日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会 0

日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第1部
3. 演劇テクストについての一考察−カミュにおけるト書
立教大学(非常勤)
島田薫
9:45∼11:15
第1分科会 フランス語学・語学教育(1)
512教室
1. 日本語母語話者のフランス語鼻母音−調音的・音響的特徴からの
考察
名古屋外国語大学(博士前期課程)
安藤博文
2. Réciproquement vs Mutuellement−現代フランス語の 2 種類の相互性
をめぐって
慶應義塾大学(博士課程)
芦野文武
3. スペース間コピュラ文としてのトートロジー
日本学術振興会研究員
酒井智宏
第 2 分科会 中世・17世紀
515教室
1. トマ『トリスタン物語』v.1454 及び v.1462 をめぐる解釈の試み−
vostre amur という表現を中心に
東京大学(博士課程)
上杉恭子
2. 『散文トリスタン物語』内の記述と発話行為の問題−Ecrits et voix
narratives dans le Rom an de Tristan en prose (tome IX, §1-§45)
明星大学
佐佐木茂美
3. テクストの記述と歴史形成ーリアンクール『覚書』にみるジャン
セニスムの攻撃性
武蔵大学(非常勤)
野呂康
第 3 分科会 18世紀(1)
514教室
1. 描写詩の発展と叙情詩の再生におけるルソーの影響−ルーシェ
『一年の月々』を中心に
同志社大学(非常勤)
井上櫻子
2. 植物学者としてのルソー−ルニョー『有用植物誌』への書込みを
中心に
ヌーシャテル大学(博士課程)
小林拓也
第 4 分科会 19世紀(1)
513教室
1. 1870 年代のステファヌ・マラルメにおける「内的な祝祭」−『最
新流行』、『ヴァテック』序文をめぐって
東京大学(博士課程)
熊谷謙介
2. 音楽ではない−マラルメの絶対音楽受容を巡って
上智大学(非常勤)
黒木朋興
第 5 分科会 19世紀(2)
522教室
1. バルベー・ドールヴィイの『妻帯司祭』における宗教観
京都外国語大学(非常勤)
小溝佳代子
2. ブールジェ『弟子』と世紀末イデオロギー小説
日本学術振興会特別研究員
田中琢三
3. 哲学の裁断−『ブヴァールとペキュシェ』のヘーゲルの挿話をめ
ぐって
日本学術振興会特別研究員
山崎敦
第 6 分科会 20世紀(1)
524教室
1.『失われた時を求めて』の中のゲルマント大公妃マリーとアルベルチ
ーヌにおける「月」と「水」−変身と再生
お茶の水女子大学(博士課程)
菊池博子
2. マルセル・プルースト『失われた時を求めて』におけるアルコール
東京大学(博士課程)
福田桃子
第 7 分科会 20世紀(2)
516教室
1. 主体の分裂と演劇化−ジョルジュ・バタイユにおける自己喪失と
書く行為
東京大学(博士課程単位取得退学)
神田浩一
2. 〈美術館〉としての芸術作品−ブランショのマルロー論をめぐっ
て
パリ第 7 大学(博士課程)
郷原佳以
第 8 分科会 20世紀(3)
532教室
1. マルグリットデュラス作品における忘我と時間
パリ第 8 大学(博士課程修了)
上田章子
2. マルグリット・デュラス『モデラート・カンタービレ』−問うこ
ととしての物語
立教大学(非常勤)
関未玲
第2部
12:30∼14:00
第 9 分科会 フランス語学・語学教育(2)
512教室
1. 定冠詞句のいわゆる直示的用法について
関西大学(非常勤)
小田涼
2. 遠隔教育の可能性
日本私学教育研究所
山﨑吉朗
第 10 分科会 18世紀(2)
514教室
1. 18 世紀における崇高概念の世俗化 ―フランス語で書かれた修辞学書
における記述を中心に
中部大学中部高等学術研究所研究員
玉田敦子
2. サドのリベルタン小説の生成過程の一側面−リベルタン、ブレサ
ックの造型
徳島文理大学
林 學
第 11 分科会 19世紀(3)
515教室
1. ランボーにおける時間−断続と再生
東京大学(博士課程)
谷口円香
2. « mauvais sang » : Rimbaud à la recherche des temps perdus
パリ第 4 大学(博士課程)
深井陽介
第 12 分科会 19世紀(4)
513教室
1. L'œuvre de Pierre Loti : la mise en scène d'une vie
東邦大学
Peter James T urberfield
2. 世紀末のユダヤ系作家−マルセル・シュウォブ『少年十字軍』を
めぐって
横浜市立大学(博士課程)
鈴木重周
第 13 分科会 20世紀(4)
522教室
1. レーモン・クノー『文体練習』における「語りの枠組み」について
京都大学(助手)
久保昭博
2. Exception, décalage, transgression−essai sur le "clinamen" dans les
Exercices de style
リエージュ大学(博士課程)
後藤加奈子
3. レーモン・ルーセルと心霊主義
早稲田大学(非常勤)
新島進
第 14 分科会 20世紀(5)
524教室
1. ヘーゲルの余白に−シュルレアリスムと「弁証法」
北海道大学(博士課程)
齊藤哲也
2. 遅れた手紙−ブルトンとバタイユ
東京大学(博士課程)
橋本悟
3. フーリエ主義者ブルトンとシュルレアリスト・フーリエ
一橋大学(博士課程修了)
福島知己
第 15 分科会 20世紀(6)
516教室
1. ミシェル・レリス「偽=ゲームの規則」の発見−« Ici fruit à la tête se
dit : là on s’enlise»
早稲田大学(博士課程)
谷口亜沙子
2. 声と記号−ジュリアン・グラック『シルトの岸辺』における読む
ことのフィギュール
早稲田大学(助手)
三ッ堀広一郎
第 16 分科会 20世紀(7)
532教室
1. ソシュールのアナグラム−スタロバンスキーからフルールノワま
で
明治学院大学(非常勤)
金澤忠信
2. ロラン・バルトにおける「官能性」−テクストから恋愛主体へ
東京大学(博士課程)
滝沢明子
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日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第 1 分科会-1
第 1 分科会-2
日本語母語話者のフランス語鼻母音−調音的・音響的特徴か
Réciproquement vs Mutuellement−現代フランス語の 2 種類
らの考察
の相互性をめぐって
安藤
博文
芦野
文武
本発表は、日本語母語話者(以下、日本人)のフランス語学
フランス語には日本語で“互いに∼”の意味に相当するいわ
習者における、3 種類のフランス語鼻母音












の知覚、産出
ゆる相互表現がいくつか存在する。本発表ではそのうち一般に
に焦点を当てた調査研究の報告である。鼻母音はフランス語の
類 義 語 と みな さ れて い る 2 つ の副 詞 réciproquement と
音声体系を特徴付ける音韻のひとつである。日本語では、鼻母
音は独立した音韻を形成していないため、日本語を母語とする
mutuellement を取り上げ比較分析し、実際には両者には意味的
にも統語的にも明確な差異が認められるということを、それぞ
者にとって、それらの習得はたやすいものではないと一般的に
れの副詞が相互性を構築する際のメカニズムの違いを基に明ら
は言われている。こうした鼻母音の知覚、産出に関して、実験
かにしたい。
音声学的な見地から調査を行うことによって、日本語を母語と
従来これらの副詞に関する研究はほとんどなく、多くの文法
するフランス語学習者に内在化された鼻母音の体系を探ること
書でも、代名動詞の諸価値の解釈において、再帰的解釈か相互
を目的とする。
的解釈かが曖昧な場合に(ex. Rousseau et Voltaire s’admiraient.)
これらの副詞を加えると相互的解釈が選択されるという説明が
本研究では、大学で専攻語学としてフランス語を学習する 60
なされるにとどまっており、
両者の違いについては言及がない。
名(フランス語学習歴約1年)に対して 2 つの心理言語学的実
験を行った。第 1 の実験は、3 つの鼻母音が含まれるミニマル
しかしながら実際に例文を観察してみると、2 つの副詞は文
ペアを被験者に示し、その中から聞こえたものを選択させると
脈によっては置き換えが可能ではないこと(ex. Ils s’aidèrent
いう、リスニングによる判別課題である。これは、日本人学習
*réciproquement / mutuellement
者に内在するフランス語鼻母音の分布を検討することを目的と
équipement.)
、また 2 つの副詞が置き換え可能な場合であっても、
している。第 2 の実験は、簡単な会話文を口頭で完成させるこ
それぞれの副詞が発話に異なった解釈をもたらすこと(ex. Jean
とによって被験者における鼻母音の様相を探る、制限作文法に
et Pierre se sont envoyé réciproquement / mutuellement des photos
よる産出課題である。本実験では、産出の際の調音に関わる困
de leurs vacances.)が認められる。また 2 つの副詞が代名動詞以
難さを知ることができる。
外の発話に現れる場合、例えば réciproquement には文修飾の副
à charger et boucler leur
以上の 2 つの実験から、次のような結果が得られた。第 1 点
詞の機能があるが、mutuellement にはその機能がない(ex. A と
として、判別課題の調査では、



と


の判別は



に比べて困
B の会話の場面で A : Je vous souhaite de bonnes vacances. B : Et
難であるという、先行研究を支持する結果が示された。第 2 に、
réciproquement / *mutuellement.)という統語的違いもある。
鼻音化に成功している被験者により産出された



と


に関し
て音響分析を行ったところ、音響的には両者に明らかな違いが
る形容詞の比較に基づいて探る。
具体的には、形容詞réciproque /
見られなかった。第 3 に、判別、産出ともに




>




>



の順
mutuel の意味がそれぞれ retour / échange の概念と結びついてい
に正答率が下がっていき、とくに



の正答率の低さが顕著であ
るとする Littré(1863-1876)の記述を発展させ、2 つの副詞は
ることが認められた。第 2、第 3 の結果を合わせ考えると、日
それぞれ発話において主語の間の相互関係を個別化 / 総体化
本人学習者は



と


について、両音韻とも口母音


、もしくは
日本語の「オ」音/
/を鼻音化させることにより鼻母音として知
という 2 つの異なったメカニズムによって捉えるという仮説を
提示する。またその限りにおいて、一般に一括りに扱われる相
覚していることから、判別が困難になっていると推測される。
互性には少なくとも、本質的に異なった 2 つのタイプが認めら
ここには母語の干渉が示唆される。
れるということを、上記の代名動詞の例の分析に加えて、両副
本発表では réciproquement と mutuellement の差異を、対応す
詞が共起する形容詞のタイプ、対応する類義語の差異などにも
今後、日本人学習者に内在化されているフランス語音声の姿
言及しながら示したい。
を客観的に捉える試みは、他の母音間との知覚システムといっ
た、外国語音声知覚に関する総合的な研究への発展、また、知
覚の困難度に応じたフランス語音声教材作成といった応用が望
(慶應義塾大学大学院博士後期課程・パリ第 7 大学大学院博士
まれる。
課程)
(名古屋外国語大学大学院博士前期課程・名古屋市立名東高校
非常勤講師)
1
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第 2 分科会-1
第 1 分科会-3
トマ『トリスタン物語』v.1454 及び v.1462 をめぐる解釈の試
スペース間コピュラ文としてのトートロジー
み−vostre amur という表現を中心に
酒井
智宏
上杉
恭子
vostre amur —「あなたの愛」なのか「あなたへの愛」なのか。
本発表においては、
この表現の曖昧さに着目することを通して、
拡大メンタル・スペース理論(Sakai 2004)の枠組みで、藤田
(1988, 1990)が用法 A と呼ぶタイプのトートロジー(同語反
トマ『トリスタン物語』の v.1454 及び v.1462 に関する解釈の可
復コピュラ文)X est X をスペース間コピュラ文として分析する。
能性を示し、そこからより明確なテクストの理解を導き出して
みたい。
藤田が提案するトートロジーの意味論は次の通りである。
(i)
X est X が発話される文脈には、X est X(= JE)と対立する発話
周知の通り、所有形容詞とは基本的に所有の関係を示すもの
(= AUTRE)が存在する。
(ii)その文脈では、示差的基準 r の
である。しかし、その際問題とされるのは、常にごく単純な所
有無により、X の内部に(p, p’)の対立が構築される。
(iii)
AUTRE
有の概念だけでなく、いっそう幅広い、事物や人に関わる任意
は p と p’を異質なものとして扱う。
(iv)JE は r の有効性を
