなかった。結局親や同学年の JW2 世に隠れて、柔道の授業を受け
てしまった。
中学 2 年の時、同じクラスに JW2 世の「兄弟」(男性信者)が転校してきた。私は柔道
の授業を行う冬が来たらどうしようと、そのことばかり悩んでいた。もし、その兄弟と一
緒に柔道が出来ないことを告げたなら、去年は出来たのに、どうして今年は出来ないのか
と問われてしまっただろう。何も答えられない事態に陥る。まさか、兄弟の目を気にせず
柔道はできなかった。運良く(ではないが)、体育の教科担任が柔道の時期に怪我をした
ので、体育の時間はずっとバスケットをすることになった。「エホバはいるのかも?」と
思ってしまった一瞬だった。(今考えると、馬鹿げているが、当時は本気だった。)
高校受験に失敗し、私立の高校に通うことになった。テストと「神権宣教学校」の割り
当てを両立してこなし、週末は伝道にもでかけた。真っ二つに自分が別れていたが、別段
自覚しなくなっていた。
学校生活は、私にとって裏表の自分を作る場であった。そして、会衆と学校、どちらの
環境にいても「ばれるのでは…」と思いビクビクし、気持ちの休まる思いはしなかった。
3.大学生活の始まり
1992 年から徐々に JW の大学進学規制が緩和され、私も運良く大学に進学することが
出来た。一昔前までは、「高校をでたら、最小限の仕事をしながら多くの時間を伝道活動
に注ぐ」という人生が勧められており、大学進学なんて考えられなかったことを思うと、
私は非常に恵まれた状況だったと言えるだろう。しかし、浪人をしてまでは大学に行くこ
とには抵抗があり、大学ならどこでもいいから現役で入れるように努力した。
その努力の成果か、この教育大に合格した。ただし、親元を離れて通わなければならな
くなった。今思えば、これが私の考え方を変える大きな要因になったのだが。寮や下宿は
「世」(一般社会のこと)の影響が強いというので、アパートでの一人暮らしをすること
になった。引っ越しは、釧路市の M 会衆の人たちが手伝ってくれた。非常に温かく迎え
てくれた。研究司会者(「家庭聖書研究」を司会する先生役の信者)もその会衆の長老(責
任者)ということに取り決められ、M 会衆への「移籍」がこともなく進んだ。
大学 1 年目の頃は、積極的に集会に出席した。M 会衆の雰囲気が温かく感じ、入り込
みやすかったし、大学のゼミと集会がぶつかることは無かったからだ。地元の K 会衆に
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帰るたびに、会衆の雰囲気が暗いことが伝わってきた。そのことを姉に話すと、姉も雰囲
気の悪さに気付いているらしく「もう、K 会衆には帰って来ない方がいいよ。」と言って
いた。一致のうちに歩んでいるはずのクリスチャン会衆が、こうも雰囲気が違うことに疑
問を感じ始めた。M 会衆に交わりに来た母は「こっちに来ることは、エホバのご意志だ
ったのかもねぇ。」と言っていた。私はそれらの言葉を複雑な思いで聞いた。あれだけ大
学進学を否定していた協会のしてきたことを覚えているのだろうか、大学進学が容認され
ても親元から通うべきだという協会の提案を忘れたのだろうか、と。
大学生活も 2 年、3 年と過ぎるとゼミと集会の曜日が重なり、集会に出席するのが難し
い状況になった。そんな折、学内のサークルの中で知り合った女性と付き合い始めること
になる。その頃から、出席が可能な曜日の集会すら行かなくなった。「不道徳」をしてい
るという、「良心の呵責」や強迫観念も感じた。3 年生の教育実習をきっかけに全くと言
って良いほど、集会には出席していない。
彼女には、私が JW2 世であることがすぐにばれてしまった(別に隠すつもりも無かっ
たのだが)。彼女は高校時代にふとしたきっかけで、JWについていろいろと調べたこと
があったようだ。また、親が JW の訪問を受けていたことがあるらしく、ある程度の知識
があった。私が JW2 世ということにショックを受けていたようだが、この問題に向かい
合ってくれた。私本人はと言うと、逃げ腰で、このまま JW として献身する(正式な信者
になる)のか、それとも辞めるのか、「今は考えさせてくれ。」とはぐらかしていた。彼
女の言う素朴な質問、「どうして JW は、お付き合いしちゃいけないの?」などに答える
ことができない自分がいた。JW についての疑問が一気に吹き出してきたが、まだ JW を
辞めようということはできなかった。彼女には、いろいろな迷惑をかけてしまっていると
思う。付き合い出すとき、全く JW2 世であることの問題について考えていなかった自分
が恥ずかしく思う。
4.「エホバの証人の子供たちの Home Page」との出会い
数え切れない程の衝突やけんかを繰り返しながらも、彼女と付き合い初めてちょうど 1
年が過ぎようと言う頃、彼女がある URL を持ってきた。どうやら、実家に帰省した時に
本屋でメモをとってきたらしい。その URL こそ、
「エホバの証人の子供たちの Home Page」
(http://www.alles.or.jp/~philip/jw%20child.html)だったのだ。
JW 関連のサイトなのだろうとは、薄々感じながら、少し緊張して URL を打ち込んだ。
私にとっては、とてつもない衝撃だった。
こんなホームページが存在したのか
こんなにも私と似たような境遇の人がいるのか
私と同じ悩みと闘っている人たちがいる
今まで私は JW 側からしかものを考えていなかったのだ
様々な思いが去来し、気を抜くと涙が目から流れ落ちそうになった。この瞬間を境に、
私の意識が変わり始める。
その日から、「エホバの証人の子供たちの Home Page」を初め、JW 関連サイトや JW 関
連本を読みあさるようになる。そうすることで、少しずつではあるが、JW 側からのみで
はなく、一歩引いた客観的な視点が持てるようになっていったと思う。
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しかし、今まで(半信半疑ではあるが)信じてきたものが、揺らぎ崩れていく過程は、
私にとって非常に辛い経験だった。
何が正しく、何が間違っているのか。
私は何者なのか。
あるときは精神的不安定に陥ったこともあった。そんなとき私を支えてくれたのは、彼
女、そして指導教官の加藤教官であった。様々な形で私を支えてくれる方々のおかげで、
私は JW を、自分を客観的に見る視点を捉えつつあると思う。
5.葛藤
私は現在大学で心理学を専攻している。この専攻生の特徴として「学生自身が心の底か
ら関心を持ち問題意識として抱いていること」を卒論のテーマにすることになっている。
私の場合、JW2 世として育てられ、そのことに疑問を感じ、ホームページや本をきっか
けにそれが表面化し、悩んでいること-これが「問題意識」だった。思い切って指導教官
の加藤教官に相談してみることにした。
加藤教官に打ち明けようと思ったのは、実は以前こんなことを言われたことがあったか
らだ。
卒論指導の話し合いにて。
「あなたはお母さんとの関係で何かあるんじゃないですか?まぁ、無理に話せとは言いま
せんけど、話せるようになったらいつでも話しに来て下さい。」
加藤教官は観察眼が鋭いのだ。1,2 年生の時のゼミでの私の発言から”何か”を感じて
いたらしい。その”何か”とは、JW の影響に他ならないが…。
いざ打ち明けようと思ってはみたものの、どう切り出したら良いものか分からなかった。
そこで「エホバの証人の子供たちの Home Page」の表紙をプリントアウトし、それを見せ
ることにした。とても緊張していた。「そんなに深刻に受け止めてくれなかったら、どう
しよう…」そんな思いから来る緊張だった。
そんな心配は無用だった。加藤教官は本当に真剣に受け止めてくれた。博識なので、エ
ホバの証人についての知識も多少はあったし、もちろん家に伝道者が来たこともあった。
話し合いは 3 時間近くにも及び、とりとめもなく雑然と、JW の教え・子どもの頃の経験
・今悩んでいる状況などを吐き出した。それでも、両者ともまだ時間が足りないと感じ、
次の話し合いの約束をした。最後に先生が「よく話してくれましたね。緊張したでしょ。」
と言った。この言葉が、私の心境を物語っていた。
それから不定期ではあるが、週に 1,2 時間ほど、加藤教官と話し合いの機会を持つよう
になった。先生もエホバの証人情報センターなどのサイトからかなりの情報を調べてくれ
ていた。話し合ううちに、私の抱いている問題が少しずつ漠然としたものから整理されて
きた。
JWの教義や組織に対する疑問・矛盾
人間関係の摩擦に対しての恐れ
2 世特有の、「求め」のない苦しさ
今までの価値観が崩れ、新しい価値観を一から作り出す苦労
アイデンティティの危機……
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加藤教官は、いろいろな提案をしてくれた。彼女との関係を大事にして話し合うこと、
「新世界訳」ではない聖書を読むこと、初代会長ラッセルの著書を読んでみることなどで
ある。彼女のことは別にしても、いまいち気の進まない提案が多かった。しかし、
「お父さんと話し合ってみたら?お母さんとお姉さん抜きで。」という提案をしてくれた。
「親父ですか?親父はそんなことを真剣に話し合う人間じゃないです…。」
「そうかな?あなたは今までJW側からしかお父さんを見ていなかったんじゃありません
か?」
私は、はっとした。確かにそうかも知れない。話し合ってみる必要があるかも…そう思っ
た。
加藤先生との話し合いが始まった頃、心理学研究室では、ホームページを立ち上げると
いう計画が進行していた。私も、その制作係のメンバーだったので、作り方や UP の仕方
など一通り覚えることが出来た。そして、私の中で密かな計画が開始する。現在は「JW
ののぞき穴」という名で管理しているホームページの立ち上げだった。
6.父親との話し合い
先で述べたとおり、加藤教官の提案で父親と話し合ってみることにした。
地元の会衆が集会中である時間、つまり父が確実に一人で自宅にいる時間をねらって電
話をかけた。
「あのさ、話し合ってみたいことがあってさ、ちょっとだけ帰省しようと思ってるんだけ
ど。」
『別にかまわんけど…?』
「お母さんとお姉ちゃん抜きでさ、会えるかな?どっか街(中心部)ででも。」
『…休みの日ならな。』
「……実はさ、俺、”エホバ”やめようと思って。」
一瞬の間があった後、晩酌をしていたであろう声で返事があった。
『…うん。やめれ。うん、良いことだ。お父さん、何も言ってなかったけど、反対してた
んだぞ。やめるの、大賛成だ。親戚もみんな反対なんだ…。』
予想通りの反応だった。が、ただ手放しで喜んでいるような所が気になった。所詮、
「親
戚も反対している」という程度の問題だったのか?それでも、最後に『お前も言いたいこ
と、あるんだべさ。』と言ってくれた。
地元に夜行列車で到着し、駅周辺で 2 時間ばかりをつぶし、父との待ち合わせ場所に向
かった。時間の 10 分ほど前に到着したが、父の車はもう既に来ていた。近くの駐車場に
車を停め、喫茶店に入った。
話し合うというよりも、私が一方的に話してしまった。どうして私が辞めようと思うよ
うになったのか、彼女がいること、ホームページを作っていること……。父はそれをただ
うなずき聞いていた。
『お母さんには言わなきゃならんべ?』
「でも、まだ言わないでいて欲しい。………。」
その後、ドライブをしながら昔話に花が咲いた。父は以前(私が 3 歳くらいのとき)、
喫茶店を経営していたことがあった。脱サラを夢見てのことだったが、うまくいかず店は
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すぐに畳んでしまった。なんでも、その頃、母は一日中店の手伝いをしており、集会には
行っていなかったと言う。もう既に献身していたはずだから、集会よりも店の手伝いを優
先していたことになる。意外だった。
昔、喫茶店があった場所(自宅とは違う場所)に行ってみた。町並みはすっかり変わっ
ていたが、当時からあったであろう木造の家と短期大学付属幼稚園の建物が面影を残し、
おぼろげに店構えを思い出した。トタン屋根のみすぼらしい店、開店祝いの花輪、ゲーム
テーブル、ビロードのソファー……。
言葉少なに語る父の表情を見ていると、「今まで、やっぱり親父の気持ち、考えたこと
なかったんだな。」と思えてきた。今なら、少しは親父の気持ちが分かる。気がつけば妻
と子供が JW の世界に足を踏み入れていて、反対して反対して、疲れてあきらめて、無関
心を装っていた父。予想以上に白くなっていた髪の毛と深い皺-それだけで十分だった。
気がつくと父のことを「親父」と呼んでいた。ずっと「お父さん」と呼んでいたのに。
心境が変わったのだろうか…。
7.~家族~
11 月。母と姉にことの次第を遂に打ち明けることにした。いずれにしても、いつかは
言わなければならないことであるし、先延ばしにしておくことのほうが辛くなってきたか
らだ。表向きは、就職がほぼ決まった(教員採用試験に合格した)ことを報告するため、
またリストラされ腐っている父の様子を見るための帰省である。
帰省する前日、加藤教官と話し合う機会を持った。採用試験の結果が B 登録(補欠合
格)のため、卒業から採用までしばらく間があると予想される。その期間、私は実家で過
ごそうと考えていた。父が無職となった今、家賃・食費などを節約するため、またアルコ
ール依存傾向のある父を心配してそう考えていたのだが、加藤教官は実家には戻らないほ
うが良いという考えだった。その点も話し合って考えてこようと思いながら、出発した。
金曜日、午後 6:30。実家に到着。採用試験の結果を報告しつつ、夕食。姉は出かけて
おり、母と父、私の 3 人だった。父の近況を聞くと、一時は酒ばかり飲み、体重が 30kg
代まで落ち、たが、今は飲酒も自重し落ち着いていると言うことだった。とりあえず安心
した。
いよいよ、本題を切り出す。
「最近、ずっと集会行ってないんだよね。」と私。
『行かなきゃ駄目でしょ。』と母。
「行かなきゃ駄目、じゃなくてさ、自分の意志で行っていないんだ。…オレは、エホバ
の証人になるつもりはない。」
『なんじゃい…。』
予想していたよりも反応が穏やかだったので、あっけにとられた。父が電話で「うすう
す気付いているかも」と言っていたが、それは間違いだったようだ。そのため、言葉と内
容をを選ばず、矢継ぎ早にいろいろ吐き出してしまった。今までずっと疑問を持ち続けて
きたこと、インターネット、JW が「背教文書」と呼ぶ書籍、タバコ、卒論…。
始めは『だめさ、そんなことしちゃ。』とプンスカした態度を見せていた母だが、次第
に表情が曇り、押し黙ったまま別の部屋に行ってしまった。言い方がまずかったと思い、
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話し合いを続けようと母に近づいたが、口を聞いてくれなかった。
午後 11:00。姉が帰宅した。母から姉に私の状況を伝えたらしい。
『幸一、ちょっと話し合おう。』という姉の一言から話し合いが始まった。
2 世という同じ境遇で育ったのにどうしてエホバの存在を信じられないのか、個人研究
(JW が行う聖書研究。ものみの塔の出版物のみを用いる。)を徹底的にしたか、疑問を
抱いていることを長老に相談しなかったのか、誰にも相談しなかったのはあんたの弱さだ、
など感情と論理を織り交ぜながら質問してくる。私は今度は言葉を選ぶ余裕があったので、
自分の考えていることを整理しながら話すことが出来た。だが、JW 的な感覚が私の中に
残っているのか、揺さぶられる思いがして精神的に非常にきつかった。話し合いは平行線
-教義・状況の受け取り方の違い-ということになり、その場に加わった父が、
『まぁ、信仰は違うけどそれは個人の問題だから、家族は家族として仲良くやらなきゃ
な。』
と、まとめた。今までの父はこうしてこの家族の中で生きてきたのだ。初めて父を尊敬で
きた。
姉と話し合って感じたことだが、姉の感覚は 1 世(自ら JW になった人)に近いもので
あると思う。私のように疑問を感じるときがあったという。しかし、納得のいくまで「個
人研究」を徹底的に行ったと言っていた。この「徹底的な個人研究」で、姉は自らをマイ
ンド・コントロールし、1 世よりの JW になったのだろう。そこが、疑問を感じ続け個人
研究したものの、表面上での納得しか得られなかった私との一番の違いであったのではな
いだろうか。
今だからこそ思えることだが、協会の出版物のみの研究は、本当の「個人研究」ではな
いと思う。それはマインド・コントロールである。本当に物事を知りたい、研究したいの
なら、様々な立場の意見も聞き入れて考慮すべきである。私がそれに気づけたのは、ゼミ
活動やインターネットのおかげだと思う。私がJWを離れるのは、様々な意見・情報を取
り入れて「自分で」決定したことだ。自信を持ってそう言える。
その晩は、父と雑談をしながら居間で寝た。父は失業してからずっと居間のソファで寝
