ORCHESTRA "EXCELSIS" オーケストラ《エクセルシス》

オーケストラ
《エクセルシス》第2回演奏会出演者
Förste konsertmästare
コンサートマスター
Cello チェロ
Fagott ファゴット
正 指 揮 者
大 浦 智 弘
遠 藤 和 紀
小 山 啓 久
有 元 雄 太
片 寄 隆 典
道 場 生 基
音 謙 一
神 野 洋 平
松 木 勉
Violin ヴァイオリン
北 畠 重 顕
石 井 真 郷
鈴 木 将 人
岩 崎 範 子
谷 口 宏 樹
海 野 とし 絵
折 山 尚 子
加藤美菜子
北
純
神 馬 高 彦
藤 平 裕 功
Kontrabas コントラバス
弦トレ ー ナ ー
小 山 啓 久
加藤由貴夫
Horn ホルン
井 上 春 海
代 表
内 山 亮
伊 木 史 紀
片 桐 裕 治
菊 池 早 苗
渡 部 周 平
上 石 敢 平
國 宗 洋 子
荒 木 浩 志
小 宮 麻 里
徳 永 孝 二
Trumpetトランペット
小 山 啓 久
戸 田 利 忠
佐 藤 泰 彦
演
奏
会
実 行 委 員 長
Flöjt フルート
新 保 京 子
徳 島 由 莉
髙田裕二郎
田 子 裕 介
西 昭 彦
大 林 裕 幸
橋 本 理 紀
奥 夕 美 子
早 川 元 啓
高 林 り か
Trombon トロンボーン
樋 口 澄 子
水 野 綾 子
伊 木 史 紀
Oboe オーボエ
窪 田 和 史
広 報
簗 田 千 明
半 澤 靖
音 謙 一
吉 田 か おり
石津谷知子
Tuba チューバ
撮 影
道 場 生 基
Viora ヴィオラ
加藤由貴夫
今 角 良 子
圓 道 敦
草 野 康 子
Klarinett クラリネット
久 保 健 俊
奥 山 恵
錦 見 容 代
髙田裕二郎
丸 山 瑞 江
田中奈津姫
第 2 回演奏会
∼オール・ポーランド・プログラム∼
会 計
子
田子公美子
ORCHESTRA "EXCELSIS"
オーケストラ《エクセルシス》
奥 山 恵
プ ログ ラム
武 井 瑞 希
佐 藤 泰 彦
ビデ オクラシックス
Pukor ティンパニ
石 井 浩 史
村 井 良 行
2011 年 8 月 7 日(日)
201
日(
♪♪♪ 団員募集 ♪♪♪
♪オーケストラ《エクセルシス》第3回演奏会♪
日時:2012年9月16日(日)
場所:杉並公会堂
指揮:大浦 智弘
曲目:鋭意選曲中
決定次第HPにアップ致します。
お知らせをご希望の方はアンケートにご記入ください。
演奏機会の少ない作品が好きな方はもちろん、
「いろいろな知らない
曲の魅力を感じてみたい!」という方のご参加もお待ちしております。
普段は触れることの少ない作品を、ご一緒に演奏してみませんか?
練習場所:都内施設を中心に活動
募 集:弦楽器全パート
練 習 日:月 2 ∼ 3 回 土曜日(演奏会直前は集中練習もあります)
(第 3 回演奏会の練習は 2012 年春頃開始予定)
参 加 費:35,000 円程度(学生割引あり)
ホームページ URL:http://blog.goo.ne.jp/orchestra_excelsis
email アドレス:[email protected]
開演 14:00 開場 13:30
13:
渋谷区文化総合センター大和田
さくらホール
主催:オーケストラ《エクセルシス》
後援:駐日ポーランド共和国大使館/ポーランド市民交流友の会
協力:東京新聞
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
この度の東日本大震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
本日はお忙しい中、オーケストラ《エクセルシス》の第 2 回演奏会に足をお運びいただき、誠
にありがとうございます。団員一同、心より厚くお礼申し上げます。
日本で演奏機会の少ない作品を取り上げるというコンセプトのもと、今回は、師弟関係にある
ポーランドの 2 人の作曲家を取り上げました。ショパン以外は聴く機会がそれほど多くないポー
ランドの作品ですが、ショパンより後の時代で“ポーランドの音楽”を表現するために努力した
ノスコフスキとカルウォヴィチは、ポーランド音楽が新しい時代へ向かう過程の重要な作曲家と
されています。今回取り上げた作品は現地で演奏機会もあり、特にヴァイオリン協奏曲は西欧で
はしばしば取り上げられる作品とのこと。本日お越しいただいた皆様にも、これらの作品の魅力
を感じていただければと思っております。
そして今回の演奏会では、交響曲「復活(Rebirth)
」を演奏させていただきます。
“人間の精神
的な復活・再生”を描いた作品ですが、当時の背景を考えると、きっと作曲者の心に祖国復活へ
の思いもあったと思われます。はからずも、
震災のあったこの年に宮城県ご出身の大浦先生のもと、
この作品を演奏することとなりました。被災地への祈りを込めるとともに、
一日も早い復興を願い、
「復活(Rebirth)
」を演奏いたします。
最後になりましたが、当団の正指揮者である大浦智弘先生、弦トレーナーでコンサートマスター、
そして今回はソリストも務めていただく小山啓久先生、弦トレーナーの加藤由貴夫先生、その他、
この演奏会のためにご尽力いただいた皆様に、心よりお礼申し上げます。
オーケストラ《エクセルシス》 代表 伊木 史紀
当団正指揮者からのメッセージ -
s i s l e c x e a r t s e h c r OOrchestra excelsis
Orchestra excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c r OOrchestra excelsis
Orchestra excelsis
この度の東日本大震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
私のふるさと宮城県も甚大な被害を受けました。震災発生当時、私は大阪におりましたが、テレビ
で生中継された津波の映像を見たとき、この世の終わりの映像を見ているかのようでした。
ちょうどそのときにカルウォヴィチの交響曲《復活》の楽譜も携行していたからでしょうか、この
曲の第1楽章を練習するといつもスローモーションであの日の映像が蘇ってきます。
この度この曲を指揮することは私にとって大きな意義があるのだと思っております。
この作品の第1楽章はレクィエムのように始まり、絶望的な喪失感から何かを希求するかのごとく
進行していきます。第2楽章の祈りと第3楽章の葛藤を経て、フィナーレは希望に満ちた未来へ道
が拓かれるように結ばれます。
本日は被災地の復興へ祈りを込めて演奏致します。
今後とも被災地への温かい御支援をお願い申し上げます。
オーケストラ《エクセルシス》 正指揮者 大浦 智弘
オーケストラ紹介
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
Orchestra excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
excelsis
Orchestra excelsis
様々な作品が日々の演奏会で取り上げられていますが、本当は素敵な曲であるにもかかわらず、
