女性アスリートの特徴とセカンドキャリアに関する調査報告 山口 香(研究分担者) 1. 研究の背景 1.1. 女性スポーツの現状 女性におけるスポーツの歴史は思われているほどに長くない。 1986 年に行われた第 1 回アテネオリンピックに女性の参加は認められず、1900 年パリ大会が初めての参加となっ た。それから 100 年以上の時を経て、2012 年ロンドン大会は、ボクシング競技に女性の 種目が採用され、26 競技すべてにおいて男女が揃った歴史的な大会となった。日本では、 1920 年代より高等女学校の生徒がテニス、水泳、陸上競技、バレーボールなどを行うよう になり、女学校間での対抗戦なども開かれた。日本人女性として初めてオリンピック(第 9 回アムステルダム)に参加した人見絹枝は、陸上 800m で見事に銀メダルを獲得したも のの、当時は女性スポーツに対しての間違った知識や偏見も多く、恵まれた環境とはいえ なかった。その後、東京五輪(1964)でバレーボール女子が金メダルを獲得し、バレーボ ールブームに火がつき、ママさんバレーが一気に普及する。 女性スポーツの現状をみると、女子サッカーなでしこに代表されるように、競技力、注 目度ともに上がっている。ロンドン五輪においても日本が獲得した金メダル7個のうち 4 個が女性であった。競技力の向上は、十分な強化費が投入され、強化システムが整って以 降、徐々に成果が見られるのが一般的である。しかしながら、女性スポーツの場合にはこ れがあてはまらないケースが多い。スポーツにおける男女の指導法、医科学的なアプロー チなどについては違いがあると認識されてはいるが、女性に特化した研究はまだ始まった ばかりである。システムや研究が十分でないにも関わらず、結果を出している女性スポー ツは、まだまだ伸びシロが大きく、サポート体制の充実に伴って今後更なる活躍が期待さ れる。 1.2. 女性アスリートのセカンドキャリア セカンドキャリア問題については、上述した医科学分野同様に、これまでは女性に特化 しての調査、研究が積極的には行われてこなかった。東京オリンピック(1964)で金メダ ルを獲得した女子バレーボール監督の大松博文監督(1921-1978)が大会後、時の総理大 臣佐藤栄作氏を表敬訪問し、報告した後にお婿さん候補を探してほしいとお願いしたエピ ソードは有名である。おそらく当時とすれば、女性の幸せは結婚であるという価値観が強 かった時代であろう。その後、社会が変化し、女性が多くの分野に進出し、活躍する時代 となったことは言うまでもない。女性スポーツにおいても例外ではないが、アスリートと しての活躍は目覚ましい反面、引退後のキャリアについてはどうであろうか。一般的に男 性スポーツで活躍したアスリートが引退した場合に、企業スポーツに属していた者であれ ば、そのまま残って仕事に従事するもの、学校現場や実業団等の指導現場で活躍するもの などが多い。しかしながら、男性スポーツであっても近年、上述したような環境が変化し てきている。終身雇用を基本とした採用から、報酬は高いが契約社員としての雇用で引退 後は次のキャリアを切り開くしかないケースも増えている。これらの背景には、長引く経 済不況の煽りもあるが、スポーツ自体が高度化したために、世界で闘うためには仕事と平 行して行うことは難しく、スポーツに専念せざるを得ないようになっていることが一因で あろう。このような現況からセカンドキャリアに対する関心が高まってきたと思われる。 セカンドキャリアの議論をするにあたって男女同じにすることは幾つかの点で難しい。ア スリートとして活躍している時のサポートや引退時のサポートについては概ね同じである と考えても、女性には女性が抱える特有のキャリアに関する問題が存在する。結婚、出産、 育児という女性にとって大きく生活環境を左右する事案がある。また、スポーツ界は男性 優位の構造になっていることは否めないことから、ファーストキャリアを生かしたキャリ アを希望したとしても男性ほどに多くの可能性が開かれているとは言えない。女性アスリ ートの活躍がスポーツ界全体の活性化につながっているのと同様に、女性アスリートの引 退後の活躍もまたスポーツ界全体に貢献するものであることは間違いなく、男性アスリー トのセカンドキャリア問題とは別に議論されていく問題であるとも考える。 2. 女性トップアスリートのキャリア観について 2.1. 調査目的 女性トップアスリートがどのようなキャリア観を持ち、そのキャリア観は誰の影響が強 かったのか、また、実際にどのようなキャリアを積んできたのかなどについて明らかにす ることを目的とした。 