移動式日報2007年 - 移動式音楽班 おとのせかい

移 動 式 日 報 2007 年
移 動 式 音 楽 班 (umberto_viii) 著
1
目次
音楽制作
03
楽器
37
楽芸
47
雑記(飲食)
76
雑記(思いつき)
88
2
音楽制作
■北国への道
1 月 21 日、移動式音楽班のサイトに歌をアップロードしてみた。よかったらお聴きください。
http://homepage.mac.com/ido_siki/web/sounds/files/287be3d2e51fc06c41207d46475fd73116.html
既に GarageBand Users Club という日頃覗いているサイトにて音源を公開させていただいている
( http://gbuc.net/modules/myalbum/photo.php?lid=6917&cid=13 )が、そちらとはちょこっとバ
ージョンが違う。一応、主体的にアップしている音源は同一曲でも必ず別バージョンにするというこ
だわりを持っておりまして。今回は本当にちょこっとだけ違います。
曲についてのコメントは GarageBand Users Club や移動式音楽班のサイトにあります。なので、
まぁ、少し思い出話でも聞いとくれ。
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高原の町がある。町の外れには大きな、青い湖水の塩湖がある。町はメインストリートの坂道に
沿って細長く開けている。その町の東隣には、その町よりは大きく、とはいえその街と同様に、埃っ
ぽく垢抜けない田舎町がある。
隣町とはいってもその間にはやや険しい山谷があり、隣町へ行くにはこの町から北へ下り、高原の
下に広がる盆地のとっつきの、更に北へ向かっていく街道と、そこから南西へ抜ける街道が分岐合流
する三叉路で、南西への谷筋を行く街道へと転進し、再び高原へと上って行くのが一般的だ。因みに
この谷筋は薔薇の香油を取るための薔薇栽培が盛んで 「薔薇の谷」 とも呼ばれていた。
この街道を行き来するものは、どちら側からどちらの町へ向かうときも、一度、北へ進路を取るこ
とになる。そして眼下に広がる盆地を見ながら高原を下りて行くことになる。
盆地は、夏には牧草地となり、冬には漠とした曠野となる広々とした大地で、時折、牛や羊が草を
食む姿や、それらを統率する牧童の姿を見るほか、生き物の影を感じることはあまりない。
3
眼下に盆地を眺めながら行けば、青い空にぽつぽつと雲が浮かび、広い草原には、その雲の影がい
くつも見えた。まるで時が止まったような光景だったが、風は流れ、雲は漂っていた。雲はその形と
色の表情を様々に変え、空に描かれる模様は地上の風景をも、明るい緑と濃緑のグラデーションに色
付けていた。
「永遠」 という言葉を思い出していた。
ぼんやりと眺めながら、本当に、時が止まってくれたなら、と、その時思った。
いつか訪れる終末が怖かった。その町を去る日が来る事や、どこかに根を生やして生きなければな
らない日が、いずれ訪れることが。
高原を下り、盆地へ連なる街道をどこまでも北へ行けばその国で最大の町がある。そこは空をぼ
さっと眺めていられるお気楽な日々の始発であり終着であった。
2007-01-22
■班活動短信
どうも∼。ひとりで楽団やってるうましか者で∼す。活動はというと、大概のパートを自作自演し
た録音作品を、人里はなれた自分のウェブ・サイトで公開することや、投稿したりすることで∼す。
御覧下さる方々、お聴きくださる方々、謹んで御礼申し上げます。
さてと、なんだか今、大量の(といっても四つか五つ)曲が、一度に、ほぼ同時期に仕上がりつつ
ある。このようなことがかつてあっただろうか、いや、ない。
それぞれに取り掛かったのは全く別々の時期なのだ。中には制作を始めてから一年以上かかってる
ものなどもあるし、ごく僅かな制作時間しか費やしていないものもある。とにかく、それらが今、驚
いたことに同時に完成しつつあるのだ!
昔、コンビニでバイトしてたことがあって、お客さんがお店に入ってくるのはそれぞれまちまちな
のに、レジへ押し寄せてくるのはなぜ同時なんだろう、と深く疑問を抱いたものだが、目下、その状
況と非常に近しい。
録音が完了しても、そのあと全部まとめて編集というわけにいかず、一つ一つやらなければならな
いので、ぽつぽつと発表していくことになりますが、近々 「曲ができたのでよろしかったらお聴きく
ださい」 というお知らせを書くつもりでいます。
2007-03-09
4
■ 15 歳の花嫁は婚礼の夜、 40 代の新郎と初めて対面した。新郎に待ち望んだ日が訪れ、自分の年
の数の羊を花嫁の家へ贈った。
3 月 12 日、 GarageBand Users Club に、 3 月 13 日、移動式音楽班のホームページに 「 15 歳
の花嫁は婚礼の夜、 40 代の新郎と初めて対面した。新郎に待ち望んだ日が訪れ、自分の年の数の羊
を花嫁の家へ贈った。」 というやけに長いタイトルの曲をアップさせていただきました。よろしかっ
たらお聴きください。
http://homepage.mac.com/ido_siki/web/sounds/files/f29680443276853ef29c72c4297e17f917.html
http://gbuc.net/modules/myalbum/photo.php?lid=7303&cid=13
曲の紹介はそれぞれでしています。
これまで、友人の結婚式でしばしば演奏を行なってきた。楽団仲間のそれなどになると、披露宴の
随伴音楽全体を演奏したりもした。今日、振り返ってみると、どれをとってみても非常にスットコ
ドッコイなぱふぉーまんすの連発だったよなぁ、と、しみじみ反省いたす。新郎新婦、ご家族、わた
しが悪かった。
ある時、全編オリジナル曲で、安芝居ちっくな演出を絡ませて押し通そう、という方向性を打ち出
した宴があった。そもそも、そのような宴で安芝居ちっくな演出を絡ませようという姿勢自体、大い
に説教されねばならぬ性質のものだろう。この馬鹿、と。なんと心得てやがる、と。今となってみる
と充分に反省するのだが、まぁ、とにかく突っ走りだしたら何も見えないものなのだ。
本当にヤル気になるとオリジナル曲などボコボコ出来る。ほんとよ。量産体制っすよ。で、そんな
ボコボコできたデモの一つがこの曲の断片だったという次第(頭の 8 小節分だけ)。
何で仕上げなかったかといえば、メロディが少し陰気だったことと、真面目なアンサンブルを構築
するには時間が足りなくなってきていたからだっただろうか。以来、頭に引っ掛かっていた曲がよう
やく出来た。
さて、ここからは大いに宣伝に努めねばならない。
これから晴れの日を迎えるアナタ。晴れの門出には是非、当社の演奏で祝福されてみてはいかが?
思い切って。祝福されちゃえ!この道 10 余年、専門のシロウト楽師が心を込めたなっちゃいない演
5
奏と演出をお届けします。センチメンタル+ロマンチック&スットコドッコイ、文化人類学系民芸
ちゃんぽんロックで、ハレの日を彩ってみませんか!!!
2007-03-13
■三月、私は生きかえる
3 月 30 日、移動式音楽班のウェブ・サイトにて 「三月、私は生きかえる」 という曲をアップしま
した。よろしかったらお聴きください。極めて暗い曲ばかりの私のコレクションに、更に格別に暗い
曲が加わりました。そうは言っても、暗さの中に、何かしらの色を感じていただけるような音楽に
なっているといいのだけれど。
http://homepage.mac.com/ido_siki/web/sounds/files/7373bccddb423709196c5a0e2855576b18.html
まぁ、シロウトの私が自分の楽曲制作についてあれこれ語っても、誰にとってもな∼んの足しにも
ならないと思うのだけれど、音楽が生まれるのって何だか不思議なことだな、と思う。音楽仲間に
も、あまり面と向かって聞くのもはばかられる気がして、奥ゆかしい私は突っ込んで聞いたことがな
いのだが、一体、人はどうやって音楽を作っているのだろう。
中学生の頃の俺(急に一人称を俺にしてみる)は、ノートにアナーキーな歌詞を殴り書きして(添
削なし)、そこにフォーク・ギターでコードを弾きながら適当な節をつけてわめいていた。当時の代
表曲は 「寺の鐘が聞こえる」 という、男女のつらい別れの背景に鳴り響く寺の鐘の音に心情を投影し
た曲だった(俺は仏教関係者ではないが)。もちろん、今の俺にはとても演奏できる曲ではない。恥
ずかしいを通り越して笑っちゃう。
高校生の頃の俺は、曲がりなりにもバンドというようなものに自己表現の場を移しつつあったし、
自宅録音的なことにも興味を覚えだした頃で、詞に節つけてギターでわめく本質にあまり変化はな
かったが、詞も少しは添削したし、ザ・フー風とか、セックス・ピストルズ風とか、 U2 風とか、偉
大な先人にあやかった雰囲気を出すことに精を出した気がする。まぁ、人が聴いたら下手すぎてそう
は思わなかっただろうが。
当時の代表曲は 「臆病者の叫び」 という、オマエを連れ出して海へ朝焼けを見に行きたいぜチック
な、浜省+甲斐バンドみたいな曲だったが、当時の俺の交通および輸送手段は自転車だった。しかも
住まいは長野県だ。ん、もちろん今演奏できるわけがない。恥ずかしくて死ぬ。恥死。
6
その後、劇的な変化が訪れる(俺にとっての話だけどね)。ほとんどの場合、詞ではなく、曲から
先に作るようになったのだ。おぉ、アーチストっぽい。
最初のうちはギターのリフのようなものから曲が発展していくというような過程だったが、そのう
ち、シンセとシーケンサーを手に入れてからは、かなり詞なしで完結しているような曲も作れるよう
になった。誰それ風とか、どこの土地風とか、そういった動機での制作も長く続いたが、今ではそう
いった側面は、ちょっとした遊び的な要素で、動機になることはない。
で、この曲は一人セッションのような状況から生まれた。
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シンセの低音の鍵盤に文鎮を乗せて音が持続しっ放しの状態にする。
電子メトロノームのクリック音が充分に聴こえるよう音量を上げる。
それにあわせて鍵盤ハーモニカを適当に吹く。
それにあわせてウードという西アジアの弦楽器を心の赴くままに弾きまくる。
以上の行為をテープに録音してみる
そうして出来たラフなデモをもとに構成・編曲し、再度録音を行い曲となりました。 「寺の鐘」 や
「臆病者」 をわめいていた俺はこの曲を聴いて、いいと思えただろうか?多分、聴いてるうちに眠っ
ちまったのではなかろうか。
2007-03-30
■ニュース短報
来る 4 月 14 日(土)、銀座 TACT にて開催される 「ガレフェス '07 」 というイベントにて楽器を
演奏します。といっても一曲、 col さんという方の 「プレゼント
( http://gbuc.net/modules/myalbum/photo.php?lid=6894&cid=1 )」 という曲の伴奏メンバーと
して参加させていただくことになっています。
どうもぶっつけ本番な感じがしているので、マイクから適
度に距離を置きつつ演奏してこようと思っている。多分、マ
ダリンというミャンマーの弦楽器をチロチロと涼し∼く弾き
始め、曲の途中で大韓パーカッションの杖鼓(チャンゴ)と
いう両面太鼓に持ち替え、激しくリズムをぶったたく予定。
弦から打、曲芸だ。
私のことを良く知る人たちは充分にわかっているだろうが、私は打楽器の類の演奏を特に苦手とし
ている。激しく太鼓など叩かせて大丈夫かと疑問だろうが、私も引き受けてしまった以上、今、必死
で打楽器の練習を行なっているところだ。マジかよ。
そんなことなら叩かなければいいのにとも思うのだが、原曲を聴いたときに、あっ、これには洗練
されたラテンのリズムがぴったりだわ、と思ってしまったのだ。だのに大韓パーカッションというと
ころが常人には計り知れぬ感性と言えるだろう。ふわっはっは。曲に新しい光が当たると楽しいです
ね。
まぁ、人が聴いたら極めて野蛮な東アジアン・リズムに聴こえるかもしれないが、否、その可能性
7
は 98 %程度と予想されるが、その辺はオーディエンス及び一緒に演奏する他のプレイヤーの方々の
顔色を窺いながらマイクとの距離を調整するのだ。曲の進行に合わせてじりじり後ずさっていく俺が
いたら、またはずりずりと横方向へスライドしていく俺がいたら、うーむ、それも経験だね、って感
じだろうな。
演奏については後日報告するのを私も楽しみにしています。何しろ、どちらの楽器も、録音でもス
テージでも使ったことがないのだ。えー?
2007-04-04
■内職の日々
CD デビューを果たすことにした。
といっても自分で作りました感ありありの限定版自主制作品をこしらえたにすぎない。自力です。
手作業です。我ながら、うましかものよのぅ、と遠くを見つめ呟きたくなる。
いや、正確に言うと現在進行形で作成している。まるで内職だ。いや、これは形容される体のもの
でなく、ソリッドに内職だ。本当に純度 100% 保証つきの内職だ。
ふー、材料調達費用は案外かかるもんだな。 CD-R 、 CD 空ケース、ジャケット用紙に A4 のフォ
トペーパー(光沢)、 CD の裏ジャケにフォトペーパー(マット)、包装袋、インク、中綴じホチキ
ス(便利!)など。
うわぁ、ジャケットを両面印刷したり、紙を裁断したり、歌詞を中綴じしたり、折ったり曲げた
り、嫌になっちゃうような手間がかかるもんだな。
まったく、すっげー昔にカセット・テープを自主制作したことなどがありありと偲ばれる。つま
り、当時とそのメンタリティにはほとんど変化がないということだ。
当時と今の違いはパソコンの有無だな。なんとなくそれっぽくはなるが、macを使えば自主制作も
ホラ、こんなに簡単、などということはない。決して。はっきり。断言する。
で、来る 4 月 14 日のガレフェス(於、銀座 TACT )にて販売するのだ!
売れねーだろうなぁ。売価は、冷静に考えて 300 円っつうもんだろうな。それが限界だろう。 19
曲収まっているので一曲単価は 15.8 円である。
というように、パッケージ化されたものを制作するならば 「モノ」 というカタチへのフェティッ
シュなこだわりが確かに昇華されるものの、一曲 15.8 円の CD-R を内職のようにコツコツこしらえ
る労力を思うと、モノのカタチにこだわらぬ WEB 上での無償配信という方がスマートでいいんでな
いの?と思っちゃう。
作るのなら中身とデザイン以外は専門業者にお任せして、しっかりとしたものを作る方が良いに違
いないということがわかりました。家内制手工業から工場制機械工業へ産業革命を図るべきです。こ
の場合、単価はそれなりに跳ね上がるだろうね。家内制手工業にとどまりチープな線で行くのなら、
ジャケなど作らずに剥き出しの CD-R で 100 円とか、そういう線がよろしい気がします。
8
と、内職しながら思いを巡らすこの頃なのです。
2007-04-10
■メランコリィとジャカスカの精達に捧げる
先日短報の通り、 4/14 、銀座 TACT にて開催のガレフェ
ス '07 において、 col さんという、萌え死に注意報が発令さ
れるような素敵で、良いお声をした方のバックで、予定通り
マダリンとチャンゴを演奏してきた。
このステージへ辿り着くまでは、一応、私なりに幾つかの
試練を乗り越えてきたものだ。
まず 「とにかく何かやって」 というような依頼を 「もちろ
んやります」 とお受けさせていただき、確か最初に目にした
セッティング・リストでは私はパーカッションということに
なっていてドラマーはいなかった。
ま、まずい。これはイカンぞ。もしかして私はドラ息子或いはリズムに強い男だと思われているの
かも知れん。打楽器は苦手なのだ。即座に練習に取り掛かからねば。何叩くか。音、でかい方がいい
だろうな。部屋に転がっている最近購入したチャンゴに目が行った。即決。
しかし、このチャンゴは格安で購入したものの訳があり、皮が一枚破けていたのだ。早速、友人で
大韓コネクションを持つルル嬢に連絡しソウルへ手配をかける。その間、皮の破れ目をダイソーのク
リアー・テープで塞ぎ練習する。ベシベシした音がこだまするぜ。更に車に乗っている最中なども
チャンゴのバチを二本持ち歩き、運転中も足やシートを叩き練習する。危険だぜ。
と、そんな日々に新たな展開が。ドラマーが加わられるらしい。これは良い方へ展開しているぞ。
ではチャンゴは途中から叩き、前半は弦楽器弾こう。
ギターも加わられるようだったので、ではマンドリンでも、と思いニ・三日練習してみる。が、違
う。部分的には良いが、トータルで考えるとどうも合わない。チロチロしているだけになってしま
う。ミュージシャンとしての私なりの使命はメランコリィとジャカスカの精をこの世界へ送り込むこ
とであり、それは私が関わるどんな曲でも忘れてはいけないことなのだ(馬鹿)。まぁ、人様の曲に
参加させていただく身でありながら、である。そういう点ではエゴイストなのだ。
目の前の棚に立てかけてあるマダリンに視線が行った。んー、可能性はあるが、扱い辛いな。ビル
マ産のこいつはオクターブ・ピッチが合わないのだ。下駒の金属ブリッジのネジが馬鹿になっていて
高低をつけられない。それに通常、ギターのオクターブ上でチューニングしているのだが(本当はど
ういう調弦なのか知らない)、弦がすぐ切れる。
プチ改造だ。金属ブリッジを外し、ビニールの細い棒をブリッジに替えた。下駒全体の位置を調整
しオクターブ・ピッチを合わせる。弦は半音下げて調弦する。完成。あっという間。これを改造とは
言わない。ベストではないが、少なくともベターなチョイスではある。これで行こう。
マダリンもチャンゴも両方背負い、曲中に持ち替える。8小節が必要なことがわかった。もう、自
然に何をどう弾くかが決まっていく。チャンゴ皮も届いた。
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夜半、町外れの市営プールの人気のない駐車場で練習する。暗闇、チロチロ音、ジャカスカ音、太
鼓音、不気味である。もし笛も吹いていたらやばかったろう。
そして私は、つ、遂にスポットライト(そんなもんあったっけ)の下に立ったのよ!カモン、メラ
ンコリィ&ジャカスカの精達!
そして、まったくその場で初めてメンバーの方達(すばらしい面子で気後れする)と合わせた演奏
は、とても楽しかったのですが、どうも練習のようには弾けた覚えがない。ああー。
萌え死んだ方は大勢いたと思うが、精達の姿を見ることができた方はいらっしゃっただろうか?
2007-04-16
■故郷は死んだ、ここは始まりでも終わりでもない
4 月 25 日、移動式音楽班のサイトに 「寒い国のクロニクル」 という曲をアップしました。よろし
かったらお聴きください。
暗い、真っ暗よ。よろしかったら、いかがですか。
http://homepage.mac.com/ido_siki/web/sounds/files/8eb45bace6f304af228f998219ef26a519.html
新たな武器、エレクトリック・マンドリンを少々弾いている。ギュンギューンと、鋭角的にリフを
奏でている。奏でているつもり。
私がちょろっと作る曲のほとんどは2小節ないし4小節にまたがる短いリフレインの繰り返しだ。
Aメロ→Bメロ→Cメロ、さらにも一つDメロ(凝った曲だな)というようなダイナミックな、ポッ
プス的な進行はあまりやりたがらないようだよ。この人は。そしてたいていが短調だ。つまり単調な
短調だ。
私はリフレインを愛する。リフレインは世界各地の民俗音楽に広く見出せるスタイルであり、クラ
シカルなロックの中枢でもある。多分、その二つは遠く隔たっているように思えるが結びついてい
10
る。三味線片手に土地の民謡を座敷で唸るのと、キース・リチャーズが 100 万ワットの大音量で I
Can't Get No Satisfaction のリフをべれべれ弾き、ミック・ジャガーがくねくねと妙な動きをしなが
ら歌うのとが、実は深層で結びついている可能性があるのだ。刑事(デカ)がマイミクを辿っていっ
たら犯人(ホシ)に辿り着いたような驚きの世界が、音楽文化の伏流としてあってもおかしくないの
である。ん、文が変だな。まあ、いいや。
そして、ここで単調で短調なリフをエレキ・マンドリンやら笛やらでどろどろと演奏する私も、そ
の伏流にのまれ漂い溺れているものの一人である。レベル的にかなり格下ということになるが、そう
なのである。私は伏流の中にある。
そして、ここ伏流の中、あろうことか故郷に呪詛の言葉を吐きながら、もがく。
デリケートで傷つきやすくて、馬鹿で青春シンドロームで、ナイーヴでうぶなもやしっ子で、そん
な人間を育んだ優しいふるさとであるが、そして、それは世界にただ一つのスポットかもしれない
が、世界のどこともそう変わりはない。ふるさとをべったりと愛し続けると伏流を見失うだろう。三
味線(何でもいいけど)唸り節とサティスファクション(紫の煙でも愛しのレイラでもいいけど)が
どこかで通底しているんじゃないかと思える私には、しばしばそう思える。音楽を通り越してもそう
思える。
2007-04-26
■サズ伴奏で歌う、の巻
5月7日、我がウェブサイトに 「海の物語」 という曲を追加しました。よかったら訪れてみてくだ
さい。全般的にくら∼いです。
http://homepage.mac.com/ido_siki/web/sounds/files/b8a16beda09bc664210ef1c45937e33c20.html
サズというトルコの国民的な民俗楽器を弾いている。などと書くとまるで私がサズ弾きのようだ。
サズを弾くことは出来ません。しかし弾いています。自己流ってやつです。
トルコでは、まぁ、誰でもが出来るものではないけれど、大勢の人がサズを演奏することができ
る。どうかな、日本の若者でギターを弾けるものと同じくらいの比率かな、いや、それよりは少ない
11
かな。しかし伝統楽器で比べれば三味線を弾ける比率とは比べ物にならないほど多くの人がサズを弾
く。百倍の勢いで違う。個性的で面白いと思ったのは弾き手によって弦の数やチューニングが違うこ
とだ。
楽器屋でも商いの中心はサズだ。
「サズ見せて」
「まぁ、弾いてみろ」
「弾き方がわかりません」
「ギター弾けるか」
「弾けます」
「じゃあ、いいから弾いてみろ、お前のやりかたで」
適当にちゃらちゃら鳴らしてみる。
「ふーん。いい。いいけどお前には重大な問題がある」
実に傷つく言い方じゃないか。そして自分で弾いてみせる。押さえる指の動きがバレリーナの足元
のようだ。エキゾチックで哀愁を帯びたフレーズを装飾音の雨あられで弾く。そして私の 「重大な問
題」 について具体的には語らない。見ろ、聴け、気付け、サズのことだけ考えろ、のめり込め、トル
コ人になれということなのか。
私にはその道に進むことが出来なかったな。いろんなもの弾くけれど、基本的に 「何々風です」
「どこどこ風です」 などと語れないのは 「重大な問題」 宣告が相当こたえているのだ。自分ではそう
思っていても現地人にはそう聴こえないかもしれないじゃん。なので重大な問題を抱えたままプレイ
しています。そこで自分に居直っているのが私の音楽です。こたえている割にはふてぶてしいな。
一説によると、ある日、夢の中に少女が現れるのだそうだ。可憐な、可愛い少女が。で、目を覚ま
すとあら不思議。指が勝手に動き出し、それまでまったく触ったこともなかったサズを弾けるように
なり、メロディと言葉が泉のように湧いてくるのだそうだ。そして夢で見た少女を追い求め放浪の吟
遊詩人になるのだとか。
サズ少女よ、私の夢に現れてくれ。できれば今夜にでも。お待ち申し上げております。受け入れ態
勢万全です。
2007-05-08
12
■カバー
GarageBand Users Club にて 「プレゼント」 という曲を公開させていただきました( 5/12 )。
よろしかったらお聴きください。曲についてのコメントも大いに語らせていただいてます。
http://gbuc.net/modules/myalbum/photo.php?lid=7665&cid=16
原曲は、 col さんという可憐な女性の作品で、 4 月 14 日に開催された GarageBand Users Club
によるガレフェス 2007 というイベントにて、そのライブ演奏に参加させていただいた曲なのだが、
なにしろ練習し、弾けるようになったので、折角だしアレンジして録音もしてみたのです。
さて、人の曲のカバーって本当にやったことがない。バンドの中でメンバーが作曲した曲をアレン
ジしたとか、トラディショナルな民謡をアレンジしたとか、そういうことはあるが、まったく、既に
作品化された曲を自分なりの解釈で演奏するというのは、 10 代の頃、久保田早紀の 「異邦人」 をカ
バーして以来か。いや、MUTE BEATの 「STILL ECHO」 を人様の結婚式でやったか。ま、そんな音
源は、著作権に触れるので勝手に公にはできないのである。できたとしてもあまりにも下手すぎるの
である。そしてそこからちっとも上達していない腕前にガクゼンとする羽目に陥るのである。
カバー、といっても最近の事情はそれぞれである。 GarageBand Users Club というところは、自
由なんだけれど、Macを買うと最初からインストールされている GarageBand という音楽制作ソフト
を使用して制作された曲の投稿が多いようだ。私もそれを使う。で、そのソフトで制作されたファイ
ルをやり取りすると、コラボレーションとか、カバーとか、リミックスとか、離れている者同士でも
可能なのですね。私も原曲のファイルをダウンロードし、ヴォーカルに加工を施したり、構成を変え
たり、自分の演奏を録音したり、という風にして、徐々に原曲の相貌を変えていったのだ。
大変に面白かった。そして気付いた。
いろいろと、楽器演奏したり、歌ったりしているのですが、どうしても自分には出来ない要素があ
る。そりゃあ、異様に演奏することが困難な楽器、例えば鼻の穴で吹く笛とか、超絶的な技巧、例え
ば二本以上の笛を同時に口にくわえて演奏するとか、などは別としてである。
女声は出せない。
単純にして動かし難いこの真理。男声を機械的に女声っぽく加工するとか、女声をプログラム通り
に歌わせるソフトなどもあるが、それは私が言っていることとは次元の違う問題だ。
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そして思った。女声はよい。実に憧れる。普段も歌モノは女性の作品ばかり聴いていることに気付
いた。こうなると水面下で根回ししたくなってくるのである。実に、やーらしいものよのぅ。
そして、コラボ、カバー、しばらくそれ中心にやろうかと考えている。面白くって。
2007-05-15
■移動祝祭日
6 月 13 日、我がウェブ・サイトに 「移動祝祭日」 という曲を公開しました。よかったら訪れてみ
てください。
http://homepage.mac.com/ido_siki/web/sounds/files/cce20f7fb56ee7b23025b5a64c6bdf1221.html
さて、曲は以前公開した 「明滅」 という曲の一部を別に録音したものだ。太鼓が、ギターが、歌
が、どれもこれも起伏のないノイジーなお経のような曲。ただし、音楽の中にエネルギーというもの
が宿るのなら、それはこの曲の中で平坦なものではないと思っている。
2005 年以来、何らかの形で発表することを目的に曲を制作してきたが、このトラックをもって、
当初やりたいと考えていた表現をほぼやり遂げたと考えている。 2 年かかった。その間制作・発表さ
れたほとんどの曲は 2 年以上前に既にデモまたは骨格があった。
途中、もうできないかな、と思ったこともあった。思い返すと感慨深い。たくさんのコメントや
メッセージもいただいてきた。ありがたく、思い返すとこれも感慨深く、感謝の気持ちで一杯にな
る。
言葉にすると単純だが、やりたかったことは、ジャカスカしていて感傷的で人間の野性を描きたく
て、ほどほどでなくて、パキスタンのバスのように装飾やりすぎで、自分のあらん限りをぶち込んだ
ものだ。煙草に火をつけ、深々と煙を吸い込み、ぷはぁ∼ 「あぁ、やってきたよ」 と、言える(煙草
飲らないけれど)。
とはいえ、まだ墓に入る気はないし、墓に持っていける曲などはない。曲は火葬場の燃料にもなり
はしない。やりたいことが大幅に変わることも今は考えられない。代わり映えのしない表現をこれか
14
らも続けていくかもしれない。これからはこうする、と、まとまった考えは今はない。あっても教え
ないかもしれない。しかし、我々(といっても一人だけどさ)移動式音楽班にとっては、その楽団の
中で何年にもわたり意識されつづけていた一本のラインを跨ぎ越した。
2007-06-13
■とある曲の制作日記
あらすじ
人様の曲をカバーしてみたいと思った。 5 月初旬頃、手をつけていた幾つかの企てがまとまりそう
だったので、では、と、カバーしてみたい曲を制作された方に思い切ってお願いしてみる。もとも
と、その曲は最初聴いたときから幽玄な曲調と異様なビートに魅力を感じていて、いつか、人様の曲
をカバーできるような時が来たら是非コレ、と思っていたものだった。お願いしてみると快諾してい
ただいた。我が楽団なりの解釈とアプローチで曲に新しい息吹を吹き込めれば嬉しいですね。
快く提供していただいた、パソコンで制作された曲の作業ファイルは、ぱっと見、ぱっと聴き、暗
号のように複雑で、非常に謎めいていた。頭で考える前に曲に合わせて楽器を弾いてみるのはどうだ
ろう、と思い、何日か、曲にあわせギターをシャカシャカ弾いてみる。とりとめがなくまとまってい
かない。いくつかのコードの組合せや、リズムを試す。決定打につながりそうなアイディアは見えて
こないまま 5 月終わる。
6 月、やや焦りを感じ出す。おぼろげながらテーマはあるのだが絞り込めない。構成も然り。アイ
ディアを録音してみるのだがまとまらない。とにかく、とりあえず絞り込めないままでも、これまで
出たアイディアを総合的にぶち込んだデモを作ってみよう。行動。
6 月 17 日
終日、デモ制作。少し録音しては止めたり、延々とソロを奏でたり。ダメなアイディアと良いアイ
ディアが選別されていく。パーカッションの方向固まる。弦楽器のリフの大まかな形できる。
6 月 18 日
デモ添削。全体の構成固まる。少々ありきたりに感じられていたテーマ案に我が楽団的な切り口を
見出し、テーマが急速に絞り込まれていく。
6 月 19 日
歌詞できる。
ようやく完成に向けての演奏・録音が可能な段階となる。ここからがまた長いかもしれない。ふ
ー。
要約
謎めいた曲と格闘し、急に閃いた。強引な行動も時には吉。
2007-06-19
15
■続・とある曲の制作記録
人様の曲をカバー中。インスト曲に歌詞をつけ、すっかり歌う気満々。アレンジも大幅に変えてい
たりして、いざ完成を披露したら作者に怒られるんじゃないかとヒヤヒヤ中。
6 月 20 日
歌詞を曲に乗せるために歌メロを練る。一応、大雑把なメロディはあるのだが、言葉とあわせると
しっくり来たり来なかったりするので。エレキでメロディーを弾いたトラックをデモにかぶせる。
6 月 21 日
昨日制作分、趣味じゃないところがいくつかあり、歌メロ制作継続。
6 月 22 日
大体固まった歌メロにあわせて伴奏のアレンジ手直し。コードちょっと変えたり。
6 月 23 日
サッカー見に行っちまった(ヴァンフォーレ甲府 2-0 大分トリニータ)。
6 月 24 日
録音。ドーラックという太鼓(インド産)、ダラブッカという太鼓(トルコ産)。クラシック・ギ
ターをジャカスカと。クラシック・ギターと合わせたらダラブッカの手数が少し多く感じたので一部
録音しなおす。なにしろバンドなら 「せ∼の」 であわせて問題点を解決できるのだが、こちらはそう
もいかない。
続いて最近開発されたフレットレス・クラシック・ギターを実戦に投入する。このギターはそもそ
も 10 年以上前、とにかくクラシック・ギターなら何でもいいや、と、神田の質屋で購入したものだ
が、中国製で、はっきりとフレット音痴で、いろいろと苦労したものだ。 2005 年いっぱいまでメイ
ンのクラシック・ギターとして使用していたが、少なくともチューニングが合う中古のクラシック・
ギターを 2005 年の暮れに入手して以来、退役していたのだ。フレット抜いちまえばフレット音痴な
んて関係ないさ。ペケペケした音がする。大したものではない。
続いて鍵盤ハーモニカ。私は鍵盤楽器が実に苦手だ。運指ができん。一本指打法。指が足りん。猫
の手も借りたいよ。つっかえながら予定の演奏を録音完了する。
6 月 25 日
昨日の録音中、致命的なミスを発見する。いや、昨日の時点で薄々気付いていたのだが、誤魔化せ
るかと思っていたのだ。やはり駄目。フレットレス・クラシック・ギターの一部を録音しなおし。鍵
盤ハーモニカの一部を録音しなおし。興が乗ってきて鍵盤ハーモニカの演奏を一部追加する。
ここから更に、特殊な細工(数秒で出来るけど)をしたギター、エレキ・ギター、ハーモニカ、カ
ズーなどを追加する予定。スッゲー楽しいんですけど。一人盛り上がり中。
2007-06-26
16
■続 ・ 続・とある曲の制作日記
人様の曲をカバー中。楽器の録音に勤しむ日々であるが、いざ完成を披露したら作者に怒られるん
じゃないかとビクビク中。
6 月 26 日
クラシック・ギターの弦に、不要になったギターの弦を絡ませる。ブリッジの手前辺りのところ
へ。そして弾く。すると、サスティンが極度に短くなった 「ブチ」 っと、または 「ベシ」 っとした音
が、びりびりとしたノイズを伴って響く。ピアノの弦に金属等を装着し雑音を得るプリペアード・ピ
アノという試みがあるが、こちらはプリペアード・ギターラである。ブチブチベシベシ弾きまくる。
私はこの音が結構好きだ。
6 月 27 日
日本の笙に少し似たタイのケーンという楽器を演奏する。何本か束ねられた竹筒の中にリードが仕
込まれていて、息を吹いたり吸ったりして演奏する楽器だ。演奏するったって、ぷーかぷーか音が鳴
るばかりのこと。しかも音階が曲と全く合っていないという。が、まぁ、それも良いか、と。委細気
にせず、と。
続いて、クロマチック・ハーモニカを録音する。これは吹く・吸うおよびレバーの操作によって、
一つの穴で 4 種類の音程が得られる仕組みになったハーモニカで、今日、およそ 20 年振りに演奏す
る。その間押入れの中に入りっぱなし。レバーの戻りが悪く、分解メンテから行なわねばならぬ。試
しにレバーにリコーダー用のグリスを塗って拭き拭きし、更にレバーのバネを調整したところ快適な
戻りが得られた。演奏してみる。いやぁ、出来ないね。出来るわけがない。もともと 20 年前にだっ
て出来なかったのだから。曲を通じて五つぐらいの音しか吹いていない。
だんだん、音の塊のようになってきた。良好。
6 月 28 日
エレキギターを録音する。とりたてて語るほどの事はない。毎度のことながら下手。ソロは二ヶ
所。トルコ演歌のギターソロみたいな音を目指すが、ちょっと違うような気がする。さらに音の塊の
ようになってきた。全体的には良好。
6 月 29 日
ソフト付随のリズムマシンのパターン調整。原曲譲りのベースライン調整。付加効果。ますます良
好。
6 月 30 日
映画見に行っちまった。
7月1日
カズーを吹く。ぶーぶーぶー。熱唱する。あーあーあー。しかし、カズーを力入れて吹いていたら
声が枯れてしまった。♪ぼくの青い声はいつの間にかこんなに、こんなに枯れてしまった( 「ポップ
コーンをほおばって」
甲斐バンド)などと口ずさみつつ。古いね。
17
あとはミキシングですな。短期集中録音、粗く拙いが勢いは格別だ。楽しかった。
2007-07-02
■帰路
7 月 8 日、我がウェブ・サイトおよび
GarageBand Users Club にて 「帰路」 という曲を公開さ
せていただきました。よろしかったらお聴きください。
「とある曲の制作日記」 などとと称して 3 回ほど、この日報でその制作過程を綴ってきたもので
す。 wo_seven さん作 「 Neo-Fusion 」 という、洪水のようなビートの中に幽玄な美しさを湛えた曲
をカバーさせていただきました。感謝します。
http://homepage.mac.com/ido_siki/web/sounds/files/61ca7ffc4d0fd40f78bf676788553f0022.html
こちらでも大いに語らせていただいております。
http://gbuc.net/modules/myalbum/photo.php?lid=8004&cid=13
原曲はこちらでお聴きいただけます。
http://gbuc.net/modules/myalbum/photo.php?lid=3862&cid=6
私としては随分短期間でいくつものパートを集中して仕上げたものだ。演奏の方針を 「勢い」 のよ
うなところに置いたので、やりだしたら面白くなって止まらなくなっちゃった。大部分は気ままに
ジャカスカと弾きまくったものです。原曲のしっかりとしたベースラインが軸にあり、色付けのパー
トは自由に出来て楽しかった。
さてと、タイトルであるが、どこかに向かっていくストイックな姿勢って歌謡に散見されるテーマ
だと思うのです。言い回しはいろいろあると思うけれど、例えば 「ゴール」 とか 「果て」 とかね。
で、まぁ、そんな目的達成してさ、いや∼、一仕事やったんで家へ帰るわ、わし、という状況をテー
マに選んでみました。
といっても一仕事にもいろいろありまして、日常の延長的なものなら、別に、行く前と帰ってきた
18
ときと同じ人でしょ、と思うわけですけれど、一仕事が儀礼のようなものだったらどうだろう、と。
それならば、行く前と帰ってきた後とは別の人かもしれない。社会的なステータスが更新されるし、
その人にとっては、例えば宗教的な恍惚とか、私は遂に体験したよ感とか、いやいや見てはいけない
ものを見てしまったのだ感とか、いろいろとあるだろう。よって、彼は彼だが別の彼になって戻って
くる。彼が戻る場所があなたの元だとしたら、今度は、彼は愛によって突き動かされている。
彼が別の彼に生まれ変わる、その境界の向こう側に、何があるのか、何を見るのか、それはいろい
ろだろうが、一線を越えた鮮やかな記憶は褪せないだろう。また、愛にもそのような瞬間があると信
じるものである。案外、人はその瞬間の記憶で生きられているのではないか。
2007-07-10
■ THE ROAD TO NORTHERN LAND
面白いことになった。かねてより親交のある wo_seven さんに、以前私が制作した 「北国への道」
という曲をリミックスしていただいたのだ。
コチラでお聴きいただけます。
http://gbuc.net/modules/myalbum/photo.php?lid=8136&cid=14
自分の曲をリミックスされるなんて初めての経験で、それがしかも、まったく吃驚するようなリ
ミックスなのだ。
私の演奏のテンポと、リミックスを貫くビートのテンポは、一致していたり不一致だったりする。
私の演奏も、合奏時の各パートの開始のタイミングが前後にずらされていたりする。
つまり、いっせーので演奏が始まらない、フライングする奴や、遅れて演奏を始める奴がいて、ビ
ートのテンポが演奏より速く進行したりする状態だ。普通、ガタガタな演奏になるはずだ。が、どう
いう訳かちゃんと聴こえる。不思議だ。
wo_seven さんはオリジナル曲も数多く制作発表されている方だが、その作風から 「壊し系」 の異
名を持つ。破壊的なビートのコラージュでぐいぐい進んで行く感じだ。とともにキラっと美しい(と
いうより妖しい)シークエンスの導入も得意とされるところで、そんな手腕の一端を、ここでも垣間
見させていただいた気がする。
一塵の風に舞うような音。自分の演奏がやけに生々しく聴こえたりするのも不思議だ。胸に赤々と
灯がともった感じで、最近、ニヤケながら暮しているものである。これを一言で表すなら、ん∼快
感。
多謝。ありがとうございます。
2007-07-31
19
■演奏します
移動式音楽班が楽器弾いて歌うたう予定です。
8/12
千葉県茂原市
ライヴハウス Clove
open 16:30
start 17:00
負塊主催 「第一回変態フェス」 に出演します。第一回に参加できるなんて超光栄だよ。想像しただ
けでドキドキするぞ。あ、変態にドキドキじゃなくて、ステージね。困ったなぁ。あがっちゃうんだ
よな∼。
え∼、変態なの?