諸処の事情により埋もれてしまい、演奏される機会の少ない、あるいは録音が少ない事などから
なかなか知られる事がない、けれども耳にすれば「ステキな曲」と思える作品も数多くあります。
決まった枠組みの中で考えられる「名曲」だけではなく、人それぞれが「ステキ」と感じる、
そういう作品はたくさん埋もれているはずです。当団は、作品を知らない方にとっては新しい作
品に接して魅力を体感していただく場となることを願い、また作品を知っている方には待ち望ん
だ場であることを願い、創設されたオーケストラです。
誰でも、どの曲に対しても「初めて接する」時は必ずあります。作品を知らない方も、このオー
ケストラで演奏する、
このオーケストラの演奏会で聴く、
それがその曲の初体験となり、
作品を 1 つ、
また 1 つと知っていただき、よく耳にする作品以外にもステキな作品があると実感していただけ
れば幸いです。
“EXCELSIS”は、
「高位」
「高所」
「優秀」
「天」などの意味がある単語です。
このオーケストラは、あまり知られていない《佳曲》を、
“高いところへ”と導きたい(=多くの人に曲の
良さを知っていただきたい)
、それを通してオーケストラのメンバーも、オーケストラそのものも向上してい
きたいという気持ちを込めて、
「オーケストラ《エクセルシス》
」と名付けました。
excelsis
excelsis プログラム s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
O
Orchestra excelsis
代表挨拶
Orchestra excelsis
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
~オール・ポーランド・プログラム~
All Polish Program
ジグムント・ノスコフスキ
(1846-1909)
Zygmunt Noskowski
演奏会用序曲「モルスキェ・オコ」
MORSKIE OKO, uwertura koncertowa na orkiestrę
MORSKIE OKO, Concert Overture for Orchestra
ミエチスワフ・カルウォヴィチ
(1876-1909)
Mieczysław Karłowicz
ヴァイオリン協奏曲 イ長調 作品 8
Koncert skrzypcowy A-dur, op.8
Violin Concerto in A major, op.8
I. Allegro moderato
II. Romance: Andante
III. Finale
ヴァイオリン独奏:小山啓久
休憩
intermission
ミエチスワフ・カルウォヴィチ
(1876-1909)
Mieczysław Karłowicz
交響曲 ホ短調 作品 7「復活」
Symfonia e-moll "ODRODZENIE", op.7 na orkiestrę
"Rebirth" Symphony in e minor, op.7 for orchestra
I. Andante - Allegro
II. Andante non troppo
III. Vivace - Molto meno mosso - Tempo I
IV. Allegro maestoso - Allegro ben moderato
指揮:大浦智弘
管弦楽:オーケストラ《エクセルシス》
本公演プログラムについて
ノスコフスキ:演奏会用序曲「モルスキェ・オコ」作品 19 と、カルウォヴィチ:交響曲「復活」 作品 7 については、PWM 出版に古い記録が残っ
ていないため、日本初演かどうか確認できませんでしたが、この出版社の日本代理店によれば、99%日本初演ということです。
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
大浦 智弘(指揮)Tomohiro Oura, Conductor
小山 啓久(ヴァイオリン)Hirohisa Koyama,, Violin
那須塩原市出身。
東京音楽大学を卒業後モスクワにてエドゥアルト=ダヴィ
ドヴィチ=グラーチ教授に師事する。
2000 年 第一回目のソロ・リサイタルを開き、
それ以降公演を重ねる。
2001 年より、
21 世紀弦楽三重奏団を主宰、
全国各地で演奏会を開催する。
2003 年 北海道後志夏季音楽祭札幌時計台ホール公演にて元 九州交響楽団
コンサートマスター河邊俊和氏と M. モシュコフスキィ作曲の 2 台のヴァイオ
リンとピアノの為の組曲を共演する。
同年 10 月には茨城県真壁町社会福祉協議
会から、
音楽文化を通じての地域への貢献に対し表彰を受ける。
2005 年より、NHK 交響楽団首席クラリネット奏者磯部周平氏とのクラリネッ
ト五重奏曲のコンサートシリーズを開始し毎日新聞等各紙で紹介され高い評価
を受ける。
現在、磯部周平室内合奏団、センチュリー・ソロイスツ室内管弦楽団のヴァイ
オリン奏者として、また各オーケストラのコンサートマスター・首席奏者を務
め、
東京を拠点にソロ・室内楽を中心とした演奏活動を全国的に展開している。
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
Orchestra excelsis
解 説
Orchestra excelsis
ノスコフスキとカルウォヴィチ。
本日の演奏会で取り上げる、ポーランド出身の 2 人
の作曲家、ご存知の方はそれほど多くないだろう。
そもそも、ポーランドの作曲家といえばフレデリク・
ショパンが有名であるが、他にはあまり名が挙がらな
いかもしれない。20 世紀前半を代表する作曲家シマノ
フスキ、第一次世界大戦後に復活したポーランド共和
国の首相となったパデレフスキ、
ヴァイオリン奏者でも
あったヴィエニャフスキあたりの名前はご存知かもし
れない。20 世紀以降では、ルトスワフスキ、ペンデレ
ツキの名前はご存知だろうか。映画「戦場のピアニスト」
(2002 年)、「ドラキュラ」
(1992 年)の音楽を作曲した
キラールも、純音楽の分野でも数々の作品を残してい
る。彼は交響詩『コスチェレツ山 1909 年』という、カ
ルウォヴィチの人生と芸術を記念した作品を 1976 年に
書いている。このタイトルの「コスチェレツ山」は、
カルウォヴィチが雪崩で命を落とした山の名前である。
解 説
【ポーランドの歴史】
宮城県塩竈市出身。
東京学芸大学教育学部を卒業、同大学大学院
を修了。
ピアノを斎藤信子、須田昌宏、作曲を小林康浩、吉崎清富、指
揮を松岡究、
山本訓久、
小林研一郎、
スコア・リーディングとオペラ・
コーチングを田島亘祥の各氏に師事。2007 年イタリア・カターニア
における Arte Musicale Italiana のマスター・コースにおいてレ
オナルド・カタラノット氏に師事、
氏よりディプロマを授与される。
これまでに数々のオペラ公演やコンサートを指揮するほか、新国
立劇場、東京二期会オペラ劇場、びわ湖ホール、東京室内歌劇場をは
じめ、各地のオペラ団体や管弦楽団、合唱団等において副指揮者や
合唱指揮者、コレペティトールを務めている。
特に井上道義、チョ