2.2. 調査方法 過去にオリンピックに出場した元女性アスリート 7 人を対象とした。反構造化面接によ って以下の項目について調査を行った。 1) パーソナルデータ(年齢、出場したオリンピック、最高成績、学歴及びキャリア) 2) インタビュー項目:進路を決定した要因, 進路について影響を受けた人, 指導者との関 係, 引退を決めた年齢と理由, 引退をする以前から引退後のキャリアについてのイメージ はあったか, 現在のキャリアについて, 自分のキャリアについての満足度(現在), 連盟のサ ポート(キャリアに対して)と現在の関係, 恋愛、結婚について, 女性アスリートのセカ ンドキャリアについて, 現役時代の夢と現在の夢 表1 対象者の属性 年齢 競技 出場五輪 最高成績 学歴(キャリア) A 34 競泳 バルセロナ 五輪メダル 高校→大学→レッスン,講演等 B 36 陸上長距離 バルセロナ 五輪入賞 高校→実業団→イベント出演など C 37 陸上長距離 アテネ,北京 五輪入賞 大学→実業団→企業(アドバイザー) D 47 柔道 ソウル, バルセロナ, アトランタ 五輪メダル 大学→実業団→大学院→大学教員 E 48 陸上長距離 バルセロナ 五輪入賞 大学→教員→実業団→実業団監督 F 49 バトミントン バルセロナ 五輪出場 高校→実業団→テレビ番組司会等 G 60 バレーボール モントリオール 五輪メダル 高校→実業団→外部指導員 2.3. 結果 以下、8人に行ったインタビュー調査の結果を質問項目ごとにまとめたものを示す。 1) 進路(高校以上)を決定した要因 ・ 高校は、水泳をする環境が一番良いところを選んだ。大学は、付属高校だったので正 直あまり選択肢がなかった。学科については自分の興味のある学科を選んだ。 ・ 高校から大学へは実業団という選択もあったが、母親の勧めがあって進学した。大学 から実業団へは、高校時代の恩師の勧め(実業団監督と知り合いだった) ・ 高校は 2 年で中退して実業団に入った。その時すでにオリンピックで金メダルを獲る と公言していた。全日本に入るには全寮制の高校でやるのがよいと思い決めた。中退 して実業団に入ったのは、早く高いレベルで競技がしたかったことと、実業団チーム 監督の誘いがあったから。 ・ 指導者からの助言もあったと思うし、駅伝の全国大会に行ってテレビに出ているとか 先輩たちへの憧れがあった。最後は自分が決めた。 ・ 陸上競技で(推薦)大学に入ったが、その時点で陸上はもう厳しいなというのもあっ て、そのときに平行してやっていたのが柔道。柔道が面白いというのと、陸上がこの まま続けてもどうかなというのがあって、この後大学4年間やるのかっていったとき にちょっと厳しいだろうと思った。父親は賛成、母親は反対だったが、最終的には自 分の意思で大学をやめた。父親が賛成というのは大きかったと思う。改めて、家から 通えて、総合大学で、体育があってと考えて大学を選んだ。ようは、1年間浪人した ような感じ。推薦は嫌だったので普通に受験した。また辞めるのどうのってあると思 ったので。 2) 進路について影響を受けた人 ・ 部活動の先生、家族、友人。親は自分の意見を尊重してくれた。 ・ 高校の先生、家族。親には決めてから報告するという感じだった。 ・ 担任の先生、友人。 ・ あまり人には相談せずに悩んで悩んで悩み抜いた。 3) 指導者との関係 ・ (高校時代の指導者について)フレンドリーではなく、結構厳しく指導してもらって いました。喋るのもすごく緊張しました。上下関係も理不尽なものではないですけど、 礼儀とかルールとか、練習よりも日常生活のルールを守るとか、いち高校生として当 たり前のことをしっかりやりましょうという、そういうところが一番厳しかった。い ち高校生として、競技者として、土台を叩きこまれました。今から考えると。そのと きはきつかったんですが。そういう精神的なところで鍛えられたような気がします。 ・ 良好だったと思う。100%の信頼があった。でも、自分の感覚というよりも言われ たことに忠実にしたいし、自分で足が痛い、これおかしいなって思っても、そんなの 大丈夫だよ、走れって言われたら、これおかしいと思っても走っちゃったとか、それ ぐらいの信頼関係ともいえる。根性論でやる人じゃなかった。私も理不尽に感じたら たぶんやらなかったと思う。わりとクレージーなことでも面白おかしくのっけてやる タイプの指導者もいるけど、私の指導者はわりと理論などきちんとしてた。自分の意 見も言えた。ただチームでやってるし、日本ってやっぱり選手と指導者は上下の関係 になっちゃうから、全部思ったことを言っていたかどうかはわからない。