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Wikipedia 本日の記事 / 2009年8月1日 / ドン・タロン
Wikipedia Today's Featured Article: August 1, 2009
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red_article/August_1,_2009&oldid=305383603
taro 2009-08-04 09:32:15
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドン・タロン(Don Tallon、1916-1984)は、オーストラリアのクリケット選手。1946年から
1953年、テスト・クリケット(クリケットにおいて最高峰とされる国別対抗戦)21試合にウィケ
ットキーパーとして出場した。同時代の人々からは、オーストラリア史上最も優れたウィケット
キーパーとして、またテスト・クリケット史上最高の選手のひとりとして評価されており、控え
めなプレースタイル、ボールのフライト、レングス、スピン(flight, length and spin、それぞれ、
ボウラーが投げたボールのスピードとコース、バウンドするまでの距離、回転のこと)に対する
予測能力、優れたスタンピング(stumping、バッツマンが打撃時の定位置を離れた隙に、ウィケ
ットの上に載っている横木を落としてバッツマンをアウトにすること)技術で知られていた。タ
ロンは、ドン・ブラッドマン(Don Bradman)がキャプテンを務め、「インヴィンシブルズ
(Invincibles、無敵軍団)」と呼ばれた1948年のオーストラリア・チームの一員としてイギリス
・ツアーに参加し、同シーズン中のプレーによって、1949年のウィズデン・クリケッターズ・オ
ブ・ザ・イヤー(Wisden Cricketers of the Year、イギリスで発行されているクリケット年鑑が選
出する年間優秀選手)のひとりに選ばれた。テスト・クリケットの試合においては、通算で58個
のアウトをとり、そのうち50個はキャッチ(打者の打ったボールをバウンドの前にキャッチする
こと)、8個はスタンピングによるものであった。初期の頃にはバンダバーグ(Bundaberg)でプ
レーしていたが、この時タロンは、悪名高い「ボディライン・ツアー」(Bodyline tour、イング
ランド・チームがボディラインと呼ばれる危険な投法を行い問題となった一連の試合のこと)に
おいてイングランドのクリケット・チームと対戦するクイーンズランド州代表に選ばれている。
第二次世界対戦後、他の候補選手が引退したり、都合で出場できなかったことから、タロンはつ
いにテスト・クリケットでプレーする機会を与えられ、1946年、30才の時に対ニュージーランド
戦でデビューした。「インヴィンシブルズ」のツアー後は体調不良に見舞われ、1949年から
1950年に行われた南アフリカ・ツアーを断念することになった。1953年にファーストクラス・ク
リケット(first-class cricket、ファーストクラスと認定されたチーム同士で行われる試合)から引
退してバンダバーグに戻り、兄弟を手伝って小さな商店を営んでいた。タロンはバンダバーグに
おいて68才で亡くなった。
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