平成27年度の外部評価実施状況 - 公益財団法人 神奈川芸術文化財団

平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
長谷川美保 オルガン・リサイタル
開催日
9月12日(土)
会場:県民ホール小ホール
事業概要 概要:小ホールの舞台正面に設置されたオルガンの特性をいかした、実力派のオルガニストによ
る上質のリサイタル。
オルガン曲をバッハ以前、バッハ以降という焦点の当て方で観賞する音楽史的な性格をもった企
画として興味深い公演でした。とくに後者はバラエティにとんだ選曲で、その幅の広さとオルガ
ンの魅力を紹介する工夫がみてとれるようでありました。
楽器の歴史を軸としての音楽史への関心を促す平明でまじめな企画であったかと思いますが、ロ
評価内容 ビーで来場者の会話を小耳にはさんだかぎりでは、すでにオルガンに関心があり、その上での来
場といった傾向があったようでした。当該ホール毎月行われているオルガンコンサートを一般普
①
及の窓口的役割として位置づけた場合、今回の様なリサイタルと如何に差異化を図るかというこ
とは継続的に直面してきている課題であろうかと思われます。その点、馴染みのある曲を交えな
がらも、演奏曲数の多さなどから、歴史性も含め、専門性に一歩踏み出した印象も持った当該企
画には、一定の意義が認められると思われました。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
一柳慧プロデュース「FLUX Quartet」
開催日
10月17日(土)
会場:県民ホール小ホール
事業概要 概要:日本ではまだ広く知られていないフラックス弦楽四重奏団をアメリカから独自に招聘し、
芸術総監督・一柳慧プロデュースならではのオリジナリティあふれる構成で公演を行う。
今回の番組の中では、最後に演奏されたジョン・ゾーンの「デッドマン」が最も興味深いもの
でした。他の曲は、(最初の「スピーチ」を除いて)ほとんど同じように聴こえてしまいまし
た。恐らく、こうした現代音楽は、ある程度音楽の知識や自ら演奏経験のある人が、演奏者の技
術を楽しむという部分が多いのではないかと思います。
少々残念なのは、「現代を生きる音楽―New Sounds from NY」というサブ・タイトルがつけら
評価内容
れていながら、実際に演奏されたのは、一番新しいものでエリオット・カーターの「ピアノ五重
①
奏曲」であったということです。こちらは1997年の作品ですから、すでに18年も前のものです。
一番古いものは、何と1945年(コンロン・ナンカロウの「弦楽四重奏曲第1番」)。初演は1982年
とのことですが、当時は新しくとも、もはや「現代(いま)の曲」とは言い難いのではないで
しょうか。少なくとも幾つかは21世紀に作られた曲を紹介して頂きたかったです。
そういった意味で、何かNewというよりも Oldを感じさせた演奏会でした。
現代ものをレパートリーとするカルテットは数あれど、ここまでハイレヴェルな演奏にはなかな
か出会うことができない。今回はじめて聞いたカルテットだが、驚倒した。確かな技術、(それ
もソリストレベル)に合奏能力、作品への理解と魅力を引き出す力、いずれをとっても最高峰と
言えるものである。彼らにかかれば、曲の良さが3割り増しになる。選曲も素晴らしい。ナンカ
ロウの弦楽四重奏曲第一番の実演をしかもこれほど見事な手際で演奏されたのを聞けたのも大変
感動的だったが、白眉はジョン・ゾーンの「デッドマン」。このような演奏を聞かされたら、次
評価内容 の予定などどうでもよくなって、ぼうっと演奏を思い返しながら帰るしかなくなる。(実際、こ
の日は後の予定をあきらめて帰宅することにした。)個々の奏者では低弦の二人、ヴィオラの
②
マックス・メンデルとチェロのフェリックス・ファンが際立っている。音色のツヤもさることな
がら、全体のバランスを常に監視統制する能力と余裕がずば抜けている。なお、当日最初のケー
ジ「スピーチ」も面白く印象に残っている。メンバーは日本の子供番組など知らないはずなのに
戦隊ヒーロードラマの主題歌がラジオから流れたり、一柳さんが「のれんに腕押し」などと読み
上げるあたりの突発的な面白みに満ちていた。少し前倒しでパフォーマンスを始めたのも、ラジ
オを使用する作品に適切だったと思う。
一柳慧プロデュースFLUX QUARTETは、New Sounds from NYという副題が示すとおり、いま世界で
息づく音楽の一部を切り取って、神奈川県民の小ホールで行われた。国際都市横浜ならではの国
際芸術フェスティバルに相応しい内容のコンサートであった。
オープニングは懐かしい空気感を醸し出すケージの「スピーチ」で、会場は魔法がかかったかの
ように1955年のNYにタイムスリップした。前半は、初期の時代にNYで活躍し、J・ケージや当
時の最先端の音楽を日本に紹介した一柳慧の作品に始まり、12月に国際フェスティバルのフィ
ナーレを飾る「金閣寺」を予告するように黛敏郎作品が演奏された。あとは、それぞれの年代に
評価内容
新鮮な足跡を残しているアメリカの作曲家の作品が並べられた。日本では、まだあまり知られて
③
いないクァルテットのこともあってか、入場者数は決して多くなかったのは残念であったが、ス
トーリーのあるコンサートで充実感を強く感じた。最近は、コンテンポラリーミュージックに対
する感覚も少し変わって、おる種の日常化がされている気がする。それだけにプロデュースを工
夫して観客動員に繋げることも期待できる。そのひとつとして(愚案ですが)、小ホールを舞台
にして数回にわたって、連続して現代音楽の室内楽コンサートを行うYokohama Contemporary
Music Festival(YOCOM)のような存在感のある企画もどうなのだろうか…少し頭をよぎりまし
た。
今回の企画は、演者と企画者とが演奏曲目の選択にその関心を、ひいては思想的方向性を表象
させようと云うような、コレクティヴ・ワークとしての弦楽四重奏およびピアノ演奏に関する紹
介として大変興味をおぼえました。と同時に、こういった「ポストモダン」的手法として捉えら
れる作業傾向が、どこかその「ポストモダン」的であると云うこと自体をも検証する方法になっ
ているような、そういう今日的客観性をもそなえているかのような印象をうけました。
そのことは、どこかでこの度の芸術フェスティヴァルが取り上げようとしている芸術における
評価内容
現在的動向についても示唆的であったように思われたわけですが、しかしそれは、今日よく言わ
④
れるように、多元化し、拡散したと思しき芸術における見据えるべき方向性と現在的なそのよっ
て立つべき自明性に関する視座の再構築の必要性について、その前提となる共通認識をどれだけ
の範囲の人々と共有できるか、その共通認識はいかに可能か、ということについて、企画者へと
問い返されている問題でもあるように思われます。
関心や年齢の幅により当企画の見方も変わるかと思われましたが、しかしハイカルチュアにおけ
る現在的状況の一端を紹介する役を十分果たしていた好企画ではなかったかと思われました。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
松山バレエ団「眠れる森の美女」全幕
開催日
10月24日(土)
会場:県民ホール大ホール
事業概要 概要:舞踊歴60年を超え日本を代表するプリマである森下洋子をはじめとする松山バレエ団の
『眠れる森の美女』を上演。
手ごろなチケット代でこうした名作を全幕とおして見られるというのは、観客にとって幸せな
事であり、この企画にも意義があると思います。ただ、日本においての「バレエ」の未来につい
て少々考えさせられた公演でした。
パンフレットには「story」として作品のコンセプトも説明されていますが、それは実際の舞台に
はあまり反映されていなかった気がしました。大体、「オーロラ姫が国の民や人間たち、たくさ
んの人々の罪を引き受けて自らをなげうつ“祈りの眠り”につく」などということを科白なしの
舞台で表現できるものでしょうか。パンフレットを読んでいない観客にはそのようなことは全く
分からないでしょうし、読んでいたわたくしにも、それが表現されていたとは思えませんでし
た。実際のストーリーに全く関係のない、上演する側だけ「解釈」として稽古場で共有していれ
評価内容 ば良い情報だと思います。
それから、『眠れる森の美女』という物語で重要な「森の場面」―オーロラ姫が、妖精たちに
①
よって大事に育てられ美しく成長する場面―を欠いて、オーロラ姫がどのような女性になったの
か、観客に示すことは難しいのではないでしょうか。オーロラ姫とデジレ王子の結婚が中心のは
ずの三幕が、どちらかというと、他のダンサーがそれぞれの技を見せ合う場となってしまってい
ることにも納得がいきませんでした(チャイコフスキーがそう作曲したのだと言われてしまった
らそれまでですが。)「大事な何かが欠けていて、余計なものがある。」と感じさせられた舞台
でした。初演当時はこれで良かったのかもしれませんが、今の時代の観客に合わせて変えるべき
部分も多々あるように思います。厳しいことを書くようですが、こうしたある種、「観客の側に
努力・理解を強いる」舞台では、今回のように一日限りでしたらともかく、長い期間公演を打つ
ことは難しいように思います。
神奈川県民ホールの主催で松山バレエ団の公演が行われた。マリー・シュイナールやデボラ・コ
ルカーの話題のモダンダンス公演が続く中、県民ホールがバレエの古典を好まれる観客のために
用意した企画であったと推察します。当日の印象としては、松山バレエ団主催の公演という色が
観客層からも、会場スタッフ、それにバレエ団関係者の拍手からも色濃く感じられた。一方、バ
レエ団の生徒さんなのか、まだ幼いダンサーの卵たちが大勢いて、将来の楽しみと微笑ましさを
感じた。以前から言われていることだが、バレエ界の裾野の広さは頼もしい限りである。
評価内容
また、松下洋子さんの踊りを、私個人としては20年以上ぶりに拝見出来たことは興味深かっ
②
た。もちろん、年齢からくる限界というのは覆いようもないが、垣間見せるセンシティブな動き
やモーションの一瞬に光る芸術性には、まだまだ若いダンサーたちが追い越すことの出来ない魅
力を感じた。
世界の有名ダンサーたちは、カンパニーを卒業した後は、新しい振付のものや、新しい音楽に挑
戦することが多い気がするが、「眠りの森の美女」という古典の代表作に挑む勇気は絶賛に値す
るような気がします。
県民ホールで例年開催のガラコンサートへの入場者数を鑑みてもそうですが、こうした華やかで
安心して鑑賞する事の出来る企画は、市民にとっての観賞作品としての満足感や期待感というも
のに合致しているようです。また、戦後近代の日本バレエの歴史の到達点の一つの現れとして、
こうした上演の鑑賞機会が設けられると云う事には賛意を表したいと思います。
評価内容
これまでの企画を振り返ってみても、バレエダンサーの現在における様々な表現上のアプローチ
③
を取り上げて来ている財団ですので、それら活動を併せて鑑みることで、舞踊表現に関するパー
スペクティブを得る糧ともなる上演ですし、DanceDanceDanceといった大きなイベントとも提携し
た企画であった点でも、舞踊芸術への関心を広く開いていく窓口になるような企画の一つであっ
たかと思われました。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
鴻池朋子展「根源的暴力」
開催日
10月24日(土)~11月28日(土) 会場:県民ホールギャラリー
事業概要 概要:平面、立体、映像、インスタレーションなど多彩な表現で作品を制作する鴻池朋子氏の大
規模な個展を行う。
大変見応えのある展示でした。まさに自ら「赤ずきん」となり、深い森の中をさ迷い歩いたよ
うな感覚で、会場を後にしてからも、なかなか現実の世界に戻れませんでした。《皮》という素
材に着目された点が、何より優れていると思います。動物たちの顔や生活が描かれた《皮》は、
視覚的にインパクトがあるだけでなく、その「臭い」も、私たちが自然に対してふるっている暴
評価内容
力―普段それほど意識していない―を強く思い起こさせます。非常にストレートなメッセージ
①
が、可愛らしいけれども恐ろしさも併せ持っているメルヘンの世界と結びついたことで、強烈な
印象が与えられました。
はっきりと目に見えないことで意識されない事を、見えるようにして認識する・させるのが
アーティストなのだ―作家のそういった自負が感じられる、素晴らしい個展でした。
東日本大震災以後の鴻池氏の創作モチベーションの大きな変化と、それに伴って行われた東北
地方でのフィールドワークをベースとした、人間と自然の境界を問う作品展だった。
鴻池氏の作品を鑑賞するのはこれが初めての機会だったが、印象深く残っているのは、絵画の
技法よりもむしろその素材である。特に、牛革は絵画のキャンバスとして、また着物やコートの
素材として様々な作品に用いられていた。革に描かれているモチーフ自体は、野生の動物や自然
の風景ではあるにせよ、多くはデフォルメされており、素材と絵のタッチのミスマッチが生じて
いた。また、陶器のオブジェを並べたインスタレーション『陶物』では、粘土は確かに加工され
ているのだが、文字通りの「人の手」の介入が判別しがたいようにオブジェが形成されている。
評価内容
当然ながら、牛革も陶器もそれ自体がすでに人間の加工品であるのだが、より土着の、生活に
②
根差したアイテムであることに重点があるように思われた。「自然」なるものをそのまま展示す
ることは不可能であろうし、またそのように自然と向き合う態度や試みことこそ本展の最も忌避
したものだろう。ゆえに、自然と人間の越境は限りなく困難であるが、人の手が関わる素材を通
じて自然へ近づくことの可能性を見出す格闘があった。そして、それにもかかわらず、牛革を
キャンバスとした絵画に、素材と絵のタッチのかい離が見いだせるところに、彼女の作品の大き
なジレンマがあるように思われた。
「図書館、休憩室」の設置は大変興味深かった。特にインタビュー資料の閲覧や作品に手を触
れることのできるコーナーは展示をより深く知る機会となった。
大変見応えのある展示で、深い感銘を受けた。タイトルが示す根源的暴力という言葉を、作り手
が生半可な気持ちで使っているのではないということが作品から伝わって来る。日本の山村の
隅々で、足で稼いで触れ、身につけたものを作品に昇華しているという意味でも、ひとつひとつ
に説得力がある。個人的には四角くうすぐらい部屋に、おびただしい数のケースが置かれている
光景には息をのんだ。航空機墜落事故の、遺体安置所を真っ先に想起させるものだったからだ。
作者が意図したか否かは知り得ない。だがこうした展示に対する受け取り方は作者の意図と同じ
評価内容
とは限らないし、強い印象を受けたのは確かなのだからそれでも良いような気もする。いずれに
③
せよ、一種異様な空気が漂っていたことはたしかだった。ほかにも民話を聞かせる装置があった
が、なぜこうしたお話が畏れを感じさせるものなのだろうか。作品は色数が多いが、朱の色使い
など日本特有の感性が感じられた。またオブジェの真っ赤な裂け目はなんということなしに傷の
ようだし、破けたような着物の背からのぞく毛皮には自然への畏れ、獲る者獲られる物の厳しさ
が思われた。なお、欠点ということではないが、どの作品にもなぜか作り手が女性であるとはっ
きり分かる何かがあった。
鴻池朋子展「根源的暴力」を拝見した。
その活動が日本画家からずっと幅広いものに変化する彼女の大々的な個展が県民ホールの広い空
間を使って行われた。この空間を一人の作家に提供して、作家の宇宙を展開する企画には横浜の
ギャラリーとして大いに意義のあることだと考えています。
一方、今回の個展には印象の強いタイトルが付けられていましたが、こうしたタイトルが独り歩
きする可能性のある表題には多少の違和感を持ちました。それでも会場をくまなく拝見しまし
た。伺った日時が悪かったのかほとんど入場者には会わなかったのが残念です。でも、それだけ
評価内容 に近距離からあるいは遠距離から、そして、さまざまな角度から鑑賞することが出来ました。こ
のスタジオでは、斜め上からや、下からといった視点を変えて作品を観ることが出来るので私の
④
好きな空間で、今回もそれを巧みに考えて作品が展示されていました。
ただ、1階のフロアに展示された鴻池朋子作品に対するさまざまな記事の展示は効果的なのだろ
うかと感じました。作品は、通常、私たちの前に、あまり鎧をつけないでさらけ出されるものと
だとしたら、この展示の方法には疑問が残ります。ひとつは文字情報がとても多かったことに起
因するのかもしれませんが、私なぞの作品の楽しみ方からすると「文字情報」ではなく、観る者
の感性にもっと自由を与えてほしいという感想を持ちました。もっとも、私は評価委員としてす
べて読みましたが、一般の入場者はあまり丁寧に読んでいないのかもしれません
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
オペラ「金閣寺」
開催日
12月5日(土)~6日(日)
会場:県民ホール大ホール
概要:県民ホール主催事業の柱として続けている日本人作曲家によるオペラを上演。戦後の日本
事業概要
を代表する横浜出身の作曲家、黛敏郎の代表作であり三島由紀夫原作によるオペラ『金閣寺』を
取り上げる。
『金閣寺』のオペラ版―しかもドイツ語―ということで、一体どのような舞台なのかと期待半
分、恐ろしさ(?)半分の気持ちで拝見させていただきました。
結果は…素晴らしかったです。原作どおりではない部分こそありましたが、三島の美意識が鮮
やかに視覚化されていたと思います。細部にまでこだわった演出の勝利なのではないでしょう
評価内容 か。雪の場面と最後の炎上の場面は本当に美しく、「金閣寺」自体が主役の物語であることが良
く理解できました。あのように大がかりな「金閣寺」のセットを創るのは大変だったと思います
①
が、書割では生み出せない存在感と主張がありました。上演言語がドイツ語であるのも、マイナ
スなどでは決してなく、むしろプラスに働いていたように思います。
オペラというと、華やかなイタリアのものばかり頭に浮かんでしまいますが、こうした作品が
もっと上演されるようになると、オペラ界もさらに面白くなっていくのではないでしょうか。
神奈川県民ホール開館40周年記念公演の最後を飾る舞台である黛敏郎作曲、三島由紀夫原作のオ
ペラ「金閣寺」を拝見しました。総合芸術としての完成度は高く大成功に終わったことは観客の
みなさんや来場した評論家の反応からも疑いの余地はありません。長きにわたり制作に携わった
関係者の皆様に心からお礼とお祝いを申し上げます。お礼と申し上げたのは、日本のオペラ公演
の歴史は必ずしも平坦ではなく、イタリア、ドイツやオーストリアの本場と引っ越し公演と比べ
られると、どこか一か所が優れていても、総合芸術としての評価は必ずしも安定したものではな
評価内容 かった気がします。しかし、今回の「金閣寺」は、総合芸術として高い評価を得られたと思いま
