満洲国演義7 雷の波濤

満洲国演義7 雷の波濤
年代
1940
時期
主人公
6月18日 次郎
身分
舞台
ブロードウェ
イ・マンショ
ン→亜州友誼
亜州友誼洋行公司嘱託
洋行公司→
キャセイ・ホ
テル
登場人物
パラス・ジャフル
(亜州友誼洋行公司
経営)
ジョセフ・フリーマ
ン(上海ウィーク
リー・ニュース)
ラムダス・シン(宝
飾品商人)
新橋・鰻割烹
野田家
河辺慎一(興亜院資
料室長)
7月下旬 次郎
ジェスフィー
亜州友誼洋行公司嘱託 ルド路76号→
訓練所→食堂
天城征成(上海特務
機関中尉)
プルシャ・ミアン
(インド娘子予備
隊)
1940
7月中旬 四郎
ハルビン駅→
松花飯店→定
満洲映画協会娯民映画 興街分署→大
制作部企画課脚本班
観園→松花飯
店→割烹・錦
水
田畑眞久(娯民映画
制作部企画課脚本
班)
譚路浄(松花飯店主
人)
譚永有(警察局定興
街分署警士)
落合章介(ハルビン
特務機関中佐)
堀場哲男(ハルビン
憲兵隊中尉)
1940
三郎
関東軍新京憲兵隊大尉 豊満ダム
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
梶谷夏彦(豊満ダム
建設技師)
御厨政之(特設憲兵
隊第4分隊少尉)
国務院外務局政務処長 政務処長室
香月信彦(同盟通信
社記者)
谷津是之(政務処主
任)
1940
1940
1940
7月5日
8月2日
太郎
太郎
国務院外務局政務処長
1940
8月上旬 次郎
インド娘子予備隊教官
上海・訓練所
→ブロード
ウェイ・マン
ション
天城征成(上海特務
機関中尉)
プルシャ・ミアン
(インド娘子予備
隊)
1940
8月中旬 四郎
満洲映画協会娯民映画 田昇→安拝開
制作部企画課脚本班
拓女塾
田畑眞久(娯民映画
制作部企画課脚本
班)
森本清子(安拝開拓
女塾副塾長)
自宅→珈琲・
燭光
熊谷誠六(新京軍官
学校教官)
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
9月中旬 次郎
キャセイ・ホ
テル→上海
ウィーク
リー・ニュー
インド娘子予備隊教官
ス社屋→ブ
ロードウェ
イ・マンショ
ン
ダニエル・ダグラス
(英租界工務部主
任)
リチャードグラント
(英租界工務部主
任)
プルシャ・ミアン
(インド娘子予備
隊)
三郎
陽泉駅→陽泉
関東軍新京憲兵隊大尉
駐屯地
新浜久男(独立混成
第4旅団少尉)
徳地良純(独立混成
第4旅団参謀少佐)
床波敬司(支那派遣
軍中尉)
長池虎男(捕虜)
1940
1940
1940
1940
8月
三郎
9月23日 太郎
関東軍新京憲兵隊大尉
国務院外務局政務処長 政務処長室
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
谷津是之(政務処主
任)
ストーリー
・次郎は亜州友誼洋行公司へ向かう パラス・
ジャフルに香港在住のシーク教徒ラムダス・シ
ンを紹介される
・回教徒連盟議長アリ・ジンナーはパキスタン
を建国すると宣言している。
・チャンドラ・ボースをドイツへ脱出させる
三国同盟により英国に宣戦布告することになる
日本軍の香港占領側面支援を頼まれる
・キャセイ・ホテルでジョセフ・フリーマンと
落ち合う 英国と仏国の情勢について ユダヤ
人を上海へ受け入れているサッスーン暗殺阻止
したい
・社会主義と国家社会主義は同じなのかについ
て
・リヒャルト・ゾルゲについて 英国制圧に失
敗すると独ソ戦になる ゾルゲの任務は独ソ戦
開始で関東軍どう動くか報告すること
・太郎は溥儀とともに事務折衝で帰日 河辺慎
一と鰻割烹で食事
・米内光政内閣は保たない 閑院宮典仁親王参
謀長から畑俊六陸相に辞任勧告 次期は近衛文
麿 大政翼賛会への一元化 軍部に利用される
だろう
・三国同盟は止められない 白洲次郎は英国が
反撃に転じると断言
・陸軍は援蒋ルート切断を口実に仏領インドシ
ナに進駐するだろう
・次郎はジェスフィールド路76号で天城征成と
会う 三国同盟と鳴門豪人について インド独
立連盟を鍛えあげてほしいとの依頼
・訓練所へ2人で向かう 訓練するのは天津か
ら集めた女性24人
・次郎は渋るも女性たちは独立に命をかける者
たちばかりと説得
・四郎は田畑眞久とハルビン傅家甸の淫売宿密
集地大観園を舞台にした映画脚本作成を依頼さ
れる
・ハルビンで逗留経験のある松花飯店へ 譚路
浄の甥・譚永有に大観園の案内をしてもらう
・譚永有の案内で大観園へ 全裸の腐乱死体と
死臭 阿片販売所 モルヒネ屋 栄養失調の淫
売 死姦
・落合章介から呼び出され割烹・錦水へ向かう
堀場哲男を紹介される
・大観園について 内地の政治状況とゾルゲに
ついて 田畑眞久と赤色ギャング事件について
・三郎は鹿取忠治と豊満ダムの崩落事故現場へ
テロではなく単なる事故 30名弱の苦力の死者
・梶谷夏彦が三国同盟でアメリカからウェス
ティングハウスの発電機が入らなくなる可能性
について指摘する
・御厨政之が七三一部隊の人体実験のための囚
人確保に来ていた
・香月信彦が太郎を訪ねる 重慶爆撃の問題に
ついて 国際世論が許さない 陸軍と海軍の方
針が統一されていない 航空部隊軽視
・近衛文麿と三国同盟の推進について 東條英
機松岡洋右吉田善吾の念書 武藤章軍務局長も
三国同盟の強力推進派
・谷津是之が三井商事ロンドン支店長及び支店
長代理逮捕を報告
・吉田善吾海相留任の理由 山本五十六海相誕
生阻止のため 三国同盟反対派で米内光政が暗
殺を恐れた
・鮎川義介がヒットラーと会見
・谷津是之が太郎に杉原千畝のビザ発給につい
て報告
・次郎はインド娘子予備隊に銃と車輌の取り扱
いを教えている
・天城征成とインドやビルマの独立運動につい
て
・プルシャ・ミアンと食事をしながら英語の勉
強 カースト制最下層のシュードラ出身 父は
盗賊集団ダコイト所属だったが掃討戦で殺され
た
歴史的事項
・ドイツの侵攻によりデンマーク、オランダ、
ノルウェイが立て続けに降伏。西部戦線攻撃開
始命令によりフランスの対独要塞線マジノ線を
突破した。イタリアのムッソリーニが英仏に宣