ている。私の部屋だった所は、半分物置になっていて寝る場所はなかった。姉が母と同じ
部屋で寝るため、自分の部屋を空けてくれたが、断ってシュラフ(寝袋)で寝た。父がい
びきをかき始めても、なかなか寝付けなかった。
土曜日。母親・姉とはほとんど話さず、家を出た。元 JW2 世のネット仲間でオフ会を
した。楽しいひとときだった。
その後、JW2 世問題を扱う大学院生のインタビューを受けた。昨晩の状況で混乱気味
だったので、考えを整理しながらインタビューに答えることができて有意義だった。
その日は、姉の部屋を借りて寝ることにした。昨晩に引き続き、あまり寝付けなかった。
日曜日、実家を出発する朝。朝食をとる私に母が近づいてきた。
信仰から離れることは残念だが、仕方のないことだ。しかし、「背教」(教えに背くこ
と。この時点で既に「JW の教え」に反した行動を行っているのだが…。)はしないでほ
しい。-これが母の言い分だ。金曜日の話し合いで、母と姉(おそらくは一般的に JW 全
体)が「背教」と認識するものと、わたしの認識が食い違っているなと感じていた。どこ
からどこまでが「背教」にあたるのか分からないまま、背教行為はしないと半分、嘘をつ
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いた。
そう約束する私に、お金を渡してくれた。そして、父が失業中の今、家計の全てを牛耳
っているのは母自身であることを強調した。私が約束を破ると仕送りを停止するというこ
とらしい。とりあえず、3 月までの仕送りは保証してくれたが。
家を出ると、もうここには帰ってこないだろうなと思った。
バスの中や、自分の部屋に戻ってから、いろいろな思いが交錯し整理できないでいた。
自分は弱い存在。JW に引き戻されるのでは?。自分は背教者。嘘をついてしまったこと。
これからしなければならない会衆との決別。帰る場所がない不安。父の苦しみ。採用が来
るまでは何とかバイトで自活しなければならないという焦り。
比較的、落ち着いた 2,3 日後でも、単語として並べるだけで精一杯だった。
8.今後の課題
2 世には、「求め」というものがない。自ら JW になった人たちは、「世」(一般社会)
の中の酸いも甘いも知った上で、何かを求めて、あるいは JW の何かに惹かれて、JW に
なろうとする。その「求め」とは、人生の目的を明らかにしたいとか、子育てに自身を持
ちたいとか、煩わしい人間関係を避けたい、といったものであろう。
一方、2 世の抱く不安はそれとは異質なものである。具体的に描かれるハルマゲドン、JW
の中で落ちこぼれる恐怖(死を意味する)、学校の友達に受け入れられない辛さ…。
人は青年期に数々の葛藤を通して成長していく。アイデンティティ、つまり自分らしさ
を模索する期間なのである(福島,1992)。JW2 世は、その模索が許されない環境にいる。JW
として生きていくことが、生まれた時から決まっているからだ。上に挙げた具体的な不安
に加え、この「1本のレールの上の人生」であることの不安が付きまとう。
私は、JW2 世として生まれながら、幸運なことにそのレールからはみ出すことが出来
た。自分で針路をとり、進んでいけるチャンスを得た。レールの外の領域に気づいたのは、
大学や教官・友達、彼女、本や Web 上で情報を提供して下さっている方々のおかげに他
ならない。
私はホームページを通して、私自身の中のJW的な部分を客観視し、切り離していこう
としていた。しかし、価値観や感情にまで深く食い込んだ「それ」は、なかなか切り取れ
るものでは無いことが分かった。しかも、切り取った後には、何が残るだろうか。
そのために、JW 問題、特に 2 世問題に対して深く研究する必要を感じている。私は今、
それを卒業論文で扱っている。満足のいくものは出来ないかも知れない、それどころか論
文の形に仕上がるのかどうかすら不安もあった。でも、「今やらなければならない」とい
う強い気持ちがある。不完全でもいい、中途半端でもいい、とにかくやらなければいけな
い気がする。
私が卒業論文を執筆するということは、私の「新しい自分」を作るということである。JW2
世として生まれた以上、「自分を取り戻す」ことは出来ない。取り戻す「自分」がないか
らである。全てを一から作り上げなければいけないのだ。
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2.目的
JW2 世はどんな問題を抱えているのか。その所在を明らかにするのが本論文の目的で
ある。
1.幼い頃からの宗教教育の中で
JW は、子供がごく幼いときから(生まれたときから)宗教教育を施す。
例えば、JW は週に 3 回集会へ出席させるが、乳幼児くらい幼い子どもであっても同席
させる。子供部屋や子供用のプログラムなどは存在せず、大人と同じ講演内容を聴くこと
になる。泣き出したり、少しでも落ち着きがなくなったりすると、他の聴衆の迷惑になる
ので、厳しく躾けられる。子どもにとって 2 時間の集会中、じっと座っていることは苦痛
意外の何ものでもない。4,5 歳くらいになると講演内容を聴き、簡単なメモがとれるよう
に訓練される。注解(集会中の挙手・発言)も段階的に訓練される。「家族研究」や「家
庭聖書研究」と呼ばれる家族内での勉強会は、説教の時間となることも多い。
また、子供は伝道にも参加する。簡単な証言(ここでは勧誘の意)も出来るように訓練
される。普通は、小学生のうちに正式な「伝道者」という立場になる。そして、多くの場
合、中学生か高校生で献身(正式な信者になること。バプテスマという儀式を受ける)す
る。1992 年までは、大学などの高等教育も疎まれていたため、高校を卒業したら開拓奉
仕者(月に 80 時間以上、伝道活動をするよう義務づけられている伝道者)となり、自活
できる最低限の仕事をしながら生活するという生き方が普通と考えられている。
このようながんじがらめの宗教教育によって、自ずと JW2 世は、JW としての道だけを
歩むことになる。非常に狭い範囲でアイデンティティを構築しなければならない。エリク
ソンによると、人は青年期に数々の葛藤を繰り返し、「自分は何者か」の問いの答え(つ
まりアイデンティティ)を求め、自己を形成していく(鑪,1990)。JW2 世は、このような
葛藤がないため、同一性早期達成であると考える。しかし、JW に疑問を持ち、離れるこ
とになると、一からアイデンティティを構築しなければならない、同一性拡散の状態に陥
ってしまうのではないだろうか。
また、子どもが「反抗期」を迎えることは一般的に知られているが、JW では「親の命
令は絶対」という教え(新約聖書エフェソス人への手紙 6 章 1 節には「子供たちよ、主と
結ばれたあなた方の親に従順でありなさい。」とある。)のため、反抗しながら成長する
といった考えがなく、徹底的に従順になるよう躾ける。このような養育態度にも問題があ
ると思う。
「厳しい躾け」と前述したが、その中身は、体罰である。JW では、特に道具(鞭)を
使った体罰が容認されている。もとい、奨励されている。今は、かなり緩やかになって来
ているようだが、演壇上から具体的な叩き方までレクチャーされ、集会中体罰の現場とな
る王国会館(集会所)のトイレには、専用の鞭が用意してあった所もあるらしい。私の場
合、専らスリッパか革ベルトだったが、一般的にはゴムホースが流行していたようだ(服
部,1998)。これらの激しい体罰が、トラウマとなって心に傷を作ってしまう場合も考えら
れる。
- 22 -
その上、JW には禁止事項が山のようにある。宗教的行事の参加禁止(正月、年賀状、
雛祭り、こどもの日、七夕、クリスマスなど)、誕生日祝い禁止、暴力的・性的な内容の
出版物・テレビ番組・音楽の視聴禁止(そのため TV を処分する JW 家族もある)、世(一
般社会)との必要最低限以上の交友禁止、タバコ禁止、輸血禁止、校歌・国歌斉唱禁止、
格闘技禁止(授業での柔剣道、運動会の騎馬戦なども含む)、婚前交渉禁止、自慰行為禁
止、選挙参加禁止などである。これらの禁止事項はもちろん子どもにも適用される。その
ため、欲求不満を感じたり、学校生活などで周りとの価値観の違いに戸惑ったりすると考
えられる。
また、「ハルマゲドンがまもなく到来する」という信条をたたき込まれるため、JW の
中で落ちこぼれることを恐れるようになる。それは「死」を意味するからである。ハルマ
ゲドンの悪夢(地震、地割れ、火の雨)にうなされる子どもも多いと聞く。私もよくその
夢を見た。
JW では、母親が信者で父親が未信者、というケースが圧倒的に多い。その後、父親も
信者になるケースも少なくないが、夫婦仲がうまくいかず離婚する場合もある(JWは離
婚も禁止しているが、「淫行」つまり浮気していた場合認められる)。このような状況の
中で、JW2 世は両親の価値観の違いに戸惑ったり、ストレスを感じてしまうと考えられ
る。かと言って、両親双方が JW だと、宗教教育がさらに厳しくなり、子供にとっては逃
げ場のない環境となる。
学校生活では、多くの JW2 世が、自分が JW2 世であることを隠す。価値観の違いから
いじめられることも考えるし、自分が受け入れられないのではないか、という不安が付き
まとうからだ。そのため、「学校での自分」と「会衆での自分」という 2 重生活を送るよ
うになる。先に述べた禁止事項に授業内容が触れる場合(例えば柔剣道の授業)、また大
会に出席するため学校を休む場合、その旨を担任に伝えなければならない。せっかく隠し
てきた JW2 世であることが台無しになってしまうため、大変大きなストレスを感じる。
なかなか言い出せず、親が代わりに証言(ここでは参加できない旨を述べること)する場
合もある。
このような状況の JW2 世が抱える最大の問題は、自分の信仰が能動的ではないことで
あると思う。
自ら JW になった人(JW1 世)は、何かしらの魅力を JW の中に感じ「JW になろう。」
と思うはずである(ウィルソン,1978)。JW は、統一協会のように、最初は自分たちがそ
の宗教団体であることを隠して近づき、いつの間にか勧誘に成功している、という手法は
取らないからである。それに対し、JW2 世は、「エホバへの信仰生活」が当たり前という
環境である。なぜ、エホバを崇拝し、厳しい信仰生活をしているのか分からずとも、信仰
生活を強いられるのである。言うなれば、受動的信仰でる。
JW1 世から見れば、自分が試行錯誤してたどり着いた結果である JW という信仰を生ま
れたときから実践出来る JW2 世を「恵まれた立場」と見るだろうが、実際、JW2 が自分
たちが恵まれているとは考えない。もちろん、中には本当に恵まれた立場だと思って、忠
実な JW として生活する JW2 世もいる。しかし、受動的信仰の辛さにあえぐ JW2 が多い
であろう。
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2.マインド・コントロールという捉え方
ウッド(1993)や林(1997)、中澤(2000)らは、JW の抱える問題の一つはマインド
・コントロールであると捉えている。ハッサン(1993)によれば、マインド・コントロー
ルとは「個人の人格(信念、行動、思想、感情)を破壊してそれを新しい人格と置き換え
システム
てしまうような影響力の体系のことである」。
確かに JW にもそれが当てはまる面もある。ハッサン(1993)の言うマインド・コント
ロールの四つの構成要素(行動コントロール、思想コントロール、感情コントロール、情
報コントロール)に JW がどれほど当てはまるか、見ていきたい。
①行動コントロール:これは、「個々人の身体的世界のコントロール」のことである(ハ
ッサン,1993)。JW は集会・伝道・大会など多くの時間を信仰生活のために割く。この点
では、JW は行動をコントロールしていると言えると考える。
②思想コントロール:「思想コントロールの内容は、メンバーに徹底的に教え込みをして、
そのグループの教えと新しい言語体系を身につけさせ、また自分の心を『集中した』状態
に保つため思考停止に技術を使えるようにすることである」(ハッサン,1993)。JW は、こ
の世の全ては悪魔サタンが支配する悪であるという教義を教える。そして、聖書は信頼で
きる唯一の神の言葉であることを強調する。また、ものみの塔の出版物の研究(朗読・質
問・本文の中から答える、という一連の内容)を通して、自分で考えずに聖書や出版物の
中から答えを導き出すようになる。ここまで、本論文を読んで下さった方ならお気づきだ
ろうが、本論文には括弧にくくった注が多い。それほど、JW 独自の言語が多いと言うこ
とである。このように、JW は思想コントロールの内容に当てはまる行為を行っていると
考えられる。
③感情コントロール:「感情コントロールは、人の感情の幅を、巧みな操作で狭くしよう
とするものである。人々をコントロールしておくのに必要な道具は、罪悪感と恐怖感であ
る」(ハッサン,1993)。JW の掲げる道徳規準は非常に高い。逆に言うと JW の教義から見
ると、一般の人々は道徳的に基準の低い生活をしている。JW と聖書研究を始めると、そ
の罪悪感を感じることになる。また、ハルマゲドンの恐怖を現実的に強調する。
「自分は、
聖書から見れば堕落した生活をしてきた。このままではハルマゲドンで永遠に滅ばされる
だろう。」と思うようになる。この点で、JW は感情コントロールを行っていると言える
と考える。
④情報コントロール:これは、マインド・コントロールをする側にとって不利な情報を制
限することである。JW は、暴力的・性的な TV・音楽・書籍を見ることを禁止している。
また、一般社会の情報は悪魔サタンの影響を受けたものであると教える。ものみの塔が与
える情報だけが信頼できるものとする。他の宗教の情報を見ること厳しく禁じ、特に元 JW
メンバーが書いたものを「背教文書」と呼び、忌み嫌う。これらのことを見ると、JW は
情報コントロールを行っていると言える。
このように、JW がマインド・コントロールを行っている側面を持っていることも否定
できないと思う。しかし、秋本(1998)は、JW2 世に関して次のように述べている。
「エホバの証人は破壊的カルト(セクト)で信者をマインド・コントロールしている云々」という論
はよく聞く。実際、そのような説明でエホバの証人の行動や考えを説明した本は多い。この「マインド
・コントロール」は、信者に与えられる情報をコントロールすることによって、認識や行動や人格を変
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容させる技術を、本人に密かに用いること、と定義されている。
この見方による評価の欠点は、視野が極めて狭くなることである。つまり操作される側と操作する側
という単純な図式でしか、ものが見えなくなるのである。しかし実際には、それ以上の複雑な要素が絡
んでいるし、この説明で予想される事柄との間に、いくつもの矛盾もみられる。
つまり、彼らの行動や考えの説明方法としては、あまりにも安直だ、というのが私個人の考えである。
より現実を直視した書き方をするため、この考え方をあえて無視した。
秋本(1998)の意見を裏付ける例を紹介しよう。
ハッサン(1993)は、マインド・コントロールを使う破壊的カルトから信者を救出する
とき、彼らが「二重人格」であることに注意する。つまり「カルトに入る前の人格」と「カ
ルトの人格」である。「カルトに入る前の人格」に気づかせることが、救出の第一歩だと
言う。しかし、JW2 世(JW に限らず、カルトの中で育った子供たち)は、「カルトに入
る前の自分」というものが存在しない。「取り戻す人格」と言うべきものがないと言って
も良いだろう。(先に述べた「学校の自分」と「会衆の自分」を二重人格と言えなくもな
いが、どちらも「仮の自分」なので別の次元である。)
また、ハッサン(1993)は、マインド・コントロール達成の過程を、次の 3 つの段階で
説明している。
①解凍:その人の現実を揺さぶって、混乱させ、古い人格を破壊する。
②変革:人格が崩壊した後にできる空白に新しい人格を押しつけて、埋める。
③再凍結:新しい人格を固めるため、人生の目的と活動が与えられる。
確かに、これは JW1 世の場合には当てはまると思う。ものみの塔が、新約聖書エフェ
ソス人への手紙 4 章 22-24 節の「その教えとは、あなた方の以前の生き方にかない、また
その欺きの欲望にしたがって腐敗してゆく古い人格を捨て去るべきこと、そして、あなた
方の思いを活動させる力において新たにされ、神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうち
に創造された新しい人格を身につけるべきことでした。」という聖句を強調していること
は大変興味深い。だが、JW2 世は、生まれたときから信仰生活を行っており、
「古い人格」
は存在しない。つまり、マインド・コントロールという「過程」では、説明がつかないの
である。
...
