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研 究 発 表 会 - 日本フランス語フランス文学会

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日本フランス語フランス文学会 2006 年度秋季大会
研
究
第1部
第 1 分科会 フランス語学・語学教育 14 番教室
司会 大阪外国語大学 木内
1. 譲歩文とトートロジーの解釈スキーマ
発
表
会
1 4 :1 0 ∼1 5 :4 0
吉朗
24 番教室
司会 広島大学 武田 紀子
1. 中心の虚無に立ちもどる ― マラルメの「カトリシ
スム」をめぐって
神戸大学非常勤講師 中畑 寛之
2. 詩と不毛性―マラルメ、ユゴー、ボードレール
3. 現在形とその 解釈の 領域 ― 粗 筋に用 いられる現
在形の場合
京都大学博士課程 岸 彩子
日本学術振興会特別研究員 原 大地
3. 「共同性」への誘い、あるいは「行動」としての批
評―マラルメの「演劇に関する覚書」について
日本学術振興会特別研究員 酒井
2. 中等教育における e-Learning の実践と評価
日本私学教育研究所専任研究員 山﨑
第 5 分科会 19 世紀(2)
良行
智宏
大阪産業大学非常勤講師
坂巻
康司
1. 中世ファルス におけ るキリス ト教 ― 狂言におけ
る宗教との比較
関西大学博士課程 小澤 祥子
司会 慶應義塾大学 小倉
1. ゾラの『作品』と 1868 年のサロン
Lycée ISGL 寺田
孝誠
第 3 分科会 18・19 世紀
俊輔
2. ヴィリエ・ド・リラダンにおける父権と文学 ―「ク
レール・ルノワール」、「予兆」、『反抗』、『アクセル』
をめぐって
1. 18 世紀における崇高概念の世俗化― 自然的崇高
からリベルタン美学へ
中部大学中部高等学術研究所研究員 玉田 敦子
同志社大学非常勤講師 木元 豊
3. 政治的カオス から新 しい秩序 へ ― 世 紀転換期の
小説におけるパナマ事件
第 2 分科会 中世
17 番教室
司会 放送大学(客員)
15 番教室
司会 奈良女子大学
原野
小山
昇
第 6 分科会 19 世紀(3)
25 番教室
寅彦
2. キリスト教と奴隷制 ― シャトーブリアン『キリス
ト教精髄』を中心に
日本学術振興会特別研究員 片岡 大右
第 7 分科会 20 世紀(1)
3. シャトーブリアン『墓の彼方からの回想』における
叙事詩的側面
早稲田大学博士課程 高橋 久美
司会 大阪大学 和田 章男
1. パリ空襲の表象(1914-1918)― プルーストと「戦
争文化」
第 4 分科会 19 世紀(1)
日本学術振興会特別研究員 坂本 浩也
2. プルーストにおける「偶像崇拝」と「信じること」
東京大学博士課程 鈴木 隆美
22 番教室
司会 東京大学
湯浅
博雄
1. ランボーと 19 世紀後半の死の主題系
大阪外国語大学非常勤講師 小田 雄一
2. ランボーにお ける陶 酔の否定 的力 ― 窒息感につ
いて
北海道大学博士課程 木下 伴江
3.「二重の眼」のもとに ― ランボーを受容するヴェ
ルレーヌ
東京大学博士課程
倉方
健作
日本学術振興会特別研究員
第 8 分科会 20 世紀(2)
田中
琢三
12 番教室
23 番教室
司会 広島大学
近藤
武敏
1. シモーヌ・ヴェイユの思想における悪の概念につい
て
京都大学博士課程 辻村 暁子
2. 唯心論(スピリチュアリスム)と交霊術(スピリテ
ィスム) ― ベルクソン哲学における催眠・テレパシ
ー・心霊研究
日本学術振興会特別研究員
藤田
尚志
日本フランス語フランス文学会 2006 年度秋季大会
研
究
第2部
第 9 分科会 19 世紀(4)
司会
24 番教室
国際基督教大学
発
表
会
1 6 :1 0 ∼1 7 :4 0
第 13 分科会 20 世紀(3)
岩切
正一郎
12 番教室
司会 広島大学
松本
陽正
1. 詩人ボードレ ールと いう神話 ― ボー ドレール受
容の諸相とその意義
東京大学博士課程 伊藤 綾
1.『人間の大地』における話法と視点戦略 ― スペイ
ン人伍長とギヨメの挿話を中心に
大谷大学助手 藤田 義孝
2. 詩行と空白 ― ボード レールの 韻文詩 の変革を巡
って
大阪大学博士課程 廣田 大地
2. マルローの西欧―1920 年代の評論活動を中心に
パリ第 3 大学博士課程 畑 亜弥子
3.『マルドロールの歌』における蛸の表象をめぐって
早稲田大学助手 一條 由紀
第 14 分科会 20 世紀(4)
第 10 分科会 19 世紀(5)
な郊外について
22 番教室
司会 大阪大学 金崎 春幸
1. フローベールの『サラムボー』におけるオブジェの
分析
名古屋大学博士課程 大原 邦久
2.「不透明化」の詩学 ― フローベール小説における
メタ言語
大阪音楽大学非常勤講師 寺本 弘子
3. 群衆と母胎 ― モーパッサン「メゾン・テリエ」を
めぐって
一橋大学博士課程
長谷川
久礼満
第 11 分科会 19 世紀(6)
15 番教室
司会 熊本大学 大熊 薫
1. 都市の再生 ― マラルメ『最新流行』における劇場
型祝祭について
東京大学博士課程 熊谷 謙介
2. 詩人の葬儀で オルガ ンを奏し たのは 誰か ― ヴェ
ルレーヌとフォーレの交流
琉球大学
西森
和広
第 12 分科会 19 世紀(7)
25 番教室
司会 九州大学 高木 信宏
1. 帽子の代わり にター バンを! ― ロマ ン主義時代
のオリエント旅行記に見る「変装」の役割の変遷につ
いて
東洋大学非常勤講師 畑 浩一郎
14 番教室
司会 早稲田大学 守中 高明
1. レーモン・クノー『はまむぎ』の非現実(主義)的
早稲田大学非常勤講師
2. 抵抗の形象―ブランショとカミュ
東京大学 COE 研究員
第 15 分科会 20 世紀(5) 23 番教室
司会 名古屋大学
昼間
西山
松本
賢
雄二
伊瑳子
1. 『偉大なるソリボ』における自己表象の戦略 ―“パ
トリック・シャモワゾー”とは何者か?
モントリオール大学博士課程 廣松 勲
2. パトリック・モデ ィアノ『 ドラ・ブ リュデール』
―忘却に抗するエクリチュール
明治大学博士課程 小谷 奈津子
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 1 分科会-1
第 1 分科会-2
譲歩文とトートロジーの解釈スキーマ
中等教育における e-Learning の実践と評価
酒井
山﨑
智宏
はじめに
1.
トートロジーX ÊTRE X は譲歩節と共起しやすい(Un enfant
吉朗
est un enfant même s’il est handicapé. )。本発表では、それぞれ独
企業教育でかなり普及している e-Learning が高等教育の場にも
立に開発されたトートロジーの意味論と譲歩節の意味論を組み
広がってきているのに対し、中等教育の場ではまだ実践例は多
合わせることにより、この現象に理論的説明を与える。
くない。設備に費用がかかることもその要因の一つであるが、
さらに、中等教育の場では、学校での生徒の拘束時間が長く、
トートロジーX ÊTRE X はスペース構成(1)を構築する。
(1)
M1: X (a)
e-Learning を行える時間が短い。また、個人用パソコン所持率
[= スペース M1 において a は X の定
も大学生ほど高くないので、e-Learning 環境が充分整っていな
義属性を満たす。]
いと言うことができる。そこで、本発表では、生徒のパソコン
M 2: X (a’)、ただし C (a) = a’
利用環境調査も行い、実際の利用の頻度、作成の手順、利用状
[= スペース M2 において a と同一個体である a’は X の
況、利用者の評価、学習効果について報告し、中等教育の場で
定義属性を満たす。]
e-Learning を行う可能性や意義について考察する。
すなわち、トートロジーは M1 で X としての性質を持つ a が
事例
2.
M2 でも X としての性質を満たすという命題を表す。M1 と M2
2.1.
多言語処理のシステム
はスペース変数であり、文脈中で M 1 と M2 に付与される値に
e-Learning のシステムは、Terra(SSS 社)を用いている。このシ
より、トートロジーはさまざまな解釈を持つ。(i) M1 = 時間、
ステムは、本学会でも発表したことのある OPUS(M &E 社)の機
M2 = 時間: Hitchcock est toujours Hitchcock. 「ヒッチコックはい
能を一部縮小して Linux に移植したシステムである。Unicode
つだってヒッチコックらしさを失わない」 (ii) M1 = 現実、M2 =
対応なので、フランス語の文字に関しては画面表示も受講者の
映画: Dans ce film Hitchcock est Hitchcock. 「この映画ではヒッチ
入力も問題がない。Windows でも M ac でも利用できることも確
コックがヒッチコックらしく描かれている」 (iii) M1 = 現実、
認している。演習したデータはすべてデータベースの形で蓄積
M2 = 信念: Même pour le raciste de base, un homme est un homme,
され、分析することができ、アンケート作成、集計もできる。
une femme est une femme. 「ひどい人種差別主義者にとってさえ
2.2.
ヒトがヒトであることに変わりはない」
このシステムを使い、次のような実践を行ってきている。中等
教育では、授業の代わりに e-Learning を行うことは難しいので、
譲歩節はスペース導入表現の一種であり、même si P, Q はスペ
補習の教材として行っている。
ース構成(2)を構築する。
(2)
事例
B0(前提基底スペース): E0(命題集合)
1 休暇中の演習 2 不登校の生徒の問題演習や指導 3 単語テ
F0(前提基礎スペース): P
ストの準備
EX0(前提拡張スペース): ¬Q
2.3.
4 基礎の復習
5 大学入試準備
学習者の評価
アンケート調査では、e-Learning の学習効果評価があると考
B(断定基底スペース): E、ただし DisA (E0) = E
えている生徒、今後も使いたいと考えている生徒共に 100%と
(DisA は差異コネクター)
なっており、生徒の評価は高い。
F(断定基礎スペース): P
2.4.
EX(断定拡張スペース): Q
学習効果
上記 3 の単語テストの準備の後、
学校で実施した単語テストは、
ここで、(1)の M1 を(2)の B に、(1)の M2 を(2)の EX に対
e-Lerning 実施前の 2 回の単語テストと比較すると、平均点が向
応させ、2 つのスペース構成を単一化すると、上記の(i-iii)
上している(32.8 → 29.3 → 36.7 50 点満点)
。また、5
に加えて例えば次のような解釈が得られる。(iv) M1 = 断
年間に同じテストを行った学年と比較しても、平均点は高い
定基底、M2 = 断定拡張: Un enfant est un enfant même s’il
(30.2 → 36.7)
。点数の向上にはさまざまな要素が考えられる
est handicapé. 「体が不自由でも子供が子供であることに
ので、このことを持って学習効果があると断定できないが、学
変わりはない = 子供の定義に『体が不自由であってはな
習効果があるのではないかと推測される。
らない』という条件は含まれない」
3.
