脱“オール・ジャパン”が日本の航空機産業生存の第一歩 前号で、オランダの大型風洞と MRO クラスターについて触れた。両者とも、技術・経験・ 実績いずれも日本をはるかに上回っているが、取材して最も感銘を受けたのは、どちらの 責任者も口をそろえて、「オランダは小国なので、周辺諸国との連携をいかに深めるかが、 生き残るために欠かせない」と強調していたことだ。日本の航空機産業が生き残り発展す るため、最優先で学ぶべきは、この姿勢のように思う。 ★ MRO クラスター:通勤・通学1時間圏内にベルギーとドイツ オランダ南端の古都マーストリヒトにある航空機整備産業クラスター“Maastricht Maintenance Boulevard(マーストリヒト・メンテナンス・ブールヴァール)”は、各々が 専門分野に長けた中小企業が、それぞれの強みをひとつの空港内に持ち寄ることで、ワン ストップの MRO サービスを提供しようというコンセプト。2005 年にオランダの国家事業 として構想がスタートし、2006 年にマーストリヒト近郊の Maastricht Aachen Airport(マ ーストリヒト・アーヘン空港)への立地が決まったが、決め手のひとつが、「近隣諸国が通 勤・通学圏内にあり、国際的な人材の確保に有利」というものだった。 写真=ベルギー第5の都市リエージュ。ベルギー南部の主要都市で、かつては製造業の一大中心 地でもあった。マーストリヒトから各駅停車の普通列車で片道 30 分程度 メンテナンス・ブールヴァールでは、航空専門学校を中核に据えたクラスターづくりを 差 別 化 の ポ イ ン ト と し て 打 ち 出 し て い る 。 立 地 す る 航 空 専 門 学 校 ACC ( Aviation Competence Centre)と立地企業の産学連携により、学校で基礎を学んだ生徒が、企業で 実地トレーニングを積むというシステムが確立されている。 現在、航空機産業ではエンジニアの不足が世界的な課題となっており、09 年5月のメン テナンス・ブールヴァール取材時の情報では、オランダだけでも 4,000 人の人材不足が発 生している。メンテナンス・ブールヴァール立地企業も、軒並み需要量がキャパシティ・ オーバーを起こしていた。上記のようなシステムを採用することで、立地企業に、人材の 供給源を確保できるというメリットを提示できる。もちろん学生にとっても、卒業後の就 職先が確保しやすいという点は、大きな魅力であろう。 ACC は 2010 年 10 月に新校舎をオープンし、英語での授業を本格スタートさせた。その 目的は、ベルギー・ドイツをはじめ、オランダ語圏以外の国々からも、学生をかき集める ことにある。生徒数は 2010 年末現在で約 300 人。09 年5月の取材時は 220 人だったが、 そのときに聞いた目標通りに増加している。2013 年までに 400 人達成を目指している。 写真=オランダとの国境付近にあるドイツの古都 Aachen(アーヘン)。実質的にマーストリヒ トの隣町であり、そのことはマーストリヒト・アーヘン空港という名称にも反映されている。な お、アーヘン市では空路アクセスに、マーストリヒトとリエージュの2空港(いずれも外国の空 港である点に注目!)を筆頭案内しており、さらに市街地から 10km 程度の距離に、自家用飛 行機やレジャー・レスキュー航空専用の小型空港(こちらはドイツ国内)も立地している ★ オランダ~ドイツに5風洞を展開-DNW 風洞試験施設 DNW は、Duits-Nederlandse Windtunnels(オランダ語で“ドイツ・オ ランダ風洞施設群”の意)、あるいは“Deutsch-Niederlandische Windkanale” (ドイツ語、 以下同。アクセント記号など省略)の略称。オランダとドイツの国営航空宇宙産業研究機 関が、オランダの法律のもとで共同運営しており、ドイツに3カ所、オランダに2カ所、 風洞を展開している。5つの風洞はそれぞれに専門領域が異なっている。 そのうちオランダ北部マルクネッセの大型低速風洞(DNW-LLF)が、ヨーロッパ3大風 洞のひとつに位置づけられている。DNW-LLF がオランダ側に設置された主な理由は、 「必 要な土地の購入価格が、ドイツよりも安かったため」(DNW マルクネッセのエイテルベル ク所長)なので、状況次第でドイツ側に設置されていた可能性もある。 