ン・ミョンフン、阪哲朗、ユーリ・テミルカーノフ、ロベルト・リッ
ツィ=ブリニョーリ、沼尻竜典、
ヴィト・クレメンテ、大勝秀也、北
原幸男、上岡敏之といった著名な指揮者のアシスタントを務め、研
鑽を積んでいる。
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
Orchestra excelsis
指揮者&ソリスト紹介
その他にも「乙女の祈り」で有名なバダジェフスカ(ボン
ダジェフスカ)もポーランドの人ではあるが、サロン音
楽的作品を少し残しただけで、ポーランド国内ではあま
り知られていないらしい。
演奏者に目を向けると、指揮者のスタニスワフ・スク
ロヴァチェフスキ(作曲家でもある)、マレク・ヤノフス
キなど、ピアニストのアントン・ルービンシュタイン、
クリスティアン・ツィマーマンなど、
ヴァイオリニスト
のシモン・ゴールドベルク、
アンジェイ・クルカ、
イダ・
ヘンデルなど、広く知られた名前が次々と出てくる。
ポーランドは、国の盛衰に影響されはしたが、古くから
音楽活動が盛んだった。
後にまた述べるが、ポーランドの作曲家として紹介さ
れるカルウォヴィチ、実は出生地が現在のリトアニアで
ある。
このあたり、簡単ではないポーランドの歴史が関
係してくるので、
さっとその歴史を辿ってみる。
現在のポーランドがある地は、もともと非キリスト教
系の複数の西スラヴ系部族が定住しており、10 世紀終わ
り頃、ポラニェ族が周辺部族を統合し統一国家を形成、
キリスト教に改宗して西欧キリスト教世界に認知され、
国家となった。
しかし、王家内部の対立により領土がいくつかの侯国
に分かれた分裂の時代となる。また異教徒の先住民の地
を平定する目的でドイツ騎士団を招聘すると、ローマ教
皇からの勅許を得たとして定住、さらにドイツから入植
者を呼び寄せ、ドイツ人国家を形成した。
何度か統一が試みられた後、14 世紀前半頃に安定。こ
の頃、西欧で迫害されていたユダヤ人が多数ポーランド
に移住して来た。大国として発展し始めたポーランドは
クラクフ大学を創立し、学術文化も発展していく。
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
Orchestra excelsis
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
第二次世界大戦で、ヒトラー率いるドイツ、そしてド
イツと密約を結んだソ連が侵攻し、再びポーランドは地
図から消え占領の時代となった。この時期のポーランド
は甚大な被害を受け、また多くのユダヤ人がアウシュ
ビッツなど強制収容所に収監されたり、あるいは多数の
ポーランド将校が銃殺された“カティンの森事件”など
も起きた。
ポーランドの解放はソ連の主導で行われ、1945 年のヤ
ルタ会談で現在の国境線が決められた。東側の領土をソ
連に譲る代わり、西側をドイツから受ける形で、以前と
比して西にずれた。そして東西冷戦の中、ソ連の勢力圏
に入り、共産党一党独裁体制のポーランド人民共和国が
成立した。
幾度かの労働者による暴動で指導者の交代もあった
が、この体制は 1989 年に民主化が実現し、国名もポーラ
ンド共和国に変更されるまで続いた。
14 世紀後半にポーランドの女王とリトアニアの大公
が結婚、ポーランド=リトアニア連合王国が誕生した。 【ポーランドの音楽】
この当時、リトアニアは非キリスト教世界であった。こ
16 世紀頃、宮廷音楽家が活躍するとともに、イタリア
の連合国は 1410 年、以前より居座る形で定住していた
人音楽家がポーランドを訪れ長期滞在して社交の場に
ドイツ騎士団を討った。これがポーランド史上で重要な
“グルンヴァルトの戦い”である。この戦後処理問題で、 参加した事による影響を受けた。これによりオペラも盛
んに制作されるなど、ワルシャワでの音楽文化が発展し
ドイツ騎士団側からポーランドに対し「異教徒と同盟し
ていった。しかし国力の衰退とともに 17 世紀には音楽
キリスト教徒のドイツ騎士団を討伐した」と激しく非難
文化も停滞、オリジナル性よりも当時人気のスタイルを
されたが、当時のポーランド全権でクラクフ大学校長が
模倣する事が主流となった。一方、ポーランドの伝統的
「異教徒であってもキリスト教徒と同じ人間であり、国
家主権、生存権、財産権は生まれながらにして保有する」 音楽を題材にした発展もおこり、フランス語でポーラン
という、現代の基本的人権に通じる画期的な主張をし、 ド舞踏を意味する言葉からとられた“ポロネーズ”、ある
いは“マズルカ(マズレク、マズル)”あたりはショパン
教皇からこの立場を支持された。
(1810-1849)の作品を中心に広く知られている。
この後、連合国内ではポーランド王の権限が強まり、
ショパンが活躍したのは、既にポーランドが分割統治
事実上、リトアニアはポーランド王国の支配下に入っ
た。ポーランドの国教はローマ・カトリックであったが、 下におかれ、国としては存在していない時代。18 世紀終
個人レベルの信教の自由は法律で保護されているなど、 わりに国が消えてしまったのであるが、その際、愛国者
のドンブロフスキ将軍の副官による詩が「ドンブロフス
同時代の他国に比べて個性的で、自由主義を最大の社会
キのマズルカ」として歌われ、これは 1927 年に国歌と
価値としていた。
なっている。また同じ時期、祖国の再興に尽力したオギ
16 世紀、同国はバルト海から黒海にまたがる大国と
ンスキがパリへ亡命する際に作曲したポロネーズ「さら
なった。またポーランド王を統一君主とするポーランド
ば祖国よ」も、ポーランド人の心にはかけがえのない作
=リトアニア共和国となり、単に「ポーランド」と呼ばれ
品である。
る事も多くなった。
19 世紀、国家としては存在していなかったものの、民
しかし、諸外国との戦争が相次ぎ、疲弊し、政府は混乱
族存続を支えていたのが文化であり、当然音楽も盛んに
した。そこに付け入った周辺の大国が内政に干渉を始
なっていった。民族の伝統に根差した音楽として、ショ
め、ロシア、プロイセン、オーストリアの三国による分割
パンのピアノ音楽、そしてポーランド語によるオペラや
の結果、1795 年にポーランド国家は消滅した。
音楽院でオーケストラ結成に注力した結果、1880 年頃に
なってようやくオーケストラが誕生した。ここでヴァイ
その後、1830 年の“十一月蜂起”(この報せを聞いた
オリンを受け持った 1 人にノスコフスキ(1846-1909)が
ショパンは「革命のエチュード」を作曲)や 1863 年の“一
いる。彼は他国から演奏家を呼ぶなど活発な活動も行
月蜂起”など、独立運動もあったが、いずれも鎮圧され
い、ニキシュ指揮ベルリン・フィルの演奏会も開催され
た。
ている。
この国家を失った時代、ポーランドの民族存続を支え
19 世紀後半になると、次第に民族意識が高まり、新し
ていたものは、
“文化”であった。分割の中、これらの統制
い傾向を求める動きが強まり、ノスコフスキ門下のフィ
も諮られたが、
“文化”は鎮圧される事なく、その地で、ま
テルベルク(1879-1953)、シマノフスキ(1882-1937)、ル
たは他国へ移住した先で残った。
ジツキ(1884-1953)、シェルト(1884-1966)、そしてカル