戦布告し、リビエラ地方やコルシカ島に侵攻。
・フランス軍はパリから撤退し、フランス政府
はボルドーに移転。レイノー内閣総辞職、後任
のペタン元帥は降伏声明。
・英国は対独宥和政策のチェンバレン内閣から
対独強硬派のチャーチル内閣へ。
シーク教徒
チャーチル首相
フランスの早期降伏
ド・ゴールの自由フランス
スメドレーとゾルゲ
・13種の使用禁止と生活必需品10品目の配給切
符制開始。
・大政翼賛会は昭和研究会によって研究され
た。メンバーは賀屋興宣、風見章、蝋山政道、
笠信太郎、三木清、尾崎秀実。矢次一夫の国策
研究会も関与。
・フランス政府はビシーに移動しビシー政府と
呼ばれる。英国はフランス艦隊がイギリス艦隊
を攻撃することを恐れ、アルジェリアのオラン
港でフランス艦隊を砲撃し航行不能にした。英
国と仏国は断交。
国家統制品目
近衛文麿の挙国政治新体制論
昭和研究会と国策研究会
白洲次郎
英仏断交
・第二次近衛文麿内閣閣僚名簿。陸相東條英
機、外相松岡洋右、商工大臣小林一三。企画院
総裁に満洲国国務院総務長官星野直樹。
・支那の夜の主題歌大ヒット。
大観園
・7月22日に第二次近衛文麿内閣誕生。
・近衛文麿が基本国策要綱を公表。大本営政府
連絡会議は世界情勢の推移に伴う時局処理要綱
を公表した。南進に舵を切る。
・重慶爆撃に使われた爆弾の量はゲルニカより
もはるかに多い。
・「贅沢は敵だ」という標語と贅沢監視隊。
・リトアニアのカナウスで杉原千畝領事代理が
ユダヤ難民への大量日本通過ビザ発給し始め
た。
英人検挙事件
・鈴木敬司大佐の要請で南機関というビルマ独
立支援機関を設置。ビルマ独立軍を結成させる
予定。代表はアウン・サン。
・四郎と田畑眞久は安拝開拓女塾へ映画撮影の
予備取材に向かった
・四郎を見つめる松尾千晶に気づく 田畑眞久
は調子に乗って溥儀の話を披露
・熊谷誠六が三郎宅を訪ねる 糖尿病の悪化で
新京軍官学校教官に転身 朴正煕について
・珈琲・燭光で間垣徳蔵と落ち合う 松岡洋右
の暴走について 三国同盟の時期について
・八路軍総指揮朱徳が全面抗日戦を展開する百
団大戦を決定した
・次郎はキャセイ・ホテルでジョセフ・フリー
マンを待っていたが2人の英租界工務部の人間
がやって来てジョセフ・フリーマンの死を伝え
る 現場へ向かう
・射殺現場にはピンクのハンカチが残されてい
た
・ブロードウェイ・マンションに戻ると寝台に
プルシャ・ミアンが来ていた 二人は男女の関
係になる
・三郎は陽泉駐屯地に向かう 新浜久男が出迎
え 百団大戦で猛攻を受けた
・徳地良純と八路軍との戦闘について話す 閻
錫山に離脱工作をしている
・床波敬司らが八路軍の兵士を捕獲した 長池
虎男は毛沢東に誰も異を唱えられない状況に疑
問を持ち投降した
・徳地良純は長池虎男をいきなり射殺
・床波敬司は無能な参謀が情報の重要性を理解
していないことに怒りを表す
・間垣徳蔵が太郎を訪ねる リッベントロップ
外相は日ソ間の緊張緩和の斡旋を持ちだした
松岡洋右はそれに乗る
・事変方途という文書について 松岡洋右か白
鳥敏夫の作
・海軍が三国同盟に賛成に回ったのは石油備蓄
の提供を迫られるから 陸軍と海軍のいがみ合
い
・松岡洋右は三国同盟がアメリカへの抑止力に
なるという思い込みの論を陸軍と海軍は前提と
している
・ルーズベルト大統領は需要創出のために戦争
を欲している
・谷津是之が陸海軍部隊の北部仏領インドシナ
への進駐を報告 間垣徳蔵はタイは日本にすが
りつき日本は傀儡化を図ると予測
・北部仏印への進駐は蘭領東インドの石油のた
めの南進論 フィリピンやビルマも抑える必要
がある
参照
熊井竹代
安拝開拓女塾
新京軍官学校
朴正煕
松岡洋右の暴走
・米英防備協定でイギリスはUボートにより低下
した海軍力を補うため駆逐艦50隻と交換にバ
ミューダ諸島、バハマ諸島、ジャマイカにある
基地の租借権をアメリカに提供。
・バトル・オブ・ブリテン。
・吉田善吾海相辞任。後任は及川古志郎大将。
・帰国命令を拒否した東郷茂徳駐ソ大使を更
迭、建川美次が後任となった。
・1939年9月に中支那方面軍と中支那派遣軍は
北支那方面軍主体の支那派遣軍に吸収された。
閻錫山と山西軍
毛沢東と江青
・外務省には日独伊ソ四国同盟構想がある。
・仏印援蒋ルート監視委員長西原一策少将は、
仏印総督を務める亜細亜艦隊司令官ドクー海軍
中将と交渉し、東亜新秩序建設に協力する協定
を締結した。
・ピブン首相の立憲革命でシャムからタイに国
号を変更。仏印の植民地争いの緩衝地帯となっ
ている。アユタヤ朝時代から削られた領土の回
復を宣言した。
・新聞は松岡洋右の提唱した大東亜共栄圏とい
う言葉を使い始めている。
白鳥敏夫と日独伊枢軸論
タイの領土
年代
1940
時期
9月末
1940
1940
1940
主人公
身分
舞台
登場人物
次郎
ブロードウェ
イ・マンショ
ン→丹後食堂
インド娘子予備隊教官 →中欧ユダヤ
人協会→ブ
ルーバード→
四行倉庫
プルシャ・ミアン
(インド娘子予備
隊)
アブラハム・トリグ
ボフ(ユダヤ教聖職
者)
美沙(ブルーバード
ホステス)
天城征成(上海特務
機関中尉)
四郎
満洲映画協会娯民映画
満映社宅
制作部企画課脚本班
田畑眞久(娯民映画
制作部企画課脚本
班)
松平映子(啓民映画
企画課演出班記録担
当)
10月16日 太郎
11月初旬 三郎
別邸→新京ヤ
マトホテル
丁路看
金承良(運転手)
瀬古勝久(上海総領
事代理)
海倫→国警海
関東軍新京憲兵隊大尉 倫署→青少年
義勇軍訓練所
堀場哲男(ハルビン
憲兵隊中尉)
富岡正樹(国警海倫
署署長警佐)
大塚信次(張家店訓
練所長)
門川厚志(訓練生)
国務院外務局政務処長
1940
12月
四郎
満洲映画協会娯民映画
小料理屋小波
制作部企画課脚本班
田畑眞久(娯民映画
制作部企画課脚本
班)
由比晴信(脚本家)
1940
12月末
太郎
国務院外務局政務処長
別邸→エメラ
ルド・ホテル
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
1941
1月中旬 三郎
関東軍新京憲兵隊大尉 満鉄医院
1941
2月中旬 次郎
大陸浪人
