技術と経済 2009.10 ♣書評 暴走するセキュリティ 評者 大谷 卓史 日本の犯罪は件数が増加しただけでなく、 凶悪化した−−こう叫ぶ声は大きい。しかし、 本当に「安全神話」は崩壊したのか?むしろ メディアが不安を煽り、社会が非寛容になっ たがゆえに「体感不安」が増大したのではな いか?本書の著者はこう問いかける。 2007 年暮れ、ニューヨーク市で発生した年 間の殺人者数が、記録を取り始めて以来、同 年もっとも低くなる見通しと報じられた。記 事が配信された時点で、認知された殺人件数 は 484 件。一方、 「安全神話」が崩壊したとさ れる同じ年の日本全国での殺人事件数は、476 件。劇的に治安が改善したニューヨーク市と 比較しても、人口 1 億を超える日本全国の殺 人事件数が低い事実は、 結局日本が「安全大国」 である証左ではないか。これは、本書の「ま えがき」で示されたエピソードだ。 一方、凶悪な少年犯罪の件数も戦後一貫し て低下し続けているという。強盗件数が増え て見えるのは、軽微な恐喝なども強盗とカウ ントされるようになったため。つまり、統計 上の錯覚だ。少年が加害者の殺人事件数に限っ て言えば、確実に減少が続いている。 1990 年代まで、世の中は、凶悪犯罪が起き ると、なんとかその容疑者・犯人を理解して、 社会に統合しようとしてきた。しかし、ある 時期から犯罪者を厳罰によって排除するとい う「セキュリティ社会」に変容したという。 これは、犯罪問題の焦点が被害者に移動して きた事実に並行していると指摘する。 もちろん日本では、犯罪被害者救済にほと んど配慮がなく、ひとたび犯罪被害者や遺族 となると悲惨な境遇に陥るのは事実である。 被害者救済のための政策や社会的な取り組み は喫緊の課題だ。とはいえ、それがなぜ厳罰 化という方向のみに暴走するのかと、著者は 問いかける。最近注目されるようになった痴 漢冤罪問題も、被害者の言い分のみで捜査や 洋泉社 2009 年 3 月 21 日初版発行 189 頁/本体価格 740 円+税 著者 芹沢 一也 裁判が進むという被害者の視点への過度な注 目が根底にはあった。 そして、セキュリティ社会化が進む中で地 域の防犯活動が盛んになるものの、地域の結 びつきそのものも回復されていないという指 摘も重要だろう。防犯パトロールの制服を着 ていれば子どもに声をかけられるものの、普 段着で子どもを心配して注意すれば、不審者 として通報されかねない。セキュリティ社会 は本当の危機に対して、確実に脆弱である。 被害者保護や犯罪予防という目的は確かに 重要だが、地域社会を分断し、犯罪者・異物 の単純な排除に向かうセキュリティ社会も住 み心地は悪いし、真に安全な社会ではない。 安全・安心を求める声に応えて技術開発が進 むが、社会の体感不安を増した原因は、犯罪 件数の増加や凶悪化でない可能性が高い。 安全・安心のための技術開発を推進する側 も、こうした社会学的・哲学的な指摘と考察 を受け止める必要があるだろう。 (おおたに たくし / 吉備国際大学 政策マネジメント学部 准教授) 59
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