トートロジーと譲歩節が共起するのは一般にトートロ
今後に向けて
まだ短期の利用なので、一年を通しての利用について、次年
ジーが 2 つのスペースの同質性を述べることからの帰結
に過ぎず、譲歩節をトートロジーの意味論の一部に組み
度発表したいと考えている。
込む理論は不適切であると言える。
(日本私学教育研究所専任研究員)
(日本学術振興会特別研究員)
1
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 1 分科会-3
第 2 分科会-1
現在形とその解釈の領域−粗筋に用いられる現在形の場合
中世ファルスにおけるキリスト教―狂言における宗教との
比較
岸
彩子
小澤
祥子
物語は過去時制で語られることが多いが、物語の粗筋には現
ファルスは 15−16 世紀のヨーロッパで、聖史劇と一緒に、あ
在形が用いられることが多い。粗筋の現在形はどのような性質
るいは単独で、盛んに演じられた世俗劇の一つである。一方、
を持ったものなのか。語りの現在とは異なるのか。
わが国には能とともに 14 世紀に成立した狂言があり、ファルス
文は その文が真となる 領域と相対的に解 釈される
と様々な共通点を持っている。どちらにも俗っぽい聖職者が登
(Recanati1996)。現在形の文は、現在の出来事、過去の出来事(語
場して笑いをさそうのだが、その描き方はかなり違う。そこに
りの現在)、総称、主語の属性・習慣等、異なる時間区分の事行
は中世のフランスと日本のそれぞれの宗教の違いが現れている
を表すが、これらは(1)局所的に限定された一時空を領域とする
と考えられる。
ヨーロッパの中世は一言で言ってキリスト教の時代であると
出来事文、(2)この世全体、主語の存在領域全体など時空限定の
言われる。キリスト教はキリストを唯一神とする排他的宗教で
ない領域で真となる文の二つに分けられる。
Serbat(1980,1988)は現在形には現在性も含めどのような時間
ある。神は絶対であり人間は神に裁かれる。教会は民衆の教化
性も無いとする。この考えに従えば、現在形自体は時空限定さ
のためにさまざまな規範を定め、それを絶対的なものとして提
れた領域を設定しないということになる。では(1)の場合、領域
示した。だからフランスの中世の人々は、常にその絶対性に対
の時空限定はどのようにしてなされるのか。
峙する形で、自分の中の人間的な欲望を罪として意識せざるを
現在の出来事を表す現在形はその場で見たままの出来事を述
得なかったであろう。それに対して、日本の宗教である神道は
べる。この場合、領域は出来事が知覚された局所的時空に限定
呪術的アニミズムを起源としている。神と人間は断絶せず、対
される。知覚主体の無い知覚はありえないから、知覚の時空が
立するものでもない。また 6 世紀に導入された仏教も、キリス
領域を限定するとは、聞き手が解釈時に知覚の主体の視点を取
ト教同様人間の欲望からの解脱をめざしてはいるが、その根本
ることで領域を限定するということだと言える。
的な教えは諸行無常・煩悩即菩提であって、キリストのような
絶対的他者との対立はない。
語りの現在の場合、読み手は文脈で設定された物語の時間軸
上の一時点に視点を擬似的に移動させ、この時空を擬似的な知
狂言の僧侶や山伏は、愚かさ・臆病・俄出家による失敗など、
覚の時空とすることで、領域が時空限定される。自ら領域を限
さまざまの俗人の愚かさをさらけ出して観客の笑いをさそう。
定しない現在形は、知覚の主体の視点に立って解釈されること
好色な出家の姿も垣間見える。それに対してファルスに登場す
で領域が時空限定され、出来事文として成立する。
る聖職者のほとんどは、卑猥・淫猥と形容されるような人物で
粗筋を構成する文は、動詞の語彙的意味などから出来事文で
ある。夫に不満を抱く妻の愛人だったり、女遊びをしようとす
あるように見える。だが、連続して出現する語りの現在が連続
る修道士や隠者だったり、また修道士を愛人とする修道尼たち
した局所的時空での出来事を表すのと異なり、粗筋では連続す
だったりする。
る現在形の文が表す事行の間に時間的に断絶のあることがある。
ファルスが、ルネッサンス以降、余りにも俗悪なものとして
現在形は知覚主体の視点を取ることで領域が限定され出来事読
退けられてきた理由の1つは、男女の性がこのように露骨に笑
みされる。粗筋の現在形も出来事文であるとすると、上の場合
いの種として舞台上で取り上げられていることである。しかし
一つ一つの文に別個の時空限定された領域を考えなければなら
それは、肉体を罪の元凶とし、夫婦の性的な関係さえも秘蹟と
ないことになる。しかし、断絶した二つの時空を連続して知覚
してしか認めようとしなかったキリスト教の呪縛から、民衆が
できるような主体を考えるのは困難である。このことから粗筋
自らを解放しようとするものではなかったろうか。だからこそ
の現在形には出来事読みのための領域が限定されていないと考
中世の末期、人々はファルスに熱狂したのであろう。
えることができる。ではこの現在形はどの領域で解釈されるの
(関西大学大学院博士後期課程)
か。
物語内部の文脈には独自の時間軸が設定され、語りの現在は
この時間軸上の一点に視点が置かれここを領域として出来事文
解釈される。一方粗筋の現在形は視点を想定し得ないため時空
限定された領域での解釈はできない。このためこの文脈での最
大領域、即ち物語世界全体を領域として解釈され、物語世界に
事行が存在するということのみを表すことになる。粗筋の現在
形は、
物語中の事行を、特定の時空での出来事としてではなく、
個々の時空を捨象して語りの時間軸の外から捉えたものとして
表す。
粗筋はこのように捉えられた事行を列挙するものである。
(京都大学大学院博士後期課程)
2
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 3 分科会-1
第3分科会-2
18 世紀における崇高概念の世俗化―自然的崇高からリベル
キリスト教と奴隷制―シャトーブリアン『キリスト教精髄』
タン美学へ
を中心に
玉田
敦子
片岡
大右
18 世紀をとおして崇高概念がヨーロッパで成熟した背景に
は、英語圏における独自の崇高美学の発展がある。18 世紀前半
「インディアンは野生人ではなかった」。
『アメリカ旅行記』
のフランスにおける崇高概念が、ボワローが翻訳したロンギー
の末尾で、シャトーブリアンは断言する。西洋が発見した〈新
ノスの『崇高論』と、ボワローが同書に付けた『崇高論序文』
世界〉には、古代ギリシア・ローマやヘブライを想起させる法
を参照して修辞学の分野において発展したのに対し、英語圏に
秩序と習俗が、すでに存在していたのだ。
「ヨーロッパの利益を
おいて「崇高」は主に風景画とその素材となった自然のなかに
脇に置くなら」――彼は続ける――一個の哲学的精神は、ここ
見出された。今回の発表においては、この英語圏における「自
に萌芽状態で存在している文明の行く末を邪魔せずに見守って
然的」崇高美学の影響を受けて、18 世紀フランスにおいて崇高
いたいと願うこともできたはずだ、と。我々が干渉しないでい
概念が成熟した過程を明らかにしたい。
たならば、西洋とは別の源泉より湧き出た文明を発展させたア
まず英語圏で発展した自然的崇高の理論はデニス、アディソ
メリカから、旧大陸を見出すべく訪れたひとりのコロンブスが、
ン、スミスらが行った議論、そして特に 1757 年にエドマンド・
いつの日か我々の岸辺にたどり着くことがないなどと誰に言え
バークが出版した『崇高と美の観念の起源』に現れる。この自
るだろう…… ここでアメリカに対して注がれているまなざし
然的崇高論が果たした決定的な役割は、崇高と倫理的価値とを
は、一世紀以上の後にエメ・セゼールがアフリカに向けるのと
隔離したことである。フランス修辞学において崇高が「精神を
同様のまなざしではないだろうか? アラブ世界への侮蔑を隠
高める」という効果によって重要視されていたのに対し、自然
そうともしないあの中東紀行の作者が、別の非ヨーロッパ人集
的崇高美学は「恐怖」の感覚を「心を動かす」素因として特権
団に向けるこの公正な態度は人を驚かせる。とはいえこの公正
化し、早期に崇高を倫理的価値から引き離した。本発表におい
さは、当時の歴史的状況に規定されたものだ。1763 年以降、フ
ては、まずこの英語圏における自然的崇高概念の発展について
ランスは北米大陸の全領土を失っている。
「ヨーロッパの利益を
概観する。
脇に置くなら」と言われるときの「ヨーロッパ」に、だからフ
一方、フランスには、モンテーニュ以来ルクレティウスを参
ランスは含まれておらず、むしろ彼は滅びゆくアメリカ先住民
照しながら「恐怖感をもたらす光景を観ること」を一種の悦楽
の運命を嘆きながら、当地における自国勢力の消滅を惜しんで
とみなす系譜がある。しかし 18 世紀まではこの種の悦楽は「残
いるのである。それゆえ、フランスの利益がその一部をなす場
虐性嗜好」という様相を直に示さず、
「見せしめ」という倫理的
合においては、彼は決して「ヨーロッパの利益」を手放しはし
な効果のもとに正当化されていた。ところが 18 世紀初頭におい
ないだろう。そんな彼の姿を、我々は〈新世界〉におけるもう
て、デュボスの詩論が倫理的価値に依拠しない「恐怖の光景が
ひとつの非ヨーロッパ人集団である、黒人たちをめぐる論争の
もつ美」について論じたことから、このような性向は直接的に
中に見出すことができる。1802 年 4 月、コンコルダートが立法
残虐性嗜好として現れる。このような思想的背景から、恐怖と
院において批准され、ノートル・ダム大聖堂は、10 年の沈黙を
崇高を結びつける英語圏の崇高美学が受容され、
ディドロが「恐
破って復活祭を祝う。
『キリスト教精髄』がこの二つの出来事の
怖の感覚を喚起するものは全て崇高である」と論じたのであっ
間に出版され、
カトリック教会と執政政府の庇護下に置かれた、
た。
大いに時宜に適った書物として成功したことはよく知られてい
また、この時代の感覚論的価値観において至高の感覚的刺激
る。しかし、
翌 5 月の奴隷制復活と本書が結び付けられるのは、
と認識されるようになった崇高は、18 世紀フランスにおいて発
シャトーブリアン研究の領域においては皆無と言ってよい。実
展したリベルタン美学との多くの類似点を示す。宗教的・倫理
際には、
『精髄』の著者は奴隷制復活を支持するプロパガンダ活
的価値から離れた崇高が、
「驚き」と「新奇さ」を第一の役割と
動に密接にかかわっており、本書における仏領アンティルの状
したことから、
「快楽を絶えず追求する」リベルタンと関心を共
有するようになったためである。この時代の修辞学教科書は、
況に触れた一節は、1791 年の蜂起後に現れた多くの反動的言辞
の見事な要約として流布した。本発表の眼目は、フランスの奴
「正確さ」の習得を主眼とする「文法」課程と差別化を行い、
隷制と奴隷貿易を擁護する彼の立場を当時の状況の中で捉え、
自然な文体を書く技術の習得を目的としていたことから、修辞
彼があらゆる隷従を廃絶する宗教とみなしていたキリスト教の
学教育の理想であった崇高の定義にも「優雅さ(élégance)」
「無
礼賛と、それがどのように結びついていたかを理解することに
造作さ(négligé)」というリベルタン的キーワードが多く見られ
るようになる。
ある。そこで見出されるのは、彼が北米インディアンの運命を
語る際に採用しているのと同じヴィジョンであり、
「アタラ」に
本発表は、18 世紀フランスにおいて崇高が英語圏で発展した
おいて主張される「キリスト教の勝利」
、異なった意味を担って
「自然的崇高」を参照しながら積極的に受けいれるようになっ
二度現れるこの二重の勝利が構成するひとつのシステムなので
た残虐性嗜好の重視を手がかりに、崇高美学がリベルタン美学
ある。
と近づいて世俗化する過程を考察する。
(日本学術振興会特別研究員)
(中部大学中部高等学術研究所研究員)
3
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 3 分科会-3
第4分科会-1
シャトーブリアン『墓の彼方からの回想』における叙事詩的側
ランボーと 19 世紀後半の死の主題系
面
高橋
小田
久美
雄一
シャトーブリアンは初の回想録執筆を 1811 年頃開始したと
19 世紀に勃興したロマン主義の潮流のなかで、多くの詩人が
みられる。その『我が人生の回想録』において、
「死ぬ前に自ら
死のテーマを取りあげた。このような傾向の背景としては、
「世
の人生の麗しき時代にさかのぼり、私の説明しがたい心を明ら
紀病」に特有の生からの逃避への欲求が、死がもたらす解放の
かにしたい」と述べているように、ルソーの自伝のモデルに近
感覚を希求したことが考えられる。それ以後、死の主題系の射
い回想録を試みていたが、七月革命の衝撃によってその展望は
程はこのような「解放としての死」を中心にしながら、さまざ
大きく変化する。1832 年から 1833 年にかけて作成された「遺
まな詩人たちの手によって拡張されていくことになる。ランボ
言としての序文」は『墓の彼方からの回想』全体の見取り図と
ーはその担い手のうちのひとりであった。そこで発表では、ロ
いうべきものであり、その中で執筆目標を明言している。それ
マン主義の熱気が過ぎ去ったあと生み出されたランボーの作品
