レッサーパンダの将太 お客さんが展示場の前で「ショウタ君~」と呼ぶ声がいつもレッサーパンダ舎の中まで聞こ えてきていた。 そんな平穏な日々がいつまでも続いてくれたらと願いながら 2 月18日にショウタは16 歳で生涯を閉じた。 振り返れば、私がレッサーパンダの担当になって7年目。ショウタとはじめて対面した日、 ショウタは少しでも近付くと「フー!!」と警戒していた。私は彼らの空気のような存在になり たいと心に決めた。そして、日々接していくうちにショウタの頑固さ素直じゃないのは性 格だと気づく” そうしていくうちに、展示場でいつもショウタは櫓の下で過ごしていること、木の上をチ ラチラ見ている動作に違和感をもった。メスの空はいつも木の上で寝ている。もしかして、 ショウタは登らないじゃなく登れないのではないかと気づき、すぐに木へと繋げるスロー プを作って設置してみた。次の日、ショウタがシュート扉から出てきた。木に登った!! 若干嬉しそうな顔をしていたが私の前では感情を隠そうとしていた。ショウタらしい。 その日から夕方に部屋へ帰ってこない日が4日間続いた…。 年月を重ねていくうちに、私はショウタの周囲に居ても許される存在になれていた。 そしてショウタも年をとっていった。これだけ人が苦手なショウタのことを考えると治療 で押さえつけることになった時にストレスで死んでしまうのではないかと不安になった私 は(どこを触ってもよい状態・注射器になれさせる・腰の保温)ができる段階に踏み切っ た。ただ、高齢になってからのトレーニングは逆に負担が大きいと思ったので、ショウタ に合った方法を考えぬきヒーリング・ミュージック法を試みた。 曲は、花のワルツ(くるみ割り人形)約5分間。音楽が流れている間は何をされても大丈 夫という私とショウタの約束だ。もちろん、レッサー班誰でもできるようにした。 お互い楽しく無理なくするのが続けられた結果だと思う。気がのらない時や逃げた時でも 曲が終わればたとえ中途半端でもやめる。ショウタは見事に応えてくれた。なので、腰の 保温をして展示場へ出て行くのがショウタの日課となった。 そして、2月9日にすべてを発揮する日がきた。 産箱に引き籠るショウタに補液をするため、上の蓋を開けるがやはり威嚇し「フー!!」といっ てきた。上からの治療や人に囲まれ無理もなかった。 ただ、どうしても押さえつけたくないという思いを胸に私は音楽を流し、いつものように ショウタに話しかけた。すると、ショウタは素直に応じて針を刺してもじっとして私の方 を見つめていた。彼は約束を守ってくれた。私は言葉にならなかった。 そして、音楽の治療を続けながら脚のマッサージをする日々を続け、少しずつ快復してき たようにみえたが…2月15日ショウタが倒れた。 (痙攣・足の突っ張り・意識の朦朧)な んとかもち直したが、その後立つこともなく、ご飯までも食べなくなった。 2月17日午後21:15死期が迫ってきた。 彼は何度もよろめいては倒れ、力をふりしぼって立ち上がろうとした。最後の最後まで生 きる努力を捨てないショウタの小さな体を支えることしかできなかった。 そんな私にショウタは上半身だけ起き上がらせ鼻と鼻をくっつけてきてくれた。私は、「み んなをおいていくの? うん、お別れだね」と言った。 そして、最後に大好きな空ちゃんと会わせた。空は、久々に会ったショウタを見て「どう した?おじじ?」という顔をした。 次の朝、ショウタは少し温かった。 動物と人間との間のルール、キモチのよい距離感、信頼というものをショウタは私に教え てくれました。 彼の生き方を心から誇りに思います。 ありがとう将太。 レッサーパンダ担当 すずうち
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