これらの点から、JW2 世問題を単純なマインド・コントロール問題として扱えないと
考える。
3.離れた後の苦しみ
JW の厳しい信仰生活からドロップアウトしたり、JW の教えや組織の矛盾に疑問を感
じ、JW を離れていく JW2 世は少なくない。彼らはどんな問題を抱えているのだろうか。
先に述べたように、JW としてのアイデンティティが崩れると、同一性拡散と言った状
態になるという問題である。今までずっと信じてきたものが崩れてしまう経験は、相当辛
いものである。まったくのゼロの状態から、自分自身を作り直さなければならなくなる。
この状態を「自我崩壊だった。」という人もいる。
また、今までの JW としての価値観と一般社会との価値観のギャップに大きなずれがあ
るため、戸惑ってしまう。今まで「悪」と教えられていた一般社会の中で、どう生活した
ら良いのか分からなくなる人もいる。人間関係が JW の中にしかなく、どう新しい人間関
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係を構築していったらよいのか悩む人もいる。
取り戻せない人生を悔やむ人も多いだろう。何もかもエホバへの信仰に捧げてきたため、
異性との付き合い方を知らなかったり、進学出来なかったりした人も多い(1992 年まで
は大学進学が規制されていた)。JW では、独身でいることが薦められていたので、婚期
を逃してしまった人もいると思う。
JW である親との関係もこじれてしまう。親子、両者ともどのようなスタンスで付き合
っていけば良いのか分からず、不自然な関係になってしまう。JW に戻ってくるように行
動する親や、逆に一切口を聞かなくなる親もいる。
JW をやめた JW2 世は、「離れたこと」に関する劣等感を持って、生きなければならな
い。JW 的なしこりとも言っても良いかもしれない。自分の中に JW 的感情が残っており、
それがたまらなく嫌になることがある。JW を否定し得ない自分という感情と言うべきだ
ろうか。
JW2 世としての問題は、やめた後も生涯続くことになるのである。
本論文の目的は、以上のような観点から、JW2 世にはどのような問題があるかを検討
することである。
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3.方法
1.被験者
北海道在住の JW を離れた JW2 世の男女 4 名(男性 2 名、女性 2 名)。彼らとは主にイ
ンターネットを通して知り合い、協力を求めた。
2.調査方法
インタビューによる。インタビュー項目は、私の経験をもとに作成した(表 1.参照)。
時系列を以下の 5 つに分けた。
① JW2 世として育てられた頃
一番熱心だった時の立場(研究生、伝道者)、家族構成と信仰の様子、集会への態度、
学校生活、友人との付き合いなどについて。
② JW に違和感を感じた頃
違和感や疑問をどのように感じたか、家族はどのような反応だったか、集会に関わる態
度に変化はあったか、自分に影響を与えたものなどについて
③ JW をやめるきっかけを得た時期
やめるきっかけとその背景
④ JW をやめた直後
どう行動したか、そのときの心理状態、それに対する圧力はあったか、支えられた存在
についてなど。
⑤現在まで
どのように「新しい自分」を作っているか、家族とはどのような付き合いをしているか、
JW に対しどんなスタンスでいるか、インターネットの役割などについて。
その他、時系列に関係なく、JW として活動していた頃非 JW の生活に憧れていたか、JW
をやめた後「JW 的しこり」を感じるか、という質問をした。
3.調査時期
2000 年 12 月中旬。調査場所は喫茶店などを使い、一人につき 1 時間以上インタビュー
するよう心がけた。
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表1.質問項目表(縦軸:時系列、横軸:関わる対象)
自分
家族
家族構成と信仰
① 一 番 熱 心 だ っ た 時 教育方針
の立場
集会など協会
学校・友人・恋人・インターネット
行 く の が 嫌 だ っ た 学校・友人・恋人などのエピソード
か
テレビ・音楽
準 備 ・ 集 会 中 の 態 裏表はあったか
体罰など
度など
② 違 和 感 を ど の よ う どのような反応だっ 関 わ る 態 度 に 変 化 自分に影響を与えた情報はあったか
に感じたか
たか
③
はあったか
やめるきっかけとその背景・影響など
どう行動したか
④ どんな心理状態だ
それに対する圧力はあったか
支えられた存在
ったか
ど の よ う に 「 新 し どのようなつきあい ど ん な ス タ ン ス か
⑤ い 自 分 」 を 作 っ て をしているか
いるか
(JW 擁護・反対・ インターネットの位置づけ
共生)
①JWとして育てられた頃
②違和感を感じ始めた頃
非 JW に憧れを感じていたか
③やめるきっかけを得た時期
④やめた直後
⑤現在まで
「JW 的しこり」を感じることはあるか
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4.調査
以下に、インタビューの調査結果をまとめる。なお、インタビュー内容の詳細は、巻末の
資料 2 を参照されたい。
①-1
斉藤ユカさん(仮名)の場合
斉藤ユカさんは現在、北海道に在住する 37 歳の女性である。
幼少の頃から、JW2 世として育った。東北地方で、擁護派未信者の父、JW であった母、
弟という家族構成で、幼少時代を過ごした。その後、1973 年に関東地方へ引っ越す。ユ
カさんと弟は母親に小さな頃から集会や伝道に連れて行かれていた。
一番熱心に研究していたときでも、伝道者にはならなかった。知らない誰かに証言(宣
教活動)することが苦手で、伝道者になることに強い抵抗を感じていたそうである。しか
し、神権宣教学校(JW の集会の一つ)には入校し、およそ 20 回ほど「割り当て」(神権
宣教学校の生徒として講話を扱うこと)を経験している。
集会は嫌いで「行って楽しいと思ったことは一度もない」と言っている。時には、集会
途中で、集会場の近くにある母親の実家や児童公園に逃げていたこともあった。集会中の
態度は大人しいが、ノートに絵を描いたり、絵本を持ち込んだりしていた。集会の準備も
自分からすることはなく、誘われれば仕方なく予習していた。金曜日か土曜日には、日曜
に行われる「ものみの塔研究」の予習を家族 3 人で行う時間が設けられていた。
体罰についての記憶はないそうである。母親によると「叩く必要がないほどお利口だっ
たから」ということらしい。弟がかなり厳しい体罰を受けていた記憶がある。テレビや音
楽については、テレビ好きな未信者の父の影響で、とくに規制はなかったそうだ。
学校生活の中で、JW2 世であることが苦痛に感じていたことを表すエピソードを語っ
てくれた。JW の大会に出席するため、学校を休む旨を担任の先生になかなか伝えること
が出来ず「明日、歯医者の予約があって休みます。」と嘘をついたそうだ。
友人のとの付き合いでは、近所に住んでいた同じ会衆の子と遊んでいると母親の機嫌が
良かったと言っている。母親はさりげなく「世との交友」を避けるように圧力をかけてい
たのかも知れない。
このような幼少時代を過ごしてきたユカさんだが、8 歳の時、母親がバプテスマを受け
て以来ずっと違和感を持ち続けていた。今までの生活とずいぶん変わってしまったと感じ
ていたという。
その違和感が表面上に表れるのは、中学生の時だった。同じ会衆に同じ年の女の子がお
り、ユカさんは彼女と仲良くなろうと近づいた。ところが、その女の子は JW2 世として
不活発路線を歩んでいたため、仲良くなることを拒絶された。母親から「あの子はエホバ
の証人であることを苦痛に感じているらしい」と言われ、「ああいう立場があっても良い
のではないか」と思い始めたと言う。
またユカさんが中学生だった 1975 年、JW の間ではこの年にハルマゲドンが来ると予
言していた。いじめに耐えながら、その日を今か今かと待ったが、結局ハルマゲドンは来
なかった。そのとき以来、「別の人生が欲しい」と思うようになった。
入学した高校が距離的に遠く、校風も悪かったため、夜間定時制の高校に転校した。そ
- 29 -
のため、夜の集会に出席することが出来なくなり、神権宣教学校の割り当ては休み、日曜
だけ集会に出席するようになる。昼間は暇なので、アルバイトをすることになった。集会
に行く回数が減ると同時に社会に出る機会が増えたわけだ。これが、JW をやめる背景に
なった。
このとき、創価学会の 2 世の男の子と付き合っている。彼は、創価学会に対して批判的
で、特に母親を嫌っている面が強かった。「うちに帰りたくない」という気分が、ユカさ
んと一致し、傷の舐め合いのような付き合いになる。決して「がんばれ。」とは言わず「う
ん、わかる。」という反応をしてくれた彼を、心地よい存在に思えた。ドーナツショップ
で夜遅くまで話し、家には寝るためだけに帰る状況だった。
そのような付き合いをしている折、最終のバスを乗り過ごし、結局ドーナツショップで
夜を明かすことになってしまった。(これをユカさんは「プチ家出」と呼んでいる。)父
親に「何をしていたんだ。」と詰問され、「クリスチャンになりたくない。」と初めて告白
する。
その後も、家には寝るためだけに帰る生活を送っていたが、自分の部屋に聖句を書いた
紙がびっしりと貼られていた。母親の抵抗である。それをみると「痛い」思いを抱いたそ
うだ。しかし、それ以外は、ほとんど集会にもいかなかったため、圧力らしい圧力はなか
ったと言う。また、そういった圧力に対して「割と鈍い性格だった。」と言っている。
父親に「クリスチャンになりたくない」という宣言をしていたが、それでも気が向けば
集会に顔を出すという生活が、その後 10 年ほど続くことになる。どこかで JW が一番正
しいと信じている節があり、結婚し、子供を産むとき「私が育てて良いのだろうか、母に
預けて立派なエホバの証人に育ててもらおうかしら。」と悩んだそうである。
決定的に「JW は正しい」という意識が崩れたのは、29 歳の時である。当時、子供が 3
歳で、5 歳の子供をつれた姉妹(JW の女性信者)が遊びに来ていたそうである。体罰の
話題になり、その姉妹は「ゴムホースで 100 回叩く」と鼻を膨らまして得意になって語っ
たそうである。ユカさんが「かわいそう」と言うと、姉妹は「いや、それくらいやらない
と子供なんて言うこと聞かないでしょう。」と言った。ユカさんは、その時の姉妹の顔が
狐憑きのように見えたという。当時、幸福の科学の会員である女優・小川知子が TV によ
く出ていて、「狐憑きみたいな顔で」語っていた。彼女の顔と同じに見えたと言う。この
一件をきっかけに「エホバの証人も数ある宗教の一つ」なのだ、と思うようになる。その
後、JW で禁じられているクリスマスや七五三、献血などを積極的に行うようになった。
現在、ユカさんはホームページを管理している。「今は、インターネットなど、自分で
やめるきっかけになる情報があって楽」であると言う。インターネットを使える最近の
JW2 世に対して、うらやましい気持ちもあるが、せっかく利用できるものがあるのだか
らどんどん利用してもらいたいと考え、ホームページを開設するに至ったそうだ。
現在、「自分の中に JW 的しこりを感じることは少ない」と語っているが、JW として活
動する家族や組織に対して「仕方がない」と感じている。今更、組織がなくなったり、母
や弟が JW を離れるとは考えられないようだ。
ユカさんの経験を表 1 の形式に当てはめて、表 2 にまとめる。
①-2
斉藤ユカさんの特徴
- 30 -
ユカさんの経験の特徴を、以下の 7 項目について、まとめる。
ⅰ)違和感と疑問:何となくの違和感や「集会が嫌」という気持ちは抱いているが、は
っきりとした疑問は持っていない。
ⅱ)人間関係:友達関係が乏しく、恋愛・結婚が大きな影響を与える。未信者の父に JW
をやめることを告げるなど、父親の存在も大きい。
ⅲ)集会の出席率低下:夜間定時制高校への転校によって。
ⅳ)客観的情報:乏しい。若い世代にインターネットを利用して貰いたいと感じている。
ⅴ)信じていたものが崩れるショック:変化が長い時間をかけたものであったため、シ
ョックは少ないが、ボーダレスで不安定な状態が長く続いている。。
ⅵ)JW の相対化:「JW も数ある宗教の一つである」というレベルで相対化出来ている。
ⅶ)新しいアイデンティティの構築:結婚、移転を機になされたと考える。
表2.斉藤ユカさんの経験
自分
家族
集会・組織など
学校・友人・恋人
幼
大会に出席するため、
少 研究生
学校を休む旨をなかな
時 伝道者になることに抵 父(未信者)、母(JW)、 集会は楽しくなかった。 か言えなかった。
代 抗があった。
弟
ノートに絵を描いたり、 同じ会衆の子と遊ぶと、
体罰:自分は厳しくなか 絵本を持ち込む。途中で 母の機嫌が良い。
疑 8 歳で母がバプテスマ ったが、弟は厳しかった。 公 園 や 母 の 実 家 に 逃 げ
問 を受けて以来、ずっと TV・ 音 楽 : 父 の 影 響 で た。
同じ会衆の子が不活発。
を 違和感を持っている。
「ああいう立場があっ
規制なし。
持 1975 年説が外れ、「別
ても良いかな。」
つ の人生が欲しい」と思
学校でいじめを受ける。
うようになる。
契 ・夜間定時制高校に転校。集会に行く機会が減り、社会に出る機会が増える。
機 ・新興宗教 2 世や創価学会 2 世の男子と付き合う。傷の舐め合いのような付き合い。
朝までドーナツショッ 部屋に聖句を書いた紙がびっしり貼られていた。
や プで語り明かした。(プ 弟がバプテスマを受けていた。
創価学会 2 世の男の子
め チ家出)
傷の舐め合い。居心地
圧力らしい圧力はなかった。
た とにかく家にいたくな
の良い存在。
直 い。
後 家出の後、父に「クリ
スチャンになりたくな 気が向いたら、集会に行く(10 年近く続く)。
い」と宣言。
現 JW が 禁 じて い る宗教
JW は「仕方がない」。
インターネットはどん
在 的行事(クリスマスな 電話などで「普通に」付 いまさら組織がなくなっ どん利用してもらいた
ま ど)に関しては、抵抗 き合っている。
たり、母や弟がやめると い。
で がない。
は考えられない。
現在の夫が支えになっ
ている。
- 31 -
②-1
大林誠さん(仮名)の場合
大林誠さんは、現在北海道に在住する 25 歳の男性である。
幼少時代の家族構成は、未信者の父、JW である母、姉の大林恵さん(仮名)の 4 人家
族であった。誠さんと恵さんは、小さい頃から集会に連れて行かれたり、JW2 世として
の教育を受けて育った。
一番熱心だったときでも、会衆の長老の方針で伝道者になることは出来ず、研究生止ま
りだった。神権宣教学校には入校し、2 年ほど割り当てをこなしている。
TV・音楽については、未信者の父の影響で特に規制はなかった。体罰はあったが、「3
回同じ悪いことしたら叩くよ。」と言われたら 2 回でやめるとか、「叩かれるほど悪いこと
をした覚えはない」と主張したり、体罰をかわす方法を心得ていたと言う。
最初の頃は、集会に行くことは、そんなに嫌いではなかったそうである。しかし、出席
していた会衆の長老と母親の関係がこじれ「あの一家とは口を聞くな」という雰囲気が漂
いだし、誰とも言葉を交わさずに集会に出席し帰るようになってしまう。「これは苦行で
したね。」と誠さんは語る。
集会中の態度はそれほど熱心ではなかったようだ。集会中眠ってしまわないように、集
会のある曜日は外出が禁止された。体を疲れた状態にしないためであったそうだ。これは
「きつかった」と言う。集会の準備などは、自分でテキストとなる出版物に線を引く程度
の予習をしていた。
学校では、模範的な JW として、柔道に参加できない旨を伝えるなど、証言を積極的に
行っていた。その結果「変なやつ」と見られるようになって、どんどん独りになっていっ
たそうである。このときは「証人という強烈な鎧があったから」そのような状況でも耐え
られた、と語ってくれた。
JW に対して、疑問を持ち始めるのは、中学・高校の頃だった。この頃、開拓者(一定
時間以上の伝道を義務づけられている JW)の子供に殴る蹴るのいじめを受けている。
中学生の時、誠さんが JW であることでからかわれていたとき、クラスメートであった
長老の娘が一緒になって笑っていた。しかも彼女は、長老である自分の父親に「大林君、
からかわれていて可哀想だった」と自分のことを棚に上げて報告していたらしい。
高校に入り、また誠さんが JW であることで担任の先生やクラスの生徒からからかわれ
る事件があった。そのとき、誠さんの友達の一人で「自分は無神論者だ」と言っていたノ
ブアキ君(仮名)が、その担任に対して激しく怒ったそうである。
ここで、誠さんは考える。「自分がもし神様だったら、長老の娘とノブアキのどっちを
救うか」と。そこで、「親が証人だったら救われて、そうではなかったら救われない」と
いう考えに対し、「信仰を抱く人全てを救う」という宗教の信条に反しているのではない
か、と疑問を抱くことになった。
その疑問を、誠さんは長老にぶつける。誠さんは、この長老に対してかなりの反感を持
っていたようだ。会衆の方針として、誠さんが伝道者になることを止めさせたり、大学に
進学する兄弟(男性信者)の特権(伝道者をする、集会のプログラムを扱う、など JW と
して仕事が与えられること)を一切剥奪したり、十分な予習をせずプログラムを扱ったり
と、かなり問題のある長老だったらしい。
「伝道者になることをストップさせられていたら、自分は救われない。ハルマゲドンが
- 32 -
迫っている今、伝道をしないと永久に救われなくなる。」と当時考えたことを長老に言う
と、「そんなことを言った覚えはない。」という反応をされてしまう。そこで頭に来た誠
さんは大きな声を出してしまった。長老はそんな誠さんに対し「長老に対する不敬な態度
である。」とした。そして、誠さんの特権をすべて剥奪した。
この一件以来、全く集会に行かなくなる。高校 3 年の夏のことだった。この時から 2 年
ほど、「高いところから底なしに落っこちて行く感覚」が続く。信じていたものが全て崩
れたショックから精神的に不安定になってしまったのだと考えられる。
誠さんは、京都市内の大学の法学部に進学する。法学部を選んだ理由として、JW に替
わる別の価値観が欲しかった、世の中が動いているルールを見てみたかったと語っている。
数々の文献を読んだり、JW 問題を扱う人の話を聴きに行ったり、学生生活の中で JW 問
題を徹底的に調べている。
そのようにして情報をたっぷりため込んで、母親に対して説得、つまり JW から離れさ
せる救出カウンセリングを試みている。JW の教えの矛盾を問題提起したり、本やインタ
ーネットから取り寄せた情報を読ませたりしている。最初は「間違っていても私は信じ続
ける」と言い張っていた母親だが、4 ヶ月ほどかかって、説得は成功する。そんな誠さん
のことを会衆では「背教者」呼ばわりするなどしていたらしい。