の関連性でもあるのだ。そうしたなか、所有形容詞が行為名詞
否定し、別の基準 R を立てることにより、p と p’を等質的に
扱うべきだと主張する。また、藤田によると、トートロジーは
に付く例において、そこに主語的働きと目的語的働きの 2 つの
可能性が存在しうるということは、現代語における用例に照ら
論理的恒真命題を表し、トートロジーは自明の理を改めて確認
しても明らかなところであろう。今回注目する amur「愛」とい
することがある種の情報価値をもつような文脈、すなわち、ト
う語に所有形容詞が結びついた形に関しても、amur を amer「愛
ートロジーが JE によって主張される命題の論拠となるような
する」の行為名詞として捉え、そこでは所有形容詞の用法は文
文脈で用いられる。X est X が表す自明の理を論拠とすれば、反
脈に応じて判断されるべきである、との指摘がしばしばなされ
対意見を封じやすく、有無を言わさず AUTRE に JE の結論を押
ている。
しつけることができる。
では、この v.1454 及び v.1462 とは、どういった文脈に位置し
この分析に対しては次の二つの問題点を指摘することができ
ているのかというと、それは、侍女ブランジアンの王妃イズー
る。
(i)
(p, p’)の対立が X の内部に構築されると考えると、ト
を糾弾する台詞の中なのである。トマによる『トリスタン物語』
ートロジーの否定として発話される矛盾文 X n’est pas X の意味
論が説明できず、逆に、この問題を回避するために、
(p, p’)の
は、トリスタン伝説の 2 系統のうち、騎士道本系と呼び慣わさ
れる諸本の代表作である。この系統の特徴は、一般的に、宮廷
対立を X の内部と X の外部にまたがる形で導入しても、やはり
風趣味に基づく物語の再解釈であるとされている。そして、そ
矛盾文の意味論を正しく説明することはできない。
(ii)トート
の結果生じたであろう変化は、各々のエピソードの構成にまで、
ロジーが恒真命題を表すわけではないことを示す言語事実が存
大なり小なり影響を与えている。ベディエに拠れば、このブラ
在する。
その言語事実とは、
A. 対応する否定文(=矛盾文)X n’est
ンジアンの台詞を含む箇所も、まさにそうした改変を顕著に示
pas X の存在(酒井 2005)
、B. 主観性モダリティ表現との共起、
すくだりであり、トマはここにおいて、従来のイズーの怒りを
C. 付加疑問との共起、D. 強調の副詞との共起、E. 事実的用法
ブランジアンの怒りにすり替えることで、その目的を達してい
の存在、である。
るのだという。すなわち、イズー及びブランジアンそれぞれと
本発表の分析では、トートロジーは次のスペース構成を構築
の逢引の帰り、追われて逃げた従者らをトリスタンとカエルダ
する。M1: a は X の定義属性を満たす。M2: a の対応物 a’は X
ン本人と間違えたカリアドから、彼らの臆病な振る舞いについ
の定義属性を満たす。すなわち、トートロジーは、M1 で X と
て詰られたブランジアンは誤解のままに憤り、この後それがも
しての性質を持つ a が M2 でも X としての性質を満たすという
とで、マルク王に対するイズーの告発、トリスタンの訪問の妨
有意味な命題を表している。この定式化により、藤田の理論の
害といった展開に繋がるのである。ベディエの分析を踏まえ、
難点を克服でき、かつ、トートロジーP ou pas, X est X が、(i)
ここでブランジアンの怒りの矛先は、イズー及びトリスタンに
X の定義属性に P を含めるべきではないというカテゴリーX に
こそ向かうはずであるという点を再認識しながら、我々はテク
関する主張、
(ii)個体 a'を X として扱うべきであるという個体
ストに対峙するべきであろう。
に関する主張、の二つを伝達するという事実が説明できる。
これまでの校訂者らにより、多分に曖昧な解釈のまま済まさ
れてきたように見受けられる v.1454 に関しては、そこに確認で
(日本学術振興会特別研究員 PD)
きる pur amur de という言い回しにも目を配りつつ、それを成句
表現として短絡的に捉えない方がよいものとして検討を進める。
併せて、ドゥース写本とトリノ写本の相違が、内容理解に与え
ている影響の可能性についても検証しておきたい。
また、v.1462 に関しては、マルケロ・ニツィアのみが採って
いる vostre amur という写本の読みに基づいて(他の版は nostre
amur に校訂)、その整合性を探り、新たな解釈を示したいと考
えている。
(東京大学大学院博士課程)
2
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第 2 分科会-2
第2分科会-3
『散文トリスタン物語』内の記述と発話行為の問題−Ecrits
テクストの記述と歴史形成−リアンクール『覚書』にみるジ
ャンセニスムの攻撃性
et voix narratives dans le Roman de Tristan en prose(tome IX,
§1−§45)
佐佐木
野呂
茂美
康
じつに 90 の写本を数えるという『散文トリスタン物語』の
1655 年、パリの或る教区内で、罪を告白しゆるしを求める改
代表的な諸本 VI、VII が共有する/した筈の部分―ブロンの
悛者に、聴罪司祭がその場ではゆるしを与えないという事件が
二人の甥をもって聖と俗をまず対立させ、知恵者にして悪人マ
生じる。改悛者の名前はロジェ・デュプレシ、一般にリアンク
ルクおよび愛と姦通の果ての末裔であるトリスタンを導きだす
ール公と呼ばれる人物である。当時の大貴族であると同時に、
準備された『散文』冒頭部に位置する 183 の挿話群―と至高
ジャンセニスムの有力な支持者であった。事件は直ちにパリ大
の恋人たちの死に至る『韻文』の時間を総括する物語研究はま
学神学部に報告され、数人の神学博士が検討することになる。
ずない。その膨大さゆえに最近まで一切の版本もなく、183 の
協議の結果、聴罪司祭の判断が支持された。この決定を不満と
挿話が我々の知れる韻文『トリスタンとイズー物語』には欠落
するリアンクール公は、事件直後から文書をしたため状況の正
している事から切り離す習慣が受容の側にあった、という事で
当化に努める。他方、神学博士アントワヌ・アルノーは事件か
はあろう。ところがヨーロッパ中世のトリスタンものの受容は
ら一ヶ月も経たないうちに通称『第一の手紙』を出版し、リア
全コーパスに対するものであった。写本間の「共有」が明示す
ンクール援護にまわる。
『第一の手紙』は多数の反論文書を喚起
るように糾われた二本の「系譜」に遡及する「大河ロマン」
、で
してしまう。アルノーはこれらの論争書に対して、通称『第二
あった。
の手紙』を執筆しまとめて返答する。ところが今度は『第二の
一方、
「流布本」
(VII)
、その半分のヴォリューム VI ともに『散
文トリスタン』をもって俯瞰する時期の到来であり―初めて
手紙』が神学部で審議の対象となり、最終的にアルノーは譴責
の版本(Ph. M énard 監修の 9 巻本と 5 巻本)―各異本にあっ
てしまう。こうしてソルボンヌからはいわゆるジャンセニスト
てほぼそのままの形を保全した「先史」部分と本体とが同時期
が一掃され、学部の再編成が行われることになった。それでは
の 1230−1235 年に位置すると考えられる時、「ガトの城主、リ
以上のような重大な帰結をもたらした事件、すなわち告解とい
ュス(Luces)たるわたし(je)」と名乗り、母国語ではないフ
ランス語で果敢にも取り組む事が明らかにされるプロログの書
う制度上、改悛者と聴罪司祭以外には誰も知らないはずの密室
き手が本体部分でも関わっているかを記述と発話行為の諸点の
本発表で検討する『覚書』は、リアンクール公自身が事件の
処分を受けて、他の数十人の支持者と共に神学部から除名され
の中での出来事とは一体何だったのか。
比較検討が明らかにするかもしれないという予測がたてられる。
直後から執筆し始め、数回の中断を挟んで数ヶ月の後に完成し
二つの独立した有機体とみるアプローチではラテン語のトリス
た出来事の記述であり、アルノーが『第二の手紙』で全文を引
タンに関する「原本」の存在を示唆する事と言い、この訳者を
用し立論の根拠としたために、当事者による唯一真正な証言と
名乗り、
「わたし」として介入するリュスと言い、ありうべから
みなされている文書である。この記述を基にして、これまで無
ざる、ないし検証不可能な事とされてきた。
数の歴史が紡がれてきた。だが、なぜこの記述が唯一の証言で
かかる展望のうえで、VII―最も親しまれたヴァージョンの
あるのか、またなぜこの記述内容が真正に生じたことの記録と
最終巻(第 9 巻)前半部(§1−§45)に生起する作者、語り
して受け入れられてきたのか、といった問いはかつて提出され
手、「物語」、夢、声―文書の開陳等を検討する。これは『散
たことがない。
文ランスロ』の色濃い影響である物語技法の「蝶番」部分ない
確かに、聴罪司祭や神学部博士による判断、秘蹟再開の条件
し「話柄」の巡回的「渡し」に頻発する「物語」
「物語る」が後
として改悛者が認めるよう突きつけられたという過ちの内容等
退している事実を踏まえたうえでの『散文トリスタン物語』の
を問題とする限り、リアンクールのテクストは無実の改悛者を
模索の姿の検証でもある事は言うまでもない。またかかる視点
攻撃するアンチ・ジャンセニストの策謀を喚起するよう、見事
はメロヴィンガ朝(口頭発表 2 篇(1999、2001)
、所収①『ロマ
に構築されている。しかし執筆状況と行為の分析を通じて浮か
ニア』
(2005)
)とカロリンガ朝(口頭発表(2002)、所収②本学
び上がるのは、意外にも全く逆の事態、すなわち攻撃的なジャ
会誌(2004)
)のともに「偽クロニック」の発生の先の分析に対
ンセニスムという像ではないだろうか。
し、今回は②の§39−§45 を拡大し、第 9 巻前半部の物語作法
この事件は、アルノーの『第一の手紙』が当時、ジャンセニ
..
ストによる攻撃の再開と受けとられた点に窺えるように、1640
上の問題を検討する。
年代初頭のジャンセニウスの遺著『アウグスチヌス』出版から
(明星大学名誉教授)
1660 年代の信仰宣明文署名強制に至る一連のジャンセニスム
運動の中の一出来事である。リアンクールの『覚書』が内包す
る力関係と攻撃性を分析対象とすることで、多彩な問題意識と
戦略をもって一つの社会のあり方を問うた、ジャンセニスムと
いう運動の一端を明らかにしたい。 (武蔵大学非常勤講師)
3
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第 3 分科会-1
第3分科会-2
描写詩の発展と叙情詩の再生におけるルソーの影響−ルー
植物学者としてのルソー−ルニョー『有用植物誌』への書込
シェ『一年の月々』を中心に
みを中心に
井上
櫻子
小林
拓也
ルソーの文学作品に現れる夢想についての記述は、多くのル
ルソーと植物学との関係は、その癒しとしての役割が注目さ
ソー研究者によって、ロマン主義的精神の萌芽を予示するよう
れてきたものの、総体的には極めて未発達な研究領域である。
な作家の詩的精神を表しているとみなされてきた。しかし、ル
事実、関連作品の半数以上は刊行されておらず、また、権威が
ソーの散文に備わる詩的な美しさが、彼と同時代の詩人に、ど
あるとされるプレイアード版全集の解説や『ルソー辞典』の関
のように捉えられていたのかという問題については、いまだ十
連項目にしても、作品群の制作年代や草稿の由来など、研究の
分に明らかにされていない。素朴な田園生活の美徳を歌う描写
基礎となるべき事項から、既に複数の不正確な記述が含まれて
詩は、ルソーが主に文学作品を手がけた 1760−70 年代に発展し
いる。
たジャンルである。その中の代表的作品の一つ、ジャン=アン
発表者はこれまで、ヌーシャテルやパリ、ケンブリッジなど
トワーヌ・ルーシェの『一年の月々』は、ルソーの死の直後に
に保管されている未刊行作品の調査を基に、こうした問題の一
公刊されたものであり、同時代の詩人によるルソー受容のあり
部を指摘、訂正してきた。例えば、
『植物学辞典』の執筆年代が、
方を窺い知ることができる。そこで、今回の発表では『一年の
従来考えられてきたように 1774 年前後ではなく、ルソー最晩年
月々』を取り上げ、18 世紀末の描写詩の発展と叙情詩の再生に
の 1777−1778 年であること。また、音楽や政治哲学、演劇の領
おけるルソーの影響について一つの解釈を試みたい。
域だけでなく、植物学の分野でも、ルソーが『百科全書』を頻
この作品の中で、特に読者の目をひくのは、ルソーに関する
繁に使用していた事実などである。準備中の博士論文では、さ
言及の多さである。ルーシェ自身によってこの詩に添えられた
らに様々な新事実を提示する予定である。
注記には、ルソーの人格のみならず、田園生活の美徳を賛美す
今回の発表では、ルソーによる自筆書込みが残されている 6 冊
る彼の思想や、自然を描く巧みな筆致への賞賛の念が記されて
の植物学専門書の内、ルニョー『有用植物誌』
(1774)を取り上
いるのである。ここから、詩人自身により影響関係が明示され
げ、その分析を中心に、植物学者としての新たなルソー像の一
ている部分以外にも、ルソーの影響が見いだされるのではない
端を紹介したい。
か、という問いが生じる。この問題について検討すべく、ここ
発表の手順としては、まずルソーと植物学との関わりを年代
では、
『一年の月々』における自然が人間の感受性に与える影響
順に概観する。その際、未刊行の原稿や押葉標本などの画像を
についての考察に注目してみたい。
出来るだけ提示するつもりである。次に、当該書の各植物の解
