第301号(2009年03月31日発行)

北里大学医学部ニューズ
北里写真クラブ 前田 仁 氏 撮影
CONTENTS
■卒業を祝う 医師になり得られることは……………………2
■教授退任挨拶……………………………………………………3
■教授退任挨拶
北里大学医学部・病院の創生期に参加して…………………4
■教授退任挨拶 内分泌代謝内科の想いで……………………5
■学位記授与式を終えて…………………………………………6
■平成21年度北里大学医学部選抜・学士入学試験報告 ……7
■ヘルスケア・ソリューション研究
キックオフイベント開催さる…………………………………8
■患者さんから学ぶ お二人の 患者講師 迎えて …………9
■第2学年 解剖学実習を終えて………………………………10,11
■北里賞・北島賞・平成20年度医学部北里会功労者賞
各賞受賞者………………………………………………………12
2009.3
No.301
卒業を祝う
医師になり得られることは
医学部長 相 澤 好 治
(教授 衛生学・公衆衛生学)
卒業生の皆様、卒業おめでとうございます。6年間の厳
れることができることだと思います。慢性の病気の方や回
しくも楽しい医学部の全課程を修了され、晴れて卒業の日
復期の方の場合は、できるだけ患者さんから話を聞いて、
を迎えられたことに、心からお慶びを申し上げます。これ
生き方を習うとこれ以上の人生勉強はないと思います。私
からの旅立ちに、希望に心躍っていることと思います。学
も内科医の頃、患者さんがそれぞれの入院生活をしていた
生時代に培った知識と見識を大いに発揮して、臨床研修医
ことを思い出します。その頃は診療や研究に必死で余裕も
として診療に携わられることを祈っています。そしてご父
ありませんでしたので、今考えると、もっと患者さんから
母やご家族の皆様、長い養育の時が無事終わり、ほっとさ
教えてもらっておけばよかったと思います。
れていることと拝察いたします。本当におめでとうござい
日本経済新聞で「私の履歴書」の欄があり、これは学生
ます。
の頃から読んでいます。社会的に成功した方々の生き方を
大学病院で研修されずにマッチングで各地に移動する卒
知るよい教科書で、自慢話は鼻につきますが、苦労話は大
業生も、母校は母港ですので、相談したいことがある時や
変勉強になります。最近は、ドトールコーヒーの創始者で
後期研修でもどりたい方は是非、先輩に相談して頂きたい
ある鳥羽博通名誉会長の履歴書を毎朝読みました。24歳で
と思います。
ドトールコーヒーを誕生させた氏が、卸だけでは不安定な
4月からは生涯学習の出発となります。この学習は自分
ので、喫茶店を開こうとして、700万円を借金し店を買お
の臨床能力を向上させることが目的ですが、自己満足に終
うとしましたが、相手方から全額騙しとられてしまったそ
わるものではなく、達成により患者さんのためになるので
うです。裁判で和解寸前まで行きましたが、若い弁護士の
すから、勉強し甲斐があるというものです。最初のうちは
不注意な一言で取り下げられ、全額失ってしまったそうで
先輩から半ば強制されると思いますが、10年もすると自分
す。氏は自暴自棄になり相手や弁護士を恨み、自分の心が
で意識して学習しなければ、それで済んでしまいます。能
すっかりすさんでしまったのに気づき、
「これ以上人を憎
動的に意志を強くしていかないと持続しにくいと思います
むのは止めよう。人を騙すことができるのはその人の生い
ので勉強を楽しむ習慣をつけて頂ければと思います。
立ちが悪かったからだ。ただ騙した人間の人生が良くなっ
先日文部科学省の呼びかけで、全国医学部長会が開かれ、
て、騙された人間の人生が悪くなるのでは世の中の道理が
山形大学医学部長嘉山孝正教授が自主的に発表したスライ
通らない。道理を通すには自分が、なにがなんでも成功し
ドに、2006年の生涯所得を職種別に比較した図がありまし
なければならない。そして、どこかで私を騙した人物に会っ
た。弁護士さんが最高で、次がパイロット、医師は11番目
た時、こころから『お元気ですか』と言える自分になろう。
でした。では弁護士さんの生きがいはなんでしょう。無実
もし元気でなければ助けてあげよう。助けてあげた時、相
の被告を無罪判決に持ってゆくというドラマチックな場面
手が真に人間としての心を取り戻せる筈だ。
」と気持ちを
はドラマによく出てきますが、一般的には民事訴訟で、依
切り替えたそうです。とても、我々凡人にはかなわない大
頼人に有利になるよう働くことが多いようです。「医師は
人物であり、衝撃を受けました。医師になれば、患者さん
患者さんの病気を治したり命を救って、生きがいを感じま
の歩んだ人生を尋ね、運がよければこのように立派な人に
すが、弁護士さんは、どのような時に生きがいを感じます
接する可能性があります。これも医師の役得でしょう。
か?」とある弁護士さんに尋ねたことがありますが、「依
残念ながらもう一度6年生となった人や、国家試験を受
頼人の希望を叶えることですが、お金で解決されることが
けることになった卒業生は、もう1年しっかり勉強できる
多いので・・」と言いよどみました。依頼人の利益の裏に
時間を持てたことをバネにして頑張ってください。若い頃
は、損をする相手がいるので、恨みを買うことも多いので
の挫折経験は、前述した鳥羽博通氏のように、人間を大き
しょう。その点医師は、患者さんの病気を治して、本人か
くする機会になります。挫けずに希望を持ってチャレンジ
らも家族からも感謝されるので幸せな職業だと思います。
して頂きたいと思います。
医師のもうひとつの特権は、患者さんの人生にじかに触
− 2 −
教授退任挨拶
亀 田 芙 子
(教授・解剖学) 平成3年4月本学に赴任し、18年間解剖学教授として在
体の趣旨が広く受け入れられており、多くの方々に入会し
任いたしました。昭和42年に岡山大学医学部解剖学教室の
ていただいています。献体篤志家の方々の尊いご意志に報