この説得のための情報を集める際、様々な情報を取り込んだため、「こんな馬鹿なこと
信じていたのか。」「俺の人生何だったのか。」と自我崩壊に陥ったと言う。一ヶ月ほど、
効精神薬を服用する。
現在、誠さんは大学を卒業され、弁護士を目指し勉強されている。弁護士として、JW
問題を人権問題だと捉え直し、宗教によらない反 JW 活動をしたいと考えているようだ。
学生時代、弁護士と飲む機会があり「弁護士は、これが正義だと思ったら追求できる」と
言われたことがある。
誠さんは「俺は反証人運動してるしかないんだと思う。」と自己分析している。誠さん
が生きていく上で問題意識として抱いているのは、やはり JW 問題、とくに 2 世問題のよ
うだ。誠さんは、自分のことを「証人よりも証人らしい」と語っていた。女性との交際は
一切なく、服装・髪型は慎ましい。JW の訪問を受けると逆に JW の問題点を「逆証言」
し、JW 反対集会では自発奉仕(会場の設営、清掃、パネリストとして出演など)をする。
そのような「証人らしい」自分をちょっと嫌だと言う。結局、過去の生き方しか出来ない
ことを自覚しているようだ。
誠さんの経験を表1の形に従って、表 3 にまとめる。
②-2
大林誠さんの特徴
同様に 7 項目についてまとめる。
ⅰ)違和感と疑問:長老の行動に対する違和感、「教義」に対する疑問、「組織」につ
いての疑問をはっきりと持っていた。
ⅱ)人間関係:学校でも会衆でも独りになっていった。その代わりに、「証人としての
鎧」を持つ。強みであり、弱点でもある。
ⅲ)集会出席率の低下:長老から特権を剥奪された時を契機に全く行かなくなる。
ⅳ)客観的情報:大学で徹底的に調べる。
- 33 -
ⅴ)信じていたものが崩れるショック:ⅲ)ⅳ)をきっかけにかなり強いショックを経
験している。「落ちていく感覚」が 2 年ほど続く。
ⅵ)JW の相対化:JW2 世問題を人権問題と捉え直すことによって、JW を再評価する
ことで相対化出来ている。
ⅶ)新しいアイデンティティ:反 JW としての自己を構築している。
表3.大林誠さんの経験
自分
家族
集会・組織など
学校・友人・恋人
父(未信者)、母(JW)、 集会はそれほど嫌ではな 学校では、模範的 JW。
幼 研究生
姉
かった。
証言を積極的に行う。
少 伝道者になることを長 体罰:あったが、かわす 集会中・準備はあまり熱 「変なやつ」あつかい
時 老が止められた。
方法を心得ていた、。
心ではなかった。
されどんどん独りにな
代
TV・ 音 楽 : 父 の 影 響 で 長老との仲がこじれ、会 る。
規
衆の誰とも口を聞かなく JW という鎧で耐える。
制なし。
なり辛かった。
疑 長老の娘と友人の行動
長老に直接、疑問をぶつ 大泉(1988)「説得」を
問 か ら 、「 救 い 」 に つ い
けた。
て疑問を抱く。
読 む 。「 サ タ ン と 決 め
つけてはいけない」
契 「長老に対する不敬な態度」と受け取られる。
機 特権を一切ストップさせられる。
集会にきっぱり行かな
会衆からは放っておかれ
や く な る 。「 底 な し に 落
ていた。
め ちていく感覚」が 2 年
支えは、自分の良心の
みだった。脆い。
た ほど続く。
直 大学で JW 問題を徹底 母親に対して「説得」
(救 会衆では「背教者」呼ば
後 的 に 調 べ 上 げ る 。「 自 出カウンセリング)をす わりされていた。
大学で得た情報。
我崩壊」心理的に不安 る。4 ヶ月後、成功する。
定になる。
現 弁 護 士 を 目 指 す 。 JW
積極的反対活動家を目指
在 問題を人権問題として 一家、共に JW から離れ す。反対活動をしていく
ま 扱いたい。
ている。
しかない。
で JW ら し い自 分 が少し
インターネットは通信
手段の一つにすぎない。
嫌。
③-1
大林恵さん(仮名)の場合
大林恵さんは、現在北海道に在住する 26 歳の女性で、先に紹介した大林誠さんの実姉
である。
幼少時代の家族構成は、誠さんの場合を参照されたい。
一番熱心だった時の立場は、バプテスマを受けていない伝道者である。神権宣教学校に
入校したのは小学校 3 年生の時だったが、会衆の方針で一度、神権学校を出されている。
- 34 -
入校し直したのは高校 1 年生の時で、高校 3 年生で伝道者になっている。
体罰はなく、TV・音楽の規制は、誠さんと同じく特に無かったそうだ。
幼少の頃は、集会に行くことはあまり嫌いではなかった。集会中の態度も、積極的に注
解を行うなど、かなり熱心だったらしい。奉仕(伝道)の準備もしていた。
学校では、裏表を作れるほど器用ではなく、JW であることは臭わせながら学校生活を
過ごしていた。選挙しないことや大会出席のため学校を休むことを証言していた。
積極的に JW として活動していた頃、
「世の人(非 JW である一般の人)の方が大変だ。」
「ハルマゲドンが来てすべてが帳消しになる。」と考えていたと言う。
JW に対して違和感を持つようになったのは、会衆の長老の対応であった。19 歳の時、
長老のほうから「バプテスマをそろそろ受けても良いのではないか。(正式な信者になっ
ても良いのではないか)」と話を持ちかけられる。バプテスマを受けるには、その前に長
老との討議が必要とされているため、その討議も進めていた。しかし、集会で呼び出され、
「まだ時期が早いからバプテスマは受けるべきではない。」と言われてしまう。提案をし
ておきながら、それを否定するような一貫しない対応に疑問を持った。これを機に注解を
あまりしなくなるなど、熱心に集会に参加できなくなった。
また、この長老の娘が同じクラスで、いじめられていた経験を持っている。その娘は、
親が長老であるという権威をかざし、「言うことを聞かなかったら、親に言いつけて伝道
者になれないようにさせてやる。」など、言いなりにさせられていた。JW に対して違和
感を感じたのは、このときが最初であると言う。
「証人もやっていることは(一般の人と)
一緒だな。」と考えるようになった。
短大を卒業し、就職したが、その勤め先が非常に忙しい環境で、集会に行く時間がとれ
なくなった。月に数回ほどしか集会に出席できない状況が 2 年ほど続いていたと言う。
その時期に誠さんが、大学に入学し、JW に対しての情報が書かれた本をたくさん送っ
てくれたと言う。その本の情報をきっかけに集会には行かなくなる。
その直後は、信じていたものが全部崩れてしまったショックを受け、1 年ほど「彷徨っ
ていた」と言う。この時期には、前に同じ会衆にいた姉妹から「集会に来てください」と
いう内容の手紙をもらう程度で、会衆からの圧力はなかったが、支えとなってくれる存在
もなかった。高校の時の友達と会う機会はあったが、JW に関した話はすることができな
かった。
現在は、JW は「過去のものになりつつある。」と言う。できれば関わりたくなかった
と語る。JW に対して、積極的に反対活動をするつもりもないし、まして擁護する気もな
いと言う。宗教全般に対して、関わりになりたくないと思っている。「宗教はお腹いっぱ
い。」だそうだ。
インターネットでは、「自分と同じように考えていた人がいたんだなぁ。」と思い、元
気づけられたと言う。現在は、仕事が忙しく、たまに見る程度であるそうだ。
現在でも、記憶のどこかに JW の教えが残っていると語る。例えば、夜遅くまで遊んで
いたら罪悪感を感じるなど、道徳面で、いわゆる健全な生き方しか出来ないと言う。
恵さんの経験も表 1 の形式に従って、表 4 にまとめる。
③-2
大林恵さんの特徴
- 35 -
同様に 7 項目についてまとめる。
ⅰ)違和感と疑問:長老の娘にいじめられ、違和感を感じていた。バプテスマに関して
の長老の対応にも違和感を感じているが、はっきりと疑問は抱いていない。
ⅱ)人間関係:あまり影響はなかった。
ⅲ)集会出席率の低下:多忙な仕事によって。
ⅳ)客観的情報:弟である誠さんを通して得る。
ⅴ)信じていたものが崩れるショック:強いショックを感じている。1 年近く「彷徨っ
て」いる。
ⅵ)JW の相対化:宗教全般に嫌気がさしている。完全に JW や宗教を相対化出来ない
まま、「過去のもの」にしようとしていると思う。
ⅶ)新しいアイデンティティ:職場で構築していると考えられる。
表4.大林恵さんの経験
自分
家族
集会・組織など
学校でも JW であるこ
父(未信者)、母(JW)、
幼 バプテスマを受けてい 弟
学校・友人・恋人
集会には、注解をするな とを臭わせながら過ご
少 ない伝道者。
体罰や TV・音楽の規制 ど、積極的に参加する。 す。
時
はなかった。
伝道もする。
代
選挙をしない、大会出
席のため学校を休むこ
となど証言もする。
疑 いじめ~「証人もやっ
同じクラスの長老の娘
問 てることは同じ」。
にいじめられる。
を
持 バプテスマに関する長 「あの長老は変だから気 注解をしなくなる。積極
つ 老の対応に疑問を持つ。にするな」と言われたか 的に集会に参加できなく
も知れない。
なった。
契 ・仕事が忙しく、集会に行く回数が減る。
機 ・弟が JW についての情報が書かれた本を送り、それを読む。
や 集会に全く行かなくな
め る。
支えとなる存在がなか
会衆からの圧力はなかった。
った。
た 信じていたものが全て 母も説得され、JW を離れている。
高校の友達にも JW の
直 崩れたショックが 1 年
問題は話せなかった。
後 ほど続く。
JW は「 過去 のも の」。 インターネットはたま
現 宗教全般には関わりた
在 くない。
一家共に JW を離れてい 出来れば関わりたくなか に見る程度。自分と同
ま 道徳面で JW の教えが る。
った。
で 残っている部分がある。
積極的に反対活動をする がいることを知り、元
気はない。
いい
④-1
飯羊一さん(仮名)の場合
- 36 -
じことを考えていた人
気づけられた。
飯羊一さんは、現在北海道に在住する 21 歳の男性である。道内の大学に通う 2 年生だ。
羊一さんが 3 歳の時、両親が離婚し、その後は、母親と洋一さん、妹の 3 人家族になっ
ている。ちょうど時を同じくして、母親が JW の訪問を受け、研究が始まっている。羊一
さんが 5 歳の時、母親がバプテスマを受け、正式な JW となった。
羊一さんも JW の教育を受けて育ち、一番熱心な時は、バプテスマを受けていない伝道
者という立場を取っていた。神権宣教学校への入校は小学校 6 年生のときで、以降 10 回
ほど割り当てを経験している。伝道者になったのは中学校 2 年生の春頃だった。
TV や音楽の規制は厳しく、TV が家庭に無かった。この時期、芸能界の情報がまった
く届かず、話題についていけなかった。とにかく TV が観たかったそうだ。音楽について
も、専ら JW の賛美歌(JW は「賛美の歌」と呼ぶ。)を聴いていたと言う。たまに、ラジ
オで流れている歌謡曲やピアノ曲を聴くことはあったが、意識して世俗的な曲を聴こうと
は思わなかったらしい。音楽に対する規制があったと言うより、世俗的な歌を聴かないこ
とが「普通だった」と語る。母親は JW に感化され、それまで好きだった歌謡曲を全て処
分しているほど、徹底していた。
また、厳しい体罰も経験している。だいたい小学校の 3,4 年生まで体罰を受けていたと
言う。手で叩かれることはもちろん、定規、掃除機のパイプ、ベルトなど鞭になる道具を
使っての体罰も受けている。
集会は「友達と会えるから」嫌ではなかったと語る。「世の人(非 JW の一般の人)と
友達になってはいけない。」と教えられていたため、会衆で会える JW の子供たちが唯一
の友達だった。集会は、その友達に会うことが目的で行っていた。
だから集会のプログラム中は、ただ座って居るだけ、という状態で「この長い時間が終
われば、遊べるぞ。」と思っていたそうである。集会の準備も、母親に誘われ仕方なく予
習していた。「退屈でした。」と語る。自分ひとりで予習をするようになったのは、中学
生の頃だが、主にテキストに線を引く程度の予習だった。
学校生活では、裏表を作るほど余裕がなかったと言っている。騎馬戦、仮装大会でのお
化けの仮装など JW が避けなければならない行動が学校であるときは、なかなか担任に言
えず、母親が代わりに証言していたそうだ。中学校では、柔道の授業があり、出来ない旨
を担任に証言している。羊一さんの通う中学校は、柔道とダンスが選択制で、羊一さんは
女子に混ざってダンスの授業を受けた。同じ学年に JW が 2,3 人いたので仲間がいたが、
そうとう恥ずかしかったらしい。
「理由はよくわからない」と言うが、陰口や仲間はずれなどのいじめを受けている。
中学校 3 年生頃、JW に対して疑問を持つようになる。ちょうどその頃、松本サリン事
件や統一協会の騒動が起き、「JW も本当に正しいのか。」と疑問を持ち始めた。小学校の
頃から新聞づくりをし、物事を客観視する能力が養われていたのかも知れないと語る。し
かし、人間関係のベースが会衆にあるため、JW を離れることは考えられず、そのような
疑問を家族や他の人に見せることはなかった。
JW をやめる直接のきっかけは 2 つあったと言う。一つ目は、高校受験のためしばらく
集会を休んだことである。もう一つは、高校入学後、書店で W.ウッド(1993)「エホバの
証人
マインド・コントロールの実態」を偶然見つけ、読んだことだ。
高校入学直後は、集会には出ていたが、その本を読んだ直後、高校 1 年生の 6,7 月頃、
- 37 -
集会に行かなくなる。先輩格の兄弟(男性信者)が集会に来るよう助言をしに訪問してき
た。羊一さんはその兄弟に向かって一方的に「1975 年の預言は外れているじゃないか。」
と詰め寄ってしまう。
このとき、羊一さんは後のことが気になったという。世の中の情報に疎く、行く当てが
なかった、取り残されているような気分だった、と語っている。人間関係のベースが会衆
だったため、「これからどうやって友達を作ろう?人間関係をどうしよう?」と悩んだ。
人間関係を保つため、その後も 3 年間くらいは、記念式(年に 1 度行われる特別な儀式的
集会)や大会(年に 3 回開かれる拡大版の集会)などに足を運んでいる。
その後高校 2 年頃から、高校の新聞局での活動に人間関係を築き、高文連などを通して、
他校の人たちとも触れ合うようになって、少し楽になったという。人間関係を全て失うシ
ョックを避けるように、JW の人間関係を少しずつ減らし、新聞局の人間関係を少しずつ
構築していったと言う。
羊一さんは現在、日本基督教団に属する教会の信徒である。高校 4 年生(羊一さんは定
時制高校に進学したため、4 年制であった。)の 6 月頃、「教会に行ってみようかな。」と
思い、以来通っているという。当時、お付き合いしていた女性との関係がこじれて別れる
少し前のことだった。「確かなもの」が欲しかった、「本来人間とは祈る存在ではなかろ
うか」と考えた、と語っている。
現在まで通い続けている理由として、親からの押しつけではない「能動的な信仰」を求
めていると言う。
現在、母親は JW 不活発で、「宗教は懲り懲り」と言っているらしい。妹も JW から離
れているそうだ。親元を離れ大学に通っているが、ごくたまに帰ることもある。JW につ
いて話し合ったりすることはないそうだ。
羊一さんは、ホームページをお持ちだが、自分の通う教会のホームページを見て、「こ
んなページを作りたい」と思い、開設されたそうだ。元 JW 系のホームページには、大学
に入ってすぐ見ているが、特にショックはなかったと言う。「ああ、仲間がいるな。すご
い体験をしているな。」と思うくらいだったという。インターネットは情報の一手段だと
考えている。
「もし JW ではなかったら、塾も行ってもう少し良い高校へ入れたかも知れない」と考
えることがあるそうだ。そのことを考えると辛くなると言う。
羊一さんは教会に行くときは必ずスーツを着ている。これは、集会にはスーツを着て出
席する JW の名残であると本人も認めているが、「それはそれで良いんじゃないかと思っ
ています。」と語ってくれた。
羊一さんの経験を表 1 の形式にまとめ、表 5 に示す。
④-2
飯羊一さんの特徴
同様に 7 項目について、まとめる。
ⅰ)違和感と疑問:松本サリン事件や統一協会騒動の報道を通して、JW にも違和感を
感じる。「教義」や「組織」には疑問を抱いていない。
ⅱ)人間関係:会衆内のみに構築され、大きな影響を与える。その後、高文連の人間関
係を徐々に構築し、会衆の人間関係を徐々に小さくしている。また、父親がいなかったた
- 38 -
め、体罰や TV 処分などが厳しくなっている。
ⅲ)集会出席率の低下:高校受験のため。
ⅳ)客観的情報:書店でウッド(1993)の本を見つけ、読む。
ⅴ)信じていたものが崩れるショック:人間関係をどうしようか悩む。
ⅵ)JW の相対化:宗教というものを深く考えることによって、相対化出来ている。
ⅶ)新しいアイデンティティ:能動的信仰によって構築している。
表5.飯羊一さんの経験
自分
家族
集会・組織など
学校・友人・恋人
会衆の友達が唯一の人
父(未信者)、母(JW)、
幼
妹
間関係。
集会には、友達に会う目 騎馬戦が出来ないこと
少 バプテスマを受けてい 厳しい体罰があった。TV 的で行っていた。集会中 など、なかなか言えず、
時 ない伝道者。
がなかった。世俗的な音 や準備は退屈だった。
親が代わりに証言。柔
代
楽を聴かなかった。
道の授業を受けず、ダ
ンスの授業を選択し、
恥ずかしかった。
松本サリン事件や統一
人間関係のベースが会衆 新聞づくりを通して、
疑 協会の騒動を見て、
「JW 家族にはその疑問を隠し にあるため、離れること 物事を客観的に見る能
問 も正しいのか」と疑問 ていた。
は考えられなかった。
力が養われた。
を抱く。
契 ・高校受験のため、しばらく集会を休む。
機 ・W.ウッド(1993)
「エホバの証人
マインド・コントロールの実態」
(三一書房)を見つけ、読む。
や 集会に全く行かなくな 先輩格の兄弟が訪問に来る。一方的に教義の矛盾 JW の 人 間関 係 を徐 々
め る。
をぶつける。
に減らしていき、高文
た 以後、人間関係をどう 母親も仕事が忙しくなり、集会に行かなくなる。 連の人間関係を徐々に
直 築こうか悩む。
妹も部活動のため集会に行かなくなる。
後
3 年間ほどは、記念式や大会に出席する。
現 日本基督教団系の信徒 母親は JW 不活発。妹は
構築していく。
ホームページを管理。
在 として活動中。押しつ JW を 離 れ て い る 。 JW とりあえず反対という立 情報伝達の一手段と位
ま けではない能動的な信 について話し合うことは 場である。
で 仰を求めている。
ない。
- 39 -
置づけている。
5.考察
1.被験者別考察
①斉藤ユカさんの場合
ユカさんは、母親が正式な JW になったときからずっと違和感を感じていた。母親が献
身した(正式な JW になった)のが 8 歳の時と、比較的遅かったためではないかと考える。
つまり「JW ではない自分」の時代があった。ハッサン(1993)風に言えば「ユカのユカ」
がいたことになる。
しかし、だからといって完全な二重人格になっていたとは言えないと思う。「別の人生
...
