Ⅳ.欧州音楽祭事情 Ⅳ.欧州音楽祭事情 杉浦 幹男 (UFJ総合研究所 芸術・文化政策センター 研究員) 花崎 あゆみ (UFJ総合研究所 都市・地域再生マネジメント室 嘱託研究員) ■はじめに ∼欧州における音楽祭∼ 欧州で開催される音楽祭は、大小合わせて年間100を超えると言われ、その歴史は第二次 世界大戦前にさかのぼることができる。最初の「音楽祭=Music Festival」はどれか、あるい は何をもって音楽祭を示すのかについては本稿で議論しないが、音楽祭が近代化の時代潮 流のなかで“創造された非日常空間”として、すなわち仕掛けられたイベントとして出現 したことは想像に難くない。人々は多忙になり、また、その関係性が希薄となっていくな かで、ほっと一息をつく憩いの空間として、(特に第二次世界大戦後に)音楽祭は増加して いく。 すでに半世紀以上を経過した欧州の音楽祭は、それぞれに様々な歴史を持ち、異なる特 徴を持っている。 本稿においては、昨年11月以降に実施した欧州音楽祭の推進主体に対するインタビュー結 果をもとに、フランスおよびイタリアの3事例を紹介する。 1.エクサン・プロヴァンス音楽祭 Festival International d’Art Lyrique d’Aix-en-Provence 南フランスのプロヴァンス地方、アルプス・コート・ダジュール州の小都市エクサン・ プロヴァンスは、後期印象派の画家ポール・セザンヌが生まれた地として知られており、 その近郊にはセザンヌが好んで描いたサント・ヴィクトワール山が岩だらけの姿を青空の 下に見せている。数年前、英米でブームを巻き起こしたピーター・メイル著『南仏プロヴ ァンスの12ヶ月』で描かれているように、温暖な気候と青い空に恵まれた風光明媚な土地 である。 その風光明媚な小都市で、毎年7月のヴァカンスシーズンに開催される一大エンターテイ メントが、エクサン・プロヴァンス音楽祭である。音楽祭の歴史は非常に古く、1948年以 来、半世紀以上にわたって世界中の音楽ファンに親しまれている。 エクサン・プロヴァンスの街並み Arts Policy & Management No.17, 2003 - 24 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 ■国からの助言、援助 1948年に始まったエクサン・プロヴァンス音楽祭は、当初、エクサン・プロヴァンス市 によって運営されていたが、94年、国の会計調査によって、音楽祭の管理体制と安全性の 不備から劇場の改修の必要性が指摘されたことがきっかけとなって、運営体制が変更され た。国から指摘を受けた市は改善のための予算申請を行い、文化省による援助が決定され た。それと同時に、文化省は市に対してステファン・リスナー氏を音楽祭の総監督する新 たな運営体制を提案、市はそれを受け入れることになる。 市は、国の提案を受け入れ、95年に音楽祭を一度中止し、翌年から新たな運営体制で再 スタートをする。その後、97年、音楽祭の総監督としてリスナー氏が就任し、98年からそ の彼のイニシアティブによって音楽祭が開催されることとなった。 リスナー氏は、シャトレ劇場の総監督を務めた経験を持つ、いわば劇場経営のプロであ り、すでに国際的な名声を博していた。そのリスナー氏により、エクサン・プロヴァンス 音楽祭はその芸術性という点で、飛躍的な発展を見せている。音楽祭のチケット価格が上 昇し、「音楽祭がかつて持っていた街全体が参加する“お祭り”という雰囲気がなくなった」 という声も一部にはあるが、音楽祭の経営の安定と国内外での知名度の向上に寄与したこ とは間違いない。 リスナー氏の就任後は、それまでのようにリリックオペラの有名スターが出演すること はなくなり、若いアーティストが起用されるようになり、無名の才能が発掘される機会が 増えた。またエクサン・プロヴァンス音楽祭では、歌手中心ではなく、演出・演劇を重視 した作品が上演されるようになった。リスナー氏の就任によって音楽祭は芸術的にも向上 し、意欲的なプログラムが組まれるようになっている。 現在、文化省は国内の音楽祭への助成金支給の中止を検討しているが、エクサン・プロ ヴァンス音楽祭に関しては、その歴史の長さと国際的知名度の高さから、“フランス文化へ の貢献”が評価され、従来通りの助成が続けられる方針であると言う。 