人間の感受性と快楽に関する思索を田園の賛歌に織り込む可
説文に加えられた、ルソーによる修正、及び 1−12 行のコメン
能性は、既にサン=ランベールによって示されていたものであ
トを分析する。これらは、ルソーの観察力や、参考にしていた
るが、ルーシェは、このような先駆者の試みを継承し、より押
植物学書、慣れ親しんだ採集地などを知る上で格好の資料であ
し進めている。つまり、感覚論哲学の影響の下、サン=ランベ
るが、今回は、ルソーによる修正が、本文の文体や文法上の誤
ールが人間の感受性に対する外界の物理的刺激に注目して、自
りにまで及んでいる点に注目し、
ルソーと植物学との関係では、
然の中での人間の情緒的経験を描こうとしたのに対し、ルーシ
実は言語に関する問題意識が重要な役割を果たしている事実を
ェは、過去の甘美な恋の記憶が蘇るときの心地よさや悲しみな
指摘したい。最後に、同様の視点から、ルソー自身が製作した
ど、より個人の内面に根ざす動きに高い関心を寄せているので
押葉標本、及び『植物学の記号』を簡単に取り上げる。前者に
ある。ルーシェにおいて、このような心理分析の深化が見られ
ついては、
『夢想』の中で、採集時の記憶を呼び覚ますという作
るのは、ルソーの作品を詩人が熟読した結果であることが、両
用が語られており、後者は、植物の特徴を如何に正確、端的に
者のテクストをつきあわせることによって明らかになる。記憶
他者に伝えるかという試みの軌跡である。スタロバンスキーの
や内面の感情に関するより深い思索を盛り込んだルソーの作品
『透明と障害』以降、仲介物を介さない直接的交流は、ルソー
の影響の下、ルーシェは、感覚論的人間論を押し進めると直面
における根源的な欲求であるとされてきたが、こうした傾向は、
せざるを得ないアポリア、つまり、人間のさまざまな情動を決
植物学の分野においても当然作用していたはずである。フラン
定するのは結局のところ外界の物理的自然になってしまい、そ
ス語の修正や標本作成、記号開発といった試みは、直接的なコ
の心理分析は没個性的なものになりかねないというアポリアを
ミュニケーションを可能にし得る、理想的言語の探求とも考え
回避することができたと考えられる。そして、ルーシェがより
られるのである。
なお、時間が許せば、ルソーが訪れたイギリス、イタリア、
深い内面描写を展開すべく取り入れたメランコリックな夢想や
記憶のテーマ系は、彼に続く描写詩人の内面描写に影響を与え
スイス、フランスの全ての土地、建物を年代順に網羅した WEB
ただけではなく、後にラマルチーヌやユゴーなどロマン主義の
サイト、http://www.rousseau-chronologie.com のデモンストレーシ
詩人によって歌い上げられるエレジーのテーマ系を予示するも
ョンも行いたい。
のとなったのである。
(ヌーシャテル大学博士課程)
(同志社大学非常勤講師)
4
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第4分科会-1
第4分科会-2
1870 年代のステファヌ・マラルメにおける「内的な祝祭」
音楽ではない−マラルメの絶対音楽受容を巡って
−『最新流行』、『ヴァテック』序文をめぐって
黒木
熊谷
朋興
謙介
スュザンヌ・ベルナールは 1959 年の博士論文『マラルメと音
本論の目的は、マラルメが 1870 年代に繰り広げた多様な活動
楽』の中で、
「マラルメにとって、本当の音楽とはポエジーのこ
の中に、
「内的な祝祭」という隠されたテーマを見出すことであ
とである」と言う。この見解はマラルメ研究の第一人者である
る。この時代の彼の美学は、
「現代性」と「群衆」という、ボー
ベルトラン・マルシャルにおいても変わらない。しかしこの音
ドレールが「現代生活の画家」において提示した概念によって
楽の定義は曖昧なままである。言ってしまえば、この音楽は、
特徴づけられるだけではない。
『最新流行』の「パリ歳時記」に
詩的あるいは芸術的といった抽象的な概念の同義語として使わ
書きつけられた「夢想の間 rêvoir」という語が示すように、マ
れているのだ。
ラルメは散文詩「二重の部屋」を書いた先輩詩人から、部屋と
実際、マラルメと音楽、というテーマを考えた場合、この音
人間の精神のアナロジーが成立する「内的な祝祭」の概念を受
楽は 2 種類に分けることができる。
「詩句の音楽」と「絶対音楽」
け継いでいる。また、この語を通して、マラルメが理想の住処
である。フランス文学研究者が考える音楽とは、大抵「詩句の
を追求する英米文学の遺産を継承していることが確認される。
音楽」のことであると言えよう。彼らは韻、頭韻、半階音など
ボードレールは「夢想の間」という語を、自ら訳したポーの「室
語の音の響きに注目し、まさに詩句の中に原-音楽を見出そうと
内装飾の哲学」を解説する序文において使用しているが、彼に
する。この場合、詩の本質の中に真の音楽があると言うのだか
はこの短編を「アルンハイムの地所」と「ランダーの別荘」と
ら、
「音楽はポエジーである」という見解は、まさにトートロジ
合わせて、
「想像上の住居」という総題で出版する意図があった。
ーである。その限りにおいてまったく意味がない。あるいは、
実際、この後者二つの短編は理想の住まいを主題としており、
この見解は精密な議論の果てにたどり着いた結論というよりは、
そこで鍵となるのは、イギリスの作家ウィリアム・ベックフォ
最初から前提とされている思い込みの類に過ぎないと言わざる
ードと、彼の東洋風物語『ヴァテック』についての言及である。
を得ない。
ポーが魅了され、自らの作品において理想の住処を追求する偉
対して、二つ目の音楽として、19 世紀のパリで流行した交響
大なる先例として挙げたのは、ベックフォードが実際に建てさ
曲のコンサートが挙げられる。そして交響曲の盛流を美学的に
せた豪奢な城フォントヒル・アベイと、虚構の中で描き出した
支えていたのが「絶対音楽の理念」である。この発表ではこの
地下宮殿であった。マラルメもまた、ポーを通してベックフォ
音楽にスポットを当てる。というのは、交響曲のコンサート自
ードの「内的な祝祭」に熱狂したにちがいない。1876 年に詩人
体はヴァグネリズムの名の下に割合よく議論の俎上に登るのに
は、
「最も念を入れて書いた散文の一つ」と自負する「序文」を
対し、この「絶対音楽」はフランスでほとんど知られていない
つけて『ヴァテック』を再刊する。ベックフォードの「回想録」
し、またマラルメ研究者がそれに言及することは今までまった
から、マラルメは『ヴァテック』で描かれた地獄の王の居城が、
くなかったからである。今日の発表においては、まず、マラル
フォントネルの城館のモデルとなったという証言を引き出し、
メの時代から遡る 19 世紀の初頭以降、
フランスがどのようにし
彼の企てに「ひとかどの精神をもった者には、隠遁していても
てドイツ語圏の交響曲を受容してきたかを様々な資料、コンサ
備わっている、祝祭を催したいという欲求」を見てとる。世界
ート評を通して検証し、
「絶対音楽」が 19 世紀のフランス社会
中から集められた芸術品の数々、家具の新奇な配置で特徴づけ
の中でどのような意味を持っていたかを報告する。その後、マ
られるベックフォードの「内密な祝典」は、ブランメルのダン
ラルメがそれをどのように受け止めていたかを見る。具体的に
ディスムに先立ちそれを凌駕するものとして称賛される。マラ
言うと、詩人は「絶対音楽」という用語もハンスリックの名も
ルメはボードレール、ポー、さらにはベックフォードの人生と
知らなかったにも関わらず、
その内容に関しては熟知していた、
作品の中に、室内装飾の哲学の系譜を見出していると言えよう。
と言える。その上で詩人がこの音楽を「音楽家の詩人に対する
マラルメはこの哲学にのっとって、詩人、そして内輪の友人た
挑戦」と受け取っていたことを考慮した上で、詩人の音楽に対
ちのためだけに開かれる内的な祝祭のヴィジョンを終生提示し
する感情を詳しく議論していきたい。特に大衆と芸術家の関わ
続ける。火曜会、そして「朗読会」と呼ばれる書物の祝祭はこ
りについて詩人がどのように考えていたかという視点から問題
のような観点から考察されなければならない。
『最新流行』
と『ヴ
を整理してみる。その結果、詩人は音楽に対して「愛と憎しみ」
ァテック』序文という、同時代に書かれながら今まで共通する
という二つの感情を同時に持ち合わせていたことを論証する。
テーマを指摘されることがなかった二作品を分析することで、
つまり詩人の音楽に対する微妙な嫉妬を読み取っていく、とい
本論は 1870 年代のマラルメの隠された側面を明らかにし、アー
うことである。
最後に以上の議論をふまえた上で、
「音楽はポエジーである」
ル・ヌーヴォー運動にも通ずる日常の美学化・総合芸術の試み
という等式の問題点を示し、更に「マラルメのポエジーは音楽
の系譜にマラルメを組み入れることを目指している。
では」ないことを証明することを目的とする。
(東京大学大学院博士後期課程)
(上智大学非常勤講師)
5
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第5分科会-2
第5分科会-1
ブールジェ『弟子』と世紀末イデオロギー小説
バルベー・ドールヴィイの『妻帯司祭』における宗教観
小溝
田中
佳代子
琢三
『ふいごの城』というタイトルで書き始められたバルべー・
1889 年に発表されたポール・ブールジェの『弟子』は、決定
ドールヴィイの小説は、1865 年『妻帯司祭』として出版される。
論的な実証心理学を倫理的な立場から批判した思想小説である
この改題については、1864 年に再版されたポリニー伯爵の『妻
が、科学主義への反動と精神主義の台頭という当時の思潮の反
帯司祭』からタイトルを借用したのではないかという同時代人
による指摘があり、今までこれら二つの小説を比較した研究者
映しているだけではなく、19 世紀近代小説の大きな転換点に位
置する作品でもある。『弟子』以後は、
「客観的な」分析と描写
は、そこからバルべーが取り上げた主題は精神に対する罪であ
を美学とする自然主義小説が衰退し、それに代わって、モーリ
ったという結論を導きだすにとどまった。
ス・バレスの『根こそぎにされた人々』(1897 年)に代表され
これら二つの作品は、ともにフランス革命期の司祭が棄教し
るような、作者が自らの思想、特に政治的イデオロギーを物語
て妻子を持ち、そのことによって運命に翻弄されるという内容
のなかで表明する「主観的な」小説が主流になった。本発表は、
であるが、革命期の司祭の位置づけを比較してみると、バルべ
ブールジェの『弟子』を手がかりにして、19 世紀末のイデオロ
ーは司祭を必ずしも時代の犠牲者とみなしていないことがわか
ギー小説の特徴を分析することを目的とする。つまり、このジ
る。なぜならバスティーユ陥落の 1789 年を象徴的に主人公が棄
ャンルの小説が何を問題にしているのか、そして、それが物語
教した年に設定し、混乱した時代を利用して自ら法服を脱いだ
世界においてどのように表象されているのかを考察する。
司祭を描写したのであり、ポリニー伯爵のように 1790 年に公布
された聖職者民事基本法を擁護する宣誓をするものの、結局棄
1870 年の普仏戦争の敗北からのフランスの再生というテーマ
教した司祭を描いたわけではないからだ。つまりバルべーにお
であり、例えば、ブールジェは『弟子』の序文でこの問題に言
いて、革命はいわば物語のきっかけであり、その展開とはほと
及している。国家の再建というテーマが世紀末になってクロー
んど関係を持たないことがわかる。
ズ・アップされた理由のひとつは、当時の政治的、社会的混迷
しかしバルべーの主人公の脱信仰には、やはり 1792 年に始ま
った非キリスト教化運動を髣髴させる点もある。棄教して化学
や文化的なデカダンスの傾向に対する危機意識にあると考えら
者になった父親とその罪をあがなうためカルメル会の修道女と
に立場の異なるエミール・ゾラといった同時代の作家は、多か
なった娘の思想は決して交わることなく、娘の病気を化学の力
れ少なかれこのような意識を共有しており、そこからモラルや
で治そうとする行為は、理性の正当性を追求した反宗教的行為
秩序あるいはエネルギーに対する希求が生まれ、それが彼らの
であった。
小説に反映されることになった。
この時期のイデオロギー小説全般の基調となっているのは、
れる。ブールジェやバレス、あるいは彼らとはイデオロギー的
本発表では、二作品の比較を出発点に、バルべーにおける宗
世紀末イデオロギー小説では、しばしば、世代の違う「師」
教に関する屈折した視点を明らかにしつつ、その時代との関係
と「弟子」の対立を軸に物語が構成されている。ブールジェの
についても改めて問い直したい。
『弟子』は、哲学者シクストから青年グレルーへの思想的影響
が主題になっているが、ゾラの『パスカル博士』
(1893 年)で
は、医師パスカル・ルーゴンと姪のクロチルド、
『根こそぎにさ
(京都外国語大学非常勤講師)
れた人々』では、リセの教師ブテイエと彼の生徒スチュレルが
同様の関係にある。
「師」と「弟子」の対立、あるいは世代間の
ギャップは、いつの時代においても文学作品のテーマになるも
のだが、これらの小説における師弟の対立は、世紀末フランス
の政治的、文化的状況に特有の象徴的意味を帯びている。つま
り、政治における共和主義と保守主義、
教権主義と反教権主義、
文学における自然主義と象徴主義、実証主義と神秘主義などの
対立が、これらの師弟関係のなかに複雑に盛り込まれている。
そして、物語のなかで「師」と「弟子」がたどる運命は、それ
ぞれの作家のイデオロギーや小説美学と密接な関係を取り結ん
でいるのである。
(日本学術振興会特別研究員)
6