は「自らの時代の叙事詩」を描くことである。
における死の主題を、先行する詩人たちとの関係性のなかで考
察する。
そもそもフランスでは叙事詩というジャンルは、中世におけ
考察の手続きとしては、ランボーは死をどのように表象した
る武勲詩の隆盛後、ロンサールの未刊作『ラ・フランシアド』
、
ヴォルテールの『ラ・アンリアド』
、フェヌロンの叙事詩的小説
のか、という問題意識から出発して、死の主題を 19 世紀後半の
『テレマックの冒険』など少数の例外を除けば注目を集めなか
詩の歴史のなかに位置付ける作業をまずおこなう。およそ 1850
った。シャトーブリアンは『墓の彼方からの回想』執筆にいた
るまでにこの威信ある文学ジャンルで成功することを目指した
年から 1875 年までに書かれ発表された詩作品のなかで死はど
のように描かれたのかを概観し、その描かれ方の系列を探る。
が、
『ナチェーズ族』並びに『殉教者たち』において叙事詩か小
つぎに死の主題にまつわる同時代の流れにランボーがどのよう
説かの選択を躊躇する。
『ナチェーズ族』は前半・叙事詩、後半・
に反応し、死を表現したのか、その一端を切り取ることを試み
小説という構成、
『殉教者たち』は当初小説として書き進められ、
る。分析の対象とするランボーの詩は、
「ボトム」である。ラン
途中で叙事詩への転換がなされた。叙事詩は超自然的な存在に
ボー以前の詩人たちと死の主題との関係性のなかに、
「ボトム」
よって栄光へと導かれる一民族あるいは一人間集団の運命の詩
を位置付ける。
的表現、とりわけその集団の中から選ばれた英雄らの活躍を謳
その概要は以下のようにまとめられよう。ヴィニー、ユゴー、
うものと定義される。だが、大革命により政教分離の闘争に大
ゴーティエ、ルコント・ド・リールといった詩人たちは理想的
きく踏み出したフランスにおいては、ジャンルとしてすでに時
な死後世界を称揚するという点で一致している。この流れと対
代遅れの感は否めず、満を持して 1809 年に公刊した『殉教者た
ち』は期待していたほどの成功を収めなかった。シャトーブリ
立するのがボードレールの「地を耕す骸骨」であり、そこでは、
アンは『殉教者たち』第 24 巻冒頭で行った詩神との別れを、
『パ
表出されている。ボードレールは結果的に、死の彼方において
リ−エルサレム紀行』
(1811 年刊)の末尾で再確認することに
待ち受ける辛い生というものを措定することになった。このよ
なる。
うな絶望的ヴィジョンの系列のほうに、ランボーの「ボトム」
耐えがたい労働が死後も継続するのではないかという不安感が
は属している。ランボーがボードレールと異なるのは、死後の
こうして一度あきらめかけた叙事詩執筆の野心実現の場を、
シャトーブリアンは再びとりかかった回想録に見出すことにな
主題から輪廻の主題のほうへと接近している点である。「ボト
る。ただしそれは各種ジャンルの坩堝である回想録に、叙事詩
ム」においては、話者「わたし」は三度の変身を経験している。
的なるものを入れ込むことによってである。そのひとつが全知
この話者が耐えがたい「現実」に依然として直面していること
なる叙事詩の語り手としての声である。だが一方で反叙事詩と
を言い表わすために、絶対分詞構文が用いられている。ただし、
もいえる手法も用いられる。彼の出生から青年期を語る第一部
この構文では、現在分詞節と主節の時間性は一致しない。主節
においては、ホメロスに代表される正統的叙事詩のパロディー
に緊密に接合することもなく、かといって完全に独立している
化が顕著である。英雄たるべき主人公、つまり青年シャトーブ
わけでもないこの分詞節は、変身を経た話者が〈超時間的な〉
リアンはいくつかの段階を経て、由緒ある帯剣貴族の子孫とい
「現実」と向き合うことを余儀なくされていることを示してい
う地位から、ロンドンで赤貧にあえぎ下層民と同じレベルにま
る。ランボーにおいて、死という主題は、耐えがたい生の連鎖
で降格される。
しかし回想録の主人公は 19 世紀の歴史の新たな
主人公である民衆と同じ場所まで降りてきた。もはや歴史の舞
というもうひとつの主題に変容し、この主題はひとつの形式と
結びつくことになったのである。
台上の一役者ではなく、人間すべてを知るものとして彼が生き
(大阪外国語大学非常勤講師)
る時代を物語る権利を獲得するのである。
(早稲田大学大学院博士後期課程)
4
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第4分科会-2
第4分科会-3
ランボーにおける陶酔の否定的力―窒息感について
「二重の眼」のもとに―ランボーを受容するヴェルレーヌ
木下
倉方
伴江
健作
多くの研究者たちがランボーの作品における表現、人生に関
ポール・ヴェルレーヌとアルチュール・ランボー。彼らが一
して、その分裂した性質を指摘してきた。彼の陶酔の表現にお
時期持ちえた密接で濃密な関係は、人間的なドラマとしての側
いてさえも、二つの相反的力、すなわち陶酔を亢進させる力と
面は広く知られながらも、そこでの文学的交感の内実はいまだ
それを妨げる力の存在が指摘されている。ここでは、この相反
明らかにされていない。1871 年の邂逅に始まり、翌年からの1
的力の一方、否定的な力に注目し、それがどのように表され、
年間、社会から隔離された場所で共同生活を送ることにより、
何に起因しているのかを問う。
『見者の手紙』に見出される詩人
彼らは互いになにを得たのだろうか。その成立時期から『歌詞
の理想像、死の次元に位置づけられた他者としての詩人が示す
のない恋歌』がまさにこの期間の成果であると断言できるヴェ
ように、極限の陶酔(extase)とは詩の経験に他ならない。
まず、作品において、この否定的な力が多く陶酔する者に窒
ルレーヌと異なり、ランボーにおいては対象とすべきコーパス
息感として感じられていること、また、この症状が時として窒
と『地獄の一季節』、
『イリュミナシオン』とは、時間軸上での、
息感を惹起する閉塞空間の表現と関連しながら示されているこ
また詩法上での関連性が自明のものではなく、したがって両詩
とを指摘する。例えば、
「俗な夜風景」では、陶酔の始まりに閉
人の詩的交感を論じるためには、いくつかの仮説の構築と承認
塞空間の亀裂の表現があり、陶酔の終わりに閉塞空間の表現が
が前段階として要求される。資料の不足にも起因する手続きの
あるが、ここで窒息感は後者を用意するものとしてある。
また、
こうした煩雑さが、問題を実質的にほぼ手付かずのまま残して
『地獄の一季節』においても、陶酔を妨げるものとしての窒息
きた観がある。
の特定が容易ではない。ランボーによる一連の「後期韻文詩」
本発表は、この関係性の片側、ヴェルレーヌの詩法が被った
感がある。
陶酔の否定的力は何に起因しているのであろうか。自伝的要
ランボーの影響を中心に扱い、
『呪われた詩人たち』をはじめと
素の強い作品、
「孤児たちのお年玉」には保護的存在の母の不在
する回顧的ランボー観にも目を配りながら、この時期のヴェル
と隙間の多い家の表現があり、
「七歳の詩人たち」には過度の保
レーヌの詩法を、ランボー受容の観点から論ずる。
『歌詞のない
護的性格、すなわち支配的性格の母の表現と窒息感を誘発する
恋歌』の冒頭のセクション「忘れられた小曲」の命名の経緯に
閉塞した家の表現がある。両作品に見出される母の保護の程度
はランボーの姿があり、両者の関係が破綻したあとにも、ヴェ
と家の閉塞の程度の相関性は、窒息感の原因を詩人の母ヴィタ
ルレーヌは巻頭にランボーへの献辞を置くことに固執していた。
リーの性格に見出すことを正当化するであろう。さらに、
『地獄
こうした事実は、
『歌詞のない恋歌』の成立から上梓に至る全過
の一季節』の「狂処女」では、他者への愛、自己が自己性の外
程にランボーの影響があったことを端的に示しているが、その
部に投げ出されるエクスタシー的な愛の不可能性の表現がある
影響の程度となると、研究者間において意見の一致を見ていな
が、それは狂処女の視覚の働きによって知覚される彼女の恋愛
い。ヴェルレーヌが試みた「非人称的詩法」の果実である『歌
の相手、
「地獄の夫」のイマージュと彼の内実との間に生じるズ
詞のない恋歌』の全てを、いわゆる「見者の手紙」に見られる
レによって示される。また、それは「狂処女」が「地獄の夫」
ランボーの概念に啓発されたものとするガエタン・ピコンの主
の存在内部に閉塞されるといった排他的閉塞空間の表現によっ
張はやや極端な例とはいえ、
『歌詞のない恋歌』に 1871 年時点
ても示される。恋愛におけるこのようなイマージュ優位の関係
でのランボーの詩法の反響を聞こうという試み自体はおそらく
とは、現実における母子関係に端を発するものであるだろう。
妥当である。しかし、ランボーとの比較対照を、いくつかの手
これらのことを考慮に入れると、窒息感や閉塞の表現を通じて
頃なキーフレーズを出発点に行おうとするならば、つまり定義
作品の中で作用する、陶酔を妨げる力はランボーの母、ヴィタ
も曖昧なままに「『私』とは他者である」、
「客観的なポエジー」
リーに起因すると考え得る。
といった表現を即座にヴェルレーヌに見出そうとする行為は、
ランボーの陶酔の表現において、否定的力を見出さないもの
やはり拙速の謗りを免れない。そこでは付随する文章からでは
はない。このようにランボーが陶酔における否定的力を抹消す
なく、個々の詩篇から特徴と概念とを抽出する読解が要求され
ることがなかった理由とは、
ランボーの母に対する執着である。
る。
「後期韻文詩」の制作時期は『歌詞のない恋歌』の執筆と並
行しているが、ともに共同の放浪生活が開始された 1872 年 7
(北海道大学大学院博士後期課程)
月 7 日を跨いでおり、また『歌詞のない恋歌』の後半部にはラ
ンボーの影響が必ずしも色濃いとは言えず、両者の関係が密接
で排他的なものになることと、詩的交感が深まることとは同義
ではない。このように、詩集や詩群もまた、その間に複数の段
階を置く「詩篇の集合」として捉えなおす必要があるだろう。
(東京大学大学院博士課程)
5
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 5 分科会-1
第 5 分科会-2
中心の虚無に立ちもどる―マラルメの「カトリシスム」をめ
詩と不毛性―マラルメ、ユゴー、ボードレール
ぐって
中畑
寛之
原
大地
マラルメのテクストのうちに、
同時代の紋切り型のひとつ「未
マラルメが詩作を始めるのは 1850 年代終わり、まだロマン
来の宗教」を指し示すようなさまざまな言説を、あるいは宗教
主義的風土に文学が浸っていた時期である。その後ボードレー
性を見出すことは難しくない。また、それらの諸要素を組み合
ルそしてポーを知り、バンヴィルを知り、数年の精神的苦難を
わせ、
「マラルメの宗教」を造りあげることも可能であろう。周
ごく若いうちに経験した詩人は、コミューンの争乱が終わった
知のとおり、それを記念碑的に成し遂げたのがベルトラン・マ
後のパリに居を定め、一見緩やかな文学生活を送って 20 世紀の
ルシャルであった。彼以前にもその仕事を企てた者はいたし、
到来を見ずに死を迎える。この半世紀間のフランス詩あるいは
今後も誰かがあらためて試みるにちがいない。しかしその際、
文化・社会情勢一般の推移をマラルメはどう理解し、自身の詩
1867 年に起こるいわゆる「神」殺しにより決定的に信仰を失っ
作にどう反映させるか。また、マラルメの詩業はどのように文
た詩人は、宗教を、演劇や展覧会などと同じひとつの社会的機
学をはじめとする諸芸術に影響し、文化的コンテクストを構成
能、つまり共同体を組織し維持する幻想の装置として考えてい
してゆくのか。この連関を描き出すこと、しかし、単純な年代
た点を忘れてはならない。大革命後の < 世紀 > は終わり、と
順の叙述ではなく、白鳥をテーマにした有名なソネに要約され
はいえ次の < 世紀 > はまだ到来してないと感じられた 1890
ているような錯綜した時間感覚を基底にもつマラルメ詩を裏切
年代、すなわち空位の時代のさなかに、マラルメは、< 宗教 >
らないような形式で描き出すこと。このような構想の成否の鍵
というものが社会において果たし得る役割とそのシステム、お
よび詩人との関係をきわめて具体的なところから考察するよう
は、マラルメが危機 crise という言葉で表した認識の理解にある
だろう。生の持続に危機という瞬間がいかに現出しうるのか明
になる。
『ディヴァガシオン』(1897) の「聖務・典礼」Offices と
らかにする、と、これはあまりに遠大な問題設定とも言えよう
いうセクションに纏められた 3 つのテクストがとりわけ明確に、
が、少なくともその地歩を得ようというのが、本発表の意図す
しかし多面的にそのことを証言している。
るところである。
瀕死のカトリック教にとり憑かれた 19 世紀末の作家たちに
対し、マラルメが批判的であったことをまず確認しておこう。
具体的には、詩篇『花』の冒頭から出発したいと思う。
既成の宗教への「回心」は、むき出しになった物ごとの本質(例
この行と極めて似た一行がユゴーの『諸世紀の伝説』中「女の
えば、神の不在=虚無)をふたたび覆い隠すことでしかなく、
祝典 Le Sacre de la femme」と題された詩に含まれている。
Des avalanches d’or du vieil azur, [...]