エクサン・プロヴァンス音楽祭は、国からの支援と、リスナー氏の手腕によって、これ からも国際的な音楽祭としてますます発展していくことが期待されているとともに、フラ ンスを代表する音楽祭として、質の高さの維持という責務をも負っているのである。 ■音楽祭運営の効率化 エクサン・プロヴァンス音楽祭は、アソシエーション※「エクサン・プロヴァンス音楽祭 事務所」によって運営されている。 リスナー氏就任後、同事務所は現地だけでなくパリにも設置され、経理と人事に関する 業務以外はそこで担当している。これは、スポンサーの確保、広報活動、新人発掘の面で、 首都パリに活動拠点を置いた方が利便性が高いという判断によるものである。 音楽祭のプログラムは、リスナー氏によって決定され、その方針に従ってキャスティン グなどが行われる。演劇人である氏のプロデュースによって、より演劇性を重視した演出、 若々しくダイナミックな舞台づくりが行われるようになっている。 ※ アソシエーションとは、1901 年のアソシエーション法によって規定された非営利組織。 Arts Policy & Management No.17, 2003 - 25 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 ■開催会場 音楽祭は主にエクサン・プロヴァンス市内の4つの会場(Teatre de l’Archeveche, Teatre du Jeu de Paume, Grand Saint-Jean, Hotel maynier d’Oppede)で開催されている。リスナー氏就 任後は、演劇性と芸術性の重きが置かれたことにより、上演会場の決定は演目内容によ って決定されるようになった。つまり、演目が小さな劇場にふさわしいものである場合 は、たとえ観客収容人員、つまり採算性に課題があったとしても、小さな劇場が会場に 選ばれることとなる。逆に言えば、演目の選択は、音楽祭全体の採算性に大きな影響を 与える要因となっている。 1.アルシュベック劇場 2.ジュードポム劇場 3.オテル・メニエル・ドゥ・ペドゥ 4.ブティック・ドゥ・フェスティバル 7.市役所 5.図書館 6.ヨーロッパ音楽アカデミー会場 8.ツーリスト・オフィス エクサン・プロヴァンス音楽祭会場周辺地図 ■音楽祭の財源 エクサン・プロヴァンス音楽祭の全体予算は1,580万ユーロ(2002年度)であり、音楽祭 の全体予算の約59%がチケット収入、11%がメセナ収入、残りの30%が国や地方自治体(市、 県、州)からの助成金となっている。通常の音楽祭では全体予算の30∼40%程度がチケッ ト収入であるが、エクサン・プロヴァンス音楽祭ではチケット収入の占める割合が高い。 これは、チケットが比較的高額であることが要因となっている。また、先述の通り、他の 音楽祭とは異なり、国からの直接の助成金が“継続的に”与えられている。両者が音楽祭 の財政基盤を支えており、このことエクサン・プロヴァンス音楽祭の開催を安定的なもの としている。 一方、支出の内訳は、アーティストに関わる費用が約940万ユーロ、組織経営に関わる費 用が約640万ユーロであり、ちょうど収支が均衡している(2002年度) 。 Arts Policy & Management No.17, 2003 - 26 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 ■音楽祭の観客 2002年のエクサン・プロヴァンス音楽祭では、48,474席中46,674席分を販売し、96.3%が 埋まっている。音楽祭事務所では、 (正確な統計ではないものの)観客の約50%が地元のア ルプス・コート・ダジュール州内の住民であり、その割合は年々上昇していると言う。 一方、全会場で設定されているチケット価格のうち最も低額な22ユーロのチケット購入 者の70%が地元住民であり、地元の住民はより低廉なチケットを求める傾向にある。反対 に、高額チケットの購入者は、州外からの観客の割合が高いと言う。州外からの観客の大 部分は世界有数のリゾート地である南フランスに滞在するリゾート客であり、音楽祭は時 間とお金のあるリゾート客に格好のエンターテイメントを提供している。 ■日本への示唆 現在のエクサン・プロヴァンス音楽祭への転換は、先述の通り、芸術総監督であるリス ナー氏の影響が大きい。賛否両論はあるが、世界的に著名なリスナー氏を国が直接任命・ 派遣し、さらに資金援助をしていることがエクサン・プロヴァンスの特色となっている。 一地方の音楽祭であるにもかかわらず、文化省は“フランスを代表する文化”として“判 断”し、運営・芸術の両面で支援している。 