が欲しい」と思っていたのは、「別の人格」に徹し切れていないもがきだと捉えることが
出来ると考える。集会を逃げ出したり、担任になかなか証言(自分の信仰を表明すること)
が出来なかったり、伝道者になることに抵抗を感じていた様子は、単純な二重人格という
より、もっと複雑でストレスフルな心理状態だったと思う。はっきりと、組織や教義に対
して疑問を抱いていなかったことも、このようなボーダレスな状態に影響していたと考え
る。
JW をやめる背景になったことは、定時制高校への転校だった。物理的に集会に行く回
数が減り、アルバイトによって社会に触れる機会が増えた。そして、創価学会 2 世の男性
との付き合いが大きな影響になったと思う。
JW をやめる直接的なきっかけは、ユカさんが言う「プチ家出」(彼と朝までドーナツ
ショップに居たこと)だった。このとき、「JW になりたくない」宣言を父親にしており、
未信者の父親という存在が大きかったと思う。しかし、その後も完全に JW を相対化する
ことができず、10 年近く引きずっている。ユカさんが 29 歳の時の「小川知子事件」をき
っかけにようやく「JW も数ある宗教の一つだ」と相対化し、客観視出来るようになって
いる。急激な変化ではなかったため、信じていたものが崩れるショックは少なかったよう
だ。しかし、その引き替えに、長期にわたりボーダレスで不安定な状態だった。
ユカさんが 10 年近くも、JW を相対化できなかったのは、情報の不足が原因だったと
思う。JW の行った情報コントロールや、時代背景としてインターネットが利用できなか
ったことなどが影響していると考える。
現在の JW に対するスタンスは「仕方がない」と語っている。このことから、現在でも JW
を完全に再評価できず、何かしらのしこりを引きずっているのではないかと思う。結婚や
出産、また仕事(結婚カウンセラー)によって、新しいアイデンティティを作っているの
ではないかと考える。
②大林誠さんの場合
誠さんは、幼少時代から「裏表」や「二重人格」といった状態は存在しなかった。かえ
って、自分で神への信仰を真剣に考えていたようだ。組織主義の矛盾を感じ、JW から離
れたと言っても良いだろう。また、教義そのものに対して強い疑問を感じていたのが、誠
さんの最大の特徴である。
- 40 -
大学に進学し、そこで徹底的に JW を調べ上げ、JW を相対化している。この作業によ
って JW を完全に否定している。精神的にもかなり負担の大きな作業だったようだ。信じ
ていたものが崩れるショックを強く感じている。母親を説得し、JW から離れさせたのも
JW を否定する一連の作業だったと捉えられると思う。
現在も、積極的な JW 反対活動家を目指す誠さんは、反 JW というアイデンティティを
手に入れたように感じる。また、JW2 世問題を人権問題と捉え直すことにより、JW を再
評価し、相対化する余裕も感じられる。しかし、「証人より証人らしい自分」がちょっと
嫌だと言う。結局過去の生き方しか出来ない自分を自覚し、JW2 世であったしこりが残
っているのではないかと思う。
③大林恵さんの場合
恵さんは、高校生の時に伝道者になるなど積極的に JW として活動していた。学校でも
裏表を作るほど器用ではなかったと語っている。長老の対応や、クラスの JW2 世の行動
に対して違和感を感じているが、JW の組織や教義に関しては、はっきりとした疑問を抱
いていなかったと思う。
JW から離れるきっかけは、仕事のため集会に行く機会が減ったことだった。物理的に
接触する頻度が低くなったところへ、弟の誠さんの持ってきた情報が大きく影響し、心理
的にも JW から離れていったと考える。この過程はやはりつらいもので、信じていたもの
が全て崩れたショックで 1 年ほど「彷徨っていた」と言う。
現在は「JW は過去のものになりつつある。宗教はお腹いっぱい」と言っているが、道
徳的な面で JW らしさを感じてしまったり、たまに JW 系サイトを覗いたりと、JW2 世で
あったしこりを抱えていると感じた。JW を完全に相対化出来ないまま、無理に過去のも
のにしようとしているように感じる。
④飯羊一さんの場合
羊一さんも、伝道者になるなど一見積極的に JW として活動していたように見える。だ
が、羊一さんを JW につなぎ止めていたのは人間関係であったと思う。JW の教えのため
友達関係が会衆内でしか築くことが出来ず、その友達に会うことが目的で集会に行ってい
た。松本サリン事件や統一協会騒動の報道で、JW に対しても違和感を感じるが、この人
間関係を壊したくないあまり、なかなか表面上に出せなかったのだと思う。
ウッド(1993)の本を読んで、JW から離れることになるが、受験のため物理的に集会
にあまり行かなくなっている背景がある。この時期も、人間関係が大きな鍵を握っている。
人間関係を全て失うショックを和らげるために、新聞局での人間関係を少しずつ広げ、JW
の人間関係を少しずつ減らしている。
現在、羊一さんはキリスト教会の信徒である。しかし、JW からすぐに改宗したわけで
はない。浅見(1994)は、統一協会から脱会した山崎浩子について「統一協会のような奴
隷的服従の宗教に慣らされた人が、そういう精神構造のまま別の『信仰』へと横すべりす
るのは、解放でも自立でも何でもない。浩子さんはまずいちど完全に自由になるべきであ
る。その上でなお『ふつうの』キリスト教に関心があるときだけ、自分から教会に来たら
良い。」と述べている。羊一さんの信仰はまさにそういったものである。
- 41 -
親から一方的に押しつけられた宗教ではなく、自ら能動的に信仰を求めることによって
宗教アイデンティティを保っているのだと思う。
また、「自分が JW2 世ではなかったら、もっと良い学校へ行っていただろう。そのこと
を考えると辛い。」と語っていた。いくら現在の信仰を追い求めたところで、過去の人生
が帰ってくるわけではない。JW2 世として背負わなければならないものを背負っている
と感じた。
2.全体的考察~自分自身との比較と今後の展望~
インタビューを行って感じたことは、共感だった。
幼少時代に行きたくもない集会に行かされていたこと、ゴールデンタイムに TV を思う
存分観たかったこと、伝道者になること・献身する(正式な信者になる)ことに何とも言
えない抵抗を感じていたこと、体罰を受けていたこと、未信者の父がおりその存在が大き
かったことなど、私との共通点が多数あった。
JW に対して、漠然とした「違和感」を感じていた点も共通する。はっきりと教義や組
織に対して疑問を抱いていたのは、誠さんだけだったように思う。このような JW そのも
のに対してはっきりと疑問を持てないのが、2 世の弱点であると思う。JW という価値観
の中で育ち、自己を見つめ直す機会が少ないことが影響していると考える。
人間関係は、JW2 世問題を考える上で、大きな要因の一つである。大泉(1988)は、
会衆は一つのコミュニティであると述べている。そうした人間関係を壊したくないという
自然な感情が、JW に対して疑問を持たせない一つの要因ではないだろうか。
また、JW とは別の人間関係を持つことが、JW を離れる背景にある。高校や大学、職
場、結婚関係など、JW とは違うコミュニティのメンバーになることが、JW から離れる
背景として考えられる。インタビューの結果もそれを裏付けている。
その他、JW をやめる背景になったものは、さまざまだったが、私を含め共通して言え
るのは、物理的に集会へ出席する回数が減ったことである。集会に行かなくなったことが
背景ではなく、むしろ「集会に行かなければならない」というビリーフ(思い込み)が崩
れて表面化したと言った方が良いだろう(国分,1991)。新フロイト派のカレン・ホーナイ
風に言うなら「べき」の専制から解放されつつあった、と言うべきだろうか(ホーナイ
,1986)。その後、集会だけでなく様々な場面での JW の教えである「べき」が崩れていっ
たと考えられる。
この過程は非常に辛いものであることは、私は身をもって知っている。今まで与えられ
てきた価値観やアイデンティティが崩れることであるからだ。インタビューした 4 人全員
が、程度や質の差こそあれ、この苦しみを味わっている。その状態から、今度は一から新
しいアイデンティティを構築していく必要性に迫られる。今まで「悪」とされてきた一般
社会で生きて行かざるを得ない元信者にとっては、不可欠な作業である。2 世の場合、こ
れはやっかいな仕事になる。「JW に入る前の自分」「取り戻すべき自分」が存在しないか
らである。しかし、全くのゼロからのスタートではないと思う。少なくとも、JW をやめ
た自分というアイデンティティは存在しているからだ。
この時期のキーワードは、「相対化」であると思う。今まで絶対的だった JW の教えか
- 42 -
ら解放されるためには、JW を相対化させる必要がある。
「JW も数ある宗教の一つである」、
「JW も所詮は人間の集まりだ」、などと思うことである。そしてさらに、自分の価値観
で JW の評価して良い点、許せない点などを分けて再評価出来る余裕を持つ必要がある。
JW の相対化には、JW を様々な角度から見た情報が必要である。情報が不足していた
ユカさんが 10 年近くも JW を相対化出来なかったことからも、情報の重要性が分かる。JW
を離れた 2 世の書いた本やインターネット上の情報は、この点で有意義である。牧師や神
学者が多くの文献を出しているが、それらは一方的に JW を批判しているに過ぎず、JW2
世の「本音」の部分を扱い切れていないのが実状であると思う。彼らの語る客観的事実に
関する情報も必要になる時期があるのだが、JW を相対化できていない時期には抵抗が大
きすぎると思う。
元メンバーの書いた本だからと言って、まったく抵抗なく読めるわけではない。JW の
中では、JW を離れていった人たちとの接触を禁じているからである。とりわけ、批判的
な活動をしている人を「背教者」と呼び、それらの人の文書を読んだりすることに過敏症
とも言えるほど厳しく禁じている。まさに、情報コントロールである。JW をまだ相対化
出来ない時期にこれらの人たちが書いた本を読むことは、非常に勇気のいることだと思う。
しかし、「JW の相対化」にたどり着くためには、通らなければならない道であると思う。
JW を相対化出来たとしても、まだ問題が解決するわけではない。JW の教えに翻弄さ
れた人生を取り返すことは出来ないし、JW であった過去をぬぐい去ることは不可能であ
るからだ。以前、ユカさんは夫にこう、言われたそうだ。「JW だったことを恥じるより
も、JW をやめたことに誇りを持てば良いんじゃない?」ユカさんは目から鱗が落ちる思
いがしたと言う。私にとっても、大きな発想の転換に気づかせられる言葉だった。JW だ
った過去は変えようがない。それは事実である。その事実を認めた上で、新しい自分の人
生を作っていけば良い。そう、感じた。現に、4 人の方は、JW ではない新しいアイデン
ティティを作り上げているように思う。
JW2 世をアダルト・チルドレンとして捉えることも出来ると思う。斉藤(1996)によ
れば、アダルト・チルドレンとは「親との関係で何らかのトラウマを負ったと考えている
成人」と定義できる。トラウマと言うほど、強烈ではないにしても、ハルマゲドンの夢が
フラッシュバックしたり、体罰を思い出して悩んでいる JW2 世は多いと思う。
アダルト・チルドレンと捉えるとき、大事な点は、それが親との関係で問題を抱えてい
るということだと思う。親が JW でなければ、自分は JW2 世とはならない。つまり、2 世
問題とは、宗教の問題としてよりも親との問題として見ることが出来るのである。青年期
に抱える親からの自立という問題に宗教が複雑に絡み合った形と言った方が適切だろう。
この点を詳しく述べる。被験者が少ないため一般化することは難しいが、JW2 世が JW
から離れる過程は、
JWとしての同一性早期達成→JWへの違和感→JWの相対化→アイデンティティの崩壊→アイ
デンティティの再構築→JWの再評価
と、説明することが出来る。この過程で、「JW」という語を「親の価値観」に代えて、一
般化してみると、
親の価値観による同一性早期達成→親の価値観への違和感→親の価値観の相対化→アイデ
ンティティの崩壊→アイデンティティの再構築→親の価値観の再評価
- 43 -
となる。このような青年期を経験する人は多いのではないかと思う。JW2 世問題を宗教
問題として捉えるより、このような「親の価値観との摩擦問題」と捉えた方がずっとわか
りやすくなる。ここに JW 特有の「組織」や「教義」が絡んでくるため、より複雑になっ
ているのであると思う。
アダルト・チルドレンの回復の方法として、自助グループでの対話などがあるが、その
目的は、人間関係の再構築と、新しい「自己」の創造であると言う(斉藤,1996)。JW2 世
も、一般社会での人間関係を構築し、新しいアイデンティティを創造していくことが、親
の価値観からの解放、つまり 2 世問題から解放されるための方法だと思う。
インターネットの世界では、JW2 世専用または 2 世が主になっている電子掲示板がい
くつも設置されている。普通、JW2 世は、自分が JW であること(であったこと)を口に
したがらない。分かってもらえないのではないか、という不安が付きまとうからである。JW
が原因でいじめられたり、からかわれたりした経験を持つ人は特にそうである。しかし、
掲示板の中で JW2 世がのびのびと語ることが出来る。
それは、同じ境遇で育った人たちなら、自分のことが分かってもらえる・共感してもら
えるだろう、という期待や安心感があるからではないだろうか。JW2 世であったことを
ストレートに悩みとして抱いている人から、普段何気なく使う言葉に JW 用語が見え隠れ
してしまう人まで、インターネットへの発言を通して JW 的な過去を客観視できることは
有意義であると思う。これが、「自助グループ」的な役割を果たしていると言えると考え
る。
しかし、インターネットは通信手段の一つに過ぎない。やはり、直接会って話し合うほ
うが、もっと意味があると思う。各地でオフ会(インターネットで知り合った仲間で実際
に集まること)が開催されているのはそのためであると思う。実際に会って話し合うこと
で、自分と同じ境遇にいた人がいることを実感でき、自分の中にある 2 世問題に向かい合
えるのだと思う。
今回、私は卒業論文のためのインタビューという形を通して、こういった体験が出来た
と思う。彼らの過去の体験を聞くことによって、私の過去を相対化して見ることが出来る
ようになったと思う。
私は本論文を通して、「自分」というものを見つめ直すことが出来たと思う。そもそも
私の学生生活は、自分を見つめ直し、JW という親の価値観を相対化させるためのもので
あったと考える。ゼミや自主活動などを通して、物事を客観的に見て語る能力を養うこと
が出来、「エホバの証人の子供たちの Home Page」に出会って、疑問が表面化した。その
後は、新しいアイデンティティを如何にして獲得するかの模索だった。いや、現在も模索
中である。
今後は社会の中で、また自分のホームページを通して、自分を見つめ、アイデンティテ
ィを獲得していくことになると思う。本論文がその足がかりとなれば幸いである。
JW2 世に限らず、親の価値観に縛られ、私と同じように悩んでいる方も多いと思う。
その方たちが、親の価値観という存在を相対化し、自由に「自分らしく」生きていけるよ
うになることを願ってやまない。
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終わりに
昨年 11 月、札幌で開かれた「破壊的カルトを考える会」に出席した。中澤啓介牧師が
講師として、JW 問題について講演して下さった。しかし、私がこの集会で感じたことは、2
世、つまりカルトの中で育った子供の問題についてはまだ多くは語られていないというこ
とである。もっと 2 世問題について語られる日が来ることを願ってやまないが、本論文が
その引き金になってくれれば、うれしい限りである。
本論文を執筆するにあたり、多くの方のご協力を頂いた。特に下記の方々には、多大な
支援を頂いた。この場を借りて厚く感謝いたします。
指導教官
加藤義之先生
奥山誠司先生
マインド・コントロール研究所
大野キリスト教会
中澤啓介牧師
真理のみ言葉伝道協会
北海道大学大学院生
パスカル・ズィヴィさん
ウィリアム・ウッド牧師
猪熊百合さん
「エホバの証人の子供たちの Home Page」管理人
秋本弘毅さん
インタビューに協力してくださった 4 人の方々
心理学演習(卒論ゼミ)のメンバー
本論文の推敲に協力して下さった斉藤信治君、藤嶋有希子さん
インターネットを通して、その他様々な形で私を支えて下さった皆さん
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引用文献・Home Page
引用順
大泉実成
1988
説得-エホバの証人と輸血拒否事件
ウィリアム・ウッド
1997
林俊宏
エホバの証人-マインド・コントロールの実態
「エホバの証人」の悲劇-ものみの塔教団の実態に迫る
2000 年 1 月 1 日号
「ものみの塔」誌
生駒孝彰
1993
現代書館
1981
1987a
欠陥翻訳
金沢司
1987b
事件簿
わらび書房
ものみの塔聖書冊子協会
アメリカ生まれのキリスト教
金沢司
三一書房
旺史社
北海道広島会衆(絶版のため下記の URL 参照)
北海道広島会衆(絶版のため下記の URL 参照)
http://www.stopover.org/index.shtml
エホバの証人情報センター(http://www.jwic.com/home._j.htm)
服部雄一
1998
エホバの証人の児童虐待
秋本弘毅
1998
エホバの証人の子どもたち-信仰の子らが語る、本当の姿
狭山心理相談室(未発表)
わらび書
房
JW ののぞき穴(http://sapporo.cool.ne.jp/co1iba/index.html)
