福島原発事故とその後 --今我々は何をなすべきか

福島原発事故とその後 --今我々は何をなすべきか
宮地英紀(1941 年 2 月 11 日生)
はじめに: 先生はなぜ反原発なのですか?
宮本嘉久氏から上掲の題をいただいたとき、「反原発のお話をしろと言われれば致しますが、反省
ばかりです。「真面目な」反原発運動であれば、現在の福島の状態を「想定」してその対策を明示で
きたはずです。しかし、現在、反原発の人たちも事故に対して対策を立てられず、原発推進の方々と
同じレベルにあります。
」とご返事しました。現在もその思いは変わっていません。
私が反原発の立場である事を大学の授業で語ると、学生が質問してきます。昨年 7 月 16 日の京都
工繊大の基礎力学の授業で「先生はなぜ反原発なのですか?」に対する回答は「レントゲンの検査の
ときに痛くも熱くも感じないように、通常の放射線は人間の五感で感じません。ガイガー管等の検出
器のメーターを見ないと検出できません。しかし放射線は有害で、被曝した個人だけでなく、子々孫々
に害悪を及ぼします。人類はこのような放射線を「安全」に取り扱うには未熟だからです。
」
1. 原発推進のパラダイム「原子力は必要であり、安全に運転できる」の形成
(1)
1972 年にローマ・クラブが「成長の限界」を発表して、人口増大と資源の枯渇による世界の危機
をあおり、2000 年には石油は枯渇するとした。1973 年のオイルショックでこの危機感は大きくなっ
た。この時期は「地球寒冷化!」論が有力で、「地球の危機と人類の滅亡」が喧伝され、石油に代わ
る代替エネルギーとして原子力エネルギーが必要とされた。そして世界中に原子力発電所が建設され
た。将来、増殖炉、核融合が実用化されれば、エネルギー問題は大丈夫だと言われた(2)。
しかし、1980 年代になると、地球寒冷化も化石燃料資源の枯渇の恐怖もなくなり、石油が世界的
にだぶついて、価格が下がってきた。1979 年のスリーマイル島事故、1986 年のチェルノブイリ事故
によって、原発が予想以上のリスクとコストがかかることが明らかとなり、原子力産業が不況になっ
てきた。そこで、地球温暖化論が登場する。この温暖化対策に積極的に取り組んだのがフランス、ス
エーデンのほかに日本とアメリカである。炭酸ガスを出さない原発が優位であるとして、原子力産業
と国家が絡んで地球温暖化論が政治的に使われた。
2. 反原発
(3)
原発は国家と癒着した科学技術であり、巨大な威力を備えながら、解決不可能な結果を招く技術で
ある。原発を存続させるために、国家・原発産業・電力会社は結果や事実を隠蔽する。原発の運転は
人間によって行われ、必ず失敗を犯す。勿論、多重防御で失敗を補償するようになっているが、スリ
ーマイル、チェルノブイリ事故では、多重防御を潜り抜ける知恵を人間が持っていることを示した。
1999 年の東海村の JCO の臨界事故は、作業員が核燃料加工の効率を上げようと工夫した結果である。
人間が正規のマニュアル通りに、機械のように働かなければ解決不可能な結果をもたらす。危険な装
置の要求通りに確かで意思なしで働く機械部品と同じように、感情がなく、注意深く、信頼でき、飽
きることがなく、意のままになる人間を作り出すのが原発産業である。地震・津波の自然災害も人間
の想定が犯した失敗である。人間による「積極的」な原発への攻撃やテロも解決不可能な結果をもた
らす。このような原発に私は反対する。
1
3.被爆
(4,5)
今日の放射線被爆防護の基準とは、核・原子力開発のために被曝を強制する側が、それを強制され
る側に、被曝はやむをえないもので我慢して受任すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らし
て作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政手段なのである。
日本が準拠している ICRP(International Commission on Radiological Protection 国際放射線
防護委員会)の被曝基準値は 1950 年では「可能な最低レベルまで(to the lowest possible level)」、
」、1965
1958 年にはリスク−ベネフィット論によって「実行可能な限り低く(as low as practicable)
年「経済的、社会的な考慮から容易に達成できる限り低く(as low as readily achievable, ALARA)
と変遷している。すなわち、企業が原子力発電によって利益を得るために不可避である放射線被曝に
よる健康被害を容認するとして定められものが ICRP の被曝基準であり、「安全量の基準」ではない。
ちなみに、放射線の実効線量の単位であるシーベルトは創立期の ICRP のメンバーであったスエーデ
ンの物理学者(Rolf Maximilian Sievert)の名前による。
被曝による人体への影響は自然放射能(1mSv/年)や医療被曝と比較してはならない(6)。人工放射
能核種は自然放射能核種とは全く異なり、特に体内被曝(ヨウ素、ストロンチウム)は厳重に監視す
る必要がある。 http://www.youtube.com/watch?v=IV4N63urYjQ