その後、念願の独立は、第一次世界大戦とロシア革命
ウォヴィチが加わって、
「音楽における若きポーランド」
でポーランドを分割していた帝国が倒れて 1918 年にも
として知られるようになった。彼らは他ジャンルの「若
たらされた。この時期、現在よりも国土が東に広がり、ユ
きポーランド」との議論に花を咲かせ、カルウォヴィチ
ダヤ人、ウクライナ人、ドイツ人等も共存する多民族国
やシマノフスキが歌曲を、ルジツキが戯曲に基づく交響
家だった。
Orchestra excelsis
●ゴジェゴジ・フィテルベルク(1879-1953)
指揮者、
作曲家
ワ ル シ ャ ワ・フ ィ ル の 第 一 首 席 指 揮 者、
ウィーン・オペラ座の指揮者、ペテルブル
クとモスクワの国立交響楽団の首席指揮
者、ディアギレフ・バレエ団の指揮者など
を歴任し、後にポーランド放送交響楽団を
設立。諸外国にポーランド音楽を広める努
力をした。
●カロル・シマノフスキ(1882-1937)
作曲家、
ピアニスト
20 世紀初頭のポーランドを代表する作曲
家。ワルシャワ音楽院の院長。国内の保守的
傾向と闘い、自国音楽の進むべき道を探求
した作曲家。ショパンやスクリャービン、ド
イツのロマン主義やフランス印象主義の影
響を受けながら、後にポーランド民俗音楽
と結びついた固有の様式へと結晶させた。
ショパン以後、ポーランド音楽を西欧の水
準にまで高めた。
●ルドミル・ルジツキ(1884-1953)
作曲家、
教育者、指揮者
ルヴフでの教師およびオペラ劇場の指揮者
の後、ワルシャワ・オペラの指揮者。ポーラ
ンド作曲家連盟の創立者の 1 人。
●アポリナリ・シェルト(1884-1953)
作曲家、
ピアニスト
ベルリンでゴドフスキにピアノを学び、ピアニストとして主に
活躍。
同時代の作曲家に、ピアニストとして活躍し、また政治活
動も行って第一次世界大戦後に第三代首相となったイグナ
ツィ・ヤン・パデレフスキ(1860-1941)もいる。そのヴィル
トゥオーゾは世界で高く評価され、五大陸で演奏活動を行
うほどであった。と同時に祖国の独立運動にも心血を注ぐ
愛国者でもあった。後に国歌となる「ドブロンスキのマズル
カ」の主題を変奏曲にした終楽章を持つ、演奏時間 70 分を
越える交響曲「ポロニア(ポーランド)
」を作曲するなど、
ポーランド独立への思いが込められた作品も残している。
第一次世界大戦後には若い作曲家が芸術運動をを開始、
最近は録音も増えて徐々に注目されつつあるバツェヴィチ
(1909-1969)などが活躍した。
●グラジナ・バツェヴィチ(1909-1969)
作曲家、ヴァイオリニスト
国内外に認知されたポーランド女性として
初の作曲家。ルトスワフスキからも賛辞を送
られる。ヴァイオリン奏者としても活躍し、
ヴァイオリン協奏曲は 7 曲残している。第二
次世界大戦後の圧政下では、地下活動の秘密
演奏会で作品も発表。1954 年に事故にあって
からは作曲活動に専念。
Orchestra excelsis
詩を書くなど、互いに共鳴していった。そして、西欧の現
代的音楽技法を吸収し、現代的かつ民族的な音楽を創造
することで、保守的なポーランド音楽からの脱却を諮ろ
うとした。1901 年にはワルシャワ・フィルハーモニーが
設立され、ムウィナルスキ
(1870-1935 指揮者、作曲家)
が初代指揮者となり、自国のみならず西欧の新しい作品
も紹介されるようになった。
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
第二次世界大戦後、社会主義時代に入ったものの他の
社会主義国に比べて統制が緩やかで、西欧諸国の情報な
ども入手しやすかった。そのような環境下、現代音楽・
前衛音楽の開花への道も進み、1956 年 10 月には、第 1 回
国際現代音楽祭“ワルシャワの秋”が開催され、メシア
ン、ミヨー、オネゲル、ラヴェル、ストラヴィンスキー、プ
ロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ベルク、シェーンベ
ルク、バルトークなど、この時は前衛作品より大戦間の
音楽を中心に演奏された。同時に、自国の音楽としてタ
デウシュ・ベールト(1928-1981)やカジミェシュ・セロ
ツキ(1922-1981)の作品が初演され、他にヴィトルト・
ルトスワフスキ(1913-1994)
、バツェヴィチ、ボレスワ
フ・シャベルスキ
(1896-1979)らの作品も演奏された。
西欧各国でもポーランドの作品は注目を集めるように
なり、コンクールでの入賞作も増えてくる。
そして、1990
年代にヒットチャートを賑わした交響曲第 3 番「悲歌の
シンフォニー」で多くに知られる事となったヘンリク・
ミコワイ・グレツキ(1933-2010)、作曲家としてだけでな
く指揮者としても活動するクシシュトフ・ペンデレツキ
(1933-)、映画音楽でも活躍するヴォイチェフ・キラール
(1932-)ら、現在でも名の聞かれる作曲家達にその流れは
続いている。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
今回の演奏会で取り上げる 2 人の作曲家、ノスコフス
キとカルウォヴィチが活躍したのは、三つの帝国による
分割統治の時代。けれど、人々の心に、そして文化の中に
しっかり生きていたポーランド。そのような中でも自由
への闘争が続いていたこの時期、作家、画家、そして作曲家な
どにとって、
この事はインスピレーションの源にもなった。
ノスコフスキは教育者としても知られ、多くの後進を
育て、20 世紀前半のポーランドをリードしたシマノフス
キ等を輩出した。カルウォヴィチもノスコフスキの門下
で、20 世紀のポーランド音楽界を背負って立つと嘱望さ
れていた作曲家でポーランド音楽史上、この時代を代表
する作品を書いた。ニーチェやショーペンハウアーの影
響を受け、作品にもそれが顕れている。残念ながら、32 歳
の時に雪崩に巻き込まれて命を落としてしまったのだ
が。それゆえ、残された作品も作品番号のついているも
ので 20 に満たない。
この師弟関係にあった 2 人の作曲家は、それぞれに重
要なポイントにいたと見なされている。新しい時代の
ポーランド音楽を探求する過渡期、まだ当時の主流だっ
た響きも聴こえるが、その中に彼らの音楽をお聴きいた
だければと思う。
*
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
Orchestra excelsis
解 説
解 説
●ジグムント・ノスコフス
ジグムント・ノスコフスキ
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
Orchestra excelsis
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
~演奏会用序曲
演奏会用序曲「モルスキェ・オコ」~
Zygmunt Noskowski(1846-1909)
19 世紀後半から 20 世紀初頭に
かけて、ポーランドにおける重要
な指導者であり、作曲家であり、指
揮者としても活躍したノスコフス
キ。あるいは、目の不自由な生徒の
