2671回 2016年 2月17日発行

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2016 年 2 月 17 日発行
三原ロータリークラブ週報
事務所 / 〒723-0003
三原市中之町2丁目8番1号
創 立 / 昭和36年4月4日
例会場 / 〒723-0014
三原市城町1丁目2番1号
三原国際ホテル
TEL(0848)63-2111
例会日 / 毎週火曜日
しまなみ信用金庫中之町支店内
TEL(0848)62-1658
FAX(0848)62-1608
Email:[email protected]
URL : www.mihara-rotaty.com/
2015~2016 年度
国際ロータリーのテーマ
会 長
幹 事
SAA
会 計
藤井
勝村
金本
出雲
12:30~13:30
啓文
憲明
好男
智
副会長
副幹事
副 SAA
赤枝
田中
渡辺
2671 回
俊郎
綜―
敏
四つのテスト
言行はこれに照らしてから
1
真実かどうか
2
みんなに公平か
3
好意と友情を
深めるか
4
みんなのために
なるかどうか
-2016年 2月 9日 例 会 記 録 -
◆
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点 鐘 藤井会長
ソ ン グ 我等の生業
会 員 数 62 名 ◆ 出 席 者 54 名
欠席者
8 名 (出席規定免除 1 名)
出 席 率 88.52%
前々回訂正出席率
85.24%
ビジター 萩野清秀さん(姫路西 RC)
【幹事報告】
<配付資料>
・ロータリーの友 2 月号 ・週報 2670 回
・卓話資料 ・4 クラブ合同例会ご案内(参加会員)
<回
覧>
・IM 出欠表 日程:4 月 2 日(土) 場所:大広苑
ホストクラブ:竹原 RC
バスご利用の方:三原駅隆景広場 12:00 発
<連絡事項>
・2/9 →理事会 13:40~
・2/16→4 クラブ合同例会 2/17 に例会変更
・2/16→メークアップ受付 12:00~13:00
スマイルボックス
○
○
○
○
○
入会記念 福戸山さん
勝村(憲)さん・五藤 さん・田坂さん・中間さん
福島さん・藤井さん・吉永 さん 本日の卓話講師、
山﨑愛一郎様を歓迎いたします。
桑原さん 週報に写真が載りました。
伊達(和)さん お休みさせていただきました。
藤原(恒)さん 欠席が続きました。
於:三原国際ホテル一階ロビー
・2/17→4 クラブ合同例会に高速船ご利用の方
集合場所:三原港 集合時間:16:45
【委員会報告】
上田(隆)委員
<会員研修委員会>
・ロータリーの友 2 月号のご紹介
縦書き
P10 こども療育センターへ電動車いす寄贈(広島西 RC)
P12 中学生の救急蘇生講座 継続 20 年の協賛(浜松南 RC)
P13 インドの小学校を教育支援(名古屋東 RC)
P24 世界へのプレゼントになろう
P28 石巻復興支援 山形名物いも煮会(山形西 RC)
P33 5%の会員増強を目指して(2560 地区山本 G)
P34 “米山から広がる新しい世界
モンゴルからやって来た弟(脇町 RC 徳島県)
P40 地区別会員数
P42 2016 年度」年次大会 (三原クラブの年次大会
クラブニュース
【会長報告】
皆さん、こんにちは。立春も過ぎましたが、今日は
冷たい風が吹いております。天気予報によりますと今
週末頃から暖かくなるようです。
さて、2 月 23 日はロータリーの創立記念日です。
創立記念日の事業として、近隣クラブの親睦というこ
とで合同例会が始まりました。まず、最初に竹原クラ
ブと 1983 年に三原において開催、1985 年より瀬戸