助手になって解剖学を専攻し、その後川崎医科大学解剖学
いられるように、解剖学実習における学生の指導には特段
講師、福岡大学医学部解剖学助教授と転籍しましたが、い
の配慮をしてきたつもりです。毎年4月には「北里大学白
ずれの大学でも肉眼解剖学の教室に所属し、42年間に亘っ
菊会懇談会」が催されており、解剖学実習を終えた3年生
て夥しい数のご遺体を解剖させていただきました。最近は
全員が出席し白菊会会員の方々との懇談の一時を持ってい
どの大学でも解剖学教育時間の削減により、解剖体数も減
ます。10月には2年生全員が「北里大学慰霊祭」に参列し、
少していますが、岡山大学時代は年間50体前後が解剖学実
解剖させていただいているご遺体に感謝を捧げ、ご冥福を
習で使用されていましたので、4年間で190体(380側)を
お祈りしています。さらに12月の解剖学実習最終日には本
解剖・調査し、1976年に肉眼解剖学に関する論文をActa
学部納骨堂前で「墓前祭」が執り行われており、2年生全
Anatomicaに発表しました。現在では残念ながら肉眼解剖
員が参列し、ここへの納骨を希望された方々の納骨を行い、
学の研究を発表できる雑誌が殆ど発行停止となり、また一
感謝を捧げお礼を申し上げています。
編の論文を完成するだけでも大変な労力が必要ですから、 研究の発展は用いる研究技術に大きく依存しますが、本
純粋に肉眼解剖学者と言える方は著しく減少しています。 学部は研究面ではセンターシステムを取っているため、ア
私も最初から組織学・発生学を主体に研究を続けてきまし
イデアが浮かべば研究を遂行するために必要な機器はどこ
た。
かのセンターか系に尋ねれば使用が可能である大きな利点
赴任当時、本医学部は著しく教育熱心であることに感銘
があります。形態系と電子顕微鏡センターを中心に、モ
を受けました。学年主任・クラス主任制度があり高校生並
ノクローナル抗体を作成するために培養センター、アイ
に学生の個別指導を行い、また一般懇話会や特別懇話会な
ソトープ取り込み実験を行うためにRIセンターと各セン
どで教員と学生との親交が深いことも特筆すべき点だと思
ターを使用いたしました。特に電顕センターでは技術員の
います。現在肉眼解剖学教育は2年生のみに行い、解剖学
方に超薄切片の作製や染色などもしてもらえますので大い
24コマと解剖学実習102コマ(骨学実習および脳実習を含
に助かりました。電子顕微鏡写真および免疫電子顕微鏡写
む)ですが、赴任当時は2年生に解剖学Ⅱ−26コマと解剖
真を用いて多くの論文を書くことができたのも、このシス
学実習138コマ、1年生に解剖学Ⅰ-14コマと骨学実習28コ
テムのおかげです。研究も時流に乗ることが必要ですが、
マ、3年生に神経系Ⅰで講義と脳実習あわせて23コマと、
最近は各種遺伝子改変マウスを遺伝子高次機能解析セン
大変な教育の負担があり驚いたものです。本学部には多く
ターで飼育し、咽頭嚢由来内分泌器官や下垂体・視床下部
の会議組織があり、様々な事項が討議されていますが、教
の器官発生と細胞分化に関する分子機構の解析を進めてき
育に関しても同じところに止まらずカリキュラムがしばし
ました。
ば改変されてきました。解剖学単位は教育コマ数が多すぎ
私の人生でかつて経験したことのない苦悩を赴任した当
ると常にやり玉に挙がっていました。所属する教員数は赴
初の数年間に経験しましたが、18年間を振り返ってみると
任当初は6人いましたが著しく減少し、この数年間は3人
“研究を楽しませてもらった”の一言に総括できると思い
のみです。医学生にとって人体構造を知ることは医学を学
ます。北里大学医学部の益々のご発展をお祈りいたします。
ぶ上での基礎ですから、あまりに過度の人員削減をすると
教育に充分手が掛けられず問題だと思っています。
解剖学実習のためには解剖体の確保が必須のことですが、
本学部には篤志献体組織である「北里大学白菊会」があり、
現在(2月末日)生存会員数1,324名また既に献体された
物故会員数は1,256名と発展しております。多くの方々の
善意に支えていただき毎年充実した解剖学実習を行ってき
ました。他大学の組織とは異なり、「北里大学白菊会」は
学内組織として運営されており、会には会長・副会長など
の役員組織は置かれていません。赴任当初は会員数を増や
すために近隣の施設に挨拶回りを致しましたが、現在は献
− 3 −
岡山大学時代 右端が筆者
教授退任挨拶
北里大学医学部・病院の創生期に
西元寺 克 禮
参加して
(教授・消化器内科学) 北里大学病院に赴任したのは1972年、昭和47年4月でし
駆けになった
た。赴任前は福岡で大学や病院に所属せず(いわば浪人
ことは良く知
中)消化器診断学を中心に生計をたてながら気儘に暮らし
られています
ていました。岡部先生とともに北里へ来た4人の先生方で
が、教授達は
は診療しきれない程患者さんが外来に来るので誰か暇な奴
ともかく特に
を送ってくれという話があり、一番暇なお前が1年手伝っ
臨床系では教
て来いと言われたのが相模原に来た理由です。しかしいつ
育経験の乏
の間にか37年が経ってしまいました。私の優柔不断な性格
しい者が多
のためでしょうが、北里での生活が大変だけど楽しかった
く、十分な教
ためでしょう。病棟医採用にあたり3人の教授、3人の助
育ができたか心許無いものでした。卒前・卒後教育の体制
教授の面接があり、内科ではなく健診センター医員で採用
ができ、研究が少しずつできるようになったのは卒業生が
され、外科の高橋俊毅先生と2人で勤めはじめました。消
出てからで、臨床研究とともに、大学院生が生化学、薬理
化器内科医としての仕事(気の遠くなるような数の外来と、
学、病理学などで指導を受け、少しずつ成果が挙がるよう
内視鏡、X線)と健診センターの仕事で大変でしたが、さ
になってきました。診療の面では相変わらず多忙で新しい
ほど苦にはならず、毎日が充実していました。私が北里で
診断手技の導入が続き、消化器の領域でも上部消化管、下