でも、そも そもそこがうまくいかないと選手は強くならない。 4) 引退を決めた年齢と理由 ・ 20 歳。大学2年のとき。競技に対しての気持ちが続かないというのが一番の理由。大 学も水泳で入っているということがあり、在学中にやめることは勇気がいった。 ・ 30 歳。理由にはいろいろあるが、最大の理由は持病(怪我)。ある程度結果も出して きたので、違うところで輝いても良いのかと思った。結婚や出産などへの思いもあっ た。 ・ 35 歳。出産してもう一度やれたらと思ってやったが、やはりなかなかうまくはいかな かった。 ・ 30 歳。(26 歳で一度引退するが復帰)膝の怪我もあったが、決勝(オリンピック)で 負けて表彰台にのぼったとき、同じ状況で前回は悔しかったが、この時はすっきりし ていた。やめるときはこんな感じなのかと思う。 ・ 31 歳。体がもたなかったし、モチベーションも今一つだった。 ・ 20 歳、24 歳、26 歳と引退復帰を繰り返した。最初の引退から復帰が 10 ヶ月。2回目 が半年。やっぱり年とともに戻らない。最後は体力、気力には限界があると感じた。 ・ 28 歳。世界で勝てないと思ったからというのが理由。日本では勝てても世界では無理 だと思った。負けた試合とかじゃなくて、自分のなかのちょっとした感覚ですよ。ち ょっとしたことで、あれ?っていう瞬間が出てくる。その“あれ?”が、それまでは 数試合のなかの1本だったのがちょこちょこ出てくるようになった。オリンピックで 辞めようっていうのは決めていた。ケガももちろんあるが、それよりも精神的なもの。 12 年間ずっとトップでしなければいけなかったっていう、そっちの疲労のほうが大き かった。 5) 引退をする以前から引退後のキャリアについてのイメージはあったか ・ なかった。大学在学中だったし、引退した頃はあまり引退っていう言葉が…。ただレ ッスンの依頼が在学中からあった。水泳を教えるっていうことはすごく大変だけど面 白いし、相手も喜んでくれるっていうのはすごくいいこと。そこをやっていけば自分 の何かこう芯となるものができるんじゃないかなと思った。 ・ 20 代の前半は競技に没頭していたけが、30 歳に近づいてセカンドキャリアを考えるよ うになった。実業団で男性は将来を考えて競技と並行して仕事をし、会社に残れるよ うにする人も多いが、私は競技で結果を出すことが次に(キャリアにも)つながると 考えていた。引退する1年くらい前に事務所に所属し、コメンテーターやイベント出 演等を行うようになった(現在も継続中)。 ・ 正直いって考えてなかった。イメージもしてないし、オリンピックしか見てなかった。 だから、引退後、復帰している。JOC の在外研修でイギリスに1年間行って、そのう ちに答えが出るかと思ったがでず、結局次のステップに進むのに5年ほどかかった。 ・ なかった。引退後に大学に行くことも考えなかった。私はすごく恵まれているほうで、 次の道筋を会社にいってもらえたからっていうことですよね。でも、いっぱい選手が いるなかで残れる人はごくわずか。選手として入るわけだから、選手を辞めたら普通 の社員として残れる人ももちろんいる。地元に帰って先生になる人もいる。でも、先 生になる人は大学に行っている人ですよね。違うところへいってコーチとかになって いる人もいる。だけど、そんなに枠は少ないと思う。だから、実家に戻って跡を継ぐ とか。いろいろありますよね。 ・ まったくなかった。でも、よく監督が『せいぜい 25 だろう。人生 75 だったら 50 年 どうやって暮らすんだ』って言っていた。でも、想像つかなかった。辞めたらどうす るかって考えたこともなかった。あの時代は、 『はい、ご苦労様。いい人と結婚してね』 で終わりなのよ。 6) 現在のキャリアについて ・ 育児をしながら、水泳のレッスンや講演。 ・ コメンテーターとかイベント出演、自分のランニンググクラブもあり、多方面で活動 している。タイミングが良かったと思うが、こういった仕事を長く続けるのは実力次 第。 ・ オリンピックに出場した選手は特別職(アドバイザー)として雇用してくれるシステ ム。大会や合宿に参加(アドバイザーとして)することもあるが、基本は子育て中。 ・ 会社や連盟が女性の指導者を育てたいというものがあったようで、監督になったのは 自分の希望よりもレールが敷かれていた感じ。運命だった。 ・ 引退後、コーチを1年半やった。テレビの仕事も始めていて両立が難しかった。