変態野郎だったですか?
そうさ、いや、ウィ、ノン、ダー、ニエット、どっちだ。
さて、付近の地理を見てみると、とっても牧歌的そうなところだ。
これは普段私が暮らすところよりも更に田舎びた光景が期待できよう。いいぞ。俺は移動式さ。し
かし、こんな牧歌的そうなところで変態フェスが開催されていいものだろうか。その辺は私には明ら
かではないのである。すみません。お邪魔します。
なにはともあれ、変態たちが多数出演するようですので、変態に興味のある、ちょっとアレな方
で、最寄で、なおかつ当日、このジャポン国はお盆だ帰省だと、夏の行事のクライマックスにひた
走っている最中と察せられるにも関わらず、にも関わらずお暇な方は観にいらっしゃることを検討さ
れてみてはいかがでしょうか。
成り行きは後日レポートします。
2007-08-06
■演奏してきました
8 月 12 日、人様の前で生演奏しました。
20
茂原ってどこだ、秘境だ、いやコリン星だ、などなど、かなり田舎への道のりを覚悟していたが、
実際そこは田舎だった。田がひろがり、空は青く高く、まむしには注意が必要な、そんな感じ。
JR 外房線茂原の隣の本納というところが現場であるライヴハウス Clove の所在地であるが、昼下
がり、駅前のなんにもない短い通りを歩いていると、これは蜃気楼ではないか、夢ではないか、いや
いや俺は既にどこかでこんな光景を見たはずじゃないか、と、いろいろな感情が去来したものだ。
お会いしたかった人に会えたり、食いたかったうどんを食ったり、見たかった変態楽器を見せても
らったり、かなりの幸福と満足度大に包まれていたので、ではこれで、演奏はいいじゃないですか、
あがっちゃうし、と帰りたい心境でもあったが、夜、演奏してきました。
「第一回変態フェス」 移動式音楽班の演奏内訳
1.
2.
3.
4.
5.
6.
寒い国のクロニクル(サズ / アコーディオン / 歌唱)
野生水域(マンドリン / アコーディオン / 歌唱)
琉球民謡 安里屋ユンタ(サズ / アコーディオン / 歌唱 Featuring 嘉手苅 miba )
通りの向こう、果てを見る(クラシック・ギター / アコーディオン / 歌唱)
半即興メンバー紹介歌:移動式音楽班のテーマ(びんざさら / 歌唱)
ディオニソス、俺は知りたい∼寄港地にて(マンドリン / アコーディオン / 歌唱)
メンバー:移動式音楽班(歌唱ほか)、ruru(アコーディオン)
非常にね、真夏の陽射しの中、時が止まったような田舎で、そんなところに変態が集うライヴ・ハ
ウスがあって、みんな楽しく、その変態っぷりにゲラゲラ笑いながらやっているわけだ。移動式音楽
班としてライヴやるのは初めてだったけれど、まぁ、自分が今まで出演したライヴの中で、こんなに
笑って幸せだったものはないだろう。出演を誘っていただいた異常奏者
( http://www.klareflugel.com/izyo-sya/ )さん、ライヴハウス Clove さん、そのほか出演者の皆さ
ん、ありがとうございました。
さて、本番の前日、東京は荻窪のスタジオでリハーサルした音源を公開してみました。よかったら
お聴き下さい。
http://homepage.mac.com/ido_siki/web/sounds/files/a08e1946680b7823f725eef06d60e9c5-23
2007-08-14
■音患い
巷では猛暑であると喧しい 2007 夏
暑い。確かに暑い。
私はちょっとでも寒いことには耐えがたい体質なのだが、暑いことは結構平気だったりする。なの
21
で、連日の猛暑の中、エアコンなどない部屋(私の棲家は通常の夏ならエアコン不要の冷涼気候だ)
にこもり、窓も締め切り、太鼓やらギターやら笛やら、挙句の果てに歌まで歌ったりして過ごしてい
る。あぁ、そりゃあ確かに暑いさ。こんなこと、ほとんど狂人である。が、窓を開放してやっていた
ならば全て外に丸聞こえであるから、近隣から更に狂人の烙印を押される羽目になる。
汗だくである。汗みどろである。ぬかるみのような、沼のような状況である。おそらく 40 度近い
室温であろう。お部屋で太鼓やらギターやら演奏していて熱中症に見舞われかねない状況である。も
しそんなことでぶっ倒れたならば、かなりのすっとこどっこいと言えるだろうから、そうなればそん
なエピソードを聞きつけた人々の嘲笑が目に浮かぶようだ。より広範な人々に狂人のスティグマを刻
ませる訴求力があるかもしれない。
これは、しかし、この情熱は、まるで熱病である。何が私を患わせるのか。
例えば、恋したとき。一日に自分以外の誰かさん一人(複数という器用な人もいるかもしれない。
構わない)のことを何時間も考えるだろう。一人勝手に想う恋の不安や恍惚は歌い人のくちびるにメ
ロディをもたらし、ギターをその手に取らせる(わたしゃ、まったく恥ずかしげもなくこういうこと
を書けるし言える)。
あるいは、音そのものに官能を感じちまっているとしたら。ギターを初めて手に取り、ボロン、ボ
ロン、ジャカスカと、やがて弾けるようになっていく過程で、それにのめりこむにはそうした感性が
疼いたはずだと思う。そんな情動がなぜか湧き上がるならば。
そんな風に 「これだよ」 と簡潔にこの患いの説明はできない。しかし、何かが 「今、やれ」 と私を
突き動かしているようだ。きっと今しか出せない音があるのだろうな。
変な日報書いちまったな。
2007-08-17
22
■班活動報告
その一
8 月 23 日、 ieie さんという友人と制作した曲を一曲、 GarageBand Users Club にて公開しまし
た。よろしかったらお聴きください。
http://gbuc.net/modules/myalbum/photo.php?lid=8250&cid=13
この曲の制作を巡っては、 2 月 27 日、 6 月 4 日の日報などが関連項目である。つまり、結構前か
ら制作していたのだな。完成して嬉しいよ。 ieie さん作曲のデモをいただき、私の側でそれに日本語
詞をつけ、更にかなり自由にアレンジして構わないという企画だった。生楽器による繊細気味の演奏
や、エレクトリック楽器によるハード気味の演奏を、あぁ、人の曲アレンジしたり演奏したりする
のっておもしれ−、と、とっても楽しみながら作りこんでいったものだ。 ieie さんは大変にロマン
チックに歌われる素晴らしいヴォーカリストなので、自分は演奏だけでほとんど歌わずに済むだろう
と思っていたのだが、案外歌ってもいる。お気に入りの曲になった。
その二
移動式音楽班がまたしても人様の前で演奏します。えー、マジで。マジですか?プレーヤーです
か?そんな馬鹿な。
9 月 1 日 大磯すとれんじふるうつ(神奈川県) kcsaito さん(ピアノ)、嘉手苅みばさん(う
た)らの最後方で、マイクのボリュームはかなりゼロに近く絞っていただき、何曲かひっそりと演奏
に参加させていただく予定です。演奏者の醍醐味は、演奏している、とみせかけて、一番近いところ
で他の演奏者の模様を眺められるのでサイコーです。そんなスケベ心、それは率直に申し上げてあり
ます。
9 月 16 日 渋谷GABIGABI(東京都) 移動式音楽班がジャポン国の恋人達の首都、シブヤに登
場。もうこれで思い残すところもなかろう。 The Telepaths との対バンさせていただく予定です。内
容は未定。
2007-08-25
23
■暗夜練習
夜、暗闇の野外で楽器演奏したことありますか。
まず、問題点は、ギターのようなものの場合、押えかたがわからなくなる。まったく何も見えなく
て。それでももう四半世紀ほども弾いているのだから心眼で奏でよ、弾けるだろう勘で、という風に
も思うものだが無理である。眼をつむって弾くというような訓練を積まねば出来なかろう。出来ん。
見えん。弾けん。闇フェスティヴァルのような催しには出られん。
笛のようなものの場合は、押える孔の見当はギターのようなものよりつき易い。しかし、暗闇の野
外で笛を吹くことはギターを弾くこと以上に、実に薄気味悪い風情を醸し出す。ひゅるるー。魑魅魍
魎どもが寄ってきそうでこえーよ。後ろから何者かにトン・トンと、肩を叩かれたり、目の前にぬ
うっと何者かが現れたり、闇の中、実は四方八方何者かに包囲されていたりしそうで、とても心安ら
かには吹いておられぬ。もしそんなことになったら、勿論、心臓が止まるだろう。
歌をうたうのも、案外憚られるものだ。どうせ誰も聴いていないのだから堂々と、朗々と歌えばよ
ろしい。しかしだな、熊くんとか猿くんとか狸くんならいざ知らず、もしも万が一、何者かに聴かれ
ていたらと思うと、これはやはり心穏やかではいられない。その辺に曲者や人目を忍ぶもの達が潜ん
でいないという確証はないのだ。暗くて。
私は、たいがい霊的なものの存在など、あまり意識もせず、信じることもなく、クールに日常を
送っているものだが、闇と音とがセットになり、しかも自らが音を奏でる当事者である状況は、少
し、気味悪さを意識するね。
というわけで、せめて防御を固めようと、車の中に逃げ込んで練習する。窓を締め切り、鍵も閉
め、車内灯もつけて、更に非常時にはすぐに車を発進できるような体勢に駐車している。これで安心
と。で、ジャカスカと練習する。まぁ、それでも魑魅魍魎の類が突然、ウィンドウ越しに現れでもし
たなら、勿論、心臓が止まる。小心な野郎だぜ。
なーぜ、こんなことをしているかというと、思いっきり演奏したいだけだ。練習したいだけだ。音
を出したいのだ。そして、私が暮すこのド田舎町にはスタジオがないのだ。なので町外れの闇へと向
かうのだ。一体、他のアマチュア・バンドなどはどうしているのだろうか。
先日は、ポリスのパトロール・カーがやってきた。複数のポリスメンがこちらをじーっと見ていた
がお咎め一切なし。そりゃあそうだ。こちとら町外れの暗闇に停車した車の中でギターなどを弾いて
歌うたっているだけの、日本中どこにでもよくいる野郎だからな。どこが怪しいものか。何か訊かれ
たら 「練習です」 としか答えようがない。
昨夜は羽の生えた車がやってきた。ドライバーは私が駐車しているポイントを名残惜しそうに見な
がらUターンしていった。この場所、何かいいことあるのか?
さて、そんなわけで移動式音楽班(班長)、今週末、演奏して参ります。闇に棲む魑魅魍魎ども
よ、私に力を。あがっちゃうんだよなー。
9 月 1 日 20:00 嘉手苅みば(歌、三線)
を務めさせていただきます)
於、大磯すとれんじふるうつ
スタジオでも個人練習してから臨むよ。
2007-08-30
24
(背後で何曲か伴奏
■寒い国の男、暑い国からやってきた女の歌を伴奏する
さて、既報の通り 9 月 1 日、嘉手苅みばさん
という、素晴らしい唄うたいの方の、気持ちは
背後で、実際は横っちょで演奏してきた。スペ
シャルゲストが俺(移動式音楽班)だというこ
とで一瞬のけぞる。普通、客呼べる人間で
しょ、それって。推定御利益なし。
既に気心の知れていそうなバンドの中に、一
体、何を演奏するのかもわからぬ私のような輩
が突然加わったわけだから、バンドの皆さんは
さぞや戸惑われたことだろう。私側も、当日現
場で初めて合わせた訳で、難しく感じた面もそ
りゃいろいろとあったが、ベストは尽くしたし、良い音を奏でられた瞬間もあったかもしれない。
私が演奏した曲と担当楽器は以下(他にもいろいろな曲が演奏されたけれどね)。
「 leave me a lake till my dying day 」 (マダリン)
「わたの樹」 (マダリン)
「通りの向こう、果てを見る」 (なぜか急に請われてクラシック・ギター弾き語り独奏)
「安里屋ユンタ ( 琉球民謡)」 (サズ+歌唱)
「 nutcracker boB 」 (サズ)
「ウムカギ」 (ティン・ホイッスル)
嘉手苅さんの作品はこちら(http://gbuc.net/modules/myalbum/viewcat.php?uid=1652)でお聴
きになれます。
ファンとしての感想だが、嘉手苅さんはバックの演奏を選ばぬ歌い手な気がしている。自分が一つ
のカテゴリーのような。今回のように、ジャズをベースとしたバンド(そこに俺のような異物が闖入
しているのだけれど)だろうと、ゴリゴリのロックだろうと、はたまたアコースティックなセットだ
ろうと、何であれ自分の色を出せるだろうし、羽ばたくように歌えるだろう。凄いな、と思う。ただ
し、弾く側には相応の覚悟が必要だろうな、とも。
ヒートアップしていく熱気を感じながら、こちらもそれに応じつつ弾いた曲もあったし、ひたすら
弦を掻きむしるように弾いた曲もあったし、心吐き出すように奏でた曲もあった。印象深い。またい
つの日にか、後方でも側方でも、再び音の現場で相まみえんことを願い、終演後、ひとりバーボンの
グラス(なみなみサービス)を傾ける、寒い国からやってきた黄昏野郎であった。心はあっちくなっ
たぜ。
2007-09-04
25
■古い曲
若い頃の自分の姿は思い返すとなかなか恥ずかしかったりする。馬鹿で愚かで未熟者で。ん、今も
少しも変わらないか。しかし、おっさんの自分の姿も、若い日の自分が見たなら反吐が出るかもしれ
ぬ。人生とは望むようにはいかないものだ。己に背かず生きてきたとか、嘘をついたことはないと
か、裏切ったことはないとか、言えません。そうやって立ち回った心当たりがあります。あ、懺悔し
て免罪されようというコーナーではないよ。
凄く若い頃の自分が書いた曲があって、この夏、どういうわけか、人前で演奏するきっかけがあ
り、どういう心境かその曲を歌ってみようと思ったのでした。その曲は、書いた当時の自分には意味
がよくわからなかったりしたところがあって(なぜかそういうものができちまったのだった)、長い
間、対話しつづけたというか、ふと思い浮かぶたび、気の向くたび、添削しつづけたというか、そう
いう曲だ。
今ではその曲の意味を説明できる。添削したし。曲中の主人公は俺本人かもしれないし、そうでな
いのかもしれないが、どちらにせよ、書いたのは俺なので、その中には、若い日の自分も、今の自分
も、住んでいる。いろんな心当たりを行間に込めている。そしてもうこうなれば、俺と共にこの曲は
終わりなく変わり続けるのだろう。ある日、音楽というものからすっぱり足を洗って 「もう忘れた
よ」 なんて言う日が来るとすれば別だがね。
ラフな編成で、ラフな演奏で、凝った演出などなく録音してみた(総録音時間:半日)。きっと、
また思いついたときにこの歌の歌詞は変わるのだろうし、行間に込める心当たりも変わっていくのだ
ろうから、そんな方法がふさわしいと思ったのだ。人生は日々、終末に向かい緩慢に進行している。
悲しみも喜びもあるが、だが、私は悲観しない。ただ、ときどき歌います。
よかったらお聴きください。
http://homepage.mac.com/ido_siki/web/sounds/files/abb5093db150c21d4a0780e41d697e1b24.html
2007-09-10
26
■演奏します
渋谷
来る 9 月 16 日の夜、ジャポン国の恋人達の首都シブヤで演奏させていただく予定です。ギターの
ほか、いくつかの楽器を弾いたり、あわせて歌ったりするはずです。メンバーは一応、俺一人なので
すが、首尾よく演奏できればメランコリィの精霊とジャカスカの精霊が降りてきてくれるかもしれま
せん。励もう。(※宗教系、スピリチュアル系ではございません)
俺以外の出演の方々は、とても素敵な音楽を紡ぐ方たちです。地理的に不便なく、お時間に余裕の
ある方はいらっしゃることを検討されてみてはいかがでしょうか。
シブヤでは、若いときに一度きりバンドで演奏した覚えがある。バンドと言っても、マンドリン+
ギター+クラリネット+アコーディオンであったから、まぁ、バンド青春!みたいな風情ではなかっ
たな。確か、やっていてぜーんぜんウケているように見えなかったな(大体、ウケているように見え
たことなんて一度とてあったろうか)。なにしろヘタクソだった。しみじみヘタクソだった。特にマ
ンドリン弾きの野郎が。うわ、それ俺だよ。
それが東京で演奏した最後だと記憶している。
その後、話せば長いいろいろなことがあったわけですが、いろいろあって再び演奏させていただく
ことになり、その、いろいろあったいろいろなことを、ちょっとしたささやかなものですけれども、
演奏に込めてみたいと思っています。
2007-09-12
■渋谷、私は歌った
既報の通り、 9 月 16 日の夜、渋谷gabigabiにて演奏して
まいりました。
渋谷は相変わらず人で溢れていて、楽器をいくつも抱えた
馬鹿がうろうろすると迷惑甚だしいだろうな、と世間への申
し訳の無さを感じてしまうものだが、いや、まぁ、だが実
際、都会を闊歩する人々は他人のことなど最大 1 秒くらいし
か気にしないだろうから、それはそれで楽器をいくつも抱え
た馬鹿にとっては居心地の悪いものではない。
それにしてもこの暑さはなんだ、というほど暑かった。 9
月だというのに狂ったように暑い。狂った 9 月だ。だが、そ
れは俺を祝福しているようでもあった。なぜなら、天気予報
によるとこの日、ジャポン国中で晴れているのは、俺の棲家
がある長野と、この関東だけだったのだ。他は雨だったの
だ。こんなときは自分に良いように考えよう。反対にそこだ
けが雨だったならば、それはそれで自分らしい、と考えれば
それでよい。心の持ちようさ。
27
その夜の移動式音楽班の演奏内訳
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
寒い国のクロニクル(サズ)
ある美しい日のシャンソン(クラシック・ギター)
野生水域∼ 8 分の 9 拍子の舟歌(マンドリン)
ディオニソス、俺は知りたい∼寄港地にて(マンドリン)
メンバー紹介歌:移動式音楽班のテーマ(チャフチャス ※美空ひばり 「チャルメラそば屋」
Bobii Nooton 作曲のカバー)
通りの向こう、果てを見る(クラシック・ギター)
あなたは花のように美しい女だ(クラシック・ギター / ハーモニカ ※友人のアントニオ=ホ
セ・サントス・アミーゴ氏作曲)
御覧いただき、お聴きいただいた皆様に 「イドー!」 「移動式!」 「移動さ∼ん!」 などなどと盛
り上げていただき、おかげさまでおよそ 30 分ほど、ありがたく演奏させていただきました。一人き
りで人様の前でライヴをするなんてことも実質初めてだったし、一曲だが、ギターとハーモニカを合
わせて吹くなどということも高校生の頃以来と、自分史の中で切れた糸をつなぐような思いも少し感
じたものだ。
いやに長く暑い夏だった。いろいろな人と出会えたし、行ったことのない場所へも行けた。その途
中で通過していった景色すらいとおしい。そして、行く先々に素敵な音があった。その中で、自分も
そんな素敵な音の風景の一部として、音を放射できていたなら、あぁ、なんて良いのだろう!
