自治体が公共ホールを持つ意義 自治体が公共ホールを持つ意義 片山 (三和総合研究所 芸術・文化政策室 泰輔 主任研究員) 1.ホールや劇場とは ホールや劇場に対して政府が税金を使って関与することの根拠は必ずしも自明のことで はない。事実、民間のホールは大都市圏を中心に多数存在しているし、公立ホールであっ ても利用者に対して料金を課して受益者負担を求めている。ホールや劇場(を利用すると いうサービス)は、基本的には他の多くの財やサービスのように市場で取引することが可 能なのである。にもかかわらず、世界中で国や自治体がホールや劇場に対して少なからぬ 関与を行っているのはなぜであろうか。これが本稿のテーマである。 まず、ホールや劇場といった場合、それが何を指すのかを整理しておく必要があるだろ う。最も基本的な分類は、ホールや劇場の「建物そのもの」を指すのか、それともそこで 行われる事業を指すのかという点である。そして、後者はさらに、「ホールを使用させるた めに貸し出すというサービス(いわゆる貸し館)」と「自ら中身を供給するというサービス (自主事業)」に分けられる。そして、これらホールや劇場の3つの機能は、政府にとって はそれぞれが「政策手段」ということになる。これらの政策手段はさらに細分化される。 貸し館事業においては、利用規定や料金を様々な形で定めることにより、多様な政策手段 となる。自主事業においては、公演、非公演を含め様々なタイプの事業があり得る。ホー ルや劇場とは、このように多様な政策手段を複合的に提供するための資源としてとらえる ことができるのである。 本稿では、こうしたホールや劇場の機能(=政策手段)と、政策目的(期待される効果) の関係を整理することによって、国や自治体が税金を使って劇場やホールに関与すること の意義を考えていきたい。 Arts Policy & Management No.14, 2001.10 -7- 自治体が公共ホールを持つ意義 表2−1 ホールや劇場の3機能と政策目的・効果 政策目的(効果)の 例 1.産業育成効果 主な政策対象・受 益者 舞台上の芸術家、 関連産業 2.実験室効果 舞台上の芸術家、 芸術界全般 3.市民交流効果 舞台上の市民、コ ミュニティの構成 員全般 等 その場所に建物が 物理的に存在する ことから得られる 効果 4.集客効果 (社会的便益) (経済的便益) 建築物の存在 建物の存在自体が 持っている機能に よって実現 観客となる市民 等 観客、周辺の商店、 飲食店 等 5.鑑賞機会提供効 果 市民 6.観光地、都市シ ンボルとしての 効果 7.地域アイデンテ ィティ確立効 果、地域イメー ジ向上効果 8.内部補助 市民全般 政策手段 貸し館事業 政策目的を踏まえ た利用条件・料金に よって実現 地元業者への発注、 雇用等を利用条件 とした優先利用や 優遇料金等 公演内容の実験的 性格等を条件とし た優先利用や優遇 料金等 市民の活動に対す る優先利用や優遇 料金等 来場者数や属性を 条件とした優先利 用や優遇料金 自主事業 政策目的を踏まえ た企画と事業によ って実現 地元のアーティス トや技術者等を積 極的に登用した公 演の企画等 芸術的な実験的活 動を促すような事 業(含:コンクール、 フェスティバル等) 市民のアマチュア 活動を推進するた めの事業(指導者養 成事業、ワークショ ップ、市民楽団の運 営等)。 来場者数及び、属性 を意識した公演や 事業の企画 市民の入場者が多 い公演を優先 等 遠方からの入場者 が多い公演を優先 等 低廉な鑑賞料金設 定、分野的バランス への配慮等の条件 設定 等 市民をより多く集 められる企画 等 遠方からの入場者 を集める企画 等 政策目的に沿った 内容の公演の優先 利用や優遇料金 等 高収益をもたらす 借り手の優先 等 (マイナス効果に も注意) 政策目的に沿った 公演の企画 等 内容、対象者につい て十分に吟味した 企画 等 存在自体がもたら す効果 市民全般 ホール、劇場内部 高収益をもたらす 事業の企画 等 (マイナス効果に も注意) Arts Policy & Management No.14, 2001.10 -8- 自治体が公共ホールを持つ意義 2.ホールや劇場という政策手段によって実現可能な政策目的や期待される効果 (1)産業育成効果 まず、ホールや劇場の舞台にあがる供給側に着目すると、芸術文化関連の産業育成効果 をあげることができる。低料金の貸し館事業、あるいはホールや劇場の自主事業によって その地域で公演が行われれば、地域内にアーティストやスタッフ、さらには舞台装置や衣 装、印刷、広告等をはじめとした関連産業における所得や雇用が生み出される可能性があ る。アーティストやスタッフ、さらに関連の産業活動が継続的に行われるようになること は、そこで働く人々の所得面のみならず、様々な効果をもたらすことになる。まず、継続 的な活動は芸術面や技術面における水準を高めることに貢献する。