す。そして日本のオペラ界に勇気と力を与えました。そのひとつの象徴が音楽上の全責任を担う
②
下野竜也氏と、舞台上の責任を担う田尾下哲氏の見事なコラボレーションです。神奈川発信の世
界に誇れる舞台でした。まだまだ日本全体のオペラ文化を取り巻く環境から、再演を容易に行う
ことは難しいと思いますが、いまこそ「芸術の神奈川発信」を力強く訴えることの出来るステー
ジを手にしました。神奈川国際芸術フェスティバルに相応しいこのステージを、ぜひ東京はじめ
神奈川県以外での再演を心からから期待します。また、NHKの放送が早いうちに行われ、より多く
の視聴者に観て頂けることを祈念しています。
神奈川県民ホール開館40周年記念事業の最後を飾る公演として、オペラ「金閣寺」が新しく制作
された。日本での上演は16年ぶりとのこと。日本で新作オペラを制作すること、再演することは
予算からも集客からも容易ではない。特に日本の現代の作曲家の作品となれば、さらに条件は厳
しくなるだろう。それを実現させたこと、しかも指揮、演出、出演者を比較的若手から登用した
ことが、芸術文化水準を長期的に向上させ、その担い手である芸術家と観客を育てる観点から、
高く評価できる。大きな事業であるが、無難な作品、スタッフ、出演者ではなく、未来を見据え
た選択であったことに拍手を送りたい。作品としては、三島由紀夫の小説「金閣寺」が題材であ
りながら、初演は1976年のベルリン・ドイツ・オペラであるため物語に変更が加えられ、歌詞が
評価内容
ドイツ語であり、その言語に適した作曲がなされており、幕開きは少々違和感があった。金閣寺
③
という象徴が、具体的なオブジェとして劇場のプロセニアム舞台に乗っていることにも、作品と
の距離を測りかねる印象が当初はあった。しかし、徐々に作品が進むにつれて、ドイツ語の歌詞
も日本語の字幕も、舞台美術としての金閣寺にも入り込むことができた。歌手たちの熱唱と人物
造形、オーケストラの演奏が混然一体となり、ラストに向けて盛り上がっていったことが、いか
に観客を魅了したかは大喝采が明瞭に示している。また、無料で配布されたプログラムの内容が
充実しており、作品の創作過程や背景に関心を持った観客(読者)を満足させ、さらに芸術文化
への知的な興味を増すものであった。ロビーに、舞台装置や楽譜などの貴重な資料を展示した
あったことも好ましい。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
神奈川県民ホール開館40周年記念第22回神奈川国際芸術フェスティバル オペラ「金閣寺」を鑑
賞できたことは、本当に幸運なことであった。
今年生誕90周年の三島由紀夫の原作小説を30年前に一度読んだことがあった。その時は単に変質
者(しかし理解はできるが)溝口が金閣寺に様々なものの想いをこめ過ぎて放火したのだという
ような安直な捉えしかできていなかったように思う。
しかし今日初めて黛敏郎の同名のオペラを聴かせていただいてやっと三島由紀夫が少し理解でき
たように思う。音楽というものは時に実直に真意を伝えるものであると今さらながら思った。黛
敏郎の音楽がストレートに生きてくるような演出も素晴らしいものであると感じたし、舞台の大
評価内容 道具小道具背景や衣装も音楽を生かすように創られていると強く感じた。
オーケストラと合唱は、主役である溝口と同じくらいに存在感があったことも忘れてはならな
④
い。
神奈川フィルハーモニー管弦楽団は年々その腕を上げていると感じる。さらに今後も期待した
い。また東京オペラシンガーズも期待どおりすばらしい合唱を披露した。
日本における16年ぶりの、4回目のオペラ公演ということである。歴史的な音楽上演に立ち会え
たことを誇りに思う。
日本よりむしろ海外の方がこのオペラは上演されやすいということもうなずけるが、本当はもう
少しこうした日本の作曲家のオペラを皆でバックアップしていくような社会的、経営的な気運の
ようなものが必要なのではないかと感じた。
舞台美術がなんといっても素晴らしい。まさか神奈川県民ホールで四季折々の金閣寺の美にふれ
ることができようとは。床が水面のように反射し、雪が降り、燃えるような紅葉の向こう側に見
える金閣寺のなんと見事な美しさであることか。田尾下さんの演出では能舞台のイメージ、遊郭
の赤、僧侶、市井の女たち、あらゆるものが日本の美を示していて海外の客層にアピールできる
レヴェルの高いものではないかと思った。演奏も素晴らしい。下野さん率いる神奈フィルも引き
締まった良い音を出していたし、歌手もハイレヴェル。とりわけ宮本益光さんの溝口への役作り
評価内容
には鬼気迫るものがあり、強烈な印象を残した。今回の配役をみると、宮本さんの溝口や、鈴木
⑤
准さんの柏木など、これまでの役柄と極端にことなる部分が多く、歌い手の新たな一面をみるこ
とができたのも収穫。柏木役は歌唱に支障のある姿勢を保たねばならないはずで、その点でも大
きな拍手を送りたい。あえて難をあげるとすれば、所作指導が入っているにもかかわらず男女と
もに動きがいまひとつ洗練されていないこと。僧侶が正座から立ち上がるときには上体を大きく
前後に振ることはないし、女性も着物とは思えない歩幅の広さや、歌う際に外股で立っているな
ど衣装と所作が合っていないところが気になった。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
ファンタスティック・ガラコンサート2015
開催日
12月29日(火)
会場:県民ホール大ホール
事業概要 概要:恒例の年末コンサート。オペラ、バレエ、オーケストラの名曲、名シーンを集めて魅力あ
ふれるステージを構成。第10回目の開催を祝う華やかなハイライトシーンを盛り込む。
今回のファンタスティック・ガラコンサートは、番組構成が素晴らしかったと思います。特に
前半、オペラの『カルメン』の後、続けてバレエの『カルメン』を見る事ができたのがうれし
かったです。
評価内容 普通のコンサートではこのような体験はなかなかできません。上野水香さん、素晴らしいダン
サーですね。彼女が舞台に現れるだけで、空間がパッと華やぎます。
①
内容は豪華でありながら、温かい手作り感もある本当に楽しいコンサートで、昨年と同じく、
これが2015年の締めくくりの舞台となったことを幸せに思います。2016年も、神奈川県民ホール
やKAAT、音楽堂で良い舞台に巡り合えることを楽しみにしております。
今年で10回目を迎えた同公演は、リピーター観客を獲得し、神奈川県民ホールの年末公演として
定着してきたように見受けられた。ロビー入り口を飾る生け花も華やかさを増し、中高年以上が
多いものの観客は賑わっていた。プログラムとしては、普段は縦割りであったり、やや敷居が高
いと感じられるオペラ、オーケストラ、バレエの3分野が競演することで、観客に多様な芸術に接
し、楽しむ機会を与えている。出演者のレベルは中堅、若手が多いが決して低いものではなく、
気軽に楽しめるこというコンセプトでありながら、芸術性の高さで観客を納得させるものであっ
た。特に、バイオリンの石田泰尚の演奏には圧倒された。バレエに関しては、上野水香のパート
ナーとして初めて柄本弾が出演し、支え役がメインではあったが、上野を無難にサポートした。
ピアニストの外山啓介ともに、若いアーティストにこのようなコラボレーションの機会を提供す
評価内容
ること、その意義を観客に理解してもらい、アーティストを育てるサポーターになってもらうこ
②
とも、芸術文化を発展させるために必要である。オペラとバレエで「カルメン」を取り上げ、そ
の表現方法と結果として観客が受容するものの違いを経験させた工夫も評価できる。ガラコン
サートが単に華やかな演奏会に留まらず、知らずして芸術の媒体、表出の違いを学び、興味を広
げられるようになれば好ましい。恒例の公演となったがゆえに、これからは観客数の増加だけで
なく、観客の芸術に対するリテラシーを高める“観客育成”も視野に入れてほしい。 また、司
会の宮本益光は気さくな話しぶりで観客の受けもよかったが、先日のオペラ『金閣寺』では主役
を務めた歌手だ。アーティストの個性(素の人となり)をそのまま見せられる、このような公演
で観客の支持を広げ、そのアーティストが出演する本来の公演へと観客を誘導していくような戦
略も考えてほしい。
年末恒例のこの企画は、今年は、気分はもうジルベスタ―の暮れが押し迫った12月29日に行
われた。12月31日は、さまざまな会場で行われるジルベスタ―コンサート、そして紅白歌合
戦のイメージも重なってか、人々はなんとなく華やいだ気分になる。そのお祭り気分を先取りし
た形で行われた今年のファンタスティック・ガラ・コンサート2015は、客席もリラックスし
てステージを楽しもうという華やいだものだった気がした。2014年は12月28日行われて
いるが、28日と今年の29日、この一日の差は、御用納めをはじめとする年末の日本人の生活
習慣からすると意外と大きいのかもしれない。今年は、「ファンタスティック・ガラ・コンサー
ト2015 祝宴・オペラ&バレエ」という長いタイトルもしっくり収まった。これだけの演目
評価内容
を一つのステージとして仕上げるには関係者のご苦労は想像に難くない。昨年に比べただけで
③
も、いろんな要素がそぎ落とされて、音楽やダンスそのものが、よりクローズアップされて一段
とスマートになり、お客さんに喜んでもらおうという意思がはっきりと伝わった素晴らしステー
ジでした。
残念なのは、バレエがあるとはいえ、少しオーケストラ位置が奥すぎてオーケストラ音楽の迫力
が物足りない。バレエの振付もオケとの一体感を強調したものにすることによって、この辺りの
問題も解決出来るのでは…。そうすれば、この特別なショーの意味がさらに強調されるのではな
いでしょうか。オペラも演出によってオーケストラとの一体感が出せればさらにレベルアップし
たステージになるのではと思いながら拝見しました。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
ワーグナー作曲 歌劇「さまよえるオランダ人」
開催日
3月19日(土)~3月20日(日) 会場:県民ホール大ホール
概要:共同制作オペラプロジェクトの第9弾。神奈川県民ホール、びわ湖ホール、iichiko総合文
事業概要
化センター、東京二期会、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、京都市交響楽団の6者で制作する
大規模なプロダクション。
荒れ狂う海、ダーラントの船の背後に迫り来るオランダ船。プロジェクションマッピングの技術
を使って、リアルな海の風景を描き出した舞台は、迫力満点。オランダ船がゆらゆらと不規則に
動き、水しぶきが飛び散る。見ているうちに少々船酔いまでしそうになるほどだ。歌い手もゼン
タの横山恵子さん、ダーラントの斉木健詞さんをはじめよく歌っていたが、やはりオランダ人役
のロバート・ボークは一頭地を抜く。風格ある立ち姿と声、ゼンタどころか夢見がちな乙女が夢
評価内容 に憧れても違和感はない。とくにゼンタとオランダ人の重唱では横山さんの張り詰めた美声に、
はじけるような若々しさを感じられて、ドラマとしても見どころになっていた。舵取りの高橋淳
①
さんは、相変わらずの美声で人好きのする存在感をあらわしていたが、ハンペの演出での、舵取
りの夢落ちという展開には腰が抜けた。せっかくのプロジェクションマッピングも、歌手の熱演
も一気に小さくまとめてしまうようで、舞台の余韻が最後の最後で消えてしまう。沼尻さんの指
揮は今回も安定しているし、ツボもしっかり押さえて山は山、谷は谷で緩急も鮮やか。それなの
に、なぜかもうひとつ突き抜けてこないのは、演出のせいもあるのだろうか。
恒例になったオペラシリーズで、びわ湖ホール、iichiko総合文化センターの三か所による、共
同制作事業である。オペラのように制作・上演費用が膨大になる事業を複数の団体で担うこと、
それを神奈川、滋賀、大分の三県にまたがり、かつ地域のオーケストラが演奏することは、まず
事業として意義がある。願わくは、共同制作するホールや演奏団体をさらに増やし、コストの削
減を図って、チケット代を更に抑えてほしいところだが、大規模な舞台美術や出演者を要する公
演では容易ではないだろう。まずは事業としての評価をしたうえで、公演内容についても、海外
の歌手に頼らず、ほとんど日本人キャストで堂々たる舞台を作り上げたことは高く評価できる。
神奈川フィルハーモニーの演奏も熱が入っており、合唱、指揮の沼尻竜典と共に評価したい。し
かしながら、演出については、神奈川公演の前に長木誠司が新聞で酷評をしていた通りに、やは
評価内容 り違和感を抱いた。CGによる嵐の映像は、音と波のタイミングを合わせてリアリティを出そうと
してはいたものの、リアリティを追求するほどに、現実の生の舞台(装置、人)との遊離が生じ
②
たように感じた。装置は船の甲板と室内の両方に使えるよう工夫があったし、映像と舞台を馴染
ませようとする照明の工夫もあった。だが、そこを動く主要な歌手たちの動きがあまりにも制限
されていたこと、一方でゾンビ集団にエアリアルなアクロバットを加味してテーマパークのよう
になってしまったことには、やはり疑問を感じずにはいられなかった。最近の歌手は、よく動
く。フランスなどでは、ダンサーかと思うほど踊りも達者な歌手がいる。神奈川の観客は、歌手
とオーケストラを讃える盛大な拍手を送っていたが、演出が異なれば、もっと異なる観客層にア
ピールすることもできるのではないだろうか。来年度のオペラ『魔笛』では、勅使川原三郎が演
出を担うようである。既に世界で活躍している勅使川原の手によって、総合芸術としての新しい
オペラが日本から生まれることを期待したい。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
チェンバロの魅力Ⅳ Danser ダンセ ~ 舞う
開催日
3月26日(土)
会場:県民ホール小ホール
事業概要 概要:県民の芸術文化に対する関心、理解をさらに深め、新しい芸術文化の世界を紹介すること
を目的とした舞台芸術講座のチェンバロ編。
舞曲というからには舞踏と音楽は切り離すことができないものなのに、身体感覚は意外にも忘れ
去られている。それを原点に立ち戻って思い出させてくれる好企画。各曲にはリズムの身振りの
中に想定される動きがあり、演奏者はそれを感じることで、音楽の推進力にもフィードバックで
きる。とりわけバロックダンスとの共演では音の身振りが視覚を伴うと具体的かつ感覚的にわか
り、ためになるし楽しい。レクチャーも実りが多かった。バロックダンスは抑制した動きだけ
評価内容
に、体の芯を保つのが大変であることは終演後の公開レッスンであきらかになった。プロとアマ
①
チュアでは根本的な姿勢からして雲泥の差があるようだ。また、チェンバロの受講生が踊りを見
ることでみるみる表現の領域が変わっていったのは、素晴らしい瞬間だった。大塚直哉さんは素
晴らしい指導者であることはこれまでのシリーズでも実感してきたことだし、今回もしかり。だ
が、ひとつだけ残念だったのは前半の大塚さんのソロで、めずらしく集中力を欠いているように
思われた。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
舞台「アドルフに告ぐ」
開催日
6月3日(水)~6月14日(日)
事業概要
会場:KAAT ホール
概要:KAAT自主企画制作の、演出家栗山民也によるオリジナル作品。
第二次大戦前後、三人のアドルフをめぐる壮大な物語は一瞬たりとも飽きさせることのない重厚
な舞台に仕上がっていた。虚実ないまぜの物語ながら、ヨーロッパと日本、果ては中東までス
トーリーを大胆に縒り合わせた手塚治虫の想像力には感服するより他ない。また、アドルフ・ヒ
トラーのユダヤ混血説はどこが起源かはわからないが、アーリア人優勢を唱えてがんじがらめに
なっていくヒトラーや、カウフマンの狂気にも、さもありなんと思わせる説得力があった。話が
壮大にすぎるので、これを芝居仕立てにするには相当な苦労があったと思う。改善の余地は多く
あるものの、脚本の木内宏昌さんは大健闘の仕事をした。演出の栗山民也さんは時空を超えたス
トーリーをすっきりとした場面展開で見せる。場面を象徴するアイテムは最低限に抑えているに
評価内容
もかかわらず、エリザの家のドアに殴り書きされたユダヤの星など妙にリアルで、目を捉えた。
①
役者陣も適材適所で素晴らしい。物語の語り部の役割もになう峠役、鶴見辰吾さんが絵画でいう
額縁のように物語をしっかりと形作り、それゆえ若手が思い切りよく動いているように見えた。
アドルフ・カウフマン役成河さんの、内気で純真な子供が次第に狂気を仕込まれて人格が変わっ
てゆく様が見ていて痛々しいほど、カミル役の松下さん、本田芳男役の大貫さん、エリザ役の前
田亜季さんら、若手の情熱がまっすぐに伝わって来る。本田大佐役谷田さん、由季江役朝海さん
も印象が深いが、ヒトラー役の高橋洋さんが本人にそっくりの容貌と所作。帰る道すがら、彼の
カリスマを支える劣等意識の滑稽さに、もっと早く多くのドイツ国民が気づいていたら歴史はど
うなっていただろうかと思った。
手塚治虫の晩年の名作である『アドルフに告ぐ』の舞台化であるが、コミックから舞台への翻案
が極めて優れていたことをまず評価したい。コミック版では峠草平が語り部かつ作品の中心人物
として描かれているが、舞台では語り部を置かず峠のエピソードをほぼカットすることで、三人
のアドルフに焦点を当て、そこに気鋭の俳優を配置している。手塚作品独特のユーモアはなく、
その分戦争というテーマが峠の視点を介さずよりアクチュアルなものとして立ち現われていた。
アフタートークで栗山氏の演出方針が語られていたが、コミックを参照しないという意図は明
確に表れていた。とはいえ、必要最低限の美術や四角形中心の人物を切り取るかのような照明
は、コマ割りなど漫画的表現へのオマージュとも取れ、原作への敬意が強く感じられた。
評価内容
戦争と言うテーマは、今の政治状況に置いて扱いづらいものである。特にナチスドイツの問題
②
は、作中にも描かれるイスラエル問題との関わりにおいても、また国内外の現政権批判において
安倍首相がヒットラーと比喩されている事実においても、いかなる描写も批判は免れえない主題
である。その点で、本作上演は大変挑戦的な試みと評価できる。
価格について、作品のボリュームやクオリティを観れば納得がいくものだと思われるが、新作
公演、かつ商業的なセールスをしていないプロデュース作品で1万円近いチケット代設定は、もし
私が一般の観客であれば購入に躊躇していただろうと思う。他の公演と同様、若い観客層を狙っ
た多様な割引システムに加え、例えば席種を増やすなど一般客の選択肢ももう少し豊富であれば
良かったと思う。
原作を読んだ時、人が殺される場面があまりにリアルで、気持ちが悪くなってしまったことを覚
えています。以後、再読することはありませんでしたが、同じ人間同士が戦うことの恐怖や愚か