ための楽譜システムを考案するな
どの功績もあった。
彼はワルシャワに生まれ、1864
年からワルシャワ音楽院でヴァイ
オリン、およびモニューシコのク
ラスで対位法などを学び、卒業後
はワルシャワのオペラ・オーケストラに所属した。1872
年からはベルリンに留学し、当時のヨーロッパでも有名
な指導者フリードリヒ・キールに学んだ。1880 年に帰国
してからは後進の指導にあたり、次世代を担う多くの有
能な若者を育て上げた。その中から「音楽における若き
ポーランド」も結成されるなど、ポーランド音楽の発展
に重要な種を蒔いた存在であった。
彼自身の音楽は、管弦楽曲を中心として室内楽や歌劇
も作曲しているが、重要な作品の 1 つに交響詩「草原地
帯」作品 66(1895 年作曲 ) がある。楽器特有の響きや音
色の特徴を活かした管弦楽法は、ポーランドの管弦楽に
おける根本的な変化点となった。それに先立つ事 20 年、
彼は交響曲第 1 番を作曲している。純粋な管弦楽作品と
して作曲されたこの作品は、ポーランド初の交響曲とさ
れている。この交響曲と同じ時期に作曲された管弦楽作
品が、本日演奏する「モルスキェ・オコ」である。
海の瞳(モルスキェ・オコ)。これはポーランドの南東
部、スロヴァキアとの国境に位置するタトラ山脈中にあ
る湖の名前である。多くの湖を擁するタトラ山脈の中で
も、ひときわ美しいその姿から名付けられたこの湖は、
観光名所としても知られている。
ノスコフスキはタトラ山脈の中でポーランドの要素
を探し、それを音楽に結びつけようとした。1864 年の夏、
彼自身も参加していた一月蜂起から逃れ、モルスキェ・
オコにて単身で一夜を過ごすという忘れ難い経験をし
た、とも言われている。
この作品は、彼の、そしてポーランドにとっても重要
な交響曲第 1 番と同じ 1875 年に作曲された。曲は、アン
ダンテの序奏で開始される。静かに奏でられる低弦から
幻想的な雰囲気が作られ、オーボエが愁いを帯びた旋律
を奏でると、様々な楽器に受け継がれ膨らんだ後、新し
い素材を提示しながら一度落ち着き、主部を導く。アレ
グロの主部は、序奏の最後で提示された素材から発展し
た形を弦楽器がユニゾンで奏で始める。徐々に楽器も増
え、嵐を思わせる音楽となる。これが収まると牧歌的な
音楽が現れる。この 2 つのテーマが発展し絡みつつ曲は
進む。最後に再びアンダンテとなり、序奏の幻想的な雰
囲気が再現されて曲を閉じる。
一聴すると、美しい湖を連想する音楽とは趣が異なる
気もする。あるいは「荒れ狂う湖を音楽で表現した」とも
捉えられる。しかし、自国を取戻すために立ち上がった
「一月蜂起」に参加したものの、鎮圧の手から逃れて辿り
着いた心情なども重ね合わせて考えるなら、神秘的な雰
囲気のただよう湖(序奏)、湖に辿り着いた時の心情(主
部)、目の前に広がる普段と変わらぬ湖(牧歌的な音楽)、
と表現したようにも思える。作曲者は、美しいだけでは
ない幻想的な姿をそこに見ていたのかもしれない。
モルスキェ・オコ
Orchestra excelsis
Mieczyslaw Karlowicz (1876-1909)
カルウォヴィチが長く生き作品
を書き続けたら、どのような作品
が残っていたのだろうか。そして、
現在のポーランド音楽はどのよう
に発展したのだろうか。周囲から
の期待の大きさも考えると、33 年
に満たない人生はあまりにも短
かった。
1876 年、現 在 の リ ト ア ニ ア の
ヴィリニュスに生まれた。先に述
べたように、ポーランド=リトア
ニア連合国から以後の歴史を経て、現在のリトアニアは
当時、ポーランドの領土であった。もっとも、カルウォ
ヴィチの生きた時代、実際にはポーランドという国は分
割され、地図上には存在しなかったのだが。
Orchestra excelsis
●ミエチスワフ・カルウォヴィチ
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
であった。カルウォヴィチ自身はポーランドで初演した
かったものの、実際の初演はベルリンで作曲者自身の指
揮により、「白い鳩」
、ヴァイオリン協奏曲とともに演奏
された。協奏曲は、留学以前にヴァイオリンを師事した
バルセヴィチをソリストに迎えてのものであった。
ヴァ
イオリン協奏曲は、このソリストに献呈されている。後
にバルセヴィチはこの演奏会での指揮および作品に対
し賛辞の言葉を贈っている。
翌月、ルヴォフの地でポーランド初演が行われた。こ
の演奏に先立ってカルウォヴィチは次ページのような
文章を寄せている。
この交響曲は、疲弊した人間の精神・魂が、闘争の末
に勝利を勝ち取るまでを音楽で表現している。しかし時
代背景を考えると、祖国ポーランドの復活への希望を重
ね合わせていると考えることもできる。
祖国を思いつつ、新しいポーランドの時代を作ろう
と、旧態依然としたポーランドの音楽界に新しい時代の
風を吹き込もうとした。ベルリンで触れた最新の音楽
は、カルウォヴィチにとってそれだけ刺激的なもので
あったのだろう。1905 年に結成された“音楽における若
きポーランド”は、まさにこの流れそのものだった。西欧
の新しい音楽だけでなく、自作、そして同時代の仲間の
作品の紹介にも務めた。
しかし、ポーランド音楽界の古い体質が簡単に変わる
事もなく、風当たりが強く疲弊したのか、山が好きだっ
た事もあり、1907 年にタトラ山脈の山麓にある保養地ザ
コパネに居を移してしまう。そして 1909 年、スキー中に
雪崩に巻き込まれて命を落とすまで、この地で作品を書
き続けた。その最後の作品は未完に終わり、
“音楽におけ
る若きポーランド”の仲間、フィテルベルクの手によっ
て完成されている。
著名な言語学者であり民族学者だった父は、夜に自宅
で弦楽四重奏を演奏するような音楽好きでもあった。こ
のような環境の中で育ったカルウォヴィチも、自然と音
楽に親しむようになった。
最初の音楽的教育は、歌手でもあった母からピアノの
手ほどきを受けた事である。7 歳になると、最初はヤンコ
フスキに、後に当時の著名なヴァイオリン奏者バルセ
ヴィチにヴァイオリンを習い、ノスコフスキから和声と
対位法などのレッスンも受けた。
ヴァイオリンのヴィルトゥオーゾを志した彼はベル
リンに留学し、当時を代表するヴァイオリニストであ
り、ブラームスの協奏曲初演者としても名の残るヨゼ
フ・ヨアヒムの門をたたく。その願いは叶わなかったも
のの、すぐには夢を捨てきれず個人レッスンを続けた。
様々な影響を受けながら、新しいポーランドの音楽を
しかし遂にはその道を諦め、
作曲の道へ進む事になる。
探り、新しい時代の自分の進むべき道は見つけたもの
1895 年よりベルリンの大学で、当時の著名な教師の 1
の、そこへ到達する前に人生を閉じてしまったカルウォ
人でありパデレフスキをはじめとするポーランドの作
ヴィチ。時代の影響を抜け出したその先に待っていたも
曲家も教えを受けたハインリヒ・ウルバンに作曲を師
のは、今となっては知る術もないが、20 世紀初頭、独自の
事した。同時に彼は、音楽学、哲学、心理学、物理学も学ん
作風を切り開いたシマノフスキともまた違った、もう1
でいる。ウルバンはワグネリアンでもあり、その影響は