働き始めた頃は内科はほぼ一つという意識で合同カンファ
部消化管、胆・膵と肝臓など専門分化が進みました。開院
レンスなども行われていましたが、病棟が開床するにつれ
の頃感じた各科間の風通しの良さはだんだん影をひそめ内
て、3つの診療単位に分かれていきました。昭和48年レジ
科の間にも壁を感じるようになったのは残念な事でしたが、
デントドミトリーが建設されたのに伴い住人の1人となり、
我々消化器部門は外科、病理との連携も良く、日常臨床は
24時間病院にいる体制ができました。当時ドミトリーで文
もちろん学会発表や論文執筆にも協力していただけました。
字通り寝食を共にした人達とは今日でも付き合いがありま
診療、教育、研究などに多忙な毎日を送っていましたが、
す。また4階のラウンジで 夜、酒を飲みながら、菊池順
病院には未だ余裕があり病院挙げての行事も多く、殊に開
一郎先生や坂上先生と病棟医(当時は後期研修医)と研修
院記念日の賑わいは我々に強い印象を残しています。また
医が議論をすることもしばしばで、これらオープンな体制
スポーツも盛んで野球の院内対抗戦はもちろん土曜日の朝
が病院職員にとって新しい病院を作ろうとするエネルギー
6時30分からの試合に二日酔のまま出ていたのも良い思い
になったのではないでしょうか。大学医学部の使命として
出となっています。
研究と教育があることは言うまでもありませんが、卒前教
北里大学医学部、病院の揺藍期について私の経験を述べ
育が軌道に乗るまでは手探りの状態でした。北里大学医学
てきましたが、消化器内科で働く私達にとっては、東病院
部の教育システム、カリキュラムが今日の医学部教育の先
計画が急に告知され、新しい病院の建設と主な機能の開設
1978年国際学会(マドリード)
岡部先生、比企先生
という新しい段階が始まるのです。大学病院から600mと
いう距離は近いようで遠く、医学部との関係もM1号館で
の講義と東病院での臨床実習、東病院研究系での研究と微
妙な関係が約20年間続いています。現在検討中の新病院構
想では、消化器内科・外科は新病院の中核を担うことが決
まっており、我々消化器内科としては第3段階を迎えるこ
とになります。東病院消化器疾患治療センターで展開して
きた医療は、かって本院で我々が行ってきた医療とは大き
く変わっており、新病院では更に進歩した診療に取り組む
ことになります。東病院から遠かった医学部、殊に研究に
ついては新たな展開があるものと期待し、後進に道を譲り
たいと思います。初めて相模原の地を踏んでより37年が過
ぎ北里大学医学部・病院の皆様のご指導に感謝いたします。
後楽園球場にて(珍しい岡部先生のユニホーム姿)
本当にありがとうございました。
− 4 −
教授退任挨拶
内分泌代謝内科の想いで
藤 田 芳 邦
(教授・内分泌代謝内科学) 北里大学に奉職して32年が経ちました。私の人生の中で
の医学の発展を社会に還元するための作業であったと理解
最も長く大切な時期を大過なく過ごさせていただきました。
されます。いまでは、私達自身もその恩恵を蒙っています。
この間、皆様から戴きました暖かいご支援、ご厚情に心か
例えば、患者サービスやリスクマネージメントの考え方の
ら感謝申し上げます。
導入が挙げられます。その結果、種々の検査結果を数十分
昭和43年に東京慈恵会医科大学を卒業しました。2年間
から数時間で手にすることができ、また、不十分とはいえ、
の研修の後、オタワにあるOttawa Civic Hospitalとダラ
種々多様なリスクを予知し、回避することが可能になりま
スにあるVeterans Administration Hospitalでインターン、 した。このような事実はこの30年間における病院運営上の
レジデント、研究員として勤務し、糖尿病・内分泌領域を
大きな進歩の証であり、改革に尽力された皆様に敬意と謝
学びました。昭和49年に母校に復帰しましたが、縁があり
意を表します。他方、内分泌代謝内科学という限られた領
昭和52年に北里大学医学部内科学Ⅰの講師に就任しました。
域においても種々様々な変革がありました。例えば、糖尿
当時は岡部治弥先生が内科学Ⅰの教授として消化管・肝胆
病の診断基準や糖尿病の分類方法の変革、新薬の出現にと
道系、内分泌代謝系グループを統括しておられました。颯
もなう治療目標の変革、あるいは、チーム医療の導入など
爽と活躍する当時の諸先輩、同僚達のお姿が昨日のことの
が挙げられます。このような変革を卒前・卒後教育、ある
ように思い出されます。昭和61年に東病院が新設され、消
いは日常診療に時を逸することなく取り入れ、実践するこ
化管・肝胆道系グループは新病院に移り、現病院に残った
とができたのは、診療スタッフや看護師、薬剤師、臨床検
内分泌代謝グループは診療科として独立しました。当時の
査技師そして事務方の皆様の協力なくしてはなしえなかっ
矢島義忠助教授が診療科長に就任され、平成11年からは私
たことであります。内分泌代謝内科は誕生4年目の若い単
が診療科長を担当させていただきました。平成12年には念
位ですが、平成21年1月に第46回日本糖尿病学会関東甲信
願であった研究室を開設することが出来ました。M1号棟
越地方会を横浜で開催させて戴くことができました。この
7階705号室の物置をスタッフ総出で清掃し、研究室に転
ように多方面からの皆様のご支援をいただき、臨床系単位
用したのも良い想い出です。研究室は平成15年に9階へ移
としての体裁が整ってきたものと深く感謝しております。
転し、今では蛋白質の網羅的研究や遺伝子解析ができるま
退任にあたり、北里大学病院、医学部の益々の発展を祈
でに成長しました。平成元年から内科学Ⅰの助教授、平成
念するとともに、長い間支えてくださった皆様に重ねて感
10年から内分泌代謝系議長を務めましたが、平成17年に当
謝申し上げ、ご挨拶とします。
時の吉村博邦医学部長のご尽力で、内分泌代謝内科学単位
が新設され、
私が単位を担当させて頂きました。診療、教育、
