バーン=ジョーンズによる『ピグマリオンと彫像』

平成 19 年度
修士論文
バーン=ジョーンズによる『ピグマリオンと彫像』
久保美枝
京都ノートルダム女子大学
大学院人間文化研究科
人間文化専攻
1
目次
序章
・・・1
Ⅰ章
『ピグマリオンと彫像』での裸体像
1
初期の作品における人物像
2
古典的手法での人体像 ・・・6
3
裸体像における二重の意味合い ・・・10
Ⅱ章
・・・4
ギリシャ神話の読みかえ
1 抑制された官能性 ・・・14
2
記号としての理想的身体 ・・・17
3
騎士道精神と美 ・・・20
終章
註
・・・25
図版
・・・28
・・・37
引用・参考文献 ・・・49
図版出典 ・・・
55
2
序章
本稿は 19 世紀半ばから後半にかけて活躍したイギリス人画家・エドワード・バ
ーン=ジョーンズ(Edward Coley Burne-Jones 1833-1898)による『ピグマリオンと
彫像』
“Pygmalion and the Image”を取り上げ、騎士道精神によって読みかえられ
たギリシャ神話を論じることを通じて、彼の絵画における憂鬱さと装飾性について
考察するものである。バーン=ジョーンズと同時代に活躍した美術家や画家、特に
オックスフォード大学時代より終生友人であったウィリアム・モリス (William
Morris 1834-1896)と比較すると、国内ではまだまとまった研究が成されていないの
が現状である。近年では白石和也による、バーン=ジョーンズの妻の手記iを基に、
それを邦訳しながらバーン=ジョーンズの生涯を追跡する研究iiはあるものの作品
論に関しては国内では主立って発表されていない。また美術史における主義や絵画
手法を用いての作品論が展開されてはいるが、バーン=ジョーンズの絵画上の装飾
性に焦点を中てられた研究はまだ行われてないといってよい。このように先行研究
が乏しくはあるが、その生涯を通じて中世主義者であった彼がiii、19 世紀イギリス
の産業社会が成熟の様相を見せ始めた時代の中で、中世世界への志向を絵画におい
てどのように表現したかについて論じていく。
まず彼の生きた 19 世紀イギリスにおける産業と連動した美術について略記する。
1851 年に世界初となる万国博覧会、第1回ロンドン万国博覧会(Great Exhibition
of Industry of All Nation)がイギリスにおいて開催される。この開催にあたっては、
当時のイギリスの産業や文化、教育において多大な影響をおよぼした官吏ヘンリ
ー・コール(Henry Cole 1808-1882)による、自国の国民の趣味を教育し更に彼の造
語である「芸術産業」を発展させようとする政治的な意図があったiv。またヘンリ
ー・コールの別名、フェリックス・サマリー(Felix Summerly)によって設立された
サマリー美術製作所(Summerly’s Art Manufactures 1848-1851)に関しても同様に、
芸術家と製造業者を連携させるための機関であった。vつまり社会の産業化の波が美
術の方面にも向けられていたことは、上記の万博が歴然と示す事実である。また美
術品を大衆に向けて生産するという 19 世紀近代の産物は、当然、芸術や美術に対
する観念とは無縁の過度に装飾された美術品を生み出した。粗悪品でしかないよう
3
な美術品すら装飾美術として見られていた時代にあって、1861 年に設立されたモリ
ス・マーシャル・フォークナー商会(Morris, Marshall, Faukner and Company
1861-1875)は、行政指導のもとに装飾美術を制作しようと立ち上げられたものでは
なく、モリスが芸術家個人の美に対する理念を基に自発的に装飾芸術を生産しよう
と立ち上げられたものであるvi。
19 世紀の近代社会におけるモリスによる商会の成功は、彼が商会を立ち上げよう
とした時には既に、装飾美術に対する社会的な需要が充分にあったからである。こ
のことは今更言うまでもない。つまり近代における装飾芸術を論じようとすれば、
「美」という観念によって生み出された芸術であるのか、それとも美術品・芸術品
というように「品」あるいは「物」、つまり産業を基盤とした芸術であるのか、この
二重の意味合いに挟まれる。モリスによる商会において終始筆頭デザイナーとして
活躍することになるバーン=ジョーンズの装飾性を論じる上で、産業を基盤とした
装飾芸術が制作されていたことは避けては通れない。しかし本稿では彼の「装飾性」
を論じるにあたっては、それを作家の美の観念の形象化として捉える立場を取る。
バーン=ジョーンズは、1856 年にダンテ・ガブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel
Rossetti 1828-1882)のアトリエへ出入りするようになり画家としての手ほどきを
受け始めるvii。ロセッティはペンとインクによる素描viiiと画家自身の想像力にまか
せた構図ixを好んだため、最初期のバーン=ジョーンズの絵画は彼の影響を受けた
というより、その表現方法に倣ったものが顕著に表れている。だが 1861 年の MMF
商会設立時には、バーン=ジョーンズは既に鉛筆を素描する際の独自の道具として
使用しているx。このロセッティとの師弟関係から、ロセッティの濃密な平面性を重
視した画面構成と表現手法はバーン=ジョーンズのものと非常に酷似したものであ
るがxi、1859 年と 1862 年にジョン・ラスキン(John Ruskin 1819-1900)と向かった
イタリア旅行において、ラスキンの指導下で初期イタリア・ルネサンス画家の様々
な模写を行うなかでxii、バーン=ジョーンズは次第にロセッティの絵画手法から離
れ、裸体の習作を始めとした人体像の模写を修練していくxiii。
本稿で扱う『ピグマリオンと彫像』の制作年代はラスキンとのイタリア旅行を経
た後のものである。その作品での人物描写では、それまでの着衣に身体が包みこま
れた人物像とは一線を画し、その主題とも相俟って裸体像を描くというイタリア・
ルネサンスの巨匠達を意識した表現方法が執られている。このような人物描写の変
4
化を辿る時期に制作された作品に対して、画家バーン=ジョーンズの最初の転換期
にあたるものと筆者は位置付ける。彼はラスキンによる美術的指導をその後の創作
活動においても享受していたわけではなく、1871 年のラスキンの同行しなかった 3
度目のイタリア旅行では、今度はラスキンの庇護からも逃れるかの如くボッティチ
ェルリ、マンテーニャ、ジョット、ミケランジェロといった巨匠の模写を勢力的に
行うxiv。この旅行を通じて彼はラスキンの最も嫌う、異教的な力に支配されたキリ
スト教的絵画を描いたミケランジェロxvに傾倒し、ラスキンの指導を離れ古典的手
法による絵画表現を独自に習得しようとするのである。
このように彼独自の作風を確立し始めた絵画手法による 1870 年代以降の作品では、
マニエリスム的な要素が指摘されておりxvi、また『ピグマリオンと彫像』において
もバーン=ジョーンズの主題の解釈と表現方法に対してマニエリスム的な思想が見
られるとした先行研究xviiもある。更に特筆せねばならないこととして、1877 年に
設立され唯美主義運動の象徴的な場となったグローヴナー・ギャラリー(The
Grosvenor Gallery)xviiiは、バーン=ジョーンズの絵画が耽美的または唯美的であり、
更には装飾的であると称されることにおいて欠かすことができないものである。筆
者は、1870 年代以降の作品においては唯美主義的な表現方法に主眼を置くものとす
る。最晩年の作品である『いばら姫』”The Briar Rose” ではこれらの要素が如何
なく発揮されている。1870 年代を通じて画家として独自の絵画手法を確立しようと
した、いわば過渡期となる時代の作品として『ピグマリオンと彫像』を位置付ける。
この作品での彼特有の装飾的な画面がどのような経過を辿って現れたものであるか
を、人物像に見られる憂鬱さに焦点を当て論じていく。
5
Ⅰ『ピグマリオンと彫像』での裸体像
1
初期の作品における人体像
『ピグマリオンと彫像』は 1868 年制作のパリ版(個人蔵)と 1875 年から 1878 年
にかけて再制作されたイギリス版(バーミンガム美術館蔵)がある。本稿は 1879 年の
第 3 回グローヴナー・ギャラリー展に出品されたxixイギリス版を主に扱い、比較対
象としてパリ版を扱う。
『ピグマリオンと彫像』は『思慕』“The Heart Desires”(図
1)、
『ためらう手』
“The Hand Refrains”(図 2)、
『命を与える女神』
“The Godhead Fires”
(図 3)、
『魂を得る』
“The Soul Attains”(図 4)の 4 枚から成るものでありxx、1 章では
それぞれの作品での人物描写に焦点を当てる。
この作品は単独の絵画として構想されたものではなく、モリスの手がけた『地上
楽園』xxiの一挿話であった『ピグマリオンと彫像』
“Pygmalion and the Images”の
挿絵となるものであった。モリスは『地上楽園』での挿絵を木版によりすべて自ら
行おうとしたが、木版に関する技術が未熟であったため、実際版木にまで彫られた
ものは『クピドとプシュケの物語』”The story of Cupid and Psyche”だけであり、
結局は挿絵なしの本文のみで出版されるxxii。バーン=ジョーンズは、これらモリス
の詩に挿絵を挿入するという経験を通じて、1 枚の絵画によって全物語を象徴的に
語るのではなく、数枚の絵画によってその物語を語る連作絵画の手法を得ることと
なるxxiii。
だがバーン=ジョーンズは連作絵画の手法によってキリスト教的主題を扱ったの
ではなく、異教的主題であるギリシャ神話やトマス・マロリーの『アーサー王の死』
に代表されるような中世の物語を扱うのである。中世世界への憧憬を抱き続けた画
家が、キリスト教的主題を扱わず、その手法だけを用いて彼の憧れる世界を描いた
わけではない。バーン=ジョーンズにとって身近な人物であったラスキンやモリス
にみられる中世復興主義は、政治的・社会的思想に強く裏打ちされた、手仕事によ
る芸術の再興や社会の改善によって導かれる芸術の救済を目指すものであったxxiv。
だがバーン=ジョーンズは主題が異教的なものであろうとも、絵画そのものによっ
て観者を現世では見ることの出来ない情念の世界へ誘おうとするもので、彼らの行
動的な中世復興主義とは一線を画している。つまり彼によって示される中世世界と
はラスキンやモリスによって示されたような具体的なものではないのである。ギリ
6
シャ神話の『ピグマリオン』を主題としながら、4 枚の連作絵画によって示される
ものが中世主義的な絵画空間を目指すものであるとする根拠は、ギリシャの古典的
手法で描かれた裸体像が、奥行きのない 2 次元の背景に嵌め込まれ配置されている
ことである。古典的手法による裸体像について述べる前に、バーン=ジョーンズの
初期作品での人物像の特徴と表現方法を考察し、初期の人物描写においてその表現
方法の限界について述べる。
バーン=ジョーンズの中世的趣向は、ロセッティに師事していた最初期の作品に
おける人物像で既に見受けられる。1861 年にラスキンとイタリアへ向かい、イタリ
ア画家を模写する過程で多数の習作を行うも、画業に従事した 1850 年代中期から
1860 年代前半にかけての作品(図 5)では、ハイ・ウェストの着衣を纏い、人物の下
半身の肉付きはまるで無視された描き方である。このような身体表現は中世の写本
で見受けられるものである。しかしバーン=ジョーンズの着衣にはドレイパリーが
描かれているものの、中世の写本挿絵のようにそのドレイパリーが人物の躍動感を
表すこともなく、それは腰から足元へとなだらかに上下に流れるだけである。つま
り中世写本挿絵に見られるドレイパリーによる効果というものが目立っては期待で
きないものである。バーン=ジョーンズの初期の絵画におけるこれらの要素は、中
世風であっても中世主義的な絵画とは言い切れない。このことについては以下のよ
うに考える。
これは彼の絵画技法における未熟さが露呈されたものと捉えることが適確であろ
う。中世の美術家たちは、現実空間の広がりを開示することなく、2 次元の絵画空
間を築き上げ、その空間における人物像も当然身体の丸みを持たせずに描写した例
が数多くある。いわば身体性の欠如が絵画空間において明らかになることに関して、
越宏一の論を援用すると次のことが言える。彼らにとってのリアリティxxvとは、外
界の事物を人間の目に映る立体的なもの(可視的世界)として捉えることではなく、
神の諸概念そのものであり、可視的世界は幻影にすぎないといったものであるxxvi。
つまり観念で捉えられたキリスト教的世界像を形象化しようとすることにおいては、
その形象が現実の視覚によって捉えられた事物や身体の再現でなければならないと
いう必然性がないのである。このように彼らの持つ造形感覚の特異性はまさに彼ら
のリアリティに対する観念にあり、これを用いて身体のリアリティを再現しようと
した時、越によれば、人間像とその着衣が自律的な装飾パターンを構築することに
7
よって 2 分化され始めるのであるxxvii。このような身体の再現方法では、ドレイパ
リーが身体の肉付きを無化させてしまうのは当然のことである。更に自律的なパタ
ーンを備えたドレイパリーは、神的な身体を再現するにあたっては、神々しさを表
出するための装置として身体に機能するのではなく、越によると、ドレイパリー自
体がその表現目的となり、線的パターンを獲得し更には自律的な装飾効果を持つと
あるxxviii。だがバーン=ジョーンズの初期の身体表現には、中世の挿絵画家が身体