つのポーランドの流れができていたのかもしれない。
少なからずカルウォヴィチにも顕れている。カルウォ
ヴィチは新ロマン主義を表明、ブラームスの古典的手法
♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬
よりもワーグナーの表現方法に共感を覚えたようであ
る。またこの頃、チャイコフスキーの交響曲第 6 番「悲
~ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン協奏曲 イ長調 作品 8 ~
愴」、スメタナの連作交響詩「わが祖国」、R. シュトラウス
の交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないた
カ ル ウ ォヴィ チ のヴァ イ オ リ ン の 師 で あ る バ ル セ
ずら」などの作品に熱中している、との記述を残し、かつ
ヴィチに献呈され、彼の独奏によって初演された。その
R. シュトラウスについては「最も先進性の傾向を示す傑
初演は作曲者自身の指揮により、交響曲
「復活」、劇音楽
出した作曲家」とも述べている。
「白い鳩」とともに演奏された。
このベルリン留学時代、
“若きポーランド”の詩人によ
る詩を用いた歌曲を作曲している。新しいポーランドと
して目指す方向をそれらの詩に見たカルウォヴィチは、
音楽でも同様の新しい傾向を見出そうとしていた。
学生時代の作品としては、これらの歌曲、弦楽のため
のセレナードの他、最初の管弦楽作品である劇音楽「白
い鳩」などがある。そしてこの留学期の集大成とも言え
る作品が交響曲「復活」である。1900 年頃から作曲を始
め、1901 年にワルシャワに戻った後、1902 年に完成させ
ている。1901 年、ベルリンで部分的に演奏されたものの、
全曲が完成してからの演奏は 1903 年 3 月になってから
第 1 楽章は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第 1 番
の冒頭を思わせる、しかしそれとは逆進行のホルンと
ファゴットによるファンファーレ的な序奏で開始、すぐ
に無伴奏ヴァイオリンによって主題が提示される。オー
ケストラに受け渡され、大きな流れを作っていく。美し
い第 2 主題が提示されると、徐々に技巧的なソロとオー
ケストラの絡みが増えて進み、カデンツァとなる。これ
に続いて、独奏ヴァイオリンによる細かいパッセージの
伴奏にのって木管が第 1 主題を優しく歌い再現部とな
る。最後は全奏で第 1 主題が歌われ、ホルンの持続音に
乗って第 2 楽章となる。
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
Orchestra excelsis
解 説
解 説
【第 1 楽章】
レクィエム・エテルナム…
(永遠の安息を…)
暗い、
不吉な歌が、
憤りの香りとない交ぜになって、
打ち砕かれた若き日の夢の棺から流れてくる。
哀しみに打ちひしがれた、
密やかなオルガンの響きを伴って。
レクィエム・エテルナム…
(永遠の安息を…)
全ては打ち砕かれた。
これまで私を支えてきた全て。
半ば失われた私の精神から溢れ出すのは哀しみ、
そして終わりのない嘆き。
何をすべきなのだろう?どこへ向かえばよいのだろう?
しかしながら、
究極の生命の法則は無気力に打ち勝つのだ。
魂はゆっくりと覚醒する;失望に対しきっぱりと異議を唱える、
とその時、
果てしなく長いおぼろげな道のりが目の前に開ける。
その道のりは未来の礎へと繋がっている、
そう、
復活へと。
無気力だった日々は復活に目覚め、
この尊い目的に向かって
小さいけれど止む事なき努力で満たされる・・・。
唯一の励みは、
素晴らしい未来への想いを見つめること。
それらは必ず達成されるという確固たる信念に溢れている。
しかし道のりは未だ長く、
その一方で過失と落胆がいつも不吉な結果へと導くのだ。
そして落雷のごとく振り下ろされる運命の鉄槌が
全ての夢を打ち砕いてしまう。
それでもなお、
再びあのゆっくりとした弛まぬ努力を繰り返すのだ。
けれども今、
奇跡の時が近づいているようだ。
徐々に、
力強く、
希望に満ちた快活な歌が未来の響きを渇望している。
その歌が、
今まさに勝利の響きを奏でつつある。
いや・・・早すぎた・・・。
また幻想を抱いたようだ。
復活の瞬間
(とき)
をより近くに錯覚するほど、
より苦しみの強い失望となる。
【第 2 楽章】
闘いもがき苦しむことに疲れた魂は眠りに落ちる。
穏やかで澄み切った景色が目の前に拡がる。
精神を縛りつける足枷からの解放を夢見る。
世界は太陽の光に溢れ、
華やいだ装いに彩られる。
全ては屈託がなく純粋で、
まるでこどもの笑顔のようだ。
生きるとはなんと素晴らしく容易いことだろう!
しかしこれは一体何なのだ?
遥か彼方から不吉な運命の歌が聞こえてくる。
けれどもその歌はか弱く、
過ぎ去って消えていった。
やはりこれは夢なのか?
なぜ全てはこれほど鮮やかにはっきりとしているのか。
これは現実に違いない、
これこそずっと待ち望んだ瞬間
(とき)
だ!
運命の歌が再び聞こえる。
けれども今度は更におぼろげで遠く、この穏やかな世界を
打ち壊すことはできない。
これは勝利なのか?信じてもよいものなのだろうか?
道のりは遠かったはずだ!
運命の歌がみたび聞こえる。
しかし今回は、
この喜びに満ちた夢と穏やかに調和し
絡み合って聞こえてくる。
太陽の光があまねく世界に燦々と降り注ぎ、
全てがこの素晴らしい復活の瞬間
(とき)
を
歓喜と厳粛な想いを以って迎えているようだ。
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
Orchestra excelsis
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
【第 3 楽章】
なんということだろう。
やはり現実ではなかった。
あれは夢のような幻覚で跡形もなく消え去ってしまった。
どんよりとしたいつもの景色が再び拡がる。
全ての努力は失敗に終わり、
目標に向かう強い決意も歯が立たない
― これらは幻想を抱かせるだけだった!
さあ、
生きよう!全てを忘れて、
我を忘れて!
愛せよ、
お祭り騒ぎだ!延々と、
何も考えず、
内省もせず!
儚い想いが次から次へと駆け巡る。
生命が、
まるでワインのように頭の中で沸き立つ。
理性は何ら効力を発揮しない。
誰もが錯覚に陥り、
この騒ぎの中で途方に暮れる。
けれどもほんの一瞬立ち止まって!あの瞳を見よ、
そしてあのチェリーのように紅い唇から一気に飲み干すのだ!
あれは彼女では、
ずっと待ち望んだ、
夢に見た女性。
広大な情熱と愛に満ちた歌が彼女のために再び響き渡る。
彼女だけがこの世界に存在する全てだ。
いや違う!もう十分だ!再びここから立ち去るのだ。
この騒ぎの渦は魂を遥か彼方へ連れ去ってしまう。
全てが小さくなり、
見えなくなり、
やがて消え去ってゆく…。
疲れ切った魂は、
しばし復活の瞬間
(とき)
を忘れた。
【第 4 楽章】
しかしながら今やっと、
耳に親しんだ不滅の鬨 ( とき ) の声が
遥か彼方から聴こえてくる。
その瞬間
(とき)
は近づいている。
立ち上がれ!