フランスを代表するリゾート地であり、国内外の富裕層そして文化人を集める南フラン スで、質の高い音楽祭の開催を支援することによって、フランスはその文化レベルの高さ を世界に発信することに成功している。つまり、エクサン・プロヴァンス音楽祭は、いわ ばフランス文化の“広告塔”の役割を果たしているのである。こうした文化戦略が、フラ ンスを“文化大国”と言わしめる存在にしているのであろう。 一方、わが国では、エクサン・プロヴァンス音楽祭の例に見られるように、一つの音楽 祭の運営・芸術の両面で国が影響を及ぼしている例は見られない。(もちろん国主催の国民 文化祭は別として。) わが国の芸術文化支援は、「新世紀アーツプラン」に見られるように、既存の組織団体あ るいはそうした組織・団体によるイベント助成が主体となっている。そのため、音楽祭の ような継続的な芸術文化イベントであっても、継続的な支援は望むことができず、また、 任意団体であれば助成対象外となってしまう。フランスのような国の文化戦略(イメージ 戦略)がないため、どうしても様々な組織団体への、いわゆるバラマキ支援となってしま っている。 2001年12月、文化芸術振興基本法が制定され、わが国においても芸術文化支援の重要性 が認識されてきている。これを契機として、わが国の芸術文化支援のあり方、そして文化 戦略をもう一度問い直す必要があるのではないだろうか。 Arts Policy & Management No.17, 2003 - 27 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 ■エクサン・プロヴァンス音楽祭データ 【正式名称】 Festival International d’Art Lyrique d’Aix-en-Provence 【運営主体】 エクサン・プロヴァンス音楽祭事務所 【開催月日】 例年7月頃開催(リハーサルの開始は5月の中旬) 【開催場所】 エクサン・プロヴァンス市内4会場:Teatre de l’Archeveche, Teatre du Jeu de Paume, Grand Saint-Jean, Hotel maynier d’Oppede) 【財源】 全体予算:1,580万ユーロ[2002年度] (約20億5,400万円) 約70%がチケット・メセナ収入(内11%がメセナ)、その他は国・地方自治体からの助 成金 【チケット販売方法】 11月30日チケット販売開始(2002年度) フナック・マルセイユ店もしくはフナックインターネットサイト上で販売 【関係養成機関】 ヨーロッパ音楽アカデミー 【他の地域での開催】 「ドン・ジョヴァンニ(2002年度) 」は東京・オーチャードホールでの上演が決定 Arts Policy & Management No.17, 2003 - 28 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 2.ナント音楽祭 La Folle Journee ナント市は、フランスの西部に位置するロワール川沿いの都市である。かつてのブルタ ーニュ公領の首都であり、ユグノー戦争を終結させるため1598年に発せられた「ナントの 勅令」でも知られている。街には、15世紀にブルターニュ公フランソワ2世によって再建さ れた城館が建ち、歴史的な雰囲気の残る古都である。 ■地域に親しまれる音楽祭 ナント音楽祭は、ディレクターであるルネ・マルタン氏の発案により、それまでとは異 なるコンセプトを持ったクラシックコンサートをめざし、1995年に第1回が開催された。 ナント市には、1987年にアソシエーション「クレア(CREA)」が設立され、年数回のコ ンサートを地元で開催すると共に、 「ラ・ロック・ドォンテロン(La Roque d’Antheron)国 際ピアノフェスティバル」等のフェスティバルを開催するなどの実績を積んでいた。クレ アは、それらの活動の実績から、ナント市民からの強い支持と、アーティストとの繋がり を確立していた。マルタン氏のアイデアをもとにした音楽祭の計画を、コンベンションセ ンターに示し、賛同を得られたのも、クレアのそれまでの実績が評価されたためである。 マルタン氏は、ナント音楽祭を開催するにあたって、クラシック音楽がロックやジャズ と同じように、子供から大人まで多くの市民に親しまれるものとなるように、また、音楽 祭が地域に密着したものとなるようにとの考えを持っていた。 