もうじき昼は夜に打ち負かされ季節は巡る。私はまた新しい歌を思いつくだろう。そこにはそれま
で知ることのなかったこの夏が、どんな形にせよ刻まれることだろう。またどこかで演奏できるとよ
いですね。俺は移動式、どこへでも行くぜ。
ライブやリハーサルの模様(音源)も、折を見て公開したいと思っています。
2007-09-19
■ある美しい日のシャンソン
先日、ライヴで生演奏する為にスタジオに籠り、何時間かリハーサルを重ねたものだ。スタジオで
音を出すことは本当に楽しい。
さて、そのリハーサルの最中、スタジオ備品の MD デッキにて、その模様を録音し続けたものが手
許にある。後日、そんなものを垂れ流し的に聴いていると、自分でやっているのにもかかわらず、な
かなか責め苦を味わう気になってくる。ひたすらの練習風景である。
更に、いやぁ、マイク 2 本を使用してミキサーでのパンはセンターに固定していたのに、録音され
たものはレベルが相当右に寄っていたりする。おかしいなぁ。変だ。しかも連日練習したので、部屋
も機材もチェンジして録音したというのに、なぜかやはりレベルが連日右に寄っていたりする。不可
解であり不本意でもある。どうせ寄るなら左にして欲しかった。深い意味はない。
そんなところは幾分か補正しつつ、リハーサルの録音物の中から一曲、公開してみました。よろし
かったらお聴き下さい。
28
「ある美しい日のシャンソン」
http://homepage.mac.com/ido_siki/web/sounds/files/1503e79e406342dd3020d844443fcd6225.html
いつかこの曲は、いろいろな楽器で飾って、けれどその核心に、こんな風にギターと歌唱だけで表
現される荒っぽい息吹のようなものが息づいているような、そんな録音物を制作してみたいとも思っ
ています。また、私にとって 「シャンソン」 とは、荒々しい息吹を内に秘めた歌、というような感覚
があります。
2007-09-26
■班活動近況
楽団をやっている。ひとりで。おもな活動はmacを使った録音作品を制作することだ。が、このと
ころ表立った活動なし状態である。 9 月には人様の前で演奏する機会などあり、そういった活動に打
ち込んでおったっけ。そんな過程で収録された雑な録音物などを後で整理したりすることにも意外と
時間がかかったものだ。
そのあと、一曲録音した。これは密かな楽しみのために録音したもので公開することはない。新し
く導入しようと目論む雰囲気や手法を少し試した。
それから、いまいましい風邪をお見舞いされたな。ここで相当な休息を必要とされた。
10 月になって、以前から友人達と持ち回りで共作している曲に、少し録音を足し編集を加え次へ
回したのだが、あれは一体その後どんな運命を辿っているのだろう。まぁ、私も受け取ってから一ヶ
月は放置していたものだ。はっは。この録音はかつてない環境で行なわれたもので(詳細は秘す)ノ
リノリで楽しかったが、プレイ自体に一切反省をしないという方針(自分で勝手に決めた)で臨んだ
ものだから 「なんじゃコリャ」 と闇に葬られている可能性もある。文句は言えまい。
続いて、友人と一発共作しましょうよ、と盛り上がった企画に手をつける。元曲は友人が既にあら
かた制作したものがあるので、私はそれをもう、まずはあんなふうにしたり、こんなことにしちゃっ
たりすればよいわけだ。で、あんなふうなデモ断片や、こんなふうなデモ断片を録音した。が、いろ
29
いろと技術的な問題があり、それも腕前の問題ではなく、制作に使っているパソコンの物理的な問題
と申しましょうか、要するに、パソコン内部の音源を華々しく鳴らし(友人制作)、かつ、私が大量
の生演奏トラックを録音した場合、マシンが動作しないことが明白で、少し発想を変えないと進展し
ない状況である。
更に、 9 月、人様の後方で演奏させていただく機会があり何曲か弾かせていただいたものだった
が、私は、そうやって関わった曲は公開するかしないかはともかく、可能な限りカバーすることに決
めている。もう弾けるのだしさ。ということで、少しく制作を試みてみる。う∼む、実際に関わった
現場の印象が強く、どういうカバーにしようかひどく迷う。やべぇ、そんなことしてたら弾き方忘れ
ちまうよ。
以上のような状況の間隙を縫って、一曲、形になりかけているものがある。のんびり作ろうと思っ
ていたものだが、他の企画が進まないため何時の間にか形になってきたものだ。こうなると、私はそ
れに没入する性格だ。ということで、目下、楽器道具総動員体制で挑んでみている。まぁ、まだ時間
を要するだろう。挑んでみて弾けないことに気付く道具が多いのだ。キーの問題とか、出来ると錯覚
していたりとか(例、ヴァイオリン)。
このように整理してみると、はっきり目途の立っているものがなくて笑っちゃう。あはは。道楽だ
し、気の済むまで命がけでやります。お、力強いね。
2007-10-29
■ある思いつき
モザイク的手法
音楽制作のアイディアなど書き留めておく。珍しい。夢のあることを書こうじゃないか(私にとっ
てね)。
私は道楽で楽団(一人だけどさ)などに血道を上げておるもので、活動は主にフォークっぽい録音
作品を制作することであるが、その際、意識している手法というか概念として 「モザイク」 「パッチ
ワーク」 「コラージュ」 というものがある。音楽制作の用語として広く使用されるものであるのかど
うか、私のような素人の知るところではない。
モザイクは、小さなタイルやガラス片などを埋め込んだり嵌め込んだりして模様を描くことであ
る。
パッチワークは、布片を縫い合わせて模様を描くものである。つぎはぎである。
コラージュは、絵画や写真で、脈絡のない素材の断片を貼り付けたり重ね合わせたりすることであ
る。
まぁ、そんなことを音楽制作に置き換えて意識しているというのは、パソコンで音楽作品を制作し
ている環境にもよるし、制作者(=俺)の移り気で軽薄な心性によるものだとも思う。
さて、そうした手法をより派手に追究していきたいぜと、木の葉の舞い落ちる秋、なぜか感じてい
るのでありますが、今日は一つ、モザイク的な作品のアイディアを思いついた。
モザイク全体を構成する一つ一つの欠片は完璧な造形をしている必要は必ずしもない。それら欠片
の集合全体が印象を与える。例えば、言語というものもモザイクのようなものとして捉えることが出
30
来るかもしれない。
日本語のネイティヴ話者は、概ね 「音節」 を言葉を構成する最小単位と考えている。
「木の葉」 といえば 「こ+の+は」 の三音節の一音一音を最少の単位と考えるはずだ。しかし、音
節は更に 「音素」 という、より小さな単位から成り立っている。アカデミックなことを言い出せばき
りがないが、平たく言えば子音母音である。
いろいろな考え方があるようなのでこれがスタンダードとは言えないが、標準的な日本語には下記
の音素がある。
•
•
•
•
母音 a i u e o
半母音 j (ヤ行の母音の前に立つ音) w (ワ行の母音の前に立つ音)
子音 k g s z t d n h b p m r
特殊音 N (撥音: 「ん」 ) Q (促音: 「っ」 ) R (長音: 「ー」 )
これらの音素をそれぞれ録音して、モザイクの欠片のように組み合わせるのだ。促音、長音は単独
では発音できないが、まぁ、母音、半母音、子音、撥音あわせて、たかだか 20 個の音声サンプルが
あれば、非常に大雑把な日本語の音節を形成することが出来よう。音素モザイクから音節、さらに言
語という幾何学模様が生まれるという訳。
これを作品にするには、音素をどういった配列で並べるか、例えばプログラムに拠るとか、サイコ
ロやカードのような偶然性に委ねるとか、勿論テクストに沿ってとか、どの道を選択するかによって
制作者の個性が現れるだろう。日本語の音節は特殊音が絡まなければ 「母音のみ」 「子音(または半
母音)+母音」 「子音+半母音+母音」 の 3 パターンの構造しかないので、その規則を踏めば意味の
あるものであれ、謎なものであれ、日本語ちっくな音声を比較的たやすく造作できるだろう。どうだ
ろう。
歌わせるなら音階毎の母音及び撥音の音声サンプルが必要になる。オクターブ 12 音階全部必要な
ら 12 * 6 = 72 のサンプルが必要だ(ソフトウェアによっては音声サンプルの音程を変えられるの
で必要ない)。
ボクの子音とカノジョの母音が一つの音節になったりすれば、妙な、生々しくやーらしい感じの高
揚感を得られるかもしれない。変態だね。歴史的な偉人・超人・有名人などとの音素結合も可能かも
しれない。人力ヴォーカロイドのような真似も出来るかもしれない。かもしれない。変態だね。
そしてそれはモザイクが生み出す幾何学模様なのです。うわ、変態だねプラン、やってみよう。
2007-11-01
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■美しい日
移動式音楽班のウェブ・サイト( http://homepage.mac.com/ido_siki/web/ )に曲を公開した。以
前紹介した弾き語り曲に、もう少しいろいろと、ジャカスカと、手を加えてみています。まぁ、どん
な具合に手を加えているのか、そんなこと誰にとっても全く意味のない情報に思えるが、マニアック
な話題も記しておこう。
まず、クラシックギターをジャカスカと弾いている。これにはピックを使い掻きむしるように奏で
る。
リコーダーを吹く。私の笛吹き術の要点は過ぎたタンギング(tuと発声するときの要領で発音する
術)をしないように心掛けていることだけである。
ギターに4本しか弦を張っていない状態のものを弾く。チューニングは下から G♭ - D♭ - A♭ D♭ である。ギリシャやアイリッシュ音楽に導入されるブズーキという楽器の調弦の間隔と等しい。
なぜ、こんなことするかというと、思いついてしまったからである。
ここまでの状態でほぼ一曲が出来た。
「ある美しい日のシャンソン
Guitars & Recorder Version」
http://homepage.mac.com/ido_siki/web/sounds/files/21bf233da4b765ddc7aa08d079efbf1126.html
続いてマンドリンを弾く。チロチロとジャカスカと。チューニングは下からG♭ - D♭ - G♭ - D♭
である。 Begin が開発した 「一五一会」 なる楽器の調弦の間隔と等しいが、 Begin に習うまでもなく
そんな調弦は 15 年前くらいからやっているのだ。
更に太鼓など叩く。太鼓で難しいことをしようとしてもできないので、基本的に表拍をドスドス叩
くことを心掛けている。
とどめに私が改造した弓奏クラシック・ギターを弾く。ギーコギーコと。今回装着した弦は廉価な
チェロ用の弦( 3 弦・ 2 弦)である。チューニングは低い方から E - A である。チェロ弦を装着した
おかげでチェロのような豊かな陰影に富むふくよかな音色がするかと言えば、否、まったくしない
32
よ。
で、エコーかけたり、電子楽器の音を導入したりして一曲になる。
「ある美しい日のシャンソン」
http://homepage.mac.com/ido_siki/web/sounds/files/ec9458d53af871507b8be75357bb891d27.html
つまり、邪道集だな。こりゃ。
とはいえ、それら既に確立した表現様式の代用品のようなセットによる合奏ではあるが、高揚のひ
とときを切り抜いて歌に刻むのだ、という制作者の心情を表すには充分なものでもあるのである。
2007-11-23
■変態フェス 2
ステージ上に二人の男。エレキ・ギターと、エレクトリックのこぎりが、互いに呼応するように
ミョーンミョーンと奏でられる呪術的な演奏が行なわれる。ステージ中央後方にはなぜか臼がセット
されている。
ほう。臼、ですか。
呪術的な演奏が続く中、客席後方から 「おおー」 などという嬌声が聴こえてきて、もう一人の男が
ステージによろよろと現れる。手には杵。
そして、杵で臼を、打つ・打つ・打つ。
よろよろしながら打撃しているので臼の底になかなかジャストミートせず、ほとんど縁に、リム
ショット気味にかすっているところが、深い楽想を提起しているかのようだ。観客げらげら笑う。
33
臼プレイヤーは、続いて靴を脱ぎ捨てると、やおら靴下まで脱ぎ捨て上空に放り投げた。そしてス
テージ中央前面に寝かされていたベースを手に取って構えた。ベース&ヴォーカルなのだな。ん、更
に背面にも一台背負った。更に、自分の足もとに寝かされたもう一台のベースに向かい、素足で身構
えた。そして、 3 台のベースを両手と足で同時に演奏しだした。足指はアクセントの位置で器用にも
ベース弦をまとめてダウンストロークしていたりする。そして歌っている。何を言っているのかは全
く分からない。叫びである。
続いてスタッフによって椅子が 3 台運び込まれ、横一列に並べられた。左の椅子にベースが置か
れ、中央にベーシストが座り、右の椅子にもベースが置かれた。そして足もとにもベース。お
おっ、 3 台のベースのフォーメーション変更である。やはり両手と足により、新たな体勢で 3 台まと
めて演奏される。すげえな。
やがて臼と杵、椅子は撤去され、今度は丸テーブルが運ばれる。その上には魔法瓶とやかんが置か
れた。
なるほど、お茶の時間、ですか。
いや、魔法瓶には無骨にピックアップが取り付けられ、コードが出ている。ベーシストは、ベース
を脱ぎ捨て、ヤカンの水で手を濡らす。
そして魔法瓶を猛烈に、擦る(きゅっ)擦る(きゅっ)擦る(きゅ)。
スピーカーからラウドなきゅっきゅっきゅ音が轟く。観客げらげら笑う。
2007 年 8 月 12 日、第一回変態フェスティバルのハイライト、負塊(ふかい)の演奏の模様の、
ほんの一部を描写してみました。移動式音楽班も参加した変態フェスでしたが、その第二回が開催さ
れるそうです。で、再び演奏させていただきます。負塊の演奏も楽しみです。
2007 年 12 月 8 日(土)
第二回変態フェスティバル
於、千葉県茂原市
ライヴハウス本納 CLOVE
2007-11-30
34
■生演奏って難しいけれど面白いな。
既報の通り、 12 月 8 日、千葉県茂原市ライブハウス本納 Clove において、第二回変態フェスティ
バルに出演し演奏してきました。 8 月に開催された第一回に続いての連続出演ということで、スガス
ガしく爽やかな移動式音楽班のサウンド・人相・心性も、そういったものに変わりつつあるかもしれ
ない。ふわっはっは。結構なことだ。
演目
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
移動祝祭日
野生水域∼ 8 分の 9 拍子の舟歌
その祈りは解読されてはならない なぜならそれは犠牲だから
メンバー紹介歌:移動式音楽班のテーマ(※作曲: Bobii Nooton )
The End(※作詞・作曲: Jim Morrison )∼寒い国のクロニクル
ディオニソス、俺は知りたい∼寄港地にて
ある美しい日のシャンソン
歌、ウード、マンドリン、クラシックギター、ハーモニカ、洗濯板、サズ:移動式音楽班
アコーディオン、チャフチャス、ベル、ケンガリ:ruru(非常勤アコーディオン奏者)
今年は本当に久しぶりにステージで演奏する機会が何度かあって、一応、その度にテーマのような
ものを自分の中では掲げていたのだが、今回のテーマはコレ。
「一曲ごとに違う楽器を弾く」
なんじゃ、そりゃ。常に新鮮な気分かな、と思って。好きだし。いろいろ弾くの。
リハーサルの段では、更に他の楽器も試し、全曲違う楽器を弾こうと目論んでいたのだが、扱いが
難しかったりしてマンドリンとクラシックギターで二曲ずつ、他の楽器を一曲ずつ弾いている。しか
し、一曲ごとに違う楽器に持ち替えると言う決意は貫いてきた。そして、その結果わかったことがあ
る。
そんなことはしない方が良い。
別に演奏の良し悪しに関わることではない。そんな言い訳はしません。要するに、弾いちゃあ取っ
替えで煩雑なのである。人はやってみて気付くのである。
も一つテーマはコレ。
「ぐわぁあああ、っとロック!」
なんじゃ、そりゃ。
まぁ、武器が牧歌的なフォーク楽器の類なので無茶なことを言っているが、生音で、音の強弱で、
リズムの緩急で、ロック魂の急所をえぐりたいと。そういう瞬間が少しでもあったなら良かったと思
います。もし再び人様の前で生演奏する機会があったら、やはりその線を目指したいと思います。
で、ぐわぁあああ、の波が引かないようにするためにも楽器を持ち替えてばかりいてはいけません。
後進への忠告です。ん?誰も続かねえか。こんな道。
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わがままな音響への注文、とぼけた照明への注文、その他もろもろ、快く応じていただいたライブ
ハウス Clove さん、ありがとうございました。
共演していただいた方々、変態刺激を受けました。芸風変わりそうです。ありがとうございまし
た。
お聴きいただいた方々、よい日々を。ありがとうございました。
2007-12-11
36
楽器
■新年の抱負(楽器編)
新年の抱負を綴ってみよう。いい加減に、新年明けましてなどというほとぼりの冷め切った頃に抱
負も何もないだろう、とも思うのだが。
何しろ厳冬期はあまり何かをやる気にならないのでコタツでじーっとしているのが最良なのだが、
今シーズンは暖冬だし、少しいろいろと活動しようかと、やや前向きな心境になっているのだ。
その一:大太鼓を作る。
以前から大太鼓が欲しいと思って物色していたのだが、これというものに巡り合わなかった。予算
の問題もあるしね。なので作る。自分で。大きさは 20 インチくらいの口径だ。イメージはトルコ
の davul とかブルガリアの tupan と呼ばれる両面紐締め太鼓で、片面を太いばち、もう片面を細いば
ちで叩き、音色に高低をつけるやつだ。紐締めというのがミソで、どうしてもそこのところにこだわ
りたいんだね。デザイン的にね。
ヘッドは市販のドラム用のものを使うとして、ボディーは太いボイド管を転用しようと思うのだ
が、切り売りしてくれるところを探さねばならん。 20 インチっていったら結構太いし。フープと紐
は適当なものを使うということで。構想段階では結構いい感じですね。コレ。
その二:低音楽器を導入する。
低い音のする楽器を導入したい。つまりベースである。今まで楽団やっててそこには常にベーシス
トがいなかった。アコーディオンのベースで代用するとか、コーラスやオルガンのドローンで代用す
るとか、ギターやウード(西アジアの弦楽器)の低音弦で代用するとか、手っ取り早くシンセベース
とか、ベースなんてなくても委細気にしないとか、いろいろ試したけれど、やはり時には動きのある
低音が欲しい。とはいえ、ここまでベースという楽器を何にせよ導入しないで来たのにも訳がある。
•
•
•
•
•
•
エレキベースは生音で演奏できない(聴こえない)
ウッドベースは持ち運びに苦労する
ウッドベースは家にあるとひどく邪魔である
ウッドベースはとかく高価である
アコースティックベースもとかく高価である
というわけで何を導入したらよいのやら??
一応、希望はベース・バラライカ(巨大三角型弦楽器)とか、昔、 Fairground Attraction が使っ
てたメキシコのマリアッチなんかで弾くギタロン(ギターの親分みたいな弦楽器)などが最高なのだ
が、どちらも手に入れるの難儀しそうだし予算の問題もあるしね。
あー、手っ取り早くその辺のリサイクルショップでエレキベース買っちまうかもしれん。迷い有。
以上を要約すると、
低音をブイブイいわす!@ 2007 って感じ?
37
え∼?
2007-01-31
■エレキ
近頃、やや訳あって家でエレキ・ギターを掻き鳴らしている。エレキを
弾くなんて滅多にないことなのだ。いや、アンプから大音響は響かせてい
ないので近所の親父が怒鳴り込んでくるような心配はご無用。
ま、エレキを上手に弾けたことなど人生史の中で思い出せない、つまり
私はへたっくそなんです、と白状しておくが、それにしても、それにもま
して、下手。
普段、よく弾く弦楽器といえばクラシック・ギターとマンドリンだ。そ
んなことをいうと正統的なギター・マンドリン・アンサンブル系の人間の
ような書き方になる。クラシック・ギターは掻きむしるように弾いたとき
の音が好きなのでそれ用、マンドリンは地中海中央のイタリア風の風情で
はなく、地中海東よりのオリエントな風情を醸し出すようにとチューニングを変更している。なの
で、ギター・マンドリン・アンサンブラーとしては外角低めな、ワンバウンドでどこか転々と転がっ
ちまうような、そういう線ですね。
クラシック・ギターとマンドリンというと、ネックの長さも指板の幅も、弦の数も弦相互のチュー
ニングの間隔も全然違う。マンドリンの方がギターよりも遅れて弾き始めたのだが、慣れない頃は戸
惑った。どちらかを弾いた直後、別の方を弾くと、まず大きさが全然違うので指がためらったもの
だ。今はすんなり、誇るような腕前ではないが、技量なりに戸惑いなく弾ける。
ところが、さてもエレキ、どうしたものよ。
ネックはクラシック・ギターより長い。指板の幅はクラシック・ギターよりは狭く、手のひらに収
まりの良い感じだ。指が滑るようにギュイーン、ギュイーンと惚れ惚れするように動くはずなのだ
が、動かない。あれー?
•
•
•
狙ったところを押さえられない。
狙った弦とは別の弦を弾いてしまう。
ムキになって弾いていると押さえ手である左手の親指と人差し指の間の股が痙攣しそうになって
くる。
あはは、俺ってこんなにも下手だったっけ。もうちょっと上手いと思っていたよ。錯覚だったんだ
ね。少し涙目になるぜ。
多分、 10 年以上エレキなんてほとんど弾いたこともなかったうえ、その間、指板の広いクラシッ
ク・ギターによるジャカスカ道と、小さなマンドリンによるアウトロー道を突き進んだおかげで、基
本がメチャメチャになっているのかもしれない。とにかくサイズに慣れ、感覚を取り戻すには弾き込
むほかあるまい。
しかし、その一つの楽器に打ち込むということが出来ないんだよねー。そんなことやってると笛吹
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いたり太鼓叩いたりしたくなってきちゃうんだよねー。で、何も上手くならないんだよねー。とほ
ほ。
2007-02-27
■ウォッシュタブ・ベースを作る
私は長年、ベースというものをどうしたら自らのすっとこどっこいな楽団(団員一名)に合った形
で導入できるか試行錯誤してきた。私は基本的に生音にこだわりたいのだ。
これまでの試行記録
•
•
•
低音のことなど忘れてベース要素なしで演奏する。曲によっては気にならず、曲によってはスカ
スカな音楽になる。
ドローン=持続する低音を導入する。自分で 「うー」 と低音を唸ってみたり、オルガンなどの低
音の鍵盤の上に文鎮のせっぱなしにしたりする。曲によっては不思議な効果が得られ、曲によっ
ては音程がぶつかって非常に無気味な音楽になる。
それなりに低音の出る弦楽器で代用する。西アジアの弦楽器ウードとか、我輩が改造した2弦擦
弦ギターなど。動きのあるフレーズは弾けるが代用なので実にパンチ力に欠ける。
あぁ、ズシっとした低音楽器を導入したい。と、ある日、ネットでうろうろしていたら奇妙なもの
を発見した。どこからみても金だらいだが、その画像には 「ウォッシュタブ・ベース」 と書かれ、楽
器として扱われているのだ。気掛かりなのは 「ベ・ー・ス」 の三文字である。
早速、ウォッシュタブ・ベースで検索してみる。知らなかった。こんな楽器があるなんて。
それはアメリカのジャグ・バンドなどで導入される楽器で、日本国内にもプレーヤーがいるらし
い。洗濯板やスプーンをバンジョーやギターと一緒に陽気に演奏するのは知っていたが、まったくそ
の手の音楽を見聞きしないものでベースがどうなっているかなど知らなかった。
ウォッシュタブ・ベースの基本構造は、大き目のブリキのたらいの底に穴を開け、洗濯紐を通し、
寝かせたたらいから垂直方向へ立てられた掃除モップの柄の上部へ、紐のもう一端を固定するという
ものである。たらい=共鳴胴、洗濯紐=弦、モップの柄=棹、ということになる。洗濯係とお掃除係
が生み出したかのような楽器だ。音程は棹を引いたり倒したりして変えるらしい。
更に、世の中全く便利で親切なもので、ウォッシュタブ・ベースの製作方法を説明してくれている
サイトがある。
ウォッシュタブベースの作り方( Boogie Woogie Ace & the Rhythm Kings のホームページより)
http://www2s.biglobe.ne.jp/ boogie/wtbass.htm
もう、いてもたってもいられないのである。普通、作るでしょ。これは。必要でしょ。一家に一
台。なにはともあれ俺は金たらいを買いに近所のホームセンターへ走ったのである。
ない。
39
ないのである。金たらいが。ウォッシュタブ・ベース需要の増大でたらいの供給がおいつかないの
だろうか、否、それは違うな。今時、そんなもの売られていないのだ。たらいで洗濯する人間がいな
いのだよ。ほとんど。よほど、電気でも止められちゃっていないとねぇ。
だが、俺は、大日本の首都である大東京方面へと行く所要があることを思い出し、東急ハンズにな
いものねーだろ、と安易な気持ちで関東地方へ、そして渋谷へと向かったのだ。
....
ウォッシュタブ・ベースの核心部分である金たらいを求めて渋谷、東急ハンズまで来た。洗濯用品
は 2B 売り場でございます。すてすて階段を上って下りる(構造が複雑なフロアなのだ)。あっさり
あった。が、微妙にアメリカンブリキ金たらいのイメージと違う。トタンって書いてあるし、口径は
何種類もあるのだが、どれも深さ(高さ)が浅い(低い)気がする。とはいえ、ここで後に退く訳に
はいかない。大体、俺は反米非武装勢力だし、メリケンものにはこだわらねーよ、と一人ごち、
48 センチ径のものを購入した。
その後、電車に乗り、カフェに入り、街を歩いた。傍らには常にたらいがあった。邪魔だった。
さて、たらいは入手したが棹と弦の調達を行わなければならない。俺は再び近所のホームセンター
へ走った。
何もモップの柄や洗濯紐などと、そこまでオーセンティックに洗濯&掃除にこだわらなくてよかろ
う、と思えたので、 180 センチくらいある木の棒を購入する。弦は家に梱包用の麻縄があるのでそれ
を張ってみよう。
•
•
•
•
電気ドリルでたらいに 4 ミリくらいの穴を開ける。
電気ドリルでたらいの側面に棹支持金具取り付け用の穴を開け、ボルトナットで支持金具を取り
付ける。
電気ドリルで棒に 4 ミリくらいの穴を開ける。
紐を通し、棹を支持金具で支える。
出来た。 15 分くらいだ。速。弾いてみる。
ビョーン。
おお、低音。ノリノリで弾きまくる。
ビョーン、ビョーン、ビョーン。
だが、何か音量が足りないというか、音質にも締まりがないというか、今一つ納得がいかない。そ
もそも実物を見たことも聴いたこともないのでこれでいいのかどうか全然分からない。
再びネットで検索してみる。するとプロフェッショナルなウォッシュタブ・ベースの製作方法が記
されたサイト発見。すげえ。何でも弦はワイヤーがよいらしい。それも 2 ミリ径の。
MAKING OF WASHTUB BASS ( washtub bass site より)
http://sound.jp/furaican/make.htm
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三たび、俺は近所のホームセンターへと走った。そこでワイヤー 2 メートルとワイヤー・クリップ
を 2 個調達する。
ワイヤーをたらいと棹に通し、両端をワイヤークリップで結束する。このとき、弦(ワイヤー)の
張力により多大な力のかかるたらいへの圧力を緩衝するための部材として、手持ちのガラクタからス
テンの円形のプレートを 2 枚重ねにしたものとゴムのパッキンのようなものをたらいの裏に噛ませて
みた。
弾いてみる。
ビョボーン。
前回との音色の変化が私の文章を通して伝わるだろうか。ボーン、という低音がやや出てきた感じ
なのだ。これは好ましい変化だ。まぁ、繰り返し述べるが、これでいいものなのかどうか、それは
さっぱりわからない。とにかく、とりあえず今度録音でもしてみよう。と、まだまともに演奏できな
いことに気付いた。練習しないと。ベースラインを奏でられるようにならなければ製作の意味はない
のだ。
問題点であるが、お部屋が確実に狭くなる。そして、ゴミっぽい。直径 48 センチのたらいと 2 メ
ートル近い棒は、邪魔だなあ。
たらい三態( 70 年代の裏ぶれた下宿風)
たらい&棒
棒&ワイヤー弦取り付け
棒を立てるの大変
2007-04-02
2007-04-03
■ 2007 シーズン・補強状況
この数ヶ月の間に、なかなか積極的な購買と導入の意欲をもって幾つかの楽器・道具類を入手・導
入した。
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•
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•
•
エレクトリック・マンドリン
杖鼓
ウォッシュタブ・ベース(自作)
ダイソーのリコーダー
バグパイプ・プラクティスチャンター
カズー
バスドラムのペダル
アコーディオン
土鈴
この中で最も高価だったものはウォッシュタブ・ベースを製作するために購入したトタンたらい(
2500 円位)だったと思う。こやつ、なかなか良い買い物をしておるわい。
前にどこかで何となく書いた気がするが、私はアンサンブルというものは基本的にサッカーのフォ
ーメーションだと思っている。後方で守備をする要員と、中盤で動き回る要員、両翼で駆け回る要
員、前線で得点を叩き込む要員である。彼らが連動する動きがメロディとなりハーモニーとなるの
だ。何と美しいコンセプトなのだろう。つまり、上記楽器の購入は新たなシーズンに向けてのチーム
作り、補強であると言えよう。
さてと。
エレクトリック・マンドリンである。生マンドリンのような牧歌的な楽器
だと思ったら火傷するぜ。チロチロ音からギュインギュイン音まで、エレク
トリックなので電気的な音加工が容易なのだ。ノイズ凄いっス。今後、どち
らかというと左サイドのポジションでかなりの活躍が期待されている。
杖鼓(チャンゴ)、既にステージに導入されたことは報じた。彼は後方に
位置しながらも機を見て攻撃に参加するタイプだね。もはや我がチームに欠
かせない存在だろう。
ウォッシュタブ・ベースについては製作の記録を 4 月 2 日と 4 月 3 日に記
した。超大型新人として、録音に導入しようと二曲程テストしたが、弾けま
しぇ∼ん。曲の始まりの音が取れないのだな。この楽器。まぁ、そんなこと
で諦める気は全くないぜ。俺の我慢強さはポーランド人並みさ(かつてスターリンが世界一我慢強い
民族と評したとか、しないとか)。チームに馴染むまでもう少し時間が必要。
ダイソーのリコーダー。 105 円(税込)。ちょっと改造しようと思い購入したのだが、志半ば。ど
んな改造かは今は秘密である。秘密兵器。ポジション?言∼え∼ね∼な∼。
バグパイプ・プラクティスチャンター。バグパイプの練習用に笛だけが製品
化されたもの。音は 「ふにょ」 っとした感じで頼りない。ポジションは、ん
ー、とりあえず横っちょの後ろ。
カズー。口にくわえて 「あー」 とか 「うー」 とか歌えば、管に装着されたパ
ラフィン紙とかセロファン紙の類のようなものがびりびりと振動し、うわ、ま
るでサキソフォン?とか、うわ、まるでトランペット?というような音が得ら
れる楽器である。相当な昔に遊びでプレイしたことはあったが、今日、真摯な
姿勢で演奏してみると、彼が素晴らしいプレイヤーであることがはっきりし
た。ポジションは、カズーだけにフォワードであろう。
42
バスドラムのペダル。当然、これは楽器に隣接した道具であり、これそのものが音を発するわけで
はない。今後の野望実現(ドラむすこになるのだ)のために入手したものだ。
アコーディオン。こりゃまた、今後の活躍が大変に期待される超大型新人である。ポジション的に
は、どんなポジションだろうがこなすユーティリティ・プレーヤーである。だがな、弾けんのだな。
鍵盤楽器がな。ミとファの間の指くぐりが出来んのだな。子供の頃から。
土鈴。粘土で出来た鈴。四方八方山ばかりの木曽路土産さ。一ダースの土鈴の中から、最も低音
で、コロコロとくぐもった音のする一品をチョイスしてきたのだ。ポジションは、中盤の下がり目右
寄りの非常に限られた直径 1 メートル余りのゾーンから一歩も出ない感じ。コロロロ。
以上のように、補強はなかなかうまくいっている。ファンタジーをお聴かせできる日が来るといい
のだが、補強によってチームが空中分解する例もよくある。
2007-05-28
■休日、特殊ギターを弾く男の巻
昨日は久しぶりに、終日、楽器を弾いた。弾いて弾いて弾きまくった。アンド、少し歌も歌った。
一体、な∼にをやっているのかというと、友人と共同で進行している楽曲制作が、構想から4ヶ月、
今まさに佳境にあるのだ。
録音されたファイルを互いにネットを介しつつ交換っこしていきながら、遠く離れたもの同士が一
曲を制作する。素晴らしいではないか。
さて、昨日、何を弾いたかというと、私が改造した擦弦弓奏ギターである。以前、製作過程を紹介
した(http://d.hatena.ne.jp/umberto_viii/20060519 ,
http://d.hatena.ne.jp/umberto_viii/20060623 )が、その後、プチ改良が重ねられている。
ビオラの駒を下駒に使用しているが、そのままでは弦高が高すぎるため、どんどん削られ、当初の
半分くらいの高さになった。写真より更に低い。ビオラ奏者が見たら 「馬・鹿」 と呟くに違いない。
私自身、ビオラの駒は不要だった気がしてならない。その辺の木材で充分だった(なぜ駒で弦高を上
げるかというと、複数の弦を一本ずつ弾くためにはギターの構造上、下駒の高さを上げる必要がある
ため)。
弦高が上がった関係で、フレットがあると却ってチューニングがまったく合わないため、写真では
残っているフレットが、今や一本残らず引っこ抜かれた。また、最初はクラシック・ギターの5弦と
6弦を張っていたが、音が細いので、より太いフォーク・ギター弦に替えた。音も太くなった。
これまでもちょくちょく気が向いたときに演奏はしていたが、丸一日も弾くのは初めてだ。しか
し、こんなものを一日中弾いていると、様々な副作用があることがわかった。
•
•
•
ギターの通常の構え方とは違い、立てて構えて弓で弦を擦るので、弦を押える左腕を一日中上げ
ていることになり、弱っちいボクは鈍い筋肉痛を感じている。
普通のギターよりも弦高が極めて高いので、激しく強い握力で弦を押さえなければならず、掌全
体にひどい痛みを感じることとなった。
普通のギターのように指先で弦を押さえるのでなく、指の腹で、しかもスライドなどを多用する
ので、そんな鍛えられていない部分、 20 分も弾くと耐えられないほど痛くなってくる。以後、
43
•
軍手をはめて押える。
弓に塗る松ヤニの匂いが、たまらなく好きになった。
ということで、今日の私は左側に気をつける傷付いたソルジャーだ。癒されたい。ふー。しかし、
私はこういうことを喜々としながら書くことが本当に好きだ。こんな読み物に出会っていただけた殆
どの方にとっては、誠に、何の役にも立たない情報だろう。一応、どんな音が得られるかというと、
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの 「毛皮のヴィーナス」 でジョン・ケイルがギーギー弾いてい
るチェロかビオラのような、のような、の・ような音が得られます。
で、一日ギーコギーコと録音した演奏だが、採用されるかどうかは不明である。これで録音が完了
すれば後はミキシングだ。そしてどこかで公開もされよう。
2007-06-04
■ヴァイオリン
古くからの友人にヴァイオリンを譲っていただいた。 3/4 サイズの古びた
味わいのあるものである。なんでも、その人のじいさん(故人)が何者かの
借金のカタに巻き上げてきたものじゃないか、と言っていた。巡り巡って私
のもとへ、である。とにかく、これによって古くからの友人が 「恩人」 の域
にランク・アップしたことは間違いない。ありがとう。
昔、ある友人が、彼の通う学校から拾ってきたヴァイオリンをしばらく預
かり弾かせてもらったことがある。
ギー。ギ∼。
まさにギーとしか鳴らない代物だった。ザラッとしてる。私にはその印象がとにかく強くて、以
来、弦楽器でも弦を弓で擦って弾くものは敬遠してきた。しかしそれでも、その類の楽器をいくつか
持っていたりして(つい出物は買ってしまうのだよ)、何年も気の向いたときにギーとか鳴らしてい
るうちに、お、俺、結構、弾けてるじゃん、なんて思うようにもなっていた。
この夏、ライヴやる前に、演奏に参加してくれるアコーディオン弾きとの事前打合せで、セットリ
ストをさっと演奏したデモ音源を参考に聴いてもらったのだが、その中で一曲、そんな楽器をギーギ
ーと弾いてみていた。すると、こんな質問が私に寄せられたものだ。
「ところで、この音痴な楽器なあに?」
あー、それはね、などと説明するまでもなく、私はそのメッセージをこう読み替えた。
「チミはまさか、そのド下手な楽器を人前で演奏するつもりで、ワシに伴奏しろと言っているので
はないよね」
すみません許してください。ということでその楽器は別のものに差し替えた経緯がある。人が聴く
と、実はさっぱり弾けていないのであった。
さて、で、件のヴァイオリンである。そんなライヴの現場が過ぎてから私の手許へ渡ってきたわけ
であるが、弦は全部ぶち切れていたので、近くの楽器屋で弦を購入してきた。 4 本で 1000 円くらい
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のものだったが、高価なものは 10 倍以上していた。マジで取り組むと大変そうなことが伺えた。
ヴァイオリン道は。
早速、弦を張ってみて、おもむろに弓を構えてみる。おっと、純正の弓は紛失していたということ
だったので、その弓は私の楽器コレクションの中から持ち出してきたものだ。
きゅ∼∼ん。
!!
びっくりである。良い音だぁ。ツルっとしてる。まるでヴァイオリンである(だからヴァイオリン
だよ)。知らぬ間に俺は上達していたのかと錯覚する。もちろん錯覚なわけだが、私が奏でていると
は思えないほど良い音がする、と言いたいわけである。俄然ヤル気上昇である。今に披露しますわ
よ。
それから、既にコレクションされている私の弓奏楽器の類(民俗楽器・自作改造楽器)について
も、純正の弦が入手できなかったりで、いままで適当な弦(エレキの弦とか)を張っていたのだが、
それがいかに間違ったことだったかを深く知ったわけだ。ちゃんとした弦を張ろう。
2007-10-12
■うまくいかない週末
週末、楽器いじくったりする。
一
ヴァイオリン、のような楽器の弦を交換していると 「バチッ」 と音を立てて弦が切れる。ノー。弦
を張っている最中に切っちまうことなんて滅多にないのに。気が滅入る。
二
久しぶりにウクレレでも弾いてやろうかと考え、ウクレレの弦も買ってきたのだ。さ∼て、気を取
り直してウクレレ弦でも張るか。おや、いやに太く長い弦だね。 20 年も弾いていないうちにウクレ
レ界ではその仕様も変わったのだろうね。ん、テナー・ウクレレ用?、ナニ??