なによりも批判能力の欠如を表していた。
また、
詩人にとって、
Des avalanches d’or s’écroulaient dans l’azur ;
地上の住処である < 共和国 > を根拠づけるものは、もはや
「神」を制度化した宗教ではなく、人間の偉大さを示しえる唯
プレイヤード旧版で、アンリ・モンドールはこの類似を指摘し
一の手段、すなわち言語でなければならなかった。それゆえ、
るのは、単なる不注意なのか、それともユゴー軽視を徴候的に
議論と非難を巻き起こすと同時に、多くの読者を獲得し、さら
表しているというべきか。)
ている。
(そこでモンドールがユゴーの詩行を誤って引用してい
には彼らを改宗させもした『出発』というフランスの小説家か
同様の指摘は、チボーデ、ヌーレ、サルトル等、さまざまな
らの「挑戦」に、マラルメは即座に応じる必要があったのであ
批評家によって繰り返し、そしておそらくはそれぞれ独立して
る。
なされてきた。モンドールは、アンドレ・フォンテナスが 1922
したがって、
『ルヴュ・ブランシュ』誌 1895 年 4 月 1 日号に
年に『メルキュール・ド・フランス』に発表した「マラルメと
発表された「ある主題による変奏」の第 3 回「カトリシスム」
ヴィクトル・ユゴー」という評論を典拠として挙げている。こ
は、ユイスマンスのベスト・セラーへの批評として読まれるべ
の評論を読み、マラルメの詩とユゴーの詩を比較検討すること
きである。クローデルからの反応を除けばほとんど不発に終わ
から始めて、二人の詩人を分かつ点、さらにはロマン主義的詩
った詩人の応答はまた、カトリック教の「墓」を掘る作業でも
と後代の詩の分水嶺を、fécondité – stérilité という概念対を軸に
あっただろう。
「カトリシスム」は『出発』から多くのイマージ
探り当てたい。その際、19 世紀フランス詩に不毛性のイメージ
ュを借りているが、そのなかでも「食べる」ことに関わるユイ
を持ち込んだという点で当然無視することができないボードレ
スマンス的象徴をマラルメがいかに利用し、そこから自らの夢
ールのケースもできる限り視野に入れつつ論じたい。
想をどのように紡ぎだしていくのかを考察したい。
(日本学術振興会特別研究員)
本発表は、まだ廃れてはいないがすでに 20 年の歳月を経よう
としているマルシャルの壮大な建造物の礎石のひとつを読み直
し、置き換えることで、そこに小さな空間を開き、べつの視座
を手に入れることを目指している。
(神戸大学非常勤講師)
6
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 5 分科会-3
第 6 分科会-1
「共同性」への誘い、あるいは「行動」としての批評―マラ
ゾラの『作品』と 1868 年のサロン
ルメの「演劇に関する覚書」について
坂巻
寺田
康司
寅彦
1886 年 11 月から翌 87 年 7 月にかけ、詩人ステファヌ・マラ
1886 年に出版されたエミール・ゾラの『作品』はモデル小説
ルメが雑誌『独立評論』において、
「演劇に関する覚書」と題す
として知られ、マネやセザンヌのような画家達の世界を描いた
る批評を 9 回にわたって連載したことはすでに知られている。
ものとして広く知られている。実在の画家達と小説の登場人物
この批評が彼の舞台芸術批評を基礎付けるものであったばかり
との関係がとりざたされ、歴史的な出来事が小説内に見えかく
でなく、晩年の彼の美学的主張の骨子になったということはほ
れする。たとえば第五章に描かれた落選者展はゾラが草稿や手
ぼ間違いない。
この発表ではこのテクストのひとつの側面―「共
紙で述べている通り 1863 年の落選者展のことであり、主人公ク
同性」への誘い―についての考察を行いたい。
ロードの出品作品である『外光』はこの落選者展にマネが出品
1860 年代に詩を書き始めた頃のマラルメは、
「読者」あるい
してスキャンダルとなった『草上の昼食』との比較で論じられ
は「他者」というものを本格的に念頭に置くということはなく、
彼は常に孤独の中で詩作を続けていたといえる。そのような彼
る。また 1874 年の第一回印象派展と重ねて論じられることも多
い。
の考えを根本から変革することになったのが、1871 年のパリへ
『マネ論』に代表されるいわゆる印象派画家を擁護する美術
の転居であった。大都市に蠢く群衆の姿を目の当たりにしたマ
批評をゾラは多く書いており、これらサロン評と小説との関連
ラルメは、自身の創作に対する戦略を根底から変えなければな
を探る試みは数多いが、興味深い事に『ゾラの肖像』が出品さ
らないことを痛感し、以後、様々な形でジャーナリズムと関わ
ることになる。マラルメが『独立評論』からの依頼で「演劇に
れたことでゾラ自身にとっても馴染みの深い 1868 年のサロン
展と小説『作品』との関連はおよそ注視されることがない。ゾ
関する覚書」の連載を開始するのはまさにそのような様々な試
ラがモデルとしてポーズをとった体験がこの年のゾラ自身のサ
みが軌道に乗ってきた時期にあたる。
ロン評に語られているが、このエピソードが小説『作品』の第
二章と比べられて考察されるぐらいのものである。
この「演劇に関する覚書」の連載において、マラルメは彼固
有の美学を開陳しようとする一方、様々な仕方で読者への「呼
びかけ」を行っている。あたかもマラルメは、テクストの表現
本発表ではこの 1868 年のサロン展に焦点を当ててマネをは
じめとする新しい画風を標榜した若い画家達と彼等を擁護した
を可能な限り洗練することにより、「読者」に対して「共同性」
ゾラがどのようにサロン評で取り上げられたかを考察し、小説
への誘いを行っているかのように思える。このように、「読者」
『作品』と比較したい。そのためにまずこの 1868 年のサロン展
あるいは「他者」に対し、自らの美学的企てへの参加を強く求
がゾラにとっていかに特別なものであったかを当時のサロン評
めようとするマラルメの言葉のあり方は、孤独に詩作を続けて
いた 60 年代のそれとは大きく異なっているといえるだろう。
から考察していく。
この 1868 年のサロン展は審査委員の選挙方
式が改革されたサロン史上でも重要なものであったが、この選
このようなマラルメの試みは、その後の彼の批評のあり方を
挙改革に思わぬ形でゾラの名が挙げられたり、また作品を出品
決定付けているといえる。批評の中で「他者」との「共同性」
した画家達以上にゾラ自身が多くのサロン評の中で取り上げら
を模索するという姿勢。
それはマラルメにとって、
「批評を書く」
れたりしている。とりわけ『シャリバリ』紙上でゾラは 11 回に
ということをひとつの「行動」へと昇華させる、重要な態度変
わたるサロン評にほぼ毎回登場し、極めて痛烈に揶揄されるこ
更であった。この発表では、
「演劇に関する覚書」という舞台芸
ととなった。1868 年のサロンにおいてゾラは新しい芸術の動き
術批評において現れるマラルメの「共同性」への誘いが、マラ
とアカデミズムの衝突の渦中にいたばかりか画家達以上に大き
ルメの思索において「批評」という「行動」をいかに基礎付け
な嘲笑の対象となったのである。
ることになるのかという点について若干の考察を試みる。
次にこの 1868 年のサロン評に見られたマネやゾラたちの取
り上げられ方と『作品』との比較を行いたい。このサロン評に
見られる『ゾラの肖像』への不満、あるいは好意的な意見など
(大阪産業大学非常勤講師)
を通して第五章に描かれた『外光』の描写を考察し、またこの
サロンを舞台に戦った画家達やゾラがどのように扱われたかを
『作品』に描かれた描写に比べる。
ゾラの草稿に書かれている
「伝統をゆさぶる私達のいらだち」
が描かれた小説『作品』を、ゾラにとって深い関連があったに
もかかわらず今まで取り上げられる機会の少なかった 1868 年
のサロン展から光を当てるのが本発表の目的である。
(Lycée International de Saint-Germain-en Laye 教員)
7
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 6 分科会-2
第 6 分科会-3
ヴィリエ・ド・リラダンにおける父権と文学―「クレール・
政治的カオスから新しい秩序へ―世紀転換期の小説におけ
ルノワール」、「予兆」、『反抗』、『アクセル』をめぐって
るパナマ事件
木元
豊
田中
琢三
ヴィリエ・ド・リラダンは女性蔑視的傾向を指摘されること
1892 年から 93 年にかけてフランス政界を揺るがしたパナマ
が多い作家である。しかし、彼には、自分の夢のために、夫の
事件は、閣僚や多数の国会議員を巻き込む大規模な贈収賄事件
みならず幼い子供までも捨てて、家を出ようとする女性を主人
であり、その前後に起きたブーランジェ事件やドレフュス事件
公とした戯曲『反抗』
(1870)のような作品もある。この作品に
おいて、作者は明らかに女性登場人物を擁護する立場を取って
とともに、
第三共和政の体制そのものを脅かす出来事であった。
いる。ヴィリエが女性蔑視的な作家であるとすると、このよう
事件は、19 世紀末そして 20 世紀初頭に書かれたいくつかのイ
な作品の存在はどのように理解できるのだろうか。
デオロギー小説の題材にもなっている。例えば、モーリス・バ
議会政治への不信感や反ユダヤ主義の高まりを生んだこの疑獄
『反抗』における妻と夫の対立は、理想主義と物質主義の対
レスの『彼らの顔』
(1902 年)は、パナマ事件当時、国会議員
立といった純粋にイデオロギー的な対立として解釈されること
だった自身の体験をもとに、事件の一部始終を内側から描いた
が多いが、戯曲の表題の意味を重視すれば、まずは夫の権威に
政治小説である。本発表では、このバレスの作品を参照にしつ
対する妻の反抗と読まれるべきであろう。そして、夫の権威の
つ、パナマ事件を小説の題材のひとつとして取り入れたエミー
支えとして男性権力、父権というものを想定すると、興味深い
ル・ゾラの『パリ』
(1898 年)、ウジェーヌ・メルキオール・ド・
事実に気付く。すなわち、
『反抗』に相前後して、ヴィリエが構
ヴォギュエの『死者が話す』
(1899 年)という2つのイデオロ
想、執筆した作品の多くが、夫ないし父親的存在との葛藤を主
ギー小説を比較、検討することによって、パナマ事件がこれら
題としていることである。
の作品でどのように小説化され表象されているのか、そして、
不倫を犯した妻に対する夫の復讐と二人の結婚を取り持った
物語のなかで表明されるそれぞれの作家のイデオロギーとの関
トリビュラ・ボノメの暗躍を描いた「クレール・ルノワール」
、
係において、この事件がどのような意味を持っていたのか、と
旧知の神父に精神的庇護を求めながら、同時にその庇護の内に
いう問題を考察する。
死の刻印を読み取ってしまう登場人物が語る「予兆」、
前述の『反
パナマ事件のルポルタージュというノン・フィクション的な
抗』
、そして父親殺しのテーマが明白な戯曲『アクセル』は、こ
側面もあるバレスの作品と異なり、ゾラとヴォギュエの小説は、
の順に 1866 年から 1869 年の間に構想され、執筆されたと考え
あくまで事件をモデルにして創作されたフィクションである。
られている。これらの作品は、
互いに異質な側面を持ちながら、
しかし、それだけに、それぞれの作家のイデオロギー、つまり
父権的抑圧に対する抵抗という主題を共有しているのである。
ゾラの理想主義的な共和主義とヴォギュエの伝統主義的な保守
我々はここに 1860 年代のヴィリエと彼の家族との葛藤が反映
しているのではないかと考える。
主義が、物語自体のなかに、より自由に反映されている。ゾラ
1860 年代、20 代だったヴィリエと家族との関係は平穏なもの
マ事件を契機に議会制民主主義に対する失望感を抱き、小説を
もヴォギュエも、バレスそして多くの同時代人と同様に、パナ
ではなかった。当時のヴィリエ家では、ヴィリエの母の叔母で
通して政界の陰謀と汚職、議会の混乱と不毛性を告発している。
あり、養母となった「ケリヌーおばさん」と呼ばれる人物が実
しかし、重要なことは、このような政治的カオスによる国家の
質的な家長であった。ヴィリエ家の生活は彼女の財産に支えら
れていたのである。
彼女は唯一の孫であるヴィリエを可愛がり、
デカダンスを乗り越える解決策として、2 人の作家がそれぞれ
のヴィジョンを提示していることである。両者とも秩序やエネ
彼の文学活動に経済的援助を惜しまなかったが、道徳的に厳格
ルギーを希求している点では共通しているが、ゾラが、科学あ
であった彼女は孫の生活を厳しく監視していた。彼女はヴィリ
るいはそれを保持する科学者が支配するユートピアを描いたの
エにとって必要不可欠な庇護者であると同時に、精神的自由ま
に対して、ヴォギュエは、アフリカのフランス植民地における
でも阻む家長であったと思われる。上述の作品はいくつかの事
軍隊の規律と力強さのなかにデカダンスを克服する希望を見出
件を経て、ヴィリエと家族との緊張関係がおそらくピークに達
した。
このような2人のヴィジョンの相違は、これらの小説が、
していた時期に構想、執筆された可能性が高い。この観点から
パナマ事件を扱いながらも、実は、その発表当時、まさに進展
読むと、上述の作品にはヴィリエと家族との葛藤の痕跡が多々
しつつあったドレフュス事件における「知識人」対「軍部」と
認められるように思われる。
いう対立の構図を映し出していることを示している。
注目すべきは、文学を愛する魂が女性登場人物によって表象
(日本学術振興会特別研究員)
されていることである。ヴィリエにとって文学への愛は、父権
的な抑圧に抗することでその存在を主張するのである。そうい
う意味において、ヴィリエの文学は根本的に抑圧者を必要とす
る。ヴィリエにおける女性蔑視はこの観点から再考してみる必
要があるだろう。
(同志社大学非常勤講師)
8