研究を責務として認識していましたが、果たしてどの程度、
職責を果たすことができたのか、甚だ心もとない状態です。
医学教育に携わる者に対する評価は診療、教育、研究にお
ける業績を単年度ごとに数値化することによって行われる
のが一般的です。しかし、教育者に対する評価には、卒前、
卒後教育にかかわらず、 どのような医者や研究者が育っ
たのか という別の尺度もありえます。こういう観点から
過去をふり返ると、反省すべき事柄は無数にあり、私の指
導力のなさを 申し訳なく思う とともに、今改めて 責
任の重大さに身が震える思い がします。
昨今の医療を取り巻く環境は、経済的にも制度的にも混
乱と不透明感が漂っています。さらに、人口の高齢化とそ
れに伴う生活習慣病の急増、医療に対する要望の多様化、
医療事故の多発などが日常診療をより複雑なものにしてい
ます。しかし、このような厳しい状況下にあっても、医学
の進歩には目を見張るものがあります。過去30年の間に医
学部や病院で実行されてきた数多くの改革は究極的にはこ
− 5 −
インターン時代の写真。昭和45年5月Ottawa Civic Hospitalの前で撮影
学位記授与式を終えて
第6学年主任 赤 星 透
(教授・総合診療医学) 平 成20年 度の 学位 記 授 与 式 が、3 月24日 に 東京 国際
ました。卒業生諸君は、羽織袴や振袖姿、スーツ姿などの
フォーラムにおいて盛大に挙行されました。当日は、学位
服装で決めているため、学生実習時のユニフオーム姿に馴
記授与式が既に現地で実施された獣医畜産学部と水産学部
染んでいる私から見ると、彼らがまるで別人のように思わ
を除く、5学部と各大学院の卒業生、総勢1286名とそのご
れます。「こんな学生がいたのか?」と配布された顔写真
父兄で東京国際フォーラムA会場1階席は埋め尽くされま
入りの卒業生名簿を確認して、成る程あの学生かと納得す
した。特に、女子学生が羽織袴や振袖で着飾った様子は、
る始末です。しかも、卒業証書を受け取って学部長と握手
晴れがましくも美しい光景でした。
する卒業生諸君は、目はキラキラと輝き、顔には満面の微
各学部と大学院の修了生は、学部・学科毎に司会の紹介
笑みを浮かべ、見紛うばかりです。卒業生諸君を眺めてい
を受けて一斉に起立し、学生代表が学長より恭しく学位記
ると、「人生の時」にいる若人の輝きとエネルギーを感ぜ
を受け取ります。この式典が学部・学科や大学院毎に繰り
ずにはいられません。また、ご父兄の皆様もご子息の卒業
返される様子は、北里大学が如何に多くの学生を擁する生
の喜びと安堵感で、親としての「人生の時」を感じておら
命科学の総合大学であるかを、今更ながら実感させるもの
れるものと推察されました。医学部卒業は医学生から医師
でした。学長は挨拶において、卒業を祝福するとともに、
になる通過点であり、区切りの時です。卒業生諸君の前に
学祖北里柴三郎先生の精神を受け継いで社会に貢献する人
は、永く、辛く、しかし希望と使命感に満ちた医師として
材になることの重要性を強調されました。3年生の送辞と
の人生が待っています。怖じることなく、慢心することな
卒業生の答辞に次いで、ハンドベルクラブの伴奏で学生歌
く、医師としての人生を真直ぐに歩んでほしいと思います。
を全員で歌い、学位記授与式は終了となりました。
医学部の卒業証書授与式が終了したのは昼過ぎとなり、
その後、別室で医学部卒業生への卒業証書の授与が行わ
他学部は既に終了して解散した後でした。全学の学位記授
れました。相澤医学部長、藤井大学病院長、西元寺東病院
与式の盛大さと医学部学位授与式の温かさを実感した卒業
長、そして6学年の学年主任であった私の挨拶に続き、医
式でした。
学部長から医学部卒業生一人一人に、卒業証書が手渡され
− 6 −
平成21年度北里大学医学部選抜・
学士入学試験報告
入試実行委員長 河 原 克 雅
(教授・生理学) 平成21年度北里大学医学部選抜・学士入学試験は、平成
かなり大変であるが(入学試験終了後、24時間以内に試験
21年1月25日(日)の1次試験(L3号館)、平成21年2月
問題を外部考査する体制をしいている)、大学や予備校と
1日(日)の2次試験(M1、M2号館)に分けて実施され、
は直接関係のない外部教育機関に委託して万全を期してい
それぞれ無事終了した。この結果、新1年生として男子70
る。公正な入学試験を実施する事を使命とする我々入試実
名、女子49名(指定校推薦入学試験合格者を含む)が、4
行委員は、試験問題を作成する出題者・出題責任者と気持
月6日(月)の入学式(パシフィコ横浜国立大ホール)に
ちを1つにして、志願者に納得される入学試験問題の作成
顔を揃えることになった。
と試験会場の静穏環境維持に細心の注意を払っている。
本年の選抜試験志願者数は1573名で、多くの受験生が相
本年度も、選抜・学士入学試験合格者(指定校推薦入学
模原キャンパス試験会場に集まり一所懸命培った学力を
試験合格者を含む)の学生を対象に、講演会(海野信也教
競った(平成18年度:1585名、平成19年度:1922名、平成
授(産婦人科学)、守屋利佳准教授(医学教育研究部門)
20年度:1754名)
。1次試験(学力試験:500点満点)にお
を実施し、在校生(主に3年生)の先導で学内施設を案内
いては、英語(150点)
、数学(150点)、理科(生物・物理・
した(平成21年3月6日)
。海野先生の講演を聴いて、医
化学の中から2科目選択)(200点)の成績上位373名を合
学部への志望動機、命の大切さ、他者(特に患者さん)へ
格とした。2次試験は、
適性検査・論文・面接・健康診断(必
の思いやり、将来医師として働くことの責務の重さなどを
要と判断された一部の受験生が対象)を課した。一次試験
改めて考えていただければ、幸いである。特に、昨今、小
の成績結果に論文・面接・内申書(評定平均値)の点数を
児・産科医不足が叫ばれている折、当事者の海野先生の講
換算後加算し、総合成績に基づいて成績上位者103名を合