普通のウクレレよりも大型のテナー・ウクレレの弦を間違えて購入してきてしまった。いつも利用
する楽器屋は、まったく品揃えの気に入らない店なのだが、まさかこんな商品を何食わぬ顔して何の
表示もなくウクレレ弦コーナーに置くとは。妙に安いので買っちまったぜ。罠にはまった気持ちで
いっぱいだ。開封しちまって返品も出来なかろう。こんな弦、一体、何に利用すれば良いのだ(いず
れ必ず何かに利用してみせますが)。
三
弓奏用の自作改造ギターの弦を交換する。今装着しているもの(フォークギター弦)よりも太い弦
で低く鳴らしたい。ちょっとそういう意味では実験的な弦を入手したので(何の弦かは訳あって伏せ
る)、さぁー、どんなことになるかな、と交換していると 「バチッ」 と音を立てて弦が切れる。
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やりきれない。まさにやりきれない。
ということで、まったく何一つ進展しない週末だった。何曲か制作しているのだけれど、どれも
さっぱり前進せず。こんなこともあるさ。
こんなことってあるかい?
2007-10-22
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楽芸
■王の男
2006 年韓国映画
太鼓(プク)、銅鑼(チン)、小金(ケンガリ)、杖鼓(チャンゴ)。
朝鮮半島の打楽器アンサンブルに使われる基本楽器である。これらの打楽器の激しい乱打とともに
映画は始まる。
学生だった頃、私はこれらの激しい打撃音の洪水の中に実際に身をおく機会があったし、それら打
楽器アンサンブルの文化史的な背景について、ほんのサワリだけ齧ったことがあった。
朝鮮半島では歴史的に、王を頂点に、官僚・武官、農民、下層民などと連なる身分制度が敷かれて
きた。そのヒエラルヒーの最下層の更に下、アウトカーストの賎民として旅回りの芸人がいたとい
う。
旅回りの芸人にも種類がある。
寺党(サダン)と称される組織は、男と女一対のペアが複数集合した組織で、女がちょっとした芸
や、春を売って稼ぎ(確かそれが主業だったような)、男はほぼなーんにもしないろくでなしだった
と思う。まぁ、荷物を持ったり峠で女を背負うくらいのことはしてあげて欲しい。
男寺党(ナムサダン)は、打楽器アンサンブルや、仮面劇、人形劇に綱渡りなどの演目をこなす、
民俗的なサーカス団のような旅回りの一座で、常人には真似の出来ないプロフェッショナルな技を誇
る。その成員は男だけであるが、確か新入りは女役からスタートし、集団の中では男色によって絆を
結んでいたらしい。また、演じた集落で請われれば男娼ともなったという。
ほかにも数種あったと思ったが。
映画は男寺党のメンバーと思しき二人の芸人と王とのストーリーだ。打楽器アンサンブル、仮面
劇、綱渡りなどの妙技をエンターテイメント的に楽しむこともできる。
映画の中で芸人役の役者は芸人のことを 「クワンデ(広大)」 と称していた。私は広大は男寺党な
どと違って旅回りでない芸人だと思っていたのだが、芸人の総称として使われるのだろうか。
まぁ、とにかく、ヒエラルヒーの頂点と最下層とが接触し、大いなる摩擦が生じるわけだ。芸人に
はパトロンが必要だが、パトロンのために演じれば芸が腐る。特に旅回りは、民衆の側に立ち権力を
茶化して路銀を稼ぐ商売であり、カースト外であるがゆえにこそ権力を茶化すことが許される。
映画の中で芸人は魂を吐き出す。
「俺に失うものはない」
そう、失うべきなーんの身分もないが自由がある。故に、阿呆の王に従うことなく、なおかつ阿呆
王を笑わせ、自らの自由のために渾身の芸を演じてみせるのだ。それが芸人の矜持ってもんだ。
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あー、また映画見て号泣しちゃった。
2007-01-16
■ MY FUNNY VALENTINE / NICO
2 月、チョコレート関連業界の策謀渦巻く季節だ。が、別にそういうことを書きたいわけではな
い。例年、ラジオなど聴いたり番組表を眺めていたりすると、この時期欠かせぬ企画がジャズのスタ
ンダードである 「マイ・ファニー・バレンタイン」 の特集だ。いろいろなジャズ・メンの様々な演奏
があるようで、年に一度の特集ぐらいでは何年やろうとその泉が枯れることはないのかもしれない。
それだけ名曲なのだとも言えるだろう。
マイ・ファニー・バレンタイン
作詞
Lorenz Hart
私のファニーなバレンタイン
愛しのコミックさん、バレンタイン
あなたへの想いで私は笑顔になる
笑止なルックス、写真向きではないわ
でもあなたは私が愛する芸術品
姿はギリシャの彫像に及ばないの
口元はちょっと幸せ感覚なの
口を開いてしゃべくりだしたなら、あぁ、野暮なあなた
だけど私のために髪の毛一本変わらないで
私のことを想ってくれているのなら
今のままでいて、可愛いバレンタイン、今のままで!
毎日がバレンタイン・デイ
私はジャズのリスナーではない。嫌いなわけではないが日々聴くわけではない。なのでマイ・ファ
ニー・バレンタインと聞いて連想するのはジャズの名演ではなくニコ Nico のそれである。
1985 年頃だったか、ラジオで流れてきたのを聴いて以来、変わらずに愛聴し続けている。ずっ
と、その時エアチェックしたカセット・テープを聴いていたが、後にその曲が収録された CD
(camera obscura )を購入した。
ニコはドイツに生まれ(ハンガリーという説もある)、モデル、女優となり、アラン・ドロンやア
ンディ・ウォーホールなどと交際し、ベルベット・アンダーグラウンドの 1st アルバムに参加しロッ
ク史にその名を刻んだ。
なんでもアルバムを収録するのに曲が足らず、かつて売れない頃にクラブなどで歌っていたマイ・
ファニー・バレンタインを埋め合わせで収録したのだとか。
ピアノとトランペットの暗いイントロに続き、ニコの、なまりの強い英語の歌唱が始まる。
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My funny valentine ...
室温が急激に降下する感覚を味わう。彼女の声はその場の雰囲気に分子レベルで干渉し凍りつかせ
るかのようだ。雰囲気が分子によって構成されているかは知らないけれど。
とつとつと、感情の起伏を抑えた、無表情的な歌唱が続いていく。
ピアノとトランペットの暗く、しかし美しいフレーズが静かに花を添える。そして最も上昇するク
ライマックス。押し殺した感情が破綻するような歌い方ではない。あくまでもニコらしいトーンだ
が、力強く感動的に歌われる。
Stay little valentine stay
終わりのstayを長く。そして、その余韻を引き継いで、ゆっくりと静かに低く
Each day is valentine's day
エンディングのピアノとトランペット、ここで明るい和音が奏でられ室温が元に戻っていく。
暗い、極めて暗い張り詰めた数分間である。ここで呼びかけられるバレンタイン氏は、義理でチョ
コをあげるような政治的、社会的、儀礼的、贈与慣習的な対象としてのバレンタイン氏なのでは決し
てないだろう。そして、ニコは死んでしまったが、俺がこちら側でこの歌を聴きつづける限り、その
数分間、むしろ、俺こそが 「変わらずに」 と呼びかけられるバレンタイン氏なのかもしれない。
モノに気持ちを託すのも結構だが、歌だってあるのです。
2007-02-07
■音圧ポリシー
そういえば自称ミュージシャンの端くれ者だったことに気付く。
自分のことを 「ミュージシャン」 などというと 「プロでもないくせしやがって勘違い甚だしいです
こと、おほほ」 とか 「なーにをまたまた世迷言を」 とか 「あたしと音楽とどっちが大事か今すぐハッ
キリして」 などと、世間から指弾される確立は相当高まることを覚悟せねばならない。が、以前読ん
だ柘植元一『世界音楽への招待―民族音楽学入門』によれば、確かアメリカ人などは、例えば娘がフ
ルートを習っているとすれば、平気で 「うちの娘はミュージシャンだよ」 ってなことを口走ると記さ
れていたと思う。だからいいのだ。いいのです。
私はミュージシャンなんです!(素人の)
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自称ミュージシャンの端くれ者として、少しは音楽制作のことも書こう。昨今のポピュラー音楽の
潮流は、音圧を上げることにある。ん、なんのこっちゃい?と感じた人はそれと同時に、やにわに私
がミュージシャンぽく感じられてきたことだろう。そんなことはわかっておるという人は読み飛ばし
てください。あんまり内容無いので。
昨今のポピュラー音楽の潮流は、音圧を上げることにある!
平たく言うと最初から最後まで音が割れてしまう限界の直前くらいの録音レベルで楽曲をリリース
するということです。
いつから誰がどうしてそうなったのかは知らん。しかし、例えば 90 年代前半以前にリリースされ
た CD とそれ以降、現在に至る CD とでは、概して音の大きさが違って聴こえるだろう。しかし、録
音レベルの最高点というのは、それを超えると音が割れてしまうのでどちらも同じなのである。だの
になぜ、この違い。
それが音圧を上げるというポリシーによってもたらされる違いなのだと言えよう。曲の中には静か
なところ、激しく騒々しいところなどが含まれ(含まれない曲もあるだろうけれど)、当然そこには
音量差があるものなのだが、音圧を上げるというポリシーでは静かなところも騒々しいところもピー
クレベルでリリースすることを志している。なので、昔の CD より今の CD の方が音が大きく感じら
れるのです。
で、我々素人ミュージシャンの世界もそうした潮流と無縁ではいられないものなのだな。録音作品
の音圧が低いだけで 「もっと音圧を上げたほうがいいと思います」 などと突っ込まれているケースを
しばしば目にするし。だが、そうした傾向は昨今の潮流なだけで是も非もないことである。まあ、
きっとプロっぽい表現を目指している人は上げた方がいいだろう。
私はといえば、悩む。悩みながら音圧上げ気味でやっているつもり。
音圧を上げるのにとにかく必要なのがコンプレッサーとリミッターだ。コンプレッサーは小さな音
を持ち上げてやり、大小ばらつきのある音を平均的にならしてやるという道具だ。これで音をならし
て増幅してやる。増幅するとピークを超える音が出てくる。それをピーク内で収めてやるのがリミッ
ターだ。使い方は難しい。いいものはべらぼうに高い。
大体、私はほとんど生楽器を演奏しているので、本来、楽器の響きなどをそのまま伝えるべきなの
だろうとは思う。よもやクラシックや古楽器アンサンブルの CD などがコンプやリミッターをバシバ
シかけているとは思えないし。かといって、どちらかというとクロノス・カルテットがジミ・ヘンド
リックスの 「紫のけむり」 をディストーションかかりまくりの弦楽四重奏で演奏したような姿勢に、
よりシンパシーを感じるので、歪ませたり音圧上げたり、それでいいのだ。現状。
プロっぽい表現を目指している人は音圧上げた方がいいと上述したが、私の場合、素人っぽさも増
幅される気がしてならない。
2007-02-15
■ガルシア = マルケスを読みたくなった
「COURRIER JAPON」 3.01/2007 通巻 30 号(講談社)にガブリエル・ガルシア = マルケスの
生家を訪ねるルポが掲載されている。
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ルポ自体は、コロンビアのカリブ海に面した地方にあるマルケスの生まれた町アラカタカを訪れ、
彼の生家(現在は彼の博物館になっている)、何人かの町人の証言、何枚かの魅力的な写真によっ
て、マルケスの文学、特に『百年の孤独』が生まれる揺籃となったであろう彼の故郷の模様を簡単に
紹介している。
マルケスの文学について、この浅薄者が綴る、この浮薄の場で、あれこれ書こうというものではな
い。ただ、マルケスの作品の中に現れる魔術的、超現実的で夢のようでありながら、かつ説得力を
もったリアリティのあるイメージとして迫ってくる摩訶不思議な世界が、その町で過ごした中で少な
からず醸成されたものであろうと想像すると興味深く関心が湧きおこる。
マルケスの作品を初めて読んだのは 22 歳ぐらいのことだったと思う。確か姉の書棚にあった文庫
本の『エレンディラ』だった。
まるで目眩がした。人知を超えた熱帯の原色のイメージや、法螺話か、それにしても誇張された話
にしか聞こえないだろうラテン世界的なエピソードが、伏流のようになって破局的な、不条理な結末
に噴出する。
すっかり感化され、学校の図書館でマルケスの作品を始め、ラテン・アメリカの作家の作品を幾つ
も読んだものだ。
同じころ、日本やアメリカ、イギリス以外の音楽も聴くようになったし、映画にしても食い物にし
ても自分の国と西欧以外のものにもふれるようになっていったのだから、それがすべて『エレンディ
ラ』一冊によって促されたわけではないにせよ、一つの契機にはなったのだろう。その頃の自分は新
しい刺激に浮き立つような日々であったように記憶している。ラム酒と葉巻で酩酊しているような東
京ラテンな感じだね。っと、葉巻は経済的事情から吸えなかったが。※今も吸いません。
興味深いエピソードが綴られている。
マルケス博物館の館長曰く、コロンビアのカリブ地方には自分の過去を辿る者は早世するという言
い伝えがあるとかで、迷信深いガルシア = マルケスはこの町に帰ってきたがらないのだと。
ルポを眺めていて、それがトリガーとなりラテン・アメリカ文学に触れたころのことや、学校の図
書館や、その界隈の道のりやら何やら、少し懐かしく感じながら 「あぁ『百年の孤独』とか読み返し
たいな」 などと考えていたのだが冷水を浴びせられた。
前へ進むのだ。
『百年の孤独』を今の自分の眼で 「前向きに」 読み返すのなら構わないだろう?
2007-02-19
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■ Easter / PATTI SMITH GROUP
春分を越えた。
昼が夜を打ち負かしたのである。なんとすがすがしい。
草木が芽吹くだろう。種が蒔かれ、やがて作物が実るだろう。冬眠していた動物くんたちもムクっ
と起きだすだろう。熊さんや亀吉くんたち。
春分を祝う祭りも各地で執り行われるようだ。農事と密接に関わっているのだろう。
さて、春分後の最初の満月の次の日曜日はイースター(復活祭)である。復活祭である。キリスト
教徒にとって。これも元々はキリスト教発生以前の、古来からの春分を祝う習慣と密接なかかわりが
あるらしい。
でもって、イースターと言えばパティ・スミスの 3 枚目のアルバム・タイトルである。実にアクロ
バティックな展開。
彼女は 75 年に 1st アルバムをリリースし、 79 年までに 4 枚のアルバムを制作し引退状態とな
る。その後 90 年代に活動を再開しているが、活動再開後のアルバムは全部を聴いてはいない。私
が 90 年代以降、同時代の英語のロックをほとんど聴かなくなったからだ。
彼女のアルバムの最初の 2 枚
、 『 Horses』 『Radio Ethiopia 』は衝動が音の塊になったような音
楽で、破壊的で運命的で霊的である。この時点で彼女に暗黒ロック神が舞い降り宿っていることに疑
いはない。
特に 2 枚目の『Radio Ethiopia 』は彼女の作品の中で私が一番好きなアルバムだ。感動的な凄まじ
さである。一曲目の 「 Ask The Angels 」 から素晴らしいが、続く 「Ain't It Strange」 の振り絞るよ
うな歌唱は彼女の作品の中でも一番好きな曲の一つだ。
で、 3 枚目が『Easter』 4 枚目が『 Wave 』と続くのだが、 3 枚目で音の感じが変わる。ノイジー
で尖がってて攻撃的な音の塊のような前 2 作から、もっと整理されたポップな音になる。否、充分、
存分にロックンロールしているのだが、とにかく、変わる。レコード会社がもっと売れる作品を作れ
と言ったのか、本人の指向か知らないが、とにかくそうなのだ。さらに 4 枚目では肩の力が抜けたと
言うか、肩の荷が下りたというのか、 1 ・ 2 枚目とはもはや別人のように軽妙な味わいになる。歌い
方もサウンドも。
彼女にとっては 2 枚目をリリースした後、ステージから転落し大怪我を負った後に出されたアルバ
ムということで 「復活」 というキーワードが 「Easter」 というタイトルにつながったのかもしれない
が、私には、春分を挟み夜昼が逆転していくように、 3 枚目の『Easter』以降、暗と明が逆転して
いったかのようなキャリアに映る。象徴的なタイトルだ。
『Easter』ではブルース・スプリングスティーンが曲を書いた 「 Because The Night 」 が白眉であ
ろう。私の中では夜を最もロマンティックに歌い上げた一曲だ。
「Ghost Dance」 もアメリカ先住民の儀礼歌のようで好きな曲だ。
2007-03-22
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■今さらバンドマンになりたい季節
自分がシロウトだとか、日本語を母言語とする日本国籍所持者であるとか、上手いとか下手とか、
バカとかカバとか、そのような諸般の事情を無視してメンバーに加わりたいバンドとというのがいく
つかある。も、大きく出ますよ。もし加入したならば、朝から晩までひたすらプレイします。上手く
なります。伝説のプレーヤーになります。この辺り、都知事になった暁には新たな発明で都政を豊か
にするというドクター中松(もちろんファンです)の公約と似ている。そういう状況に置かれたら、
やる。やります。やるんです。そういう状況に置かれないと、やらな∼い。
Mute Beat
ミュート・ビート
もう活動してねーよ。が、これは妄想なのだからよいだろう。俺の Mute Beat への愛は衰えること
がない。大体、ソロ・トランペット主役のダブ・バンドでどんな役回りをこなす気か。リコーダーか
マンドリンです。が、そんなものが加わった時点で、ミニマムで孤高、攻撃的にして繊細な、もうそ
れはあの気高い Mute Beat のサウンドではないだろう。割り込む余地なし。身を引きます。ああ∼。
Rita Mitsouko リタ・ミツコ(Les Rita Mitsouko)
現役。このフランス人のインチキ臭いなりをしたおっさんと、不器量だが可愛げのあるおばさんの
ユニットにもぐりこめたら。俺の Rita Mitsouko への愛は衰えることがない。les amantsという歌が
一番好き。
まったくこの、フランス感覚を随所に麗々しく醸し出しつつ、ユニークなロックンロールをデビュ
ー以来世に送り出し続けている彼らの後方でどんな役回りをこなす気かといえば、ん。リコーダーか
マンドリンです。んー、この人たちならそんな曲もありかもしれない。が、まぁ、俺がRita
Mitsouko 側だったら 「リコーダーとマンドリンが出来ま∼す、メンバーに加えてシルヴプレ」 とい
う申し入れは断ると思います。断固 「ノン!」
他にも加入したいバンドは幾つもあるのだが、またいつか。リコーダーとマンドリン以外の楽器
も、も少し胸を張れるようにならねば。おっと、まるで、リコーダーとマンドリンなら胸が張れる書
き方になっちまった。張れん。生音系ギミック担当、何でもやります。くじけません。
2007-04-19
■中森明菜 「 LA BOHEME 」
春雨じゃ、濡れて参ろう。
「 DESIRE 」 のシングル盤B面だった。A面同様アッパーな曲だがA面より好きだ。曲の最後の一
節である。
花びらまじりの雨の夜だから
ホロリ濡れながら歩きたいね
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貴方も同じ LA BOHEME( ラ・ボエム )
この都会さまよいびと
LA BOHEME( ラ・ボエム ) 中森明菜歌唱
湯川れい子作詞
都志見隆作曲
中森明菜の歌が好きだった。
「ミ・アモーレ」 以降 「 LIAR 」 に至るまでの数年間、 1985 年頃から何年間かの曲。それ以前の
曲はどうもアイドルぽかったりして、人によってはそういうところがいいのだろうけれど、アイドル
に入れあげたことがないので、中森明菜にしても例外ではなく、それほど思い入れはない。
「アイドル中森明菜」 はどうでもよく 「歌手中森明菜」 の歌は好きだった。あぁ 「 LIAR 」 以降に
は佳曲がほとんどない。
まぁ、言っちゃあ何だが歌謡曲である。されど歌謡曲である。貴方と書いて 「あなた」 と読むと
か、都会と書いて 「まち」 と読むとか、そういう仕掛けが鼻をつく人には苦しい歌詞である。
ここに至るまでもなかなかクサイ筋立てが展開する。
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男はギタリストだ。真夜中のステージでサングラスにくわえタバコ。
男のギターは女たちをメロメロにするらしい。たらしかもしれない。
ガスライト煙る行きつけのクラブの狂騒。
女(主人公)は悲しみを背負っている。恋愛の嘘を許せない。
男のギターはそんなかたくなな心を解き放つかのようだ。
女は本当の愛を求めさまようボヘミアン(ラ・ボエム)、男は情熱に任せた愛に漂うボヘミア
ン、ボヘミアン同士が都会に交錯する。
ゴージャスだ。ジャンゴ・ラインハルトの指先のように目まぐるしい。そんな展開の最後が冒頭の
一節。妙にしっとりしている。ずぶ濡れでもびしょ濡れでもなく 「ホロリ濡れ」 である。しかも自分
から。孤独、哀しみ、情熱、情熱を冷まそうとするボヘミアン女、 80 年代の自立した女、などな
ど、そんな情感が滲んでくる。
吐息混じりから、見得を切り喉も破れんばかりにまで、ストレートに歌う 80 年代の中森明菜に似
合っていた。春の夜、雨の晩、思い出してつい口ずさむ。
私も男、そしてギターも弾くよん。メロメロなメロディー、べれべれ弾いてみたいものですよ
のぅ、はっはっは。
2007-05-02
■続・中森明菜+パキスタン風カレー
この間、彼女の曲のことを書いて、まぁ、それとは別件で、ある日の晩飯にインド式カレーを自作
して喰っていて、その二つのエピソードが重なって思い出した。
パキスタン人の友人がいた。アルバイト先が一緒だったのだ。今度家へ来いよ、というので友人と
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その弟が住まう川崎のアパートに、土産のケーキを片手に遊びに行った。
「やー、どもどもども、アル・サラーム・アレイクム、お邪魔します」
「よく来たね。まぁ飲んで飲んで」
「いやいやこれはこれは。え、あ、まぁそんなもんで」
飲めったって彼らはムスリムで、アルコールはほとんどやらない。バラの香りのする水を勧められ
る。うわ、すげえな。バラ飲んでるみたい。
「カレー作ったよ」
「いよっ、待ってましたっ」
というわけでご馳走になる。
深鍋に例の黄色いカレー汁が程よい湯加減で煮立ち、鶏が丸ごと一羽浸かっている。うわ、すげえ
な。ん、よく見るとカレー汁の表層、およそ3センチメートルほどが透明の液体で、鍋底に沈殿した
カレースパイス化合物と分離している。もしや、この上澄みは油か、うわ、すげえな。混じりっけな
し。
「ご飯とパン、どっちがいい?」
「どっちも魅力的ですね」
「じゃあ、両方ね」
目の前に白米をどかっと盛った皿に食パンが2枚添えられ、更にチキン・カレーをよそった器が別
に置かれた。鶏は分解されていた。
「おっ、パンって食パンなんだ」
「パン、よく食べるよ。遠慮しないで。食べてください」
という訳で、まずカレーの汁をスプーンでちゃぷちゃぷ混ぜ、油とカレー化合物を一体化させてみ
る。何となく。そして飯にかけたり、食パンを浸して食う。
スパイシーで鶏の味が出ていて美味かった。スパイスのクローブが丸ごとゴロゴロ入っていたのが
印象的だった。クローブを多用すると、深い奥行きのある香りになると思う。結構辛かった。
皆でカレー食いながらテレビ見ていると中森明菜のライブをやっていた。
「私、この人好きです、歌も好きです。とても」 と友人。
「俺も好きなんだけど、この人、自殺未遂してその復活公演なんだよ」
「どういうことですか?」
「んー、スーサイドに失敗したっつうことだな」
「え、えー、死んだのですか」
「いやいや、生きてますよ。歌ってるもん、ほら。生きてて良かったよ」
「なんでスーサイド?」
「失恋ですよ。ディスアポイントメント・ラヴ」
とにかく食った。カレーを。ひたすら食った。すげえ量。すげえ油。その後二週間ほど食欲が湧か
なかった。胸焼けして。多分、油のせい。
日本でしばらく働いてアメリカへ行きたいと言っていた。パキスタンのカラチに残してきた妻と幼
子の写真を見せてくれた。美人だった。すっげー美人だった。写真から後光が差しているかと思っ
55
た。
「すげえな。中森明菜より美人ですね」
「ふっふっふ」
その後、俺が旅に出ちゃったりして音信が途絶えてしまった。アメリカで家族で暮らしているだろ
うか。
2007-05-04
■ Zazie / Chanson d'ami
「帰ってきた時効警察」 というドラマを見ている(テレビ朝日)。ケラが脚本書いて犬山犬子が出
てきたりと、回によって脚本家が違ったりもするようで楽しめる。
アーンド、大変重要なことだが、私は登場人物の 「三日月くん」 のファンなのだと思う。麻生久美
子、好き。
この人、ときどき誰かに似ているよな、と思っていて繋がったのが Zazie 。似てないかな、似てな
いかも。手足顔の細長いフランス人。顔の長い女性に弱いのだろうか、俺は。
Chanson d'amiという曲が大好きで、収録のアルバム (Made In Love) も持っていたりする訳だ
が、フランス語で歌われる普通のポップスである。普通のポップスで、アンニュイと凡庸の境目の辺
にあるのだが、手足顔が長いクールな美人で、言葉遊び的な要素を織り交ぜた凝った歌詞も書く才女
で、けれどあんまりギラギラ火照った野心をその風貌から感じさせず、表面的には淡々と、植物的
で、色気もあまり感じさせず、言葉を大切にしながら歌い、聴かせる。歌からはそんな印象がある。
あまり褒めていない感じだが、その音楽を言い表そうとするとそんなことになってしまう。手足顔
の長い色気のない美人が歌う歌、ど∼こがいいもんか、という捉え方もあろうが、このようになぜか
コロリと落ちている男もいる。どこが好きなのかよく説明できないけれど夢中 「好き」 ってそういう
一面もあるのかもしれない。
しかし、やはり落ちない男もいる。なのでChanson d'ami(ともだちの歌)。あなたのことは好き
だけどお友達、という歌だ。歌の中、 Zazie のシャンソンは強がりで不器用な女を主人公としてスト
ーリーを語っていく。男は、自分の心のままに行動できない強がり女を愛したのかもしれないが、も
う心が離れている。他に彼女がいる。女は、多分、男を愛している。けれど、不器用で上手く伝えら
れなかった。
http://www.youtube.com/watch?v=V_hGHzijkrM
Chanson d'ami(抜粋)
Paroles: Zazie. Musique: Phil Baron
Avec une chanson d'ami
d'ami, pas d'amour
Avec cette chanson d'ami
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d'ami, pas d'amour
Ce n'est qu'une chanson
promis, mon amour
Je ne t'aime pas
Je t'aime bien
Tu ne m'aimes plus
mais ca fait rien.
とあるともだちの歌で、おともだち、愛ではなくて
こんなともだちの歌と、ともだち、愛ではない
単なるシャンソンよ、
約束、愛しい人
あなたを 「愛して」 いないわ
「好き」 よ
あなたが私をもう愛していないのだったら
どうだっていい
どうにもならない状況のようだ。 je t'aime bien ジュ・テーム・ビアン、je t'aimeは 「愛してる」
bienは 「とても」 だけど、合わせると 「とっても愛してる」 って意味じゃなく、単に 「好き」 で、重
∼い愛情は含まれないらしい。フランス語のラジオ講座で習ったっけ。そこら辺りだけ、よく覚えて
います。フランス語。
さて、冒頭のドラマだが 「三日月くん」 は主人公の霧山くんのことジュ・テームのようだが、霧山
くんは三日月君をジュ・テーム・ビアンか、更にそれ以下の模様である。こちらはコミカルな状況の
ようだ。
2007-05-16
■ DEUTSCHE SCHLAGER
レコード屋、もとい、CD屋にビョークのニュー・アルバムを買いに行った。今や、英語のロック
関係で確実に新譜を購入するアーティストといえばビョークとルー・リードだけだろうか。
ビョーク、ビジョーク、ビョルクと呟きつつ探す。その時点で俺の頭の中には彼女の名曲が鳴り響
いている。 「 Hyper Ballad 」 とか 「 Pagan Poetry 」 とか。あ、あった。これだ。
ビョークの新譜を握りしめ、暇なので店内の他の棚もてくてくと回る。まず 「ワールド」 という棚
へと移動する生態だ。
一般的なCD屋の 「ワールド」 なんて棚は、大抵、どこでもそうだが、それほど 「ワールド」 なわ
けではない。随分と狭いワールドだよ。で置いてあるものは慣れた目で見れば決まりきった品揃えの
ほうが幅を利かせている。それでも面白そうな盤を探してみたくなるコーナーなのだが。
一通り眺めて、ワールドの一番端っこ、コンピレーションが並べてあるブロックに妙なもの発見。
ボックス・セットみたいなCDなのだが、値札が、たったの 1460 円なのだ。何?コレ。
57
手にとってみるとそれはズシっと 10 枚組。 DEUTSCHE SCHLAGER というタイトルなのでドイ
ツのCDなんだろうね、とわかるが、私は SCHLAGER という単語の意味を知らない。裏を見ると、
どうやら 1910 年代から 1950 年代のドイツの録音物のコンピらしいことが伺えた。
お、いいじゃん。
...