さを伝えるには、それぐらいのインパクトが必要なのだとも思います。ただ、舞台ではそれが少
し違う形で表現されることを期待しておりました。
音楽の面では、それはかなり上手くいっていたように感じます。ただ、全体的にいろいろ盛り
込み過ぎの印象を受けました。舞台は、階段等は生かすにしても、裸に近い形で良く、壁やリア
ルな道具など(特にパンの棚やヒットラーの椅子やソファー等)は必要なかったのではないで
しょうか。いちいち転換せずに、場面の変化は役者の演技で示した方が良かったと思います。
評価内容
テーマも、あまりにストレートに語られ過ぎており、もっと観客に想像したり考えたりする余地
③
を与えて欲しかったです。ラストも、のちの人々に記憶・記録を託すという峠の科白で終わった
方が良かったように感じました。
パンフレットが1500円で販売されておりましたが、これはこれとして、簡単なキャスト・スタッ
フ表を配布しても良かったのではないでしょうか。英国のナショナル・シアターなどでも、必
ず、有料パンフレット以外に無料のキャスト・スタッフ表を配っています。写真や出演者のプロ
フィール等、載っていなければ、それがパンフレットの売り上げに影響するということはあまり
ないと思います。決して安くはないチケット代を払って劇場に来ている観客には、最低限の情報
は無料で提供してしかるべきではないでしょうか。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
当企画はストレートプレイの演劇公演として、テーマ、話題性など総合して好企画であったと思
います。終演後の会場の反応を見た印象からも、わたしの個人的な感想にとどまらず、多くの人
が感動できるような申し分ない企画であったと実感されました。
評価内容 内容にかんしましては言わずもがなの観はありますが、原作の長編を簡潔にまとめ、また舞台美
術、出演者数などを含めて総合的に見やすい上演作品として工夫されており、都合3時間ほどの上
④
演ながら飽きさせることない好演でした。
人種、社会、戦争など、幾つもの社会的問題を含みながらもこれを原作の示すところのものを損
なうことなく舞台化に努めた印象でした。
手塚治虫原作となると誰もが張りつめたようなある種の緊張感をもつのではないだろうか。私
も、その一人、生前に高田馬場の事務所でお目にかかってからNHKホールでの本番までに何度かお
目にかかった。手塚さんの作品はなにか楽譜をみているようなテンポ感とリズム感、そしてハー
モニーまでもがそのシーンから読み取れる気がしていたが、お目にかかってこれほど音楽を愛
し、音楽がその作品を創りあげていく過程に密接に関わりあっていることに感動を覚えた。
いよいよ本番。NHKホールいっぱいのスクリーンに彼の作品が映し出され、そのスクリーンの前で
評価内容 N響がチャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章を生で演奏した。最前列の中央に座れられた手塚
さん。その時の手塚さんの目は忘れられない。
⑤
さて、今回のステージからいわゆる手塚治虫の空気感の中に息づくそうしたものが感じられかと
いうと、残念ながら通常の演劇の領域を出なかった気がする。
入場料が最高9,500円の公演が横浜だけで14回、私の計算では地方を入れると合計19公演。神奈川
発の演劇がこうような展開をしたことは誇らしい。演劇界のKAATへの期待は一層膨らむのではと
楽しくなる。これは手塚人気のおかげなのか…。こうした自主制作や地方劇場との共同制作の形
で発信していくことにはいろんな可能性があるような気がしてならない。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
近代童話劇シリーズvol.1
Noism1『箱入り娘』
開催日
6月22日(月)~6月28日(日)
会場:KAAT 大スタジオ
事業概要 概要:新潟のりゅーとぴあを拠点に活動を続けている、国内で唯一の劇場専属舞踊団「Noism」の
新作。りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館の連携企画。
当該企画は、やや普遍的とも思しき道徳的テーマを援用する形で、今日の世相の一端を取り込み
つつ、舞踊劇として作品化を試みると云った意欲的取り組みとして評価できるかと思われまし
た。上演作品として社会テーマの一端なりとも問題化を促すような試み自体は、芸術活動の社会
的意義を考察する上での自明性ともかかわる部分ではあろうかと思われますので、たとえそれが
ごく断片的な抽出であったとしても、その作業を通して同時代と向き合おうとする態度は評価さ
れるべきでしょう。
評価内容 その一方で、舞台作品には社会的合理性からの飛躍の可能性が担保されていると考えた時に、
「箱入り娘」や「Ne(e)T」が持つかもしれない社会的可能性や自己実現性の部分を考察・提示す
①
る試みが、もう一歩踏み込んだ形でなされるということが一つの展開の可能性として考察される
余地もあるのではないか、といった想いもいたしました。
作品として、モニターを利用しての舞台空間の多層化など、機構の工夫にその意欲を汲み得る箇
所ももちろんありました。こうした上演内容の工夫以前に、Noismの公演をKAATで打つ事自体に、
公共劇場専属カンパニーの存在意義はじめ、改めて広く公共劇場の役割について共有されるべき
問題が孕まれているようにも思われました。
NOISMにはまたも驚かされてしまった。寓意に満ちた物語をファンタジー、皮肉、同時代性も込め
てこれほどよく練り上げているとは。まずもって振り付けが面白い。文字通り箱に入ったダン
サーたちが、飛び出す構成も趣向もいい。登場人物それぞれに異なるスタイルの振りが付いてい
て、衣装や設定のみならず踊りそのものもカラフル。NEETの佐藤琢哉をはじめ、古典的なバレエ
の基礎を身につけているダンサーの踊りは、いかに型を崩した動きでも無駄がなく美しい。箱入
評価内容 り娘の井関佐和子はラインの美しさもさることながら、表情の豊かさ、すぐれた演技力で突出し
た表現力を持つ。彼女がいるだけでも舞台の格が上がる。舞台と客席が近いこともあって、見世
②
物小屋の熱気が漂う。観客はダンサーの動きが細かく観察できて良い。ダンサー側は隙を見せら
れず大変だと察するけれども。登場人物横並びでの幕開けは、セリフや所作も相まって面白い趣
向だし、プロジェクターを使用して、同時中継で他の部屋を映し出すというのも、効果的。普段
生の演奏に慣れている身としては、バレエ公演などではどうしても録音音源に違和感を感じるの
だが、今回はなぜかさほど気にならなかった。
高い創造性と意欲、社会的な責任感を保持しているNoismであるが、拠点の新潟に公演を見に行く
ことはなかなか難しい。彼らが、首都圏での常打ち小屋としてKAATで継続的に公演を行っている
ことを、まず高く評価したい。当初は観客が少なく心配したものの、近年は首都圏の観客にも浸
透してきたのか、観客数が増えてきたように思われる。このような劇場間、芸術団体間の連携を
今後も継続してほしい。
作品については、芸術監督・金森譲の新たな戦略に感心しつつ、驚いた。プロフェッショナル、
通人志向が強いと思われる彼らが、童話を題材に、しかもシリーズ化する計画のようである。子
評価内容
供など幅広い客層にアピールできるようにとの意図なのだろうが、そこに「近代」とつけるとこ
③
ろが(三島由紀夫の「近代能楽集」を思わせて)金森らしい。事実、作品は決して子ども向けの
「童話劇」ではなく、現代の事象を取り込んだ、ブラックな面もある物語に沿って展開される。
元々童話とは残酷な面も含むのだが、そのあたりを現代の若者がどのように見たのか、興味を
持って評者が非常勤で教えているある大学の学生に聞いてみた。演劇、ダンス専攻の素直な学生
たちであったためか、素直に童話として受け止め、一方で高いダンサーの技術と演劇的なセリ
フ、映像を用いた演出を楽しんでいたようである。本シリーズが、益々充実しながら継続され、
それを神奈川でも見られることを希望したい。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
大変密度の高い70分間で、舞台から目が離せませんでした。この内容(わがまま娘が、恋人を顔
だけで選んでしまい、自分のことを愛してくれていた男性の良さに後から気づくが、もう遅いと
いう―もとの『かかし王子』よりも厳しい結末でしたが)を普通の芝居でやると、きっと見てい
てあまり面白いものにはならないことでしょう。言葉を使わず、すべてを身体で示すことで、シ
リアスなテーマがユーモラスに表現された楽しい舞台となっていました。眼鏡を外し、髪形を変
えたら実をいうと恰好良い男性だったというのは、少々漫画のようでしたが、それでも、それぞ
評価内容 れの扮装をといて、一瞬、素の状態になった演者の方々は皆、とても美しかったです。容貌がど
うとかいうよりも、それは芸術に携わる人間としての自負からくる美のように思われました。皆
④
様、あまりに自在に身体をコントロールし、難しい動きもこなしてしまうので、そのすごさを見
逃してしまいそうになりますが、普通の人間でしたら、あの箱に4人はもちろん、2人入ることさ
え難しいのではないでしょうか。日々の厳しい鍛錬がこの素晴らしい舞台を支えていることは間
違いないでしょう。現在わたくしは、高校の演劇科でも授業を持っているのですが、その生徒た
ちにぜひ見せたかった公演でした。もし再演されるようでしたら、きっと観るように勧めます。
プロとはどういうものか、学べることが多いと思います。
厳しめの評価になりましたが、感じは悪くなかったです。
ともかく物語がたいへんわかりやすくできていました。親子関係、拘束と解放、見た目とその実
などなど。無職男Ne(e)Tの見かけも部屋の中もオタクそのものの感じでしたし、イケ面の服が前
だけで後ろがないとか、設定が明快でした。養母のスカートの延長のように広がる水色の布の使
い方もよかったです。でも、わかりやすすぎて、童話って、もっと空想的で、ほろ苦く、深いも
のではないかしら?とも。現実から完全に離脱もしていないし、現実そのものの深みにいくわけ
でもない感じで、童話のもっている危うさ、魅力がないと申しますか、若干予定調和な印象を受
けました。「近代童話劇」というシリーズが何を模索しているものなのかわかりませんが、「童
話」という枠組みを使って何がしたいのか、「かかし王子」を軸に据えながら、それをどう変奏
評価内容
させたかったのかがあまりよくわからなかったです。
⑤
また、冒頭、登場人物を紹介していただいたのは良かったのですが、わざわざ方言を使った意味
もあまりよくわからず(新潟が拠点だからというだけ?)、一人一人の衣装についてdeザイナー
が激しく事細かに指示を出していましたが、そこの印象が強すぎて、本題の印象が薄くなった感
じもしました。特に、deザイナーが自己主張の強い我儘な人に見えたせいもあってか、主人公の
「我儘娘」が、そんなに「我儘」にも、また、「箱入り」にも見えなくなっていた気がします。
しかも、そうした印象で進んできて、最後になって、主人公が自分の残虐さ、わがままさを回想
する部分を、すべてまとめて映像で見せるようにしたのは、説明過剰のようでもあり、ダンスと
しては、身体表現だけでそうした部分を見せることから逃げてしまっているような気もして残念
でした。
バルトークのバレエ音楽「かかし王子」を金森穣が振付した舞台を観た。新潟市民芸術文化会館
所属のカンパニーNoismは昨年の6月に「カルメン」を拝見させていただいた。カルメンではあま
り大きくない布のスクリーンを巧みに使った演出が記憶に新しい。今回は背景にビデオカメラの
生の映像を映し出すという演出がとられていたのが興味を引いた。ただ、カルメンの進行役の存
在に疑問に思ったと同様に、オープニングの出演者全員の登場のやりかたは「またこういうパ
ターン?」という印象を持ってしまった。しかし、音楽が始まると分かりやすい振付で楽しめ
た。
こういうおとぎ話のようなストーリーを持つ作品は、観客層の裾野を拡げるのに役立っているの
評価内容 かもしれない。
Noismが内容的に充実しているものでも、毎年のように連続して取り上げるのには疑問を感じる。
⑥
地方発の公演は、その質が上がっていることと同時に、その公演が持つエネルギーや実験的な新
しい試みへの期待も大きい。やはり、芸術劇場の魅力はその懐の大きさにあるような気がする。
毎年のように同じ劇団やカンパニーが登場するのではなく、目の肥えた担当者が全国を歩いて探
してくる新鮮な公演が芸術劇場で観ることが出来れば、劇場の注目度もいっそう大きくなるので
は。そうした活躍にも大いに期待する。
当日、開場の時間を15分以上過ぎても客席に入れなかったのはなにかトラブルがあってのことな
のでしょうか。プロフェッショナルな公演では絶対に避けなければいけないことのひとつだと思
います。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
『ペールギュント』
開催日
7月11日(土)~7月20日(月)
会場:KAAT ホール
事業概要 概要:イプセンの傑作「ペールギュント」をアーティステック・スーパーバイザー白井晃が演
出。KAATオリジナル音楽劇。
見応えのある舞台で、終演後に考えさせる。物語は有名だが、放蕩息子ペールの生き様は普遍性
を備えていて、結局のところ人間というものはいつの時代も変わらないというところに帰着す
る。戦時下の不穏な鬱屈した空気、陰惨なその場にはそぐわないけれど、たしかに希望の光たる
乳児など、非現実であり、近未来に起こり得る現実かもしれないという不思議な感覚を呼び起こ
した。大ががりな装置替えなどないにもかかわらず、衣装や布、人物造形で十分ペールの遍歴し
た世界観を出せている。物語展開に柔軟に反応するフリージャズを舞台に差し込んだアイディア
評価内容
も秀逸。役者陣もペールの母(前田美波里さん)や堀部圭亮さんなど、手堅い人選。ペール役内
①
博貴さんは主役として大健闘しているけれども、喜劇的な要素でもうひとつひきつける間がある
と良いと思うし、ソールヴェイ役藤井美菜さんは、美しい容姿で適役だが、セリフが不明瞭で聞
き取りにくいところがあるのが惜しい。とはいえこれだけの長丁場で緊張感を保ち続けるのは容
易ではないこと。当日は演劇鑑賞会の中学生(?)集団が観にきていた。はじめこそざわついて
いて役者さんに影響はないものか気になったが、扇情的な場面などで、ダイレクトに反応するの
が傍目で見ていて面白かった。
本作の評価として、上演のクオリティは俳優、音楽、美術ともに十分高いものであったが、
『ペール・ギュント』の現代的解釈としては、私は大変批判的である。その最たる理由は、舞台
設定を近未来の紛争地を思わせる廃墟としながら、イプセンの原作自体にほとんど手を加えてい
ないことである。特に後半の、ペール・ギュントが武器や奴隷の商人として財を成すシーンや、
アラブで預言者と間違えられるシーン、そしてペール・ギュントがソールヴェイのもとで最期を
迎えるシーンは、今作の舞台設定の解釈に大きくかかわる。つまり、原作にそもそも描かれてい
るこれらの場面が、紛争地という設定のために、現代の中東の政治、宗教問題を強く想起させる
にもかかわらず、終幕でペールが「救われた」かのように描かれることには、演出、解釈上の問
評価内容 題がある。とりわけ、内博貴氏の演じるペールがとりわけ若々しい軽さをもった造形であるため
に(その演技自体は評価できるのだが)、近年問題とされるISISの若者たちとのリンクを考えざ
②
るを得ない。原作ではペールの一生が「中庸」であるという評価について結論を与えないまま幕
を閉じるが、今作はその大きな翻案点である未熟児の死をモチーフとした入れ子構造のために、
ペールの生には肯定的な読みを引き起こす。生の肯定、またその観点からの紛争問題への批判を
読み取れなくはないものの、この舞台設定において、死の商人であり預言者として振る舞うペー
ルを、政治的な批判性を持つ人物として受け取ることは、私には困難だった。今日改めて『ペー
ル・ギュント』を読み返すと、現代に繋がるモチーフが大変多く、それらを全面的に活かす方向
の演出、翻案アイデアは評価したい。だが、解釈においては、批判すべき対象をかえって擁護し
かねない結果となっていることは残念である。
やはり上演するのも、理解するのもなかなか難しい作品であるなと、しみじみ感じました。た
だ、『人形の家』でも『幽霊』でも『ヘッダ・ガーブレル』でもなく、この作品の上演に挑戦さ
れたことには、大きな意義があると思います。最も面白かったのは毒々しいトロルの場面で、
ディズニーの『アナと雪の女王』に出てくる可愛らしいトロルなどより、ずっとわたくしのイ
評価内容 メージに近いものでした。
『ペール・ギュント』に出てくる女性像のみに注目すると、以降のイプセン作品とのあまりの違
③
いに驚きますが、「自らにいかに忠実であるか」というテーマは、のちの作品群に受け継がれて
ゆくものであり、そういった意味において重要な戯曲で、こうして上演を観ることができたのは
うれしく思います。
キャスト・スタッフのリストの無料配布はやはり難しかったのでしょうか・・・。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
KAATキッズ・プログラム2015
おいしいおかしいおしばい『わかったさんの クッキー』
開催日
7月23日(木)~8月2日(日)
会場:KAAT 中小スタジオ
概要:チェルフィッチュ主宰岡田利規による子供のためのお芝居。寺村輝夫×永井郁子による童
事業概要
話「わかったさんシリーズ」(1987年-1991年)を題材に、岡田らしい切り口で子供のためのお芝
居を創り上げる。
イマジネーションを育てる公演。とりわけ子供達は自然に受け入れていたし、大人もなんとかつ
いていける。大人の視点から見た子供の心を再現することは難しいことだろうが非常に面白い舞
台に仕上がっていた。唐突で脈絡のない展開でも違和感はないし、個性の強いキャラクター設定
も、単純な笑いを好む子供心を確実にキャッチしていた。何より素直な反応が起こっていて会場
の雰囲気がとても良い。舞台美術はカラフルで、なんでもない日用品が楽しげなオブジェになっ
ていた。別のものに見立てるのには少々無理がある小物もあったが、子供には抵抗がなさそうで
評価内容
ある。役者も良い味を出していた。ニュートラルな立ち居振る舞いが場にすんなりと溶け込んで
①
いるわかったさん役椎橋綾那さん、常識人的なお父さん役から思い切った演技のロックスターま
で演じ分けた古屋隆太さん、針の振り切れ方が良い笠木泉さん、そして美味しい役どころではあ
るが子供達の心を鷲掴みにしていたイネおばさんとカギ役の佐々木幸子さん。山崎ルキノさんも
一番わけがわからない役どころだけれど、良い進行役であった。手土産にもなるレシピブックも
気が利いている。さんざん公演でクッキーの作り方を聞いて、簡単にできそうな気がした。親子
で試作した人もいるはずでは?