こうしたレベルアップ は新規の需要を引き起こし、舞台芸術公演の観衆を拡大するかもしれない。さらに、直接 ホールや劇場に足を運ぶ観客以外にも、様々な影響を与え得る。まず、CD、ビデオ、放送 等におけるコンテンツの充実に貢献することによって、これら関連産業の発展に寄与する ことになる。さらに、メディアアートやゲームソフト等の情報技術を用いた新しい種類の 商品開発に対しても大きな影響を与えることになろう。 わが国においては、舞台芸術を産業として捉える上記のような考え方は、東京などの大 都市圏を除くとあまり浸透していないようであるが、21世紀における産業構造の転換を考 える上ではきわめて重要な論点である。 この効果は、民間に借り手が存在するような状況においては、貸し館事業によっても期 待できるが、その際の利用条件に工夫を加えることによってさらに効果を高めることが可 能であろう。たとえば、 (優先)利用の条件、あるいは料金優遇の条件として、地元のアー ティストの出演や、舞台技術や関連サービスの利用に際して地元の企業への発注等を条件 とすることで、地元のアーティストや関連企業に経験を積ませ、成長を促すという効果が 期待できるかもしれない。ただし、この場合、これらのアーティストや企業が経験を積ん で力をつけるまでの期間限定の政策にしないと、公共事業における地元企業発注の弊害と 同じような問題が生じ、結果的にアーティストや舞台関連企業の発展にもつながらない可 能性があるので注意が必要である。 一方、借り手が現れないような場合は、自主事業によって刺激を与えることが必要とな るが、自主事業が地元アーティストや舞台関連企業への単なる永続的補助に陥らないよう、 アーティストや舞台関連企業の成長が促された後のビジョンを明確にしていくことが重要 である。 (2)実験室効果 低料金の貸し館事業、あるいはホールや劇場の自主事業が供給側にもたらす効果は、必 ずしも産業的な発展だけではない。たとえば、アーティストがそこで舞台経験を積むこと によって、そこで何らかの芸術的な発見が起こり、それが、そのアーティストのその後の 発展に結びついたり、他のアーティストの活動に刺激に与えたり、といった効果が生じる 場合がある。これは、科学における基礎研究にも通じるものであり、公的な費用負担に値 する文化政策上の目的になり得る。ただし、ここから得られる便益は必ずしもその地域内 にとどまるわけではなく、科学の基礎研究同様、他の地域に広がって行く性質のものであ る。したがって、「実験室を提供して発信地になる」ということ自体を、(7)で述べる地域 イメージの向上等の便益として感じられない限り、そのような活動に対する住民の理解は 得にくいかもしれない。 Arts Policy & Management No.14, 2001.10 -9- 自治体が公共ホールを持つ意義 (3)市民交流効果 (1)及び(2)は、舞台に上がるのが主としてプロあるいはプロを目指すアーティスト の場合を想定したものであるが、ホールや劇場の借り手は必ずしもプロばかりとは限らな い。アマチュアの楽団や劇団が利用するケースも非常に多い。こうした活動に低料金の貸 し館料金を通じて公的な補助を行うことの理由はどのような点にあるのであろうか。一般 的にいえば、個人が余暇時間に行う趣味の活動に公的な補助をするということは説明しに くい。しかし、アマチュア活動が、個人の趣味ということを超えて、教育面や地域社会形 成の面で何らかの社会的な便益をもたらすということに合意が得られるのであれば、こう した活動を公的に支援する根拠が生じてくる場合がある。実際、多くのアマチュア活動に は、地域住民間の交流を促し、コミュニティの結束を強化する機能があるといえるであろ う。特に、隣人関係が希薄になってきている都市社会においては、こうした市民間の交流 が活発化することが、健全な市民社会の形成に貢献し、アマチュアの活動に参加していな い市民にとっても便益を生み出すこともありえよう。地域社会の人々のコミュニケーショ ンが盛んになり、大人同士が知り合いになっていることは、地域の子供たちへの教育面に おいても重要であるし、場合によっては、災害時における連携の円滑化等、防災面でもプ ラスの効果があるかもしれない。 一般にはこうした効果は貸し館事業によって、十分に期待できるものであるが、アマチ ュアの活動が自発的には発生しにくい地域においては、劇場やホールが自主事業としてア マチュアの活動を推進するような事業を行う必要がある場合もあるかもしれない。 (4)集客効果 劇場やホールで公演が行われることによって、「人々がホールや劇場に集まる」という現 象によって公的な便益が生じることもある。こうした便益には大きく分けて社会的な便益 と経済的な便益がある。 ○社会的便益 市民間の交流が活発化するという点は、アマチュア活動の意義のところでも触れたが、 ホールや劇場という社交の場を通じた人々の交流促進効果も無視できない。