をパターン化してしまうところの確固たるリアリティ、つまり理念において把握さ
れた世界が希薄なのである。ドレイパリーによって顕となる身体の備える肉感性の
欠如は、バーン=ジョーンズの初期絵画においても共通した要素ではあるが、彼の
描くドレイパリーはパターン化され装飾的な効果を持ったものではなく、肉体とし
ての身体を描写しきれないという技術の甘さを隠すことに効果を発揮したものであ
る言えよう。
2
古典的手法での人体像
バーン=ジョーンズは、1850 年代後半よりラスキンの指導の下、初期から盛期ル
ネサンス期のイタリア画家の習作を行い、人体のプロポーションを明確に意識した
描写を習得する。この経験により彼の人物像におけるドレイパリーと肉体の関係に
大きな変化が訪れる。初期の作品では身体のプロポーションを把握しきれていない
バーン=ジョーンズの技量故に、ドレイパリーの流れではなく着衣そのものが肉体
に対し支配的であった。身体が着衣にすっぽり包まれ、下半身がひとつの塊のよう
に見えるのは、肉体に対し着衣が優勢であるところによる。しかし 1860 年代後半
からの作品では、身体のプロポーションやその動きに準じたドレイパリーが描き出
されている。ドレイパリーと身体の関係において、いわばギリシャの女神の彫像に
見られる表現方法を彼は習得するに至るのである。また身体構造の把握によって、
着衣に対してそのドレイパリーすら服従的であった描写から、ドレイパリー自体も
着衣から独立し、身体の肉付きに沿う流れを持つ描写に変わるのである。このよう
に身体の肉付きや動きに沿うことが可能となったドレイパリーの描写は、身体の内
包する生命力を描き上げることに功を奏すものである。このような表現方法をなく
しては、神と人間との関係が非常に密接であるギリシャ神話、
『ピグマリオン』を絵
画化するには至らなかったであろう。
ギリシャ宗教を語る上での 1 つの特性となるギリシャ神話は、カール・ケレーニ
8
イによると、
「古い、伝承された素材のかたまり」であり、当初は言葉の芸術であっ
たのだが、次第に形象の芸術へと変わる過程において、神々が人間の姿で捉えられ
る物語となったものであるxxix。つまりこの宗教の神話的特性は、「神的なるもの」
と出逢おうとする人間の欲求のなかで、神々を人間の姿で捉えようとすることでは
逆に、神的なるものが人間へ近づいてしまうという出会いの物語にあるxxx。すると
神話的観念によって捉えられた神々の姿は、しかるべく人間の姿として現れる。ま
たここには神が人間の姿として見られることを人間に対して許すという宗教性もあ
るのだが、このようなギリシャ神話が人間的な物語として読みかえられた時期が、
まさに『変身物語』の作者であるオウィディウスの生きた時代であったxxxi。つまり
人間が神的なものと出逢おうと欲するなかで、神々が人間の現実世界に出現すると
いう宗教性を基盤とした『ピグマリオン』の物語を絵画化することにおいて、人間
の身体構造の把握は必然的に要求されるものである。更にギリシャ宗教が「実体の
ない空虚な」世界に基づいたものではなく、
「人間にとっての世界の現実」つまり「秩
序づけられた現実の存在」に基づくxxxiiものである限り、人間の身体構造を持つ神々
の像が数的秩序によって形態化されることも必然のことである。バーン=ジョーン
ズのイギリス版『ピグマリオンと彫像』において、身体表現に数的プロポーション
が見られることは、このようなギリシャ宗教の宗教性を踏まえるとそれは当然の形
態化であるといえる。イギリス版では 4 枚のうち 3 枚がギリシャの古典的比例の規
準に倣って人物が描かれてあり、更にギリシャのヴィーナス像を意識した描写がさ
れている。ここでは、ケネス・クラーク(Sir Kenneth Clark 1903-1983)による著書
『ザ・ヌード』を援用しバーン=ジョーンズがいかにして身体を意識し人物像を描
写したかについて述べるxxxiii。
1 枚目の『思慕』は、現世の女性の醜態に辟易しながら独身生活を送っていた彫
刻家ピグマリオンxxxivが、物思いに耽った様子で中央に描かれている。彼の右背景
にはボッティッチェルリ(Sandro Botticelli 1444/45-1510)の『プリマヴェーラ』
“La
Primavera”(1478 年頃制作)(図 6)での三美神を彷彿させる女性の裸体の彫像が描
かれている。バーン=ジョーンズによるこれら 3 体の彫像には、ギリシャの女性裸
体像における古典的比例の規準を認めることができる。その規準とは、
「二つの乳房
の間の距離」
、
「低い位置の方の乳房から臍までの距離」
、そして「臍から両腿の付け
根までの距離」がそれぞれ尺度単位として同じ長さもつxxxv、つまり 1:1:1 の比
9
例関係にあるものをいう。この規準を『思慕』での三体の女性像のうち、左端に位
置する裸体像に当てはめると、
その比例関係にぴったりと符号する。
しかし一方で、
この絵画の左背景に描かれたキュプロス島の娘達と思しき人物像は、まるで古典的
比例による身体の構成を無視した描写がなされている。これは画家の身体表現での
技術の稚拙さが露呈したものと思わせる描写である。だがこの 1 枚目の作品を 1868
年制作のパリ版の『思慕』(図 8)と比較すると、バーン=ジョーンズがイギリス版で
のキュプロス島の娘達の身体表現において、意図的に身体性を欠如させたことが分
かるのである。パリ版ではキュプロス島の娘達は、身体の肉付きが着衣のドレイパ
リーによって確認できる、ほぼ生身の女性の身体構造に近い描写がされている。だ
がイギリス版では露になった娘の腕が顕著に示す如く、身体の構造がまるで無視さ
れた身体表現であり、着衣にすっぽり覆われたその身体はバーン=ジョーンズの初
期の人物像にみられるものである。イギリス版では、彫刻家ピグマリオンによる彫
像が理想的な規準に則して描かれながら一方で、現実の娘に対しては構造的身体性
の欠如を示す描き方がされている。このような身体に対する描写方法の違いは、
『ピ
グマリオンと彫像』の画面構成における平面的な空間の開示と密接な関係にある。
これは、バーン=ジョーンズの絵画空間における彼の精神性や理想とする世界像を
知るうえでの一つの重要な手掛かりとなる。背景において 2 次元的な人物描写とそ
の平面的な絵画空間について論じる前に、彼の裸体像の描写についてまだ詳しく述
べることとする。
パリ版とイギリス版の 1 枚目の作品での描写方法の変化は、キュプロス島の娘達
に限らず画面右側の彫刻群においても見ることができる。両版とも画面構成及び物
語の設定は同じものである。それは彫刻家ピグマリオンのアトリエがその舞台とな
っており、右側に彼の彫刻した彫像群が描かれ、左側にはアトリエのアーチから垣
間見られる道路をキュプロス島の娘二人が歩いている。パリ版の彫刻群は 4 体の女
性裸体像である。この裸体像は彫刻であるにも拘らず、臀部から太腿にかけて成人
女性の身体の特徴であるふくよかな丸みがみられる。これはイギリス版の 3 体の彫
像と比較すると、より生身の女性に近い描写であることは一目瞭然である。更に、
パリ版の 4 体のうちの後方に位置する彫像にはスケッチのようなタッチで影が描写
されており、
身体の構造が曖昧になっている。またパリ版でのキュプロスの娘達は、
前述したようにドレイパリーの流れによって身体の肉付きを確認することができ、
10
こちらは生命を帯びた肉体としては、理に適った描写がされている。パリ版はこの
ように現実の女性には、物質的・肉体的な身体性が備わった描写がされているが同
時に、彫刻群においても生身の身体故の生々しさが表現されているために、現実の
女性と彫像との判別がし難い。彫像であるにも拘らず、そこに生身の身体を思わせ
てしまうということはつまり、身体の理想的造形化がされていないことの表れであ
る。現実の女性に対して理想的身体のイメージを投影して彼女を見るということは
可能であるのだが、画家のイメージによって構成された身体であるのならば、その
身体を現実の女性において認めることは不可能であるだろう。このようなパリ版で
の現実の女性と彫像をめぐる描き分けの不明確さは、
『ピグマリオン』の物語におい
て彫像が生身の女性へと変身するクライマックスを描写するにあたって致命的欠陥
である。
パリ版の描写における、生身の身体と彫像の区別はイギリス版では見事に克服さ
れている。イギリス版での彫像に対する描写は、彫刻家と彫像の関係についてバー
ン=ジョーンズは次のようなことを我々に示すのである。それは、彫刻家の内面に
ある理想的美を現象世界において形態化させるという造形行為xxxviとその過程をピ
グマリオンと裸体像の描写によって示すのである。これはプラトンによる「感覚的
な現象世界の外側、しかし、また天上のかなた(ユベルランオス・トポス)、人間の
知性の外側に存在する形而上的な実体」xxxviiつまりイデア、形像を指すのはなく、
アリストテレスによる形相、すなわち芸術家の精神の中にある「内的形相」の形態
化である。周知の通りプラトンは絵画や彫刻に対して、これらは超越的な本質、イ
デアの世界の模倣である現象世界を更に模倣したにすぎない模倣芸術として強い非
難を浴びせたxxxviii。このようなプラトンの芸術観に沿うと、芸術家が心の中に美の
原型を抱いていたとしても外界の模倣である限り優れた芸術を生み出すには至らず、
パノフスキーによれば芸術家の個性や独創性を破棄しなければプラトンの理想とし
た芸術を生み出すことは出来ないと指摘があるxxxix。しかしアリストテレスによっ
て、芸術作品を生成するに至っては既にそれを生成する形相が芸術家自身の魂の中
にあることが認められると、もはやプラトンのように現象世界をイデアの映しとは
捉えず、両者が相互関係において成立していることが示されるのであるxl。更にア
リストテレスはプラトンによるイデアと現象という二元論的な思考を「形相」と「質
料」へと置き換え、この形相が質料に入りこむことにおいて芸術作品が生み出され
11
ていくのだと説いたxli。
イギリス版『ピグマリオンと彫像』において、彫刻へと成り変わるところの大理
石において、身体性の構築化を認めうる描写は、まさにアリストテレスによる「形
相」
、すなわち彫刻家ピグマリオンが心の内にある理想的な裸体像と、
「質料」であ
る大理石の相互関係によって生み出された造形行為の過程とその変容を示すであろ
う。現実世界においてピグマリオンが彫像を制作する過程をアリストテレスの哲学
に則すならば次のように述べることができる。「[まず技術による制作について言う
に]、およそ技術によって生じる事物は、[技術家]の心(プシケー)のうちにそれの形
相(エイドス)を持っている」xliiことに始まり、その形相を質料のうちに、つまり大
理石の彫像である大理石のうちに作り出すのであるxliii。
このように彫刻家が彫像を作り上げる過程において「形相」と「質料」の関係を
踏まえると、
バーン=ジョーンズによる彫刻家ピグマリオンの内的形相というもの、
いわば彫刻家の理想的美というものが、ギリシャの古典的比例を基準としたもので
あることが明確に分かるであろう。またこの彫像が裸体像であることは、彫刻家の
理想的美のなかに裸体、つまり肉体に対する理想美をも含まれていることが分かる。
つまりバーン=ジョーンズによる女性の裸体の彫像には、画家の明確な肉体に対す
る理想美があることが読み取れるのである。この理想的美について再びケネス・ク
ラークの論を参照しながら検討する。
パリ版とイギリス版での彫像は、前者は艶かしくあり後者では肉体が彼の構想の
もとに造形化されていることは先にも述べた。これについてケネス・クラークの定
義する「はだか」(naked)と「裸体像」(nude)を当てはめてみると、バーン=ジョー
ンズが裸体という言葉の持つ二つの意味合いを見事に描きわけていることが分かる。
ケネス・クラークによれば「はだかとは、着物が剥ぎとられているということであ
り、そこにはたいていの者ならそんな状態になれば覚える筈の、当惑の意が幾分か
含まれている」xlivとある。一方裸体像については、「教養ある使い方をすれば、別
に不快な響きを伴わない」xlvものであり「それがわれわれの心に漠然と投影するイ
メージ」xlviであり、「丸くちぢこまった無防備な身体のそれではなくて、均整のと
れた、すこやかな、自信に満ちた肉体、再構成された肉体のイメージである」xlviiと
述べられている。この定義にればパリ版での彫像の艶かしさというものは「はだか」
あるところに含まれる、衣を剥ぎ取られた状態における裸体像であるが故に生じて
12
しまうものである。一方でイギリス版での彫像はまさに「再構成された肉体のイメ
ージ」そのものであることが理解できよう。このような連作絵画『ピグマリオン』
において彫像をめぐる「はだか」と「裸体像」の描き分けは、2枚目の作品『思慕』
を比較することによってより顕著になされている。
3
裸体像における二重の意味合い
パリ版とイギリス版の比較によって、裸体という状態における 2 つの意味合い、
「はだか」と「裸体像」を識別することは可能であるのだが、ケネス・クラークに
よって語られるように、
「裸体像」は更にここにおいて 2 つの意味合いを持つもの
であることを論証する必要がある。形態化された裸体(裸体像)とは、生身である身
体がさらされた状態に対して憶える当惑感を呼び起こすものではない。しかしこれ
は同時に、裸体の備える肉感性や官能性をも回避した状態であることを指し示すも
のでもないのである。裸体像が「肉体のイメージ」であるということは、このイメ
ージが肉体へ向けられた欲望と密接な関係にあることであり、すると裸体像はこの
欲望がいかに昇華させられたかという結果の現れである。そしてこの裸体像が、女