田ロータリークラブ、1995 年より広島空港ロータリー
クラブが加わり、毎年 4 クラブで持ち回りの合同例会
を行うようになりました。今年で 34 回目を迎え、皆様
にすでにご案内しております通り、2 月 17 日に瀬戸
田ロータリークラブ主催で行われます。
この例会の主旨をご理解いただきまして、多数ご
参加いただきます様、宜しくお願いいたします。
最後に 2710 地区事務局より 2018-19 年度ガバ
ナーに尾道ロータリークラブの吉原久司氏が、決定し
たとの報告がございました。
参加は 1994 年台北 13 名、1996 年カルガリ 7 名)
横書き
P4 努力で夢をかなえる 葛西紀明
P15 友愛の広場「心と体をつくる食育」(北上西 RC)
「古池や・・・の蛙は何匹?」(新八田 RC)
P23 ロータリーアットワーク 職場例会に参加して(瀬戸北 RC)
P32 表 紙 の メ ッ セ ー ジ
1
前回のプログラム 2 月 9 日
たもので、巻21に、関ヶ原の戦い(1600)に敗れて八
蔵出し三原のお宝解説
めいじょう
う
き
た ひで いえ
丈島に流された宇 喜 多 秀 家 に関するくだりがある。要
み はらざけ
「 名 醸 三原酒」
」
約すると、ある年、福島正則が将軍家へ献上する品を
積んで江戸へ送った船が航路をはずれて八丈島の
三原市歴史民俗資料館
」
近辺を通りかかったとき、島から漕ぎ出た小船が福島
学芸員 山﨑 愛一郎 様
船のそばまで来て、「自分は宇喜多秀家である。この
酒は三原を代表する産物で、早くから「三原酒」の
船は福島氏のものと見受けた。さぞかし、将軍家献上
名で知られている。原料の米と水および気候に恵ま
用の三原酒を積んでいることであろう。ぜひ、自分にも
れ、交通の要衝にあったことが発達を促した。『万葉
一献飲ませてもらいたい」という声がしたので、秀家に
おおとものたび と
に
ふ のおおきみ
集』に、大 伴 旅人から吉備の酒を贈られた丹生 女 王
ふる ひと
たま
三原酒を贈ったというのである。正則の菩提寺岩松院
や
が詠んだ「古 人 の 飲 へしめたる 吉備の酒 病 めば (長野県小布施町)に伝わる話によると、このとき正則
ぬき す たば
すべなし 貫 簀 賜 らむ」という歌がある。江戸前期の の家臣は、積んでいた三原酒全部を秀家に贈り、三
万葉集の注釈書『万葉代匠記』によると、「吉備の酒と
原に帰ってふたたび酒を積んで江戸に赴いたという。
み はら
書きたれば、今の世にも備後の柞 原 酒など名あれ
いずれにしても、三原酒の名が高かったことが知られ
ば、昔も彼の国によき酒作りけむを」とある。室町時代
る話である。秀家が三原酒を知っていたのは小早川
の『節用集』にも「備後国(中略)五穀早熟而酒醞久」
隆景との関係からであろうが、正則が将軍家献上用に
とあり、良い米と良い気候により,古くから酒の産地と
して知られていた。元和4年(1618)、鞆に寄港した平
三原酒を使っていたことがわかる。三原酒は、浅野時
代になってからも毎年3月に将
戸のイギリス商館長のリチャード・コックスは、鞆から三
軍家献上酒として使用されて
もろ はく
原へ小船を出し、上等酒の諸 白 14樽を購入してい
いる。当初は三原の酒が使用
る。このことからすでに三原では従来のアルコール度
されたが、後には広島の三原
数の低い濁り酒ではなく、現代の酒に近い諸白(清
屋の酒が「三原酒」として献上
酒)の醸造がなされていた。正徳二年(1712)に書か
されている。
れた『和漢三才図会』には「和州の奈良、摂州の伊
丹・池田、賀州の菊川、備州の三原、皆芳醇の名を
得」とあり、この頃の三原における醸造の繁栄を物語