開演前や幕間 のロビーで家族や知人を紹介しあう光景はどこのホールや劇場でもきわめて一般的である。 舞台芸術の公演を交流サロンとして位置づけることは、元気な高齢者が病院の待合室を交 流サロンとしてしまうよりは健全かもしれない。 ○経済的便益 また、人々が集まることの効果は、立地によっては経済波及効果をもたらす場合もある。 集客が近隣における飲食、宿泊、物販等における消費の拡大をもたらすとすれば、地方税 を負担する事業者にとってもホールや劇場に対する公的な費用負担は納得のいくものかも しれない。 これらの集客効果は、第一にホールや劇場が物理的にその地域に存在することが必要で あり、その上で、集まってくる人々の数や属性が政策目的の大きな関心事となってくる。 Arts Policy & Management No.14, 2001.10 - 10 - 自治体が公共ホールを持つ意義 市民間の交流といった社会的便益を政策目的として重視するのであれば、市民が多く集ま るような公演であることが望ましい。後者の経済的効果を重視するのであれば、近隣で多 くの消費を行う可能性の高い人々、たとえば、遠方からの観光客を集めやすいような公演 であることが望ましいかもしれない。 こうした政策目的の明確化は、貸し館事業の利用条件の設定においても、自主事業の内容 企画においても、きわめて重要である。 (5)鑑賞機会提供効果 鑑賞機会提供の効果は、おそらく現在のわが国の公立ホールの自主事業が掲げる政策目 的の中で最も有力なもののひとつであろう。住民のチケット購入需要がある程度見込まれ る地域においては、貸し館事業を行えば、民間の芸術団体や企画会社が公演を主催し、住 民の鑑賞機会は満たされるであろう。貸し館の際の配慮としては、料金設定において低廉 な料金の選択肢も提供されるように求める、あるいは分野的なバランスを求めるといった ことが考えられる。また、政策的な配慮が必要な場合は、鑑賞者側に補助を与えるという 手段もある。しかし、十分なマーケットとは見なされないような場合は、貸し館事業だけ では十分ではなく、ホールや劇場自らが主催あるいは共催の形で芸術団体を招致すること になる。 地域住民への鑑賞機会を提供するためにホールや劇場が自主事業を行う、という政策は かなり普及している政策であるが、詳細に検討してみると必ずしも効率的な手段とは言え ない場合もある。離島や山奥の遠隔地等の場合を除くと、現在のわが国の交通事情を考え れば、住民の鑑賞機会の確保だけを理由に自市内あるいは自県内で公演を行わなければな らないとは言いにくい。また、住民の嗜好は多様であり、すべての住民のニーズを満たす 公演を開催することは不可能である。そう考えると、住民一人一人の嗜好にそった公演の 鑑賞機会を提供するのであれば、他地域に鑑賞に行くための補助を行うほうが費用対効果 の点では優れている場合も多い。残るのは遠方への移動が困難な住民に対しての配慮とい う問題である。ただし、この場合も地域内のホールや劇場で行うのが最も良い政策なのか どうかは必ずしも自明ではない。福祉施設、病院、刑務所等、地域内のホールや劇場であ っても足を運ぶことができない人のために、アーティストを派遣する政策のほうが安価で 効果的かもしれないからである。したがって、この目的のために自主事業を行う場合には、 公演の内容や対象となる鑑賞者の属性等について十分な検討を行ったうえで実施すること が必要である。 (6)観光地、都市シンボルとしての効果 ホールや劇場には観光地あるいは都市のシンボルとしての効果がある。この効果は、建 物自体が存在しなければ得られない効果である。ヴィーン、パリ、シドニー等のオペラハ ウスは絵葉書や観光パンフレットの表紙の題材として建物自体が大きな役割を果たしてい るが、これらの建物は都市のシンボルとしてオペラにまったく関心のない人々にも良く知 られている。このことはその都市に住む人々やビジネスを行う人々に対して様々な便益を もたらしている。 街のシンボルとなる建物を民間企業等が建てるケースもあるが、そのような建物を建て る民間企業等が必ずしも存在するとは限らない。そのような場合、景観から得られる便益 は広く市民が享受するものであるからという理由で、公的な資金を投入して建物を建てる、 Arts Policy & Management No.14, 2001.10 - 11 - 自治体が公共ホールを持つ意義 あるいは維持することが納税者の支持を得られるかもしれない。ただし、外観だけを理由 に建物を建てるだけの価値があると見なされるケースはきわめて稀と考えられる。したが って、現実には他の様々な効果を期待してホールや劇場を建てることが決定された後に、 この効果に対してどれだけ追加的な公的支出を行うことが支持され得るかを議論するとい う形になろう。 (7)地域アイデンティティ確立効果、地域イメージ向上効果 ホールや劇場が地域イメージの形成に貢献することがしばしばみられるが、建物のみが そのような貢献をするケースは先に示したヴィーン、パリ、シドニー等の一部の都市を除 くとあまり例が多くはないであろう。