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第5分科会-3
第6分科会-1
哲学の裁断−『ブヴァールとペキュシェ』のヘーゲルの挿話
『失われた時を求めて』中のゲルマント大公妃マリーとアルベ
をめぐって
ルチーヌにおける「月」と「水」−変身と再生
山崎
敦
菊池 博子
『ブヴァールとペキュシェ』のテクストの中には、二章農学
マルセル・プルーストは『失われた時を求めて』中、ゲルマ
から十章教育学に至るまで、あらゆる知の言説が縦横に織り込
ント大公妃マリーと語り手の恋人アルベルチーヌとの間に共
まれている。この「言説の織物」の複雑な織目をほどくには、
通項を与えるべく、タイプ原稿、校正刷り等に加筆を行ってい
厖大な「読書ノート」を参照するのが捷径である。この「読書
る。共通項とは、
「月とオレンジ」、
「水」、又「水」にも関連し、
ノート」は「ノート」という語が連想させるような、単なる「資
アルベルチーヌの部屋着の模様の「死と再生」を表す「鳥」の
料」ではまったくない。
「編集装置」と形容しても大袈裟でない
一つでもあり得る「翡翠(カワセミ)
」である。本論ではその意
ほど、
『ブヴァール』のテクスト生成に密接にかかわっている。
図を考察する。
フロベールは書物をひもときながら、その内部の文脈を一切顧
「月」は潮の満ち干等により「水」との関係が深く、月の女
慮することなく、言説を抜き出してゆく。引用の大半には短い
神と水の女神は同一視される。月の女神の寵鳥とされる翡翠は、
註釈が添えられているのだが、フロベールはこの註釈を目印に
ギリシャ神話「アルキュオーネ」
、フレイザーの『金枝篇』
(1903)
して、主題別に引用を振り分けノートを再編集する。
「ノート要
他によれば、
「穏やかな結婚生活」と同時に「死と再生」、
「変身」
約」とでも名づけるべき草稿頁であるが、各引用には出典が附
をも意味する。第一次世界大戦時の大規模な加筆の前に、オペ
記されているから、
「読書ノート」全体の索引の機能も果たして
ラ座でのゲルマント大公妃の頬と髪飾りを、それぞれ、翡翠の
いて、まさに「編集装置」の様相を呈している。
卵と翡翠の巣に喩えているが、後の大規模な加筆の際、清書原
本発表前半部では、百二十六頁からなる哲学の「読書ノート」
稿、タイプ原稿への更なる加筆で、眠るアルベルチーヌの眉を
及び「ノート要約」を例にとり、フロベールの言説編集技術を
「翡翠の巣」と表現している。
明らかにする。いかに読むこと・書くことが相即不離の関係に
「月」は「オレンジ」と共にゲルマント大公妃とアルベルチー
あるかを確認するために、
「読書ノート」と「下書き」の境界面
ヌに使われる。
をなす「シナリオ」にも分析を加えたい。百巻を優に越す哲学
大規模な加筆以前に出版された「スワン家の方へ」中で、ス
書が「読書ノート」という裁断機にかけられた後に、
「神」
「魂」
ワン氏が外から眺める恋人の娼婦オデットの窓の鎧戸から漏れ
「ニヒリズム」といった主題別に纏められた九頁の「ノート要
る灯の「黄金色の果汁」、
「古文書」の喩えは、語り手が見るア
約」へとさらに縮減される。フロベールは、紋切型と化すほど
ルベルチーヌの窓の灯の描写として更に加筆される。
までに痩せ細った「ノート要約」中の哲学言説を再編集して各
オレンジは、草稿中、語り手が大公妃邸で見かけるアルベルチ
物語挿話の「シナリオ」を組んでゆく。しかし、
「読書ノート」
ーヌの前身「バラ色と赤」の少女の描写中の《orangerie(オレ
ンジの木の温室)》にも見られる。
と「シナリオ」は截然と区別されなければならない。なぜなら、
「シナリオ」の稿が改まるにしたがって、哲学言説は徐々に「説
アルベルチーヌの部屋着は、古えの婦人服を現代に「再生」
話化」されてゆくからである。
させた実在のデザイナー、フォルチュニーによる、青と金の地
発表後半部の主眼は、ヘーゲルの挿話を具体例に、この説話
の、
「死と再生」を意味する鳥の模様のものである。鳥は、上記
化の過程を跡づけることにある。ヘーゲル哲学を「ヘーゲルに
の理由から「翡翠」
、ラスキンの『ヴェネツィアの石』の記述等
おけるキリスト」の問題に収斂させ、それをペキュシェと司祭
から「孔雀」でもあり得る。孔雀は、オペラ座でのゲルマント
との滑稽な議論へと組み換える、フロベールのいう「思想の喜
大公妃の描写の近くに、又、大公妃邸でのマチネでのナプキン
劇」の方法に迫りたい。がしかし、この挿話の滑稽さを十全に
の比喩に現れる。
際立たせるには、いわゆる「生成」の境界を草稿とせずに、十
又、「部屋着」と「青と金」は、ホイッスラーの「孔雀の間」
九世紀フランス哲学、より狭くはそのヘーゲル受容をも視野に
に想を得ている。
おさめる必要がある。そもそもフロベールは小説八章のために、
ゲルマント大公妃もアルベルチーヌも死ぬのであるが、前者
ただの一冊のヘーゲルも読んでいない。二冊の概説書を読んだ
は「貴族の称号」の現前として、後者は語り手の忘却の過程で
に過ぎない。というよりも、ヘーゲルの主著は当時ほとんど訳
「名前だけの」存在となった後、
「変身により再生」する。「再
されていなかった。にもかかわず、ヘーゲルは広く知られてい
生/復活」という語は、小説中の種々の局面で使われている。
たのである。クーザンからテーヌまで、その影響は濃淡さまざ
最後の加筆の中でプルーストは、
「小説中の作家ベルゴットの死
まであるが、フロベールが狙い撃ったのはそうした個々の哲学
後、その著書が作家の甦りの象徴のように思われた」
と述べる。
者によるヘーゲル受容の文脈でもない。ヘーゲルの名に結びつ
この時プルースト自身は、時空を超えた「再生」という概念に
いた千篇一律の紋切型、そして、その権威を後ろ楯にしてあら
到達していたものと考える。
ゆる事象を裁断する口舌の徒を狙い撃ったのである。
(日本学術振興会特別研究員)
(お茶の水女子大学大学院博士後期課程 社会人)
7
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第6分科会-2
第7分科会-1
マルセル・プルースト『失われた時を求めて』におけるアルコ
主体の分裂と演劇化−ジョルジュ・バタイユにおける自己喪
ール
失と書く行為
福田
桃子
神田浩一
虚弱な体質に生涯悩まされたプルーストの伝記には、例えば
ジョルジュ・バタイユは、人文社会科学のほぼすべてのジャ
胸に挿すのは常に香りのない椿の花であったことや、鼻をかむ
ンルを横断するテクストを書いたが、多様なそのテクスト群は
ためのハンカチに至るまで女中に細かい指示を出していたこと
実は唯一のことしか述べていない、と多くの論者が指摘してい
など、その敏感さにまつわる様々なエピソードが伝えられてい
る。
「同質性の断絶」
「カタストロフ」
「内的体験」
「交感」
「至高
る。身体の変調を充分に気遣うことを可能にする裕福な暮らし
性」などと呼称は変わっても、つねに問題になっているのは、
によって、プルーストは生来の神経質な気質をますます過敏な
自己の閉域を破って外に出るという体験―ただし、この体験
ものにしていったのだろう。世界の豊穣さに対して人間の知覚
が生じる時には、それを享受する主体は崩壊しているので厳密
があまりにも貧しいことを嘆くプルーストは、常に感覚を研ぎ
にはこの体験は生じない―である。バタイユはこの自己喪失
澄まし習慣に頼らずに世界と対峙することを主張する。たしか
という体験ならざる体験を書くために、書く主体の同一性を宙
に彼の作品では味、音、匂いなど外部からの刺激に関して、き
づりにし、言語の線状性を破壊するような特異な文体にしばし
わめて緻密な描写がなされている。とりわけ飲食の場面におい
ば訴える。言語は自己喪失を形態模写する。しかし、実際に狂
ては、例えばカフェインによる不眠や、アルコールによる酔い
気へと落ち込み、意味のない音のつらなりまで変質していった
といった物質が身体に及ぼす作用に加えて、それを提供する、
アルトーの言葉に比べれば、バタイユの言葉は、いくら推論的
共に摂取する、あるいは摂取している自分を見守る他者の存在
思考に抗う異質な要素に満ちていても、結局、計算しつくされ
がつねに問題になり、それが身体への影響と分かちがたく結び
た流麗なものに過ぎないように見える。そう考えた場合、自己
ついているように思われる。本発表では、その物理的な性質が
喪失を書こうとするバタイユの行為は、そもそも自己喪失を自
『失われた時を求めて』全体の構造と独特なかたちで呼応して
己同一性の基礎となる言語によって書くことが可能なのかとい
いると思われる「アルコール」を取り上げてみたい。
うアポリアを引き起こす。自己喪失の体験を被る私とは誰か、
本作品においてアルコールは、まず「コンブレー」で描かれ
そしてその私について書く私は誰なのか、という疑問が生まれ
る主人公の幼少時代に登場する。主人公の祖母バチルドは、そ
るのだ。
の自由闊達な性格のためにコンブレーの保守的な親族からは
バタイユ自身はこの疑問については何も積極的には述べてい
白い目で見られている。大叔母は、夫を気遣うバチルドを苛め
ない。というよりは、問題を問題としてみなしていないと考え
るためにアルコールが禁止されている祖父にコニャックを飲
た方が良いだろう。そして、それがこのアポリアの唯一の解決
ませ、
それを目撃する幼い主人公にとってこの物質は祖母の悲
策であると思われる。バタイユにとって主体とは、流動体の中
しみに結びつく不吉なものとなる。
しかしのちには皮肉なこと
にかりそめに生じる波動のようなものであった。さらに彼は、
に、アルコールは主人公の神経質な性質を和らげ、ぜんそくの
主体は一つではなく複数であり、かつ階層化されたものとみな
発作を避けるための「薬」として医者から勧められることにな
している。そして、自己喪失の体験とは、主体をいくつにも分
るのである。また、友人のサン=ルーとの飲酒のエピソードは、
裂させて、喪失するある主体に同一化することで、別な主体が
『失われた時を求めて』のなかで特異な位置を占めている。酔
同一性を最後のところで維持したまま喪失を擬似的に経験する
いは主人公に「現在」
以外の時間を無意味なものだと感じさせ、
ものである。そこでは、書かれることと書く行為は、また、書
不安の感情で占められているこの物語のなかで例外的に未来
く私と書かれる私のレベルは意識的に混同されている。したが
への懸念や、自分の才能に対する疑いを解消してしまう。この
って、自己喪失の体験と体験の記述は意識的に混同されること
ようにアルコールはぜんそくの発作の恐怖を和らげ、
神経質で
になる。つまり、体験があってそれをそれを記述するのか、記
憂鬱な気質の主人公に刹那的な幸福を与える一方で、
祖母を悲
述そのものが体験なのかという問題は意識されないのだ。ここ
しませる上に文学的探求の障害となる両義的な物質なのであ
にバタイユの書く行為の賭金がある。喪失を見つめる主体が残
る。本発表では『失われた時を求めて』におけるアルコールの
存するのなら、
真の意味では喪失は生じていないという批判は、
モチーフに着目しながら、この物質の功罪を物語世界のなかで
批判そのものが成り立たなくなる。むしろ超越的な主体がある
効果的に利用したプルーストの手法を分析したい。
ことで、バタイユはアルトーやニーチェと違い狂気から逃れ得
て、自分の喪失であると同時にその喪失を記した文章を書くこ
(東京大学大学院博士後期課程)
とが可能になり、それによって今度は読者を自己喪失に誘う。
この自己喪失の共有こそがバタイユが書く行為の眼目とみなし
た交感である。
(東京大学博士課程単位修得退学)
8
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第7分科会-2
第8分科会-1
〈美術館〉としての芸術作品−ブランショのマルロー論をめ
ぐって
郷原佳以
マルグリットデュラス作品における忘我と時間
上田章子
フーコーは「幻想の図書館」(1964)において、フローベー
ルと図書館の関係をマネと美術館の関係に準え、マネによって
最初の「「美術館」絵画」が生まれたと述べている。すなわち、
過去の作品のアーカイヴとしての
「美術館」
の存在を前提とし、
現実や物語よりも過去の作品を参照して描かれた絵画のことで
ある。遡ること 17 年前、
『想像の美術館』においてマルローも、
マネによって完成を見た自律した近代美術は過去のすべての芸
術作品を迎え入れると考え、その体系を「想像の美術館」の名
のもとに理念化した。大文字で〈美術館〉とも表されるその理
念は、世界各地に散らばる多種多様な芸術作品を写真複製によ
って一望のもとに収めることのできる書物という理念である。
典型的なモダニズムの主張のようにも見えるこの理念に関
して、ブランショは 1950 年から 51 年にかけて長文の書評を発
表した。彼は 1951 年春に、「イメージ」についてのまとまった
論考のなかで、
「イメージ」は「遺骸が自らに類似する」ように
自己に類似するものであるという定義を提出することになるの
だが、
「遺骸的類似」という謎めいた概念の萌芽はすでにこのマ
ルロー論に現れていた。本発表では、ブランショが造形芸術に
ついて論じたという意味でも貴重なこの書評を読解し、芸術作
品の本質をめぐるマルローとブランショの姿勢の根本的な相違
を明らかにし、それを通して、「遺骸的類似」の意味、および、
「イメージ」と文学の関係を解明する。
ヴァレリーやジョルジュ・デュテュイ、メルロ=ポンティな
ど、〈美術館〉には批判者も少なくないなかで、ブランショは、
〈美術館〉が「芸術の自律」の場であるという主張には基本的
に同意している。しかし、マルローの「芸術の自律」とはつま
.
るところ、鑑賞者を作品のみならず芸術家と結びつける芸術制
.
度の確立のことである。芸術作品はかつての宗教的機能は失っ
...