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 7 分科会-1
第 7 分科会-2
パリ空襲の表象(1914-1918)―プルーストと「戦争文化」
プルーストにおける「偶像崇拝」と「信じること」
鈴木
坂本
隆美
浩也
『失われた時を求めて』の中で、偶像崇拝批判が一つの重要
プルーストは第一次世界大戦をどのように作品に取り込んだ
なテーマであることは疑いを入れない。実際プルースト研究の
のか。ここでは「戦争文化」という問題系をめぐる文化史研究
中でも様々な視点からこのテーマは取り扱われてきた。例えば
の知見を参照しながら、
『見出された時』におけるパリ空襲の表
ラスキンやバルザックとの関連で、またはプルースト美学全体
象を分析する。同時代のトポス・紋切型を具体的に検証するこ
との関わりにおいて、様々な指摘がなされている。しかしなが
とにより、プルーストの独自性の一端を政治的社会的問題と文
ら『失われた時を求めて』の重要な概念の一つである「信じる
学実践の関係という観点から明らかにしてみたい。
こと」
(croyance)との関連でこの問題が取り扱われたことはな
かったように思われる。そこで、本発表ではこれら2つの概念
「戦争文化」という新概念は、国際紛争という非常事態にあ
の関わりについて分析する。
わせて形成された表象の総体と定義される。国民の心理的動員
(愛国的賛同)の基盤となる支配的な表象体系の存在を前提と
いくつかのラスキン論の中で、プルーストはラスキン批判を
したうえで、戦時社会の諸相をめぐる複数の言説が潜在的に競
展開し、その偶像崇拝的態度を指摘する。しかしそこでプルー
合しあう場の力学を考察することが重要な課題となる。
ストは
「信じる」
という心的契機にも着目し議論を進めている。
当時のフランス人作家が空襲下のパリ生活を非戦闘員の視点
ラスキンの翻訳をしていた時代からこれらの2つの概念は交錯
から描く場合、どのような選択が可能だったのか。大衆向けの
していたが、
『失われた時を求めて』においても事態は同様であ
愛国主義的なメロドラマ、反戦主義文学(ロマン・ロラン『ピ
る。偶像崇拝的態度は『失われた時を求めて』の様々な登場人
エールとリュス』)、幻想小説といったタイプの異なる複数のフ
物、スワン、シャルリュス、さらには主人公の中に組み込まれ
ィクション作品を比較検討すると、主な争点として、爆弾に対
るが、同時に「信じること」という概念も小説の中に組み込ま
する恐怖心、死傷者の存在、警戒体制下の欲望の現れ、飛行士
れる。
の役割、空襲のスペクタクル化というテーマが抽出できる。こ
とくに恋愛の描写においてこれらの2つの概念は交錯する。
うした共通の主題をめぐり、それぞれの作家は、登場人物の属
ここで問題となるのは、
『失われた時を求めて』において、偶像
性・心理・言動、語りの枠組み、物語の展開などの選択を行う
崇拝から「信じること」という概念に重点が移っていることで
ことで、爆撃に対する特定の反応やその帰結を強調し、何らか
ある。
「信じること」という契機は欲望や想像力とあいまって、
のイデオロギー的立場を表明していると見なせる。
一つのビジョンの核となる心的契機として考えられる。主人公
の恋愛はこの「信じること」という契機を中心に展開すること
プルーストは、主人公「私」に愛国的賛同の立場を体現させ
となる。
ているが、上記の主題を親独的な同性愛者の知性・感性と結び
つけることにより、敵と味方、加害者と被害者とを対立させる
プルーストにあって偶像崇拝とは芸術と現実の混同を意味す
二分法的な構図を問いに付す。シャルリュス男爵の言動を通じ
る。この限りで偶像崇拝は芸術家を創作活動から遠ざけるもの、
て、空襲の暴力は、銃後の市民が前線と団結して克服する試練
すなわち「失われた時」を生み出す一つの要因となっている。
でもなく、無辜の命を奪う不条理な戦争の象徴でもなく、倒錯
一方『見出された時』において主人公は、偶像崇拝に見られる
者の幻想的な享楽のためのプレテクストに還元される。男爵の
物質主義を批判し、
独自のイデアリズムを着想することになる。
放言を爆弾投下になぞらえる比喩は、爆撃する側と爆撃される
ここで「信じること」という概念が抽出される。作家となった
側の立場が反転可能であることを示唆する。
主人公は、偶像崇拝を脱し、この「信じる」という契機に対す
もうひとりの同性愛者である将校サン=ルーが、パリ上空の
る視線を獲得し、作品創造に取り組むこととなる。すなわち「信
戦闘を賛美し、飛行士をワルキューレに、空襲警報を「騎行」
じること」という精神的契機に目を向けることは「見出された
の音楽に喩える会話は有名である。空襲を美的スペクタクルと
時」の一つの特性になっている。このように偶像崇拝から信じ
見なすこと自体はありふれていたが、当時の言説における類似
ることへの重点の移動は、文学の物質主義からイデアリスム、
した比喩の使用例と対照すると、排外主義のレトリックに見ら
「失われた時」から「見出された時」への移行に対応している。
れる「ドイツ文化=ワーグナー音楽=機械音=破壊兵器(飛行
しかしながら、
「信じること」という概念は純粋に思弁的な概
船、大砲)」という観念連合が遊戯的に転用されていることが判
念とは程遠い。
「生きられた時間」を描くために知性的論証を嫌
る。さらにプルーストは、戦前からこの連想につらなる同性愛
ったプルーストは、この「信じること」という概念を様々な比
という要素を、フランス人飛行士の表象に暗示的に組み込んで
喩を用いて通常の概念とは異質なものに仕立て上げていく。と
いる。
くに大気のイメージが特権的にこの「信じること」という契機
同時代の表象体系を両義的に組み替え、支配的な価値観を相
に結び付けられている。偶像崇拝が知性的な論証に留まってい
対化すること。プルーストは文化的動員に対し、比喩、アイロ
るのに対し、
「信じること」という概念はより知性的な分析の枠
ニー、ユーモアによって抵抗する可能性を示したと言える。
に収まらないプルースト特有の概念となっている。
(東京大学大学院博士後期課程)
(日本学術振興会特別研究員)
9
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 8 分科会-2
第 8 分科会-1
唯心論(スピリチュアリスム)と交霊術(スピリティスム)
―ベルクソン哲学における催眠・テレパシー・心霊研究
シモーヌ・ヴェイユの思想における悪の概念について
藤田
辻村
尚志
暁子
ベルクソンが心霊現象に興味をもっていたことはよく知ら
れている。27歳であった1886年には、自ら催眠に関する研究を
行ない、「催眠状態における無意識的刺激について」と題する
小文を『哲学雑誌』に寄稿しているし、54歳の1913年には、ロ
ンドンの心霊研究協会の会長職を引き受けた際に、「生きてい
る人のまぼろしと心霊研究」と題して講演を行なっている(後
に、論文・講演集『精神のエネルギー』に収録)。著作にもし
ばしば顔をのぞかせているこの心霊現象への関心を、私たちは
どう捉えるべきであろうか。ベルクソンはオカルティズム信奉
者であり、彼の哲学も結局のところ悪しき非合理主義・神秘主
義であったのか。一時の気の迷いとして、彼の思想の暗部・恥
部として、不問に付すべきか。それとも、この心霊現象への関
心にはむしろ、一般にベルクソン哲学の「非合理的」「神秘主
義的」とされる側面をよりよく理解するための糸口を見るべき
ではないのか。これが本発表の出発点となる問いである。
一口に心霊現象と言っても、その内容はむろん複雑多岐にわ
たる。ここでは、三つの点から、ベルクソンと心霊現象の関係
にアプローチしてみたい。
1)催眠暗示とベルクソンの記憶論。ベルクソンが催眠暗示
に言及する場合、それは必ずアナロジーやメタファーとしてで
あり、ここであらためてベルクソンにおける修辞学の言説戦略
的な重要性が確認される。催眠暗示のなかでベルクソンの関心
を引くのは、一方ではリズムとの関係であり、他方では暗示行
為と暗示状態の区別である。前者は「差異の反復」を示し(機
械的かつ魅惑的なリズム、一回限りの出来事の記憶)、後者は
「反復の差異」を示す(暗示をかける行為と暗示にかかった催
眠状態、感覚の記憶と感覚そのものの区別)という形で、いず
れも、記憶の根本的な特徴を示している。
2)テレパシーとベルクソンの知覚論。ベルクソンはテレパ
シーを、ある種の科学の研究対象として考察しており、ここで
あらためてベルクソン的な論理学の科学論的な重要性が確認さ
れる。遠くにいるはずの生者の幻影を「見る」という現象は、
ベルクソンにすれば彼の知覚論によって説明が可能である。そ
もそも生きるということが選択することであり、脳が「生に注
意を向けるための器官」であるとすれば、体験されていながら
通常絶対に意識にのぼってこない知覚は、異常知覚とみなされ
よう。人間が何千年も電気や磁気の存在を知らず、雷鳴や磁石
という奇妙な現象が神秘化されていたように、現在「心霊現象」
とされているものが、通常の生理学の枠を超えた知覚論によっ
て解明される可能性を、ベルクソンは示唆している。
3)心霊研究とベルクソン哲学の方法論。ベルクソン的なア
ナロジーやメタファーが、時間・記憶・生命といった、そのも
のとしては目に見えない現象を考察する際の哲学的な手法にま
で高められていたように、ここでは、ベルクソンの構想する科
学が、通常の自然科学の枠組みを超えようとするものであるこ
とを確認する。心霊科学は、歴史学者の方法論と予審判事の調
査手法の間に位置するものだ、とベルクソンは言う。実験室で
追試・検証できない史実や犯罪を調査するにあたって、重要な
役割を果たすのは、文書であれ、言葉であれ、人々の「証言」
である。しかも、心霊学における証言は、人々の一回的で特異
な経験に関わっている。ベルクソンの問題提起は、心霊学擁護
という枠を超えて、実は人文科学全般の基礎そのものに関わっ
ているのかもしれない。
(日本学術振興会特別研究員)
シモーヌ・ヴェイユの思索活動の底流には鋭い倫理的問題
意識が常に存在していたが、それは晩年に向かうにつれてより
明確化し、1940 年頃から思想は宗教的次元へと開けていった。
本発表は、悪の概念がヴェイユ思想の移行の重要なファクター
であり、かつまたその神秘主義的思想の質をも規定するという
立場にたつ。
悪についてのヴェイユの思索は、彼女自身の政治的思索と経
験に端を発し、後には、神と人間の関係、世界の創造という視
座のもとで濃密に展開される。30 年代の政治的思索の中で、ヴ
ェイユは人間の本質的悪を「目的と手段の不可避的転倒」にあ
るとし、ソビエト共産主義は歴史上繰り返されたこの人間の本
質的悪を国家規模で増幅させていると批判する。その後のスペ
イン内戦参加の経験から、ヴェイユは戦後にアーレントが主張
した「悪の陳腐さ」を先取りするように、悪がいかに易々と、
まるで「義務であるかのように」
「自然に」行われるかを考察し
ている。だが、悪を「必然」と捉えるこの考察は、虚無に対す
る人間の深い不安を見いだすまでにおし進められる。悪は、他
者を無名性に陥れ、身体を苛み、人間の「自我」を殺すことで
ある。この悪を他者に被らせることが快楽をうみ、
「ひどく酔わ
せる」ことで「虚無」への深い不安を打ち消すのである。人間
が非常にもろいものであり、外的な状況によって「どうにでも
変わってしまう」ことを確認し虚無を他者に押しつけ、自らの
虚無性に「復讐」するのである。この虚無性に身をさらさねば
ならないのは、悪を被る人間である。
ヴェイユの政治的経験は「現実との接触」という言葉で表現
されるが、あるがままの人間の生とは「許し難いもの」であり、
現実との接触とは、
「悪を通して神に触れる」経験であった。し
かし、その思想展開における宗教的次元への開けは、この世の
創造者である神をあらかじめ思考の前提とし、この世界につい
て知性が受け取る与件(悪)をその前提から意味づけるような
思考への転向でもないし、宗教的静謐の境地としての「救い」
に至るためのものでもない。ヴェイユの悪の概念は、ヴェイユ
がヨーロッパにおける全体主義の勃興という事態を通してニヒ
リズムの問題を真摯に受け止める中で善を超越の次元においた
こと、その中で世界の荒々しい無意味さを「悪を通して」不断
に問い続ける「空無の維持」を貫くことによって善の内在性を
も徹底させ、人間の「自由」の問い直しを行ったということに、
その独自性を見いだすことができるであろう。
(京都大学大学院博士後期課程)
10
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 9 分科会-1
第 9 分科会-2
詩人ボードレールという神話―ボードレール受容の諸相と
詩行と空白―ボードレールの韻文詩の変革を巡って
その意義
廣田
伊藤
大地
綾
詩人としてのボードレールの変容は、韻文詩から散文詩への
移行という観点を中心としてこれまでにも論じられてきたが、
無論実際にはボードレールという詩人の発展をそのような一面
的なものに還元してしまうことは難しい。韻文という形式に対
本発表は、これまで社会や政治に対する文学の自律的価値を
前提とした詩人の評伝および実証的作家研究の産出を通して構
築されてきた「ボードレール学」の前夜(1887 年の遺稿と未刊
してこの詩人が抱いていた考えが僅か数年の内に大きく変容し
ていることは、1857 年の『悪の花』初版に収録された初期詩篇
と、1861 年の第2 版での増補詩篇とを比較すれば明らかである。
書簡の出版から 1923 年のコナール版の出版に至る時期)
に立ち
戻ることによって、頽廃を予言し歴史に抗する詩人ボードレー
ルの「神話」がいかに成立したかを、主にフランスおよびドイ
本論では主に形式的な特徴に重点をおいて、その変貌を明らか
にしたい。
初期詩篇を特徴付けているものの一つに、
詩句の反復がある。
ツにおけるボードレール受容の諸相を通して明らかにするもの