性の身体を形態化させたものであるとき、これは 2 つの典型xlviiiに分けられるので
ある。ここでは『思慕』のガラテア像を取り上げ、裸体像としての描写方法につい
て述べたあとその 2 つの型について論じていく。
2 枚目の作品である『ためらう手』は、ピグマリオンが自ら作り上げた彫像に対
してまさに恋心を抱いている場面である。両手に彫刻道具を持ち、左手を顎にあて
がい物憂げな表情で彫像の前に佇むピグマリオンの姿は、パリ版、イギリス版にお
いて同様である。しかし彼の作り上げたガラテアxlixの像に大きな違いがある。パリ
版(図 9)での右手を首元にあて、目を閉じているガラテアは眠りの状態にあるようで
あり、この眠っているような姿は恍惚の最中にいるかのようである。ピグマリオン
にとってガラテアの彫像は、恋焦がれる対象であると同時に肉欲の対象でもあるの
だが、パリ版の眠りを示唆するガラテア像は、欲望の対象としての一方的な側面し
か示さない。眠れる者とその対象に向けられた欲望について、田中正之は『眠れる
アリアドネ』と題された彫像の「眠り」のポーズを取り上げ、眠れる者の「性的欲
望の対象」としての側面とその状態から喚起させる「エロティックな快楽」につい
て指摘しているl。またパリ版のガラテア像はその眠りにあるかのような状態に加え
て、左腰のねじれにおける肉付きが生身の女性の肉付きに近いかたちで描写されて
13
いる。このような描写は、彫刻家の理想美と欲望の対象としての女性の身体が密接
な関係にあることの表れであり、性愛へ向かおうとする男性の欲望が形象化された
ものであるといえる。裸体像における、性愛と関わる理想美と男性の欲望が昇華さ
れた理想美の 2 つの側面は、オウィディウスによる『変身物語』の彫像に対するピ
グマリオンの心情の描写に見いだすことができる。そこではピグマリオンが彫像の
抱える 2 面性の間で葛藤する姿が読み取れる。
その彫像は、ほんものの乙女のような姿をしていて、まるで生きているよ
うに思えたし、/もし恥じらいによって妨げなれなければ、動き出そうと
しているようにもおもわれた。/それほどまでに、いわば、技巧が技巧を
隠していたのだ。ピュグマリオンは/呆然と像を眺め、この模像に胸の火
を燃やした。/これが生身のからだなのか、ほんとうに象牙なのかを調べ
ようと、絶えずこの作品に手をあてがうのだったが、いまだに、これが象
牙にすぎないとは認められないのだ。li
彫刻家は理想の女性を象牙において作り上げたのだが、その欲望と強く結びつい
た彫像は、作り手に対し性愛の対象としても現れているのである。彫像でありなが
ら肉感性を拭い去ることができないというこの状態は、この形象が生身の身体、も
しくは象牙の物体のどちらかに加担して作り出されたものではないことを意味する。
また、
「技巧が技巧を隠していた」とあることから、この像は形態化される技術的過
程を経て作り出された裸体像なのである。そしてこの像に対して作り手である彫刻
家が恋焦がれるということが、何よりも作り手のイメージを形態化させる作業にお
いて、作り手の欲望とそのイメージの密接な関係を示すのである。理想的美を作り
上げることにおいて、作り手の欲望は無縁ではないということである。だがパリ版
のガラテア像は、その形態が彫刻家の理想的美であることを示さずその像自体が恍
惚感に浸っているかのようである。つまり彫刻家のイメージや欲望が昇華されるこ
となく、欲望の対象としての姿が顕にされているのである。
一方でイギリス版の『思慕』でのガラテア像は、『クニドスのヴィーナス』lii(図
7)の彫像に酷似した描写によって裸体が形態化されている。ガラテア像が彫刻家の
抱く理想美によって形態化されることは、先にも述べたが、肉感性や肉体の官能性
をもその形態において全く排除されてしまうことを意味しない。ここでは裸体を裸
体像として作り上げることにおいて、肉体にまとわりついた本能的欲求がいかに処
14
理されるのかを論じる。ケネス・クラークはこのことについて次のように述べてい
る。
太古より、肉体的欲望という人間につきまとい悩ます非理性的本性は、イメー
ジに救いを求めて来た。そしてこれらのイメージに形式を与え、それによって
ヴィーナスを低俗なものから天上的なものへ高めることがヨーロッパ芸術のつ
ねに立ち還る目標のひとつとなって来たliii。
そしてこの「低俗なものから天上的なものへ」と高められるヴィーナスには 2 つの
種類があり、これが女性裸体像をめぐる 2 つの典型でもあるのだが、ケネス・クラ
ークはこれらを「植物的ヴィーナス」liv、「結晶的ヴィーナス」lvとして名称付けて
いる。
この 2 種類のヴィーナスは、そもそもプラトンによる『饗宴』でのエロース神に
対する讃美のなかで語られている。
『饗宴』の登場人物であるパウサニアスは、パイ
ドロスによるエロースの讃美の指示が明確でなく無条件であることに納得できず、
エロース(恋または欲求)lviの褒めるべき根拠を明らかにすべく、そこでまず 2 種類の
エロースがあることを主張するのである。パウサニアスはエロースには 2 種類のも
のがあるとする根拠として、エロースが女神アプロディテと不可分な関係にあり、
このアプロディテが 2 種類であることを持ち出すlvii。
この 2 種類のアプロディテは、
「天上の」という意味の形容詞を添えられたウラニア・アプロディテ(天上のヴィー
ナス)と「公の」もしくは「低俗の、卑俗の」といった形容詞を添えられたパンデモ
ス・アプロディテ(地上、自然のヴィーナス)であるlviii。そしてウラニア・アプロデ
ィテに属するエロースは、放縦さとは無縁であり、本質的に強壮で理性に恵まれた
ものを愛することから男性のもとへ赴くものであるlix。一方パンデモス・アプロデ
ィテに属するエロースは思慮のない者や肉体そのものを愛する女神とされている lx。
形象化された女性裸体像にある 2 つの性格はこのようにプラトンの『饗宴』での
2 つのアプロディテに典拠するものであるが、裸体像においてこの 2 つの性格を明
確に区別することは非常に困難である。これについてケネス・クラークは、旧石器
時代の豊饒の象徴であったヴィレンドルフのヴィーナスとキクラデスの幾何学的な
彫像を例にとり、次のように述べる。
プラトンの例に倣うなら、これらを植物的ヴィーナスと結晶的ヴィーナスとよ
ぶこともできるであろう。この二つの概念は以後けっして完全に消滅すること
15
はない。しかし芸術が法則の適用を伴うものである以上、二つのヴィーナスを
区別する相違は、きわめてわずかなものである。そして相互にまったく似てい
ない場合でも、相手の性格を幾分か帯びているlxi。
つまりケネス・クラークは、豊饒への信仰と密接にある女性の生殖機能を象徴化さ
せた像を「植物的ヴィーナス」とし、数的秩序によって形態化させた女性像を「結
晶的ヴィーナス」としている。そして裸体を「植物的ヴィーナス」へと形象化させ
る過程において、
「肉体的欲求」は、身体そのものの美とかかわりながら、更に肉体
を通じて子孫を存続させようとする欲求が自然的な形象へと昇華されたものである
lxii。一方の「結晶的ヴィーナス」ではその欲求が、先の肉体における美を超えては
るか普遍的な美へと上昇すべく昇華され形象化されたものであるlxiii。このように 2
種類のヴィーナス像は、肉体にそなわった官能的欲求を一方では昇華させながらも、
その一方ではけっして逃れることのできないものとして示している。バーン=ジョ
ーンズのガラテア像は数的秩序によって形象化された「結晶的ヴィーナス」である
のだが、作り手の欲望が昇華された形象としてではなく欲望が抑制されたところの
形象である。
ガラテア像には大理石の彫像としての物質的な冷ややかさが感じられ、
官能性が潜在化している。裸体像における抑制された欲望については、人物像の憂
鬱な空気とそれらの人物像が嵌め込まれた平面的な背景との関係において次章で述
べていく。
16
Ⅱ装飾的画面と近代の憂鬱さ
1
抑制された官能性
人物像における官能性の潜在化は 3 枚目の『命を与える女神』ではより一層明白
である。3 枚目の作品は、女神アプロディテlxivがガラテア像に命を吹き込む瞬間を
描いたものである。パリ版と比較するとイギリス版のアプロディテは透明の薄物を
身に纏わせている。身体に密着したドレイパリーは、その衣紋の流れによってより
肉体美を際立たせる効果があり、同時に肉体的欲望をも掻き立てる表現手法lxvであ
るにもかかわらず、イギリス版のアプロディテはその肉欲が抑制されているのであ
る。ドレイパリーが透明であることで、より肉体美を強調できるはずが、透けて露
となるアプロディテの身体構造は、その肉付きの輪郭線がぼやけている。また左右
に流れる無数の衣紋が身体構造を覆い隠そうとするかのように機能しているのであ
る。このように肉体美が抑制されていることに加えて、
『ピグマリオンと彫像』での
人物像に共通した憂鬱な表情も相俟って、官能性が潜在化されているのである。こ
の人物像の憂鬱な性格は、ボッティチェルリの描いた人物像と非常に近い。ウォル
ター・ペイター(Walter Horatio Pater 1839-1894)は著書『ルネサンス』lxviの中で、
ボッティチェルリを自然主義者でありながらlxvii、その自然を「自分自身の観念、気
分、夢想をあらわすものとして」lxviii捉えた画家であり、この画家の気分を写し出
した絵画空間の人物像において、
「どこか流浪、喪失の感じがつきまとっている」lxix
と指摘した。ペイターの指摘したボッティチェルリの作品に貫かれている「憂鬱な
気分」は、キリスト教的善悪の二項対立の狭間で葛藤する人間に対していずれの判
断も下すことなく、
「重大な拒絶をおこなう中道世界」lxxに彼らを住まわせたことか
ら生じたものであるといえよう。このような二項対立の狭間の世界である中道世界
の表象化のなかで付随しながら現われることとなった憂鬱さこそ、バーン=ジョー
ンズの人物像に認められる憂鬱さと同質なものである。
バーン=ジョーンズの
『ピグマリオンと彫像』に見られる憂鬱さは、一見すると愛する主体としての男と
その欲望の対象である女の狭間から生まれるものとして見られる。この狭間とは描
かれた人物像の男らしさや女らしさといった性差でのものであり、彼らはその性差
の狭間を揺れ動いているようである。しかし、欲望の対象が身体性へと向かおうと
するときに抑制がかかると、そこでは性的人間に対する禁欲が働きかけていること
17
を意味するであろう。彫像から生身の女性へと変身したガラテアとの婚姻は、肉体
と結びつこうとする欲求、またはエロースの働きを否定できない。だがバーン=ジ
ョーンズの絵画では、精神的なものであれ、肉体的なものであれ、合一しようとす
る欲求に対してある種の禁欲が働きかけるのである。彼の絵画における憂鬱さはこ
の禁欲故に生じるものであり、この禁欲がどのようなものであるのかを知る必要が
ある。
『ピグマリオンと彫像』の人物や空間を覆う憂鬱さは、3 枚目の作品『命を与え
る女神』での彫像に命が吹き込まれる劇的な瞬間においても、また 4 枚目の作品『魂
を得る』においてもその本来の喜びの瞬間に対して圧倒的である。恋焦がれていた
彫像が生身の女性へと変身することで、彫刻家はその女性を我が物とし、肉体的な
結合を成就できる女性が裸体の姿で現れているにもかかわらず、その場は官能的な
空気よりも憂鬱さが画面を覆っている。この憂鬱な空気が生み出される要素の一つ
として、人物や彫像が向かい合わせで描かれているこの 2 枚の作品において、それ
らの視線がどれ一つとして交じり合わないところにある。
『命を与える女神』でのガ
ラテアと『魂を得る』でのピグマリオンは、両者とも側面観で描かれ、その視線は、
ガラテアはアプロディテに向かい、ピグマリオンは生身の女性へと変身したガラテ
アへ向けられている。しかし、このガラテアとピグマリオンに対して一対の関係で
描かれたアプロディテと生身の女性は、2/3 正面観である。彼女たちの視線は対と
なる対象者に対して向けられてはいない。視線と視線が交わされることで生まれる
感情の動きや交流が画面から汲み取ることができない。
『ピグマリオンと彫像』にお
いて官能性を抑制させて画面に溢れる憂鬱さは、欲望を意味する視線と欲望の対象
となる視線が交わることなく遠くへむけられているところにあるlxxi。理想の女性像
を作り上げることは男性の欲望の形象化であることに疑いはない。だが『ためらう
手』に描かれたピグマリオンの遠くを見つめる視線は、理想像であるはずのガラテ
アの彫像(この像こそやがて生身の女性へと変身するのであるが)へ向けられず、そ
の視線によって彼が欲望する主体であることさえも曖昧になっている。向かい合わ
せに描かれたガラテアの彫像とピグマリオンはそのうつろな視線において、両者は
欲望を意味する者としての主体を失った、見られる存在としての客体の姿を示す。
続く『命を与える女神』でのガラテアの視線を女神アプロディテは受け入れること
なく遠くを見つめている。4 枚目の『魂を得る』ではピグマリオンのガラテアを見
18
上げる視線によって、
彼が愛する主体であることがここで初めて読み取れるものの、
欲望の対象であるガラテアの視線は逸らされ、誘い込まれることから逃れようとす
るかの如くである。うつろな視線の女性を前に跪くピグマリオンの視線には、欲望
がその対象へと受け入れられないことへの悲壮感が滲み出ているようでもある。
このように各作品において、女神アプロディテが吹き込もうとする魂と彫刻であ
るガラテア、つまり物質との融合、また後者では男女の性愛における合一の瞬間を
けっして描き出してはいない。これは神的なものが人間の精神へ入り込もうとし、
またその逆である人間の魂を神的なものへと高めようとする古代ギリシャにおける
宗教性を描き上げることが、
この絵画における目的ではないことが判然と示される。