それを実現するために、音楽祭で行われる各コンサートの所要時間を1公演45分とし、8 つのコンサート会場を持つコンベンションセンターで開催することにより、一度に多くの コンサートを開くことができるように工夫を施した。この工夫によって、聴衆には多くの 選択肢があたえられ、子どもでも無理なく参加することが可能となったため、音楽祭はよ り市民に親しみやすいものとなった。 ナント音楽祭では、カラフルな各演奏会のタイムスケジュールを手に音楽祭を吟味する 市民の様子や、両親に連れられた幼い子供たちが目を輝かせながら演奏に聞き入る様子を 見ることができる。 音楽祭開催時のコンベンションセンター コンサートに聴き入る子供連れの観客 Arts Policy & Management No.17, 2003 - 29 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 ■地域の強い支持 2002年度のチケットの売り上げ枚数は約85,000枚。音楽祭が開始された1995年が25,000枚 であり、8年目にして観客動員数が3倍以上となっている。 正確な調査は行われていないが、観客の約60%がナント市の住民、約30%がその他のフ ランス国内から、約10%が外国からとなっている。観客の半数以上が地元の住民であり、 音楽祭が地元からの高い支持を受けていることがわかる。 また、2002年の開催期間は、1月25∼27の3日間であったが、チケットを入手できない人々 が増えてきたことから、2003年は1月22日∼26日の5日間に延長されていることからも、こ の音楽祭への高い支持を伺うことができる。 無料コンサート会場 ■音楽祭の運営 音楽祭の運営には、音楽祭コンセプトの発案者である、マルタン氏の意向が強く反映さ れている。運営主体はコンベンションセンター(La Cite des Congres)であり、アートディ レクターとしてクレアが参加している。マルタン氏がテーマを提示し、それを受けたコン ベンションセンターがその意向に従って予算の配分を行い、出演料その他のアーティスト に関わる費用をクレアに示し、クレアは提示された予算の範囲内で出演アーティストの決 定を行う。 このように、音楽祭の成功は、コンベンションセンターとクレアがそれぞれの得意分野 を担当し、協力体制の下でマルタン氏のアイデアを具体的な形にしていることに負うとこ ろが大きい。クレアは、マルタン氏の個人的な交友関係と、これまで積み重ねてきたアー ティストとの信頼関係を活かしたアーティスト決定に関する業務を担当し、コンベンショ ンセンターは、「企業クラブ」等の斬新なアイデアによって、賛助会員や援助金を集め、音 楽祭の資金調達から事務的な業務までを担当している。 Arts Policy & Management No.17, 2003 - 30 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 ■他地域への波及 こうしたナント音楽祭の仕組みはパッケージ化され、ポルトガル・リスボン(2000年∼) とスペイン・、ビルバオ(2002年∼)で開催されている。どちらの音楽祭も、それぞれの 都市がナント音楽祭に興味を持ち、そのオーガナイザーがナント音楽祭(クレア)にコン タクトをとってきたことがきっかけとなって実現している。ナント音楽祭は、リスボンと ビルバオに音楽祭のサービスのみを提供し、音楽祭の運営はそれぞれの現地のオーガナイ ザーが独自に行なう形をとっている。 現在も、同様にロンドン郊外等、いくつかの都市が興味を持ち、協議中であると言う。 東京での開催も事前調査に入ったところであると言う。 これほどまでにナント音楽祭の企画が世界各地からの関心を集めることは、マルタン氏 の「地域密着の音楽祭」というコンセプトへの関心が高く、ナント市での成功が高く評価 されていることを示している。 ■音楽祭の財源 音楽祭の全体の予算は約200万ユーロであり、予算の約40∼50%をチケット収入で賄って いる。その他の収入は約25%がナント市からの助成、約1%が民間のメセナからの援助とな っている。国の援助を受けてはいるが、出演者の交通費にも満たないほどのわずかな金額 である。地元のナント市からの援助が、収入の大きな部分を占めていることからも、地域 密着のコンセプトへの評価の高さが音楽祭成功の重要な鍵となっていることがわかる。 