演は学生(入学予定者)を惹きつけた。
格とした。
学内施設案内では、医学図書館、大学病院放射線部・救
入学試験の実施に当たり一番気を使う事は、(1)試験
命救急センター部を見学することにより、日常診療の実際
問題の漏洩と出題・採点ミス、(2)試験当日の天候・交
と医学部・病院を支える縁の下の力持ちの大切さにふれて
通の乱れである。昨年度の選抜・学士入試は、
試験当日の朝、
いただいた。また、入学予定者懇親会の席で、これから6
結構な雪に見舞われ首都圏の公共交通機関は大いに乱れた。 年間苦楽を共にする同級生と歓談し、顔を互いに知ってお
試験開始時間(9:00)を遅らせるかどうかのギリギリの
く事も有意義であった。懇親会の進行係として先ほど先導
判断を迫られたが、早めの試験会場到着を目指した受験生
係を務めた在校生も10数名参加しているので、北里大学医
の機転もあり、遅刻者数は例年並みであった。今年は、天
学生(先輩)の本音が生で聞けるいい機会になっている。
候もおだやかで交通機関の乱れもなく、例年になく落ち着
集まった学生(入学予定者)は、短時間のうちに打ち解け
ける試験環境を提供できたと自負している。また、合否判
あい、4月6日の入学式、オリエンテーション(1泊2日、
定に重大な影響を与える出題・採点ミス防止については、
八王子)での再会を楽しみにしていた。
本学は4年前から本格的に取り組んでいる。実際の運営は
2009.3 No.301
− 7 −
ヘルスケア・ソリューション研究
キックオフイベント開催さる
佐 藤 敏 彦
(准教授・臨床研究センター)
このたび北里大学と青山学院大学との共同申請である
た。さらに日本医科大学医療管理学教授の長谷川敏彦氏の
「実践的プロジェクト教育による多角的連携に基づく人材
講演では長年の医療政策、病院経営の研究の経験から、こ
育成と医療イノベーション」が、文部科学省の「戦略的大
れからのわが国の医療は既存の学問体系では解決できない
学連携支援事業」に採用され、これにより両学は本取組に
との指摘があり、最後の演者であるファイザー株式会社の
つき「ヘルスケア・ソリューション研究」として本年度下
経営企画統括・政策情報部長の朝倉宏治氏からは製薬企業
期から実施することとなった。この始めとして、去る1月
において、医療分野の専門的知識のみならず幅広い知識・
24日(土)に白金キャンパスの薬学部コンベンションホー
視野と解決力・マネジメント力のある人材が今後ますます
ルにおいて「社会の多様な保健医療ニーズに応えるために
必要であるとの話があった。以上の4名の講演の後、最後
大学はどのように変革すべきか」をテーマにキックオフ講
に取組責任者である筆者より事業の今後の活動予定につき
演会を開催した。講演会は、本学の柴忠義学長と青山学院
説明があり3時間に及ぶ講演会を終了した。
大学の伊藤定良学長の主催者挨拶で始まり、文部科学省の
翌週は青山学院大学の青山キャンパスに会場を移し5日
大学連携支援事業担当である奥井雅博係長の基調講演と続
連続で特別セミナーを開催した。
いた。奥井氏は講演の中で「連携する大学が互いに刺激を
その目的は、本取組のテーマである保健・医療のさまざ
得、新たな文化に触れることで啓発し合いながら発展し、
まな課題を、プロジェクト研究の課題にふさわしい具体的
その中で人材育成、教職員のレベルアップ、地域貢献を目
なテーマに落とし込むことにあった。地域医療、高齢化社
指すこと」等の大学連携支援事業で期待することを指摘し
会の保健医療、病院経営・運営、医療現場のコミュニケー
た。これに引き続き、異なる分野4名の講師による講演が
ション、医療ビジネスの各テーマに連日白熱した議論が重
あった。先ず厚生労働省精神障害保健課長の福島靖正氏よ
ねられた。セミナー終了後、既に青山学院大学の大学院生
り保健行政における様々なニーズについて紹介があり、続
からはプロジェクト研究参加の希望が多数寄せられている。
いて青山学院大学教授で「生物と無生物の間」等の著作で
本学の教職員、学生の皆さんでご関心のある方はこの取組
有名なエッセイストでもある福岡伸一氏より、細胞の「動
にぜひご参加いただき、保健医療における新たな解決策を
的平衡」や数奇な運命を辿った分割された絵画のエピソー
共に創っていくことを強くお願いしたい。
ドを用いて、物事の捉え方についての示唆に富む話があっ
基調講演する文部科学省高等教育局大
学振興課大学改革推進室改革支援第二
係長の奥井雅博 氏
講演する青山学院大学理工学部化学・
生命科学科教授の福岡伸一 氏
講演する厚生労働省精神・障害福祉課
課長の福島靖正 氏
− 8 −
講演する日本医科大学医療管理学教授
の長谷川敏彦 氏
患者さんから学ぶ
− お二人の 患者講師 迎えて −
守 屋 利 佳 (准教授・医学教育研究部門)
医学部4年生後期には、5年生から始まる臨床実習(実
もう一方の駒形和之さんは、腎炎から慢性腎不全になり、
際に病院に行き、患者さんと接しながら学ぶ)への導入と
腹膜透析、血液透析などの血液浄化療法を受け、奥様をド
して、“臨床実習入門”というプログラムがあります。こ
ナーとして生体腎移植を受けられた方です。
れから患者さんに接するものとして必要な診療・診察技術
駒形さんは、技術者として昭
や心構え、医療安全などの実際的な知識を学ぶ一連のシ
和40年代から50回以上も海外に
リーズですが、その1つとして、
“患者さんから学ぶ”と
出張された国際派ビジネスマン
いう企画があります。患者さん自らの経験や経験から学ん
で、仕事をこなしながら腎臓病
だことを学生に伝えるというものです。3年目を迎える今
で通院をしていました。今回の
年はサリドマイド被害者の増山ゆかりさんと腎移植を受け
講演では、腎機能の低下を指摘
られた駒形和之さんにそれぞれ80分にわたりお話をしてい
されて北里大学病院に通院を始
ただきました。
めた頃のことから、いよいよ腎
増山さんは財団法人“いしず
機能が悪化し血液浄化療法を受けることになった時のこと、