多くは、そこで行われる芸術創造が地域のイメージ を形成、向上させているのであり、ホールや劇場はそのための場を提供するという間接的 な関与を行っていると言えよう。 芸術創造が行われるということは、それがある程度以上のレベルで行われれば、その分 野の芸術に注目する数多くの人々から注目を集めることになる。こうした専門家間のネッ トワークは時として国境を超え、世界的な規模でその都市の名を知らしめる場合もある。 それほど有名でない日本の小さな町であっても、優れた芸術作品を生み出すことで世界中 に知られるようになる可能性がある。こうした知名度は都市のイメージを高め、様々な面 で便益をもたらすかもしれない。たとえば、文化的な環境は居住地としての魅力を高め、 企業が優秀な人材を確保しやすい場所と考え投資が増大するかもしれない。また、大都市 の近郊であれば、住宅地としての魅力が地価に反映し、住民の資産価値を高めるかもしれ ない。 このような効果を期待する場合、鑑賞者となる人々が誰であるかは、直接的には評価の 対象に含めるべきではない。鑑賞者に占める市民・町民の比率が低くても、創造される芸 術作品によって地域イメージが向上すれば政策目的を達成するのであり、客席における市 民の交流や市民の鑑賞機会の創出という別の政策目的を同時に達成するとは限らない点を 十分理解しておくべきである。 このような芸術創造発信地としての効果は、民間の芸術団体が数多く存在する地域につ いては、良いホールや劇場を貸し館として提供するだけで創造活動が行われるかもしれな い。しかし、そうではない地域においては、ホールや劇場自らが公的な資金を投じて創造 活動を行うことが必要なケースも多いであろう。しかし、芸術創造という活動は人々の価 値観とも深くかかわるので、公的な資金をこれに投入する際には、この政策目的に対する 住民の理解を十分に得ておくことがきわめて重要である。 (8)内部補助効果 貸し館によって行われる活動自体には政策目的上の意義はないが、貸し館事業によって もたらされる収入が、内部補助を通じて館の運営に貢献するというような場合もありえる。 特に、自主事業をメインとしている館において非利用時間帯に貸し館収入を得ることは遊 休資源の有効活用という点で意義のあることと言えよう。この目的のためにホールや劇場 を活用する場合は、収入を得ることが第一の目的であることを明確に示し、公序良俗やイ メージダウン等のマイナス効果に十分配慮しつつ、ビジネス感覚を持って需要開拓に努め ることも必要であろう。 また、非常に稀な例とは思われるが、内部補助を目的として政策目的とは関係のない自 Arts Policy & Management No.14, 2001.10 - 12 - 自治体が公共ホールを持つ意義 主事業を行うという可能性もあり得るが、その場合は事業の目的が内部補助である点を明 確にすることが住民の理解を得る上で不可欠である。このようなケースはホールや劇場自 身が主体となって実施するよりも、民間団体がチャリティー事業として実施し、その収益 をホールや劇場に寄付する形の方が、わが国では現実的かもしれない。 3.おわりに ∼複合的な政策目的と政策手段∼ これまで、公立のホールや劇場の政策目的と政策手段について、かなり抽象的に議論を 進めてきた。これらはすべてを網羅するわけではないし、また、現実には、このように単 一の政策目的や政策手段が存在するのではなく、様々なものが組み合わさった複雑な状況 の中で判断を行わざるを得ないことは言うまでもない。しかし、現実の複雑な状況を考え る際にも、それぞれの政策目的を整理したうえでそれらの優先順位を明確化し、最適な(も っとも少ない費用の)政策手段を検討していくことはきわめて重要なことである。 たとえば、前述のように、住民に鑑賞機会を提供する、という政策目的だけのために自 主事業として公演を主催することは、必ずしも効率的な政策手段ではないかもしれない。 しかし、それによって、地域内の関連産業の発展が促される効果や、住民が集まるという 集客効果が重要な政策目的となっているのであれば、自主事業として公演を実施すること は、間違った政策ではない。 自治体のアカウンタビリティが厳しく問われるようになってきている今日において、複 数の政策目的と手段の組み合わせを、それに要する費用とを勘案した上で選択していくこ とがきわめて重要になってきている。ホールや劇場等のように大きな投資を要する事業に 関しては、その政策目的と政策手段としての有効性について明確にしていくことがますま す求められてきていると言えよう。 Arts Policy & Management No.14, 2001.10 - 13 -
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