裸体像が古代ギリシャの人間主義的な観点において描かれていたならば、バーン
=ジョーンズの描いた裸体像はより豊かな官能性を顕在化させていたであろう。だ
が画面を覆う憂鬱さは、その人間精神を否定したところにおいて生み出されたもの
でもない。これはペイターの論じたボッティチェルリの絵画上の人物に見られる憂
鬱さにおいても同様である。彼はボッティチェルリの絵画での憂鬱さに関して、そ
こに人間の能力を超えた大きな力の存在があることを見いだし、絵画上の人物はそ
の力を充分に感知しながらも抗えないでいることを綴連している。またペイターは、
この人間の能力を超越したものを神的なものとして明言することなく「畏怖して近
づくをえぬ大いなる影」lxxiiと語り、ボッティチェルリの描く女神ヴィーナスにして
「人間生活を支配する大きな力を蓄えるもの」と捉え、神と人間が支配関係にある
ことを示唆しているlxxiii。この支配関係は、神と人間が相互的関係において宗教的
合一を図ろうとするギリシャ神話においては相容れないものである。人間の抗うこ
との出来ない力を内包したものがその力を行使し、それに対し支配を受けざるを得
ない人間との関係、つまり行き交うことのない両者の関係は、バーン=ジョーンズ
の『ピグマリオンと彫像』での交わることのない視線として読みかえることができ
る。
この関係においては、人間精神を真っ向から否定すべくその力が発揮されるので
はなく、その力を前にしてはただ圧倒される他になす術を持てない人間の姿が顕と
なるのである。しかし人間という存在に対して、怯むことない威信を抱いていたな
らば、人間精神はその力に対して同等に働きかけるであろう。だがボッティチェル
リにしてもバーン=ジョーンズにしても彼らは、人間の威信を謳歌しきれず何らか
19
の力によって、抑制のかけられた人間像が絵画において浮び上がるのである。両者
の人物像での冷ややかさや憂鬱さは、自己抑制によって生まれたものではなく、人
間の能力にして掴み得ないものによって抑制された状態のところにある。ペイター
は明言しなかったが、それはキリスト教の神に対する観念の絵画における形象化で
ある。ボッティチェルリの抑制は、神から自立してしまった人間に対する罪悪の意
識lxxivが未だ働いていた時代において掛けられたものである。それはキリスト教的禁
欲との関りにおいての抑制でもある。ペイター曰く、このように人間を遥かに超え
たものによって支配を受けざるを得ない人間に対して、ボッティチェルリが悲しみ
と同情を抱いていたならば、このような画家の感情はおそらくバーン=ジョーンズ
においても同様であったのではないだろうか。ボッティチェルリが人文主義の開花
へと向かう時代の過渡期において、確固たる威信を備えた人間と超越的力を持つ存
在の間で揺れ動く人間像を描いたことは、キリスト教社会での道徳的善悪の間で揺
れ動く人間像を描いたことと表裏一体の関係にある。そして彼がキリスト教的善悪
の二項対立における中道世界を描いたとするならば、バーン=ジョーンズはヴィク
トリア朝時代での実社会における、ブルジョワジーによる支配意識に裏打ちされた
父権的な建前と肉体を酷使することでその時代の産業を支えた労働者の実状との狭
間に立った画家であったともいえよう。物質主義の台頭の傍らで中世キリスト教社
会を再び臨もうとした当時の社会において、いわば物質性と精神性の二項対立にお
いて父権的なものを優位なものとして臨んだ近代において、その狭間でみられる抑
制された女性的なものを描こうとしたことが伺える。彼の特異な官能性が抑制され
た憂鬱さは、この男性的な近代社会での二項対立の狭間で揺れ動く人物に対する画
家の感情から生まれでたものであるといえる。
2
記号としての理想的身体
二項対立の間を描くにあたって、バーン=ジョーンズは対立間の関係そのものを
描きだそうとはしていない。彼と同時代を生きたフランス象徴派の画家であるギュ
スターヴ・モロー(Gustave Moraeu 1826-1898)と比較するとこれは明瞭である。バ
ーン=ジョーンズと同様にモローも物質社会に嫌悪を示したのだが、彼は物質と精
神性の二項対立そのものを描きあげている。モローによる精神と物質の二項対立に
おいては、精神の創造的行為に関われる者としての男性と精神的な存在ではなく、
肉 体 的 存 在 と し て の 女 性 と い う 性 差 が 含 ま れ て い る 。 モ ロ ー の 『 出 現 』“ L’
20
Apparition”
(1876 年のサロン出展作品)(図 12)では、空間に浮び上がり閃光を放つ、
斬られたヨハネの首は精神性の権化として描かれている。その首と向かい合わせの
サロメは俗世の象徴として描かれている。この絵画では精神性を表すヨハネの首が
圧倒的な力としてサロメの前に現れるのだが、肌身をさらけ出した彼女の視線は真
っ直ぐとその首へと向けられている。彼女の視線によって、ヨハネの首の象徴する
聖性さは俗なるものを圧するどころか、肉欲の化身として表されたサロメが聖性さ
と同等の力を持つ者として対峙するのである。対峙的関係にありながら各々が象徴
的に描かれているということは、ヨハネやサロメとして形象化されたものにおいて、
抽象的または具体的であるいずれかの意味内容を含もうと、そこには形象化される
べき本質、もしくは形象化を求む理念が存在していることが前提となるlxxv。
だが、バーン=ジョーンズの絵画では、神話における神と人間、または魂と肉体
といった対立項が象徴的に現れることがない。というのも、それらが憂鬱さといっ
た同質の気分において描かれているからである。つまり対峙的関係にある両者の実
体が象徴的に現れるのではなく、それらが形骸化してしまった記号lxxviとして画面に
現れているのである。
『ためらう手』のガラテア像は『クニドスのヴィーナス』の形
態を借用していることに留まり、彫刻家ピグマリオンの理想美の象徴として表され
てはいない。また『思慕』における三美神を彷彿させる彫像群も美の象徴としてで
はなく、彫刻家の理想美の典型、形式lxxviiとして表されている。
『ピグマリオンと彫
像』での整合性の取れた裸体像は、主題であるギリシャ神話や古典古代ギリシャの
数的秩序によって整えられた美を象徴するのもとして機能せず、それは彫刻家の理
想美を示す記号であるといえる。またこの絵画での古典的な人体像は意味内容の欠
如した象徴、もしくは記号によって織り成されたテクストlxxviiiとして捉えることも
可能である。このような意味内容を失い「意味するもの」としての機能のみを持つ
記号によって構成された画面となれば、それらの記号は象徴によって果たされると
ころの「意味されるもの」へと向かうことはないため、最終的にその画面に現れる
ものは多義的で曖昧なものにならざるを得ないlxxix。
しかし『ピグマリオンと彫像』における人物像の装飾的な記号としての意味合い
は、国際ゴシック様式の絵画に見られる空間を思わせる背景にそれらの人物が嵌め
込まれたところにおいてのみ生まれてくるのである。人物像における象徴的意味合
いは、平面的な背景と憂鬱さという一定した画面の気分によって失われていくので
21
ある。更に 3 枚目の作品である『命を与える女神』のパリ版(図 13)とイギリス版を
比較すると、記号化した人物像と平面的な背景の関係の組み合わせが統一された絵
画空間へと向かうことを示す。パリ版ではアプロディテとガラテアが中央で向かい
合い、その後方の背景にキュプロス島の女神の祭壇に跪くピグマリオンが描かれて
いる。原典に沿えば、このピグマリオンはガラテアの彫像に似た生身の女性を妻と
して迎えることが叶うよう、祭壇に向かって祈りを捧げているlxxx。このピグマリオ
ンを背景にすると、まさにピグマリオンの願が受け入れられアプロディテがガラテ
アに命を吹き込む場面が前面に描かれていると解釈することができる。つまりパリ
版では物語の時間経過を 1 つの画面で物語る異時同図法が取り入れられている。し
かしイギリス版ではピグマリオンは描かれず戸外の風景は建物のみであり、腕をか
らませたアプロディテとガラテアしか描かれておらず、ピグマリオンの願が女神に
よって叶えられるという文脈が取り除かれている。肉体を得た裸体のガラテアは、
もたれ掛かるようにアプロディテに向かい女性同士の同性愛を喚起させるような異
質な雰囲気が漂い、生身の女性を得ようとする男性の性愛を描くことが回避されて
いる。物語の文脈が除かれたこの絵画では、その標題からアプロディテがガラテア
に魂を吹きいれようとした場面であることが予想できる。しかし薄物の着衣の人物
像が女神アプロディテであると認識できるのは、床から突如として湧き出たような
水lxxxiと戸口から飛んでくる数羽の鳩lxxxii、そして頭とその手にあるオリーブといっ
た記号によってである。これらの記号によってその女性像が女神アプロディテであ
ると名称付けることができる。
人物の性格や実体に先行したこのような記号の働きかけが、その人物像が何者で
あるかと示す絵画描写は、初期中世でのケルト系修道士達によって制作された『ダ
ロウの書』(図 11)や『ケルズの書』(図 12)の写本挿絵での福音書記者像に見ること
ができる。これらの写本挿絵の福音書記者像はパターン化された人体像によって描
かれているため、人物描写から 4 人の福音記者がどの人物にあたるのかを特定する
ことは困難である。しかし『ダロウの書』では、4 福音記者を象徴する鷲・人・牡
牛・ライオンによって初めてその人物が順にマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネである
ことが認識されるlxxxiii。同様に、
『ケルズの書』においても福音書記者を象徴する 4
つの生き物から人物が浮かび上がり、福音記者の性格や聖性に先行した記号によっ
て人物が特定される。
『ケルズの書』でのこれらの生き物は、聖グレゴリウスの時代
22
になって「誕生・死・復活・昇天」の 4 つの段階を意味することとなり、独立した
生き物が最終的にはキリストを象徴するlxxxivという統一された空間を開示すること
となる。バーン=ジョーンズの描いた女神アプロディテが、記号の持つ意味内容に
よって後付けされた人物像であると解釈すると、記号によって示された人物は物語
の文脈の失われた背景との関係において、最終的に絵画空間の表そうとする統一さ
れた世界を読まなければならない。
つまりバーン=ジョーンズの絵画空間において表わされた美の観念は、古代ギリ
シャ世界における理想美を再現しようとしたものとは別のところにあると考えるべ
きである。何よりも、数的秩序とともに 3 次元世界で捉えられた人物像が消失点の
定まらない、面を組み合わせたような背景に嵌め込まれていることが、その主題を
現実空間において示そうとされたものではなく、バーン=ジョーンズの観念的な美
の世界を表わすのであるlxxxv。ギリシャ神話における神と人間、また生身の女性と
男性の直接的な精神のやりとりを絵画によって具体的に物語ろうとするこが目的で
はない。つまり実体や経験的世界よりもバーン=ジョーンズにとっては観念的な美
の世界を具象化することに重きが置かれているのである。連作絵画であることにお
いて物語を絵画で語ることは最重要課題であるが、
『ピグマリオンと彫像』は一貫し
て憂鬱さという気分の中で物語が進行し、展開部である 3 枚目の作品『命を与える
女神』であっても合一の瞬間が抑制され憂鬱さに覆われた空間になっている。
3
騎士道の掟による抑制
バーン=ジョーンズの描いた人物像の憂鬱さは男性像においても見られるところ
にその特異性がある。遠くを見つめる視線がメランコリーの能記であるとされた場
合、ロセッティの絵画においてはその視線は女性特有のものであったlxxxvi。だがバ
ーン=ジョーンズの描いたピグマリオンは、男性によって見られる対象であるとこ
ろの視線と同じものを共有している。いわば男性像において女性性が見られるのだ
が、これについてはバーン=ジョーンズと同時代の作家であったヘンリー・ジェー
ムス(Henry James 1843-1916)が既に指摘していることである。ヘンリー・ジェー
ムスは 1878 年に開かれたグローヴナー・ギャラリー展に関する美術批評を行い、
その中で“Le Chant d’Amour”(1868-1878 年制作)に描かれた兵士に対し女性性の
表現が見られると述べているlxxxvii。彼の女性性を備えた男性像においては、更に両
性具有者としての性質と女性化してしまうことによって生じる同性愛者としての側
23
面も見ることができる。このような性差の混乱から引き出された、男性の物憂げな
視線によって作られる憂鬱さがバーン=ジョーンズの絵画にはある。
しかし画面上の憂鬱さは性差の混乱からのみ生じたものではなく、そこには男性
原理によって抑圧されてしまったところの倦怠的な状態をも表している。ルージュ
モンは合理的思考が過度に発展した「肉体と知性のみが問題にされる世界」つまり
「男性原理にもとづく世界」では、肉体と精神を結びつける魂が抑圧されていくと
述べているlxxxviii。彼はこののような魂を女性原理であると定め、この魂が抑圧され
てしまうと世界は「集団的な倦怠状態」へと向かうと述べているlxxxix。ルージュモ
ンは 20 世紀の社会状況を考察するなかで、抑圧された状態が「集団的な倦怠状態」
へと向かっていくことを指摘した。だが男性原理によって抑圧されたところの状態
は、既に 19 世紀のバーン=ジョーンズの絵画において見られるものである。彼の
描いたピグマリオンは、法や秩序を作り出す主体としての男性であるにも拘わらず、
彼自身がその男性原理によって抑圧された状態にある。ルージュモンはこのような
状態での倦怠感が、
「秩序ある世界の外側にある何か」を目覚めさせることによって
......