え”の常任理事としてサリドマ
当初は腹膜透析という治療法を行なっていたが、次第にそ
イド被害者の健康管理と福祉の
の方法では不十分で血液透析を加える必要が出てきたこと、
増進、被害者の交流、薬害防止
腎移植のビデオを見た奥様が生体腎移植のドナーとして自
等に関する事業に取り組んでい
分の腎臓を使ってほしいと申し出て移植を行ったことなど
ます(“いしずえ”HPより)。
をこと細やかに説明されました。腹膜透析の説明では、自
サ リ ドマ イ ド は1957年 に 鎮
ら練習用のモデルと実物の透析液を用い、その長所と短所
静、催眠薬として開発された薬
の解説もされました。圧巻だったのは、自分の病気の全経
で、世界10カ国以上の国で販売されました。日本でも副作
過を書きとめ、データをグラフにし、スライドに映しなが
用が少なく安全な薬とのことで妊婦が服用することも多く、
ら説明したことでした。同席した主治医の吉田一成先生(泌
結果として多くの奇形児を生むことになりました。増山さ
尿器科)も、創意工夫を怠らない闘病姿勢に感嘆の思いを
んもその被害者のお1人です。サリドマイドとは、という
禁じえないとコメントされていました。同席された腎臓の
説明から始まり、サリドマイドによる薬害が発生した社会
ドナーである奥様をいたわりながら、奥様から頂いた腎臓
的背景、因果関係をいち早く察知し警告したが認知しても
を少しでも良い状態に保つために食事や生活をしっかり管
らえなかったレンツ博士のこと、主な障害は四肢の欠損症
理している駒形さん達の姿を学生たちは目に焼き付けてい
と聴覚障害だが、臓器障害を伴うことも多いこと、臓器障
ました。駒形さんは講演をするにあたって、
「(聴衆である)
害が重症な場合には死産・流産が多かったこと、出生後も
医学生の方は、これまでにどのようなことを学んでいるの
生き延びたものは半数程度といわれていることなどサリド
か」「腎不全とその治療法についてどの程度の知識がある
マイド全般に関して話された後、ご自分の生い立ち、生死
のか」と私に尋ねられ、その答えに基づいて講演のレジュ
の境をさまよった経験、家族とのかかわり、他のサリドマ
メを準備されました。このような、何事にも現状をしっか
イド被害者の生活、などについても詳しく講演されました。
りと把握し、取り組む姿勢も大いに学ぶべきことと思いま
講演の途中からは、日常生活をビデオ撮影したものを背景
す。
に流しながら、お母様への思いや医学生に対しての期待な
講演後に学生に行なったアンケートからは、
「貴重な話
どについても言及されました。印象的だったのは、「自分
をじっくりと聴くことができた」といった感想が多く聞か
はサリドマイドという薬害の被害者でもあるけれど、治療
れました。話の内容だけでなく、姿勢や心構えなど、じか
を受けた患者でもあるので医療の素晴らしさは十分理解し
にお話いただくことで学生が感じ取ったことは計り知れな
ている」という増山さんの懐の深さと「助からない命、治
いと思います。患者さんの講演は多くの大学、病院などで
らない病気というものもあるということをしっかりと受け
行なわれていますが、医学教育のプログラムとして継続的
止めて生きて行きたい」という強い思いでした。決して“被
に行なっているところは多くありません。講演をしてくだ
害者”意識のもとで否定的に生きているのではないその姿
さる患者さんはじめ多くの方々のご協力の下に行なわれて
や学生からの質問にも根拠を挙げて的確に答えてゆく姿勢
いるこのプログラムを今後も継続することで私たちも学ば
に私たち医療者も姿勢を正される思いがしました。
せていただけたらと思います。
− 9 −
MO7049 下村実貴子
第2学年 解剖学実習を終えて
私達医師を志す者にとって、解剖実習は避けては通れない
最初の関門であるかもしれません。北里大学に入学して2年、
MO7019 笠井 理永
知識も精神もまだまだ足らない私の目の前には私達の為、医
先日、後期から始まった解剖学実習が終了しました。医師
学の進歩の為に自らを捧げて下さった方々の姿がありました。
となるための第一歩を踏み出すことができただけでなく、生
9月1日、緊張感が張り詰めていた教室。自分が特別な道
涯忘れることのできない貴重な経験をすることができました。
を選んだという事を再認識させられました。そして教授から、
第1回目の実習で教授が、白菊会の会員の方やご遺族の
献体して下さった方々のご遺族の手紙が読まれ、胸が熱くな
方々から寄せられた手紙を読んでくださいました。自分が医
りました。決して言葉では表せない、深い感謝の気持ちと実
学部の学生であり、自分の学ぼうとしている医学というものが
習をさせていただく事の責任を強く感じたあの日は、おそらく
多くの方々の切なる願いや、想いの上に成り立っているのだ
2年生全員がそれぞれに思いを馳せた忘れられない日となっ
と自覚し、本当に胸が熱くなったのを思い出します。
た事でしょう。最初は慣れない作業に戸惑う事もありました
解剖学実習は毎回、非常に充実した濃厚な時間でした。基
が、先生方の手厚いご指導と班員の助けのもと、目で、指先
本的な構造や形態は図譜とあまり変わりないですが、部位に
で、体で知識を身につけていく事ができました。しかし、実
よっては、ご遺体ごとで色や大きさ、形などが全く異なって
習を重ねていけばいく程、自分が行っている事の重大さより
いたり、多くの臓器が自分のイメージしていたものと大きく異
目の前の複雑な構造ばかりに捉われて、ふと我にかえった時、
なっていたり、関節の動きが複数の筋肉・骨・神経の見事な
少し怖くなりました。今までは遠くに感じた「死」があまりに
連携により成り立っていたりなど、数え切れないほどの発見と
近くにありすぎて「生」とは何か、深く考えさせられ、きっと
驚きの連続を経験しました。
これからもこの問いは続いていくのだろうと感じました。また、
神経系は、私が最も興味を持ち、感動したテーマです。神
人体の構造の複雑さに圧倒され、とても興味深く、医学の難