子供はある意味において、大人よりも厳しい観客であるので、子供が惹き込まれる舞台は、間違
いなく大人も満足すると思うのですが、子供の能力を見くびった公演が多いように感じていま
す。KAATにおける公演には、そういったものが少なく、まさに子供も大人も楽しめる、レベルの
高いものが多いことには、つねづね感心しておりました。ただし、残念ながら今回の舞台は期待
外れでした。
大人が「ごっこ遊び」をしているのをただ眺めているだけのような印象を受けました。これまで
クッキーを作ったことがない子供たちには、彼らが何をしているのかよく分からなかったのでは
ないでしょうか。想像をするには、ある程度の経験も必要です。大変かもしれませんが、本物の
道具と材料で、その場で実際にクッキーを焼いてしまえば良かったと思います(少なくとも<わ
評価内容
かったさん>だけでも。3人が3人とも「ごっこ」でクッキーを作るふりをすることはなかったので
②
はないでしょうか。)その方がよっぽど「おいしい、おかしい」芝居になり、子供も大人も大喜
びしたことでしょう。
客席が囲む形のステージも、ほとんど意味がなかったように感じました。当然、客席と交流があ
るのだろうと思っていましたが、せっかく子供が面白く独創的な事を元気よく言っても、役者は
ほとんどそれを受けていませんでした。客席の可愛らしいロッククッキー・クッションも、何か
に使われるのだろうと楽しみにしていましたが、文字通りただ敷いてあっただけでした。
いくらでも面白くなる可能性はあるのに、すべての詰めが甘いため、中途半端な舞台になってし
まったように思います。間違いなく「子供の能力を見くびった」公演に分類できてしまいます。
楽しみにしていただけに残念です。
本作には二つの評価軸があるだろう。一つはKAATが積極的に企画してきている子供向けプログラ
ムとしての評価、もう一つは岡田俊規氏の新作公演としての評価である。そして両者どちらの観
点から見ても、高いクオリティに達していた公演だった。
私がこれまで観てきた子供向け作品の多くは、主に観客参加型のスタイルによって子供たちを飽
きさせない工夫がなされていた(そのため上演中のお喋りが多くの場合許容されていた)。今作
は、上演中に関してはアイコンタクト程度まで子供の観客との接触を抑え、彼、彼女らが舞台を
集中して「観る」時間を丁寧に作っており、一般の舞台上演と変わらない鑑賞体験が子供たちに
も得られたのではないかと思う。衒いのないストレートな演出と物語構成でありながら、一つの
評価内容
アイテムを様々な道具に見立てる想像力を強く喚起する金氏徹平氏の美術の力は特筆すべきもの
③
だろう。観劇体験の重要な要素である登場人物とのイメージの共有が、シンプルなアイデアで達
成されていた点を高く評価したい。また、舞台美術に触れる機会や、ホールのプロジェクション
マッピングは、上演以外の時間にも作品世界に入り込む契機として上手く活かされていた。
岡田作品の新作としては、氏の作、演出の幅の広さを改めて知ることとなった。奇抜な衣装や美
術、挿入歌の使用は意外に感じられたが、役者の好演もあり作品世界を見事に作り出していた。
また、主人公わかったさんの語り方は、氏の特徴とされる現代口語的台詞と言える。冗長な区切
れのない語りが、実は子供が物語るときのそれとよく似ているという発見は、児童劇における
「わかりやすい」語りの在り方に一石を投じるものではないだろうか。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
KAATキッズ・プログラム2015
親子のためのファミリー・ミュージカル
『ピノキオ~または白雪姫の悲劇~』
開催日
8月8日(土)~8月16日(日)
会場:KAAT 大スタジオ
事業概要 概要:初代芸術監督宮本亜門演出による作品。平成25年度にKAATアトリウムにて上演したファミ
リー・ミュージカルの再演。
数年前に同作を観たときにも楽しかった記憶があるが、今回の再演ではさらにパワーアップして
いた。舞台を駆けずり回り観客の子供(や大人)を誘導し巻き込む役者陣の高いテンション、笑
いの要素など、一段も二段も磨かれている印象を持った。今回はとりわけ、白雪姫役の池田有希
子さんが前回にも増して客席を沸かせていたように思う。声色の変化、おとぎ話の姫とは思えぬ
本音の語り口など、かなり痛烈なアイロニーも込められているが、子供たちも素直に面白がって
いるように見える。ピノキオ役の小此木まりさんは相変わらず少年のようで可愛らしく、身のこ
評価内容
なしも軽やか。物語自体は手垢がついたもののはずなのに、教訓めいた説教臭さはなくて安心し
①
てみていられる。白雪姫はもちろん長靴をはいた猫などありとあらゆるおとぎ話の要素が渦巻い
ているのも(めちゃくちゃだが)楽しい。今回、作品の完成度が上がったと感じさせられたの
は、もしかしたら役者陣の熱演はもちろん、照明の効果もあったのかもしれない。壁一面にぐる
りと街の情景が投影されたり、不穏な場面でのただ事ではなさそうな光の色合いが会場全体に渦
巻いでいるなど、舞台と客席で断絶がないのも、統一感のある雰囲気作りにおおいに貢献してい
たように思った。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
KAATキッズ・プログラム2015
コンフェティ劇団『秘密のショートケーキ』
開催日
8月13日(木)~8月17日(月)
会場:KAAT ホール
事業概要 概要:カナダ(ケベック)から招聘する、4歳~10歳を対象とした演劇作品。大きなケーキ型のテ
ントを舞台上に設置し、その中で食べ物をテーマとしたパフォーマンスを体験する。
ケーキの入り口で演出(プロデューサ―?)の方に「あなた一人?がんばってね。」と言われ、
子供抜きでステージまで辿りつくのは難しいのかとドキドキしながら中に入りましたが、全く問
題ありませんでした。
後から入って来た小さいお子さんに見やすいよう場所を変わってあげましたら、またまた演出の
方が「あなたはちゃんと見えるの?パフォーマンスが始まって見にくいようだったら移動して
ね」と声をかけて下さったのがうれしかったです。
パフォーマンス自体は、素朴なものでしたが、ケーキ・玉ねぎ・包丁(恐らく紅茶も)など、す
べて本物を使っていたことに感心しました。本物はそれだけで説得力があります。ちゃんと食
評価内容 べ、飲み、切る。何かをしている「フリ」ではないと、それを見ているだけでも面白いもので
す。小さなことかもしれませんが、観客にちゃんとお菓子をくれたことも良かったと思います。
①
籠に入ったキャンディーが天井から降りてくるタイミングは絶妙でした。籠の近くにいる人が、
周りの人達にもキャンディーを配ってあげ、会場はほのぼのとした良い雰囲気に包まれました。
すべり台で一人一人外へと出ていく終わり方も素晴らしかったです。皆の拍手を受け、観客のそ
れぞれが一瞬主役になる素敵なラストでした。
大きな声でしゃべって、笑って―普段いろいろな場所で「静かにして!」と注意されることの多
い子供たちにとって、この公演は本当に良い経験になったと思います。終演後、小さなお子さん
が「もう一回入りたい」とお母さんにねだっていましたが、これは、関係者の方々にとって何よ
りうれしい評価なのではないでしょうか。
久しぶりにコンフェティ劇団を観られるということで大変楽しみにしていた。相変わらず期待に
違わぬ楽しさである。舞台にたどり着くまでにあらゆる触感、質感を味わえる小部屋を通らなけ
ればならないのも面白い趣向。小さなハエを探す題目がひとつあるだけで、隅々まで作り込まれ
た部屋を見せることと次の部屋に行くまでの時間を稼げるわけで良いアイディアである。少し大
きめの部屋も見世物小屋の楽しさに満ちている。ハエの扮装をしたミュージシャンがロフトに控
え、ありとあらゆる生活用品をいとも見事な効果音に仕立て上げるのが素晴らしい。舞台の役者
評価内容 さんも、客席と非常に密接な距離にいながら、隙のない、それでいて親密な雰囲気を作り上げて
いる。ショートコントが次々に繰り広げられる形式をとっているが、ひとつひとつが日常の細や
②
かな心の動きを活写するような作品で、子供たちの反応はもちろん大人にとってもワクワクする
ものだった。惜しむらくは我が服装。最後の最後に滑り台を滑るという一大イヴェントがあると
はつゆ知らず、場違いなスカート姿で出かけてしまったために、何十年ぶりかで滑り台を楽しめ
るタイミングを失ってしまった。今度コンフェティ劇団を見ることがあったら服装には注意した
い。ケベックの方々が編んだ靴下が用意されていたのも、心がこもっているようで好感を抱い
た。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
カンパニー マリー・シュイナール
「春の祭典」「アンリ・ミショーのムーヴマン」
開催日
10月24日(土)~25日(日)
会場:KAAT ホール
事業概要 概要:モントリオールを拠点に独創的な発想で作品づくりを行っているマリー・シュイナール率
いるダンスカンパニーの7年ぶりの来日公演。
おもしろかったです。妥当と書きましたが、この金額でこのレベルのものを見られるのは良心
的という印象です。KAATの空間も生きていました。
前半の「春の祭典」、動きが独特で、春に「きざす」さまざまなものを想起させられました。後
半ちょっとマンネリの感じもあって、退屈かなあという感じもしましたが、光と影の使い方も美
しかったです。
なんといってもおもしろかったのは、「アンリ・ミショーのムーヴマン」。コンセプトは非常
にわかりやすく、人間の動きのおもしろさ、不思議さ、そして、踊ることの原点をふと考えさせ
られるものでもありました。絵をモデルにした動きをする、という非常にシンプルな構成なの
評価内容
に、動きだけでなく、映写、フォーメーション、テンポ、場の使い方、さまざまに工夫があり、
①
飽きない舞台でした。絵との対話をそれぞれのダンサーが繰り広げているようで、ダンスレッス
ンを見ているような、それぞれがトライしている感じが心地よく、踊っている人たちも楽しそう
でさわやかな舞台でした。フランス語がわからない&アンリ・ミショーの世界もよくわからない
という点で十分理解しているかどうかはわかりませんが、それでも楽しめる舞台だったです。テ
キストの和訳も美しくさりげなくつけてくださいましたが、これを読んでもよくわからない…。
欲を言えば、一言、アンリ・ミショーなり作品なりについての解説や、マリーがこれを使おうと
思った意図を知りたかった気もしますが、そういう「言葉の解説」「言葉の理解」を超えて、ダ
ンスとしておもしろかった、という点をなにより評価したいと思います。
春の祭典の振り付けには一定の先入観やイメージがついているが、今回のマリー・シュイナール
による作品はまったくことなるアプローチ。ダンサーは小さなスポットがあてられた部分を自分
の領域として踊るが、ダンサーの持つ分断された領域同士が時に干渉し合いダイナミックを形成
している。たとえば下手から上手に三人のダンサーが照らし出され、それぞれの領域から出るこ
とはないが、見えないところにいる別のダンサーと空気を受け渡していく様など。振り付けは古
典バレエのものとは全く異なる手足の使い方で、古典バレエの観点ではキャラクターダンスどこ
評価内容
ろか時に醜悪ともとれる動きを取り入れている。だが、ディアギレフが春の祭典で求めた伝統か
②
らの脱却の精神はここにも受け継がれていると感じた。このカンパニーにはさまざまな体型のダ
ンサーがいるが、それぞれの個性を生かした振り付けも大変味わいがあって良い。後半の「ムー
ヴマン」も大変感銘を受けた。書の形を人体が模倣するが、時には体そのものに存在しない線な
ども表現してしまう。個人的には、子供のころに見たバラエティ番組を思い出して苦笑いした。
とんねるずがゲストと共に文字を人体で模倣するコーナー「モジモジくん」である。衣装も酷似
している。洗練度も目指す芸術的観点も、本来比較にはならないはずではあるのだが…。
当企画はコンテンポラリー・ダンス、あるいはダンスにおけるポスト・モダン的手法の顕現とし
ての参照すべき一例を確認する企画となっていたかと思われました。特に第一部の〈春の祭典〉
は既にこの意味合いから云えば記念碑的な作品となりつつあるようにも思われましたが、それは
逆説的には、ここに採用されている、様々な身振りの採集、そしてこれらを組み込んでの文脈の
解体再構築をたどった末に提示されたその身振りの構成が、今日のダンスにおける表現思想とそ
の技法的現れとして浸透し自明化してきたことをも意味しているように思われた次第です。
それゆえに、今回の企画が示す意義と云うのは、もちろんダンスが示す今日的表現の姿を伝える
評価内容 ところに主眼があるわけですが、これに止まらず、さらに専門的には、その先の明日の創造とい
う事柄に資するための参照項としての役目を、早くも担わされ、より客観的な眼差しに晒されて
③
もいたのであろうと思われました。
第2部のミショーのドローイングを肉体と身振りに還元する作業は、こうした流れの上に立って、
技法的にはコレクティブ・ワークとしての面目を示しているものの、しかし、こうした身振りの
抽出と並列がどのような表現の地平を切り開くのかについては、まだ結論を出し得ぬまま客席へ
問いかけられているようです。とはいえ、その一方で詩人の行ったイメージの実験に材を採るこ
と自体が、物語ではなく詩により近似をもって語られるダンスの性格に関する確認あるいは念押
しであったともとれた点、興味深く拝見できる企画であったかと思います。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
デボラ・コルカー・カンパニー「ベル」
開催日
10月31日(土)~11月1日(日)
会場:KAAT ホール
概要:ブラジルのデボラ・コルカ―・カンパニーによるダンス公演。これまで日本で多く紹介さ
事業概要
れてきた欧米を中心とするコンテンポラリー・ダンスとは少し質の異なる表現方法、テクニックと
アイデアに満ちた作品。
とにかく「美しいものを見た」という印象です。舞台空間や装置の生かし方が素晴らしかった
です。誇張された面白い装置だなと感じていた電気スタンドが、ポール・ダンス(もどき?)に
使われたことには驚きまた感心しました。白い幕を使ってのダンスが特に官能的で目を奪われま
した。ダンサー同士の息が合って初めて可能になる、非常に難度の高いダンスであったと思いま
す。
評価内容 シノプシスの最後に書かれた、「この物語は現実の世界でおきていることなのか、それともセ
ヴリーヌの妄想なのか?」という観客への投げかけに、わたくしでしたら、「妄想だと思う」と
①
答えます。舞台劇でわたくしが一番好むのは、いわゆるストレート・プレイなのですが、そうし
た科白劇では表現するのが難しい世界が、見事に創造されていました。
少々世俗的な話になりますが、普通でしたら500円は取られてしまいそうな立派なプログラム
が、無料で配られたことにも感心しました。観客にとって何よりもうれしいサービスだったと思
います。
カトリーヌ・ドヌーブの「昼顔」を残念ながら観たことはないが、その官能的な世界観はこのプ
ロダクションで存分に味わうことができた。古典の技術を完璧に身につけたダンサーたちの、強
くしなやかな踊り、手足が長く鍛え上げられた体の線の美しさを見ているだけでも圧倒される。
普通、鍛え上げられたダンサーの体つきには官能性は見出せなくなるところだが、振付なのか表
現なのか、はたまた文化的バックグラウンドの差なのか、表現する肉体に対して大らかかつ大胆
評価内容 な捉え方をしていると感じた。振付はもとより、衣装や小物までスタイリッシュで隅々までセン
スが感じられる。ソロダンサーの徐々に羽ばたいていく妄想や、欲望にみちた男性たちの目線と
②
いった、心理的な側面にも焦点が合っていて、単に美しさを追求するだけだはない、非常に奥行
きのある舞台に仕上がっていた。階段の上から危なかしく不規則な動きで待ち構える男性ダン
サーにしなだれかかっていったり、身体能力の高さを、それ自体をサーカス的に前面に押し出す
のではなく、ことごとく表現につなげている点が素晴らしい。二週連続でハイレヴェルなダンス
公演を観せていただいたが、個人的にはこちらのカンパニーにより感銘を受けた。