たとしても、
「自律した芸術」として鑑賞されることにより、制
度のなかで保護される。対して、ブランショにおいて問題とな
るのは、芸術制度の自律ではなく芸術作品の自律、あるいはむ
しろ、孤独である。そして逆説的にも、芸術作品はその孤独ゆ
えに〈美術館〉に置かれなければならない。なぜなら、
〈美術館〉
こそは、その無機質な白壁や白紙等によって、芸術のためにそ
こに造り上げられたコンテクストが虚偽であることを露呈し、
結果的に、鑑賞者と作品との隔たりをもっともよく証示する場
であるからだ。
したがって、芸術作品に向かい合うとき、ブランショによっ
て要請される態度は次のものとなる。すなわち、ヘーゲル的な
過去の内面化の思想を受け継いだマルローのように、
〈美術館〉
において過去の作品と新たな仕方で出会えることを近代の特権
として謳歌する楽観的な態度でもなく、作品の原初的なコンテ
クストを重視する本来主義的な観点、あるいは作品の「生きた
歴史性」を取り戻そうとする観点から〈美術館〉を拒否する態
度でもなく、
〈美術館〉批判者たちが共有する居心地の悪さ(「美
術館の病い」)をあくまで保持しながら〈美術館〉に留まりつづ
けること。なぜなら、
〈美術館〉の居心地の悪さは芸術作品の本
質的な構成要素だからである。
ブランショは、〈美術館〉を芸術作品の根源に認めるという
このような独特のアナクロニックな思考によって、芸術作品を
「遺骸」として把握する。そして、文学について思考するうえ
でも有効な「遺骸的類似」という概念を生み出すのである。
(パリ第7大学大学院博士課程)
本発表では『ロル V シュタインの歓喜』を一例に、把捉不可
能な現在から失ったものを取り戻すという観点から見えてくる
個性、一回性、唯一性について考えたい。
物語の始まりには舞踏会はもう終わっている。読者は物語の
3 分の1以上を越えてはじめて、語り手がロルに恋をしている
作中人物ジャックホールドであることを知る。語り手の語るが
ままのようであるロルの物語は、語り手の外に出ることがなく
客観的確信を得ることがない。まるで自らの声のみがこだます
る閉じられた世界にあるように、主観の普遍という自らの限界
を意識させる。こうした、いわば裏切りに何度も戻ることが忘
却といった形をとる。そのなかにどのように個性、一回性は読
めるであろうか。
物語ではいくつもの転換がおこる。第三者の出現という不幸
はロルにおいては愛の始まりとなる。語り手であり、ロルを追
跡するジャックホールドはそのロルによって見られている自分
を見出す。
主語は同時に目的語となるようにすでに先をこされ、
振り向かれて別のものに、見る者が見られる者になる。気づい
たときには遅すぎて、誕生は終わりを暗示している。デュラス
の作品に特徴的な、あたかも全てが同一に帰されるような繰り
返される喪失のなかで、唯一性はどのようにあらわれているの
か。つまり反復と一回性、匿名と固有名、一般と個はどのよう
に関係しているであろうか。
これらは死を契機とする時間の問題ともいえよう。今と言っ
たときはもう終わっており、自己と言ったときはもうつくられ
ている。何かが語られるのは常に終わったとき、つまり振り返
って間接的にのみ語られる。ロルはこのおそろしい瞬間に何度
も戻ってゆく。しかしこのことは、この物語を絶望やメランコ
リーの物語に還元するのではない。それは喪失の記憶としてメ
ランコリーにとどまらず、先回りして振り返る(キルケゴール
の言葉なら前(未来)に思い出す)反復となり、出来事、未来へ
とひらかれているといえるのではないか。
(パリ第 8 大学博士号取得)
9
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第8分科会-2
第8分科会-3
マルグリット・デュラス『モデラート・カンタービレ』−問
演劇テクストについての一考察−カミュにおけるト書
うこととしての物語
関
未玲
島田
薫
マルグリット・デュラスのテクストには、しばしば物語を反
文学としての演劇は詩や小説に比べると一見古典的な安定
復するかのような擬似的体験が描かれている。登場人物は、す
したジャンルとの印象があるが、そのテクストが他のテクスト
でに記憶の中にしか存在しないもう一方の物語を反芻しながら、
とどのように異なるかという問いへの答えは必ずしも一様では
第二の物語を経験するのだ。
『モデラート・カンタービレ』にお
ない。とりわけト書については、台詞とともに戯曲を構成する
いて描かれる物語もまた、反復的である。テクストには、二つ
にも拘らず、従来二次的な地位しか認められない傾きがあった
の物語が混在している。冒頭で描かれる男女の愛憎劇と、主人
ように思われる。本論ではカミュの演劇作品を例に採上げてそ
公アンヌ・デバレデとショーヴァンの物語である。アンヌとシ
のト書に見られる言語使用上の特徴を具体的に調べることによ
ョーヴァンは、すでに終ってしまったもう一方の愛を追体験す
り演劇テクスト一般の特性を探ってゆく手がかりの一助とでき
るかのように、女の死によって終止符を打った第一の物語に繰
れば幸いである。
り返しふれながら、これを反芻してゆく。それは今まさに生ま
一般的に戯曲はト書と台詞からなる二重構造を備えているが、
れようとしている彼ら自身の物語が、すでに完結したもう一方
実はこの形態上の特性のみでは演劇テクストを他のジャンルか
の物語がなければまるで存在することができなかったかのよう
ら根本的に区別する要因とはならない。例えばプラトンの対話
に、第一の物語の模倣として現れているようにも見える。しか
篇、現実の対談記録、或いは意図的に戯曲形式で書かれた別種
しながらテクストで描かれる第二の物語は、鏡が映し出す虚像
の文学作品などのテクストも同じ形式を採用していながら各ジ
のように、オリジナルに対して二次的なイマージュとして現れ
ャンルに属し続けていることは明らかだからである。一方虚構
てくるだけなのだろうか。そもそもなぜ、物語は二つ描かれる
性はといえば、劇・小説の大部分が共有する性質とはいえ何れ
必要があったのだろうか。
の場合にもこれをもってジャンルそのものの本質と見なすこと
かつてデュラスはミシェル・ポルトとの対談の中で、虚像と
はできない。それに対して演劇テクスト中のト書には他に見ら
いう二つ目のイマージュをもたらす「鏡」について、「現実の存在
れない特徴が認められる。指向対象の二重性である。ト書は単
に対する疑い、
そして言葉に対する疑い」を「保つ」ものであると
に虚構の作品世界のmいならず、その世界が現わされる現実の
語っている(『マルグリット・デュラスの世界』p. 73. )
。デュ
舞台空間をも同時に指向することが可能なのである。
ラス作品の中で度々描かれる「鏡」が映し出すのは、たんにオリ
指向の問題に焦点を絞ってカミュのト書の例を調べてみると、
ジナルに対するミメティスムではないだろう。虚像は、テクス
このような二重性は次の三つの点によく表われている。第一点
トにおいて現実世界をなぞる反復として現れているのではなく、
は言うまでもなく語の二重指向であり、具体的には同一の名詞
現実世界を審問に付す「疑い」そのものを示しているのではない
が作中人物と舞台上の役者、或いは虚構世界に属する事物と現
だろうか。同様に『モデラート・カンタービレ』において二つ
実の大道具・小道具などを同時に指向するといったケースが目
の物語が必要とされるとすれば、それは原型として追体験され
立つ。第二点はそれほど目につかないだけに一層興味深い不定
るオリジナルと、鏡を通して復元される第二のイマージュとの
人称代名詞 on の多用な用法で、この場合には登場人物・役者に
類似的関係を示すためではなく、物語の存在を問いただすよう
加えて観客をも含む各者が同時又は個別に指向対象となった例
な「疑い」そのものが提起されているからに外ならないのではな
が見出される。第三点は動詞の時制及び指示・限定詞の用法だ
いか。
が、何れの例でも虚構・現実各々の時間や空間が指向されてい
ることがわかる。
第二の物語はこのとき、すでに過去として存在する第一の物
語を反復するために描かれているのではなく、二度現れること
このような例は劇作・演出を同時に手がけていたカミュのト
でこれを揺さぶり、「物語」そのものの存在について問いかけて
書の特殊性というよりもむしろ演劇テクストが上演を目的に書
いると言えるだろう。それは、同一の主題を繰り返し描き続け
かれたテクストである証拠にすぎないと言えよう。無論同時
ることで、エクリチュールそのものと対峙した作家自身の姿を
代・他時代の劇作品の例を広く検討せずに結論を出すことはで
思わせる。デュラスは「インド連作」やアンヌ=マリー・ストレ
きないが、少なくともジャンル決定要因としての重要性はト書
ッテルを巡る物語、また自伝的テクストなど、その生涯におい
が演劇テクスト中で補助的という以上の役割を担っていること
て数々の連作を上梓した。
『モデラート・カンタービレ』で描か
を示しているように思う。
れる第二の物語は、デュラスがエクリチュールそのものを揺さ
ぶるために反復的なテクストを描き続けたように、「物語」その
(立教大学非常勤講師)
ものを問う「物語」としてここで示されているのではないだろう
か。
(立教大学非常勤講師)
10
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第 9 分科会-1
第9分科会-2
定名詞句のいわゆる直示的用法について
遠隔教育の可能性
小田
山﨑
涼
吉朗
1.発表内容
フランス語の定名詞句の用法は、文脈照応的用法と非照応的
用法の二つに大別される。後者の非照応的用法には、発話現場
本発表では遠隔教育について 2 点発表する。
に指示対象が求められる場合と、共有知識に指示対象が求めら
一つは e-learning の問題作成から実施、評価について、もう
れる場合とがある。本発表では、発話現場において指示対象が
一つは昨年、本大会の秋季大会で発表したフランスの高校との
同定される用法、定名詞句のいわゆる直示的用法のメカニズム
電子会議のその後についてである。
について考察する。
2.e-learning
これまで、定名詞句に厳密な意味での直示的用法が存在する
Terra(SSS 社)というシステムを用いて、e-learning の作成、
かどうかは、主に指示形容詞句の直示的用法との比較によって
演習、評価を行っている。このシステムは、以前、本学会でも
論じられてきた。例えば、Kleiber は、"Le train arrive!"において、
発表したことのある OPUS(M &E 社)の機能を一部縮小して
定名詞句は Circonstances d'évaluation(=値踏みの場)を介して間
Linux に移植したシステムである。Unicode 対応なので、フラン
接的に指示を行うが、"Ce train a toujours du retard"における指示
ス語の文字に関しては画面表示も受講者の入力も問題がない。
形容詞句は発話現場を参照して直接的に指示を行うと主張した
Windows でもMac でも利用できることは著者の使用している機
が、値踏みの場の定義が曖昧なことで批判を受けた(参考文献
材の範囲では確認している。
および例文の出典は発表時のハンドアウトで示す)。一方、東郷
このシステムを使い、文法問題の補足問題の演習を作成し、
は、
「共有知識領域からコピーされたフレームが発話の場と重ね
授業の中での演習、休暇中の演習、また、不登校の生徒の問題
合わされたものが、発話の場の理解に必要な「値踏みの場」と
演習や指導などを本年 1 月より行っている。演習したデータは
して機能する」として、定名詞句には直示的用法はないことを
すべてデータベースの形で蓄積され、分析することができる。
主張した。
さらに、アンケート処理もできるようになっており、
発表では、
データの分析からわかったことや、受講者のアンケートの調査
本発表では、発話現場において定位される不定名詞句 un N と
の結果を報告する。
定名詞句 le N との比較を通じて、定名詞句には直示的用法はな
3.フランスの高校とのテレビ会議の運営と評価
く、値踏みの場を介して間接的に指示が行われることを示した
い。例えば、1)バスに乗ろうとバス停への道を急ぐ二人が、遠
秋季大会では昨年(2005 年)前期までに行ったテレビ会議の
くからバスが走ってくるのを見かけたとき、"Le bus arrive!"と定
運営と評価について発表した。日本語を学習しているフランス
名詞を使うことができる。しかし、2)子供を連れて散歩する母
の高校、フランス語を学習している日本の高校間でのテレビ会
親がバスを見かけて、"Regarde, *le bus arrive.../*le bus passe..."と
議である。
定名詞を使うのは奇妙で、"Regarde, un bus passe.../ un bus qui
上記発表後、昨年 11 月と本年 3 月に 1 名の日本人教員が渡仏
passe..."と不定名詞を使うのが自然である。1)と 2)において、
し、それぞれ 1 回テレビ会議を行った。また、3 つのシステム
同じ地点を二人が歩き、
同じ地点を一台のバスが走ってきても、
についての実験、検証を行った。本発表では、その内容につい
「バスに乗ろうとしている」フレームがなければ un bus と言う
て報告する。
のである。先行研究では、発話現場に一つしか N がないことで
現在、3 つのシステムを用い、実際のテレビ会議、あるいは
le N が使用できるとされてきたが、これらの例は、何らかの認
テレビ会議に使えるどうかの検証を行っている。Nice to meet
知フレームと発話状況が重ね合わされた値踏みの場が le N の使
you、Marratech、Polycom である。最初の二つは、各校が指定さ
用を促すのであり、値踏みの場がなければ un N が選択されるこ
れたサーバーにアクセスし、そのサーバー経由でやり取りする
とを示している。フレームが値踏みの場の構築に関わっている
ものである。それに対し、Polycom は電話をかけるような形で
場合、指示対象は必ずしも聞き手あるいは話し手に知覚されて
直接、相手のパソコンあるいは Polycom 本体にアクセスしてや
いる必要はない(ex. Passez-moi le yaourt dans le frigo.)。だが、
り取りするものである。画質、音声共に Polycom が圧倒的によ
発話状況のみによって構築される値踏みの場もあり、
この場合、
く、大学でのテレビ会議の定番のシステムとなっているが、た
話し手にも聞き手にも対象が知覚されている必要がある。これ
いへん高価であり、各学校に設置されている Fire Wall との問題
は、"Tu vois le cheval?"のように、話し手と聞き手の視野領域が
値踏みの場を形成する場合で、指示対象の知覚を確認する疑問
も大きく、日仏の高校間での実現はなかなか困難である。
文がその典型である。
子を示し、問題点の指摘、参加した生徒の評価、運営の方法に
本発表では具体的に実験を行った様子、またテレビ会議の様
ついて発表する。
発表では、発話状況に定位される un N と le N の事例を比較・
分析することにより、これまで曖昧であった値踏みの場の概念
(日本私学教育研究所専任研究員)
と、定名詞句の直示的用法のメカニズムを明らかにしたい。
(関西大学非常勤講師)
11
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第 10 分科会-1
第10分科会-2
18 世紀における崇高概念の世俗化−フランス語で書かれた
サドのリベルタン小説の生成過程の一側面−リベルタン、ブ
修辞学書における記述を中心に
レサックの造型
玉田
敦子
林
學
18 世紀、修辞学教育は国民国家の成立において重要な役割を
果たしていた。前世紀までラテン語で行われていた修辞学教育
サドは 1787 年夏、『美徳の不運』
(以下『不運』
)を書きあげ
がフランス語で行われた背景には、フランス語が古代語に優越
た。そしてその直後から、これにさまざまな加筆、修正をほど
する言語としてヨーロッパで流通することを目指したアカデミ
こした。1791 年の『ジュスティーヌまたは美徳の不幸』
(以下
ー・フランセーズ主導の言語政策がある。この言語政策におい
『不幸』)は、そうした作業の所産に他ならない。
さらにサドは、
てフランス語の優越性を保障するタームとして用いられていた
『不幸』にもおびただしい加筆、補遺の筆を加え、1799 年に『新
のが、古代修辞学理論の設立以来、修辞学における至高の価値
ジュスティーヌまたは美徳の不幸』を仕上げている。
とされた「崇高」であった。
「崇高」はボワローが 1674 年ロン
ミシェル・ドゥロンが「エスカレーション」と呼ぶ、作者サ
ギーノスによる『崇高論』の翻訳を出版して以来、耳目を集め
ドのこうした執拗な加筆作業の目的は何であったのか。そこに
る概念であったが、この翻訳の前文においてボワローが崇高の
サドが込めた意図は何か。ここでは、前二作品に絞って、そこ
例としてクラシック期の作品を提示したことを端緒として、そ
に登場するリベルタン哲学者、ブレサックの造型の仕方に即し
の時点までラテン・ギリシア語に固有の価値と見なされていた
て、検討してみる。
「崇高さ」
がフランス語にも認められるようになったことから、
両作品において、ブレサックは何よりも、自然主義哲学に依
フランス語は古代語に比肩する言語であると認識されるように
拠した無神論を信奉するリベルタン哲学者として造型されてい
なる。17 世紀まで「神の(divin)
」という形容詞と同義語とし
る。まず『不運』においてその無神論哲学をみてみよう。
「至高
て用いられていた崇高概念は、18 世紀美学における中心的命題
の存在の度外れの敵対者」であるブレサックによれば、
「神」は
となるが、キリスト教権力が弱まるに従って世俗化していく。
「無知」と「専制」の所産であって、宗教は「ぺてん」と「愚
本発表では、修辞学書において「崇高」を表現するためにふ
かさ」の表徴にすぎない。そんな宗教の中には「理性を震撼さ
さわしい文体とされた「簡潔な文体」に注目することにより、
せる奥義」
「自然を侮辱する教義」、
「嘲弄」しか吹き込まない「珍
修辞学分野における崇高概念の成り立ちについて検討する。さ
妙な儀式」しか見てとれない。そして「私はこんな宗教を嫌悪
らにこのような考察を通して、崇高概念が世俗化する過程につ
し、足蹴にすることを私の法」とすると力説する。
いて明らかにする。
第 2 作『不幸』では、
『不運』で提示された無神論哲学のいわ
この時代に出版された多くの修辞学書は、キケロ以来の伝統
ば素描に、彫琢がほどこされ、ブレサックの無神論哲学者とし
に倣って「発見(invention)」
「配置(disposition)」
「措辞(élocution)
」
ての相貌がひときわきわだつことになる。
『不幸』でのブレサッ
の 3 部構成で書かれており、
「崇高」に関する記述が登場するの
は、文体を分類することを目的とする「措辞」の部である。修
クは、イエスやそれにまつわる「作り話」をぺてんとして断罪
辞学書の作者はそこで「簡潔な文体」
「中間的な文体」「崇高な
死んだ方がよい。無神論が殉教者を必要とするなら、
[…]私の
文体」という 3 種類の文体について説明することを習わしとし
血はいつでもそれに応じる用意ができている。
[…]もし君が幸