DNW-LLF の試験ノウハウは前号で紹介したが、それも単独で蓄積されたものではなく、 DNW5風洞はじめ、欧州各地の風洞それぞれのノウハウの相乗効果の上で発展してきたも のだ。たとえば DNW のドイツ側拠点のひとつが立地するケルンは、ヨーロッパ3大風洞 のひとつ ETW(ヨーロッパ遷音速風洞)も立地しているが、ETW はフランス、ドイツ、 イギリス、オランダの4カ国が共同運営しており、DNW とは競争相手であるとともに相互 補完関係にもある。 写真=欧州トップレベルの風洞 DNW と ETW がそろって立地するドイツのケルンは、アーヘン 経由でマーストリヒトとも鉄道で結ばれている。所要1時間程度の距離にあり、メンテナンス・ ブールヴァールからも通勤・通学圏として視野に入れられている ★ アメリカ航空機産業も、一国主義ではない 国際連携による航空機産業としてはエアバスが代表格であろうが、オランダのプロジェ クトだけ見ても、欧州ではあらゆる局面で国家間連携が深く進行していることが見て取れ る。エアバスに象徴されるように、 「アメリカには一国ずつでは対抗できなかったため、欧 州として一枚岩になる必要があった」という事情もあるだろう。 では、アメリカは一国で航空機産業大国となっているのかというと、必ずしもそうでは ない。 カナダのボンバルディア社は、ビジネスジェットの世界的ブランドのひとつリアジェッ トの製造を、米国カンザス州ウィチタでおこなっているが、そのことはウィチタがアメリ カ有数の航空機産業集積地として発展をつづける原動力のひとつとなっている(正確には、 スイス企業リア・ジェット社が米国工場で生産を始めた機種が、同社に対する企業買収が 繰り返された後、最終的にボンバルディア社により買収されて以降も、同地で生産がつづ けられている)。 しかしボンバルディアは、最新機種リアジェット 85 については、2010 年7月にメキシ コの Queretaro(ケレタロ)国際空港内に装備品の生産センターを開設。複合材を使用した 胴体の生産、主翼のアッセンブリを含めた、一大生産拠点としての稼動準備を進めている。 ボンバルディアは 2006 年、最初の生産拠点をメキシコで稼動させてからわずか5年で、リ ージョナル・ジェット機の新型シリーズである CRJ700/900/1000 や、長距離ビジネス ジェットのグローバル・シリーズなど、主力機種の部品生産拠点を次々とメキシコで立ち 上げている。 メキシコには、セスナ社などアメリカの有力航空機メーカーも進出をつづけており、ア メリカ航空機産業の巨大なバックヤードとして台頭を始めている。 こうした動きの背景のひとつとして、アメリカ、カナダ、メキシコで形成する北米自由 貿易圏 NAFTA の存在がある。それぞれが巨大な航空機マーケットを有している3国の間 で、航空機の完成品も部品も、無関税でやり取りできるというメリットは、アメリカやカ ナダの航空機メーカーの価格競争力を高めるとともに、メキシコの航空機産業の急成長も もたらしている。 写真=北米自由貿易協定により、アメリカ、カナダ、メキシコの3国は、緊密なパートナー・シ ップで競争力を高めている(グレーター・ナゴヤ・クラスター・フォーラム「メキシコの航空宇 宙分野におけるビジネス機会セミナー」 (09 年9月開催) 、メキシコの部品製造・MRO 大手 ITR 社のプレゼンより) 北米圏に限らず、ボーイングは中国厦門にある世界最大規模の航空機 MRO 工場 TAECO に出資し、設立と技術トレーニングの両面で深く関わっている。TAECO 自体、香港がまだ イギリス領だった 1990 年代に、旧香港国際空港で処理しきれなくなっていた整備機材のメ ンテナンス拠点として、中国政府がキャセイ・パシフィック航空の整備会社 HAECO を誘 致したことを機に、HAECO、キャセイ、JAL、ボーイング、中国航空当局出資団体、香港 系公司、厦門市が共同出資して立ち上げた国際プロジェクトだ。 ★ 脱“オール・ジャパン”が全ての第一歩に 日本の航空機産業も、国際共同開発などへの参画は進めてきた。しかし一方で、 「オール・ ジャパン」を求める声が強まっているようにも感じる。筆者も何件か相談を受けたことが ある。航空機産業の世界動向を見渡せば、欧米諸国と新興諸国のパートナー・シップが急 速に深まる中、日本がこれまで築いたサプライヤーとしての地位を失いかけているため、 「日本企業だけで飛行機を一貫生産するプロジェクトを組めば、仕事を失わなくて済む」 という発想に陥りやすいのだろう。 