1941
太郎
上海・イギリ
ス工務局宰牲
場→虹口港
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
熊谷誠六(新京軍官
学校教官)
香月信彦(同盟通信
社記者)
江蘋貞(青幇老大)
・太郎は丁路看に手当の倍増を求められる 金
承良からも暗に口止め料増額要求
・新京ヤマトホテルで瀬古勝久と食事 近衛文
麿の大政翼賛会発会式の演説に拍子抜け 綱領
はない 軍部の独走を抑えるはずが軍部の下部
機関の一つになる 矢吹一夫が公卿の弱さに漬
け込んだのではないか
・上海にはユダヤ人難民が増加 河豚計画破綻
・フランス・ビシー政府も反ユダヤ法を議決
・アシカ作戦は断念 ルーズベルトの支那英国
への財政支援談話により
・ルーズベルトの3選後に危機 国務省極東問
題顧問スタンリー・ホーンベックは大の日本嫌
い
・三郎は堀場哲男とともに国警海倫支署へ向か
う
・富岡正樹が満洲国軍による糧桟(雑穀商)に
対する脅迫を関東軍に通報した 指揮官は油谷
松造上尉 かつて不正を働きハルビン憲兵隊か
ら除籍された
・青少年義勇軍訓練所で寮母殺人事件の報 訓
練生による強姦殺人だった 三郎たちは友人の
門川厚志の心当たりの洞穴へ向かう 門川厚志
の呼びかけ後自殺した
・四郎は田畑眞久と小波で新進気鋭の脚本家由
比晴信を待つ 改稿後の大観園の第一稿を見せ
る
・由比晴信が脚本を酷評し最低の人間たちと
罵った 四郎は由比晴信を殴りつける
・太郎が別邸から帰る車の中に間垣徳蔵が待っ
ていた ルーズベルトの炉辺談話について 甘
粕正彦と石原莞爾について 辻政信について
・間垣徳蔵の見解では日独伊ソ4カ国同盟は不
可能 独ソは間違いなく衝突する アメリカへ
の抑止力にならない
・間垣徳蔵は対米戦を阻止したい 太郎を不倫
をネタに脅迫して協力を約束させる
・三郎は糖尿病が悪化し入院した熊谷誠六を見
舞う 熊谷誠六は佐賀に帰ることを決めた
・戦陣訓 生きて虜囚の辱めを受けずの一節に
ついて憂慮
・香月信彦と満鉄医院で偶然出会う 大政翼賛
会について
・大本営海軍部と連合艦隊による対英米戦の図
上演習結果について 米英数カ国作戦に発展す
るのでその覚悟なしに南方作戦に着手してはい
けない
・東條英機陸相も日米戦力比資料作成を指示
星野直樹企画院総裁が提案し総力戦研究所が研
究開始
・次郎はイギリス工務局宰牲場付近で4人に襲
われる 3人殺し1人生き残った江蘋貞(こうひん
てい) とともに戎克へ
・1年半前に次郎に戎克を焼かれ夫を殺された
復讐だった 次郎は香港へ連れて行くよう頼む
・9月27日、日独伊三国同盟締結。
・新聞用紙統制のため東京朝日新聞と大阪朝日
新聞は朝日新聞に統合された。
・ヒットラーの迫害前に上海に4500人のユダヤ
人が住んでいたが、2万人以上に膨れ上がって
いる。
・杉原千畝は2139人にビザを発給した。
参照
日独伊三国同盟
・アメリカは9月末に屑鉄や鉄鋼の禁輸、極東
から政府関係者以外の引き揚げ勧告。
・協和会中央本部の平賀貞夫逮捕。日本共産党
再建運動の嫌疑で。
・大政翼賛会の顧問は東條英機陸相と及川古志
郎海相が入り、参与には武藤章陸軍軍務局長、
阿部勝男海軍軍務局長が就任。
スタンリー・ホーンベック
・ヒットラーはイギリス本土上陸を目指すアシ
カ作戦を延期し、スペインのフランコ総統にジ
ブラルタル攻撃に参戦を要請するも、フランコ
総統は領土要求し拒絶。
・ビシー政府のペタン元帥にイギリス攻撃への
参加を要請するも拒否。
・イタリアはイギリスに支援されたギリシャに
苦戦、北アフリカやエジプトでもイギリス軍に
圧倒された。
・ルーズベルト大統領三選。
・ルーマニア、ハンガリー、スロバキアなど東
欧諸国の日独伊三国同盟参加。
・仏領インドシナのサイゴンで独立蜂起。
・御前会議で支那事変処理要綱決定。
・辻政信中佐の仲介により石原莞爾中将と甘粕
正彦が関係を修復。石原莞爾は前年8月から第
16師団長。
・辻政信は支那派遣軍司令部附から関東軍研究
部員になった。
・アメリカ空軍退役軍人シェンノートが組織し
たアメリカ義勇航空隊フライングタイガーが国
民革命軍に編入される。
・1月8日、陸軍大臣東條英機名で戦陣訓が配
布された。支那各地で戦う帝国陸軍兵士の士気
高揚のために教育総監部が作製した。
ルーズベルトの炉辺談話
辻政信の石原莞爾・甘粕正彦
仲裁の意図
飛虎団
戦陣訓
海軍による図上演習結果
・近衛文麿首相は枢軸派路線と日米開戦絶対回
避路線で揺れている。三国同盟締結した一方、
非戦派の野村吉三郎海軍予備役大将を駐米特命
井川忠雄の裏工作
全権大使に任命した。
・対米慎重論を唱えるのは、対支一撃論の武藤
章軍務局長と軍事課長岩畔豪雄(いわくろひでお)大
佐。
・松岡洋右外相はシベリア鉄道で渡欧し、モス
クワ、ローマ、ベルリンで会談を持つ。
・タイは領土回復を訴えて仏領インドシナに攻
め込み、仏印カンボジア地域全域を抑えたまま
平和条約に調印した。
・石原莞爾は東條英機の戦陣訓批判で師団長罷
免。阿南惟幾陸省次官が必死に諌めるも聞き入
れられず、阿南惟幾は辞任。
・甘粕正彦は3ヶ月ながら協和会総務部長復
帰。上海に渡り、里見甫から資金調達をしてい
る。山下奉文(ともゆき)の提案で満洲、北支の回
族への聖地巡礼支援費用として。
国務院外務局政務処長 自宅
・奈津が太郎宅を訪ねる 熊谷誠六は2日後に
佐賀に戻る
・桂子は国防婦人会が東條夫人が去りつまらな
いので行かなくなった
・葛城源吉から電話 憲兵隊が自宅に押しかけ
てくる 三郎への取次を頼まれるが断る
・四郎の大観園脚本はできているが甘粕正彦理
事長多忙のため作業保留中
・田畑眞久と食堂へ 石原莞爾の予備役の件
甘粕正彦の協和会復帰について
・松平映子が現れる 四郎が日比晴信を殴りつ
けたことを言いふらす田畑眞久に文句を言う
・次郎は江蘋貞の戎克に乗って香港に渡った
・ラムダス・シンの宝飾店を訪ねる パラス・
ジャフルから上海を去ったことを聞いていた
チャンドラ・ボースについて 娘子予備軍につ
いて
・仕事の斡旋を依頼する
・チャンドラ・ボースは釈放され、モスクワに
いる。これからベルリンへ向かう。インド独立