経系の中枢である脳は、外見からは想像もつかない程、その
しさも感じました。本当に一回一回の実習が貴重であり、精
内容は非常に複雑でした。あの空間に言語・運動・視覚・聴覚・
一杯吸収しようと皆一丸となって取り組ませて頂きました。こ
記憶・知覚などを支配する一定の領域があり、そこから特定
のような充実した3ヵ月を過ごさせて頂けたのも、ご遺体を提
の部位へと神経が伸びていることは、非常に感慨深いもので
供して下さった方々があったからです。ご遺体の表情を見な
した。脳や脊髄から派出する多くの末梢神経は、人体のあら
がら、様々な思いがよぎりました。この方はどのような人生を
ゆる部位に分布しています。運動神経系、感覚神経系、自律
歩んで来られたのだろうか、何を見て何を感じどんな想いで
神経系などがありますが、これらの神経は非常に複雑に、あ
献体をご希望されたのだろうか、また、ご遺族の方々も複雑
る場所では他の神経と連結しつつ走行し、図譜や教科書だけ
な思いの中に、今後の医学の為と提供に賛同して下さったこ
で学んできた私にとっては、理解が困難でした。私は普段の
とに私達はどう向き合っていくべきだろうか。解剖実習を終え
生活で、思考や動作が全て神経系の上に成り立っているとい
たこれからも今日のこの気持ちを忘れずに、努力を重ねてい
うこと事をあまり気にとめませんでした。しかし、人体の多く
きたいと思います。3ヵ月間共に協力しあい、貴重な時間を共
の機能が、繊細、かつ力強い神経系の働きにより成り立って
有してきた班員、最初から最後まで手厚いご指導をして下さっ
いる事は、医学を学ぶ上で非常に重要であると改めて考える
た先生方、そしてご遺体を提供して下さった方々、ご遺族の
事ができました。実習でしか得ることができなかった、立体
方々に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうござ
的な人体の知識や、1つ1つの部位に、貴重な意味があると
いました。これからも、この感謝の気持ちを忘れずに日々邁
いうことを、これからの勉学に役立てていきたいと思います。
進していきたいです。
実習を経て、知識だけを得たのではありません。長時間、
解剖を続けるための集中力と忍耐力、長期にわたり毎日のよ
M07053 新宅 美佳
うに顔を合わせた班員との協力し助け合う力を得る事ができ
約3ヵ月半に及んだ、解剖実習の実習書のプリントを1ペー
ました。実習を重ねるごとに、この実習が、単に知識を学ば
ジ目から手にしてみると、今日までの時間の重みを改めて実
せてくださるものではなく、医師になろうとする者に必要な力
感させられる。今振り返ると、あっという間に時間は過ぎてし
をつけさせて下さるものであると感じました。
まったが、この時間から私が得たものは、3ヵ月半という時間
解剖学実習を終え、
「医学の発展のために」と、様々な思い
の価値を遥かに超越していたと言える。
を抱き献体してくださった方々、そのご家族の皆様方のご厚
今でも思い出すのは、まだ残暑を感じる9月。初めてご遺
意に、私の心は感謝の気持ちでいっぱいです。このご厚意が
体を目の前にする実習の前日の日のことである。私は、明日か
決して無駄になることがないよう、今後一層勉学に励み、努
らの自分は今日までの自分と必ず何かが変わるだろうと感じ、
力していくことを誓います。最後に、解剖学実習という貴重
また、長い実習期間は気の緩む時期や慣れが訪れる事を恐れ、
な学習を経験する機会を与えてくださった全ての方々、実習
初心を忘れずに過ごして行こうと決めた。実習当日、実際に
においてご指導くださいました、亀田先生をはじめとする先
実習を開始する前に、白菊会の方々や、そのご家族からのお
生方、本当にありがとうございました。
手紙を読み聞かせて頂き、その言葉一つひとつに、胸を打た
− 10 −
れた事も忘れられない。献体してくださった方々の「是非献
「体」を「献げて」下さったのである。この方々の肉体は機能
体させて頂きたい」
「献体できる事に感謝している」
「未来の
的にはすでに停止してしまった。しかし、この方々のご遺志は、
医師育成のために役立ちたい」という、私がまるで想像して
私たちによって、たくさんの人々のために、未来へと確かに受
いなかった言葉の数々には、驚かされ、心を動かされた。感
け継がれていくのだということに初めて思い至った時に、恐
謝の気持ちで胸が熱くなり、同時にこれから自分のすべき事
れは畏れへと変化した。そして、
自分が、
その大切な一端を担っ
を教えて頂いたように思う。
ていることを、畏れつつも受け入れることができたのだった。
人体、それは自分自身であり、何より身近なものであるは
実習が終わろうとしている。いつのまにか秋が過ぎ、もう
ずだが、何も知らなかったという事も思い知らされた。その
12月だ。医学部生としての自分の中で大きな第一歩が終わっ
複雑さ、精密さ、性差、個人差。同じ様に見える構造も、誰
た。そして、また新しい一歩が始まったと認識している。
一人同じ顔の人がいない様に、一つとして同じものがない。
献体をして下さった方々、ご遺族の方々に感謝しています。
これから先、出会うであろう患者さん一人ひとりにも個人差が
有難うございました。
あると思うと、机の上だけで得られる知識に、限界が有るの
M07088 松野 淳洋
だという事も教えられた。そして、入学当時に抱いていた医
師を志す者としての初心、忘れかけてしまっていた大切な思
9月から約3ヵ月半続いた解剖学実習が先日終了しました。
いを思い出させて頂いた。
人生の中で学習のため細部に渡って人体を観察することので
解剖実習を通して、実際に触れ、目で見て、感じ、学ん
きる唯一の機会であり、非常に緊張しながら、この機会を絶
だ知識の数々はかけがえのないものとして私たちに刻まれた。
対無駄にしないように授業に臨んで参りました。
そして知識だけではなく、胸に刻まれたものも、私の中に価
9月の実習開始時、自分の全く未知の領域を見ることに対