会社 に相談したところ、 “いましかやれないことをやってください”と、テレビの仕事をや った方がいいと言われ、コーチを辞めた。テレビの仕事について会社に相談すると当 時の常務(現会長)が、 「○○さんはバドミントンの世界しか知らない。バドミントン の世界では成功者、パーフェクトだ。でも、知らない世界っていうのもたくさんある わけだから知らない世界で勉強するのも1つのキャリア。テレビの世界は浮き沈みが 激しいからダメだったらうちに戻ってきなさい」と言ってくれた、その一言で決めた。 プロダクションなどには所属せずに選手時代の会社に所属しており、会社が活動の窓 口になっている。これはすごく珍しい。 ・ 引退後は、テレビ解説の仕事やスポーツメーカーに勤めたり、結婚して子育てして。 現在は、教育委員、外部指導者としてバレーを指導している。 7) 自分のキャリアについての満足度(現在) ・ 育児をしながら自分のペースで行える仕事(水泳レッスンや講演等)に満足している。 ・ 引退して指導者になることも考えたが、結婚して出産もしたので、いまの私には指導 というのは…。結婚していなければ指導にいっていたかもしれないが、旦那さんもス ポーツ選手なのでまず家族のサポートもしなければいけないし、子どもも小さいので、 イメージできない。将来的にはあるかもしれないが、そうしたところで、やっぱり女 性はどうしても臨機応変になる。 ・ 子育ては大変だがのんびりしている。時々は、大会やイベントに呼んでもらって充実 している。 ・ 自分の得意なところをどうやっていかせるのかいうところ。生活もあるので仕事は必 要だが自分の得意なこと、やりたいこと、できること、やりたくてもできることとで きないことがある。最終的には自分らしくいられるのかなっていうことが大切かなと 思う。 ・ 現状について、私の場合は満足してるかどうかって訊かれたら満足しているけど、全 日本をやめた子、競技者を辞めた子とかの進路っていうのはすごく心配ですよ。やっ ぱり自分が見てきた選手、気にかけていた選手というのはすごく心配です。 ・ 監督になりたいと思ったわけではない、コーチとかでもいいかなと思ったけど、会社 から求められたのが監督ということだった。最初は嫌々やったけれど、いまはやりた いことができているので不満はない。やっぱりやりたいことはできているかなという のはあるかな。監督をやりたかったわけじゃないけど、やってみて、苦しいときもち ょっと越えながら来て、今はやりたいことがはっきりしている。 8) 連盟のサポート(キャリアに対して)と現在の関係 ・ 競泳委員です。連盟に今までお世話になった分、自分もやれることはやらなければと いう感じ。 ・ キャリアサポートに関してはあまり期待しなかった。水泳は個人競技なので、自分で やるかやらないかっていうのは決めるものだし、私は一社会人になって…、大学生の ときはまだいいけれど、社会人になったら自分でアクションを起こさなければいけな いと思っている。 ・ まったくないと考えた方がいいと思う。一部の人はあるのかもしれないけど、大半の 人はない。連盟との関係は、いまは委員会の委員として(教育・普及)関わっている。 (期待できるサポートとして)先輩とかやっている人のキャリアを聞く。そういう機 会がもっと多ければよかった。そうすると、引退してその人が何を思っているか聞い たり、どういうふうに職についたのか、どういうことで辞めたのか、そういうのを聞 くのが一番かな。何かひっかかるものとか、自分に足りないものが見えてきて、そこ のケアをしていく。例えば、カウンセリングじゃないけど、相談にのれる人が、まず 気づいて、ある程度相談に乗れて。アドバイスまでしかできないけれども、そういう のがあるともっとキャリアにつながっていくのかなと思う。今まではいろんな人に話 を聞くだけで終わったけれど、聞いて、何が自分に足りないか、何をしなくちゃいけ ないか、自分で探してっていったら、階段でいったら結構高くなっちゃう。ある程度 のぼれる歩幅じゃないと。でも、いまの選手は話を聞く機会は多いんじゃないですか。 JOCの冊子もあるし、キャリアについて話す機会はすごく増えた。 ・ 理事をやっていたけれど、今はもう任期が終わってもうやってない。そこは難しいと ころがある。女子の長距離マラソンは実業団っていう大きなスポンサーがいるから陸 連と関わってなくても自分たちで合宿だってできるし、試合に行こうと思ったらエー ジェント使えばいいしやれる。ただ使命感とか、そういう意味では陸連ともうまくや らなきゃとか、ちゃんとこの業界のことを考えなきゃという意味でつながっているけ れども」 ・ 私たちの頃からそれなりにサポートしてもらえるようになっていた。