女性原理が「反乱を起こす」と次の段階を述べているxc。この女性原理による反乱
は、ジョージ・スタイナーの言うところの、19 世紀のブルジョワジーによる支配体
制のなかで「誘発」されてしまった、芸術や知性における「根本的に破壊的な質の
突き返し」であるとも言えるだろうxci。ルージュモンは倦怠状態から起きる女性原
理による反乱を経験した後、その反乱を治めるべく国家による統制が図られるのだ
が、その統制を逃れ得た者だけにおいて「三様の愛に関する姿勢」が現れてくるこ
とを示唆しているxcii。この三様の愛とは、1 つ目に情緒的愛から離れたところのエ
ロティシズム、2 つ目に宮廷風恋愛の復活、3 つ目にアガペであり、彼はこれらの 3
つの要素は適度に混合することによって現れると説いているxciii。つまり倦怠状態に
おいて抑えつけられていた魂の解放を経験した後に、これらの 3 つの要素が混在し
た愛が現れるということである。しかしバーン=ジョーンズの『ピグマリオンと彫
像』での 4 枚目の作品である『魂を得る』では、倦怠感に覆われた画面において宮
廷風恋愛を彷彿させるピグマリオンの姿が描かれている。ガラテアに対して跪く彼
の姿は、女性を崇めたてる存在へと仕立て上げそこに献身的な愛を注ぎこもうとす
る姿として見ることができる。4 枚目の絵画において初めて、ピグマリオンは愛す
る主体としての視線をガラテアに投じているのである。
24
宮廷風恋愛を障壁があるが故の情熱恋愛、もしくは己の死でもって成就させるこ
との出来る献身的な恋愛であるとするならば、そこには中世の騎士道精神によって
成された恋愛を汲み取ることができるだろう。つまり『魂を得る』でのピグマリオ
ンの姿は、ギリシャ神話における彫刻家として現れているのではなく、己の死をも
厭わない献身的な愛によって恋愛を成就させることを試みた騎士道の姿として読み
換えることができるxciv。この騎士道愛が連作絵画の 4 枚目の作品において示される
ことにおいて、ギリシャ神話を扱った主題でありながら合一する瞬間や理想美を実
体として得る場面に対して抑制がかかることへの理由付けを行うことができる。バ
ーン=ジョーンズの絵画における憂鬱さが抑制されたところのものである限り、
『ピ
グマリオンと彫像』においては騎士道愛が騎士道愛として存在するための障壁が織
り込まれてなければならない。障壁がなければ成立しない宮廷風恋愛であるために、
自ら作りあげた理想的女性との婚姻が、騎士道愛を遂行するにあたっての障壁とし
て読みかえられているのである。
『ピグマリオンと彫像』における憂鬱さは、肉体を得たガラテアとピグマリオン
の間で性を謳歌していくことに対する罪の意識の再出現であるともいえる。この連
作絵画では自己の欲求が精神的なもの肉体的なものが合一しようとする場面が 2 度
ある。しかし何れにおいても、そこでは合一における快楽を禁じるかのような禁止
事項、掟が現れている。快楽を禁じようとするこの掟とは禁欲そのものでもある。
この絵画での禁欲は、ボッティチェルリの絵画に見られたキリスト教的禁欲として
現れず、騎士道の恋愛での欲求に対して働きかける騎士道の掟として現れている。
そしてこの騎士道愛における情熱が 2 者の婚姻、つまりガラテアとピグマリオンの
結婚を否定することにおいて、情熱それ自体が禁欲精神であることが読み取れるで
あろうxcv。欲求に対して掟が現れることによって、古代ギリシャのピグマリオンの
神話が、ケルトの土着に根ざしたトリスタンとイゾルデの神話を彷彿させるような
騎士道の恋愛として読みかえられているのである。この掟はギリシャ神話での人間
愛を否定するために現れているのではなく、恋愛における欲求が自己愛に留まった
ままの姿で昇華されていくことに対する咎めとして現れている。つまり抑制のかか
らない欲求の向かう先が混乱であることへの恐怖に対してこの掟が制定されている。
『ピグマリオンと彫像』に見られる掟は合一を否定することを目的としてはいない。
肉体の死滅しかその向かう先を見いだせない恋愛における欲求に対して掟が働きか
25
けるのである。
バーン=ジョーンズの『ピグマリオンと彫像』は騎士道の掟が組み込まれること
によって北欧の神話の世界へと読みかえられた観念の世界の表象化であることが理
解される。この観念の世界を表象することにおいて、バーン=ジョーンズの独特な
装飾性を見ることができる。それは彼の装飾感覚が中世のケルト民族によって制作
された写本における装飾性と非常に近いものであることを示すものである。面の組
み合わせによって奥行きを失ったバーン=ジョーンズの絵画では、その面的な背景
にあって人物像は記号と化し背景の平面的な空間に組み込まれていく。つまり彼の
絵画では人物像が主体として空間が構築されていくのではなく、あらかじめ制定さ
れた背景の中に人物像が組み込まれているのである。イギリス版の『命を与える女
神』でのアプロディテと彼女の後方に描かれた柱の距離をみればこれは一目瞭然で
ある。浮かび上がったように現れた彼女の足下の床は、奥の戸口に向かって集束し
ていくように描かれ奥行きが示されてはいるのだが、アプロディテに目を移すと彼
女と柱との距離感がないために、奥行きが否定されてしまうのである。これは彼女
に絡み合うように描かれたガラテアとその背景においても同様であり、他の 3 枚の
絵を見ても同じことが言えるのである。屋内での柱や壁、そして戸外の風景の組み
合わせで作られた奥行きは、そこに取ってつけたような人物が現れることによって
否定されてしまうのである。
絵画空間において人物をその背景に組み込んでいくような描写はアイルランドの
写本に見られるものであり、そこでは区画された面のなかで人物像が配置されてい
るxcvi。また平面的な背景によって規制されたなかの人物像は線描写によって描写さ
れている。このようなキリストの聖性や神秘を表出しようとした写本では、神秘を
表すことにおいて可視的な事物としての身体性が否定されることについては前述し
た通りである。そしてこのキリストの神秘を表すことにおいて、
『ケルズの書』での
キリストのモノグラムを描いたページ(図 15)では、XPI の文字を巡り組紐紋や人物
がこの組紐紋に絡まり付くかのように描き込まれている。また XPI と象った文字の
中でも、組紐紋はみっしりと描き込まれてあり、更にその組紐紋は様々な動物や人
間と絡まりながらその組紐が織り成されている。このページでの文字は象られた文
字の中においてもまたその文字を囲い込むかのように描かれた組紐紋や人物や動物
によって、文字は一つの独立した意味を持つものとして現れず、装飾的機能を持つ
26
ものとして現れている。組紐紋や人物は文字を装飾するためのものとして、つまり
文字に付随するものとして機能しているのではなく、文字・組紐紋・人物・動物が
装飾的空間を織り成すための独立した記号として展開しているのである。ここでは
文字は文字であることをやめ、文字は組紐紋でありながら人物でもありまた動物で
もあるのである。これらが織り成す混沌とした世界における装飾感覚をバーン=ジ
ョーンズの絵画においても見いだすことができる。
『ピグマリオンと彫像』では、平
面的な背景において古典的身体を模した人物が嵌め込まれ、未だ背景と人物が一体
化する空間は展開されてはいない。しかし晩年の作品である『いばらの森』(図 14)
では、みっしりと描かれた茨を後ろに眠りにつく人物が描かれている。ここにおい
ては茨と人物における距離は失われ、茨は人物に対する背景ではなくなっている。
甲冑を纏った騎士の左足は茨と一体化しており、中央で眠りについている男性の胴
体も茨に組み込まれ、そこでは人物と茨の一体化が始まり装飾的な画面を構成して
いる。ここでの人物と茨は、事物における意味内容が失われ記号と化している。こ
れは『ケルズの書』に見られた文字や人物が記号と化すことによって織り成される
装飾的な空間を思い起こさせずにはいないであろう。眠りにつく人物に再び覚醒が
訪れるのかは定かではないようである。騎士は城で眠る姫を目覚めさせるべく茨の
森を進んでいこうとするが、彼の足は茨と一体化している。この絵画において騎士
は生者としての存在であるかは、茨に覆われ突如と消えた彼の足によって疑わしく
なる。およそ茨と絡まりそれと一体化し始めた人物は、可視的世界で存在する人物
ではなく幻想的な人物として現れているかのようである。そしてここにおいてこそ
バーン=ジョーンズの絵画が観念的な美の表象であることが示される。
彼の観念的な美の世界は、
『ピグマリオンと彫像』や『いばら姫』に見られるよう
に現実世界において実体として現れることを回避したところにある。連作絵画の『い
ばら姫』においても、眠りから目覚める場面は描かれることなく眠りについたまま
の姫を描くことで完結した作品である。彼の生きた時代は科学の発達により、手仕
事で成されていたものが機械に取って代わり物を作り出すまでの時間は削減され、
また科学の進歩は想像であったところのものを実在化させるに至ったことは今更述
べるまでもない。そしてバーン=ジョーンズの絵画が、このような進歩に対して確
信を抱いて財を築き上げた者達、都市のブルジョワジーの余暇を一役担うための絵
画であったことも否定はできない。しかし彼の次の言葉は、19 世紀の物質社会を抗
27
うことのできないものとして受け入れながらも、一方で欲求が物質として現れるこ
とにおいて失われていくものがあることを語るであろう。
私はかつて存在しなかった、またけっして存在することはないであろう大切
なもの、美しくロマンティックな夢を、これまで降り注いだ如何なる光よりも
もっと眩しい光の中で、誰も境界を見出すことも思い出すことも出来ず、ただ
願うだけの地において、絵画によって物語るxcvii。
28
終章
バーン=ジョーンズの絵画における憂鬱さと装飾性については予てから指
摘のされていることである。装飾性に関しては、彼が絵画制作を本格的に取り
組む以前に、モリス・マーシャル・フォークナー商会でステンドグラスやタペ
ストリーや家具にデザインしていたことが下敷きとなり、この経験が絵画上で
の装飾性へとつながったとする見解があるxcviii。一方では初期ラファエル前派の
画家たちが確立した描写方法を倣うことから、中世世界の理想を描いたところ
に装飾性が見られるとの指摘もあるxcix。このような装飾性に対する見解からは、
バーン=ジョーンズの絵画ではパターン化されることを目的としたデザインや
形態が基盤として装飾展開を行っていることが分かる。『ピグマリオンと彫像』
にそのパターン化される形態があるとすれば、人物像でのギリシャの古典的身
体にあたるであろう。しかし、その形態は平面的な背景に組み込まれることに
よって、画面は装飾的なものへと向かう。
『ピグマリオンと彫像』では、人物像
を中心に据えた空間の広がりが開示されていないことも装飾的であるというこ
との根拠となる。この絵画では、柱と壁と床の組み合わせによって断続的に奥
行きが示されるものの、消失点の定まらない空間であるために、人物と人物、
物と人物、または屋外と屋内の距離感に微妙なずれが生じている。この距離感
のずれによって、彼の絵画空間は人間の視線で捉えられる現実世界を描くこと
が目的ではなく、画家の観念の世界を描くことが目的であることが分かる。
奥行きを表すことを意図していないならば、その背景は単調な面であっても
よいのだが、執拗に面と面で構成された背景から、バーン=ジョーンズの空間
を埋めつくしてしまおうとする造形感覚が伺える。彼の装飾性は人物がある形
態を取りパターン化されることだけで生み出されるものではなく、執拗に描き
こまれた平面的な背景と人物の距離感が失われていくことにおいて生じるもの
である。このような彼の特異な装飾性はアイルランドの中世初期の写本挿絵に
おいて見られるものと同じ類のものである。
『ケルズの書』での文字、人物、組
紐紋、動物で織り成された混沌とした装飾的な空間は、最終的にキリスト教の
神秘の世界を表出することへと向かう。同様にバーン=ジョーンズの絵画でも、
29
記号と化した身体と背景による装飾的な画面は、記号の羅列による無目的な空
間ではなく、人物像の憂鬱さによって絵画は統一された内容を持つ空間である
ことに収まっていく。その人物像は身体においては古典ギリシャの形態を纏っ