残念ながら、これは早期に断念した方が良い。 前号でも述べたように、日本の航空機製造業は、その多くが欧米企業のライセンス生産 であって、独自の技術は極めて限定的なレベルにとどまっている。安全性に関する実証デ ータをほとんど持ち合わせていない現状では、マーケットを説得できる独自技術を開発で きるわけでもない。FAA(米連邦航空局)や EASA(欧州航空安全当局)が、自国産業保 護のため日本製品を締め出しているのではなく、日本に技術がないのである(なぜライセ ンス生産品が、日本の技術で生産されているように報道・紹介されているのかは分からな いが……)。 また、オール・ジャパン志向の構想は、筆者の知る限り全て、国内利用限定の航空機と なっている。FAA や EASA の認証が必要ないから、との発想だろう。しかし定期航空機で あれば、既に日本の航空輸送市場は供給過多の状態なので、マーケットがない。仮にマー ケットが生まれても、厳しい競争にさらされている日本の航空会社に、豊富な実績と技術 を持つ欧米企業と新興国とのコラボレーションで生み出されたリーズナブルな航空機を差 し置いて、コストの高い日本で生産された実績のない航空機を選ぶ余裕はないだろう。 ビジネスジェットや General Aviation(レジャー航空、レスキュー航空、測量飛行、農 薬散布などなど)に至っては、売れるような環境があれば、とっくに Honda Jet が売れて いる。 写真=Honda Jet の実機(NBAA2007 実機展示場にて) 。Honda Jet は米国企業 Honda Aircraft 社の製品で、紛れもなくアメリカ製航空機である。エンジンも GE との共同 開発だ。日本製品として造ることのできなかった国内環境に、日本の航空機産業の問 題点が凝縮されている 日本の航空機産業の生存のためには、サプライヤーとして培った技術・技能・実績がト レード価値を持つ間に、完成品としての航空機を開発・製造している国々、あるいは航空 機の利用マーケットが確立・成長している国々と、積極的に手を組んでいく姿勢が不可欠 といえる。航空機産業が高度に発達している国々が、積極的に多国籍連携に取り組んでい るのだから、まずはそれを見習うところから始めてはどうだろうか。 なお、その際の留意点として、中国に工場を構えた欧米メーカーや、外国政府関係者か ら聞いたアドバイスを紹介しておく。 ● 相手国の雇用を脅かすやり方はタブー。中国は大量に航空機を購入し、マーケットの拡 大に貢献した上で、「今の欧米の生産能力で処理しきれない余剰分を中国に分担させて ほしい」と交渉したので受け入れられた ● 航空ショーに出展するのは良いが、日本政府のスタッフが日本製品を売り込んでいるだ けでは不十分。「あなたの国に拠点を置き、あなたの国のエンジニアを雇って、あなた の国で生産するので協力してほしい」という持ち掛け方をして、相手国の政府を味方に つけることが必要。特に、雇用への貢献を強調すること(※筆者注 メンテナンス・ブ ールヴァールの場合も、ドイツ人学生やベルギー人学生に、オランダ国内での雇用の機 会を申し出て獲得を進めている点に注目) 前号(航空機用大型風洞と日本の課題)アドレス http://c-astec.sakura.ne.jp/merumaga2/AerospaceInfo2011_04407/ishihara_2011_044.pd f 文責:石原達也(ビジネス航空ジャーナリスト) ビジネス航空推進プロジェクト http://business-aviation.jimdo.com/ ※ ビジネスジェット・ユーザー企業(日本メーカー)のインタビュー記事を掲載 略歴 元中部経済新聞記者。在職中にビジネス航空と出会い、その産業の重 要性を認識。NBAA(全米ビジネス航空協会)の 07 年および 08 年大 会をはじめ、欧米のビジネスジェット産業の取材を、個人の立場でも 進めてきた。日本にビジネス航空を広める情報発信活動に専念するた め退職し、08 年 12 月より、フリーのジャーナリストとして活動を開 始。ヨーロッパの MRO クラスターの取材を機に、C-ASTEC とも協 力関係が始まり、現在に至る
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