その他、リスボンやビルバオなどの他の地域へ音楽祭の企画を提供することによる収入 も得ている。 ■チケット販売状況、方法 チケット販売は例年1月5日前後から開始される。チケットの販売にあたっては、地元優 先の特別枠は設けていないが、チケット販売開始初日は、地元のみでチケット販売を行う ことにより、地元の人々がよりチケットを購入しやすくするように配慮し、地元密着型の 音楽祭ならではの工夫を行っている。 チケット販売開始後の2日間でチケット全体の約 60%が売れてしまう程の人気を博している。 比較的観客の集まりにくい金曜日の昼間の公演は、学生や子供向けのプログラムとし、 通常より安い値段で地元の学校にチケットを販売し、地域の子供や若者が音楽に触れる機 会を提供する場ともなっている。 臨時に設けられたレストラン 会期中の路線バス Arts Policy & Management No.17, 2003 - 31 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 ■日本への示唆 ナント音楽祭の最大の特徴は、マルタン氏発案の「地域密着型の音楽祭」というコンセ プトであり、そのコンセプトの実現には地方の小都市であるナント市は絶好の開催場所と なった。音楽祭の会場であるコンベンションセンターを中心として、街全体をその名の通 り「一体となった」お祭り騒ぎにするためには、あまり大きな都市は適当ではない。大都 市で開催したとしても、音楽祭の熱気は町の隅々までは行き渡らずに一部にとどまってし まい、町全体での一体感は得られないためである。 苦戦する日本各地の音楽祭にとって、ナント音楽祭のように「地域密着」を図りつつ、 斬新なアイデアを実現に移す手法は大きなヒントとなるりではないだろうか。 ■ナント音楽祭データ 【正式名称】 La Folle Journee 【運営主体】 La Cite des Congres、CREA(マネジメント担当) 【開催月日】 例年1月20日過ぎの週末を挟んだ数日。2003年は1月22∼26日の5日間 【開催場所】 ナント市内コンベンションセンターの8つのコンサート会場 【財源】 全体予算:約200万ユーロ(約2億6,000万円) 約40∼50%がチケット収入、その他はナント市助の助成(約25%)、民間メセナ(約1%)、 他都市への音楽祭サービスの提供による収入 【チケット販売状況、方法】 1月5日前後チケット販売開始。チケット販売開始初日は地元のみで販売し、その後、○ インターネットサイト、音楽祭会場にて販売 【他の地域での開催】 リスボン(ポルトガル) 、ビルバオ(スペイン) Arts Policy & Management No.17, 2003 - 32 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 3.ウンブリア音楽祭 Sagra Musicale Umbra ウンブリア音楽祭(ウンブリア教会音楽祭)は、ウンブリア州内の10都市で開催される。 その中心都市であるペルージャは人口15万人のウンブリア州の州都であり、古くはエトル リア時代から繁栄し、中世都市国家の面影を残す古都である。その一方で、ペルージャに はイタリア唯一の外国人大学があり、国内外の多くの若者が集う活気溢れる街でもある。 最近では、わが国でもサッカー選手の活躍で有名になった。 ■欧州最古の音楽祭 ウンブリア音楽祭は欧州で最古の音楽祭の一つに数えられ、2002年で第57回を迎えてい る。その特徴は、若い音楽家たちにチャンスを与え、新しい公演をつくることに力を入れ ていることである。ソリスト・デ・ペルージャをはじめとする多くの世界的な音楽家たち が、この音楽祭から生まれている。 先述の通り、ウンブリア音楽祭は州内10都市(Perugia, Terni, Foligno, Avigliano Umbro, Cittadella Pieve, Gubbio, Montecastello di Vibio, Montefalco, Panicale, Torgiano)で開催され、開 催期間10∼15日間で40公演にのぼっている。 演奏会場は、各都市のコンサートホールやコンベンションセンター、そしてホテルのロ ビー等が使用されている。「教会音楽」をテーマとしている音楽祭であるが、教会では開催 されない。これは、イタリアではバチカンとの関係があり、教会でのコンサートは入場料 を取れないことが要因となっている。 観客は、地元住民が少なく、ほとんどが観光客で占められている。