8 月 13 日に福島県の 1000 人の児童の半数が甲状腺に放射性ヨウ素が検出され、体内被曝してい
ることが報道された。放射性ヨウ素(半減期は 1 週間)は自然界には全く存在しない核種で、チェル
ノブイリ事故でも多数の子供が甲状腺がんにかかった。ベラルーシで 5 年間も甲状腺がんの子供の
治療をされ「奇跡のメス」と呼ばれた元信州大学の外科医で現在の松本市長菅谷昭さんは内部被曝に
対して警告を発している。http://chitekizaisan.blog28.fc2.com/blog-entry-2566.html
これからは、検診による放射線障害の早期発見と治療が大切で、実際にベラルーシにおいて行われて、
良好な結果が得られている。
4.物理学会の責任
物理学会は原子力発電の諸問題のシンポジウムを 1983 年−1987 年に渡って開催し、反原発の高木
仁三郎、久米三四郎も参加している(7)。今年、6 月には「物理学者から見た原子力利用とエネルギ
ー問題」のシンポジウムが学会で開かれた。いずれも物理学会の責任を明らかにするものではない。
山田耕作は物理学会の責任を鋭く指摘する意見を物理学会誌に載せた(8)。1956 年の最初の原子力委
員会(4 名)の内の二人は物理学者で、藤岡由夫と湯川秀樹であった。その後、原子核工学者に交代
するものの物理学者の責任は重いだろう(9,10)。今回の福島原発事故に対して、私も物理学を学ん
だものとして反原発運動の弱さを悔いるものである。
5.現状と今後
現在の福島の原子炉は実際にどのような状況なのか分らないが、メルトスルー(スリーマイル島事
故の頃はチャイナシンドロームと呼ばれた)という過酷な状態であり、もう一度地震が起こったとき
は、再臨界の可能性もある。世界の英知を集めて事故収束に向けた活動が望まれる。日本人の天野之
弥事務局長がいる IAEA(国際原子力機関、安保理直属する)は「原子力エネルギーの貢献を進め拡
大する」原発推進機関であるが、豊富な人材を持っており、積極的に協力を仰ぐべきだろう。
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私は「Think Globally, Act Locally」、福井の原発を心配する「若狭連帯行動ネットワーク(11)(若
狭ネット)」の皆さんと反原発の活動ができればと思っている。実際、若狭の原発事故は近畿の水瓶
である琵琶湖の汚染をもたらす。いや、「グローバル」に考えれば、かつてのソ連の原子力船のよう
に日本海を汚染し、ロシア、中国、韓国、北朝鮮に多大な迷惑を掛けることになる。関電が第 2 の
東電にならぬように運動しなければならない。日本海側では津波は小規模だとか、地震に対しても大
丈夫とか、依然として福島の事故を学習していない言動が見られるのが残念である。
「原発をやめたとき、エネルギーはどうするんですか?」という質問がある。それは自分で調べた
り、考えてください。何でも答えが直ぐ出るものではない。案外楽観してもよさそうである(12)。
おわりに
北海道電力泊原発(後志管内泊村)3号機の営業運転再開をめぐり、道議会は14日、原子力政策
を審議する産炭地域振興・エネルギー問題調査特別委員会を16日に高橋はるみ知事にも出席を求め
て開くことを決めた。知事は3号機の営業運転再開を容認する考えを表明し、委員会後に海江田万里
経済産業相に容認を伝える見通し。北電は同日中にも3号機の営業運転再開に移行する(13)。
市民が原子力をさらに拡大する事を許すならば、それは民主主義的な権利や自由が少しずつ掘り崩
される事を認めたことになる。一見、論理的で合理的な技術官僚による専制政治を阻止することは、
市民が原子力産業に対する反対闘争を単に健康や環境保全のための闘争としてだけでなく、自由のた
めの闘争としても、つまり、不信ではなく信頼と連帯に基づく人間関係を守り抜く闘争として理解す
ることによって、初めて可能なのである(3)。
参考文献
(1)岡本裕一朗「異議あり!生命・環境倫理学」
(2002 年
(2)これに対する反論など:
ナカニシヤ出版)
高木仁三郎「原子力神話からの解放」(2000 年
光文社)
(3)ロベルト・ユンク「原子力帝国 Der Atom-Staat」(1989 年 社会思想社)
(4)中川保雄「放射線被爆の歴史」(1991 年
KK 技術と人間)
(5)橋本真佐男「安全な原発はあり得ない−破局的原発重大事故が示した原発の本質的危険性と「原
発安全神話」の歴史と現状−」(2011 年 8 月 15 日 宝塚反戦のあつまり 配布資料)
(6) 市川定夫「新・環境学 現代の科学技術批判〈3〉有害人工化合物/原子力」(2008 年
(7)物理学会「原子力発電の諸問題」
(1988 年
東海大学出版会)
(8)山田耕作「福島原発震災に対する物理学者の責任は重い」
(2011 年
(9)吉岡斉「原子力の社会史
−その日本的展開−
日本物理学会誌第 66 巻 6 号)
」朝日選書 624(1999 年
(10)加納実紀代「ヒロシマとフクシマのあいだ」 インパクション 180 号
(11)若狭ネット
http://www4.ocn.ne.jp/~wakasant/
(12) P.チャップマン「天国と地獄」
(1981 年
藤原書店)
みすず書房)
(13)北海道新聞:2011 年 8 月 15 日夕刊
3
朝日新聞社)
2011 年