ているものの、憂鬱さにおいてその身体の中身は近代の人間像である。
バーン=ジョーンズは交友のあったラスキンやモリスと同じく中世主義者で
あったが、絵画上の人物に見られる憂鬱さにあっては、彼らとは中世志向の様
子が異なるものであるだろう。ラスキンやモリスの中世世界の憧れには、父権
的な力によって秩序付けられた社会の状態を目指そうとするところが見受けら
れるc。チャンドラーは後期ヴィクトリア朝での中世主義を都市化、産業化して
しまった社会において「より安定感のある調和のとれた社会秩序の姿を具現化
するものにほかならなかった」ciものと述べている。しかしバーン=ジョーンズ
は父権的な秩序に対する確信さが憂鬱さによって揺らいでしまっている。彼は
嘗て存在した中世世界を再び実現させようと試みたのではなく、都市や産業化
における過剰していく欲望に対して抑制をかけるものとして父権的なものを表
している。それは父権的なものによって社会を秩序づけようとする行為でなく、
禁忌として働きかけるものである。その禁忌は『ピグマリオンと彫像』では騎
士道における掟として現れている。
この絵画が騎士道愛であることは指摘がされているもののcii、ギリシャ神話で
の愛がどのような変換を経て騎士道愛へと読みかえられたのかは論じられてい
ない。そのため筆者は人物像の憂鬱さがどこから生じたものであるかを考察す
ることにより、その憂鬱さが漠然としたものではなく、抑制が掛けられたとこ
ろのものであり、その抑制が騎士道における禁欲であると論じた。この禁欲が
ピグマリオンとガラテアの婚姻の場面に現れることで、
『魂を得る』でのガラテ
アはその肉体が男性によって所有される存在ではなく、肉体の関係を持っては
ならない領主の夫人として現れる。『ピグマリオンと彫像』の 3 枚目の原題は
“The Godhead Fires”であり、godhead という単語には「三位一体」という
意味がある。この意味を考慮すると女神の足下の数羽の鳩は聖霊の鳩として見
ることもでき、女神とガラテアの図像は受胎告知における天使ガブリエルとマ
リアとして読みかえることもできる。3 枚目の絵画をこのように読みかえたとき、
4 枚目の絵画では世俗化されたマリア崇拝としてそのガラテアを捉えることも
30
可能である。この連作絵画での禁欲というものを読み取ることで中世のキリス
ト教社会を基盤とした騎士道愛が描かれていることが理解されるであろう。
騎士道的禁欲がキリスト教的禁欲に裏打ちされたものであるならば、肉体と
結びついた欲求が罪悪となり身体性そのものも否定されるものとなるであろう。
そのような世界を形象化させるとするならば、
『ピグマリオンと彫像』の人物像
においては可視的世界で見られる者である必要はなくなる。このことは何より
も、人物に先行した背景との関係で明らかとなる。
中世美術の装飾についてラスキンは、神の創造物であることを受け入れた人
間の手で作り出されたものであるため、そこには機械による精密さでは务るも
のの有機的で柔軟性に富んだものがあると述べたciii。しかし一方でギリシャ彫
刻に見られる数的秩序によって整えられた精巧さや機械による完璧性を非難す
るあまり、彼は『リンデスファーン福音書』や『ケルズの書』にみられる神業
のような精巧さには目をつむってしまうこととなったとされているciv。かつて
師であったラスキンが目を塞ぐこととなった中世美術の装飾こそバーン=ジョ
ーンズの『いばら姫』で見られる人物と茨が一体化した装飾空間である。ラス
キンやモリスの憧れた中世世界とはゴシック期の時代にあたるものであるが、
バーン=ジョーンズは中世という時代そのものに憧れを抱いていたようにみえ
る。彼はラスキンやモリスのようにその憧れを行為において実現化させようと
はしなかったために、彼の思い描いた中世世界には具体性が欠ける。しかし中
世という時代を嘗て存在したよりよき世界として夢みるなかで、彼の観念的な
美の空間が描きだされているようでもある。
『ピグマリオンと彫像』においては、
ギリシャ神話というヴェールを纏った中世の騎士道愛が通奏低音のように流れ
ていたが、観者に対してその中世世界を読み込ませようとする意図が画家にあ
ったかは憶測でしかない。しかし彼が絵画によって夢の世界を表そうとしたこ
とにおいて、
『ピグマリオンと彫像』は現実空間を思わせることはなく、ギリシ
ャ神話であるかのような曖昧模糊とした幻想的な世界を観者は否応なしに経験
させられるであろう。
31
註
Georgiana Burne-Jones, Memorials of Edward Burne-Jones, in two vols.
(London, Macmillan, 1904). 本稿では、バーン=ジョーンズの伝記について、
ジョージアナによるものを第一資料として使用せず、主にフィッツジェラルド
によるものとマーティン・ハリソンとビル・ウォーターズ共筆の著書を使用し
た。
ii 白石和也「バーン=ジョーンズ,夢を求めた世紀末のイラストレーター」(『九
州産業大学芸術学部研究報告 26 巻』九州産業大学芸術学部、1995 年)、
pp.70-80。
以下の白石による論文はすべて同大学研究報告において随時、掲載されたもの。
「バーン=ジョーンズの芸術と生い立ち」(27 巻、1996 年)、pp.90-106。
「バー
ン=ジョーンズの学生時代と交友」(28 巻、1997 年)、pp.105-119。
「バーン=
ジョーンズの大学時代(モリスとの友情)」(29 巻、1998 年)、pp.97-114。
「バー
ン=ジョーンズ:画家としての出発」(30 巻、1999 年)、pp.101-115。
「バーン
=ジョーンズ:ラファエル前派と修行時代」(31 巻、2000 年)、pp.85-101。
「バ
ーン=ジョーンズ:装飾デザインとレッド・ハウス」(32 巻、2001 年)、pp.91-103。
「バーン=ジョーンズ:モリス商会のための初期のデザイン」(33 巻、2002 年)、
pp.91-105。
「バーン=ジョーンズ:モリス商会の仕事と唯美主義運動」(34 巻、
2003 年)、pp.73-89。
iii バーン=ジョーンズが大学時代にトマス・マロリーの『アーサー王の死』を
耽読し終生、そこに描かれた中世の騎士道に憧憬を抱いていたことについては、
次の 2 つの著書を参照。Penelope Fitzgerald, Edward Burne-Jones (1975,
Reprint, Gloucestershire, Sutton Publishing, 2003), pp.12-32. マーティン・ハ
リソン、ビル・ウォーターズ著、川端康雄訳『バーン=ジョーンズの芸術』(晶
文社、1997 年)、pp.29-52(原著:Martin Harrison and Bill Waters, Burne-Jones ,
London, Barrie and Jenkins, 1978, pp.9-32. )。
iv 19 世紀のドイツ建築家、ゴットフリート・ゼムパー(Gottfried Semper
1803-79)の建築思想について、ヘンリー・コールとの関係と両者の携わったロ
ンドン万博から研究された次の論文を参照。川向正人「ゴットフリート・ゼム
パーの『科学・産業・芸術』に関する研究」(『日本建築学会計画論文集 583 号』
日本建築学会、2004 年)、pp.165-172。
i
32
藪亨「ウィリアム・モリスと美術産業」(『立命館産業社会論集第 33 巻第 2
号通巻 93 号』立命館大学産業社会学会、1997 年)、 p.152。
vi Ibid, p.154。
vii 1864 年に設立された The Working Men’s College に当初バーン=ジョーンズ
は通っている。そこはラスキンの思想に感化された設立されたものであり、工
芸家(craftsman)の技術の向上が意図されまた労働者にも質のよい教育を受けさ
せようとするものであった。ラスキンとロセッティはここで教鞭をとっていた。
Penelope Fitzgerald, Edward Burne-Jones, pp.33-35。
viii ロセッティに出会った 1856 年に最初の作品である”The Waxen Image”はペン
とインクで素描がされた。また師のロセッティが水彩を好んでいたこともある
が、テレビン油がバーン=ジョーンズの体には合わなかったため、彼は油絵に
よる制作は控えていた。 Penelope Fitzgerald, Edward Burne-Jones, p.42。
v
ix
想像力にまかせた構図とは次のように記述されている (原文のまま記載)。
“Design was not only the measure of the artist’s invention, but the evidence of
now far the hand had followed the soul.”
Penelope Fitzgerald, Edward
Burne-Jones, p.41。また次の著書では、バーン=ジョーンズがロセッティのアトリ
エで指導を受けるだけでなく、他 2 つの塾へ通うほどの熱の入れようであったこと
が記されている。この画塾でバーン=ジョーンズは、ロセッティの教えにはない素
描や人物画の訓練を受けたとある。マーティン・ハリソン、ビル・ウォーターズ著、
川端康雄訳『バーン=ジョーンズの芸術』、p.54(原著、pp24-25)。
Penelope Fitzgerald, Edward Burne-Jones, p.42.
バーン=ジョーンズとロセッティはペンとインクでの素描だけでなく、水彩
画の表面をこする技法(The scraping)も共有しており、バーン=ジョーンズの初
期の作品で衣装箪笥へのデザインは、横から横へ反復される形態や正面観の人
物像によって作り出される平面性がロセッティのデザインと類似していると指
摘がある。マーティン・ハリソン、ビル・ウォーターズ著、川端康雄訳『バー
ン=ジョーンズの芸術』
、p.62(原著、p.28)。
x
xi
xii
川端と磯谷による論文では、バーン=ジョーンズの庇護者であったラスキンの影
響について、両者のイタリア旅行に着眼し、その旅行でバーン=ジョーンズが行っ
た模写のすべてのリストが挙げられている。川端康雄、磯谷麗子共著「バーン=ジ
ョーンズ,ラスキンとイタリアへ」(『社会情報論叢第 5 号』十文字学園女子大学社
会情報学部、2001 年)、 pp.129-196。
xiii
マーティン・ハリソン、ビル・ウォーターズ著、川端康雄訳『バーン=ジョ
ーンズの芸術』
、pp.172-176(原著、pp.94-95)。
xiv Penelope Fitzgerald, Edward Burne-Jones, pp.132-135.
xv
ラスキンがミケランジェロの人物像を嫌ったにも関らず、バーン=ジョーンズが
裸体の習作を行ったことについては次のようにある。 “For the naked male figures
he used, in defiance of Ruskin, the studies he had made of the Michelangelo
33
Captives.” Penelope Fitzgerald, Edward Burne-Jones, p.137. またラスキンがオ
ックスフォードでの講演においてラファエロ、ミケランジェロ、ティッチアーノの
名前を挙げ、これらの画家における過ちについて述べたことについては次の著作を
参照。マーティン・ハリソン、ビル・ウォーターズ著、川端康雄訳『バーン=ジョ
ーンズの芸術』
、pp.186-190(原著、p.104)。
xvi
川端康雄、磯谷麗子共著「バーン=ジョーンズ,ラスキンとイタリアへ」、
pp.153-159。
xvii Liana de Girolami Cheney, “Burne-Jones: Mannerist in an Age of
Modernism,” Pre-Raphaelite Art in Its European Contest (Susan P. Casteras
and Alicia Craig Faxon, London, Associate University Press,1995)
pp103-116.