購入してしまった。 10 枚組なので、しばらくこの道一筋のためビョークのCDは丁重に棚に戻し
てきた。なーにーをしにCD屋へ行ったのだろう。
さて、 DEUTSCHE SCHLAGER (ドイッチェ・シュラーガー)であるが、うむ、その意味は 「ド
イツの流行歌」 であった(調べた)。そして、その中身は、仮に日本の状況に照らし合せてみるとす
ると、例えば新聞の通販広告で売られている 「昭和歌謡ベスト!」 のような企画のドイツ版とみた。
年代的に 50 年代止まりなので昭和とは対応しないが。
今のところ二枚聴いたが、実に明るい。長調民族だぞドイツ人は。どちらかというとAマイナー系
短調民族である日本人とは違うぞ。実に爽やか中央ヨーロッパ歌謡である。日本の昭和初期にもこの
手の西洋サウンドは見られるはずだ。彼の国では、クラッシックも民謡も歌謡曲も、地続きな感じが
伝わってくる。我が家でのビア・パーティには欠かせないBGMだね(やらないけどね、そんなこ
と)。
SP盤から起こしたであろうサウンドもよいし、当時の演奏も歌唱も大好きなので結構なのだが、
ま、言ってみりゃあ同じような曲が次から次へと山盛りで、そろそろ飽きてきている。編集にもよる
だろうが、日本の歌謡全集のようなサウンド面および背景の振れ幅、バリエーションの多様さはな
い。今のところ。とはいえ、この手のコンピレーションはずーっと聴いていると、他のことを忘れて
頭が幸せ∼になってくるので、その日を待ちたい。そしたらビョーク。待っててビョーク。
そうそう、 10 枚組 200 曲入りだった。一曲単価 7.3 円。ダス・イスト・ニヒト・トイヤー。安い
ね。
異様に安いぞ。
2007-05-22
■つんどく
昔、何かの軽い読み物で 「つんどくのススメ」 とか何とかいう文章に出会い 「あ、いいんだ、つん
どくで」 と達観してしまい、以来、つんどくを実践している。その文章が誰のものだったか、どんな
内容だったか、まったく思い出せないのだが、買った本を読みきってから次の本を購入する、という
律儀な習慣が自分から消滅したことは確かだ。
今、まさにつんどくピーク。
藤原新也、村上春樹、町田康、辛酸なめ子、澁澤龍彦、山口昌男、大江健三郎、ガルシア・マルケ
ス、みうらじゅんらの、人によっては複数の著作の他、ゴルゴ 13 (複数)、新書(複数)、その他
もろもろ、ほどよく積んじゃった。
58
大体、たいして読書家ではない。急に 「わー読むぞ」 と思うと狂ったように読むタイプだ。しか
し、狂ったように読むにも暇な時間が必要で、なかなかそれがなかったりする。おかげでつんどく状
態の本の標高がどんどんと高くなっていくのだ。
また、恐ろしいことは、つんどく状態の本が、まぁ、そのように流動的なエリアから、本棚の中に
所定の場所を見つけて丸く収まってしまうことである。つまり、読まずに終わる場合である。そうし
た本も随分とある。
ふと思いつく著者で、ドストエフスキー、トルストイ、サルトル、ボードレール、サンドラール、
ゲーテ、ヘッセ(誕生日一緒なのだ)、ニーチェ、マルクス、山口昌男、その他もろもろ。
ということから、現在つんどく本に加わっている文化人類学者の山口昌男の著作が、読まずに終
わった本に加わる可能性が非常に高く感じられるのである。いや、反対に一冊読んで火がつき、狂っ
たように読む可能性だってないとは言えないだろう。が、これは随分と失礼なことを書いている気が
する。一応、読まずに終わっている山口昌男の本より、読み切った山口昌男の本の方が多いのだ。い
や、ますます失礼なことを書いている気がする。話題を変えよう。
いやぁー、ロシア、ふらんす、独逸に弱いねー。特に、重厚な文体(日本語訳だけど)には弱いの
かもしれない。誰とは言わないけれど。上中下3冊本にも弱いかもしれない。誰とは言わないけれ
ど。多分、一生読まないで終わる蔵書、あるだろう。
積んでいるうちに人の興味や関心、場合によっては人生観、生き方そのものまで変わってしまうか
もしれないのだからどうしようもない。つんどくでいーのだ、という達観は、要するに人生流れるが
まま、という実践でもあるのだ。
「わー、この本読も。買っちゃお」
「わー、後で読もう。積んどこ」
「わー、他の本読も」
「わー、この本、買ってから 10 年経っちゃった」
2007-05-31
■The Who / Quadrophenia
Love Reign O'er Me
by Pete Townshend
(邦題:愛の支配)
愛だけが雨を降らす
海が浜辺に口づける流儀で
愛だけが雨を降らす
草むらで抱き合う恋人達の汗のような
愛よ、俺を支配しろ
俺に雨を
愛だけが雨をもたらす
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君をして空に向かい焦がれさせる雨を
愛だけが雨をもたらす
天上より涙のように降り落ちる雨を
愛が俺を支配する
乾いた埃っぽい道
俺たちが離れ離れに過ごすいくつもの夜
俺はうちに帰らなければ、冷たい雨の降る方へ
夜は暑く、まるでインクのように真っ黒だ
俺は眠れず、横になり思う
神様、キンキンに冷たい雨の一杯を飲みたいよ
愛
先日、友人の凡華麗氏からいただいたコメントを読んでいて思い出した。彼はザ・フー・キチなん
だ。
ザ・フーのロック史における功績といえば、ロックオペラとか、コンセプト・アルバムとか、ベー
スもドラムスもソロ楽器なんだぞ、コノ!とか、いろいろあるのだろう。私も若い頃、ザ・フーに心
酔していたので、コンセプト・アルバム的な発想法が未だに抜けない。
つまり、まぁ、アルバムというものは、なにかテーマなりストーリーがあって、それに沿ったり逸
脱したりしつつ進行していかないと気が済まない訳だ。気合と勘違いと大仰さを愛する感性と、スッ
トコドッコイぶりに居直れる図々しさが必要だ。
「この曲は A 面 2 曲目的だ」 とか 「これは絶対 B 面 1 曲目だ」 というような、ポップス的な意図で
の編集とは相反する方針で曲は配置される。コンセプトっすから。必然っすから。あ、今、 A 面も
B 面もないよね。
そんなわけでザ・フーの『 Quadrophenia 』(邦題:四重人格)である。レコード二枚組のコンセ
プトアルバムである。テーマはロンドン在のジミー君(モッズ族)という青年の自我の危機を通して
バンドの存在理由を逆照するというようなものかな。そのエンディングの曲が冒頭の 「愛の支配」 。
ザ・フーというか、ピート・タウンジェントの詞は、英国人らしい可笑しなユーモアが随所に光る
ものだが、それ自体では若者の人生を白から黒へ変えてしまうようなものではないと思う(英国での
状況は知らんよ)。大体、ザ・フーの魅力は、メロディと演奏を抜きには語れない。
『四重人格』は、あまりまとまっているように思えないけれど、繊細さと激しさで描かれた佳曲が
何曲か盛り込まれた、よいアルバムだ。多分、ザ・フーのアルバムで一番好き。美しいモノクローム
のブックレットがついたレコードを所蔵している。
『四重人格』は映画化もされている( 「さらば青春の光」 )。昔、広尾だっけな、フィッシュ&
チップス食わせる店があって、食いながら店内のモニターで上映されているビデオを見ていた(既に
見たことあったんだけど)。映画が終わると客の一人(俺と同年輩のサーファー風の若者、当時)
が、
「クソみたいな映画」
と、呟きやがった。たいした映画じゃあないかもしれないが、ザ・フーとフィッシュ&チップスを愛
する人間には心外な言葉だ。ううー。
60
「お前には永遠にフィッシュ&チップスにかけるモルト・ビネガーの味はわからねー!」
ふっ、呪ってやったぜ。どうだ、参ったか。頓珍漢の心の叫びさ。
2007-06-01
■こぶし歌謡
ふと気付いた。
ときどき好きな音楽のことなど書いているが、振り返ってみると自分の嗜好をそれほど反映してい
ない気がする。それなりに話の通じそうな話題を選別していたのかもしれない。
イカン。いかーん。誠にイカン。とにかくイカン。
Khaled, Rachid Taha & Faudel / Abdel Kader
http://www.youtube.com/watch?v=yEupwjbU4Vo
ライ Rai と呼ばれるアルジェリアの歌謡の歌い手達のライブである。こぶし回しが爽快。これだ
け回ってると 「こぶしを回す」 と、名詞+助詞+動詞という手続きなど踏まず、ズバリ 「こぶす」 と
動詞化したくなる。
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(用例)
まさおくんが朝からこぶす。
いや∼、こぶしてますなぁ。
こぶさずにはいられない陽気ですね。
先生がおこぶされた。
...
ハレド Khaled (ヒゲの親父)はキング・オブ・ライ、ライの王であり、その縦横無尽なこぶし
回しを誇る歌唱と、エレクトロニクス、レゲエやらヒップホップやらをも(割と無節操に)取り込ん
できた姿勢は他の追随を許さぬものがある。ちなみにフランス在だ。
続いてラシッド・タハ Rachid Taha (長髪のアニキ)は、そのパワフルかつダイナマイトな歌
唱が、実に漢気満々、痺れさせるぜ。フランス在だ。
もう一人、フォーデル Faudel (三人の中では薄いルックスの若者)である。ハレドとタハの歌
には心をワシ掴みにされてきたものだが、御免、フォーデル、君の力が前二者より劣ることは明白
だ。
さて、つまり、全員フランス在である。ハレドはアルジェリアにて歌手として大成してから活動拠
点をフランスに移した。タハは少年時代に家族でフランスに移住した経歴を持つ。フォーデルは移民
の子らしい。ま、そんな社会的背景などをくどくどと書くこともできるのだが、一つ、前提として、
音楽を愛する私には、どこで生まれようが、どこで育とうが、何語だろうが、何を信仰していよう
61
が、基本的にまったく関係ない。人と歌が一対一で対峙するのに、そんなもの、関係あるか。
今日はとても 「こぶしたい」 気分だったのだ。訳はあるが、書くと長くなるので、訳もなくこぶし
たくなっちゃった日、としておこう。
2007-06-06
■我が人生、ラジオとともに(大袈裟だよな)
狂ったようにラジオを聴いた時期が人生に何度かある。これからもあるだろう。
最初は高校生の頃で、ロックにはまったクソ田舎の高校生に出来る事と言えば、ラジオ聴いて、雑
誌読んで、勘違いした衣装に身を包んだ勘違いしたバンドを組むことだった。まぁ、若いし、聴くも
のが何でも新奇であるから、闇雲に聴き、発見を楽しんだ。当時、ラジオから流れてきた音楽で、最
も衝撃を受けたといえば、 The Smiths のファースト・アルバムだったろうか。
それから何年か後、ある日、ジェーン・バーキンが来日して歌った模様をやはりラジオ(TOKYOFM だったかな)で聴いて 「これからは英語のロック以外を聴く!」 と、なぜか決意した憶えがあ
る。あっちからこっちへ一気に行っちゃいやすい性格だな。そして行動に移した結果が NHK-FM
「世界の民族音楽」 であった。確かに決意、実行しているけれど、ジェーン・バーキンと民族音楽は
結びつかねーな。
この番組の放送枠は何度か移動した記憶がある(スキマ番組だったんだろうな)が、一番聴いてい
たのは、毎日、午前中 15 分か 20 分か放送していた時代だ。その番組のパーソナリティを努めてい
た方々のお一人に、後に大学で教わることになるとは、この時点では思いもよらなかった。最も衝撃
を受けたといえば、いや、超絶芸がありすぎて、ほとんど衝撃の日々だった。
次に、比較的新しいところで 2000 年から 2005 年ごろ、よく聴いた。ジャンル、時代、民族、関
係なく、雑食の胃袋で聴きまくった。エアチェックした内容をノートに記録していて、気になった曲
にはコメントとかも書いていた。何冊もノートがある。一体、何のため、と問われれば、何のためで
もないな、こりゃ。趣味に走った男の記録というか、記念碑というか、墓標というか。
と、長年断続的に聴き続けてきて、民放のラジオ( FM )は喋りが増えたな、と思う。音楽より喋
りの方が多いくらいだ。 NHK は、あんまり変わらない気がする。まぁ、娯楽には才能ないのだろう
から、営利に走らぬ超然とした番組作りを続けて欲しい。応援する。フレー!
やはり全体としては専門局、演歌チャンネルとか(まず聴かないだろうけれど)、邦楽チャンネル
(尺八とか琵琶の方ね)とか、北欧専門局とか、そういう方向へと進んで欲しいものだが、総合的な
放送スタイルも昔からあまり変わらない気がする。しかし、ラジオには斬新な発見と衝撃の出会いが
あるものだ。流すほうも楽しんでいるのだろう。番組表などチェックして気になる音楽と向かい合っ
てみるのも一興かと。ノートつけるとなおよろしいかと。
2007-06-21
62
■カレーと音楽
昔、確か 「現代思想」 (青土社)で、玉村豊男と四方田犬彦の、料理に関する対談だったと思う
が、一度カレー味になった料理は二度とカレー以外の味にすることはできない、カレーとは最終料理
なんだよ、というようなことをどちらかが言っていたと思う。うろ覚えだが至言なり。
カレーで最も重要なスパイスはターメリック、シナモン、クミン、コリアンダー(種)だろう。タ
ーメリックは黄色い色付けなので風味への影響は少ない。他の三種のスパイスは、混ぜるとはっきり
カレーの風味になる。意外と単純なもんだ。三つのうちのどれか一つが欠けても多分、まだ充分にカ
レーだと思う。二つ欠けてスパイス一種だけではカレーと認識できない気がするが、そこに上記以外
の香りスパイスを適当に何でも構わないから二種類ぐらい足せば、やはり再びカレーになるだろう。
そして一度カレーの風味を帯びたが最後、更に何種類のスパイスを追加しようとも、それはカレー以
外の風味に戻ることはできないのだ。やってみ。ホントよ。
さて、音楽においてもそういったことが言えまいか。カレー=インド繋がりで行くと、例えば、シ
タールというミヨ∼ンと響くインドの弦楽器があるが、その音がアンサンブルに導入されれば、どう
したってインドに聴こえてしまう。それ以外には聴こえん。後戻り不能の一撃インド化スパイシー楽
器=シタールと言うことができるだろう。
この 20 年間あまりのポピュラー音楽の一潮流として、音声のサンプリングであるとか、それを加
工して音楽作品に取り込むといった行為が非常に容易になり、実際に演奏しなくてもそれっぽい表現
が簡単に可能となった。インド的な雰囲気だけを出そうと思うならシタールの音をサワリ程度にでも
導入すれば充分であるし、アラブ的な雰囲気ならば別の手がある。また、そうした楽器の演奏でクラ
ブ・ミュージックを作るというようなミクスチャーな試みも、音と演奏のサンプルさえ入手すればい
とも容易い。更に地理的・文化的にまったく異質なセット同士を組み合わせることもできる。面白い
と感じることもあるし、音を並べただけだろう、とつっこみたい気持ちを感じることもある。とはい
え、そこには確かにカレー的な制作物があるわけです。
そうなりゃ、冒頭の至言に戻るしかあるまい。一度カレーになったら二度とカレー以外にはなれな
い。心してカレーになれよ、フレッ!フレッ!フレー!
ということで、人様はともかく、自分に望むことは、インドカレーなどを目指すのでなく、自分カ
レーのマル秘な配合を編み出したいんだぜ、です。
ちなみに私のカレー作り(食う方)はスパイスを挽くところから作ります。食ってみ。微妙よ。
2007-06-25
■模倣とパクリ
なんか、重そうなことを書こうとしている気配がタイトルから漂ってきそうだが、そんなつもりあ
りません。
模倣とパクリ(剽窃)とは似ているようで異なりそうだ。模倣は、多分、何かターゲットとする作
品を真似てみることで、それに接近しようとする手段なのだろう。これは、多分、ある部分までは許
されているのだと思う。一方、パクリというのは、ある作品を部分的に、或いはまるごと、しかもか
なり原形通りに自分の作品の中に取り込んでしまうことだろう。これは、著作権のある作品に対して
63
無断で行なうと、その侵害になる場合がある。著作権の消滅した作品に対してであっても出典を明記
しないのはルール違反と考えられるのではないかな。とはいえ、模倣であるかパクリであるかオリジ
ナルであるか、その線引きは難しく曖昧なものだと思う。
自分が思いつくメロディの一節とかって、間違いなく、既にこの人類の歴史に刻まれたものなのだ
ろうな、と思う。別に斬新さを感じるものでもないし、きっと、同じように思いついた誰かさんが大
勢いるだろう。そもそも、人生のいつか、どこかで聴いたメロディの、いつ・どこで・誰が、を忘れ
て、メロディだけを思い出しているのかもしれないし。自分ではシロと感じていても、誰かさんには
グレー∼クロと感じられるかもしれない。
更に気がかりなのは、ドラムのパターンのようなもので、その基本的なところは、間違いなく自分
が考え出したものではないと、はっきり言い切れてしまう。例えば、四分の四拍子で一小節の中に
キックを一拍ずつ四回打つ、というリズムを発明したのは間違いなく私以外の誰かである(自分だ、
という人がいたらスゲーよ、その人、会いてーよ)。にもかかわらず、時にはそういうリズムを使
う。全く平気で。誰はばかることなく。
そういうものは人類共有の財産なのだ、という見解もあろう。普通そうだ。事実そうだ。私はその
考えを支持する。しかし、それを発明した誰かがいたのではないか?と考え出すと、ちょっと考え込
む。我々は本来、楽曲のクレジット欄に 「&人類史」 「&誰か」 などと書き加えねばならぬのかもし
れないのです。まぁ、全員がそうであるということで省略されているとでも考えよう。ウラを読め、
ということでしょうか。
というわけで、一つの作品は、いろんなものの影響を受け、場合によっては何かを模倣しているか
もしれぬ要素あり、場合によっては何かをパクっているかもしれぬ要素あり、人類共有の財産の恩恵
を受けつつ、巧く立ち回りながら、オリジナルな作品として成立しているのかもしれぬのです。
ところで、メロディとか、書かれた言葉には知的所有権が無論成立する訳だが、リズムには適応で
きるのだろうか。作品ではなくリズムそのものに。出来なければ、ドラマーの立場はギタリストのそ
れに対して、まったくフェアではない。メロディはリズムに優越するとでもいうのだろうか。しか
し、とするならば、そのリズムはどれほどアブストラクトで前衛なものなのだろう。非常に興味があ
るのだ。
2007-06-29
■恋愛睡眠のすすめ
映画を観た。
『恋愛睡眠のすすめ』
ミシェル・ゴンドリー監督
2006 年フランス=イタリア
何ゆえ観たかと問われれば、シャルロット・ゲンズブールが出演しているからである。まさか、群
馬県伊勢崎市においてシャルロット・ゲンズブールが出演するフランス映画を観られようとは想像も
していなかったわけである。伊勢崎万歳。
筋書きは、異常に感受性の強い、夢と現の区別が時々つかなくなる、夢の中での体験でくたくたに
なって疲れ果てて会社を休む、そういうタイプの男(ガエル・ガルシア・ベルナル)が、アパルトマ
ンの隣の部屋に越してきた女(シャルロット)にだんだん惚れていって、夢と現と恋とで、自分制御
不可能な状態に陥っていっちゃう(喜劇的に)、というようなもの。
64
夢と現という振れ幅に、恋という感情の振れが加わる。更に、女の感情の振れも加わる。このよう
にあちこち振れる映画を耐えがたく感じる人々が多いことを私はよく知っている。例えば痛快なエン
ディングが振れの担保となっていたり、或いは振れについての説明が劇中になされないと、ついて行
くのも億劫に感じる人々が多いということも、私は非常によく知っている。つまり、ほとんどのフラ
ンス映画はそのような範疇に属するのである。
しかしだ、こちとら、人生って色だろ、艶だろ、って気で、シャルロット ・ ゲンズブールと恋仲に
なりたい妄想満々の恋狂い歴 20 年なのだから、楽しめる。アパルトマンの隣の部屋に越してきた女
は口説かなければならない。それは、そーしなければいけない。でなきゃドラマにならねーよ。それ
がシャルロット・ゲンズブールであったら、ストーカーまがいの破廉恥行為に及ぶ変態野郎と化す可
能性を誰が否定できようか、否。愛、当たって砕けろ。
まぁ、人生って、ビルの爆破だろ、カーチェイスだろ、悪を滅ぼすことだろ、という人には、見る
必要のない映画です。
俺の文より観たほうが余程早いし、楽しめるよ。俺は 「可愛い」 を比較的解さない男だと思うけれ
ど、そんな俺にも可愛いなと感じるファンシーな映像や小道具も満載だよ。他の作品も見たくなる監
督でした。
2007-07-03
■アントニー
凄い声の持ち主に出会った。いや、以前から知っているのだが改めて再確認した。
ビョークの最新アルバム『 Volta 』をこのところ聴いているのだが(やっと購入したのだ)、その
中の 「The Dull Flame Of Desire」 と 「 My Juvenile 」 に参加している男性ボーカルの声を聴いて、
おお、この声は、紛れもなく、と思い出したのだ。
ルー・リードは 2003 年に『The Raven』というアルバムを発表している(私はなぜかそのアルバ
ムを香港で入手している )のだが、その中でルーの往年の名曲、名曲中の名曲、傑作中の傑作
「 Perfect Day 」 を歌う男性の声に私は熱狂した。
独特の、深いファルセット、時に鋼のように強靭で、時に震えるように柔らかく、シックで豊穣、
感情を抑え、シュールさと退廃感をも漂わす、部屋の空気の色を変えるような、黒人だろうか、この
歌い方と、この深い声は。
とにかく強烈な印象が残った。名前だけは覚えていたのだが、彼がどんなミュージシャンで、どん
な活動をしているかなどまで、そのときは調べなかった。音楽雑誌のようなものも定期的に読んだり
しないので、それっきりになってしまっていた。
しかし、再び、邂逅する。凄いよ、凄いんだよ、声が。ビョークとのデュエットを聴いていると、
二人の声の素晴らしさに、胸に込み上げる説明しがたい感動を抑えることが出来ない。
「The Dull Flame Of Desire」 はビョークのキャリアの中で最も愛する曲の一つになるだろう。
Antony Hegaty
65
イギリス生まれ、白人、アンドロギュヌス。
私は彼が率いるグループのアルバムを入手することになるだろう。この声が歌う曲を、もっと聴き
たくなった。
2007-07-04
■冠二郎
J-ENKER こと、冠二郎。にっぽんの宝である。不器用だが情熱のこもった歌唱、派手目のステー
ジ・アクション、ショーマンシップあふれる礼儀正しい立ち振る舞い……に代表される It's Only
演歌 , But I Like It" なパーソナリティは、全国の演歌ファンの心を大いに打つのであった。
「演歌人生」 「人情酒場」 「旅の終わりに」 「男の子守歌」 ……味あり過ぎの名曲群。
今夜も冠ソングが身に染みる。嗚呼、冠。
goo 音楽 「冠二郎」 ] より引用(http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD1148433/index.html)。
最近、やたら冠二郎のことが気になるのである。
別にはっきりと言って演歌好きじゃないんだけどさ。ギター・ソロとかないしさ、あればいいって
もんじゃないけど、姿勢的にさ、率直に言ってどれ聴いても同じだしさ、つまんないしさ。うわー、
すごい誹謗。
しかし、冠である。確か、相当以前に、 NHK 紅白歌合戦で 「♪アイ・アイ・アイ・ライク演歌」
とか歌う、超・強力なソング( 「炎」 )を聴いて度肝を抜かれた覚えがある。さらに何年か前、渋さ
知らズとのライヴ共演の音源を NHK-FM の番組で聴いた覚えもあり(ひたすら 「セイヤ∼、セイヤ
∼」 と歌ってらっしゃった)、その異様な粘着力とパンチ力の一端は知っておったのだ。
ある日、急に 「♪アイ・アイ・アイ・ライク演歌」 と 「セイヤ∼、セイヤ∼」 が頭から離れなく
なってしまったのだ。こういうことよくあるの。こりゃあ困った。検索してみる。すると冠を紹介す
る冒頭の美文に出会ってしまった。
It's Only 演歌 , But I Like It"
くらっと来たぜ。その男気。で、その辺の CD 貸しへ赴き、冠のベスト盤と、ついでにストーンズ
のベスト盤を借りてきた。ふっ、訳は聞くなよな。
しかし、ド演歌ばっかりなのな。意外と。
「炎」 と 「ムサシ」 は良かった。ドラマチックで。冠。やはり気になる。冠。
一方、ローリング・ストーンズであるが、ストーンズの 70 年代以降のアルバムは、どうせ一枚全
部聴かないだろうからベストでいいや、と思ったのだが、やはりオリジナル・アルバムで聴いたほう
がよい。因みに、手持ちのストーンズのアルバムは、全て LP かカセットで、車などで聴けないの
だ。
2007-07-12
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■ロックと老い
年を取り、事故や特定の病気でなく自然死することを老衰と呼ぶ。未だロック・ミュージシャンに
老衰死したものはいないらしい。歴史が浅いのだ。しかも破滅型の人材が多く輩出されてきたことも
ありイメージが湧かない。
ロックが、 1960 年代以降に本格的な隆盛を見たとすると、当時 20 歳くらいだった青年は 1940
年代生まれということになり、老衰っていうとおそらく 90 歳過ぎだろうから、 2030 年代以降でな
いとロック・ミュージシャンの老衰死にはなかなか出会えないだろう。まだまだ先のことだ。
まぁ、ロックといったって必ずしも若者の独占的な音楽ではなかろうし、 1960 年代に齢 60 歳に
して、これぞわしの求めていた音楽じゃ、と開眼したロッカーも世界各地にいなくはなかっただろう
と推察すると、実際には既に老衰死したロッカーもいるのかもしれない。そうした民衆の歴史はなか
なか表に出ないだけなのだ。大河ドラマだって 15 世紀の一農民を主人公にはしないだろう。
とにかく、そんなわけで人生1サイクルの歴史すらないロックであるから、可能性もまだまだ残さ
れているだろう。老いたミュージシャンの心の叫びなんて聞きたいじゃあないか。
主要テーマ例
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老いらくの恋
うーん、若い娘はいい
若い頃の俺はお盛んだったんだぜ
若い頃捨てた女が今、妙に恋しい
国家よ、俺に年金を支払え、加入はしていなかったが(だって俺、ロッカーだもん)
若い者の言う事は聞かねえ、絶対聞かねー
金ならある
この歳になると保守主義もよいものだと思える
孫が
健康のためならロックなんてやめられる
死にたくない
...
これはある意味、一人の人間のリアルな心の叫びであり、来るべき高齢化社会ではそのジェネレー
ションへのメッセージになる得ると思うのだが。中年以上のロッカーよ、往年のヒットやら懐メロや
ら歌ってる場合じゃあない。今の自分を描け。死ぬまで。
だが、 Dr. 中松によると、確かドクターの発明品によって人は 144 歳まで軽く生きられるはずなの
で、それによれば現在 70 代の現役ロッカーですら、まだまだ人生の折り返し点くらいのものだ。
2007-07-24
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■くるり
コンサートへ行ってきた。くるりである。
大槻ケンヂが何かのインタヴューで、ロックの本質は体育会的体質であり、先輩へのリスペクトか
らくる憧れ、同一化などがその原動力なのだ、だから俺は自分より年下のバンドなんて聴かないもん
ね、というような事を言っていたように記憶している。せ、先輩、オレ、嬉しいッス(半泣き)、み
たいなのがロックの本質だという訳。ジャガー先輩とか、リチャーズ先輩とか、レノン先輩とか、
ディラン先輩というのは、後輩から非常に慕われた先輩なのだ。
確かにそういう面、ないとは言えないよなぁ、と思う。実際、俺も若者の野郎のメインストリーム
指向のロックバンドを熱心に聴く性質ではない。かといって明らかにピークを過ぎたおっさん(或い
はじじい)の新作などにもあまり興味がもてないので、そういうことだと自分の中でロックというの
は伝統芸能化、懐メロ化の道を辿って行くのだろうから、その姿勢もおっさんの居直りのようでふて
ぶてしい気もする。おっさんが進行形でロックし続けるのは大変なことなのだ。
さて、くるりであるが、何年も前から違和感なく聴いている。とっても好きだ。彼らは私よりずっ
と年下だろうが( 10 代の若者などからすればずっと年上だろうが)、何の違和感もない。なぜ違和
感がないのだろう、と思ってきたが、曲が素晴らしく、詞が素晴らしく、歌唱が素晴らしく、演奏が
素晴らしいのだから、違和感などあろうものか。それでいーのだ。素晴らしければ世代間の垣根を超
えるのだ(お互い、少しずつの歩みよりも必要かもしれないが)。押し付けがましい露出したメッセ
ージのようなものを表に出さないところも良いのかもしれない。曲とすれば 「ばらの花」 というのは
私の生涯のフェイバリット・ソングの一つだろうし、アルバムで言えば『アンテナ』というのも日本
のロックのアルバムの中でフェイバリットな一枚だろう。
今回はアルバム『ワルツを踊れ』発表後のツアーであるが、メランコリィな曲、硬質で激しい曲、
語りかけるような曲、しなやかで強靭な曲、おなじみのべらぼうに素晴らしい曲など、魅力満載の楽
曲が巧みに配置されていて演奏も素晴らしかった。わたしは、昨年の 1 月頃だったか、前のツアーの
公演のチケットを入手していたのだが、その時期、患っていて行けなかったことなどあり、そんなこ
とも思い出され感慨深かった。コンサートに足を運んだ人にとって特別な一夜を演出してくれるよう
な、素晴らしいコンサート。
2007-08-20
■ Antony and the Johnsons / I Am a Bird Now
最近、ずっぽしはまりこんでいる音楽がある。
以前にも触れたが、ビョークの新しいアルバムの中で、ビョークと共に 2 曲歌っている Antony
Hegaty が率いるバンドAntony and the Johnsonsのアルバムである。
2005 年発表なので、既に 2 年以上経過しているが、最近になって入手し、以来、狂ったように聴
いている。
とにかく、その比類なき歌唱に耳を奪われる。一瞬にして彼らの世界に引き込まれるようだ。なん
という声なのだろう。独特のファルセット。軽く、深く、明るく、暗く、多彩な表情を見せるが、そ
の芯には深い孤独、哀しみが感じられるような声。
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サウンドはピアノを主体に、ストリングスやブラスなどが加わり、ソウル的なポピュラー音楽、時
には教会における宗教音楽、さらには繊細な室内楽をも思わせるものである。ギラギラとしてはいな
いが、真っ暗闇の闇夜を流れる河が、ときどき月光に鈍くギラッと光るように、それはその人の内部
を放射しているのか、反射しているのか、歌唱と合わせ、凄みを感じさせる。
Antony And The Johnsons - Hope There's Someone
http://www.youtube.com/watch?v=mbA0RmHD7RY
アントニーは男と女の境界の人らしい。敢えて言うなら、異能のシンガーが描く世界と言えるだろ
う。そういった人生が音楽に影響を与えていることは紛れもないことだろうと想像する。音楽という
ものを、それ抜きに語るべきなのか、それゆえに語られるべきなのか、私にはわからない。そしてそ
れが、どちら側から見ても光を感じられるものなのか、ある一方の側から見ているものにしか光を感
じられないのか、それも私にはわからない。私は、目も眩むような、静謐な熱情の塊を受信した思い
で聴いている。
裏声で、一緒に歌ってみた。もちろん、こんな声、出ぬ。
2007-10-11
■持っているものを把握しよう
手持ちの CD をデータベース化するソフトを持っていて( http://bruji.com/cdpedia/ )、最近、一
日 10 枚くらいずつ、こつこつとデータベースを構築しているのだ。暇人だ。
商品コードなどを入力してやると、 Amazon US, Amazon JP 、などなどから、収録曲だとか、レ
ヴューだとか、ジャケだとかの情報を収集してくる仕組みになっているのだが、古い CD など、商品
コードではさっぱりひっかからない。苛々するわ。しかし、ディスクを読み取って情報を収集するモ
ードもあり、それだと情報をほぼ自動収集できる。頼もしいわ。更には自分のコレクションをウェブ
に書き出して公開出来たりもするそうだが、誰がそんなことするもんか。結局、だから何なのだ、と
いうソフトである。
CD に限らず、手持ちの音楽ソフトのコレクションを自分なりのカテゴリーに分類できるので、
SP 盤(蓄音機でかけるレコード)とか、 LP レコードとか、カセットとか、やろうと思えばそんな
ものまでデータベース化できるが、その場合は情報を手入力する必要があるだろう。誰がそんなこと
するもんか。だから、だから何なのだ、というソフトである。
さて、そんなことで CD の情報を収集するために CD をパソコンで読むわけだが、すると、つい、
つい聴きふけってしまうのだな。中身を。で 「ありゃ、俺の想い出のアイドル達の、あの曲、俺、
CD で持っていなかったっけ、おかしーなー」 などと、記憶を辿ってみたり、次々と試聴してみたり
と、データベース構築から脱線していき、時間をやみくもに浪費していたりすることになる。
というわけで、どう考えても CD で持っていると思っていたのに持っていなかった曲を、とりあえ
ず CD 貸しへ赴き借りてきた。毎週火曜はレンタル半額なのだ。いずれ手に入れたい。
アンナ・カリーナ 「Sous le soleil exactement 太陽の真下で」
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フェイ・ウォン 「我願意
私の願い」
アンナ・カリーナの曲はセルジュ・ゲンズブールが書いた佳曲。ゲンズブール自身が歌っている
CD は持っていたが、アンナ・カリーナの歌唱はカセットにダビングしたものしか持っていなかっ
た。というわけで、ゲンズブール関係のコンピ盤を借りる。
フェイ・ウォンのそれは、全く殺人的な、必殺の、それを聴く度に死ぬぜ、というバラードで、当
然、私のフェイ・ウォン CD コレクションズのいずれかに収録されているものだと思っていたら勘違
いだった。 MD にダビング&エアチェックしたものしか持っていなかったのだ。というわけで、フェ
イ・ウォンのベスト盤を借りる。
この調子で脱線していくし、無駄なことに対してしつこい性格なので、必ずレコードだ、カセット
だと、風呂敷を広げて行くだろうから、俺のマイ・コレクション・データベースなど、いつ完成する
のだろう。そして、だから何なのだ、という疑念も付きまとうのである。
2007-10-17
■携帯動画生活
最近、携帯を変えた。何となく、タダで機種変更できるという広告を見て、ふうん、じゃあ変更し
ちゃおう、と思ったのだ。
私は、大体からして携帯電話をほとんど使わない野郎で、休日などは電源すら入れていないことも
多い。盆暮れ正月などは長期連絡不能だ。まぁ、そういうライフスタイルだと、誰も俺になど電話し
てくれることもなくなり(つながらねーもん)、友達もいなくなる。あと、携帯でメール打つのに
も 3 年くらいかかる手際の悪さなので、メールが来ても返信しない。友達はいなくなる。
さて、新しく購入した(タダだけど)携帯は音楽や動画やテレビや FM が楽しめちゃうらしい。今
や全くもって普通の機能なのだろうが、いやぁ、世事に疎くてね、知らんのよね、この分野でどんな
イノヴェーションが進行しているのか。これまで使っていたのにはそんな機能なかったぞ。
で、それ au なのだけれど、 rismo というプレイヤーを付属のインストールCDからパソコンにイ
ンストールし、パソコン側の音楽ファイルを携帯とやりとりし、エンジョイ音楽できるらしいのだ
が、おい、macに対応してねーよ。macユーザー無視である。
しかし、microSDカードに音楽ファイルを取り込めばいいんじゃん、そんなプレーヤーいらねー
よ、と思い、近所の電気屋でmicroSDカードとカードリーダー&ライターを買ってくる。これで解
決。と思ったのだが、 MP3 とか AAC といったファイルをmicroSDに入れて携帯で再生しようとし
てもふんともすんとも言わない。さては、それ用のファイル・フォーマットがあるのだな。まったく
浅はか者である。
きっと、俺は人が見ると鼻で笑うような、わかりきったことを書いているのだろうが、俺にとって
は突然の携帯革命現場なのだ。で、ちょっと調べてみたら携帯動画変換君なるもののmac版である携
帯動画変換ちゃん( http://micono.hp.infoseek.co.jp/3gpp/ )という、動画や音声ファイルを携帯向
けのファイルに変換してくれるツールをあっさり発見。あっさり変換。あっさり視聴。うーん、これ
はいい。
ということで暇なときに眺める用に、いくつかの動画をmicroSDに入れてみた。まだまだ大量に入
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れられそうだぞ。
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セルジュ・ゲンズブール Lemmon Incest
シャルロット・ゲンズブール Charlotte Forever ほか
マヌー・チャオ Me Gustas Tu ほか
ザジ
Chanson D'ami
リタ・ミツコ Les Amants
ディオニソス La Metamorphose De Mister Chat
ノワール・デジール Le Vent Nous Portera
ハレド Aicha ほか
ジャンデク Real Wild ほか
ビョーク Who is it
カパケリー Skywalking Song
フェイ・ウォン シャナイアー
ジャン=リュック・ゴダール 『男性・女性』予告編
クルベリ・バレエ団 Sleeping Beauty
大好きな動画をいつでも持ち歩いているとはゴージャス。これからは動画を見るときだけ携帯の電
源を入れることにしよう。
といいつつ、案外、見ないんだよね。
2007-10-19
■こびりつく歌
こたつに入り、茶を飲みながら、ぼさっとテレビを眺めていると、韓国ドラマをやっている。茶を
飲み終わるまでこのままぼさっとしちゃうぞと決意し、そのままぼさっと韓国ドラマ視聴を継続す
る。無論、連続ドラマのこれまでの筋立てなど知るもんか。
すると劇中、イカシた風体の親父が、なにやら劇中歌を歌いだした。軽快なアップテンポの歌謡ナ
ンバーである。
♪チャッチャッチャ
サランハムニダ(愛しています)チャッチャッチャ
...ハムニダ
当然、ハングンマルに何の素養もない私に歌詞詳細を聞き取れるわけがない。まったく、せめて譜
でも載せたいものだが、とにかく、耳にこびりついて困る歌謡だったのだ。
「チャッチャッチャ」 などという擬音らしきもので歌詞が始まるのも珍妙ならば、なんとかハムニ
ダという歌詞が、妙に字余りちっくになっているところにも好感が持てる。再放送があるらしいの
で、このような佳曲は録画せねばなるまい( BS 日テレ オーバー・ザ・レインボー)。
どうしても耳にこびりついて離れない音楽というものがどうしてもある。韓国繋がりで連想する
と、昨年、ソウルを訪れたとき、ソウル旧駅舎(文化財である)前の路上で、年配のおっさんがカラ
オケマイクを手に熱唱していた歌が強力だった。
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♪オトシ∼ハッチェチュ∼、オトシ∼ハッチェチュ∼...