エホバの証人の子供たちの Home page(http://www.alles.or.jp/~philip/jw%20child.html)
福島章
鑪幹八郎
1992
青年期の心-精神医学から見た若者
1990
アイデンティティの心理学
1978
ブライアン・ウィルソン/鶴岡賀雄訳
親族関係の諸問題
中澤啓介
2000
国際宗教ニューズ 1978
講談社現代新書
講談社現代新書
日本における「エホバの証人」の発展と
Pp.41-61
パンドラの塔~ものみの塔に幽閉された人々のために~
新世界訳研
究会
1993
スティーブン・ハッサン/浅見定雄訳
マインド・コントロールの恐怖
恒友出
版
浅見定雄
1994
国分康孝
1991
新宗教と日本人
晩聲社
<自己発見>の心理学
講談社現代新書
カレン・ホーナイ/対馬正監修/藤沢みほ子・対馬ユキ子訳
神経症と人間的成長-
斉藤学
1996
1986
自己実現の闘い-
アカデミア出版会
アダルト・チルドレンと家族-心のなかの子どもを癒す
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学陽書房
資料編(インタビュー内容)
斉藤ユカさんの場合
Q「幼少時代の家族構成と家族員の信仰を教えてください。」
斉藤(以下 s)「父と母と私と弟の4人家族です。母が JW で、父は割と擁護派の未信者と
いう感じで、私と弟はまだ小さいので母について歩くという感じでした。」
Q「一番熱心だったときの立場は?」
s「伝道者にすらなりませんでした。ただ、神権宣教学校(集会の一つ。伝道者でなくて
も入校は出来る。)には入ってました。神権学校に入りながら、伝道者にはならなかった
というところですね。あとは、会衆の特権として、集会の前のお掃除というものがありま
して、それを子どもたちでやることになっていて、それの班長のような立場でした。」
Q「割り当て(神権宣教学校の講話)は何回くらいやりました?」
s「相当やったんじゃないかな…。紙(評価用紙)の表裏が埋まるくらい(約 20 回)。」
Q「集会は嫌でしたか。」
s「行って楽しいと思ったことは一度もないと思います。小さい頃は、日曜日の集会の会
場と母の実家が歩いて行けるような距離だったので、公開講演(日曜の集会)が終わると
その母の実家に逃げ出したりとか…。あと会場のすぐそばに児童公園があったので、『ト
イレに行って来ます』と言って、それきりその公園に逃げたりとか。」
Q「では、集会中の態度というのは、ほとんど聴いていなかった?」
s「座っている分には、おとなしくしていたんですけど、ノートに絵を描いてみたり、絵
本を持っていったり…。」
Q「準備などはどれくらい熱心でしたか?」
s「誘われれば仕方なく、という感じでしたね。…ものみの塔(の討議)は、確か金曜か
土曜に、母と弟と 3 人で予習する時間を一応設けていたと思うんですけど。」
Q「体罰はありましたか?」
s「私はあんまり叩かれた記憶は無いんですけど、母に言わせると『叩く必要がないほど
お利口だったから』って。弟はやられていたような記憶があります。父もお尻ペンペンに
ついては肯定的だったんで。」
Q「テレビや音楽についてに規制はどうでしたか?」
s「父がテレビ大好きな未信者だったんで、別に月光仮面だろうがチャンバラだろうが、
父の観たいものがついているんですよね。それを一緒に観ていても母は別に何も言わなか
った。観ちゃいけない、とか、やはり父が観てますから、何も言えないとという感じで。」
Q「学校生活の方での、裏表、二重生活といった面はありましたか?」
s「…大会に出席するために、学校を欠席しなければ行けないときがあったんですが、学
校をお休みすることを先生に自分で言っておくように言われていたんです。が、本当のこ
とがなかなか言えませんで、『明日、頭痛で休みます』くらいのことを言って…。『明日、
歯医者の予約が』とか。そんな感じでしたね。」
Q「他にそういったことでエピソードがあれば。」
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s「中学校 3 年の時は、ちゃんと証言したんだったかな。それは、先生がとても理解ある
方だったんで、きっと彼なら言っても大丈夫だろうと。」
Q「友人とのつきあいはどうでしたか?」
s「(親に止められたりすることは)あんまり無かったと思います。クラスメートと遊んで
いてもそれでとやかくは言われないんですけど、でもなんとなく、近所にも同じ会衆の子
が住んでいたんで、その人と遊んでいる方が、母親は機嫌が良い。無言の圧力のようなも
のを感じていて。やっぱり、その会衆の子と遊んでいることが多かったですね。」
Q「会衆に仲の良い友達がいたんですね?」
s「そうですね。1 つ 2 つ下だったと思うんですけど、女の子 2 人に男の子 1 人という構
成の家族がいて。」
Q「その頃、お付き合いしている男性はいましたか?」
s「割と引っ越しと会衆の分会があって、多くの会衆に行っているんですけど、中学高校
の頃の会衆は親しく遊べる友達というのがいなかったんですよね。で、学校の友達と遊ん
でいたという感じだったんですよね。で、特別『彼氏』とかは高校に入ってから。」
Q「JW に疑問を持ち始めた時期はいつ頃でしたか?」
S「よく覚えて無いんですけど、強いて言うなら初めからかなぁ。母がバプテスマを受け
た(正式な信者になった)のが、私が 8 歳の時なので、割と遅めだっただったので、『今
までの生活とずいぶん変わってしまったな。』という認識があったんですよ。『なんで?』
という気持ちが最初からあったと思います。割と親の前ではいい子だったんで、親も気が
つかないというか気にしないと言うか。集会にもとりあえず行くし。(伝道者にはならな
かったが)もし、強力に誘われたりとか、圧力をかけられたりとかすれば、変わっていた
かもしれないですが。特別、そういう思いをしなかったんで。だから、ならなきゃいけな
い、という意識が芽生えなかった。で、自分からなりたいとも思わなかったんで。もとも
と、性格的に、飛び込んで行って知らない誰かにヘコヘコできないんですよ。寄ってきて
くれる分には、いくらでも仲良くできるんですけど。だから、飛び込みで営業的なことは
皆目だめなんで。だから、伝道者にならなければバプテスマを受けられないというのが、
壁となって立ちはだかって。」
Q「とにかく、伝道が嫌だったという感じですか?」
s「とにかく嫌でした。」
Q「この頃、自分に影響を与えた人とか情報はありましたか?」
s「…中学校の時ですけど、同じ会衆に同い年の女の子がいたんで、彼女と仲良くしよう
としたんですよ。ところが彼女は(JW として)不活発化路線を歩んでいまして。だから
懐いていく私に対して『勉強が忙しいから』とか、いろいろなことをいって拒絶されたと
いうのがあって。で、母に『何でだろうね』って聞いたんですよ。そしたら、
『あの子は、
エホバの証人でいることを苦痛に感じているらしい。』と。で、ああいう立場をとっても
良いのかな、とか、ああであっても良いのかな、とか、そういうことはあったかなぁ。」
Q「やめるきっかけについて、お聞きします」
s「入学した高校は普通の全日制の高校だったんですけど、場所が遠かったことと、学校
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の校風が、ガラが悪かったっていうのかな、1年で退学したんですよ。退学じゃぁ、あん
まりだからって転校っていう手続きを取って、入った高校が、夜間定時制だったんですよ。
それで、神権宣教学校はその時点でお休みってことで、集会は日曜日だけ。夏休み・冬休
みは夜の集会も行くんですけど、昼間は暇なんでアルバイトをしてみたりとか、集会に行
く回数が減ると同時に世間に行く機会が与えられたんです。そんなこんなするうちに、気
になる男の子ができたりして、その子は同級生だったんですけど、【本州のある地域】で
は割とよく知られている新興宗教の現役 2 世だったんですよね。彼は自分がそうだという
ことをひた隠しにしてましたけど、でもばれるんだよね(笑)。で、付き合っていたんだ
けれども、確か 3 ヶ月くらいで、なんとなく駄目になっちゃって。昼間喫茶店でバイトし
てたりとか。本当にやめるきっかけっていうのは、その次に付き合った男の子が、これが
また創価学会の 2 世で、その子は創価学会に対して批判的で、特に母親をすごく嫌ってい
るところがあって、『うちに居たくない』という気分をストレートにぶつけて来る人だっ
たんですよ。一つ年下だったんだけど、私も『うちに帰りたくない』って、結構気分の一
致があって、夜中までドーナツショップでウダウダ話していて、もう家には寝に帰るとい
う感じで。で親に『何してるの?』って言われて。本当に終バスを逃しちゃって、朝まで
ドーナツショップに居たときもあって。『何してるの?』って父に言われて、『嫌なんだ
よね。エホバの証人が』って。それが一番最初かなぁ。」
Q「これが(ホームページに載せていた)『プチ家出』ってやつですね?」
s「そうです。」
Q「その前後について聞きます。行動では『プチ家出』ですよね?その頃の心理状態って
今考えるとどうでしたか?」
s「なんか、とにかく家に居たくない、という感じで。母は母なりに必死だったと思うん
ですけど、うちに帰ると私の部屋の壁に聖句を書いた紙がびっしり貼ってあるんですよ。
それ見ると、やっぱり『痛い』んですよね。非常に家に居たくない気持ちが強くて、まぁ、
幸か不幸か朝からバイトして、学校行って、部活してっていうと、その辺は助かってたか
なぁって思います。そうこうしている内に、弟が高校 2 年のときかな、バプテスマを受け
た(正式な信者になった)んですよ。私が高校 3 年なんですけど、うちにも居ないし、集
会にもあんまり行っていないから、いつの間にか、知らないうちに、という感じで。たま
に気が向いて集会に行くと、周りの姉妹たちが『今度はお姉さんの番ね』って。それが何
のことなのかすら分からない。
『おめでとう。』とか。え?何のこと?みたいな。弟に『話、
聞いてないわよ』とつっこみを入れたら『あら、言ってませんでした?』っていう感じで。
母や弟もなんだかんだ言って来なくなってましたし。」
Q「割と圧力は無かったんですか?」
s「…割と鈍いんですよね。性格的にもあるんじゃないかと思うんですけど。」
Q「そのときに自分を支えてくれたという存在はいましたか?」
s「その頃やっぱり、さっき言った創価学会の男の子と付き合っていて、彼もそういった
家庭問題を抱えていましたから、割と傷のなめあい的な付き合いで。居心地の良い存在で
したね。『がんばらないといけない』とは絶対に言いませんからね。『うん、わかる。』っ
て言う程度で。」
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Q「すっぱり、というよりは徐々に離れていったという感じですか?」
s「一応、父に『私はクリスチャンになりたくない』という宣言をして、母もそういう気
持ちでいるんだな、というのは分かってくれていたみたいなんで。それでも気が向けば、
集会には行ってみるというのが、その後 10 年近く続くんですけどね。」
Q「すっぱり、『もう行かないぞ』ってなった時期はあります?」
s「…本当に心から『もう行かないぞ』ってなったのは、今の旦那と結婚してから。」
Q「再婚されてるんですよね?」
s「一人目の時は、伝道者が家に来たときは、上がって一緒にお茶飲んだりとか。かとい
って集会に行ける状態じゃ無かったですけど。近所の姉妹たちと何となく付き合いがあっ
て、という感じで。それを嫌だともあんまり思わなかった。」
Q「今の旦那さんと結婚されて、こっち【北海道】に来たって感じですか?」
s「結婚したのは【本州】だったんですけど、4 年くらいは【本州】に居たんですよね。
ちっちゃいときから長くいた場所なので、戸口に来る伝道者が知ってるおばちゃんだった
ってことはよくあったんですよ。で、知ってる人だと無碍に追い返せない。で、主人が仕
事の都合で北海道に引き上げようか、それは結婚する前からそういう話にはなっていたん
だけど、『地元から離れた方がエホバとも縁が切れるでしょ』みたいな。」
Q「じゃあ、北海道に移動というのはかなり肯定的に捉えていたんですか?」
s「そうですね。これで、知った顔が居なければ、ガスっと訪問拒否もできるし(笑)。」
Q「このときの支えは、やっぱり旦那さんでしたか?」
s「そうですね。結婚した当初『あんた友達いないの』って言われたんですよ。『うん、友
達って言えば、~~姉妹と○○姉妹(女性信者)と…』という感じで。『友達、エホバの
証人しかいないの?』って言われて。確かにそうだわ、って。」
Q「ふっと考えさせられるような一言を言われるわけですね。」
s「そうそう。彼自身も、とある宗教のお父さんが元 2 世なんですよ。うちの旦那自身は
隔世 3 世という感じかな。旦那の叔母に当たる人で、思春期におかしくなっちゃった人と
かもいるんですよね。だから『2 世は大変だ』ってことくらいは分かってくれてるみたい
で。」
Q「現在、インターネットはどのように使っていますか?」
s「一番最初は、やっぱり『陽の当たる場所』(エホバの証人の子供たちの Home
Page の
掲示板)なんですよ。今年の 3 月 3 日に初カキコをしているんですよ。で、まもなく 4 月
に横浜でオフ会(インターネットで知り合った人たちの集まり)があったんで、仕事のつ
いでもあって、オフ会に出席してみて、で『ああ、こんなに居るのね』っていう感じで。」
Q「今のホームページ立ち上げたのは、いつくらいですか?」
s「(2000 年)6 月の終わりぐらいです。」
Q「これによって変わったということはありますか?」
s「自分の身に何が起きたのかということを、客観的に冷静に見る気持ちの余裕ができた。」
Q「今、ご家族とはどのようなつきあいをされていますか?」
s「離れて住んでるんで、たまに電話で近況を報告しあう程度で。可もなく不可もなく。
この前意外だったのが、母に用事で電話をかけて『そう言えば今日、【弟】の誕生日だっ
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たね』って言ったら、『いるから代わろうか』って代わったんですよ。で、『今日、あん
た誕生日だったね。』って言ったら、妙に嬉しそうなんですよね。母親でさえ弟の誕生日
忘れていたみたいなんで…。」
Q「現在の JW に対するスタンスはどういう感じですか?」
s「あのー、”仕方がない”(笑)。今更、母や弟がやめるとも思わないし、嫌っていても辛
いかなと。ただ、母親についてはゴチゴチの JW なので、折に触れて『世間はあなたをど
う見るか』って言うんですよ。そうしないと旦那の家族との親戚づきあいとかもあるんで。
『あなたがそうすることによって、周りの人はこう思いますよ。』って言うと、割と、あ
あ、と聞いてくれるんですよね。『伝道は趣味だ。あなたにとっては義務かもしれないけ
ど、周りの人にとっては趣味にしか見えないのよ』って。」
Q「精神的に不安定になった時期とかありますか?」
s「… 20 歳から… 18 ぐらいから変ではあったんですけど、記憶が飛ぶくらい具合が悪か
ったのは、22 くらいから 24 くらいかな?創価学会の男の子と高校卒業を機にさよならし
て、普通のサラリーマンの男性と付き合ったんですよね。結構優しい人ではあったんだけ
ど、2 世っぽいところが噛み合わない。結婚となると『とても君では不安だ。』と言われ
て、21 から 22 くらいのとき付き合っていたんですけど、結婚の対象ではないと言われた
ことが、えらいショックで。特に 23 歳ぐらいの時は、何をしてたのかなぁって空白の時
期が。」
Q「創価学会や他の新興宗教の関係者と密な付き合いをされてますけど、そういった宗教
に対してどう思いますか?」
s「やっぱり、ずっと JW が一番正しいと思っていた。その意識が壊れたのが、29 くらい
だったと思うんですけど、景山民夫(幸福の科学会員の作家)が亡くなったとき、小川知
子(同会員の女優)が”狐憑き”みたいな顔で TV に出ていた。あの頃、遊びに来ていた
姉妹が当時 5 歳の子供をつれてきていたんだけど、子供を叩く話になって、『ゴムホース
で 100 回叩く』って鼻の穴膨らまして得意になって言うんですよ。『かわいそう』ってつ
い口をついて出たら、『いや、それくらいやらないと子供なんて言うこと聞かないでしょ
う。』って言った彼女の顔が、小川知子の狐憑きの顔をと同じ顔してたの。で、『あー』
みたいな。『エホバの証人も数ある宗教の一つなんだな。』って。本当に 29 歳でその事件
があるまでは、何かあれば戻ってもおかしくなかった状況で。」
Q「その頃は、現在の旦那さんと?」
s「そうですね。子供も 3 歳くらいになってたし。やっぱり、子供が生まれる時期は悩み
ましたね。自分が育てて良いのかなとか、妊娠中は。自分はエホバの証人にはならないけ
ど、母に預けて、立派なエホバの証人に育てて貰おうかなとか。」
Q「結構、どっちつかずな時期が長かったんですね。」
s「同世代の人と話題になるのが、今はインターネットがあって、秋本さんの本とかいっ
ぱい本も出てるし、一人で立ち直るきっかけになる情報がたくさんあるから、楽だろうね
って話題になりがちですよ。自分がやめてきた頃は、何の情報もなかったから。『ひのあ
た』なんか見てて、初めてやってきた人が 2 ヶ月か 3 ヶ月で元気になっていく様子をみて、
『私の頃とはずいぶん違うなぁ』と。励ましてくれる仲間がいるかいないかで、ずいぶん
- 51 -
違うなぁって思います。」
Q「じゃぁ、インターネットの位置づけとして『うらやましい』という気持ちもあるんで
すか?」
s「そうですね。でもせっかく利用できるんだから、どんどん利用して貰いたい気持ちも
あるし。そういう気持ちもあって、自分のホームページを立ち上げている部分もあり。」
Q「特に印象的だった本はありますか?」
s「『ひのあた』に行くようになってから秋本さんの本を読むようになったくらいで。本は