新たな闘いに向かって、
今度こそ勝利に向かって!
魂は精気を取り戻し、
新たな強さと勇気がほとばしり、
まるで鋼の鎧をまとって再び闘いに突き進む騎士のようだ。
今や抗うものなどないだろう。
自信に満ち溢れ、
真摯に、
そして待ちわびたこの瞬間を切望して勝利へと突き進むのだ。
遂に新たな世界の幕開けだ。
復活の聖歌が響き渡る。
初めは優しく甘やかに、
次第に拡がってゆき更には朗々と響き渡る。
遂にその瞬間
(とき)
がやってきた。
ファンファーレが鳴り響く。
あと一歩だ!
しかしまだ早すぎる。
もう一つの、
最後の試練があるのだ。
魂は最後に不安に打ち勝たねばならない。
これは困難な試練、
おそらく最も辛い試練だ。
しかし今や魂が克服できないものはない。
闘いは一瞬で決着がつき、勝鬨 ( かちどき ) が再び遥か彼方か
ら聴こえてくる。
そして力強い、
荘厳な復活の聖歌が鳴り響く。
待ち望んだ瞬間
(とき)
が訪れた。
拘束するものはもはや何もない。
魂は勝利と穏やかさに満ち溢れて凛と立ち、遥か彼方を見据え、
全ての人々に復活への道を示している。
オーケストラ
《エクセルシス》
訳 Orchestra excelsis
第 3 楽章は軽快なロンド。
オーケストラによる短い序
奏の後、ヴァイオリンが軽やかに踊るように旋律を奏で
出す。リズミカルなこの旋律と対照的な、少し憂いを帯
びたモチーフなどを挟みながら、またリズミカルな音楽
となり、最後には第 1 楽章の第 1 主題がオーケストラで
奏され、華々しく曲を閉じる。
カ ル ウ ォヴィ チ 自 身 がヴァ イ オ リ ン のヴィ ル ト ゥ
オーゾを目指した事もあり、ソロ・パートは、難しいな
がらも歌い易く、バランス良く響くように書かれてい
る。また管弦楽の響きが厚いながらも、ソロが埋もれる
事がないよう計算されている。日本では演奏される機会
がほとんどない作品だが、ポーランド国内では「ヴァイ
オリン奏者は皆この作品を勉強する」という程に有名と
の事だが、それだけではなく、西欧では頻繁とは言えな
いまでも演奏機会のある作品だと、ソリストのご友人で
西欧ご出身の方がおっしゃったそうだ。
日本でも、もっと多くの方に魅力を感じていただける
美しい旋律と技巧が散りばめられた作品、本日の演奏会
でお楽しみいただきたい。
タトラ山脈
♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬
~交響曲 ホ短調 作品 7「復活」~
彼がこれ以降に作曲した交響詩とともに、この時代の
ポーランドにおいて重要な位置にあるとされる作品。
曲全体の作りはチャイコフスキーの交響曲第 5 番に
例えられる事が多い。同じホ短調で、序奏のついた第 1
楽章から始まり、最後はホ長調で勝利の凱旋のようにも
聴こえる音楽で全体を閉じる。ここに、ワーグナー的な
旋律の作り方が聴こえたり、楽器相互の関わり方におけ
る試行錯誤など、ただチャイコフスキー的という枠には
収まりきらないものがあるように感じられる。ベルリン
で学んだ時代の集大成、そして次のステップへ進み行く
時期の重要な素材が結集されているものと思う。
第 1 楽章
弦楽器により「レクィエム・エテルナム(永遠の安息
を)」と歌われるように序奏が始まり、オルガンの響きを
模した木管が静かに響く。うちひしがれた魂の嘆き。し
かし未来への力を感じつつ、主部へと入って行く。
ヴィオラから始まる第一主題。行進曲風のその音楽
は、魂の覚醒、復活への歩み。まだ幻想に過ぎないのだ
が。明るい未来を信じ進む想いを表す第二主題がオーボ
エによって美しく歌われる。しかし幾度も下降音形の鉄
槌が振り下ろされ、未来へ向かおうとする信念は打ち砕
かれる。目標に向かい何度も歩を進める。しかしその度
に鉄槌が夢を打ち砕く。復活の瞬間はまだ先のこと…。
Orchestra excelsis
ロマンツァと書かれた第 2 楽章は、夢見心地の静かな
雰囲気に包まれた美しい音楽。時に夢の中で追われるよ
うな雰囲気も対峙的に顕れるが、再び静かな雰囲気が戻
り、楽章を閉じる。
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
第 2 楽章
疲れた魂を思わせる序奏。それに導かれて奏される
チェロ独奏は、夢の中に広がる美しい世界。しかし、クラ
リネットが歌う不吉な運命の歌が聴こえ、そして消えて
ゆく。これは夢なのか現実なのか。現実だと思いたい気
持ちが、最初は不安げに、後に力強く響く。再び運命の歌
が聴こえようとも、それをまたかき消す。ただ、地を這う
ような低音が、第 1 楽章の序奏で不気味に響いていたの
とよく似たシンコペーションのリズムを刻んでいるの
だが。三たび運命の歌が聴こえてくるが、不安げではな
く、美しい世界と調和している。安らぎの時。
第 3 楽章
狂乱のスケルツォ。夢から覚め、目の前に広がるのは
以前と同じ状態。全てを忘れて踊る。ややゆったりした
暖かい響きの中間部。夢にまで見た待ち望んだ女性が現
れたのだ。優しい愛を歌う。しかしこれは復活とは違う。
再び騒ぎの中へと飛び込み、そして疲れ切って…。
第 4 楽章
そのとき、遮る間もなく彼方から何かが聴こえてく
る。
“不滅の鬨の声”。ホルンに始まり、次第に楽器が重な
る序奏部分。導かれた第一主題は、いよいよ勝利の時に
向け、勇壮に突き進む音楽。第二主題では、ここまでの苦
しい闘いをふと思い出すような、やや憂いを帯びた歌が
オーボエ、続いて弦楽器に歌われるが、それでも突き進
む。するとホルンのファンファーレに導かれ、復活の聖
歌が金管で静かに響き渡る。そして、再び試練に立ち向
かいつつ突き進む。すると再び、しかし今度ははっきり
と、
“勝鬨”が響き渡る。しだいに大きく。
決然と奏されるティンパニに導かれ、復活の聖歌が荘
厳に鳴り響き、力強く曲を閉じる。待ち望んだその瞬間
を讃えるように。
カルウォヴィチは、この作品が人間の魂、精神性の「復
活」を表した作品である事を文章で残している。しかし
祖国が人々の魂と文化の中にだけ生きていた時代であ
る。祖国復活への思いが重ね合わされていたとしてもお
かしくない。
苦しい分割統治の時代(第 1 楽章)、人々の心にある祖
国への思いと不安(第 2 楽章)、闘争の時代(第 3 楽章)、
そして待ち望んだ祖国の復活(第 4 楽章)。このような作
品として捉える事も可能だろう。ポーランド人としての
魂が「復活」するのは、やはり祖国ポーランドが復活して
こそだろう。
三帝国による長い分割統治から独立したのが 1918 年。
2008 年には独立 90 年の記念として、交響曲「復活」が演