と、歌っているように聞こえた。まったく、せめて譜でも載せたいものだ。因みにその歌をおっさ
んの前で聞いていたのは、私と、もう一人の年配のおっさんだけであった。人気ねーな。なぜ往来で
熱唱していたのかはまったく不明であった。そんなややこしいこと。
子供の頃のTVCMの曲なども、ときどき思い出すと一日中頭の中を渦巻いて困っちゃうことがあ
る。
♪いやいやイヤ∼ン、いやいやイヤ∼ン、家具はコマツでなくちゃイヤ∼ン
小松家具の歌である。ローカルです。本当に譜でも載せたいものだ。
さて、韓国ドラマで劇中歌を熱唱していたイカシた風体の親父であるが、劇中、熱唱中に突然倒
れ、病院に運ばれたがそのまま亡くなってしまった。親父がどうやら主人公の父だということが葬式
のシーンで分かったところでティー・タイムは終了となったのである。
2007-11-13
■渋さ知らズ
渋さ知らズのコンサートへ行ってきた( 11 月 24 日
於、まつもと市民芸術館)。
二週間ほど前、ラジオの CM で偶然知り、即座にチケットを入手したのだ。よかった。以前から大
好きで、生で見るのは初めてと、かなり楽しみにしていたのだが、それにしてもこれほど素晴らしい
とは。
ドラムス 2
パーカッション
エレキ・ベース 2
キーボード
エレキ・ギター 2
ヴァイオリン
金管(トランペット・サックス類・チューバ)
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ダンドリストの不破大輔(座って煙草など吸ったり演奏の指示を出したりしている)
「玄海灘」 というはっぴを羽織った男ボーカル兼 MC (まるでアジテーター)、正統的な女性ダン
サー、白塗り舞踊団 (山海塾を思わせる) 4 、バナナ(最後はしゃもじ)を持って 2 時間 40 分
絶え間なくインドネシア舞踊をアレンジした風の踊りを続ける女性ダンサー 2 、ステージ後方で掛
け軸に絵を描き続ける人
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メンバーは比較的流動的で、確か最大編成では 40 人を超えると聞いたことがあるので、この日は
中規模な感じなのかもしれない。それでも大勢いますね。
一応、テーマを演奏して、ソロを回していってテーマに戻ってくるので、ジャズといえばジャズな
んだろうけれど、しかし、もっとゴッタ煮だなぁ。ロック、ラテン、演歌あるいは昭和歌謡、ジプシ
ーブラスなど、いろいろな印象を受ける。今までも音源を聴いてそう思っていたが、生で見ると、更
にショー的な要素を受け持つパフォーマーの力もあり、舞台全体がパフォーマンスになっている。ど
ちらかというとアングラな、しかし突き抜けた。
で、踊る。いや、みんな思い思いに観賞しているのだが、大勢は老いも若きも、縦に横に踊り狂
う。終盤の 「ナーダム」 「本多工務店のテーマ」 などの盛り上がりは素晴らしかった。おとなしくて
控えめな私も踊った。声も出した。
舞台奥の緞帳が開き、剥き出しになった舞台裏から巨大な龍が現れてくるセットにも息を呑んだ。
とにかく、渋さ知らズを生で見ていない人は、彼らのスケジュールを調べ見に行くべきである。
人は踊っている最中は小難しいことを忘れるだろう。私は踊れる音楽が一番好きだ。もっとも、お
となしくて控えめで小難しいことばかり考えている私は滅多なことでは踊れないのである。ゆえにこ
んな渋くない音楽が必要なのだ。
しかし、まつもと市民芸術館、初めて行ったが凄いホールだ。オペラハウスかと思ったぞ。それは
部外者をして松本市の財政に一抹の不安を感じさせるほどの豪奢な施設なのである。こちらも用あら
ば行くべきである。
あ、あとそれから私もライヴやります。詳細はまた。
2007-11-26
■ Orhan Gencebay / Sende Haklısın
http://www.youtube.com/watch?v=AdPJjT58mcs
オルハン・ゲンジェバイ 「センデ・ハクルスン」
君は正しい
俺は君も正しいのだと思う
真実が探され、もしあるのなら
探し、見つけられるのなら
真実はその人のものになる
望みがかなうなら
君は正しい
俺は君も正しいのだと思う
皆が自分が正しいと言う
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正しい者は誰
皆が自分に最も多くを望む 望みがかなっているのは誰
どうやって真実を探す
散らばった真実をどうする
皆が違いを求める
おかしな違いをどうする
私たちは正しい 人として生まれてきたゆえに
私たちが生きてきた、そのことゆえに
俺は正しい 君を愛したゆえに
君を愛したゆえに
沈黙を知らぬ一つの心が俺にある
君を見た 話など聞かぬ
望み続けても俺に君をうなづかせる術はない
俺は正しい 君を愛したゆえに
君に燃え上がったそれゆえに
俺を愛さなかった君 俺を望まなかった君
君も正しいのだ
君の心を与えなかった
強制は美しくない
強制から友情は生まれない
人間は一つの血族 強制は真実を生まない
私たちは正しい 人として生まれてきたゆえに
私たちが生きてきた、そのことゆえに
トルコ歌謡の英雄。かつて、長逗留していた宿の隣がカセットテープ屋で朝から狂ったようにガン
ガンかかっていた。最初聴いた時はねっとりした演歌だな、と思ったものだが、聴いているうちにこ
れは凄い歌だなと思った。宿屋のベッドの上で唸りながら辞書を引きスケッチブックに訳を書き留め
た。社会派軸と俺&君軸がロマンティックな間奏を挟んで併置されている。
トルコ語訳はちょっと厳しかったな。正直言ってかなりわからねえ。
2007-12-19
■ Nav Katze / 夕なぎ
http://www.youtube.com/watch?v=prYEuedTPlY
1987 年頃の話。何チャンネルか忘れちゃったけれど、深夜テレビで、その日の全プログラム終了
前に音楽 PV を背景に天気予報が流れる 3 分ぐらいの番組があった。毎晩、眠るのがなんだか名残惜
しくて、その天気予報が終り、テレビ放送がひとときの中断となるまでなんとなく起きていたもの
だ。テレビ見ていたり、本読んでいたり、音楽聴いていたり、シンセ弾いていたり。
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まぁ、眠るのが名残惜しいといったって、一度眠りにつけば昼までぐーぐー寝ているのだから、要
するに怠惰な生活を送っていたに過ぎない。昼寝ていると光が眩しくて眠れない。ということで、こ
の頃の私が開発した睡眠法が、枕を頭の下ではなくまぶたの上に乗せて眠る法と、掛け布団の中に頭
まですっぽりと潜り込み、そのままでは布団の中で窒息するので、空気が入るように掛け布団と敷布
団の間にちょっとだけ通気口を作って眠る法がある。
特に前者はその後の人生でその有様を目撃した人々から大抵 「移動式くん(偽名)て...ユニー
クな眠り方するよね」 などと賞賛の声を頂くこととなった。
本筋から大幅に脱線している。
そんなある怠惰な一日の終りに出会ったのがこの曲である。聴いて、寝て、起きて、そのサウンド
が頭の中にくっきり残っていて、CSV渋谷(当時、公園通りにあったレコード屋)へレコードを買い
に行った。
45 回転 7 インチのシングル。プロデュースは窪田晴男。何度も聴いた。多分、タバコ吸ったり、
ぼさっとしたり、寝転がったりしながら。
Nav Katze のライヴも深夜番組で見た覚えがある。良いパフォーマンスだったが、この曲以外、あ
まり印象がない。その後、 CD も一枚買い求めたりしたが、どうもそれほど印象がない。
しかし、この曲に関しては、陳腐な言葉は必要なかろう、と思えるほど好きだ。聴いていると奇跡
ではないかと思えてくる。言葉で説明することも出来るし、サウンドの系統云々についても私の知識
を動員して語ることは可能ではあろうが、何というか、批評したくない。絶対的な作品なので。自分
にとって。
ところで、怠惰な日々は、ある日、不意にそれが終りを告げるまで続いたのである。
今も私は趣味で歌を作り、演奏したりするのだが、こんな歌を作れたらな、と思う。スタイルの話
ではなくて、自分の人生に強烈な刻印を焼き付けるような曲。もちろん、今の私は当時の私ではない
し、当時の私も今の私ではない。そして今あるのは今の私である。
さて、今の私は夜に眠り朝に目覚める政府推奨の勤勉&健康ちゃんなのだが、枕を頭の上に乗せて
眠る習慣は変わらない。ときどき布団の中に完全にくるまって眠る。通気口は必須である。
2007-12-21
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雑記(飲食)
■好きな食い物
パン。
パンです。
いろいろと考えてみると、何だな、だから、それだ、アレだよ。
パンが好きなんだ。
では何パンが好きかというとフランスパンである。バゲットという長細い奴が好きだ。フランス語
で 「杖」 を意味するように、細く長い姿で皮がパリパリしたやつだ。ちなみに近郊のイオンのショッ
ピング・センターの食料品売り場ではバゲット(baguette)が 「バケット」 と表示されて販売されて
おる。イカン。ケじゃないよゲだよ。ゲゲゲのゲのゲだよ。何だな、君らはさ、だからさ、それだ、
アレだよ。
杖じゃなくてバケツ売ってるのか?
ふー。
長細いタイプのフランスパンもバゲット、バタール、パリジャンなどと類別される。バタールやパ
リジャンのほうがバゲットより寸詰っていて中身がモチっとしているね。
(参考)パスコによるフランスパンの種類の紹介 イラスト可愛いよ
http://www.pasconet.co.jp/community/aboutpan07.html
参考にさせていただいておいてなんなのですが、私は店焼きでないフランスパンは決して買わな
い。皮がパリっとしてないんだもん。本当だもん。店焼きにも関わらず皮がパリっとしてないところ
も、まぁ、あるのだがね。輪切りにするべくナイフを当てたとき 「ふにゃ」 っと潰れるようなものを
一体バゲットと呼んでいいものなのだろうか。手厳しいよ。私は。買うときも入念に選ぶんだよ。よ
りパリっとしていそうなのを。私は。
なので、店焼きのフランスパンを購入したときも、概してお店は長細いフランスパン用の包装にス
トンとパンを入れ、丁寧に口を閉じて渡してくれるのだけれど、お店からしばらく遠ざかった地点に
達するや否や、閉じられた包装の口を 「ベリ」 っと開けてやる。特に焼き立てだと熱がこもってふ
にゃっとなりそうだからだ。
皮がパリっとしていて、中身が軽い感じで、噛むと小麦の味がするバゲットは本当に美味しい。そ
れにチーズとスープとサラダでもあれば一本食おうかという勢いだ。勢いだけだが。
パリっとした話ということで、少しネチっとした文章にしてみました。
(続くであろう)
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2007-02-13
■続き
私は 「続く...」 といって永遠に続かないとか 「そのことについては後述する」 といいながら全く後
述されないとか、そういうナンセンスさや、極めて場当り的、かつ思いつきで書いちゃったことによ
る破綻の帰結を結構愛する。しかし、そうした手法を乱用すると、世間からは非常にいい加減な人間
である、という烙印を押されることになるのでほどほどにせねばならない。
というわけで前項 「好きな食い物」 の末に 「続くであろう」 と控え目に、推量的な表現ながらも書
いてしまったので続かせてみる。嫌いな食い物の話である。む?続いているような続いていないよう
な。
一般的な食品で食えないものは正直言ってない。ブルーチーズもピータンも、パクチーもにんにく
もらっきょうも、羊も臓モツも、ひかりものも鮒寿司も、な∼んでも食う。食える。とはいえ、あん
まり好きではないものも確かに存在する。
食パン、というのがある。イギリス式のパンだ。毎朝食っているが、その実、子供の頃からあんま
り好きではない。喉を通らない感じがして。ちなみに平日の朝食は、食パン一枚の半分にゴーダチー
ズみたいなチーズを一切れのせて焼いたものと、紅茶とヨーグルトだ。休日には玉子も食う。
子供の頃、オーブンとかトースターとか、そんなものなかった。で、魚とか餅とかを焼く網をコン
ロにかけ(強火)、その上で食パンを炙っていた。やってみるがよい。焦げるよ。放っておくと極め
て短時間の間にこんがり黒焦げになる。ではそれをかじってみよう。ガサっ。炭化、という言葉が
しっくり感じられるひとときである。
何かパンに塗ればいーんでないの?そう、その通りである。バタとかマーガリンとかジャムとか
ね。我が家では、なぜだかマヨネーズを塗ったくられていた。炭化食パン+マヨである。やってみ。
まじいよ。
実はマヨネーズもあんまり好きではない。世にマヨラーなるものがあるように、この平成日本でマ
ヨネーズが嫌いという人間はあんまりいないのではなかろうか。野菜スティックはマヨをつけること
なく食う。コールスローサラダは、強敵だ。できれば食いたくない。自分で焼くお好み焼きにはかけ
ない。ゆで卵の頂点にアサヒビールの本社ビルのようにマヨネーズをのせた状態など、見ると寒気が
する。
まぁ、食えないわけではないのだ。昨年の日報 「アーティチョーク」
( http://d.hatena.ne.jp/umberto_viii/20060904 )の中で、アーティチョークにマヨをちょこっとつ
けて食っている記述がある。一応、店主に他の食い方がないか確認したが 「うちのマヨは美味いから
大丈夫だ」 と言われ。
一体、炭化食パン+マヨ体験がその二つを嫌いにしているのかはよくわからない。精神分析しても
らわないと。食パンについては、林望『イギリスはおいしい』によれば、英国ではできる限り薄切り
が好ましいものとされ、パンは決して主食ではなく、ジャムとかプレザーブなどを美味しくお口へ運
ぶための 「台」 に過ぎないのだとか。その辺り、日本での食パンの食し方と随分違うようだ。そもそ
も英国では 「主食」 と言う概念自体ないらしい。強いて主食と言うとそれはジャガイモ?という英国
人の証言も紹介されている。
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それを読んだ時には 「ハハ∼ン」 と思った。私もきっと主食としての食パンが御免なのだ。ジャム
とかハムとかトマトとか玉子などの添え物でいて欲しい。加えて、間違ってもこんがり黒焦げに炭化
しておってはならない。適度にキツネ色で参りましょう。
(続く、かどうかは記さないこととする)
2007-02-17
■ちょっとアラビアな日曜
週末、用があって関東地方へ赴いた。
用1
用2
フットボールを見る(日本対ペルー@日産スタジアム
渋谷の東急ハンズへ行く(楽器材料の調達)
in
横浜)
おかしいな。いろいろなスケジュールをこなしたつもりなのに、まとめてみると用は2個しかな
かったことになる。
3 月 24 日
昼、新横浜でケンタッキー・フライド・チキンを喰う。ケンタッキーのトリって昔より薄味になっ
た気がするのですけれど、気のせいですか?
※もっとも、昔、学生時代の頃などマネーパワーがなくて喰えなかった。
夜、新横浜で購入した崎陽軒のシューマイ弁当をキックオフ前に喰う。冷めてもうまい。煮タケノ
コが結構な量添えられているところが嬉しい。シューマイでともすると酸性化しがちな体液を中性に
戻してくれそうではないか。
生ビールを買って飲もうかと思い、タイミングを見計らっていたのだが、その内に寒くなってきて
やめる。
3 月 25 日
朝兼昼、新宿へ出て飯を喰う。脳裏に閃いたのがアラビアの菜食だったので、アイランド・タワー
の中庭にあるレバノン料理屋(シンドバット)の存在を思い出し、駅からてくてく歩いて行く。ホン
モス(ヒヨコ豆のペースト)、ババガヌーク(焼きナスを細かく叩いて和えたサラダ)、マッシュポ
テトのムサカのような料理(名称不明)の 3 品に、ピタパン(平らなパン)がついたランチセットを
チョイスする。あまりの閃いたイメージ通りのメニューに大変な満足感を覚える。味は私がシリアな
どで喰ったものよりあっさりと上品な口当たりな気がした。美味しい。
午後、川口駅前のカフェでコーヒーとサンドイッチを一切れ喰う。カフェ・モカというメニューが
あったので、そうよ、コーヒーはモカよ、と思い注文したら、クリームが浮かんだウイーン風のコー
ヒーが出てきて驚く。世相はそういうものなのか。
夜、帰路、国道 254 号線を走る。埼玉県と群馬県の境辺りで 「もう腹が減った耐えられん」 と思
い、丁度右手に現れた 「雪詩慕雲」 という凄い名前のレストランへ入る。セシボンと読むらしい。
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ま、マジかよ。
おもむろにメニューを眺める。
「ナスとトマトのアラビア風スパゲティ」 というのが目に留まる。アラビアンな一日だ。ん、待
て。これってスパゲティ・アラビアータのことだろう、きっと。あれは確か 「怒りのスパゲティ」 と
言う意味だったはずだ。んー、ということで 「春キャベツとアンチョビのスパゲティ」 というのにす
る。美味しかった。
似たようなレストランで 「沙羅英慕(サラエボ)」 という、こりゃまた強力極まりない名前の店が
同じ国道 254 号線沿いにあった気がするが、仲間だろうか。
2007-03-26
■ビストロにて
何にせよ、私は常連というものになりたくないの
である。
「あら、移動式さん(仮名)、いらっしゃ∼い。
いつものでいいかしら∼」 というようなことは金輪
際言われたくないのである。
なんのこっちゃ、でしょうか。整理してみます
と、人には何種類かあると思うのですね。中には一
度行っただけのお店でも二度目から既に常連顔の方
もいらっしゃいますし、何十辺通っていても常に
初々しい方もいらっしゃると思うわけですよ。で、私はそもそも何度も同じお店に通いたくないし、
通っちゃったとしてもできればお店の人には覚えて欲しくないの。私のこと。
ホワイ? ビコーズ、私はシャイな野郎なんだよ。寿司屋ではカウンター内の板さんに声を掛ける
のが憚られるし(忙しそうじゃん)、スナックではママと銀座の恋の物語をデュエットするなどでき
ない体質なんだよ。ん、しねーよ、そもそも。いかねーよ、スナック。
また、常連になってしまうと、反対にあちらから話し掛けられてしまうだろう。例えば昼飯を買い
に行ってだね 「お、いらっしゃい、今日の日替わりはね、ポーク・ピカタ。自信作。トマトソース昨
夜から作ったよ」 などと、そう言われたら日替わりのポーク・ピカタ弁当食うしかねーだろ。パンが
食いたくても。
とはいえ、私のそんな願いにも関わらず常連化してしまっている店がある。名前(本名)まで知ら
れている。しかし、私のこのシークレットな活動については知られていないはずだ。なので明かせな
い。店の名は。
店主が一人で営むフレンチ・ビストロである。などというと落ち着いた佇まいを連想されるかもし
れないが、入口はアルミの引き戸で、大衆食堂にしか見えん。そして客は常にいない。実に流行って
いないように見える。この店主がだね、話しかけてくるのだね。店主とざっくばらんにお話ができる
店なんだね。ここは。で、珍しくなついてしまったという訳。
初めて入った時に、黒板に殴り書きされたメニューから 「豚足とレンズ豆の煮込み」 というのを
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チョイスし、その全くエレガントでないフランス料理の姿、ゴーロワ精神とも言えるだろう、に感激
したのだ。これはレディにはウケないメニューだろうな。
「マスター、豚足、手で食っていいっスか?」 と尋ねると 「どうぞどうぞ。その方が食いやすいで
すよ」 と。気取りのない店なのだ。以来、実にエレガントでなく仕上げられた鹿だの兎だの鳩だの野
鳥だの、いただいている。
そして先日。どうしたらもうちょっと流行る店になるか密議する。
「パイとかタルトとかキッシュとかどうっスか」 とか 「何にでも南仏風とかつけちゃったらどうで
すか」 とか 「今日の定食とか作ったらどうでしょう」 とか。決定打なし。
フランス修行時代に流行っていたという思い出のパトリシア・カースの1 st アルバム
(『Mademoiselle Chante』)が流れる全然お洒落じゃない店。俺もそのアルバムが大好きだった。
写真はアスパラ・ソヴァージュ。少しだけアスパラの風合いに似た、癖のない野草である。それもも
ちろん、愛すべきエレガントでないフレンチに変わるのだ。
2007-05-23
■甘味処移動式
私は 20 年も前から 「今年のトレンドは『激甘ブーム』が巻き起こる!!」 と予見しているのだ
が、そうしたムーブメントがこの日本を席巻したとは、ついぞ記憶にない。おかしいなぁ。
私には好きな言葉がたくさんあるが、同じように忌み嫌っている言葉もある。その一つ。
「甘さ控えめ」
何てこったい。なぜ控えるのだ。甘くて美味しいものを、な∼ぜ∼、わざわざ甘くなくするのか
な。そもそも 「あまい」 が転じて 「うまい」 になったと言われているように、甘いものはうまいもの
なのだ。そーなのだ。
したがって、テレビ番組のリポーターなどの 「今日は、人気のケーキ屋さんにお伺いしてまーす。
わぁ、甘さ控えめでとっても美味しいぃ!!」 というような発言を耳にすると 「ふーん、この店うま
さ控えめなんだな」 と翻訳する。その時の俺の目つきは非情な、冷淡な、まるで元 KGB かと疑うよ
うなものだろう。
まぁ、一千億万光年歩譲ってだね、甘さ控えめ側の言い分に耳を傾けてみよう。
(言い分の例)
だって太るじゃん
だって甘くないほうがいっぱい食えるじゃん
だって胸焼けするじゃん
男が甘いものなんて、じゃん
...
•
•
•
•
•
(回答の例)
いいじゃん太れば、贅沢で
甘いものを大量に食えるなんて、嗚呼、何て贅沢
•
•
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•
•
•
胸焼けは贅沢の証し、感謝なさい
そんなこと言っているのこの国の男だけです、そんなじゃあ、ラテンなモテ男にはなれません
...
そのくせ、甘さ控えめを標榜する人々が、野菜や果物にはやたら甘さを求めている節があることを
見逃すわけにはいかない。私はスゥイーツには甘さを求めるが、トマトや林檎には適度な酸味を第一
に求める。
多分、味覚の愉悦のバランスが違うんだね。ということで控えめでない甘さ情報、随時募集中で
す。昼下がりにシャンパンを飲みながら、度を越した甘さのスゥイーツをいただく事が、日々のささ
やかな願いです。貴族っぽいな。
2007-06-18
■名物
やや遠出した。長野から北、新潟から福島へ。
新潟といえば 7 月 16 日の中越沖地震から約一週間あまり、被害
の大きかった地区へ立ち入ったわけでなく、十日町から魚沼へと車
で通過して行く分にはその影響を特に感じることはなかった。一日
も早い復興を祈ります。
魚沼から只見、金山、柳津などを経て会津の盆地に至る。
さて、遠出のテーマは郷土料理を食うことだ。まったく、ほとん
どそれだけだ。会津若松で蕎麦食い、馬刺(味噌をつけて食す)な
どで一杯やり、喜多方でラーメンを食い、柳津で栗まんじゅう&粟
まんじゅう、更に粟ソフトクリームを食い、十日町で蕎麦を食う。
まぁ、その辺の話は後日に譲るとして、新潟名物、柿の種クラン
チである。ピリリとした柿の種を内蔵したチョコ・クランチである。唐辛子のピリッとした刺激が空
気感溢れるチョコと、う∼ん、ベストまっちんぐ!!という風にはあんまり感じねえな。柿の種の辛
さとチョコの甘さのミックスは別に悪くないのだが、柿の種の醤油味とチョコの組み合わせがミョー
なのだ。そう、醤油とチョコ。色は似ておるが味は違う。
機会あればお試しを。
2007-07-25
■おしどり茶
仲のよろしいものを例えて 「おしどり」 などと呼ぶ。おしどり夫婦なんつって。ま、世間からはお
しどり夫婦と目されていても、実体は仮面おしどり夫婦だったりする場合もあるかもしれない。仮面
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の下の素顔、それはわからないのである。
さて、そんなおしどりの名を冠した、ベスト・まっちんぐなド
リンクが香港にある。
鴛鴦茶
おしどりちゃ
紅茶と珈琲を混ぜた飲物である。さすが香港人、やることがイ
カシてるぜ。そんな飲物を作るのは、まだティーの残ったカップ
の中に有無を言わさずコーヒーを注いでしまう、投げやりで人の
話を聞かない客室乗務員くらいのものだろう。
香港といえば、中華料理の中の花形、広東料理の名菜のメッカ
である。が、街中の若者がたむろするような喫茶店では、実に
なっちゃいない洋食のようなものや、実にイカシた香港ならではのドリンクが飲めるってわけだ。
私もかつて香港を訪れた際、若者でほどよく賑わう喫茶店兼レストランのような店で鴛鴦茶を所望
した。広東語で 「ユンヨンチャー」 だか 「ユンロンチャー」 などと言うらしかったので、適当に中国
語風に抑揚をつけてオーダーしてみた。
私は旅行中は基本的に現地語を学び現地語で喋る主義者なのだ。が、店員は 「?」 という顔をして
私を眺めている。仕方がない。
「ティー、カフィー、ミックス」 と言ってスプーンでぐるぐるかき混ぜる仕草をすると 「了!」 と
いう顔で頷き、ぐるぐるかき混ぜる仕草をやり返してくれた。ふれあいコミュニケーションである。
濃い茶色の液体がカップに注がれて出てきた。飲んでみる。
紅茶とコーヒーのそれぞれの風味、それぞれの芳香、それぞれの苦味などが、それぞれ勝手にぐい
ぐい自己主張しようとしている。仲の良い夫婦とは思えんのだが、しかーし、それをミルクが優しく
中和し、砂糖が丸く収めているような、そんな飲物だ。こりゃミルクと砂糖がポイントなんだな。ど
うもその混沌が一つの世界を醸し出している具合が、まったく香港というか、チャイナ世界の縮図と
いうか、そんな世界観をも内包しているようではないか!