xviii
マーティン・ハリソン、ビル・ウォーターズ著、川端康雄訳『バーン=ジョー
ンズの芸術』
、p.222(原著、p.124)。また 1877 年には aestheticism という新たな言
葉が生まれこの年にグローヴナー・ギャラリーが開かれる。唯美主義の発達とその
評価をめぐってはこのグローヴナー・ギャラリーの創設が深く関っていることにつ
いては Bullen による論文を参照。 J. B. Bullen, The Pre-Raphaelite Body: Fear
and Desire in Painting, Poetry, and Criticism (Oxford, Oxford University Press,
2005), pp.149-216.
xix
1878 年第 2 回グローヴナー・ギャラリーでのバーン=ジョーンズによる出展作
品 リ ス ト は 次 の も の を 参 照 。 Christopher Newall, The Grosvenor Gallery
Exhibitions: Change and continuity in the Victorian art world (1995, Cambridge,
Cambridge UP, 2004) p.57.
xx
邦題は『バーン=ジョーンズの芸術』の訳者である川端康雄によるものを使
用。
xxi
『地上楽園』は 1868 年から 1870 年にかけて出版されたウィリアム・モリスに
よる詩集。関川とコーリン・フランクリンによるとケルムスコット刊本として出版
されるのは 1896 年から 1897 年にかけてであり、全 8 巻からなる。関川左木夫、
コーリン・フランクリン共著『ケルムスコット・プレス図録』(雄松堂書店、1982
年)、pp.154-162。
『地上楽園』の内容は次の通り。中世の冒険者達がペストのは
びこる北国を船出して西海に出、永生不死の島、地上楽園を探すもその地に達する
ことなくある島に着く。その島の住人はギリシャの遠孫たちであった。彼らと中世
の冒険家達は月に 2 度相会し、それぞれギリシャ神話と北欧神話を交互に語る。こ
の語りの場が 12 ヶ月に及び合計 24 の物語が出来上がる。
『ピグマリオンと彫像』
34
は 8 月の詩であり、これと対になったものは『デンマークのオーヂャ』”Ogier the
Dane”。
『地上楽園』は 1926 年(大正 15 年)に矢口達により一部(12 月、1 月、2 月の
詩)の邦訳(ヰリアム・モリス著、矢口達譯『地上樂園』國際文獻刊行曾、大正 15 年)
が刊行されただけである。
xxii
マーティン・ハリソン、ビル・ウォーターズ共著『バーン=ジョーンズの芸
術』
、pp.150-154(原著、pp.80-84)。
xxiii Ibid, p.148(原著、p.79)。
xxiv
アリス・チャンドラーによると、ラスキンは父権主義的な政府が社会を統制し、
また富も分配する中で労働者がその労働に対して歓びを感じながら暮らす社会を訴
えた。ラスキンが中世建築を称えたのは、手仕事によるところだけではなく、神に
よって創造されたことに歓びを持つ謙虚な人間が、自然を享受しながら労働に励む
中でゴシック建築が生み出されたものと考えたからである。このラスキンの思想を
継ぐモリスも、当時の労働者の人工化する労働環境や労働に対して嫌悪感しか抱け
ない環境を改善すべく、中世世界におけるギルドを再び設立しようとしたのである。
アリス・チャンドラー著、高宮利行他訳『中世を夢みた人々-イギリス中世主義の
系譜-』(高宮利行監訳、慶應義塾大学高宮研究会訳、研究社出版、1994 年)、
pp.279-349。
xxv
ここの文脈でのリアリティとはカール・ケレーニイの論に沿い、宗教的観念と
してのリアリティ(神の姿のリアリティ)である。ケレーニイによれば、このリアリ
ティは思考という様式に基づくのではなく、その様式が妥当であると感じうること
のできる事実に基づいたものであると定義されている(妥当であると感じうれる事
実は、神の姿においてはそのヴィジョンとなる)。このような世界の真の事実を見る
ことができ、そして語ることができるという確信の基、宗教的観念のリアリティは
存在する。カール・ケレーニイ著、高橋英夫訳『神話と古代宗教』(新潮社、1972
年)、pp.95。
xxvi
越宏一『ヨーロッパ中世美術講義』(岩波書店、2001 年)、pp.3-8。
越はその著書において中世美術を古代末期=初期キリスト教美術の終わる
600 年頃から国際ゴシック様式の最盛期(1400 年頃)までの期間にかけてと非常
に大きく括っている。そのため着衣と衣紋の関係を述べるにあたっては、中世
におけるどの時代の美術を指しているかについて具体的に作品を挙げることに
する。ここでは『リンデスファーン福音書』(698 年制作)が例に挙げ述べられて
いる。Ibid, p.86. 『リンデスファーン福音書』は北海を臨むノーサンブリア地
方の修道院で制作され、ケルトの装飾感覚と地中海地方の空間表現が融合した
絵画空間が開かれている。なかでも「マタイ像」は『コデックス・アミアティヌ
xxvii
35
ス』の「エズラ像」を模倣したものであることには間違いがないとされている。
鶴岡真弓著「ケルト美術とアングロ=サクソンの美術」(辻佐保子他編『世界美
術大全集 第 7 巻―西欧初期中世の美術―』小学館、1997 年)、pp.217-230。
Ibid., p.95-100. ドレイパリーが自律的な装飾へと変化していく過程について
xxviii
は、1050 年頃に制作された『ティベリウス詩篇』における身体と着衣の関係を取り
上げ論じられている。この写本に見られる着衣と身体の関係において、ビザンティ
ンの人物描写の影響を受け入れると、ドレイパリーのモデリングによる図式化され
た身体構造が見られるようになる。図式化された身体構造については『ウィンチェ
スター詩篇』によって例証されている。
『ウィンチェスター詩篇』でのビザンティン
の影響は身体構造だけでなく図像においても見られるが、人物の劇的な表情の描写
はこの写本の特徴である。C.R.Dodwell, The Pictorial Arts of the West 800-1200
(London, Yale University Press Pelican History of Art, 1993), pp.359-363.
xxix
カール・ケレーニイ著、高橋英夫訳『神話と古代宗教』
、pp.80-81.
Ibid., p.82.
Ibid., pp.82-85.
xxxii Ibid., p.95.
xxxiii ケネス・クラーク著、高階秀爾・佐々木英也共訳『ザ・ヌード
‐裸体芸
術論・理想的形態の研究‐』(1971 年初版、美術出版社、1980 年 7 版)
xxx
xxxi
xxxiv
神話「ピグマリオン」については次のものを参照。 オウィディウス著、中村
善也訳『変身物語(下)』(1984 年、岩波書店、2001 年)、pp.73-77。
xxxv
ケネス・クラーク著『ザ・ヌード』
、p.36。
xxxvi
E・パノフスキー著、中森義宗、野田保之、佐藤三郎訳『イデア』(思索社、昭
和 57 年)、pp.20-26。
xxxvii
Ibid., p.15.
xxxviii
Ibid., pp.12-14.
Ibid., p.13. ここではメランヒトンによるイデアの本質についての概念が、
どこでプラトンの概念と一線を画しているかが述べられている。メランヒトン
との比較によってプラトンによるイデアが明確に示されている。
xxxix
xl
Ibid., p.25.
xli
Ibid., p.25.
xlii
アリストテレス著、出隆訳『形而上学(上)』(岩波書店、2002 年)、p.246。
Ibid., p.253.
xliv ケネス・クラーク著『ザ・ヌード』
、p.17。
xlv Ibid., p.17.
xlvi Ibid., p.17
xlvii Ibid., p.17.
xlviii 裸体像の典型については後述するが、ケネス・クラークはこれを「植物的
xliii
36
ヴィーナス」と「結晶的ヴィーナス」と名称付けている。ケネス・クラーク著
『ザ・ヌード』
、pp.99-100。
xlix
ガラテア(Galatea)は「乳を与える女神」でありアフロディテの添え名である。彫
刻家ピグマリオンが婚姻を結ぶに至る生命を与えられた大理石の像とはこの女神の
ことである。女神ガラテアについては次の著書を参照。バーバラ・ウォーカー著、
山下主一郎他訳『神話・伝承事典 -失われた女神たちの復権-』(大修館書店、1998
年)、pp.265-266。
l
田中正之は古代彫刻の『眠れるアリアドネ』(ヴァチカン美術館所蔵)での「腕を頭
の上にまわして横たわる姿勢」が性的刺激を喚起させる姿勢へと読み換えられる過
程において、このポーズの意味する「眠り」という行為に性的欲望が含意されてい
ることを指摘している。田中正之著「アリアドネ・ポーズとウォルプタス」(『西洋
美術研究 No.5』三元社、2001 年)、pp.103-123。
li
オウィディウス著、中村善也訳『変身物語(下)』
、p.74。
lii
『クニドスのヴィーナス』は B.C.350 年頃にプラクシテレスによって制作された
彫刻である。
liii
liv
lv
ケネス・クラーク著『ザ・ヌード』
、p.99。
Ibid., pp.99-100.
Ibid., pp.99-100.
lvi
ここでのエロースは神としてのエロースを指しているのではなく、讃美すべきエ
ロースの本質について焦点をあてている。簡略すると鈴木照雄はエロースについて
「がんらい欲求(恋)である」と述べている。エロース讃美 におけるエロースの質に
ついては鈴木照雄による「
『饗宴』解説」を参照。プラトン著、鈴木照雄、藤沢令夫
訳『饗宴・パイドロス』(岩波書店、1974 年)、pp.273-294。
lvii
プラトン著、鈴木照雄訳『饗宴』(『饗宴・パイドロス』岩波書店、1979 年)、
p.29。
lviii
括弧書きで書かれた日本語による形容詞は鈴木照雄による訳註から借用。
Ibid, p.27。
lix Ibid., p29.
lx Ibid., p29.
lxi
lxii
ケネス・クラーク著『ザ・ヌード』
、pp99-100。
2 つの種類のアプロディテに属するエロースの本質について考察すると、まず 1
つとして、身体次元での不死を求め、種族の永続に関わる出産へと導く低次元のエ
ロースがあり、これが「植物的ヴィーナス」と符合するであろう。エロースの本質
37
については次の箇所を参照。鈴木照雄著「『饗宴』解説」
、pp.287-288。
Ibid, pp.287-288.死すべき運命にある人間の性を超えて普遍的、神的なもの
と一体化しようと求める高次元のエロースがあり、これが「結晶的ヴィーナス」
と符合する。この 2 つのエロース(欲求)が裸体像として形象化される時に、どの
ようその欲求が現れるかを本文で示した。
lxiii
lxiv
アプロディテ(Aphrodite)は、愛の女神としてギリシャでは認知されているが、
処女‐母親‐老婆という三相一体の女神であった。アプロディテはギリシャでの呼
び名。シリアではアシュラ(Asherah)、アスタルテ(Astarte)という。ベネティ人の
生みの親であるヴィーナスという呼び名になると、ヴィーナスにちなんでベネティ
人の都をベネチアと呼ぶようになる。アプロディテ崇拝の主要な中心地は、
「ピグマ
リオン」の舞台でもあるキプロス島のパポスである。バーバラ・ウォーカー著『神
話・伝承事典 -失われた女神たちの復権-』、pp.37-38。
lxv
ケネス・クラーク著『ザ・ヌード』
、pp.104-108。
ペイターの著書『ルネサンス』(The Renaissance )は 1873 年に初版である
Studies in the History of the Renaissance がその後に改題され出版されたも
のである。この著書に収められた「結論」(“Conclusion”)により、ペイターを英
国唯美主義における先駆者と位置づけたものであるが、本文では唯美主義の資
料として扱わず、ボッティチェルリに関わる資料としてこの書物を扱った。邦
訳は、ウォルター・ペイター著、別宮貞徳訳『ルネサンス』(富山書房、昭和 52
年)を使用。原著は、Walter Pater, The Renaissance: Studies in Art and Poetry,
(Oxford, Basil Blackwell,1973)を参照。
lxvii Ibid., p.62(原著、p.53)。またペイターにとっての自然主義者たちは、ジョ
ットを始めとしたボッティチェルリと同時代の画家であるマザッチョやギルラ
ンダイヨである。ボッティチェルリの外界の事物に対する鋭敏な感覚を自然主
義者の素質そして認めている。ウォルター・ペイター著『ルネサンス』、p.62(原
著、p.53)。
lxviii Ibid., p.62(原著、p.53)。ペイターはボッティチェルリを夢想的な画家(a
visionary painter)として捉えている。その一方でジョットたちは、外界の事物
を描き出すだけで彼らの眼前の行為に対して冷静な観察者であると述べている。
lxix Ibid., p64(原著、p55)。 またペイターはボッティチェルリの人物像に見られ
る特異な性質を述べるにあたり、ダンテの『神曲』における人物描写と比較し
ている。ペイターはダンテの人物描写について、人間の行動を煉獄、天国、地
獄という 3 つの単純な形式に収めてしまい、散文における溶解することのない
元素(an insoluble element of prose)を詩の深みの中に残していると述べ、この
ようなダンテの紋切り型の正統派的信念(the conventional orthodoxy)をボッ
ティチェルリが受け入れないところに人物の特異性があると論じている。ウォ
ルター・ペイター著『ルネサンス』
、p.63。このことについて原著では次のよう
に書かれている。”But he is far enough from accepting the conventional
orthodoxy of Dante which, referring all human action to the simple formula
of purgatory, heaven and hell, leaves an insoluble element of prose in the
depths of Dante’s poetry.”Walter Pater, The Renaissance, p.54..