観客全体のうちの約 60%が音楽祭を目的として訪れる観光客である。近年、ウンブリア州全体の観光客数が増加 しており、音楽祭の開催も観光客誘致の一翼を担っている。 ■収支構造 ウンブリア音楽祭では、事務局長であるフランチェスコ・ペロッタ氏から収支構造に関 する詳細資料を提供いただいたので次頁に紹介する。 ウンブリア音楽祭の収入のうち、チケット収入はわずかに2.1%である。ほぼ半分が州お よび市(コムーネ)等の公的機関からの分担金、補助金であり、残りの半分は個人(パト ロン)からの寄付金と企業メセナとなっている。 従来、イタリアのクラシック音楽は、文化遺産の保護という意味合いが大きく、国やコ ムーネ等による公的支援が非常に手厚かった。現在は、国立オペラ劇場が民営化されるな ど、イタリアのクラシック音楽をめぐる環境は大きく変化しており、音楽祭も独立採算が 求められている。 そのため、ウンブリア音楽祭では会計士であるペロッタ氏を事務局長に迎え、これまで は不透明であった経費処理を明確にするとともに、チケット販売や企業メセナについての 戦略、グッズ販売等、別の収入源の確保、また、観光局との連動によるプロモーションの 強化等に取り組んでいる。さらに、日本や米国等からの観光客の誘致を促進するため、タ イアップ等にも大きな関心を抱いており、様々な取り組みが検討されている。 Arts Policy & Management No.17, 2003 - 33 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 収入 ENTRATE EURO 日本円 比率 会費収入(主催者分担金)※ 自治体補助※2 企業助成 チケット収入 プログラム売上 その他収入 援助金(個人寄付金) 82,633.10 188,915.33 111,788.86 11,856.00 758 1,100.23 154,937.00 10,742,303 24,558,993 14,532,552 1,541,280 98,540 143,030 20,141,810 15.0% 34.2% 20.3% 2.1% 0.1% 0.2% 28.1% 収入計 551,988.52 71,758,508 100.0% ※1 会費収入(主催者分担金)内訳 ウンブリア州 (Regione) ペルージャ市 (Comune) ペルージャ県(Provincia) ペルージャ観光局 計 EURO 日本円 25,822.84 36,151.98 15,493.71 5,164.57 3,356,969 4,699,757 2,014,182 671,394 82,633.10 10,742,303 EURO 日本円 89,243.75 15,000.00 15,000.00 516.46 1,548.80 1,500.00 7,700.00 15,493.71 30,000.00 1,549.37 1,000.00 10,329.13 11,601,688 1,950,000 1,950,000 67,140 201,344 195,000 1,001,000 2,014,182 3,900,000 201,418 130,000 1,342,787 ※2 自治体補助内訳 ペルージャ市 (Comune) テルニ市 フォリーノ市 モンテスステロ・ヴィビオ市 トルジャーノ市 チッタ・デラ・ピエヴェ市 ペルージャ商工会議所 ウンブリア州① ウンブリア州② パニチャーレ市 モンテファルコ市 ペルージャ県(Provincia) 計 188,881.22 24,554,559 注1)※1は出資金であり黒字の場合は比率に応じて返金されるが、※2は純粋な補助金であり、返金の規定 はない。 注2) 「自治体補助内訳」のうち、ウンブリア州の①②の違いは、会計伝票の違いであり、支出する部署 が異なっている。 