ていたが、そのうちの「簡潔な文体」が表現するにふさわしい
福でありたいのなら、
[…]こんな恐ろしい信仰のおぞましい対
とされる「崇高」は、
「崇高な文体」と峻別すべき紛らわしい概
象と、この信仰それ自体を[…]嫌悪し、放棄し、冒とくした
念として論じられていた。
まえ。」
し、こう宣言する。
「私はこんなことがらを信じるよりは千回も
17 世紀において「簡潔さ」は、クラシック期の理想であった
さてこうした「エスカレーション」の作業にこめられた作者
「明晰さ」に貢献するものとして奨励されていたが、この「簡
の意図を考える場合、ひとつの手がかりとして、サドの『小説
潔さ」と 18 世紀にフランス語修辞学書において求められた「簡
論』に注目してみたい。
『小説論』でサドは、小説(家)の使命
潔な文体」は、本質的に異なるものであった。
「明晰さ」を至上
が、人間の心に深くわけ入り、すべてを描くことにあると述べ
の命とした 17 世紀には、
たとえ表現が冗長になっても明確に説
ている。「[…]もし小説家がすべてを描くという強烈な渇望を
明することが重視されたのに対して、18 世紀の「簡潔な文体」
覚え、
[…]自然の胸奥をかいま見るなら、その小説家は[…]
は、
「簡潔な表現のなかに多くの内容を盛り込むことによって読
人間を描くことになるだろう。
[…]」
「エスカレーション」の作
者の心を打つ」という、ロンギーノス的な崇高の効果を重んじ
業はサドにとって、この小説(家)の使命のひとつの実践だっ
たのである。このため 18 世紀には、ジョクールが崇高の一要素
と定義した「感情が生じる速さと同じ速度で描かれること」す
たと考えられないだろうか。
(徳島文理大学教授)
なわち「文体の速度」が求められた。本発表は、18 世紀の説得
の技術におけるこのような「簡潔な文体」の重視を手がかりに、
「心を動かす」という、この時代の感覚論的価値観について再
考する。
(中部大学中部高等学術研究所研究員)
12
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第11分科会-1
第11分科会-2
ランボーにおける時間−断続と再生
«mauvais sang» : Rimbaud à la recherche des temps perdus
Yosuke FUKAI
谷口
円香
C’est en 1873, au moment où Zola réfléchissait sur l’hérédité que
アルチュール・ランボーについて語るとき、約四年という短
Rimbaud écrit dans Une Saison en enfer «Mauvais sang», autre
い創作期間に次々と新たな表現を開拓した末にきっぱりと文学
réflexion sur l’origine et l’hérédité. Le narrateur, se disant d’une «race
を捨てたという事実から、しばしばその「速さ」が問題になる。
inférieure», explore sa connaissance de l’Histoire de France, à la
また、確かにランボーの作品には、古いものを捨て去り、前へ
recherche des traces de ce qu’il aurait été. Il essaie de s’identifier à
前へと進んでいくような力強さがある。それが 20 世紀前半に進
l’aide de nombreux verbes d’état, de perception et de possession. Au
歩を信じたアヴァンギャルディストたちにランボーが熱狂的に
cours de sa recherche d’une filiation de la race inférieure ou de la
支持された理由でもあるだろう。しかし、ランボーにおいて、
marginalité, plusieurs «je» apparaissent. Divers visages et diverses
時間は常に過去から未来へと一直線に前進するものなのだろう
voix se mélangent. Il est à la fois «descendant de gaulois»,
か。むしろ、西洋のユダヤ・キリスト教的な直線的時間概念か
«manant»,
ら逸脱した時間の捉え方があるように思われる。そのことにつ
encore «nègre», ce que nous ne pouvons pas assimiler à une identité
いて考えるため、まずアヴァンギャルド的なランボーの直線の
cohérente. Seulement, ces ancêtres ont un point commun : ils ne se
時間を確認したのち、ランボーにおける「過去」の時間の扱い
sont jamais inscrits dans l’Histoire du pouvoir. Le narrateur recherche
について考えることで、むしろ断続的な時間概念を見い出し、
ainsi l’histoire de ceux qui n’ont pas eu d’histoire.
最後に、ランボーの「永遠」の概念について考察しながら、独
«lépreux»,
«reître», celui qui danse «le sabbat», ou
Cette absence d’évolution sur une ligne ‘‘historique’’ éloigne
自の時間の現出があることを示す。
Rimbaud du positivisme. «je» se moque de la notion de progrès, qui
ランボーには、確かに直線的に前進する勢いがある。その生
était à la mode à son époque. La langue de son discours est aussi
き急ぐかのような生き様はもちろん、四年間の短い創作期間の
anti-positiviste : dans ses explications sur l’histoire de ses ancêtres, il
間に、過去の詩作はすぐに古臭いものとなり、次々と新たな詩
y a toujours des lacunes et des ruptures. Le narrateur écrit :
表現の可能性が追い求められた。詩の形態も、韻文詩から実験
«Qu’étais-je le siècle dernier : je ne me retrouve qu’aujourd’hui.» En
的な後期韻文詩を経て散文詩へ、とほぼ直線的な変化を示す。
analysant les éléments du style, nous pouvons observer une forte
『地獄の一季節』最終章「別れ」での「絶対に現代的でなけれ
oralité : la ponctuation opère des ruptures syntaxiques du discours. En
ばならない。」という有名な宣言や、
『イリュミナシオン』
「出発」
outre, de nombreuses phrases nominales qui n’ont pas de prédicat et
などは、前進の意志と未来への期待に満ちている。
des anaphores syntaxiques aux extensions difficiles à identifier
しかし、果たしてランボーにおいて時間は常に直線的に進歩
cachent les liens logiques entre les phrases.
するものだったのだろうか。
「未来」だけでなく、ランボーの「過
De ce fait, le discours n’est pas présenté d’une manière positiviste.
去」の時間の扱い方に注目したい。ランボーの作品が「現代的」
Il y manque l’évolution, voire la logique qui explique la cause et
であるとするなら、それは作品の持つ冷静な客観性にあると思
l’effet des événements historiques. Le texte subvertit la forme de
われる。よって、ランボーにおいては「過去」も、主観的に懐
l’Histoire positiviste. Le narrateur n’écrit pas l’Histoire de ses ancêtres,
古するものというよりは、客観的に対象化し、見つめるもので
mais il la conte. L’histoire de «mauvais sang» devient anti-dialectique
あるといえる。そうした視線のもとに置かれたとき、
「過去」と
dans le sens où le texte n’explique pas une suite d’événements
いう時間は、現在とは切り離された断続的なものとして浮かび
marquant l’évolution d’un groupe humain et d’un aspect de l’activité
上がり、語りの現在にたやすく並置されうるものとなる。時間
humaine. Rien n’a eu lieu, rien ne s’est passé. Finalement, il va «se
は均質化され、過去から未来へ進むという時間の概念は破壊さ
taire».
れる。
Plusieurs «je» expliquent les caractéristiques de ce texte. En fait, le
ランボーの時間は、持続し連続するものではなく、断続的で
narrateur a dans la tête plusieurs images historiques. Il les présente
点状に存在する。ランボーにおいて、
「永遠」という概念は恒久
comme s’il voyait un album de photos de lui, prises dans des décors
的な持続にあるのではなく、瞬間にあり、再度見い出される。
différents. Lorsqu’il écrit l’histoire de sa race, il montre une série
しかし、ランボーのそうした時間概念は、アリエールギャルド
d’images historiques. Il se projette, avec une grande intensité, avec
的な考え方とも異なる。断続的だが自律し、自由に回帰し、再
une sorte d’hypotypose, dans un paysage qu’il ne connait pas et dans
生する時間。そこには、過去・現在・未来という時間の流れか
lequel il n’a pas été physiquement. Les parallélismes syntaxiques et
ら断ち切られた、絶対的な時空間が出現するように思われる。
les tirets expliquent bien cette mise en scène de paysages virtuels. La
そして、そうした独自の時間の捉え方が、断片的で刹那的であ
polyphonie de Rimbaud apparaît dans ces images «inexprimables»
りながら普遍的強度を持つランボーの詩の性質とその驚くべき
sous forme de succession ‘‘photographique’’.
現代性に通じているのではないだろうか。
(Étudiant du Cours de Doctorat à l’Université Paris Ⅳ)
(東京大学大学院博士後期課程)
13
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第12分科会-1
第12分科会-2
L’Œuvre de Pierre Loti : la mise en scène d’une vie
世紀末のユダヤ系作家−マルセル・シュウォブ『少年十字軍』を
めぐって
Peter James TURBERFIELD
鈴木 重周
Loti nous indique la qualité théâtrale de son oeuvre dans Le Roman
驚くべき博識で知られ、世紀末に数々の幻想的なコントを発
d’un enfant, quand il souligne l’importance des scenes exotiques qu’il
表したマルセル・シュウォブ(1867−1905)は、
『少年十字軍』
a créées pendant son enfance pour son theater de Peau-d’Ane :
(1896)において、13 世紀ヨーロッパに突如発生した子どもた
ちによる十字軍という奇妙な事件をとりあげた。この歴史事件
« Peau-d’Ane devait […] me prendre les heures les plus précieuses
を物語として再構成するにあたって、シュウォブは八人の語り
que j’aie iamais gaspillées dans cours de mon existence.
手を設定し、彼らの語りを並置するという手法によって事件を
[…] Tous les rêves d’habitations enchantées, de luxes étranges que
複数の視点から描くことを試みている。
j’ai plus ou moins realizes plus tard, dans divers coins du monde, ont
シュウォブが作家として活動していた 1890 年代には、
長引く
pris forme, pour la première fois, sur ce théâtre de Peau-d’Ane ; au
経済不況を背景にやがてドレフュス事件で頂点を迎える反ユダ
sortir de mon mysticisme des commencements, je pourrais presque
ヤ主義が勢いを増していた。事件の主人公となるドレフュス大
dire que toute la chimère de ma vie a été d’abord essayée, mise en
尉と同じく、アルザスに起源を持つ伝統的なユダヤの家系に生
action sur cette très petite scène-là. »
まれたシュウォブであるが、彼自身は、母を喜ばせるために家
族でユダヤの伝統行事を祝う以上の信仰心は持ち合わせていな
Il nous signale ainsi qu’on doit regarder sa vie et son œuvre comme
かった。しかし、時代の空気のなかで、
「共和制とフランス文学
représentations de scènes créées tout d’abord pour son théâtre. Les
を愛するフランス人」としての自己了解とは関係なく、シュウ
voyages et les amours qu’il dépeint deviennent de la sorte pareils à des
ォブは「ユダヤ人」と名指されることになる。
mises en scène. Une telle lecture nous aide à accepter l’apparence
ドレフュス問題や、いよいよ増長する反ユダヤ主義へシュウ
d’artificialité de ce qu’il décrit, et explique le mélange d’exotisme
ォブの対応は、
きわめて微妙なニュアンスを含むものであった。
exagéré et de melodrama qui caractérise ses livre. Le grand nombre de
ナントで兄が編集する雑誌に、匿名記者として「パリ通信」と
ses œuvres qui ont été adaptées pour le théâtre paraîtrait soutenir cette
いう記事を連載していたシュウォブは、幻想的なコントとは全
relecture.
く異なる筆致で、首都で見聞した出来事や時事問題を時には辛
辣な皮肉も交えて生き生きと綴っている。あくまでも共和主義
L’aboutissement de l’amour dans la tragédie inéluctable caractérise
者の立場をとる「パリ通信」は、パナマ事件のユダヤ系経営者
tous ces récits. Cette omniprésence de la tragédie que Loti impose sur
に対しても、ドリュモンに対しても、
「フランスの敵」として同
toutes ses histories d’amour suggère la nature théâtre de ses récits non
じように批判している。
「パリ通信」のシュウォブは、ドレフュ
seulement dans la façon artificielle don’t ses personnages sont obligés
ス逮捕直後も彼の有罪を敢えて疑うことをせず、次第に冤罪の
de suivre leurs rôles, mais dans l’agrandissement délibéré de cu qu’il
可能性を感じつつも、確信を掴むまでは態度を明確にすること
raconte. Dans sa dramatisation des aventures qui, en fin de compte, ne
を慎重に留保していた。彼がようやくドレフュス派として立場
sont que des histoires d’amour plutôt banales, Loti parâit essayer de
を鮮明にするのは、ゾラ介入直前のことである。
les mettre sur un niveau plus élevé. Une observation sarcastique des
公然とドレフュス派を宣言する以前の、いわば事件前夜期
frères Goncourt souligne la potentialité des ses œuvres à descendre de
(1894−97)におけるシュウォブは、匿名記者としての活動以
ce niveau soigneusement créé du sublime jusqu’au ridicule. Ils se
外にはこの問題について声高に語ることを控えているかのよう
moquent de son exotisme érotique en disant qu’il « n’a fait au fond
で、同世代のユダヤ系作家でも、最も早い時期から再審を求め
que chanter, tout au long de ses œuvres, les prostituées qui font le
て奔走していたラザールなどとは対照的である。ならば、この
trottoir sous les cocotiers ».