ただ指導者とし ていま、自分が選手のときに嫌だったこととか、こんなのがあったらなっていうこと をついついやりすぎているかもしれない、選手に対して。私は子どもはいないけれど、 よく親御さんってそういうのがある。自分が苦労したことは、戦後世代だと、戦後で 食べるのに苦労した親は子どもにはさせたくないと思っている。そんなような意味で、 いまの選手に対して私たち指導者はちょっと環境を整えすぎているのかなって思うと ころはある。こうだったら嬉しかったなとか、こういうところが辛かったよなってい うのを、ものすごく環境を整えているような気がする。逆にいえば環境がすごく整っ ている。 (成績が)低迷している一つ、選手がものを考えないとか、ハングリーがない っていうのは選手が悪いんじゃなくて、そういう仕組みになって考えなくてよくなっ ているんだから考えるはずないし、指導者も真面目。そういうことをやってあげない のはさぼっているようにも感じちゃうし、自分ができることはやろうって一生懸命に なった結果、やっぱりなんでもかんでもしてあげたり過保護になったりとか。そうい うところが足かせになっているところもあるかもしれない。ほんとのところは何がい いか悪いかわからない。 9) 恋愛、結婚について ・ 水泳は自由だった。普通の生徒と同じ感覚だった。恋愛が競技に悪い影響を及ぼすと は思わない。 ・ 家庭を持ちたいと小さい頃から思っていて、子どもも生みたいと思っていました。結 婚や出産がキャリアの足かせになると考えたこともあるが、そういう目からも「この 人なら」という人を選んだ。スポーツに理解のある人じゃなかったらたぶん結婚でき なかったかなとは思います。スポーツをしていたかどうかではなく、スポーツに対す る理解、スポーツに対しての尊敬じゃないですけど、そういうものは持っている …。 否定されたりすると絶対無理じゃないですか。そういう人だとたぶんおつきあいもし ないだろうし、結婚もできないだろうなと思いますね。 ・ 高校のときは禁止。実業団のときは男女の部があったので、部内でつきあっていたと きもあって監督も知っていたが特に言われなかった。逆に部内のほうがちゃんとした 人だから安心だ、みたいなところがあった。 ・ 恋愛はマイナスにはならないけど、競技に集中したいタイプ。恋愛をしていた方がい いという人もいると思うし、自分の選択の自由ですね。 ・ 結婚はタイミング的にいつでもいいかなと思っていた。結婚したから止めというのは なかった。 ・ 1人の女性というよりは、マラソンの○○ちゃんだみたいなイメージで入ってくるか ら、恋愛対象の目線で見ることは難しいかもしれないですね、やっぱり。有名になれ ばなるほど。イメージが出来上がっていたりとか、特別視する。1人の女性というよ りかは“○○ちゃん”という目線で見られるのではないかなとは思います。 ・ 選手のときの世代は風潮として恋愛禁止だったが、今はもう何でもあり。ママさんラ ンナーがいること自体がそうだし、それがどんどん増える傾向にある。 ・ 監督という立場になると、選手を勧誘して連れてきているのに、自分が結婚して辞め ましたっていうのはできない。チームのマネージャーだった人と結婚したが、 “私の 仕事を理解してくれる人となら結婚もありなのかな”と思って結婚した。 ・ バドミントン選手同士でつきあったり、結婚する人も多かった。遠征が多いので、男 の人は一般の人、会社の人と結婚する人も多かったけど、女子は出会いが少ない。だ からバドミントン同士で結婚するのが多かったのかな。 ・ ダメだった。禁止というか暗黙の了解。公的な場で男子の口をきくのは禁止。監督が 私にいったのは、365日、1年に1回は休みがあるからそれが一番怖いと。そこで 妊娠されたら困る、みたいな。恋愛しちゃったら困るっていうことは言っていた。監 督は「やめたら自由にやりなさい。やっている間は少ししかないんだから。 」と、この 辺は納得していた。 10) 女性アスリートのセカンドキャリアについて ・ 出産してから、子どものことは女性の方に必ず負担がかかるのでそこは大変なところ だと思っている。普通に働いているOLの友だちからは、出世に関して男性より不利 というような話を聞く。 ・ 子育てに入ってしまうと一度休むので、なかなか次が難しい。男性に比べて女性が恵 まれていないとは思わない。 ・ (出産後の競技について)システムみたいになっているとやりやすかったのかもしれ ないですけど…。やっぱり両親にもみてもらわなければいけないとか、会社や合宿に つれていくわけにもいかないし、連れて行ったこともあるんですけど、やっぱりなか なか難しいなとも思いました。