本公演は、コンテンポラリーダンスとしての先鋭性と作品の「わかりやすさ」が、全体として
ちぐはぐになってしまっているように思われた。第一に、コルカーの活動範囲の広さ、特に日本
でも人気の高いシルク・ド・ソレイユの振付を行ったことなどが、本公演においてどれほど強い
アピールポイントなのかわかりかねた。逆に言えば、ダンスファンへ向けてはこうした宣伝はあ
まり必要ではなく、むしろ「KAAT Dance Series」のパンフレットにある乗越たかお氏の紹介文の
ような、コンテンポラリーダンスの文脈でいかに重要な振付家かという点を強調すべきだろう。
2点目は、舞台作品としてストーリーが極めてわかりやすいという点である。原作ものゆえの欠
点だったのかもしれないが、私にはダンスである必要性があまり感じられなかった。清楚な妻と
娼婦の二つの顔を持つ女性が主人公であり、その二面性が、白/黒、天使的/悪魔的な衣装や身の
評価内容
こなしの対比から表現されているのは、特に「娼婦」という女性像を演じるにあたって安易に過
③
ぎると感じた。また、トウシューズを脱ぐこと、つまりバレエからモダンダンスへという解放の
ナラティヴを、家庭から娼館へ舞台が移る点に重ねることも、主人公の二面性の葛藤とかみ合わ
ない(彼女が家庭から解放されたと解釈するなら、妻であることの方が偽りの顔になるから
だ)。各シーンのダンスそれ自体のクオリティが極めて高いゆえに、もっと複雑なストーリーが
観たいと感じた。
最後に、海外の中~大規模カンパニーの招聘作品で私が一番ネックに感じるのは、チケット価
格と日程である。今回はホールでの公演だったが、例えば席種による複数の価格帯を作ることが
可能か、また1時間強の上演であれば日に二回公演は可能か、製作上の負担が増えてしまうことは
重々承知ではあるが、アクセスのしやすさを探って欲しい。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
物語と舞踊の関係をいかに構築するかということは、舞踊表現にとっての一つの課題であるよう
に思われます。今回の上演にはその問題に関する課題の再認識の必要性を訴える側面があったよ
うに思われました。
たとえば、説明的な表現としてのマイム風の「あて振り」を採らずに、抽象的な身振りが過剰と
もとれるくらいに盛り込まれる形を採って舞台は進行するわけですが、この時に舞踊表現におけ
る「振り」を単純な装飾に貶めないための工夫として、構成にはある種の”緊密さ”が導入され
ています。例えば採用された身振りの一つ一つは、たとえそれが象徴的に日常の中で散見される
一連の状況を示すものであっても、これが速度の差異や分節化、反復などによって強調されると
云うような。こうした強調に加え、他の身振りがその分節化された身振りへ挿入されるなどして
展開していった折には、その意味合いは写実的もしくは状況説明的であることから解体され、身
評価内容 振りがそもそも社会生活の中で無自覚的に持ってきた意味の再確認が求められるような性格が作
品には表れて来ることでしょう。シーンをつくり、また全体を通じて表れるその作品構成上の基
④
本方法。しかし、その方法がはたして物語をなぞるといった場合にはたして如何に構築可能か。
そういった問題が喚起される面が、この作品にはあった点で、舞踊表現の今日的な冒険の一つと
して、興味深い作業であったように思われました。
さらに、冒頭にはこうした意味より一度切り離されようとした身振りを構成する中より、物語を
いかに再獲得していくことが可能なのか、といったような問題についての積極性が強く漂ってい
たように思われました。ただし、この挑戦も、原作とのせめぎ合いの中で、次第に物語に添うこ
とへと比重がかけられていった印象もうけました。
今回の企画は、舞踊表現における多様化は既に自明化した感があるわけですが、そのなかで今日
的表現のありようを捉え、考察する上での一つの母体となりうる作品紹介の好機会となっていた
ように思われます。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
ミュージカル「HEADS UP !」
開催日
11月13日(金)~23日(月)
会場:KAAT ホール
事業概要 概要:「舞台監督」を中心に、普段表舞台に登場することのないバックステージで働く舞台ス
タッフに焦点を当てた、ラサール石井演出の新作オリジナルミュージカル。
まだまだいくらでも改良の余地のある舞台だと思います。
間違いなく「show must go onもの」「バックステージもの」に分類されると思いますが、東京サ
ンシャインボーイズのタイトルがそのものずばりの『ショウ・マスト・ゴー・オン―幕を降ろす
な―』や扉座の『フォーティンブラス』などの方がずっと面白かったですし、感動もしました。
それは、これらの舞台では、中心となる人物が明確だったからではないかと思います。色々盛り
込み過ぎ・アイデア未消化の脚本が何よりも良くないです。
それぞれに見せ場やソロの場を与えなければならないという、裏の事情も分からないではあり
ませんが、そのせいで焦点がぼけ、印象が散漫な舞台になってしまったように思います。笑いの
取り方にしても「どんなことがあっても幕を開け、演じ続けなければならない」という、切羽詰
評価内容
まった<状況>で笑わせて欲しいものです。また、難しいのは、「舞台への想い」を台詞や歌で語
①
られても、それで人は感動しないということです。これも、笑いと同じく、言葉ではなく「幕を
開け、演じ続ける」のだという<強い想い>や<行動>に、観客は心打たれるのではないでしょう
か。
海外で制作されたミュージカルの翻訳上演が主流である日本で、オリジナルのミュージカル創
りに挑戦することには少なからぬ意義があると思いますが、決して安くはないチケット代を払っ
ている観客には、こうした中途半端な舞台ではなく、きちんと完成した水準の高いものを見せて
欲しいです。「show must go on」は、決して「まだ出来上がっていなくても幕を開けてしまえ」
という<やっつけ>の事ではなく、「出来上がったものを、より良い状態で最後まで見せる」と
いう舞台人の心意気と姿勢を示していると信じます。
大変良質なエンターテイメントミュージカルであり、観劇経験の多寡を問わず幅広い層が楽し
める作品だった。脚本や音楽、出演者は共にレベルが高く、またバックステージというミュージ
カルには少し変わった舞台設定が、とても良く活かされていた。
バックステージものと呼ばれる作品として、公演の仕込みからバラシまでのプロセス、しかも
技術スタッフに焦点をあてた設定は、ストレートプレイを含めても珍しいのではないだろうか。
舞台経験者にとっては強い共感を覚える登場人物が随所に現れ、一方で普段舞台裏を見ることの
ない観客には新鮮な設定に映っただろう。また、作品のナレーター役を務める劇場付雑用係(中
川晃教氏)によって、舞台がさらにメタシアター的に表現され、その場に居合わせた観客までも
評価内容 作品の中に取り込んでいくアイデアは大変優れていた。劇場閉館のニュースが絶えない昨今、こ
の二重の舞台設定は舞台に携わる者の強いメッセージを感じさせた。
②
パンフレットの中で幾名かが懸念を抱いたと語ってはいるが、確かに派手な場面が作りにくい
設定とストーリーである。だが、冒頭の様々なミュージカルのパロディを披露するレビューシー
ンや、限られたセットや照明を活かしたダンスには、素舞台だからこその可能性を感じさせる演
出や遊びが冴えていた。またその点が、作中の各技術担当の登場人物の見せ場となるのも面白
い。
今回の公演では哀川翔氏のキャスティングが見どころの一つだったが、全体的な配役はタイプ
キャスティングが可能な作品だと思われる。異なるキャストでの再演も含め、劇場主催作品のレ
パートリーとして今後も上演を重ねてほしい。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
A New Musical 「JAM TOWN」
開催日
1月13日(水)~30日(土)
会場:KAAT ホール
事業概要 概要:少年隊として活躍し、近年は、舞台俳優の他、演出家として活動の幅をひろげる錦織一清
による、ヨコハマ発の和製オリジナルミュージカル。
トライアウト公演も拝見していただけに、作品がどのような発展を遂げたか非常に強い関心を
持っていた。ストーリーも、舞台装置も、役者陣の動きも格段にダイナミックなものに仕上がっ
ていて、堪能した。音楽も良い。役者陣にはメディアで顔の知れた俳優がキャスティングされて
いたが、なかなかどうしてよく歌うし、よく踊る。もちろん、YOSHIEさん率いるアンサンブル歌
手&ダンサーがきわめてハイレヴェルな布陣で、背景をゴージャスに彩っているから、なまじの
役者が歌っても踊っても本職の彼らにはかなうわけがないけれども。特に筧利夫さん、適役で存
評価内容
在感大ではあるが、わざわざ歌わせるのは少々酷では?藤井隆さんが、告知のチラシやポスター
①
での二枚目ぶりとは打って変わって、軽妙な役どころで一服の清涼剤になっていた。あゆみ役松
浦雅さんも、決して優等生のお姫様ではないこの役を、等身大の女の子らしく演じていて好感を
持った。主役陣でダンスの存在感があったのはJJ役水田航生さん。トライアウトであゆみを演じ
ていた深瀬さん、こちらが顔を知っているだけについつい目がいってしまったが、あいかわらず
素晴らしい身体能力。今後の活躍を期待したい。ところで、JJが御曹司であるキャラクター設定
が生かされていないなど、脚本についてはまだ練り上げる余地があるように思う。再演を期待。
ミュージカルJam Townを拝見しました。20公演をKAATで行った新作ミュージカル。まずこ
の快挙に拍手です。ヨコハマということで港のバーという設定で物語が進行。横浜港に行くと、
時々寄る小さなカフェがあるのですが、頭の中で、そのカフェから眺める港町の夜の光と海の匂
いが頭の中で交差する奇妙な感覚で鑑賞していました。それもあってか、この作品を観るために
ヨコハマまで足を運ぶということが、なにか特別な意味があるようにも感じました。
舞台はテンポよく進行、私たち観客にあまり立ち止まる時間を与えない演出は素晴らしい。空
評価内容
白・沈黙のリアクション(もちろんこれも演出ですが)が目立つ舞台が多いステージ作品の中
②
で、こういう爽快感は観終わった余韻も特別な感覚です。キーボード、ギター、ドラムスと声だ
けの音楽でしたが、ミュージカルの根幹を作る音楽が貧弱に感じなかったのは作曲、アレンジの
質の高さのおかげです。ミュージカルに欠かせないダンシングでは、よく鍛えられた肉体の動き
がシーン全体を大きく膨らませたという感想をもちました。ヨコハマ発の新作ミュージカルとい
うことで、少し拘りますが、東京や他府県から観客に通ってもらい、ここKAATだけで観るこ
との出来るミュージカルになって欲しいなという欲が私の中で出てくる公演でした。
地元を舞台に、地域密着型のミュージカルを創造する試みとしてのユニークさが印象的な企画で
あったかと思います。上演までのトライアウトなど、地歩を築いていく過程など、本公演へ向け
ての立ち上げなども注目されます。本公演ではミュージカル公演へ馴染みのない層へのアピール
評価内容
をキャストの選定の上で画策された様子もうかがわれますし、上演される物語もわかりやすく楽
③
しめるものであったかと思います。
今回の企画にはミュージカルが今日的な大衆演劇としての可能性をも示す好例となっていたよう
にも思われました。
正直申しまして、ストーリーなどはかなりありきたりで、きっと批判的な意見もあるに違いな
い作品だと思うのですが、わたくしにとっては、好きなタイプの舞台でした。アッという間の2時
間40分で、暖かい気持ちで帰路につくことができました。
歌やダンスなど、出演者によってレベルにバラつきがありましたが、それぞれのこの公演に対す
る強い愛を感じましたし、チームワークがとても良かったので、大したマイナスではなかったと
思います。たとえ出演者すべてのレベルが高くても、面白くない舞台はいくらでもありますの
で。出自の異なった出演者がミックスされ、ジャニーズ風でもあり、小劇場風でもあり、つか風
評価内容
でもあった舞台の雰囲気がわたくしにとっては好ましかったです。
④
あゆみとJJの出会いや再会(肉まん)のシーンなど、もう少し練る(洗練させる?)ことができ
そうな部分もありましたが、総体的に細部にまで演出の眼が行き届いていて、舞台上のどこの誰
を見ていても楽しかったです。前後左右上下、余すことなく上手く舞台が使われていたように思
います。そういった舞台は日本では非常に少ないので感心いたしました。
「横浜」の魅力がいっぱい詰まった、「横浜」を代表する新しいミュージカル。再演され、もっ
ともっと多くのお客さんに観てもらえると良いですね。十分にそういった価値や可能性のある作
品だと思います。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
KAAT竹本駒之助公演第6弾
「日蓮聖人御法海」三段目切「勘作住家段」
開催日
2月27日(土)~28日(日)
会場:KAAT 大スタジオ
概要:女流義太夫・KAAT竹本駒之助公演シリーズ第六弾。上演回数の少ない稀少曲を、また、今
事業概要
の駒之助師だからこそ上演できる難曲を積極的に取り上げ、KAATでしか聴くことのできないライ
ンナップを実現するシリーズ。
専門劇場以外の公共劇場空間での邦楽公演企画のありようとして、かつまたKAATにおける名
物企画としてはや定着の様相を示すかのような当企画、個人的にも毎度楽しみにいたしておりま
すし、また、こうした取り組みが芸術祭賞の形で評価された事も、その企画が集めて来た注目度
評価内容 如何の一つの証左であるのではなかろうかと思われる次第です。
公演前のレクチャーの開設など、これまでも人間国宝・竹本駒之助の個人史とあわせて浄瑠璃観
①
賞、ひいては庶民層を中心とした日本文化の根幹にある物語と、それとともに育まれてきた精神
にと改めて触れるための扉を開く試みともいえる好企画だと思っております。
毎回上演前のレクチャーとともに配られるお土産も楽しみの一つです。
KAATが2013年から継続している女流義太夫・竹本駒之助の公演。第六弾にしてようやく評価者は
鑑賞することができた。一般にはあまりなじみのないジャンルではあるが、このように優れた技
芸を持つ演者(浄瑠璃、三味線ともに)の公演を継続して企画することは大変評価できる。恐ら
く伝統芸能はどこも同じように、継承者、観客数の減少に直面していると推測される。公立劇
場、公立の文化芸術財団としてその保存、普及、発展に寄与することは社会的な役割の一つと見
做せる。
公演そのものについては、評価者は浄瑠璃の専門家ではないが、語り、三味線共に十分に楽し
評価内容
み、芸の奥深さ、女性ならではの艶や人間性の襞を味わうことができた。公演会場は、和風の客
②
席や装飾が施してあり、日常からこの伝統芸能の世界に入り込み、非日常を楽しむ環境になって
おり、劇場の総合性が活かされていた。演目自体は、もっとたっぷり聴きたいとも思ったが、そ
の分、神津武男氏による解説で補ったのだろう。配布資料も充実しており、研究者らしい詳細な
話でありながら、素人にもわかりやすいよう現代風俗に譬えるなど工夫が感じられた。但し、評
価者を含め初めて女流義太夫に接するものにとっては、女流義太夫についての簡単な解説、ま
た、先日、文化庁芸術祭大賞を受賞されたばかりの竹本駒之助に関する紹介もできればほしかっ
た。
まず、女流義太夫を聴く機会がほとんどない中で、こうした企画を継続しておられることに敬
意を表したい。客席には研究者の顔も少なからずあったようだが、初めて浄瑠璃を聞くという人
も少なからずいて、感心した。古典芸能的ではない、大正モダンの広告のようなシリーズのチラ
シも、観客層拡大に貢献しているような気がする。また、舞台の大きさ、作り方、観客との距離
感、照明の使い方なども非常に良いと思う。なにより芸に集中できる落ち着きと、演者との近さ
がすばらしい。こういう環境で古典芸能を鑑賞できたら、おそらくもっと面白いと思えるものが
ほかにもたくさん出てくるだろう。
駒之助氏の表現の多様さ、深さを味わうにもいい演目だったと思う。芸談、聞き書きも毎回楽
評価内容 しく拝読。
神津氏のいつもながらの熱心な解説とぶあいつい資料は、浄瑠璃への愛情がひしひしと伝わる