あんまり…。あ、宝島で出しているカルト系の本、あれは結構おもしろくて『信者じゃな
い外側から見るとこう見えているのか』って、そう言う感じを受けた。」
Q「自分の中に JW 的なしこりを感じることはありますか?」
s「あんまり感じてない。小川知子事件のあとのクリスマスで、初めてツリーを自分で飾
って、子供と一緒にパチパチパチって。ヤッターって感じ。あとは、旦那に誘われて献血
して。血圧も低めだったし心配だったけど、ちゃんと採ってもらえて。それを旦那が父に
『血液状態は悪くないんですよ』って報告してるんです。父が『人様に分けてあげられる
ような血になりましたか。』って。なんだか喜んでたりして。」
Q「まだ JW 的だった頃、JW じゃない自分ということを考えたことはありますか?」
s「中学の 2 年生くらい、ホームページにも書いたんだけど、『別の人生が欲しい』。住ん
でいた地域は、2 年からの内申書が高校受験に響くんです。そこで、学祭の準備ほったら
かして神権宣教学校に行くと。これがイヤーという感じで。でも、高校はそこそこのとこ
ろを出なければいけないという協会の見解もあったし、もうどうすりゃいいの?って感じ
で。もう、吉田ユカ(旧姓・仮名)でいることが嫌だったの。」
Q「これは 75 年(ものみの塔は、1975 年にハルマゲドンが来るという予言をしている)
のあとですか?」
s「そうですね。77 年とかそれぐらい。」
Q「それまでは、そういった思いはなかったんですか?」
s「76 年のお正月までは。75 年にハルマゲドンが来れば、今大変なことは全部終わると思
っていたので。別の人生が、幸せな人生がやってくると思っていた。で、75 年にハルマ
ゲドンは来なかった。そしてその言い訳を聞いても、せいぜい 2,3 年の遅れだろうと思っ
ていたの。だから、今日か明日かと思って居るんだけど、なんか来そうにないな、と。」
Q「ご協力ありがとうございました。」
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大林誠さんの場合
Q「幼少時代の家族構成を教えてください。」
大林誠(以下 m)「父、母、姉、私の 4 人です。」
Q「それぞれの信仰状況はどうでしたか?」
m「父親はいわゆる普通の日本人で、母がバリバリの証人で、学生時代にミッションスク
ールを出たという関係で JW になったといういきさつのようです。」
Q「お姉さんとご本人は?」
m「割とどっちも連れて行かれているという感じで。」
Q「一番熱心な時でどのような立場でしたか?」
m「長老(会衆の責任者)とうちの親が相当仲悪い感じで、(私が伝道者になるのを)ス
トップさせられたんですよ。それで、そんなに熱心だったということはないですね。研究
生止まりで、伝道者になろうと動いたんですけど、長老からストップかけられまして。」
Q「神権宣教学校は?」
m「入ってました。割り当ては 2 年ぐらいやっていました。」
Q「TV、音楽の規制はありましたか?」
m「それほどきつくなかったです。父親が証人じゃない関係もあって、TV は父親が観て
いるものを観ると。」
Q「体罰はどれくらいありましたか?」
m「私、結構ずるいガキだったんで、体罰をかわす方法を心得たんですよ。うちのお袋『3
回同じことやったら叩くよ』って言うんです。2 回で止めておくとか。それから、『叩か
れるほど悪いことした覚えはない』って言っちゃうとか。そしたら、お袋も『それもそう
だ。』って納得しちゃうんですよ。」
Q「実際、叩かれるときは道具とかは使われましたか?」
m「手でしたね。かわしていたんで、叩かれた記憶もあんまり無いですね。」
Q「集会行くのは嫌でしたか?」
m「最初はそうでもなかったですけど、最後の方は、『あの一家とは口聞くな』とか言わ
れてまして、誰とも口聞かないで集会に出席して誰にも挨拶しないで出てくる。これは苦
行でしたね。高校ぐらいですね。うちの長老って、あの結構アホなやつで、普通科の高校
行ったら特権一切剥奪。無茶苦茶だった。ちゃんと予習しないでプログラム扱うし。最悪
だった。教育は親の責任っていう方針だったんですよね。で、うちは父が未信者ですから、
お袋以外が手を出すな、と。伝道者になる準備として別の兄弟(男性信者)に付き添って
もらって伝道出てたんですけど、それがストップされてしまった。それでどう頑張っても
伝道者になれなくて、『業』が無ければ救いは無いじゃないですか。それで長老に言った
ら『そんなことは言った覚えがない』とか言われて、ちょっと大きな声出したら、長老に
対する不敬な態度。結局、権威振りかざしてるだけだったんですよ。」
Q「長老が原因で集会が嫌いになったところが大きいようですね。」
m「あと、集会中寝てしまうのは仕方がない、疲れているから寝てしまうんだ、というこ
とで、集会のある日は外出禁止。きつかった。」
Q「集会中の態度はどうでしたか?」
- 53 -
m「冷めていた。それほど熱心では無かった。また、長老からマークされていたんで、注
解しようと手を挙げても当ててもらえない。」
Q「予習などは?」
m「適当に線を引く程度。自分で勝手にやってましたね。」
Q「学校生活で裏表といった状態はありましたか?」
m「学校では、なぜか模範的証人を装ってたんで。自分のできることをすればエホバは喜
ぶんじゃないか、と思ったわけ。」
Q「友人関係ではどのようでしたか?」
m「…証人の子どもたちは、すべてが悪くて。開拓者の子に殴る蹴るのいじめを受けたこ
とあるし。」
Q「学校の友人との付き合いは?」
m「自分で友達選んでたんで。どんどん一人になっていく。どんどん自分の中に入ってい
ってしまった。なんせ、この頃は変なやつで通っていた。」
Q「模範的証人ということは、証言などは?」
m「バリバリしてましたねぇ。これが傷広めた。でもね、あのときは証人という強烈な鎧
があったから耐えられたんだわ。今は駄目。うちの高校、柔道できないって言ったら『あ
あ、良いよ』って言ってくれる高校だったの。大先輩で巡回監督になった人がいたんだけ
ど、成績が良かったらしくて、その人の仲間ってことで評判良かったわけよ。大会のため
に休むっていうのは、親が止めていた。学校休んでまで行くんでないと。それで、学校行
ってたら、その次の週、集会での目がものすごい冷たいの。そのくせ(大会の講演を録音
した)テープ貸してくれる人もいなかったし。でも、当時は『神様はいるんだ』っていう
鎧があったから。今はバリバリの無神論者なのに。」
Q「疑問を持ち始めたのはいつ頃でしたか?」
m「中学の時。同じクラスに長老の娘がいたの。そいつ、目立たないような地味なやつだ
ったんだけど、俺が証人のことでからかわれた時に、その長老の娘が一緒になってゲラゲ
ラ笑っていたと。しかも、その娘、自分の親に『大林君、からかわれていて可哀想だった』
と報告してるんだよね。嘘つき。おまえだってゲラゲラ笑っていたやんけ。で、高校に行
った後なんだけど、ギデオン教会の人が学校で本配ってたのよ。でも、誰も読まないから
教室に落ちていたのね。で、担任の先生が『この本、誰のものでもないなら、大林、クリ
スチャンだからおまえにやるわ。』って言ったの。クラス大爆笑。それはそれで良いんだ
けど、ノブアキ(仮名)っていう普段無神論者だって言っていた友達が、顔真っ赤にして
怒ったんだ。それで、俺がもし神様だったら、長老の娘とノブアキのどっち救うかなって
考えたの。ノブアキだろうと。で、二人の違いを考えてみると、親が証人か証人でないか、
なんだよね。親が証人だったら救われて、そうじゃなかったら救われない。これは、イエ
ス様を信じるすべての人を救うっていう宗教の信条に反していないかと。そう考えたわ
け。」
Q「そのとき、家族はどんな反応の示していましたか?」
m「親に言っても仕方がないと思ったから、長老に直談判したの。証人の救いについて、
ハルマゲドンもうすぐ来ると思ってたから、俺は永久に救われないと。伝道者ストップさ
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せられてたからね。そしたら、『そんなことを言った覚えは無い』と言われて。もう一つ
腹が立ったのは、集会中に『いつまで経っても進歩しない人、奉仕に出ない人』とか具体
例を挙げるの。それって俺のことやんけ。それも『そんなこと言った覚えはない』ってシ
ラ切られて。で、頭来たもんだからでかい声出したら、『長老に対する不敬な態度だ』っ
て。無茶苦茶でしょ。」
Q「やめるきっかけになったことはありましたか?」
m「一切進歩ストップ。やっぱりそれだね。聖書はパラパラ読むんだけど、読めば読むほ
ど嫌いになった。」
Q「全く集会に行かなくなったのはいつくらいですか?」
m「長老と話し合った直後。あれですっぱり切ったから。あれは高校 3 年の 8 月 27 日。
同じ高校の先輩で早稲田受かった人いたのね。早稲田受けること発覚したら、一切特権剥
奪。あれはすんごい可哀想だった。長老はもう最悪。」
Q「止めた直後、どんな感じでしたか?」
m「感覚なんだけど、高いところから底なしに落っこちて行く感覚が 2 年くらい続いた。
それまで信じていたものが全部崩れて。それから、行動は、証人やめて自由だって羽根の
ばすと羽目外しすぎて、道を誤るって分かってたから、自分の頭で考えて正しいと思った
ことだけをやっていこうと。そういう方向で行ったわけ。」
Q「具体的には?」
m「例えば、選挙ね。証人は駄目だけど、自分の頭で選挙は大事だって納得できるまで考
え抜いて、それから投票日一回も欠かしたことありません。あと、献血は、これも同じ。
学生時代、自分の頭でよーく考えて、輸血することは悪いことではないと考えて、それか
ら献血マニア。」
Q「大学進学は?」
m「高校は【札幌近郊の進学校】なのよ。行ったらもう進学するしかないのよ。就職なん
てかまってくれないし。そして、親父が自分の子供を大学に行かすっていうのが目標だっ
たから。」
Q「【京都市内の名門大学】の法学部に進学されたようですが、その理由はありましたか?」
m「なんつーかなぁ、証人に替わる別の価値観が欲しかった。人権問題とか、世の中が動
いているルールが見たかった。それからもうもう一つ、証人やめたときちょうど、統一教
会の騒動があったの。TV で弁護士さんがベラベラしゃべってたでしょう。オウムとかも
あの辺だよね。坂本弁護士失踪とか。で、法律とかの問題で証人問題を考えてみたいと。
憲法の凡例みてたら、証人問題ガンガン出てくるのね。100 選新しくなったやつ、2 つも
出てた。それから民法のほうでは、証人に関連した離婚の問題。俺のゼミの先生に聞いて
みたら、アメリカの方はもっとすごかった。条文ごとに証人の凡例があった。」
Q「家族や会衆から圧力はありましたか?」
m「会衆からはほっとかれてたからね。止めた直後も、奉仕の僕から泣き落としの話しか
ないし。『これまで頑張って来たんだからさぁ』って。で、こうなっちゃったら手つけら
れないと。」
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Q「このとき、自分にとって支えになった存在はありますか?」
m「…支えねぇ。自分の良心だけだわ。ただ、これ意外と脆いんだよねぇ。神様信じてい
たら、こんな自分でも愛してくれる神様がいるんだって思えるけど、全部自分しかいない
からね。」
Q「そんな感じの学生時代だったんですね。」
m「あっちこっち調べまくったし。京都や神戸って結構、証人問題扱ってる人いるんだわ。
元長老の I 先生の話とか。巡回監督や海老名ベテルの兄弟の醜い話とか。」
Q「文献はどういったものを?特に自分に関係があったものなどは?」
m「いろんな本読んだからなぁ。…ラザフォードの書いた『創造』の本、借りてきたのね。
あれもすごかった。違和感を感じたね。高校時代に読んだのは、大泉実成の『説得』。公
共図書館にあった。あれで、
『サタンの側の人が書いたにしては、ずいぶん正確だな』と。
当時まだ証人でしたので。『サタンって決めつけちゃいけないんだな』って。」
Q「現在までの話を聞きたいんですが…。」
m「その前に、お袋をやめさせた話をしないとな。これは大学 2 年の春休み。たっぷり情
報詰め込んで、実家に戻って話し合ったわけだ。で、お袋は足悪いから、這うようにして
集会行ってるの見てられなくて。」
Q「どんな感じでしたか?」
m「まず初めに、年代計算(ものみの塔は、複雑な聖書預言を年代計算し、1914 年に天の
王国が設立されたと主張している。)の問題を話したの。証人だけが 607 年を始まりにし
てるけど、どの歴史書を見ても 576 年になってる。どっちが正しいの?って聞いた。そし
たら、お袋がいろんなもの調べてきて、『確かに証人だけが 607 年だって言ってるけど、
それは証人オリジナルだから良いんだ』と。そういう強がりを言い出して。それからもう
一個、
『ソドムとゴモラ(古代に神によって滅ばされたとされる都市)は復活するのか?』
って聞いたの。ものみの塔では、6 回、復活するしないで、教義が変わっている(正確に
は変更は 3 回。大林さんの勘違いかと思われる)。で、聖書学者が『復活は初歩の教理だ』
って言っていて、『初歩ですら 6 回も変わっているのは、分かってないってことじゃない
か』って言ったの。これでかなりぐらついていたね。これで、『実はネタ本があるんだけ
ど』って W.ウッド先生の『マインドコントロールの実態』を見せたら、読んでくれて。
それからインターネットで集めた資料も。最初は『間違ってても私は信じ続ける』とか言
い張ってたの。でも、夏頃だったかなぁ。お袋が突然、心の中で何か崩れたと。」
Q「どれくらいかかりましたか?」
m「4 ヶ月くらいかな。その間、ずっと家事とか代行してて。『家事する暇あるなら本読
め』と。だから、”説得”(救出カウンセリング)って状況を家で作っちゃったの。お袋
もかなりぐらついていたから、俺のやったことって『チョン』ぐらいなの。ただ、これっ
て弊害があって、知らなくて良いことたっぷり知っちゃったから、『こんな馬鹿なこと信
じてたのか?!』って、第 1 次自我崩壊。『俺の人生なんだったのか?』ってね。お袋と
姉貴は、『誠の話聞いていたら具合悪くなる』って言ってたけど、本人は具合悪くなるど
ころじゃなくてね。この時は、トフラニール 10mg(効精神薬)で 1 ヶ月くらいかかりま
した。親にやるときは、このくらい知識ため込んでやらないと失敗するよ。で、お袋は集
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会行ってなかったんだけど、証人が訪問していた形跡があったのよ。それで、一度『ハル
マゲドンいつくるんじゃぁ!』って完全に言い負かしてしまったことがあって。奉仕の僕
連れてくるとか言ってたのに、来ないで、陰では『大林誠は背教者だ』って言いふらして
いたりとか。審理委員会(JW を破門する際設けられる裁判のための委員会)とかまで話
し行ってたかも。」
Q「現在活動されていることはありますか?」
m「やっぱり自己分析してみると、俺は反証人運動してるしかないんだと思う。ところが、
バリバリの無神論者でしょ?イエス様を信じれば救われる、とかそういう世界にはならな
い。で、考えたのは証人問題を扱うときのオールマイティの資格。司法試験。弁護士資格
さえ持っていれば、出来ることいっぱいあるんだよね。学生時代に弁護士さんたちと飲ん
だことがあるの。そしたら、『弁護士は、これが正義だと思ったら、追求できる』って言
われたの。とりあえず、そのために勉強してまーす。」
Q「宗教によらない反活動をしたいということですね?」
m「やっぱりやりたいのは、2 世の人たちだね。中には、証人やめたらクリスチャンにな
らなきゃいけないと思っている人もいる。そういう反活動家って、本当に証人を助けたい
のか、自分の教会員を増やしたいのか、分からないんだよね。人権問題だと捉えなおして
ね、子どもの人生滅茶苦茶にするのはどうかっていう切り口からいけないかなって。」
Q「インターネットはいつ頃から?」
m「大学 2 年の頃にようやくインターネット使えるようになって、検索かけたら出るわ出
るわ。それで秋本さん(「エホバの証人の子どもたち」の著者。「エホバの証人の子供た
ちの Home Page」管理人。)に会いに行ったり。」
Q「自分の中でインターネットはどう位置づけられていますか?」
m「意味はあると思うんだけど、まだ不十分だと思う。ネットの世界って自分の言いたい
こと全然伝わらないんだよね。文字だけだから、表情とか。ねじ曲げられちゃったりとか。
そういう意味で言ってるんじゃないのにとか。一つの手段ではあると思うけど、すべてで
はないね。」
Q「証人の生活をしているとき、証人ではない人生に憧れをもっていました?」
m「証人・非証人っていう 2 元論では考えていたけど、相当入っていたんで。ファミコン
したいなとか、その程度。」
Q「反 JW になった後、自分の中に JW 的しこりを感じることはありますか?」
m「最近思うんだけど、証人より証人らしいなって思うの。例えば、奉仕の僕(長老を補
佐する立場の男性信者)が出来ちゃった結婚とか、未婚の母とかいう話があって。で、俺
の生活考えたら、お付き合い一切ないし。今の証人は、長髪いるわ茶髪いるわ。証人が家
に来れば、逆証言しちゃうし。反証人の集会でも自発奉仕一生懸命やるし。」
Q「そういう自分ってどう思います?」
m「ちょっと嫌だ。なんか T シャツを裏返して着ていたみたいな。これはちょっと嫌だね。
やっぱり人間って過去があって今があるわけだから、過去の生き方しか出来ない。」
Q「ご協力ありがとうございました。」
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大林恵さんの場合
Q「幼少の頃の家族構成を教えて下さい。」
大林恵(以下 o)「父、母、私、弟です。」
Q「信仰の状況を確認します。お父さんが未信者、お母さんが JW ですね?で、ご本人が
一番熱心だった時の立場は?」
o「伝道者までです。」
Q「神権宣教学校に入ったのはいつ頃でしたか?」
o「最初に入ったのは小学校 3 年の時。でも、会衆の方針で 1 年以内に伝道者になる予定