もし本当にベビーシッターとかに頼んでいたら気が楽 にやれたかもしれない。知り合いだと気を遣わせて悪いなという感じがしましたね。 海外の選手はベビーシッターを連れて合宿も行くって聞いたことがあるし、すごいな と思います。 ・ 30 歳で辞めたときはあんまり社会経験をしてこなかったので、あんまり社会のことを 知らなかった。団体行動をするので高校生の延長みたいな感じで、門限があったり、 車の運転もダメだとかいった、いろんな規則に守られたなかでやってきた。普通の一 般人じゃないんですよ、箱入り娘というか。だから、社会経験をしなければいけない なって思って、普通だったら 30 歳くらいで結婚というところを、私は人より 10 年く らい遅れているから 40 歳までに結婚したいなって思っていた。子どもを生んでみて初 めて出産にもタイムリミットがあるっていうことを気づいていた。産婦人科にいって みて初めて、(30 歳を過ぎると)ダウン症の割合がシビアに平均値があがり、増えて いくことを知った。若いアスリートでそういうことを知らないままの人もいるのでは。 現役を続けるのはいいことだが、そういうことも理解し、将来子どもが2人、3人欲 しいという人は早い段階で家族を持つということも計画に入れた方がいいと思う。私 は 35 歳で初めて知ったので、そういうことを知った上で自分の人生設計をやっていっ てほしいなと思う。 ・ 子ども生んでからもう一度やれるのであればやってみたいという気持ちがあったので、 子どもを生んでどういう環境でどうやってできるかなという感じだったが、実際やっ てみると、やっぱり周りにすごく迷惑をかけているなっていうのは感じた。やっぱり 子どもに対して、合宿ばっかりもしてられないし、近くにいてあげたいっていうのも あるし、これはちょっと私には無理だなと感じた。 ・ 周りの人のアドバイスっていうのは大切だと思う。選手はよくわからないというのが 正直なところ。ただ、最終的に考えるのは本人だから。いろんなアドバイスはしてあ げたほうがいいような気がする。今はセカンドキャリアって言葉にもなってるし、キ ャリア教育って流行ってるけど、当時なんて聞いたこともない。ここ最近、5年くら いのあいだのことなんじゃない。だからたぶん、普通の大学生が大学卒業して就職す る。就活のときにいろいろ考える。どうするのか。そういうのがアスリートはないん だと思う。考える期間がない。特に勝ってる選手は自分でも努力してうまくいってい るパターンが多い。社会に出たら、8割、9割方うまくいかないことの方が多い。そ このギャップがどれだけわかるか。 11)現役時代の夢と現在の夢 ・ 現役時代はオリンピックでした。現在、講演とかで子どもたちに“夢を持った方がい いですよ”と話すんですけど、逆に“夢はなんですか”って聞かれたことがあったん ですね。そのときまったく持ってなくて。やっぱりプールというか、水泳と関わって ずっと行くことが1つの夢なのかなって思っています。水泳と関わって、水泳の仕事 をずっと続けられたらいいなと思っています。 ・ 世界選手権で金メダルを獲りたかった。 (銅メダル獲得)現役時代の夢は叶わなかった。 スポーツで世の中を明るく元気にしていきたい。夢は必ず叶うという言葉もあるが、 叶わないこともあるっていうことを経験している。しかし、夢を持って一生懸命努力 すれば必ず近づくということはいえると思う。それは胸を張っていえることかなと思 っている。 ・ 小学校の卒業文集で将来の夢はオリンピック選手と書いていた。いまは、スポーツを もっと普及させたり、もっと国際的にもやっていきたい。 ・ 中学、高校、大学とそんなに強い選手ではなかったので、 “日本代表の選手になりたい” っていうのが一つの目標だった。今は、自分がオリンピックで獲れなかったメダルを 選手に獲らせたい。あとは年をとってくると競技だけを追求するのではなく、気持ち のどこかに社会に貢献したいなっていう思いがある。 ・ バドミントンがなかったら、いまの仕事もやってない、やれてない。バドミントンに は絶対に恩返ししなければいけないっていうのはあるので、最終的にはバドミントン、 スポーツを通して夢を持った子どもたちに出会いたい。 ・ 現役時代の夢は金メダル。それ以外に何もない。 現在の夢は、体力が続く限り子どもたちに、バレーというよりスポーツの楽しさは教 えてあげたい。 2-4. 考察 本調査は、オリンピックに出場経験を持つ元女性トップアスリート7人にインタビュー 調査を行い、キャリアを決定する要因、影響を受けた人、現在のキャリアおよび満足度、 恋愛・結婚などについて女性特有のキャリア観についての知見を得ることを目的とした。 