値ある財産として残すことができた。
する不安と期待感、そして疼痛感覚はないとはいえ、他人の
そして忘れてならないのは、献体してくださる方々、ご家
身体を侵襲することに対する罪悪感もありました。それから
族のご協力の下で私たちの実習が成り立ち、実習を無事に
3ヵ月半。実習を進めていく間に、初期の頃の戸惑いは消え、
終え、今日の日を迎える事ができたという事である。言葉で
人体の、そのあまりに精巧で機能的な構造に驚きながら、生
は表しきれない感謝の気持ちを、献体して下さった方々、白
命の神秘性というものの一端を、自分の人生の中で最も強く
菊会の皆様にお伝えしたい。そしてこれからは、この解剖実
実感することとなりました。生命現象が極めて複雑であるこ
習で得た事を基礎として、発展させ勉学に励みたい。そして、 とは勿論承知しておりましたが、その想像をはるかに超えた
皆様の思いに応えていく事ができたらと思う。
世界に触れた私は、妥協の許されない問題に直面しているこ
とを改めて感じ、畏敬の念をつのらせていきました。
MO7074 濱田 章裕
今この3ヵ月半を振り返ると、やはり実際にご遺体を前にし
真夏がまだ続いているかのような残暑の厳しい9月に解剖
て解剖を行ってきたことは、
「亡き人との対話」だったと改め
実習が始まった。実習前、私はかなり緊張していた。死とい
て思います。献体してくださった方々は、普段我々が決して
うことを身近にほとんど経験していない自分に、解剖実習を
見ることのできない人体の構造や機能を、言葉で語らずとも
ちゃんとと受け止めることができるだろうか、恐れ?驚愕?果
教えて下さり、
いわば唯一無二の
「師匠」
でした。そのような
「師
たしてどのような感情が湧くのだろうか。最後まで成し遂げる
匠」から自分はどれだけのことを学び取り、吸収することが
ことができるのだろうか‥。
できただろうか?学ばせて戴く身として、
「師匠」のご遺志に
しかしそれらの思い煩いは御遺体を前に一気に吹き飛んで
少しでもかなうことができているだろうか?そうした自問自答
しまった。何故ならば、目前のご遺体は、黙してはいるが私
を常に繰り返しながら、過去を反省し、医師を志す者として、
よりもはるかに雄弁に何かを語ろうとしていたからである。
するべきことを模索し続けていく所存です。
実習が始まってからの日々はとにかく必死だった。週に4回
解剖学実習は終了しましたが、医学生としての道は、まだ
の実習、
レポート、
試験。体力と気力に余裕がない中で時折様々
始まったばかりです。今回、我々が学んだことは、医学とい
な思考が頭をよぎった。
「今自分は何をしているのだ?」
「生
う学問の極わずかな一端に過ぎませんが、医師になる者とし
とは何か?死とは何か?」
「医師になるということはこんなにも
てのスタートラインは恐らくここからだと考えます。実習で得
巌しいものなのか?」
「自分にはその資格があるのか?」それ
た精神を忘れることなく、少しでも将来の医学の発展に貢献
でも来る日も来る日も実習は続いた。
できる人材となれるよう、努力していきたいと思います。
そのうちにふと気づいたのである。初めてご遺体と対面し
最後に、一生に一度きりのこの機会を提供して下さった、
たときにその方が語ろうとしていた、その、何か、とは「生命
全ての方々に感謝の意を表します。献体をしてくださった
を繋ぐ」ということではないか、と。献体をして下さった方々
方々、ご遺族の方々、実習指導に携わって頂いた先生方、技
は、そのお一人お一人が、私たち医学を学ぶ者に対し、
「ど
術員の方々、本当にどうも有難うございました。
うぞ私の体を医学に役に立てて下さい」と文字通りご自分の
− 11 −
2年毎の医師届出で前回から病理の項目が設けられた。医師不足が注目される中、病理
医が極めて少ないことはあまり取り上げられない。今年度から病理が標榜科として認めら
れるも、届出票に「その他」と記載していたのでは病理医数の把握もできまい。独立して
病理診断できるようになる病理学会認定専門医は全国で2000人余り。1桁の都道府県もあ
る。年齢の逆ピラミッドも囁かれている。こんな中、幸いにも我が病理学単位・病院病理
部は深刻な状況には至らず、新年度には数年ぶりに新人を迎える。臨床技術の向上等によ
り、近年頓に求められるものが大きくなっていると実感するが、一人でも多くの若い息吹と
共に邁進したいと思う今日この頃である。
(T.Y)
平成21年度
平成20年度
北島賞受賞者
北里賞受賞者
御子柴 育 朋
(学年は平成20年度とする)
松 原 巧
第1学年
泉 汀
山 元 聡 子
第2学年
川 野 寿 子
萩 原 優美子
第3学年
野 城 聡 志
星 尚 美
第4学年
西 山 香 織
松 島 明 子
第5学年
児 玉 華 子
中 澤 真理子
平成20年度
医学部北里会功労賞受賞者
福 西 琢 真
中 西 亮
編 集 後 記
今年は、桜の開花は早かったものの、満開になるまでずい
我々現場の人間はその流れの激しさに押し流されそうにな
ぶん時間がかかり、その分、楽しみも増えたようです。北里
ることも多いのですが、希望に満ちた卒業生、新入生の夢を
大学医学部の暦も一巡りして、卒業生を送り、新入生を迎え
実現するためには、新しい北里大学医学部へと変身するため
る節目の時を迎えています。医療改革の波は臨床研修制度の
の努力を続けていかなければなりません。
さらなる改変へ、そして医学教育カリキュラムの見直しへと
確実に進みつつあります。
医学部ニューズ〔第301号〕
http://www.med.kitasato-u.ac.jp/
2009.3 No.301
●発行責任者 相 澤 好 治
●編集責任者 高 橋 正 身
〒228-8555 神奈川県相模原市北里1-15-1
北里大学医学部内 医学部ニューズ編集委員会
TEL.042-778-8704(直通)
FAX.042-778-9262
E-mail [email protected]
●発 行 日 平成21年3月31日発行