連盟はインド国民軍に改称する。
チャンドラ・ボースの動き
・香月信彦が太郎を訪ねる バルバロッサ作戦
について 独ソ戦が始まる 持久戦に備えてカ
スピ海のバクーの石油を求めて攻め込む 前年
末にすでに山下奉文が東條英機陸相に情報を伝
えていたが握り潰した
・桂子が突然訪れた 孔秀麗との浮気を疑う
・谷津是之が太郎に米国海軍がボストン湾で独
伊の商船を押収したと報告
・日米諒解案は産業組合中央金庫理事の井川忠
雄とカトリック教メリノール派のウォルシュと
ドラウト両師によって検討されたもの。支那か
らの撤退、満洲国の承認、米国による日支間和
平斡旋、新たな通商条約締結。
・ヒットラー総統と松岡洋右外相、リッベント
ロップ外相の会談。四国同盟は一笑に付され
た。シンガポール攻略要求。
・1940年末、山下奉文航空総監が遣独視察団長
としてベルリンに行った際、ヒットラーから対
ソ戦に取り掛かるので日本も極東から挟撃する
ように要請されたことを、東條英機陸相宛に打
電した。皇道派嫌いの東條英機が情報を握り潰
した。
日米諒解案
会談内容
バルバロッサ作戦の理由
東條英機の情報握りつぶし
・第2次上海事変で杭州湾上陸作戦を企画指導
した鈴木敬司大佐が参謀本部第2部8課でビル
マ工作を開始した。新聞記者南益世を名乗りタ
キン党本部と接触し、書記長のアウン・サンに
ビルマ独立支援を独断で約束した。ビルマ独立
義勇軍創設を支援する謀略機関は南機関と呼ば
れる。
中華書局と法幣
援蒋ルート
タキン党
・松岡洋右外相とモロトフ外相が日ソ中立条約
を締結。タイムズ紙の分析ではソ連ばかりが得
をする条約内容になっている。
日ソ中立条約
社会大衆党
1941
3月11日 四郎
満洲映画協会娯民映画 満映本社→富
制作部企画課脚本班
士屋食堂
1941
3月14日 次郎
大陸浪人
九龍半島・尖
東→尖沙咀飯
店→ジュエ
リー・シン
江蘋貞(青幇老大)
ラムダス・シン(宝
飾品商人)
3月31日 太郎
・四郎は満映社宅で田畑眞久と大観園脚本につ
いて打ち合わせ 全面改稿を命じられたため
・関東憲兵隊警務統制委員会が満鉄調査部に目
をつけている やがて大量検挙が始まる
歴史的事項
金承良(運転手)
桂子
奈津
葛城源吉(満鉄調査
部)
田畑眞久(娯民映画
制作部企画課脚本
班)
灘尾浩巳(企画課
長)
松平映子(啓民映画
企画課演出班記録担
当)
1941
ストーリー
・次郎はインド娘子予備隊の訓練を終えた イ
ンド娘子予備隊はバンコクへ向かう
・中欧ユダヤ人協会へ アブラハム・トリグボ
フと会う 杉原千畝についてお礼を言われる
・ジョセフ・フリーマンは次郎に極東地区国家
秘密警察司令官ヨゼフ・マイジンガー大佐暗殺
を依頼するつもりだった可能性
・次郎はキャバレー・ブルーバードへ行き美沙
を指名 ピンクのハンカチについて質問 美沙
の相手の男は天城征成だった
・四行倉庫へ天城征成を呼び出す 天城征成が
ジョセフ・フリーマンを殺害した マイジン
ガー大佐暗殺阻止のため 三国同盟を妨害する
人間を許さない
国務院外務局政務処長 政務処長室
香月信彦(同盟通信
社記者)
桂子
谷津是之(政務処主
任)
尖沙咀飯店→
道教寺院・天
后廟
天城征成(上海特務
機関中尉)
伊口日生(日本山妙
法寺僧侶)
田畑眞久(娯民映画
制作部企画課脚本
班)
灘尾浩巳(企画課
長)
孔秀麗
1941
4月初旬 次郎
大陸浪人
1941
4月14日 四郎
満洲映画協会娯民映画 満映本社→小
制作部企画課脚本班
料理屋小波
・尖沙咀飯店で食事をしていると天城征成が現
れる 香港総領事館からの情報で来た
・日米諒解案について 首相は乗り気だが松岡
洋右外相は認めないだろう 日米開戦は避けら
れない
・天城征成は次郎に伊口日生を紹介する イン
ド独立連盟娘子軍について
・レド公路によるイギリスの援蒋ルート遮断に
ついて 南機関について
・ビルマ独立義勇軍30名を秘かに脱出させ海南
島で鍛える 伊口は次郎に協力を依頼
・四郎は灘尾浩巳に呼び出された 大観園の製
作中止を言い渡される 内地の情勢の影響
・田畑眞久と小料理屋へ 日ソ中立条約につい
て 完全な外交的敗北 戦友の歌唱禁止につい
て
・孔秀麗を婚約者として紹介される
年代
時期
主人公
身分
舞台
登場人物
ストーリー
・太郎は丁路看との営みのあと政務処長室へ
・間垣徳蔵が太郎を訪ねる 日米諒解案と付帯
条項のハル4原則について 野村吉三郎駐米大
使は騙されている 米国の戦争継続能力につい
て
・近衛文麿は日米開戦回避に必死 間垣徳蔵は
近衛文麿暗殺を狙う鴨下一文大尉を始末する
・太郎に同調者を装っておびき出すことを依頼
する
・伊口日生がタキン党幹部の3人のビルマ人と
ともに尖沙咀飯店に現れた 次郎は3人を密か
に海南島に連れて行くよう依頼される
・江蘋貞に戎克で運ぶように頼む
1941
4月30日 太郎
国務院外務局政務処長
別邸→政務処
長室
丁路看
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
1941
4月30日 次郎
大陸浪人
尖沙咀飯店→
尖東
伊口日生(日本山妙
法寺僧侶)
江蘋貞(青幇老大)
政務処長室→
有楽酒家
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
鴨下一文(関東軍第
4課政策参謀大尉)
・太郎は鴨下一文の誘い出しに成功した
・間垣徳蔵に勧められ伊通河の畔で様子を伺う
間垣徳蔵が鴨下一文を射殺した
満洲映画協会娯民映画 満映本社→南
制作部企画課脚本班
湖
堀場哲男(ハルビン
憲兵隊中尉)
・満映本社前で堀場哲男が四郎を待ち受けてい
た
・話しながら南湖へ 外交機密である日米諒解
案を誰から聞いたのかについて
・コミンテルンのスパイ容疑で捕まえた男から
リヒャルト・ゾルゲの話
・田畑眞久が孔秀麗と同棲を始めたのは国務院
外務局の機密入手のための可能性があるとして
監視を依頼される
大陸浪人
江蘋貞(青幇老大)
夏堀時彦(南機関中
尉)
・次郎たちの戎克は海賊に二度襲われ銃撃戦
運良く逃れ海南島に辿り着く
・夏堀時彦が出迎えこれで30人全員が揃った