である。
存命中、社会に積極的評価を与えられずに世を去った詩人の
「旅へのいざない」にみられるルフランから、
「夕べの諧調」で
のパントゥームを模した複雑な構造まで、初期詩篇では詩句の
反復のために多様な手法が用いられていたが、『悪の花』第 2
作品が、象徴派内の秘教的受容を超えてより広範で一般的な読
者を獲得したのは、1870 年代以降、普仏戦争、パリ・コミュー
ンを経て、啓蒙主義的普遍史の展望がその効力を失い、政治・
版での増補詩篇にこのような例は一篇も見られない。また、例
えば「音楽」の中で 12 音と 5 音という組み合わせで用いられた
異音節数の詩行の組み合わせも、増補詩篇には存在しない特徴
社会解放思想による個人の団結が自明なものでなくなった「頽
廃の時代」においてであり、具体的には、ブールジェ、バレス、
である。
増補詩篇では、このような詩句の連続性を補強する特徴の代
わりに、章分割という特徴が新たに現れる。長大な詩篇「旅」
ラフォルグ等によるフランスでの受容、および、ゲオルゲやニ
ーチェ等によるドイツにおける受容を通して、終末論的世界を
預言しそれと対峙する「詩人の形象 figure du poète」としてのボ
を初めに全5章で創作したボードレールは、後にこの詩篇の分
割を全8章へと増やし、
「小さな老婆たち」と「幽霊」を全4章
で、
「働く骸骨」、
「白鳥」、
「パリの夢」、
「秋の歌」を全2章の形
ードレールの存在が「神話」の位置にまで高められた。このよ
うな「詩人の形象」、すなわち政治・社会解放の言説によっては
もはや団結しえない「孤独な」個人の「独裁者」としての機能
式で発表する。さらには初版では章分割なしで発表していた
「猫」、
「取り返しのつかぬもの」、
「アベルとカイン」の3篇に
も章分割を加える。
をもつ詩人の姿は、のちにベンヤミンのボードレール論の核心
へと受け継がれ、総括をみる(アドルノによるベンヤミンのボ
ードレール論の注釈)。
ちなみに、この章分割の形式と、ソネというボードレールの
偏愛した詩形との関連も推測される。
『悪の花』初版・第2版に
おいてほとんど全てのソネがページを跨いで印刷され視覚的に
このような一連の経緯を踏まえつつ、ボードレール受容を通
して浮かび上がった「詩人の形象 figure du poète」の問題が、い
強調されていることからも、ボードレールはこの詩形の前後に
分かれた構造を重視しており、それが章分割へと姿を変えたの
ではなかろうか。
かなる意義―単なる社会的有用性とは異なった文学の社会的
機能―を有するのかを検討する。
このような章分割が生み出す効果を考察するならば、章分割
を軸として前後の章が対応を示す「鏡」の構造を指摘すること
もできよう。もしくは初期詩篇や、かつての自己に対する批評
(東京大学大学院博士後期課程)
的・批判的眼差しをここに認めることも不可能ではない。しか
しそれ以上に、章分割によって詩行の間にもたらされる「空白」
の効果を、ボードレールが詩篇の中に取り込もうとしたとする
のが妥当ではなかろうか。憂鬱と理想、過去と現在といった二
元論の中に自らを位置づけようとするその世界観において、自
己の中に存在する乖離。その一種の「深淵」を形式的にも詩篇
の中心に位置づけるため、ボードレールはこの章分割という詩
行の分断を導入したように思われる。
ボードレールの「空白」に対する試みは、残念ながらその生
涯においてこれ以上続けられることはなかったものの、マラル
メ、アポリネールを初めとする後の詩人たちによってさらに深
められており、このような韻文詩上の発展もまた、散文詩の試
みと同じく、ボードレールとその後のフランス詩を語る上で不
可欠な要素であろう。
(大阪大学大学院博士後期課程)
11
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 10 分科会-1
第 9 分科会-3
フローベールの『サラムボー』におけるオブジェの分析
『マルドロールの歌』における蛸の表象をめぐって
一條
大原
由紀
邦久
『マルドロールの歌』には粘液質の王国がある。それは粘液
近年のフローベール研究では、19 世紀の社会との比較、ある
質の生き物たちが蠢く場であり、また、そのような生き物へと
いは当時の様々な学説との照合から『サラムボー』を読み解く
メタモルフォーズする場でもある。バシュラールが「ロートレ
という手法が広く受け入れられているようである。例えば、ア
アモンの動物誌」としてまとめたように、そこには特に爪と吸
ンヌ・グリーンは衣装の分析を通じて、
カルタゴ市民と傭兵の間
盤を持つ動物たちが頻繁に登場する。爪の攻撃よりも性的だと
に存在する階級闘争を指摘しており、また、ジゼル・セザンジェ
指摘される吸盤そして触手は、包み込み、所有する意志をあら
はタニット神の神官長の苦悩に 19 世紀における信仰の危機が
わす器官である。吸いつきの欲望は、ヒル、蜘蛛そして蛸によ
投影されているとする。
しかし、フローベールが膨大な資料を基に失われた文明の
る吸血によって表象され、ヴァンピリスムのテーマを織りあげ
「復元」に努めたという事実を考慮に入れるなら、この小説が
ている。
蛸は 4 つのストロフに登場する。まず、第 1 の歌第 9 ストロ
描く世界を近代とのアナロジーから捉えるという手法を無批判
フでは、マルドロールが「絹のまなざしをもつ蛸」(1868 年の
に受け入れることは難しいといわざるを得ない。確かに、古代
ヴァージョンではダゼット)に呼びかけている。第 2 の歌第 8
カルタゴについて十分な知識を有していない一般読者が陥るだ
ストロフでは、蛸は「泳ぐ者たちや遭難者にたいする勝利を海
ろう罠、すなわちアナクロニックな読解を、フローベールは執
の波に語る」残忍な存在である。同第 15 ストロフでは、翼の生
えた天使の軍団としての蛸の群れが現れる一方で、マルドロー
筆段階で既に想定していた訳だが、そのことは現代の研究者が
ルが蛸に変身して創造主を吸血したことが語られる。最後に、
る。
彼等と同じ過ちを犯してよいということを意味しないからであ
第 3 の歌第 5 ストロフでは、創造主のおぞましい性質を示す比
本発表の主眼は、古代を舞台とした小説にどの程度まで近代
喩の 1 つとして「性格の弱さという蛸」という表現が用いられ
の要素が混入しているのかを明確に見極めることにある。そこ
ている。付け加えて言えば、
『ポエジーI』の、おぞましいもの
で、オブジェの描写や、それらが具体的な意味を持つ場である
を数え上げる長い段落でも、その例のひとつとして蛸が挙げら
社会空間や宗教儀礼に焦点を絞りながら、先の問いへの近接を
れている。
(「絹のまなざしをもつ蛸」は例外として)このよう
試みようと思う。
な不気味で凶暴な存在としての蛸のイメージが広まったのは、
(名古屋大学大学院博士後期課程)
実は、デュカスがまさしく『マルドロールの歌』を執筆してい
たころのことであり、正確に言えば、それはユゴーの功績であ
った。
カイヨワによれば、蛸は、ギリシャ・ラテン世界では、どち
らかと言えば危険性のない生き物だと考えられていたが、19 世
紀初めに博物誌をものしたドゥニ=モンフォールによって、凶
暴な生物としてのイメージを与えられた。ミシュレの『海』も
それをひきついでいるが、一般的に蛸がポピュラーになったの
は、ユゴーの『海に働く人々』
(1866)を契機としてである。フ
ランソワ=ヴィクトル・ユゴーは、はやくもこの小説出版の年
に、巷の蛸ブームを伝える手紙を父親に宛てて書いている。つ
まり、デュカスが『マルドロールの歌』を執筆していた当時、
蛸はアクチュアリテだったのだ。ユゴーの用いた語が pieuvre
であったのに対し、デュカスが用いた語は、より一般的であっ
た poulpe であるという違いはあるが(語源はどちらも「多くの
足」を意味する polypus)
、両者に共通する「400 の吸盤」とい
う表現から、ユゴーの小説は『マルドロールの歌』の蛸の発想
源であると、すでに指摘されている。だが、作品内での蛸の登
場がアクチュアリテの導入であったことは、あまり注目されて
いない。そこで、当時の蛸のイメージを参照しながら『マルド
ロールの歌』における蛸を考えてみたい。
(早稲田大学助手)
12
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 10 分科会-2
第 10 分科会-3
「不透明化」の詩学―フローベール小説におけるメタ言語
群衆と母胎―モーパッサン「メゾン・テリエ」をめぐって
寺本
弘子
長谷川
久礼満
フローベールの文学営為の中で、作中の登場人物の言葉であ
モーパッサンの「メゾン・テリエ」(1881)は、読者に複数
れ、起源を画定できない「ひと」
(on)の言説であれ、「他者の
の読みを許すテクストである。今回の発表では、
「群衆」のフィ
言葉」をいかに語りの中に取り入れつつ、それとの距離を保つ
ギュールのもつ曖昧性が、そのことに具体的なかたちで寄与し
かという問題は中心的地位を占めているように思われる。本発
ていることを明らかにしたい。
表は、他者の言葉を自分の言葉の中に囲い込む手法としてのギ
「メゾン・テリエ」の物語は、祝祭的な性格を帯びている。こ
ュメ記号の独特な用法の考察を通して、フローベールの小説『感
れは、
「価値の逆転」というテーマに因るものであろう。この物
情教育』における「不透明化」の詩学を解明しようとする試み
語のなかで、その価値が逆転するのは、娼婦/上流婦人、堕落
である。「不透明化」とは、言語学者ジャクリーヌ・オチエ=ル
した女性/信仰心の篤い女性、娼婦/客という二項対立である。
ヴュスが提唱した概念である。指向作用において言語記号が指
階級の固定化を指向するブルジョワ階級社会のなかで最下層に
向対象を明示する際に、言語記号それ自体は「透明」であると
とどまることを余儀なくされている娼婦が、旅行先の村で「上
捉えられ、他方、狭義のメタ言語において言語記号そのものが
流婦人」として扱われること。また、宗教的な見地からは、非
問題になるとき、言語記号は「不透明」になると見なし得るが、
道徳的な存在である娼婦が、初聖体拝領式を感動的なものにし
「不透明化」とはこの二つの現象の間にあって、言語記号が指
た篤い信仰心をもった聖女のような存在として扱われること。
向対象を明示しつつ、自らを共示すること、すなわち指向作用
このような「価値の逆転」が、娼館にはない自由を得て喜びに
の過程にあって言語記号が自らの存在を前景化する働きのこと
ひたる娼婦たちの陽気さをひきだして、物語に祝祭性を醸し出
である。日常会話でしばしば認められるこの現象は文学作品、
すわけだが、それは同時に、娼婦という存在を社会のなかで恒
殊に言語意識が先鋭なフローベールのような作家の作品にも顕
常的に抑圧すること、階級の固定化に腐心するブルジョワ階級
著に現れている。具体的には、
「不透明化」の様態は言語学的に
にたいする痛烈な批判となっていると言えるだろう。このよう
識別できる形式、すなわち、ある言表にそれを〈評釈するコメ
な「価値の逆転」というテーマのなかで、群衆(旅行先の村の
ントとなる言表〉
(glose méta-énonciative)が伴う形、当該の言
人々、初聖体拝領式の会衆)は、メゾン・テリエの娼婦たちを
表がイタリック記号で強調されていたり、ギュメ記号で囲まれ
「町から来た上流婦人」と思い込むことによって、その社会的
ていたりする形などを取って現れることが多い。ギュメ記号の
身分から彼女たちを、束の間ではあるが、解放するものという
使用に話を限定すると、話者が自らの言表の中でこの記号を使
役割を担わされている。
用することは、彼がギュメ記号に括られた言表を半ば引用する
しかし、群衆は曖昧なフィギュールである。というのも、群
かのようにして使用しているのであって、完全にはそれを自ら
衆は「価値の逆転」というテーマのなかで娼婦たちを解放する
に引き受けているのではないことを意味する。ギュメ記号で囲
役割を担っているのと同時に、それが「胎児の群れ」を象徴す
い込まれた言表はそれがはめ込まれている言語環境に異質なも
るものとして、彼女たちの「個」を「母子の未分化状態」へと
の、還元されぬものとして立ち現れ、その記号性を顕示する限
退行させる「母胎」の回帰を暗示する役割を担っているからで
りにおいて「不透明化」の様態に置かれているのである。本発
ある。
娼婦を聖性化した初聖体拝領式における参会者の昂揚は、
表ではフローベール『感情教育』において語り手が自らの言表
「個」が「集団の感情的融合状態」へと退行した出来事であり、
(つまりレシ)の中に他者の言葉を挿入することによって得ら
そこから、この場面は、金銭で買われる「商品」という交換価
れる効果がどのようなものであるのかを、当該箇所の作家の手
値を強制される娼婦たちが「自己同一性」を獲得することの絶
書き原稿におけるヴァージョンと、いわゆる決定稿におけるヴ
対的な不可能性を象徴的に表現しているものであるという別の
ァージョンとを比較することによって考えてみたい。このこと
読みが可能となるのである。
は最終的には、作家がある対象を価値中立的な辞書から真っ直
このように「メゾン・テリエ」の初聖体拝領式の場面は、群
ぐに出てきたかのような語によってではなく、登場人物の癖の
衆のフィギュールを軸にして、陽ともなるし、陰ともなる。そ
ついたような個人言語に属する言い回しや、万人に使用される
して、この場面の解釈次第で、物語全体の解釈も別のものとな
ことでクリーシェと化した語を用いて名指すことで、物語世界
るのである。「価値の逆転」と「母胎の回帰」というテーマが、
を構築する行為の中心に他者の言葉を介在させていることの意
あたかも音楽における対位法のように、重層的に重なり合って、
味を問うことにつながるだろう。
調和していること。このことが「メゾン・テリエ」という作品
に、豊かな深みを与えているように思われる。群衆のフィギュ