支出 USCITE EURO 日本円 比率 282,006.22 36,660,809 58.6% 3,378.00 4,282.08 2,265.11 439,140 556,670 294,464 0.7% 0.9% 0.5% 会場費 技術人件費 ホール人件費 楽器貸借・輸送費 移動費 イタリア著作家・出版社協会 スポンサー付加価値税 その他アーティスト経費 13,890.55 26,031.37 1,936.71 5,544.91 42,991.66 2,530.20 2,090.25 12,684.26 1,805,772 3,384,078 251,772 720,838 5,588,916 328,926 271,733 1,648,954 2.9% 5.4% 0.4% 1.2% 8.9% 0.5% 0.4% 2.6% 事務経費 82,018.15 10,662,360 17.0% 支出計 481,649.47 (資料)ウンブリア音楽祭事務局 62,614,431 100.0% アーティスト報酬 印刷 広報 ポスター掲示 Arts Policy & Management No.17, 2003 - 34 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 ■日本への示唆 EU統合後、イタリア国内の環境変化は著しい。 (良くも悪くも)のんびりとしていたイタ リアも市場経済、他の欧州諸国との競争のなかに組み込まれ、様々な分野で自助努力が求 められてきており、大きな転換期を迎えていると言えよう。芸術文化、そして音楽祭も例 外ではない。先述の通り、そうしたなかでウンブリア音楽祭は、前述したとおり会計士で あるペロッタ氏を迎え、独立採算制の確保に向けた努力を続けるとともに、周辺市町村と の連携、観光施策との連動、そして海外諸国とのタイアップ等の新たなプロモーションに 取り組んでいる。 歴史と伝統を誇る欧州の音楽祭であっても、その継続は非常に困難が伴う。音楽祭のマ ネジメントは、(一定の規模が必要となることもあり)非常に高度かつ専門的なマネジメン ト能力が要求される。 わが国の音楽祭においても、その継続のためには、総務や経理、経営等の専門知識を有 する専門家を招へいするなど、「芸術文化」であることに甘えることなく、事業あるいは組 織としてのあり方を検討することが必要な時期にあるのではないだろうか。 ■ウンブリア音楽祭データ 【正式名称】 Sagra Musicale Umbria 【運営主体】 Sagra Musicale Umbria(実行委員会)、イタリアフェスティバル連盟 【開催月日】 例年9月 【開催場所】 ウンブリア州10都市 【財源】 全体予算:約50万ユーロ(約6,500万円)※詳細は上記。 【チケット販売状況、方法】 ウンブリア州内で発売 Arts Policy & Management No.17, 2003 - 35 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 ♪ 実験を支える環境 ∼ザルツブルク音楽祭から日本をみると∼ 片山 泰輔 (UFJ総合研究所 芸術・文化政策センター 主任研究員) 昨年夏、ヘルシンキで開かれた国際学会を口実に、はじめてザルツブルク音楽祭を訪れ る機会を得た。世界的な音楽祭を一度体験してみたかったというのが長年の希望であった が、今回の一番の目的はドイツの現代作曲家ヘルムート・ラッヘンマン氏のオペラ「マッ チ売りの少女」の音楽祭初演(コンサート形式)を鑑賞するためだ。 公演が行われた8月30日は、現在、飛ぶ鳥も落とす勢いで人気沸騰中のゲルギエフ氏が指 揮する新解釈の「トゥーランドット」がメイン劇場で上演される日でもあった。 「マッチ売 りの少女」は、いわば裏番組にあたったわけだが、物好きが多いのか、トゥーランドット のチケットが取れなかったからかはわからないが、こちらも完売であった。 「マッチ売りの少女」というメルヘン的表題とは異なり、音楽はきわめて前衛的な典型 的現代音楽である。歌詞のような言葉は聴き取れず、楽器からや歌手から音は発せられて いるが、いわゆるオーケストラのサウンドもまったくといっていいほど始まらない。抽象 的な舞台の上には、抽象的な映像が映し出されている。ステージには数個のテレビモニタ ーがあり、数字を表示し続けている。楽譜の小節番号である。演奏するだけでも大変な苦 労を要する作品である。最初の10分を経過したころから、知人と顔を見合わせあう人の姿 が目立ちはじめる。このような不穏な雰囲気が1時間ぐらい続いたころ、1人、2人と、観 客が立ち上がり退出する。周りを見回しながら、席を立って退場する人は20人ぐらいには 達したものと思われる。さらに、もう30分ぐらいしたころに、退出者が再びあらわれ、20 ∼30人が退出していった。そのあと30分、いわゆるオペラやオーケストラ音楽という常識 とはかけはなれた2時間を共有し演奏は終了した。作曲者のラッヘンマン氏も舞台で拍手に 応えたが、ブラボーとブーイングが交互に叫ばれる。 