奏・録音されている事を考えても、ポーランド音楽にお
ける作品の重要性とともに、作品に込められた思いの強
さがうかがえる。
本日の演奏では、演奏者、そして指揮者がそれぞれに
考える「復活(Rebirth)」を思い、演奏させていただく。
タトラ山脈にあるカルウォヴィチの墓標
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
Orchestra excelsis
解 説
解 説
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
Orchestra excelsis
excelsis
s i s l e c x e a r t s e h c rOrchestra
O
ノスコフスキ・カルウォヴィチ年表
年
1846
1847
1848
1849
1850
1851
1852
1853
1854
1855
1856
1857
1858
1859
1860
1861
1862
1863
1864
1865
1866
1867
1868
1869
1870
1871
1872
1873
1874
歳
ノスコフスキ
0歳 ノスコフスキ生(1846.5.2)
1歳
2歳
3歳
4歳
5歳
6歳
7歳
8歳
9歳
10歳
11歳
12歳
13歳
14歳
15歳
16歳
17歳
18歳 ベルリン留学(〜1867)
19歳
20歳
21歳
22歳
23歳
24歳
25歳
26歳
27歳
28歳
1875
1881
29歳 ♪交響曲第1番
♪演奏会用序曲「モルスキェ・オコ」
30歳 コンスタンツの声楽協会事務局長
31歳
32歳
33歳
34歳 ポーランドに帰国、ワルシャワ音楽
協会の理事長に(〜1902)
♪ピアノ四重奏曲
35歳
1882
36歳
6歳
1883
1884
37歳
38歳
7歳 ヴァイオリンを始める
8歳
1885
39歳 ♪ポーランドの悲歌
9歳
1886
1887
10歳
11歳
1888
1889
1890
1891
1892
1893
40歳 ワルシャワ音楽院で教鞭をとる
41歳 ♪交響詩「草原地帯」
♪葬送行進曲
42歳
43歳
44歳
45歳
46歳
47歳
18歳 ワルシャワ音楽院でノスコフスキに
師事
19歳 ベルリンに留学(〜1905)
ウルバンに師事
20歳
シェリゴフスキ生(〜1896)
1876
1877
1878
1879
1880
歳
カルウォヴィチ
ポーランド国内
世界の出来事
世界の音楽(生・没・初演等)
カリフォルニアでゴールドラッシュ
ショパン没(1810〜)
ロンドン万博博覧会
ペリーの浦賀来航
タネーエフ生(〜1918)
ダンディ生(〜1931)
スタンフォード(〜1924)
フンパーディンク(〜1921)
モシュコフスキ生(〜1925)
ロシアがクリミア戦争に敗れる
エルガー生(〜1934)
プッチーニ生(〜1924)
パデレフスキ生(〜1941)
ダーウィン『種の起原』
桜田門外の変
一月蜂起
薩英戦争
キュリー夫人 生(〜1934)
大政奉還
マーラー生(〜1911)
ドビュッシー(〜1918)
ヴァインガルトナー(〜1942)
R,シュトラウス生(〜1949)
シベリウス(〜1957)
ヴォーン・ウィリアムズ(〜1958)
ロッシーニ没(1792〜)
米国の大陸横断鉄道開通
普仏戦争
三帝同盟
0歳 カルウォヴィチ生(1876.12.11)
1歳
2歳
3歳
4歳
ベル、電話を発明
西南戦争
コルチャック先生 生(〜1942)
フィテルベルク生(〜1953)
ヴィエニャフスキ没(1835〜)
5歳
12歳
13歳
14歳
15歳
16歳
17歳
1894
48歳
1895
49歳
1896
50歳
1897
1898
51歳
52歳
1899
1900
1901
1902
53歳
54歳
55歳
56歳
1903
1904
1905
57歳 ♪交響曲第3番
58歳 ワルシャワ・フィルの指揮者を務め
る(〜1907)
59歳
1906
60歳
1907
61歳
1908
62歳 ワルシャワ・オペラの指揮者
30歳 ニキシュに指揮を師事
♪連作交響詩「永遠の歌」 op.10
♪リトアニア狂詩曲op.11
31歳 ♪交響詩「オシヴィエンチモフ家の
スタニスワフとアンナ」op.12
32歳 交響詩「悲しい物語op.13
1909
63歳 ノスコフスキ没(1909.7.23)
33歳 カルウォヴィチ没(1909.2.8)
21歳 ♪弦楽セレナードop.2
22歳 ♪歌曲op.1, 3, 4、
♪前奏曲と二重フーガop.5
23歳
24歳 ♪劇音楽「白い鳩」 op.6
25歳
26歳 ワルシャワ音楽協会 協会員
♪交響曲「復活」 op.7
♪ヴァイオリン協奏曲op.8
27歳 ♪交響詩「寄せては返す波」 op.9
28歳 ワルシャワ音楽協会会長
スクリャービン生(〜1915)
ラフマニノフ生(〜1943)
ホルスト生(〜1934)
シェーンベルク生(〜1951)
ラヴェル生(〜1937)
ビゼー:カルメン
ブラームス:交響曲第1番
ブルックナー:交響曲第4番「ロマン
ティック」
ストラヴィンスキー生(〜1971)
ワーグナー:パルジファル
ワーグナー没(1813〜)
シマノフスキ生(〜1937)
ルジツキ生(〜1953)
シェルト生
清仏戦争
ブラームス:交響曲第4番
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1
リスト没(1811〜)
ボロディン没(1833〜)
キュリー夫人、ラジウム発見
リムスキー=コルサコフ:シェエラ
マーラー:交響曲第1番「巨人」
日清戦争
レントゲン、X放射線を発見
ドヴォルジャーク:チェロ協奏曲
R.シュトラウス:ツァラトゥストラはかく
語りき
ブラームス没(1833〜)
ガーシュウィン生(〜1937)
タンスマン生(〜1986)
クレツキ生(〜1973)
日英同盟
ライト兄弟 初の動力飛行
日露戦争
29歳 “若きポーランド”結成
プロコフィエフ生(=1953)
ブルックナー:交響曲第8番
ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新
世界より」
ドビュッシー:牧神の午後への前奏
曲
ポーツマス条約
血の日曜日事件(ロシア)
エルガー:エニグマ変奏曲
コープランド生(〜1990)
ヴェルディ没(1813〜)
シェーンベルク:浄夜
プッチーニ:蝶々夫人
マーラー:交響曲第5番
ドビュッシー:海
ショスタコーヴィチ生(〜1975)
バツェヴィチ生(〜1969)
エルガー:交響曲第1番
スクリャービン:法悦の詩
ヤナーチェク:グラゴル・ミサ