(大阪音楽大学非常勤講師)
ールの曖昧性は、
「メゾン・テリエ」というテクストの豊穣さを
見出す契機を与えるものとなっている。
(一橋大学大学院博士後期課程)
13
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 11 分科会-1
第 11 分科会-2
都市の再生―マラルメ『最新流行』における劇場型祝祭につ
詩人の葬儀でオルガンを奏したのは誰か―ヴェルレーヌと
いて
フォーレの交流
熊谷
謙介
西森
和広
本論は、
『最新流行』の「パリ歳時記」を演劇美学の観点から
ヴェルレーヌの晩年は一つの皮肉に覆われている。創作の面
だけではなく、都市文明論の見地から読み解く試みである。マ
では、生活の資を得るための大量生産ゆえに、総じて評価は、
ラルメのスペクタクルについての思考を追う上で、「歳時記」は
当時もそして今日も、高くない。他方、自らが与えた「呪われ
劇場を都市空間に開くことを宣言した最初のテクストとしてき
た詩人」という名が伝説となり、その人気が頂点に達したのも
わめて重要である。それにもかかわらず、「芝居鉛筆書き」と比
またこの時期なのである。この皮肉な相貌の内部に分け入るた
べ、現在まで分析されることは少なかった。この一見浮薄に見
めには、初期の作品集同様に均整美を求めて作品の質を問うと
える「歳時記」は、実際には 1870 年代というパリが大きく変容
いう姿勢に留保を設け、また詩人の伝説の醸成に寄与した多く
を被った時代の刻印を受けている。マラルメの祝祭という新し
の友人=読者の介在を精査することで伝説の実態を明らかにす
い側面を、同時代にゾラが記していた『演劇における自然主義』
る努力が必要だろう。今回はこの後者の視点から、作曲家ガブ
や 1878 年の万国博覧会評を参照しつつ明らかにしたい。
リエル・フォーレとの関係を採り上げる。それはヴェルレーヌ
1860 年代後半、マラルメは虚無を発見すると同時に、それで
詩への作曲が原典の名声を高めるのに寄与したという点、晩年
もなお人間が為し得ることがあるのか問いはじめる。1871 年に
の詩人を支えた読者の一つの典型を示しているという点で興味
パリに戻った詩人が見たものは、オスマン改造によって文化と
深いゆえである。本発表者はこの「読者の典型」という事に関
の有機的なつながりが失われた空間であり、普仏戦争とコミュ
してすでに別の機会に論じたことがある。これについても適宜
ーンの後に残された瓦礫の跡だった。
『最新流行』(1874)は様々
触れることになるが、ここでは、ヴェルレーヌ最後の謎、つま
な局面において具現化した虚無を、シミュラークル(服飾、家
り、彼の葬儀に際してオルガンを受け持ったのは誰か、という
具、劇場、建築…)によって隠そうとする人間の営みの観察記
謎に焦点を当てながら、詩人の死が生み出した伝説と事実に迫
であると言える。
「歳時記」においては、ゾラと同様、喜劇や軽
りたい。
音楽劇に支配的な慣習や「もっともらしさ」を暴き、アクロバ
プレイヤッド叢書『ヴェルレーヌ詩作全集』(ダンテック/ボ
ットや、虚構であることを率直に表す妖精劇を好む演劇批評家
レル編 1962 年版)の年譜欄最終頁、1896 年 1 月 10 日金曜日の
マラルメの像が見られる一方で、劇場を出発点として未来の祭
項には次の記載がある。
「サン・テチエンヌ・デュ・モンにてヴ
祀を思い描く人類学者マラルメが姿を現す。そこでは、夏に砂
ェルレーヌの葬儀、テオドール・デュブワとガブリエル・フォ
漠−廃墟と化したパリと、秋の演劇シーズンの始まりとともに
ーレが大オルガンに就く」。また普及する浩瀚なヴェルレーヌ伝
甦るパリという、「都市の死と再生」のテーマが繰り返される。
そして廃墟の上に遂に打ち建てられる「宮殿」として、1875 年
から、プチィフィス(1981 年)とビュイジヌ(1995 年)の著作
に同日の記録を尋ねると、共にやはり同じ二人の名を登場させ
初頭に開かれるオペラ・ガルニエが提示されるが、その柿落と
ている。論者はある推論から何故二人なのかという疑問を抱き、
しの演目に影をさすナショナリスムによって、その夢は失望に
次いで、フォーレ研究家ネクトゥー(1990 年)の著作に尋ねる。
終わるだろう。
ヴェルレーヌ作品との出会いをフォーレにとっての重大事とし
オペラ座に取ってかわるものとして、詩人は 1876 年から都市
全体を巻き込むような民衆的スペクタクルの開催を口にしはじ
て度々言及し、具体的な交流の実態に関しても多くの記述を割
める。そこにはメロドラマやバイロイトでの四部作上演の影響
ェルレーヌの葬儀でオルガンを担当する」
と記すのみである(デ
ばかりでなく、1878 年に開かれる万国博覧会への期待が込めら
ュブワには触れていない)。加えるに、これらの記述の典拠に関
れていた。敗戦からの復興を世界中に示すこととなるこの近代
して、いずれの著作も明確ではない。そこで、この葬儀に関す
の祝祭において、マラルメは探訪記事を書くばかりでなく、そ
る記述を様々な文献に求めると、実際、誰がオルガンを奏した
こに自らの祝祭のモデルを見ていたに違いない。詩人は終生、
のかは俄かに断定し難くなる。デュブワの名のみ挙げるもの、
何も無い空間と宮殿から構成される自らのユートピアについて
フォーレの名のみ挙げるもの、両名を記すもの、そしてもう一
言及し続けるだろう。
人、シャルル・ヴィドールの名を記すものまである。いずれも
きながら、この点に関しては年譜欄に一行、「(フォーレが)ヴ
「歳時記」を中心とした分析によって、マラルメにおける「劇
当時を代表する音楽家・オルガン奏者である。
場型祝祭」の根本にあるものを明らかにし、一見種々雑多に見
える 1870 年代の詩人のジャーナリスム活動に、
統一したヴィジ
実はモンドールが『ヴェルレーヌとマラルメの友情』
(1939
年)を書いた時、すでにこの混乱は認められていた。比較的最
ョンを与えること、また、それをスペクタクルと都市の関係を
近では『ヴェルレーヌの墓碑(追悼)
』
(1995 年)を編纂したド
考察する一例として提示すること、この二つが本論の目標であ
リヨンもこの問題を指摘している。論者はでき得る限りこの
る。
「謎」を究明すべく、各種の資料を提示し、分析と推論を行い
たい。
(東京大学大学院博士後期課程)
(琉球大学助教授)
14
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 12 分科会-1
帽子の代わりにターバンを!
第 13 分科会-1
―ロマン主義時代のオリエ
『人間の大地』における話法と視点戦略―スペイン人伍長と
ント旅行記に見る「変装」の役割の変遷について
畑
ギヨメの挿話を中心に
浩一郎
藤田
義孝
19 世紀前半に中近東諸国を訪れる西洋人は、しばしば好んで
『人間の大地』の一人称語り手「私」が他の人物のことを語
旅行中にヨーロッパ人の身なりを捨て、現地人の服装に身を包
るには、物語情報を正当化する手続きが必要である。この点に
んでいる。西洋のぴったりとした上着の代わりに、オリエント
ついて 2003 年関西支部大会の発表では、言葉による情報伝達、
風のゆったりとした衣装をまとった旅行者は、まるで別の人格
体験の共有、フィクション的語りという3つの場合を区別し検
に生まれ変わったかのような奇妙な感覚を覚えたであろう。現
討した。本発表では「言葉による情報伝達」に該当するスペイ
地人への「変装」のテーマはこうして、この時代のオリエント
ン人伍長とギヨメの挿話を取り上げ、語りの技巧をさらに詳し
旅行記に豊かな展開を見せている。しかしこうした服装を取り
く分析する。支部大会発表で明らかにしたとおり、これらの挿
換えるということの意義は、必ずしもこの時代、一定であった
話では打ち明け話が情報源となり、二人称を用いた間接話法を
わけではない。本発表では、おおよそシャトーブリアンからフ
通じて語り手の情報量が増えるため、
「私」が話を聞いて相手を
ロベールまでの時代を対象にして、有名無名さまざまなオリエ
理解する過程がいわば擬似的に再現されている。だが、話の説
ント旅行記に現れる「変装」の役割の変遷を考察していく。
得力を支える語りの技法はそれだけではない。
現地人への「変装」の第一の役割は、長らく安全面での配慮
スペイン人伍長の場合、打ち明け話の間接的パラフレーズに
にあった。オリエントでは西洋の服装は時として、現地人の敵
おいて、彼の住む場所はバルセロナの「どこか」とされる。こ
意をかき立てることになる。それは異教徒の存在を示す目印と
れは語り手が最初は多くを知らないことを示すと同時に、伍長
なるからである。中近東を訪れる西洋人がまだ少なかった時代、
を無名の存在として提示することで、一般性を志向する語りの
西洋の服装を身に付けた旅行者はそれゆえ、しばしば深刻な身
「抽出戦略」を支えている。また、語り手は伍長の心理的変化
の危険にさらされることもあった。こうした危険を避けるため
を一般化して語るが、その際の情報過剰は巧みに「自然化」さ
には、現地人の姿に身をやつすことは必須であったのである。
れ、断定における根拠の欠如が逆に考察を導く糸として活用さ
しかしオリエントにおける西洋人の安全は、この時代目覚ま
れる。認識力を強めた語り手は考察の範囲を他の事例へと拡げ
しく向上する。ヨーロッパからの旅行者は今や各地にあふれ、
ていき、知の力を最大化しようとする「包括戦略」に到ってい
ターバンではなく帽子をかぶった彼らの姿は、もはや稀にしか
る。
現地の人々を苛立たせない。ここで「変装」の役割は新たな段
ギヨメの挿話においては、遭難の状況説明の後、本題となる
階に入る。それは今後、立入禁止の場所へ潜入するための手管
証言に入る前に、
「私」はギヨメの身体各部を観察・描写してい
となっていくのである。実際、中近東の都市には、宗教施設、
る。情報を集約し洞察力を強めた「私」は、ギヨメの状態や、
奴隷市場、地元民の儀式など、外国人には近づくことさえ許さ
頭の中で起きていることさえ把握するに到る。視点戦略が「累
れていない場所が数多くある。こうした場所に潜り込むために、
積」から「包括」へ移行する中で、言葉より先にギヨメの身体
何人かの旅行者は服装を取り換え現地人になりすます。その例
が「私」に情報を与えるのだ。さらに、「私」はギヨメの言葉か
をここではネルヴァルの『東方紀行』を中心に見てみよう。
ら受動的に情報を受け取るのでなく、洞察と想像力によって証
ところでオリエントへの旅行客の増加は、必然的にその質の
言者の体験に肉薄しようとする。ギヨメが語り「私」が聞くこ
低下を招くことになる。これまで外交官や医者、軍人といった
とは、単なる情報の発信と受信ではなく、体験を生き直し分か
一握りの人間にのみ許されていたこの地への旅行は、今後広く
ち合うことなのである。そして、ギヨメが生還を断念しようと
一般の人々にとっても可能となってくる。こうして生まれたブ
する話の山場では、語り手「私」の声が1人称物語の制約を越
ルジョア階級出身の旅行者たちにとって、
オリエント人への「変
えてギヨメの内的な闘いを物語り、身体に対する精神の優位を
装」は手っ取り早く異国の雰囲気を楽しむための手段となる。
説こうとする。
「変装」の第三の役割の登場である。こうした異国趣味を満足
2つの挿話の詳細な分析から明らかになるのは、優れたスト
させる道具立てとしての「変装」はしかし、ただ無趣味なブル
ーリーテラーの技巧である。二人称を用いた間接話法や様々な
ジョアによってのみ実践されたわけではない。ある種の芸術家
視点戦略の活用など、論の説得力を支える技法だけではない。
たちもまた、現地人の衣装を身にまとうことに魅了される。そ
相手の言葉と身体に耳を傾け、相手を内面から理解しようとす
れは彼らに、西洋の疲弊した社会には無い、オリエントの生き
る「私」の聞き手としてのエートスや、親しい相手への問いか
生きとした詩情に触れさせてくれるのである。
けという形を取った問題設定など、自分がよく知る人物との親
このように「変装」の意義はこの時代、三つの段階を経て変
密な対話を通じて洞察を深め考察を進める「私」の語りが読み
遷しているが、それはまた角度を変えれば、オリエント旅行そ
手を引きつけるのだ。
『人間の大地』を優れたヒューマニズムの
のものの性格の変化をも示してはいないだろうか。
テクストと成しているのは、説かれる思想の内容以上に、むし
ろそうした「人間的」な語りであるといえるのではないだろう
(東洋大学非常勤講師)
か。
15
(大谷大学助手)
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 13 分科会-2
第 14 分科会-1
マルローの西欧─1920 年代の評論活動を中心に
レーモン・クノー『はまむぎ』の非現実(主義)的な郊外につ
いて
畑
昼間
亜弥子
賢
1920 年代のマルローの評論活動には、西洋/東洋論に関する
レーモン・クノーのデビュー作『はまむぎ』は、意外にも言
ものが多い。もっとも代表的なものは『西欧の誘惑』(1926)で
及されることの少ない作品である。とても重要な作品であり、
あるが、その他にも同時期に書評やエッセーなどを数多く残し
かつこれを「外部を持たない一編の詩」と評したクロード・シ
ている。長らく未開拓であったこの時代の評論活動が、近年盛
モネの古典的な研究書のために、専門研究者は敬遠せざるをえ
んに研究されるようになったが、いまだ思想研究の側面から、
ないのかもしれないが、両大戦間に書かれたある種の文学作品
考察の余地が残されているように思われる。またマルローの西
を「郊外」という視点から読み進めている発表者にとっては、
洋/東洋論に関するこれまでの研究においては、東洋の表象や
作品の主な舞台がパリ北郊を想起させ、かつ郊外生活に関する
役割の研究が多く、その対となっている西欧はあまり考察され
興味深い記述が数多く見つかるこの小説の読解は、避けては通