いや、まぁ、特段、美味くはない。妙な飲物だよ。
どうも甘い物を摂取したい情熱に火がついているこの頃(疲れているのか、俺?)、さーてティー
タイムになに飲もうかな、と考えていてふと思い出したので、紅茶ティーバックとネスカフェとで適
当に作ってみた。あぁ、こんな感じだよ。きっとその道の通にとっては細かい配合(紅茶:珈琲比
率)やら、紅茶はどこ、コーヒーはここと、もしかすると鴛鴦茶道があるのかもしれぬ、が、どう考
えたって基本的にキッチュである。
やってみ。
2007-10-05
■パキスタン・カレー
いつかパキスタン人の友達の家へ伺い、カレーをご馳走になった話を書いた。よい思い出だ。が、
以来、パキスタン・カレーを標榜したものを食う機会なく日々を送ってきた。その間、パキスタンを
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見限りインドとの友好関係ばかりを深めていた訳ではない。
ときどきの立ち回り先に 「辛いだけのカレーに飽きたら」 とかなんとか看板を掲げたパキスタン・
カレー屋がある。私は幾度となくそこへ行こうと試みたのだが、私が行く時にはいつでも閉まってい
るのだ。常にである。で、これがよく出来たもので、その建物の上階(パキスタン・カレー屋は一
階)に、インド・カレー屋があり、自ずとそこへ足を運ぶことになる。何度も行ったぜ。
さて、先日その辺りを立ち回る機会があり、あまり期待せずに行ってみた。や・やや。やってる
じゃん。アッラーの思し召しなり。迷わず入店。薄暗く狭い店内に彫りの深いお顔立ちのマダム。客
は私と連れだけである。
大体、私は他に誰も客がいない、という店が得意である。そういうところばかり行っている気がす
るな。以前、東京で、昼・ビルマ料理、夜・エチオピア料理を食いに行ったところ、昼夜とも客が私
と連れしかおらぬという、一体、一千万人もの人々が生きる町で、これはどうしたことか、という体
験をしたものだが、もしかすると私が貧乏神なのかもしれない。
さて、メニューであるが 「 Karahi 」 「 Curry 」 「 Palak 」 とカテゴリーが分かれている(ように
見える)。 Karahi はパキスタンの伝統的な料理で、カレーのルゥが入っていない汁気の少ないドラ
イな料理、 Curry はルゥの入った汁気のあるもの、 Palak はほうれん草入りのカレーとのこと。マト
ン入りの Karahi と、 Aloo Gobi というジャガイモとカリフラワーのカレー(これはインド料理屋で
もよくある)、パンジャービー・サラダを頼む。
パンジャービー・サラダ
大根・人参・キュウリ・カイワレにパプリカとクミンのミックス
のようなスパイスが振り掛けられ、レモンを絞りかけていただく。
シンプルにして結構な味わい。
マトン・カラヒ
マトン角切りと、それに絡む、玉葱やトマトから成り立っている
と思われる汁気の少ない煮汁、インドほどスパイシーではないが、
ほのかに感じるスパイスの香り。付け合せのししとうをかじりなが
らいただいた。丸く香ばしいナンと合う。南アジアというより、中
央∼西アジアを感じさせもする味。
アルー・ゴビ
これもそれほど汁っぽいわけではないが、カラヒよりは野菜の甘
い汁気を感じる。イモとカリフラワーの優しい味がした。滋味溢れ
るチャパティ(薄い全粒粉のパン)と良く合う。
チャイをサービスしてもらった。シュクリア(ありがとう)。
一般にインドカレー屋で食うカレーは、カレーの中でもレストラン料理として洗練されたカレーだ
と思っているが、非常に野趣溢れる料理を食ったというか、マダムの手料理そのもののような、一概
にカレーと片付けられないものを食った気がした。確かに辛いだけのカレーではないな(実際、それ
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ほど辛くなかった)。マゼダール(うまい)。
私はいつの日か、カレーが一体、どこから始まり、どこで果てるのか見てみたいと思っている。東
はバングラデシュ、西はパキスタンと踏んでいるが、何をもってカレーと認識すべきか、という難問
もある。奥深きカレーの官能よ。
山梨県甲府市
SAPNA というお店です。マダム。シュクリア。
2007-10-09
■週報
なんとなく慌しかったな。
モロッコ料理を食う。モロッコ料理屋が住処の近郊にあったのだ。モロッコ、行ったことない。け
れど、初めて海外旅行に行こうと思い立ったとき(それは随分と昔のことである)、一瞬頭の片隅に
浮かんだところの一つだ。いつか行ってみたいね。
モロッコ料理、というかあの辺り、マグレブを代表する料理といえばクスクスだろうか。粒状のパ
スタを蒸し、煮込んだシチューなどをかけていただく。粒状パスタが胃の中で膨張するものか、食い
過ぎると食後死にそうになる。胃が膨れて。その特性を生かし、私は貧乏学生時代などよく自分でク
スクスを作った。
クスクスの粒はうんと安いものでもなかったが、そう高いものでもなかった。いろんな調理法を試
したものだが、姉が読んでいた雑誌に載っていた、今パリで大人気!クスクス特集!!、のような記
事を見て極めてテキトーに作成したクスクスとミントの葉のサラダは全部食えなかった。まじくっ
て。確かその両者を和えただけだったような記憶がある。今だったらもっとマシに作れるだろうが、
当時はまだポッと出の駆け出しだったもので。
東京に住んでいた時代、アフリカ料理屋で度々クスクスを食った。有名な(高くて)店のものも
食ったし、陽気なアフリカ人が勘定にビールを載せ忘れるので非常に安く済む店もあった。いろいろ
あった。
などと記憶を遡りながら午後のひととき、クスクスを食い、アラブ式のチャイをガブ飲みし過ご
す。
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楽器、いろいろと弾いてみている。ギター、 4 弦だけでサウンドになるものか試してみた。意外と
良い。録音した。
エジプトで入手した竪琴、ガゼルの角などで出来ているものでかなり崩壊しつつあるものだが、完
全に崩壊する前に録音しておこうと思い立ち、先日、誤って購入してしまったテナー・ウクレレの弦
を強引に取り付ける。意外と良い。これから録音します。
私の暮す町は人口の割にパチンコ屋が多いな、と思っていたが(私はまったくやらない)、そのう
ちの二軒が知らぬ間に潰れていた事を知る。イスラム寺院の尖塔を模した造形を施されたスロット・
アラジン様、及び 「出るだだか出ねーだだか知らねーけどもよー(ある地元民談)」 と語られてい
た、でるでるランドなるパチンコ屋跡を継いだデル・ピエロ様である(ユベントスのデル・ピエロと
は無論、無関係であろう)。実に、この地域の痴性を代弁するかのような、ある種のイコンのような
存在と目していただけに、惜しいな。
あ、知性の知の字、間違えてるよ。
2007-11-10
■生姜入りのミルクティ
そのまんまである。いつぞやどこぞのメディアで取り上げられたものか、結構、愛飲している人も
多いらしい。最も簡易と思われる作り方は、ミルクティを作って、ハウスとかS&Bなどのチューブ
入りのすりおろし生生姜をにゅううっとカップに投下し掻き混ぜることだろう。私はそこにチャイ・
マサラ(カルダモンとかシナモンなどのミックススパイス)をしゅぱしゅぱと振りかけ、更に掻き混
ぜていただく。甘くするかしないかは気分次第だ。
以前、シンガポールを訪れたことがあった。街をぶらぶらし、インド人街かアラブ・ストリート
か、あぁ、暑い、最早、自分でも、もう、訳わからぬ、という気分で、どこかその辺りのコーヒース
タンドのようなところに漂着する。
一丁ビールでも飲んでやるか、真っ昼間っから、と息巻いていたのだが、そのスタンドのおしなが
きに "Ginger Tea" なる一行を発見した。生姜茶。どんなものだろう。印度系と思しき優しそうな細面
の店員青年に尋ねてみる。
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「あの、ジンジャー・ティって何ですか」
青年、我が意を得たりと言う表情で解説する。
「ティーにジンジャーを入れたものさ。美味しいよ。試してみるか」
実にそのまんまな解説であるが、ふうん、じゃあやっぱりビールね、などと言ったなら何となくジ
ンジャーティーを完全否定するような成り行きになってしまった。青年の口調は押し付けがましくは
なく、私自身押しに屈したわけでもないが、好奇心を覚えた。それではそのジンジャー・ティーを試
してみるよ、とオーダーする。
青年はカウンターの中で茶を製作する。生姜を布巾のようなもので包み、ぎゅううっと絞り汁を濾
して入れる。
青年の解説通りのドリンクだった。一体、もう訳わからぬくらい暑さに打ちのめされているという
のに、しかもホットドリンクだぜ。湯気立ってるし。しかし、暑いときには熱い飲物、という東洋的
な教えくらい存じておる。
その熱々の一杯を口に含んでみる。とろっとしたミルクティ、濃い甘口の中に、シャープな生姜の
風味。おお、これは、イッツ・ア・スーパー・ドライ。コクがあるのにキレがあるぜ。つまり生姜
たっぷり入りのチャイか。
青年に、うまいな、と親指を立てると、嬉しそうな顔をした。
そんな風に熱帯環境下で知ったものであるが、今日、私はこのドリンクを真冬に愛飲する。飲むと
温まった身体に体液が循環する気がする。
2007-12-14
■甘味な日
最近、甘いものに飢えておる。どうもお疲れのようだよ、この人。
● 10 時、歳暮にいただいたカップ入り栗ぜんざいを食う。
お、栗入りだよ、栗入りってリッチで好きなんだよなぁ、と思っていきなり最初に栗を食ってし
まったら、栗は一個しか入っていないのだった。嗚呼。あとはただひたすらにアズキを食うだけ。
好きなもの美味いものを最後に取っておく性格ではないのだが(今、天変地異が起きたら食い逃す
だろ)、もう少し栗が入っているだろうと楽観していただけに、ちょっと早まった気になる。
●昼、アイスを食う。
近所のドラッグストアで売っていた丸永製菓の杏仁アイス。とっても杏仁の気持ちを大事にした冷
菓である。
こりゃあうめえ。こんなにうまいのに定価 105 円の 2 割引= 84 円で食えてしまった。これほどの
コストパフォーマンスにすぐれたアイスを食ったのは赤城乳業のガリガリ君マンゴー味を食って以来
だ。また食おう。
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● 15 時、羊羹を食う。
んー、あんまり語ることはないな。いたって平凡な羊羹である。私の知人は、子供の頃、近所の仲
のよいお友達の家へ遊びにいくと、その祖母さんが食パンに羊羹を挟んだ羊羹サンドイッチを必ず出
してくれたのだそうだ。
まぁ、私もパン好きだしさ、ベトナムでモヤシとか厚揚げなどの挟まったサンドイッチなど食っ
て、パンに東洋的な味覚は決してミスマッチではないのだと知ったものであるが、羊羹サンドイッチ
は、何だかあまり美味そうではないな。実際 「あんまり美味くなかった」 と知人も語っていた。もし
常食されている方がいらしたら情報をお寄せいただきたい。
似ているのかいないのか 「アンバタ」 という、トーストにあんことバター(またはマーガリン)が
挟まったものが、私の暮す界隈(長野県東部)では当たり前のようにコンビニ、スーパー等で販売さ
れているのだが(喫茶店や甘味処のメニューにもある)、あれ、全国どこにでもあるわけではないら
しいね。
●夕食後
何食おうかな。
2007-12-18
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雑記(思いつき)
■ダリだ
「私と狂人との間の唯一の違いは、私は狂っ
ていない」
あなたと凡人との違いは、うーん、色々ある
のだと思うけれど、ま、そんなベクトルで眺め
ても何ら意味はないだろう。凡人にとってもダ
リにとっても。はりきっていこう。
2007-01-04
■何をいまさら
最近、自分のウェブサイト( http://homepage.mac.com/ido_siki/web/ )のデザインを変えた。
昨年 4 月に公開してから、こちょこちょといじくりながら、ウェブページとは一体どういう仕組みで
表示されているのか、それまで全く知らなかったことをド素人なりに随分知った。
細かい話は抜きにして、そんな日々の中で驚きだったことがInternet Explorer 6(以下 IE6 )とい
う当世全世界シェア No.1! のブラウザが、 Firefox や Safari でまったく普通に、制作者の意図通りに
解釈し表示するデザインの設定を、時として、大胆なほど無視して表示してくれるブラウザだったと
いうことだ。
Macで作業し、 Firefox と Safari で確認し 「よし、いいぞ」 と思っても油断しちゃあいけない。
IE6 でどう表示されているか確認するまでは。何度も肩を落としたよ。ガクっとね。例え自分の環境
では正しく表示されようとも残念なことに少数派だ。多数派でそれなりに表示される設定にしなけれ
ばならないのだ。
ちなみにMacのIEは 5.2 というのが最新にして最終バージョン(Mac向け開発終了のため)で、こ
いつは IE6 よりも更に酷い。が、激少数派のブラウザなので、デザインがメチャメチャに表示されて
もテキストが読めりゃいいさ、とでも考えるようにしている。少数派も、そのまた更に少数派の存在
に対しては冷淡なものなのだ。
ま、IEも 7 になったそうで、いずれ遠からず 6 と 7 のシェアが逆転するんだろう。 7 は普通に解釈
してくれるらしい。結構なことだ。
が、まてよ。ということは逆もあるかもしれない。 IE6 でデザインが綺麗に表示されるように設定
していても IE7 や Firefox 、 Safari の存在に目配せしていなければ、それらのブラウザでメチャメ
チャに表示されているという可能性が。一体誰が悪いのか。
IE6 、お前だ。
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私にはどうもシェア No.1 というものが性に合わない。シェアを背景に己こそがスタンダードであ
る、とでも居直っているような場面が見られる限りにおいて、それはもはや憎悪という感情に達す
る。こちらはこちらで少数派の歪んだ人格と卑下する気はしゃらしゃらない。多数派の居直りと少数
派のルサンチマンが氷解することは困難なのである。
※ ちなみに IE6 でウェブ・デザイン (CSS) のコレクトな表示を行なう方法は 「IE6 ハック」 とでも
検索をかければ有用な情報が集まるはずです。
2007-01-12
■髪を切る
美容院ヘ行き伸びきった髪を切った。
今日はどうしますかと問われたので 「寒いので少し長めのモシャモシャした頭にして下さい」 と答
える。毎度こんなリクエストだけでよく切れるよな、と思うのだが、その人はいつものように 「ふ
ん」 と頷くとちゃっちゃちゃっちゃとハサミを入れて、確かに少し長めのモシャモシャした頭に仕上
げてくれるのだから美容師って凄いなぁ、と思う。
以前、常に髪を切るところを変えていた。床屋へも美容院へも行った。こちらのイメージが伝わる
ところもあれば伝わらないところもあるし、上手いなぁ、と思うところもあれば、疑問符がつくとこ
ろもあった。
私が客として困るのは笑っちゃう店だ。腕前云々ではない。
まだ大学に通っていた頃、住まいの近所の床屋で髪を切ることにした。一度も行ったことはなかっ
たが、私鉄の鉄路沿いの路地をてくてく歩いていくと床屋があることを知っていたのだ。
いたって普通の床屋で、鏡の前、台に座らされ理髪師がハサミを入れるのを待っていた。日曜の昼
でラジオがついていた。何の気なしに聞いていると堺すすむが漫談をやっている。
「な∼んでか?」
ツボに突き刺さった。面白くてたまんねぇ。ここでゲラゲラ笑うと周りに座っているおっさん達
(皆し∼んとしている)に訝られるだろうしと、ゲラゲラ笑いたいところをこらえていると、更に第
二・第三の 「な∼んでか?」 が追い討ちをかけるように突き刺さってくる。く・苦しい。
勿論、店が悪いのではない。すすむの漫談が面白すぎただけだ。
ま、あと困るのは酷い腕前の店だね。
これは日本ではないが 「あー、髪切りてえ」 と思って床屋へ行った。アニキとガキがいて、そんな
田舎の床屋に外人が来たものだから嬉しいらしく、タバコ吸えだの、茶飲めだの、どこから来た、ど
こへ行くだのひとしきりやりとりした後、アニキが誇らしそうにおもむろに言った。
「実はオレ、歌手なんだよね」
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ふーん。それで?
アニキは 「あ∼ああ∼」 などと歌いながら俺の髪を切り出した。歌はまぁ確かに上手いのだがなか
なか落ち着かない。こぶしを回すところとかで手を休めるし。それでもガキが嬉しそうにしているか
らよしとしてやろうと、少し寛大な心も芽生えた。
帰ってきて鏡を見てみると左右の長さが違ったり、飛び出している毛があったり、とにかくメチャ
メチャだった。ハサミに集中しろ!と君には言いたい。歌料金を請求しなかったところは良心的だっ
たが。
最近は何年も冒頭の美容室へ通っている。パーマ頭に凝った時期があって、その時 「ドイツ人の科
学者、それもマッド・サイエンティストみたいな髪型にして下さい」 と言ったら 「ふん」 と頷いてド
イツ人の科学者、それもマッド・サイエンティストみたいな髪型にしてくれたのだ。以来、この店
(人)と。
ちょっと、凄い人だ。
2007-01-23
■新年の抱負(ことば編)
新年の抱負を大いに語ろうの巻。もう、 2 月なんですけどねー。
外国語の学習
私はこれまで幾つもの外国語の学習にいそしんできた者だ。
まず英語というのを中学に入ってから 8 年間ほど学校の授業で習った。その後も英文の書物やレポ
ートを読まなければ単位が取れなかったりして何年か付き合ったし、今も英語のサイトや英語のアプ
リケーションが生活の中に溶け込んでいるのだから、きっといろいろな文法規則や単語を知っている
はずなんだけれど、それらを駆使してうまく喋ることができない。相手が何言っているのかも、どう
もよくわからない。会話に難がある。
次にフランス語。学校で一年間。その後、独習で何度か挑み、その都度挫折している。どの辺で挫
折するかというと、ユミが日本好きのジョリベ夫人の家に招かれてパーティのお手伝いをする辺り
だ。人称代名詞と基本動詞の活用くらいは覚えているかもしれません。
続いてトルコ語。独習で白水社刊『エクスプレス トルコ語』というのを一冊丸暗記してトルコに
乗り込んだら自分でも驚くほどコミュニケーションが出来た。外国語の効率的な学習の仕方が初めて
何となくわかった気がした。が、すぐに壁にぶつかった。込み入った内容の表現は出来ないし本を読
んだりもできない。その壁を乗り越えるほどは学習せずに終わった訳だ。
ポルトガル語。 NHK ラジオの、 2 週間でポルトガル語の初歩をやっつけるという講座をやり遂げ
た。やり遂げると実に爽やかだ。レベル的には朝昼晩の挨拶くらいですかね。あとゴミの出し方の説
明ね。それらを駆使して実際にブラジル人またはポルトガル人と語らったことは一度もない。
90
アラビア語。これも NHK ラジオの講座で。ミミズのようなアルファベットのそれぞれの文字の読
み方と、簡単な挨拶が出来ます。
ドイツ語。これまた NHK ラジオ講座で。挨拶に毛が生えた程度ですかね。
ロシア語。これは NHK テレビ講座で。あのかっちょいいキリル文字の読み方程度でしょうか。
その他、一から十まで勘定できる程度の言葉がいくつかある。
と、これらの学習を通じて理解したことは、私はきっと何かの言語をネイティブのように喋るよう
にはならないだろう、ということだ。上記を見てわかるように浮気すぎるし。
一方、トルコ語の学習を通じて気付いたように、ある程度、その言語についての知識があれば、現
地に滞在した際、急激に能力を進歩させることが可能だと思う(まあ、その先に更に高い壁があるの
だけれど)。ということで、私はいつかその土地を訪れることを夢見て、初歩をかじっただけ程度の
言語をどんどん増やしていこうと思う。思うのだ。今年は古本屋で入手したオランダ語(カセットテ
ープ付)をやる。安かったので衝動的に買っちまったのだ。
2007-02-01
■方言の話だだ
私の場合、小学校、中学校、高校と、長野県東部の一地方の中で過ごしていても、そこに通う子達
が住まうエリアは上級の学校に進学するたびにだんだんと広くなっていった。それにより自分の世界
も広がっていく。同じ町の中でも地区が違えば文化が異なることも感じたし、そんな友達ができれば
立ち回り先も物理的に拡大していく。
小学校に入ったとき、担任の教師が喋る言葉がしばらくわからなかった。
「おいは兄弟いるか」
「兄弟いるか」 は無論わかる。兄弟がいるのかどうか尋ねているのだな。だが 「おい」 って何だ?呼
びかけか?
おい=二人称単数。君、お前
おいと、おいだれ=二人称複数。君たち、お前達
それまで育った家庭や幼稚園では使われない言葉だった。
中学に入ると今までの自分の世界の外側からも生徒がやってくる。田舎の町でも比較的都市部で
育ったので農村部から来る同級生は少し言葉が違って感じられた。荒々しく方言も多く含まれていた
と思う。でも、彼らは野外での遊びに長けていたし、俺には少し眩しく感じられた。仲良くしている
うちに言葉も随分感化されたと思う。
高校に進むともう、別の町から通ってくる人たちと付き合うのだから、いろいろな言葉が飛び交う
ことになる。
91
「へー、そうだだ?」
ちょっと可愛いニコニコした女の子だった。上げ口調の疑問文で 「へー、そうなの?」 と、問いか
け、または相槌を打っているのだ。
「そうだだって言うのですか?」
「あー、これダダ語なの。つい使っちゃうのよね。あはは。」
ダダ語、そんな言語は日本になーい。私の育った町よりもやや南の地域で使われる語尾だ。しか
し、感染ってしまった。そうだだ。そうだだだ。そうだだだだよ。いくつでも 「だ」 を積み足して強
調することができるところがダダ語の魅力だだ。その子のこと、ちょっと好きだったけれど、向こう
はこっちのことをなーんとも思っていなかった。あぁ、君にダダ語の全てを教えて欲しかった。
自分の育った地方を離れ大学に進むと、自分の言葉が人に伝わらないという体験もする。
「ほー、とんでけ」
「花に水くれて」
「まえでにあるよ」
これらはほとんど通じなかった。意味は順に
「ほら、走っていきなさい」
「花に水を与えなさい」
「前方にあります」 だ。
私は今も普通に方言を喋る。別に方言に誇らしさなど感じないし、自分の方言を好きでも嫌いでも
ない。好きだけど嫌い、嫌いだけど好き、というのが近い気がする。白黒つけ難い。
国を愛せというのなら前提として郷土を愛さねばなるまい。方言も含まれるはずだ。国を愛せとい
うスローガンと国語の浄化運動がセットで展開されるとしたら、そこにトータリズムの香りを感じな
いわけにはいかないだろう。要注意。
そんなもん、白黒つけられんだだだ。
2007-02-10
■冬の終わりに際して
非常に春めいている。春はいい。生きていて良かったという気になる。世には花粉の害などに悩む
方も大勢いて、そんな方は春にうんざりするかもしれないが、私は寒さに弱いのです。体脂肪率も少
ないしね。
今冬を振り返ると、話題は何といっても極度の暖冬だろう。世界規模での異常気象らしい。
92
異常な気象が風水害につながると痛ましい犠牲者が発生する。昨今の大きな風水害が感覚レベルで
「異常」 と考えられるこの気象に由来するものなのか 「異常な気象」 が更に何によってもたらされて
いるのか、私に科学的に断を下すことは出来ない。
しかしである。異常も延々と続くならばそれが日常になる。そうなったらその環境下で、何が何で
も生きて生きて生き延びていかねばならないのだ。備えなければ。
国立民族学博物館友の会会員向けの小冊子 「月刊みんぱく」 2007 年 2 月号では災害に対する文化
人類学の関わり方を特集している。その中で、激甚な災害に被災した人々の居住の問題に触れた石弘
之北海道大学特任教授の報告 「現代の地球環境と自然災害」 に考えさせられた。
かいつまんでみると、スマトラ沖大地震による津波被害は広くインド洋沿岸に計り知れない犠牲を
もたらした。スマトラ沖での大地震は約 240 年前にも起こったことが科学的にわかっているが、被害
の記録は沿岸の文化に刻まれていない。今回、大きな被害を生じさせることになった要因は、被害が
出るところ、つまり津波が届くところに人間が居住するようになったことが大きいのではないか、と
いうようなことが述べられている。
勿論、スマトラ沖地震と異常な気象とは関係がない。しかし、それによってもたらされる災害のパ
ターンにはマクロな視点では通底するものがあるのかもしれない。
20 世紀には世界人口が夥しく増加した。そして現在の世界人口は 65 億人といわれている。今世
紀もまだまだ増加する見込だ。となれば、それまで人間が居住していなかった立地にも進出していか
なければなるまい。で、石教授が記すように、海辺だとか、崖の真下だとか、山の斜面だとかに住居
が構えられる。地震や風水害への耐性という面ではどうしても不安であろう。しかし、市井の人間に
とってはそれも人口増加のなかで(別にそんなことを意識して生きちゃいないけれどさ)、何が何で
も生きて生きて生き延びるための戦略の一つでもあるのだ。
異常な気象や地震などによってもたらされる災害に備えること、増え続ける世界人口と居住の問
題、異常な気象の要因が人為的なものによってもたらされているのならばそれを取り除くこと、どれ
も折り合いをつけていくのはひどく難しいことに思える。
そして人は今日の糧を求めて、ささやかな夢をかなえるために、冬の終わりに安堵し、春の到来に
歓喜し、生きて生きて生き抜かなければならないのだ。
2007-02-22
■春、おじさん、日本を斬る
3 月わたしは生き返る
南のひとにはわかるまい
あぁ、うわぁあぁ、あああぁ、わああ∼
春の風、花の香り、くちびるに歌、いのちのうた
(作詞:おれ)
93
さて、春だ。恋の季節だ。(そうかな?)
きっと、みんな恋をしたがっているんだ。(そうなのかな?)
そんな高校生時代の話。ここまでの脈絡とのつながりは、全くない、ないような気がするよ。
∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・∼・
高校生の時、ローカル線に揺られて学校へ通っていた。長野県東部、佐久地方の話だ。座席は二人
掛けの対面式で、朝はあまり座れなかったけれど帰りはまず座れた。のどかなもんだ。
ある学校帰り、友人(ヤロー)と座席に座って語らいながらの下校時間、対面式の座席の向いに
座っていたおじさんが急に口を開き我々に声をかけてきた。
「きみらさぁ、日本三大ぶすってどこか知ってるー?」
唐突な問いだ。そんなこと現役高校生が知るものか。その人はくたびれたサラリーマン風で、俺た
ちの土地の喋り方とは少し違う語感の喋り方だった。
「いえ、わかりません」
「そう、よく覚えておいた方がいいよ、コレ。まず愛知県ね。ホント。ぶすしかおらん」
おじさんは半ば吐き捨てるように、まず愛知県を断罪した。
「次ね。次、茨城県。あれもひどい。ひどいぞー」
ひどいのはそんな事を言うあんたの方だが、つぶやくような語り口がおかしくってつい聞いてしま
う。
「で、三番目ね。三番目。どこかわかる?ここ。ここよ。佐久。一・愛知、二・茨城、三・佐久の
順な」
「あれ?おじさん、二番目までは県なのに、何で三番目は急に地方になるのですか?」
思わず友人とげらげら笑ってしまった。
「え、へへ、ぶすしかおらんね、佐久、そうだろう?そう思うだろう?へへ」
もしかしたらおじさんはセールスかなんかで日本中を行脚していて、こんな風にローカル線で乗り
合わせた若者には必ず三大ぶす話を語りかけるのかもしれない。で、三番目のオチがきっとその土地
なんだ。
おじさんは俺たちが大ウケするのをみて満足そうに目を閉じて眠りに入った。
その後、電車通学であるが、一時間に一本ペースの運行ダイヤに嫌気が差し、冬期以外は自転車通
学に変えた。
その後 「日本三大ぶす」 を検索してみると、上位二位は定説のようだが、私には確証がない、と保
身しておこうっと。三位についても。
94
2007-03-07
■お口大変記
この世界で善良に暮す一民間人のやり場のない怒りというものは何にぶつければよいのだろう。
今回紹介したいやり場のない怒りはこれである(今まで一度も紹介したことないけどさ)。
お口の中が大変。
尖がった歯でお口の中を噛むと痛いですよね。ホントに痛いですね。アタマに来ますよね。前後の
つながりなく 「だからやなんだよぉ」 って呻いてしまいますよね。
力いっぱい噛むと血も出る。お口の中は柔らかく出来ているのでザクっと傷ついている。 3 ∼ 4 日
は沁みたりして痛いものだ。すこし腫れているのかもしれない。すると、また同じところを噛んでし
まう。イテー! 「だからやなんだよぉ」 もう、本当にド頭にくるぜ。
更にもし、そのとき口内炎を患っていたなら、それはもう、春のド頭に来る祭りinお口の中、とい
うような状態になろう。怒り倍増。レモン、酢の物、ワインなどを召し上がるとマジで涙が出るだろ
う。沁みて。
そこへきてだ、あなた、今晩はグラタン作ったの、召し上がってくださいな、おお、それは我輩の
大好物なのだ、では早速、というような状況に置かれたならば如何に。聡明なる読者諸兄は 「ふーふ
ーして食えよ」 と案じられているに相違ない。しかしだ、グラタンは我輩の好物なのだ、では早速、
と申しているとおり、マカロニを 4 ・ 5 本スプーンで掬うとガバっと頬張ってしまうのだ。
あちっ!
あちいけどマカロニの 4 ・ 5 本など、連中の出方はわかっておるわい。はっはっは。聡明なる読者
諸兄も安堵されたことだろう。少しあちいが食えるな、と、なぜかグラタンの具に入っているカボ
チャをマカロニを食う要領で気軽に口へ運ぶ。
うわあちぃい!噛めん!飲み込めん!息が出来ん!はふはふ。
根菜類はなぜゆえにこれほど熱くなるものか。おそらく摂氏 200℃ くらいまで上昇しているに違い
ない。今度はお口の中やけどである。マカロニはカボチャのおとりだったのだ。おお、なんと卑劣
な。
あぁ、口惜しい。無性に腹が立つ。何に怒りをぶつければよいのだ。悪いのは誰だ。俺さ。ああ、
口惜しい。
2007-03-19
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■もぎたてポエム
タイトル?んなもんありません
詩を書いた。というか、降って湧いたように閃いた。すげえ。ヒラメイテシマッタノダ。
波止場の前の急坂を
街へ向かって上りきる
目抜き通りの交差点
左に曲がって五軒目の
一階食堂(まぁまぁ美味い)
奥の階段二階へ上がる
やり手婆あの宿がある
七五調、港町演歌の系譜に属するものだね、っと見せかけて旅の宿演歌へ至る、まるでアルゼンチ
ン代表のパスの如く流れるような展開が見逃せないポイントだ(波止場→街→通り→交差点・しばら
くドリブル→食堂→宿)。そして情景を描写しているだけの中にたった一点の心情吐露= 「まぁまぁ
美味い」 。しみじみ、演歌だねぇ。やり手の婆あが営む宿があって、で、どうしたのだ、と二番以降
の展開も気掛かりだねぇ。
今度曲つけよ。
あ、ひとり遊んでひとりで誉める、ゴー!ゴー!ゴー!状態になってしまった。馬鹿な人。
2007-04-12
■財布に関する見解
財布が壊れちゃった。複数の貸し CD 屋とか 「○○友の会」 といった会員証類だとか、小銭などで
パンパンに分厚いことが多くて、ファスナーが閉じなくなってしまったのだ。ジーっとファスナーの
留め具を進行させても、経過後のファスナー開きっぱなし。ファスナー無惨。
あ、札はその厚みに寄与していないよ。
小銭は、小銭入れも持ち歩かないし、うまく消費できない性質で、大概 「小銭王」 と呼ぶにふさわ
しい質量を持ち歩いている。 500 円玉三枚とか 10 円玉 16 個とかが格納された財布(小銭入れじゃ
ないよ)は、基本的に馬鹿だ。バカ財布だ。
新しいのを買わなくちゃ。フォルムとしては、札入れタイプ、長方形の短辺を二つ折りにする長細
いものが、どうも昔からあまり好きではない。札にあまり縁がなくてねぇ、と哀しい泣き言を語りた
いわけでなく、ポケットに収まりが悪いからだ。ポケットから顔出すでしょう。
なので、長方形の長辺を二つ折りにし、ファスナーで開放部三辺を閉じるタイプのものを 20 年以
上使っている。財布に入れた札が半分に折れ曲がるタイプだ。ポッケにすぽっと入る。ああ、折って
正方形になるものはポッケに収まり悪いな。入らない場合もあるかも知れん。が、無理矢理でもねじ
込めば顔は出ない。それでよい。
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札入れタイプを好む人は、こちらのタイプのやや厚ぼったい風情を嫌うだろう。札をあまり持ち歩
かない貧乏人の財布だ。笑いたまえ、諸君。
履歴としては、無くし、壊れ、壊れた。気に入った財布を探すのは結構大変だ。今まで使っていた
ものは、どれもとても気に入っていたものだ。
all the money in the world couldn't buy back those days.