時期に発表された文学テクストに、ユダヤ系フランス人作家と
してのシュウォブの声を聞き取ることができないだろうか。本
発表では、
「きわめてキリスト教的な」作品として、クローデル
( Chargé de cours titulaire à l’Université de Toho )
をはじめ同時代の作家たちからも高く評価された『少年十字軍』
を、当時の社会状況を視野に入れ、十字軍という主題と、複数
の語りの並置という形式とを手がかりとしながら読み、ドレフ
ュス事件によって自らのユダヤ性を強引に揺さぶられたシュウ
ォブの文学的戦略について考察したい。
(横浜市立大学大学院博士後期課程)
14
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第 13 分科会-1
第 13 分科会-2
レーモン・クノー『文体練習』における「語りの枠組み」につ
Exception,
いて
« clinamen » dans les Exercices de style
久保
décalage,
transgression ― essai
sur
le
昭博
Kanako GOTO
ある些細な出来事を 99 通りのやり方で書き分けたレーモ
Comme nous le savons, Raymond Queneau, l’un des fondateurs
ン・クノーは、この作品、
『文体練習』について、100 個目の「練
de l’Oulipo, estimait beaucoup la potentialité créatrice des contraintes
習」を「もし気が向いたら」作ってみるよう読者に対して呼び
techniques d’écritures. Cependant, il semble que l’écrivain était
かけたことがある。
『文体練習』の革新性は、これがウリポ(潜
également conscient des limites des contraintes formelles, dans la
在文学工房)の先駆けとされたことからも窺えるように、
「練習」
mesure où elles seules ne parviendraient pas à créer une œuvre
が作家の残した書物の枠組みを超えて書き継がれてしまうとい
littéraire. Chez l’écrivain, cette prise de conscience se présente
うことだ。だがそこから、このテクストが、物語作品に備わる
souvent comme une déclinaison infime de la contrainte fixée par
「語りの枠組み」を無効にしてしまったのだと結論づけるのは
l’auteur (dans le cas précis des Exercices de style, le titre de chaque
性急に過ぎる。仮に 100 個目(あるいはそれ以上)の「練習」
を作ろうとするとき、またフランス語でしか表現できない文法
Exercice annonce la contrainte concernée). Des chercheurs queniens
や表現の言語遊戯を他言語に「翻案」するとき、ある意味で創
notion philosophique, inventée par Épicure pour défendre la volonté
作家の役割を担わされた読者たるわれわれは、この枠組みを参
humaine dans un monde imaginé déterministe. La notion a été ensuite
照せずにはおられないのである。むしろ問題なのは、この枠組
interprétée par Alfred Jarry dans un autre contexte, selon lequel le
みがいかに作用し、どこで消失しているかを見極めることだろ
clinamen est susceptible d’attribuer une touche d’originalité à une
う。
œuvre d’art.
qualifient le phénomène du « clinamen », qui est à l’origine une
それゆえ「語りの枠組み」という観点から『文体練習』を分
Dans cet essai, à travers l’observation des exemples du clinamen
析するのが、本発表の目的である。準備的な考察として、この
dans les Exercices de style, nous essaierons d’éclaircir les
作品の「ジャンルの枠組み」を考える。
『文体練習』は通常「エ
caractéristiques, le fonctionnement et l’utilité de cette déclinaison dans
ッセイ」に分類されるが、この指標は、作品が既成の文学ジャ
la création littéraire. Étant donné son caractère à la fois ludique et
ンルに分類できないことを示す以外の役割は果たしていない。
réflexif, nous réfléchirons également sur l’attitude auto-parodique de
ジャンルの分析を通じてわれわれが明らかにしたいのは、この
Queneau. Le regard autocritique de l’écrivain porte sur la réalité (et la
作品が小説の批評家からも詩の批評家からも新たな小説ないし
potentialité) de la production et de la réception de textes littéraires,
詩の地平を示す作品として論じられたことが示すように、トラ
c’est-à-dire sur la Littérature conçue comme collaboration entre
ンス・ジェネリックな性質をもつこと、だがそれにも関わらず
l’auteur et le lecteur. De ce point de vue, le choix de Queneau
クノーの小説作品を特徴づける性質を分ち持っていることで、
d’insérer le clinamen au milieu des contraintes formelles peut se
クノー固有の物語世界に属していることである。
comprendre en tant que prise de distance vis-à-vis des activités
以上のジャンル論からの分析をふまえた上で、
『文体練習』の
oulipiennes. Vu que, quoiqu’ils soient des « disciples » d’Alfred Jarry
「語りの枠組み」を考察する。ここではレトリックの主要三部
(l’Oulipo est une sous-commission du Collège de ’Pataphysique,
門、すなわち発想(Inventio)、配置(Dispositio)、そして修辞
fondé en l’honneur de Jarry), la plupart des oulipiens refusent le
(Elocutio)の概念を援用することで、このテクストの語りの特
clinamen parce qu’il transgresse l’ordre établi par leurs contraintes.
徴を考えてみる。だがこれらの概念を持ち出す理由は、各々の
「練習」を修辞学的分析に付すためというよりも、むしろ「語
(Étudiante du Cours de Doctorat à l’Université de Liège)
りの枠組み」のそれぞれの審級における位置を明確にするため
である。なぜならわれわれの仮説では、この三つの審級におけ
る「語りの枠組み」の位相のずれこそが、
『文体練習』の特徴を
なしているからである。この仮説の検証を通じて、個々の「練
習」のレベル、すなわち修辞の審級で次々と入れ替わり立ち替
わりあらわれる 99 人の語り手の物語が、他の二つの審級におい
ては不可視の、それゆえに決定的な「語り手」に吸収され、そ
れが「語りの枠組み」として形成されるプロセスを明らかにし
たい。
(京都大学人文科学研究所助手)
15
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第 13 分科会-3
第 14 分科会-1
ヘーゲルの余白に−シュルレアリスムと「弁証法」
レーモン・ルーセルと心霊主義
新島
進
齊藤
レーモン・ルーセル『ロクス・ソルス』の死体劇場において、
哲也
みずからの活動の中心を「ポエジー」と呼びながらも、シュ
死者は一時的に生前の行動を再現するが、これは薬品の反応に
ルレアリストほど哲学から固有名を引用した作家たちも珍しい。
よる蘇生であり、そこでは神秘主義の一切が排されている。こ
なかでも彼らのテクストに頻出するのがヘーゲルである。たと
のようにルーセルの奇想、その想念の世界を支えるのは通常、
えばプレイヤード版アンドレ・ブルトン全集の第二巻は、1930
現実に即した科学的説明と論理的整合性である。だが作家はこ
年代になされた作家の仕事をほぼ網羅しているが、そこに付さ
れと矛盾するように、別挿話では幽霊を躊躇なく登場させるこ
れた膨大な註を追っていくだけで、ブルトンが当時のヘーゲル
ともあり、また魂への言及も複数作品で見られる。あるいはル
仏語訳からいかに多くの言葉や表現を借りていたかがわかる。
ーセルが好んだ作家、芸術家には、ユゴー、フラマリオン、サ
引用符すらなしに哲学者の言葉が数行にもわたって引用されて
ン=サーンス、ドイルなど、心霊主義に―当時の大流行とい
いるケースも決して珍しくない。
う時代背景もあれ―傾倒した者が多い。ルーセル作品の錬金
ただし、これはブルトンがヘーゲル思想を「忠実に」引用し
術的な側面についてレリスとブルトンのあいだで意見の相違が
ているという意味ではない。むしろ彼の引用はときに文脈を無
見られたのと同様、ルーセルの心霊主義に対する態度もまた両
視したしごく乱暴なものであり、同じ言葉が繰り返されるから
義的であると言えよう。
といって、ブルトンとヘーゲルのあいだに哲学的対話が成立し
本論では、魂の存在に対するルーセルの相反する態度の実体
ているとはいいがたい。哲学者の言葉は、いわばもののような
を、作家が描く「身体」あるいは「人形愛」という観点から解
厚みをまとって、ブルトンのテクストのなかに接木されている
明し、その詩学との関連を考察する。
のである。
まずは作中の心霊主義的、神秘主義的な事例を字義通りにと
シュルレアリスムはヘーゲルの思想を消化吸収して自家薬
らず、その本質を問い直す。たとえば最初期の詩「わが魂」は、
籠中のものにしようとしていたというよりも、テクストとして
ルーセルがいわばユゴーの霊媒となって書いた作品であるが、
のヘーゲルと向かい合い、それを裁断したり組み合わせたりし
その魂には「詩句を生産する工場」という産業資本主義的なイ
て彼ら自身のテクストを組み立てていった。哲学から多くの言
メージが付与されている。同様にルーセルが、芸術における天
葉や用語が引用される反面、それに対して彼ら自身の解説や注
才の証として信じていた「額の星」は、一見、神秘思想におけ
釈がほとんど展開されないという事実もおそらくこのような観
る「第三の目」を彷彿させるが、むしろカルヴァン主義的な勤
点から理解することができるだろう。シュルレアリスムはヘー
労奨励の象徴として捉えるべきものである。
ゲルを誤読した、あるいはそれとはまったく逆に、シュルレア
またユゴーやドイルの心霊主義への接近は、近親者の死に起
リスムはヘーゲル主義であったという批判はいまも後をたたな
因し、
ルーセル作品にも子供を亡くした親を扱った挿話が多い。
いが、そもそもシュルレアリストたちほど「哲学者」の肩書き
ここでも、なんらかの影響関係を考えたくなるが、ルーセルの
を拒んだ作家たちもいない。シュルレアリストたちはヘーゲル
場合には、失った者の「代役」の登場が常に起こる。つまり魂
の思想を「正しく」理解するというよりは、テクストとしての
の呼び戻しではなく、身体的な相似(sosie、蘇生する死体、ヒ
ヘーゲルを積極的に「利用」することによって、従来の「文学」
トガタなど)が重要なのである。
や「哲学」とは異なるあたらしい領域を切りひらこうとしてい
たとはいえないだろうか。
そして、こうした相互交換が可能なサイバネティックな身体
は、あたかも魂が抜かれているかのように、
中空の形態をとる。
ヘーゲル哲学とシュルレアリスムとの関係はあらためて問
『アフリカの印象』に登場する、コルセットの鯨の骨でできた
われるべき重要な問題であるが、本発表が目指すのは必ずしも
ギリシア奴隷の像に代表されるように、中身のない張り子、風
シュルレアリスムの理論的再評価ではない。むしろ本発表が注
船、気球のような身体である。またルーセルが好んで描く、仮
目したいのは、テクストとしてのヘーゲルがシュルレアリスト
面や仮装、代役、頭部だけの存在からは、同一主体における身
のテクストに接木される、その引用のプロセスであり実践であ
体と魂の結合性の欠如がうかがえる。さらには作家のヒトガタ
る。おそらくシュルレアリストにとって、引用はひとつの情報
へのオプセッション、つまり人形愛は、魂の存在を問わない態
を伝達するための透明な容れ物といったものではなかったはず
度に起因しているように思われる。
である。本発表では、1938 年にアンドレ・ブルトンとポール・
つまるところ、以上のような魂と身体との関係は、言葉(身
エリュアールが編集した『シュルレアリスム簡約辞典』を考察
体)と本来の意味(魂)とのつながりを一時的に断つ「手法」
、
の中心とし、それとの関連においてその他のシュルレアリスム
あるいは事物の外面的な相似性をひたすら追求した『新アフリ
作品や雑誌、あるいはジョルジュ・バタイユといった同時代の
カの印象』の趣旨に通底し、ルーセルの詩学を反復していると
思想家のテクストを検討しながら、引用の対象としてのヘーゲ
考えられるのである。
ルとシュルレアリスムの関係を考えてみたい。
(北海道大学大学院博士後期課程)
(早稲田大学非常勤講師)
16
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第14分科会-2
第14分科会-3
遅れた手紙−ブルトンとバタイユ
フーリエ主義者ブルトンとシュルレアリスト・フーリエ
橋本
福島
悟
知己
本発表では、
「シュルレアリスム第二宣言」の発表をきっか
第 2 次世界大戦後のアンドレ・ブルトンが、スターリン主義
けとして起こった、アンドレ・ブルトンとジョルジュ・バタイ
への批判を強めながら、経済理論に還元できない社会的神話の
ユの間の論争を読解する。またバタイユは、1945 年以後シュル
醸成のための手がかりを、神秘思想やマルクス以前の社会改革
レアリスムについてのまとまった量の議論を書き残しているが、
思想のうちに探そうとしたことはよく知られている。その意味
ここでは、バタイユがブルトンに差し出したこの「遅れた手紙」