lxvi
38
Ibid., p.64(原著、p. 55)。 ここで述べられているボッティチェルリの受け入
れた中道世界(middle world)もダンテとの比較において論じられている。ペイタ
ーによるとボッティチェルリの中道世界とはダンテにして天国とも地獄とも値
しないとして軽蔑したところのものであることが示されている。原著では次の
通り。”So just what Dante scorns as unworthy alike of heaven and hell,
Botticelli accepts, that middle world in which men take no side in great
conflict, and decide no great causes, and make great refusals.” Walter Pater,
The Renaissance, p.55.
lxxi ここでの視線とは男性から向けられるものであり、その視線で捉えられた女
性は男性の視覚的イメージとしての対象であるこが前提となる。つまり男性の
視線によって所有を意味する対象としての女性である。グリゼルダ・ポロック
はロセッティの描いた女性を視線の所有者である男性によって作られた「記号
としての女」であると述べている。この場合「記号としての女」の所記は「女」
を示すことはなく、ヴィクトリア朝時代の都市ブルジョワジーによる階級支配
の意識によって構成された女性性が示されるとある。グリゼルダ・ポロック著、
萩原弘子訳『視線と差異 -フェミニズムで読む美術史-』(新水社、1998 年)、
pp.149-249。
lxxii Ibid., p.62(原著、p.56)。 ペイターは、ボッティチェルリの絵画上の人物が
この「大いなるものの影のため絶えず悲しみに鎖されている」ということを更
に続けて述べている。
lxxiii Ibid., p.68( 原著、p.59)。 ボッティチェルリの描いたヴィーナスの形態や
その主題の根底に宿る画家の感情において、ここでもペイターは悲しみという
ものを指摘している。
lxxiv ルージュモンは、エロースについて人間をして超越的である「全者」へと
導くものであるため、性的人間であるが故の欲望は完全に昇華はされるものの、
しかし最終的には己の肉体、生の否定へと向かわざるを得ないと述べている。
生の否定によって初めて神的なものへと辿り着くことができるということであ
る。彼は肉体として存在する世界を「夜」とし、超越的な世界を「昼」として
表現している。彼によれば、エロースにおいてはこの「昼」と「夜」は決して
交わることはないとされる。一方でキリストがイエスにおいて「肉化」するこ
とは、
「昼」の世界が「夜」の世界に入りこむことであり、ここにおいて初めて
人間は自己の死を現世で経験し、更に聖霊において生に向かって回帰すること
が可能となると書かれている。神の肉化とそれに続く自我の放棄から現れる隣
人愛は現世においてこそ可能であるということである。己の本当の生とは、神
の愛を認め、それに従うという「行為」において存在するものであるため、神
の愛を認めない自立した人間の行為において罪が現れるというものである。ド
ニ・ド・ルージュモン著、鈴木健郎・川村克巳訳『愛について』(岩波書店、昭
和 35 年)、pp.74‐93。
lxxv ヘーゲルは象徴を一種の記号であると定義し、
その記号にける意味と形態の
結びつきは偶然的なものではないと唱えた。それは形態として現れたものに、
ある意味内容が含まれているならば、その形態においては既にその意味が存在
しているということである。つまり象徴としての記号は随意的なものではなく
記号として表示するものの中に、既に表象されるべき内容が含まれているとい
うことである。ヘーゲル著、竹内敏雄訳『美学 第二巻の上』
(岩波書店、1995
年)
、pp.838-840。
lxxvi ここで筆者の述べる「形骸化した記号」とは、形態と意味内容が最終的に
lxx
39
一義的な意味内容へと帰結することなく、記号、象徴における最終的な意味内
容が欠如したものを意味する。浅沼圭司によって述べられた「象徴化した記号」
と同じ意味合いとして使用した。浅沼圭司著『象徴と記号 ―芸術の近代と現
代―』
(勁草書房、1982 年)
、pp.149-154。
lxxvii 白石は造形における形式とは、観念を一般化することなく個人の「直接感
覚経験」から取り出されたものによってつくられた抽象概念であり、現実空間
ではなく虚の空間が抽象化され記号化されたものであると述べている。ここで
の記号とは点や形、色彩や質感などの関連性から現れる幻影の空間を指してい
る。造形において記号という幻影の空間を示すためには、現実での物理的現象
ではなく心理的現象を表す必要性があると述べられている。白石和也著「バー
ン=ジョーンズ,夢を求めた世紀末のイラストレータ」、pp.73-74。
lxxviii 浅沼の著書では「テクスト(texte, textus)とは、その原義がしめすように、
......
明らかに記号の戯れによって織りなされたものにほかならず、ある意味では記
号の具体的な機能態である。
」とさている。浅沼圭司著『象徴と記号―芸術の近
代と現代―』
、p.154。さらにテクスト生成はその前提的条件である「意味され
るもの」が存在せず、テクストはテクストのみによってしか行われないとされ
ている。恣意的に切りとられた既存のテクストの結合は、
「本文というテクスト」
を「引用」することによってしか形成されることのない「新たなコンテクスト」
でしかないともある。Ibid., pp.156-158.
lxxix Ibid.,pp.161-166.
lxxx オウィディウス著、中村善也訳『変身物語
下』、pp.75-76。
lxxxi アプロディテは、息子・クロノスによって切り落とされたおおいなる天・
ウラノスの男根が海に落ち、その周りの白い泡から乙女の姿で誕生したとされ
る。藤繩謙三著『ギリシャ神話の世界館』新潮選書(新潮社、昭和 56 年)、p.41。
lxxxii ギリシャでは鳩は神の出現であるが、アプロディテとの連想から好色な面
を持つ神としてみることができる。Mircea Eliade ed, The Encyclopedia of
Religion Vol.2 (New York, Macmillan Publishinhg Company, 1987)p.225.
lxxxiii Robert G. Calkins, Illuminated Books of the Middle Ages,(New York,
Cornell University Press, 1986), pp.33-62.
lxxxiv バーナード・ミーハン著、鶴岡真弓訳『ケルズの書』(創元社、2002 年)、
p.41。
lxxxv 白石は聖書やギリシャ、北方の神話を主題とした絵画であっても、そこに
はバーン=ジョーンズの私的な白昼夢や理想の地が表されているため、主題の
原典を思い起こすことが難しく、このためイラストレータとしての充分な素質
を備えていないと指摘している。しかし空想から引き出したかのような絵画空
間にこそ、バーン=ジョーンズ特有の美の観念
的世界を見ることができるとある。白石和也著「バーン=ジョーンズ,夢を求
めた世紀末のイラストレータ」、p.76。
lxxxvi グリゼルダ・ポロック著、萩原弘子訳『視線と差異』
、p.218。
lxxxvii Henry James, ”The Grosvenor Gallery, 1878,”The Painter’s Eye: Notes
and Essays on the Pictorial Arts (London, The university of Wisconsin Press,
1989),pp.163-164.
lxxxviii ドニ・ド・ルージュモン著、笠原順路他訳「愛
-原型としてのトリスタ
ンとイズ-」
(
『愛のメタモルフォーズ』、平凡社、1987 年)、p.76。
lxxxix Ibid., p.76.
xc ドニ・ド・ルージュモン著、笠原順路他訳「愛
-原型としてのトリスタン
40
とイズ--」
、p.76。
xci スタイナーは 19 世紀を作り上げた要素として経済や産業の進歩を挙げなが
ら、この時代に特有な要素として倦怠感を取り上げている。ジョージ・スタイ
ナー著、桂田重利訳『青ひげの城にて -文化の再定義への覚書-』
(みすず書
房、2000 年)
、p.22。
xcii ルージュモンは女性原理である魂というものを非理性的な力として捉え、そ
れが解放されると集団的ノイローゼや無政府主義的熱狂や犯罪行為の伝染など
理性で抑えられなかったところの混乱状態が起こることが述べられている。ド
ニ・ド・ルージュモン著、笠原順路他訳「愛 -原型としてのトリスタンとイ
ズ――」
、pp.77-79。
xciii Ibid., p.79.
xciv ホイジンガは死をも覚悟した英雄行為としての騎士道愛について『中世の
秋』のなかで述べているが、彼はバーン=ジョーンズの描いた男性像において
騎士道愛が見られることを述べた箇所がある。以下に抜粋するが、ホイジンガ
は「バーン・ジョーンズのあの有名な絵」としか述べていないのでその絵画を
特定することはできない。しかし文脈から察するに聖ジョージの神話を主題と
した連作絵画であることが推測できる。ヨハン・ホイジンガ著、堀越孝一訳『中
世の秋 Ⅰ』(中央公論新社、2001 年)、p.173。
いずれにせよ、かくて、ここに、他にぬきんでて姿をあらわしたのが、
処女を救う若き英雄という騎士道愛欲の主題であった。わなをしかけるも
のが、なんとも邪気のない竜であるというような場合でも、つねに性的契
機が、直接、その作用を及ぼしている。バーン・ジョーンズのあの有名な
絵はなんという素朴さ、なんという率直さのうちに、このことを語りかけ
ていることだろう。近代ふうに、貴婦人の姿にえがかれた処女は、描写が
清純なだけに、かえって、官能の霊気を、直接、肌に感じさせずにはおか
ないのである。
xcv 恋愛における情熱が禁欲精神であることは既にルージュモンによって指摘
されていることである。ルージュモン著、鈴木健郎・川村克巳訳『愛について』、
p.66。
xcvi アイルランドの写本における人物像とその背景によって生み出される装飾
的な空間についてはアンリ・フォションによる著書を参照。アンリ・フォショ
ン著、辻佐保子訳『ロマネスク彫刻-形体の歴史を求めて-』(三陽社、昭和 60
年)、pp.106‐115。
xcvii “I mean by a picture, a beautiful romantic dream of something that
never was, never will be — in a light better than any light that ever shone —
in a land no one can define or remember, only desire.” Liana de Cheney,
“Burne-Jones: Mannerist in an Age
of Modernism,” p.104. 筆者はこの
箇所を Cheney の論文から引用したが、Cheney の論文では David Cecil の著書
から引用されている。 Cheney の註によればこれはバーン=ジョーンズからモ
リスに宛てられた手紙のなかで述べられたものである。David Cecil, Visionary
and Dreamer: Two Poetic Painter, Samuel Palmer and Edward Burne-Jones
(Princeton, Princeton University Press, 1969),p.143.
xcviii 島海久義著『ラファエル前派と世紀末』(評論社、1993 年)、p.183。
xcix 松本達郎著「離卿の画家
バーン=ジョーンズ」(『獨協大学英語研究第 22
号』獨協大学学術研究会、1983 年)、pp.163‐179。松本はバーン=ジョーンズ
の絵画は官能性が全く断ち切られた次元にあるものであると述べ、そこでは
41
「『美』と『美』が見つめ合う」と記されている。(p.172)
c チャンドラーはモリスの詩における肉体的な暴虐性を指摘しそこには美だけ
ではなく、力に対する憧れがあると述べている。アリス・チャンドラー著、高
宮利行他訳『中世を夢見た人々-イギリス中世主義の系譜―』、p.323。
ci Ibid.,p18.
cii “Following Morris’s lead, Burne-Jones also evoked in his painting a
medieval atmosphere, associated with courtly love rather than with classical
legend. ”Liana de Girolami Cheney,
“Burne- Jones: Mannerist in an Age of
Modernism,”p.104..
ciii E・H・ゴンブリッチ著、白石和也訳『装飾芸術論』(岩崎美術社、1989 年)、
pp.92‐106。
civ Ibid., p.100.
42
図版一覧
図 1~4
http://www.victorianweb.org/painting/bj/paintings/hikim7.html
図5
http://www.artmagick.com/pictures/picture.aspx?id=6039&name=saintgeorge-and-the-dragon
図6
http://www.wga.hu/index1.html
図7
http://en.wikipedia.org/wiki/Aphrodite_of_Cnidus
図 8~10
http://www.victorianweb.org/painting/bj/paintings/hikim7.html
図 11
http://www.fionasplace.net/AnIrishPatchwork/TheBookofDurrow.html
図 12
http://www.snake.net/people/paul/kells/image/4evangelists/large
図 13
http://www.musee-orsay.fr/fr/collections/oeuvres-commentees/arts-graphiques/
commentaire_id/lapparition-9809.html
図 14
http://www.abcgallery.com/B/burne-jones/burnejones37.html
図 15
http://employees.oneonta.edu/farberas/ARTH/ARTH212/book_of_kells.html
43
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「バーン=ジョーンズ:装飾デザインとレッド・ハウス」
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