③
もの。日本国中どこにでも浄瑠璃本があり、それはほかの分野にはないほど珍しいことなのだ、
それだけ浄瑠璃が日本中で愛好されたものだったのだ、という話にも感銘を受けた。ただし、短
い時間に情報量を詰め込みすぎていて、うまく客席には伝わっていないような印象を受けた。客
席に研究者もいるような環境なので、つい自分の研究成果を述べずにいられないところもあろう
し、研究者としてのまじめな姿勢は諸本対照の台本からもわかるけれど、なにより大事なのは駒
之助氏の芸と、その浄瑠璃を味わうこと。そのポイントが的確に伝わるように、もう少しゆっく
りと、話す内容もしぼった方がいいのではないかと感じた。あまり早口でまくしたてられると、
その後の芸へと心身を切り替えるのもたいへんで、ゆったり芸に向き合えないのが残念。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
地点『スポーツ劇』
開催日
3月11日(金)~3月21日(月) 会場:KAAT 大スタジオ
事業概要 概要:京都ロームシアターとの共同制作作品。『光のない。』(2012年初演)に続く、地点によ
るイェリネク作品第2弾。
昨今の日本の観客には明らかに「楽しく、明るく、分かりやすい」舞台が好まれる傾向がある
と思います。演劇を専攻している学生に「どのような舞台が好きか」と質問しても、ほぼ100パー
セント近くが「楽しく、明るく、分かりやすい舞台が好き。そういった意味でミュージカルが好
き」だと答えます。そうした風潮の中、今回の『スポーツ劇』のような公演は多くの観客を集め
るには苦戦を強いられることでしょう。ですが、すべてが右にならえで同じように分かりやすい
舞台ばかりになってしまっては、演劇界がつまらないものになってしまいます。こうした舞台を
評価内容 世に発信していくことには大きな意義があると思います。
それに、今回の舞台はそれほど「難しく」ないと感じました。テーマは「死んだ人間は二度と
①
かえらない」ということで、当たり前のようであっても、そのことを本当の意味で分かっている
人間は、ほとんどいない。人間がそれを理解しているなら、決して戦争―殺し合い―などおこら
ない。そういったメッセージが真っ直ぐに伝わってきました。
ただ、演出に関しては、舞台上の登場人物たちよりも、コロスの方たちへの指導に力点が置か
れていた気がします。確かに素晴らしかったですが。せっかくなので、見上げる形でなく、じっ
くりその動きを見てみたかったです。
大変な話題作となった『光のない』に次ぐ、地点のイェリネク作品上演として、『スポーツ
劇』は大変良い戯曲選択だった。池田信雄氏がパンフレットで指摘されているように、イェリネ
クは近作にも評価の高いものは多い。また海外の劇作家との同時代性の強調においては、新しい
作品を取り上げる方がはるかに話題は豊富だからだ。オリンピック開催という大変アクチュアル
な主題を、日本未上演の20年近く前の戯曲に見出し、現代の日本における解釈と上演に至ったこ
とは、本公演において、演出、プロデュースの最も評価すべき点である。
スポーツと戦争の類似性、国際大会における疑似戦争的側面、オリンピック開催に伴う右傾化
と戦争賛美の言説などは、その指摘自体は特別に新しくはないが、イェリネクの詩的言語によっ
評価内容
て、リアルポリティクスとは異なる回路から問題提起が行われた上演だった。また、モーション
②
キャプチャーを利用した映像や、不自然に青々とした人工芝といった近代/現代的な美術と、三浦
眞弘氏の指揮するコロスの古代のイメージは、露骨なほどにオリンピックを想起させる演出であ
る。その意味で、抽象的で難解な作品かもしれないが、大変わかりやすい要素も持っていたと思
われる。『光のない』もまた、抽象的な言葉やイメージが多用されながらも、震災や福島に関す
る直接的な経験が、作品理解に強く結びついていた。作品受容において、両作品には(日本社会
における)特有の経験が強く作用していると言えるだろう。
KAATと地点の共同製作は今回で6作品目となる。継続的なコラボレーションから、このような実
験作が生まれているのだと感じている。今後の共同製作にも期待を寄せている。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
劇団地点(演出・三浦基)が、現代音楽の三輪眞弘と共に、エルフリーデ・イェリネクの戯曲
に取り組んだ『スポーツ劇』の上演。劇団地点は、拠点の関西だけでなく関東でも知名度が高
く、KAATでも共同制作による公演を続けており、着実にファンを増やしている。一方で、三輪、
イェリネクは一般的な現代演劇の観客でも好みが分かれるところだろう。三浦基が当日配布のプ
ログラムに書いていたように、決してわかりやすい演劇ではない。起承転結があり、笑って、泣
けて、という誰にでも楽しめる演劇ではないが、それだけに一層、KAATのような公立劇場がこの
ようなプロダクションに取り組み、サポートしたことは高く評価できる。初演を京都ロームシア
ターで行ってからの、3月11日から21日までの長期にわたる公演であり、何よりそれを演じ続ける
役者たちの体力、集中力に脱帽する。 作品としては、イェリネクの混沌とした、生々しいと同
時に詩的に配置された台詞に、地点の特色である言葉の分断、俳優の強いフィジカルと執拗な動
評価内容 きが加わり、効果的な舞台装置の上で高密度の作品として表現された。そのままでは情動的、あ
るいは扇動的にすら働きかねない舞台に対し、三輪による合唱隊(コロス)の冷静さが相対化す
③
る。システマティックなルールのもとに構築される音楽ではあるが、からだの動きや息といった
演奏者の身体性が深く介在することで、多層的な効果をもたらしている。結果として、舞台と音
楽の絶妙なバランスが生まれ、言葉と身体の多義的な意味を生じさせた。手ごわい作品ではある
が、非常に見ごたえがある。心地よく楽しめるがすぐに忘れるエンタテインメント系のわかりや
すい舞台とは異なる、ざわざわとした芸術的な手触りがある記憶を残した。
当日は、午後にオペラ『さまよえるオランダ人』を見て、夜はこの演劇を見た。このような優
れた公演が同時並行で実施されることに、劇場や制作スタッフの充実を感じる一方で、観客層が
全く異なり、分断されているように感じた。これは日本のどこの劇場でも同じだが、様々な芸術
文化を、様々な世代、性別、生活環境の老若男女が見ることで、他者や社会に対する感受性、想
像力、創造力を広げ、高めることができないものか、と思った次第である。
役者の身体を極限まで追い込むことによって、腹から言葉を言わせる。これが演出三浦基さんの
目論見であることは、これまでの作品を見て感じていたことだ。その路線は徹底的に守られてい
る。そしてこれが続いていけば、スタイルになる。そう、これが彼らのスタイルなのだろう。戦
争の脅威、平和のもろさ、人間の浅はかな熱狂。訴えたいことだけはありありとわかったが、一
度見ただけだはすべての言葉の意味するところまでは捉えることができなかった。いつものとお
りセリフを文節の途中でもバラバラに分断し、当たり前に発させない。手枷、足枷がある状態で
評価内容
人は初めて真実をいうのもかもしれないと思った。ここでは手枷、足枷は役者を追い込む身体的
④
な状態、分断されたセリフを指すのはもちろん、われわれをとりまく社会情勢なども含まれてく
るのかもしれない。演劇の存在意義とはなんぞやというところまで思いを至らせる。音楽は今回
も三輪さん。合唱隊の献身もすばらしい。水滴のように落ちてくる音楽の中に、うっすらと聞こ
えてくる君が代。演劇の社会的意義のみならず、音楽の社会的発信力についても思わずにはいら
れなくなった。なんともいえず危うい時代だからこそ、観るものひとりひとりに重い宿題を手渡
すような感触が残った。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
若手舞踊公演「SUGATA」
「新説西遊記」(しんせつさいゆうき)~猪八戒と沙悟浄~
開催日
3月25日(金)~3月27日(日) 会場:KAAT 大スタジオ
事業概要 概要:KAAT次世代への古典芸能プロジェクトとして、KAATならではの古典芸能の上演形
態を試す企画。いま、もっともフレッシュな若手歌舞伎俳優たちによる新作舞踊公演の第2弾。
当企画は前年度の企画に引き続き、子役から一人の大人の俳優として成長する過程にある思春
期の俳優をメインで起用し、新しい演目の上演を行うものとして、会場、鑑賞者、上演者の三者
がともに成長することが目論まれていると思われる好企画といった印象です。
成長過程にある俳優の起用はもとより、古典と呼ばれるジャンルにおいては専門の劇場ではない
公共ホールで、しかもより実験的な上演を可能とし、かつまた性格上利用者より望まれるであろ
う空間での上演の可能性が探られている点。また、こうした試みがどれだけ、新規の鑑賞者にと
開かれ、あらたな鑑賞者層と結びつくことができるか。といったような三者の協調を仕掛け、こ
評価内容 れがあらたなムーブメントの確立にとともに成長していけるかが画策されていると思われる点が
特にこの企画の重要な点であろうかと思われます。
①
今回の上演では、音楽もさることながら、特にベテラン陣が見事に脇を固め、あくまでも舞踊
作品としての上演物の引き締めを行っているようにお見受けしました。それは何より技芸の持つ
力を再確認させられる事柄でもあったわけですが、今回、こうした作品上演がスタジオという空
間で、どれだけ可能なのかという所へも積極的に踏み込まれていると見え、企画者・上演者双方
のご助力が窺えたのも興味深く、好企画であると思われた所以でした。
新作へと実験的に取り組まれますこの企画が、神奈川に新たな伝統と眼差しを築きます事を祈念
しつつ。評価に代えさせて頂きます。
「良い舞台を観た!」という充実感を胸に帰宅いたしました。特に素晴らしかったのは、可愛ら
しい童女の姿でありながら、中身は猪八戒であることを見事に表現されていた花柳時寿京さん
で、鼻をこする所作がなんとも愛らしく、すっかり魅了されてしまいました。ですが、大ベテラ
ン達に支えられながら若手3人もよく健闘していたと思います。一緒に旅をすると楽しそうな三人
で(それが何よりだと思います)それぞれ役がピッタリでした。手の形やちょっとした所作・表
評価内容
情で河童らしさ、豚らしさ、猿らしさが生み出されており、歌舞伎役者の基礎としてなぜ舞踊が
②
重要なのか、改めて納得する思いでした。若い彼らにとって、このような鍛錬の場が与えられる
ことの意義は計り知れません。こうした経験をもとに、これから彼らがどのような役者に成長し
ていくのか、本当に楽しみです。最近歌舞伎にはちょっとご無沙汰していましたが、また観に行
きたくなりました。大変見応えのある大満足の公演であっただけに、満席ではなかったことだけ
が残念でなりません。
歌舞伎の本興行で出番が少なくなる若手に、研鑽の場をという好企画。今回も藤間勘十郎さんが
大枠を引き締めて、若手を自由に演じさせていた。勘十郎さんがインタビューで答えていらした
ように、「鷹之資も玉太郎も去年より良くなった。梅丸もいいじゃないか。」とお客様に思って
いただけることが目標と書いていらしたが、鷹之資、梅丸に関しては将来がますます楽しみに
なった。中村鷹之資には良い体格と声、なにより歌舞伎役者としての自覚があるし、中村梅丸に
は意欲と持って生まれた華がある。とくに梅丸には化粧なしで美女をやっても違和感のない品格
が顔にあるし、一方孫悟空役に転じた際の闊達な体の動きは、主役としてしっかり人の目を惹き
評価内容
付ける力がある。ところで、中村玉太郎さんの覇気のなさはどうしたことだろう。顔はかわいら
③
しいし、踊りの基礎もしっかりある。それなのに、あのやる気のなさには見る気をそがれる。も
う可愛いだけでは通用しない年になってきているのだから、もう少し自覚を持って欲しい。こう
したことは舞台の先輩方が口を酸っぱくして毎日言っていることなのだろうが、何か歌舞伎以外
のものに彼の興味が移っているのかもしれない。歌舞伎をやりたい子供には、役者の家に生まれ
ることは幸せだろうが、そうでない場合は気の毒。彼が後者でなければと心から思う。ところ
で、今回も花柳凛さんのこの世のものと思えぬ美しさは眼福だし、時寿京さんの愛嬌ある演技も
素敵だった。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
フリーダー・ベルニウス指揮 シュトゥットガルト室内合唱団
開催日
5月30日(土)
会場:音楽堂
事業概要 概要:世界最高峰の合唱団による公演。公演前日には、同合唱団の指揮者を講師に、県内アマ
チュア合唱団や中高校生を対象とする合唱ワークショップを実施する。
まず、丁寧であること、派手さのない誠実な企画に好感を持ちました。教会ではないですが、大
きすぎない木のホールというこの音楽堂の持ち味、良さが生かされた企画だったと思います。プ
ログラムも、あまり聞く機会のなさそうなラインベルガ―やコルネリウスといった作曲家の曲を
軸に据えたもので、繊細な声の美しさを堪能できました。
そして、なにより、アカペラでキリスト教音楽中心、メジャーな曲がそうあるわけでもない、と
いう地味な企画にもかかわらず、客席が満員になっていたことに非常に驚きました。いつもとは
客層もかなり違う感じで、中高生のような子供たちがちらほらいたほかは、平均年齢は高かった
と思います。横浜近辺というより、もう少し遠くから、合唱やキリスト教に関わっている人たち
が多数お見えだったという印象でした。前日のワークショップにうかがえなかったのは残念でし
評価内容
たが、こうした企画を加えたことで、今日のコンサートとの接点も持ちやすくなり、観客動員も
①
かなり増えたのではないかと思います。
ただ、多くの日本人にとってキリスト教音楽、とりわけ声楽はなじみの薄いものだと思います。
歌詞が訳されていてもぴんとこない部分も大きいでしょうし、歌い方にしても、日本人の多くが
抱く合唱のイメージとはかなり異なるものだと思います。そうした部分をどう埋めて、古典的な
声の音楽の魅力をどう伝えるのか。指揮者ベルニウスがどんな音楽を目指しているのか直接うか
がってみたい気もしましたし、プログラムを読むと、一つの合唱団ながら、さまざまな専門、タ
イプの歌手で構成されているようで、今回のプログラムの中でそれぞれがどんな役割を果たして
いるのか、どんなタイプの歌手がなぜ選ばれているのか、などもわかると面白いのかな、と思い
ました。
合唱というものに男女の声質の違いがどのように生かされているのか、また、歌い手の並び方や
立ち位置でいかに聴こえ方が変わってくるものか、今回の公演でよく分かりました。ちょっとピ
アノの音を聞くだけで、歌い出すことのできる歌い手の方々の実力はさすがだと思います。
ピアノ以外何もない空間、地味めな衣装、曲の解説はもちろん、曲名さえ説明のない(パンフ
レットには詳細な解説があり、歌詞対訳も付いていましたが)舞台からは、合唱団の強い自信と
評価内容
シンプルなものを好む心のようなものが感じられましたので、これはこれで良いと思う(とくに
②
母国での公演においては)一方で、司会者や解説者を置いて、もう少しこうした合唱に馴染みの
ない外国の観客にも親しめるような舞台にしても良かったのではないかとも思いました。アン
コールの曲など、とても美しかったので、タイトルが知りたかったです。何となく「淡々と仕事
をこなし(歌い)、去って行った。」というイメージが残りました。技術のレベルがいかに高く
とも、観客に近付く姿勢も、表現者には必要なように思います。
合唱団というとアマチュアのものが有名である。カラヤンとのレコーディングも多かったウィー
ン楽友協会合唱団もアマチュアである。一方、このシュトゥットガルト室内合唱団は著名な指揮
者が音楽監督をするプロフェッショナルな合唱団であり、特にオペラ座や教会に所属していない
ようである。それだけにプログラミングも多彩で、あくまで人間の声の美しさを追求した作品群
がプログラムされ、とても居心地の良い時間を体験させていただいた。19世紀のドイツ音楽をこ
れだけ多彩なプログラムで聴ける機会も少ないのではないでしょうか。
神奈川県は合唱が盛んな県であると聞いているが、このコンサートも満席の状態で合唱人口の多