1941
5月上旬 太郎
1941
四郎
1941
5月上旬 次郎
1941
6月25日 太郎
1941
次郎
1941
7月13日 三郎
1941
1941
1941
1941
1941
四郎
8月初旬 三郎
9月
次郎
国務院外務局政務処長
海南島
国務院外務局政務処長 政務処長室
大陸浪人
欽寧公路→南
寧大飯店
谷津是之(政務処主
任)
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
須坂良政(トラック
運転手)
玉名克樹(民間特務
工作員)
ハルビン・鰻
割烹喜多春
落合章介(ハルビン
特務機関中佐)
床波敬司(支那派遣
軍中尉)
満洲映画協会娯民映画 満映本社→老
制作部企画課脚本班
少溝
田畑眞久(娯民映画
制作部企画課脚本
班)
灘尾浩巳(企画課
長)
随紹廷(運送業者)
松尾千晶(開拓女塾
生)
関東軍新京憲兵隊大尉
関東軍新京憲兵隊大尉
大陸浪人
牡丹江・演習
場
南シナ海→英
領マレー・コ
タバル→菜館
佳月号
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
松平映子(啓民映画
企画課演出班記録担
当)
落合章介(ハルビン
特務機関中佐)
許史雲(船長)
玉名克樹(民間特務
工作員)
嘉島六平(元軍曹)
10月14日 太郎
政務処長室→
国務院外務局政務処長 新京ヤマトホ
テル
谷津是之(政務処主
任)
香月信彦(同盟通信
社記者)
10月16日 次郎
クアラ・ルン
プール玉名家
→バー・イー
ストウィンド
玉名龍蔵(ゴム園経
営)
玉名克樹(民間特務
工作員)
嘉島六平(元軍曹)
辰巳俊吾(大本営陸
軍部謀略課大尉)
大陸浪人
・ドイツの電撃作戦により霞ヶ関や永田町は混
乱している
・太郎は谷津是之と会話 なぜこんなに早くソ
連に攻め込んだのか アシカ作戦の挫折で膠着
状態を恐れたのでは 谷津是之は一番利益を受
ける英国の謀略の可能性を指摘 日独伊三国同
盟と日ソ中立条約に矛盾が生じている
・間垣徳蔵が太郎を訪ねる バルバロッサ作戦
と関東軍の動きについて
・大本営政府連絡会議は1月後に関東防衛軍を
創る 間垣徳蔵は個人的思惑による人事に腹を
立てている
・太郎は松岡洋右排斥運動への協力を要請され
る
・次郎はビルマ独立義勇軍の訓練を見届けてか
ら欽州→南寧に向かう
・須坂良政のトラックに乗っている 南寧では
チワン族による支那人殺害が頻繁に起こってい
る
・南寧大飯店に到着する 玉名克樹に声をかけ
られる 夏堀時彦から話を聞いていた
・対米戦争はもう避けられない 蘭印の石油確
保のためにはシンガポールを抑える必要がある
次郎と組みたいと申し出てきた
・三郎はハルビンへ出かけ落合章介と食事 関
東軍特種演習について 参謀本部と陸軍省で対
立している 落合章介は辻政信に嫌悪感を持っ
ている
・落合章介から三郎に依頼 極東ソ連軍が西へ
移動しないのは熟柿主義を知っているから 南
進論から日米開戦を待っている 誰がその情報
を流したか探って欲しい
・床波敬司が入ってきた 近衛文麿内閣総辞職
の噂について 落合章介が席を外す 落合章介
は731部隊に拷問後のロシア人を渡している
・落合章介が東京から情報を入手 近衛文麿内
閣総辞職は日米諒解案を壊した松岡洋右を更迭
するため 後任は豊田貞次郎海軍大将
・床波敬司曰く 大衆迎合政治家同士の衝突に
過ぎない 日本の大衆は閉塞感打破を日米開戦
に求めている
・四郎は田畑眞久と会話 来年前半までの公開
予定を入手したがやることは何もない
・灘尾浩巳に開拓女塾と南郷村の結婚式の通訳
兼式典進行係を頼まれる
・老少溝駅で随紹廷と落ち合い開拓女塾23名の
女性たちとともにトラックに乗って南郷村へ向
かう
・結婚相手はくじ引きで決められた
・松尾千晶が四郎の寝床に押しかけ関係を持つ
・三郎と鹿取忠治は関特演の様子を眺めている
・松平映子が三郎に挨拶 ソ連にすぐに攻め込
むべきとの見解をぶつける
・落合章介がやって来て関特演が一週間後に中
止されると報告 南部仏印進駐と石油禁輸につ
いて
・大本営は南部仏印進駐も三国同盟でアメリカ
は黙過すると計算していたが対日石油禁輸と
なった
・堂本誠二が高等警察部に狙われている 三郎
から兄太郎に伝えるよう警告された
・次郎は玉名克樹とともに南寧→ハノイ→サイ
ゴン→コタバル→クアラ・ルンプールと移動す
る
・次郎と玉名克樹は新聞を読む 玉名克樹は大
西洋憲章の会談時期に豊田貞次郎外相と野村吉
三郎大使が日米首脳会談に動いていたことを指
摘 アメリカの参戦と日本のシンガポール攻撃
で太平洋と大西洋が繋がった戦争になる
・鄭和とコタバルについて
・嘉島六平が迎えに来る ノモンハンで戦った
元軍曹 捕虜から開放されて日本に戻った時の
日本人の冷たさについて
・クアラ・ルンプールへの道は北回りと南回り
がある どちらでも同じ位時間がかかる
・谷津是之が太郎に報告 ハルからの和平四原
則が野村吉三郎駐米大使に手渡された 仏領イ
ンドシナからの撤退と支那からの撤退の2条項
が新たに加えられた
・香月信彦と新京ヤマトホテルで食事 コーデ
ル・ハル国務長官は開戦回避の交渉打ち切りの
意図 ホーンベックの入れ知恵による アメリ
カは役割分担しつつ戦時経済体制を築いている
・昭和研究会尾崎秀実を特高警察が治安維持法
違反容疑で逮捕する リヒャルト・ゾルゲもス
パイ容疑で逮捕
・関東憲兵隊高等警察部は満鉄調査部を狙って
いる 太郎も注意するように忠告される
・次郎は玉名龍蔵からマレーシアでの苦労を聞
く 35年住み着きゴム園を経営している
・英領マレーの日本人はイギリスとの戦争を望
んでいる 差別を受けた復讐のため
・玉名克樹とバー・イーストウィンドへ嘉島六
平に会いに行く 藤原機関のインド独立連盟に
ついて 英印軍のインド人への工作が行われて
いる
・嘉島六平に辰巳俊吾を紹介される 藤原機関
対マレー半島責任者
・嘉島六平はパハン州の密林でハリマオに接触
した 日米開戦時にマレー半島で日英が激突す
るので協力を仰ぐ ハリマオを英雄に仕立て上
げる
・辰巳俊吾に近衛文麿内閣総辞職の報が入る
歴史的事項