で、1947 年の『シャルル・フーリエに捧げるオード』の公刊は
についてもあわせて分析する。
ブルトンの変化を如実にあらわしており、戦後のシュルレアリ
スム運動の方向性に大きな影響をおよぼすものだったといえる。
後年、バタイユはシュルレアリスムについて、自らが「その
古い内部の敵」であったと回想した。従来、この著名な論争は、
さらにいえば、『オード』の影響力はシュルレアリスム運動の
両者のこうした両義的な関係を捉えられるだけの十分な読解が
内部にとどまるものではけっしてなかった。戦後フーリエの草
なされてこなかった。本発表では、ブルトンとバタイユの関係
稿研究に従事した研究者たちは多かれ少なかれシュルレアリス
が、シュルレアリスムの実践にとって限界に位置するひとつの
トたちから養分を得ていたからである。そこで本報告では、フ
本質的な出会いであったことを示し、またそれによって逆に、
ーリエ研究の立場から、シュルレアリストたちのフーリエへの
シュルレアリスムの賭金を浮き彫りにすることを試みたい。
熱狂が戦後のフーリエ研究になにをもたらしたのかについて概
1929 年、ブルトンは運動の再組織化を目的として「シュルレ
アリスム第二宣言」を発表した。しかしそれは単なる個人批判
観してみたい。
(一橋大学大学院博士課程修了)
などにとどまるものではなく、シュルレアリスムという実践が
はらむ本質的なアポリアを解決しようとするなかで書かれたテ
クストであった。そこで考えられたのがシュルレアリスムの「隠
蔽」という戦略であった。この「シュルレアリスムの隠蔽」に
ついてはこれまで数々の議論がなされてきたが、シュルレアリ
スムにおけるその実践としての意味はまだ読解すべく残されて
いる。本発表では、この点についての検討も行いたい。
バタイユは、シュルレアリスムが「文学」の領域にとどまる
ことを批判し、また同時にそれが「宗教」として成功しようと
していると断じた。このブルトン批判は、
「第二宣言」における
「隠蔽」の戦略を基礎から脅かす。このことは、バタイユの批
判が、独特の仕方で新しい文学空間を作り上げようとしたシュ
ルレアリスムという運動に対するラディカルな批判となること
を意味する。この批判の意味とは何か?この問題は、シュルレ
アリスムの実践を理解する上で本質的な意義を持つように思わ
れる。しかしまた他方で、それはラディカルであろうとしたが
ゆえに、逆にバタイユをブルトン以上の、そしてブルトンとは
別のシュルレアリストに近づけるものでもあった。これは、論
争のあった 1930 年前後から遅れること十数年、
バタイユがシュ
ルレアリスムに対して再び議論を行い、違う仕方で批判を展開
することを可能にしたバタイユの両義性である。本発表の議論
で核となるのは、この両義性の意味を理解することである。そ
れは翻って、シュルレアリスムの実践に対する政治-倫理的読解
の可能性を開くことになる。
(東京大学大学院博士後期課程)
17
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第15分科会-1
第15分科会-2
ミシェル・レリス 「偽=ゲームの規則」の発見− « Ici fruit
声と記号−ジュリアン・グラック『シルトの岸辺』における
à la tête se dit : là on s’enlise »
読むことのフィギュール
谷口
三ッ堀
亜沙子
広一郎
自らの生き方の方針であると同時に自分独自の詩学でもあ
『シルトの岸辺』(1951)には、象徴と寓意が渦を巻いてい
るような法則、それがミシェル・レリスが全四巻にわたる自伝
る。それだけにずいぶんと多くの研究や注釈が、この作品をめ
的連作において見出したかった「ゲームの規則」である。第三
ぐって多様な読みを差し出してきた。だが、この小説の語りに
巻後半に至ってレリスはこの探求が「いかにして自分は真の詩
持続と統一性を保証しているのが、主人公であり語り手である
人でありうるのか」という唯一の問いに収斂することに気がつ
アルドーの、まさに「読む」という姿勢そのものであるという
く。だがその答えは言うまでもなく分析不可能なひとつの全体
一点だけは争えないだろう。語り手にとって世界は、解釈を待
であり、あらゆる検証と定義の試みは挫折に終る。しかし、あ
つ記号の連鎖として立ち現れるのであり、語り手はだから、あ
る意味ではこれまでの探求の営み(『ゲームの規則』の執筆)そ
たかも書物を読むようにして、みずからが生きる時空間とそこ
のものが、この問いに対するひとつの答えだったのではないか
に出来する事象を読んでゆく。
―。連作のタイトル「ゲームの規則」の意義はほぼそのよう
この小説における記号の問題については、輻輳する「眼」や
に捉えうるものだろう。だがこうした観点からだけでは、最終
「視線」のモチーフとの関連から、
「見えるもの」がいかにして
結論の断念の後なぜレリスが第四巻『微かなる響き』を執筆し
意味作用と戯れながら「読みうるもの」に転ずるのかという接
なければならなかったのかが十分に捉えきれない。そのため第
近の仕方が一般的であった。だが音や声が、主題論的な水準で
四巻はしばしば先行する三巻とは位相の異なる作品とみなされ、
小説に豊かな陰翳を刻んでいるさまに留意するとき、記号のあ
プレイヤード版の解説においてもその「補遺」としての性格が
らわれは聴覚体験(あるいはその比喩)に中継され、
「読む」こ
強調されている。そして最終巻のために用意されていた「留め
とは「聴く」ことともまた深く交錯していることに気付く。
たしかに語り手は、謎めいたもろもろの記号を音声化する。
金」というタイトルが「微かなる響き」に置きかえられたとい
うエピソードがあたかもすべてを語るかのごとく、
『微かなる響
、、、、
き』は常に「留め金」ではなかったという、その消極性におい
たとえば物語のなかで重要な役割をになう「噂」は、« bruit » や
て読まれてきたのである。
めき」の比喩へと送られる。あるいは、語り手を含む作中人物
« rumeur » の語がふくむ多義性を支点にして、
「物音」や「ざわ
どうしの会話場面には、科白がどのような「声」で発話された
だが最終結論を断念したからといって、レリスがそこで最終
目的(大著『ゲームの規則』をあくまでも「ひとつの自律的な
のかを示す但し書きが、
必ずと言ってよいほどに差し挟まれる。
全体」として構築すること)までを放棄したのかどうかはわか
さらには、書かれた言葉のうちに、語り手は「誰か」の「声」
らない。彼の切望していたものが唯一の簡潔なセンテンスだっ
の「響き」を聴き取る。端的に言って、語り手は記号を耳で読
たこと、
『微かなる響き』の断章形式には依然として繊細で周到
むのだ。ならば、「聴く」ことが開く問題構成の地平から、「読
な構成への配慮が認められること、そうした点を考慮した上で
む」ことの問題を再検討する必要があるのではないか。
この最終巻を読み直すならば、書物終了間際で詳細な分析がな
このような問題設定が、『シルトの岸辺』のみならず、グラ
されている « Ici fruit à la tête se dit : là on s’enlise » というセン
テンスが異様な光を放ちながら浮上してくる。目覚め際に聞き
ックの文学的営為全体にとっても関与的だと思われるのは、文
取られ、その均衡とリズムのためにくっきりとレリスの意識に
主張が、批評的テクストではっきりと提示されているからだ。
残ったというこの一文は、本人の解説なしにはほぼ理解不可能
グラックが書物を読むときに駆動させる欲望は、言表内容、つ
なものであり、
しかもその意味するところが一向に安定しない。
まり「何」が語られているかという以上に、言表行為と言表主
これが求められていた「ゲームの規則」
(あらゆる状況に適用可
体のフィギュール、つまりそこで語っているのは「誰」である
能な輝かしい黄金律)に及ぶべくもないことは言うまでもない。
のかという問いの周囲を旋回しているのだ。
「何か」から「誰か」
だがなぜそのような黄金律が自分においてはありえないのか、
へ向けての問いのシフトこそが、グラックにとって、言葉の連
その手のほどこしようのない現実そのもの、その屈託すべてを
なりを文学と呼ばれるものに昇華させるのであり、同様にして
溶かし込んで屈託のままに結晶させた錬金術的な一文を、レリ
おそらく、
『シルトの岸辺』では、千篇一律の日常が織りなす地
スは最後の最後で―殆ど誰にも気づかれないようなかたち
から、解釈を誘う記号が図として露頭するための契機になって
で―やはり提示しているのではないか。詩と政治参加、詩と
いる。記述的命題によって、ということはつまり一般性によっ
生活を統べるべきであった絶対的な「ゲームの規則」
、その不在
て答えうる「何か」ではなく、あくまでも対象の特異性へと送
のセンテンスを皮肉なほど強烈に暗示する陰画としての「偽=
り返されざるをえない「誰か」という問いをめぐって解釈学的
ゲームの規則」
。本発表ではこの仮説の検証によって、連作に占
欲望を組織すること。この点を中心に、読むことと聴くことの
める『微かなる響き』の役割を検討しなおしてみたい。
臨界点の演出を小説のなかにたどり、そのプロブレマティーク
学作品を読むことは「誰か」の「声」を聴くことであるという
を考察していきたい。
(早稲田大学大学院博士課程)
(早稲田大学助手)
18
日本フランス語フランス文学会2006年度春季大会研究発表会
第 16 分科会-1
第 16 分科会-2
ソシュールのアナグラム−スタロバンスキーからフルール
ロラン・バルトにおける「官能性」−テクストから恋愛主体
ノワまで
へ
金澤
滝沢
忠信
明子
本発表は、「官能性」という概念を『ロラン・バルトによる
ソシュールはアナグラムを詩作の本質的制約とみなしたうえ
で、その形式が事実として存在することを証明しようとしたが、
ロラン・バルト』のうちに見出し、その重要性と広がりを『テ
その起源ないし理由については問わなかった。だが、先行する
クストの快楽』のなかのテクスト論および『恋愛のディスクー
潜在的モナドとしての「テーマ‐語」を顕在的に展開するのが
ル・断章』の恋愛主体論の分析を通してしめすものである。
アナグラムだと考えるなら、それは流出(エマナチオ)の神学
『ロラン・バルトによるロラン・バルト』のなかのいくつか
を共通のモデルとして、上部構造から下部構造へ遡って潜在的
の断章には、
「エロティック」なものにかんする議論や「セクシ
内容を探り出す経済学(マルクス)や、下層のリビドーから多
ー」であることについての考察がみられ、それらを通してバル
様な経験的欲望への移行を想定する精神分析(フロイト)など
ト的な「官能性」のあり方を浮かびあがらせることができる。
と構造的親近性をもつとスタロバンスキーは主張する。また「偶
バルトが語る「官能性」は、攻撃的で一義的なものである「性
然の結果」と「意識的手法」の二者択一を「ソシュールの唯一
欲」、あるいは政治的な文脈におかれた「性的なもの」に対置さ
の誤謬」とし、両者いずれも斥け、詩行の背後にあるのは創造
れる概念である。そのような固着した性質をもつ「性的なもの」
する意識的主体ではなく、反復されかつ反復を生み出す発生源
と異なり、
「官能性」は凝り固まることがなく、複数的であると
としての反復語であるとする。こうした解釈の背景には、主体
いう。多義的で拡散的なものの側にある、という点において「官
性の哲学を乗り越えようとしていた 1960 年代後半の時代的潮
流がある。スタロバンスキーの「下部集合」は斬新かつ精巧な
能性」はテクスト性とつながりをもつとされる。
概念装置だが、なお構造主義的な思考の枠組みのなかにあり、
会的であるとされ、政治的なものから疎外されてある。ファロ
「下部集合」と「集合」からなることばの循環・反復構造をこ
セントリックな権力にとりこまれることを回避するため、テク
とばの存在基盤として設定することよって、潜在・顕在という
ストの悦楽/快楽は倒錯的な
「官能性」
の側に存するのである。
実際に『テクストの快楽』で論じられる悦楽/快楽は、非社
『恋愛のディスクール・断章』にあらわれる「官能性」は、
二層構造に基づく流出説的論理(目的論的な思考)の側にソシ
テクスト論において打ちだされている「官能性」のあり方と同
ュールを回収しようとしている。
たしかに「偶然の結果」と「意識的手法」の二者択一(とい
様の性質をそなえている。すなわち、バルト的恋愛主体は、社
う誤謬)は重要な問題であり、言語学と精神分析いずれの領野
会的役割や政治的束縛から逸脱した存在であり、倒錯的な快楽
にも関わるものだが、スタロバンスキーの念頭にあるのはあく
と、拡散的な官能とを生きる主体なのである。そのような「官
までフロイトの精神分析である。
しかし 19 世紀末にソシュール
が実際に接していたのはジュネーヴの精神分析家たちであり、
能性」が恋愛主体によって体現されるとき、その主体はある一
特にテオドール・フルールノワはジュネーヴ大学の同僚で、彼
子供のような存在―これを本論では「子供」と表現する―
の交霊術会に招かれ、スミス嬢という霊媒師の異言が本当にサ
としてあらわれる。
「子供」となることによって恋愛主体は、
「性
ンスクリット語かどうか確認を依頼されている。このことはソ
的なもの」に収斂してしまう一義的な「欲望」にとどまること
シュール研究史において、近代言語学の始祖にもオカルトへの
なく、より多義的でより豊かな「官能性」を提示しうるのであ
嗜好という意外な一面があったことを示すたんなるエピソード
る。
『恋愛のディスクール・断章』において、恋する人の置かれ
として援用されてきた。しかしフルールノワには夢遊病の怪奇
た状況や恋愛のさなかにあっての心情が、母親を恋い慕う子供
な現象を科学的に説明しようとする明確な意図があり、交霊術
のものになぞらえられることが非常に多いという事実は、バル
会での異言は即興なのかそれとも深層で練り上げられていたも
トの志向する「官能性」の観点から理解することが可能なのだ。
つの特徴をおびる。恋愛主体は、成熟した大人でありながら、
のなのか、そのいずれも真であるとする点などはソシュールの
テクスト論において、倒錯した悦楽の力は、ただ一点に向か
問題設定とも本質的に重なっている。
『インドから火星まで』の
って進行しただ一つの正しいとされる解釈をたどるレクチュー
著書と、ヴェーダ詩(インド)からサトゥルヌス詩(「土星」
)
ルに比して、よりいっそうの意味を産出するものとされていた。
までを研究する言語学者のあいだには構造的類似性があり、そ
『恋愛のディスクール・断章』は一つの恋愛物語に収斂される
の点において言語学と精神分析は出会っている。ソシュールが
ことを拒み、決して固着することのない開かれたテクストとし
交霊術会に出入りしていたのは 1890 年代半ば以降であり、この
時期に一般言語学に関する数多くの重要な手稿が書かれている
て成立することを目指して書かれたものである。ゆえに、そこ
点も見逃すことができない。ちなみに、のちにフロイトの分析
一つの目的に向けて進展することのない、倒錯的であり贅沢な
を受けることになるレイモン・ド・ソシュールが生まれたのは
「悦楽の主体」なのである。
で「子供」が体現する「官能性」をそなえた恋愛主体もやはり、
奇しくも 1894 年であった。
(東京大学大学院博士課程)
(明治学院大学非常勤講師)
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