評価内容 さを感じた。合唱のコンサートを開催するとアマチュアでも出演者が多いのでその関係者だけで
も客席は大いに埋まるから確かな営業が出来ると耳にしたことがあるが、シュトゥットガルト室
③
内合唱団のような質の高い合唱団を聴くことによってさらに日本のアマチュア合唱のレベルも高
くなるでしょうから音楽堂としては是非これからも続けて頂きたい企画である。特に日本の合唱
団はFFで声を張り上げることは得意でも、シュトゥットガルト室内合唱団のようにPPを大切にし
た演奏はどうだろう。そういう意味でも特に良い刺激を与えたのではと思う。
いつも同じことを言って恐縮ですが、歌ものの時は翻訳を同時に楽しめると有難い。翻訳はプロ
グラムに丁寧に書かれていても、現実には演奏が始まると客電が落ちてそのプログラムを見るの
は難しい。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
ヴィルトゥオーゾ・シリーズ13
アンサンブル・ウィーン=ベルリン
開催日
7月5日(日)
会場:音楽堂
事業概要 概要:ウィーンフィルとベルリンフィルの首席木管奏者を中心に結成されたトップレベルの木管
アンサンブルによる公演。
「聴いたことがない曲ばかりだと、その演奏会は楽しめない」という思い込みがくつがえされた
公演でした。どの曲の演奏も素晴らしかったですが、やはりメンデルスゾーンの『真夏の夜の
夢』が一番気に入りました。芝居の場面を思い浮かべながら、楽しく聴かせていただきました。
裸舞台にたった5人の演奏者が立っているだけですのに、空間は十分満たされていました。それ
は、アンサンブルとして彼らの息が非常に合っていた(普段はオーストリアとドイツで別々に活
躍されている方々とはとても思えませんでした)ことと、何よりも、彼ら自身本当に音楽が好き
で、楽しんで演奏していたからでしょう。優れた演奏者は、まさに全身を使って奏でるのだとい
評価内容 うことがよく分かりました。何度もアンコールに応じてくれたこともうれしく、また、最後に楽
器を持たずに登場して、これで終わりということをさりげなく伝えてくれたことにも、観客への
①
心遣いを感じました。
劇場(音楽堂)に関しては、今回は、アンコール曲名をロビーに掲示してくださっていたこと
が、とてもうれしかったです。アンコールが何回あるか前以て予測はできませんし、演奏者に
よっては、もしかしたら、その場の雰囲気で曲を決めるという事もあるかもしれませんので、こ
うしたことは毎回はできないかもしれませんが、きっとわたくし以外にも、素敵なアンコール曲
のタイトルを知ることができて、幸せな気分で帰宅したお客様が何人もいることでしょう。
音楽を聴く喜びを純粋に味わわせてくれた公演だったと思います。
本年度の「音楽堂ヴィルテュオーゾ・シリーズ」が今日開演された。とても楽しみに待っていた
演奏会である。
中学生、高校生(あるいは大学生)の比較的若い客層も多く、大変な盛況であった。このところ
クラシックのどこの演奏会に行っても壮年老年層の聴衆ばかりが目立っていたのであるが、今日
はフルートなどの楽器を持参した吹奏楽部やオーケストラ部の生徒と思われる人々を見て、こう
した演奏会は特に増やしていく必要性があると思った。
評価内容
技術は言うまでもなく、その多様な表現力に圧倒される演奏であったがそうした「あこがれ」を
②
実際の生の音で体験することこそが、生涯の財産になる。
細かなことで大変申し訳ないが「プログラムノート」の作品解説の文章のなかで単に「曲」と表
していることに多少違和感を感じた。「作品」または「楽曲」のほうが良いと思う。(しかし、
よりカジュアルな表現にしたかったのかもしれないので、気になさらないでください)
東京ではなく横浜でしかもこの県立音楽堂のすばらしい音響の木のホールでこの演奏会が開催さ
れたことは本当に有難いことであると感じた。
人気と実力を兼ね備えた旬の演奏家ばかりで結成しているアンサンブル。こうしたグループにあ
りがちな馴れ合いや、やっつけ仕事の感覚は彼らには全くない。非常に堅実で情熱的な仕事をし
ていると感心した。音には地力があり、確実な技術があるので、ハイレヴェルな演奏家の余裕と
風格がある。メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」の編曲版は目先が変わって面白いだけではな
く、個人個人の技量も洒落っ気も堪能できる。フェルステルの木管五重奏曲では、深く強く、そ
れでいて温かみのある音色が終始通底している。体力気力、技量ともに充実した演奏家でなけれ
評価内容
ばこうした音は出せないという類のもの。音楽としてのアンサンブルのまとまりも良い。ドヴォ
③
ルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」でもこうした傾向は徹底されている。個人個人が幅広い音
色、ディナーミクを持っているので音楽のスケールが非常に大きい。選曲も玄人好みに偏らず、
それでいて名曲コンサートのような妥協もない絶妙なライン。どのような客層が聞いても楽しめ
る内容である。もちろん、クラリネットのオッテンザマーをはじめとしたいわゆるイケメン演奏
家をお目当てにしている熱狂的なファンもちらほら見られ、客層の幅広さは肌で感じ取ることが
でき、興味深く思った。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
マエストロ聖響の夏休みオーケストラ! オーケストラ・コンサート
開催日
8月15日(土)
会場:音楽堂
事業概要 概要:次代を担う子ども・青少年に向けて、音楽の体験を届けるための、体験型事業。豊かな音
楽表現が可能なオーケストラ公演を軸に、関連事業を加えて4日間開催する。
子供たちが生き生きと楽しげに立ち働いている姿が印象に残った公演でした。もちろん、曲の構
成もとても良かったと思います。現代音楽は少々苦手なのですが、演奏者たちに囲まれて聴く
「フィフス・ステーション」は興味深かったです。それでも、旋律のない現代音楽はどのように
楽しめばいいのか、正直申しまして今一つ分かりません。(騒いだり笑ったりしなかったのには
感心しましたが、やはりムズムズしたり、お父さん・お母さんの顔をチラチラ見たりして「どう
聴いたらいいの」というアピールをしているお子さんがそれなりにいました。)メロディーがあ
る曲との楽しみ方の違いや、指揮のやり方の違い(例えば、曲をどう「解釈」するかなど)を解
説していただけたらもっと良かったと思います。
演奏者の方は大変でしょうが、子供を舞台に上げて近くで演奏を聴かせてあげる企画は素晴らし
評価内容
いです。演奏者の方に近寄って真剣に聴いている子供たちの姿は微笑ましかったです。
①
恐らく女性の演奏者の方は自分の好きな服装(ドレスの方が多かったですが)をしていらして、
とても面白かったのですが、男性も同じようにしてしまえばいいと思います。男性が私服だと、
少々崩れて見えてしまうという意見もあるかもしれませんが、その方が「夏休み」らしい感じが
出ると思いますし、私服でクラシックをきちんと演奏するというのはなかなか格好良いのではな
いでしょうか。
少々残念だったのは、最後の「出演者との交流会」です。どう交流していいか分からず、ただ
立っているだけの状態の方が多くいました(出演者も含めてです。)これは無理に「会」にせ
ず、終演後、出演者がロビーに出て、お客を見送る、お客は「良かったです」「お疲れ様でござ
いました」などの言葉を出演者にかけて去る、というぐらいで良いのではないでしょうか。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
音楽堂アフタヌーンコンサート
東京混声合唱団 特別演奏会 指揮 大谷研二
開催日
9月11日(金)
会場:音楽堂
事業概要 概要:新たな客層の開拓・獲得を目的に開催するシリーズ。全3回で、第1回目は東京混声合唱団
による演奏会を開催する。
前半が「アニュス・デイ」とフォスター・メドレー、後半が武満徹特集という番組構成が良かっ
たです。英語と日本語、響きの異なる言語の合唱を楽しむことができました。前半は明るい曲、
後半は哀感漂う曲が多く、その意味でも、合唱の違った面を楽しみ味わうことができました。曲
によってソロのパートを歌う方が異なっていたのも良かったと思います。
評価内容 最も印象に残ったのは、武満徹作曲の「風の馬」で、歌い手にとって難しい曲なのでしょうが、
聴いていて馬の姿やその暮らしている情景がまるで目に浮かぶようでした。素晴らしかったで
①
す。
終演後、歌い手の方々がロビーに出て、お客に声をかけたりかけられたり、挨拶をしたりという
形で「交流」していたのもとても良かったと思います。
合唱というものの魅力が十分に伝わったコンサートでした。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
音楽堂ヴィルトゥオーゾ・シリーズ14
ギドン・クレーメル&クレメラータ・バルティカ“ニュー・シーズンズ”
開催日
10月23日(金)
会場:音楽堂
事業概要 概要:名実ともに現代を代表するヴァイオリニストのひとりクレーメルが芸術監督を務める「ク
レメラータ・バルティカ」による公演。
神奈川国際芸術フェスティバルの一環として音楽堂で行われたギドン・クレーメル&クレメラー
タ・バルティカのコンサートを聴いた。音楽堂ヴィルトゥオーゾ・シリーズに相応しい企画であ
る。プログラムは今年発売された彼のCDのタイトルと同じニューシーズンズ。クレーメルはか
つてエイトシーズンズというアルバムでヒットしているから、その第2弾として意欲的なプログラ
ミングが組まれている。いずれも現代の作曲家の作品で構成されている、特にピアソラ以外は今
日の作曲家である。ロシア、アメリカ、アルゼンチンの作品、そしてもう一つは日本人の梅林茂
評価内容
の「日本の四季」。我々日本人の季節に対する独自の感性が盛り込まれた作品で、今年の9月にド
①
イツで世界初演されたものである。音楽堂が世界初演の翌月に、初演と同じ演奏家で聴けるコン
サートをプレゼントしてくれたのは我々聴衆にとってはめったに出会えない有難い企画である。
個人的にはN響練習所で若いクレーメルにインタビューし、そのリハーサルと本番の演奏で聴か
せてくれた美しい音色は記憶に残っているが、今回、アンコールで聴かせてくれたバイオリンの
美しい音色は、年齢を重ねてさらに高みに達していた。まさに、クレーメルにしか出せないバイ
オリンの音色を聴かせて頂いた気がします。
此の度の企画は、使用楽器など総合的にみて室内楽の現在的なあり方の一例を示す内容の企画で
もあったかと思われます。それゆえに、単純な教養の再確認をするための場ではないコンサート
となっていたように思われた点で好印象でした。
評価内容 曲目の選択も現代曲の中から「四季」という普遍的題材を共通項として幅広く取り上げられてお
り、鑑賞者の関心の幅に対しても間口の広い企画としての工夫が備えられていたかと思われまし
②
た。この事は、勿論現代を代表するヴァイオリニストの上演であると云った事もあったでしょう
が、その音楽監督としての仕事の紹介とも相まって、鑑賞者層の年齢の幅の広さなど、広く関心
を集める企画であったかと思われた所とも符合するかと思われました。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
モディリアーニ弦楽四重奏団
開催日
11月21日(土)
会場:音楽堂
事業概要 概要:世界各国の劇場、音楽祭に招かれ多くの音楽ファンの注目を集めている期待のカルテット
による公演。
モディリアーニの名前の由来はパンフレットに記されていましたが、モディリアーニの絵から
受ける印象とはまったく異なる演奏の雰囲気で、豊かで温かな音色に包まれて、たいへん幸せな
時間を過ごさせていただきました。音楽堂の空間との相性も非常に良い感じで、四重奏を堪能で
きました。オーケストラもいいですが、こうした緊密で温かな空間で、じっくり音と向き合える
というのが贅沢な感じでした。この音楽堂で、また、カルテットを聴きたい、という気持ちにな
りました。カルテットにいい空間、日本にはあまりないようにも思われるので、ぜひ当音楽堂に
がんばっていただきたいな、と。
評価内容
曲の選び方も、それぞれに違う個性の曲を聴かせていただけて良かったと思いますし、アン
①
コール曲2曲の選び方も、遊び心とホスピタリティにあふれた感じで、堪能させていただきまし
た。
チェロの方が怪我のために交代されたのは残念ではありましたが、四人が醸し出す雰囲気、音
楽を心から楽しみ、愛している、そんな感じが音にも反映されていて、本当に気持ちよく聴かせ
ていただきました。
空席があったのはほんとうにもったいない。比較的高齢のお客様が多いように思いましたが、も
う少し若い世代にも聴いてほしいなと思いました。
今回のモディリアーニ弦楽四重奏団は、今年、特に楽しみにしていた演奏会であった。
国内外で大変評判の高い四重奏団であり、しかも今回のプログラムに対して個人的に非常に興味
をもつものであったからである。
予想通り、最高に質の高い演奏を聴かせていただいた。
マルク・コッペイ氏がフランソワ・キエフェル氏の代わりにチェロを担当されたが、多分通常の
メンバーの時とほぼ変わらない特徴の音楽に仕上げているのではないかと思った。
神奈川県立音楽堂という木の壁の、丁度良い広さのホールで、まるで自分のためにだけ演奏して
くれているのではないかと思わせるようなウィットに富む緻密な抜群の構成力を持つ演奏を聴く
評価内容 ことができた。4人の弦楽器奏者がそれぞれの主張と役割とを「全体の耳」を通してまるで、一人
がコントロールしているかのようで驚嘆した。
②
2曲のアンコール曲も緻密な計算の上で選曲されていると感じた。
観客の方々は全体的に高齢者が多かったが、中にはヴァイオリンを手に持っていた娘さんと母と
祖
母という方もいて、ほほえましい光景を見た。
選曲もすばらしいと思った。それぞれの楽曲ごと楽章ごとフレーズごとに音色を変え多彩な音を
描き、観客をすぐにモディリアーニワールドにひきこんだ。
チェロ奏者の怪我の快復のあとで、いつかもう一度この楽団の演奏を違うプログラムで聴いてみ
たいと思う。特に困った点等は無かった。
弦楽四重奏団はときに個々の音楽性を犠牲にしても、全体の方向性をしっかり共有できているか
どうかが鍵。このたびのモディリアーニ弦楽四重奏団はまさにその点が強みだと感じた。このた
びはオリジナルメンバーのチェリストフランソワ・キエフェルの怪我というアクシデントがあっ
たにもかかわらず、アンサンブルに冷静かつ高い適応能力を示したマルク・コッペイが助っ人に
入ったのは不幸中の幸いであった。モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番では、このアンサンブル
の若々しいエネルギーとともに少々ナイーヴなところも出た。演奏会の最初の曲ということも
評価内容
あってなのかオリジナルメンバーが少々肩肘張っている感も。それがショスタコーヴィチ弦楽四
③
重奏曲第1番では、この作曲家が持つねじれた叙情性がきめ細かく表現されているうえに、ダイ
ナミクスが細部まで共有されていた。ベートーヴェン弦楽四重奏曲第11番でもショスタコーヴィ
チ同様に、引き締まった音色。しかもテンションが一段と高い。とりわけ高弦二人と低弦二人の
二手に分かれるところなど、お互いをよく聴きあって、出方を探るあたりも良い雰囲気。これも
基本的に常設の弦楽四重奏団の良い面がでている結果と言えるだろう。渋めだが、佳曲を揃えた
良いプログラムである。演奏会全体の曲目配置としても、考えられていると思った。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
クリスマス音楽会 メサイア全曲演奏会
開催日
12月13日(日)
会場:音楽堂
事業概要 概要:音楽堂の歴史とともに歩んできた県民参加型事業。神奈川県合唱連盟と県内高校生が参加
する「音楽堂『メサイア』未来プロジェクト」による全曲演奏。
昨年に引き続き拝聴させていただきました。メサイアの花形はなんといっても合唱だと私は思っ
ているのですが、今回はその合唱が力強く、そして音楽にとって何よりも大切な心に響くものを
感じ、合唱団の皆さんに心から拍手を送らせていただきました。定番のメサイアだからこそ、や