参照
・日米諒解案を巡って松岡洋右外相と近衛文麿
首相を含む他の閣僚が衝突。松岡洋右はスタン
ドプレーを繰り返す。
・ハル4原則は、北支中支からの撤兵、汪兆銘
政権の否定、援蒋ルートの確保、南進論の放棄
であり、日米諒解案の前提となっている。
日米諒解案と松岡洋右
・イギリスはカレン族優遇主義でビルマを支配
した。
イギリスのビルマ支配
・松岡外相のオーラル・ステートメントの打電
により日米首脳会談に賭けている近衛文麿の希
望が消えかかる。
松岡三原則と口頭陳述
黄八妹
黎族
ベトミン
延安と黎族(りぞく)
・6月22日にドイツがソ連に突如侵攻する。ソ
連国境に3個軍集団300万を集結しレニングラー
ド、モスクワ直接攻撃、ウクライナの穀倉地帯 バルバロッサ作戦の及ぼす影
占領を目的としている。
響
・関東防衛軍は山下奉文中将を司令官とするこ
とが決定されている。
・仏領インドシナの援蒋ルート遮断で南寧を占
領。広域掃討作戦が行われた。
・コーデル・ハルは日米交渉の前提として、松
岡洋右の更迭を要求した。
広域掃討作戦
チワン族
・7月2日南部仏印進駐を軸とした「情勢の推
移に伴う帝国国策要」を御前会議で決定。
・ドイツ側兵力320万、ソ連260万、死者はドイ
ツ側17万、ソ連側80万。スターリンはこの戦争
を大祖国戦争と規定しパルチザン呼びかけ、焦
土化戦術敢行。
・陸軍省は熟柿主義、参謀本部は極東ソ連軍の
兵力移動を見越して対ソ戦第一主義を主張。
・松岡洋右はシンガポール攻略を主張したかと
思えば、急遽ソ連侵攻を訴えた。ソ連大使に日
ソ中立条約は独ソ戦に適用しないと独断で伝え
た。
・服部卓四郎中佐が参謀本部第二課長に昇進、
辻政信中佐も台湾軍研究部員から第二課兵站班
長として参謀本部に戻った。熟柿主義を主張
し、対ソ強硬派は黙った。
・関特演という臨戦態勢は進められる。
対ソ戦第一主義と熟柿主義
731部隊とロシア人人体実験
近衛文麿と松岡洋右という政
治家
・関特演のために2個師団基幹の朝鮮軍、内地
からも2個師団増派。
・7月中旬山下奉文中将が関東防衛軍の司令官
として赴任した。
・7月にイギリス、蘭領東インド、アメリカは
日本資産凍結、8月にアメリカが対日石油禁輸
でABCD包囲網完成。
・大本営はノモンハンで極東ソ連軍に勝利した
との虚偽情報を流し、箝口令を敷いた。
・関特演の中止理由は1.極東ソ連軍は僅かし
か西に移動していない2.海軍の非協力3.参
謀本部と陸軍部の対立、支那派遣軍から3個師
団引き抜くことになる。畑俊六司令官が反対
し、東條英機陸相が支持。
・7月末に南部仏印進駐。
第51師団
対ソ侵攻断念の理由
・英米首脳が大西洋憲章を発表。ルーズベルト
はソ連に100億ドル以上の援助を表明。
・ドイツ軍はキエフ付近で釘付けになり、かな
りの損耗を出している。
鄭和とコタバル
タイの親日
・9月24日ド・ゴールの自由フランスがフランス
レジスタンス国民会議をロンドンで設立。
・英米ソで議定書を調印。連合国構想が事実上
成立。
・近衛文麿首相は日米首脳会談実現を画策す
る。ハワイ会談取消、ジュノー会談も流れる。 帝国国策遂行要領
その後もグルー駐日大使に直接会って何度も要 日米首脳会談設定の動き
請。
・陸軍省と海軍省で石油の争奪戦が行われてい
る。石油備蓄400万リットル不足。海軍に戦争す
るつもりがないなら供出するように圧力がか
かった。海軍は開戦賛成にまわった。
・英領マレーは海峡植民地、マレー連合州、非
連合州の総称。オランダ植民地を東インド会社
が奪い、国際貿易中心地とした。19世紀に錫鉱
床が発見されると支那人が大量に流入した。ゴ
ム園が誕生し、インド人も流入する。シャムか
ら北部を割譲させた。
・クアラ=三角州、ルンプール=泥の河
英領マレーの歴史
ハリマオ
年代
時期
主人公
身分
舞台
登場人物
ストーリー
・谷津是之がゾルゲ逮捕を太郎に報告 ゾルゲ
の極東ソ連軍に果たした役割について
・瀬古勝久と電話 次の大命が誰に下るのかに
ついて 上海では憲兵隊高等警察部が動き回っ
ている
・谷津是之が太郎に報告 東條英機中将に大命
が下った
・河辺慎一と電話 なぜ東條英機に決まったの
かについて 東條英機本人が驚いているのでは
ないか 重臣会議で残った最期の一枚
10月17日 太郎
国務院外務局政務処長 政務処長室
谷津是之(政務処主
任)
瀬古勝久(上海総領
事代理)
河辺慎一(興亜院資
料室長)
1941
10月19日 四郎
満洲映画協会娯民映画 満映本社→洋
制作部企画課脚本班
食屋喜望峰
田畑眞久(娯民映画
制作部企画課脚本
班)
・四郎は田畑眞久と食事 独ソ戦について ス
ターリンは首都を移転した 田畑眞久の予想で
は冬がやって来て形勢逆転する
1941
11月中旬 太郎
国務院外務局政務処長 自宅
桂子
堂本安江
・桂子は太郎が浮気していると指摘
・堂本安江から電話 堂本誠二が憲兵隊に逮捕
された 三郎に連絡してくれと懇願される
アルスター駅
→ゴム園→原
生林→ジット
ラ線
玉名克樹(民間特務
工作員)
・次郎と玉名克樹はジットラ線偵察のためにマ
レー鉄道で移動 石原莞爾が満蒙問題は対米問
題と喝破していたことについて
・次郎は便衣に着替える アルスター駅で降り
ゴム園を抜けジットラ線構築現場へ向かう
・ハリマオ工作と嘉島六平について
・ジットラ線の構築現場間近に迫る
11月11日 三郎
総務人事課→
関東軍新京憲兵隊大尉 新京ヤマトホ
テル
磯村正範(人事課長
少佐)
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
・三郎は磯村正範に呼ばれた 第25軍の英領マ
レー侵攻に帯同するよう命じられる
・間垣徳蔵と新京ヤマトホテルで食事 対米開
戦は避けられない 大本営陸軍部を批判 寺内
寿一は凡庸だが山下奉文は一気に突っ走る
11月26日 太郎
別邸→政務処
国務院外務局政務処長
長室
丁路看
谷津是之(政務処主
任)
瀬古勝久(上海総領
事代理)
玉名克樹(民間特務
工作員)
嘉島六平(元軍曹)
三宅春長(戦闘詳報
担当中尉)
1941
1941
1941
1941
次郎
大陸浪人