ヨーロッパにおける音楽祭は、ザルツブルク音楽祭に限らず、芸術的な実験場として機 能してきている。欧州における文化経済学研究の中心的存在であったFrey氏は、各劇場・ホ ールにおけるシーズン中の公演がアーティストの賃金をはじめとする様々な規制に縛られ ているために自由な企画が行いにくいのに対し、音楽祭ではそういった規制に縛られない ため、様々なアーティストと単発の契約を自由に行って企画をたてられるため意欲的な試 みが行いやすい(Bruno Frey “The Economics of Music Festivals” Journal of Cultural Economics, Vol.18 No.1,1994)、と説明しているが、このラッヘンマン氏の作品がザルツブルクで演奏さ れた背景もこうした文脈でとらえることも可能かもしれない。 日本でも近年、音楽祭が非常に盛んになってきている。しかし、山口や北九州の例にみ られるように実験的な試みはかなり苦戦しているようである。音楽祭の多くは開催地の地 方自治体が大きな支援を行っている場合が多いが、芸術家たちの実験を支えることの意義 を住民に説明するのは必ずしも容易ではないのが実情である。 Arts Policy & Management No.17, 2003 - 36 - Ⅳ.欧州音楽祭事情 こうした中、日本におけるこうした実験的な試みを支えるプログラムとして文化庁のア ーツプランの存在を忘れることはできないであろう。わが国の芸術水準を高めるための牽 引力となる団体に継続的な支援を与えるという目的のもとに1996年度に開始された「アー ツプラン21」は、ある程度の経営基盤と実績をもち、次のステップを目指そうという団体 にとってはきわめて意義のあるプログラムである。実は、アーツプランのもとで、このラ ッヘンマン氏の前衛的なオペラは日本でもすでに演奏されているのである。2000年3月4日 に東京交響楽団が定期演奏会の曲目としてサントリーホールで演奏している。ソリスト等 は今回のザルツブルクの時とほぼ共通している。満員とは言えない入りであったが、定期 演奏会ということもあり、決してガラガラではない。サントリーホールでは、私の記憶し ている限りは、途中退出もブーイングもなく、高度な技術と緊張感の中で演奏を終えたア ーティストたちに対する惜しみのない拍手のみがあった。 アーツプランのもとでの意欲的な試みは、作品の委嘱により継続的に新作に取り組んで いる東京混声合唱団や、アルブレヒト氏のもとで注目度上昇中の読売日本交響楽団をはじ め、いくつかの団体で近年活発化してきている。東京交響楽団は2003年3月29日にジョン・ アダムズ氏のオペラ『エルニーニョ』の本邦初演を行うが、これはエサ・ペッカ・サロネ ン氏がロサンジェルス・フィルを率いてニューヨーク初演を行うのとほぼ同時期(3月20日) である。このように、日本(残念ながらまだ東京だけかもしれないが)の音楽界も一部に おいて世界の最先端と対等の取り組みを行っているという事実は注目に値する。そして、 これらを国の政策が支えてきているという点はもう少し注目する必要があろう。「アーツ プラン21」はここ数年、文化庁の予算拡大の中で対象団体が大きく拡大し、2002年度から は「新世紀アーツプラン」と名称を変えた。そして、予算はさらに大きく拡大したが、内 容は子どもたちへの芸術体験等、多様なものを含むプログラムへと変容してきている。こ のこと自体が良い悪いということはないが、場合によってはあまりに多くの政策目的を持 つがゆえに、そのプログラムの意義があいまいになってしまう危険がないとも言えない。 すべての政策に共通のことではあるが、目的と効果をきちんと対照できることはアカウン タビリティの基本である。たとえ「新世紀アーツプラン」という大枠に束ねられたとして も、実験的試み等、一般市民の理解を得るのが必ずしも容易ではない分野においても、目 的と効果についての継続的な把握を行っていくことが必要である。これは、負担を行う市 民に対する説明責任という面でも、意欲的試みに取り組むアーティストの意欲と責任感を 高めるという面でもきわめて重要である。科学技術の進歩のために基礎研究が重要なのと 同様、芸術文化の発展にも実験的な試みが不可欠である。実験を支える社会制度の枠組み の確立が求められる。 Arts Policy & Management No.17, 2003 - 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