はり年に一回は聴きたくなる。音楽堂の企画としては50回目を数え、その歴史は、そういった
ファンに支えられて築かれてきた部分もあるのでしょう。やはり今回も合唱の神奈川を強く感じ
ました。今後は、「合唱企画なら音楽堂」といったキャッチフレーズが定着するような企画をこ
れまで以上に多く出していったらどうかとさえ感じました。音楽的なことを言えば、やはり高校
評価内容
生の全曲参加が成功の第一に挙げられると思います。訓練を受けた彼らの声には力強さがありま
①
す。それに、画的にもあらゆる年齢層が200人ほど歌っているのは、観ているだけでも楽しくなり
ます。51回目も今回のような工夫が、さらに「音楽堂のメサイア」を楽しく、充実した内容にし
ていくことを期待しています。ご成功おめでとうございます!余談ですが、県民ホールの「金閣
寺」の大成功に続く、高校生の全曲参加で新しくなったメサイア。私が常々申し上げていること
で恐縮ですが、「目が離せない神奈川文化」に大きく近づいた12月だった気がしてなりません。
今後は、公演のタイトルも「メサイア」ではなく「音楽堂のメサイア」と銘打ちたくなりまし
た。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
音楽堂ニューイヤー・コンサート「日本の音でお正月!」
開催日
1月16日(土)
会場:音楽堂
事業概要 概要:狂言や邦楽、雅楽などの古典と新作で構成し、休憩中にホワイエで神奈川の伝統芸能(獅
子舞や木遣など)の紹介も行う。
狂言と雅楽を一緒に見るという機会はあまりないが、そこをうまく「猿」つながりにして組ん
でいたし、狂言、雅楽それぞれ、非常にわかりやすい壺を心得た解説だった。簡単なワーク
ショップを取り入れて、なんとなく高尚な感じのする古典芸能を参加型にして見せたところもよ
かったと思う。有名な「春の海」を二胡との競演で聞くと、かえって箏のもつ柔らかな音色が、
春の海にふさわしいのだと感じさせられた。地元の木遣りの参加も、正月らしく、粋な配慮。
こうした会でのサービス精神は、やはり茂山家に限るので、演者の選択も良かった。ただ、雅
楽についてはわざわざ千三郎氏に司会をさせなくても良かったかもしれない。聞き違えかもしれ
ないが、誤解があったようにも思われて(「蘇莫者」が申年だけの上演のように聞こえた)、も
う少しきちんと打ち合わせをするか、あるいは、雅楽は雅楽の人に解説してもらった方が正確
評価内容
だった、とも。
①
また、新作狂言については、セリフを排した楽器だけの表現ということで、なんとか「音」と
いうテーマに結びつけようとした苦心の跡がうかがえた。しかし、一噌幸弘の笛も、多様な笛を
駆使しての表現で工夫がこらされていたとは思うが、かえってそうした工夫に目も耳もいってし
まい、狂言自体が、非常に単純、短絡的な筋に見えたのが残念。言葉を使わない分、顔やジェス
チャーでの表現が過剰になり、「お茶の水」本来がもっていた、もう少しおおらかな雰囲気が台
無しになった感じが否めない。逆に言うと、狂言のセリフの力というか、狂言はやはりセリフ劇
なのだな、と気づかされた次第。
最後に、客層が圧倒的に高年齢なのが気になった。非常にわかりやすい、とっつきやすい中身
になっていたので、なんとか若年層も取り込めるような仕掛けができるといいな、と思った。
新年の企画に相応しい楽しい内容であったと思います。さらに、楽しさだけではなく優れた演奏
も盛り込まれたステージでした。演目の1番目は「猿聟」。私が以前に観たものはもう少し「人
間語」が入っていた記憶がありますが(私の記憶違いかもしれません…)、今回は殆どが「猿
語」。それでも事前に読んでいたプログラムのおかげで「猿語」を想像の中で理解するのも楽し
い。演目2番目は姜建華さんと西陽子さんの共演で「春の海」。あいかわらず姜建華さんの二胡
評価内容 が光る演奏でした。3曲目は狂言の傑作「お茶の水」を演奏楽器だけで表現しようという試みは
楽しめました。特にいちゃと新発意と住持のどたばた劇の時の笛、二胡、打楽器による演奏は
②
ヨーロッパのサンドを駆使したりと工夫が効果的でつい引き込まれてしまいました。素晴らしい
演出だったと思います。舞楽は例年通りの印象ですが、帰路でご婦人二人が「舞楽の説明は分か
りやすかったね」と話していました。
盛りだくさんだけに公演時間が3時間近く(休憩入れて)かかったのはどうなのでしょうか。も
う少しコンパクトに出来れば更に充実感が増したかもしれません。
伝統芸能の中より本年の干支に材を採った演目を中心とした上演に加え、今日的試みをも含めた
プログラムが、日本の芸能へ触れる機会を様々な観賞者へ開くものとしての工夫された企画で
あった印象です。またそもそも関心を持つものにとっても十二分に楽しめる上演内容をもつよう
評価内容 な、好企画であったかと思われました。
上演作品の面白さはもちろんでしたが、楽しみながらにそれぞれの時代を代表する芸能に触れる
③
事を通じて、なかなか概観の機会薄い日本の芸能の歴史的変遷へと自然と関心が開かれ、かつま
たこれらに通底する文化的視点への関心をも開く機会としての意義を湛えた企画として、大いに
評価されるものであったと思われます。
平成26年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
音楽堂アフタヌーン・コンサート
小菅優ピアノ・リサイタル
開催日
2月13日(土)
会場:音楽堂
事業概要 概要:新たな客層の開拓・獲得を目的に開催するシリーズ。全3回で、第2回目は小菅優のピア
ノ・リサイタルを開催する。
小菅優さんは、期待を裏切らないピアニストの一人であろう。どちらかというと自分の専門で
もあるので、ピアノのこととなると様々な事柄を述べたくなるのであるが、評論を求められてい
るわけではないので、この演奏会についての、自分なりのアイデアを述べたいと思う。
小菅さんの名声で今回はこの人数の観客が集まったのであるが、まったく残念に思うのは、小
学生から大学生までの学生たちの姿が少ないことである。大人が支払うには入場料金は妥当であ
ると思う。しかし、今まさに音楽を学んでいる中学、高校生たちにとってもしも親と一緒に来る
場合は、二人で9,000円はやはり難しいのであろう。そこで、ペア券として、成人と同行の場合
は、学生は2000円などと設定してはいかがか。小菅さんのように、ドイツものを演奏して「ドイ
評価内容 ツ語」が聴こえてくる日本人(変な言い方ですが)で、演奏の中身が勉強になる演奏家は貴重であ
る。私を含めて老齢者が演奏会に来ることができなくなった時に、次の世代の30,40代の人々、そ
①
して次の10代の人々が来てくれるように考えなくてはいけないと思う。
次に演奏会とは全く関係のない事柄をひとつ上げさせていただきたい。
休憩時にいただくコーヒーのことである。事業所のケーキ等は意味と意義のあることである
が、300円位に値上げして良いと思うので、コーヒーはもっと良い豆と方法を考えていただき、音
楽の余韻にひたれるものであって欲しい。(また、みなとみらいホールのように赤、白ワインなど
も出来れば欲しいところである。)
あらためて、この木のホールと、演奏家小菅優と、p、ppの反応が良いピアノ、そして調律師の
まさにクワルテットの力による演奏会であったと思う。
シューマン、ブラームス、そしてベートーベンというピアノ・リサイタルは私にとっては久しぶ
りに聴くプログラムで、ドイツクラシック音楽の巨匠たちの神髄に触れることの出来る時間とな
りました。「昔はこういうプログラムの音楽会が多かったな」となにか懐かしささえ感じまし
た。
小菅さんの堂々とした演奏は神奈川県民ホールの空間を完全に支配しました。
評価内容 客層もいわゆるクラシックファンといった方々が多く見受けられましたが、皆さん満足されたこ
とと思います。
②
小菅さんのクラスでもリサイタルを1000席規模のコンサートホールで聴けることは、そんな
に多くは無いと思います。そんな中で、独自企画として、2月には小菅優のリサイタル、3月に
「マタイ」と小曽根真のリサイタル、そして5月には庄司紗矢香リサイタルを組んでいるのは、
音楽堂としての個性を盛り込んだ意欲的なオーダーで、私たち観客にとっても非常に大きな期待
感の持つ企画です。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
音楽堂ヴィルトゥオーゾ・シリーズ15
J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244 <日本語字幕付>
シギスヴァルト・クイケン/ラ・プティット・バンド
開催日
3月6日(日)
会場:音楽堂
概要:シギスヴァルト・クイケンとグスタフ・レオンハルトにより結成された古楽オーケストラ
事業概要
による公演。コーラス・パートをそれぞれひとりのソリストが受け持つOVPP ( One Voice per
Part ) 方式による、小編成の声楽&古楽オーケストラによる演奏。
クイケン率いるラ・プティット・バンドのマタイ受難曲が聴けるということで楽しみにしてい
た。1人1パートという編成で、とりわけ合唱がどう聞こえるのかに興味を集中。器楽パートの音
量そのものに関してはすぐに耳が慣れ、1人1パートでもさほど違和感はない。だが明らかに演奏
での覇気を失っているメンバーがいて、少数精鋭という表現からは遠い。歌に関しては群衆、民
評価内容
衆というほどの雑多な声質や、隙間を埋めるものがないのが少々寂しい。とくにコラールの部分
①
には、老若男女問わない、様々な声があってこその良さ(うまい下手とは関係なく)というもの
が確実に存在すると思うが、ソリストが合唱を兼ねるスタイルにしたことでそれを補って余りあ
る利点はさほど感じられなかった。実際の問題としては、ツアーで疲弊した状態で合唱のみなら
ずソリストの部分も歌っているせいなのか、少々技術が不安定な歌い手がちらほらみられた。
木のホールとよく調和して、古楽器の音色の温かさ・優しさを存分に味わえるいい企画だっ
た。ソリスト編成による演奏というのも、古楽器との相性もいいようでおもしろかった(このバ
ンドで、こうした編成をなぜとっているのかについても、パンフレットの解説に助けられ、理解
して聴くことができてよかった)。全体的に非常に丁寧な演奏も好印象。字幕も邪魔にならず、
かつ、理解の助けにもなる置き方だったと思う。
ただ、入場料金が高めだったせいか、古楽器という企画のせいか、高年齢の、かつ、地味とい
うか、まじめな人たちが多いという印象を受けた。クリスチャンなのか、いわゆるクラシックの
観客層とも違う感じ。バンド自体が危機に瀕していることがパンフレット内のチラシからもうか
評価内容 がえたし、人数、内容、レベルからして致し方ないとも思ったが、こうしたレベルの高い古楽の
演奏を若い人たちなど、もう少し広い客層に聞いてもらえたらいいのにとも感じた。
②
マタイ受難曲というのも、古楽で聴くのにふさわしい一方で、キリスト教が文化として定着して
いない日本で難しいところもあるのかな、と思ったりして、こうした正統派の古楽演奏を聴く機
会を是非継続してもっていただきたいと感じた一方で、古楽器の新しい可能性を追求しているさ
まざまな試みにも光を当てていただけると(チェンバロの企画など、そうしたものの好例です
ね)、古楽自体の魅力が伝わりやすくなるだろうし、客層の拡大にもつながるのではないかと感
じた。
日本の古典芸能も同じだが、正統派の良さが確実にある一方で、それだけでは伝わりきらないも
のもあり、そうしたものの伝え方について、いろいろ考えさせられた。
当日は客席から活況の様子がうかがわれ、観客のこの企画へ対する期待度の高さが窺われまし
た。
上演は、その考証の有りようも含めて、古楽演奏の精華の今日を示す事例としてはもちろんの
こと、バッハという存在の音楽・文化史上における意味合い、そしてキリスト教文化圏で育まれ
た文化・精神の遍歴、信仰・物語・音楽の関係などなど、リテラルな関心はもとより、これら
様々な問題意識へと体感をとおして鑑賞者個々人の関心に応じ、それぞれが向き合うできる奥行
評価内容 きの深い上演であったように思われました。
ここ数年のこれまでの企画を振り返っても、古楽演奏に関する企画への篤い取り組みの様子が
③
窺われます。そういった取り組みの線上にしかるべき企画としてこの好演がありますことは、一
観賞者としても喜ばしいことでした。
鑑賞者にはどうしても高齢の方が多いようでした。今回の満席状を考えますと、休憩前後の対
応など御苦労の事もあったかと思われますが、トイレの列など、慌てずそつなくこれに対応をさ
れておいでのように見受けられ、好感をおぼえましたし、鑑賞者もよくこれに従っていたと思い
ます。
平成27年度外部評価報告(別紙)
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
音楽堂アフタヌーン・コンサート
小曽根真 ピアノ・コンサート
開催日
3月20日(日)
会場:音楽堂
概要:世界的ジャズピアニスト・小曽根真によるピアノ・コンサート。スペシャルゲストにサッ
事業概要
クス奏者・近藤和彦を迎え、圧倒的なテクニックとエンターテインメント溢れる晴れやかな演奏
を届ける。
全体として、とても温かなコンサートだった。
まず、音色。こんなにまろやかな音色でジャズを聴いたことないかもしれないと思った。木の
ホールとジャズという取り合わせは、なんとなく不思議な感じ(ライブハウスで聞くことが多い
せいか)がしたが、ピアノの音色、サックスの音色、それぞれにやわらかく繊細多様で、この
ホールでジャズ、しかも、ソロとデュオという、それぞれの楽器の音を堪能できる形で聴けたの
は、ほんとうに贅沢な時間だった。奏者もホールの音の美しさに感動していたが、聞き手として
も満足度が非常に高かった。
そして、小曽根氏の人柄。観客席から登場するパフォーマンスや、気さくで肩の力の抜けた
評価内容 トーク。そして、アンコール時には、日本のジャズ界を支えてきた裏方の人たちも紹介し、やは
り客席に来ていた伊藤君子さんを舞台にあげて一緒に演奏するなど、「自分」だけでなく、それ
①
を支えてくれてきた人たち、日本のジャズ界全体への友愛に満ちたものだったことも好印象。
もちろん、こうした温かさが、演奏レベルの高さと共存していることがすばらしい。クラシッ
クからラテンまで、多彩な音色で、しかも、肩の力を抜いて、楽しんで聞かせていく小曽根氏の
ありようは、日本人離れしていて、たいへん余裕がある感じがした。
サックスの近藤氏のまじめで誠実な感じも良かったが、作曲作品のレベルは、小曽根氏のもの
の方がどうしても完成度が高い印象を受けた。
いずれにしても、このホールで、またジャズのコンサートをぜひ開催していただきたいなと
思った。音を存分に味わうことのできる、いいホールだなと改めて。
日曜昼間に音楽堂で聴く小曽根真。さすがに、客層も普段のクラシックのコンサートとは違って
いる。適度に力を抜いて音楽を愉しみに来ているようで、おしゃれもこなれて仕草にも余裕があ
る人がちらほら見受けられた。まだうすら寒い季節だというのに、石田純一よろしく靴下を履い
ていない男性、白いパンツを足首まで捲り上げているのをみて、これがジャズの客層かと田舎者
のように感心することしきり。いつもは見かけないワインが売店に置いてあったのも心惹かれ
る。評価員でなかったら間違いなく手を伸ばしていただろう。さて本題である。小曽根さんは一
瞬で人の心を掴んでしまうピアニストだった。リズムを感じてタップする左足、興が乗ると浮い
評価内容
てくる右足、人好きのする笑顔と人懐こい話し方。音楽はお客さんを楽しませてなんぼであるこ
②
とが骨の髄までしみているのだろう。音楽堂の音響の良さも手伝って、愉しそうだ。臨機応変、
自在にあやつる即興、柔軟さ、こういった緩く見えるものすべてが実は周到に用意された演出で
あるように思われた。とりわけ、客席にいた伊藤君子さんが飛び入りという演出が良く、津軽弁
の歌唱には不覚にも感動してしまった。サクソフォンの近藤さんも、真面目そうだけれど伊藤さ
んの裏に入るときのセンスが素晴らしい。照明も音楽のタイミングを熟知している方が担当して
いるのだろうか、色合いの変化のタイミングも音楽を邪魔しないのがいい。マチネも悪くないけ
れども、やはりジャズは夜に聴いて、もうそのあとは眠りたい。