ていなかった。そこで本発表では、若き青年マルローの評論活
れない「難題」としてある。主な登場人物の一人エチエンヌと
動に西洋/東洋論という側面から光をあて、とりわけ彼が西欧
妻のアルベルト、そして息子のテオは、郊外の住宅地オボンヌ
をめぐってどのような思索を展開したかをあきらかにしたい。
に住んでいて、話は、銀行勤めのエチエンヌをル・グランが、
西欧観を検討する前にまず、西洋/東洋論をめぐるマルロー
事務所勤めのアルベルトをナルサンスが、帰宅する二人を別々
の見解に矛盾があることを確認する。
『西欧の誘惑』は中国人リ
に追跡することから始まる。彼らは「影」
「扁平な存在」などと
ンとフランス人 A.D.の往復書簡の体裁をとった東西文明論で
あるので、この作品を書いたこと自体「西洋」と「東洋」とを
記され、夫も妻も相手を「誰とか」と呼んでいる。他方、オボ
表象する意志があったことを示しているし、同時期にマルロー
そうな人々が出入りしている。そこに、それまで足を運んだこ
自身が書いた作品解説にもリンを東洋(極東)の象徴と述べて
とのなかったエチエンヌが突然フリットを食べに行ってから、
いる。しかし、
『西欧の誘惑』の冒頭の前書きには、リンに極東
話は本格的に展開する。
ある種の探偵小説のようなこの小説は、
の象徴を見ないようにというただし書きがあり、またポール・
最後まで普通の小説を読むように読んでも読めないことはない。
モラン『生きている仏陀』とカイザーリンク『ある哲学者の旅
にもかかわらず、小説の舞台や話の展開を現実主義的に読もう
日記』についての書評には、西洋人による東洋人表象への不信
とする試みがこれまでなかったのは、そうしても大したことに
が表明されているのである。この二種類の見解は明らかに対立
ならないからだろう。しかし、郊外という土地柄や郊外生活者
している。
の現実とは、平凡そのものである。「完璧な郊外人」
(ベルナー
ンヌの隣町ブラニーの安食堂には、クロシュ夫人など一癖あり
しかしながら、こうした矛盾をかかえつつ、マルローの西欧
ル・パンゴー)クノーは、パリ郊外のしみったれた情景を強烈
は構築されたのである。実際に考察された西欧について、まず
なヴィジョンで描き出したセリーヌとは違い、取るに足りない
西欧文明の基盤についての見解を分析する。マルローがシャル
出来事を茶化しずらしつつ組織してゆく。不安定かつ差異に乏
ル・モーラス『モンク嬢』(1923 版)に寄せた序文には、古代ギ
しいため従来のレアリスムが機能不全に陥りやすい空間=郊外
リシア・ローマ文化をフランス文化に結びつけるモーラスに賛
を描くには、レアリスムを超えるのではなく異化すること。未
辞を送っているが、こののちにモーラス陣営の批評家アンリ・
知との出会いは、二項対立的に実体化しないようにすること。
マシス『西欧の擁護』に寄せた書評においては、ローマ・カト
シュルレアリスムの後に小説を書こうとしたクノーが思案の末
リックへの回帰を訴えるマシスに異議を唱えている。これはマ
に見出した解決策を、ここでは「イレアリスム」と呼んでみた
ルローの右翼陣営への態度の変化を示しているが、ギリシア・
い。それは、現実の場・歴史の舞台としてのパリではなく、非
ローマ文化に対する見解の変化ではない。キリスト教はもはや
現実的で「大したことのない」(sans histoire)時空としての
西欧の精神的基盤となりえないという観点から、マシスの西欧
郊外で繰り広げられる小説においては、唯一現実的な書法だっ
再構築策を批判しているのである。
たのだ。
こうしてみると、クノーがパリ郊外の特性を巧みに利用して
最後にマルローの西欧観を、「夢想」
「個人主義」「近代世界」
というキーワードをもとに分析する。西欧人にとって、想像力
『はまむぎ』を書いたとして差し支えないばかりか、この小説
によって活性化される夢想の領域が重要であるという見解は、
は、パリ北郊以外には成立しなかったといっても過言ではない
『ヨーロッパのある青年層について』
(1927)というエッセ
ように思われる。郊外とは、そこに向けられたまなざしのこと
ーや『西欧の誘惑』でも述べられている。また個人主義の行方
でしかなく、現地には現地の、思いがけない起伏がある。発表
に関する見解は、
『西欧の誘惑』やマシス書評にもみられる。さ
に当たっては、この小説についてアメリカの研究者デレク・シ
らに近代世界を考察していたことは、このエッセーやマシス書
リングが試みた「ローカルな読解」を参照しつつ、郊外を小説
評にみられることである。
に書くことの文学的意味を明らかにしたい。
郊外固有の現実は、
裏返しに描く。
(早稲田大学非常勤講師)
(パリ第 3 大学博士課程)
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日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 14 分科会-2
第 15 分科会-1
抵抗の形象―ブランショとカミュ
『偉大なるソリボ』における自己表象の戦略―“パトリッ
ク・シャモワゾー”とは何者か?
西山
雄二
廣松
勲
『反抗的人間』
(1951 年)の発刊を受けてサルトル=カミュ論
フランスの海外県、マルティニック島出身の作家パトリッ
争が起こった後、1954 年にモーリス・ブランショは「地獄に関
ク・シャモワゾーの小説作品には、どの作品にも共通する特徴
する考察」を手始めに三篇のカミュ論を立て続けに発表する。
的な物語構造が存在する。つまり、物語内に、語り手且つ作中
ブランショは『シーシュポスの神話』、
『反抗的人間』
、『正義の
人物として“パトリック・シャモワゾー”を登場させることで、
人々』を読み解きながら、カミュの反抗概念からは距離をとり
物語が入れ子状となり、現実世界と虚構世界の境界が曖昧にな
つつも、間接的に彼の主張を擁護する。
っているのである。具体的に述べるなら、
「語り手・作中人物の
ブランショは『反抗的人間』の出発点を問題化し、「私は反
シャモワゾーが、主人公の語り部やその他の登場人物から話を
抗する、ゆえに私たちは存在する」というデカルト風の定式と
聞き書きし、それらを再構成して物語をまとめた」という物語
は異なる起点を問う。彼が執着するのは、主人を前にして反抗
構造が、ほぼ全ての作品に共通しているのである。人々の話し
するコギト的奴隷の立場ではなく、もはや〈私〉という一人称
た事柄を書き言葉で再構成するという点は、作者シャモワゾー
の基点を喪失した窮迫状態である。主人を前にした「私は反抗
が自らを「作家」ではなく、
「言葉の聞き書き役」と自称する由
する」という発話は、反抗の主体的能力があらかじめ確立され
縁でもある。
ている点で幸福な状態である。ブランショは、
〈私〉の権能が失
確かに、このような物語構造は、セルジュ・ドゥブロウスキ
われた、無名の不幸とでも言うべき状態に定位しつつ、しかも
ーやクリスティーヌ・アンゴに代表される 80 年代以降のフラン
この窮迫状態を救済することなく、この反抗の不可能性の次元
ス本国での文学的流行、
「自己言及的虚構 autofiction」という手
に即して反抗の限界点を問い直すのである。
法からの影響と言えるかも知れない。ここでいう自己言及的虚
ここで浮き彫りになるのは、歴史とニヒリズムの解釈の違い
構とは、様々な指標から虚構であると判断しうる物語内に、語
である。カミュは、革命において際限のないニヒリズムが歴史
り手且つ作中人物として作者と同名の人物が登場するような作
の中で勝利し、あらゆる存在の全的否定がなされるとし、諾と
品を指す。
否を同時に言う反抗を支持する。万人に共通する尊厳を肯定す
しかしながら、シャモワゾーの小説における自己の虚構化を、
る〈諾〉をともなう限りにおいて、反抗の〈否〉は創造的な価
単なる文学的流行への追随として解釈するのは短絡的に過ぎる。
値をもつとされる。これに反論するサルトルは、カミュの節度
なぜならば、クレオール文学運動の宣言書である『クレオール
ある反抗を道徳主義と揶揄し、歴史の有意味/無意味の如何に
性礼賛』や自伝的随筆『支配された国で書くこと』において展
関わらず、歴史の目的を知ることではなく、歴史に最良と思わ
開されたクレオール人としての「真正なる自己」の探求といっ
れる意味を人間が与えることが重要だと応答する。ブランショ
たテーマが、終始、彼の書くこと自体の意義と密接に係わって
はといえば、弁証法的な歴史の外部を目指し、歴史の運動には
いるからである。
還元されえない非始原的な領域を反抗の端初に据えようとする。
このように「書くこと」自体が大きな主題として現れ、自己
カミュはむしろニヒリズムに直面しない地点から反抗を考察し
の虚構化が戦略的に行われ始めたのは、小説『偉大なるソリボ』
ているのではないか、と彼は疑問を投げかける。
以降である。本作品の物語構造も、先のような自己言及的な特
ブランショは自殺に同意しないシーシュポスと合法的殺人を
徴を持っている。つまり、
「異論の余地なき言葉の名人」たる語
拒絶する反抗的人間を区別した上で、なぜ、後者にはシーシュ
り部ソリボの死をめぐって、刑事と語り手・作中人物シャモワ
ポスの不条理な状況が反映されていないのかと問う。
なぜなら、
ゾーのそれぞれが行った調査結果を、語り手シャモワゾーが再
無益な労働を際限なく繰り返すシーシュポスにとって、労働を
構成したという設定が成されているのである。さらに、作中人
成し遂げることの可能性と不可能性という二分法はもはや無効
物・語り手のシャモワゾーは、語り部ソリボの所へ、度々聞き
となってしまっており、この不条理の英雄はいわば〈私〉の権
書きに通っていたことから、ソリボ殺人事件の一容疑者として
能から切り離された状態を生き続けているからである。ブラン
聴取され、自らの書く意義を刑事に説明する羽目にもなる。
シ ョ は独 自の 仕方 で、 初期 カミ ュに みら れる 窮迫 状態
本発表では、1988 年刊の本作を分析対象に取り上げ、「作者
(dénument)
、シーシュポスの不条理をたどりながら、〈私〉な
シャモワゾーは、なぜ自らを小説作品に登場させる必要があっ
き抵抗という極限的な形象を見定めようとする。ブランショか
たのか?」、
「語り手・作中人部のシャモワゾーは、作品内でい
らすれば、抵抗をめぐるカミュの考察の重要性は、倫理的な結
かなる機能を備えているのか?」という点を論じていく。これ
論や哲学的な規定を導き出すのではなく、その文学的な形象を
らの問題を論ずる過程では、彼の特徴的な物語構造を明確化す
提示する点にあるのだ。
るだけでなく、思想的転機ともなった 1997 年刊の自伝的随筆
『支配された国で書くこと』以降の小説作品とも比較分析する
ことで、作者パトリック・シャモワゾーによる自己表象の戦略
(東京大学 COE 研究員)
を明確化していきたい。
17
(モントリオール大学博士課程)
日本フランス語フランス文学会2006年度秋季大会研究発表会
第 15 分科会-2
パトリック・モディアノ『ドラ・ブリュデール』―忘却に抗
するエクリチュール
小谷
奈津子
『ドラ・ブリュデール』(1997)は常軌を逸した作品、文学
の境界線を探求するような作品であると評価されている。この
作品のタイトルは占領期に実在したユダヤ人少女の名前であり、
モディアノ自身が 1941 年末に失踪したこの少女の足取りを現
在において再構成しようとする意図を作品の内外で表明してい
る。従って、
「伝記」というジャンルを割り当てたいところであ
るが、
作品に潜む虚構性と少女の不透明性がそれを拒んでいる。
また、その対象が 20 世紀の歴史的悲劇、ユダヤ人虐殺の犠牲者
であるために、直ちに『ドラ・ブリュデール』はショアー文学、
戦争文学の系列に配置される。しかし、終戦直後に生まれたモ
ディアノには当然のことながら戦争経験はなく、彼が作品の中
で強制収容所や虐殺を正面きって描くことはない。この作品は、
様々な歴史資料、ドラの名が記載されている無味乾燥な戸籍カ
ード、寄宿舎の登録簿や警察の調書、入手した数枚の写真、彼
女と同じような状況下にあった人々や作家自身の過去の経験な
どの断片的で雑多な部分から構成され、歴史に記載されること
のない匿名の少女の不在をひたすら色濃く印象付けている。戦
後生まれの世代を代表して、ジョルジュ・ペレックと同様、モ
ディアノは今までにない方法でこの 20 世紀の歴史を描いてい
ると言えるだろう。
モディアノの作品において、記憶は「有毒な記憶」と名づけ
られ、創作の原動力として特権的な位置を与えられている。
『ド
ラ・ブリュデール』において、この特徴的な記憶の潜在性を問
いながら、作家が空ろな少女の実体をどのように喚起させてい
るのかを主に考察してみたい。
コラージュ風にまとめられた数々の簡素なエクリチュール
には、多くの日付が付与され、それらは必ずしも年代順に配列
されていない。調査開始後も、空虚な存在であり続ける対象に
ついて、作家は驚くべき記憶力と洞察力で、目に見えない関係
性を求めて時間を飛び越えていく。その結果もたらされた複数
の交錯した時間層は、過去から現在・未来へと流れる時間、つ
まり歴史の時間の法則から作品を解放しているのではないか。
そこには過去の公文書を調べ上げるという緻密で合理的な調査
から、予知能力・想像力に頼る幻想的な調査へという飛躍もみ
られる。
また、この作品の起源となった尋ね人広告は縮小された家族
ドラマであり、ドラと彼女の両親は作家と父親へと置き換えら
れ、幾つかの共通の経験から作家は少女の主体性を担い始める。
このような滑り込みは、少女と作家の関係を成立させると、占
領期に彼女と似たような運命をたどった人々との相互浸透性を
次々と生み出していく。それはとりもなおさず、失われた過去
を再び活性化しようとするエクリチュールの試みではないだろ
うか。
(明治大学大学院博士後期課程)
18
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