オリンピック出場経験を持つ、尚かつ 7 人中 3 人がメダリスト、3 人が8位以内入賞の経 歴を持つことから、対象者はトップアスリートの中でもさらに高いファーストキャリアを 持つ集団であるといえる。また、年齢は 34 歳から 60 歳で、平均年齢は 44.4 歳であった。 最終学歴は 4 人が高校卒業、2 人が大学卒業、1人が大学院修了であった。 進路を決定する要因について(高校進学以上)は、ほとんどが高校進学の段階である程 度の競技成績を出していることから、 「競技を続ける環境」に重点をおいていたことがわか った。また、キャリアについて影響を受けた人は、指導者、家族、友人が主であったが、 親は本人の意思を尊重してくれたとしたものが多かった。女性アスリートは男性アスリー トに比べて依存性が高い傾向にあると一般的には言われるが、トップアスリートに関して は自立の傾向にあるとも考えられる。 引退を決めた年齢は30歳前後が多かったが、理由については体力的な問題に加えて気 持ちが続かなかったという回答が多かった。また、出産後も現役を続けようとしたが難し かったと回答した人は、出産前に考えていた以上に育児と競技の両立が難しかったことを 述べている。近年、女性に特化した強化支援も充実しつつあるが、出産、育児に対しての サポートは未だ十分でないことが伺えた。現役中から引退後のキャリアに対してイメージ を持っていたかという問いには、ほとんどが「イメージがなかった」と回答した。文部科 学省「トップレベル競技者のセカンドキャリア支援に関する調査研究事業報告書」 (2008) においても、引退後について具体的に考えている日本オリンピック委員会(JOC)の強化 指定選手、オリンピアンは約 3 割と報告されており、男女ともにアスリートのセカンドキ ャリアに対する意識が低いことがわかる。女性アスリートの場合には、高校卒業後に実業 団に進むことも多く、学歴の低さ、専門的な資格を持っていないなどの特徴もある。引退 後にファーストキャリアを生かした指導者を目指したいというアスリートは多い。また、 女性の国際競技力は向上したが、指導者及びスポーツ組織の意思決定機関において活躍す る女性の数は依然として少ないのが現状である。この要因は複数あるが、学歴とそれに伴 う資格も一因であることは考えられる。 現在のキャリアについては、結婚、出産、育児などとキャリアの両立ということでフル タイムではなく、講演、イベント出演などをできるペースでこなしているものが見られた。 これらのケースは、引退後間がなく、ネームバリューも高いことを背景にマネジメント会 社に所属、もしくは現役時代の企業にアドバイザーとして籍を置きアレンジしてもらって いるものだった。男性に比べて結婚後に生計の部分での責任は重くなく、自由に楽しみな がら仕事を選んで続けているという感想が見られた。引退後のキャリアに関して連盟のサ ポートは多くなく、期待もあまりないことがわかった。しかしながら、連盟の委員会など で協力、活動している者は多く、引退後も良好な関係を保っていることが窺えた。国際オ リンピック委員会(IOC)は、第 2 回 IOC 世界女性スポーツ会議(2000,フランス)にお いて「国際スポーツ競技団体、各国オリンピック委員会、各国競技団体およびその他のス ポーツ団体が、2000 年 12 月 31 日まで に意志決定機関に少なくとも 10%の女性代表者 をおくという 1996 年 IOC 総会の決議の実現を促すよう、国際オリンピック委員会会長に 強く要求する。また、目標に達しない場合、その理由を吟味し、実行計画書を提出させ、 必要であれば、期限を 2001 年 6 月までに延長するが、2005 年までに女性代表者の構成 率を 20%にするという目標は、引き続き達成することを確認する。 」という決議を行って いる。しかしながら、IOC 自身もこの数値目標を達成しておらず、スポーツ各機関で女性 の登用がいかに難しいかを表している。登用へのハードルの高さは、役員選出のシステム であったりもするが、女性自身がリーダーとなることを望んでいないとの調査結果も見ら れる。連盟への期待も多くない代わりに自らも積極的に関わりたくないという意識も見え 隠れしており、こういった部分の意識の変革をしていかなければ組織における女性の活躍 は期待できないともいえる。 恋愛については、現役時代から自由であったという答えが多かった。