1941
12月8日 次郎
大陸浪人
1941
12月9日 四郎
満洲映画協会娯民映画 満映本社→田
制作部企画課脚本班
畑宅
田畑眞久(娯民映画
制作部企画課脚本
班)
灘尾浩巳(企画課
長)
1941
12月11日 三郎
シンゴラ→
第25軍第5師団配属憲
アースン→
兵隊大尉
ジットラ線
勝呂章司(第5師団
配属憲兵隊中尉)
嘉島六平(元軍曹)
1941
12月下旬 太郎
国務院外務局政務処長 政務処長室
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
三郎
第25軍第5師団配属憲 カンパル陣地
兵隊大尉
→カンパル河
勝呂章司(第5師団
配属憲兵隊中尉)
辰巳俊吾(大本営陸
軍部謀略課大尉)
1月中旬 四郎
満洲映画協会娯民映画 満映本社→天
制作部企画課脚本班
麩羅屋伊勢陣
田畑眞久(娯民映画
制作部企画課脚本
班)
灘尾浩巳(企画課
長)
越路里志
1942
1942
1月1日
サバク海岸
1942
1月28日 次郎
大陸浪人
クルアン→蝙
蝠大飯店
玉名克樹(民間特務
工作員)
嘉島六平(元軍曹)
1942
2月6日
三郎
第25軍第5師団配属憲 ジョホールバ
兵隊大尉
ル
勝呂章司(第5師団
配属憲兵隊中尉)
香月信彦(同盟通信
社記者)
辰巳俊吾(大本営陸
軍部謀略課大尉)
1942
2月5日
次郎
大陸浪人
玉名克樹(民間特務
工作員)
江蘋貞(青幇老大)
1942
2月8日
三郎
ジョホールバ
第25軍第5師団配属憲
ル→シンガ
兵隊大尉
ポール
勝呂章司(第5師団
配属憲兵隊中尉)
鳴川信吉(近衛師団
通信隊無線第2分隊
軍曹)
1942
2月11日 次郎
ノースブリッ
ジ道路
玉名克樹(民間特務
工作員)
辰巳俊吾(大本営陸
軍部謀略課大尉)
江蘋貞(青幇老大)
大陸浪人
パサグダン
・太郎は別宅を後にする 人生が破産しかかっ
ていると感じる
・谷津是之が太郎に報告 ハル四原則に3つの
新条項 開戦以外に選択肢はない
・瀬古勝久と電話 ハワイ奇襲作戦機動部隊は
すでに単冠港から移動 第25軍は海南島を出た
・次郎は玉名克樹と嘉島六平とともにサバク海
岸で陸軍の上陸を見守っている
・重機関銃や対人地雷や鉄条網を構わず突撃し
コタバル飛行場とコタバル市街を占領
・三宅春長はインド兵が銃座に鎖で繋がれてい
たことを見せる 英印軍分裂工作に使える
歴史的事項
・後任首相候補に東久邇宮稔彦王、伏見宮博恭
王、宇垣一成の名前が上がる。
・現役武官が組閣の大命を拝した場合、予備役
に編入されるのが常例だったが、東條英機は現
役のまま首相になる。首相就任とともに大将へ
昇進。
・東條英機首相は陸相及び内相も兼任する。岸
信介商工相、星野直樹書記官長、東郷茂徳外
相。
・ドイツ軍がモスクワ10数キロに迫り、スター
リンは首都をクイビシェフに移転した。
・ルーズベルトはソ連への10億ドル武器貸与借
款を決定した。
・東條英機は就任後強硬派から交渉派に転じ
た。日米交渉継続を前提に大本営政府連絡会議
を連日開催している。
・東郷茂徳外相は日米交渉継続のための甲乙案
を用意した。野村吉三郎駐米大使の交渉能力に
不審を抱き来栖三郎を補佐役として送る。
・次郎たちの足取り コタバル→東海岸沿いを
南下→クアンタンの戦闘→クルアン
・次郎と玉名克樹は蝙蝠大飯店で食事 英印軍
は抵抗せずに逃げている 予想外の進軍の速さ
・嘉島六平が現れる ハリマオ工作や自転車調
達やインド人工作をしていた
・突如嘉島六平が外から射殺される 玉名克樹
は辰巳俊吾の姿を見た
・ジョホールバルからシンガポール島を眺めて
いるところで三郎は香月信彦に声をかけられる
ゲーリング国家上位元帥の予想について 航空
戦について
・辰巳俊吾が現れる ジョホール水道渡河作戦
について 辻政信が華僑の抗日遊撃戦を警戒
ハリマオがマラリアを患い重体
・次郎は玉名克樹と第25軍よりも先にシンガ
ポールへ向かう 江蘋貞と偶然再会し運んでも
らう
・チャンギ地区を目指す
東條英機の対米姿勢
東條英機と父
日米交渉のための甲案乙案
・海軍軍令部はハワイ奇襲作戦を内定。大本営
陸軍部は寺内寿一南方軍総司令官に南方要域攻
略準備命令を発した。
・第25軍司令官に山下奉文中将が任命された。
参謀副長には長勇大佐、作戦参謀に辻政信中佐
が着任。英領マレーに進行し、シンガポールを
攻略する。
・3つの新条項は支那全土及び仏印からの無条
件撤退、汪兆銘政権の否定、日独伊三国同盟の
死文化。
・12月1日御前会議で対英米蘭開戦決定。
・第25軍は英領マレーのコタバルとタイ領パタ
ニとシンゴラにも上陸作戦を敢行。上陸作戦の
指揮は侘美浩(たくみひろし) 第18師団少将。
・ジットラ線を構築したのは英軍パーシバル司
令官。3ヶ月は侵入阻止できると豪語してい
る。
・宣戦布告の大詔渙発とハワイ・ホノルル大爆
・映画製作部企画課脚本班は宣戦布告に沸き
撃。
立っている
・米国側損害:戦艦5隻、航空機231機。日本側
・田畑眞久と昼食 田畑の自宅へ 北京からの 損害:航空機29機。レキシントンとエンタープ
情報によると宣戦布告の遅れがあった
ライズはパールハーバーに停泊していなかっ
た。
・第25軍編成 第5師団長松井太九郎中将、近
衛師団長西村琢磨中将、第18師団長牟田口廉也
・三郎は第5師団歩兵第41連隊とともに進軍
中将。
戦車第1連隊や捜索第5連隊や独立野戦高射砲
・12月10日マレー沖海戦で航空機144機が戦艦プ
中隊も上陸 勝呂章司とマレー沖海戦について
リンス・オブ・ウェールズ、巡洋艦レパルス撃
・嘉島六平が次郎のことを報告 F機関の依頼で
沈。
ハリマオ工作のためにハジャイへ海峡ドルを運
・英領マレーの人口540万人中、華僑は230万
んだ 華僑抗日義勇軍の妨害阻止を目論むが三
人。
郎はシンガポール戦に間に合わないので作戦変
・ジットラ線はアースンからジットラまでの6
更を提案
キロ、南西に22キロ。地雷原、トーチカ、鉄条
・嘉島六平が捕虜からジットラ線の配置を聞い
網
た 三郎に対し辻政信に会ったか尋ねる
・捜索第5連隊佐伯静夫中佐率いる佐伯挺身隊
は捨て身の攻撃を繰り返した。