のない人ははずすっていうのがあって、1 回出されてるんです。で、もう一回入り直した
のが、高校 1 年の時で、伝道者になったのが高校 3 年です。」
Q「TV、音楽の規制はありませんでしたね?」
o「そうですね。」
Q「体罰はどうでしたか?」
o「体罰もなかったです。」
Q「集会は行くのは嫌でしたか?」
o「小さいときはそんなに嫌じゃなかった。」
Q「嫌になってきたのは?」
o「嫌になってきたのは、やめる 2,3 年前くらいから。」
Q「熱心だった頃の集会中の態度はどうでしか?」
o「一応熱心だった。注解もすごいしてた。予習もしっかりではないけど、多少はやって
いた。」
Q「奉仕の準備は?」
o「奉仕の準備も、奉仕出てたときはやってました。」
Q「学校生活の中で裏表といった状態はありましたか?」
o「器用な人間じゃないから、裏表を作った生活が出来なかったです。学校でも、証人で
あることは臭わせながら。」
Q「例えば、証言(自分の信仰を表明すること)したことなどは印象に残っていますか?」
o「選挙しないこととか、大会で学校休むこととか。」
Q「友人との付き合いに規制はありましか?」
o「特になかったです。」
Q「お付き合いしている人はいましたか?」
o「いないです。」
Q「何か違和感を感じるようになったのは、いつ頃ですか?」
o「おかしいと思ったのは、バプテスマの討議を受けるっていう話になったとき。短大行
ってたから 19 歳の頃かな。長老のほうから『バプテスマを受けてもそろそろ良いんじゃ
ないか』って話がでて、一応討議をしていたんです。したら、次の集会に行ったときに呼
び出されて、『まだ時期が早いから逃しなさい』って。」
Q「薦めておいて、『時期が早い』と言われたところに違和感を感じたんですね?」
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o「『努力するべきところは必ずあります。努力するところはありませんか?』とか言わ
れて、奉仕にあまり出ていないとか言ったら、
『じゃあ、それを努力してください』って。」
Q「それに対しての家族の反応とかはありましたか?」
o「…『あの長老は変だからあんまり気にするな』くらいのことは言っていたかも知れま
せん。親もかなり長老を見放していたんで。」
Q「それに対して集会とかに関わる態度とかは変わりましたか?」
o「それを機に注解とかあまりしなくなった。まだこのときは行かないということはなか
った。」
Q「このとき長老がおかしいというのが影響として大きかったんですね?その他に、おか
しいと思うようになったことはありますか?」
o「実は、一番初めにおかしいと思い始めたのは、この長老の娘が同じクラスで、いじめ
られたんですよ。で、その娘っていうのがすごい人で、親の権威をかざすような子で。
『言
うこと聞かなかったら、親に言いつけて伝道者になれないようさせてやる』だの。まぁ、
一番最初におかしいと思ったのはそこんとこですね。」
Q「直接的に、もう集会に行かないとなったきっかけはありますか?」
o「弟がいろいろ本を送ってくれて。」
Q「特に印象に残ったものはありますか?」
o「うーん、いろんなの読んだから…。あ、北広島会衆の事件の内容が分かったとき。」
Q「金沢司の『事件簿』ですね。」
o「あれは、納得できたんで。で、その前に、勤めたところがもうすごい忙しいところで、
全然休みとれなくて、集会行くのも月に何回かっていう状態になって、それでも細々なが
ら 2 年くらい続いていて。で、細々やってたときにいろいろ読んで、やめました。」
Q「物理的にも、精神的にも離れていったということですね。」
Q「その直後はどんな感じでしたか?」
o「やっぱり、信じていたものが全部崩れちゃった。かなりショック受けました。1 年く
らい彷徨ってましたね。」
Q「会衆や家族から、集会に来ないことに関して圧力はありましたか?」
o「前に一緒の会衆だった姉妹から手紙をもらう程度で。『集会に来て下さいね』みたい
な内容で。」
Q「この 1 年くらいの時期に、支えになったものはありますか?」
o「…うーん、特にいなかった。高校の時の友達はいたけど、こういうこと話せなかった
し。」
Q「現在、JW に対して何かしていますか?」
o「何もしていないです。過去のものになりつつある。」
Q「JW に対してはどんなスタンスですか?」
o「反対運動してるわけでもなく、かといって擁護なんて考えられないし。」
Q「インターネットはやっていますか?」
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o「たまに。自分と同じように考えていた人がいたんだなぁと。元気づけられたと言うか。
でも忙しくて、たまに見る程度。」
Q「他の宗教についてどう思いますか?」
o「とりあえず、もう宗教には関わりたくない。宗教はお腹いっぱい。」
Q「JW としての自分でいたときに、JW じゃない人生に対して憧れを感じていましたか?」
o「いや、世の人のほうが大変だなぁって思ってた。要するに、楽園になるからすべてが
帳消しになると考えていた。嫌な思いもしなかったし。」
Q「いじめにあったときはどうでしたか?」
o「なんか証人もやってること同じだなって思うようになりましたね。」
Q「今、JW 的なしこりを感じることはありますか?」
o「ありますね。やっぱりどっかに聖書の記憶が残っている。道徳心みたいな部分で。例
えば、夜遅くまで遊んでいたら罪悪感を感じるとか、いわゆる健全な生き方しか出来ない。」
Q「ご協力ありがとうございました。」
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飯羊一さんの場合
Q「幼少時代の家族構成を教えて下さい。」
飯(以下 i)「だいたい 3 歳くらいまでが、父と母と妹と私という感じで。でその後は、
父親が(離婚して)消えていきました。」
Q「その頃の家族員の信仰を聞かせて下さい。」
i「母親がもともと実家が曹洞宗のお寺なんですけど、そんなに信仰というのはなかった
ようです。最初の頃は、家族全員信仰というものは全然なくて。私が 3 歳ぐらいのときに
母親がエホバの伝道を受けて、それから研究とか始めたわけです。で私が 5 歳のときの 5
月くらいに洗礼(バプテスマ)を受けて、で、バリバリ活動してました。妹も私も、自然
と連れて行かされる感じでした。」
Q「自分が一番熱心だった頃、どんな立場でしたか?」
i「バプテスマを受けていない伝道者まで。割り当ては第 2 の話まで。(神権宣教学校に)
入校したのが 1991 年の小学校 6 年生の 7 月から。10 回くらいはやったかな。伝道者にな
ったのは 1993 年の春ぐらいでした。」
Q「教育方針について聞きますが、TV が無かったとお聞きしていますが?」
i「TV 無かったです。」
Q「音楽に対する規制はありましたか?」
i「主にエホバの(賛美の歌)ばっかりでした。時たま、ラジオから歌謡曲をテープに録
音して聴いていましたけど、あとは R.クレイダーマンのピアノとか。うちの親はもとも
と松山千春とかが好きだったらしいんですけど、エホバに感化されてから全部捨ててしま
ったようです。」
Q「厳しい規制があったというわけですね?」
i「と言うより、それが普通だった。だいたいものの価値観って 2,3 歳ごろから構築され
るじゃないですか。その頃からだから、それが当たり前だったんです。世俗的な歌とかは、
意識して聴こうとはしなかったですね。」
Q「体罰はどうでしたか?」
i「ありました。だいたい小学校の 3,4 年生くらいまで。だいたい手だったり、定規だっ
たり、掃除機のパイプでバシンと叩かれたりとか。ベルトもありましたね。」
Q「この頃、集会行くのは嫌でしたか?」
i「いや、友達と会えるから(嫌ではなかった)。長い時間が終われば、さあ友達と遊べる
ぞ、みたいな。それがもう目的でしたからね。」
Q「では、集会中の態度はどうでしたか?」
i「ただ、ボーッと居るだけって感じでしたね。『(聖句)を開きましょう』と言うときは
『あ、開かなければ。』という感じで。公開講演なんかではメモなんか取ってなかったで
すね。取っても支離滅裂で。『一体何聴いてたの?』って感じで。」
Q「会衆に仲の良い友達がいたんですね?」
i「たまたま同じ学年の人が 5,6 人いましたから。本当にその人たちに会うのを目的で行
ってました。何か繋がっている仲間という感じでしたね。ずっと、『世の人と友達になっ
てはいけない』と言われていましたし、それでエホバじゃない人たちと交流がほとんどな
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かったですね。だから、その子どもたちに会うのが楽しみだった。」
Q「集会の準備はどんな感じでしたか?」
i「小さい頃は親と一緒にやってました。『さあ、やるよ。』って感じで。退屈でしたね。
自分でやるようになったのは、だいたい中学生くらいの時。主に線を引く。調子の良いと
きは聖書も開くけど。中学生って忙しいじゃないですか。試験だの小テストだの。いろい
ろあったもんだから。」
Q「学校生活の中で裏表といったことはありましたか?」
i「同一だったかな。くそまじめな人間だったんで、裏表を作るほど余裕がなかった。」
Q「証言などで覚えていることがあれば聞かせてください。」
i「小学校の運動会の騎馬戦とか。あと、小学 4 年のときに仮装大会でお化けをやること
になって、それがいけないということで。なかなか言えなくて、親が証言しました。担任
の先生と親が聖書を取り出して討論していたみたいです。柔道もありました。やっぱり、
周りの目って気になるじゃないですか。私の行った中学、柔道とダンスが選択制だったん
で、女子の中に混じってダンスをやるのが嫌でした。同じ学年の中に JW が 2,3 人いたん
で、仲間がいましたけど。あと、喘息持ちで激しい運動が出来ない人がダンスやってまし
た。」
Q「いじめがあったと聞いていますが、どんな感じでしたか?」
i「陰口とか。暴力をちょこちょことやったり。理由はよく分からないです。あと、仲間
はずれにされたりとか。」
Q「JW に違和感を感じ始めたのは、いつ頃ですか?」
i「中学校 3 年の時の夏か秋ぐらいかな。ちょうど松本サリン事件とか統一教会の騒ぎが
あって、それからうちら(JW)も正しいのかっていう疑問が出てきましたね。」
Q「サタンの一派だとは考えられなかったんですね。」
i「そうですね。そうとは考えずに、自分たちにも照らし合わせて考えました。あと、小
学校の頃から新聞づくりをやっていたんで、何で他の宗教の情報得たらいけないんだろう
って思い始めていましたね。客観視する能力が養われたんでしょうね。」
Q「そのような反応を家族に対して見せていましたか?」
i「家族に対しては見せていなかったですね。良い子ちゃんで。疑問を持ちつつも集会に
行くし、伝道にも出るし。人間関係は会衆が全てでしたから。」
Q「やめるきっかけについて教えて下さい。」
i「きっかけは 2 つあって、まず高校受験でしばらく集会を休んだこと。そんなに勉強し
なくても受かる高校だったのになぜか勉強しなくては、という思いに駆られて。そしてな
ぜかトップで受かってしまった。【札幌市立の定時制高校】を。」
Q「もう一つのきっかけというのは?」
i「ウッド先生(W.ウッド)の本ですね。『マインド・コントロールの実態』ですね。それ
で、1975 年ハルマゲドン説が過去にあって、それが見事外れたって。本屋さんでたまた
ま見つけて。定時制だったんで昼間は暇だったんですよ。」
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Q「やめるという行動を起こしたのはいつですか?」
i「それからまもなくです。高校 1 年生の 6 月か 7 月。高校生になって集会にはちょこち
ょこと出ていたんですよ。先輩格の兄弟が助言に来たんですよ。『集会来いよ』って。僕
が一方的にバーっと言ってしまった。『1975 年説は外れているじゃなかいか?』って。あ
とで聞いたら、その兄弟は『あのときの羊一くんの目はサタンの目をしていた。』って親
に告げ口をしたらしいですけど。」
Q「このときの心理状況はどんな感じでしたか?」
i「後のことは気になりましたね。さぁこれからどうやって友達を作ろう?って。人間関
係どうしよう?とか。だから、人間関係を保つために、記念式とか大会とか 3 年間くらい
顔出してましたから。」
Q「この先輩兄弟の他に圧力などはありましたか?」
i「圧力はなかったですね。ちょうど妹も部活が忙しくて集会に行かなくなったし。母親
も仕事が変わって病院の介護士になって、どうしても集会に行く時間がなくなっていった
んです。ちょうどそのとき、会衆の長老が失踪して、排斥されたっていう事件を起こして
るんです。その関係もあったでしょう。」
Q「このときの自分にとって、支えられていた存在ってありますか?」
i「…あまりなかったかな。後になって、高校 2 年くらいから高文連(新聞局)に関わり
だして。その人間関係と触れ合えるようになって『ああ楽しいな』っていう感じで。その
人間関係が太くなっていくにつれて、ちょっと楽になったかな。ショックを少なくするた
めに、だんだんあっち側(JW)の人間関係を少なくして、新聞局での人間関係をだんだ
ん増やしていくような感じでした。」
Q「今の教会に入ったのはいつですか?」
i「いろいろ紆余曲折があって。…その当時は彼女というのがいまして、その子と関係が
ちょっとこじれてきた頃に、『教会に行ってみようかな』と。その彼女とは 1997 年の 12
月 24 日から付き合い始めて、98 年 7 月 24 日にちょうど分かれて。6 月ごろから関係がこ
じれて、その頃に『教会行ってみようかな』と。なんか教会に興味を持つようになったん
ですね。”確かなもの”が欲しかったんですね。『本来人間とは祈る存在ではなかろうか』
と考えたりして。『もしかしたら人間の本来の姿とは宗教的なものではないか』とか。や
はり、エホバという、まがい物ですけど、聖書の知識があったからでしょうね。それで、
教会というものに興味を持ち始めた。」
Q「今まで教会に通い続けているのはなぜですか?」
i「なんか導きが欲しい。最初は心の平安というものを求めていた。でも、『キリスト教と
は神の御心を求める宗教ではないか』と思い始めて。今になって、能動的なというか主体
的な信仰を持ち始めたんですね。2 世って、生まれたときから親の信仰を押しつけられる
わけですから、自分が信じているわけでもないのに、親の信仰の型に無理矢理押し込めら
れる。それはエホバの証人に限らずですけど。自分からの信仰を求めていたんですね。」
Q「今、JW に対してどんなスタンスでいますか?」
i「とりあえず反対ですね。」
Q「家族とはどのような付き合いをされてますか?」
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i「ごくたまに帰りますし、普通に。母親は今、不活発です。JW について話し合ったりと
かはしないです。うちの親も『もう宗教は懲り懲り。お腹いっぱい。』と言っているし。」
Q「インターネットを使い始めたのはいつでしたか?」
i「本格的には大学入ってからですね。」
Q「自分でホームページ作るきっかけになったのは、どうしてですか?触発されたページ
とかはありますか?」
i「うーん…北光教会ですね。一番最初に行ったのが北光教会(現在、羊一さんが籍を置
いている教会)のページで、『ああ、こいういうページ作ってみたいな。』と思いました
ね。伊庭さん(私のハンドルネーム)の影響もありますよ。」
Q「『ひのあた』(「陽の当たる場所」掲示板)はいつ頃行きましたか?」
i「大学に入ってからすぐですね。『ああ、仲間がいるな』という感じで。特別ショックは
なかったですけど『他の人は結構すごい体験してるなぁ』って。」
Q「精神的に不安定になった時期はありますか?」
i「あんまりないですね。不安はありましたけど。」
Q「他の宗教についてどう思いますか?」
i「基本的に、キリスト教とユダヤ教とイスラム教は同じだと思う。同じ神様をあがめて
いると思う。法の華とか幸福の科学とかは分かんないですけど(笑)。信仰の自由はある
から、自由にやっていいと思います。」
Q「彼女の影響はありますか?」
i「特にないですけど、一度、パイプを残そうと集会に行ったとき、『私と集会どっちが大
切なの?』って言われましたが。」
Q「印象に残った本は?」
i「特にウッド先生の。他にはあんまりないですね。」
Q「インターネットはどのように位置づけされていますか?」
i「情報伝達の一手段。それでどうこうしようとは思わない。」
Q「2 世として育てられてる時に、2 世じゃない生き方に対して憧れなどはありました
か?」
i「ありましたね。やっぱり TV が観たかった。当時の芸能界の情報何も知らなくて、『光
ゲンジ解散するんだって』とか『光源氏?』って感じで全然分からなかったですね。他に
は、みんなと一緒のことをしたかった。騎馬戦も出たかった。やっていたらあんなに恥を
かかなくて済んだのに、とか。」
Q「現在、自分の中に JW のしこりを感じることはありますか?」
i「出た当時はやっぱりありましたね。世俗の情報何にも知らなかったですし、行く当て
もなかったですね。取り残されているような気分でした。高校選択も柔道のない高校を選
びましたし。もしかしたら JW じゃなかったら、塾も行ってもう少し良い高校に入れたか
も知れないと。それを考えると苦しい。」
Q「自分の中に JW っぽくて嫌だということはありますか。」
i「嫌だというのはないですね。…証人らしいと言えば、服装ですね。礼拝とかはやっぱ
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り神様の前に出るんだから、まともな服装をするべきではないか、と。そういった意識は
あります。それはそれで良いんじゃないかと思ってます。」
Q「ご協力ありがとうございました。」
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