また、恋愛が競技 に影響を及ぼしたかどうかについても、個人に依る差が大きく一概に言えないというもの だった。トップアスリートになり知名度が上がることが、恋愛や結婚に影響があるかとの 問いには、始めからイメージを持たれてしまう、という答えがあり、メディアなどがイメ ージを刷り込んでしまうことへの危惧も感じられた。現役中に結婚し、出産した者は対象 者のなかで一人だったが、出産後の現役続行は思っていた以上に大変であったと語ってい る。親や知り合いに預けるのは返って気を使ってしまうのでベビーシッターなど、専門家 に預けるやり方(海外では一般的)を試した方が良いのかもしれないと感想を述べていた。 日本でも近年、結婚、出産を経て尚現役を続けるアスリートが増加傾向にあるものの、サ ポート体制が十分とは言えないために個人に金銭的なものも含めた負担がかかることが多 い。ナショナルトレーニングセンターに託児所を設置する案なども検討されているが、ス ポーツだけではなく働く女性、活動する女性をサポートする体制の整備は先進国の中で日 本はまだ遅れていると言わざるを得ない。 女性アスリートのセカンドキャリアについては、やはり結婚、出産、育児がキャリアを 中断することになったり、配偶者によって方向転換を余儀なくされるケースがあるようで ある。さらに、女性の場合にはキャリアの参考になるロールモデルが少ないとの意見も見 られた。男女ともにアスリートのセカンドキャリア問題が語られるようになったのはごく 最近であり、とくに女性の場合には男性のそれとは違う問題(出産、育児など)を抱えて いるために今後、女性独自のセカンドキャリアに関する情報の提供やサポートシステムの 構築が望まれる。 現在の夢を聞くとほとんどのものが何らかの形でスポーツや社会に貢献したいと述べて いた。現在でも社会貢献を行っている様子がうかがえるにもかかわらず、 ‘さらに‘と強調 する言葉の裏には’貢献‘していると実感できる活動が多くないのではないかと推察され た。講演やイベントへの参加などは自らがオーガナイズしたり、自発的なものではなく、 お膳立てされた舞台に上がるだけというケースも多く、やっている内容は社会貢献でも満 足感が得られにくいのかもしれない。 3. まとめ 本調査は、女性アスリートの特徴とセカンドキャリアに関する現状を把握し、今後のサ ポートシステム構築の指針を得ることを目的として行った。女性アスリートの競技力は女 子サッカーなでしこの活躍に代表されるように飛躍的に向上しているが、強化システムや サポートについては今後整備される必要がある部分が多いことも否めない。セカンドキャ リアの問題についても同様である。近年、アスリートに対するセカンドキャリア問題への 取り組みが活発になっているものの、男女別々の視点からの取り組みはあまりなされてい ないのが現状である。女性アスリートの強化支援が女性の身体特性などに特化して行われ るべきものであるのと同様にセカンドキャリアについても結婚、出産、育児という女性が 抱えるキャリア問題を念頭に入れた対策やサポート、システムの構築が必須であろう。本 調査では、オリンピック出場経験を持つ7人を対象にしたが、彼女達はトップトップアス リートともいえるエリート集団である。そのため、国や組織に頼らなくても自ら道を切り 開いていく力があるとも言える。しかしながら、そのような恵まれた環境の中でもロール モデルの不足、情報の不足という意見が出たことは注視すべきであろう。彼女達自身が現 在のアスリートたちへのロールモデルであり、彼女達の発した言葉はセカンドキャリアを 考えるアスリートへの励ましや指針を与えるものとなることと思う。 文 献 日本オリンピック委員会ゴールドプラン委員会セカンドキャリアプロジェクト(2006)キャ リアトランジション Vol.4 日本オリンピック委員会:東京 笹川財団:政策提言 国民が生涯を通じて、それぞれが望むかたちでスポーツを楽しみ、 幸福を感じられる社会の形成,第3章競技スポーツ p.36-38, 2011.7 女性アスリート・コーチングブック:宮下充正監修,大月書店,2004 女性スポーツ白書:井谷恵子・田原淳子・来田享子編著,大修館書店,2001 順天堂マルチサポート事業:女性アスリートの戦略的サポート事業 2012. http://www.juntendo.ac.jp/athletes/workdetail.html 順天堂マルチサポート事業:TAKING THE LEAD カナダ発女性コーチの戦略と解決 策,2012.11.15
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