・間垣徳蔵が太郎を訪ねる 宣戦布告の遅れに ・12月12日、大東亜戦争と呼称を決定。海軍は
ついて コーデル・ハルは暗号解読済みで暗号 太平洋戦争、参謀本部は興亜戦争、陸軍省は大
電文を知っていた 真珠湾攻撃までは想定して 東亜戦争を推した。
いなかったらしい アメリカは不況から立ち直 ・リメンバー・パールハーバー演説で米国民の
れる
憎悪は燃え上がり、孤立主義は打ち砕かれた。
・間垣徳蔵は満洲事変成功のために働いたが支 ・第25軍はジットラ線を半日で突破し、12月13
那事変は予想外 仏印進駐で対米開戦は避けら 日飛行場アロルスター占領。ペナン島に第3飛
れなくなった
行集団が急降下爆撃を敢行し、占領。
・帝国陸軍の仮想敵はロシア・ソ連だった 帝 ・英印豪軍司令官パーシバルはシンガポールへ
国海軍仮想敵はアメリカだったが本気で戦う気 の撤退を決定。
はなかった 自らの組織の増殖のために米英と ・歩兵第41連隊は自転車で南下。銀輪部隊と呼
の戦争を選ぶことになった 近代戦は生産力の ばれる。
勝負なので対米開戦には反対だった
・香港攻略戦で25日香港総督ヤングとモルト
・三郎と次郎について
ビーが降伏。22日、第4艦隊司令長官井上成美
・陸軍海軍内の亀裂について
(しげよし) 中将の指揮でウェーク島攻略。本間雅
・堂本誠二が拘置所内で首吊り自殺をした
晴中将指揮の第14軍がフィリピン上陸。
・歩兵第41連隊はクアラ・ルンプールまで150キ
ロの位置にいる 退却英印軍が次々と橋梁を破
壊しビクトリア鉄橋も破壊 工兵連隊は1日半
で修復し迂回橋も構築 ペラク河を渡河し錫鉱
・第3飛行集団第12飛行団がクアラ・ルンプー
床イポーへなだれ込んだ
ルに爆撃を行った。
・カンパル河の橋梁修復を混乱に乗じて敢行
・三郎の前に辰巳俊吾が現れる ハリマオ工作
は後方撹乱に切り替えた 嘉島六平が辻政信作
戦参謀の暗殺を狙っていることが判明し逃走し
た 三郎に拘束または射殺を依頼
・四郎は南方軍の勝利の報に高揚している 灘
尾浩巳が越路里志を連れてきた
・四郎は越路里志と食事 庸報は潰れていた
シンガポールへ渡って親日的漢字の編集に携わ
る
参照
上陸作戦
英印軍の準備
リメンバー・パールハーバー
マレー沖海戦
香港攻略戦
フィリピン上陸
ウェーク島攻略
陸軍海軍内の亀裂
ハリマオの後方支援
・第14軍が1月2日にマニラ制圧。バターン攻
略戦にとりかかる。
・第25軍は1月11日にクアラ・ルンプールに突
入し占領。
・F機関は英印軍のイギリス人とインド人を分
断。藤原岩市少佐はインド独立連盟バンコク支
部プリタムシン代表と会いモハンシン大尉を説
得し英印軍のインド兵たちに投降をさせる。
クルアンの街
インド人工作
・1月31日ジョホールバル占領。
・タイが英米に宣戦布告。
英印軍のシンガポール退却
イギリス空軍を圧倒
・三郎と勝呂章司は歩兵第41連隊とともに折畳
み船で渡河してシンガポールに上陸
・鳴川信吉がやって来て損害確認と戦況報告
・野戦重砲第3連隊、第18連隊が砲撃開始。第
7飛行団の重爆撃機編隊が上陸支援。護衛の一
式戦闘機隼がハリケーン戦闘機と航空戦も圧
勝。
シンガポール上陸作戦
シンガポール戦戦況
・次郎は玉名克樹とともにシンガポール内を動
き回っている
・辰巳俊吾と出会す 通信文の残骸にパーシバ
ルに最後まで戦えとチャーチルからの指示が
あった 華僑共産主義の武装遊撃部隊ダル
フォースがシンガポールに渡っている
・第25軍参謀杉田一次中佐が訳した降伏勧告が
偵察機からばらまかれた。
近衛師団による捕虜虐殺
ダルフォース
年代
時期
主人公
身分
舞台
勝呂章司(第5師団
配属憲兵隊中尉)
鳴川信吉(近衛師団
通信隊無線第2分隊
軍曹)
辰巳俊吾(大本営陸
軍部謀略課大尉)
香月信彦(同盟通信
社記者)
ノースブリッ
ジ道路→チャ
ンギ海岸
玉名克樹(民間特務
工作員)
江蘋貞(青幇老大)
1942
2月15日 三郎
パサパンジャ
ン地区→
第25軍第5師団配属憲
フォード自動
兵隊大尉
車組立工場跡
地
1942
2月21日 次郎
大陸浪人
太郎
次郎
三郎
四郎
15
19
13
11
登場人物
ストーリー
・勝呂章司がやって来て三郎に報告 パーシバ
ルが降伏を検討中 貯水池からの給水管が破壊
され飲料水が途絶えたため オーストラリア軍
は貯水池奪回を主張
・トランペットが鳴り響き降伏を告げた
・鳴川信吉と会話 フォード自動車組立工場跡
地でパーシバルと山下奉文の会談が決まる
・辰巳俊吾と会話 インド独立連盟とインド国
民軍がアロルスターからシンガポールへ向かっ
ている インド独立のためにはビルマ独立が前
提 パーシバルを脅し上げる 陸路の軍事物資
運搬のための泰緬鉄道建設で捕虜を強制労働さ
せる
・パーシバルと山下奉文との会談について香月
信彦からメモを見せてもらう 無条件降伏受諾
・次郎はノースブリッジ道路で清掃させられて
いる白人捕虜の様子を見ている 玉名克樹が
やって来て華僑粛清が始まると知らせる 抗日
武装遊撃組織ダルフォースや反日感情を持つ華
僑が狙い
・次郎は南京と同じことが起こると懸念 チャ
ンギ海岸へ向かう 墓穴を掘らせ一斉射撃で50
名射殺の現場を目撃した
・江蘋貞が罵声を浴びせるも射殺される
歴史的事項
参照
・当初の司令部が掴んでいた情報とは異なり、
シンガポールには英印軍とオーストラリアは10
万はいる。
・状況は膠着状態になり、弾薬切れも近い。第
3飛行集団菅原道大中将は、今村均中将指揮の
第16軍が行う蘭印攻略を支援するため、シンガ
ポールには回せないと宣言。
シンガポール戦況
・落下傘部隊300名で蘭印守備隊を撃破し、パレ 山下奉文の恫喝の思惑
ンバンの油田地帯確保した。
・1月に飯田祥二郎中将率いる第15軍はビルマ
独立義勇軍とともに対英戦争開始。
・たった3万人の兵力で英印軍とオーストラリ
ア軍10万を打ち破った。山下奉文中将はマレー
の虎と呼ばれる。
・大本営政府連絡会議はシンガポールを昭南島
に改名することを決定。
・山下奉文司令官は第5師団歩兵第9旅団長川
村参郎を昭南島警備司令官に任命した。抗日分
子粛清監督は辻政信中佐。
日本軍の捕虜の取り扱い
華僑の狼狽