This Is The Day / The The
「世界中のありったけの金でも過ぎた日々を買い戻すことは出来ない」
80 年代を通じて俺にとって最も珠玉だった一曲。壊れた財布も戻らなければ、過ぎた日も戻らな
い。財布から出て行った金は、貪欲な人と運のよい人には返ってくるかもしれない。
2007-04-20
■地域状況 2007 春
普段の立ち回り先の界隈にポルノ・ショップがある。
なんちゅー書き出しじゃ、という感じだが、何年か前までは本と CD の健全なリサイクル・ショッ
プ、とみせかけて店舗の奥はポルノという、日なた・日陰二段構造の店だったものが、その後、奥の
ポルノ・コーナーがずんずんと床面積を拡張し、ほぼ全面ポルノ。更に系列のポルノビデオ・レンタ
ル店を統合し、ポルノ地域一番店の座を揺るぎないものとし、今日に至っている(※本当のところ一
番店かどうか知りません)。
一年半くらい前までよく通った。
なんちゅー回想じゃ、という感じだが、ポルノに用があるわけではなく、立ち回り先界隈で、最も
便利にサッカーくじ(toto )の投票が出来る店だったのだ。
私は猥談の類などが、まったくもって大好きな助平野郎であることを少しも否定しないが、どうも
このね、桃色玩具の類のようなものがね、 toto 投票コーナーの脇に山積みだったりね、桃色映像のよ
うなものがね、 toto 投票コーナー横のモニターで絶え間なく上映されているような状況はね、ちょっ
と困るのだね。目的はtoto クジの投票であってね。ま、正直言うと、ついチラチラと見てはしまうが
ね。
結局、 toto 不振で店側がバカらしくなったのか、それとも、曲がりなりにも文部科学省が後ろ盾と
なって行なわれている事業を桃色娯楽専門店で展開することにどこからか横ヤリが入ったのか、訳は
知らぬが、昨シーズンからこの店では購入できなくなった。おかげでクジの購入はとても不便になっ
た。
さて、書き出しが長くなった。え?ここまでは書き出しだったのだ。既にさりげなく起承転結を見
たがね。
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地域一番ポルノショップ成立の背景で、それまで営んでいた系列のポルノビデオ・レンタル店が空
き店舗になった。そこに入居したのがブラジル小間物屋だ。その店舗の品揃えがなかなか良い。
私の棲家のごく近所には、異常に充実したタイ小間物屋があり、お菓子、ナムプラー、ミソ、醤
油、チリ・ソース、米(ジャスミン・ライス)、インスタント・ラーメン、生野菜などなど、入用の
際は重宝している。それに続きブラジルの食材も容易に入手できる環境になった。
飲料、チョコやスナックのような既製のパッケージ菓子はもちろんココナッツ菓子やケーキのよう
な手作りっぽい菓子、シャンプーや石鹸などの生活用品、夥しい種類の肉類(生肉、加工肉、冷凍
肉)、野菜、スパイス、調味料、シーズニング・ミックス、缶詰・瓶詰め、生野菜、米、パンなどな
ど、それはちょっとしたものだ。
更に、店舗の奥がカフェテリアのようになっておりブラジル風の軽食が食える。ハンバーガー(で
かい)、チキンサンド(でかい)、ソーセージサンド(でかい)などの他、ローストチキン(美味
い)やローストビーフ(今度食おう)もパックに入って売られている。店内にはポルトガル語が飛び
交い、この地域に生活の場を持つ日系ブラジル人たちで賑わっている。
ポルノ、 toto、日系ブラジル人の増加などと、いくつかの事象がもつれ、絡んで、私にとっては楽
しい貴重な店が一軒増えた。
おお、ちなみに、 toto は創設以来コツコツ購入しているが、びた一文的中していない。
2007-04-23
■シリーズ、等身大
現代の J-POP の核心は 「等身大」 というキーワードにある。ありそうな気がする。
等身大とはこれ如何に。おそらく、ありのままの自分、脚色していない自分、強さも弱さもひっく
るめのそのままの自分、などの感覚がそれにあてはまるようだ。不完全さをそのままさらけ出す感覚
なのか。そういう曲、積極的に聴かんから実際はよくわからなかったりするのだが。
等身大の自分がリリースする楽曲は日常のおしゃべりのような、ひとりごとのようなものが多くな
るのだろう。従来のポピュラー・ミュージックのような、情景があり、心情があり、心情が情景に投
影され、情景が心情のメタファーになるというような 「作詞」 的な技法は、ありのままの自分ではな
く、脚色されたものに当たる。しかし、技法を駆使しないとありのままの自分をぐだぐだ語っている
だけの、かえって回りくどい曲にならないかい、なにしろ現実は回りくどいものじゃないか、と懸念
してしまうのだが、そんな懸念を覚える時点で等身大失格者なのかもしれない。
*************
4/23 日現在、 10 分ほど唸って思いを馳せた私の想像。違っていたら教えてください。多分、い
ろいろと違っているのだろうね。
等身大ではないもの(思いついた順)
98
波止場、のれん、湯けむり、ローカル線、ディエゴ・マラドーナ、ゴルフ、宝塚、中華人民共和国、
ヨン様、ヒッピー、セックス・ドラッグ&ロックンロール、テキーラ・セックス&マリワナ、部長、
移民、深酒、自棄酒、ブランデー、大爆笑、号泣、ワビ・サビ、人文科学...
等身大なもの(思いついた順)
ケータイ、ケータイのメールのやりとりの内容、掲示板、掲示板のやりとりの内容、ドジな自分、相
田みつを、親ってやっぱスゲーよ、ブランド品に身を包んだ大金持ちの引退したサッカー選手の自分
探しの旅、ストリート・ライブ、俺やっぱ日本のこと好きだからさ、俺やっぱお前のこと好きだから
さ、頑張る自分、ジダンの頭突き、貯蓄、萌え・萎え、自然科学...
一体、こんなことに思いを巡らせな∼に∼を企んでいるのか。
何も。
(気が向いたら続く)
2007-04-24
■暑い日
何年も前のことだが、今頃の時期、東南アジアをしばらく旅行していたことがあった。
あちーよ。
出費を切り詰めた旅行ではあったが、それ以前にした、もっとずっと長い旅行に比べればいくらか
余裕があった(ちょっとだけ)。なので、旅行最初の晩、バンコクでエアコンなしの部屋に泊まり、
あまりの暑さにうなされたのに懲り懲りし、翌日からエアコン付きの部屋に移った。せいぜい 100 円
か 200 円ぐらいの出費増だったと思う。 300 円が 500 円とか、そんな感じ。まぁ、とはいえマネーパ
ワーのない旅行者は 10 円・ 100 円に対しても、実に浅ましく、大人げのない対応を取ったりしてし
まうものなのだがな。
それまで、長旅でエアコン付きの部屋になど泊まったことがなかった。ゆえに、実にリッチな旅行
に思えた。生まれて初めてのエアコン付きの部屋泊まり歩きの旅なのだ。こういう旅行に縁遠い方に
は、馬鹿かと思われるか、全く想像もつかないかどちらかだろう。世の中、いろいろな生き方がある
ものだね。
さて、エアコン付きと言っても、エアコンにも程度があった。
床に据え置かれ、巨体から轟音を発するエアコンの場合、暑さとは別の意味で人の眠りを困難にさ
せる。(バンコク、タイ)
猛烈な通り雨と暴風により、町の電力が停止し、折角のエアコンが稼動しない。(ニャンウー、
ミャンマー)
ほどよい加減の温風しか出てこない。(プノンペン、カンボジア)
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ロシア製で全てがキリル文字で書かれており、あらゆるツマミとあらゆるボタンの機能が一切理解
できない。(ビエンチャン、ラオス)
文句を言って解決することもあれば解決しないこともある。解決しなくてもこの時は、鷹揚に笑っ
ていられた覚えがある。解決しないことを楽しんでいた。ロシア製のエアコンなんて、格好いいじゃ
ないか。むしろ。
はて、なんでこんなこと思い出しているのだろう。それというのも、ふと気がつくと、この日報を
つけだしてから一年経っていた。ということで一年前の俺は、あ、そんな感じだったんだ、とわか
る。読めば。少なくとも自分には。では、二年前は、その前は、と記憶を辿っていくと思い出せない
ことが多い。埋もれた日常で。
で、何年も前の今頃の記憶に漂着する。で、真っ先に暑かったなと思い出す。日常ではなかったの
で。
気の向いた日にだけ書いている。一体、それが日報だろうか。とはいえ、週報以上には書いてい
る。二・三日報、という感じでしょうか。日常は何かに書き留めなければ忘れる。が、あれ∼、大
体、なにがテーマだっけ、この日報。おっ、我が楽団の活動だったな。関係ないこと、かなり書いて
いるな。一年、ここに記された感じでした。
2007-05-21
■ The Statue of Poem
彫り物について、ふと思いつきました。
詩は、彫刻に似ている
言葉のユニヴァースの中から、イメージと共に数々の言葉を抽出する
それらは、この時点では決して詩ではない
ぶくぶく泡だった詩の元のようなものだ
それを
時にはノミを使い荒々しく削り
時には噛み千切ったり、引き千切ったり、とうとう粉々にぶちこわしたり
時には、そうっとなでるように
慎重な加減で息を吹きかけるが如く繊細に加工をし
ぶくぶく泡立った詩の元は
研ぎ澄まされ削ぎ落とされた詩となっていく
君を詩にするということは
君の像を言葉によって彫り上げることだ
君を君で語ることは詩ではない
この胡瓜は胡瓜の味がする、と
語るのと同じように、無意味だ
100
愛を詩にするということは
愛を愛で語ることでなく
愛という像を、あらゆる言葉を使って彫り上げることだ
君を愛しているのなら
君を愛してると語るのでなく
君を愛してる像を彫るのだ、言葉で
その像は、およそ君を愛してるとは結びつかない言葉で構成されているかもしれない
それどころか君を愛してるの 8 分の 7 くらいが、ノミで削られちまっているかもしれない
が、ある一点でも、その像が君を愛していることを表現していたら
それは詩である
2007-05-29
■気のいい虫くんと暮す
蜘蛛を飼っている。などと書くとまるで蜘蛛好きの蜘蛛男か雲助のようだ。いいえ。仕事場のデス
クの上を、先週から一匹の蜘蛛が徘徊しており、どうやらここに居ついてしまったらしい。
全長 1.5 センチくらいかな。白っぽく、背中に一本、薄いこげ茶色のタテ縞がある。当たり前のよ
うに足は八本あるね。
別に可愛がっているわけでも愛でているわけでもない。殺生の戒めに従っているわけでも、死後の
世界に備えて功徳をプールしているわけでもまーったくない。私に対して取り立てて敵対的だとも思
えないし、お互い自由にやろうぜという紳士協定である。まぁ、人とムシはおともだちなのである。
随分と昔のことだが、タイの東北部を旅行していた。メコン川のほとり、川の向こうはラオス、と
いう町で、ボサーっと、川べりの木作りの掘っ立て小屋のようなカフェで、ラオス側の道路を走るオ
ートバイや、国境を渡るボートや、ついでにウエイトレスの尻なんかを眺めて一日を過ごした。今は
立派な橋が架けられたが当時はなかった。
宿もリバーサイドだ。鬱とした南国の茂みの中にバンガローのような小屋があり、小屋から数歩行
けばメコンの川土手で、下にはコーヒー牛乳のような色をしたメコン川が流れていた。
こういう環境だと、ヤモリとかトカゲとか大蛙とか大蛇とか虫とか、とっても出てきそうだよね
ー。
ある朝、まどろみから目を覚ます。脳は未だ半眠状態にある。着替えよう。どこにいようと私の睡
眠スタイルはパジャマ派だからね。ベッドの脇の椅子の上にリュックサックを置いていた。リュック
サックに目を落とす。
お・や?
やけにふさふさした、丸まった、黒と黄色で全長 10 センチ程のミニ毛蟹のようなものがリュック
の上にいる。なーんだ、すぐに何かわかったよ。あはは。よく土産屋で売っているタランチュラの玩
具みたいなもんだろ。冗談よせよな。
101
しかし、脳は半眠から脱しかかっていた。冗談よせよな...でも、誰が。これは、よもや、丸
まってなお全長 10 センチ程の、ふさふさした、ホンモノの、スパイダー。
俺とヤツの間に緊張が走った。その瞬間、
シュッ!!
うあぁああ!!
ヤツは動いた。この温帯日本列島ではんなり暮す人々は、人の指ほども太さのある 8 本足が全力疾
走したときの強力な運動能力を知るまい。間違いなくマッハ1は出ておったな。ありゃ。マッハ目
撃。声出ちゃったよ。リュックを一瞬にして駆け下りると、もうどこへ消えたのやら。あとはただ、
朝の宿屋でジタバタとジルバを踊るばかりなりけり。
虫よ。馬鹿の人間を驚かせないでくれ。お互い、危害を加えあわず、暮らそう。
2007-06-12
■夏のお知らせ
夏至であった。既に梅雨明けした地方もあると聞く(オキナワ)。真夏が近寄っている。にも関わ
らず、我が家から眺む遠くの山々(北アルプスって奴だな、ありゃ)は峰に雪を抱いておる。おかし
な気分だよ。
風が目の前の木々の緑を揺らす。まったく風の街だぜ。ここは。
いつも、ずうっと、夏を前にして思うんだ。
「忘れられない夏にしてやるぞ」
なんだかリビドー全開の少年の心の叫びのようだな。俺のようなおっさんの吐く台詞としてはキモ
イ&キショイを通り越し、いかがわしさをも通り越し、たわけの極北地点に着地する勢いを濃厚に感
じさせるな。凍死させてたら御免候。
まぁ、そんな訳で毎夏、何かやるわけです。思春期時代からずっとそう。バンドやってみたり、恋
してみたり、図書館へ通いつめたり、土ほじくったり、旅してみたり。夏には、植物が急成長するよ
うに、人をも育む魔力があるのさ。夏なのさ。夏にしとくれ。だって、夏じゃん。
少年少女よ、大志を。わしのような山奥に棲む 30 センチあまりも伸びた風にたなびくアゴヒゲに
手をやっては遠くアルプスを目を細め眺むるおっさんですらこの有様ですからのう。
あれ、俺ってこんなにアグレッスィヴな男だったっけ。いや、違うな。まぁ、いいや。今年の方針
は、秘密です。何じゃ、この文。あとには戻れん。
2007-06-23
102
■苦行
何の因果か、胃カメラというものを飲み込む羽目に陥った。そんなもの、これまで飲んだことな
かったのである。別に胃の調子が悪くて、と言う訳でなく、単なる健康診断です。
「ちょっと、移動式さん(仮名)、あーた、バリウム&レントゲンと胃カメラとどっちにする
の?」 と、申し込みに際してその基本姿勢を問われ、どちらも無償でできるということだったので何
となく胃カメラのほうがお得かな、と判断したわけだ。で、同じ健康診断の中に含まれる、検便のよ
うな実に胸くその悪い行いよりも、胃カメラなんてあとくされなくて涼しいものだぜ、と、まったく
の平常心で臨んだという訳。
前日の夜 9 時以降飲食禁止という、医院から指示された掟を守り、ふらっと医院の門を叩く。たの
もう。一通りの健康診断コース実施後、フィニッシュが胃カメラである。
まず、なにやら紙コップに入った液体を飲めといわれるがままに飲まされる。あれは一体なんだ。
秘薬か。次いで、喉に麻酔をするという。歯科の麻酔と同じものだとのこと。ノズルをプッシュする
とその先端から液体が噴霧されるような、よくありがちな消毒液の入った容器状のものを口元に突き
つけられる。
「はい、あーん」
「あーん」
すると看護士はそのノズルを人の喉深く不法侵入させ、シュッと一吹き。
「おえっ」
そんなに喉深く突っ込まなくてもよかろうに 「はい、も一回」 と、更に喉奥深くヘシュッの第二次
攻撃。
「おえー」
空げろ連発。うわー、いきなり苦しい。既に瞳は涙で潤んでいるよ。麻酔で唾が飲み込めなくなっ
て嫌な感じ。それから間髪おかず、胃の働きを鈍くする注射というのを打たれる。そんな痛み、何の
ことはないね、と感慨に浸る間もなく 「移動式さーん、こちらどうぞー」 と。もうカメラである。素
早い展開だ。
横たわり、マウスピースをくわえささられ、いきなりホース状のものを喉に突っ込まれる。
「おえっ」
「おえー」
「お・えっ」
「嗚咽」
そんなものが入るか。おえおえで胃が裏返りそうだ。腹筋がいてえ。私はカメラを半ば自分の意志
で飲み込むのだと誤解していた。これは人によって強引に突っ込まれるものです。力を抜けだ、唾を
飲むなだ、いろんなことを語りかけられるが、く・くるしいのだ。それでも徐々に落ち着いてきて、
腹部で異物(カメラ?)が向きを変える様子などが何気なく伝わってくる。フィナーレは呆気なくす
るっと喉からホースが抜けていった。
やや荒れているとのこと。暴飲暴食は避けよう。因みに目前にモニターがあったが、ずうっと目を
103
閉じていたので何一つ見ていません。因みに少し涙がこぼれました。
ま、初めてで苦しかったが、いいよ。またやっても。あの見たくもない検便よりはマシだ。
2007-07-19
■エレガントな書斎から日報
部屋を片付けよう。男なら、大仕事の前には自分の部屋を片付けるもんだ、と、昔の偉い人だって
言っておるはずだ。ん、誰が言ったかは知らん。
私の書斎であるが、老朽化した建築物の二階であるため、重量物は良からぬ、と、これは実在する
昔の人々から説教されたため、蔵書だとかレコードといった、まとまると結構重いものの類は建築物
の一階に退避させられており、ほとんど書のない書斎となっている。
壁面には諸々の楽器が天井からぶら下り、床には太鼓やら直径 48 センチの金たらい(ウォッシュ
タブ・ベースとも呼ぶ)やらエレキギターのケースやらアコーディオンやらがごろっと転がり、その
光景は書斎というより物置である。
更に、既に CD やら MD やらを収納していたところが完全に飽和しており、上へ上へと積み上げる
生活をこの一年ばかり送っていたが、ここで一念発起し、棚を作ることにした。 5 層構造で、 A4 書
籍、 MD 、 CD 、ちょっとした楽器などがそこに収納できる設計だ。それにより空く箇所へごろごろ
転がるごろつきの楽器くんたちを収納し、私の書斎はよりエレガントさを取り戻す予定だ。
通りすがりのカインズホームで板を買う。
帰って来て電気ドライバーを使い木ネジをねじ込む。あっという間に、あ 「あっ」 という間に棚完
成。さすがの男だぜ。
早速もろもろを収納し、ビールなど飲みながら眺め、一人悦に入る。悦に入りながら、何の気なし
に少し、棚を側方から突っついてみる。
グラっ。
軽く突っついただけなのに 5 センチ近く傾いた。まぁ、そのくらいどうってことないだろう、と思
いつつも、もう少し強く突っついてみると、驚いたことに 10 センチは傾いた。これはいかん。まる
でピサの斜塔以上の傾き、危機的な状況である。
設計ミス発覚。背中を固定するのを忘れていた。そんな材料購入してねーよ。こうなりゃと、ネジ
の量を倍増する。まぁ、いいだろう。こんなもんで。そういや確かに工作の成績うんと悪かったよ。
子供の頃。
さて、大仕事であるが、別に、ホームレコーディング(最近、宅録と言うね)するだけである。
が、金たらいベースのような幅をとる楽器も弾くつもりなので、お部屋の片付けが急務だったのだ。
しばらく何曲か制作するつもりなのです。
2007-07-27
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■一目惚れ
ふと思い出したことを。
一目惚れしたことありますか。
私はある。何度かある。そのまま深い恋患いの世界へ旅立ったこともあるし、ライトな、一過性の
一目惚れもある。今も忘れられぬ女の話。いつかの一目惚れの話。
ギリシャのアテネから、クレタ島へ渡るフェリー。アテネの郊外にあるピレウスという港からクレ
タ島のイラクリオという港へとエーゲ海を航行していく。確か、夕方出港すると、翌朝くらいには着
いたのではなかろうか。
最も安いチケットで乗船し、最も安いチケットで乗船している貧乏人向けの船室(大部屋)へ。既
に腰を落ち着けていたギリシャ人の兄さんが 「ここ空いているよ」 と、空席を教えてくれた。腰をお
ろし、荷も下ろし、辺りを見回す余裕も出てきた。すると、その船室へ女が入ってきた。女の横顔
は、大理石の彫刻のようだった。ナスターシャ・キンスキーをもう少しだけふくよかにした感じ。深
い憂愁を湛えた瞳。すらりとした肢体、柄のワンピース、眼が釘付けになった。人生でこんなに美し
い女を見たことは初めてだったろう。安船室に現れたヴィーナスである。呆けた。
呆けた私にギリシャ人の兄さんが小声で話し掛けてきた。
「ジプシー(ロマ)だ。気をつけろ。物盗られるぞ」
アニキ、遅いよ。俺の心がもう盗られちまったよ。※独白である。そんなこと口に出して言うもの
か。
女の後を、女の家族と思しき面々が続く。赤子を抱いた婆あ。むくつけき男。男はどうやら旦那
で、婆あが抱いた赤子は二人のベイビーらしい。婆あは女に向かって 「リナ」 と辺りはばからぬ大声
で呼びかけた。
ロマの女、リナ。彼女達の格好と言えば、回りの乗客からは浮いた感じのものだった。リナはワン
ピースを着ていたが、婆あの出で立ちは、いかにもそれっぽいフォークロリックな衣装の重ね着で、
大量の荷物を抱えていた。既に大した数のない座席は私を含めた先客によって占拠されており、婆あ
は船室の床にどかっと腰を下ろした。
ベイビーが泣き出した。火がついたように。一体、これほどの大音響で泣く赤ん坊が存在するのだ
ろうか。窓ガラスを破壊するほどの泣き声である。絶叫である。ソウルである。リナは全く無関心そ
うで、婆あが赤子をあやしてはリナの名を大声でわめく。赤子のギャーという絶叫と婆あのわめき
声。むくつけき旦那に存在感なく、リナは外界に無関心そうで、面倒くさそうな表情をしていた。
リナ達にとって、その船室は居心地が悪かったのか、しばらくして出ていった。私はその間、リナ
の顔を穴が開くほど眺めつづけていたが、一度も眼が合うことはなかった。
私のギターのストラップの裏側には、ある時、酔って書いたものか、黒マジックでこう書かれてい
る。
「私は 1990 年から、リナという名のジプシー女を捜しています」
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リナ。今何処。彼女達の旅は続いているのだろうか。それとも私が見たのは幻か。
2007-09-20
■鼻腔と軟口蓋の接触
私は今、明白に風邪をひいている。身体はそれ程だるくない。しかし、鼻の奥を通り抜け、鼻腔と
軟口蓋の接点の辺りが、絶え間なく痛む。唾を飲み込むときなどは更に猛烈に痛む。これは軟口蓋が
「嚥下時、哺乳時において鼻腔と口腔とを遮断する機能的役割を担う」
( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%9F%E5%8F%A3%E8%93%8 Wikipedia 「口蓋」 の項よ
り引用)ことに由来する現象である。まぁ、その瞬間、腫れたもの同士がくっつきあうのだな。苦痛
である。人生を通じ、この地点における腫れたもの同士の接触によって、これ程甚大なる痛みが生じ
たことは記憶にないのである。
まったく、こういった日々の雑事でさえ綴っておけば人生の良い記念になるものだ。そういえば昨
年も風邪をひいてしばらく苦しんだときがあったぞ、と思い返す。そんなときにはこの 「移動式日
報」 右上の検索小窓に 「風邪」 とタイプして検索してみれば(携帯で見たことがないので、
mobile 版でもそういう機能が使えるかは存じませぬ)簡単に引っ掛かる。どうやら昨年は洟に苦し
められたようだ。
とにかく、私は決然たる決意を胸に医院へと向かう。既にこの症状を 4 日ほども放置しているの
だ。その間、ルルを飲んだり、イソジンでうがいしたり、 LOTTE の喉あめを 10 個連続で舐めたり
しながらしのいできたのだ。
もー、限界っす。
しかし、私がその時点で立ち回っている町は、まったく藪医者都市とでも呼べるほどろくでなしの
医院が林立する都市なのだ。
以前、瞼の脇に何日間か耐えがたい痛みを感じ眼科へ行ったところ、
「う∼ん、ドライアイだね。だと思うよ」
「先生、目玉じゃないのです。瞼の横っちょの辺なのです」
「う∼ん、なんともないと思うよ」
と、その翌日、雅子妃も罹患した帯状疱疹の症状が一挙に噴出した者がいる。許すまじ。藪眼科め
(※実在したらすいません)。
更に、風邪をひいたので耳鼻科へ行ったところ、
「じゃあ、レントゲンとろうね∼」
と、鼻腔周辺のレントゲン撮影を敢行され、挙句 「こんなにも怖い蓄膿症の恐怖」 を院長から 10
分に渡ってレクチャーされ、他に診察まるでなし、という体験をした者もいる。初診料&レントゲン
代で結構ふんだくられたぞ。許すまじ。藪耳鼻科め(※実在したらすいません)。
そういう者達がおるのだよ。ふぅ。
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今日の医院はどうだろうなぁ。何言ってるのかわからねぇ、と町で評判の医院へ行ってみたのだ。
言っていることはわかった。だが、患部を突っつかれたので余計痛くなった気がするぜ。泣いちゃっ
たよ。おとなしく薬を飲もう。
あと、今日の記念を、それなりに書き記すことにしようと思いました。あとで読み返すと馬鹿馬鹿
しいので。
2007-09-28
■バックアップ
このところ風邪など患っていて実に気分がすぐれない。鼻腔と軟口蓋の接点における度を越した痛
みは去ったが、咳痰洟症状に移行し、とてもウグイスのように喉をふるわせて歌う状況ではない。
丸 10 日ぐらい楽器にも触っていないな。
その間、まぁ、常日頃から、一応パソコンなど使い自分が奏でる録音を記録していたりもするし、
また、愚にもつかぬ写真などもたまってきたりということで、それらのファイルをバックアップして
みたりした。定期的な整理である。
まったく、バックアップをとっておかずに失われる貴重な財産たるや、一体、全世界で一日にどれ
ほどのものなのかと想像すると、きっとそれは計り知れないのだろう。計り知れぬ失意。お気の毒な
ことだ。ハードディスクがお釈迦になるのと同時に、全てが失われる人だって大勢いるはずだ。私は
そんな時に途方に暮れぬよう、大切なものは一応対処している。オンラインのストーレッジに保存し
ていたり、 CD や DVD に焼き焼きしているのです。その日暮らしのエピキュリアン、と見せかけ
て、自分の創作の記録などには執拗なこだわりを見せる面があります。忘れたふりをしていても、私
は過去に制作したもののことを、かな∼り詳細に覚えていますよ。
昔、ワープロというものが主流の時代のことだが、それでコツコツと学校の学位論文を執筆してい
た。確か、 400 字詰め原稿用紙換算 200 枚以上で、製本屋で製本のうえ、二部か三部か提出すること
が決めだったような覚えがある。つまり、提出日までに殴り書いて綴って済むという話ではない。製
本屋の都合に合わせなければならないのだ。
内容はともかく、私の論文制作はどうにか順調に進行し、年もおしせまった大晦日の朝、最終章を
書き上げ、いよいよ参考文献リストを入力すればほぼ完成するというところまで辿り着いた。これで
新年は楽しく飲んだくれて過ごし、それから製本屋へ原稿を持ち込み、一週間ほどで製本された論文
を一月半ばの提出日に提出すればよいというわけだ。
寒い朝だったな。電気カーペットの上にごろりと寝ころがってワープロを操っていた。と、それま
での記述を保存していたフロッピー・ディスクから読み込みが出来ない。どうしたことか。いくら
やってもエラーである。電気カーペットの温かさでおかしくなったか。
途方に暮れ、青ざめた。半年くらいかけて書いてきたものだが、この一枚しかバックアップしてい
なかったのだ。一応、最終章の手前までは紙にプリントしてあったが、いろいろと自分自身で赤ペン
チェックなどもしていた。
こうなりゃあ手書きだ。書けばよいのだ。私はその日暮らしのエピキュリアン、と見せかけて、気
分を転換するのが妙に速いのだよ。新年は原稿用紙に論文を殴り書く日々になった。飲んだくれてい
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る場合ではない。
手書きの論文はその後製本され、学校に収められ審査を受けたもののほか、私の手元にも今も一部
残っている。結局、データは殴り書きだろうと紙にしておくことが一番なのかもしれない。音楽なら
楽譜に。写真ならプリントに。
とはいえ、音楽、それも録音物は、その時の模様を再現することが困難だろうし、素人のベストプ
レイは、なにしろ再び弾けるかわからないので、こだわりモノはいろいろな所に保存しておいたほう
が良い。うわ、世間にまるで役立たずのこの日報で、教訓めいたこと書いちまった。ういっす。いろ
いろ気をつけます。
2007-10-04
■夏は私に愛を歌わせ、冬は私に死を歌わせる
冬が近づいている。まだ、ぶるぶる震えるような北風が吹く季節ではないけれど、確実にそれが
迫ってきていることを感じている。
今住んでいる家には小さな庭がある。別に園芸を趣味としてたしなんでいる訳ではないが、庭には
草を植えてある。
スカボローの市へ行くの?
パセリ、セージ、ローズマリー、タイム
そこに住むあの人によろしく伝えてください
彼女はわたしが本当に愛した人なのです
サイモンとガーファンクル
スカボロー・フェアより
お馴染みのパセリ、セージ、ローズマリー、タイム、いわゆるハーブである。青々とぼうぼうと、
手をかけなくとも雑草のように繁茂していく植物である。食ったり、料理の香り付けにしたり、茶に
したりと利用する。以前はスーパーなどで入手し辛かったり、ぼうぼう繁殖する割には高価だったり
したため、 10 年程前から自分で栽培している。
パセリは、そのまま冬を越す。雪の下でも、乾ききった寒風の下でも枯れない。翌年、花が咲き、
種をつけ、それから枯れる。なので放っておく。気が向くと乾燥葉を作る。
セージとタイムは冬期、一見、枯草のようになるが、春になると芽が出てきて、再びぼうぼう葉を
つける。連中は放っておくと幹が木のようになっていき、葉ぶりが極度に悪くなるので、冬の前に
は、迷わず半分以下の大きさになるまで剪定する。
ローズマリーは、私の棲家の環境では野外で越冬しない。枯れる。セージやタイムより寒さに弱
い。植え替えを嫌うそうなのでこれは鉢に植えてある。厳冬期には室内へ取り込む。放っておくと木
になって葉ぶりが悪くなる点はセージやタイムと似ている。ゆえに、これも剪定する。セージやタイ
ムよりは丁寧に。
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こうして剪定した葉を束ねたり、新聞紙の上に広げたりして乾燥させ、冬の間、気が向くとハー
ブ・ティーを容れたり、料理に使う。
私は冬が怖い。その怖れは肉体の死に直結している。
まぁ、まだ死んだりはしないだろう。だが、身体の器官が少しずつ、少しずつ死んでいく恐怖を冬
は私に味わわせる。
「スカボロー・フェア」 のまじないの言葉 「パセリ、セージ...」 というわけではないが、私
は、魔法の薬草のような効能を心のどこかで期待しながら、草を育て(別に手をかけてるわけじゃな
いけど)、収穫し、服用するのかもしれない。
2007-10-24
■交通安全
昨日、車を運転していたらソフトに追突された。
今のところ首は回る。痛いところはない。
下り坂で、私の前方( 2 台前)のクルマが急減速したため、私を含めた後続車が相次いで減速・停
止を余儀なくされた訳だが、私の直後の車両が停止しきれなかったという次第。
後ろからクルマが来ることがわかっていたので 「うわ、来る、きっと来る」 と思っていたら、残念
ながらソフトに 「バン」 と追突されてしまった。あちゃー。
ちなみに原因を作った本人(前方を走行していたクルマ)は去っていってしまった。きっと後ろで
事故が発生したことなど知らぬのだろう。恨めしい気はする。
その後、現場から結構離れた警察署まで行ったりと、後処理に随分時間を割かれた。ふう。まぁ、
しかし、とにかく、今のところ私を含め誰一人怪我人もなかったことはよかったろう。
その帰り道、山猫のような生き物が往来に全力疾走で飛び出してきて危うく轢き殺しそうになっ
た。ふう。
車の運転にはお気をつけ下さい。
2007-12-04
■年賀状
基本的に年賀状書かないのだが、恩師とか、学生時代の旧友だとか、旅先でしばらく御一緒した方
だとか、何枚かは書く。お会いする可能性の低そうな方々ばかりであるという特徴がある。
で、まぁ、年に一度だし、努めてろくでもないことを書くように心掛けている。昨年からは愚にも
つかぬ画像もプリントし添えることにした。つまり、幾つになってもろくでなしでどうにも大人にな
りきれません、但し元気です、というメッセージを送っているわけだ。
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今年も年賀と全く無関係な写真を撮って、ロシア語(キリル文字)で 「ウォトカ、とても美味い」
というようなテロップを入れた。去年も年賀と無関係な写真に朝鮮語(ハングル文字)で 「マッコリ
最高!」 というようなテロップを入れたっけ。受け取った人はどうせそんなもの読めないだろうから
「新年おめでとうございます、とでも書いてあるのだろう、相変わらず馬鹿な男だ」 などと想像する
に違いない。うっしっし。嫌な趣味だ。
しかし、ロシア語などこちらも当然できんので、かつてちょろっと挑んでみたNHKの講座のテキ
ストをひっくり返して綴りを確認してみたり、ハングル文字ってMacでどうやって入力するんだ?な
どとハングル文字表とにらめっこしながら苦闘したり、このようなくだらぬ試みにもそれなりに時間
を費やしたりする。馬鹿馬鹿しいが、馬鹿馬鹿しいことほど楽しくて仕様がない。つまり馬鹿者とい
うことだ。
はっはっは。
まったく私の世界観では、 4 月 1 日に馬鹿のカードを交換し合い、馬鹿を笑い、祝う、などという
習慣などがあったならば、より新年を祝うにふさわしいと言えよう。春だしさ。
まぁ、そのようなはみだし系非純情派ピカレスクなこの俺でも、皆様の新年のご多幸を心からお祈
りいたします。よい年を。
2007-12-26
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