り、しかも天下の名醸地として五指の中に数えられた
ことは、三原酒の伝統の深さを知ることができる。
三原の酒造家として史料に初出するのは、菊屋で
ある。菊屋は播磨から三原に移り住み、畿内先進地
域の進んだ酒造技術を三原にもたらした。のちに広
島に転住して三原屋を名乗った。当時は酒造技術上
いわゆる清酒の成立期にあたり、菊屋が三原の酒造
業者に与えた功績は大であった。次に知られるのは、
すみ や
東町の角屋 と西町の川口屋である。川口屋は福島正
則に招かれて播磨から来住して、新しい技術をもたら
した。
福島正則は三原酒を愛飲しており、東西両町の酒
屋からも酒が贈られている。正則が特に好んだのは
川口屋の酒といわれ、将軍家や幕閣への献上酒とし
て三原酒を用いていた。川口屋には正則から送られ
た酒の礼状が数通残されており、正則が川中島(長
野県)に移封されてからも川口屋との交情は続いてい
『文政武鑑』(個人蔵)
たことが知られる。
かっ し
広島藩浅野家の項。将軍家献上品の中に「三原酒」が
や
三原酒の名が高かったことを物語るものに『甲 子 夜
わ
明記されている。武鑑とは,諸大名や旗本の氏名や石
ま つ ら せい ざん
話 』がある。平戸藩主松浦 静 山 が古今の逸話を集め
高などを記した書物。
2
『三原志稿』巻7によると、三原町には酒造家が多
分野に進出することで経営の安定をはかった。例え
いが川口屋助一郎家・角屋宗右衛門家のものを第一
ば享保13年(1728)、川口屋源右衛門は質蔵を建て
とするとあり、両家の酒は日光献上酒であった。当時
て金融業にも進出している。
は技術的に未熟なため、輸送中に酒が腐敗すること
があり、それを防ぐために能代杉の樽に詰めて送られ
ており、他の産地の杉樽では途中で酒が傷むことが
あったようである。川口家文書の中に、いくら良い酒を
造っても売らなければ何にもならないので、販売の機
能を充実させ、遠近を問わず需要に応じるため早馬・
早舟を用意しておくことが大切である、という内容のも
のがあり、醸造技術の向上だけでなく販売戦略にも
意を用いていたことが、三原酒の名声を上げた要因
でもあったことがわかる。
酒の醸造は10月頃から寒中にかけて行われるい
わゆる寒造りで、出来た年の内に売りさばいた。醸造
広島藩・御賄方より川口屋源右衛門宛,御前酒依頼
は、大資本を必要とすることや、技術的な問題もあっ
の書状。(個人蔵)
て失敗する危険性をはらみ、そのうえ市場の狭隘さな
時代によっては川口屋助一郎家ではなく、源右衛門
どの問題もかかえていたので、酒造家の多くは他の
家が御前酒を献上していたこともあるようだ。
『三原志稿』に文政2年(1819)の銘柄・酒造家が掲載されている。西市のものは品質が表記され,東市の
ものは歌銘が多く,詠人や銘の撰をした人物の名前が表記されている。
銘柄
品質
銘柄
品質
酒造家と屋号
苗字
川口
菊の水
御前酒
若みどり
生諸白
川口屋助一郎
千重
銘酒
初桜
上酒
川口屋源右衛門
同
青柳
上酒
浅緑
並上
川口屋禎三郎
同
白芙蓉
銘酒
千代流
上酒
川口屋次左衛門
同
玉の井
銘酒
大諸白
生酒
大原屋宗十郎
以上 西市
亀の齢
西洞院信庸卿
角屋十左衛門
上月
くむ人も つくれる人も 万代の 亀のよはひに たちならふへき
園紅梅
烏石葛辰撰
山科屋東左衛門
安井
八重霞
頼 千齢撰
出羽屋仲右衛門
桜井
千代のかけ
冨小路貞直卿
出羽屋源左衛門
同
うつしゑの 鶴も舞つゝ くれ竹の 葉かへぬ千世の 蔭やさかえむ
千束の秋
園基衡撰 大雅堂書
栗田屋太郎兵衛
隅田
としをへて 君かよはひの ありかすに 刈田のいねも ちつかつむなり
こもり水
樗庵 浅生老人
山科屋作兵衛
安井
