郷土の古文書 とりか わせ 「東海寺僧復飾による檀家譲渡為取替証文」 解 説 前回と同様、神仏混淆廃止に伴う市内の状況を物語る古文書を取り上げてみました。 ここに出てくる東海寺は真言宗大悲願寺(横沢)の末寺で、その創建は古く弘安二年(1279)代継縫之助の開基と伝えら れています。本尊は不動明王で、村内の鎮守神明宮、白滝大神、山神、風神の別当をしており、檀家はわずか七軒の小寺で した。 神仏混淆廃止により、東海寺の本尊不動明王は白滝神社に合祀されました。そして、住職法印宥舜は復飾(僧籍にあった げんぞく 者が俗籍にもどること。還俗)し、同時に代継左近と改名し神主になりました。江戸幕府の庇護のもと数百年権勢を振るっ てきた寺にとって、神道のまき返しは大変な恐怖だったようです。有名な寺院も含め、全国的に大勢の僧侶が還俗しました。 当然の事ながら左近も神道自葬祭を願い出て許可されたのですが、左近は急に神主になったため新しい神葬祭のやり方が わからなかったようです。神主と檀家でよく話し合った上、隣寺の臨済宗真城寺へ檀家を譲ることになりました。それにつ ( 碑 カ ) いて過去帳、位牌、石牌共送り、金子五両を受け取りました。この証文では東海寺が再び寺として復帰した時には、取り交 わした一札と趣意金五両共お戻し致す事、その時もとの檀家は戻してもらいたいと約束させていますが、東海寺はその後復 帰する事はなく廃寺となったのでした。 郎 近 ㊞ ㊞ 次 兵 郎 衛 ㊞ ㊞ 常 善 せ わ 人 同 組 同 同 同 同 同 頭 徳 愛 竹 五 与 利 三 次 兵 三 右 衛 蔵 郎 郎 衛 郎 門 ㊞ ㊞ ㊞ ㊞ ㊞ ㊞ 為 後 証 連 印 ニ 立 帰 り 候 節 者 右 為 然 ル 上 者 永 代 仏 葬 御 執 行 可 被 成 候 尤 後 日 ニ 趣 意 過 去 与と 帳 し 并 て 銘 金 々 子 位 五 牌 両 石 御 牌碑 遺 共カ し 差 被 送 遊 申 慥 候 ニ 処 受 右 納 仕 候 ) 次 上 分 せ わ 人 佐 并 趣 意 金 共 急 度 御 戻 し 可 申 候 若 哉 万 一 東 海 寺 々 号 ( う ち せ わ 七 左 人 七 ニ 元 担 方 御 差 戻 し 可 被 成 候 取 替 一 札 ) 百 姓 代 其 時 ( 為 取 替 一 札 仍 而 如 当 件 村 右 神 鎮 担 主 守 方 代 佐 継 兵 左 衛 近 ㊞ ㊞ 明 治 三 午 年 正 月 御 譲 度 趣 申 上 候 処 其 段 御 承 知 被 成 候 就 而 者 新 法 之 事 故 双 方 孰 談 納 得 之 上 貴 寺 様 江 自 葬 祭 願 御 聞 済 ニ 相 成 候 得 共 執 行 之 儀 被 仰 出 候 ニ 付 無 拠 復 飾 仕 候 右 担 方 神 道 今 般 王 政 御 一 新 神 仏 混 淆 御 廃 止 解 読 文 為 取 替 議 定 一 札 之 事 同 真 村 城 寺 様 名 組 主 同 同 同 同 同 同 頭 庄 太 郎 次 右 郎 衛 門 ㊞ ㊞ 儀 安 長 次 勘 源 兵 右 五 右 次 太 衛 衛 衛 門 郎 郎 郎 門 ㊞ ㊞ ㊞ ㊞
© Copyright 2024 Paperzz