寒菊や むめを下地の こもり水
以上 東市
明 治 時 代になってからは、
み、明治 20 年賀茂郡三津町に於いて酒造業を開
他国酒のおびただしい移入に
始し、彼地に於いて酒造業を営むを3年、明治
よって一 時 衰 退 した。上記 の
23 年再び郷党の人となり、三原酒の古来名声あ
『三原志稿』に出ている東西あ
るを偲び、其水質が決して銘酒醸造に適せざる
わせて11件の酒屋は1軒も残
理由無きを思ひ又新に酒造業を開始したり。当
っていない。『天下の芳醇』(桐原花村編、1912)の 時三原に於ける酒造家は僅かに二戸にして、造
石高も 2・300 石に過ぎざりし。(後略)
「旭菊水」紹介の項に、次のような記述がある。
これによれば、古くからあった酒屋がやめていき新
大藤氏は明治 13 年 16 歳にして酒類商を営
3
しい酒屋が興ってくる交代期は、明治20年(1887)
頃といえそうである。事実、大藤直平氏が三原に店を
構えてから、また町には酒造家が増えていき、大正の
末には9軒(うち2軒は西野町)を数えるに至った。な
お、引用文中の大藤氏はかつて川口屋に勤め酒造
業者としての腕をみがいた人だという。
新しく興った酒屋の一例として、東町の山根家が
ある。店主山根英三氏は尾道市久保町の酢屋の出
身で、分家をして今の店を買って入った。この店はそ
れまでも出羽屋(桜井家)が造り酒屋をやっていたと
いう。また東町の冨田家も、元は西町で質屋を営ん
でおり、酒屋としては新しかった。同家は他に古浜の
塩田も持っており、三原の町中には長屋をもち、その
数は100軒を越していたという。西町の内海家もかつ
て塩浜を持っており、造り酒屋を営むほどの家は、や
はり三原町では大きな位置を占めていた。
『三原商工名鑑』『沼田本郷の展望』より
戦後の主な銘柄と酒造家
さん よう
・山陽
すい しん
・醉心
らん ぎく
・蘭菊
あさひきく すい
・ 旭 菊水
きん すい
・金水
しんきょう
・心 鏡
うき しろいずみ
・浮城 泉
〔右〕三原ゆかりの酒徳利 (三原市歴史民俗資料館蔵)
ほととぎす
・杜鵑
ひな ぎく
明治初年の酒造家
・雛菊
定森酒造場
株式会社醉心山根本店
村上酒造場
大藤酒造株式会社
内海酒造株式会社
有限会社脇酒造場
本内海酒造株式会社
本郷酒造株式会社
雛菊酒造株式会社
ふう き
〔西町〕
・富貴(合成酒) 萬歳酒造株式会社三原工場
・川口助一郎 (西川口)
・冨田滝蔵
(西川口廃業後、創業)
大正期には11軒の酒造家があり、『三原志稿』成
・三好龍次郎
立期と同じ件数となっている。昭和期に移ると第二次
・勝島宗兵衛
世界大戦の末期には5件に減り、戦後は10件近くに
・脇三郎兵衛(安政元年より白酒,焼酎,味醂醸造,和木屋と称す)
増えた。
平成期になってからは、全国的に日本酒の消費が
〔東町〕
低迷しはじめたことと、自然災害や道路拡張等、さま
・定森十三
(胡屋)
ざまな理由から酒造家が減少し、現在三原市内の酒
・楢原松三郎 (桝屋)
造家は醉心山根本店の1軒のみとなってしまった。
・村上仲兵衛 (能地屋)
地下には銘酒を作る上で欠かすことのできない中
・隅田幾太郎 (栗田屋)
庸を得た軟水を湛えるこの三原の地に、酒どころとし
・真田嘉兵衛 (吉和屋)
て往時のように酒造家が軒を連ねる日が再び到来す
・山科常右衛門(山科屋)
ることを期待したい。
本日のプログラム 2 月 17 日
次回のプログラム 2 月 23 日
「・)
イスラム文化について」
如水館高等学校
」
インターアクトクラブ
顧問 信清光弘様
インターアクトクラブの皆様
「4 クラブ合同例会」
ホストクラブ:瀬戸田ロータリークラブ
」
会 場:瀬戸田市民会館 18:00~20:00
4